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フォーレ「ペレアスとメリザンド」作品80

2025 JUN 14 2:02:35 am by 東 賢太郎

誰かさんの住居からの眺望というなら、圧巻の最右翼であるのは「ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの邸宅」から見おろしたフォロ・ロマーノであろう。絶景ではない、紀元前8世紀 〜 後5世紀のローマである。初めてそこに立って眼下を一望したその刹那、電気に撃たれたようにここに住みたいと思った。28才の夏だった。以来、懸命に働いて会社を移籍したりなんだかんだあったが、一貫したモチベーションはそれだったように思う。そんな場所を東京に見つけたのが52才。1秒で買うと決めた。3階の夜景はローマだ。しばし浸ってから地下室へおり、何かレコードをきこうと思う。レコード/CD収納棚の1万枚から目についたものを好き嫌いなくひっぱりだす。これが日常だ。日常だから平常であるが、人生はその積み重ねである。

先日はフランス音楽が無性に欲しかった。これと思ったのがシャルル・ミュンシュがフィラデルフィア管(PHO)を振った唯一の録音、フォーレのペレアスとメリザンドだ。シシリエンヌもいいが僕は第1曲プレリュードを熱愛する。この家に越してから未聴のレコードがたくさんあるが、そのひとつだった。陶然とするほど素晴らしい。世評は高いが昔の装置では価値が知れなかった。第2曲のVnの伴奏をきくだけでもPHOが一流どころの中でも「超」がつく理由がわかる。当録音は1963年。オーマンディ全盛時代であり派手さだけが喧伝されたが、アメリカにフィラデルフィアサウンドなんて言葉はない。あれはコカ・コーラの日本用キャッチコピー「スカッとさわやか」のようなもので、日本家屋の音響事情に合わせたマーケティング用語だった。何事もそうであるように基礎技術が抜群でなくして一流にはなり得ない。このアルバム、ラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」、ベルリオーズの「ファウストの劫罰より」とフレンチものをミュンシュという名シェフが調理した逸品だ。ただしデジタルで再生してもいまひとつ。LPの音は替え難い。

この曲は1898年6月21日にロンドンで行われたメーテルリンクの戯曲「ペレアスとメリザンド」の英語公演の付随音楽だ。多忙だったフォーレはオーケストレーションを弟子のシャルル・ケクランに委ねたが、そこから編んだ「前奏曲」「糸を紡ぐ女」「メリザンドの死」の組曲版は自身がオーケストレーションに手を入れ二管編成とした。

フォーレの音楽は驚くべき和声の迷宮だ。とにかく展開が予想できぬ、ちょっと苦手なタイプの女性と話してる感じが近い。しかしその崇高で玄妙なさまはお見それしましたとついていくしかなく、不思議な充足感を約束してくれる。第一曲、第二楽節からそれは全開である。彼はリストの導きでワーグナーのリングをきいて傾倒したが、識者の間では影響はあまり受けていないとされている。そうだろうか?終結でト長調の増三和音(G⁺)のEsをホルンソロが信号音で引っ張り、変ホ長調に転調してから冒頭のメリザンドの主題が回帰するまでの部分は僕にはワーグナー的にしかきこえない。

ワーグナーにないのは、雲間から青空が顔をのぞかせて微光がさしたと思えば暗雲が遮って小雨の気配になるといった塩梅で明暗つかみかねる心の綾だ。語法も感性も異なるがシベリウスを思い浮かべる(彼の初期もワーグナーの影響が顕著だ)。メリザンドは城の男を惑わす不思議ちゃんであり、ドビッシーはドビッシーなりの方法で彼女のとらえようのない曖昧模糊を描いたが、フォーレは特段のことをせずとも、もとよりそうした語法の人だった(シベリウスも同作品の付随音楽を書いたのは偶然ではないかもしれない)。終曲「メリザンドの死」はショパンの葬送行進曲のように始まる。予想外のバスの動きが織りなす滋味深い和声も五臓六腑に染みわたり大変に魅力的である。この味を覚えてしまうとフォーレは抜けられなくなる。

ヴィルトゥオーゾ・オーケストラだから良いという音楽ではない。僕はどうしても一種の「おごそかさ」「しめやかさ」が欲しい。それもゲルマン的な湿気は無用で、ラテン的な乾いたものが望ましいから難しい。

いきなり学生オケがトップにくるが、ジェームズ・フェデック指揮サンフランシスコ音楽院管弦楽団。まったく知らない指揮者だが、細かなニュアンスまでオケが訓練され、指揮の意図をとらえて学生オケが大健闘している。僕は演奏家の知名度やグレードなどどうでもいい、聞こえてくる音楽だけが命だ。第一曲など実に素晴らしい、音楽性満点でベストと言っていい。

もうひとつ気に入ったのはこれだ。クリスティーナ・ポスカ指揮バスク国立管弦楽団。ポスカはエストニア人。この作品への愛情が伝わる。作品をよく研究して知っていることと愛情は別だ。もちろん両方あるのが望ましいがそれが伝わってくる演奏は意外に少ない。終曲の木管の低音の音程がやや苦しいがしめやかで趣味が良い。

書いたことにいきなり反するが、ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・フィルハーモニーは捨て難い。当楽団の湿り気がありバターのごとく滑らかさ極致の弦の魅力ゆえだ。この曲にどうかと思うのだがどうしようもなく美しい。第1曲はまるでワーグナーだが指揮の力だろう、しめやかさの限りを尽くすからなにも文句はない。世界最高峰のオーケストラ演奏が聴ける、なんてゴージャスなCDだろう。

ジェームズ・ガフィガン指揮オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団。米国人の知らない指揮者だがこれもいい。細部までデリケートでバランスが良く、欲しいものを欠いておらず才能を感じる。僕はロンドンからオランダを担当しており、ユトレヒトにアメフという大手の保険屋さんがあって何度も行ったが、この「チボリフレデンブルグ」というホールはなかったと思う。このビデオできく限り音響は非常に良さそうだ。

久しぶりにミュンシュのレコードを取り出し、本稿を書くに至った。偶然の産物だが、日々おきていることなんて実はこんなものだ、その集大成の人生だって。

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Categories:______フォーレ

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