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あれまあ!やっぱりトランプだったのね

2024 NOV 7 3:03:04 am by 東 賢太郎

きのうディナーした米国人が来社したのが午後4時半だった。ちょうどスマホにトランプ当確のニュースが入ったのでどう?ときくと「個人は残念、ビジネスOK」ときた。なるほど、それなら僕は個人もビジネスも、まあOKだ。ウォール街はばりばりの民主党で当社もその仲間ではある。LGBTやら内政干渉には心底怒りを覚えるが、それとビジネスは別物と割り切らなければこの業界ではやっていけない。ちなみに当社のパートナーであるウォール街の某投資銀行CEOはトランプのトランジションチームに入ってるからホワイトハウスに移ることになる。「俺が不在の間に利益は何倍になるんだ」と社内では檄が飛んでるらしい。経済顧問ぐらいのポストだろうから楽しみであり、まあその分だけOKということだ。

というわけでビジネス的にはあんまり興味なかったが、「ハリスが僅差でリード」というニュースをどこかで耳にして、そんなに優秀なのかと公開討論を聞いてみた。悪いがどうひいき目に見てもこの人物においてそんなはずはない。現地にきいてみると「偏向報道の嵐です」が回答だった。しかしそれはアメリカの話だ。投票権のない日本人に日本のメディアはハリス押しのコメンテーターばかり並べて妙ちくりんな理屈をこね、気合を入れて偏向報道してる。誰が得するんだか実に不思議だ。あれまあ!って予想が大外れして赤恥をかくばかりか報道機関としての信用も失墜である。明らかにそう考えてないのだから経営リスクと思ってないのであり、報道にみせかけた新種のエンタメと解釈するしかない。

これで思い出すのはマカオのカジノだ。留学時代やロンドン時代に賭場に出入りしたが、香港ではマカオである。客はほとんど中国人で雰囲気はまるで鉄火場だ。丁半バクチで素人もわかりやすいルーレットが大人気で、テーブルを取り囲む人垣は三重ぐらいになっていたので僕は最後列から人をかき分けてチップを置いていた。やたら赤ばかり出る。次は黒だろう。あれれ、また赤だ。ええい今度は絶対にくるぞ!うわあ、また赤だ。これが6回続いた。64回に1度の珍事である。ざわざわし始め、なにやらそこらじゅうから大声で中国語が飛び交い、あたりは興奮のるつぼと化してきた。もういくらなんでも赤はない。確率はいつでも1/2なんだけど人間は思いこみに弱いのである。かく言う僕も賭けようと試みたが、あちこちから手が伸びてきてはじかれてしまい断念した。黒のベットゾーンに高額のチップがこれでもかと山積みになる。後でもめないようにディーラーはプレーを中断し、スティックで用心深く山をゾーン内に寄せて仕分けした。緊張が走る。いよいよ数字盤が回る。No more bets!  場がシーンと静まりかえる。カラカラと乾いた音を立ててジャンプした球がコロンと収まったのは、赤だった。

アイヤー!

多勢の混声合唱団のように見事にテンポのそろった大音声の絶叫が場内にとどろきわたった。これ、英語で「オーマイガー!」、日本語で「あれまあ!」である。正確に記すと、

アイィィヤァァァァ

であり、アイが四分音符、ヤーが二分音符のフォルティッシモで、速度はアダージョ、最後が嘆息ぎみのディミニュエンドで一抹のもの悲しさが漂ったものだ。なかなか音楽的であったのは皆さんの落胆の気持ちがひとつになっていたからだろうと思われる。このたび、バイデン政権のアイヤーも壮絶なものだったろう。メディアはお通夜みたいに真っ暗だ。それの忠犬ポチだった日本のお歴々はどうするんだろうか。

「トランプだったね、やっぱり」「安倍さんの死を悼んでたよな、やったのはあいつらだって」「現総理はアンチ安倍の急先鋒って伝わってるだろうな」「当然だろ」「なんでも麻生さんとは割とウマが合うらしいよ」「へえなんでかな、そんな刺さる話したのか」「いや、あいつは金のにおいがするって言ったらしい」

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DeNAの下剋上優勝に見るリーダーの大切さ

2024 NOV 4 22:22:56 pm by 東 賢太郎

今年のNPBは3位球団の下剋上優勝で終わった。2010年のロッテに続く史上2度目の快挙である。大相撲なら平幕優勝だろうか。

DeNAはペナントレースで広島カープに対して11勝14敗であり、8月まで首位だったカープファンとしてはそう苦になる相手ではなかった。ところが9月最初のカードである横浜スタジアムで森下、アドゥア、床田が計15失点し、東、ジャクソン、ケイのトリオに押さえ込まれて3連敗した。ここから何かが狂い始める。次の中日戦も2つ落として迎えた巨人戦、あの信じられぬ最終回9失点という勝利の方程式瓦解へと至ったのである。あの3連敗がなければカープは悪くても3位には残ったろうと思うし、DeNAはCSにも出場できなかったことになる。

このトリオが日本シリーズでも活躍し、ペイペイドームでの3連戦を3連勝で乗りきる立役者になった。今永、バウアー、エスコバーがぬけた穴埋めがジャクソン、ケイだったわけだが、ジャクソンはパイレーツからの移籍で、全球団に当てそこそこの成績だがエース級の存在感はなく、メッツからのケイは主に巨人に当てて1勝5敗だった投手だ。DeNAは正捕手で3割近く打っていた山本祐大もケガで欠き、強打のソフトバンクに立ち向かえるバッテリーとは思わなかった。

第1戦は有原の落ちる球に凡打の山、投げては先発ジャクソンが敬遠の挙句に投手有原にタイムリーを浴びてしまう。しかし4回で9三振を奪う球威は次回を予見させるものはあった。第2戦は先発大貫が早々に5失点。初戦は無安打だった山川が初回に2ランの4打数3安打と爆発して完敗。この時点で我が家ではすでに「電車道」(なすすべなく押し出される)が予想であり、世間も多分そんなものだったろう。ここでソフトバンクのコーチの「東より宮城の方が断然いい」発言がネット記事にのり、桑原が「悔しくないのか!」と選手ミーティングで檄を飛ばしていた。

