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僕が聴いた名演奏家たち(小澤征爾)(3)

2024 FEB 14 2:02:47 am by 東 賢太郎

小澤は1973年にボストン交響楽団の音楽監督に就任した。これは当時でいうと38歳の日本人がIBMかGMの社長になったようなもので世界を驚かせた。シカゴ、トロント、サンフランシスコ、ロンドン、パリの楽団での活躍は(普通の日本人ならそれだけで勲章ものであるが)結果的に修行時代だったことになる。

言うまでもないがアメリカは徹底した競争社会で、だめなら1年でクビというドライな国である。交響楽団は都市の顔であり文化財でもあり、そのマネジメントはビジネスでもある。音楽監督になったのはなれる実力があったから、それ以外の何でもない当たり前のことだ。僕が偉業と体感するのはそのポストを29年保持したことのほうだ。

アメリカで学位を取った方はご承知のとおり、学生として卒業するだけでも尋常ならぬ勉強量だが、指揮者はいわば教壇に立つ側だ。生徒にあたるのが海千山千のボストン響楽員や我儘な著名ソリストであり、英語もままならぬ東洋人というと偏見どころか堂々と差別された時代である。綺麗ごとなどで済むはずがなく、測り知れないご苦労があったと拝察する。

ただボストン響はモントゥー、ミュンシュなど非アメリカ人がポストを占めてきた楽団で、小澤の次のレヴァインが初のアメリカ人だ。欧州コンプレックスがあってジョンやボブよりセイジの方がいいと言ってる人もいた。1962年にロス・フィルがインド人のズビン・メータを起用したのが時代の先鞭だったかもしれない。とはいえ、力がなければあっさりお払い箱の国である。

小澤のボストン時代のひとつのメルクマールが「グレの歌」であることに異論は多くないだろう。1979年4月、Deccaによるライブ録音で、オペラが弱点とされた評価は覆った。この作品を27歳で書いたシェーンベルクの才能を知ったのもこの録音だったが、初演を振ったシュレーカーを思わせる煌めくような管弦楽法の魅力は小澤/BSOの面目躍如。この曲はブーレーズよりも小澤が好みだ。トーヴェ役の故ジェシー・ノーマンはこの数年後にフィラデルフィアで聴いた。旬であった暗めの声はまさに圧倒的であり、これを聴くにつけ、ドイツ音楽への進出を企図してBSOのヴァイオリンの弓使いを変更させまでした小澤の視線の向こうにはカラヤンが、そしてバイロイトがあったかもしれないと思えてくる。

この演奏会のビデオがyoutubeにある。

ソロ歌手6人、8部の混成合唱団、オーケストラ160人、スコアは53段ある。これをこの場で暗譜で振るのはなかなかだ。猛勉強プラス度胸。これが並の人でない。指揮者の譜面台にスコアでなくシェーンベルクの顔写真が置かれている。守り神かもしれない。この演奏会への小澤の意を決したコミットメントを見る。

27歳。シェーンベルクがこの曲を書いた同じ年齢で小澤は「N響事件」に遭遇している。https://kadobun.jp/trial/7yvc7ck28ls8.html

N響楽団員を待つ小澤

大変な試練だったろうが、これがあっての「世界のオザワ」だったのだから万事塞翁が馬だ。おこがましいが、僕も欧米発の証券業を5カ国で16年やった。帰国して軋轢がなかったといえば嘘になる。音楽界のCAMIのようなマネジメント会社はないが売り込んでくれるヘッドハンターのおかげでポストをもらった。どこの業界も同じだ。問題はそこで何ができるか。小澤さんの人生には凄みを感じる。

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僕が聴いた名演奏家たち(小澤征爾)(2)

2024 FEB 12 19:19:01 pm by 東 賢太郎

最初期に買ったレコードのひとつが小澤征爾 / パリ管のチャイコフスキー4番だ。高校2年である。もちろんカネはない。オーマンディ盤が1500円で大いに迷ったものだが、なんのことない最後はジャケットで決めた(左)。弱冠35歳の日本人が天下のパリ管を従えている!カッコいい!このイメージはサブリミナルにすりこまれたと思う。そして、業界は違えど、僕も38歳でドイツ人70人を従えて写真みたいになった。2000円払った甲斐はあった。

EMIの音はあまり好みでないが、このLP、いま聴いても非常に音が良い(1970年10月22,23日, Paris, Salle Wagram)。録音をそう評するのも妙なのだが、なんというか折り目正しい品格がある。それはまず指揮がそうであって、若手の4番によくあるパターン、即ち、情に走って陰陽の起伏をつけて暴れまくり、悲しみの極でうちひしがれ、諦めから激情の大爆発までを描ききりました、ご苦労さん、という風情では全然ない。どこか視点が静的なのだ。爆発や沈静はスコアにまかせつつ、フレーズは息づき、デリケートな最高のセンスで歌い、情熱と気迫をこめて燃えるべきところは燃え、夢想するところは夢想して不足ないままに高い集中力でもって内奥に潜む隠された美を毅然と見据えている観がある。こんなに整っていながら満足感を与えてくれる4番はその後も聞いたことがない。

