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記憶に焼きついた西武対楽天の激闘

2026 JUN 22 23:23:31 pm by 東 賢太郎

これが交流戦のトップとビリの試合だろうか?

セリーグと18試合戦って14勝3敗の西武ライオンズと4勝14敗の楽天イーグルス。決定的な差でした。交流戦の西武はメジャーのチームと戦っても勝てるかなと思うぐらい圧倒的に強かった。かたや、同じくボロボロだった広島カープと最後まで最下位を争い、それを決する最後の3連戦でカープに屈辱の2連続完封負けでビリが決まった楽天が、こんな底力を見せて西武を劇的なサヨナラで倒すなんて誰が想像したでしょう。アマチュアならまずこういうことは起きません、プロだから起きるんです。実力にそう差があるわけではなく、何らかの理由でモチベーションが下がった方がボコボコにやられてしまう。どんな業界であれ、それで飯を食ってるプロってそういう残酷なものです。

東京ドームが超満員です。首都圏在住の東北の方が多いんでしょうか、吉井新監督を迎えてまだ勝てていない楽天球団の意気込みを感じますね。これがパリーグで、空席のほうが目立つマツダスタジアムがセリーグというと僕の世代には隔世の感がありますが、観客は面白い試合が見たいのです。地元だから巨人戦だからで客が入る時代ではなくなったのです。いみじくもその球団を持っているオールドメディアの売り上げ部数の大凋落と平仄が合っているのですね。

先発は西武が平良、楽天が早川でした。剛球の平良は次のメジャー候補ですね。早川はキレがいい、好きなタイプの左腕です。 1回表裏の「両投手とも3者連続三振」は見たことないですね、いや~気合入ってるぞ。

異変は7回から。西武の渡部聖弥が早川から2本目のホームランで4対1とします。するとその裏に楽天は佐藤がヒットで1点、4番マッカスカーのヒットなどで4対5と逆転します。

ところが8回、西武は長谷川の2ランホームランで6対5と逆転。そして、そのまま迎えた9回裏、予定通りに守護神の甲斐野がマウンドに立ったのです。球速157キロ、回転数2500はとても打てそうに見えません。

万事休すと思いました。ところが浅村の投ゴロをはじいて6対6の延長戦になだれこみます。

楽天は勢いに乗ってさらに10回裏に一死一三塁と、外野フライでもサヨナラの大チャンスを作ります。流れは完全に楽天で、これで終わったと思いました。ところが内野ゴロから本塁封殺で無得点。スタンドの楽天ファンはがっくりです。

そして続く11回表、ピンチの後にチャンスあり。流れは西武に行ってしまい、楽天は新人ながら好投手の藤原を当板させるもファースト黒田のエラーで7対6と逆転を許します。またまた楽天に王手がかかりました。

その裏、楽天ファン期待の辰巳が倒れてワンアウト。いやなムードが漂います。ここで打席は3番浅村。当たれば大きいけどいまひとつなんだよなあ。打った!センターバックスクリーンへ目の覚めるようなホームラン。7対7。凄い、ここで打つか・・球場はもはやエクスタシー、絶頂であります。

そしていよいよ泣いても笑っても最終回の12回、楽天は2年目の中込が西武を3者凡退に打ち取り最後の攻撃を迎えます。しかしあっさりツーアウト。打席はキャッチャーの石原です。

楽天の石原

ここで笑っちまった。ホークスに行った山川に体形が似てるではないか!!やばい、ホームランだとサヨナラだ。もしろん石原は狙ってる。ピッチャーもそう思ったのかストライクが入らずファーボール。そしてもちろん代走。あれれ、それがなんと小深田だ!なんと、まだこんな人が残ってたのか!

西武はプレッシャーになったのか、あっさり二盗を決められました。いよいよか?そしてバッターはさっきエラーしてる黒川。汚名挽回か恥の上塗りか。前進守備のレフトの頭を超えるヒットでサヨナラ!!

いやあものすごい試合でした。最後まで残っていた満員のお客さん、もう11時になるけどいやいやこのゲームで帰る人はいないですよ、全員が一生忘れないと思う。久々にプロとプロの真剣勝負の激突を見せていただきました。

吉井監督初勝利おめでとう。中込投手初勝利おめでとう。

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WCチュニジア戦を見ながらの独り言

2026 JUN 22 0:00:16 am by 東 賢太郎

ライブ中継見ながら、チュニジアという国は行ったことがあるし後でブログを書きたいなあと思いました。でもサッカーのことはよくわからない。見るだけだと忘れてしまい何も書けないだろうということに気がつきました。そこで見ながら1人で喋って音声入力をしておこうということになったのです。試合の途中からです。やってみると、とても長いです。これをブログにするのは気が遠くなります。そこで録音されたままをアップさていただくことにしました。文字で読まれるよりも「ナレーター」にして読みあげてもらう方がよろしいかと思います。

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(ここまで録音できておらず)

自分が何に属しているかということです。まず学校がありました。そして社会に出て3つの会社を名乗る自分がいました。そしてフリーランスになって属しているのは東家というファミリーと国なんです。ワールドカップを見ていると日本という国に自分が所属している意識が強く覚醒してきます。個人やファミリーを考える時、まず第一に生存しなくちゃいけないので利益を考えます。自分や家族が有利になるかということです。これは自然なことです。しかし国に対してはそれは必要ありません。何が大事かというとアイデンティティです。海外に16年も住みましたから特にそうです。

サッカーを見ながらこれを吹き込んでいますが、試合の成り行きでぱっとひらめいたことを言葉にする。吹き込みすると何か違うんですね。頭に浮かんだふわっとしたアイデアが言葉にすると幻みたいに消えちまう。これが認識したってことなんでしょうね。量子力学で量子は観測されると振る舞いが変わるってことに似たものです。頭の中は量子が動き回ってるんだなって感じがしてます。

チュニジア戦は夜だと思っていたら13時だというので予約していたマッサージに電話をして夕方に変えていただきました。いつも勝手いって申し訳ありません。でも録画で見るのとライブで見るのと全然違いますからね。いまタイムは後半8分48秒ですが、ゲーム前に僕はなんとなく3対0で日本が勝つと思っていて、さてそうなるかなってところがちょっと気になりますよ別に誰かとあてっこしてるわけじゃないんですけど。前半は日本が7対3ぐらいで押しまくってましたが、それはチュニジアが疲れさせる作戦だったかもしれず、後半は結構押してきてますね。サッカーは全くの素人ですが、前半はかつての日本対ブラジル見てるぐらい日本に余裕を感じました。ここまでグレードアップしてきてることに喝采したいですね。野球はスポーツの中では異例なんで、だって打つ方はベンチで座って眺めてるわけです。サッカーは90分走り通しで気を抜く暇は一瞬もありません。スポーツはこういうもんじゃないでしょうか。野球は息を切らして倒れ込むような局面もほとんどないです。常にボールに意識があって、全員がいや観客もそれを中心に動いてる。宇宙の原理ってこういうもんで全部が流動的でしょう。だから攻めと守りと別れて半分休んでるのはかなり人為的ですね。1番長くボールを持ってるのはピッチャーで、その人間が昨日の巨人のウィットリー投手みたいにパワーがあって調子いいと相手は何もできません。つまりピッチャーが試合の7、8割を支配している感じなんです。これも他にはないことじゃないでしょうか、常にボールがあちこち動いており、その周りに人がおりちょっとした流れちょっとしたミスで1秒後に何が起こるかわからない。これ宇宙の原理ですよね。