桑原は31才、キャプテンの牧は26才だ。年上だろうが何だろうが口だけの野郎になんか誰もついていかない。有言実行。桑原は第3戦で初回いきなり2ベースを放ち、5回に勝ち越しのホームランを打った。第4戦でオースティン、宮崎も打ち第5戦で牧も打った。DeNAは打力のチームだが本来の姿に戻った。守りではナメられた東が10安打されながら気迫のストレートで内角を突いて1点に封じた。第2戦でのってしまった山川を封じることに全力を挙げたのが捕手戸柱で、第3戦から1本もヒットを打たせずSB打線のつながりを切ったのは見事というしかない。打力は12球団トップレベルなのだから投手力が加われば強いのはカープ3連戦が証明している。潜在力が開花してなかったジャクソン、ケイに火をつけたのは桑原、戸柱であろう。できれば戸柱にもMVPをあげたかった。

さらに筒香だ。第6戦は2度目の有原だった。初回にオースティンが併殺で嫌な終わり方をした2回、初戦でことごとく凡打だった落ちる球をホームランにして自信をくじいたのは大きい。先発大貫は前回の借りを返し、速球派でないのに全力のストレートで山川、栗原、周東から三振を奪っていた。細かいことだが、ショートの森はいい選手なんだが守備が下手だねえと見ていた。それが第6戦では自信に満ちており有原から2ベースを放ち、四球と思った低めのくそボールをストライクコールされながら次の高めに釣られず押し出しをもぎとった。22才が数日の試合で成長してる。いいリーダーがいると若手も伸びるのである。

ペナントレースで42も勝ち越したチームが僅差で3位に滑り込んだチームに負けてしまう是非の議論はあるが、ソフトバンクのパリーグ優勝の栄誉が損なわれるわけではないのは劇的な負けを喫したヤンキースと同じだ。日米ともに、野球は9回2死まで何が起こるかわからないという言葉を象徴するようなポストシーズンだった。ああいよいよ野球が終わってしまった。

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お会いした3人の楽しみな人

2024 NOV 2 0:00:19 am by 東 賢太郎

仕事がたてこんでドジャースの優勝もDeNAの三連勝も見逃してしまった。野球が終わってしまうこの時期が一年で最も暗いが、ちょうどいいタイミングであたらしい人に次々会えるので心は華やいでいる。実にありがたい。

オーストラリア人の実業家A氏を紹介されて話しこんだ。現在はアメリカ在住の富豪でウエルネス(wellness)事業の専門家だ。ウエルネスとはヘルスケア産業の一部だが、ただ健康なだけでなく「輝くように生き生きとしている状態」をめざす生活態度のことで、米国で様々な分野に影響している。

彼によると世界中の権力者、富豪はみな抗老化物質(アンチエイジング薬)を使用してる。人間、持つ物を持ってしまうと最後は秦の始皇帝のように長寿にこだわる。ハーバード大学医学部のデビッド・シンクレア教授が見つけた抗老化物質NMNが人気でプーチンも習近平も打っており(クリスタルなる最上級品)、その効能はというと台湾の某著名企業オーナーが80才で40人目の子供ができたなんて話が飛び交った。

NMNは若返り薬のふれこみで日本でサプリまで出ている。「俺も3回注射打ったけどね」というと、「もっといいの打て、シンクレア紹介するから一緒にボストンいくか」となりちょっと心が動いたが「俺、閉所恐怖症なんだ。飛行機のりたくない」と断った。こいつは治らない。死ぬわけでもないし人にしゃべっちまうと楽という利点がある。ドジャースのオーナーも友達らしく、来年開幕戦の東京ドームのカブス戦に呼んでくれる。ありがと、飛行機乗らんでいいね。

次は中国系米国人のB氏だ。イリノイ大の電気工学/コンピューターサイエンス卒でハーバードMBA。英・中が母国語で理系・MBAという今どき世界最強の学歴である。事業実績あり。凄い人脈あり。性格良し。ビジネスセンス良し。43歳で体力・知力とも人生の絶頂。まったく文句なく僕がかつて会った中でも最上位の人物。初対面で5分で気に入り、おい一緒に事業やろうぜと持ちかけ瞬時にOKをもらった。切れかけだったバッテリーが強烈にチャージされた。

次は、サイバーセキュリティーのC氏。天才と聞いていたが天才だ。ソナーに来社してくれた人の中で最高の部類。ペンタゴンにハッキング?簡単です、最難関はオフラインの突破ですと何を質問しても異次元の話をわかりやすく語る。攻撃できるから防御ができる。なるほどだ。サイバー攻撃による世界の経済損失は2025年に10.5兆ドルになる。テスラ氏は自分しかわからずビジネスにならなかったが彼はできる。5分で投資を決めた。これがマイスタイルである。

こういうスタートアップ企業の株式はIPO(上場)してないからコネがないと買えない(シリコンバレーもそう)。僕のコネでなく、持ってきてくれたのは40代初めの有能な我が弟子たちで、僕は自分で探しに行ったことは一度もないが集まってくるエコシステムができている。日本のこの分野は実に未開拓だが、ではブルーオーシャンで宝の山かというとそうでもない。米国発の新技術を後進国の日本に持ち込めば誰でも少々は成功する。それをじっくり成長させてメガ企業にするのでなく早めにIPOしてちょこっと金儲けして満足という起業家の寂しい志の問題もある。だからユニコーン(10億ドル企業)が出ない。

お会いした3人のような爆あがりしそうな株を探すのが僕の人生最大のホビーであり、ホビーは遊びだから飽きることがない。上場してないから日経平均が上がろうが下がろうが円ドルが上がろうが下がろうが、そんなものは誤差の範囲で全然どうでもいい。そういう企業の株をもってじっくりメガに育てるアドバイスをすればいいからで日々気楽なものである。いちおうすべての知識・経験を総動員してやっていることになっているが、大事なのはそういうものではなく直感だ。直感、第六感を鍛える方法はある。忘れたがどっかに書いた気がする。

そういえばC氏はビジネスをXYZのカテゴリーに分けてる。「エラリー・クイーンみたいだね」というと通じない。「それの後にドルリー・レーン最後の事件ってのがあってね、4部作なんだよ、藤子不二雄みたいな二人組で一人がワーグナーのファンでね、ニーベルングの指輪をまねたって言われてる。こいつはね、人生一回だけ楽しめる。俺は読んじゃったからダメなんだよ、寂しいね」「知らなかったです読んでみます」ちゃんとメモってる。「あのね、いいんだけど必ずその順番に読みなさいね、そうでないとだめだよ」。30代か、若いっていいなあ。

