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J.S.バッハ「ミサ曲 ロ短調」(BWV 232)

2019 FEB 3 14:14:26 pm by 東 賢太郎

僕が完全主義者であり、ミクロの細部が0.1ミリずれても絶対に妥協しないということを知っている人は少ない。なぜなら、それが見えるのは、そうでなくてはうまくいかないと経験的に知っているキモにおいてだけであって、キモは1%しかないから、ほとんどの知己はというと、おおいに手を抜いている99%のほうの僕を知っている。ムダなところに時間とエネルギーを1カロリーも消費しないということに対する完全主義者なのだから、必然的にキモとムダに対する姿勢の落差が大きく、99%のほうにおいては抜けが多くて細事にこだわらない風に見えているらしいが、それが社会生活ではうまいこと潤滑油になってきたからサラリーマンのような向いてない職業でやってこれたのだと思う。

僕が何をキモと思っているかわかる人は数人しかいない。1%しかないその領域で完璧を期すからここまで生きてこられている。いっぽう99%のほうの自分に対しては僕自身が関心がないから、そっちに関心がある人に僕が関心を持つことはなかなか難しい。人でそれだから、人が作ったものにはもっと興味がない。あるのは神様が造ったものだけで、つまり自然科学系の学問にしか僕は関心がないのである。音楽は人が作るものではあるが、作曲(compose)は音という目に見えない物理現象を素材として組み立てて感動を生み出す作業である。いわば化学(chemistry)の実験のようなものであり、その結実である楽譜は化学式であって、僕にとっては純粋にサイエンスであり、あらゆるアートの中で別格である。

この2か月仕事に没頭して1%のキモだけを突き詰めてきた。完全に疲れてインフルエンザにもなってしまい、いまその緊張を緩めてくれたのがハイドンであり、キモを更に研磨してくれるのはJ.S.バッハだという再認識になって、その二人への深い感謝の気持ちから今度は本稿を書こうという気持ちになっている。両者は右脳と左脳のごとく直線上の対極点である。ちなみにほぼすべての作曲家は中間点に分布するが、改めてマーラーだけは乗ってこないことを知る。僕にとって現代国語、小論文形式のテストに近い。あれで東大を落ちたと思っており、問題を作った人の趣味でしかなく、そんな偉人でもなく尊敬もしてないたぶん性格も合わない作題者の趣味にうまく迎合できたかどうかで採点されることに何の普遍性があるのか、不快なだけで意味不明だ。

ドイツ時代にアイゼナッハのバッハ資料館へ行ってみたが、J.S.バッハの実像は資料が少なく音楽の知名度からすると意外なほど知られていない。というより、メンデルスゾーンが再発見して蘇演するまではその音楽だって歴史に埋もれて忘れられていたのだ。ヘンデルの音楽の人懐こい外向性に比べるとポピュリズムとセックスアピールに無縁の堅苦しさがあることは否定できず、古典派の時代に入ると彼の集大成した厳格な対位法音楽はイタリアの「歌」の蠱惑には勝てなかった。アルベルティ・バスみたいなお気楽でいい加減な伴奏だけできれいなメロディを歌う流れに飲み込まれてしまう。その一翼を担ったのがあのモーツァルトであるのだから困ってしまうが、彼のピアノソナタとバッハの平均律を比べてどっちが立派な音楽かと問われれば、それは問題なくバッハと答えるしかすべはない。ジュピター終楽章のフガートを神だとあがめる人を否定する気はないが、バッハのフーガを前にしてあれをフガート(fugato)という文字で書いてしまうことに僕は些かの良心のためらいを感じる。

バッハは数学的だという声も聞く。言ってる人がどれだけ数学ができるのかは知らないが、バッハの書いた楽譜はE=mc2のようなものを秘めているかもしれないと思わないでもないし、そういう神の言語、宇宙の摂理のようなものを曲に埋め込もうという努力をした人はいる(シェーンベルク、メシアン、ブーレーズetc)。僕は「E=mc2をシンプルで美しい式である」と思うが、この美しさというのは驚くべきことに、「宇宙の真理がそんなシンプルな式に集約されてしまう事実自体がこれまたシンプルで美しい」という、ロシアのマトリョーシカ人形みたいな「入れ子構造」になっているのである。その入れ子構造はまたまたシンプルであって、ますます神の創作と思うしかないという「無限の入れ子構造」になっているという事実を「美しい」と思うのだ。しかしその数学的な美しさを万人が気付くかというと、多分そういうことはないだろう。

バッハが楽譜に「何か」を埋め込んだとして、それは百年ほどの間は人類には理解は及ばぬものであるゆえ、音楽家の息子たちですらもてあまし、メンデルスゾーン以降の人類がようやくそれをアプリシエートできる能力を徐々に身に着けたということなのだろうか。そして現代においてはバッハのタイムカプセルは本来の普遍的な価値を発現し、それを感覚的に楽しむことは大衆にも容易なところまで人類はキャッチアップできていて(それは全人類のまだ数パーセントではあるものの)、相応には普遍的な美とできるところまできたのだと理解すべきかもしれない。プロテスタントであるルター派のバッハがカソリックのラテン語典礼文に作曲しようと思った理由は明らかになっていないが、であるからこそ、ロ短調ミサに彼のタイムカプセルが埋め込まれていると考える仮説は魅力的だ。

今日は久々に音楽に没頭しようという気になり、そういう時でなくてはできない楽しみに身をゆだねることに決めた。通称「ロ短調ミサ曲」の器楽のバス・パートをレコードにあわせて2時間通して鼻歌で歌うことである。バッハのバスというのは意外に読みやすいのだ。これをやると頭の芯がすっきりしてくるのは何度もやって証明済だ。

「ロ短調ミサ曲」というと僕の世代にはまずこれだった。泣く子も黙るカール・リヒター/ ミュンヘン・バッハ管弦楽団の1961年盤で、当時のクラシック通の間ではこれを聴いていないとバッハを語れないムードすら漂っていた。初めての宗教音楽であり解説を読んでもちんぷんかんぷんで、大学生の僕はこれを必然的に「絶対音楽」として暗記したのであり、冒頭の和音に悲しみの色が溢れ出ていることにまず驚き、未完成交響曲冒頭、悲愴交響曲の終楽章冒頭と共にこれがロ短調というものの色彩になった。後にモーツァルトのレクイエムによって宗教音楽の魅力にのめりこむことになるが、それはモーツァルトの死因に関心をいだいた結果にすぎない。キリスト教徒でない者にとって信仰心をもってバッハに感動するのはどう考えても無理だと悟ったし、もっともらしいことを書いている音楽評論家も、仮に仏教徒であるならば大人は嘘つきだなあと笑ったものだ。

ところが欧米に13年半住んでいるうち、少しその辺の考え方が変わってきた。教会でオルガンや典礼音楽を聴く贅沢な機会がたくさんあって、もぐりこめば無料でいくらでも聴けるのだから大好きな僕としては水を得た魚だった。ウィーンのシュテファン教会で典礼の一環としてやっていたブルックナーのミサ曲第2番、パリの三位一体教会のメシアンの弾いていたオルガン、ウエストミンスター教会、ヨーク大聖堂の合唱、セント・ポール教会のオルガン、セント・マーティン・イン・ザ・フィールズの管弦楽、その他オルガンや典礼の交唱やクリスマスのミサなどはノートル・ダム寺院、フランクフルト皇帝大聖堂、チューリヒ聖母教会、ストラスブール大聖堂、ザルツブルグ聖ペーター教会など、数えたらきりがないが、あの深い残響を伴う異空間に何時間もひっそりと身を置いていると、音楽を聴くというのは耳だけでなく体で空気振動を感知するということと一体だという風になってくる。

ヨーロッパの街は物理的にも人々の生活意識の座にも、教会というものが中心にある。教会はすべて勿論石造りであり、それが接地して連続的につながっている街も石畳から建造物まですべてが石でできており、そこかしこに、そうやってキリスト教音楽と時を告げる鐘の音が当たり前の空気のように存在し、そこいらじゅうの石壁や石畳に反響してこだまのように聞こえている空間が都市というものなのである。土むきだしの畑や田んぼをブルドーザーがアスファルトで固めれば都市になるという日本的感覚はなく、教会、キリスト教、宗教音楽(西洋音楽の元祖である)が「ユビキタス環境」(当たり前のように周囲にある)として物理的にもスピリチュアルにも中心にあるのが「ヨーロッパ諸都市という空間概念」なのであって、田舎とは完全に不連続な存在だ。