小澤が煽っているのは定番である終楽章のコーダだけで、それもロシアの指揮者がよくやる大仰で土俗的な感性とは程遠い。ああいうのは僕はだめだ、下品とまでは言わないが、聞いているこっちが恥ずかしくなる。チャイコフスキーもロシア人であり、そういう部分を持っていないことはないから何が4番のお薦めかと聞かれても好みの問題でしかない。ちなみに第3楽章も性急なテンポでスペクタクルにしようという体の浅知恵は微塵もなく、むしろ遅めであり、アンサンブルを音楽の美に十全に奉仕させることに意を用いている。この辺は日本人の節度と繊細で奥ゆかしい良さが出ているのではないかとも思うが、小澤は真摯にスコアを読み本質だけを大事にする音楽家なのだと思う。想像だが指揮技術に対してもしかりで、ミュンシュのパリ管は動的で縦線が揃うイメージが全くないが、小澤はそのアンチテーゼを目論んだのかと思ってしまうほど整然としたアンサンブルを重視しているように聞こえる。

アバウトになると目も当てられない4番で斎藤秀雄仕込みの技術の冴えを顕示したかもしれない。1970年というとサンフランシスコ響の音楽監督に就任した年だが、彼は欧州のポストに気があったのではないか。この4番はベルリン・フィルやシカゴ響に比べれば木管の音程や緻密なアンサンブルに注文はあるものの、パリ管のロシア音楽としては大いに魅力がある。現に僕はすぐ飽きる大暴れの演奏は二度ときかないがこれは時々取り出したい誘惑を覚える。ブザンソンでデビューした彼にとってパリでの評価は自信もあったろう。だからEMIも親和性のあるロシア物(1972年にこれも素晴らしい「火の鳥」をパリ管と録音)で売り出しを図ったと思われる。その証拠に彼のEMI録音にドイツ物はなく露仏米+東欧だ。当時、パリ管は奥方がフランス人モデルであるカラヤンが仕切っており、結局1972年にショルティを音楽監督に迎えた。結果として小澤はスタインバーグの後を襲って1973年にボストン響のポストを得るわけだが、DG所属となったことで肝心かなめのドイツ物が加わり音楽監督としての全レパートリーを手中にして29年の君臨ができた。彼は運も持っていた人だった。

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僕が聴いた名演奏家たち(小澤征爾)(1)

2024 FEB 11 11:11:38 am by 東 賢太郎

長いことご病気ときいていたが、とうとうこのタイトルを書かされる日がきてしまった。急な出張で京都に一泊し、2月9日に静岡に寄った。悲しいニュースを知ったのは帰りの新幹線が新横浜に着くころだ。2月6日というから東京は雪だった。ご自宅は成城らしいから同じ国分寺崖線のうえで我が家から遠くない。そういえば小澤さんも成城学園の先輩であり、田村正和さんはバスケットボール部だが彼はラグビー部だった。学校のあの景色が好きな人が多い。

最後にお姿を見たのはサントリーホールで、たしか2006年、ユンディ・リとのラヴェル、そしてチャイコフスキーか何かだったかと思う。あんまり覚えてないのは、僕にとって小澤さんというと、なんといってもあの若かりし頃のシカゴ響やトロント響とのシャープで運動神経抜群でエッジの立った快刀乱麻が強烈だからだ。僕自身、近現代物からクラシックの森に入っていった人間なのでどうしてもその辺のレパートリーに来てしまう。ウィーンに行ったあたりからの重鎮ぶりを知らないわけではないが、「世界の」がついていた頃の日の出の勢いがオーケストラに伝播してただのきれいごとでない音楽が生まれてしまう若々しい熱量というものは、本質的にそのままの形では大御所的になりにくいものがあった。僕はウィーンという街も歌劇場もウィーン・フィルハーモニーも大好きだが、政治と商売の “ウィーン” は嫌いだ。

はっきり目と耳に焼きついているのは1984年2月に本拠地ボストン・シンフォニー・ホールできいたシェーンベルクの協奏曲(Pf.マウリツィオ・ポリーニ)とR・シュトラウスの家庭交響曲だ。たぶんウォートンの期末試験が終わってのことだったのだろう、家内とハーバードの友人の家に遊びに行った折に幸運にも遭遇した二人の旬の競演は手に汗握った。小澤の手にかかると普通は混濁してしまう不協和音までが透明だ。彼はピーター・ゼルキン(CSO)と、ポリーニはアバド(BPO)とシェーンベルクの協奏曲を録音したが僕は断然前者を採る。シカゴ時代の小澤は無双無敵で、5年ほど後にジェームズ・レヴァインが同オケでやはり若々しいタクトをふるうが近現代物に関しては小澤を凌駕する者なしだ。

ルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」(CSO)は見事な一例である。生まれてまだ16年の同曲のスコアから多彩な生命力と色彩をえぐりだす。それに米国最高峰のオーケストラが敏捷に雄弁に反応する。これを読譜力などという干からびた言葉で形容して何の意味があろう?