チュニジアって国はカルタゴがあったところ、あのローマを脅かしたカルタゴです。ハンニバルがいたカルタゴです。それと小柄な日本人がガチの体力勝負で優勢なんて歴史的事件ですね。しかもこの試合審判がルーマニア人だ。これまた面白いルーマニアはその名の通りローマですからね。本田さんの解説はとてもわかりやすい。とても勉強になる。何せ流動的なゲームだから瞬時に形勢が動くし、そこでポイントポイントでタイムリーな言葉が出てくるのはすごくいいですね。だってピッチにいた人がピッチにいる気持ちで言葉を発してくれるんだから貴重じゃないですか。野球はこうは行かないですよ、だってバット振って一瞬でホームラン。解説のしようもありません。3点目が今入りました。いよいよ来た。これで僕のお告げの通り3ー0で勝つのかな、いいぞいいぞ、だったらすげえことだ。よくやった。伊藤純也177センチ33歳ですよ。でかくないです。これはサッカーはいいなぁ、野球はね2メートル近いピッチャーが出てきたらそんじょそこらの奴は打てませんよ。ジャイアンツ、巨人軍なんてでかいのが良いという基本的なアイディアがあるのがアメリカなんですね。アメリカはストロングが好きなんです。スーパーマンが好きなんです。サッカーはヨーロッパを感じるなぁ。だから野球はWBCやってもしょせんアメリカの文化圏の国だけだから世界的に見れば田舎の大会になっちゃう。もちろんそこで大谷や山本が活躍してくれて大いに愛国心をかり立ててくれてます。でもそれは地球上の話じゃないんだよなぁ。サッカーはどこでできたか知らんけど、多分イギリスでしょうね、それでヨーロッパで広まったからどこかの国セントリックじゃないんです。アメリカみたいな大黒柱、総元締めがない。そこに南米が入ってきてアフリカが入ってきてアジアは後進国だけど伸びてきて、野球に比べればまさにインターナショナル、ワールドワイドなんです。僕は野球で育っちゃったからアメリカが中心。これがスポーツに限らず自分の思考回路に深く組み込まれちゃってる気がします。サッカーを見てると世の中はそうじゃないことが気がつきます。こういう若い時から染みついた考え方、先入観、思考回路っていうのは自分では気がつかないけど、日々の生活や仕事やすべてのことに大きな影響持ってると思います。サッカーを見てるとそれが修正される気がしますね。あっ鎌田と堂安をさげましたね。もう次の試合を見据えてるのかな。選手については全然知りませんが、さっき出てきた選手の名前を見るとこのレベルでサッカーができる子がこんなにいるんだってことがほんとにすごいですね。今解説で日本のワールドカップの最高得点は、デンマーク戦の3対1で 4点取ったら新記録だそうです。結構攻め込まれてるけど今30分19秒。0で抑えられるかなぁ。おしい、オフサイドだ。鈴木と瀬戸がワールドカップデビューだそうです。日本の身長が181センチ平均でチュニジアが184か、もうそんなに体格差はないんだね。日本のレベルが上がったというけれど、こういうのも大数の法則みたいのが働いてるんで何人かの天才が出てきたってことではなく、全体のレベルが同時に上がっている相乗効果なはずなんです。その原因はおそらく日本人が海外のクラブにどんどん進出してるからじゃないでしょうか。野球あんまりそういう感じしませんよね。日本で育って日本式の野球をやってるスーパースターがアメリカに出て行ったら通用しちゃったって感じです。でもサッカーはそうじゃなく欧州に出て行った子がそこで鍛えられてどんどんワールドクラスの技術を磨いてきた感じがします。これはビジネスの世界に置き換えるととても考えさせられるとこがありますね。ビジネスは野球以下ですよ。海外の第一線で戦った人が少ないです。駐在したといっても外交官や報道みたいな仕事の人ばっかりで、現地のサッカーのクラブチームでエースストライカーになったみたいな人はほとんどいませんからね、これじゃ全体として強くならない、当然のことです。ちょっと英語ができる位でびっくりしてるような国は全く戦えませんね。ビジネスでそれだから政治家に至ってはもう壊滅的にダメです。今アメリカではではではでは、こういうのをではの神と言うんですが、そんなのが通用するのは超ドメスティックな日本の国会ぐらいのもんですよ。日本のエリートというのは勉強はできるけど、自分で手を出さないで支配するだけ。要は技術者を使う、理系より文系が偉くなるって何の合理性もないですよね。外国語ができる人も技術者なんです。でもそれが通用しないのは科学です。自分で軍艦や飛行機を作ろうと思ったらではの神じゃあ、おお、入った、なんとなんと4点入っちゃった。予想が外れました。すごいなぁすごいほんとに上田さんすごいね、オランダの得点王エースストライカー。佐野さんはマインツか、堂安さんはフランクフルトだし、もう馴染みの地名がたくさん出てくる。オランダ人もドイツ人も同じ種目で戦ってそうそう勝てるような人たちじゃないんです。そこは僕が骨身に染みてわかってます。それをこの若者たちは平然とやってのけてる、もう涙が出るほどうれしいです。涙が出てくる。ここが僕のアイデンティティーなんです。アメリカにもイギリスにもドイツにもスイスにも香港にもとてもお世話になったけれど、やっぱり僕は日本人で骨の髄まで愛国者なんですね。だから日の丸ばってんつけたり君が代歌わなかったり、まぁそういう人も日本にはいるわけだけど、その人たちって今のゴールを見てどう思ってるんだろうか不思議ですね。よくわかりません。将来の国会はここで戦ってるサッカー選手やMLBでアメリカを沸かせた人たちがぜひリードしていただきたいと思います。僕は人種差別をする人間では全くありません。それは海外でまっとうな仕事をしてアメリカ人もヨーロッパ人もまっとうに評価してくれた経験があるからです。僕が日本人かアジア人か、そんなこと関係ありません。やるものは評価される。これがフェアな人間というものでしょう。僕はたまたま日本に生まれたわけですが、それがどこの国であれ、その国のアイデンティティーを誇りに思うのは当然なことだし、その国でない国の人たちが立派な人であれば称えるのは当然なことだと思うのです。日本に帰ってきて思ったのですが、日本人のその点に関する意識と言うのは何年たっても変わってないんですね。明治政府の頑張りでアジアで圧倒的な工業国になり軍事力を持ち、白人にたかられていた他のアジア諸国を凌駕して、挙句の果てに蔑視するようになってしまった。江戸時代まではそんな事はなかったんです。しかしその国威発揚があったから日本は強くなった、これは事実です。今サッカーをこうして応援してる僕だってそういう強い日本万歳という気持ちはありますよ、だから思いっきり拍手してるんです。しかし、それはアイデンティティーとは違いますね。それはファミリーとか自分の生きる糧とか、生命を維持する本能とか、日本国にそういうものを求めていて、それを他の国の人に奪われるのが嫌だと言う気持ちが入ってると思う。それはアイデンティティではないし、祖国愛でもないと思うんですね。一言で言えば打算です。外国に行くまで僕もそれがありました。でも16年も5つもアイデンティティーのない他人の国に住んでみて、それがいかに大事かわかったんです。つまり僕らの子孫も日本人であることを誇りに思える、そういう日本になってくれれば、歪んだ打算のある誇りではなく、本当の意味でのアイデンティティーを日本は持つことができ、日本人はもっと幸せにも強靭にもなれると思います。でも多分そう思ってない、単によそ者は来るなっていう人がたくさんおられるのです。日本に帰ってきて怖い病気だなと思った。日本っていうのは閉じた世界で、名前が売れてないとうまくできないし、小さくてもほんとに良いものを積極的に評価しようと言う考え方が育ってないです。これはいずれ日本のハンディになります。野球は多分日本流と言うものが、例えばルールも日本語になったし、甲子園大会から始まる日本の野球選手の育ち方に独自のものができてしまい、それがアメリカでも通用するってのはほんとに凄いことなんですが、

あっ、いまゲームセットになりました。4対0ワールドカップ史上最多得点4対0。本当に強かったですね。危ないところはほとんどなかった、昔のブラジルと日本です。日本の子たちそんなに喜んでもいないし、まぁこんなもんでしょと言う顔してるじゃない、すごいなぁ、自分が強豪校とやってやられて相手のベンチがこんな顔してんの見てちくしょうと思ってました、本当にうれしいです。今の少年少女たちはこのシーンを見てこれが当たり前だと思って育っていく。素晴らしいですね。僕の世代は何をやっても白人にかなわない、体もでかいし、技術もあるし頭もいいし、俺たち昭和世代は井の中の蛙で世界に雄飛するなんて言葉があったぐらい雄飛するのは珍しいことだったんです。でももう日本人は完全に抜けてますよ。これはもう日本の20年後30年後、僕は見ることができないでしょうけども、ものすごいポテンシャルですね。ほんとにうれしいです。政治家の皆さん、本当の保守の方もいらっしゃるが、戦後保守だかなんだか知らないが、この勝利を見てそう思わない人は保守を名乗るのやめて欲しいね。皇室典範の話なんてね、どうやって国民はぐらかして女系天皇を合法化しようか頑張ってる人たちもいるけどもね、これを見て国民はどんどん覚醒していくでしょう。天皇陛下にやがて国籍問題が出てくるなんて突拍子もない考えはあまりにぶっ飛んでますからね、国民の理解の範疇にないんです。その間隙をついて徐々に徐々に隙間をこじ開けようとする勢力が信じがたい力を持って国会を動かしてる。330も議席を取った自民党、これ何なんですかね、あんたらほんとに日本人の方々なんですか?だからメディアは絶対にそうは報じませんし、女系天皇なんての認めれば、天皇陛下は外国の人になるかもしれない。日本人だとしたって小室さんの家系が天皇家になるかもしれないんですよ、いいんですかそんなの、それでいいって人たちは今日の上田選手の活躍を見てなんと思ってるんでしょうね。もちろん日本というアイデンティティーは日本の国籍を持っていれば持つ事はできます。誰にだって可能ですしそれは結構なことです。でももう一度言いますが、自分のファミリーや自分の周辺の利益、権力、そういうものが裏にある愛国心みたいなものはフェークであってアイデンティティーとは呼ばないんです。ああ森安監督ほんとにお疲れ様です、今日の勝利は偉大です、ほんとにチームが1つにまとまっている感じがします。前回のワールドカップを僕は聖路加病院のベッドで1人で見てました。コロナはなんでもなかったけどパニック障害のほうが問題になってしまって狭いところが怖くてですね、1人でいるのが耐えられずサッカーの90分間にとっても救われてました。それが今はそんなこともなく、パニックはどっかに吹っ飛んでしまい、こういう気持ちで選手たちに拍手を送れてる。ほんとに純粋に日本国を愛するスッキリした気持ち。うれしいです。堂安選手がインタビューだ、優勝狙ってる、すごいね、フランクフルトで活躍してるんだね、大変申し訳ないけど僕はフランクフルトに3年住んでてサッカー見に行ったことありません、ごめんなさい。板倉さんのインタビュー、オランダのアヤックス。サッカーのディフェンスが何をやってるか全然わかってませんが、188センチってでかいなぁ頼もしいなぁ。鎌田選手。イングランドのクリスタルパレス。平然としてますね。あの1点目後ろ足で蹴ったみたいなゴール、何が起きたかわかりませんでした。ああいうことを瞬時にできるって本当にすごい、2試合連続ゴール全く舞い上がってない平然としてますね。こういう男はほんとにかっこいいね。伊藤選手。ベルギーのヘンゲ、冷静に決めてよかった。勝ててよかった。落ち着いてるね。中村選手。先制をアシストしたフランス2部のスタッドランス。冷静だ。知的な子ですね。25歳。森安監督。日本人であることを国民が誇りに思うような試合をしたい。本当にその通りでした。言うはやすし行うは難し。やった人を称える。それがフェアネスです。これが人間に一番大事なこと。そういう人が日本に増えれば日本は強いけれども世界で尊敬される国になります。ああいよいよ上田さん、オランダフェイエノールト。1試合2ゴールはすごいね。182センチ27歳。すごく冷静で賢そうな子ですね。コメントを聞いてるとちょっと大谷に似てますね。この人は勉強やったら間違いなくできますよ。あの股抜きゴール、技術的な事はわかりませんが、冷静だけじゃなく持ってる感じがします。もういちど鎌田さん、イングランドクリスタルパレス180センチ29歳。1点目のあれ常に練習してたんだ。たまたまみたいに見てましたけど、とんでもない。この人も冷静だわ。腹が座ってる感じがする。こういう人は何やってもできますよ。解説の本田さんは今ビジネスで大活躍で投資ファンドで150億も資金調達してる。素晴らしい才能をお持ちです。何事であれ、あそこまでのぼり詰めた人は何かを持っていますよね。いずれ大谷さんもそういうふうになるかなという気もしますが、これまで野球界でそういう人は見たことがないです。野球やってる子が頭悪いわけでもないだろうし、やっぱり大きいなと思うのは海外に出てって揉まれたってことですよ。これは間違いない。日本の野球界はドメスチックで明治以来そのままのカルチャーで、だいたいが体がでかいお山の大将が成功するんじゃないでしょうか。豪速球160キロでフォークボールでバタバタ三振とってノーヒットノーランできちゃうなんて事はサッカーにはないでしょ、ボールに集中してカオス状態で一瞬先の出来事に即応しながらチャンスを掴むサッカーはビジネスそのものの感じがしますね。今日はマッサージ、時間変えてもらって迷惑かけましたがものすごく勉強になりました。日本おめでとう。森保監督ありがとう。

