狛江初のプロ野球選手・勝又くん頑張れ
2026 APR 22 12:12:36 pm by 東 賢太郎
阪神がこういうスコアで負けるとは思いもよらなかった。
DeNA 16–9 阪神
しかも先発はヤクルト戦で8回16奪三振とセリーグ記録に並んだ才木である。金田、江夏、外木場(完全試合)、伊藤、今中、山田、桑田、野口が樹立している大記録を藤川監督が気づいていない記録的大チョンボで、9回に交代させてしまった。行ってれば可能性高かった。しかしだ、猛暑でフラフラの甲子園決勝戦ならともかく、こんなピッチャーが1週間休養してボカスカ打たれるなんてことは高校野球では考えられない。
DeNAはものすごく元気であり、前のカードで広島が三タテを食らわされた。そこで印象に残った選手がレフトの勝又だ。好投していた床田から右中間にフェン直の二塁打を放った 8番打者に解説の山内が新人ですかねと聞くとアナウンサーが、いえ8年目の選手ですピッチャーから転向ですという。それは失礼しましたと山内は礼儀正しい。こちらも初耳の選手だった。
この試合カープは石田が打てず2-0で完封負けしたが、どの打者より打ちそうな雰囲気の床田が流し打ちした、完全に外野の頭を越した会心の打球をレフトが背走一番ギリギリ取った。 2塁走者がいたのにがっくりだ。スローモーションが出た。全力で真後ろに走りながら頭上の球を完全にむこう向きキャッチで、外野を守った者はわかるが目線を切ってるこれは大変に難しい。それがこれ。

あちゃー誰だこいつ!それが勝又だった。並の運動神経じゃない、これは調べにゃいかんと即ググると、なんと狛江市初のプロ野球選手である。小中学校とも僕が育ったあたりだ。そうか、あそこらへんの泥にまみれて野球やってたんか、高校も日大鶴ヶ丘でおなじみの名前だ。ぐっと親近感が増した。「プロ野球選手になります」と宣言して野球部に入部したなんて昭和のニオイがプンプンする。いまどきこんな子がいたのか、いいじゃないか。
宣言通り高卒で2018年のDeNAドラ4指名を受けた。高校通算30本塁打であり日ハムの万波・水谷・田宮、阪神の湯浅、巨人の戸郷、オリックス・中川より先に呼ばれてる。大変な素質だが、まずは最速153kmのピッチャーとしての評価だったんだろう。 ニ刀流は高校生は当たり前である。不詳ワタクシも6番で1年目は打率4割近くでチームトップだった。しかし、大学、社会人、プロと上に行けば専門性が分化してそうは問屋が卸さなくなるようで、投手として入団して打者に転向して成功した人は雄平、石井琢朗、糸井ぐらいだ。
阪神にボロ勝ちして3安打4打点の彼がお立ち台に立った。 2021年に戦力外通告。育成に降格。落ち込んだろうなわかるわかる。そこで野手に転向。死に物狂いでどん底から這い上がったのだろうが趣味ウクレレがまたいいね。でも左打席で構えた時の眼光は鋭いな。芯で捕らえる能力、スイングのパワー。素晴らしい。あの守備も含め現役のピッチャーでこうなれそうな素材はカープ床田しかいない。桑原が西武に移籍したし大チャンスだぞ。でも散々ほめたから頼んだよ、カープ戦ではあんまり打たないでね。
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ハチャトリアン 「剣の舞」
2026 APR 18 12:12:39 pm by 東 賢太郎
僕の半世紀にわたるクラシック遍歴はユーチューブにアップしたこの1枚のレコードから始まりました。
いきなり襲いかかってきた凶暴な音楽に一撃でぶちのめされ、それまでは女のやるもんだと思い込んでたクラシックのイメージが粉々に砕け散りました。それが「剣の舞」でした。自分にとってはビッグバンみたいなものだった歴史的な音がこうして聞ける。まさにレコードです。父に欲しいとねだったのはボロディンだったんですがこんなことになろうとは・・・
ハチャトリアンのスコアはPetrucchiにありません。でもシンセでつくった記憶がある。おかしいなと本棚を探してみると日本楽譜出版社のガイーヌ第1組曲がありました。第1曲「剣の舞」の冒頭余白に17Nov91~と書き込みがありこれはロンドンから帰国してドイツに赴任するまで東京本社にいた時になります。のめり込んでいたのがわかります。完成は24Apr94でフランクフルトです。スコアを全部弾くのに2年5か月かかってます。仕事しながらなので。
そのころ第2組曲のスコアを買ってます。印字はロシア語でMockba(モスクワ)1970とあり、”SOVIET COMPOSER” と国家管理を明記され、下の方に「ドイツ連邦共和国とスカンジナビアの版権をハンス・シコルスキー音楽出版社に与える」許可印が押してあります。これが必要なのでストラヴィンスキーは西側で印税を得るために1911年に「火の鳥」の組曲版を作ったのです。
剣の舞。今でも血沸き肉躍る名曲です。どうしても自分で演奏したかったんです。ところが2分半ぐらいの曲なのに録音は難儀でした。中間部でアルトサックスとチェロのソロが妖艶なメロディを奏でますが、4拍子がここは3拍子になり、ティンパニは4拍子音型のままであり拍子の頭がわからなくなってきて、裏打ちリズムのタンバリンと弦を何度もやり直しました。この曲の命はまさにその「裏打ち」で、追い立てられるような焦燥感を煽られるうちに強烈なビートがだんだん快感になってくる最もロックに近いところにあるクラシックのひとつでしょう。これがウルトラ男性的であるゆえに、中間部の中央アジア的にしなやかで翳りのある女性の出現が猛烈にエロティックで一種の麻薬効果すら帯びている。何百回も聴いてますが飽きることがありません。スコアの見かけは春の祭典そっくりです。この音楽は戦いの場ではなくめでたい結婚式のパーティーの「民俗舞踊の盛大な祝祭」の1曲となっており踊るのはクルド人です。
マイバージョンで重視したのは中間部が終わって冒頭に戻る直前のドラムです。スネアとティンパニを凶暴にぶっ叩かないといけない。ほとんどの録音は問題があって不満で、ラザレフやスヴェトラーノフは強烈ですがスコアを変えている。ゲルギエフは最速だがやりすぎ。オーマンディは意外にダサい。パーヴォ・イェルビ指揮フランス放送響は都会的に洗練された優れた演奏ですが野性味に欠け僕には物足りません。さすがなのは作曲者がウィーンフィルを振ったこの演奏です。オケはこなれてませんが重量感は魅力(ロンドン響との旧盤は2分32秒のテンポで冴えません)。
ちなみに冒頭にご紹介したアーサー・フィードラー指揮ボストンポップス盤は問題個所も秀逸で文句なし。こういうホンモノで入門するのは大事と思います。フィードラーは作曲家の解釈を尊重しており、演奏は2分20秒と1秒遅いだけ。ボストン・シンフォニーホールの音響も最高です。