小澤征爾はバーンスタイン、ブーレーズが録音しなかったトゥーランガリラ交響曲を1967年に録音した。これの重みは増している。この曲、いまや春の祭典なみにポップスとなったが当時は現代音楽であり、その過程を僕はつぶさに見てきている。こういうことで、自分が「あの時代の生き証人」として未来の人に見られると感じるのは、プロコフィエフの権威であるプリンストン大学の学者さんに我がブログが引用されたからだ。書いておくのは意味があろう。トロント響はCSOよりアンサンブルが落ちるが小澤の若さ炸裂の前には些末な事実になってしまっているという意味でもこれは出色の演奏であると評しておく。今もってそれだけ規格外の指揮ということであり、立ち合ったメシアンがそれを気に入ったから32歳の日本人に北米初録音が託された。これが歴史だ。

かように小澤征爾の指揮は一言で形容するならinspiringである。なんたってメシアンまでinspireしたのである。この英単語は一週間前の2月3日に書いた前々稿(「若者に教えたいこと」を設けた理由)  にまったくの偶然で書いているが、僕自身にとって人生のキーワードみたいに大事な言葉だ。いま、こうして若者・小澤征爾を聞き返し、またまた大いにinspireされ、改めて彼を好きになっている。

ベルリン・フィルハーモニーでのオルフ「カルミナ・ブラーナ」のビデオはだいぶ後年(1989年12月31日)だが、54歳でも若者だ。速めのテンポにBPOの奏者たちが乗せられ自発的に反応しており、全盛期のキャスリーン・バトルも気持ちよさそうに歌って楽員たちが聞き惚れている。それが理想の指揮でなくて何だろう。この曲の最高の演奏のひとつである。

軽めの急速部のテンポが速い。これは思慮のない効果狙いの無用な速さではなく音楽の生理的欲求と奏者の肉体的限界とのせめぎあいでぎりぎりのところに成り立つ究極のテンポであって、それを小澤は計算というよりも蓋し本能的に成し遂げている。奏者たちはその快感に引き込まれて火がつき、己の肉体の限界をも越えようかというパフォーマンスを発揮している。即ち、この演奏者あってこそのまさに一期一会であって聴衆には途轍もなくスリリングだ。

そうしたことまでが斎藤秀雄に習った指揮技術なのかどうかは素人に知る由もないが、とにかく技術なくしてコンクールで優勝するはずはない。ただ、僕が感じ入るのは、英語もできずスクーターで単身ブザンソンに乗りこんで、それでいきなり優勝した人だという事実だ。もぎとったその結果の方である。それこそが何物にも代えがたい彼の才能を雄弁に語っている。そもそも、成否はともあれ今も昔もそんなことをしようと企てる日本人が何人いるかということだ。それだけでもレアな人なのだ。技術は大勢に教えられる。しかし、inspiringであることは持って生まれた資質であって教えようがない。だから小澤征爾は他に出ようがない。そういうことだと僕は強く感じる。だから彼は指揮者に向いていて、だからそれになったのだろうし、大成もした。それが宿っている彼の音楽が聴く者の心を揺さぶるのはもっともなことなのだ。

(続く)

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日本列島を包む「操作で歪んだドーム空間」

2024 FEB 6 9:09:28 am by 東 賢太郎

今から3カ月前、去年の11月12日に、とても強いブログを書いた。今はそれがもっとリアルになっているのでお読みいただきたい。一部を引用しよう。

かたや老舗のルーズヴェルトホテルが移民収容のため閉鎖されているというのも驚く。トランプが作った壁を壊したのでメキシコから毎日2、3万人流入し、手に負えないテキサス知事はトラックで移送してしまう。地方は白人が多く拒否されるので大都市に10万人も来る。マンハッタンは人口170万だから世田谷区と練馬区に中南米人10万人ということ。想像を絶する。移民はすぐ選挙権を持つ。入国に感謝して民主党に投票する。要は大統領選の対策だ。

現在、その顛末でアメリカの都市部はさらに酷いことになっている。大量に流入した移民が食うためにやんちゃする。警官はBLM事件の余波で無茶できない。つかまえても刑務所が満員で無法地帯になる。そこでサンフランシスコ市が「950ドル以下の万引きはオッケー」(逮捕しても収監しない)にした。14万円の窃盗だから日本ならそれだけでテレビのニュースになる事件が大量に「おめこぼし」なのである。さらに凄いことに、イリノイ州では不法移民が警察官に採用されている。毒食らわば皿までだ。一般市民がそんなのに逮捕されかねず、正義など吹っ飛んでしまっており、都市によっては銃で武装した自警団(私的警察)を作っているというから西部劇さながらだ。極左のBLM運動で黒人も平等に医者にしないといけないから医学部の入試がなくなっているというのも仰天で、問題は治安だけではない。

かように、3年のバイデン民主党政権下でアメリカは戦争屋、薬屋、不動産屋、ウォール街は大儲けしたが肝心のブルーステートの白人生活圏まで滅茶苦茶になっており、だから民主党支持者の一部までが共和党支持に乗り換えている。極左政策を仕掛けてきた連中をDS(ディープ・ステート)と呼ぶと、その手下で番犬をしている日本人が「陰謀論だ」と騒いだものだが、今、この連中は親方があぶなくなって「もしトラ」(もしもトランプ大統領になったら)と騒いでいる。滑稽なことだ。

以上の程度の情報はネット民には常識になっているが、全部が番犬である日本の大手メディアは報道しない。だからテレビと新聞しか見ない人は「情報難民」と化している。喩えるなら、巨大なドーム球場の中にいると外が大雨になっていてもわからず、野球が終わって外に出てから傘がないとひと騒動になるようなものだ。さように、日本列島は「操作されて歪んだドーム空間」に包まれているのであって、ワクワクのように自分や家族の生命に関わる重大事を野球が終わってから気がついても遅い。もっというなら「なぜ報道しないんだろう?」という健全な疑問をいだくことだ。そういうニュースを書きだして一覧してみればいい。一本の糸でつながることはもう賢明な人々は見抜いている。

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クラシックで寝ついた0歳児が69になったこと

2024 FEB 4 21:21:09 pm by 東 賢太郎

家内からメールがあった。

大森のおばあちゃんがお手伝いに来てくれて冷たいお水でオムツを洗ってくれたと生前話していました。今日は、あなたを産んで上手に育ててくれたママを思いだして一日過ごして下さい。夜寝なくて抱っこして小さな音でレコードをかけて聴かせていた事は知ってましたか?

