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モーツァルト 交響曲第38番ニ長調 「プラハ」K.504

2016 OCT 10 1:01:44 am by 東 賢太郎

モーツァルトの後期の交響曲というのはあまりに絶品であり有名でもあるものだから、ベートーベンの9曲のように用意周到に作られたように思ってしまう。しかし35番ハフナーはセレナーデの転用だし、36番リンツは貴族のお屋敷にお呼ばれした御礼に4日で書いたものだという。最後の3つだけは正体不明だが、ハイドンセットなみに細部までの彫琢にこだわりを感じ、その正体はこうだったと考えている(  クラシック徒然草-モーツァルトの3大交響曲はなぜ書かれたか?-)。

さて、ではそのはざまにある38番プラハはどうか。フィガロのウィーン初演(1786年5月1日、ブルグ劇場)以来、一抹の不穏な空気がただようなか同年12月にフィガロはエステート劇場にかかって大喝采を受けた(彼が自作を指揮した唯一現存する劇場である、右)。熱狂する地元のファンが作曲家を指揮者に招き、モーツァルトは翌87年1月11日にプラハ着、19日に当劇場に登場し2月の第2週まで滞在した。その前座で38番は演奏されたのである。作曲は86年12月6日と記録があり、ウィーンの冬季演奏会用であったという説もある。

38番にはメヌエットがない。これがなぜかはわかっていない。アラン・タイソンの五線譜X線リサーチによると第3楽章を書いたのは86年はじめであり、フィガロ完成より前だから年末になって第1,2楽章を書き足したことがわかる。それがウィーン用かプラハ用かは知る由がないが、書き足しは短期に行われメヌエットは手が回らなかったか、オペラの前座という性格からあえて省いたかもしれない。ドン・ジョヴァンニ序曲を一夜で書く人だから前者よりは後者かとも思えるが、僕は以下のように考えている。

ピアノ協奏曲第25番ハ長調は38番の完成の2日前である86年12月4日に完成され、初演は翌日の5日だったと推察されている。ということは38番の第1,2楽章はPC第25番の仕上げとほぼ同時期に書かれたが、初演はどうだったのだろう?12月6日という日付は手直しをした最終稿の脱稿日であって、38番はとりあえずのパート譜で5日に一緒に初演されたのかもしれない。間に合わせだったのでメヌエットがなく、翌年にプラハへの土産で前座の演奏をして用は足りてしまいそのまま「メヌエットなし」になったというのが僕の推察だ。

そして38番の第3楽章が書かれたころ、PC第24番ハ短調が3月24日に作曲され初演は同年4月7日、フィガロ初演の1か月前であった。38番がフィガロの分身であることを考えると、24番の異様さは目を引く。これがPC25番と共にフリーメーソンのカラーを帯びた音楽であることは前述したが、これだけ性格の異なる音楽を同時に書けるモーツァルトの精神構造と職人性は興味深い。彼はその後に深刻さのない38番世界のコシと24番の暗く重い世界をまとったドン・ジョバンニを書くが、その両者が魔笛で融合していくのである。

第1楽章は第1,2ヴァイオリンの交差が驚くほど精妙にスコアリングされており、バスは当時の慣行として全曲一貫してVc、Cbが同じパートに記譜されているもののチェロの高音域は時に独立して声部をになう。オーケストラにおいてこれほど精妙な、カルテットのようなアンサンブルが息もつかせぬ疾走をみせるのは稀であり、これぞプラハを聴く喜びだ。これはヴァイオリンが対抗配置であることが必須であり、チャイコフスキーの悲愴と同様、現代流の配置は作曲家の意図が消えてしまうのだから論外である。

転調の妙はいたるところにあり語るに尽きないが、第2楽章のコーダに近いここは初めて聴いたころとても衝撃を受けた。

praha

d・g・f#・c・b・e・d(ト長調)が2回目にはbが半音下がり急に変ホ長調になってしまう。ふっと心に寂しさの影がさしたようなここは痛切だ。

第3楽章は主題がタタタターの運命リズムで開始し、楽章を通してそれが鳴り続ける。ピアノ協奏曲第25番の稿にベートーベンがそれをそこから採った可能性について書いたが、25番と同時期に書かれたプラハにも明確に運命リズムが刻印されているのは注目されていい( モーツァルト ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503)。

