チェコ・フィルハーモニー演奏会を聴く
2017 OCT 4 11:11:08 am by 東 賢太郎
指揮:ぺトル・アルトリヒテル
チェロ:ジャン=ギアン・ケラス
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ドヴォルザーク:序曲『謝肉祭』 op.92, B169
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 op.104, B191
ブラームス:交響曲第4番 op.98
秋の夜にぴったりのコンサートだった。サントリーホールにて。チェコ・フィルはほぼ同じプログラムを同じメンバーで9月20日にプラハの音楽祭で演奏したばかりで、5月に逝去した常任のイルジー・ビエロフラーヴェク追悼演奏会でもあった。ビエロフラーヴェクは素晴らしい指揮者で、お国物も良かったが現代オケでモーツァルトを振ったら第一人者だったと思う。
その後を継いだぺトル・アルトリヒテルはフランクフルトで94年4月にプラハ響でドヴォルザークの交響曲第7番をやって、これにいたく感動した記憶がある。同年12月に同じアルテ・オーパーでゲルト・アルブレヒトがチェコ・フィルとやった同8番が期待外れだったのと好対照だった。故アルブレヒトは読響でも多く聴いて好きな指揮者だったがこのドイツ人シェフは常任になったチェコ・フィルと折り合いが悪かったと聞く。
その割にこのオケはブラームスを得意としていて、4番だけでも最近のところでマカル、小林研一郎があるが、ペドロッティ、ラインスドルフ、フィッシャー・ディースカウなんてのも持っている。この日も老舗の味というか、何も足さず何も引かずの熟成感あるブラームスとなった。金管など決して機能的なオケではない。ソロのジャン=ギアン・ケラスがジュリアード音楽院で仕込んだ水も漏らさぬユニバーサルな技術を持つのに対し、このオケはそういうものとは違う、米国流とは相いれない「非常にうまいローカル・オケ」であり、分厚い弦が主体で金管、ティンパニは控えめの東欧のオルガン型ピラミッド音構造が残る。
娘が「こんなに女の人がいないの初めて」というほど今だに男オケだ。女性はハープとホルンとヴァイオリンに3,4人、舞台の右半分はゼロだった。「いや、昔はみんなこうだったんだよ」といいつつ、80年代のロンドンで変わってきたのを思い出す。そういえば我が国も「ウーマンリブ」なんて言葉がはやっていたっけ(もはや死語だ)。特に室内オケに進出が目立ち始め、黒ずくめの男性に青のドレスがきわだって最初は違和感があったものだ(今日のチェコ・フィルはヴァイオリンの女性も黒でズボン姿だったからずいぶん保守的なんだろう)。
人生酸いも甘いも知り尽くした風の白髪のオジサンがたがうんうんといちいち納得し、音を大事に慈しみながらコントラバスを奏でている姿は眺めるだけでも心が洗われる。「ブラームスの4番ってそういうものなんだ、大人の音楽だね」とは言ったものの、娘は赤ん坊からこれを毎日のように聴いて育ってる。こっちは「鑑賞」でスタートだが、彼女らはカレーでも食べるぐらい普通なのだ。でもクラシックは味を覚えたら何度食べたって飽きないカレーと一緒だ、一生の楽しみになってくれただろう。
ブログにしたがドヴォルザークのチェロ協奏曲はシンセサイザーで弾いて第1楽章をMIDI録音した。第1楽章の名旋律のホルンのソロや各所で泣かせるチェロの歌。弾いていて涙が止まらず、カラオケ状態にして何度も何度もくり返し家中に響き渡っていたのだから子供たちはみんなこれも耳タコだ。これまた今更ながらなんていい曲なんだろう。これを聴いてブラームスはチェロ協奏曲が書けなくなり、第3楽章のコンマスとの掛け合いをヒントにしたのだろうかドッペルを書くことになる。改めてそれに納得だ。
ちょうど今日、仕事が天王山にさしかかって伸るか反るかの経営判断をすることになるだろう。とてもコンサートのモードになかったが、ケラスの絶妙の美音に心を鷲づかみされてしまい、第1楽章の真ん中あたりで完全にとろけてしまった。軽い弓のppがこんなに大きく柔らかく心地よく聞こえたのはロンドンで聴いたロストロポーヴィチ以来といって過言でない。技巧はこうやって音楽に奉仕する。かつて耳にしたドヴォコン最高の演奏だった。アルトリヒテルの伴奏はというと「お国物」といえば月並みだがこれはチェコ語でやらないとだめなのかと、ドナルド・トランプではないがケチなグローバリズムなどくそくらえと思わされてしまうキマり方だ。玉三郎の阿古屋だ。あれこれ御託を並べるのも無粋。