はい、知りませんでした。おばあちゃんのことも(ごめんなさい)。

レコード。親父のSP(78回転盤)に相違ない。鬼畜米英の時代になんでそんなものを持っていたのかよくわからないが、とにかく好きだったんだろう。それを2,3歳ぐらいからきいていた記憶はあり、だからこうして一生の宝物になってるとは思っていた。

0歳児がクラシックで寝ついた。俄かに信じ難いが、長じて思いあたることはあった。大学時代の下宿でのことだ。勉強に疲れるとコタツで横になってヘッドホンで音楽をきき、そのまま寝てしまった。はっと目が覚めると朝であり、カセットテープがループになっていてシューマンの交響曲が耳元でがんがん鳴りっ放しでびっくりする。「それで熟睡なんだ」といっても誰も信じない。今でもパソコンで音楽つけっぱなしがある。目覚めはすっきり、原因不明だ。レム睡眠、ノンレム睡眠の比率がどうのとは無関係に僕の脳味噌はできているらしい。

最期の床で、好きだったチャイコフスキーの4番をどうしてもと思い、ヘッドホンできかせた。すると眠っていた母はぱっちりと目をあけた。言葉は話せず僕が誰かもあやしくなってはいたが、「うんうん、これだね」と、あたかもわかっていた頃の合点かのようにじっと目を見てうなづいてくれた。僕は驚き、あっ、良くなってるぞと喜んだ。

母を悪くいう人はまったくいないし想像もできない。まさに慈母であった。こういう両親の家に生まれたことを神に感謝する。

69才

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「若者に教えたいこと」を設けた理由

2024 FEB 3 11:11:12 am by 東 賢太郎

この数か月、たくさんの方々がソナーに関係して下さり多忙だ。折々、ブログというメディアに政治、経済、国際情勢、経営に関するinsightを書き連ねてきたが、僕は評論家でなく自説に従って億単位の金を動かし、結果としての実績を問われるビジネスマンである。だからその能力を買って下さる企業が現れれば、これまでは自由にブログにしてきた自説の根拠等は書けなくなる。それについて少々述べておこう。

「若者に教えたいこと」というカテゴリーは特別なものだ。設けた理由は、僕が若い芽を見つけ、その成長過程を見届けるのが大好きな人間だからだ。野球も二軍の有望株を見つけるマニアだし、芸術家もしかり。猫が少し賢くなっただけでも心が踊る。株式市場でまさしく “有望株” を見つけて投資するのを職業とし、その自分の姿を探知機になぞらえて「ソナー」と命名したのが最大の証拠である。だから向学心のある子、不断の努力を厭わない子は無条件に応援してしまう。直接ふれ合うことはないが読者にそういう人がいればという思いがあった。

自省するに、生涯いちプレーヤーの気持ちで社会人を44年やってきたことは偽りない事実だ。現に今でもそうしており、東賢太郎というビジネスマンの “エッジ” は “現場” にあることは間違いない。ただ、名刺の肩書のヒストリーを眺めると44年という期間の約7割は「部長 / 役員」、約5割は「社長」という経営職だ。だから、業種を問わず、若い経営者にアドバイスすることはたくさんある。つまり、若者が経営している会社、すなわち「ベンチャー企業」を育てる仕事は天性のものではないかと考えている。かく言う自分もソナーというベンチャーを創って14期目になり資産も作った。口だけの先生や評論家ではない。

若者に来歴を語る機会があるが、当時、東大法学部卒の者は国内にいるのが有利で海外など出ない。44年の4割近くも異国にいたのも異例だが、帰国して一部上場企業2社の役員になり、3度も自分から辞めた者は東大史上ひとりもいないだろう。そう伝えてへーで終わる大半の人とおつき合いする時間は僕にはない。しかし、一部だが、「半沢直樹超えですね」などと感動してくれる人もいる。ほとんど若者だ。だから「若者に教えたいこと」というカテゴリーを設けたのである。僕のしたことというより僕の存在自体がinspireing(刺激的)であるタイプの人達こそ貴重な原石、未来の星であり、探し出してでもこちらからお会いしたいと思うのだ。

ベンチャー界にはそうした若者が多くいると確信しており、業種を問わず何か教えてあげられる。講話、セミナーなんかのおざなりの場ではだめだ。がっぷり四つで向き合い、僕も相手にinspireされながらつき合う過程で学んでもらうしかない。ビジネスとは本来そういうものだ。

