クラシック徒然草《フランス好きにおすすめ》再録
2026 NOV 3 17:17:05 pm by 東 賢太郎
フランスのファッションやコスメやグルメやワインといえば、一般に、女性にとって憧れの最高峰ブランドなのであろう。これは日本に限らない。夜の街でモテたい男性諸君はヴィトンとかシャネルとかディオールとか、ゲランとかシスレーとかオルラーヌとか、サンクとかエピキュールとかガブリエルとか、ロマネとかムートンとかマルゴーとか、にわか勉強で結構だから彼女らの前でうんちくだけでも垂れてごらんなさい。まあ実力次第のところは残るものの注目度があがることは請け合いだ。モネとかルノワールとかセザンヌとか、フォーレとかラヴェルとかドビッシーなんていうのはあんまりおすすめしない。だいたいが知らないし、煮ても焼いても食えないし、いい香りもしないし、場合によってはねえねえこんど買ってなんて羽目になるだけだ。
僕においては、フォーレとラヴェルとドビッシー以外はあまり大事でないから一般のフランス好きとは見事な補集合を形成しているかもしれない。それは女性に限らずほとんどの人は読んでいないだろう書物に本屋でたまたま出会い、魂を吸い寄せられるように熟読し、すぐにでもパリに行きたいと思わされた発端があるからだ。「フランス学序説」に教わったこと。21歳での読書が一人の人間の人格形成をどうキックオフしたか、いまそのあたりの年齢の方のご参考になれば幸いだ。そればかりではない。本との出会いは人とのそれに勝るとも劣らないのは、それがあったから後に社会人になって思いが現実化した気がしないでもないからである。入社当時からあちこちでその思いを、匂いぐらいでも発散していた自分がいたのかもしれないが、だからといって人事発令が出るほど社会は意のままにはならない。しかし、パリではなかったものの、自分はフランス国と北東南に隣接して歴史的、文化的、民族的、政治的に極めて近しい3つの国に赴任して11年半も住めたのだ。
ところがいま、当のパリにおいて、そうして自分なりに学び知って好ましいと感じて何十年も生きてきた「フランス的な精神」なるものが音をたてて崩れ去っているようだ。パスカルが『幾何学的精神』と並んで『繊細の精神』を尊重し、桑原武夫氏がそこから抽出し看破された「論理と美の共存」は、共存どころか、両者の各々がもはや花火大会の〆の一発のごとく、この暴動で粉微塵に砕け散ってパリから雲散霧消してしまっているのではないかと危惧するばかりだ。精神は物理的なものではない。ひとの心に在る。パリ市民の心が時を経てまったく別物になったとは考えづらいが、マスとしてのパリ住民なら大いにあり得る。おそらく、いや、ほぼ間違いなく、それは起こっている。
高校生のデモに乗じて暴動を画策した極左の長は名前も忘れてしまったが、驚くべきことに、ルイ16世の処刑を決議し、最後は自身も断頭台の露と消えたジャコバン派の独裁者ロベスピエールを熱烈に支持する男ときく。仮定の話として、我が国で皇室に刃を向けた者がいたとして、その下手人が打ち立てた政権を国民が支持するだろうか。フランス人は簡単にしたのだ。わが国だってそうできる武力を手にした者はたくさんいたが、朝廷の官位である征夷大将軍にとどまり誰もそうしなかったのは支持されないことが明白で、逆賊として討たれることになるからだ。なぜなら男系男子で万世一系というルールが国の隅々まで骨の髄まで知れ渡っていたからである。そのもっとも悲しい実例が、錦の御旗を掲げた官軍に討たれた武士階級を象徴する西郷軍であり、彰義隊、白虎隊であり、朝廷を忠義をもって支えていた会津藩だ。神聖ローマ帝国の権威はあっさり消えたが、錦の御旗ひとつで天地が反転するほど天皇の権威は不滅だった。GHQの姦計で象徴の形容がつこうが何だろうが不滅だ。そうである限り日本国は不滅であり続ける。
