『黒猫フクの人生観』 (第九話)
2026 FEB 6 2:02:43 am by 東 賢太郎
犬猿の仲とはいうけれど、犬と熊もダメだったよ。犬熊改革連合なんてノダイコが与作の計略にはめられてできたインチキだからね、後援してた「野鳥の会」まで「野合の会だ!」って罵倒する始末さ。かわいそうに犬党の議員は落選しまくって非難ごうごうなんだ。でも猫党にも問題はあってね、サツキ、ハルコ、キミ、タカコはいいけどね、サナエ人気の恩恵で腹黒猫も議員に残っちゃう。こいつら下手すると裏かいて与作になびきかねないから油断ならないんだ。
与作に対抗できるのはシロクマのトラゾーだけさ。こいつは天国議会や天国法なんてなめきって完全無視だから選挙なんか出ない。でもこれにケンカで勝てる奴はいないんだ。ついこの前も気に食わないアナグマをいきなり襲ってぼこぼこにしてね、天国中に激震が走ったばかりなんだよ。猫党だってもしもトラゾーに見捨てられたら危ないさ、ヒグマが虎視眈々だからね。でもサナエはトラゾーをうまくあしらってるから大丈夫だよ。ここが大事でね、前任のネバゲルはのっけから馬鹿にされてまるっきし相手にされなかったんだ。だからノダイコが選挙に勝っちゃたりしたら猫には地獄だって心配したんだ。ところがノダイコ君、ボロ負けが見えてくると「ぼく産まれたての赤ちゃんなんです、育ててくださいバブバブ」なんて突然に言いだしてね、「何なんコイツ?」ってこれまた天国中に激震が走ったんだよ。
皆さんわかると思うけど、財政拡大派のサナエなら天国の株は上がるんだよ。僕は主人の仕事を見てたからさ、投資はちょっとうるさいんだ。ノダイコは食品の消費税ゼロにします、その分は天国ファンドで稼いで埋め合わせますなんていい加減なこと言ってるんだ。犬熊改革連合の連中に株式市場がわかる奴なんてひとりもいない。わからないならわからないでやめときゃいいのに、国民はもっとわかってないからダマせると馬鹿にしてるんだろうね。もう壮絶にあたま悪いとしか言いようがないね。キミが勝ったら間違いなく株は大暴落なんだよ。2万円も下がるよ。だから天国ファンドも大損でキミは責任取らされてクビなんだよ。はじめっから詰んでたんだ、どっちにしろドボンだったってわけさ。
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読響 第655回定期 ブルックナー7番
2026 FEB 5 1:01:18 am by 東 賢太郎
指揮=ジェームズ・フェデック
ヴァイオリン=諏訪内晶子
細川俊夫:ヴァイオリン協奏曲「ゲネシス(生成)」
ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB107(ノヴァーク版)
細川のVn協奏曲は感銘を受けた。昨年の7月だったか「月夜の蓮」を大いに楽しんだ事はこちらに書かせて頂いたが、今日の演奏にもほぼ同じことが当てはまる(読響定期 カンブルランと北村朋幹)。諏訪内晶子の集中力ある演奏が曲の真価を抉り出したように思う。解説を読むと羊水の追憶から人間の誕生を追うインスピレーションが根底にあるようだが、 11種類の打楽器、ハープ、チェレスタの音彩は小宇宙をなす。細川俊夫氏が登壇されて喝采を浴びられたが、現代日本を代表する作曲家と思う。
指揮者のジェームズ・フェデックは初めて名をきく代役であった。予定されていたマリオ・ヴァンツァーゴはCPOのブルックナーが面白く、葉書で知って残念に思っていたが杞憂だった。 フェデックはいい指揮者だ。短期に仕上げたのだろうが読響は盤石の構えであり、これぞブルックナーというオルガンを思わせるピラミッド状の見事な音響を聴かせた。第2楽章のブラスと弦のバランスも文句なし。71歳の誕生日に本当に素晴らしい7番を聴かせていただいて感謝しかない。それにしても、欧州では4、5秒の余韻を味わうのが当たり前のブルックナーでフライングのブラボーは勘弁してくれないかな、指揮者も団員もあれはがっくりだろう。マネジメントの方、できれば禁止にしてもらえないだろうか。
先月に聞いたプフィッツナーの「ドイツ精神について」は書けなかったが、回を改めて感想を述べたい。
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思うこと多き運転免許の高齢者講習
2026 FEB 3 13:13:08 pm by 東 賢太郎
面倒くせえな、高齢者って誰のことだよと思っていた。仕方ない、そう呼ばれるのも順次やってくる七五三や成人式の延長戦と思うことにしよう。何年か前の正月のこと、神社の厄年表をみると「レンジ外」になっていたことに気がついた。少々寂しさはあったものの、よし、もう疫病神との縁は切れたと気楽にもなったものだ。こういうふうに僕は物事のサニーサイドを見て生きるようにできている。単に持って生まれた性格なのだが、そのおかげで歳をとらないと信じてること自体が紛れもない楽天家であって、それが体にあんまり良くない完全主義をうまいこと中和してくれているのは事実である。その絶妙なバランスのおかげでボケてない気がする。先日も海外のストリートピアノを弾きまくって外人を虜にしてる「ハラミちゃん」の動画にたまたま出会い、惚れ込んだ。この子いいなあ、明るくてピアノが大好きで、そのオーラで外人と一発で仲良しだ。僕も仲良しになりたいなあと本気で思うから気は若いのである。
試験は嫌だな。 50年無事故という輝かしい記録を樹立した僕として実技はまったく問題ない。だがしかしと、大学の帰り道に成城学園前駅で降りてバスで通ったニ子玉川の小山ドライビングスクールのことを思い出したのである。学科試験でこういう問題があった。「夏は暑いので下駄(げた)で運転してよい」。直感的な常識としてそりゃだめだろで終わりだ。ところが「夏は暑いので」がじんわり効いてきた。猛暑で意識が朦朧として事故を起こすリスクの大きさを考えれば足からも気化熱を発散することは安全上有益ではないのか、下駄ぐらいは許されていいのではないかと、常識を揺るがすあらぬ考えがよぎったのである。いやいやしかし、下駄はいかんな、だって形状からして歯の間にペダルが挟まればやっぱり事故だもんなということで✖にして事なきを得たわけだが、後で調べて道路交通法に根拠があることを知った。サンダルだったら危なかったと思うのである。
この日の目的地、芦花公園に近い「せたがや自動車学校」を地図で調べると、まず環八に出る。これは旧来からのナンバリングでは東京都道311号である。それが第3京浜から国道466号になり、瀬田で東京都道427号と交差する。ここであっとひらめいた。ピアノソナタニ長調 K. 311、ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K. 466、ハ短調ミサ曲K. 427 、なんてこった、これはモーツァルト好きの役人がつけたに違いない、なんて思いつつ、このところとんとご無沙汰している運転は家内におまかせする。助手席で何気なくFM放送をつけ、叫んでしまった。わあ!なんということだ、シューマンのラインの第1楽章が展開部の辺りから鳴りだしたのである。もういけない、運転手じゃなくてよかった。道すがらずっと歌いながら指揮してたら丁度おしまいのところで到着した。とても爽快な気分になって入り口をくぐる。この日の受講者は僕を入れて7人のようだ。たしかに皆さん紛れもなく高齢者である。なるほど、自分もそうなんだ。
実技の講習。教官が隣に乗って右へ行け左へ行けと、そうそう、こういう感じだったなと結構楽しんでしまった。次は目の検査だ。視力は1. 2だから楽勝と思いきやそれはなく、視野と動体視力である。やったことがない。すると後者がいけなかった。なんと0. 2ではないか。落ちてるだろうなとは思ったがここまでかとショックである。しかし教官の方もそれは含んでいて、そういうもんだと思って注意して運転して下さいねで終わりだ。試験ではないのだった。ああ日本っていいな、優しいな、ご一緒したお2人もとてもいい方だ。普段なかなかこういう感じでお話しする場もないし、僕も自然といつにない穏やかな口調で話していることに気がついた。何でもないことが宝物になってるのである、これぞ日本だ。未来永劫に守っていってほしいな。
帰りは1人でバスに乗ってみた。さっそく金の払い方がわからない。そうかスイカが使えるのか。カバンに手を突っ込んであちこち探るが出てこない。あれおかしいな。あのじいちゃん早くしてくんねえかなという乗客達の目線を感じる。そういやあよくそう思って見てたよな。終点の千歳船橋から小田急で成城学園でおりる。ここに来ると寄り道しないわけにはいかない。駅を背に学校側に歩くと右側に数件の民家があった。その1つが庭でしょぼい犬を飼っていて、こいつがなぜか僕にだけ通るたびにけたたましく吠えつくのである。だんだんこの野郎となってきて、小屋に2B(爆竹)を投げ込んでびっくりしてキャイーンだ。その場所は今は立派なマンションになっていて面影もない。感無量である。そこに悪童だった当時の自分が紺色の制服に半ズボンでむこうを向いて立っている気がした。本当にした。いや本当にいるのだ。シミュレーション仮説によればこの世の出来事は全部映画である。開演時間が違えば同じ場所に昔の自分がいるわけだ。
もう暗くなってきた。そろそろ帰るかと駅の南口に回り、二子玉川行きのバス乗り場を探した。これまた分からない。仕方ないなと交番の前まで行くと、 なにやら1人の客人に警官2人がかかりきりでらちがあかなそうだ。右往左往した末にスクランブル交差点の先にやっと見つけて、発車寸前のに飛び乗った。はあはあ息を切らせながら窓からバス停を見ると、 二子玉川行きと狛江行きがある。そうか、父が我が家に来るのに電話してきて、出迎え場所の指定が二子だったり狛江だったりしたのはこれだったのかと謎が解けた。バスは坂をゆったり下って世田谷通りの方にいく。左側に東宝スタジオってのが見えてくる。大好きな「七人の侍」を初め黒澤明監督のほとんどの作品や、あの「ゴジラ」「モスラ」もここで撮影されたんだ。そういやあ監督のお嬢さん同窓生だった、今はどうされてるのか。そうそう、そういやあ、自分もこのバスに乗って小山ドライビングスクールに通ってたっけ。
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『黒猫フクの人生観』 (第八話)
2026 FEB 1 23:23:39 pm by 東 賢太郎
天国の選挙は大変なことになってるよ。犬党とヒグマ党が合併して犬熊改革連合になったまではよかったんだ。どうせこの急場の選挙を乗り切るだけの箱だしさ、代表も幹事長も選対委員長も全部2人ずつだからね、終わったらすぐ別れられるようにってのが見え見えだ。ヒグマ党は全員が比例代表の1位2位を独占してね、やる前からこっそり祝杯あげてたんだ。ところが始まってみると犬党が計算外のボロボロでね、「くそ、ヒグマにだまされた」「俺たち犬は踏み台だったんだ」「相談もなく勝手に合併しやがって」「そうだそうだ、上だけがいい思いしてふざけんな!」「いやいやその上も落選しそうだってウワサだぞ」と若手党員の怒号が飛び交ったんだ。