次のも2分20秒。ピエール・カオ指揮ルクセンブルグ放送交響楽団の演奏です。こちらは問題箇所のパンチはもう少し欲しいですがビートの推進力が抜群に素晴らしい。このルクセンブルグの指揮者をご存知の方はほとんどおられないと思いますが、ルイ・ド・フロマンのアシスタントでキャリアを積み、だいぶ昔ですがアメリカでブラームス3番の廉価カセットを買って印象に残っています。
次もいい、問題個所はスコア通りこうこなくては。エフレム・クルツ指揮ニューヨーク・フィル、1947年の録音。同楽団初演が前年だからアメリカ人がこの曲を初めて聞いたあたりの演奏です。
次はアルメニア国立アカデミーバレエ団がサンクトペテルブルクのマリンスキー劇場で演じたもの。最後にテンポを落としますが、作曲者は結尾をディミニュエンドにしたかったと語っているのでこれもありでしょうか。いやド迫力です。これが観られるなら行きたいですね。
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8千メートル級14座に登頂の渡邊直子さん
2026 APR 15 1:01:55 am by 東 賢太郎
前回に丹沢大山のことを書いたのでその先です。実はなんにもありません。歩いて登って1番きつかったのは屋久島の縄文杉の1300mです。富士山は未踏。軽いタッチで両方登った次女が縄文杉のがキツイよと言ってたのでまあいいかになってます。チリのサンチャゴからアンデスを3000mぐらい、ハワイ島ではすばる望遠鏡のある天文台の4200m。歩いたと言いたい所だが残念ながらどっちも車です。ということで山について語る資格は全くございません。
日本人女性として初めて8000メートル峰14座全てに登頂された渡邊直子さん、名前は知ってましたがユーチューブは知りませんでした。4200mで目の前にチカチカと星が出ましたからね、エベレストはその2倍。想像を絶します。渡邊さん、火星に行って帰ってきたみたいなもんです。そんな方のお話を聞けるなんていい時代になりましたね。
僕はどなたであれ、どんなジャンルであれ、自分ができないことをできる方は例外なく尊敬します。渡邊さんの場合、やったことも破格だけど自然体で語る姿も破格です。高校のバトミントン部で全国大会は立派です。一生もんの思い出です。ところがそうじゃない。彼女の言葉の重みで分かります。そのレベルでは出ない重みを感じるんです。それが「居酒屋に行く感じ」。これ、謙遜でも奇をてらったのでもなく、本当の自分を取り戻したり新たに発見したりできる大事な場だから、個人的に本当にそうだからどうしてもわかってもらいたい、だからそのぐらい嚙み砕かないと伝わらないというギリギリの表現でしょう。もし自分を取り戻したり発見したりできるなら火星だって居酒屋になる方でしょう。実は僕も似たところがあります。人としてとても魅かれるものがあります。
重いだけでなく衝撃なのは、「登頂を目的としてないのであと150mで下山しても平気なんです。それで命を落とさず来られたんでしょう」とあっさりおっしゃること。このくだりは僕の人生観に大転換を迫るメッセージであります。
なぜなら僕は「何事もやり遂げてナンボ」が憲法第1条の人間だからです。伊賀の影丸、ジェームズボンド、ゴルゴ13で育ったスナイパー派。敵前で「すいません、取り逃がしました」なんて頭かいて帰ってくる奴は豆腐の角に頭ぶつけて死ねで終わりです。人生初の「やり遂げ体験」だった丹沢大山登頂に発してますから根深いです。長じて映画は任侠物で高倉健、鶴田浩二。洋物はゴッドファーザーのマーロン・ブランド。小説はハードボイルドのサム・スペード、フィリップ・マーロウあたりがカッコいい男のモデルになりました。野球も喧嘩だったし、同期の8割が脱落した野村証券のノルマなんか屁のカッパだったんです。僕の大学にこういう人間はレアでしょう。
渡邊さんが語られているのは死と隣り合わせの世界です。僕のような人間は最後まで登ってきっとどこかで命を落とすんでしょう。エベレストは誰でも登れますよとおっしゃってるのでアラブの富豪チームにでも加わってシェルパ百人も雇って至れり尽くせり状態ならいけるかなと思わないでもありません。まだいたって足腰元気だしそこまで行っちゃえば高所恐怖症も忘れてもう死んでもいいと思えるかもしれない。でもダメですね、あと150mで引き返す勇気がありません。「すいません、取り逃がしました」を認めちゃう方ではきっとないと思います、だったらそもそも8000mなんか登れませんからね。でも執着はしてない。ある意味の緩さもある。見たことない人です。剣道や合気道の達人の域に思います。
感想。何事も巨大な事を成し遂げた方は偉大です。男も女もありません。そして看護師をされている。優しいのです。自分より強くて優しい、もう仏様のような方と申し上げるしかありません。高校の後輩たちに語っている言葉、これがまた心に響きます。聞いてる生徒達の目の輝きを見てください。これですよ、渡邊さんのような方の存在が日本の若者の未来を思いっきり明るくすると僕は確信しました。この目を持った若者がたくさんいれば日本国は間違いなく繁栄します。優しくて強い日本に世界は敬意を表すると思います。経済も成長するし世界の大国と難なく伍していけます。ぜひ多くの若者に見て欲しいと願います。
「努力は人を裏切らない」という先生の言葉をタオルにしてもらい、 2年生の時パキスタンの登山の企画があってどうしても行きたいと思った。これがスタートですね。いくら強調してもしたりないのですが、この『どうしても』ってのがいいんです。だって自分の心の声でしょ、若者の皆さん、それが聞こえたら絶対に従った方がいいです。どうしてもやりたいもの以上に自分がうまくできるものはありません。他人のアドバイスなんかいりません。そんなものに従ったって自分の声じゃないんだからいずれこんなはずじゃないってなります。そして、そうこう迷っているうちに年取ってくる。すると誰しも世の中のしがらみにがんじがらめにされていきます。生活の為に自由はなくなります。そうやって多くの人は「しがらみ人生」で一生を終えるんです。僕は親にわがまま言って浪人させてもらい2回アメリカ行って合計2か月も遊び回ったり、「どうしても」っていう本能あるがままにティーンエイジャー時代を送らせてもらいました。同じ年頃でそれが出来なかった両親のおかげでです。
その結末が今です。人として大事にするしかないじゃないですか。ここに至るすべての物事、袖振り合ったすべての皆様に感謝の気持ちあるのみです。もしこれをお読みになっておられたら是非ソナーのホームページの番号に連絡ください。大歓迎です。後悔、不愉快、失敗、絶望、たくさんありましたが、それもなかったら今はないんです。渡邊さん、益々のご活躍を楽しみにしております。
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丹沢大山で父に仕込まれた向上心と闘争本能
2026 APR 13 9:09:43 am by 東 賢太郎