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この不可思議な総選挙はなんだったのか

2024 OCT 30 0:00:27 am by 東 賢太郎

ひょっとして石丸人気でひらめいたのか、支持率ゼロへのまい進をものともせず張り切るキッシー氏を見限ったのは大使閣下お気に入りの”ボク”に首をすげ替える意図だったと思われる。ボクをstrong manに仕立てるには「新鮮なイケメンによる刷新感」を売りに、ボロが出る前に「即刻の解散総選挙」 で速射砲のごとくたたみかける猫だまし作戦が必須だ。それで大勝させて11月に帰国し、アチラから操るのが閣下のシナリオだった。日本側の視点からすればボクをそそのかして踊らせ、「裏strong man」として影響力を行使しようという長老の策略でもあったわけだが、ボクの口から発せられる構文が軒並みSNSのお笑いネタになる事態は見ぬいてなかった。まずい。閣下の不興を買うイッチー女史の登板を避ける手駒は党内野党のゲル氏しかない。その結果があの驚天動地の国会議員投票だった。まるでバイデン・ジャンプじゃないか・・そうして愛国保守がお通夜のごとく沈黙する一夜がやってきたのである。

ゲル氏の登板が国民的な待望でなかったことは、支持率が早々に28%と末期のキッシー政権と10%しか違わぬ所に落ちたことでわかる。そこでゲル氏は裏金議員の非公認など前言撤回をくり返して批判されたが、緊急登板でもあり理解できぬことはない。自民党総裁選中に訴えていた「衆院解散前の衆参予算委員会開催」は、ボクよりは弁の立つ彼としてはまともな手であった。ところが彼はそれをも撤回し「即刻の解散総選挙」に切り替えた。これは驚いた。ボクの擁立が大前提であった「猫だまし作戦」への回帰であるからだ。

猫はそう簡単には騙されない。氏はイケメンでもなければ新鮮なイメージもなく、刷新感どころかキッシー路線の継承まで言っちまってる。こりゃめちゃくちゃだ。現場は対処の間もない。敵方はここぞとばかり裏金ミサイルの集中砲火を浴びせかける。歴史的大敗を喫するだろうという結末は素人にも予見可能であった。ふたをあければ何らの抵抗もなくあっさりとそうなり、野党が不信任決議案を出して自民内の敵方がそれに賛成するか棄権をすれば退陣か解散の二択しかない事態となった。解散は民意に反するだろうから退陣に追い込まれる。つまり将棋なら詰んでいる。ふつう、選挙のプロがそんな馬鹿なはずはなかろう。

僕は犯人が凶器にマンドリンを使うという不可解な殺人現場を残したエラリー・クイーンの名作「Yの悲劇」を想起し、もしかしてそういう驚愕の裏事情があったのか、はたまたゲル氏とモーリー氏が党内の敵方を一掃する自爆作戦を演じたところ、想定外の爆裂に自分が大出血して死にかかったのだろうかと考えた。理由はともあれ聡明なアチラさんの目からすれば非常におバカであり、政治は結果責任がすべてである。こんな輩がstrongに見えることは完璧に、ない。したがって、この選挙は「忠実なstrong manポスト争い」に野党党首も手を挙げられることを示した革新的なものとなったのである。

つまり、前稿で述べたとおり、自民党なるもの、即ち80年の長きにわたって同党が維持してきたマッカーサーのマンデート独占に裏付けられた甘い汁を吸う特権は溶解し、消滅の一途にあることが確認された。我が国がサンフランシスコ講和条約のくびきを解いて真に自立した国家になる第一歩になるのが我々の子孫にとって望ましいが、それができる政治家が何人いるだろうというミクロの議論に落としこまれていくだろう。裏金議員のみならず世襲のお気楽なファミリービジネス議員も一掃し、「世襲はできるが親の地盤の引継ぎは禁じる」という英国型の選挙システムにまで浄化する契機となるのではないか。

「忠実なstrong man」の日本語訳は「ポチ」であり、wikipediaに載せるなら代表的人物の写真はキッシー総理である。彼はそうなるために邪魔な派閥を破壊し、フラットな総裁独裁体制を築いた。ゲル氏がそれを引き継ぐには、どんなに変節といわれようがキッシーイズムを継ぐしかガバナンス保持の方法がない。さもなくば45日で首になった英国のトラス女史の二の舞だからなりふり構わずそうするだろう。イッチー女史は愛国保守の女神とは思うが国際政治はそう甘くない。腹をくくれるかどうかだ。本当かどうか、アチラから聞いた通りを書くが、トランプはキッシーを完璧に馬鹿にしてるそうだ。するとそれを継承する以外に道のないゲル総理の命運も見える。トランプは愛国保守である。来週はいよいよアチラの選挙だ。

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衆議院選挙を支配する法則について

2024 OCT 24 9:09:27 am by 東 賢太郎

これを書いたのは9月21日、石破総理誕生の11日前である。一言一句、変更していない。

自民党総裁選に思うこと

同稿は「自民党の裏金問題は国民の記憶からは消えない」で始まり、「総理は民意を無視して決まり得るが(筆者注:そうなったといえる)、その場合、やがてある衆院選、参院選で自公は “予定調和的に” 大敗するだろう」と結論した。その通りになっているように見えるのは僕に情報があるからではない。事実の集積からある法則の存在が推定され、「それによる予定調和」に至ったと見ているからである。その法則は同稿に譲るが、今の情勢をみると正しい可能性もある。もしそうなら、自民党執行部はそれがわかっておらず、事態は時々刻々と進行し、そのまま行けば自民党なるものは消滅する。

つい先日、目黒駅からタクシーに乗った。「あれMさんですよ」と運転士が指さした前の車はなるほど元大臣の自民女史の選挙カーだ。「泣き落としじゃ苦しいですよね、裏金やっといて」。仕事のメールを読むのが忙しいのでこういった。「そうなんですか、政治は疎いんで」。でも、それはそのとおりだ。涙で法則は変わらない。会食が終わった。僕らは政治など関係ないのでそんな下世話な話はしない。ところが帰路のタクシーの運転士も選挙の話を始めたから参った。「あんなコロコロ言うことが変わる総理はいませんね」。またしてもメールがたくさん来ていて、揺れると小さい文字が読みにくい。「そうなんですか、政治は疎いんで」「ええ、ひどいもんです。あっさり裏金議員を公認しちゃったでしょ、で、批判されると一部は非公認ですって、わけわかんねえですよ、ふざけてますねこいつら、自民党には二度といれません」。そういえば昨日、非公認議員にも公認料と同額の2千万円が出ていたと仰天のニュースがあった。なんと国民を欺くためのヤラセ非公認だったのか、裏金議員を処分した党が裏金を振り込んでいたのかって、あの運転士さん怒ってるだろうなあ。たしかに、それ原資は税金だからなあ。