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意識フィールド宇宙論

2026 JUN 19 16:16:02 pm by 東 賢太郎

目まぐるしく動いた5月。仕事の経緯を整理しようと日記を読み返していると5月8日の欄にこんな殴り書きがありました。

「コリント人のようにやかましいだけで・・・」という言葉が心に浮かんで目が覚める。

コリント人?ねぼけてたのか急いでたのか、どんな夢を見ていたのか、なぜこんなのを書いたか不明です。試しにそのまんまChatGPTに打ち込むと、新約聖書の「コリント人への手紙第一13章」の一節が出てきました。

たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、やかましいシンバルと同じです

パウロがコリント人に書いた手紙。不思議ですね。なぜなら僕は読んだことがなく、知見もなく、今もってコリント人が何者かよく知りません。

じゃあいったい何だったんだろう?? ミステリーです。

大学時代にヘッドホンで音楽をループで流しながら布団に入って朝までぐっすりだったことが数えきれないほどありました。ベートーベンの交響曲や春の祭典などが耳元でガンガン鳴ってる。目覚めてみてそれに気づき、はじめのうちはあまりのことに耳を心配して少々焦りました。しかし大丈夫どころか熟睡感があって頭がカーンと冴えているのです。そんなものだから今でもyoutubeをつけっぱなしでよく寝ており、家族に心配されてます。延々と言葉が流れてますがお構いなしで熟睡し、頭には何も残ってませんがやっぱり良く寝た感があります。特技かもしれません。

検索すると「睡眠中ずっと音楽を流していると様々なリスクや悪影響が生じる可能性があります」とあり、夜間に脳内で「イヤーワーム(頭の中で音楽が繰り返し流れる現象)」が発生しやすく、入眠に時間がかかったり夜中に何度も覚醒する傾向がある、なんてのが出てきます。しかし僕においては入眠の苦労も睡眠中の覚醒も無縁で、音楽は昼間でも常に頭の中で鳴ってるのでイヤーワームは自然体です(ブログを書いたからでしょう、現在は間断なくカーペンターズのメドレーが流れてます)。

モーツァルトもこうだったと想像するし、鼓膜で聞こえる必要ないのでベートーベンは音楽が書けたのでしょう。彼らとの決定的な違いは、僕のは誰かの音楽のリフレーンにすぎませんが彼らのはオリジナルだということです。散歩しながらベートーベンがそれを「拾う」ために手帳を常備していたことは有名です。僕にそんな天啓はありませんが、「コリント人」だけは読んだり聞いたりした誰かのリフレーンの可能性はゼロなので天から降ってきたとしか考えられません。

夢は意識の産物とする理論はカール・グスタフ・ユングとジークムント・フロイトが提唱しました(無意識の反映とも)。しかし意識というものが脳のどこにあるかはいまだ解明されておらず、 それは脳内にあるのでなく宇宙空間に広がっていて、脳は「受信機」としてそれと交信しているという説も紹介されてきました。そこに昨年、物理学専門誌『AIP Advances』に「意識フィールド宇宙論」という革新的な論文が掲載され話題になったそうです。これで知ったのでお借りします。

https://www.yuki-clinic.jp/diary/diary-2237/

意識とは、「人間は考える葦である」(パスカル)、「我思う故に我あり」(デカルト)を挙げるまでもなく人間の存在そのものであります。「ある」「あり」という命題そのものも紀元前500年の「パルメ二デスの有」にさかのぼります。その起源がビッグバン以前に “存在” した意識フィールドだったと仮定すると(意識が先、宇宙は後という驚天動地の逆転)、物質世界を探求する物理学に先立つ意識場という未解明の世界でフィールドは海、意識は波の関係である。これは場の量子論において、電子や光子など粒子が宇宙に満ちる場の「励起状態」として記述されるのと全く同じ考え方で数理モデル化できる。この展開は実にスリリングで魅力的です。

波は海そのものだから、ベートーベンは田園交響曲のテーマを海から受け取って何ら不思議ではありません。天から降ってきたのではなく、波である彼の脳にある量子の励起状態が海のそれと同期した時にそれが起きたことが数学で証明できれば、同じことが他の作曲家で起きなかった証明は不可能でしょう。海との同期の比率が高ければ聴衆(ほかの波)への同期性も高いわけですから世間で名曲と称えられると思われます。モーツァルトの魔笛、シューベルトの即興曲集、ベルリオーズの幻想、シューマンの詩人の恋、ワーグナーのトリスタンとイゾルデ、ブルックナーの8番、シベリウスの4番、ビゼーのカルメン、ドビッシーの牧神、プッチーニのラ・ボエーム、ブリテンのピーター・グライムズ、メシアンのキリストの昇天のような曲の “ある部分” に僕が感じる「霊感」とでも呼ぶしかないものの正体はそれではないかと思うのです。その部分の楽譜をお示しすることはできますが、音符のどこにそれがあるのかわからないことは、意識が脳のどの部位にあるのかわからないことと相似形です。

去年の7月に「アガスティアの葉」を体験し、これは「アカシックレコード」にちがいないと信じるようになったことは書きました。ブラックホールに星が吸い込まれると、星という物の3次元情報は球面の膜に2次元情報として記録されることがスティーブン・ホーキング博士の研究によって数学的に証明されています。

その2つは等価、つまりある空間領域の情報量は領域の体積ではなく表面積によって決まっています。これが「ホログラフィック原理」です。敷衍して、宇宙の出来事はすべて「アカシックレコード」に2次元情報として書かれており、それをインドの僧侶がアカシアの葉っぱに書き取っており、我々は脳が同じものを受信して3次元に変換して認識したものを「人生」と思って生きているという思考実験は不可能ではないでしょう。僧侶のお告げが当たっているのにびっくりしたのですが、元が同じなら必然です。

球面を内側から見ると直線は曲がっています。 2次元である正方形の辺がブラックホールの重力で同じ率で同方向に曲がっていれば3次元の球になることをイメージするのは容易です。我々が見たり触ったりして立体と思っているものはすべてオリジナルの平面に書いてある情報をもとに脳が作った3次元イルージョン(幻影)であるとイメージすることは容易でありませんが、ここまで数学の証明でつながってきているので否定するすべはありません。さらに、 アインシュタインが踏み込めなかった量子力学は、我々が「観測」しなければ何物も存在が確定しないことを「シュレディンガーの猫」の思考実験と、観測が現実に結果を左右した「二重スリット実験」で示しています。

そういえば子供のとき、天城山の夜空にくっきりと浮かんだオリオン座を見て、あの綺麗な形はなんとなく作り物っぽいな、あれって本当にあるんだろうか?と疑ったことがありました。ひょっとして夜空の星全部が、太陽も月も、実は地球人に見せるためのプラネタリウムなんじゃないか?そう思ったのです。今になって、最新の学説を聞きかじることでますますそう思っています。オリオン座はあります。でもそれは我々が見て観測した場合だけで、すべての人において観測すればどの人にもあのように見える「何物か」としてアカシックレコードに情報として記載されている。我々は地球上で2次元情報を3次元と解釈してきてますから天空に輝く星も3次元だと思っています。望遠鏡で観測し距離を測定するとバラバラである。だから3次元だ。しかし観測されればそういうデータを与えるよう情報が書き込まれているだけで、全部が同じ球面に張り付いている可能性はゼロでしょうか。我々のお隣の恒星、ケンタウルス座プロキシマまでスペースXの最新高速ロケット「スターシップ」で飛ぶと4万年かかります。現在の科学の進化度合いにとどまる限り人類は太陽系を脱出できません。金魚鉢で生まれ育った金魚のようにそれに気づいてもいません。どんなインチキの仕掛けでも、人類がそこに近づいてばれる心配はありません。星空は別室で誰かが操作しているプラネタリウムかもしれないのです。

SPレコードは割れる

頭に入ってない「コリント人」が夢に出てくる。海から波に励起が伝わったというわけですが、もしかするとこれが前世の記憶なるものではないでしょうか。僕の魂(波)が前世ではそれを良く知っており、意識フィールド(海)と5月8日に量子の励起状態が同期し、夢に現れたのではないか。なぜそう思うかというと、僕は2才のときに「自分ではない意識」が作動したとしか思えない記憶を持っているからです。このエピソードは以前のブログに書きましたが、それは我が最古の記憶になります。2才まで住んでいた家の縁側で、父親のSPレコードを縁石の上に落として割ってしまったことです。ずっしりと重たいレコードがパリンと割れる経過をスローモーションみたいにくっきりと覚えているのです。小さい破片を拾って表面の真っ黒なコーティングをはがすと、驚いたことに中央部から紙が出てきました。それを見て「新聞紙だ」と即座に思ったのです。以上です。母が近くにいましたが何を言ったのか、当時32歳だった父が帰ってきて叱られたのかどうか、全く覚えてません。しかしよく考えるとおかしいんですね、2才の赤子は新聞を読みません。なぜ新聞紙と思ったと記憶されているんだろう?どうにも説明がつきません。

「前世の記憶」は調査事例はありますが、転生を前提とするため数学の出番はなく、根拠は見つかっていません。しかし、繰り返しになりますが、「意識が脳のどの部位にあるのか」という問いにも数学の出番はなかったのです。説明がつかないことに、説明しようと努力もせずスピリチュアルだオカルトだとレッテルを貼るのは愚かなことです。数学で説明がつかないという事実に次の地平への扉が開かれていると思考することこそ科学的な態度だと僕は考えています。アインシュタインは「量子もつれ」を「不気味な遠隔作用」と呼び、いわばオカルト扱いしましたが、その存在を実験的に検証することに成功したアスペ、クラウザー、ツァイリンガーの3人に2022年のノーベル物理学賞が授与されています。

最古の記憶の次に覚えているのは次の家での3才の七五三で1年後です。「新聞紙」と確認できる意識がありながら、それから1年間なにひとつ覚えていないなんてことがありえるのでしょうか。どうしてもここからは不本意ながらスピリチュアル、オカルトな話にしかなりえませんが、僕には「前の人物」がいて、レコードに関心があり、だから乳児の体を使って破片を微細に観察したと考えると納得がいくのです。その関心は物心ついた僕に残って、何年か経つと、音楽よりもレコードに対する物としての執着のほうが強く、どうして細い溝から音が出てくるんだろう?きっと溝の中に小さな演奏者が入ってるに違いないとまじめに信じていた時期がありました。溝を顕微鏡で観察してそれはないことが発覚してからは、溝のぐにゃぐにゃに理由があるに違いない。ではレコードに自分で溝をつけてみようと内周部の真っさらで光っているところに針でそれらしいのを掘り、実験で針を走らせたらバリバリとすごい音がして観念しました。愚かです。

 