小学生のころ、父に連れられて丹沢の大山に登りました。ピクニックではありません、生まれて初めての山登りです。それも子供連れがいるような安全な道ではなく、頂上まで至る斜面は今思えば岩がゴロゴロする本格的な登山道でした。大山は標高1252メートルあって、ケーブルカーで着く神社は725m地点にあるのでさらに527mも登ることになります。かすかな記憶ですが、父に「てっぺんまで登ってみるかい?」と尋ねられ、高い所は苦手だし怖気づいていたのですが、強がって「うん」と答えたような気がします。
失敗でした。どなたかの写真ですが、こんな感じだった。

なんとかてっぺんまで登りつくと視界が開けて下界を一望します。ひと仕事終えたご褒美のような美しい景色は何となく覚えてはいますが、とにかく険しい道中は恐ろしく、体力の限界で足が震えていたのではないか。そして、めったに褒められたことのない父がよくがんばったねと言ってくれた。これが嬉しかったんです。この初登山はそれだけの思い出として心にひっそりとしまってありました。いや、というよりも、怖い記憶は脳が消去していた可能性もあります。
はてそれはいつのことだったのかなと思い立って調べると、大山ケーブルカーは1944年に軍が戦時物資に窮して線路撤去のため休止され、復活開業は1965年(昭和40年)7月11日とあります。父はこの手のことを詳しく調べている人で納得です。従軍した父にとって思いのあるニュースだったろうし、夏休みでもある。ひ弱だった息子を鍛えようと連れ出した。しかし、電車マニアだった僕は駅名をぜんぶ空んじていた小田急線の、それも小田原寄りの佳境に入る伊勢原、鶴巻温泉、大秦野、渋沢、新松田あたりにえも言えぬ「秘境感」を抱いており、初めてそのあたりに降り立てるということでわくわくしていた、それだけでした。おそらく伊勢原で下車し、ケーブルに乗ったと思われますが、僕の基準では線路がしょぼく興味の対象外だからでしょう、そのあたりのことはまったく覚えてません。その終点の阿夫利神社から山頂はChatGPTによると約 90〜120分(本格的な登山道)とあり、ここを踏破して頂上に登ったと思われます。
wikipediaにこうあります。
阿夫利神社は江戸時代に当社に参詣する「大山講」が関東各地に組織され、多くの庶民が参詣した。大山詣は6月27日から7月17日に行われる女人禁制の参詣で、特に鳶や職人の間で人気があった。(中略)。大山祇大神は、富士山に鎮まるとされる木花咲耶姫の父であるため、大山と富士山の「両詣り」も盛んとなり、「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」といわれた。なお、一部の地域には、大山に登ると一人前として認められるという伝承があり、大山の神霊が立身出世の神とされていたことがうかがえる。
これで合点がいきます。信心深い父は息子を連れて立身出世の祈願に行ったのです。とすれば、父の性格からして「大山詣は6月27日から7月17日に行われる女人禁制の参詣」という情報は重要だったに違いない。復活開業は1965年(昭和40年)7月11日です。サラリーマンだから土日でなくてはならない。以上の条件を満たすのは7月11日(日)か7月17日(土)しかありません。開業セレモニーの記憶はなく、10歳の息子を連れて片道2時間の本格的な登山道の踏破を慎重な父が日曜日に試みるとは思えません。よって、あれは、1965年7月17日土曜日のことだったという結論に至ります。小学校4年生の10歳。日本人として男児の育て方に古風であった父は元服まで意識していたし、年齢が2桁になったし、ひ弱で体が小さく何事も自信の無い息子がこのままではいけないと思いたったとして不思議はありません。
阿夫利神社のことは、それが目的なのだったらお参りをしてないはずがなく覚えていそうなものですがまったく記憶がありません。あるのはこんな感じの景色だけです。てっぺんまで登ったという達成感が残っているので山頂まで来たことはたしかでそれ以外のことはつい先ほどまでほとんど忘れていたのです。
お参りで終わらなかったことを父に感謝します。阿夫利神社までも長い階段を昇りますし、普通はそれで願掛けしてお昼でも食べて帰るところです。でも普通の親ではなかった。もう1つ目的があったんです。息子に人生初めてのきつい山登りをさせ、大山の頂上に立たせることです。父がどんどん先に登り、必死について行く。虚弱の身には過酷で神社の記憶など吹っ飛んでしまった、さもなくば、さっきネットで調べて神社があったことを知った説明がつきません。
何事も自信がありませんでした。万事に渡って適当に父の目をごまかし、その場その場をやり過ごして生きてました。生活態度や勉強に情け容赦ない父の風圧にさらせばもっと自信をなくしてしまう。そう懸念した母が風よけになり、僕は守られてぬくぬくと育ちました。それを父は見抜いていた。男はそれじゃダメなんだよ。どうしてお前はそんな所で満足するんだ。目を見開いて前を見ろ。まだまだ山には高い所があるだろう。そこを目指せ。途中で弱音をはくな。頂上に行けばいい景色が見えるぞと父の声が聞こえます。山で息子の向上心と闘争本能に火をつけたかったに相違ない。 10歳の子供です。叱っても、口酸っぱく諭しても逆効果ですから何か一生忘れないぐらいのイベントでもって「体感」させなくてはいけない。それが1965年7月17日土曜日だったと思います。余談ですが、サウンド・オブ・ミュージックのクライム・エヴリ・マウンテン、僕はあの歌の歌詞も音楽も大好きです。
徐々に息子は父の思い描いた通りに成長し、戦争で思うようにならなかった人生の仇討ちをしてやろうというもう1つのモチベーションまで加わった。向上心と闘争本能。大事なものだと問答無用で思っています。平和平和と呪文を唱える方々はお好きでないかもしれないが、向上心が無い人生というのは日々餌が出ればいいという動物と変わらず、万民がそうなればその国はいずれ征服され奴隷にされる。それが人類という動物の歴史です。平和にはコストがかかるのであり、国家財政だけではなく、国民が向上心を持ち元気であることもそのうちです。しかし向上心だけあっても人生はあまりうまく行かないということにもご同意いただかなくてはならないでしょう。
向上は自己満足ではありません。「わたしはわたし、自分なりに毎日向上してるから他人はどうでもいいの」というわけにはいきません。近頃そういう人が出てきてますね。大学を除名処分になっていても自分が卒業したと信じていれば卒業証書が出てきてしまう。ありえません、厳罰に処すべきです。向上してゆく場所は社会です。社会で認めてもらうことでグレードアップした自分が客観的に確認でき、自信を得ることでさらにステップアップできる。そのプロセスの繰り返しこそが「向上」です。山登りと同じです。頑張ったつもりになっても標高という客観的な数字が増えなければ登山にはなりません。社会で認めてもらうにはそれを示す何らかのポジションを得る必要があり、そのためには闘争をくぐり抜けなくてはなりません。仲良しサークルで傷をなめ合ってもだめなのであって、そのツケを政府に回して政治を批判しても何も起きません。
