チューク島にて(その3)
2014 SEP 14 11:11:38 am by 東 賢太郎
春島の防空壕を見に行きました。車でしばらく小高い丘を登ると、米国統治下になって米軍の上官が住んでいたという洋風の家が斜面に並んでいます。てっぺんにはチューク州知事公邸が立派な大木の前に建っていますが、空き家です。島民は市長に選ばれるとそこには住まず、自宅を公費で改修して住んでしまうのだそうです。
そこで車を降り、さらにジャングルへ入っていきます。暑さは全く感じません。東京のデング熱騒ぎで蚊を心配していましたが、去年と同じく滞在中に一匹も蚊とハエを見ませんでした。「日本ならもう10か所は食われてるね」と笑いながら登っていきます。
やがて防空壕の入り口に着きました(右)。入って20mほど進むと右に折れて丘の向こう側に出ます。百人は入れそうな巨大な人口洞窟であり、入り口と出口の位置を測量して固い岩盤を穿つという、精巧かつ気の遠くなるような土木作業が行われたことを伺えます。
反対側の出口には大砲が一門据えられていました。英国の軍艦に搭載されていたものだそうです。
重さは1-2トンほどあるでしょうか、この巨大な鋼鉄のかたまりを縄で丘の頂きまで引っぱり上げてきたそうです。これまた気が遠くなるほどの作業だったでしょう。
これが砲門の狙っている方向です。パンの木で見えなくなってしまっていますが、その先が港です(右端のほうに海が見えます)。敵軍の上陸作戦を想定していたことが分かります。
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ところが結局、兵士たちの苦労と工夫にもかかわらず、この大砲は一発も砲弾を発射することがありませんでした。終戦1年半前の昭和19年2月17日、18日、米軍機の大群が襲来し、トラック諸島の日本軍は空から一気に殲滅されてしまったからです。これがその惨状を実写した米軍のフィルムです(お気の弱い方はご覧にならないことをおすすめします)。
ここに集結した米軍機動部隊は戦艦6隻、空母9隻、駆逐艦、潜水艦を含め総数70隻からなる大艦隊で、空母から発進する爆撃機は延べ1200を超えました。環礁内に沈められた日本軍船舶は100隻近く、航空機に至ってはその実数は不明のままです。
「夏島の海岸と道路には死体が延々と並べられ、腐敗臭が鼻をついた。死体から流れ出る血のりで道路も歩けなかった」と土地の老人は語り、「遺体の焼却が間にあわず大きな穴を掘ってどんどん埋葬した」そうです。2日間の戦死傷者は1万5千にのぼりました。
言葉がないほどの残酷かつ屈辱的な光景です。この先に東京大空襲、広島、長崎が来ることを思うとやり場のない怒りを禁じ得ません。しかし敵に怒っても仕方ないのです。これが戦争ですから。フィルムの声の主が勝ちどきを上げているように、これは怨念のこもったパールハーバー(真珠湾)への復讐でもあったのです。
後世の我々はこの戦争という事実から目をそらしてはなりません。事実を直視し、冷静に分析し、いかにこの惨事を繰りかえさないか、この1万5千の方々の犠牲から何かを学び取らなくてはならないと思うのです。
相手には圧倒的な性能の武器と物量があったという事実。上陸を想定した大砲が無用な大規模空爆であった事実。奇襲を予測も通信傍受もできておらず丸腰状態だった事実・・・・。
武器、物量というハードの敗戦であったことは明らかですが、諜報、敵情分析、暗号解読、戦略、智謀というソフトの敗戦という側面を僕は強く感じます。腕力よりも、むしろ知力で負けたのだと。
戦後のインテリ層はそう認めたくない、しかし、このフィルムはそれを明明白白に示しています。こちらが防空壕を掘る間に、敵はカメラマンを乗せて実況中継できるほど楽勝の確信をもって軍備を整えていた。悔しいが、それが歴然とした事実です。諜報、敵情分析、暗号解読、戦略、智謀なくしてどうしてそれができたでしょう。物量は、そのあとについてくるものなのです。
そういう「ソフト」を重視しないのは日本人の民族特性かとすら思います。平和の世になった今になっても、一部の日本企業にはそれを感じます。モノ作りやおもてなしの力を過信し、諜報と智謀に基づいた大きな戦略がない。この大空襲を知ってしまった僕らが、あの防空壕の砲門を見る思いがしてしまうのです。
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空壕の入り口です。「さあ戻りましょう」。車のほうへ丘を下りようとしたら、夕方のスコールに見舞われて立ち往生となってしまいました。バケツをひっくり返したような豪雨。誰かがぽつりと言いました、「なんか、東京を思い出しますね」。
とても重たいものをいただいた日でした。
(本稿に書きました史実は、当日に案内をして下さった末永卓幸さんの「トラック島に残された六十五年目の大和魂」から引用させていただきました。当地にお住まいになって36年の知見と博識、すばらしいガイドに心より感謝しております。)
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中島 龍之
9/22/2014 | 4:23 PM Permalink
前回の東さんのブログだけを見れば、都会の喧騒を忘れてしまいそうな、天国に近い島というイメージでしたが、そんな戦闘があった島だと知ると、歴史の重さを考えざるえませんね。今、平和な場所も過去には何があったか知る必要がありますね。
東 賢太郎
9/22/2014 | 9:34 PM Permalink
昭和史を学校で教えない弊害と思います。古代史もいい加減ですし。始めと終わりがあいまい。これで正しい愛国心は育たないと思いますが。
中島 龍之
9/24/2014 | 2:52 PM Permalink
東さんの出雲訪問記から、古事記にも興味持ちましたが、朝鮮半島との歴史も知るべきですね。竹島も、尖閣問題についても同様です。