ドヴォルザークは不思議で、モーツァルトやブラームスとまったく違うやり方で心に侵入してくる。頭を経由せずハートを直撃してめろめろにしてしまうのだ。ちょっと毛色こそ異なるが、民謡や演歌がすっとはいってくる感じだ。我々日本人がチェコとエスニックなつながりがあるとは思えないし、五音音階の作用だけとも言い切れまい。何ごとも「クラシック」と呼ばれるようになるのはそういう不思議なものを秘めているということだろうか。
(ご参考に)
ケラスがビエロフラーヴェクとやったドヴォルザーク
ビエロフラーヴェクのモーツァルトはこういうものだった
ひと昔前の名演はこちら。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
Categories:______ドヴォルザーク, ______ブラームス, ______演奏会の感想
野村 和寿
10/6/2017 | 12:13 PM Permalink
東君 チェコフィルの演奏会楽しく拝見させていただきました。1995年頃に、ぼくはチェコフィルに年に七度も通っていたことがありました。簡単に言えば、チェコフィルの録音にボランティアと見学にいったのがやみつきになって、仕事があくと、日曜に思い立ち火曜日にはプラハにいるということを繰り返していました。まあ、ばかみたいですが。当時アルブレヒトは現代音楽をよく指揮するドイツ人で、書いていらっしゃる通り、チェコフィルの初のドイツ人常任指揮者になりました。プラハの新聞は、ちょうど日本のスポーツ紙のように、ドイツ人初指揮者のことを話題にしていました。両者の関係はそんなに悪いものではなく、お互いに練習や演奏会なども良好な関係でしたが、周囲がかまびすしかったように感じています。ロンドンのマネージメントで、プラハでお父さんが外交官で、少年時代を過ごしたパロット(Parott)人がいて、彼がマネージメントを仕切っていました。後にパロットは、ぼくの友人とともにある仕掛けをして、アルブレヒトを日本の読響に招聘したのです。同じくパロットは、後のアシュケナージをチェコ・フィルの常任に抜擢し、後に、同じように日本のN響に常任指揮者として招聘しました。このような西側になったばかりのプラハを巡っては、音楽マネージメントも、一九九五年当時は、かまびすしく状況が動いていました。
東 賢太郎
10/6/2017 | 11:38 PM Permalink
野村君ありがとう。そうだったんですか、パロット氏のおかげでアルブレヒトをたんまり読響で聴けたわけですね。そういえば2001年にロンドンでアシュケナージのピアノと指揮でチェコ・フィルとモーツァルトK.466とプロコフィエフの5番をやったのを思い出しましたが背景がわかりました(これは良かったです)。野村君の趣味が東欧系にあるかなと拝察してましたが半端じゃなかったんですね、チェコ・フィルをこそまで聴き込まれた日本人は少ないでしょうしとてもうらやましいことです。
野村 和寿
10/7/2017 | 6:02 AM Permalink
東くんへ 外交官(駐チェコ 英国大使)の父の影響からか、パロット氏は旧ソ連、北欧に指揮者捜しの食指をのばし、エストニアのパーヴォヤルビを発掘し、ドイツカンマーフィルをつくり、パーヴォを日本に紹介し、そして今はN響指揮者です。結局の所、日本の音楽マネジメントは、自分で誰かを探すという空気はなくて、パロット氏の思うつぼみたいな所もあるような、政治とか経済と似ているような島国根性の日本が、格好の売り手市場なんだと思います。以前、朝比奈隆や井上道義をシカゴ交響楽団に売り込んだのもパロット氏です。
http://www.harrisonparrott.com/artist#all
が、パロットの事務所のアーチストです。特に日本で有名なアーチストが多いのがわかると思います。クラシックマネージメントも、裏がわかってしまうと、こういうことみたいです。
東 賢太郎
10/7/2017 | 10:42 AM Permalink