闘争本能とは決してフィジカルに戦うことではなく、負けたくないという本能を心の中で磨くことです。好戦的になることでも危険な企みをすることでもありません、犬でも猫でもどんな動物でも、この本能を持っていない生き物はないのです。登山なら訓練に耐えて足腰を鍛えるということで、進歩の成果は他人と比べないと分かりませんからあえて闘争と呼びます。ルール、社会性のある競争ではありません。動物は競争しません。もっと本質的に生存に根ざした原始的な本能で、生きるために本来、誰でも持っていなくてはいけないものです。受験や出世は競争であり人間の闘争の一部です。生きていける山はたくさんあります。何もエベレストに登る必要はない、幸福は人によって違うのです。自分が幸福な人生を送れると感じる山に他人よりも高く登れば楽しく生きていける、それだけのシンプルなことです。
日本が高福祉社会か否かは議論もありますが、平均年収が減ってくれば相対的にそういうことになっていきます。それでも、もっとひどい国はいくらもあり国際水準からすれば日本は天国ですから移民が押しかけ日本人が失業する。おかしな話ですが嫌なら生活水準を移民並みに下げなさいということになってしまう。そしてもっと過酷な現実は、24時間文句を言わずに低コスト高パフォーマンスで働くAIと競争して勝ち抜かないと失業することです。現にアメリカではAIの導入を理由とした解雇が加速し、アマゾンは全世界で1万6000人の削減を発表しました。日本でもみずほ銀行がAIによる代替で今後10年で全国に約1万5000人いる事務職の業務を最大5000人分減らすと発表してます。みずほFGでそれが起きるということは学歴エリートの価値が崩壊しつつある証拠で、これまで相応の年収を保証してきた士業などの「定型的な知的作業」は確実にAIに奪われていきます。
怖かった父の祈願と指南の甲斐あって僕は移民にもAIにも奪われない仕事の腕を磨くことができました。これからは僕が次世代、次々世代にそれを伝授していく役目になるでしょう。だから思い出す必要があるのです。守ってくれてた母への感謝があると同時に、やがて長じて男としての自覚が出てくると、殻は破らないかんという厳しい現実に気がついてきた。高校生あたりのことです。そこからの僕を導いたのは親ではなく、学業でも学歴でもなく、「向上心と闘争本能」。それだけです。でもそれを作ってくれたのは親だったのです。
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コント「総理官邸五階喫煙室」
2026 APR 10 2:02:09 am by 東 賢太郎
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3iアトラスの置き土産(赤は人の数だけある)
2026 APR 8 6:06:49 am by 東 賢太郎
思いおこせば、観測史上3つめである恒星間天体「3iアトラス」につき拙文を上梓したのは去年の11月5日未明だった。それがWOWシグナルの発信源ならば、大学生だった1977年から隠居も近い2026年まで半世紀のご縁があったことになる。 100億年前に生まれた天体にとって50年は0.0000005%と、まさしく天文学的に微細な数字であってなにやら光栄な心持ちすらある。そうした気分から万感の思いを込めて文章を綴ったものだが、その2日後に愛猫フクが天に旅立って全ての気力が失せるほど動転する羽目となり、そして天体は二度と戻ることない虚空の彼方に去っていった。
3iアトラスの正体は誰も知らないことになっている。最も観測情報を持っているアメリカ航空宇宙局(NASA)が公式見解として「普通の彗星でした」で幕引きしたからだ。それはないだろうと情報を追い、特に、ハーバード大学宇宙物理学教授アヴィ・ローブ氏のユーチューブ発信は全部チェックした。そして確信した。
NASAは嘘をついている
証拠はない、直感だ。僕は「3iアトラスは宇宙の果てでも成り立っているはずの物理法則を破って学者に衝撃を与えた」と理解している物理学の素人のひとりである。そのことに対し、「ブラックスワン(黒い白鳥)を見た」とリアクトできるほど物理学の絶対普遍性を信奉している人間は地球全人口の1%もいないのではなかろうかと孤独感を覚える程度には、僕はその一員であると自負している。
アヴィ・ローブ教授はブラックスワン、インターセプト(迎撃)なる異例な言葉を含む論文を発表した(迎撃ドローンをinterceptor droneという)。そして、トランプ大統領が99%の側の米国民に向けて事実上のイラン撤退を宣言するや、1%の側から「アルテミス計画」が発表される。 1972年に休止した月への有人飛行の再開だ。これを報道するとこの様にユルいお花畑チックになってしまう我が国において、1%側が何%いるのかはとてもおぼつかない。
目的はNASA職員の女性が語っている。宇宙の通信管理(その真相は冒頭動画から推察できる)および火星有人飛行への中継基地設営だ(冒頭動画は2026/02/18付で、その時点でアルテミス計画に付言している点で価値がある)。
2025/11/5に書いた稿はこれだ。
そしてアヴィ・ローブ教授も2025年の論考やインタビューで、次のように述べている。
・1977年のWOWシグナルの方向と3iアトラスの位置が近かった可能性がある
・この一致は偶然としては「確率0.6%程度」と計算される
・つまり「3iアトラスがシグナルの発信源だった可能性」を検討すべき
しかしローブの見解は学界で主流でなく、
・「刺激的な仮説の一つ」ではあるが
・検証されておらず、かなり推測的(speculative)
とされる。これには違和感しかない。検証されていないから仮説を立てるのであり、それをスペキュレーションと批判する者は17世紀にフランシス・ベーコンが説いた「正しい知識を獲得する方法としての帰納法」を勉強すべきだ。
この一致は偶然としては「確率0.6%程度」
これは恣意でなく計算で導かれた数字であり、「確率0.6%」とは「167回に1回」であり、自然現象なら「人が1年のうちに雷に打たれる確率」ほどだ。社会通念として低い値ではあるが、といって絶対起きないということはなく、たまたま今回起きたのだと言われれば反論はできない。しかし、コップ半分の水を「まだ」か「もう」か論争してもそこから科学は発生しない。色彩は電磁波である光の周波数で決まる。「赤色」に見えるのは約400〜480テラヘルツと幅があり、 400の人と480の人の赤は異なることを意味する。「そのゾーンが赤である」と決めれば「まだ」か「もう」か問題が発生するのは400、480のしきい値(閾値)の2ケースのみであり、確率0.6%がぴったり閾値でないならば、ローブの「かなり低い」という意図を含んだ例示に対し、他の学者が「0.6もある」と言ったに等しい拒絶を見せることは科学的な態度ではないという批判は許されるだろう。
