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完全主義という困った性格(ミケランジェリの夜のガスパール)

2016 JUL 22 12:12:01 pm by 東 賢太郎

自分の性格で困るのは完全主義ということです。A型に多いらしく、だから日本人に多いのかもしれませんが、僕の場合、それは関心事においてだけのことで、それ以外はむしろ「積極的に無関心」というのがより困るのです。

まず身の回りのことは無関心の代表格で、大変に苦手です。小学校で教室の大そうじのとき、自分なりにやってるつもりが女の子に「あずまくんはじゃまだからどいてて」と外に出されてしまいトラウマになってます。見かねた親がカブ・スカウト(ボーイスカウトの小学生版)に入れましたが何ひとつ興味をひかず、思い出は飯盒炊飯で食べたカレーがうまったぐらいです。

これを自己分析してみると、万事まずは右脳が好き嫌いを独断で決め、嫌いだとそこでスイッチ・オフ、好きだと初めて左脳が登場するという感じです。問題は左脳が細かいヤツで、こいつが完全、パーフェクトを求めてしまう。それに満たないと元に戻って、結局スイッチ・オフ、という回路があるようです。完全主義の人が皆そうなのかどうか、これは関心のあるところです。

音楽を聴いて困るのは、技術的にパーフェクトな演奏がないことです。人間がやることですからね。僕がどうしても楽譜を見てしまうのは、そこで頭に鳴る音楽は無傷だからかもしれません。では機械やシンセが弾けば好きかというと、それはない。人間がやってこそ伝わるものは右脳の好き嫌い回路で「好き」となる絶対条件だからややこしくなります。

つまり、人間らしさは欲しいが機械みたいに正確にやってくれ、と無意識に求めてる。これはかなり矛盾があって無理難題なのですね。

僕が「完全」と思う要素のうち音程(ピッチ)とテンポとリズムが英数国みたいな主要3科目です。どれが欠けてもアウト。しかしこの3つは優れた演奏にはあまりに当然のことであって、野球ならキャッチボールです。これが下手でプロになるのはあり得ないファンダメンタルズです。

以前に弦楽器のピッチ、ことにミとシの問題を書きました。経過句は大家でも弾き飛ばしがあるとも。これに神経の通う人は、しかし、往々にしてパッションが落ちてしまう。かくも人間らしさは正確さと相容れにくい。だから両立した演奏家を見つけると、ウルトラ・レアものですからね、僕は平静でいられない。ユリア・フィッシャーはそのひとりで、10月15日の来日公演を心待ちにしているのです。

以上は僕がブーレーズのストラヴィンスキーやトスカニーニのベートーベンに魅せられてクラシックに入門した経緯を極めて合理的に説明します。そういう人間だったから僕はクラシック好きになりました。作曲家にしても、まず右脳がはねてしまった人、それは聴き始め最初期に起きてますが、それが50年たって好きになったことはほぼありません。かたや演奏の完全性においてはやや基準が低くなって、人間らしさの比重が多めでも(つまりミスがあっても)いい、そのぐらい人間性は感動の源泉になることは学習してきました。

ブーレーズに人間性があるか?あります。それは春の祭典の最初のオーボエの小粋なフレージングや、古風なメヌエットの最後の審判みたいにドスのきいたティンパニの打ち方など、そこかしこにある。日本的な人間性、飲んだら意外にいいおやじだったみたいなものではなく洗練、知性、均整といったものですが、それは超絶的な美人が一見冷たく人間離れして見えてもあくまで人間であるかのようにヒトの一側面なのです。

その人間性というものが合うかどうか、こっちも人間だから大きな要素になります。ヒトの相性です。これは右脳だから理屈はないのであって、作曲家も演奏家も合わない人は合わない、だから聞かない。それだけです。クラシックは名曲ざます、全部いいと思わなきゃいけませんよ、思わないのはあんたがだめなのよ、ねっ、楽聖、音楽の父、交響曲の父・・・なんて音楽の授業、そんなのなんぼのもんやねんと反抗して通信簿2をつけられた僕は思うのです。

音楽の先生より僕の完全主義はずっと厳しいものなので、クラシックのレパートリーはほぼさらいましたが「いい演奏」というのがいかにないかという限界に当たっています。ピアノも弦楽もオーケストラもオペラも。

ピアノで言いましょう、僕はかつて実演で完全、完璧なピアノ演奏というのを聞いた記憶はありません。唯一近かったのがロンドンで聴いたミケランジェリのショパンとドビッシー。知情意と技術の両方においてあれほどの高みに達したものはありません。どちらも感情が高ぶる音楽ではないのでクールに冷静に聴いていたわけですが。

次いで、やはりロンドンでのポリーニの平均律第1巻、リヒテルのプロコフィエフ。やはり淡々と聴いていて、精神にくさびを打ち込まれたと感じるほど打ちのめされた体験でした。ピアノというのは音程の問題がないのでよりテンポとリズム、フレージングに気が回るのですが、この3人のような技術が少なくともないと立ちのぼらせることのままならぬ世界が確かに在って、現場でそれに立ち会えるというのは僕ぐらいの頻度のコンサートゴーアーでは奇跡のようなものです。

録音でそれを感じるのはなかなか難しいですが、こんなのはどうでしょう。

まったく奇跡のように素晴らしい。これをライブで聴いたらいかほどのものだろう。なにしろミケランジェリも完全主義者だなあということがビンビン伝わってくるから僕などほっとすらします。よく耳を澄ませて聴いてください。これは99%完璧な「夜のガスパール」だ。完璧さが興奮をそそるという、すべての演奏の99%でありえないことがおきている物凄い演奏であります。

彼はラヴェルをなんでも弾いたということはないのですが「夜のガスパール」は十八番だったようです。寡聞にしてこの録音は知らずブログの推薦盤にも入ってませんが、あの日のドビッシー(前奏曲第2巻)を思い出した。これをこれだけ弾ける人は現存するんでしょうか?

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

 

 

 

 

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Categories:______ラヴェル, 自分について

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