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南米の空気とライル・メイズ・トリオ

2024 JAN 30 11:11:14 am by 東 賢太郎

ビジネスは流れというものがあって、今はいいように渦が巻いている。いろんな話があって、まあ自分のことだけ考えれば受けても受けなくても、どれとどれだけやってもいい。世間的にそう小さな話でもない。あと少しで69にもなるのだから無理してもろくなことはなく、他人様の迷惑になってもいけないというのが先にあるのは道徳心というより体力、気力との相談だ。ゴルフ場の受付で「年齢」欄に58と書きそうになり、一瞬、えっ俺はもうそんなトシかと思ったんだよなといったら「お前だいじょうぶか?来ちゃってるぞそれ」と笑われる。本当に58ぐらいの時にも、48ぐらいの時にもそう思ったし、あまりに来ちゃってないからそう思うのさということにしている。

こういう時、信じるのは直感だけだ。なぜならずっとそれで世を渡ってきて、まだ渡れており、そこには体力、気力との相談も自律的に含まれているからだ。やって良かったというケースもあるが、やらなくで正解だった方が多い。やったら即死のケースもあった。そうやって部長や役員だった会社を3度も辞めたし、今となってみるとあまりに大正解だったと考えるしかない。金融のホールセールビジネスというのは魑魅魍魎の巣窟である。魑魅は山の怪、魍魎は川の怪だから要はぜんぶ化け物であって、化かされた者は入ってきた本人がいけない。プロの麻雀大会だ、すってんてんにされても同情も救済もされない。

僕は経験も信じない。経験を信奉する者に最も欠けているのが経験なのだ。うまくいった失敗したというのはその時の環境要因が大半であって、それが違えば別の判断になるのは道理である。僕はピッチャーだから前の打者を打ち取ったタマで次打者もいけるなんて考えたこともない。直感というのは打者ごとに危険を察知する霊感のことで誰にもあるのかどうか、練習して身に着くかどうかは知らない。想定外の事態になっても大丈夫な神経のほうが大事かもしれない。ちなみに会社の資本勘定はその為にある。経営者はえてして経験から判断するが、えてして凶と出る。それで即倒産されては商取引の信用が崩壊するからBSにバッファーを載せる。経験は信用できないことを前提にしている。

直感は充分に寝て、心が冴えわたり、かつ、平静でないと働かない。そういう状態を作るのが実は難しい。個人的なことになってしまうが、僕の場合は36才の時に行ったブラジルの空気と情景を思い出すのがいい。際だって特別な記憶だ。歳と共に輝きを増してクラウン・ジュエルになってる。24時間もかけて地球の真裏の別世界まで行くなんて火星に行ってきましたぐらいのもんだ。格段にラグジュアリーだったヴァリグ航空のビジネスクラスであったとしても最早望めない自分がいる。そんな出張までさせてくれた野村證券の懐の深さに育てられた自分がこの程度。申しわけなさもあり、どうしてもあの時に帰ることになって幾分かの鼓舞も混じる。

僕がうまくいってきたのは多種多様な音楽が生み出す気分があるおかげだ。無意識に漢方薬にしてうまく使ってきた。ピンポイントにあの宝石を心象として蘇らせるものが大海を探せば必ずある。南米といえばボサノバで大好きだが、こういうシチュエーションで蘇らせたいのは心象であって風景ではない。それがある。ウィスコンシン生まれのアメリカ人のジャズだ。ブエノスアイレスでの録音というのがあるかもしれないが、ライル・メイズのピアノはその芳香に満ちていてこのシャワーを1時間浴びているだけでいい。

あの時、ブエノスアイレスもサンティアゴも行った。これを録音したオペラハウスは世界5大ホールに数える人が多い名劇場だが聞けなかった。仕事も面白かったし素晴らしい時を過ごしたのだから思い残しはない。

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チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」

2024 JAN 28 14:14:50 pm by 東 賢太郎

チャイコフスキーの5作目のオペラ「エウゲニ・オネーギン」はジェームズ・レヴァイン指揮、フレーニ、オッターの女声陣とドレスデンSKという魅力的な録音がある。ただロシア語でライブでとなるとそうは機会がないうえに、あっても都合がつかなかったりで実演は新国立劇場で先日聴いたのが初めてだった。オペラ鑑賞は迷ってはいけない、少しでも関心があれば思い立ったが吉日というものだ。戦禍でロシア物は長らくご無沙汰気味だったからこの公演は貴重だった。プロダクションはほぼオール・ロシアといってよく、指揮、演出、美術、衣装、照明、振付、タチヤーナ、レンスキー、オリガをロシア人で固めている。しかしタイトルロールのオネーギン、および唯一のバス役であるグレーミン公爵はウクライナ人というなかなか考えさせられるキャスティングである。

チャイコフスキーの父方の先祖はコサックの軍人だ。彼は何分の一かはウクライナ人であると言えないこともない。2才下の妹はウクライナのカミヤンカ(キーウの近郊)にあるダビドフ家に嫁ぎ、交響曲第2番はそこで作曲したし、エウゲニ・オネーギンもオーケストレーションの一部をその家で行った。それだけではない、小説エウゲニ・オネーギンの作者アレクサンドル・プーシキンもダビドフ家を訪問しており、その建物は現在はプーシキン・チャイコフスキー博物館になっているとなると、この公演の背景には一本の糸が張られていると思えないでもない。空想に過ぎないが、戦争の終結をシンボライズしているかもしれない。