こうなると比例も安泰じゃないからヒグマの尻に火がついてきたんだよ。そこで焦った代表の与作が探したスキャンダルのネタがあの「大宇宙統一平和大教会」さ。皆さんこの名前覚えてるよね、 4年前の某重大事件に関わっていてつい最近その判決も出たしね、長らく猫党とズブズブの関係にあったのは事実だから党首サナエのイメージを悪くするには格好のネタと思ったんだろうね。ところがサナエは勉強熱心で飲み会も行かないクリーンな猫なんだ。ヒグマ党お得意のマネトラもハニトラもきかないからこれしかなかったんだね、「サナエは大宇宙統一平和大教会からワイロもらってるぞ!」って大騒ぎしたんだけど出てきたのはパー券4万円だけさ。なんのこっちゃで終わっちまったんだ。
すると今度は、犬党の党首ノダイコに強烈なブーメランが見舞われた。おんなじ大宇宙統一平和大教会に後援会やってもらってる写真が出てきちまったんだ。ノダイコは得意技のおとぼけで「覚えてない」作戦を展開したんだけどね、教会が「巨人の星」の替え歌で気合入れて作ってくれた「応援歌」まで見つかってズブズブがバレちゃったんだ。「おい、歌まで歌って覚えてないはずねえだろ、このウソつき野郎!」っていま天国中がブーイングの嵐さ。まあ僕は応援してもらったぐらいなら問題ないと思うんだよ。でもね、自分が道の真ん中にウンチしといてさ、誰だ!って犯人捜しになると「俺じゃない」どころか「お前だろ、お前がしてたのを俺は見たぞ」っておおウソついて他人に責任をなすりつける奴って、なんなのこいつ?どう考えても何やっても信用されないと思うんだよね、人どころか猫でも犬でもね。与作が党員に大号令を発して「犬党様の議員に票を回せ」って命じたらしいけど、犬党はトップがこんなやつじゃね、下っ端はもっとウソつきだろうってなっちゃうよね。真面目でまっすぐで信心深いので有名なヒグマ党員が真剣にやればやるほど自分もウソつきの仲間だってことになるからね、良心の問題になると思うけどね。
そうそう、ついこの前のことだけど、野球大会が終わったら阿弥陀様に呼ばれてね、天国動物小学校の先生もやってくれって言われたんだよ。前世が猫だった僕がすぐに人間の言葉を覚えて読み書きできるようになっちゃったんで、自分も勉強して人間になりたいっていう希望者が増えてるらしいんだ。でも人間は昔から人気だからすごく競争率が高いんだ。そこで入学試験をやってみたんだよね、僕が問題作ってさ。それがこれだよ。
①水素と酸素を混ぜると何ができますか? (答)水です
②ダメ政党とダメ政党を混ぜると何ができますか?(答)ダメ政党です
これが皆さん分からないんだよね、なんで①と②の答えが違うんですかって。そこでこれを解いてもらったんだ。
③ウンチとウンチを混ぜると何ができますか? (答)ウンチです
よかった、全員が納得してくれたよ。
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トランプの新兵器がもたらす防衛の革命
2026 JAN 28 12:12:17 pm by 東 賢太郎
1月3日に起きたアメリカによるあっという間のベネズエラ制圧は世界の度肝を抜いたが、わずか20人で事を成し遂げられたのはどうしてだろうという疑問は残っていた。それがトランプのインタビューで一部明らかにされた。
ディスコムボビュレーターだ。詳しくは不明だが高出力マイクロ波兵器(HPM)らしい。ベネズエラ軍のレーダー網や迎撃ロケットはくぐり抜け、20人ほどで数百人の護衛部隊をあっという間に制圧したことは主要国の首脳には衝撃だ。最も安全なはずである自国の宮殿で精鋭に守られていても斬首されるということは、アメリカに逆らえば地球上どこにいても危ないということであり、あっさりと少人数の敵兵に大将の首を取られれば全軍が号令一下で動くキューも出ず、したがってその危険は核武装していても防げず、技術が漏洩しない限りアメリカの独占がしばらく続くと思われるからである。素人が軽々に論じられる話ではないが、僕の関心はやられる可能性が現実的にあると思えば抑止力になる点だけにある。核保有は現にそう機能している。人殺しを容認する気は毛頭ないが、第3次世界大戦を起こさせないために本件はリアリズムの側面から考察されても良いと思う。
根拠のない憶測だが、ディスコムボビュレーターはイスラエルの技術ではないかという気がする。あの国にはそのぐらいは易々と造るとてつもない理系人材と技術がある。トランプはバイデンみたいにネタニヤフのイエスマンにはならない大統領だが、義理の息子のクシュナーを通じて気を配っている。本音ではパレスチナ問題は永遠に片付かないと考えていようが、ガザ地区とヨルダン川西岸の落としどころは見つけて火種は消したい。そのためどうしてもイランを抑え込みたい。そしてそれはイスラエルの国益にもなるのだ。今やEUはもとよりプーチンも習近平も金正恩をも心底寒からしめることに成功した。そこでデンマークを懐柔してEUの合意も取ってグリーンランドに米軍基地を築き、来たる中国との交渉で優位に立ちたい。となればディスコムボビュレーター様々ではないか。同盟国の日本はこの技術と人材を共有させてもらって核保有の代替にしたいものだが、仮にトランプがよしとしてもペンタゴンは絶対に動かない。なぜならスパイ天国の日本にしゃべれば極秘の技術が敵国にダダ漏れになるからだ。つまり世界最高の技術で日本を防衛するためにはスパイ防止法が必要である。
トランプの目線はクリアだ。戦後レジームは国益にならないという明白な理由を掲げて無視だ。国連機関からは次々と手を引き、意に沿わない相手には関税爆弾を容赦なく撃ち込む。MAGAとはマクロ的にはアメリカのヘゲモニーを保つことだから経済政策も軍事力の化体として強面に行使し、各国に恐怖心を与える意図も多分にある。外交と経済金融政策でヘゲモニーをキープする常道はこの20年でワークしなくなり、無法者の腕力行使と言われようが何だろうが国民との約束を果たす選択肢を彼は選んだ。見せかけだけでコストが高く役にも立たない国際秩序よりアメリカの民主主義を優先するという建前を強力にアピールして中間選挙を迎えるためだろう。事後的であろうとなんだろうとそれが民意を得て信任されれば建前は真実になるからだ。これがお決まりのアメリカにとっての正義だ。独善的ドクトリンに過ぎないが、それはすでに、原爆投下で民間人を30万人も殺し国際法違反を犯しても、悪党を倒してアメリカを守るためであれば国内で正当化されてしまうという事実をもって我々は目撃させられている。同じことで今回も地球上のどこの誰が関税攻撃に反論しようとアメリカ国内では大きな問題にはならない。共和党だろうが民主党だろうが自国防衛に関する限り日本の左翼のごとき「何でも反対」の国家横断的シュプレヒコールは起きにくく、ひとたび有利な方向に舵を切ってしまえば中間選挙にはポジティブに働くからだ。民主主義のためというよりアメリカはそういうドクトリンでまとまっている特殊な国であり、大国であり続けるためのあがきとしてロシア、中国と共通した原理に従って動くと考えるしかない(中等国は物質的、物量的にそれを共有できないのだから別リーグを作るべきだと訴えたダボス会議でのカナダのカーニーの演説は鋭い)。チャイナは最大の仮想敵国ではあるが、したがって全くの矛盾なのであるが、この大国原理を共有してもらうことがポストWWⅡ(第2次世界大戦)の新たなパワーバランスを正当化するレジームとして必要なため、トランプの口からは習近平に向けて、まだ決然とした意味合いではないにせよ、それでも我々には不気味に響く「G2」なる言葉が発せられるのだ。それはアメリカ合衆国の凋落が引き起こしている病状以外の何物でもないのだが、中等国である日本との安全保障条約の国際法的効力が必要性においてそれを上回るのだとトランプが思ってくれていると希望的観測で考えるのは、本稿のここまでの論旨と矛盾する。
大衆レベルでのアメリカ的感性からすれば、トランプは保安官ワイアットアープになったまでだとでも言えば当たらずとも遠からずだろう。遠い昔、この西部劇をテレビにかじりついて見ていたような気がする(のちに「荒野の決闘」も見たからそっちかもしれないが)。西部劇はゴールド目当ての無法者、荒くれ者の集まる田舎町が舞台だ。法は連邦と州にあって絶対でなく、どっちが勝とうがどっちも無法者であることに変わりはなく、最後に相手を撃ち殺した方が法よりも道理によって正義になる。だからOK牧場の銃撃戦を制して最後まで生き残り事の次第を自己流に語る場を得たアープが英雄になったのである。
思うに日本人もアメリカ人も勧善懲悪ものが大好きだ。ただ大きな違いがあって、日本の悪玉は高率の年貢を搾り取ったり、袖の下で賄賂をくすねたりする権力者が多い(例、財務省解体デモ、裏金議員騒動)のに対し、アメリカでは共同体(アメリカ合衆国)の平和と発展を脅かすものは二項対立的に徹底的に排除されるべき対象として描かれ、悪玉は巨大なゴリラでもマフィアでもマッド・サイエンティストでもいい。私見ではあるがパール・ハーバーはこのアメリカ特有のステレオタイプにはめ込むため日本を悪玉に仕立てるおぞましい計略であって英米のみならず背後にはソ連も蒋介石もおり、日本側もまっさらであったかどうかは甚だ疑わしい。そのボタンの掛け違いからしてキングコングがエンパイアステートビルディングの頂上から落下して命を落とすが如きエンディングに至ったのは核爆弾の試験的行使を含めてシナリオ通りともいえ、その多くが無用な殺人など支持しないキリスト教徒であるアメリカの大衆はその衝撃的な最期に目を覆い幾分なりともの悲しみを覚えただろうが、コングを追い詰め死に至らしめた戦闘機部隊を責めることはないのである。
トランプは不動産、株式市場という荒々しい戦場で勝ち抜いた男だ(3回大敗してるが)。自分が勝つ事が人生であり、大統領職とはその自分がアメリカ合衆国に変わっただけであるという視点から見ないと理解はできない。戦後レジームの国連安保理、国際法による枠組みと協調は利益になるなら尊重はするが、是非の判定は無機的にそれだけであって、皆で作った以上は大事にしましょうなんていう連中は屁とも思ってない。想像ではあるが、邪魔であるという以前にそのテの男は(女もだが)完璧に見下していて生理的に嫌いなのだ。その筆頭がフランスのマクロンだろう。ENA出の秀才づらこいてこのクソ野郎1発ケツに蹴りでも入れてやろうかぐらいが本音と思われる。カナダのカーニー、これもオックスフォード・ハーバード臭がぷんぷんただよう。あのダボス発言以前にユーアーファイアード!だ(僕はプレゼンを支持するが)。FRBのパウエルはプリンストン出の見るからに気まじめなバンカーだが、イエレンを切って任命はしたもののタイプ的に水と油でありこれは時間の問題だった。あのポストは誰であれそのタイプしかできないから仕方ないのだが、刑事訴追まで行くともう凄まじいというか、分かりやす過ぎて笑えるレベルである。人生の辞書に刑事罰などという言葉は載っていないパウエル氏は写真を見るにあまりの憔悴ぶりに人相が変わっており気の毒でしかない。
トランプがインテリ嫌いかというとそうではなかろう。これはおそらく持って生まれた人間性というか肌合いの違いというものであってどっちがいい悪いというものでもない。僕は彼が表舞台に登場した2016年から全く同じことを書き続けてきたわけだが、彼が全面的に好きというわけではないが政治家にしては共感できるところがある(政治家にしてはというのは、なりたいと思わなかった職業の再右翼だからである)。そのためか、好き嫌いは直感的に想像がつき、大体が当たってるから何かと心理が読みやすく支持してきた。なぜなら相場を読むのが僕の仕事だからだ。世間には「彼はビジネスマンであり何でもディールと考えるからこうだ」と論じる学者や評論家が多い。見ているとそういう人のほとんどはディールなどできないタイプであり、珍しくそう断言したディールはほとんどを外している。彼のような人間をaだからbと割り切るのは株価をROEとPERだけで予想できると論じるほど理が通っておらず、そういう人が大勢いるから我々は利益をあげられると僕は考えている。