音楽と量子力学

『アガスティアの葉』が予言したこと

読響定期とドイツ・レクイエム

自力で登りつめた高市総理は時代が求める人

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カーペンターズ 「青春の輝き」

2026 JUN 13 21:21:55 pm by 東 賢太郎

カーペンターズが魂に刻み込まれているのは、はっきりとしたことではないが、おそらく高校あたりで深夜放送で覚え、大学のころにはそこそこ熱中して聴いていたからだと思われる。昨今は、なんとなく疲れた時に楽譜を引っ張りだして片っ端から弾く。そのたびに唸る、なんていい曲なんだろう・・・

カレンが一番好きだった作品は、米国では地味な曲と評価されヒットチャートの25位あたりにとどまった “I need to be in love” だったと兄のリチャードが語っている。そしてこの僕も、これぞカーペンターズをクラシック音楽の域に押し上げ、歴史に名を刻む大名曲だと確信している。タイトルは「私って恋をしてないとだめね」ぐらいの意味だが、失恋した少女のひとりごとではないのはI’d like to beでないことでわかる。それではじまるビートルズのオクトパス・ガーデン。リンゴ・スターの稚気あふれる歌を思い出せばおのずと知れる。後悔と自嘲で朝4時に目が覚めている。ひとちぼっちで心はふらついてるのに、また次があるわ、だって私は大丈夫だもんと強がる。自分をいったんつきはなして、クールに俯瞰して、未熟でないふりをするのだが、はなはだ危ない。need to beは他律的なのだ。世の中なんてこんなもんよ。それに従うことよね。まるで、あんまり信用してない友達に諭されたようで、ほんとうは深く傷ついていて、迷いながら、自分をはげましながらオトナになっていく気丈さを語ってみせるリリックは、32歳で世を去っていくこの人そのものだったのではないか。

この邦題が「青春の輝き」?なんで?  “I need to be in love” にぴったりくる邦訳がない苦労はわかる。もっと以前に、ベンチャーズの ”Walk, don’t run” が恥ずかしい「急がば回れ」とEP盤のレコードジャケットにバーンと書かれちまった。かっこわるいからウォークドントランでいいじゃねえかって成城学園初等科ではガキどもの失笑を買っていた。そういえばそのむかし、「私馬鹿よね、 おバカさんよね」とはじまる失恋した女の演歌があった。1975年に物心ついていた日本人なら誰もが知るヒット曲、細川たかしの「心のこり」だ。

わたし馬鹿よね
お馬鹿さんよね 
諦めが諦めが
悪いのよ 
一度離れた
心は二度と
戻らないのよ 
元には 
秋風が吹く 
冷たい空に 
鳥が飛び立つように
私も旅に出るわ 
ひとり泣きながら

 

「一度離れた心は二度と戻らないのよ」。やっぱり他律的だ。さもないとおさまりがつかない。そして泣きながら明日の朝早く旅に出るこの女性は、半年もすれば、いや、早い人なら一週間ぐらいで涙が枯れて元気になる気がしてくる。和辻哲郎の「風土」だったか何だったか、違っていたら申し訳ないが、モンスーン気候帯に属する日本は太古の昔から毎年毎年かならず襲って来る台風で決まってひどい目にあってきたが、何日か家にこもって去るまでじっと耐えていれば、大雨、大嵐というものはごみも汚れも不浄もしがらみもきれいさっぱり水に流してくれるという利点がある。その顛末の記憶が遺伝子に刻まれ、日本人の気質を形成してきたという説があった。なるほど、そんな我々の琴線に触れていた「心のこり」は、暗さも陰りもないあっけらかんのメジャーコードで明るく力強い。

そういうものだから演歌は日本人の大切な一大音楽ジャンルとして君臨した、いわば社会的鬱屈感情へのカタルシス促進装置だったといえよう。 昨今あまり流行らなくなったのはなぜだろう。日本人が強くなった?恨み節が不要になった?そうではないだろう。カタルシス促進装置は必要ではあるものの、社会性を喪失し、ばらばらになって、プライベートな存在になったのだ。安泰なもの、寄らば大樹の陰と信じていたものが次々と消え、実はこんなあっけないものだったのかと皆が茫然となり、鬱蒼とした未来への不安が蓄積し、人生の選択も日々の生活も、ついにはどんな家に生まれたかだって誰と恋愛するかだって、みんな自己責任でしょという社会になったのだ。わたし馬鹿よねとカラオケで傷をなめあっても何の救いにもならないというコンセンサスが、コスパ(効率)という氷のように冷たい言葉に象徴され若者を覆っている。

奇遇なことだが、調べてみると「青春の輝き」が世に出たのは「心のこり」のヒットの翌年、1976年のことだった。僕の世代の日本人に熱い支持を得ていたカーペンターズの第4回来日公演がその1976年のことで、下のビデオは大阪でのひと幕だ。当地のエージェントに「これがウケるから暗記して」と仕込まれたのだろう、カレンは「ミナサン、ゴシンパイオカケシマシタガ、ワタシハゲンキデス、オオキニ」と明るく挨拶してドラムを披露している。外人のにわか覚えの日本語としては群を抜いてうまい。概してかようなことに関して男性は女性にかなわないもので、この耳コピ能力が彼女の歌に生きていることは疑いもないだろう。ドレスになると明らかに腕が細い。wikipediaによるとそのころすでに拒食症の兆候が出ていたため体重は41キロしかなく、1975年に予定されていた日本公演が中止となって翌年にずれこんだのであり、もう日本に来ることはなかった。

どちらも恋に破れた女の歌なのだが、「青春の輝き」の女性は狂って不完全な世界で完全を求めるどこまでも晴れない心の翳りから逃避できず、「心のこり」の女性は旅に出ればそんなものはいずれ去るわというふっきりがある。16年外国で暮らしてつくづく思った。日本人は弱くない、実は体は大きい西洋人よりずっと強靭ではないかと。じゃあ今の現実はどうだ?欧米化したということか?そうではない。一神教のあちらは2千年前からそうなのであって、まったくもって根底から違う。この違いは地球人と火星人ぐらいあると書けば信じてもらえるだろうか。need to beには世のおきて以前に神のおきてであるというニュアンスが隠れている。それは台風一過によって都合の良い別世界になったりは絶対にしないし、泣きながら朝早く旅に出たぐらいで解決するはずもないものなのだ。すなわち、「水に流す」「のどもと過ぎれば」のカタルシスは、“I need to be in love” の人たちには訪れないのである。loveが必要だと神が言ってる。だから現実にカレンはそれをいちずに求め、わけのわからんバツイチの実業家と結婚したのではないか。彼女ほどの女性だ、世界中にいくらだっていい男なんかいただろう。日本人は何が悲しくてと思う。僕も思った。そいつはパイプカットを隠していてカレンを激怒させ、挙句の果てに金までせびるとんでもないヒモだったことが知れたが後の祭りだ。1983年2月4日、よりによって僕の誕生日にフィラデルフィアで訃報をきいて、その日は一日悲しかった。

この歌のリリックが幾分なりとも彼女のカタルシスになったのならよかった。そして、兄がつけた空前絶後の音楽とオーケストレーションがあまりに心の襞にそってパーフェクトであったのではなかろうかと書くのが天才である彼への僕の最大の敬意となろう。そのピアノ演奏の能力はクラシックで食うには足りなかったろうが、彼にはその趣味はなく、ダリウス・ミヨーに師事したバート・バカラック同様に根っからの上質なポップス向きのタレントである。だから大いに本格派クラシック好きの耳を楽しませたのであり、僕がまさにその一人であり、大阪公演の客席の反応はロックのそれとはほど遠くまるでクラシックコンサートだ。

そうして生まれた正規録音でのカレンの歌!楽曲の魅力ある完璧な和声ワールドを絶対音感のある者にまで完璧に組成して届けてくれる完璧なピッチ、心にひっそりと染みとおってきて、やがてわしづかみにされてしまう圧倒的な情感、中音域のやさしさと生命感と音楽性にあふれるソリッドな伸び、アルトにして尋常でない誰からも聴いたことのない魔力のある低域の深み、そしてアメリカン・イングリッシュがこんなに美しい言語だったかと再認識まで迫られる際立ったディクション(発音)。どれもが厳格に訓練されたオペラ歌手の歌唱のようではいささかもないが、とはいえ素人だからできたことでもなかろうし、これからもできる人は現れないのではないかとしか言及できない特別な才能であろう。人類史上彼女のみに与えられたギフトであるこれを神品と言わずしてなんだろう。

あんまり細かい詮索は控えたいが、弾きながらくらくらするほど大好きな部分のことだけ書いておこう。写真のF#m, A/B, B7, Bm7のソプラノ声部半音下降(f#, e#, e, d#, d)だ。初回は強調せず二度目はオーボエでくっきり出すところにリチャードの才能を見る。バスをa のままD, A, Gを交差させる調性の設計は目覚ましく、何度弾いても快感の嵐である。シューベルトにもシューマンにもブラームスにもマーラーにもない、もしかしてバーンスタインだけに通じるものがある米国ロマン派とでもいうべき歌曲なのかもしれない。

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外野に2本しか飛ばない広島カープ

2026 JUN 12 3:03:23 am by 東 賢太郎

今年の交流戦も残りひとカードになった。 12球団中11位の広島カープがパリーグ首位の西武に勝とうはずもない。しかし、ここまでひどいと二の句が継げない。まるで1軍と2軍の試合だ。弱い。本当に弱い。


 

4対1だからそこそこ競ったゲームに見えるが、ご覧の通りカープは1安打である。平良の暴投で1点入ったので騒ぎにならなかったが4人の継投であわやノーノー。かたや4番のネビンを休ませ余裕のライオンズはあまりの楽勝にファンが湧くこともなく淡々と終了。ある意味、非常に不思議な試合であった。

投手はこうだった。

 

 

カープの一本は8番打者勝田(新人)の内野安打で外野に飛んでない。驚くなかれ、9イニングで外野に飛んだのは坂倉と石原のセンターフライ2本だけ。レフトとライトは無人でよかった。DH制で27アウトに投手はいない。ベンチの動きもなく、先発野手9人の交代は代走1、代打1のふたりだけ。ということはベストメンバーでのぞんでいたと解釈せざるを得ず、要するに、打つ手もないまま力でねじ伏せられたフォール負けである。

プロの試合でこんなの初めてだ。解説者も番組を盛り下げてはいけないと忖度したのかそれにふれない。カープはゾンビタバコ事件がどうのと言われてるが、自業自得の始末でこんな試合をやっていたならプロ野球の存亡に関わる。

明日から、いよいよ待ちに待った楽天イーグルス戦だ。12球団中11位と12位の不名誉をかけた激突! 雌雄を決する注目の大一番である。負けた方は最下位だからくふうハヤテ、オイシックスの勝者と入れ替えにしたらどうだろう。