プーシキン・チャイコフスキー博物館

歌については、まずグレーミンのアレクサンドル・ツィムバリュクが格別に素晴らしかった。これだけのバスはそう聴けるものではなく、すべての役を彼で聞いてみたいほどだ。もう一人挙げるならレンスキーのヴィクトル・アンティペンコだ。ドン・ホセ向きの軽めで明るいテノールにも聞こえるがキャリアを見るとパルジファルのタイトルロール、ワルキューレのジークムントと重い役も演じており伸びしろがありそうな人だ。ともあれ主役級5人のレベルは高く、これが日本で聴けるとは嬉しい限り。至福の時を過ごせた。

このオペラだが、チャイコフスキーはバイロイトで鑑賞したニーベルングの指輪を「殺人的に退屈」と評した人だ。あえて「抒情的情景」と呼んだこれがワーグナーの楽劇と対極の音楽になっているのは必然であり、それが彼の持ち味と考えていいだろう。しかし、書いたのは交響曲第4番と同じころ、すなわち、熱烈な手紙を書いて迫った女性アントニーナ・イワノブナ・ミリュコワと衝動的に結婚したもののほどなく決裂し、相手も自分も精神が破局に陥って自殺まで図ったまさにその頃なのだ。一目ぼれしたタチヤーナに熱烈に迫られるという第1幕のオネーギンの設定が自分の体験とダブルフォーカスしなかったとは考え難く、同曲の平穏、平静は何だろうと思う。ホモセクシャルの気持ちを推量することは僕にはできないが、4番第1楽章が物凄い音楽になってしまっているという現実は誰も否定できないのである。

彼は「このオペラを舞台上で大衆が鑑賞することは難しいだろう」と言ったようだが、僕はその大衆のひとりかもしれないというのが実演をきいた感想だ。オネーギン君の気持ちはわからないでもない。その昔ラブレターをもらい、彼のように説教はしなかったもののその女性は遠ざけるようになってしまうという僕は妙にひねくれた男であった。もし人妻になった彼女にプロポーズしてはねつけられたらオネ君のようになったかと思わないでもないが、レンスキーが怒り心頭に発して決闘に至るくだりの音楽は少々説得力に欠けないだろうかとも思う。決闘は当時のロシアでは文化であり、恋人と踊ってじゃれあったぐらいでそうなるのもあり得たのかもしれないが、レンスキーの死をドラマの極点にしないとこの物語はもたない。しかし、そこで激してしまってもオペラの終結が相対的にドラマティックに感じないという矛盾をリブレットが内包しているため、チャイコフスキーの内省的な常識が勝ってしまったように思う。

おそらく原作を読めば腑に落ちるのだろうし文学の才がない人間がプーシキンにケチをつける愚は避けよう。音楽だって、随所に現れるチャイコフスキーらしいメランコリーは魅力的であり、宴会、舞踏会シーンの賑わいは見事にオペラティックである。つまり良いオペラの条件は揃えており、だからこそマーラーやラフマニノフ(!)がこれを指揮しているのだが、その路線であるなら多くの聴衆はヴェルディと比べてしまうのではないかとも思う。彼の3大バレエにそれはなく、おとぎの国の音楽には資質が100%発揮される、そういう資質の持ち主であった。僕の場合、どうしても比較してしまうのはムソルグスキーだ。彼は満足にオーケストレーションもできない作曲家だったが、「ボリス・ゴドゥノフ」の暗い生命力と権力の理不尽をえぐり出すむき出しの土俗と摩訶不思議な混沌は今なお衝撃であり、ストラヴィンスキーのいくつかの作品と同様に何年たっても前衛的と評されるしかないという性質の前衛性を纏っているという意味で僕は同作こそロシア・オペラの最高峰と考える。そういうものは西欧派であったチャイコフスキーには求めてもない。ちなみにヘルベルト・フォン・カラヤンという指揮者は、彼がレコード会社のマーケティングによって世俗的に纏わされたイメージからするとオネーギンこそ振っていそうなもので(振ったかもしれないが)、唯一録音したロシア・オペラはボリス・ゴドゥノフなのである(大変な名演だ)。

誤解なきよう記すが僕はチャイコフスキーのアンチではない。4番のブログは父が亡くなった一昨年に内側からのどうしようもない力で書いたもので、もう書けそうもなくて自分で好いているもののひとつだが、僕がチャイコフスキーを畏敬する者であることをお分かりいただけると思う。

チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調 作品36

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「解散」というものの本質について

2024 JAN 25 18:18:12 pm by 東 賢太郎

【解散その1】キャンディーズ(1973~1978年)

ファンだったわけではないが、ランさんは自分と同期、ミキさん、スーさんは1つ下と親近感はあった。解散会見の「普通の女の子に戻りたい !!」は見事なキャッチコピーであり、いさぎよくてあっぱれだとおじさんまで感動させる国民的行事になった。日本人は何事も散り際が大切という教訓である。恋々と爺いが権力にしがみつく醜怪なシーンばかりの今日この頃、これは思い出しても一服の清涼剤である。昭和の「カイサン」といえばなんたってこれだろう。

 

【解散その2】ピンクレディー(1976~1981年)

キャンディーズの二番煎じと思ったが、「それではつまらない」とパンチの効いたペッパー警部で売り出して当たってああなったらしい。レコード会社がA面がいいと言った「乾杯お嬢さん」だったらどういう路線になったのだろうか。大学時代と重なって思い出深いが解散は就職後で記憶にない。意外に短命だったが、インパクトがあったゆえの賞味期限切れだったのだろう。

 