声を大にしたいことは、今我々の直面している世界のパワーゲームはトランプというファクターが影響の大きな変数になっているということだ。これは日本にとってリスクが大きい。トランプが間違うリスクもあるが、より大きなリスクはトランプをよくわかっていない世界の有力政治家が彼の判断を読み間違うことだ。防衛という面で目立ったことはできない日本自身が撹乱要因になることはまずないが、どういうポジショニングを選択するかは自国の将来を決する重大な判断になる、そういう局面だったねと2、3年後に語ることになる1年である事は間違いないだろう。「殿中でござる」と江戸城内で刀を抜く行為が天地を揺るがす大問題であった日本国に、やがて黒船の大砲が鳴り響いた。今それが起きたら、上野のパンダがいなくなって悲しいと騒いでる日本はどうなるんだろう。我々はほどなくいなくなるからもう構わないが、いま10代20代30代の方々はそうはいかない。日本という国のステータス、これは伝統も文化も経済力もプライドも全てを包括したものだが、それが10年後20年後にどうなっているかによって皆さんやご家族のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)は大きく左右されるのである。このままではまずいと思う方々はぜひ政治家になっていただきたいと切に願う。しかし悲観する必要はない。幸いにも皆さんが生まれた日本国は先人が築き上げてくれた分厚い伝統と知恵と遺産がふんだんにある。 16年海外で暮らした僕が断言するがこんな国は他に1つもない。それを自分たちのために使うも、外国に取られるも、ここからは皆さん次第なのだ。政治家の道を選ばれない方々は、自分たちの未来を託すに足る人を選ぶために必ず選挙に行って頂きたいと思う。
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『黒猫フクの人生観』 (第七話)
2026 JAN 24 15:15:46 pm by 東 賢太郎
このところヒグマの横暴が目に余るようになってきたんだ、困ったもんだよ。僕ら猫族の餌場の山を狙ってることは前に書いたけど、もう完全に傍若無人で真っ昼間から平気で侵入してきてるよ。あいつら体がでっかいし数もどんどん増えちゃったから反撃できなくてさ、悔しいけどボスのゴンベエが「遺憾である」をオウムみたいに繰り返すだけなんだ。みっともないね。もう一大勢力だ、あんまり猛獣がいるってイメージのない日本にこんな奴がいたのかって他の動物たちも驚いてるよ。だから神様の号令で動物が全員集合する時にざわざわするんだ。今まで真ん中に座ってたのはシロクマなんだけど、だんだんヒグマが真ん中あたりに陣取るようになってきたんだ。天国じゃまだ新参者だしね、いつもドーンと真ん中にすわって周囲を睨みまわし「どっからでもかかってこい」とマウントを取りたがってるんだろってウワサだよ。
「与作が悪巧みしてるから気をつけろ」ってシロクマのトラゾーにうそぶいて戦争させるのが僕の作戦だったことは覚えてるかな。「そうなったら後方からちゃんとシロクマ軍を支援するからね」って言いながら大事な猫の山を守るのさ。チャンスじゃないか。与作の傍若無人に磨きをかけてやろう、そうすればもっとトラゾーに圧がかかって何かが起きるさ。なんだってかまわないよ、「フクが警告したのはこれだったのか」と思わせてヒグマに逆襲させれば作戦成功なんだからね。そこでまず、与作にこう言っておだて上げることにした。「こんど天国野球トーナメントがあるよね。君がセンターを守って真ん中で睨みをきかしてくれたら勝てると思うんだけどなあ」「おう、あったりめえよ。俺様はいつだってどこだって居場所はど真ん中って決まってるんだ。それがボス熊だったオヤジに骨の髄まで叩き込まれた家訓でな、『真ん中道』っていうんだ、お前も覚えとけよ。だから野球だったら守るところはセンター以外にあるはずねえだろ」「そう思ってたよ。じゃあ監督の阿弥陀様にそう伝えておくよ」。しめしめ単純なやつだ。センターってポジションはトラゾーが不動のレギュラーなのをまだ知らないんだな。見ててごらん、メンバー表を見た瞬間に男のプライドをかけた血みどろの戦いが始まるよ。そうそう、なんで僕が監督にそんな影響力があるかって言ってなかったね。僕だって来たのは去年の11月で新参者だし体も小さいんだけど、猫パンチで鍛えたスナップが強かったんだね、いきなりピッチャーに抜擢されちゃってチームではちょっとした発言力があるってわけなんだよ。
ところが先日のことだ、予想もしない事件が勃発しちまったんだ。試合の当日、先発メンバー表を見てひっくり返ったよ。与作のポジションが「レフト」だったんだ。それもカタカナじゃなくて漢字で「左翼」ってでっかく書いてある。「おい、フク、てめー、なんのザマだこれは!」、与作がガオーって大爆発してダッグアウトで暴れまくり、冷蔵庫をぶっ倒したあげくベンチを叩き割ったからあたりが凍りついたんだ。びっくりして監督室にとんで行くとトラゾーが座って笑ってるじゃないか。「トラゾーさん大変だ!与作がなんでセンターじゃないんだって怒りまくってるよ、僕ね、監督にお願いするって約束しちゃったんだ、どうしよう」「フク、あわてることはねえ。与作の野郎が俺たちを襲撃する秘密作戦を練ってるぞってお前が教えてくれたんでな、俺はすぐに手を打ったんだ。子分のマル子とノビ夫をスパイに仕立ててヒグマ村に送り込んでね、バレねえように墨を塗ったくって毛を真っ黒にしてな、わっはっは。そうしたらな、とんでもない情報が飛び込んできたんだ」。ここで監督の阿弥陀様が静かに口を開いた。神様だからいつでもどこでもいたって冷静だ。「そうだ。 スパイの2人が怪しいって言うんでね、公安委員会に調べさせた。そうしたら奴らが悪だくみをして政権を転覆する革命を起こそうとしてる証拠が出てきたんだよ」。うひゃあ、なんだか007みたいになってきちゃったぞ。トラゾーがドスのきいた低い声でつぶやいた。「わかったかフク?与作が騒いだのはセンターはずされたからなんかじゃない、『左翼』って書いてあったからなんだ。わかるか?あの野郎、それ見て、何で計画がバレたんだ!って勘違いして正体あらわしちまったんだよ」。
まいったよ、僕はそんなつもりじゃなかったんだ。これから試合が始まるっていうのに与作はまだ怒りが収まらず、ぶるぶる体をふるわしてロッカーで吠えまくってる。「俺が左翼でトラゾーが中堅?ふざけんじゃねえ、俺はいっつも世界の真ん中だ、俺以外の奴がそこにいるなんて許せねえ。大王だからな、天がそう決めてるんだ、ここの神様なんかより上なんだぞ。センターは俺しかいねえ。だから俺の左っ側を守るトラゾーはライトだろ。ライトってのは日本語で右翼じゃねえか右翼。あいつの下品なつらにぴったりだぜ。ちがうかフク?」。やばい。とにかく何でもいいから相槌を打って急場しのぎしないと噛みつかれそうだ。「そうだよね、左翼は革命思想で危ないけど右翼だって戦争しちゃうから危ないよね」。「おお、フク、お前いいこと言うな、ちゃんとわかってるじゃねえか」。これではっきりした。ヒグマどもはやっぱり動物界の政権転覆を狙ってたんだ。
阿弥陀様の話には驚いたよ。公安の調査力ってすごいんだね。スパイ防止法ってのが大事だってことがよく分かったよ。天国の動物国会は猫党と犬党の二大政党制なんだけど、与作はヒグマ党を作って次の選挙に全員当選させようとハッキング、盗聴、なりすまし、裏金、賄賂、マネトラ、ハニトラ、恐喝、もう何でもアリで地下工作していたっていうんだ。猫と犬はペットで頭数が圧倒的だから仏様の数も多いよね。ここ数年、地球は猫ブームになってその影響がもろに出てきてね、天国でも犬は頭数で差をつけられて焦ってるんだ。しかも僕ら猫族は議会にケンカの強いライオン、トラ、ヒョウ、チーターなんかを送り込んでる。なぜかって言うと議論が紛糾して決まらないときは議長席の周りで乱闘になって相手を噛み殺しちゃったりするのもありなんだ。だから犬族も張り合ってオオカミ、キツネ、タヌキ、ハイエナを送ってるけどさ、まあ誰が見ても力の差は歴然なんだよね。だから最近は予算審議も法案成立も猫族が連戦連勝でさ、追い込まれた犬族にとって次の総選挙は存続をかけた天下分け目の戦いになるんだ。そこで与作は犬党の幹部にそっと近寄ってね、なんと合併を持ちかけたんだよ。アホづらしてるけど実は抜け目ない奴だったんだね。それにしても犬族の幹部が腑抜けでね、あいつらには恥って言葉というか概念そのものがないんだろうね、ヒグマと組めばライオンとも戦えるぞとコロッとその気になっちまったわけだ。
合併の条件を見た犬党の若手の怒りも凄まじいよ、だって圧倒的に数が少ないヒグマはなんと比例代表枠だけの立候補なんだ。しかも全員が名簿の1位2位でね、犬たちは今までどおり小選挙区で泥臭くドブ板ふんで戦えっていうんだ。これはひどいね、だってヒグマは全員が投票前から当選確実だよ、入試ならひとり残らず推薦入学もらったみたいなもんだ。つまりこの合併って大量の「犬死に」が前提なんだ。でもヒグマなしじゃもっと負ける、それどころか自分の身も危ないって幹部は誘惑に負けちまったんだ。犬党の公約は全部変えます、育ててもらった主人の家が神道だろうが浄土真宗大谷派だろうがクリスチャンだろうが、ぜーんぶ今日からヒグマ教に変えます、お経でも何でも唱えます。すごいでしょ?地球では犬と熊は相性が悪いし、訓練した猟犬でもないと犬は食われちまうから敵だよね。でもここは天国だ。地球上では絶対にありえないことが起きちまうんだ。僕たち猫族だって明日は我が身かもしれないし若い犬たちにはけっこう同情してるんだ。こんな状態に追い込まれたのは無能な幹部どもの責任だからね、もし負けたら全員が公開処刑だろうって、天国じゃもっぱらの噂だよ。
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「ニーチェ」と「トランピズム」の結婚
2026 JAN 16 18:18:57 pm by 東 賢太郎
年末に箱根へ行って、外食をすませた帰りのことだ。冷たく澄み渡った大気の中に煌々と輝くオリオン座に呆然と見とれてしまった。子供のころ、暗くなると毎晩外へ出て白い息を吐きながら、あそこに行くとどんな景色だろうと空想した。冬休みに家族で行った天城高原ロッジから目撃した、まるで宝石をぶちまけたようにぎらぎら輝く星空は豪勢でまばゆく、半世紀以上前のその感動までもが蘇ってしまったのだ。春夏秋冬、北半球、南半球、夜空のどこを見渡してもベテルギウス、シリウス、プロキオンの作る「冬空の大三角形」界隈ほど華やいだ眺めはない。僕はこれを「天空の銀座」と呼びたい。それにしてもだ、写真をご覧になって、12個の明るめの星々が三ツ星、小三ツ星までお見事に、まるで誰かに造形されたかのように並んだこの天空の “絵柄” は、「自然の産物」にしては出来すぎと思われないだろうか?
