今でも残る43年前にセビリアで考えたこと
2026 SEP 22 13:13:53 pm by 東 賢太郎
先々週にスペインの夕焼けのブログを書きながらセビリアを思い出してました。もともとの支配者はゲルマン系の西ゴート王国でカトリック。それがウマイヤ朝に征服されイスラム支配が5世紀続き、それがまたカスティーリア王国に征服されてカトリックに。世界史であっさりとそう習って覚えたわけですが、それで大学には入れても実は何にもわかってませんよ。なぜなら自分がそういう教訓を得たのがそのセビリアにはじめて行った時のことなんです。行って、たたずんで、感ずるものをじっくり味わった記憶が血となり肉となる。本当だから若者はやってごらんなさい、その場でわからなくてもいずれ分かります。わかったら財産です。旅行は投資です。金をケチってはいけません。
前の文明は上書きされ消えるのが世界史の常識です。どこへ行ってもそう。つわものどもは夢のあと。例外はありませんでした。ところが、セビリアでは人間も文化もが異教徒間であるにもかかわらず適度に混合し、滅んだはずの文明が遺伝子となって生きているのです。征服者が貧しかったわけでもないのにイスラム寺院の遺構がカトリック教会の一部になり、アラビア語で記されたギリシャ文明を組織的に翻訳し、エンタメは昔ながらの闘牛があると思えばロマも入ってきて土着していてフラメンコの聖地にもなった。実に異例中の異例の場所なのです。
残っている著名な一例としてグラナダのアルハンブラ宮殿があります。当時スペインは全く無知で、アランフェス協奏曲はここで書かれたと勘違いしていたくらい知識がなかったのですが、ひとつだけ、イスラムの城・宮殿なのにこれもレコンキスタで破壊しなかった。なぜだろうと思ったことだけ覚えてます。行ってみてその理由がどことなくわかる気がしたのです。
ここに立ってみた方は納得いただけると思うのですが、この水鏡、言ってみればただのプールです。それが巧みに配置された幾何学的な造作物の一部となると、頭がクラクラするほど、言葉を失うほど美しい。衝撃でした。
カスティーリャ王ペドロ1世もここに立ってみてきっとそう思ったんでしょう、セビリアに建てたスペイン王室の宮殿アルカサルもこうなった。
まあ僕の趣味ではごちゃごちゃした分、美しさは相当グレードダウンしてますが、異教の美意識を分け隔てなく認め、宮殿に取り入れてしまったスペイン人の本能に忠実なこだわりのなさ、フレキシビリティというものはユダヤ教徒にもイスラム教徒にもまずないです。スペイン人は仕事では会いましたが個人的にはほとんど知りません。そういう気質なんでしょうか。万が一にもパレスチナ問題が片付いてどっちかの天下になってもアルカサルみたいなことは絶対に起きないでしょうね。
セビリアという都市ですが、コロンブス艦隊はここから出港して新大陸を発見し、しこたま金を儲けた。地球が丸いと証明されてない時代です。本能に忠実なこだわりのなさは蛮勇のもとにもなりますが、運さえ良ければ大発見や大成功のもとにもなるのです。後にマゼラン艦隊の出港地ともなり、大航海時代の拠点としてスペインが獲得した新大陸の富はまずセビリアに持ち込まれました。だからでしょう、アルカサルは血の匂いとともにカネの匂いも濃厚でした。
調べてみるとイスラム支配を殲滅し、新大陸で殺戮と強奪を繰り返して築き上げた富はやがて美意識につぎ込まれています。画家ではティツィアーノ、ルーベンス、ベラスケス、ゴヤ、音楽家ではドメニコ・スカルラッティ、ルイージ・ボッケリーニがこの宮廷の世話になってます。アートというものは性善説だけでは語れないのです。人間の愚かさ、残虐さ、強欲な性(さが)というおぞましき泥沼に咲いた蓮の花のようなものかもしれません。アートをする人は美意識だけ持てばいいですが、それを社会の中で健全に保持しようとする人は清濁併せ飲まなくてはなりません。