カール・シューリヒト / パリ・オペラ座管弦楽団

38番にこの演奏が残されたことは世界のモーツァルト・ファンにとって僥倖だ。モーツァルトをあんまり聞いたことのない人はこのCDをぜひ何度もお聴きください。必ずや彼の音楽の素晴らしさがわかるだろう。小川の清水のように流れる音楽は清冽であり、内声部にいたるまですべてのフレーズがからみあって音楽と共に呼吸している様は驚くしかない。対抗配置がこれほど活きた例もなく、クリアに立体的にポリフォニーがみえるのがごちそうだ。即興的にきこえるが、ヴァイオリンの高音の伸ばしにクレッシェンドがかっていたり、その立体感は周到に作られていることがわかるが一聴ではまことに自然で作為がない名人芸だ。最高の色どりで明滅する木管群、テュッテイに重みをそえるティンパニ、第1楽章の展開部とコーダで楽興が頂点に至る素晴らしさはもう神品と形容するしかない。アンダンテのひそやかな短調への転調の陰り、終楽章の快活なテンポも最高。決して一流とは言えないオーケストラにこんなにパッションのこもった自発的なアンサンブルをさせる、こりゃあ指揮の魔術、シューリヒトの最高の演奏の一つに数えられると思う。ただ、一緒に入っている36,40,41番は僕の趣味からはそうでもない。オケの弱みが出てしまいシューリヒトの融通無碍な良さが出きっていない。どうして38番だけああなるのか、これまた音楽の不思議である。

 

ブルーノ・ワルター / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1936年12月)

949戦前のSP録音であり音は宜しくない。しかしこの第1楽章の天衣無縫の速さに慣れてしまうともう他のは物足りなくなる、そのぐらいインパクトのある演奏であり音がどうのと言ってられない。38番はフィガロの姉妹だ、僕はアレグロを快速で飛ばしてほしい。それをやっている唯一の演奏がこれで、それなのにコクを失わない、まさにモーツァルト!と音楽を満喫させてくれるから最高である。ワルターはこの後もVPO、NYPO、コロンビアSOなど数種の録音を残すが、そのどれもやはり物足りない(最後のは特に)。これがそれだ。

 

カレル・アンチェル  / ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

4571426310050終楽章のテンポの素晴らしさ!オルガン的なバランスと有機的なアンサンブルで疾走するプレストの音楽はまさしくDSKだ。第1楽章は上記2点より遅め(まあ普通のテンポだ)だが古雅な木目の音色で滋味に満ちた音楽がぎっしりつまっている。第2楽章、くすんだ弦、鳩笛のような質感のファゴット、青空に突き抜けるようなフルートがまことに素晴らしく純正調のハーモニーが癒してくれる。こういう演奏が看過されているのはもったいないというしかない。録音は1959年6月(エテルナ)でモノラルだが聴きやすい。

 

ペーター・マーク / ロンドン交響楽団

750第1楽章アレグロは速めのアンダンテぐらいで対抗配置でもないのがマイナスだが、ヴィオラを右に置き弦の各パートのフレージング、アーティキュレーションを磨き上げて、じっくりと歌わせつつ独特の立体感を出している。木管をくっきり浮き出させ要所でのトランペットのアクセント、ティンパニの強奏も効いており、この彫の深さは見事。第2楽章も遅い、アダージョぐらいだ。これは僕にはややもたれる。終楽章はプレスト、アンサンブルはやや粗いがこの活気はとても良い。これは僕が2番目に買った演奏(LP)で38番を覚えるのにお世話になった。

 

イルジー・ビエロフラーヴェク /  プラハ・フィルハーモニア

51edyrxcnkl-_sx355_あまり知られていないがいい演奏で一聴をお薦めしたい。ビエロフラーヴェク(1946~)は90年にノイマンの後任としてチェコ・フィルの常任指揮者になったが、西側に入り民主化の流れで行われたCPOの自主投票でゲルト・アルブレヒトに替わられた。僕はその前、84年に米国はワシントンDCで彼とCPOでドヴォルザークの8番を聴いたがあの音は忘れられない。たいへん有能な指揮者と思う。このプラハはコクのようなものはないが快速で両端楽章は室内オケの軽みが活きている。リズムにキレがあり対位法の綾も素晴らしい。フィガロの愉悦感をそのまま封じ込めた名演。

 

 

モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

 

 

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