仮に3個のビー玉を同時に無作為に頭上に放り投げてみたとしよう。地面に落ちたその3個が正三角形を描くまでに、あなたは何回それをくりかえす必要があるだろう?では今度は三ツ星みたいにまっすぐ等しい距離に整列するには?では6個を投げて大小三ツ星になってきれいに並ぶには?それではいよいよ、12個いっしょに投げて「天空の銀座」になるには??
ペルーにある「ナスカの地上絵」は紀元前500年から紀元500年の間にできたことがわかっているが、空から見ないとわからない巨大なサイズなので飛行場が近くにできる1920年頃まで見つからなかった。どう見ても動物や幾何学紋様にしか見えない絵柄が、それも1つ2つではなく、なんと723個
も描かれていて、古代の住人がやったとすれば関わった人数も時間も膨大なものだ。ひとりではできないから指揮した者がいるはずだ。彼(彼女)は何と言って人々に命じ、飯を食わせたのだろう?これだけの大工事をやらせるには目的を示す必要があってそれは伊達や酔狂とは思えない。そこでドイツのマリア・ライヘという数学者はこの地に住んで一生を捧げ、それが何か、誰が何の目的で描いたかを研究したがいまだ解明されていない。空想をたくましくしてみよう。オリオン座と冬空の大三角形は何者かが人類に見せるために描いた「天空絵画」であって、AIによると紀元前500年も形はほぼ同じだった。地球上どこにいても1年間のトータルの半分は夜ということを我々は忘れてるが、電燈がない古代人の夜は長かった。当時のナスカ人は毎夜に現れるそれを神様のメッセージと畏敬し、地上にいる動物を模写して生贄にささげたのかもしれない。あるいは現代人がSETI計画で強力な電波を宇宙に向けて発信しているのと同じ発想だったかもしれない。
広い世界にはもっと想像力のたくましい人たちがいて、古代には地球外生命体が頻繁に地球を訪れており、ナスカ人は彼らと交流しており目印として地上絵を描いたと主張する。僕はそれをエーリヒ・フォン・デニケンの著書『未来の記憶』で知り、中学時代に夢中になって読みふけった。それとトロイの遺跡を予言して発掘したハインリッヒ・シュリーマンの『古代への情熱』は興奮した二大書物だ。ドーンと謎が提示されて解き明かしていくタイプの読み物といえばエラリー・クイーンにもはまっていたが、 60年前の「宇宙人」のミステリー度合はNo1だった。
膨大な人数と時間を投入して古代人が造ったものの、何と人々に命じ、飯を食わせたのか未だ不明な物がもう1つある。エジプトはギザのピラミッド群だ。クフ王らの墓とされるが構造上の謎が残る。 3つの配置がオリオンの座の三ツ星を模したという説は真偽不明だが、目印説を取ればナスカと同じ目的ということにはなろう。私見では地球外生命体Xが我々の知らない何らかの目的のため2つ建てて去った。のちにクフ王、カフラー王の墓に転用され、3つ目は再訪の目印にと三ツ星に比定する位置に人間だけで建造したが完成できずメンカウラー王の墓になった。1つ目にXは宇宙普遍の数理を埋め込み、後世の人類が自分の来訪を知るきっかけを刻印した。
これは映画「コンタクト」でこと座α星ヴェガから自然のノイズではあり得ない人工的な信号である二進数で記述された素数列を送ってきて知的生命体であることが示されたのと同じことだ。
両著者とも若い頃は秀才のようでもなく、デニケンは逮捕歴までありメインストリームの知識人には受け入れられ難いハンディはあるものの、常人離れした想像力と行動力を発揮して僕のようなタイプの少年に血沸き肉踊る知的刺激をもたらす人生を送ったことは何人も否定できない。そうである以上、学会の保守本流から受けた「世を惑わす似非科学だ」、「素人発掘で遺跡を損壊した」等の批判は、後述するようにニーチェが「ルサンチマン」と定義した物(要は嫉妬)を含んでいる可能性も否定できないのであり、大哲学者によって「良い人生を送るためにはやめた方がいいよ」とばっさり切り捨てられているものの類であると僕は弁護したい。仮にメインストリームの批判が客観的に正しいものであるならばご両人はSF作家だったと理解すればよいのであって、そうであっても彼らに対する僕の尊敬はいささかも揺らぐものではない。先ほど、懐かしいデニケンさんがどうされているか、ウィキペディアで検索してみたらこの1月10日に亡くなっていた。本稿を書きたくなったのはこれまた虫の知らせだったのか・・。そういえばその日、歯が痛くなって注射を打たれたらもっと痛くなってうんうん唸っていたのだが・・。
デニケンの指摘通りナスカの地上絵は地球外生命体との交信の証だったとしよう。しかし、それでも、偶然にできるには気が遠くなるほど確率の低い天空絵画の謎は残る。誰もそんな主張をしないのは、恒星が巨大な質量を持って遥か遠くにある物体だと知っているからだ。しかしそれは本当だろうか?もっと言うなら、宇宙の果てまで137億光年というが、それも仮説から計算した紙の上の数字に過ぎない。物差しになっている光速はおよそ秒速30万kmだということが実験によって証明されているが、それより速く進む物体は存在しないという仮説の方は証明できない。シミュレーション仮説信奉者の僕としてはその数字はこの宇宙を創造した者(神としておこう)が使用したコンピュータの処理速度の上限値に過ぎないから実は任意の値であり、137億光年という宇宙のサイズも同様だ。
宇宙そのものがシミュレートされた幻影に過ぎないから大きさも重さもなく、我々が見てるのはまさにプラネタリウムみたいなもので、オリオン座だろうがアンドロメダ大星雲だろうが「天空の銀座」だろうが、絵柄は子供でも好きに描けるのだ。やはり同説の信奉者であるイーロン・マスクはビデオゲームの進化を例に挙げてそれを説明し、我々が見ている宇宙が現実である確率は10億分の1だと言っているが、この考え方の原型はちょうどナスカの地上絵が描かれたころに活躍したギリシャの哲学者プラトンの「洞窟の比喩」にすでに見られる。
似たような驚きを別のところで覚えたデジャヴがある。人間ドックの内視鏡検査で目撃した、僕の目には艶やかなオレンジ色のように見えた肉塊、すなわち自分の胃袋の中を初めて見た時だ。
「これが食道です、ここから胃ですね・・はいここから十二指腸になります」
女性の医師が手慣れたバスガイドみたいに説明し、ほーっと観光客みたいに眺めていた。これって、渋谷のプラネタリウムで聞いていた「この明るい星がシリウスです、何光年先で大きさは太陽の何倍で、その右がベテルギウスです、赤いのは温度が低いからです」なんてのとおんなじだなと思いながら、そこはかとない違和感を感じていたものだ。何だか自宅の部屋の中を他人が詳しく知っていて解説されてるみたいじゃないか。胃袋の所有者は俺だよ、なんで彼女のほうが俺より知ってるんだ?