政治は疎いんでは事実だ。政局は芸能界裏話に等しく、そんなもので世界は動いてない。政治家は政策で選ぶべきだから、その人物が噓つきだと有権者はどうしようもない。馬鹿はあり得ないが嘘つきは最悪なのだ。つまり、何度も書いたが、たかが学歴ではあろうと、噓つきの前科者は政治家にしてはいけないということこそが最重要ポイントだ。コロコロ変わる石破氏がそれだという運転士氏の主張は、しかし、やや違うのかもしれない。なぜなら彼は背後から操作されており、さもないとその場に居続けられないと悟り、意に添わぬ台本に合わせようと観念した発言がコロコロに見える。そう思わないでもないからだ。どう考えても主義主張が合うはずのない岸田政権を踏襲すると言ったが、そうであるならば背後は使い勝手が史上最高に良い岸田氏をクビにする必要などなかったわけだ。彼の低支持率では国会の支配力なしと判断したのだが、新総理のご祝儀があるはずが大してかわらない。こいつは用なしだと岸田に戻しかねないと恐れた。そこで出た、岸田さんとおんなじです、言いなりになりますからご安心くださいという背後への忠誠宣言と思われ、これだけは翻すのはクビになった時だけだろう。

こう書くと夢も希望もないが、仮に高市総理になっていても同じことである。強引にそれを阻止したのは彼女は(あえてぴったりの英単語で書くが)idiosyncraticに見え、教化するのは面倒くさそうだ(あるいは安倍元総理と同じほど無理だ)と判断されたのだろう。忠誠とは愛国保守を押さえ込んで国会を支配し、都合の良い(従って愛国保守の怒りを買う)法案と予算を可決させることであり、それができる者を米国人はstrong manという。男でも女でも野党でも馬鹿でも構わない。いやむしろ猛烈な馬鹿で簡単に手なずけられ、多数いる同レベルの国民の受けがいい者こそがお手軽でベストである。しかし忠誠であればあるほどやってるうちにお里が知れて愛国保守を敵に回すので、支持率は時とともに確実に落ちていくという法則も存在する。だから総理は使い捨てでオッケーなのである。そこで、やばい、捨てられると思うと権謀術数、奸計、裏切りなど秘術、裏技の限りを尽くしてお眼鏡にかなうための芸や大噓をくりだしたりの泥仕合が行われる。これが政局の渦の目であり、岸田氏は今もそれでだから俺のがましだったでしょとクリンチしている。国民にはそうした悲喜こもごもの寸劇に根強いファンが一定数おり、消費税ゼロで企業に課税しますなどと秦の始皇帝でなくてはできなさそうな政策を大真面目に掲げる者すら万年名脇役として国会に居場所があったりする。背後はそんな連中はどうでもいい。1955年以来主役たるstrong manが輩出されてきた、というより、党首にさえなれば自動的にそれにしてくれるマシーンとしての自民党が大事であり、操作すべき対象であった。べつに自民党である必要はないのだが。

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「もしもピアノが弾けたなら」は辞書になし

2024 OCT 22 12:12:14 pm by 東 賢太郎

西田敏行さんの「もしもピアノが弾けたなら」は、歌詞を調べると、「ピアノで思いを君に伝えたいが持ってないし聞かせる腕もない」という歌だったようだ。ようだというのは、そういうのがあったぐらいは知ってるが一度も聞いた記憶がない。その手のものにとんと興味ないのもあったが、題名をみて、無能が歌にまでなるのか、そんな暇があるなら練習すりゃいいじゃないかと思う性格だ。西田さんは女性にもてたろうが僕がさっぱりだったのは思えば当然のことだった。

ピアノはもっぱら妹がやるもので、当時の世界観として女子のお稽古事であった。だからそんな恥ずかしいものを習おうなど考えたこともない。そもそも学習塾もなにも、何かを習ったということがない。ところが中学あたりでクラシックに目覚めてきて、自分の聴いている面白い音が何かという科学者みたいに即物的な研究心がわき、天体観測をする際の全天恒星図あるいは鉱物標本、人体解剖図を持っていたのとまったく同系統のノリで悲愴交響曲のスコアを買った。暗号のようで何もわからない。「もしもピアノが弾けたなら」と思ったのはこの時だ。

そこから独学にのめりこむ。高校あたりでバッハのインヴェンション1番ハ長調とドビッシーのアラベスク1番が弾けていたから悪くはない。悲愴のスコアはちょっとはわかるようになった。芸大に行きたいなと思ったのはこのころだが両親はそういう考えはまるでなかった。ちなみに野球も受験もそうでゴルフも自己流でスコア75を出したからどれも同じぐらいのレベルまでは行った気がするが、独学の宿命でどれもいい趣味にすぎない。いま職業にしているスキルは証券会社にいたのだからきっと初めは習ったのだろうが、これもそんな記憶はないぐらいに自己流である。証券業は以上のジャンルに比べればまったくもって誰でもできる、西田の歌の主人公だってできるだろうから誰にだって教えられるし、いま仲間になっている40歳あたりの後継者たちを指導することは僕のライフワークだ。

いま、さらに「もしもピアノが弾けたなら」の心境になっている。基礎訓練をしてないから候補は平易な技術の曲に限られ、それでいて自分の耳を満足させるものとなるとさらに限定される。ラヴェルのマ・メール・ロア(二手版)はそのひとつだ。終曲は弾くだけならそう難儀ではないが、出だしのピアニッシモ、とくに2拍目のドミシレは魔法のような7度と9度の音量に絶妙のバランスが要求される。ラヴェルは、マーラーもそうだが、常人の目からすれば変質狂レベルの完全主義者だ。のっけからやり直しの連続で楽譜には何も書いてないが極めて難しいことは弾いた人はわかる。変質狂が書いてない、というか楽譜の記号でも文字でも書けないのだから、これが難しいなら俺の曲は弾くなということに違いない。人間が造った「世の中の最高級品」とはすべからくそういうものによって成り立っているのであって、宣伝やマーケティングやイメージ操作や裏取引をしないと需要のないものは100%間違いなくすべてガラクタである(みなさんたった今そこらじゅうで響いてる選挙演説をお聞きになったらいい)。クラシック音楽は最高級品の中でもトップ中のトップのひとつであって、だからそれがわかる人(理解ではない、アプリーシエイト)に300年も聴かれているのであり、真の喜びというのは神の如く細部に宿っているとつくづく思うのだ。「もしもクラシックがわかったなら」という人は300年たってもわからない、それをせずに死んだら人生もったいないと思うかどうかだけだ。ラヴェルがここぞという場所に絶妙に「置いた」宝石のような音たちのまきおこす奇跡!自分で演奏すれば何度でも好きなふうに味わうことができる天上の喜びだ。

