クラシック徒然草-音楽の好き嫌い-
2015 MAR 20 9:09:35 am by 東 賢太郎

人間何ごとも好みというものがございます。食べ物、酒、色、車、服装、異性、ペットなどなど。愛猫家の僕ですが、どんなひどい猫でも犬より上という事はあっても猫なら何でもいいということでもなくて、やっぱり順番はあります。
はっきり「嫌い」というのがあるので音楽は僕の中では好悪がはっきりしているジャンルに入りますが、不思議なものでクラシックファンで「私はモーツァルトが大好きです」という人はいても「**が大嫌いです」という人は会ったことがありません。
嫌いと無関心は違います。全然別物です。好きがプラスなら嫌いはマイナス、無関心はゼロです。ゼロは何倍してもゼロですから、クラシックは何を聞いても何も感じないという人はどの曲も好きにならないかわりに嫌いになる心配もご無用ということであり、逆にどの曲も嫌いにならない人はある曲だけ好きになることもないのが道理だろうと思うのですが。
食べ物の場合は「何でもOKです」ということだってあるし、親がそうなるように教育もします。食べないと死んでしまうのだから全部が無関心ということはまずあり得ません。しかし聞かないと死ぬわけでもないクラシックは、幼時から聞いて育つわけでもない場合が多い日本人にとっては無関心か食わず嫌いがスタートというのは当然です。
それがある日突然に全部好きですなんてことは異様であって、一度フランス料理を食べたらフォワグラから羊の脳みそまで一気に好きになっちゃったなんて、そんな頑張る必要はぜんぜんないのです。「ほとんど全部眠いですが第9の第4楽章だけは感動します」、そういうのがきわめて真っ当、普通です。
僕の場合は縷々書いてきた曲は「もの凄く好き」ということなのでプラスが大きい、だから正反対のことでマイナスが大きい曲だってちゃんとありますし、それが自然体鑑賞法の自然な帰結なんじゃないでしょうか。クラシックと名がつけば全部名曲であって何でも好きですというのはホンマかいなと思ってしまうのです。
さらにいえば、あの退屈極まりない(僕にとってはほぼ拷問であった)音楽の授業で無理やり楽聖の名曲だと押しつけられる。だから日本人にとってクラシックを聴くということは教科書にあった曲は全部うやうやしく好きにならないといけない、そういう強迫観念で縛られているのかなと思ってしまいます。だとすると三島 由紀夫の指摘したとおり、日本のクラシック好きはマゾっぽいですね。
僕のように音楽の通信簿が2だった子がある日めざめて好きになる、すると当たり前ながらちゃんと嫌いな曲もたくさんあることが自分でわかってくる。それで君はクラシックが分かってないねなんて通の評価が下ってもSo what?(だからどうしたの?)ってことじゃないでしょうか。
僕は京料理が好きですがハモが苦手です。夏場はそれが売りだからどうしたって出てくるんですが僕はカウンターで抜いてくれという。変な顔をする店がありますがいい店の主人はかえって歓迎してくれますね。それでも京料理屋に来てるんだから見栄や酔狂でなく本当に好きなんだとわかってくれる、それで鮒ずしなんか頼むと完璧にわかってくれる。そういうもんだと思うのです。
音楽のハモにあたるものはこういうものです。
マーラーの6番というのは全クラシックの中でも最も嫌いな曲の一つで、あのティンパニのあほらしい滑稽大仰なリズム、おしまいの方で板とか酒樽みたいなのを鏡割りみたいにぶったたくハンマーは作曲家は大まじめに書いたり消したりしたらしいがまあどうでもいいわなとしか思えず、全曲にわたって音楽的エキスはなし、あんなのを1時間半も真面目な顔して聴く忍耐力はとてもございません。
チャールズ・アイヴズという米国の作曲家の和声に吐き気を催した(本当に)ことがあって、それ以来トラウマになって一度も聞いておりません。あれは一種のパニック障害の誘因になるのじゃないかと思い譜面を見るのも恐ろしく、それがどういう理由だったかは謎のままです。