これに対し、帰納法の利用に自由度の高いローブ教授が「ブラックスワン」に言及した点は興味深い。
出版時に話題となったこの書を読まれた方は多いだろう。人間が予期せぬ出来事を理解しようとする方法を分析し、社会で何が起きるかを説く(①予測不能②インパクト甚大③後付けの既知感の発現)。ローブ教授にとって3iアトラスは①②を満たす黒い白鳥であり、③が「普通の彗星でした」であり、偶然としては低確率で出現した太陽系外天体への対応に防衛上の危機感を覚え、著者ナシーム・ニコラス・タレブの「アンチフラジャイル」の哲学を用いて人類に警鐘を鳴らしたのではないか。レバノン人のタレブはウォートンMBA、数学・統計学者で、ウォールストリートのデリバティブトレーダーでもある。確率、ランダム性、複雑性、不確実性の観点から現象を検証し、ここが多くの日本の学者と決定的に違う点だが、 自身がヘッジファンド運用で億万長者になることで自説の正しさを証明している。ちなみに、これは偶然だが、ソナーも彼と同類の哲学による運用によって16年に渡って定常的な利益を積み上げている。現実世界へのアプリケーションが可能な哲学や理論の場合は、結果を数字で証明することが社会へのインパクトを最も明らかにする方法である。
タレブを気に入ったのはそれを行ったからで、一部に異論もあるが、批判者が何万人現れようが我関せずで数字による証明を果たした勇猛果敢ぶりが誠に清々しいからだ。彼が金を儲けたということは、その分、損したした人がいるわけで、では何が大きく損させたかというと黒い白鳥への対応なのだ。株価は波動であるがスーパーコンピューターで分析しても規則性は見つかっていない。あるのは売買によってそれを動かす人間の脳が産む波動である。ブラックスワンに驚いてパニック売りする人が勝つ可能性は低い。ではその逆張りをすれば儲かるかというと実はそれもないから脳を研究しても答えは出ないだろう。発想を逆転した解決法が2つある。 1つはアルゴリズム取引。もう1つは答えは出ないことを正答とし、あるのは確率、ランダム性、複雑性、不確実性だけであると仮定することだ。僕は後者に属する。それでも絶対的な勝利の方程式は存在しないが、勝敗は確率であり、無防備ゆえに負ける愚を減らして相対的に勝率を上げることはできる。アルゴリズム取引は装置産業で膨大なコストがかかるが、そちらは紙と鉛筆だけでできる。
そう考えるようになった理由は独特だろう。僕は自分の色覚の特性から「赤色」は十人十色であって、絶対的な赤は存在しないという考えを持つに至った。「赤く見える」というのは主観であり議論の余地がある(debatable)。赤かどうかは既述のように絶対普遍である数字(周波数帯約400〜480テラヘルツ)によってのみ定義され、そこに属する証明がなければ科学者が言おうがピカソが言おうが僕は赤とみなさない。自分の感覚の上に築かれているという点において他者に影響されず、前提は「数字のみが絶対」の宇宙観であり、既存の類型に当てはめるならば自分は唯物論者、実証主義者であって、リスクをミニマイズしたい演繹的な人間である。これがまずワタクシの第1の特色だ。
ところが第2に、自分の中には別人がおり、時に真逆の主張をする。数字も論理もない仮説を前ぶれもなく思いつき、証拠を出せと否定する自分を説き伏せてしまう。例えば、直感でこの株が上がると思うようなケースだ。もちろん証明は不可能だ。そこで業績が伸びるという仮説を立てられるかどうか検証する。できなければそのアイデアは捨てる。できるなら業績と株価は演繹的な相関性が証明できるので三段論法が成立し、第1のワタクシは納得するのだ。演繹で株価が予測できる場合を業界用語で「おり込み済み」と呼び、誰でも同じ予測が可能だから利益は出ない。帰納的推論は必ずしも同じ予測を導かない。だから先回りして買う機会がそこそこの確率で期待でき、万人がそれを知って買いに来た時に売れば高い確率で利益が出るのである。
ニコラ・テスラが交流電力を発見した発端は既存の電磁気の知識から得た直感(帰納法的推論)であった。コペルニクスの地動説もニュートンのリンゴもそうであり、ケプラーは火星の逆行運動を円の組み合わせで演繹的に解こうとして行き詰まり、「万物は神の意志で円運動する」という当時絶対であった神学的前提を捨てるという帰納法により楕円運動という真相にたどり着いた。思えばシャーロック・ホームズもエラリー・クイーンもコロンボも古畑任三郎も推理(帰納)と捜査(演繹)の両方を用いている。数学の難問を解くのもまた同様であり、機械的な計算問題で演繹力を鍛えるのは誰でもすることだが、ベクトルを使った方が速いのでは?のごとき直感力(帰納)を訓練すれば有益だ。両方を高度なレベルで用いることができる人は世界人口の1%はおろかほとんどいないと思われる。だからそれをインテリジェンスと称し、戦争で知的な武器として使う有用性が担保されるのだ(CIAのIだ)。
僕がアヴィ・ローブ教授の指摘した可能性(帰納法)に大いなる共感を抱いたことを共感いただけただろうか。とはいえ、地動説も万有引力も交流電力も楕円軌道もそうであったからローブ説も正しいとは言えないのは『「a1はPを満たす」かつ「a2もPを満たす」から「全てのaはPを満たす」という結論の正しさは保証されない』という命題は真だからだ。真なる命題は『データをすべて持っているNASAが「検証したが普通の彗星であった」と反証を提示したのでローブの帰納法は “論理的に” 破綻した』でなくてはいけない。
いまや「科学の進歩や国威発揚のため人類を月に」のような目的はインテリジェンスの進化に貢献するどころか無意味な贅沢でしかなく、AI時代に本社社屋の巨大さや従業員の多さを誇る愚かな経営者のようである。約930億ドル(約14兆円)もそれに予算をつけられるほどアメリカの財政は健全でもない。史上最大のIPOを発表したイーロン・マスクのSpaceX社が共同事業者になったとはいえ、国家予算を議会が承認したアルテミス計画はれっきとした公共事業であることを考えると、 その目的が3iアトラスの素性に対するNASAの平平凡凡たる見解によって論理的に破綻したはずのローブ仮説へのNASAの対応であるなら、それこそが国家運営の論理破綻と痛烈に批判されうるだろう。今のところそれは耳にしていないので、アメリカ国民はまじめに火星へ行きたがっているのか、ことの次第をきちんと理解できるインテリジェンスのある者は人口の1%の、そのまた1%しかいない証左なのかもしれない。
では、アルテミス計画の真の目的とは何だろう?