シューベルトの即興曲D.899の第3番変ト長調もそう。何度弾いても飽きることのない6分ほどの白昼夢のような時間である。二分の二拍子を表す記号が2つ書いてあるから二分の四拍子で「出版時は調号が多いことに起因する譜読みの難しさなど、アマチュア演奏家への配慮から、半音上のト長調に移調され、拍子も2分の2拍子に変更されていた」(wikipedia)らしい。ラヴェルに書いたことはここにも当てはまり、弾きやすい調にすれば解決できると思うような類いの人はこれを弾くのはやめたほうがいい。当時の調弦は少なくともオーケストラの a は低く、それを現代ピアノでト長調なら全音近いアップであり狂気の沙汰だ。シューベルトのピアノ曲で変ト長調はこれしかなく何度聴いても弾いても変ト長調しかありえないと思う。速度はAndanteであり、二分音符で歩く速さだろうが、ピアニストにより幅がある。速いのがシュナーベルで、ロマン派ではないからそうなのだろうというのが私見ではある。彼はそれで旋律を歌って見事に呼吸しているが、それがどんなに難しいことかというと、野球をしたことがある者が大谷を見てなんで摺り足であんな打球が打てるんだろうと思う、その感じが近い。ある個所で、アルペジオのたった1音だけ、つまりほんの一瞬、何十分の1秒だけ短調が長調になるのはよく聞かないと気づかないがこういう仄かな明滅がシューベルトにはある。低音で出るまったくもって音楽理論の範疇外の非和声的、非対位法的なトリル、空しく何かを希求するばかりで報われないのがわかっているコーダのT-SD-Tの和声は最期の年のソナタ21番の冒頭主題にそっくりリフレーンしている。感じるのは死にほど近いシューベルトが心で聴いた「何ものか」である。ではそういうものをシュナーベルから聴けるかというと、残念ながら、あれだけのドイツ音楽の名手にしてそれは否なのだ。シューベルトの時代の人間の感性がロマン派を知ってしまった我々に想像もつぬそういうものだったのか、ではどういうテンポでどう弾くのか。僕は技術的問題で遅くしか弾けないが、それでいいのかどうかいまのところわからない。

これからハードルは高いが何事もできると信じないとできない。ベルガマスク組曲ぐらいはいきたい。モーツァルトはヘ長調とイ短調のソナタ、ベートーベンは悲愴、ブラームスは3つの間奏曲作品117。バッハは平均律、ロ短調とハ長調(フーガ)は頑張りたい。著名曲ばかりだが、ニコライ・チェレプニンの「漁師と魚の物語」なんてのもある。

来年70になるが、もうひとつ、仕事をなし遂げたあかつきには社会人講座かなにか東京大学で、それもできれば懐かしい駒場で勉強したい。当時、いくらでもできたのにしないで遊んでしまったのはまさしく若気の至り、後悔でしかない。物理や天文なんかを孫ぐらいの先生に習うなんてのはいいなあと思う、僕の辞書にはなかったから想像するだけでも楽しいことだ。

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西田敏行さんの訃報

2024 OCT 20 0:00:03 am by 東 賢太郎

昭和の役者がまた一人。蛭間重勝は5本の指に入る好きな役でずっと演じていたかったと。あんな味が出せる人、もういないんじゃないか。大好きでまとめて見てしまったのがもう5年も前か、大事なものが消えていった気がする。映画を観ます。

「ドクターX~外科医・大門未知子」を見る

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ロマネ・コンティな休日

2024 OCT 17 23:23:56 pm by 東 賢太郎

遅くおきたのか二度寝だったのかは覚えがないが、先だっての休日の昼ごろだ。どっちでもいいのだが僕は日記をつけていてそんなことも気になったりする。台所におりていくと、次女が来ていてカレーあるよという。じゃあ少しもらうかなと淵が広いお気に入りの皿を食器棚からとりだした。ご飯をよそう。ここまではいい。この先が問題なのだ。スープカレーが好みなので鍋からおたまでかけるとき、どうしてもポタっとしずくが垂れてしまう。純白の皿の淵に点々がつく。きたない。食べ物は見た目が大事で、せっかくのカレーがだいなしになるのだ。

これが嫌でいつもやってもらうが、この日は家内がいない。仕方なく、細心の注意を払い、積み木くずしのてっぺんにのっけるみたいにそうっとおたまをもっていったが、くそっ、どういうわけなんだろう、おたまの裏側にあったらしいのが垂れてしまった。

ここで条件反射的に出た負け惜しみは自分でもちょっと意外だった。

「こういうのはね、清少納言さんなら ”すさまじきもの” に入れるんだよ」

「ものづくし」と呼ぶ部分のことである。枕草子にぴったりのシーンがあり、何かをこぼしてあれまあと嘆いたんだろう、「物うちこぼしたる心地、いとあさまし」と思いっきり書いている。しかし僕は驚いたりがっかりしたり嘆かわしいと思ったわけではない(それが「あさまし」の意味」だ)。食卓にふさわしくないきたない点々がついてせっかくのカレーが不味く見えてどっちらけなのだから「あさまし」でなく「すさまじ」だろうととっさに判断したわけだ。

女史のやや斜に構え分類好きな精神を自分も持っているからだろうか、枕草子は大好きで繰り返し読んでおり、けっこう覚えてしまっている。彼女が何を思ったかもあるが、そうくるかと心のはじけ方が面白くてたまらないのだ。「すさまじ」は興ざめだの意味であり、頭のいい彼女はそう感じた物事をたくさんおぼえている。それを矢つぎ早にアレグロのテンポでたたみかけられると音楽的な快感を覚えるのだ。文学として異例であり、僕の嗜好にストレートに効いてくる。