そこに13年も暮らして日々浸っていると、西洋音楽を石の建造物と分離して認識するということは甚だ難しくなってくるクラシック音楽という教会発祥の文化がオペラハウスやコンサートホールにだけぽっかりと遊離して存在すると認識している日本人の感覚をもはや共有することは不可能で、年月をかけてそうやって形成されてきた自分の意識の座にしか存在しえないものになっている。自宅を設計した時に地下の音楽室の壁を全面石造りにしたいと申し出たら、オーディオショップの担当者が反響を心配し、手のこんだ吸音設計を勧めてくれた。これが日本のオーディオのプロの発想なのだ。教会の音響イメージと遊離したリスニングルームなんてなんの意味もないよと教えても誰も理解しない。冒頭の、僕にとって絶対に妥協を許さない「キモ」とはかようなものだ。日本にまともなクラシックのコンサートホールなど存在しないと言い放っているのは、なんの意味もなさないものに賛辞など贈りようもないからである(前回のアムステルダム・コンセルトヘボウのハイドン82番の音響をお聴きいただきたい。何を言っているか手に取るようにお分かりになるだろう)。

僕はキリスト教に改宗しようと思ったことはないが、しようと思えば容易だろうと確信が持てるほどその宗教が生み育ててきた文化、思考、技法の精華であるクラシック音楽というものに骨の髄まで浸かり、それを肌の中にまで取り入れてしまったという意味で同化していると思う。それによってモーツァルトやブルックナーの聴き方が違ってきたかと言うなら、そうでない聴き方というのはそもそも存在するのだろうかという本質的な問いにまで至るしかないだろう。こうして書いている文章も、そうやって形成されてきた自分の意識の座にしか存在しえないものとしてのモーツァルトやブルックナーに関するものであって、先のオーディオのプロが僕の音に対する感覚がわからないのと同様に、どこまで理解されているかは甚だ心もとない。

バッハを畳と襖の部屋で味わえないわけではないし、音楽は国も人種も宗教も超えたユニバーサルなものだという主張は今どきの世界を席巻している熱病の一部として、セクハラやパワハラの訴求と同じほど一切の反駁を許さないものになっている。18世紀欧州に産声を上げた啓蒙思想が2百余年の時を経てついに末端の大衆の脳髄の奥の奥にまで浸透し、百科全書派がめざしたような上っ面の知識の流布で数学の優れた思考法である抽象化・一般化がおこなわれて数学のわからない人々に対する偽りの正当化がなされ、ユニバーサルで人類博愛主義的なひとつの「解」に到達したのが21世紀の実相である。一般大衆は「人類皆兄弟」と何かの顧客にして騙しておけば都合が良いが、一神教であるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の真の教徒たちがそんなことをめざしている可能性など皆無に決まっているではないか。

教徒であるベルリン・フィルやウィーン・フィルの団員だってきっとクラシック音楽における「人類皆兄弟」の主張を喜々として裏書きするだろう。誰もが「いい人」を演じて生きていきたいし、なにより彼ら芸術家は食うために鑑賞者(顧客)を必要とするからだ。彼ら自身は畳と襖の家でベートーベンを鑑賞したいとは多分思わないだろうが、少なくとも神様であるお客様がどこでどういう理解で聞いてくれようが反対する理由などあるはずがない。欧米に居住して同化してみて、僕はついにユニバーサルな人間になったかといえば、その正反対だ。それが嘘だということに気がついたのである。そしてそれに騙されている全世界の大衆がやがてそのことに気がついて、真に啓蒙された人間に昇華していく可能性はゼロだということにも。そんな気付きはなくとも彼らの人生は幸せだし、バッハのタイムカプセルもそこまでの汎用性はないだろう。だから僕は大衆の話をしているのではない。知識人は①真の知識人であるインテレクチュアル専門知に閉じこもったインテリジェント③知識の政治的実践に固執するインテリゲンチャの三つに分けられるとした西部邁によるなら、実は「大衆」の一部である②と③について書いているのだと思う。

J.S.バッハ「ロ短調ミサ曲」のDover版フル・スコア

「ロ短調ミサ曲」がどれだけ素晴らしい音楽か、それこそ僕如きが目くじらをたてるようなことではない。これのバス・パート(合唱部ではなく通奏低音、continuoである)を全曲通して歌う快感を知ったのはもう30年も前のロンドン時代だ(右が当時買ったスコア)。この長大なミサが教会での実用品だったかどうかは不明だが、2時間の典礼に参加したがごとき気分は格別だ。そこで肌に残る感覚は京都、奈良の古仏をめぐったときの充実感と変わらない。仏教芸術だが仏教徒でなくては感知できないというものでもない。修行もしてなければ教義すら知らないのに、日本人だからわかるというものでもない。それとシュテファン聖堂でブルックナーのミサを聴いて感動することと何が違うのだろうということだ。絶対音楽としてこれを暗記した大学時代の努力はムダでなかったと、長年の人生経験を経てやっと納得した。

リフキン盤「ロ短調ミサ」

曲の理解をさらに深めてくれた演奏がある。“バッハの声楽作品の一部は各パート1人で演奏した”という主張に基づくジョシュア・リフキン / バッハ・アンサンブル盤(右)である。1981年当時まだ古楽器演奏というコンセプトはなく、オーケストラは20人、ソリストを含め声楽陣は8人という編成によるロ短調ミサには大いにそそられるものがあった。買ってみると目から鱗の透明な響きが清涼剤のごとくに快感で、何度も繰り返し聴いて、歌った。このクリアな声楽は今でも捨てがたく、ぜひご一聴をおすすめしたい。

これだけの作品の演奏にあれこれ序列をつける愚は避けたい。何度かこの曲が眼前で演奏される場に立ち会った経験があるが、厳粛な気持ちになったのはすべて同等だ。古楽器アンサンブルも良かったし、ロンドンでのカルロ・マリア・ジュリーニのものも良かった。さっき見始めて、最後まで見てしまったyoutubeのジョン・エリオット・ガーディナーも見事だ。

完全主義という困った性格(ミケランジェリの夜のガスパール)

 

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交響曲を書きたいと思ったこと(1)

 

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J.S.バッハ モテット「主に向いて新しい歌を歌え」BWV225/1

2017 OCT 14 16:16:03 pm by 東 賢太郎

このモテットをライプツィヒの聖トーマス教会で初めて聴いたモーツァルトが驚嘆したという記録が残っている。1789年の5月、死の2年前で三大交響曲を書いた後である。残した輝かしい音楽に使われている技法はすべてマスターしていた年齢なのに「ここには学ぶことがある」と写譜した譜面が遺品の中に見つかっている。

モーツァルトはウィーンで庇護者スヴイーテンの蔵書にあったバッハ作品を知っており、平均律を四重奏に編曲もしていた。それでも未知なものがこの曲にはあった。カソリックの彼が見たプロテスタント音楽の側面もあったろうが、バッハの8声部対位法技法の凄みが耳をとらえたと考えるべきだろう。

この音楽は教会での残響と音響の空間放射なくして成り立たないだろう。ハリウッドボウルなど野外で映えるか想像すればわかる。キリスト教徒ならバッハを知らなくてもCDの音だけで教会をイメージするだろう。教会文化で育っていない僕が別なもの、それも奇想天外なものを想像してしまうのは経験論の帰結としてお許し頂くしかない。

むかし、アメリカ映画でミクロの決死隊というのがあったが、僕はこれを聴くとああやってミクロの小さな体になってバッハの脳の中を探検し、こんなものを見た感じがする。

見たのは脳みそではない、鍾乳洞の自然の驚異だ。なぜそこにそんなものがあるのか?知らない。神様に聞いてほしい。これをご覧いただきたい。

人間の中には宇宙があって、空を見てその彼方にあると感じている宇宙とそれとは実は同じものだ。それをバッハの脳が見つけて音に書きとった。前稿の「数学美とアートの美は同じもの」という感覚は僕流に表現するなら、そんなものだ。バッハの書いた音符に数学的秩序があるという人もいるが数学者にそんな人はいない。もちろん僕にはそれは証明できない。

このモテットを初めて聴いた時の驚きは忘れることがない。なんだこれはという思考停止に陥り、あっという間に終わってしまった。母の胎内で進化の歴史を超特急で経過しておぎゃあと生まれてくる、それがあっという間というなら、10分の音楽に呆然として1分に感じるのもあっという間だ。

音楽の聴き方は人それぞれだ。

 

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クラシック徒然草《ニコライエワの平均律クラヴィーア曲集 第2巻》

2017 JAN 25 1:01:06 am by 東 賢太郎

ギターでは出せない和音があると知ったのは高1の時でした。それはストラヴィンスキーの火の鳥の終曲です。どうしても自分の手で鳴らしてみたかったのです。仕方なく小遣いを貯めて1万円以上する指揮者サイズの原典版オーケストラスコアを神保町の洋書店で買って、その部分の音符をピアノで弾いてみてわかったのです。

そこからしばらく見よう見まねで練習し、弾けたのはバッハのインヴェンション1番と火の鳥終曲だけでした。それがきっかけでピアノはすごいということに目覚め、自分でハノンをやっていい加減な指使いでモーツァルトやベートーベンも適当にさらったりしました。

結局、習ってないわけですからそれ以上は上達せずです。ただ、だんだんそうするうちに自分は弾くことより音楽の構造分析の方に興味があるということがわかってきました。長調が明るい、短調が暗いと感じるのはなぜか?そんなことが解明できないのだから第九を聴いてどうして人が感動するのかなど遠い道のりです。それを解明したいと思ったのが音楽にのめり込むきっかけでした。