コロンブスという男はイタリアのジェノヴァ出身で、港に立派な像(写真)があります。前に立ってみて、こんな偉い奴だっけと複雑な思いがいたしました。1492年に最初に到達したイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国)だけで「虐殺・戦闘」「処刑」「奴隷化・強制労働」「飢餓」「病気」で50万人ぐらい殺された。キリスト教化の名目で罪の意識もなくです。もし日本人がしてたら慰安婦像みたいのが100万個も建ったでしょう。奴隷化・強制労働がカネになる味をしめるとアフリカ人が対象になりました。1549年に日本にやってきたフランシスコ・ザビエルはバスク人ですが(モーリス・ラヴェルの母親も)、信長のままで秀吉、家康がいなければ日本も危なかったかもしれません。
1853年。コロンブスが見つけてキリスト教徒に乗っ取られたアメリカ合衆国からマシュー・カルブレイス・ペリーという男が浦賀にやってきました。名目は日本を捕鯨船の寄港地とするためでしたが、一皮むけば牙をむくコロンブスと同じような荒くれた奴らです。僕はキリスト教には何の反感もありませんし、むしろそれが生んだクラシック音楽と共に育った人間ですが、教義が骨の髄まで染み込むと脳が誤作動してとんでもないことをしでかす「人間という動物」が危険だという論点は全く別です。この時、貿易・開国を強く迫ったハリスに返答するという重い外交判断を迫られた大老・井伊直弼の危機対応はやむを得ぬと思います。開国猛反対で即時攘夷派の水戸斉昭も、越前藩主松平春嶽あてに、「本当は開国しかないが私は攘夷派の頭目と攘夷派の人々に思われているため、開国と言えないので貴君らが開国を計らって欲しい」と手紙を書いている(wikipedia)。まあ僕には本音の吐露というより小ずるい逃げに見えますがね、政治の当事者たちにとってそれほどの難局だったということで最高権力者で逃げ場がなかった井伊直弼が一番大変だった。僕の頃の教科書には「戊午の密勅」の記載はなく知りませんでした。安政の大獄は孝明天皇が幕府の先に斉昭に詔勅を送り、朝廷の代理人としての幕府の立場が危うくなったからやむなく起きたと理解します。僕の先祖はこのとき起きた水戸天狗党の乱でばりばりの尊攘派、一橋慶喜押し派で薩長と通じ、幕府にひっ捕らえられて小伝馬町に投獄されてますから本当は井伊直弼をほめちゃいけないんですがね、会社のオフィスがホテルニューオータニで井伊家屋敷跡にあるもんで微妙な気持なんです。水戸斉昭が「キリスト教は危険」と看破していたことだけは特筆したいですがね。
コロンブスは航海日誌にこう書いています。
「彼らと友好を結ぶため、それにまた、彼らは力ではなく愛を持って接すれば、より速やかに解放され、我らの聖なる侵攻に帰依するとわかったので、彼らの何人かに赤いボンネット帽や首にかけるガラス玉の数珠といった安価な品をいくつか与えたところ、彼らはとても喜び、我々も驚くほど和やかな間柄になった。(中略)彼らは良き下僕になるに違いない。なぜなら私が見るに、彼らは私が話すことすべて、すぐに後について口にするからである。また、私は彼らは速やかにキリスト教徒になると信じる。なぜならいかなる宗派も持っていないように思われたからである」
1945年。今度はダグラス・マッカーサーというアメリカ人が日本に上陸しました。若いころ女にモテなかったことと、野球に熱中して成績が落ち野球をやめたことだけは親近感を持ちましたがあんまり好きになれない奴という印象です。コロンブスの日誌を読んでいたのかどうか、安価な品を与えれば日本人はとても喜び、驚くほど和やかな間柄になることを発見したが、キリスト教徒化はうまくいかなかったんです。だって現在にいたって、韓国人は31%も信者にしたのに日本人はたった1%ですからね、無理なんです。うまくいかない根源は天皇の存在だと気づき皇室にもそれを仕掛けたし、新憲法で地位を骨抜きの象徴天皇としたわけです。しかしながら、それでも天皇の神性を日本人の心から消せなかった。我々国民もなぜかと言われると厳密には分かりませんが、それが「歴史というものだ」とでも説明するしかなく、何ら合理性の見えないこの説明だけは歴史のないアメリカ人にはわからなかったのです。お分かりと存じますが、だから日本国が日本国であり続けるためには男系男子という2千年の歴史は変えてはいかんのです。それをああだこうだ言って変えろという人たちは、日本国が日本国であり続けて欲しくない人たちだと本性を見抜くリトマス試験紙のようなものです。いいですか、アメリカはこの度のイランとの戦争でまっさきにハメネイ師を殺しました。この人はイラン国民にとって当時の日本の天皇のような存在だからです。宗教だからアメリカはわかりやすかった、天皇は宗教の教祖でない訳のわからない存在なので、マッカーサーの意見もあって同じ扱いをしなかったんですね。ところが殺したのにイランは腰砕けにならなかった。これがトランプの最大の誤算だったのです。いまだにわかってないんですねアメリカは、自分たちがいかに歴史の重みをわかってないかということを。