100億年前に3iアトラスを発射した地球外生命体が実在し、彗星を装って太陽系に宇宙船を送り込み何らかの計略を試みた。これがアヴィ・ローブの仮説の本筋である。科学者としての慎重さを担保するため彼はそうは言わないし、言えば国民を不安に陥れるためNASAは政治的意図を持って否定するだろう。1977年に地球に膨大なエネルギーを要する電波(WOWシグナル)をピンポイントで浴びせたのがローブの主張するように3iアトラスであったなら、冒頭動画が開示しているように人類の宇宙空間通信網にサイバー攻撃を仕掛け、ブラックアウトを起こして人類の脅威になる可能性を100%は否定できない。つまり「地球外からの地球防衛」が月面基地建設の本来の目的なら理が通るのである。
100億年前に作られた物体ということは46億年前に誕生した太陽の2倍以上の年齢で、 138億年前にできた宇宙の創世記にほど近い。金属の無い場所で生まれたのにニッケルで表面ができており、自らの作用で軌道も色も変え、太陽と反対方向に出る尾っぽが太陽に向き、微量の有機化合物を撒き散らし、作為でないならあまりに確率の低いフライバイを木星で行った(太陽系への入射角も低確率)。以上は複数のソースで確認されるので事実と思われ、物理学が覆り、未だ仮説であったことが以上の「反証」で証明された。眠れぬ夜を過ごした物理学者が続出したと想像する。そこまで奇妙な、マンハッタン島とほぼ同じという巨大さの、二度と出会うことのない物体がすぐそこを通っているのに血眼で観測しないような人間が天文学者になるとは思えない。世界中のアマチュア天文家までが夜を徹して望遠鏡を向けあらゆる角度からデータをとり、全てをNASAは入手し、真っ赤なウソをついた。ローブは証明できぬ自説を強弁せず、それを暗に指摘する戦略を選択した。
3iアトラスという物体は明らかに異様であり、僕はそのことを多くの人に語った。そして発見した。自分ほど興味を持つ人は周囲にはいないことを。
僕が異様と反応するのは数学、物理学の普遍性、頑強性を信じる強度(レジリアンス)が高く、だから「数字のみが絶対の宇宙観」に起因する哲学で世の中の諸事情を眺めている証拠なのだ。したがって、僕の中でそれが変わることは1+1が2でなくなるぐらいにない。その宇宙観で生きたと思われる人々の中で最も優秀な人はアインシュタインだろう。だからその人が「不気味な遠隔作用」と疑念を呈し、隠れた変数があるとして否定した「量子もつれ」がベルの不等式によって正しいと証明されたことは、僕は宇宙観の転換を迫られていることを意味する。アインシュタインにとって「量子もつれ」はブラックスワンであり、僕にとってはそのことがブラックスワンであった。
つまり、赤色が人の数だけ存在するように、数学、物理学の普遍性、頑強性を信じる強度(レジリアンス)も十人十色なのだ。ない人は強度がほぼゼロであり、黒い白鳥に出会っても黒猫が出たぐらいの反応しかなく、僕の観察によれば、こと天文現象に関する限りそういう人は日本人の大多数と断言してもいい。これも観察からして、西洋人の方が日本人よりレジリアンスが高いように思われるが、彼らは一神教の神を信じ、聖書に書かれた通りに世の中は動くはずだと教育されるからだろう。神の意志は1つしかなく、万物はそれで動き、それを記述したのが数学・物理学であるという信念にこそレジリアンスの源があるということだ。多神教の日本にはそれが育つ余地がなく、実は一神教の理屈という背景がある西欧型の学校教育はストレスであり、「世の中、理屈じゃないよね」といえば「そうだそうだ」と宴席が盛り上がる。子供に宴席はなかったが、群れると漂う同種の空気がどれほど少年時代の僕を孤独にしたことか。
ブラックスワンの著者はレジリアンスが非常に高い人で、予想を裏切る株価の動きは普通の白鳥にすぎないことをランダム性、複雑性、不確実性の理論をもって俯瞰し、自説を大胆に断言しきっているところに小気味の良い面白みがある。驚くのでなく征服する。戦いに勝ち相場でお金を失わないためには戦略からフラジャイルなもの(脆弱性)を消すこと。全く同感である。アヴィ・ローブも多分そうだろう。
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田部京子のシューベルト
2026 APR 4 13:13:15 pm by 東 賢太郎
昨年からブラームスのドイツレクイエムに没頭し、後期のピアノ曲を味わい、先日ブログにしたインテルメッツォ作品118の2は鋭意練習中である。といって、素人の分際であるからご披露できる代物になることなどないだろうが、ピアノを弾いていると何にもまして集中でき雑念とおさらばできる。こういうのを精神衛生上よいというのだろうが、その点きわめて鈍感である僕は精神衛生が悪かったという記憶があまりなく、平穏に過ごしたいわけでもなく、この世のものと思われないほど美しいものに接し、それが自分の指先から流れ出る贅沢というのは何物にも代えがたいというだけのことだ。
作品118の2は弾き終えてもずっと頭に残り、ひと晩寝て起きると、エルガーのニムロッドに姿を変えていたりする。僕には時々あることだが、睡眠中に、無意識が記憶のプールの中から似たものを検索して拾ってきたのだ。可笑しなものだが、それを覚醒してる意識のほうが、なるほど、ちょっと似てるねとまるで他人に教わったように受け止めるのだ。たしかに、これがまた何といい曲だろうという感嘆を伴って。
それほど難しくはない。あの日に母を見送ったこれを、できればいちど教会のオルガンで弾いてみたいものだ。
暗譜してしまったのはシューベルト即興曲集 第3番 D 899 Op.90-3 変ト長調だ。彼の晩年の作品は地獄の深淵を覗くものを秘めているが、これもそのひとつだ。しかし、それあるゆえに、夢うつつのような主部の天上的な美しさは尋常ではなく、生きていることがいかなる奇跡であるかを教えてくれる。いたたまれぬ精神の中からこれを紡ぎ出して人類に与えてくれたシューベルトの魂が32年で燃え尽きてしまった不条理は、キリスト教徒ならイエスの死に喩えることさえできるのではないか。我々日本人としては、深い含蓄に富む日本語である有り難きこと、すなわち、魂の真底からの感謝を捧げる格別のものという感興がいつも浮遊している。彼の音楽というものは、単に楽譜を真摯に読み込んで音にしましたというものは歌曲であれ交響曲であれ心の奥底には響かないという意味で誰のものとも異なっている。
