ドヴォルザーク「新世界」のテンポ
2017 AUG 7 17:17:21 pm by 東 賢太郎
西村さんの投稿に楽譜の読み方のことがあった。僕自身、耳で覚えていたのを後で楽譜と見比べて変だなと思ったケースがある。例えばドヴォルザークの新世界だ。第1楽章に何か所かあるが、第4楽章のコーダの前のテンポは曲全体の印象を変えてしまうほどインパクトが大きい。
そこはこういう流れになる。
①ホルンのソロで悲しげに冒頭の勇壮なテーマが回想される②すると弦が16分音符で駆け上がり③ffで決然とテーマを弾く(弦、ホ短調)④和音が3つ続く⑤ホ長調になる⑥トランペットが朗々とテーマを吹く⑦コーダ
この①→⑦の流れでテンポが揺れ動くのはどれも同じだ。僕はアンチェル/チェコPOで覚えたので①やや遅くなる②冒頭のテンポ③その半分の速さで④さらに遅く⑤冒頭のテンポ⑥その半分の速さで⑦急に速く、に慣れている(38分40秒から)。
Dover(Simrock,1894)のスコアのテンポ指示がこれに近い。チェコの巨匠、ターリヒ、クーベリック、ノイマンはほぼこのやり方だ。各々の部分の比率はまちまちだがその他の指揮者もこのパターンである。⑦に飛び込む「タメ」をどこに置くかであって個性は多様だ。⑥で大きく減速するスヴェトラノフはユニークだが、チェコ派のプロポーションのデフォルメだから奇異には聞こえない。
ところがこれを聴いてひっくりかえった。コリン・デービスがアムステルダム・コンセルトヘボウ管を振ったフィリップス盤だ(9分34秒から)。
お聞きの通り、⑤以降は冒頭のテンポのまま突っ走る。つまりチェコ派のプロポーションの完全否定といえよう。これはPetrucchiにあるOtakar Šourek 編集のスコア(⑤でAllegro con fuocoになり最後までそのまま)ではないかと思われるが確証はない。あまり関心がなく根拠までは知らないが、ピアノ編曲譜を見ると速度表示がまた違う。in pempoと a tempoの混乱もあるように見受けられる。これは異例のことだ。新世界が出版される時にドヴォルザークはアメリカにいて校訂はブラームスら第三者が行ったそうで、そこに原因があるかもしれない。
やはりチェコ派の基本を逸脱して奇異に感じるのは、③が速くて⑤⑥がデービスと同じで⑦はさらに速くなるシルヴェストリ、③だけ速いショルティだ。根拠は不明。何が正しいのかはドヴォルザークにきかないとわからない。全員が指揮の歴史的巨匠である。それがこんなに違う。コリン・デービス盤はACOの音響、録音とも素晴らしく非の打ち所がないが、初聴にしてこの最後の最後、Allegro con fuocoでショックを受けてしまい、以来このLPをターンテーブルに乗せる勇気はもてなかった。
初めて聞いて覚えてしまった演奏には一生呪縛される。それがベーコンの示す「洞窟のイドラ」であることをわかってはいるが、僕も洞窟から抜け出せない。人間の思い込みとはいかに罪深いものだろうか。
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野村 和寿
8/8/2017 | 9:35 AM Permalink
東くん 興味深いご指摘ありがとうございました。もう既に、ご存じかと思うのですが、チェリビダッケ・ミュンヘンフィルハーモニーのドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の、フルバージョンの動画があります。とにかくまったく違う曲のような遅さです。ちょっとその遅さに驚いてしまいました。
https://www.youtube.com/watch?v=_9RT2nHD6CQ&t=276s
にあります。野村
西村 淳
8/8/2017 | 9:36 PM Permalink
最近の良心的なCDレーベルは楽譜の出版社(ヘンレ、とかブージーとか)まで記載されているものもあります。またピアノの種類(ものによってはスタインウェイの製造番号まで!)や使用している楽器まで。東さんが挙げられた録音ではどんな版が使われたかわかりませんが、指揮者の解釈以前に使用楽譜の違いが大きいかもしれません。
だからこそ原点に戻るという意味で、自筆譜ファクシミリや初版譜はとても重要になってきますが、これとて誤りがあるので油断なりません。実際にジュピターの自筆譜にはチェロパートに間違いがありました。もちろん、モーツァルトが間違えた(!?)
わけのわからない版を使用した演奏で不幸な刷り込みがされてしまうと、悲惨な人生になりかねませんね。
東 賢太郎
8/9/2017 | 12:28 AM Permalink
野村くん有難うございます。そうですね、晩年の彼は遅いです、なんでもかんでも。でも僕にとって別な曲に聞こえるようなことはなく、知った道を草花を愛でながらゆっくり歩くようです。本稿の①-⑦もチェコ派のオーソドックスなプロポーションですね、若き日を回顧するようでいい味と思います。
東 賢太郎
8/9/2017 | 12:38 AM Permalink
西村さん、有難うございます。「ジュピターの自筆譜チェロパートに間違い」は初耳です、どこですか?印刷譜は良くありますね、チャイコフスキーの悲愴の全音スコアは第1楽章のオーボエに間違いがあります(今出ているのは知りません、高校時代に買ったのです)、全曲シンセサイザーで弾いたのでわかりました。
野村 和寿
8/10/2017 | 2:22 PM Permalink
東君 ぼくは、1995年頃に、チェコ・プラハのドヴォルザークホール内にある、楽員の部屋で、バーツラフ・ノイマン氏に直接お会いしたことがあります。ノイマンの彼女が経営しているとかのプラハの街角にある大衆的なステーキハウスでお昼を食べました。ノイマンはそのときに、日本のポニーキャニオンの録音で、ベートーヴェンの「序曲集」をチェコフィルと録音していて、それを覗かせもらいに録音セッションに参加していたのです。カズトシとノイマンはぼくの英語の名詞をみて、すぐに発音できました。どうも彼によれば、日本語はどこかチェコ語と発音が共通しているらしいのです。なんか他愛のない話で失礼しました。
野村 和寿
8/10/2017 | 2:28 PM Permalink
今調べてみたら指揮者ノイマン氏にお会いしたのは1994年の2月ごろでした。ベートーヴェンの序曲集は当日、「シュテファン王序曲」を録音していました。なかなか演奏されたいこの曲を演奏で、はじめて聴きましたが、なかなかに面白い曲です。
東 賢太郎
8/11/2017 | 11:03 PM Permalink
野村君、あのホールはいいですね、あれだからチェコ・フィルが成り立ってるように思います。ノイマンは結局聞けませんでしたがブラームス2番の稿に書いたように晩年に味が出てきて好きな指揮者でした。特にスプラフォンにある彼のマーラー交響曲全集はマーラー嫌いでも魅了するものがあって(なんたってチェコ・フィルの音!)大事にしてます。