ところが、「すさまじきもの」の段にある 「昼に吠える犬」 と 「贈り物が添えられていない手紙」 のあいだの共通項がどうも読み解けない。もしかしてそれはいまも世間のそこかしこにあるもの、すなわち女性の柔らかな感性のようなもので結ばれているのではないかと思った。そこでネット検索をしていた矢先、清川 妙さん(1921 – 2014)のこれを見つけて目から鱗が落ちた。

第八回 すさまじきもの – うつくしきもの枕草子 : ジャパンナレッジ (japanknowledge.com)

不調和からおこる興ざめな感じ、しらけておもしろくない感じ、それが「すさまじ」である。夜を守ってあやしい人に吠えかかるべき犬が昼に吠える、願望という心の容れものに、成就という中身は入らず、からっぽのままで、心は寒い。「除目に官得ぬ人の家」のくだり全部には、清女の父、清原元輔の姿があると思う。幼い日から、彼女は父の失意の姿をその目でまざまざと見て、周囲の人々のありようも心に刻みこんだのであろう。ここの描写は精緻をきわめ、人々の息づかいも聞こえるほどの臨場感がある。清女は自分の体験をぐっと濃く投影して、ときには涙ぐみながら、この部分を書いたと思う。

そうだったのか。清川さんの解説文が、これまた清女の文のように平明でぐいぐい心に迫る。文書はすべからく漢文体だった平安時代の宮中の男性にこの細やかな描写ができるだろうか。もしも現代に文字がなく、書き言葉は英語だったと空想をたくましくしてほしい。無理だろう。男が繊細でなかったわけではなく、公の場で文(ふみ)にしたためたり他人に読ませたり後世に書き残したりする媒体が異国語である制約は重かったと思うのだ。

ところが平仮名という表音文字が発明され、口語をそのまま音化できるようになった。枕草子と源氏物語の作者が女性であったのは平仮名が女文字だからだが、それが単一の理由ではない。百年も前に紀貫之が土佐日記を書いているからだ。語り手を女性に仮託した誰もが知る「男もすなる日記といふものを」の出だしは、「日記」は男が漢文で書く公的記録だけれど女がまねして仮名で書くんだから容赦してねという形態、フィクションを装って平仮名の利点をフル活用するためだった。

かような筆者と語り手を分離する手法はサスペンスでは常套手段だ。アガサ・クリスティが利用して世間をあっといわせた某著名作品があるが、千年も前にそれをした貫之の優れて知的な創造は日本の誇りであってもっと世界に知られていい。女性への仮託の本音は日記への仮託である。日記は本来広く他人に見せるものではないから冒頭から矛盾しているのだが、和歌の枕詞、掛詞と同様に読者と想定した貴族ならわかってくれる仕掛け、言語遊戯だよという宣言であり、大人の読者はにんまりとしてそう合点して読んだ。20歳ごろから日記を書いてそれがいまブログになっている僕も貫之の気持ちがわからないでもない。

彼は愛娘をなくした慟哭や、帰京をはやる思いなど心の襞まで書きたかったのだ。そのために仮名文字の利用こそが重要だった。「古今和歌集」の選者であるエリートが裃(かみしも)脱いで自由に羽ばたいたそれは、ハイドンに擬すという立て付けでそれをしたプロコフィエフの古典交響曲のように軽やかだ。ただ、男の悲しさを感じてしまうのだが、地位も名誉も家族もある貫之は裃を脱ぐにも格式と品位と教養を漂わせる必要があったのだろう、全部は脱ぎきれないもどかしさがあるようにも感じる。

後世に大ヒットしたのが革命的なレトリックを生んだ土佐日記でなく両女史の作品であったのは男として些か残念ではある。彼女らは初めから裃など着ておらず、藤原氏の権勢のもと、権力者の庇護さえ得ていればあっけらかんと貴族の裏話、スキャンダル、人事、色恋沙汰を開陳できてしまった。いつの世も週刊誌ネタは最強のコンテンツだ。しかし週刊誌が古典になったためしはない。それをエッジの利いた女性の目でえぐり出して時にシニカルに時にやさしく描いて見せた清少納言、ネタに尾ひれをつけるどころかワーグナーばりの壮大なフィクションにしてモデルの人物を想像させた紫式部。稀有な才能あってのことだ。

女性だから書けたということについては別な要素もぬぐい難く存在する。口語の駆使ということになれば圧倒的に女性の独壇場であるという事実が存在するのであって、たとえば家内とけんかになると、あなたはあの時もああだったこうだったと、何十年も前のことであるどころか、あったことも忘れてる大昔のいさかい事までを立て板に水の如くまくしたてられ、勝つみこみというものはまるでないのである。女性は手数も多いが、実は分類だって得意だったのだ。

3時ごろになって従妹夫婦がやってきた。ワインがわかる人たちだ。うちは酒飲みがおらず、そうでもないとあけられないのが3本あってずっと気になっていた。テーブルに並べてさあどれにする?ときくと従妹はロマネ・コンティ ・グラン・エシェゾー1989年を選んだ。そうか、これね、スイスで買って、いや買ってないな、きっともらいもんだよな、そっから香港もってって、そっから日本だからさ、空輸とはいえちょっと心配なんだよね、もうラベルがこんなだし、もし酢だったらシャトーブリオンのほうにしよう。そんなことをぶちぶちいいながらボヘミアングラスのデキャンタにトクトクそそぐ。おお、あの透き通ったルビー色だ、これだ、ひょっとしていけるかもしれない。

液体を口にふくむ。従妹が下した宣告は清女さんみたいに冷徹だった。

「ケンちゃん、残念だけどこれアウトね」

娘が追い打ちをかける。

「お父さん、これ世が世ならネットで66万円よ」

そうかそうか、まあいいんだそんなもん。この日2度目の負け惜しみだ。しかしこっちは「すさまじ」でなく「あさまし」であろう。

それからひとしきり家でわいわいやり、夜になってみんなで近くのイタメシ屋に行って散々酔っぱらった。「あのロマネはね、フルトヴェングラーの第九なんだよな」。この日3度目の負け惜しみは我ながらうまいことを言ったもんだと悦にいったが、宴はたけなわ、誰もきいてない。まあいつもこんなもんだ、清女さんならにんまりしてくれると思うんだが。

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広島カープの9月大失速の原因

2024 OCT 14 12:12:21 pm by 東 賢太郎

今年のセリーグ順位の予想と結果はこうなった(今年のプロ野球予想)