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ジャガーとテスラとビストロの美学

2026 JUN 7 10:10:37 am by 東 賢太郎

毎年5月に父母、親戚の墓参りで従妹夫婦と箱根に出向いている。運転は好きでも嫌いでもないが若いころはアメリカ西部を1700キロ走破したし、大阪時代はセリカを乗り回したし腕は悪くないと思っている。50年かすり傷一つなく無事故なのは、タバコ片手に大のクルマ好きで僕など足元にも及ばぬ名ドライバーだった母の遺伝である。海外赴任してからはロンドンのアウディでスタートしボルボに乗り換え、重い車が好きになった。ドイツ時代は社用車が銀色に輝くベンツ500で、どうしてもやりたくて自分でアウトバーンを時速240キロでぶっ飛ばしたし、スイス時代はもうひとランク上のベンツ600の運転があまりに心地よくて通勤まで自分でハンドルを握ってしまいドライバーに申し訳なかった。さすがに香港だけはこの世のものと思えぬグシャグシャな渋滞に恐怖を覚え、自分でやったら3日で事故るなと観念しドライバーにお任せした。

帰国して乗ったのがジャガーXLソブリンである。 2004年の中古にひと目惚れして買ったが、ジャガーならよいというわけではない。気に入ったのは同じXJでもその年まで製造されたモデルだけで、後年のは今に至るまで、何が悲しくてアレをこんな不細工な姿にモデルチェンジできるのかと不思議なほどどれもダメだからまさに一期一会というものである。前のオーナーはグループサウンズ「ワイルドワンズ」の加瀬邦彦氏ですよとディーラーが確か500万かそこらで売り込んだ。ほんとかどうかは知らないが、「想い出の渚」は好きだったから買った。特注のスピーカーがついてたからたぶんそうだったのだろう。

XLソブリンは1980年代初頭からのイギリスの首相専用車である。ダウニング街10番地に横付けされ、サッチャーもこれでご出勤だったはずだから高市さんは探し出されたらどうだろう。ウチのは当てられ事故で廃車になってしまったが返す返すも悔しい。ちなみに写真は去年に出ていた売り物で4.0-V8で走行距離17万キロの美品だ。日本に5千台しかなく、街の駐車場にはでかい(長い)しハイオクなうえ燃費はとても悪いがすぐ売れたろう。この美しいフォルムを前にすると魔力にしびれてそんな事はどうでもよくなるのである。レーシンググリーンにくっきりと映えるメタル部分の銀色はクリーミーで落ち着いた不思議に蠱惑的な光り具合で、これがまた他のどの車も格下に見えるほど高貴で筆舌に尽くしがたい。アクセルを踏んですぐの2.2トンの滑り出したるや、まるで応接室が油の上を移動しているような得も言えぬ質感である。一度でも味わうとぬきさし難いものがあって、これほど俺が乗るために作られたマシーンだと唸らせた車は他にない。

廃車という不幸がなかったらテスラ・モデルXを買うことはなかったから、これも出会いというものだ。2017年に買ったこいつは当時ファルコンウィングばかりが注目されたが、この車の真価は時速100キロ到達2. 7秒とランボルギーニより0.2秒速い常軌を逸した起動力なのである。ベンツ600と同じ車重2.5トンは低速だと重厚である。ところが、にもかかわらず、やや加速すると軽自動車みたいに従順に、意のままに操れる。空中をUFOがひょいひょいとあり得ないアジリティで移動するイメージであり、この物理法則を無視したのような意外感は全く予想外のもの。重力1/ 6の月面を滑走するが如しとしか表現が見つからぬ。東名で、どんなに飛ばしている車だろうが、アクセルの1-2センチのひと踏みで2、3秒でひょいと追い越せる快感はエンジン車では不可能で、それでいて普通に走ればどっしりと安定した7人乗りのファミリーカーというところがイーロン・マスクらしいコンセプトブレーカーなのだが、僕はそういう利便性とか革新性のうたい文句はどうでもよく、「運転というより操縦に近い即物的な快感」こそがこの常識破りの車に乗る喜びである。

さすがに高額であんまり売れなかったと見え、先日の車検でもう製造しないと聞いた。何年乗ってもEVは中古感があまり出ず、日本には800台ぐらいしかないからそのうちマニア向けの希少品になるだろう。EVの乗り心地は賛否両論だし、僕だってアナログ感満載のクラッチ付きエンジン車、特にあのひち面倒くさいものの替え難いメカ感にひたれるギアチェンへのノスタルジーはないではないのだが、この年齢になってこれを知ってしまうともう浮気する気がしない。オートパイロットに頼らなくても遠出の疲労感が格段に少ないからだ。車高が少し高いこともあるが、やはり従順に意のままに操れる安心感が大きく、スピードを出しても疲れないから箱根は実にあっという間である。

仙石原の翡翠が定宿になっている。この度はグルメの従妹が新しいフレンチを探してきていた。宿から徒歩の距離にある「オクトーブル」である。昼はフルコースの予約のみで夜はアラカルトというのは変わった趣向だ。温泉街は夕食は宿で取るのが普通であるという事情からだろうか。我々はディナーで訪れたが、趣味の良いこじんまりした店で堅苦しくない。フレンチとは言いながらイタリアンも適度に入ってそれはバラエティがあって結構。メニューもフランス語の仰々しいのがどんと出てくるわけでなく、ビストロであるから壁掛けの日本語である。ところが、これが細かいのだ。

まあ、どんと出てくるフランス語のメニューにはこのぐらい書いてあって不思議でもなんでもないのだが、牛ヒレ肉のロッシーニ風みたいな、もっともらしいが言ってる本人はロッシーニなど聴いたこともなく訳がわからんだろうと思わせてしまう浮ついた安物のフレンチっぽさとは無縁で、おおいに写実的、実用的であるのが良い。さらに、形容詞というか修飾語というか、品々の描写の細かさにはちょっとその辺のビストロとはわけがちがいまっせというシェフの気概がにじみ出てる気がしたのは、とにかく文字が丁寧できれいだというこれも即物的理由からだ。「これ、筆で書いたんですか」と尋ねると「いいえチョークです」という。なるほど同じものが後ろの壁にもあって、よく見比べると微妙に違うからコピーを貼り付けたものではない。すると、なにげなく、従妹の旦那がいみじくも看破したものだ。

「根岸の板書みたいだな」

これは強烈な大ヒットだった。高校は武蔵であるおないどしの彼は慶応の工学部だ。当時の駿台の名物講師陣、英語の伊藤、奥井、鈴木長十と並んで出てくる懐かしい名前が数学の根岸先生である。この人が解答を説明する板書の芸術品になぞらえるしかない美しさは半端でなく、きれいだなぁと感動した僕はその字体まで真似てノートを書いていたら突然に数学の偏差値が70になったという魔法使いのような方だったのである。

「まさるクン、いいこと言うなあ、料理も期待しちゃうよなあ」

図星だった。こんな板書をする人が手抜きなぞするはずないではないか。ビストロと称するほうが看板に偽りありだったのである。

「赤ワインで柔らかくしっとり煮込んだ足柄牛ホホ肉トリュフ風味のマッシュポテト添え」

におけるプレートの充実ぶりは、中央に鎮座するしっとりとろける絶品のホホ肉が主役であるわけだが、僕は添えられたポテトの中心部が明らかに意図を持って、しばしの時間を経た後まで相応の熱を保っていることに感嘆したものである。これはチューリヒで聴いた巨匠ゲオルグ・ショルティがエロイカの第2楽章で強奏するホルンの対旋律を奏でるチェロに鬼の形相で命を吹き込んでいたようなものと書いてまったく大げさでない。 7 、8品ほど注文しただろうか、どれも神は細部に宿るのひと言。すべてに細かい神経が行き届き、シェフのこだわりの代償が舌の喜びとなる。

Bistronomie octobre フランス料理店

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ソナー・アドバイザーズより重要なお知らせ

2026 JUN 2 1:01:17 am by 東 賢太郎

ソナー・アドバイザーズの業種は「金融業」で、公的には「財務省関東財務局登録の投資助言代理業者」であり、サービス内容の切り口からは一般に「富裕層ビジネス」と呼ばれる仕事に属するでしょう。富裕層(ハイネットワース)は明確な定義がありませんが、イメージとしてはストックを持つ資産家のことで、フローが多い高額所得者とは限りません。短期間で資産を増やす経験をするとハイリスクハイリターン志向になりがちです。それを金融商品に求めるなら短期間で半分になるリスクも取るということですからバランスシートにそれに耐える自己資本(エクイティ)がないなら賢明でありません。ソナーはそもそもそのような金融商品は取り扱いませんし、おすすめすることもございません。したがって、一般的な意味での高額所得者は長期的な関係を結ぶお客様の対象にはなりにくいかもしれません。申し上げたいのは、私どもの金融サービスというものは誰もが飛びつく「儲かるもの」「いい話」を探し出してご提供することではなく、お客様の取れるリスクのグレードに応じて資産の形成、保持に資する合理的かつ実践可能な方法をお客様と共に探求し、助言する地道な作業だということです。

分かりにくいと思いますので、僕がなぜソナー・アドバイザーズを起業したかに立ち返ってお話します。始めた動機は証券会社出身だからでも米国流金融を教えるMBA課程で教わったからでもなく、スイスに2年半住んだからです。のちにドイツ、フランス、イタリアになった強い民族に囲まれて13世紀に建国されたこの国は、700余年もヨーロッパのど真ん中に侵略されることなく強靭に存続しており、その精神は今も隆々と健在です。元来、屈強をもって鳴った兵力の異国への提供で得た資金の送金先として機能したスイスの銀行は、現代に至って世界の富裕層が資産を最も信頼して預託・管理する金融サービスの提供者の一つとして知られています。預金者を守る徹底した秘密主義が租税回避だという他国の批判を浴び、針小棒大なレッテルと化した時期もありましたが、それでも700余年の時を生き延びて現在の地位を築いたレジリエンス(resilience、屈強な折れにくさ)はどこか我々日本民族に通暁するものがある、ではその根源は何だろう?という関心をもって2年半務めた野村証券スイス現法社長としての学びこそがソナー・アドバイザーズ起業のルーツとなっております。具体的には、国家のレジリエンスのお金を扱う側面における反映として「財産を保全して増やすこと」に世界一長けた知恵がそこにありました。営々とその哲学を日々実践するスイスの金融機関をお客様とすることで学んだインテリジェンスが僕の金融ビジネスの精神的支柱となっており、ノウハウという言葉が示すような軽いものではなく、建国と子孫繁栄への強いコミットメントに根ざしたまさに盤石の「哲学」と呼ぶべきものであり、その地に根をはって空気を吸ってこそ体感できるものです。それに、これも各々の当地で実体験した米国流のファイナンス、英国流の資金運用の技術を総合した会社がソナー・アドバイザーズであるという理解が最も実態に則しており、そのサービスを日本の法律と金融風土の許容する方法でご提供する最高の知性と経験を持った、世界のどこに出しても通用するプロフェッショナルが助言できることが私どもの強みであると申し上げて、おそらく国内外のどこからも異論は出ないでしょう。