それは、僕が作ったものではなく、両親とて設計図を見て作ったわけでなく、母のお腹で自然の摂理に従ってできたからだ。摂理というのは宇宙の仕組みと同じく創造者である神が創ったものだ。 1つの受精卵からいろんな臓器が分化してできて、その1つが僕の胃袋になっているわけだが、医師だって医学書の著者の博士だってなぜそうなって、どんなプログラムがどうやって作動したのかは誰も知らない。医学というものの創世記からの経験的学習によって誰の胃袋もそうなっていることを学んでいるだけで、彼女はぼくの胃袋がかつて観察された天文学的な数の胃袋のone of themであり、そうでない確率は海岸の砂浜から砂粒ひとつを選び出す確率より低いという仮説に基づいて解説を述べているのである。それはプラネタリウムの解説者がベテルギウスのあれこれを観測による経験的学習によって知っているのとなんら変わらない。つまり僕も医師も、脳みそからほんの 40cmの距離にある胃袋のことを「550光年先の星のことぐらい知らない」のである。そんな人類が世の中をわかった気になって支配しているのだから、史上初めて核兵器が用いられた80年前以降の我々はいつ全滅してもおかしくないという危うい均衡の中で生きていると言って全く過言ではない。「人間は考える葦である」とパスカルはパンセに書いた。それから350年もの年月が経っても、考えたところで大したことはないと思うのは僕だけだろうか。
考える葦が何をしてきたか、いかに浅はかな考えの連続であったかは歴史が教えてくれる。自由平等博愛の精神があれば神がいなくても人間は立派な社会が作れる。そう考えてカソリックを否定したフランス革命は約50万の人を殺した。それを肯定したマルクスの共産主義革命は人類が資本主義者に搾取されない理想の世界が作れると考え約9,500万の人を殺した。前稿で、僕は自分自身がフランス革命と啓蒙思想にルーツのある「自由」を心から愛する根っからのリベラリストだと説いた。人殺しの理念にかぶれていると誤解されたくないので述べておくが、僕がマルキシストでないことは「神はいる」と信じていることから証明される(その神は創造主であって名前は無いが)。そこに信心が至る契機は宗教でなく数学で唯物論的思考をたどっているが、結論は論理で導かれたのではなく天から降ってきたものだ。
それでは、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844 – 1900)が「神は死んだ」(Gott ist tot)と言ったことに対し僕は批判的であるか。答えはYes and Noだ。ニーチェの言葉は、ルネサンスによる科学技術の発展で「神が世界を創った」「神が善悪を決めている」といった従来の考え方が説得力を失い、長らく西洋社会の基盤となってきたキリスト教的な道徳や価値観がその力を喪失したことへの暗喩だ。神、魂、徳、罪、彼岸、真理、永遠の命、理性、価値、権力、自我などの概念は、弱い人間たちが自己を正当化して言い訳をするための「嘘」であり、キリスト教が目標とする偽りの彼岸的な世界の象徴なのだと説く。それを背景で支えている心理が前述の「ルサンチマン」(Ressetiment、無力ゆえの「憎悪」「嫉妬」に基づく、弱者からの「復讐」の感情)であり、「強者は悪だ」として自分を納得させ、「能力の高さより善人であるべき」、「迫害に耐える事で天国に行ける」と救済しようとする。彼はこれを否定して強者(超人)になれと説き、だから神は死んだと警鐘を鳴らしたわけである。また、解釈とは価値、意味を創り出す行為で多様だから世界はどのようにも解釈される可能性がある無限に二義的なものであって、唯一の真実などというものはなく、どこまで追い求めても「人間の解釈」というファジーで恣意的なものがあるだけで意味がないと考えた。以上の2点につき、僕は強い共感を覚える人間である。ルサンチマンから逃げまくり、ウソを並べた煙幕に救いを求める人達にとっての神は死んでいるが、しかし、宇宙を創造した神は存在し、人類を見守ってくれていると僕は信じているのである。
ニーチェはそこで興味深い概念を提唱している。永劫回帰(えいごうかいき、Ewige Wiederholung)だ。彼はスイスの著名なスキーリゾートでもあるサンモリッツの少し南にあるシルヴァプラナ湖の森(写真)を歩いていて、その啓示が突然に降ってきたという。

永劫回帰とは?この世界は、全てのもの(崇高なものも卑小なものも)が、まったく同じように永遠にくり返されるとする考え方である。キリスト教は始まりである天地創造があり、終わりである神の国の到来があって、歴史はこの終点を目的として不可逆的に進行するが、ニーチェは永劫回帰する世界はループ状で始まりもなく終わりもなく、それ1個しか世界はないとする。
イメージとして、箱根駅伝の最初の走者が1区を走りきり、さあ2区だと襷を渡そうとしたらまた1区のスタート地点だったという感じだろうか。少年サンデーの「伊賀の影丸」(横山光輝)で、敵を追いかけて豪雨の中を走れども走れども着いた先は「三島の宿」だったという、童心にも背筋がゾゾッっとしたシーンが目に焼きついてる(左がそれ)。余談だが僕はこの絵で三島という地名を覚え、この作品全巻を何度も熟読することで日本語すらも覚えた、いわば元祖アニメオタクである。影丸たちは敵の妖術にたぶらかされていたわけだが、実は70年生きてみると世の中というものは丸ごとそんな感じであって、目的地到着が無いのだから何度走っても途中にあった険しい坂道や危険な峡谷が戻ってきて消え去ることはない。だからそれらは自分で乗り越えるすべを開拓しなければ回避できる道は永遠にないのだ。ニーチェはこれを「ニヒリズムの極限形式」と呼んだ。キリスト教のように今まで最高価値だと信じていたものが実はそうではないと悟った時、人間が持つに至る世界観がニヒリズム(虚無主義)である。そこで人間は人生を諦めてしまう消極派か、自分で切り開こうと思う積極派か、そのどっちかを考える価値もないとする悟り派に分かれるが、ニーチェは究極の選択として積極派を推奨した。つまりここで彼はヘーゲルの弁証法をも否定したことになり、後世に大きな衝撃と影響を残したのである。
積極派こそが究極であるのは、人間は消極的に虚構に逃げこんで傷をなめあっても現実世界では何の救済も得られないからだ。したがって、これが重要なことだが、強い者への憎悪、嫉妬、復讐心をかきたてて人間をそこに追い込んでしまう「ルサンチマン」というものは苦悩、無限地獄の元凶とみなすべきなのである。嘘を垂れ流して「強者を憎め、妬め、復讐せよ」とする、耳障だけは良い「絶対的原理」を吹聴する者を拒絶せよ。そして、次々と生まれ出る真理の中で戯れ遊ぶ超人になれというのが彼の主張だ。この点においても僕はまったくもって同感だ。人間は、いくら頑張っても強い者を否定しても合理的な基礎を持つ普遍的な価値など手に入れることはできず、流転する価値、生存の前提となる価値を承認し続けなければならない、いわば自転車操業を続ける悲劇的な(かつ喜劇的な)存在である。もう笑うしかないぐらい今の自分を言い当てられた気がする。それでもくじけてしまわないのは、健康で生きることの喜びを肯定し続けられているからだと思う。
現状の日本国を俯瞰するに、そうした生き様を貫いている人の数は減ってきているような気がする。失われた30年なる失政を遠因とする慢性的デフレなのか、コロナ禍が社会の活力を蝕んで劣化させた結末なのか、戦争に端を発した輸入インフレの延焼による物価高なのか、その原因は一概に判断できないが、おそらくはそのどれもが相まった複合的現象として日本中に蔓延し、世の中を沈滞させてきたのだ。そしてその空気が俄かにより一層重くなり、日本国の天空に半透明のドームでもかぶせて暗くされたかと危機感を覚えるほどの変調を覚えるようになったのは3年半前に安倍元首相が暗殺されたその日からである。あの極めて不可解なのだが不可解でなかったかのように整然と始末されていった不可解な事件以来、それを本当にそう思っていないのだろうと見えるのに十分なほど無能である総理大臣たちの下で、無言の衝撃をうけた日本国は国としての生体反応が停滞し、国民は生活の先行きが見えない不安の中で五里霧中となり、近隣諸国の軍備拡張に無力のまま怯える日々という暗い洞穴にに落とし込まれてしまった。そして、あたかも次へ進む希望の道への一里塚であるかのようなもっともらしい体裁を伴って、オールドメディアは次から次へと以下のような「空虚言語」をばらまいていったのである。
夫婦別姓、LGBT、女系天皇、多文化共生、多様性、環境、SDGS、国際、平和、交流、生活、貧困、教育、福祉、慈善
いったいなにが起きていたんだろう?? ニーチェならこう答えるだろう。
『ルサンチマン』という毒薬がばらまかれたんだよ
「空虚言語」(Empty Word)というものがある。フランスの哲学者で精神科医のジャック・ラカンの用語で、安定した意味を持たない記号のことを指す。言葉に見えるが実は記号である。そのため意味は常に変化し文脈に依存し、対話型AIのハルシネーション(幻覚)の原因にもなる。人間は自己都合や邪悪な動機によっていくらでもハルシネーションを喚起できるので、「空虚言語」を並べてルサンチマンを巻き散し、解毒できる絶対的原理ですよとプロパガンダを吹聴することは一定の政治的効果を期待できよう。だから無能な政治家ほどそれに頼るのである。「これからは**の時代です!」など「空虚言語」を連呼するだけの政治家は自分の頭も空虚であることを開陳しており、政権奪取しようとは実は1ミリも考えていない万年野党は、年収4000万円で政治漫談を演じる芸人一座である。
ニーチェが「嘘」だとばっさり切り捨てた次のような言葉はラカン派精神分析においては「空虚言語」である。
神、魂、徳、罪、彼岸、真理、永遠の命、理性、価値、権力、自我
当時これらをルサンチマン解消の特効薬としてばらまいたキリスト教会こそが絶対的原理の吹聴者であり、永劫回帰するこの世に唯一の真実などというものは無いのだからそれはすベて嘘である。世界はどのようにも解釈される可能性がある無限に二義的なものであって、どこまで追い求めても「人間の解釈」というファジーで恣意的なものがあるだけという意味において、目的が自己利益の追求オンリー(今だけ金だけ自分だけ)の政治家にとって「空虚言語」は便利で親和性が高い。例えばどこから見ても堂々たる左翼でしかない政党が、一つだけもっと左翼の政党があることを盾にとって「我々は中道だ」といえば、「中道」というまるで絵にかいたような「空虚言語」が記号としての本来の役割を発揮してもっともらしく聞こえ、無知の国民を騙し、場合によっては対話型AIのハルシネーションまで誘発して害悪を増幅しかねない。そうした税金の無駄である政治家を駆逐するには「充満した言葉」(Full Word)のみで自己の定義を述べよと徹底して追い込み、悪手を封じればよいのである。
ことの危なさはアメリカ合衆国でも同じである。ドナルド・トランプは福音派のキリスト教徒だ。ニヒリストではないのだから彼がニーチェ哲学の信奉者である可能性は高くないかもしれない。しかしビジネス界における強者である彼がルサンチマンを抱く人間である可能性はほぼゼロであり、愛国者として国をもう一度強く豊かにしたいとMAGAをスローガンに掲げる意思の根源が福音派の教義にあったとしても、それはニーチェが否定した弱者救済のためのものではない。彼がDOGEを立ち上げ、「言葉遊びより常識が大事」「人間には男と女しかいない」と子供にも伝わる地に足の着いた言葉(Full Word)をもって絶滅に追いこもうとしている敵はアメリカ合衆国の内部に深く寄生してしまった、空虚言語を振りまわして世を惑わすグローバリストだ。暗殺者の銃弾が耳をかすめても何らひるむことない姿は、来世での救済など望まず命を捨ててでも現世で為すべきことを為すという強烈なコミットメントにおいて、意図しようがしまいが、彼はすでにニヒリズムに至っており、 ニーチェが生きておればその姿勢を肯定したのではないかと思うのである。まことに痛快な限りであり、我が国でも高市政権が斯様な政治改革をしてくれるだろう。