 

〖予想〗      〖結果〗

  1.  巨人        巨人
  2.  阪神        阪神
  3.  DeNA            DeNA
  4.  中日        広島
  5.  広島           ヤクルト
  6.  ヤクルト         中日

 

中日を最下位にすれば全部当たりだった。巨人、阪神、DeNAはみな中日に大幅勝ちこしだが広島だけ大幅負けこしだ。去年に観に行ったナゴヤドームで森下があっけなく打たれて完敗し、中日>広島のイメージが焼きついて4位にしてしまったが、その強さは広島戦限定だったのだ。

セリーグ唯一の波乱はその広島が8月まで首位だったことだ。そこから9月に大失速して「何故だ?」という声があがっているが、戦力どおりの位置に回帰しただけだから不思議でも何でもない、広島の長打力不足は3月の予想時点で決定的だったから5位にしたのだ。波乱の要因はひとえに新井監督のマネジメント力である。長打なしで勝てる野球に徹し、投手陣の頑張りと矢野、小園の成長を引き出した。しかしそれにも限界はあった。ふたをあけてみればただでさえ4番不在なのに新外国人2人がクズ。結果としてチーム本塁打52本はDeNA、ヤクルトの半分という惨状で12球団最下位。大谷サンひとりの54本にも負けという想定以上のドツボ状態で、それでも波乱を生み出した新井の力と選手の気力には最大の賛辞を贈りたい。短打のみの貧打線で首位を走ったというのは、東京から大阪まで軽自動車で時速100キロ越えでぶっ飛ばすようなものであって、案の定、京都あたりでオーバーヒートして脱落ということだったのだ。

その脱落劇(9月の大失速)は並大抵のものでなく、5勝20敗の歴史的大敗(リーグタイ記録)であったのだからその原因も並のものでなかろうとするのが論理的思考というものだ。元野球選手である評論家の方々は「今年は暑かった。広島は屋外球場で不利だしビジターの移動距離も長く9月に疲れが出た」という。調べると今年8月の広島の平均気温は30.7度で観測史上最高だが、去年も30.0度と暑かったがカープは2位になっている。阪神の高校野球期間中の死のロードが京セラドーム使用で軽減して相対的に有利になった影響もいわれるが同球場のゲームは過去10年9試合で変化はなく、カープは阪神と12勝12敗の五分だからあまり関係はない。したがって、もっとはっきりした今年特有の理由があるはずだが、ネットで探すとそれと思われるものがあった。

プロ野球のホームランが少ない!チーム成績の推移から投高打低の原因を考察!

 今季は飛ばないボールで前半(シーズンの2/3消化時点まで)は本塁打が1日平均6本だったが、残りの1/3では8.3本と38%増えている。同記事は「前半戦は”飛ばない”ボールが採用されホームラン数が減少し、世間からの反応を受けて後半戦は従来のボールに戻した可能性が高い」と述べているが同感である。

広島投手陣の防御率は8月までトップであり、これは先発、セットアッパー、クローザーの頭数、球速、制球などボールの反発係数に依存しないアドバンテージ(優位性)が広島投手陣にあったことを示す。シーズン2/3時点(7月末)まではボールの低反発性によって他球団も長打が出ないため投高打低の傾向となり、カープの低い得点力は守備力や小技で補える範囲にとどまり首位にいられたのだ。ところが8月あたりに飛ぶボールへの変更があると例年どおりの状態になり、打撃力の劣位が補いきれなくなって、結果として投手に心身ともに疲弊蓄積が進んだのだろう。

その蓄積が限界に来ていたことが、あたかも「ダムの決壊」のように一気に表に出てしまったのがこのゲームだ(9月11日、マツダスタジアム)。

この試合、2位広島は2ゲーム差で首位巨人を追っていた。今年ブレークした先発アドゥワが6回まで巨人打線を散発2安打と完璧に押さえこみ、救援のハーンが剛速球で7、8回を零封し、9回は方程式どおり守護神・栗林がマウンドに立つ。ここで広島が反撃の狼煙となる勝利をあげることを疑う者はいなかっただろう。

ところが、何があったのか、栗林は制球がままならず四球、四球、安打、死球、安打、四球で6人から一死も取れず3失点で逆転を許す。無死満塁で救援した森浦も安打、安打、遊ライナー、安打、三振でさらに4失点。すでにご臨終感が漂っていたここで救援した大道が今季たった5安打の増田に三塁打を喫してさらに2失点。合計9失点。もう点数の問題ではなかった。マツダスタジアムは凍りつき、さすがに僕も顔面蒼白になった。なぜ鉄壁のカープリリーフ陣がこんなことになってしまったのだろう?

いまビデオを見返してみたが、栗林の球に特に異変があったようには見えない。ただ、今年は新人のころ全員が空振りだったフォークを投げない。落ちが悪く長打されるケースが増えたからと思われ、152キロの速球はファールされているのでクローザーに必須の空振りが取れない。捕手石原が釣り球で取りに行った吉川への高め速球を指にひっかけて死球とし(これはショックだ)、替わりの落ち玉であるカーブを岡本に三遊間に痛打されて(大きなショック)ウイニングショットがなくなったと思う。左足の着地点とボール交換に神経質なのは2点差ゆえのコントロールミスによる被弾を恐れたと思われ、自信なさそうに見えるから相手打者は勢いづいてしまう。そうしてイケイケになった巨人打線の「圧」に耐えきれなかったゆえの四死球に思える。栗林はこんなピッチャーではない。彼の心理の中で何かが起きたと思うしかない。

思い出すのは7年前の7月7日。息子と神宮球場で目撃したヤクルト戦。ここでもクローザーに転向初戦であったエース小川に何が起きたかという異変があった。5点ビハインドだった広島が9回にバティスタ、菊池、新井の本塁打で6点取って逆転勝ちし、いわゆる「七夕の奇跡」をおこしたのだ。カープ側スタンドはいけいけの嵐となり、ヤクルト側で観ていた我々もその渦に巻き込まれていた。

