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クラシック徒然草-ハヤシライス現象の日本-

2015 SEP 30 21:21:37 pm by 東 賢太郎

日本人は外国の文物を輸入して、それをベースに日本独特のものを作るのに長けています。洋食はそのひとつでパスタも日本化して、ナポリの人は知らないスパゲッティ・ナポリタンができる。カレーもラーメンも、インドにカレーという食べ物はないしラーメンは老麺か辛麺か、とにかくどちらもオリジナルとは別物です。

ハヤシライスの起源も語源も諸説あるようで、ハッシュト・ライスが変化したとかハヤシさんが考えたとか。色がわからないので僕はあれは味違いのカレーと思ってましたっけ。カレーライスもインドにはないが(ちなみにカレーは英語)、ハヤシライスにいたっては原形すら西洋にはないわけで、いかにも洋食っぽい和食であります。

音楽についても洋楽は洋食と同じ明治時代に入ってきた輸入品であり、初めて国家という看板を掲げて必要になった国歌の君が代は日本人が作曲してドイツ人が和声をつけました。メロディーは和風ですが和声はピアノで弾くと心地良い洋風なのが時代を象徴しています。余談ながら和声、オーケストレーションがいい加減なものが多いですが、神宮球場で試合前に鳴るバージョンは僕の記憶のかぎりオリジナルに近いと思います。これも洋食に見える和食でしょう。

音楽の輸入というと、演奏法のそれもあります。僕は日本人の弾いたピアノで、この曲はこういうものだったのかと感化されるような強いメッセージをいただいた経験がありません。これが演奏法のせいなのかは議論があるでしょうが、僕はそうだと思ってます。唯一、内田光子のモーツァルトのソナタだけが例外ですが、内田は日本の音大を出てないし、もう英国人です。

ショパンをきれいに弾く人、それっぽく上手にまとめる人はたくさんいますが、ひとことで言うとメッセージがない。指が弾いてる音楽であって、申し分なくうまいのですが、響きがこっちに共鳴してこないというか、誰が何と言っても私はこう弾きたいではなくて、書かれたとおりに先生に習った通りに、そこに楽譜があるから正確にやってますよ、ねっ、ミスタッチないでしょ、きれいな音でしょ、という感じです。のっぺりしているのです。

それも、誰のを聞いてもあんまり主義主張のバリエーションがなくて、テンポや強弱は差があっても結局それが何のためなのか心に響いてこない。もしかして「ショパンっぽいショパンの弾き方・裏ワザ集」でもあって、そこからの部分部分の外し方がバリエーションになってるんじゃないかとさえ思うのが多い。それでもショパンは自分なりの「華」を作れる音楽だからまだよくて、それがない、音楽に対する主義主張の本質だけでプレゼンしなければいけないモーツァルトをこの人たちはどう弾くんだろうと思うのです。

だから内田光子がモーツァルトで脚光を浴び、世界で評価されたという事実は違うんです、こういう演奏は日本で教育された人からはまず出てこないような気がいたします。

K.309の第1楽章をお聴き下さい。素人が技術を云々するのも過分ですが、このハ長調は簡単に聞こえて弾くのが意外に難しいと思います。どうしてかというと、いい演奏があんまりないからです。内田はレガートに始めて、絶妙の強弱をつけて、スタッカートで飛び跳ねて、リズムの粒立ちで心をときめかせて・・・まさにモーツァルトがこれを書いた動機はこうだ、自分だってフィガロの上演の合間にでも遊びながらこんな風に弾いたんじゃないかと思ってしまう。

この弾き方はピアノフォルテでもいいかなと思いますね。モダンピアノのレガートとなめらかな音色を使いこなしてますが、左手のリズムの拍節のうきうきする刻みかたなど古楽器の感覚もあって(ご本人に聞いたわけではないですが)、タッチに関わる底知れぬ教養を感じます。「教養」とあえて呼びますが、そういうことはモーツァルトの譜面には書いてないわけで、彼のオペラや管弦楽曲や宗教曲を知り尽くして初めてなるほどと思う性質のことです。

こういう演奏は他の日本人ピアニストからは少々望みがたい、というのは、この差はN響とウィーン・フィル(VPO)の差でもあって、内田のアレグロは気合が入った時のVPOのヴァイオリン群のノリを強く感じるのです。モーツァルトはこういう人よ、ここはこうやらなきゃだめよ、という主義主張が音から聞こえてくるのです。

ヴァイオリニストにいい人が出るのにピアニストはほとんどいない、それはピアノを弾くというのは伴奏者ではなく自分が指揮者ということであって、音楽の骨格から「自分」を出さなくてはいけない。つまり、主義主張が鮮明に出ないと何のために聞いているのかわからなからなくなるという性質の音楽がピアノ曲だからです。

ロンドンにいたころ、東京都響が来て若杉さんの指揮でブラームスの4番をやったのですが、内田さんが近くの席におられて、聴きながら音楽に没入して両手で指揮されてましたね。ああ4番がお好きなんだなあと、僕も負けずに好きなんでオーラをびしびし感じました。彼女はモーツァルトのコンチェルトを弾き振りしてますが、それぐらいの「我」がない人が弾いたって面白くもなんともない、それがモーツァルトです。

K.309にもそのオーラが出てます。理屈じゃなく、そうでもないとこの呼吸、リズム、タッチは出てこない。それが、やっぱり下手でも弾いてみたいと思っている僕の心にびしびし共鳴してくる、そんな感じです。この曲について彼女と何時間でも話してみたい、そんな気になる唯一の演奏です(西洋人のを入れたって)。センセイの言うとおりの「のっぺり演奏」できくとk.309は単純で退屈な曲です。そんな気が起きることはありません。

のっぺり演奏の正体は、おそらく「ピアノソナタ・モーツァルト風」なんでしょう。モーツァルトを輸入して醤油で味つけした、西洋風和食です。ベートーベン風、シューベルト風、ショパン風、シューマン風、メニューにはいろいろあるが、ぜんぶ醤油味だから。そうなっちゃうのは教育システムの問題でもあるでしょうが、客の問題もあります。モーツァルト風がモーツァルトと区別がつかない。ハヤシライス食べて、西洋の気分になって帰れてしまう。客がそれなら料理人もハヤシでいいかになっちゃう。

ピアノ科の生徒さんはきっとピアノ漬けだろうし、そういう音楽教養レベルでハヤシライスの世界を抜け出すのは、大変といいますか、ほとんど絶望的でしょう。ワールドクラスの演奏家になりたいか国内だけでいいのか。五輪に出たいか国体で満足か。前者の方にとっては、音大の先生は嫌がるかもしれませんが、内田さんのモーツァルトは必修科目ですね、全部きいてみることをおすすめします。

この問題は東大の経済学部がマル経っぽくなって、僕の中国の友人が「マル経?ああ北京大学にもあるよ、哲学科だけどね」と笑ってたのと相似形の現象ですね。こんな東大からノーベル経済学賞は、賭けてもいいが絶対に出ないでしょう。日本の大学は権威があるところほどハヤシライスの先生ばかりになって、洋風和食のコックばかりつくる。賢明な学生はワールドクラスとは何か、自分で、自分の頭と感性で、勉強されているとは思いますが。

 

 

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