メシアンのトゥーランガ・リラ交響曲に出てくるオンド・マルトノという電子楽器、あのお化けが出そうなグリッサンドは身の毛がよだつほど苦手です。結局あの曲を覚えるには勇気を奮ってライブを聴き、視覚的にそれが出てくる箇所をまず覚えて(見えると怖さが減る)、来るぞ来るぞ(いや、お化けが出るぞ出るぞだ)と心の準備をしながら10年以上の歳月を要しました。
ヴェルディはコヴェントガーデンやスカラ座でたくさん観たのですが、椿姫の前奏曲のあのズンチャッチャ、あれが始まるとああ勘弁してくれここは俺の居場所じゃないと家に帰りたくなってしまう。運命の力序曲のお涙頂戴メロディーなど退屈を通り越して苦痛であり早く終わってくれと願うしかありません。閉所恐怖症なので床屋も苦手で、ああいうつまらない曲でホールの座席にしばられると床屋状態になるのです。
パガニーニのコンチェルト、カプリース、およびリストの超絶技巧。ヴェルディのズンチャッチャよりは多少ましですが、この手の曲が不幸にして定期公演で舞台にかかってしまったりすると行くかどうか迷います。ましというのは、一応ソリストの技巧を見るという楽しみはあるからで、演奏家の方には非礼をお詫びしますが僕にとってその関心はボリショイ・サーカスや中国の雑技団を見るのとあまり変わらないです。
一歩進めてこれが演奏のほうに行くと、大嫌いなものは無数にあります。好ましいと思っている演奏家であっても曲によってはダメというのがあって、例えばカルロス・クライバーのブラームスは4番の方は実演であれほど感動したのに2番は到底受け入れ難い。リズムが前のめりで全然タメがない快楽追求型で、妙なブレーキがかかったり弦を急にあおったり、あんなのはブラームスと思わない。カイルベルト、ザンデルリンク、コンドラシンなどと比べると大人と子供です。
ティーレマンはサントリーホールで聴いたベートーベンは割と良かったのですが、ブラームス2番はだめですねえ。youtubeにあるドレスデン・シュターツカペレとのですが、オケはせっかくいい音を出していて第3楽章までは悪くない(クライバーよりいい)ですが、終楽章のコーダに至って100円ショップ並みに安っぽいアッチェレランドがかかってしまう。そこまでの感動がどっちらけですね。お子様向けです。
モーツァルトというとグレン・グールドのソナタとの相性の悪さについては既述ですが、同じほどひどいのにカラヤンの魔笛というのもあります。ベルリンPOのDG盤は多少はましですが古い方のウィーンPO盤。どうもカラヤン先生カン勘違いしてるなと思いつつ我慢して聴いていると、タミーノとパパゲーノが笛と鈴をもらう所で3人の童子が出てきますが、これがなんとヴィヴラートの乗った色気年増みたいな女声で実に薄気味悪く、もう耐えられず降参です。
演奏について書きだすときりがないのでこの辺にします。以上、嫌いなものオンパレードで皆さんがお好きなものが含まれていたら申しわけありませんが、もっとたくさんある好きなものの裏返しということで、これでハモの価値が下がるわけでもないということでご容赦いただきたく存じます。
(補遺、2月1日)
今日、ピエール・ブーレーズ追悼番組の録画を見ました。ノタシオン、レポンの映像は貴重です。03年東京公演のベルク、ウェーベルン(マーラーユーゲントO)の精緻な演奏は感涙ものです。しかし後半が蛇蝎のように嫌いなマーラー6番というのが残念。これが好きな方にご不快は承知の上で、よりによってこれはないだろう。神であるブーレーズが振れば大丈夫かと恐る恐る聴きましたが第1楽章でもう降参。消しました。
Yahoo、Googleからお入りの皆様。
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西室 建