オーケストラスコアをピアノ譜にリダクションしたり、ピアノ的な眼で見るというのが面白くて熱中し、シンセでオーケストラを演奏するようになりました。ダフニスとクロエの夜明けが相当音を落としてもそれらしくピアノで弾けることに感動したし、そういうことを通して楽曲のストラクチャーや和声構造がわかるようになって音楽がちょっと違う次元で聞こえるようになったかもしれません。

ピアニストにはハマりました。彼らは演奏家であると同時に指揮者でもあります。つまり自己完結した完璧な音楽家です。指揮者がどう音楽を作りたいかはオーケストラという他人の手を借りてしか音にできませんが、ピアニストはどんな複雑な曲でも自分だけの手で思うままに表現できます。その人のソウル(魂)にふれるという意味で、大変完成度の高い表現形態であることに惹かれました。

畏敬するピアニストは何人かいますが、ピアノ演奏の深遠さを学んだのはタチアナ・ニコライエワのバッハ平均律クラヴィーア曲集 第2巻です。

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これはなにか犯し難い人間の尊厳を漂わせ、ひたすら高貴な音で訥々と綴られた一編のドラマなのです。バッハがどうしてこんなに生き生きと歌えるのか、レガートで弾けるのか、オーケストラのようなソノリティが出るのか、現代のコンサートグランドのバッハでどうしてこんなに深みのある低音が響くのか?高度な技巧なのにまったくそれを感じさせない。聴くたびに何かいただいて、少しだけバッハの精神に近づけるような気がする僕には特別の存在です。

51s-QrQq3EL._SX347_BO1,204,203,200_若いころショーペンハウエルの幸福論をむさぼり読んで人生が少しだけ分かった気になった。いまや恥ずかしいばかりの甘酸っぱい思い出なのですが、それでも「本はばかになるから読むな」、「孤独こそ人生の理想の姿」など僕の精神にストレートに入って深く影響する言葉が残っているのは驚くばかりです。ワーグナー、ニーチェ、R・シュトラウスが傾倒した哲学はとくに難解ではなく、「腑に落ちる」から残ったのだと思います。ニコライエワの平均律はどこかそれに似て、お腹にずしっと響いた感じでしょうか。

 

なぜ第2巻かといって意味はなくたまたま聴いていただけで、第1巻も同等に素晴らしい演奏です。音楽に人生を求める必要はありませんが、ピアノ音楽の深みを知る意味ではこれはショーペンハウエルの滋味に似たものがあります。

 

 

J.S.バッハ 「ゴールドベルク変奏曲」

 

 

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J.S.バッハ イタリア協奏曲 BWV 971

2016 MAY 11 1:01:49 am by 東 賢太郎

ピアノのディスクで最初にノックアウト級の衝撃を受けたはこれでしょう。ポリーニのショパンやストラヴィンスキーも記憶にありますが、大学当時まだそんなにピアノに目覚めていたわけではなく、ああうまいなあで終わってました。

ところがこの59年のグールドのLPは、それがピアノであろうがなかろうがそんなことは忘れてしまう凄まじい音の奔流で、有無を言わせず僕をねじ伏せたのです。第1楽章が鳴り始めるや、耳が立つ感じ。これはとんでもないものが始まったぞというわくわく感が一気に押し寄せます。

イタリア協奏曲は実に名曲で、もっと遅くて味わい深く聞こえるものもある。しかし、本来はそういう音楽だろうと頭では思っても、ブーレーズの春の祭典とおんなじであって、グールドのあまりの痛快さ、快感が僕の脳ミソにバーンと刻印されてしまっていて、他は何を聴いてもドーパミンが分泌されない。あっそうという感じになってしまうのです(本人の再録音すら)。

なんたって遅いところも凄い。第2楽章は4声部のうち、ソプラノ、真ん中の2つ、バスの3本のラインがまったく違う音色で弾かれていて、当時の僕のプリミティブな耳にもそのぐらいはわかってしまい、おいこれは何だか普通じゃないぞと身がまえてました(下が第2楽章から)。

そして第3楽章。この速さはなんだ?それも完璧なコントロール!超人だ。しかし余興の速弾き大会ではなく、このテンポでなきゃあウソでしょという他を圧した絶対的な納得感なのだからもうどうしようもない。これはダルビッシュか大谷の160kmが外角低めいっぱいにビシッと決まって、打者はピクリとも動けずごめんなさいという世界です。

オイストラフのヴァイオリンをきいてああヴァイオリンをやらなくてよかったと思うのですが、これ、ピアノもそうでした。いや、エロイカをきいたら作曲家もそうだったっけ。

 

 

J.S.バッハ ブランデンブルグ協奏曲全曲

 

 

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人間のプライドについて(パクリ事件に学ぶ)

2015 SEP 6 13:13:28 pm by 東 賢太郎

芸術、アートの世界の模倣というのは昔からあります。J.S.バッハはヴィヴァルディを編曲して自作に用いたし、モーツァルトはC.バッハのピアノ協奏曲のスタイルをパクっています。録音されてあまねく知れわたる世でなかったし、著作権もない時代です。モーツァルトのレクイエムは田舎の貴族が「俺の曲だ」と自慢するために注文されました。ばれた所でお咎めがあるわけでもないのにこの貴族のようなエセ作曲家が横行しなかったのは、少なくとも本物の芸術家として後世に名を残した人はプライドを賭けた仕事をしたからでしょう。

人間、プライドは大事です。法律というものは社会規範であって、自分がどう思おうが順守しなくてはなりません。しかし、法律には書いてないが自己判断でどうすべきかという事柄が世の中にはたくさんあります。たとえば電車で老人に席を譲るかどうか。拾った百円玉を届けるかどうか。クラスのいじめられっ子と仲良くするかどうか。道に迷っている外人に声をかけてあげるかどうか。皆さん、いかがですか。

誰しもまず自分が可愛く、安全でいたい。それは生存本能だから自然なことです。動物園で自分の目の前に投げ込まれたエサを仲間に譲ってあげるサルはいません。母親だって自分が餓死してまで子を守ろうとはしません。利己的なのです。いや、我々はサルじゃないと思われるでしょうがそうではない。そうじゃないから宗教や道徳や修身というものがあるのです。利己主義はいけないと教えるのは、本来、人間は利己的なものであり、それを幾ばくかは修正しないと社会が円滑に回らないという智慧からです。

宗教家でも格別の道徳家でもない人に、困った人は助けなさい、他人や社会の為に良いことをしようと教えても社会的には限界があると思うのです。日本国は落とした財布がそのまま戻ってくる唯一の国と言われます。誇張はあるにせよたしかにそういうことがあったのかもしれないが、70億人のうち69億人がしていないことが永遠に行われるほど日本は世界で孤立していませんし、そうできるほど日本が経済的に余裕のある安全な国であり続ける保証もどこにもありません。

だから、人を助けたい、社会に良いことをしたいと思う気持の原動力は、結局は自分を大事にしたい心である、他己主義に転換するわけではなく利己主義なんだとあっさりと認めればそうする人がもっと増えるのではないかと思います。僕はそういう場面にであったとき、「そうしない自分でいいのか?それで自分のプライドは満足なのか?」と自問します。プライドを持って生きてる自分が好きであり、それだけは譲れないぞ、という意味では利己主義なのです。

それは自分で思いついたわけではなく、英国に6年住んでいてゴルフという遊びを覚えて、教わったことです。ゴルフはプライドで成り立っていると思ったのです。ボールが林に入ってしまって、悪いライで打とうとしたらボールが1センチ動いたとしましょう。周囲を見渡すと誰も見ていない。その1打を申告しなくても誰もわからない。こういうシチュエーションでどうするかです。ゴルファーなら誰しも一度は経験させられる場面でしょう。

英国で実際あったケースですが、ある名門クラブで同伴競技者に「球が動いたのに申告しなかった」と通告され、球は動いていない、名誉棄損だとして通告者を訴訟する事件がありました。ゴルフというゲームは正直申告しないと社会的にも名誉や信用を失うスポーツだということです。スコアをごまかしても法律違反ではない。しかしそんなことはプライドが許さない、沽券にかけてもできません、という人だけが集まってやる遊びということになっているのです。

ウソやごまかしはいけません、閻魔大王が見てますよ、と僕も母親に口酸っぱくいわれましたが、根っから無信心なものだから閻魔大王?いねえだろそんなのとつまらないことに反発してました。でもそういう母親が大王みたいもんで、そうやって自分を律して生きていかなくちゃいけない、そんなこともできない人間が成長はできないんだという気持になってきました。「スコアごまかすの?」「無理ですね」という。1センチならいいかと思った時分がありましたが、今なら1ミリでもだめです。それは自分で決める自分の考え方のルールであって、これを僕はプライドと思っています。

さて話は我が国のことです。昨今のコピペ、パクリ、模倣、捏造、偽造、なりすまし。これはいったい何なんでしょう?