海外から巨額の資金として流入してくる現代の顧客の財産はスイスの金融機関(大手銀行やプライベートバンク)に保管されています。彼らはそれを自ら運用もしますが、 1つのバロメーターとしてご理解いただくなら、スイスの株式時価総額は世界の2%ほどしかなく自国内だけで運用できる規模はありません。1989年に世界の40%あった日本株も今やたったの5%ですから規模の不足はスイスとかわらず、スイスフランは強い通貨ですが弱くなりえる円建てで、しかも超低金利という銀行預金に置いておくことがいかに宝の持ち腐れであることか。方やスイスの銀行は、その自国運用市場の限界を自覚し、集まったお金を目当てに世界中の金融業者が持ちこんでくる高利回りの運用商品を選別するゲートキーパーとしてのプロフェッショナルになっているのです。野村スイスは1990年代の当時に活発な資金需要のあった日本企業の転換社債、ワラント債などをスイスフラン建てで発行し、スイスの銀行や運用業者に買ってもらう市場で最大のマーケットシェアを誇っていましたが、お気づきと思いますが、日本の金融商品を売り込む側であってゲートキーパー業務をしていた訳ではありません。売り込む側のプロであるためには、守る側のプロが何を考えどういう理念でお客様のために行動しているかを知る必要があり、それをじっくり観察し、勉強させていただいたということです。運用の技術は世界のどこでも身につきますが、スイスの知恵はスイスでしか身につきません。

 

それを日本で日本の法律に則してやろうというのがソナー・アドバイザーズの創業理念であり、富裕層の資産保全を助ける側に立っています。信託会社ではないので見かけ上(契約上)は商品を売り込む側になりますが、実際は仕入商品のクオリティ、コンプライアンスを厳格に調査し、値段を値切る側です。つまり僕が31年やってきた「売り込むだけの証券業務」とは真逆のベクトルの仕事(ゲートキーパー)なのです。守る側ですから世界中の金融業者が「この商品は日本で売れないかと」相談に来ます。スタートアップのプレIPO株式もあれば事業資金の出資もあり、普通に証券会社を通して市場で買えない希少なものがたくさんあります。なぜ来るかというと僕が欧米でのトラックレコードのあることがそれなりに知られているからで、基本的に当社は自ら探しに行く必要はありません。日本の外資系証券も供給先の1つで、もちろん証券会社ですから売り込み側であり、米国本社の商品を合法的に仕入れられる便益はありがたいですが収益性、リスク等々の必要なチェックはお客様のために我々が行います。国際政治/経済のファンダメンタルな力学をはじめ、あらゆる金融業者の事情、実力、売り込みのレトリックの裏の裏まで知らないと守る側の業務はそう簡単にできることではないのです。例えば、「なぜアメリカはベネズエラとイランを攻撃したのか?」というシンプルな問いには明快な地政学的回答があります。これに答えられずして専門家も何もあったものでなく、米中首脳会談の評価も、円相場の予測も、 6月12日に史上最大のIPOを行うスペースXの株価の予測もできない、すなわち、投資家にとって死活問題である「実際の行動を起こして経済的に意味のあるストラテジーを合理的に与えるインテリジェンスはない人に過ぎない」「つまりその人のアドバイスに払うお金はどぶに捨てるようなもの」という冷徹な判断になる。世界のどこに出しても通用するプロフェッショナルとはそういうものです。

ソナー・アドバイザーズのビジネスモデルは、スイスでは既述のように「プライベートバンク」、アメリカでは金融王モルガン家や石油王ロックフェラー家の資産管理会社として生まれた「ファミリーオフィス」が近いです。資産運用はもとより法務、税務、信託、コンサルティング、モニタリング、チャリティ、親族のキャリアサポート等まで含む総合管理業務を提供するビジネスであります。日本にそれがないのは欧米ほどの超富裕層が不在なこともありますが、文化の違いもあります。日本も外国もお金持ちは内部情報厳秘に非常に神経質なのは同じです。しかしスポーツにおけるオフェンスとディフェンスのように資産を作ること、増やすことと、それを守ることは別々な才能と知識・経験が必要という合理的な認識がある人が英米には多いのも事実です。認識の希薄な日本の富裕層で運用・保全に長けた人は一部でしかなく、大半は銀行預金に置くなど多大な機会損失をしています。預金も金融商品であり、とてもリターンの低いそれを選択しているということであり、銀行のクレジットリスクはもちろん、世界の通貨の中で円だけを保有するリスクも選択をしていることにほとんどの人は気が付いていないのです。そこで英国と米国は信託法(トラスト)という法律を国が用意して、運用、保全、相続を専門家に任せ、創業者は事業に専念する「分業の法的な安全性」を担保しています。英国の映画を見ているとお金持ちの家には執事(バトラー、男性使用人の最高責任者)がいますが、もともと近世まで欧州の王家には有能な資産管理者がいました(ルイ14世のジャン=バティスト・コルベールなど)。その機能が近代国家に受け継がれてMinistry of Finance(財務省)になったのであり、その民間の富裕層バージョンがファミリーオフィスになったと考えれば分かりやすいでしょう。バトラーはお手伝いさんではありません。代々その地位を相続して雇用主から絶対の信用を置かれており、それに値する能力の持ち主だけができるハイレベルの専門職です。「ロックフェラー財団」のようにその地位が法人化されれば人的に相続しなくても機能は永続可能なのです。

そうした社会の創造性や効率にまで法制度が関与してくるのはジョン・ロックらの英国経験論という哲学が影響しているだろうというのが私見ですが、この論点は金融論、財政論などを専攻されている学生さんには興味深い研究対象でしょう。大陸法系のドイツには信託という法理はなく民法の法理で対応しており、言い方は悪いのですが、パッチワーク的な印象がぬぐえません。同じく大陸法系の日本にもありませんから、それを避けるためでしょう、信託法を作りましたが、それは基本的には英米由来の信託概念を日本法に「翻訳」して受容したものであって、その行為者は「銀行業務と信託業務を一体的に行う信託銀行」なる、これも申し訳ないがパッチワーク的な存在として発足した日本にしかない特殊な業態です。明治時代に英米の信託制度を導入した際、銀行業と信託業を同じ金融機関で行えるように制度設計した産物であり、その理由は「他人の資産を預かる信託業はお堅い銀行員に任せるのが一番」ぐらいのものではなかったかと想像しております。「お堅い人」は実は運用業に最も向かない人種であるというもうひとつの重要な論点は安全第一の理念のもとに捨て去られたと思われ、論理矛盾の狭間に落ちた不幸な運用業には歴史的に第一級の人材が就職しなかったという英米と真逆の現象が起きる一因となったことを書いておきたいと思います。この文化ゆえに「ファミリーオフィス」がないと結論づけることは一定の説明力があると考えられます。民間の金融資産蓄積も国力の一部です。社会の効率と便益を前提とすれば、我々事業プレーヤーのフィールドで認識を変えていくことは可能な時代にすでに突入しております。

ソナーというのは探知機のことです。何を探知するかというと成功しそうな投資機会なのです。どうやって見つけるかを説明するのは簡単ではありません。どんなに見つける力はあろうと、実現しなければ意味がありません。それをタイミングよく安価に入手する、いわば証券会社的な実務能力は必須です。しかしその全部を1人でやるのは困難で、同じ目的を共有する仲間が必要です。仲間にして大丈夫かどうか吟味も必要です。信用はできるとしても役に立つかどうかは別だからです。流れに二流の者を入れると、それが唯一の理由になって全部が二流のビジネスになります。とりわけ意思決定はスピードが命なので、ディールのチェーンはトップクラスの人材だけで組成したい。僕の時代、野村証券やゴールドマンサックスに入社すればいくらも優秀な人材がいましたから内部で事足りました。だから利益率の高いビジネスがあっという間にできて会社は巨大な利益を上げられたのです。しかしひとつの案件を大人数で手掛けるわけですから、1人当たりの利益分配は世間で言われるほど多くはありません。

ということは、チームプレーにはせざるを得ないのですがなるべく少人数でやりたい。チェーンは短い方が良いし、分配額が多いと有能な人が集まりチームとして競争力が増す効果が顕著で、お客様のためになるからです。大谷や山本や佐々木を採れば優勝できドジャース球団株式会社の総収入は増え、株主への配当も増えるわけです。特筆すべきは、人員は正社員でなくても構わないことです。都市対抗野球は地区で勝ち残ったチームは負けたチームのスタープレーヤーを補強選手として借りてくることができますが、同様に、外部の有力な人とパートナー契約を結んで案件を共有し、業務を分担してもらって利益をシェアする。これも一種の利益分配に他ならず、僕の頭の中では給料やボーナスで支払うのと変わりません(社会保険料がない分むしろ多く払え、モチベーションを上げてもらうために資金を有効活用できます)。多くの人を無用に抱え込んでしまっている大企業はできない経営です。極論すれば、契約でソナーの案件に専念し秘密を守る有能な人であれば、弁護士、税理士が社員である必要はないのと同様に、補強選手もソナーの社員である必要はまったくないのです。この考え方は「家族的経営」を伝統としてきた日本的視点からは冷たく聞こえるでしょうが、プロ性の高い共同事業において利用される合同会社(Limited Liability Company、略してLLC)に近いと考えれば珍しいものではありません。むしろこれからは、真に有能な若手は組織に束縛されずペイの良いこの手法を選好し、引く手あまたになるのではないでしょうか。

パートナー企業の選択はとても大事です。国で言うなら軍事同盟に匹敵します。強いところと組めば小国でも十分に戦えます。ソナーの業務を成長させる原動力はお客様の利益であり、それ以外にありません。経済学、経営学を振り回してうまくいくかどうか保証もない経営戦略をコンサルするような会社ではありません。この世界は即物的に「お客様が儲かってなんぼ」であり、勝てばどんなメジャー企業よりも評価を得られますし、負け続ければ知名度のあるどんな大企業でも潰れます。もちろん株式投資に100%はありませんから失敗はあります。問題は成功率です。例えて申し上げるなら「10回やって何回成功するか」であり、野球のバッターの評価に打率が大事なのと同様です。イチローの終身打率は3割5分3厘で終身年俸は270億円。2割5分打てば一軍にいられるNPB選手の平均生涯収入は3億3000万円です。つまり1割余計に打てば収入は80倍になるのです。我々の業界では10打数2安打か3安打かが分岐点とされます。たった1割の差でお客様の満足度は大差が出るため、いただける手数料にも大差がつくのです。このレバレッジ効果を知っている人だけが「パートナーの選択はとても大事」というメッセージの真意を理解し、当社の掛け声ひとつで参集してくれるわけです。