両人ともがまさしく超人 (Übermensch)なのである。トランプにおいては国連や国際法の存在というものは、彼に対する福音派ではなく、ニーチェに対するキリスト教教会の総本山の位置づけに既になっていると思われる。ということは、ベネズエラ襲撃において、彼は「神は死んだ」と宣言したのである。その是非をここで論じても仕方がない。絶対に避けねばならぬ事はただひとつ、キリスト教もニーチェも想定していない、人類が全滅する殺し合い(第3次世界大戦)の勃発である。彼がそれを理解し、神もその回避を望んでいると解釈していることを信じたいし、世界各地の小競り合いがそれに発展することを止められるのは彼が功罪合わせ飲んででも行使する軍事力しかないということもわかっているだろう。今我々がこうして生存しているということは、現在のループにおいて絶滅危機は起きていないことを示している。しかし前のループでそれはなかったのだろうか?人類はかつて二度三度滅亡していることが古代遺跡から分かると唱える論者もおり、ノアの箱舟がなければ実は一度滅亡していたのではなかったかと考える者もいる。トランプが人類の救世主なのか破滅の大魔王なのかは現時点においては誰にもわからない。おそらくトランプ自身もわからない。だから彼のここまでの行為の是非はニーチェの言う無限に二義的なものだと考えるのがフェアである。それを、何がしか頭を使った痕跡は一切無く一義的に「いかがなものか」とパブロフの犬のごとく騒ぎ立てている連中は何のルサンチマンに掻き立てられているのか知らないが、超人への途上にないことだけは間違いない。高市総理の
解散権行使によって絶滅の危機に追い込まれる事が確定した政党の上層部が、政策の説明など一言も無いまま自己保身のため絵にかいたような野合を唱え、その唐突さを緩和しようとオールドメディアが子供でも嘘とわかる応援記事を書く。人生終わった爺いどもの気色悪い抱擁一色で高市・メローニの期待に満ちたハグはスルーで「なかったことに」で葬る。しかし、この偏向報道があまりに露骨だったことでかえって国民は気づいてしまった、軒下に潜んで蠢いている奇怪な害虫がまだ駆除できていないことを。このありさまが、あの2022年7月8日の、宇宙の常識を一掃する異様さであったシンクロ報道の既視感を鮮やかに呼び覚ますからだ。こういう連中に無垢の国民が騙されつづけ、政府が一刻も早く駆除の手を打たぬならば、実質的にニーチェ主義化したトランプは自助努力せぬ日本をいずれ見捨てるだろう。高市総理は切った舵のとおり冷徹果断にやり抜くことを日本国存続のために強く期待する。
ニーチェがラ・ロシュフコーとショーペンハウエルに影響を受けている事は興味深い。両人の書物は我が愛読書だからであり、何かが底流で通じているかもしれない。彼がワーグナーに一時傾倒したことはクラシックファンには周知だろう。その点に関しては、僕はニーチェ自身が作曲をたしなんで作品を残していることと同じぐらいは意味を感じる程度である。むしろ、ニーチェ思想が明治後期か
ら大正にわたる日本の名だたる知識人に衝撃を与え、高山樗牛、夏目漱石、新渡戸稲造、和辻哲郎、阿部次郎、萩原朔太郎、芥川龍之介らに大ニーチェ論争を巻き起こさせ、何より僕がファンである夏目漱石が明治38年ごろ、『吾輩は猫である』執筆中に『ツァラトゥストラ』の英訳本と格闘していたことのほうがずっと重大である(左)。高山、和辻、阿部以外は哲学者でなく文人であるがニーチェに没頭して大論陣を張っている。知識人とはこういうものだ。現代の我々から見れば西洋の哲学や芸術や文学に関わる情報も造詣も未だ十分ではない時代にも関わらず、先人たちがそれほどのインテリジェンスを確立していたことを誇りに思う。東洋にそんな国は日本しかなかった。ちなみに芥川龍之介はストラヴィンスキーのレコードを持っていて、それを聴いて育った次男の也寸志は作曲家になった。漱石がツァラトゥストラを選んだ理由といえば 「神の死」「超人」「永劫回帰」が語られているからだろうか、「猫」の後半にその影響があるとされているが僕はまだよく理解できていない。
締めくくりにリヒャルト・シュトラウス作曲の『ツァラトゥストラかく語りき』を聴いてみよう。ウィキペディアのタイトルは「こう語った」になっているが僕はどうも文語調の「かく語りき」でないと収まりが悪い。演奏スタイルも1970年代にアナログのステレオのHiFi録音技術がピークを迎えることに合わせた豪華絢爛型、そして80年代になるとデジタル録音とCDという新メディアによって静謐な細部まで分解能の高い透明感を謳った演奏も出てきた。そのどちらもがメリットとなるように巧みに書かれているリヒャルト・シュトラウスのスコアの質の高さが時代を追って浮き彫りになってきたように思う。この曲及び英雄の生涯はフランクフルト歌劇場管弦楽団によって初演された。僕が同地に駐在していた頃の同歌劇場の音楽監督は読響でメシアンの秀逸な演奏を何度も聴かせてくれた現在世界最高クラスの指揮者シルヴァン・カンブルランで、現在の読響音楽監督セバスティアン・ヴァイグレも2003年まで同じポストにあったということで縁を感じる。
スタンリー・キューブリック監督が「2001年宇宙の旅」に使用したため冒頭部分2分ほどばかりが有名になってしまったが、全曲に渡って隙のない見事な音楽である。シュトラウス自身が1944年6月13日にウィーン・フィルハーモニーを振った録音は宝物だ。 80歳の誕生日を記念して1週間の放送スタジオコンサートが行われ、正規録音はないが家族がプライベートに録音した音源ではないかとされているのがこのビデオだ。何度かの復刻により音も鑑賞に耐え、作曲家の解釈が最も反映された演奏がVPOにより再現されている価値は何ものにも代えがたい。これを知れば豪華絢爛型の演奏スタイル、ましてやディズニーの伴奏音楽みたいな路線は本質をおよそついてないことがお分かりになろう。なおコメントにあるが、この演奏の3日後にスタジオから数マイルしか離れていない石油精製所が連合国の激しい空爆で殲滅されたという。そんな空気の中でこれだけの演奏ができてしまう音楽家たちには畏敬の念を覚えるしかない。
ステレオ録音でもう少し良い音でという方。ヘルベルト・フォン・カラヤンは記憶ちがいでなければこの曲を3回録音している。ベルリン・フィルハーモニーとの2つは品格を伴っている純度の高いゴージャスな演奏である。そちらを好む方に何の異論もない。しかし、これは多分に趣味の問題ではあるが、僕はやは
りリヒャルト・シュトラウスにおいてはウィーン・フィルハーモニーが本能的に持っている音楽の変転する流れやメリハリへのアジリティー(敏捷性)、および感度の高さと艶やかな音色がなければ物足りない。そこで、同じ趣味の方にはカラヤンのデッカ初録音である第1回目の演奏をおすすめしたい。これは日本では1973年の9月ごろに、カラヤン初の廉価盤として千円で発売されあっという間に売り切れになった一群の懐かしいLPの内の一枚でもある。ツァラトゥストラはこのレコードが2001年宇宙の旅に使われたものであるというふれ込みでシリーズの目玉扱いであり、買うかどうか最後まで迷ったが高校3年生で金が無く、ブラームスの交響曲第1番、ホルストの惑星、くるみ割り人形とペールギュントという当時に関心のあった曲の選択になってしまった。 1959年の録音であるがデッカ肝入りの素晴らしい音で、演奏は作為的な見栄や贅肉のないギュッと引き締まった魅力があり、今より音色に色気があった頃のウィーンフィルが香り高い音でシュトラウス直伝のニュアンスまで余すところなく伝えて文句なしだ。
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バッハと数学に関する小論
2026 JAN 13 0:00:38 am by 東 賢太郎
読書をしているとちょっとした言葉が気になることがある。それをそのまま放っておくかどうかで語学力に大差が出る。もちろん日本語だってそうだが、それが外国語の場合、僕は語源まで調べたいのでラテン語辞典も持っている。そこまでしているのは僕ぐらいかなと思っていたが、今やAIが瞬く間に語源の組成まで教えてくれるのだから今からすぐに誰でもできる。いい世の中になったものだ。もしいま僕が受験生だったら勉強の仕方は革命的に変わっていただろう。
語源にこだわるようになったのは当時の必読本だった「試験に出る英単語」の影響だ。よく出るという謳い文句より、接頭語や語源で単語を分類して覚えればエコノミーという考え方が気に入ったのだ。のちにそれは英単語だけの話ではなく、「分類という頭の使い方」はすべての知的作業や学問のベースとなるという大事な発見に行き着いたのだから同書には感謝している。子供の頃に読んだファーブル昆虫記やシートン動物記はまさに分類だったし、ダーウィンはフィンチのくちばしでそれをやって進化遺伝学を創造した。文法でたとえるなら暗記は名詞、頭の使い方は動詞である。つまり「何万個の英単語を暗記しても1つの文章にもならないから物知り博士やクイズ王にはなれるだろうが、インテリジェンスの涵養には何の役にもたたないよ」ということだ。それを言っても暗記専門の人は信じない。分類ができる人は信じる。なぜなら人間も分類しているからだ。
語源を探っていくとどんなメリットがあるのだろう?それをご説明しよう。たとえば英語のテースト(taste)は「味」だが、好み、趣味、美意識の意味にもなる。日本語の「味わい」もおおよそ同じ意味あいをカバーしており、 AIで調べると中国語も同様だ。つまり古来より東洋も西洋も味覚の比喩で抽象的な感覚を共有し、その選択の具合で人間の中身を評価したりしてきたのだ。こうしたことは試験には出ないが有益だ。言葉は人間の思考回路から生まれるからであり、その成り立ちのなりわいを調べれば人類の歴史がわかるという意味で文化的な遺跡であることが体感できる。試験に出る年号の暗記は僕もしたが10年でほとんど忘れ何の支障もない。言葉は遺跡だという学習から本稿が生まれたことは読了して頂けばご理解いただけると思う。どちらが生きるために重要かということはここでも明らかになる。
ラテン語で食通のことをhomo elegansという。homoは人であり、elegansはどなたもご存じの英語のエレガント(優雅な)の語源だが、そのまた語源はラテン語のēlēgō(吟味して選別する)で、分解すると ē-(外へ)+ legō(集める・読む・選ぶ)である。つまり「集めた中から外へ選び出す」というイメージでelection(選挙)もここからきている。要するにローマでは「選別された人」が食通と思われていたのである。セレブに置き換えれば現代日本でも同じと思われるかもしれないが、セレブは英語のcelebrity(セレブリティ)の略で著名人のことであり、金持ちの意味ではない。選別されたわけではなく相続や不動産や株で資産を得ただけの人はそもそもセレブでなく、概して真の意味での食通でもない場合が多いのである。
とすると、ラテン語のelegansというものがどういう意味か気にならないだろうか?なるという人は目がある。これが解答だ(Chat GPT)。
- 優雅な、上品な、立派な
- 好みのうるさい