【解散その3】ザ・ガードマン(1965~1971年)

小学生のころ夢中だった。この正義の味方のおじさんたち、ついさっきまで刑事だと思っていたがwikipediaによるとセコムの人で会社公認というので驚いた。なるほど、それでガードマンで「ザ・」までついちゃったんだと納得だ。しかしどうして民間企業に銃撃戦ができたのかは永遠の謎である。まあ、とにかくカッコ良かったし、テーマ音楽もベンチャーズのシュッシュがちょっとダサ目に出たりして日本人のアメリカ崇拝の原点が感じられる。サラリーマンだから解散はしなかったのだろうが番組終了=解散なのだ。終わってしまったのはとても寂しかったが『キイハンター』や『プレイガール』などゾロ品がたくさん出た。

 

【解散その4】太陽にほえろ!(1972~1986年)

そのひとつがこれだ。ザ・ガードマン(TBS)が終わるとすぐ出てきた(日テレ)。こっちは刑事の設定でドンパチの疑問は解消されたがテーマ音楽はベンチャーズのシュッシュを真似。ただ日本人の勧善懲悪物好きはDNAであり、正義の味方はいつもカッコいいのだ。ジーパン刑事の殉職など国民的イベントとなり、あれで我々もジーパンをはくようになった。解散は86年らしいがもうイギリスにいて知らない。

 

【解散その5】ザ・ビートルズ(1970年)

そのイギリスだ。我が世代、「解散」といえばこれである。

バンドの解散ではなくジョンとポールのお別れだったが、どっちがぬけてもドラえもんはないという意味で藤子不二雄みたいなもんだったまたくっつけば確実に売れるのに二度となかった。だから彼らは永遠になった。

 

【解散その6】安倍派(2021~2022年)

前から森派だ町村派だとあった気はするが、まあどうでもいいというか、とにかく政治は浅学ゆえ細かいことは全然知らず、前任の細田氏については何者かも言えなかった。安倍氏が亡くなると、今度は分身の術のように5人衆になった。僕が持ったイメージはキメラとかキングギドラとか書いてきたが、全コマを記憶している伊賀の影丸ならこれである。まあいずれにせよ化け物だ。

安倍氏は目つきが只者でないのと、トランプ勝利の機先を制して本間の黄金ドライバーを携えトランプタワーに飛び込み外交した営業力を高く評価した。外交とはああいうもので、外務省がセットした飯食うだけのは外遊という。安倍派は5人に分身しても飛んでしまったのだから安倍氏は少なくとも小物議員の5倍以上の能力があったということだ。

 

【解散その7】岸田派(2012~2024年)

総理大臣つまり自民党総裁である岸田氏が岸田派領袖のままでもあったということで国民の注目を浴びた派閥である。会社なら社長兼○○部長である。その会社の××部で不祥事があった。そこで社長が裁いて××部長をクビにした。それはいい。ところが、まったく同じ不祥事が○○部でも起きていたことが検査部の調査によって発覚した。とすると、社長はその部長もクビにしないとつじつまが合わない。でもそれは社長自身なわけだ。「社長いないと会社はまずいよな、おい検査部長、キミだってサラリーマンだ、わかってるよな、だから○○部長のオレはセーフ!」。

「でも株主総会では追及されますよ」。「なるほど、秘書室長、じゃあどうすればいいんだ?」「いい案があります。思い切って○○部は解散宣言しちゃいましょう。キャンディーズ作戦です!株主はびっくりです。自ら身を切ったか、立派なもんだと総会は喝采の嵐です。そのうちみんな不祥事のことは忘れます」。「そうか、さすがは秘書室長だ。よしわかった、それはお手盛りじゃないって目くらましするために第三者機関が決めたことにするんだ。そうだな、名前は『刷新会議』がいいぞ。メンバーはキミも入れて不祥事やってバッテンついた面々にしてくれ、懐の深い社長という姿も見せりゃオレも一挙両得じゃないか。アメリカ本社も応援してるぞ。みんな刷新して『なかったことに』だ!」。

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投資で勝つために必須の考え方とは

2024 JAN 19 18:18:54 pm by 東 賢太郎

基本的に政治にベットすることはないが、米国だけは無視できない。そこで2020年に書いたとおりトランプ・ロング(彼の勝利にかける)のポジションを組んだ。政治としての是非ではなく、何をするか読めなかったバイデンにかけて万一負けた場合にストレス漬けになるリスクを避けた。ストレスは判断を狂わせる投資の敵であり、迷ったら忌避するのは鉄則だ。要は自分がわからないものには手を出さないことである。

そこでトランプが負けた。それでこの3年僕も負けたかというとそうでもない。NYダウは5割、日経平均は7割も上がった。岸田政権になってからでも2割上がっている。彼の政治は知性も行動力も日本史上最低レベルであまりに耐えがたく、思わぬストレスとなったため納税者として大いに文句はつけたが、それでも日本株への投資ビジネスをやめたわけではなく大成功だ。バイデン民主党にもああだこうだ苦情を述べた。そんな米国だが、それでも動かせる資産は100%米ドルにして3割上がり、今もそのままだ。といって全面的に米国派でもなく中国の友人たちとは仲良くやっているが、中国株は一切触らなかった。