喧嘩に勝っただけのブルボン王朝やロマノフ王朝、そして第一次世界大戦の火種は撒いたが家名を名乗る子孫だけは残ったハプスブルグ王朝にも、支配と存続を絶対とするルールはなく、力さえ維持すれば王権は神との契約ということになって保持される脆弱なフィクションがその維持された力だけによって保持されるという恐ろしく愚かなトートロジーによって儀式化され、まったく非論理的に安泰である地位は子々孫々に継承されるはずだった。しかしルネサンスで芽生えた科学への信奉は広く民に啓蒙され、神は世俗的権力の保持においては全能でなくなり、喧嘩に勝っただけの君主は喧嘩に負ければそれまでだった。討たれた権力者に何の憐憫の情もなかったフランス人エクトール・ベルリオーズはギロチンで落ちた首が転がる音までピッチカードでリアルに描写する。そこまでクラルテを追及してやまぬこの民族の「フランス的な精神」に我々日本人が共感するのは永遠に無理な気がしたのが先だってのパリ五輪開会式であり、暴動対策が存外に手ぬるいマクロンの後がロベスピエール君になるなら、もうパリに行くこともないだろうという気がしてしまう。この暴動はなにやら重大で危険極まりない臭いに満ちている。このままだと来年、この得体のしれぬ男がマリーヌ・ル・ペンと一戦交えることになろう。
僕にとって最後になるかもしれないパリは2010年だった。まだ市街は安全だったが、駅の周辺は明らかにそれとわかる眼光鋭い移民の男女で殺伐としていた。自動券売機がよくわからない。すかさず寄ってきた若い女が教えてくれ、切符が出るとカネをよこせと腕をつかまれる。とっさにナイフを持ってないか見定め追い払った。危険だ。それが16年前であり、いまや移民が人口の2割というのだから、もうフランスは不可逆的な変貌を自ら民主的に選択して遂げたのだと断じるしかなかろう。移り住んできた異国の人にとって無価値であるどころか目の敵である「フランス的な精神」など真っ先に粉砕されるべき標的であることは、悲しいことではあるが一概に否定できるわけではない。彼らには彼らの歴史と文化があり、家族があり日々の生活がある。流入を禁じたところで結婚で人口は増える。もう救われる手段はない。フランスは半分左翼の分断国家に陥るだろう。
アメリカだってその道を来たではないかと思われるかもしれない。しかし、踏んだり蹴ったりでフランスの国家財政は債務超過だ。アメリカは自国通貨建てで国債を発行して世界に売り、同時に輪転機をフル回転して自国通貨を刷りまくって経済のエンジンをふかせば、綱渡りではあるが破綻しない道はある。ユーロ加盟でその道が絶たれているフランスにその道はない。その隘路に決定的に嵌り込むのはギリシャぐらいだろうと高をくくっていた欧州中銀は、フランスがユーロを離脱して欧州全体をめちゃくちゃにする確率を計算してるだろう。あの誇り高き国がこんな変わり果てた姿になってしまうのか・・・阿呆の政治家をトップにすると国民は自殺に追い込まれかねない教訓だ。「お前は国をまとめる力がない」と批判され、「265種類もチーズを作る国が簡単にまとまるわけないだろう」と言い返してド・ゴールは政局を鎮火したが、他国のチーズまで入って2割増えたじゃないかと反論されれば全焼かもしれない。
いま、フォーレの “Après un Rêve” (夢のあとに)を弾き終え、西方に向かってご愁傷様と念じた。ご遺族が京都市に寄贈した桑原武夫氏の蔵書1万421冊を無断で廃棄した勇猛果敢な女性職員と夜の街で出会うことは1億分の1%もなかろうが、フォーレもこれに類する何か、自らの、いや人類の絶滅にさえ繋がりかねないと思える絶望的に悲しいことがあったのではと感じないでもない。
本稿は、10年も前になる2016年9月3日に書いた “クラシック徒然草《フランス好きにおすすめ》” を改訂したことを下に添付してお知らせするためのものだ。これぞフランス!と膝を打った、いまや昔懐かしい名人フルーティスト達のコンピレーション・アルバムを紹介したもので、選曲の品の良さも演奏のレベルの高さも特筆ものであったが、上梓した当時はこのような事情であったからずっと喉骨が刺さった気持ちが消えなかった。
以上、残念ながらyoutubeに見当たらず音はお聴きいただけません。
ところが先日たまたま、そのひとつがyoutubeに見当ることが発覚したのである。ならば全部あるのではないか?この「全部」というのが僕には大事であって、さもなくばやめていただろうが、粘り強く追ってみると、あった。
全部リンクを貼って、10年たってこの稿は完成した。どこの誰が何をいおうと書こうと、どれもが奥ゆかしき「フランス的な精神」に満ち溢れた最高の芸術品であることは請け合いだ。皆さんご安心いただきたい、ヒトラー、スターリンが現れてもアートは滅びなかった。心ゆくまでお楽しみください。
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