シューベルトと言えば、田部京子さんを思い出す。ドイツ時代にお会いし、ご自身がその前年に録音されたピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960のCDを家に送ってくださった。当時、 39歳だった僕はまだこの深淵な作品の真髄に触れるには若すぎ、その後何人ものピアニストの演奏でやっとそこに近づいたのである。先日、このCDを取り出してみて、 27歳でこの演奏を成し遂げた彼女の才能に今更ながら賛辞を送るしかなく、 32年も経ってこれを書いている自分の音楽的成熟の牛歩の如き遅さが嫌になる。東京芸大付属高校在学中に第53回日本音楽コンクールに最年少優勝、芸大を経てベルリン芸術大学および同大学院を首席卒業という経歴からして不思議なことではないのか、その世界の事情は計りようがないが、たおやかな神経の通った内省的なタッチがまさにシューベルトである。即興曲を弾いてみたことで、死を間近にした彼が言いたかったことが見えるようになり、やっと感知できたことだ。
即興曲と同様にこのソナタにも暗く淀む低音のトリルが出てくる。不吉な軋りの短2度も出てくる。これらをどう読み、どう扱うかはその人の至ってプライベートな感性による秘匿された領域に属するのであり、同時代人であるが形式論理から大きな逸脱は許されないベートーベンのソナタと比べることができず、といって、ロマン派であるシューマンやブラームスの方が自由度が高いというわけでもないという、音楽史の時系列から見て非常に個性的な世界観の中に聳え立つ孤高の傑作群のひとつである。つまり、超絶技巧を持ついかなる高名なピアニストといえどもシューベルトのいくつかの作品はふれない方が無難なのであり、この特質は時代ではなく人間の本質に根ざしているからおそらく永遠に変わることはなく、他のジャンルの音楽と交配することもなく、クラシックと呼ばれる檻に囲まれた中でもまた特別であるひとつの領域に収まり続けるであろう。
皮肉なものだが、これほど本質的なものがやがて来るロマン派という豊穣の波に押し隠され、半世紀以上も忘れられてしまう。後期ピアノソナタはブラームスの時代は一般的なレパートリーではなく、そうなったのは20世紀のシュナーベルやケンプの時代からといっていい。シューベルトはその意味で孤高ではあったが、人間というものの皮相な軽薄さを映し出す鏡でもあったことの方がいっそう重要である。僕は一部の著名なクラシックのメロディがポップス化することに否定的な人間だ。それは保守的な思想からくる来る品格などの高邁な意識からではない。聴衆の頭数を一時的に増やすかもしれないが、同時に、音楽の本質を知る流儀を徐々に後退させ、結局は本物の聴衆の数を減らしてしまうからだ。数学がとっつきにくいという理由で文科省が円周率3.14を3にしたところがかえって数学の平均点を下げたという間抜けな現象がそれを象徴している。いくら取り込んだところでポップはポップでしかない。シューベルトという人はもしかしてそれを望んだのかと思わないでもないが、病魔に阻まれてそうなれなかった。だからこそあの音楽が生まれたのである。若い頃は社交的であったベートーベンその人がまさにその典型である。シューベルトが彼を師と仰いだのは音楽性の領域からというよりもむしろそのためだろうと考えるのは、たとえばピアノ・ソナタ 第18番ト長調D.894の第2楽章に師のソナタ18番の冒頭が、第3楽章には悲愴ソナタの終楽章がオマージュのようにひっそりと、しかしそれを知る者にははっきりと現れる、僕はそれが彼の共感の根源であり、そこにシューベルトの音楽の本質があることを暗に示唆していると感じるからだ。
田部は暗部を無用におどろおどろしくなく、全てを悟った諦念のごとく響かせ、それでも生きられるかもしれない灯火への命の希求を澄み切った空に解き放つ。ただ、そのことは珍しい事ではない。近世の理性・個人・科学を重視し後期ロマン派の洗礼を受けてからのシューベルト像、すなわち、本人はつとめて悲しみも怒りもあきらめてもいない風を装うのだが、指先から抑えきれず流れ出てしまう陰惨な運命への慄き、慟哭に聴く者は深い悲しみを覚えて心を揺さぶられるというナラティブで解釈するピアニストはいちいち指摘するまでもなく数多いるのである。端的に言おう、スピロヘータが梅毒の因で治癒できることを知る我々と、なに故に体中に不気味な斑点が現れるのかすら知る由もないシューベルトの戦慄は似て非なるものだ。例えばCDが出た時に話題となったアファナシエフだが、ここまで病魔の姿を抉り出すと僕はシューベルトの肉声とは異質なものを観てしまう。あれは肉体の奥底から響いてくる黄泉の声への本能のおののきであって、その姿は見えず、あれ俺は何を恐れているのだろうという自らの声なのだ。
田部の演奏が今も新鮮なのは、おそらくナラティブからやや距離を置き、純粋に、自らの心の耳で聴き取った音を磨き抜くことで、期せずしてナイーブなシューベルトの肉声に寄り添っているからだ。そしてソナタのフォルムは実に美しく守られている。ユーチューブのインタビューだったか、彼女はシューベルトの音は天から降ってくるという意味のことを述べていたが、まさに、いわば実証主義的に、それに耳をすまして聴き入る沈黙のプロセスがあったように感じる。ベートーベンという人は、そうして聞き取った天の音を彼一流の建築的構造物に仕立て上げ、我々はそれを見上げて息をのむという鑑賞になるが、シューベルトは徹頭徹尾、歌の人であり、交響曲であれソナタであれ形式論理の入れ物に盛り込んでもそれはあまり本質ではない。といって壊してもいけない。その微妙で繊細なバランスの中に陰と陽のもう1つのバランスを入れ込まなくてはいけないという条件を満たす所に高い集中力をもって立ってこそ満足な演奏が生まれるのである。田部がそういう意識を持っているかどうかは存じないが、結果として、それは達成されている。前述のようにそれは極めてプライベートな感性の領域における産物であり、教えたり教わったりというものではなく、老成すればできるというものでもない。できる人だけがシューベルト弾きと言われる、定義するならそういう性質のものである。
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トランプの米国民向けスピーチ
2026 APR 2 13:13:21 pm by 東 賢太郎
トイレで目が覚めた。困ったもんで最近2、3回はおきる。時計は午前4時過ぎだ。そういえば10時にトランプが国民に向けスピーチするんだっけと目がさえてしまった。そこでたまたま開いていた「イリアーヌ・イリアス」のコメント欄に書いた。
『NATOにブチ切れているトランプは明日、米軍は 2~3週間で軍事施設を徹底破壊して引き上げる、核開発は潰したからもうアメリカは関係ねぇぐらいぶつんだろうか。ホルムズ海峡は狭い箇所の幅が33kmで瀬戸内海なら今治と本州の間ぐらいだ。海賊が残ったら安全運航は無理、イランは通行料3億円ぐらい取ると放言する。ホルムズ海峡が重要である中国が出てくる。中間選挙で農家が重要な票田であるトランプは「好きにさせてやるから米国産大豆を2500万トン買え」ぐらい習近平とディールしてもドンロー主義に矛盾なしだ。これは日本にとってやばい結末で、米イ共に手を貸せず、切り札のディール材料もなく、安保理常任理事国の立場でうまく収めれば米国は西半球、東半球は中国の棲み分けが現実になるかもしれない。