- 識別力のある、教養のある
次にその子孫である英語のエレガントの意味だ(Weblio英和辞典)。
- 上品な、優雅な、しとやかな
- 気品の高い、高雅な(芸術・文学・文体など)
- 手際のよい、簡潔な、すっきりしている(思考・証明など)
- すてきな、すばらしい(主に米国で用いられる)
これを見比べて思い出すことがある。受験勉強で「大学への数学」にはまっていた頃、その界隈で理想とされたのが「エレガントな解法」なるものだった。エレガントといえばオシャレみたいなもので、女性や服装や髪型を言うものとしか思っていなかったから、解法なんて無機質な言葉を形容するのが不思議だった。それが難問を5行ぐらいでささっと解いて「お先に」と教室を出て行けるシンプルでスマートで無駄のない解き方を意味することを知るにはしばらく時間を要した。多くの複雑な問題は解き方が数通りあって、どれでも正解だが短くて速いに越した事はない。凡ミスのリスクが減り、検算もでき、問題数が多いほど合格に有利だからだが、僕の美学においてはそうした功利的なことより単にカッコいいからだった。そう、この「カッコいい」という語感が数学の「エレガント」であり、そう感じられるかどうかがセンスなのだ。僕はそろばんを習っておらず暗算ができないし、計算は遅くて下手な部類だ。しかしそれと数学力は別物だということは数学が苦手な人ほどわかっていない。
ここでラテン語のelegansの2.「好みのうるさい」に光が当たるのである。この意味は英語になると消えてしまっていることにご留意いただきたい。僕はダサい解き方で丸をもらっても嬉しくない。即ち、解き方の好みがうるさい。これはある意味で上級者の証しである。問題用紙を真っ黒にして膨大な計算をして腕力で解きましたってのはスマートさに欠け、泥と汗のにおいがプンプンする。それがどうにも性に合わない。そういう性格でないとなれないものなのかもしれないが、あくまでこれは受験数学の話だ。それ以上はやってない僕に語る資格はないが、最小の時間と労力で最大の効果を得ることこそ数学的と感じていたのであり、それを無視して数学の問題を解くこと自体が定義矛盾で気持ち悪かったのである。
ここで英語のエレガントの3.「手際のよい、簡潔な、すっきりしている(思考・証明など) 」に光が当たる。英語はラテン語にはあった「好みのうるさい」が消えた代わりに、これが入っている。あくまでイメージだがとても英国人らしい思考の痕跡と思う。「腕力で解きましたってのはスマートでない」のスマートとはこのことだ。問題を手際よく簡潔に解く。スマホのスマートはまさしくこのニュアンスであり、多機能を複合するエレガントな解決法なのである。ガラケーでも充分に便利だったのにそれで満足しない「好みのうるさい」人たちがアメリカにいたわけだ。単なる便利さではない、その方が先進的で合理的でカッコいいというオシャレ感も大衆の心をがっちり掴み、企業収益で大差がついたのもスマートだった。優雅や教養は金にならないがカッコよさは万能なのだ。
僕の好みがうるさいのはこだわってる分野だけでそうでない分野はそもそも好みがない。だからその分も集中投下してうるささは2乗になり、世間様と平仄が合うことはまれだ。何々同好会とか友の会みたいなゆるい集団に参加するのは無理であり、人生所属したのは技を究めるガチの体育会だけだ。サラリーマンはそれ自体がだめであんまり所属感がなく、人事評価する上司にそれをアピールする競技大会である飲み会やカラオケは苦痛であった。それでも31年も続いて役員にしてもらったのは体育会時代と同じくガチで仕事して技があったゆえだ。負けない方法は勝つまでやめないことだ。いくら負けてもそう信じられたのは自分のこだわった技が通じないはずはないと自信があったからだ。
その自信のルーツを探ると「数学のエレガント」に帰着するのだから受験勉強に没頭したことは重大な価値があったと思う。数学は宇宙の決め事を読み解く言語であり書いたのは神だ。そこに無駄はない。なぜなら人間とて半導体に余分な回路を作る者はいない。まして神がそんなことをするはずがない。だから必ず必要最小限かつ必要十分。人間はそれを美しいと感じるように造られている。それがエレガントの実体なのだ。この考え方は一神教的である。多神教の日本人は融通無碍のあいまいを好み、ロジックという原理原則が世の中を支配しているという考え方は一般に嫌う。僕も多神教の親に育てられたが、決定的に宗旨がえをするきっかけは数学だ。それほど強烈なインパクトがあった。以来それが正しいと確信している。なぜならエレガントの魅力に憑りつかれて気がついたら偏差値が80になっていた。理由不明。これを神の祝福というのかなと思ったわけだ。
ヨハン・セバスチャン・バッハの音楽が数学的だという人は結構いる。その質問を僕にした人も何人かいる。しかし、レオナルド・ダヴィンチやミケランジェロもそう言われることがあるが、遠近法が数学だと言われてもねという感じを禁じ得ない。バッハの作品には音楽的な理由からカノンやフーガなど様々な法則的なものが散りばめられている。オクターブ内の12の楽音は周波数が数値化できる物理量であるからその法則を音の長さや音程の距離のパターンとして計量化できるのは当たり前である。それを発見しようと思えば簡単なのも難しいのもあろうが、要はやろうと思うか思わないだけであり、そこからわかることはバッハが自分の作曲技法の個性として法則性、パターン性を重視していたということである。それゆえに前奏曲とフーガの24のペアから成る平均律グラヴィーア曲集が2セットも書かれたわけだ。そこから得られる大伽藍の如き圧倒的な感動がフーガという技法に多くを負っていると言ってもいいだろうが、数値で計量化できる規則性のためといえば疑問であり、ましてそれを数学と呼ぶかと聞かれればNOである。それが使われた理由、なぜその音をそこに書いたかはバッハがそれを音楽的と思ったからに他ならず、事実はそれ以上でも以下でもない。
数学美が埋め込まれているからバッハの作品は感動的なのだと言いたい人々の気持ちはわからないでもないが、それならあなたはブーレーズの作品にも同じほど感動しますかと問いたい。僕はル・マルト・サン・メートルを時々聴くが、フィボナッチ数列であるひまわりの種の螺旋状の並びが魅了しているかどうかはわからない。ブーレーズは神の摂理の数字を封じ込めてあると公言しているがそれはどこのどれかは語っていない。アナリーゼできないほど巧妙に作られているのだろうが僕が魅力を感じているのは計量化できない音色だ。科学者でもあったレオナルド・ダヴィンチの絵にはひょっとして数学の効用があるのかもしれないが、バッハが数学者でもあったという話は聞かないし、数学者だったブーレーズやアンセルメがバッハ演奏に特に情熱を示したようにも思えない。
本稿を書きながら僕がバックでずっと流していたのはワンダ・ランドフスカ女史の平均律グラヴィーア曲集第1・2巻の全曲である。両曲集ともグールドの演奏は聴くたびに発見があるし、第2巻はタチアナ・ニコラーエワがイチオシなのだが、不承不承ながらただ一言リザベーションをここに書かざるを得ない。どちらも楽器はピアノなのだ。ランドフスカはハープシコードによるバッハ演奏の創始者でありゴルトベルク変奏曲をそれで初めて録音した人だ。ピアノによる演奏には批判的だった。それを覆したのがグールドだったわけだが、だからといって彼女の演奏の価値が色あせることは永遠にない。むしろ久々にこうやって腰を据えて味わってみるとこの演奏の魅力にはまったくもって抗い難いものを感じるのである。僕が古楽器を好きでないのは周知だが、それは懐古趣味だからでも弦楽器のノンビブラート奏法のせいでもなく、ひとえにロ長調のジュピターを聴かされるピッチのせいだ。A=440Hzの記憶との乖離という犠牲を払ってまでオーセンティシティに価値があるかというと僕は否定的だ。その興味深くはある知的な試みは博物館でやればいい。その不都合はこの録音にはない。楽器はエラールでバッハ演奏へのオーセンティシティの知識は僕にはないが、この素晴らしい演奏にバッハが喜ばないはずがないと確信できる、それだけで十分だ。
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『黒猫フクの人生観』 (第六話)
2026 JAN 10 19:19:53 pm by 東 賢太郎
第五話を書いてから少し経っちゃったけど僕は元気だよ。主人のブログを検索してたら僕の写真が出て来たんでせっかくだからそれを盗んじゃうことにしたんだ。どう?凛々しくてイケメンでしょ?いま自分で眺めてみると何だか不思議な気がするよ。だってこの頃はただの猫だったからね、撮られたのも覚えてないし、そもそも自分の顔だって知らないしなんにも分かってなかったんだからね、でも人間も赤ちゃんの時の自分の写真を見たらこんな気持ちがするのかな。別にお正月で忙しかったってわけじゃないんだ、猫界に正月はないからね。ちょっと心配だから主人をのぞいたり、いろいろ世の中のことを勉強するのが忙しかったかな。主人といったら元旦は相も変わらずだ。僕が東家に来た時に「もう10年ぐらいになるかな」とか言ってた心斎橋の割烹「鶴林 よしだ」のお節料理がでんとテーブルの真ん中にある。僕らは毎日同じものだって気にしないけどさ、人間が15年も同じもんってどうなんかね。たしか僕も田作りを一匹もらって食ったけど、味が濃くってあんまりおいしくなかったね。でも主人は「うまい、これは何度食ってもうまい、勝るものはない」とうなりながら新潟の大吟醸をちびちびやって早々に酔っ払ってる。だんだん羽目が外れてきて「インバウンド結構。でもこういう奥の院の楽しみは外人にはわかんねえよなあ」「**国なんて行ってみな、みんなうまそうに食ってるけどありゃ犬のメシだよ」なんて犬にまで侮辱的な発言しちゃったりしてる。主人はテスラXを真っ先に買ったり新しいもん好きのくせに妙に保守的なとこがあるんで許してやってほしいね。さて食べ終わったら奥さんとおなじみの神社へ初詣だ。ここは主人自慢の源氏の神様で、八幡太郎・義家、新羅三郎・義光の父親である源頼義が前九年の役で東北に向かうときに陣を張って戦勝祈願をし、帰路で神に勝利を報告し感謝して建てた八幡様というから相場を張ってる主人には守り神なんだね。ところがまずいことに、ここ数年おみくじは一度も大吉なしだったんだよ。それでお寺にハシゴしてそこでもおみくじを引いてね、それでも出なかったんだ。「いいのいいの、小吉中吉はアップサイドがあって夢がある、大吉は一見いいけどピークアウトなんだよ」なんて苦し紛れの言い訳してたくせに今年は一発で大吉を引き当てて「よーしいい事あるぞ」で、はしごはなしだ。理屈っぽいくせに身勝手でいい加減、僕達猫のほうがずっとまっすぐに生きてるよ。まあ人間って動物を見下して偉そうなこと言ってるけど所詮はそんなもんだよね。
そういえば、覚えてるかな、第五話に人間界の話として高市さんのことを書いたよね、あれっていま調べたら12月の23日のことだったよ。
僕は元猫であるが彼女の応援団なんだ。なぜかって?自分が生まれた日本が大好きだからさ。そんなの当たり前でしょ、猫だってドイツに生まれりゃドイツが、ギリシャに生まれりゃギリシャが大好きなのさ、そこに理屈なんかないよね。それなのに日本は不思議な国でね、日本を貶めてダメにしたい日本人がそこいらじゅうにウヨウヨいるんだ、 なぜなんだ?僕には全然分からない。天国から見てるけどね、そんな国は世界に日本しかないよ。異常なことだよ。子どもの教育に良くないよ。猫にもわかるように説明してよ。だから僕は第五話に思いっきりこう書いたんだ。