3/24/2015 | 7:53 PM Permalink
「耳の娯楽」!座布団3枚モンですね。耳の贅沢とかね。
花ごよみ
3/24/2015 | 11:18 PM Permalink
こんにちは。
とても興味深いお話です。人それぞれのクラシック音楽のとらえ方があるようですね。私の場合、「大嫌い」はあまりなく「大好き・好き・興味がない」のいずれかのように思います。「興味がない」というのは、例えば両耳にちくわを通して聴く感じです。「クラシック音楽」=「教養」と思ったことは、あらためて考えてみましたが、あまりないです。自分が育つ中で、耳の中にクラシック音楽も童謡もテレビの主題歌もその他の音楽も、つねに同時に入ってきていたからかもしれません。それにしてもプーランクの「和音の雪崩れ」(13:45からのところ)、聴かせて頂きました。このような所の和声を分析しようという東さんの発想自体にものすごく驚きました。これは普通、音大の作曲科に進んだ方ぐらいしか、興味を持たない部分かもしれません。これは本当にプーランクの感性がポップス・ジャズの世界にDNAを残した部分と言えそうです。響きはもっと単純ですが、似た進行に「枯葉」・「フライミートゥーザムーン」があるように思います。ハーブ・アルバートの曲かっこいいですね。「ルート101」という曲がスカッと気分爽快だった遠い記憶を思い出しました。
東 賢太郎
3/25/2015 | 11:40 AM Permalink
Harryさん、マーラー6番とアイヴズをぜひ。ヴィラ・ロボスも(嫌いではないですが)あんまり得意ではないのでそのうち何か書いて下さい。楽しみにしてます。
花ごよみさん、こんにちは。「雪崩れ」の部分は楽譜がないのに探し出していただき(聴音力すばらしい!ひょっとして音楽家でいらっしゃいますか?)とてもうれしいです。そうなんです。僕はそういうのに耳が反応してしまうので、発想というか、むしろ猫の耳が鳥の声にぱっと向くみたいな感じで、自分も耳が動いてから気がついて楽譜を見て・・・という順番なんです。
そういうのがある曲はジャンルを超えて例外なく「好き」となるわけなので、僕も同じで「教養」なんてどこ吹く風です。ぜんぜん本能的に聴いてます。ハーブ・アルバートやバカラックはバルトークやプーランクと同じノリで大好きですよ。「嫌い」というのはその裏返しかもしれません。やっぱり動物的に「逃げたい」という音でむしろ恐怖に近く、黒板をチョークが引っ掻くキーという音なんかと一緒です。
「人それぞれのクラシック音楽のとらえ方」って面白いですね。クラシックが先に来るんじゃなくて、音楽が先なんでしょうね。だから僕のクラシック好きというのは、僕の「好き」が出てくる音楽がたまたまクラシックと皆さんが呼ばれているジャンルに多い、それだけのことです。
Harry Saito
3/25/2015 | 1:40 PM Permalink
マーラーの交響曲6番は9番と並んで好きな曲の一つです。「悲劇的」や「悲愴」といったタイトルのついた曲はいくつかありますが、この曲の悲劇性には陶酔感を覚えるほどです。アイヴズはMTTやOzawa関連で聴いた限りで特に好みというわけではありません。ヴィラ・ロボスはいずれ思い出話としてピアソラなどと一緒に書きたいと思います。
花ごよみ
3/25/2015 | 10:22 PM Permalink
バルトーク、ヴィラ・ロボス、ピアソラ素敵ですよね。それにしてもひと頃のピアソラブームは凄かったですよね!私も散々聴いて後半、「お茶づけ食べた~い」という感じにまで、なっていきました。
音楽家・教育家になるつもりはなかったのですが、音楽は少しかじりました。ピアノも腱鞘炎になるほど練習したこともなく、一回だけ痛くなりましたが次の日、即治ってしまいました(^^;