軍事の話になれば憲法を奉って平和だけ祈っていれば安全ということにはならない。ウクライナを見れば世界がそんなお花畑でないことは一目瞭然である。原油を断たれて経済力が落ちればますます安全が脅かされる経験を我が国は80数年前にしている。少なくとも憲法9条改正だけはしておくべきだったが現行憲法下でできるのは専守防衛だけだ。防衛予算はGDPの何パーセントが適切という机上の議論も大事だが、何を持っておれば国民の命が守れるかというギリギリの現実から積み上げた数字がそれを決めると考えるべきだろう。私見では核保有がベストであるが、できない以上トランプと交渉して原潜を買うか貸与を受けること、及び防衛装備品の質量の拡充がセカンドベストではないか。NATOは英仏が核保有国であることがトランプに何を言われようが屈しないカードである。』
スピーチを聞いた。こともあろうに・・。
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イリアーヌ・イリアス 『夢そよぐ風』
2026 MAR 31 7:07:27 am by 東 賢太郎
たった一度しか行ってないのに脳髄に衝撃を受けて人格まで変えたかと思われる国があります。ブラジルです。 いちぶ始終はといわれても夢のようで細かいことはあんまり覚えてません(2016年のブログにある程度書いてます)。
リオデジャネイロまでバンクーバー経由で24時間。タクシーで着いた宿はシーザーパレスと書いてますが、AIで調べるとCaesar Park Rio de Janeiroだったようで、あの「イパネマの娘」のイパネマビーチに面してる高層のホテルでした。
ビーチに出るとトップレスの女の子が100人か200人かどわーっといて目が点になります。きいてみるとカー二バルの前の週だったんですね、国中から女の子が集まってたらしく、あんな絶景、人生でそう拝めるもんじゃない。今となるとあれはコパカバーナビーチだったかな、どっちかな、まだ36歳でしたからね、僕も連れの後輩も絶句してしまいましてね、ホワンとした記憶しかないんです。
このホワンは「イパネマの娘」のサビのふわふわ感みたいです。ちょっといかれてるけどセクシーな、心のもやもやを優しく癒してくれるボサノバのあの魅惑的なコードはこういう土地からじゃないと出てこない。なんせ2月でしたからね、前の日までスーツで底冷えのする大手町歩いてたんですから目が覚めたら乙姫様の真夏の極楽にいましたってなもんで、同じ惑星の出来事とは思えません。地球の裏側まで一気に飛んでこういう経験された方はわかって頂けるでしょう。
こっちが接待されたんですね、ディナーの後はナイトクラブに連れていかれて、ブラジルの夜は長いことを知りました。当時インフレは300%と経済はボロボロで、アメリカ人が「ブラジルの経済は夜成長する」とジョークネタにしてましたからね。食事は何だったか覚えてませんからいまいちだったんでしょう。ナイトクラブのブラスとパーカッションがバリバリのラテンバンドは迫力満点で、音楽がどうのというより空気を変えちまう。 音楽は耳じゃなく体で味わう。直撃する心地よさというか、いやあいいな、ずっと浸っていたいなという快感です。
そこがどんな感じだったか、どこかに書いたなと思ってましたが意外なところにありました。
酒が弱いのは損ですね、綺麗な子に囲まれてたのにすっかり酔っぱらっちまってぷっつんです。そうそう、彼女たちはポルトガル語オンリーで英語も通じないんでどうにもなりませんわね。とにかく竜宮城の浦島太郎状態。ブラジルの男を嫉妬しましたね、同じ人生なら金も名誉もいらねえや、こっちの方が断然いいなと確信したものです。まあニューヨークもパリもこういうとこはありますからね、日本の男は残業は減ったかもしれないけどド真面目に生きてますよね、ホント、小学校から塾通って受験受験で遊びを知らず、社会に出たからって生き様はそう変わりませんわね。僕は大いに遊んじゃった部類ですが、それでもブラジルで目が点でしたからね、若い男性の皆さんは30代までに世界の野郎どもを見て回って男を磨いた方がいいですね。
サンパウロはまあまあ、ブラジリアはいまいちでしたね。まあ役所はそっちなんで仕事だから仕方ないんですが普通の真面目な都市でした。カーニバル直前のリオのど迫力は格別に凄まじく、そこで自分のラテン的な気質に目覚めたんです。革命でしたね。この翌年にドイツに赴任することになりましたが、ヨーロッパではフランスも好きだけどイタリア、スペイン、ポルトガルはもっとラテンが濃いんで惹かれてまして、欧州滞在中に何回も行きましたしね、女性もブリュンヒルデよりもカルメンやヴィオレッタみたいなほうがいいですね。
以前にも書きましたがイリアーヌ・イリアスさんが好きなんで、疲れたとき癒しにきいてます。これはボサノバなのかジャズなのか知りませんが、ボサノバテーストはありますね。特に変わったことは起きないんですが、おしゃれで品格があって心のひだに寄り添って心地よい、誠に上質なエンターテインメントですね、浸っていると本当に自分はボサノバが好きなんだなあと思い知ります。脳髄に衝撃を受けてますからね。
アルバム『夢そよぐ風』(Dreamer)です。
この人の声、なんとなく母に似てる気がします。何度きいても素敵です。
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プロ野球順位予想 2026
2026 MAR 29 1:01:10 am by 東 賢太郎
セ・リーグ予想
- 阪神
- 中日
- 広島
- 巨人
- DeNA
- ヤクルト
パリーグ予想
- ソフトバンク
- 日ハム
- ロッテ
- オリックス
- 楽天
- 西武
セ・リーグ
阪神は投打とも磐石です。今年は主力が結構抜けてるが阪神は石井だけ。去年の勢いで行くでしょう。中日、巨人、広島は新人と外人次第。広島はスタメンで野手に3人新人が入るスタートで楽しみですがそれだけ中堅がダメだということ。投手力は先発も中継ぎも不安です。佐々木泰、平川、勝田の新人に期待で上位にしましたが中日戦の相性が悪いので3位。
パ・リーグ
盟友サブロー監督のロッテに期待です。種市がちょっと心配ですが戻ってくるでしょう。打線はどこからでもヒットが出る往年のベイスターズのマシンガン打線みたいになるんじゃないか。僕は彼の理想の投打を知ってますが、まだ2、3年かかるかなということで3位。 1、2位はホークス、日ハムのどっちかですが、怪我人がなければやっぱり勝ち方知ってるホークスかなと思います。
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