「誰も見てなけりゃ何でもあり」。そういうことでしょう。林の中で空振りしようがチョロしようが、申告しない。バレなければいい。そういう精神構造の人が横行し始めているのが日本だということなのではないでしょうか?落した財布がそのまま戻ってくる?本当にそういう国なんでしょうか?

川崎市で神奈川県警のポスターを見て仰天しました。「見破れ!!オレオレ、電話でお金を要求する息子はサギ!?」とある。「暴力は犯罪」というポスターもあって、そう思ってない人がそんなに多いのかと驚いたのもつかの間です。「息子はサギ」までいくと、落とした財布をそのまま交番に持って行くのはオレオレにひっかかるお年寄りなのであってあと20年もすればみんないなくなって、日本は落とす前から財布を心配する国になると確信したものです。

その証拠に「誰も見てなけりゃ何でもありシリーズ」は去年から豊作でした。

第1話

僕は耳が聞こえません。そういう人、いたでしょ、ベートーベン。僕って、彼と一緒でね、部屋にこもるんです。そこで天から降りてくる音を楽譜に書きとってるんですよ。

第2話

論文はコピペでした。画像は捏造でした。だって、どうせ誰も見てないし気がつかないんですもん。みんなやってますし、いけないことって知りませんでした。

第3話

この海老、釣ったところなんか誰が見てるんだ?味がビミョウに違うけど素人なんかにわかるはずないだろ。いいんだよ、タイ産だけど「伊勢海老」って書いとけ。

第4話

誰に投票してもおんなじじゃないですか。高齢者問題は我が県のみならず日本人の問題じゃないですか。だから私は城崎温泉を106回も視察してるんです。106回もですよ、領収書はないけど。誰も見てなくったって、そんなに政治を一生懸命やってるんです。

ここにこれが加わろうとしています。

第5話

「おい、キミ、これ似すぎでないか?」「はあ、なるほど、これはまずいですね、やっちゃったな」「コンセプトで逃げられる?」「いえ、センセー、これはさすがにちょっと・・・」「まいったねえ」「どうでしょう、ひとつシューセーってことで整形して似てなくするっての」「原案はなかったことにって?」「まあそれしかないか、いまさら巻き戻せんもんな。僕は知らなかったってことにしとくよ」

密室のはかりごとも、ギョーカイの常識ごとも、誰も見てない、聞いてない。だから何でもありなんです。唯一ないのはプライドだけです。

バッハもモーツァルトも音楽界では田舎であったドイツに生まれました。そこでイタリア人や先輩の模倣、引用から入ってはいますが、それを見事に消化吸収して新たな自分の個性にしてます。他人と自分、異なるものが混じりあわずに対立して、どっちでもない新しいものに結実してゆく、そういうプロセスを弁証法的発展と呼びます。

モーツァルトが死ぬ1791年に「レクイエムを作ってくれ」と頼んだのはフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵というアマチュア音楽家で、当時の有名作曲家に匿名で作品を作らせ、それを自分で写譜した上で自らの名義で発表するという行為を行っていた人物です。彼が弁証法的発展とは無縁の人物であったことだけは明白ですが、彼はちゃんと「匿名で」と依頼してるので、「パクリ」と言ってはいけません。「なりすまし」が正しい称号であり、第1話が近似した事例であるのです。

第5話がどう歴史に刻まれていくのか、それは今後の展開が決めていくことです。バッハやモーツァルトがヴァルゼック伯爵にならなかったのはもちろん才能の問題でありますが、何よりプライドがあったからでしょう。自分が世界一であり、唯一無二であると。芸術、アートというのは自己表現です。自分の顔だからオンリーワンなのであり、唯一無二だから人は価値を認めるのです。そこに他人の顔を出すというのは根源的にナンセンスであり、整形美人をほめそやすようなものである。

やった瞬間にそれは芸術、アートではない、その人は芸術家、アーティストではないという消しえぬ烙印を押されるのです。ヴァルゼック伯爵は、はからずも恥ずかしい形で歴史上の人物のはしくれにはなったが、それでもいいから有名になりたいという御仁がいるなら僕はもう言葉がない。その人が親に教わったプライド次第ということでしょう。

 

(こちらへどうぞ)

僕がなぜコピペに厳しいか(追記あり)

 

 

 

 

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モーツァルト セレナード第12番ハ短調「ナハト・ムジーク」K.388

2015 JUN 1 22:22:34 pm by 東 賢太郎

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前回、ウィーンで足蹴の屈辱をうけて「丸腰の素浪人」となったモーツァルトが、自分のシンガーソングライターとしてのデビュー用に満を持して用意したピアノ協奏曲第12番作曲のいきさつを書いたモーツァルト ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414)。その屈辱を忘れ、天性のプラス思考に火をともす契機となったのはコンスタンツェ・ウェーバー(右)との結婚だったことも書いた。

モーツァルトが母とパリに求職旅行の道すがらマンハイムで知り合ったのがコントラバス奏者、写譜士のウェーバー氏だった。彼はオペラ「魔弾の射手」のカール・マリア・フォン・ウェーバーの叔父にあたる人物で、彼の一家は娘アロイジアをタレントデビューさせて生計をたてるべく、その出世とともにミュンヘン、ウィーンと家ごと引っ越した。今でも芸能界でよくある話だ。夫人がアロイジアを自分の扶養契約つきで嫁に出したのを僕は若いころ強欲婆さんのイメージで見ていたが、大黒柱のウェーバー氏は都に来てすぐに亡くなっていたのだ。寡婦が生活費のバカ高いウィーンで一家を支えるには当然の行動だったと、この年になると同情も覚える。

モーツァルトも同様に契約で縛られる。これを後世はけしからんとみてひどい母親だと思いがちだが、アロイジアと同じことだ。彼は経済的にはずっと不安定で母は不安だった。二人が「できて」しまい、コンスタンツェが家に帰らなくなったため母は警察沙汰にすると脅したようだ。彼は後見人だったヴァルトシュテッテン男爵夫人あて書簡に「もしそんなことになるなら、あすの朝にでも、できれば今日にでもコンスタンツェと結婚するのが最上の方法だと思います」と8月4日直前に書き、8月4日に結婚した。駆け落ち同然だったようだ。

見知らぬ地の孤独な境遇で戦う羽目になった彼にコンスタンツェというパートナーが現れたのは彼にとって運命だったろう。華やかではあるが冷たい大都市ウィーンでめざましい力で生き抜いたことは彼女の存在なくして考えられないと思う。悪妻の汚名をきせられてもいるが、ウィーンでのモーツァルトの絶頂期の10年、すなわち音楽史に燦然と輝く10年を支えたのは彼女であり、彼の壮絶な人生に心からの共感を覚える僕としてはそのことだけでもお礼を言いた気持ちでいっぱいだ。

歌劇「魔笛」で僕がいつも涙が出て止まらなくなるのは、最後の最後、パパゲーノの自殺の場面からパパパ・・・にいたる所だ。あのオペラの主役はきっとパパゲーノなのであり、それはきっとモーツァルト自身の投影なのであり、あのストーリーの大団円はザラストロやタミーノの念願成就ではなく、パパゲーノとパパゲーナの結婚なのだ。それはなによりも幸福だった彼自身の結婚であり、だからそれを祝福するあの部分の音楽がこの世のものとは思われないほど感動的なものになったのだと僕は信じている。

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モーツァルトがコンスタンツェと結婚する直前にヴィップリンガー通り19番地にあった「赤剣館」(右)の3階に引っ越したことを書いた。1782年7月23日のことだ。警察が踏み込むかもしれなかったのはここであり、前のアパートがウェーバー家の目と鼻の先だったからやや離れたここに逃げたのかもしれない。その3日前の7月20日付けの父への手紙に「僕のオペラを管楽器用に編曲しなくてはなりません。さもないともうけを横取りされてしまいます」とある。オペラとは大当たりしたばかりの「後宮からの誘拐」のことであり、当時の宮廷ではハルモ二ームジークといって管楽器楽団をかかえ、食卓でBGMを演奏させることが流行っていた。オペラの編曲はその格好のレパートリーだったのだ。

結婚をひかえ素浪人であったモーツァルトはリヒテンシュタイン候の楽団のために管楽器の音楽を書くことが「あまりもうからないが確実な仕事」と書いており、ハードルはもっと高いが、ウィーン宮廷に雇われたいという野望もあって皇帝の側近に管楽器の手の込んだ作品をアピールもしていた。そのどちらかの目的でその頃に書かれたと思われるのが今回のセレナード第12番ハ短調「ナハト・ムジーク」(K.388)である。彼はこの後、例の「アイネ・クライネ」以外はこのジャンルに曲を残していない。

この曲に誰もが思うのは、食卓でないにしろ一般にセレモ二アルな場で演奏されるセレナードがハ短調というのは奇妙だということだ。多くの学者はこれをスヴィーテン男爵のサロンでバッハ、ヘンデルの楽譜を研究した影響とみる。モーツァルトがバッハの楽譜に驚愕を覚えたことは想像に難くなく、平均律を四重奏に編曲したり、多くは未完に終わったがフーガの作曲を試行している。「プレリュードとフーガハ長調」(K.394)はその完成された例だ。