パロット氏の思うつぼみたいな・・このリストを見るとよくわかりますね。勉強になりました、まさにおっしゃる通りと感じますしまるでクラシックのジャニーズ事務所だ。スポーツマネジメントも同じですね、NPBでいうと広島カープはドミニカにカープ・アカデミーを作ってこの欧米人支配の図式に風穴を開けたわけですが、他球団はまだエージェントに頼ってるのはクラシック音楽界と同じレベルです。しかし野球は日本の人材が狙われますがリストを見るとクラシックは諏訪内と辻井ぐらいです。朝比奈隆や井上道義をシカゴ交響楽団に売り込んでも売れなかったんだろう。野球は160キロの球速があれば何国人でもOKですが、クラシックはスペックだけじゃない、まさに芸能人の要素があるんじゃないでしょうか。今はどうか知らないが米国のマネジメントのドンがホモで、メジャーオケの常任はホモかユダヤ人しかなれないと聞いたことがあります。ミトロプーロスとコープランドのお気に入りの子がバーンスタインだったと。芸能界ならば裏はなんでもありでしょう。
野村 和寿
10/7/2017 | 8:05 PM Permalink
バイロイトなどのヨーロッパ・メジャー音楽祭は、全部アメリカ・ユダヤ資本のコロムビア・アーチストが押さえてしまっており、パロットの出る幕はありません。なにしろパロットは個人事務所なので。それでファーイーストの日本などが、格好のアーチストの消費地になるんですね。N響も50年前まではいわゆるヨーロッパの一流指揮者は最高でもサバリッシュかマタチッチでした。それはマネージメントを有馬大五郎という国立音大の後で学長になる、1930年代にドイツ留学をはたした人、ひとりの力で読んでいたからだと思われます。それはそれで立派でしたが、有馬氏が呼ぶことの出来た最大のメジャーはカラヤンまででした。日本が自力でマネジメントが発達してこなかったので、パロットのような個人事務所の介在になるのでしょうね。パロットのような個人事務所は、ほかにもロンドンにはいくつか存在する様子です。
野村 和寿
10/7/2017 | 8:09 PM Permalink
バイロイトなどのヨーロッパ・メジャー音楽祭は、全部アメリカ・ユダヤ資本のコロムビア・アーチストが押さえてしまっており、パロットの出る幕はありません。なにしろパロットは個人事務所なので。それでファーイーストの日本などが、格好のアーチストの消費地になるんですね。N響も50年前まではいわゆるヨーロッパの一流指揮者は最高でもサバリッシュかマタチッチでした。それはマネージメントを有馬大五郎という国立音大の後で学長になる、1930年代にドイツ留学をはたした人、ひとりの力で読んでいたからだと思われます。それはそれで立派でしたが、有馬氏が呼ぶことの出来た最大のメジャーはカラヤンまででした。日本が自力でマネジメントが発達してこなかったので、パロットのような個人事務所の介在になるのでしょうね。パロットのような個人事務所は、ほかにもロンドンにはいくつか存在する様子です。
たとえば、http://www.askonasholt.co.uk/artists/
ここも、多くのアーチストが来日しています。アスコナスショルトというこれもまた個人事務所です。
東 賢太郎
10/9/2017 | 8:51 PM Permalink
ハワイの別荘、高級フランス料理とならぶ洋モノ必需品としてバカ高いオペラのチケットが昔の高島屋の商品券みたいな価値を有しているのが日本です。「昔の」ですよ、今はこの業界はデパ地下で食うようになった。「日本が自力でマネジメントが発達してこなかった」というより日本のクラシック界は昔の幼稚なまま、それも鹿鳴館時代のままです。ソウル・フィルは自国のチョン・ミュンフンを常任にしたがN響は小澤をしませんよね、喧嘩したからというより客が入らんからでしょう。フランス料理老舗としてシェフは日本人じゃダメなんです。客ばかりか楽員もそう思ってるきらいがある。アメリカもそういう時代があってボブとかジムとかトーマスなんてアメちゃんっぽい名前は売れない、まだメータやオザワなんてわけわからん方がましだった。でもバーンスタインが出るまでの話です。ジュリアード、カーチスで育てた自国の音楽家に誇りを持つように進化した。日本はまだ化石みたいにそれをやってる。文科省、音大の教育の責任が大ですね。このままだと「天才演奏家はもう出ない」に書いたことがいずれ起こります。演奏が劣化してクラシックは聴衆も減りますね、もうすでにジジイ、ババアばっかりだし。