「君子危うきに近寄らず」といえば聞こえはいいが僕は君子になりたいわけではない。ピッチングでいうなら、「歩かしてもいいや」とボールにした球を相手が三振してくれたみたいなものだ。今の関心事は僕が積極的に仕込んで3年我慢してきた “トランプ・ロングポジション” が今年11月にワークするかどうかだ。実に楽しみなことだ。自分が儲かることもあるが、僕を信じてついてきてくれた人たちにいい目を見せてあげられることが大きい。

投資というのは何が難しいかというと、人間は感情の動物である点だ。以上のように、僕は政治的主張と投資行動になんの関係もない。「坊主憎けりゃ袈裟まで」というが、憎い坊主の袈裟でも良い物なら買う。これは理屈でない。それでさくさん墓穴を掘った失敗体験のおかげだが、社会人のかけだしの時期、そういう考えの人が東京より格段に多い大阪という街で実務の洗礼を受けたことも大きい。簡単にできるわけではないからできなくてもあきらめる必要はない、感情をコントロールする訓練を積むことだ。

日本は①「なんにも考えてない人」+➁「考えてるが行動できない人」+③「行動するが好き嫌いで動く人」=95%ぐらいという国だ。投資は経済成長の範囲で有限な富の奪い合いだから、95%が儲かって5%が損するなんてことは物理的におこりようがないことはどなたも理屈で理解できるだろう。したがって、皆さんが①②③のどれかに属する人なら、投資をしてビギナーズラックで儲けることはあっても大きな成功は難しいだろうとしか言えない。

では5%はどういう人か。是々非々で、すぐ動き、最後までやる人だ。皆さんの会社や周囲を見渡してほしい。是々非々でない(是も非もなく長いものに巻かれる)、すぐ動かない(慎重に検討して百も理由を見つけてやらないか、やらない前提で長々と慎重に検討する)、最後までやらない(やってはみるがうまくいかないと他人のせいにしたりできない理由を迅速に探しだして言い訳する)が100人中95人と僕は言っている。いかがだろうか。個々人はただの「羊」だが95人もいるとなんとなく羊の群れになり、弱い羊はそれを「長いもの」と錯覚してついてくる。これが現代日本社会であり、話題の自民党の「派閥」もこれだ。

ナポレオンは「一頭の羊に率いられた百頭の狼の群は、一頭の狼に率いられた百頭の羊の群に敗れる」と名言を残したが「一頭の羊が率いる百頭の羊の群」は出てこない。そんなものは弱いに決まってるからだ。まして、「率いる羊は五頭です」なんてバージョンは世界で思いつくのは日本人ぐらいしかなく、「三頭の怪獣・キングギドラ」もびっくりだ。岸田総理、これを退治したのはいいが自分の群れにもブーメランで火事がせまり、これまた凄い面々がそろい踏みの「政治刷新本部」が立ち上がり、五頭どころかその会合に150人が出てきた。とうとう群れより率いる羊の方が多くなった歴史的瞬間だ。

5%の人はこういうドタバタには無縁だ。基本、やるべきことは自分ひとりでやる、というか、それはできない人にはできないし説明してもわからないから、だから5%しかいないという性質のものだからである。江戸時代までは藩校が武士階級のそうした男児をたくさん育て、彼らが明治になって近代日本の礎をつくったが、敗戦でその資質の者を筆頭に300万人近くを戦地で失ってしまった。ドイツ人にもそれを言う人がいたが、この人材損失は甚大だ。その断絶を経てまた増えた現日本人だが、率いるより率いられる方が楽でいいという人が増えてる気がする。そうでない遺伝子を国は大きく逸失し、そうである方が世代を経て拡散されたからだというのが私見だ。ダイハツの不祥事はいよいよ世界のトヨタが謝罪する事態になっているが、まじめが取り柄だった日本人がいよいよそこまで来たかという劣化の象徴でもある。

ここで一つの仮説が導かれる。日本においては率いる人はもはや資質がどうのなんて以前にレアなのだ。だから、群れの羊より率いる羊の方が多い自民党という組織はさらにレアであり、カネかけて落選リスク取って苦労して率いるより率いられる方が楽でいいという考えが蔓延しつつある日本人という母集団の中で維持が困難になってきている。だからどんなに馬鹿でもお手軽な人材供給源として政治家ファミリーが歓迎・優遇され、二世三世ばかりになる。とすると、ビジネスなのだからカネというインセンティブを与えなくてはとなるのは資本主義のセオリーだ。だから地位をカネで買うのに裏金が横行し、それを地元で支えてやる見返りに地方議員は国会議員にたかり、国会議員は税金キックバックを巨大にしようと五輪や万博などの国民的巨大案件が大好きになり、政治は金がかかるんですなんて国民を洗脳して太鼓持ちする「たかり屋」のメディアや評論家がそれをかつぐ。野党も万年野党稼業の方が楽だから共闘して政権奪取なんて兆しもない。岸田総理の「派閥がなくなればこの図式が変わる」という摩訶不思議な理屈はどうやって出てくるんだろう?そんなことはどうでもいい、政治資金規正法はわけわからん「規正」じゃなくて「規制」だろう。

たかが投資だが、これも財産をかけた闘いであるという意味で戦争だと僕は思っている。株が上がってもトリクルダウンはないだのなんなのディバイドを騒ぐ人がたくさんいるようだが群れの一員ならそれも仕方ないだろう。是々非々で、すぐ動き、最後までやる人になるのに財力は不要だ。

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