自身もフーガを作曲したグレン・グールドがそれを弾いている。フーガは巧みにバッハを真似ているがどこかこなれておらず、モーツァルトらしい顔ものぞく(最後にバスのソがラ♭に上がる所はK.491を予見する感性だ)。ここでグールドはバッハのフーガに「やばい」と思ったモーツァルトに鋭く共感しており、そういうことを愚鈍に無視した世間一般ミーハーのモーツァルト像が大嫌いだったにちがいない。その一点において、僕もまったく同じ動機で本稿を綴る者であり、彼に深い共感を覚える。

この曲は82年4月20日の手紙で「まずフーガを作り、それを書き写しながらプレリュードを考えた」と書いていて、モーツァルトの尋常ではない頭脳構造を垣間見る。さらに面白いのは、「コンスタンツェはフーガに夢中になっており、僕がまだフーガを書いたことがないと言うと、すべての音楽様式の中でいちばん技巧的で美しいものを作曲したことがないなんてと手厳しく僕を責め、しきりにせがむので、彼女のために1曲書くことになりました」と書いていることだ。

この部分の解釈は諸説あるが、僕はこれをコンスタンツェが父に気に入ってもらえるように売り込むために「フーガ好き」であることに脚色してイメージアップを図ったとみている(「ハ短調ミサ」のソプラノパートを歌わせるのと同様の手口だ)。どうしても彼女との結婚を前向きに認めてもらいたかった。もしそうであるならば、フーガは「すべての音楽様式の中でいちばん技巧的で美しい」と彼自身が認めており、そのことは父との間でも了解事項になると信じていたことになろう。

それだけではない。最愛の妻を得て心の平静を取り戻した彼は未来を見る。そこで自分の音楽に対して未来志向にもなっていたと僕は思う。「バッハの楽譜に驚愕を覚えた」と書いたが、才能に天狗になっていた彼を打ちのめしたのはそれだったろう。何度も書くが、彼は作曲に関してプラグマティックな人間である。技術で誰かに負けるということは彼の辞書にはない。

いちばん技巧的で美しいものは立身出世のため彼が越えなければならないハードルとなった。ここでセレナード第12番ハ短調「ナハト・ムジーク」(K.388)の第3楽章がメヌエット・イン・カノーネとあり、フーガではないがカノンになっているのが注目される。オーボエが先行しファゴットが追っかけ、トリオでは反行カノン(音程を上下逆にする)になっており、交響曲第40番のメヌエット(第3楽章)を思わせる曲調の楽章だ。

つまりこの楽章はバッハの音楽のように「技巧的で美しい」ものへの接近であって、このセレナードがバッハの作曲技巧をマスターしたことの宮廷へのアピールであったとすればハ短調であることは特に奇異なことではない。スヴィーテン男爵のサロンに出入りしていた貴族の間でも、男爵自身はもちろんのこととしてバッハ、ヘンデルの価値は認識されていたはずであり、モーツァルトがその音楽様式をすばやく巧みに消化したことは好印象として加点になるという理解があって不思議でない。

我々現代人が奇異に思ってしまうのは、短調が悲しみを表現するというロマン派仕込みの既成概念があるためだ。バッハの平均律は24の長短調で書かれているが、オクターヴ12の音×長調と短調=24となっているだけで短調曲が悲しみを描いているわけではない。ベートーベンは1798年にやはりハ短調で書いた8番目のピアノソナタに自ら「悲愴」と名付けたが、短調=悲愴感という発想で書いた曲であることを広く理解してもらうには逆にタイトルが必要な時代だったからではないか。芸術に悲しみを見る19世紀的な浪漫思想の発祥はそのあたりになるのではないかと僕は考えている。

モーツァルトが短調に何も感情をこめなかったかというとそうではないだろう。だがそれはドン・ジョヴァンニが地獄落ちしたり、夜の女王が怒りの発露を見せたりという場面にも現れるのだ。後世が「走る悲しみ」とロマンチックに語ってみたり、やがてやってくる死を見すえて涙や諦観をこめたなどと比定するのは、まったくちがうと思う。彼の作品のバランスとして、平均律に短調があるほどメカニックな理由ではないにしろ、彼の感情の振幅の一方を受け止めるに必要な作曲技巧の様式としてそれは現れたと考える。

非常に興味深いことがある。第3楽章に交響曲ト短調がきこえるセレナード第12番ハ短調「ナハト・ムジーク」(K.388)の終楽章にベートーベンのピアノ協奏曲第3番ハ短調の終楽章のテーマが聞こえることをお気づきだろうか?この協奏曲がモーツァルトの第24番ハ短調K.491の「親類」であることは多くの人が指摘しているが、ナハト・ムジークK.388の親類でもあるとしたら意味深い。K.388のカノン楽章がこだまするト短調交響曲K.550の終楽章主題が第3楽章冒頭主題になったハ短調の運命交響曲にも系譜がつながっていくからだ。

ベートーベンのトレードマークとなった「ハ短調」がK.388とK.491を始祖とすると考えるのはエキサイティングだ。しかし「この種の作品(オペラ)を管楽器に合うように、しかも原曲の効果を損なわずに編曲するのがどんなに難しいか、あなたには想像もつかないでしょう」(1782年7月20日)と彼は父に書いている。モーツァルトは作曲に対していつも超一級の職人でありプラグマチストなのだ。それは後世の我々にも、ひょっとしてベートーベンにも想像がついていなかったかもしれない。つまり、彼のクラリネットを使った作品にハ短調、変ホ長調(いずれも♭3つ)が多いのは多分にそういう楽器法上の理由だったかも知れないということだ。あまりに皆さんのロマンを壊して申し訳ないが、僕自身がプラグマチストなのでご容赦をお願いしたい。

これが問題のナハト・ムジークK.388である。

 

 

 
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J.S.バッハ ブランデンブルグ協奏曲全曲

2015 JAN 16 1:01:22 am by 東 賢太郎

僕にとってベートーベンにひたっている時期に一時のクーリング・オフになるのがヨハン・セバスチャン・バッハのブランデンブルグ協奏曲全6曲である。人類の至宝だと書いて反対する人は誰もいないだろう。なん百回聴いたかわからないが一向に飽きるということなし。噛めば噛むほどスルメのように滋味が増す。僕の場合、脳を瞬時に活性化させる効果がある気がして学生時代によくきいた。

クラシック入門の方、この6曲は必修科目ですので何度も聴いて全部覚えてしまってください。

J.S.バッハはヘンデルと同じ1685年生まれで1750年と9年早く死亡。ヘンデルはハレ、バッハはアイゼナハと同じドイツに生まれたが会うことはなかった。ふたりとも英国人ジョン・テイラーというやぶ眼医者に手術(白内障か?)を受けて失明している。失敗して歴史に名を残しているのはこの人ぐらいではないか。

「ブランデンブルグ協奏曲」と呼ばれている合奏協奏曲集は6,3,1,2,4,5番の順番で作曲され、ブランデンブルグ・シュヴェート辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒに「いくつもの楽器による協奏曲集」とフランス語で記して献呈されたことでこの名前になっているが、作曲の本当の経緯などの詳しい素性はわかっていない。6番だけは以前にマリナー盤について書いたのでお読みいただきたい(「カテゴリー」の「J.S.バッハ」にあります)。

難しいことはともあれ、2番のトランペット、オーボエ、リコーダー、4番の2本のリコーダー、5番のチェンバロなどソロ楽器とオーケストラのかけあいはまさに「耳の御馳走」であり、初期の作品で弦だけによる溌剌とした3番、ヴィオラ・ダ・ガンバによる奥ゆかしいくすんだ響きの6番もありと、ありとあらゆる上質な音楽的悦楽の宝庫である。

有名な演奏としてカール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団、トレヴァー・ピノック/イングリッシュ・コンソートなど枚挙にいとまなし。バッハの音楽というのはあまりに完璧にできていて、技術に問題なければ聴けてしまう。だからCD屋に堂々と並んでいるのはどれを買っても大丈夫だ。演奏の好み云々以前に、まず曲を覚えることが大事である。

このアバドの演奏も楽しい。

 

cover170x170僕が最近よく聴いているのはヴラディミール・クロスト/バルカン祝祭管弦楽団というものだ。これはi-tuneで「 Vladimir Crost  Balkan Festibal Orchestra」と入れると出てきて、2枚で6曲がそろう。というよりもCDでは買えないオンライン・オンリーの演奏。

この指揮者も団体もまったくきいたことがなく、何者かどこの馬の骨か知らない。なんとwikipediaなど何を検索しても出てこない。よほど無名なのでありゴースト演奏団体かもしれないし、2番などあまりにうますぎるのでシンセの合成音かとも疑ったが、どうもそうは聞こえない。何であれ結果が全て。こういう得体の知れないものを第一に薦める人もいないだろうしショップもこんなのが売れては困るのだろうが。

わざわざ書くのは、演奏と録音があまりに素晴らしいからである。わずかにリズムが単調になる部分はあるものの、並み居る大御所連の名盤と何の遜色もないどころかむしろ音程の良さと音色の美しさで優っている。このピッチの良さは脳の栄養になるほどだ。はっきりいって万人ご推奨の天下の名盤リヒターより僕はこっちの方がずっと好きである。ソリストもオケも非常にうまくアンサンブルも一級品。いったいこの人たちは何者なんだろう?