「高市さん自民党の中の変な連中もついでに思いっきり蹴り出して、もう1月に解散しちゃったほうがいいね」
そうしたらビックリしたね、きのう、高市総理が1月23日召集予定の通常国会冒頭で衆議院を解散する検討に入ったと読売が報道したんだよ。永田町に激震が走り、天地がひっくり返ったみたいな大騒ぎ。野党どころか自民党の内部まで寝耳に水だとあわてまくってるじゃないか!他の新聞もスッパ抜かれて寝耳に水だったんだろうね、カッコ悪いね、ますます部数が減るね。ユーチューブの実力ある評論家さんたちも誰も何も報道してないんだからいかに極秘で動いてたかってことだよ。第五話に書いてるんだけどね、立憲民主・岡田議員が誘導した高市さんの発言で日中関係がおかしくなって「高市が悪い」と騒ぐ馬鹿がわんさか出てきてね、僕はめちゃくちゃ怒ってんだ。高市さんが言ったことはすでに決まってる当たり前のことで猫でもわかる。それを言わせておいて「あっ、言った言~った、いけないんだい~けないんだ、セ~ンセイにいってやろ」って騒ぎまくったクソ野郎ども、あれは高市事件じゃない、岡田事件だよ。僕が怒るの当然でしょ、だってそれがおきたのって何があろう11月7日のことでね、その日に僕は天国に旅立ったんだ、人生(猫生か)を汚された気がしてるんだ!ふざけんじゃねーぞ、この人倫にもとる卑怯で薄汚いマッチポンプ野郎めってことなんだ。だから高市さんには即刻解散してこいつらをぶち切って国会から締め出してほしかったのさ。実はね、天国で魂になると人間に強烈なテレパシーを送れるようになるんだよ。ホントさ、だから感受性の高い若い人はビビッドに反応してくれてね、なんてったって「立憲民主党の支持率ゼロ%」だよ。ゼロは1兆倍してもゼロだからね、こいつは日本政治史に刻まれる大事件だね。もちろん高市さん本人にも強いテレパシーを送ってたさ。届いてたんだね嬉しいよ。
さて、この2週間で僕が何をしてたかも説明しなくちゃいけないね。天国に来てかれこれ2か月になったけど、こっちは年末から大異変で大わらわだったんだ。何かって?日本から真っ黒ででっかいヒグマが大挙して天国に押し寄せて来ちゃったことさ。いくら神様の建物っていったってあんなでかい奴らが一気に来て受付に列ができちゃうと、そんなにスペースがあるわけじゃないんだ。間に挟まれて並んでるウサギやキツネなんて踏み潰されやしないかってビクビクもんだよ。ヒグマの大将は与作って名前の、そのイメージがぴったりの間抜け面で体も顔も態度もでかい奴でね、しかも北海道の山奥の密林しか知らない超田舎もんときてる。シティボーイたった僕たちからすればなるべく近づきたくないって言うかな、とても同じルールで暮らしている連中とは思えないんだ。ところが仲間がどんどん増えるんで尊大になってきてね、勢力拡大の野心がでてきちゃったんだろうね、周囲の動物たちにやたらと威張り散らして評判が悪いなんてもんじゃない。
もともと天国では熊の最大勢力はシロクマなんだ。ボスがトラゾーっていってね、こっちも負けないぐらい体もデカきゃ顔もヤバそうな奴さ。ヒグマは数が少なくて弱小だったんだ。それがいい勝負になってきて問題が起きた。僕たち猫が長年にわたって鳥やネズミを捕って餌場にしてきた山に目をつけたんだ。「おい、ここはもともと熊の山だ、俺らヒグマの先祖の領地だったんだ、お前らは出て行け」なんて根も葉もない言いがかりをつけだしやがったんだ。焦ったのは猫界でボスヅラしてるゴンベエだよ。真っ先に俺が話しつけるって与作んところへ乗り込んでいったらガオーって吼えられてしっぽ巻いて帰ってきちまった。次に乗り込んだのはちょっとは弁がたって猫界の弁護士と言われるシャムだ。ところがこいつは、何がどうなったんだか、シャケを一尾くわえて帰ってきちまったんだ。どうもあれは賄賂らしいぞってもっぱらのうわさだ。
そこで猫族の緊急会議が開かれたんだ。喧々諤々の議論?そんなのなくってね、あっさりと僕に「お前行って来い」っておハチが回ってくることになったんだよ。「なんで新米の僕なんだよ」って反論したんだけど、「フクよ、お前クロネコだろ、あいつらと色がおんなじだ。うまくやれよ」っておいおい理屈も何もないじゃないか、こいつら自分が行きたくないから屁理屈こねて新人に行かせようって魂胆なんだ、どこもかしこも宇宙までズルい奴に満ちあふれてる。だからふざけんな!ってね、大声で怒鳴る寸前さ、みよ子がささっと近寄ってきて「フクちゃん頑張ってね」ってウインクされちゃったんだ。それでビビッときてカッコつけて引き受けちまったんだよ。ああ男ってなんて情けないんだ。考えたら相手は300キロもあるでかいクマだよ、無理だよそんなの。夜遅くまで後悔したんだ。でもね、悩んでもしょうがねえやって寝ちまったんだ。そうしたらびっくりしたよ、みよ子がシロクマのトラゾーに言い寄られてる夢を見たんだ、「色がおんなじじゃないか」ってね。その瞬間、「クソッこの野郎」って叫んで目が覚めたんだ。なぜって、すごい名案がひらめいたんだよ。すぐにみよ子のところへ飛んで行って「トラゾーがきみに会いたがってる。でも1人じゃ危ないから僕がボディーガードでついてくよ」って言ったんだ。もちろんウソさ。でもそれが作戦なんだ。ドンピシャだったね。僕らを見るなりトラゾーくん、真っ白できれいなみよ子に鼻の下伸ばしてガードが甘くなった。そこで間髪入れずに奴の耳元でこうささやいたのさ。
「トラゾー兄貴、ここだけの話だけどね、ヒグマの与作が軍を作って君たちを襲撃しようと狙ってるぞ」
トラゾーは鼻で笑った。「知ってるだろ、俺らの食料はアザラシと魚だ。ヒグマはそんなもん興味ねえぞ」。「いやいや食い物の話じゃない。僕たち動物はみんな次は人間に生まれ変わりたいだろ、でもそんなに枠がないんだ。だから数が多くなった動物から先に人間になる権利がもらえる法律ができたんだよ」「そうか、じゃあ熊では俺達が1番多いから枠はたくさんもらえるな」「そこが甘いんだよ、いまヒグマは天国で激増中だ、日本で人間を襲って片っ端から銃で撃ち殺されてる」「俺達の方が先に来てるぜ」「後か先かより数が優先だ。だから奴らは君らの数をどんどん減らして一番になり、君らをさしおいて人間になろうって寸法さ」。トラゾーは僕のとなりで色目を駆使するみよ子の魔力で頭が混乱してる。しめしめ、うまくいった。「そうか、与作の野郎許せねえ!挨拶だって一度っきりでそれから何もねえ。どうも静かだと思ってたらそういうことだったんだな」「トラゾー兄貴、僕たち猫族はシロクマの味方だってことが分かってくれたかな」「オウ、合点がいったぜ」「それはよかった、じゃあ僕たちが時々あんたらの領地の水辺で魚捕ったりするけど大目に見てくれるよね」「そりゃもちろんだ。これからお前達の安全は俺が保証するぜ!」。
領地をヒグマにぶん取られたら猫族全員が生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれるところだった。ゴンベエもシャムも泣いて喜んだ。「フク、お前すごいな、どうやってあのこわもてのトラゾーを丸め込んだんだ?」「いやいや僕じゃない、みよ子のお手柄だよ」。そう言ってみよ子に目をやると、大あくびをしながらひとりまったりと日向ぼっこしてる。そうか、こいつ、ずっととなりにいたけど何もわかってなかったんだ。なんともはや、天国の猫はお花畑ばっかりだ、僕がしっかりしないとやばいことになっちゃうぞ。ヒグマは手ごわいシロクマなんか襲うわけがない。ウソがバレたら今度はトラゾーが怒って僕らを襲うだろう。であれば打つ手はひとつしかない。トラゾーをそそのかしてヒグマを襲撃させるのである。
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国際法を守らない人たちのリーグ戦と化した世界
2026 JAN 6 22:22:18 pm by 東 賢太郎
国際法を守らない人たちのリーグ戦で「守らないのはいかがなものか」と声高に言っていれば守ってもらえるというのはお花畑以前に矛盾ではないだろうか。国連憲章の遵守をと言いつつ安保理2か国が思いっきり守ってないのだからそもそも憲章自体が矛盾ではないだろうか。すでに世界はそういう時代に入っているというアメリカによる高らかな宣言が今回の作戦ではなかったか。
まっ先に思い出したのは本能寺の変だ。茶会を開く一瞬の心の隙に乗じて信長を易々と討ち取った点においてである。いかなる理由があれ戦争はいけない。しかしそう思わない相手が現れれば男は命を賭して戦わなくてはいけない。そこでその闘争精神だけを抽出し仮託したオリンピックというスポーツ大会ができた。競技者たちは殺し合いこそしないが真剣勝負であることには変わりない。
野球で速球が顔面や胸元をかすめて打者がのけぞる。怖い。ビビるとその投手は打てない。僕もした。日本では危険球というがアメリカのルールブックにはない。これがアメリカだ。やられたら審判にクレームする?道義に訴える?そんな女々しいことはしない。同じことを何食わぬ顔で平然と、もっとえげつなくやり返すのである。2回目3回目でついに乱闘。メジャーでおなじみのシーンだ。
今回のトランプ作戦、平然としたやり返しに見える。数時間前まで中国の特使と宮殿で会談をしていたところを急襲。アメリカを仮想敵とした中国製のレーダー網、ロシア製の迎撃ミサイルを封じ、ヘリで上陸した特殊部隊が宮殿に乗り込んで数分で大統領夫妻を生け捕り。トータル2時間。アメリカは本気を出すと凄い。スナイパーである。まさかここまでやるかという衝撃が世界を駆け抜けた。
これは斬首作戦である。 自軍は血を流さないからノーコストだ。中国・ロシア・イラン・北朝鮮は100マイルの豪速球が顔面をかすめてビビったろう。国際法を守らない人たちのリーグ戦で有効なのは国際法でも国連でもなく相手をビビらせ戦争させない事なのだ。国際法を守る国に理はあるが、正論を吐いて戦争が起きるより暴論であっても戦争が起きないほうが僕はありがたいと思っている。
彼が守りたかったのは裏庭の覇権。潰したかったのは人民元建てペトロマネーだ。中国は内政失敗で2000兆元を輪転機で擦る必要があり通貨価値は暴落し国家財政は破綻する。 600億ドル分の元借款をベネズエラに与え原油で返済させれば国内需要の4割をまかなえ人民元はペトロマネーとして価値を保持し基軸通貨になれる。地位を侵食された分だけドルは下落する。だからトランプは潰す。
ただでさえドルは他通貨に対して下落傾向にある。それは購買力のみならずヘゲモニーの失墜を招く。軍事大国として膨大な国家予算を賄うべく輪転機を回しまくって大赤字を積み上げてもドルの価値が毀損されないのは強力なヘゲモニーのおかげだ。その地位を中国に奪われればアメリカという覇権国家は終焉する。米国国債を売るぞと公言した日本人政治家が消されたのもそれが理由である。
最後に日本について。4月の訪中で習近平がどう出るかは分からないが中間選挙を控えたトランプの泣きどころは1200万tの小麦の輸入とレアアース供給の確約だ。ベネズエラで派手に俺の顔に泥を塗ってくれたね、でもあなたの選挙の為にその2つは飲んでやるよ。その代わり、G2として西半球・東半球を住み分けて統治しようではないかという着地を飲まない保証は何もない。
日本が見捨てられないために高市総理が何を訴えるかだ。アメリカが積極関与しない東半球で巨大な三角形を成す米中露の真ん中で終戦後の反共防波堤に値する存在となる。その役目を全うするから憲法9条改正と非核3原則廃止、そして旧同盟国の独伊と同様アメリカと核シェアリングを行う提案をできないだろうか。飲まないかもしれないが、飲む大統領はトランプしかないと思うのだが。
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