しかもあれは+6点、今度のカープは-9点でマグニチュードは1.5倍。選手の気持ちが切れたとは思わないが、チーム競技には潜在的な集団心理が「空気」になって働くものだ。4番が三球三振してこのピッチャー打てないなとなると全員が打てなくなる。元気印が二盗、三盗に成功したりすると打線に火がついて大勝したりもする。絶対的守護神がついに崩壊したこの試合、カープベンチの集団心理がぽきっと折れてしまったかどうか、そうであっても不思議でないし、集団心理は個々人は得てして気がついてないものである。新井監督は7年前の7月7日に自分のホームランでそれを引き起こし、効果を知っている。それをポジティブに向けるように懸命にマネージして8月まで大成功だったが、この敗戦はどうしようもないものだったろう。

そうしたらきのうのパリーグのCS第2戦(ロッテ対日ハム)でまたまた強烈なものを見た。初戦は佐々木朗希に押さえられた日ハムはこの日も2-1とビハインドで9回を迎える。守護神の益田がマウンドに立ち、2安打している4番レイエスを三振に取った所でロッテのファイナルステージ進出は見えた。ところがそうではなかった。そこで出た5番万波の起死回生のホームラン、これはメジャーも入れてかつて目撃したベスト5にはいる凄まじい一撃で、ライナーで左翼中段に突き刺さり、当たり前のような顔をしている万波の表情も含めてロッテベンチの度肝を抜いて集団心理に果てしない恐怖感を与えたと想像する(「七夕の奇跡」のバティスタの一発のように)。絶体絶命のあの場面で集中して平然とあの当たりを打てる万波の資質は破格で、そういうものは持って生まれるものであって練習を積んでもできないから相手にそういう選手がいると気持ちで押される。そして延長10回、ロッテがマウンドに送った澤村は2三振を取るが松本がしぶとく四球をもぎとるとスタンドは押せ押せで沸く。ここで出てくる当たればホームランの清宮は怖い。澤村は長打が出ないコースでヒットにとどめたが、1,3塁で迎えた淺間は力でねじ伏せにいったのだろうか外角高めのくそボールを痛打されサヨナラだ。

プロ野球、人生の記憶に残る3試合

以上、「ここぞ」で吉と出るか凶と出るかの人間ドラマである。公衆の凝視する面前で一瞬でそれがおきる野球は5秒前までぴんぴんしていた敗者には残酷だが見物人にはこんな面白いものはない。パンとサーカス。ローマはこれをライオンと奴隷の戦闘としてコロッセウムで大衆に見せた。治世の道具として始まったコンセプトは今も生き、その目的で我が国にGHQが置いて行ったこの競技の面白さには抗し難い。保守だと言ってる人間でこのアンビバレントな気持ちを分かる者はどれだけいるんだろう。

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読響定期(ブラームスとラフマニノフ)

2024 OCT 12 6:06:13 am by 東 賢太郎

先日、神山先生に会うや「東さん、頭が疲れてるね、胃と脾臓が動いてない。朝晩に蜂蜜をスプーン1杯食べなさい。それで戻るよ、でも純蜂蜜はだめだよ砂糖入りがあるからね100%と書いてあるのにしなさい」といわれた。たしかにそういう感じがあるが、なぜ顔を見ただけでわかるのか未だに不明である。

というわけで疲れてるのでこのプログラムを楽しみにしていた。

第642回定期演奏会

2024 10. 9〈水〉 19:00  サントリーホール

指揮=セバスティアン・ヴァイグレ
ヴァイオリン=クリスティアン・テツラフ

伊福部昭:舞踊曲「サロメ」から”7つのヴェールの踊り”
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 作品27

表現欲の塊のようなテツラフのヴァイオリンは壮絶だった。このホール、ソロの音がぬけないのか美音は犠牲になっても構わぬとばかり全身を揺らし、足を踏み鳴らし弓圧いっぱいの魂を込めた ff を弾ききる。Mov3はかつて知る最速のテンポで、指揮と競奏し齟齬やピッチが危険なほどだが、そうしたことを気にする演奏ではないのだ。こういうブラームスは初めてだがそれでも大きな感動が残ったのだから文句なし。Mov1、コーダ前のtranquilloのところ、第1主題を p で奏でるソロに pp のオケがそっと加わる痺れるようなあの場面、バスがcに下がってト長調になる壮麗な夕焼けを思わせる部分は数多あるコンチェルトでもラヴェルのト長調P協Mov2のフルートの入りの部分と双璧である2大奇跡的音楽だが、テツラフの高音はそこまでのアグレッシブな強奏があったものだから天上の調べのように響いた。tranquilの反対語がaggressiveであり、彼の表現はブラームスの意図の正鵠を射たものなのかもしれない。

それだけではない。アンコールのバッハを締めくくった柔らかいベルベットの感触の最弱音はブラームスの上記の部分の pp とは質がちがう。深く精神の奥底に沈静してゆくのだが、最強音でみせた弦も切れんばかりの緊張感と同じほどのエネルギーが乗っている感じがして耳が吸い寄せられ金縛りになる。同じ楽器から出たものと思われず、ヴァイオリンからこんな音を聴いたのは初めてだ。刮目すべきヴァイオリニスト。

疲れた時のラフマニノフS2番。これは我が定番だ。受験に失敗した時、目の前が真っ暗になったその日からしばらく記憶が完全に消えてしまっているが、これのレコードを落ちた当日に聴いていた記録をずっと後になって見つけた。そういう曲だったのだ。ところがそこまで好きなのにこれのライブを聴いたことがないと思っており、長女に「絶対一緒にきいてる、だって『2番ってP協じゃないよ交響曲だよ』って言ってたもん、きいたから曲覚えてるんだから」と真正面から反論されカードを調べると、たしかに2001年に日フィル、ザンクト・ペテルブルグフィルと2度も聴いていた。ここまで間抜けなことも珍しい。分厚いスコアは持っているがP協2,3番には子細に行った楽曲分析めいたことをしようという気になったためしもないし、大事な恋人のようなものでそういう無粋なことをする対象ではない異例の曲と思う。

ヴァイグレがこれをやってくれたことに感謝しかない。読響も熱演だった。ひとつだけ注文があるとすると、Mov2のシンバルが鳴ってからの急速な弦楽合奏だ。僕は海外のオケの方を多くきいてきたせいかもっと音圧、切れが欲しい。CDでコンセルトヘボウ管、ベルリンフィルと比べるとわかる(単純に表現すれば同じ f を弾いても音の質量感が大きい、BPOのコントラバスの音量などド迫力である)。日本のオケ一般のことだがきれいな音を作る表現力はあるがこういう部分の凄みがあればさらに表現の幅が出ると思う。

おかげで疲れが吹っ飛んだ。音楽を聴いてきてよかった。

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