 

(こちらへどうぞ)

J.S.バッハ「ブランデンブルグ協奏曲」BWV1046-1051

 

 

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クラシックは「する」ものである(5)-J.S.バッハ「G線上のアリア」ー

2014 AUG 6 13:13:46 pm by 東 賢太郎

第5回目です。ちょっとだけ中級コースに入ります。

バッハの管弦楽組曲第3番のアリア(いわゆる「G線上のアリア」)です。ゆっくりな曲なので格好の練習曲です。

有名な曲ですから音楽の教科書で多くの方がご存知でしょう。初心者用の入門曲と思っておられる方も多いかもしれません。

とんでもない。この曲をピアノ独奏でちゃんと弾くのは素人にはなかなか難しいです。そして歌ってみればその難しさがわかります。

まずは女性はソプラノ、男性はバスを歌ってください。バスはオクターヴをちゃんと取ってください。うまくいかなくても結構。あきらめないで何度も挑戦して下さい。譜面が音名で読めない場合は楽器で弾いて耳で覚えてください。

できた方、ではさらにアルトとテノールをいきましょう。

これはちょっとむずかしいかもしれません。じっくりゆっくり、しかし手を抜かずに正確にどうぞ。

テノール(ヴィオラ)のパートは「ハ音記号」なので音をひとつ上げて(シをドとして)読んでください。ドレミをレミファにするということです。音名で読める方はいいですが僕は始めはギブアップでピアノの助けを借りました。

アルト(第2ヴァイオリン)男性はオクターヴ低くてもOKです。特に臨時記号の#がつく所は音程に気をつけて下さい。テノールは原音どおり(裏声)で歌いましょう。

バッハの時代(バロック)の音楽は「通奏低音」(バッソ・コンティヌオ)といってバス(楽器は指定なし)の音に数字を振って、あたかもギターコードのように和音をつけました。

鍵盤楽器であれば左手でバス・ラインを弾いて右手で数字が示す和音を即興で入れたそうです(通奏低音の弾き方に関しては僕はまだ勉強不足なのでコメントを控えます)。

このアリアもソプラノ(第1ヴァイオリン)の旋律にバスがついていて、真ん中の2声があたかも即興であるかのごとく協奏しながら装飾的に和声を縫っていきます。

しかし譜面を見れば見るほど実はそうではなく、計算され尽くした音が大理石のように見事に配置され完璧な宇宙の調和を体現しているという様なのです。

後半で第2ヴァイオリンが半音ずつ上がっていき、最後にバスのe(ミ)に対してd#(レ#)の長7度で軋む部分など息をのむほどの美しさ。絶句するしかありません。

歌い終わってつぶやくのはバッハは凄いの一言です。この4声の糸が織りなす綾のすばらしさ、これにまさる天上の調べは考えがたく僕は娘の名に「綾」の字をつけました。

ぜひ真ん中の2声をじっくり練習なさってください。それでこの曲が完全に違って聴こえてきます。僕の経験です。漫然とお聴きになっていた時とは格段に違うものがそこに現れてきます。

 

ここまで修了された方はもうオーケストラ曲のチェロパート、ヴィオラパートをそこそこ歌える準備ができています。ただ音だけを聴いていたご自分とは別な自分を発見されることでしょう。「歌ったり踊ったり」の効用を一人でも多くの方に体験していただきたいと願っております。

 

クラシックは「する」ものである(6)ージュピター第4楽章ー

 

 

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J.S.バッハ 「ゴールドベルク変奏曲」

2014 MAY 3 12:12:06 pm by 東 賢太郎

最も好きなピアノ曲は何か?と僕が問われれば、さすがに答えは見つかりませんが、この曲が最後の10曲のショート・リストに残ることは確実です。

バッハは1722年から20年かけて平均律クラヴィーア曲集第1,2巻を作曲しましたが、このゴールドベルクはその最後の年1742年あたりに書かれたとされます。クラヴィーア作品としては彼の集大成といってよろしいかと思います。作曲事情については有名なアネクドートがあり、不眠症に悩むカイザーリンク伯爵のためにバッハの当時14歳の弟子ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクが弾いたというものです。しかし、お聴きになれば同意いただけると思いますがこれが睡眠導入剤になるとは思えない(逆に目がさめてしまう?)ですし、変奏曲は14歳が簡単に弾きこなせるものでもないでしょう。バッハの後妻アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳にあるアリア主題にバッハが高度な技巧の変奏を付け、全体を弟子用の練習曲としたというところではないでしょうか。

これは非常に数学美を意識して作曲された曲集と思われます。原題は「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロ(ハープシコード)のための一つのアリアとその種々の変奏によって構成された練習曲」( Clavier Ubung bestehend in einer ARIA mit verschiedenen veraenderungen vors Clavicimbal mit 2 Manualen)ですが、簡単な例を2つ挙げますとアリア主題は32小節から成り、各小節のバス(低音)の音列を成す32音に乗る30種類の変奏曲をアリア主題が曲頭と曲尾でサンドイッチにすることで32曲による曲集を成し円環形に閉じています。そして、全曲が主音をト(ソ)とする(つまりト長調とト短調)という変化率ゼロの和声領域にいながら、3の倍数(3,6,9・・・)番目の曲はカノン(追っかけ旋律、輪唱)になっていて、その3×N番目の曲において主旋律をN度離れて追っかけ旋律が入るという規則性によって対位法領域で変化率を創出しています。やはり1742年に書き終えた平均律クラヴィーア曲集が1オクターヴを構成する12個の音を主音とした長短調による前奏曲とフーガという「vertical(垂直的)」な次元での可能性を極限まで追求した曲集であるのに対し、こちらは「holizontal(水平的)」な次元でそれを行ったものと解することができます。「平均律」と「ゴールドベルク」を12個の全ての音にtranspose(移調)することが可能ですから、数学的な意味において、この2曲をもってバッハは自らの音楽をもって2次元空間を制覇したということも可能でしょう。音列をある規則で変奏するという手法は音楽史の時空を180年も飛び越えて20世紀初頭のシェーンベルグによる12音技法に連なるもので、バッハの「ウルトラ理科系頭脳」をうかがわせます。

61O7cjEeWLLこの曲を語るには、グレン・グールドの1955年の衝撃的録音(右)から開始する以外にすべはございません。僕は彼のモーツァルトやベートーベンを楽しむ人間ではありませんがそれは彼の強烈な個性が日食の月のごとく音楽の前に立ちはだかり本来の大事なものを陰に隠してしまうからです。しかしバッハの音楽が発する光輝はグールドの個性をむしろ光度の増幅器に変えるパワーがあります。当時、欧米でもこの曲が広範に聞かれていたとは思えないにもかかわらず、この無名のカナダ人はレコード会社の反対を押し切ってこれをデビュー作品に選びました。それは彼自身がバッハの音楽と自分との関係を見抜いていたということで、まずそのことが雄弁に彼の天才を証明していると思います。その出来ばえは、新人投手がデビュー戦でいきなり完全試合をやってしまったに匹敵し、この曲を有名にした人というクレジットを彼は永久に一身に享受する資格がございます。人間がキーボードを弾いた記録としてこれ以上に超人的(superhuman)な例は思い当たりません。ちなみに僕はこの洗礼からこの曲に入ったため、これはこういうものという固定観念から離れるのに20年かかりました。

グールド1955年盤

ただ、今となると、この演奏はやや才気が走り、ややとんがった感じがする。テンポの理解が浅く、例えば第30変奏が速すぎて最後のアリアに移行する感動が薄い、タッチが鋭く、キーを押してから離す速度が速いので速めの曲のチェンバロのような音色は見事だが遅めの曲が味気ない、など不満を感じます。これを崇拝する方がたくさんおられるのを承知で書きますが、僕の今の印象は160km出る若手投手が速球で押しまくった試合を見たという感じなのです。本人がそう思っていたかどうか知りませんが、グールドは1981年にこれを再録音し、それを最後に亡くなりました。引退試合でも完全試合。彼の人生もゴールドベルク変奏曲によって円環形に閉じていたのです。

51V34xSdDrLこの81年録音は、「グールド的」とでも表現するしかない彼の無二の個性が深みを伴って発露されている点、そして、その個性が曲の本質、アーチェリーでいえば彼の放った矢が見事に標的の真ん中を刺し貫いたという印象を与えるという点において、完成度が常軌を逸しています。先にあげた弱点は雲散霧消し、5,8番の研ぎ澄まされた指回り、10番の各声部の音の色彩の塗り分け、14番のはじけ飛ぶ音、16番のオケのようにパンチあるff、18番の3声の性格的弾きわけ、20番の超人的快速タッチ、21番の信じ難い重音のスタッカート、深く鎮静するト短調(25番)から一気に閃光がさす26番への場面転換、のように書けばきりがありません。そして55年盤では若気の至りだった30番のテンポが見事で、それに続くアリア再現(すごくゆっくりのpp!)への移行が聴く者の集中度を否応なく極限状態まで研ぎ澄ましてくれます。最後は至福の満足感のなかで「ああ、天上の音楽を聴いた」という、人間が耳という器官を通して感知できるもののうちでも僕には最も神の領域に近いだろうと思われる類の感動を与えてくれるのです。人類の箱舟に載せられる録音の最右翼に列せられるもののひとつではないでしょうか。この録音の個性ですが、32の各曲が独立した作品でそれをオムニバスにした感じ、あえて例えればビートルズのアビイ・ロード、sgtペッパーズが作品間の対比まで巧妙に考えて曲を並べた感じがするのと似たイメージを覚えます。4人がスタジオにこもってアルバム作りをしたのと同じくグールドもコンサートを捨ててレコーディングだけに徹したわけで、彼もゴールドベルグ変奏曲という一個のまとまりとしての音楽作品の数ある録音に自分の1枚を加えようとしたというよりも、「アビイ・ロード」という無機的なスタジオ名がアルバム名になったのと同じく「ゴールドベルグ」という名のアルバムを作りたかったのではないでしょうか?

