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米国との殺し合いに思う

2014 SEP 14 23:23:55 pm by 東 賢太郎

「米国放浪記」の楽しい思い出にひたった次の週、アメリカと殺し合いをした島に出張。この1週間での気持ちの落差は巨大です。帰りのグアムではアメリカ企業のホストで夕食会をしてもらったので、こちらからはある相談をしました。アメリカさんが好きになったり嫌悪したり、はたまた頼りにしたり。俺ってなんなんだろう。

不思議とクラシックを聞く気がしません。帰国してまだ一度も聞いてません。あれほど入れ込んでいたゴルフはもう1年以上クラブに触ってもいないというのを昔の知人は誰も信じないでしょうが、一番信じられないのは僕自身です。当時にブログを書いていたら、ほとんどの記事はゴルフだったでしょう。いま音楽がそうなってちっともおかしくない、自分はそういう人間になったかもしれないと逆に思うほど。

自分にとって大事なもの、生きていく糧になるものは「関心事」です。趣味とはちがいます。趣味は一生続きますが、関心は消えることがあります。僕は生来、関心事の領域が極度に狭い人間です。天文と野球と猫はいつでもそれで、ゴルフがそれだったこともあるし、クラシック音楽は今までそうかもしれませんが、仕事がそれだったことはほとんどありません。だからサラリーマンの宮仕えは、もちろん懸命にはやったのですが、僕の人生における重みという意味では僅少だったわけで、起業していま初めて仕事が重くなったと思います。

では今の最大の関心事は何かというと、「国」なのです。国ってなんなの?日本国のために300万もの日本人が亡くなった。でも、国にそんなに価値があるものなんだろうか?という疑問があるのです。国とは国民の幸せな人生を守るためにあるはずです。戦争で人生を終えられた方は、ご自分に幸せはなかったわけで、ではそのおかげで誰が幸せになり、亡くなられた方々に誰がどこでどう感謝しているのか?チューク島を見たことで、そのことがまったく分からなくなってしまったのです。

現代人が国と呼んでいるのは、少数の例外をのぞいて国民国家(nation state)のことです。しかし、ヘゲモニー(覇権)というものは昔からあっても、国民国家なんて19世紀半ばまで世界のどこにも存在しなかったのです。日本も徳川時代が終わるまで、誰一人として自分が日本国の国民であるなどとは思っていなかった。なくても良かったものに何故300万人も死ぬ必要があったのか?これが今、どうしてもわからないのです。

これは何故あんな勝てない戦争を始めたのかという意味ではありません。日本国という国体に内在した不条理のことをいっています。では反対側から考えて見ましょう。アメリカは300万人を殺して何を得たのでしょう?なぜ日本を防共防波堤として属州にしなかったのでしょう?日本という国体や天皇家を尊重してくれたのでしょうか?そうとは思えない。そんなお人よしがあんな所業を働くはずがないのです。何か国民が知らない理由があるはずなのです。

では国民の側から見て、もしも昭和20年に日本が全国土を米軍に占領されてハワイの先の州になっていたら?天皇制はなくなり政治家は失業しただろうが我々民衆はどうだっただろう?不幸な人生になっただろうか?そうでなくても西洋かぶれが跋扈してアメリカの亜流に憧れる国民であふれています。ならばアメリカ人になってしまえば?2年間米国に住んだ僕は知っているのです、それはそんなに悪いもんでもないことを。

僕が日本を愛する理由はただ一つ、父祖が、両親が、日本人だからということだけです。生まれた国を愛する義務感からでも、安倍晋三が唱えた「美しい国」だからでもない。先祖の尊厳を異国民に汚されたくない、それだけです。異国民が嫌いなのでもない。子孫が外国人と結婚しても、その人が妥当な人であるなら、それはそれで何でもないことです。君が代は歌うし日の丸に起立もしますが、それは父祖の国だからです。僕の愛国とは、ひとえに家族ゆえのfamily issueなのです。

そう思う方は実は多いのではないかという気がします。忠君愛国というのは日本国というnation stateが保持できないと困る明治以来の既得権者の都合ではないか。だから天皇は神でなくてはならず、神道を起こして仏教を排した。神なのに、それまでの日本史では征夷大将軍にあったはずの陸海軍統帥権を持たせた。これは長州閥が牛耳る陸軍が玉(天皇)をいただいてnation stateを支配する仕組みです。

もしそうなら愛国のフィクションで偽装ボランティアとして従軍し、死んでいった人たちにたいする国家の殺人だったとさえ思います。その国家というのが何たるやといえば、実は天皇すり替えで薩長がテークオーバー(乗っ取り)したものであり、明治維新という事後的に与えられた美称によって国民を欺いているもの、その真相を知っていた西郷隆盛が、薩長を陽動したグラバーらの英国の奸計に気づき西南戦争を仕掛けたものだったのではないでしょうか。

いま僕は職業上、経済上の自由を得た身として、自分だけの時間、つまりショーペンハウエルが人生で最も貴重とする真の「孤独」を得ることができつつあるかもしれません。充実した内面世界を有する者にとって孤独というのはなにかというと、物理的心理的な孤立ではなく、意味のない人や物と接しなくても良い究極の権利、いわば「孤独権」のようなものです。釣り人の夢でいうなら、これこそを夢見て僕は長年働いてきたのでした。

僕が国家に求めることがあるとすると、この「孤独権」を保護してもらうことでしょう。他国、他民族、暴力に蹂躙されたり、財産を没収されたり、法律や宗教で自由を侵害されたりしないことです。それが相応なプライス(税金)で買えるなら、僕は喜んでその国に住むことになります。権力を持つことは孤独を損なうので矛盾です。だから他人に、僕の孤独権を保護できるだけの権力、ヘゲモニーを持っていただくしかありません。選挙では、その仕事をまじめにしてくれそうな政党と候補者に投票するのみです。それがいなければ、仕方ない、海外移住することになると思います。

 

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Categories:______歴史に思う, 自分について, 若者に教えたいこと

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