では、「成功しそうな投資機会をどうやって見つけるか」の話に入ります。まず絶対に必要なのはその企業の業績データです。データから計算できる株式の理論上の価値を割り出します。この方法はアナリスト試験のどんな教科書にだって書いてある基本中の基本です。それに確率を掛け算し、要する時間で割り算すると期待値が出ます。当然ですが、それが高いほうがいいわけです。しかしそれだけならちょっと算数を知っていれば誰でも出来ます。きっとチャッピーも教えてくれるでしょう。しかし、経験者はどなたもお分かりですが、理屈だけでは現実には役に立たないのです。役に立たないからこそ収益率が高いと言ってもいいでしょう。それを言葉にせよと言われれば「直感」しかありません。当たりはずれを決める要素を数値で表すなら直感は9割です。なぜ理屈は1割しか説明しないか、逆説的に聞こえますが、誰でも計算できるからです。計算が確約する利益は、皆がその株を買って株価を押し上げてしまうことであっという間に消えます。 利益が1割残っているのは、計算ができない人が損してくれるからです。

以上の事実を知っていることはとても大事です。理屈を知っているとは実質的に「人事を尽くした」という意味だからです。やることはやった。あとは天命を待つのみ。そう割り切れれば、直感が「行け」と指示する時に迷いなく思い切れるのです。しかも1割は下駄を履いてるのでリスクは低い。だったら思いっきりバットを振るしかないじゃないですか。だから時にホームランが打てる、すなわち、大きく勝てるのです。だから確率としてはそう高くはない10打数3安打でもお客様を満足させる結果が出せるのです。こわごわ振って単打をこまめに重ねてもあんまり得点は入りませんし、安全運転は結構だがその程度のリターンならインデックスを買ったほうがコストがかからなくてましだという結論になるでしょう。僕がこの世界を渡って来られたのは、まず第一に、体が元気だったこと、第二に、この仕事が野球と同じぐらい好きだったこと、第三に、サラリーマン時代に業務として投資経験をたくさん積んで直感力を磨き、長打力がついていたからです。

最後にお知らせになりますが、ソナー・アドバイザーズには、いずれはいなくなる僕に代わる「4番打者候補」が必要です。以上を読まれ、自信がある、我こそはと思われた方はぜひとも代表03-6380-8199から秘書に電話され、履歴書をホテルニューオータニ・ガーデンコート19階の弊社オフィス宛てお送りいただき、アポイントを入れたうえでお出かけください。お会いすることを約束しますし、事と次第によってはそれなりの報酬でそれなりのポストについていただく可能性がございます。また、ソナーの提供するファミリーオフィスサービスにご関心のある方も数件ではありますが歓迎いたしますので、お気軽にお声かけいただければ幸いです。

野村證券本社ビル(1959年)

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ある祝賀パーティーで考えたこと

2026 MAY 27 14:14:43 pm by 東 賢太郎

一昨日オークラであるパーティーがありました。高円宮承子女王、菅総理はじめ政財界お歴々に混ってお招きいただき、ほんとうに楽しい時間を過ごさせていただきました。たまたま同じテーブルだった自民党の塩崎彰久衆議院議員が大学、学部、MBAとぜんぶ後輩ということがわかりました。まあそうでなくても僕は遠慮も忖度もないから「俺は高市さんの大ファンだからね」とぶっちゃけ、後で調べたら彼も総裁選の決戦投票は高市さんらしいからまあよかった。「彼女、大活躍で疲れてるだろうね」「いえそれが意外に元気なんですよ」なんて言う塩崎議員も元気だ。油がのりきった49歳。僕から見れば若者であり、素晴らしいナイスガイであります。今度ウォートンの会合に呼んでもらうことになりました。

やがて宴もたけなわになり、司会者のご指名で林芳正総務大臣がピアノ弾き語りでレット・イット・ビーと南こうせつをご披露。とても楽しませてもらいました。思えばピアノが弾ける政治家というと安倍晋三氏もだし、志位和夫氏のショパンのワルツ変イ長調 作品69‑1も立派なもの。海外だと英国のヒース首相はモーツァルトの3台のピアノのための協奏曲をバレンボイム、アシュケナージと第三奏者で商業録音したし、米国のニクソン、フランスのマクロン、ロシアのプーチンもたしなみ、米国のコンドリーザ・ライス国務長官はブラームスのピアノ協奏曲第2番をステージで弾いたようです。もちろんそういう家に生まれ教育も受けてるのですが、国務長官の激務にありながらそれをやってしまうのは想像を絶する超人ですね。政界も財界も官界も世の中にはすごい人がいるものです。

政治家の方々と話して思うのは、ある意味人気商売である、大変な職業だなということです。そこでこう思うのです。ピアノで選挙に当選するわけではない。単なる余技です。にもかかわらず訓練に時間をかけてピアノを弾く。好きでないとできませんね。すなわち、世渡りだけの人ではないという証明なのです。これは人物を知るのに重要な情報と思っています。ピアノでなくてはというわけでもない。高市さんのドラムというのは仕事姿からは想像できない面をお持ちということで、歌いながら叩くドラムは天才的なセンスがあり、歌は僕にとって人類史上最高の女性歌手であったカレン・カーペンターを思い出します。こういう方は政局だけの飲み会なんか出ない。僕に言わせれば当たり前以外の何物でもない。本業に影響ないわけではないですよ。余技で著名な人というと中日の山本昌投手のラジコン好きは有名ですが、僕は投球のことが少しはわかるので、なるほどそれで40代でノーノーやったあのピッチングかと思うので、やっぱり人物を表しているといえるのです。それ一本の仕事師もそれはそれで素敵ですが、僕は多面的な輝きを持つ人に大いに惹かれます。

ただ、芸能人もそうでしょうがいつも人に見られ好感度を保つという人生は楽しい面もあるでしょうがストレスフルでしょう。このパーティーの後、耳にとどいたのは巨人の阿部監督の件です。彼は昭和スタイルで批判されてましたが、昭和であれ令和であれ一流になれるならそんなことは関係ないでしょう。やって実証した男なんだからそうなりたい人はついてけばいいし、そうでない人は自己責任でそれなりの人生を好きに歩めばいいじゃないですか。彼が息子とキャッチボールしてニコリともしないとこれまた批判している人がいますが、だったらお母さんとやって草野球でもしてろ、世の中そんな甘くねえんだってことです。僕も息子とのキャッチボールは笑顔も手抜きもなしでした。うまくしてやりたいと思うからそれが親父の愛情なんで、昭和だなんだなんて馬鹿らしいもほどがある。

普通の人ならニュースにならないかもしれないことが事件になってしまう。阪神に3連敗して明日から交流戦というストレスは我々には計り知れないものがあったでしょうが娘さんにも娘さんの世界があったわけでどうにもならない。プライバシーの領域ですから他人があれこれ言う話ではなく、静かにしてさし上げるのが一番ではないでしょうか。SNSだチャッピーだという時代で有名税がにわかに高くなってきてます。これはもう元に戻ることはありません。政治家の皆様も他人事ではないかも知れず本当にご苦労様です。職業という言葉を感じさせない高市さんが総理をやってるのは、そうした意味でも時宜にかなった登板だったかもしれません。

パーティーの主人公が誰かは調べれば分かることですのであえて書きません。若かりし頃の激動期に長らく苦楽を共にした方であり、今回の栄誉は感無量であります。

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『黒猫フクの人生観』 (第十四話)

2026 MAY 23 20:20:44 pm by 東 賢太郎

プライバシーに関わるので「主人の知人」としておくことにするよ。その方のご子息であるX君、高校を出て外国の難関大学にめでたく合格したんだ。小学生の頃、主人がプロ野球選手と会食したおり、大ファンだと料亭までサインをもらいにきて目を輝かせていた子だから主人もよく覚えてたよ。帰国子女でないのに英語、大したもんだね。でも昨今の世界情勢なもんだから、父君から「現地に知り合いがいない、独りじゃ心配だ」と主人に相談の電話が入り、「大丈夫だ、しっかりした男がいるよ」とお答えしていたというわけだ。その男がたまたま仕事で来日することになったので、主人が両人をオフィスで引き合わせようというはこびになったんだ。

ご子息をひと目見た主人、感銘を受けた。11歳と18歳。見違えるようだ。7年でこんなに立派な青年になる。ここからの7年、楽しみしかないじゃないかとピンときたんだね。選んだ学部は情報コミュニケーション。将来は何やりたいのときくと金融という。自分の業界なもんだから「X君、それは素晴らしい志だね」といつになく上機嫌である。でもね、主人は彼の年で志したわけじゃない、サラリーマンになるしかなくてしょうがないから野村證券に入っただけなんだ。なんたって、本当の動機は人事部にかわいい女の子がいたっていう恥ずかしい話だ。みっともなくて言えないわけだね。

ここでちょっと遅れてHがオフィスに到着した。X君、少々緊張気味だがしっかりと英語で自己紹介ができた。「大丈夫、半年でペラペラになるよ」とHが太鼓判を押す。「とてもいい。上手い下手なんてどうでもいいからとにかく喋れ。アピールしたいものがある奴の話は聞いてくれるよ。彼女10人作るぐらいの勢いでやりなさい(笑)」。いい感じだ。今どき初対面の子にいきなりこんなアドバイスする人は日本にはいないよね。あそこは危険、あれ食うな、こういう奴に気をつけろみたいなネガティブのご指導から入るんじゃないかな。といって単純に性格が明るいとか陽気とかじゃない、Hはなんたって4大会計事務所(Big4)の1つKPMG出身だからね、能天気じゃなくてSunny Side of the Streetの人種というものだ。まさに主人もそうだからね、初対面の時から気が合ったのもわかる気がするよ。

主人もそう思ったらしく、いつだったか「そう思わんか」と尋ねたことがある。するとHはNoという。なんでも彼は運命を委ねるMonkがいるらしく、主人の写真を見せたら「この人は前世でアンタの先生だった人だ」とびっくりすることを言われたらしいんだ。主人がそんなバカなと笑い飛ばし、「だって前世というならアガスティア曰く俺はパキスタンの王女だったんだぞ」と否定すると「そんな昔じゃない。我々のひとつ前の人生だ」と言いはる。本気なんだ。「だからお前とパートナー契約したんだ」「わかったわかった、じゃあこれからビジネスは先生の言うことに従うんだな」なんてことになったものだ。