グールド1981年盤

さてグールドの洗礼の強烈な磁力からやっとフリーになった僕が魅かれている演奏を2つ挙げておきます。ゴールドベルク変奏曲と聞けば猫も杓子もグールド、グールド。それではJ.S.バッハが草葉の陰で悲しむだろうと思うのです。

 

タチアナ・ニコライエワ(pf)

711最近はもっぱらこれを聴いています。悠然と流れる大河の安泰に歌心と管弦楽のような音の広がりを加味したゆるぎない演奏です。一朝一夕に成りたった解釈ではないという、押しても引いてもびくともしない巨岩のような精神を感じ、僕はヨーロッパに住んでいるころ教会で聴いたオルガンを思いだすのです。ここで彼女が示しているテンポとタッチの美しさは、バッハの書き残した楽譜から読み取ることのできるどこか絶対的なもの、グールドのように演奏家のゆるぎない個性ではなくて、音楽そのもののそれに根ざしているように聴こえます。その音値や音色の確信に満ちたコントロールや音自体の持つエネルギー感は特別なもので、同じ楽器を弾いても他のピアニストとは別格的ないい音が出ているのかと思われます。23番あたりタッチに軽さがないことや非常に軽微なミスタッチなどがないわけではありません。彼女はテクニック的な完成度よりも別なものを求めているようです。華美さ、音色美、切れ味といった装飾的なものを求める演奏ならそれは傷になってしまうのですが、そしてバッハはそう弾かれねばならないという思い込みが支配する今日この頃でありますが、これはそうではない。バッハがその譜面のどこが重要と思って、あるいは何を感じさせたいと思って書いたのかという思考の蓄積から結晶化した解釈を伝えることが使命となった演奏であり、こういうものが演奏会で聴けたり録音されたりということはもはや期待できないでしょう。21番のロマン的なぬくもり、25番の沈黙の闇に沈み込む何かを悟ったような静けさ、28番の声部の性格的弾きわけ、29番のゴツゴツした骨太の触感とシンフォニックな低音、ペダルを踏んでのオルガンのような音の洪水、そして30番は荘厳なゴシック教会を仰ぎ見るような偉容!そこから最後のアリアへ入る感動はひとしおで、音楽は薄明の中に浮かんで、だんだん遅く、小さくなって消えます。その最後のソ(g)の音に至るf#の長七度、それはマタイ受難曲の終結でもあり、グールドがなぜか弾いていないf#がこんなに意味深く響く演奏を僕は他に聴いたことがありません。ニコライエワは1950年にライプツィッヒで開かれたバッハ国際コンクールで優勝しました。審査員としてそれを聴いていたショスタコーヴィチが彼女のバッハに感動して「24の前奏曲とフーガ」を作曲し、まだ出版もしていない手稿を彼女に捧げたのです。

マリア・ティーポ(pf)

200x200_P2_G1267275W17番の羽毛のように金色に輝く高音を聴いて驚きました。20番の走り抜ける歓喜、21番のト短調でロマンティックに揺れるテンポと色彩、23番のチェンバロのような軽いタッチ、25番はモーツァルトのピアノ協奏曲第23番第2楽章に似ていることをこの演奏で気づき、同じト短調のパミーナのアリア(魔笛)の半音階的な和声の迷路がより近いとも思いました。この演奏の灰色の悲しみは印象的です。27番の2声のmfとpのコントラストがタッチの変化を伴って弾き分けられているのはすごいですねえ。29番、重たいファンファーレは遅く軽い走句は速いというメリハリも。30番は強弱の変化をつけて興奮を冷ましつつ心を鎮静させる優しさがあり、アリアはすばらしい弱音でデリケートの極致に。若い頃「ナポリの女ホロヴィッツ」と呼ばれた腕は伊達でなく、多彩な表情づけに一家言ある素晴らしいバッハと思います。

 

クラシック徒然草《ニコライエワの平均律クラヴィーア曲集 第2巻》

J.S.バッハ イタリア協奏曲 BWV 971

 

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クラシック徒然草-ダボス会議とメニューイン-

2013 JUN 11 0:00:01 am by 東 賢太郎

 

「ザルツカンマーグートを見たことのない者にベートーヴェンの田園交響曲は解釈できない」  (ユーディ・メニューイン)

と20世紀を代表する大ヴァイオリニストは言ったそうだ。 「ラインラント地方を見たことがない者にシューマンのライン交響曲は指揮できない」 と信じる僕ごときと似たような音楽観をお持ちだったのかどうか真意はわからないが、それを先日ある人からうかがった瞬間に記憶が脳裏によみがえった。メニューインについてはある思い出があって、強い印象が残っているからだ。

1997年2月、野村スイスの社長だった僕は本社からの指示でスイスのいわゆるダボphoto1_000250ス会議(World   Economic Forum)に3日間参加した。この会議がどういうものかご存知の方も多いだろう(今年は安倍首相も出席してアベノミクスが話題になった)。登録者のみが参加できるのだが、たしか当時ひとり2万ドルぐらいかかったようだ。登録が受理されると名簿(辞書風のディレクトリー)に顔写真とプロフィールが載るのはSMCのメンバーリストと似ている。登録者各人に割り当てられる「鳩の巣箱(pigeon box)」という丸い穴の開いた郵便ポストがあるが、アルファベット順になっていて、Azumaのお隣さんはArafat(PLOのアラファト議長)だった。毎日の進行はというと、朝一番のブレックファスト・ミーティングから夕方6時ぐらいまで6~7コマのセッション(時限)があり、会場には大中小の様々なホールや教室があって、各々の部屋で同時進行で行われる。どの時限にどの部屋に行こうが自由だが各部屋とも人数制限があるので事前にレジスターしないと入室できない。人気のあるコマはすぐ満員になってしまうのでこのマイ・スケジュール作りが結構大変だった。言語は基本的に全部英語だ。

ダボス会議と呼ばれるが一様に会議なのではなく、一方的講義形式、パネルディスカッション型式、視聴者参加型ディスカッション型式などいろいろある。5~6人座っている複数の丸テーブルを複数のパネラーが10分ごとに回遊してアドホックに議論する型式は大変面白かった。僕のテーブルには米国連銀(FRB)の局長がいて、パネラーのひとりがチェコのハヴェル大統領だった。大統領がやってきていきなりアメリカの悪口をいいだすと、FRBがすぐに応酬する。チェコ好きの僕はなんとなく大統領に組してFRBの通貨政策を批判する。結論はない。10分でベルが鳴り、次のパネラー(ぜんぜん違う立場の人)が来る、という塩梅だ。まるでボクシングみたいだった。

当時、世界最高のCEOと尊敬されたGEのジャック・ウェルチ会長のブレックファスト・ミーティングは迫力があった。演壇上から南部なまりの英語で彼のスピーチは始まったが、だんだん自分の話に興奮してくるとマイクを手に持って熱弁をふるいながら演壇を降り、僕の丸テーブルのすぐ脇まで来てしまった。こっちは朝食を食べているのだがツバキが飛んできて困ったものだ。しかしそんな超至近距離で天下のウェルチのオーラを浴びられたのは何か感ずるものがあった。あれ以来、僕は英語でスピーチするときは無意識に、あの時のウェルチをイメージするようになっている。

ビル・ゲイツ(マイクロソフト)とアンドリュー・グローブ(インテル)の「ネットワーク社会」の対談は今日をほぼ予見していたが、いま振り返ると隔世の感があるともいえる。グローブが何やら小さい箱型の機器をポケットから取り出して「皆さん。びっくりしないでください。これは電話機なんです。今からこれでちょっといたずらしてみましょう。当社のストックホルム現法の社長を呼び出してみます。彼は私から電話が来ることなんか知りません。」といって我々の前でそれをやって見せた。ストックホルムの社長も驚いたが、見ていた1000人の観衆も驚いた。今なら小学生でもできることだ。1997年、世界のケータイ事情はまだこんなものだった。

ダボス会議の1週間というのは、こういう人たちが一堂に会し、会場内を普通の人である我々と分けへだてなく闊歩している。びっくりしたのはユーディ・メニューインのセッションがあったことだ。いや、それが彼のセッションだったのか、誰かのゲストとして呼ばれていたのか、もう記憶が定かではない。しかし、ひな壇にあった顔はまさに、レコードのジャケットで見知ったあの大ヴァイオリニストだった。楽器を弾いたわけではない。何か訥々とスピーチをした。心の中にいる神、政治の凶暴さ、戦争と平和、芸術のできること・・・などといった内容のものだったように思うが、彼について知ってることといえばフルトヴェングラーと録音したいくつかの名演奏ぐらいという体たらくだった僕はいくら彼の英語に耳をすませてもよくわからなかった。そこにいた僕の周りの聞き手が知っていて、たぶん僕だけが知らなかった彼のパーソナル・ヒストリーはこんなものだ。

7歳でサンフランシスコ交響楽団と共演した神童だったメニューインは、アメリカで経済的に困窮していたハンガリー人亡命者べラ・バルトークを助け、あの無伴奏ヴァイオリン・ソナタを献呈された人だ。また一方では、ユダヤ系ながら第2次大戦後のドイツとの和解を訴え、ナチス協力者の烙印を押されていたフルトヴェングラーと共演して彼の無実を擁護した。それが米国ユダヤ人社会の逆鱗に触れ、米国で支配的だったユダヤ人音楽家社会から事実上排斥されて欧州へ移住する運命となった。第2次大戦は欧州から米国へ移り住む多くのユダヤ人音楽家を生んだが、その逆は彼ぐらいのものだ。

このフルトヴェングラー事件は彼の父君がアンチシオニストの哲学者だったという思想的影響があったかもしれないと思う。誰とて父祖の薫陶から完全に自由であるのは難しい。ダボス会議の主役はアメリカではない。欧州だ。舞台は戦争の血なまぐささとは縁の薄いスイスだ。米国を追われ、そのスイスに居住し、英国で貴族の称号であるロードを授与された音楽家。ちょうどその1997年に欧州金融界が米国流ビジネスであるインベストメントバンク化の道を選択し、スイスの銀行が米国の圧力でナチ・ゴールドで守秘義務の解除を余儀なくされたこと、翌年5月に欧州中央銀行が発足し、統一通貨ユーロが誕生したこと。今になって、メニューインの存在が重なる。

僕は彼の実演を1度だけ聴いた。84年2月8日にフィラデルフィアのアカデミーでやったリサイタルだがほとんど記憶にない。84年の2,3月はMBAが取れるかどうかの期末試験で心ここに在らずだった。先週たまたまタワーレコードで10枚組で1,800円というメニューインのCD10枚組を見写真 (1)つけたので買った。古い録音が多いので期待せずに聴きはじめるとこれが面白い。耳がくぎづけになって一気に10枚聴いてしまった。フルトヴェングラーがフィルハーモニア管を指揮したベートーベンの協奏曲。EMIの有名な録音だが改めて感動した。これだけオケが立派な演奏は少ない。全曲が泰然としたテンポで進み、第3楽章も急がない。第2楽章はロマン派ぎりぎりの夢見るような弦がソロをほのかに包みこむ。第1楽章はベートーベンの書いた中でもひときわ巨大な音楽でありいつ聴いても天才の発想に圧倒されるが、独奏がこれほど気品と風格にあふれ、古典派演奏の枠を超え人間味の限りをつくしたあたたかさが伝わるものはほかにない。ロマンスの2番。ベートーベンにモーツァルトの影響を最も顕著に感じる作品のひとつだ。この演奏も最高だ。

同じコンビでバルトークの協奏曲第2番!メニューインは自分が助けた2人の盟友を自らの新天地ロンドンで結びつけたのだ。4分音(半音の1/2)など音程はややアakg_00008754バウトながら縁の深いバルトーク作品を格別の気迫で弾ききっており、フルトヴェングラーのほうも丁々発止オケを触発してそれに応えている。オケの反応も上々だ。前衛性はやや後退して古典に聞こえるものの、いい演奏なのだ。意外かもしれないが最も前衛性の強いピアノ協奏曲1番をバルトークの独奏でフランクフルトで初演したのはフルトヴェングラーである。録音は残っていないが彼は管弦楽のための協奏曲もやったらしい(聴いてみたかったなあ)。彼が同時代の音楽にも適性があったのは、自身が交響曲を3曲も書いた現代音楽作曲家でもあったのだから当然といえば当然なのだろう。

シューマン、ブルッフの協奏曲。独奏が文句なしに素晴らしい。全盛期のテクニックが冴えわたるが機械的でなく、いつも知性と人のぬくもりを感じる。前者はバルビローリとニューヨーク・フィルがこれまたいい。ナチスの妨害で初演できなかった因縁の曲だが、ヨアヒムが演奏不能とした第3楽章のめざましい表現は技巧を感じさせない。なんていい曲なんだろう。シューマンの最後のオーケストラ曲だ。いい曲に決まっているのだが、こういう水を得た魚のような演奏を聴かなくては曲の真価は見誤ってしまうのだ。

エルガーの協奏曲。これも地味だがいい音楽だ。32年録音の協奏曲はエルガー自身がロンドン1198596交響楽団を振って伴奏している歴史的遺産である。このツーショット、左の若きイケメンがメニューイン、右はそのエルガーだ。彼は英国に縁があったのだ。ドヴォルザークの協奏曲。師匠のエネスコの指揮するパリ音楽院管弦楽団がやや荒っぽいのが欠点だが、心に響くヴァイオリンが滔々と歌うとそれも忘れてしまう。メニューインは一時技術的に停滞があったのと、LPレコード時代の録音が薄っぺらい音に聴こえた(僕だけでないだろう)せいだろうか、日本での評価が欧米より低いと思う。この10枚組は音も意外に悪くないので彼の歌の真価がわかる。この歌、グリュミオー、ギトリス、フェラスといったエネスコ門下のヴァイオリニストにどこか共通するものがないだろうか?

ジョコンダ・デ・ヴィートとのバッハ。これも好きだ。2人の個性はそのままに、お互いぶつかり合うのではなく折り目正しく調和している。格調高いバッハになっていながら豊穣な歌心も感じる。ニールセンの協奏曲は特に印象に残った。指揮はウィーン・フィルとのハイドンでご紹介したデンマークのマエストロ、モーゲンス・ウエルディケである。デンマーク国立放送管弦楽団とのお国ものであり、オケの気迫が尋常でない。そしてメニューインがバルトークに委嘱し、献呈された無伴奏ヴァイオリン・ソナタは「直すところなんてない。これからずっと君の弾いたように演奏されていくだろう。」と作曲家に言わせた演奏だ。

10枚を聴き終えて、浮かんできたのはダボスでの彼のスピーチだ。ジョークを言うでもなく大声で主張するわけでもなく、訥々と淡々と人生を回顧するようなおだやかな語り口。当時は知識もなく意味も充分にわからなかった僕はなぜか感銘を受けていたのだ。そういうことは僕にはあまりない。彼が大ヴァイオリニストだからということは、僕に限ってはまったくない。そうではなく、どこか、彼の人格に由来する独特のたたずまいに包み込まれてしまったかのように思える。音楽やヴァイオリンの話はまったくなかったのに。

おそらく、すぐれたプレゼンテーターというのはすぐれた人格者だ。内容が金融であれ音楽であれ、それはあくまで題材であり、聴く者の心に深くこだまして納得感や感動という心の動きを作り出すのは題材にのって運ばれてくるその人の人間性のほうだと僕は思う。音楽は楽譜に書いてある通り正確に音を出せばいいというものではなく、解釈という、プレゼンテーターの心の作用のみがもたらすことのできる釉薬(うわぐすり) が加味されて初めて人の心に触れてくる。原稿を読みあげる政治家の答弁が、それがいかに文法的に正しく整った日本語であり、いかに正確に発音されていようとも、なかなか我々を説得するに至らないのと同じである。

メニューインの人道主義者、哲学者としての立派な側面は後で知ったことだから、あの時に僕を感動させたのは彼の人柄なのだろうと思う。すぐれたプレゼンをするなら、労苦を厭わずすぐれた経験を積み、人格を磨くことだ。プレゼンの小手先のテクニックなどは後回しでよい。僕は音程の甘い演奏は嫌いだ。好き嫌いだからどうしようもない。そして、メニューインの音程は僕の聴く限りやや甘い。だからあまり熱心な聴き手ではなかったのだ。しかし今回たまたま出会ったこれらのCDに1枚1枚じっくりと耳を傾けてみて、

「ザルツカンマーグートを見たことのない者にベートーヴェンの田園交響曲は解釈できない」 

という彼の言葉の真意がおぼろげながら憶測できるような気がしてきた。ユーディ・メニューインが世を去ったのは、あのダボス会議の2年後のことだった。

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

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