天国で物事を眺めてるとこの話はあながち嘘じゃないことがわかるよ。地球で縁があった2人がここに来て別々な赤ちゃんで生まれ変わる。普通はまた出会ったりしないけどね、もしそういうことがあると男と女なら運命の人だなんてことになっちゃうんだ。ある方の結婚式で、主賓の安倍晋三元総理が愛妻家だったチャーチル首相の逸話のスピーチをしたんだ。「生まれ変わっても、地の果てまで行ってきみを探し出す」というくだりで主人はいたく感動したらしい。でもHに言われてもなって思ってるだろう。とはいえ妙に信心深いところもあるからね、ビジネスパートナーとしてHを信用してることは間違いないさ。僕も天国から株式市場見てるしね、キツネと狸の馬鹿しあいで誰も信用できないあの世界でそういう人はあんまりいないんだ。X君、いい人と知り合ったね。

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フランス・バロックの精華ラモー讃(1)

2026 MAY 22 13:13:22 pm by 東 賢太郎

ラモー、リュリ、シャルパンティエ、クープランら17-8世紀のフランス古典音楽の巨匠の名は英国のグラモフォン誌では頻出する。ところが我が国では「古楽」で独伊英とひとくくり。国別のカテゴリー認識もなく、おかげでその代表格でJ.Sバッハの2歳年上であるジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683 – 1764)の音楽を知ったのは随分あとだ。ちなみに本稿の表題にはフランスにはバロックはないと言う反論がありえよう。その通りであり「バロック期のフランス音楽」とすべきところだが、便宜上のカテゴリーとしてフランス・バロックとさせていただくことにした。

まずはこのラモーの音楽をお聴きいただきたい。叙情悲劇「カストルとポルックス」第1幕第3場:前奏曲 – 伴奏付きアリア「悲しい小品」だ。

陶然とするしかない。バッハのG線上のアリアはバロックの美だがベルリオーズが絶賛したこのアリアはもはやロマン派の領域で、指揮者テオドール・クルレンツィスの鋭い読みがあるとはいえスコアにないものが出る道理はなく、僕はマーラーのアダージョの世界さえイメージしている。記憶の中で、フランスオペラというとベルリオーズ以後ぐらいしか浮かばないのは作品が劣るわけではなく、我々の方がクラシック音楽というものの受容の中で何らかの思い違いを犯している。ウィーンのハプスブルグ王朝と妍を競ったブルボン王朝のパリで、目線の高いモーツァルトが就職を願ったパリで、そんなはずはなかろう。

オペラの起源は16世紀末にギリシャ悲劇の復興を目指したルネッサンスの中心地フィレンツェにある。シンフォニーも出自はオペラの序曲であり、現代のクラシック音楽の父祖地はイタリアだと言って間違いではない(当時イタリアという国はなかったが)。だからプライドの高いフランス人も最優秀作曲者に与えた栄誉は「ローマ賞」となるわけで、オペラは日本で言うところの “舶来品” だった。舶来品というと素朴な人がプレミアム感を抱き、自慢したり敬意を持ったりする。これは都鄙感覚のなせる業だ。ヨーロッパのどこであれ、音楽の都はイタリアであり、あのモーツァルトですらウィーンにおけるポスト争いではイタリア人のサリエリに勝てなかった。ハプスブルグの貴族や役人たちが音楽においては自らを鄙(田舎)だと思っていたからだ。こういう何をもってしても抗い難いほど根深い先入観のことをpreconceptionというが、優位に出た場合は差別となり、劣位に出ればルサンチマンとなる。イタリア人でないヘンデルやグルックはイタリアで修行してルサンチマンを払いのけ、箔をつけてロンドンやパリで成功した。現代の日本人がアメリカでMBAを取って外資系に就職するようなものである。

Jean-Baptiste Lully

「カストルとポルックス」の属する叙情悲劇(tragédie lyrique)とは、ルイ14世の宮廷楽長および寵臣ジャン=バティスト・リュリ(Jean-Baptiste Lully, 1632 – 1687)がイタリア様式がフランス語には不似合いなためレチタティーヴォとアリアを融合したものである。この不似合問題はドビッシーのペレアスとメリザンドがシュプレヒシュティンメに近い理由という脈絡で語られることがあるが、 17世紀から認識されていたことだ。必ずしもエンディングは悲劇でないものにまで「悲劇」と銘打ったことに古代ギリシャ・ローマ文化の復元運動であったルネサンスが透けて見え、17世紀中葉にパリに既にその波が押し寄せていた事が政治史とは違った側面から分かる。

Jean-Philippe Rameau

リュリが亡くなった頃生まれたラモーはその形式を継いではいるが、ハーモニーを和声と呼び体系化した理論家でもあり(『和声論 Traité de l’harmonie 1722年』)、耳慣れぬ和声進行を伴うオペラ作法は急進的とみなされ、イタリア・オペラを愛好する保守派からは不自然・人為的と批判されたのである。マーラーのアダージョの世界さえイメージしてしまう深い和声進行のアリアは、当時の人が自然に受け入れるどころか奇怪とすら感じたかもしれず、その批判は故なきものとは思わない。芸術に進化論が当てはまるかどうか議論はあるが、春の祭典の初演やピカソのゲルニカのケースをあげるまでもなく、鬼面人を驚かす衝撃が土台となって新しい波が訪れる例はある。

そうである一方で、素朴に “舶来品” を崇拝し自国を卑下する輩はどこにもいる。その品が真の価値を持つならともかく、ウィーンにおけるモーツァルトのように宝がブランドだけの舶来品に負けてしまうような愚を犯すといずれ文化は停滞し、国ごと鄙(田舎)に落ちぶれてしまうものだ。ウィーンは違うと思われるかもしれないが、地元の人はシューベルトぐらいのもので、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、ブルックナー、J・シュトラウス、ブラームス、マーラ-、いずれも別の都市から新しい個性を持ち込んだ人であり、メイド・イン・ウィーンは化学反応の場ではあっても自ら栄えたわけではない。今も舶来品のシュトラウスのワルツを正月の売り物に商売する。ウィーンはそういう都市だ。

ラモー批判は、イタリアの歌劇団によるペルゴレージの「奥様女中」上演で火がつき、大勢のパリ知識人を巻き込んだ文化論争が起きた(ブフォン論争)。シンプルに楽しいこの作品を聴けばペルゴレージを含むナポリ楽派のオペラ様式がモーツァルトの初期オペラに強い影響を与えたことがわかる。

神中心の中世世界観から人間の理性や個性に目をやって重視する思想へ転換し、「ルネサンス以来のあらゆる知」を一つにまとめ近代的な知識体系として再編を企図する「百科全書派」と同じく広い意味で ”啓蒙の文脈” にいたルソー、ヴォルテール、ディドロ、ダランベールらが旧体制批判派の精神的基盤をつくり、あるいは急先鋒となった。この勢力が反王党派を成しフランス革命につながる。「知識を公開し、理性で社会を批判する」という姿勢が、旧体制への不満をもつ人々やブルジョワジーに大きな思想的武器を与えた過程は、かたや、まったく無体系ではあるが、日本においてSNSが政治の内幕を炙り出して変革しつつある現在と相似する点がある。

ヴォルテール

ちなみに、ブフォン論争が1752 – 54年、フランス革命が1789年であり、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756 – 91)はその間を生きた。彼が母親とパリに滞在した1777 – 79年は革命のわずか10年前だ。国王・王妃が反逆罪で有罪判決を受け公開斬首されるという世界史上重大事件だ。モーツァルトが言及した記録はないが、パリ滞在中に死んだヴォルテールを意識した手紙を父に書き、メーソンに加入し、フィガロの結婚を書いた啓蒙思想側の彼は知っており、91年にメーソンオペラである魔笛を書く誘因になったろう。そちら側であり知名度のある彼を体制側のパリの貴族が雇わなかったのは理にかなう。赤狩りの影響で迫害された経験のあるレナード・バーンスタインは、ヴォルテールの作品「キャンディード」を音楽劇にした。無神論を伺わせるこの作品はモーツァルトがヴォルテールに対し批判的だった原因かもしれないが、書簡での言及は本音を偽装したとも考えられる。僕個人においては、ジョン・ロック、アイザック・ニュートン、フランシス・ベーコンを称賛したヴォルテール(Voltaire、本名フランソワ=マリー・アルエ: François-Marie Arouet 、1694 – 1778)は思想的に近く感じる人間だ。作曲者の指揮でロンドンで聴いた「キャンディード」も大好きである。同時に、それがおちょくった知の巨人ライプニッツには大いなる敬意を覚える者でもあるから複雑ではあるが(理神論)、それは現代社会が複雑に進化した結果である。

ジャン・ジャック・ルソー

大変に紆余曲折を経たが、ヴォルテールが台本を提供したオペラ「栄光の殿堂」の作曲家がジャン=フィリップ・ラモーであったことで話は振出しに戻る。ブフォン論争はフランス伝統オペラとイタリア・オペラブッファの対立だが、実質ラモーとルソーの戦いであり、ヴォルテールはラモーを擁護したということだ。僕はジュネーブの時計職人の息子で放浪生活から成り上がったルソーの人生には驚きと同時に強い共感を覚えるが、彼が寄って立とうとした音楽家としての才能においてはラモーとは比べるべくもなく、にもかかわらずラモーに食ってかかれると信じる社会契約論的な急進的平等論者の、あたかも軽薄な舶来品讃美者のごとき人間の薄さとその思慮の浅いpreconceptionには違和感しかない。しかし革命とはその種の人間が蜂起して起こす現象であって再帰性の保証はないにもかかわらずrevolution(旋回)と呼んで納得してしまうところに人類は思慮の浅い個体が支配的という事実を見る。revolutionは辞書をひけばもっともらしい訳語が並んでおり、日本的事情でひねりだした維新もそのひとつだが、最も近い日本語は「ガラガラポン」である。

ヴォルテールら啓蒙主義者を庇護したのはルイ15世の愛人(公的愛妾)で、政治的に無能であった王にかわる影の宰相、ポンパドール夫人だ。そこそこの教養ある女性だったことが結果論ではあるがあだとなり、サロンや宮廷を通じて貴族・官僚層と啓蒙思想家を結びつける仲介役となり百科全書派を太らせる原因となった。ヴォルテールが構想したオペラ「栄光の殿堂」は影の宰相に牛耳られるルイ15世に対し啓蒙主義的な名君たれと諭す筋置きで矛盾を内包しており、ヴェルサイユ宮殿での初演に宮廷は好意的ではなかった。1745年のことだ。革命への種が芽吹き始めた。

オペラ「栄光の殿堂」より

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