ヨーロッパからの移民が作ったアメリカが覇権国家になったのは、ルネサンスと産業革命を起こし科学技術による圧倒的な殺傷力を持つ兵器を手にした優位性からです。次の優位性は生成AIがもたらし、それを手にした者が宇宙という新たな新大陸を支配することにもはや議論をさしはさむ余地はありません。宇宙からは容易に地球上のどこでもピンポイントに核攻撃できるので軍事力競争もそこで終了です。その地位がアメリカに保障されてはいないことをアメリカは知っており、ベセント財務長官が何立峰副首相に対し「米中AI対話」の設立を持ちかけたというニュースが昨日飛び込んできたのです。僕は2017年5月23日にこのブログで日本の教育に警鐘を鳴らしました。
優生学を信じているに違いないベセントらアメリカのエリート連中が真剣に中国を恐れている。日本に言ってきたのは「円が安い。金利上げろ」だけ(トランプに詰められたんだろ、ああくだらねえ)。中国への対話要請は科学技術競争のためでもキリスト教のためでもなく、種の保存の危機感のためです。 中国共産党の幹部がずらりと理系であり、日本はそれ自体が国家戦略上まったく無価値でしかない「文系思考」というものの産物であるところの「文系重視」という末期的トートロジーにはまりこんだまま身じろぎもせず(というよりそれを否定してしまうと自分の権威も権力もなくなる文系権力者がドミナントであるから)、ブログを書いてから9年たってツケがいよいよ来てしまいました(唯一の反応と思われたのは2021年度から早稲田大学政治経済学部が入試で数学I・Aを必修科目としたこと。志願者が減るならそのこと自体が合格者の質は上がることを示唆します。敬意を表します)。80年前にアメリカが恐れたのは日本でしたが、理にかなった戦略で中国がその座にとって代わりました。AIは受け身でしかない日本はこのままならもうお呼びでない。
こうなった原因はもうひとつあります。国民全体が「一億総中流の平等を良しとする共産主義的思想」の塊ですから、高学歴になっても金持ちに自動的になることは許さない。だから若年の役人は可愛そうなぐらい薄給です。若い頃クラス会で酒が入ると「なんでソープのオヤジが年収1億円で!」と怨嗟の声が結構まじめに上がった。なるほどそれが本音ならデフレ政策とったほうが気分いいわなあとも思いました。誰しも人間だし家族の幸せもあるし収入が大事なのは当然のことと思います。政治家、役人は外国に比べ地位、能力に見合う収入を得ていないと不満を抱えているのは口外しないだけで事実です。だから、身を滅ぼさない安全な手口でマネトラ、ハニトラ、お好みのメニューさえ用意されれば簡単に買収できてしまうのです。帝国海軍の幹部が英国にイギリス人名義の口座を作って賄賂をもらっていたシーメンス事件が良い例です。権力者の買収は低開発国の代名詞で国の恥ですから明治の昔から報道機関もグルになって秘匿し、日本を手籠めにしたい外国勢力はその低開発国性に容易につけ込めたのです(現在だって)。ものすごく勉強しないと進めない道に進み、高級官僚になっても熾烈な出世競争があるわけですからマクロ的には低賃金で雇えてる日本国が儲かっているということで納税者も帳尻はあっているのではないかと僕は思っています。ただしお気楽な世襲政治家にその温情は当てはまりませんが。
中国の理系重視は軍事力重視であり、米露と同様日本人をトラップする側です。スパイにだって仕立てます。だからスパイ防止法が必要なんです。それと人民元の基軸通貨化の両輪でアメリカを凌駕してヘゲモニーを奪うことが明確な目的になっているのです。そして、それは極めて正しいです。だからベセントは警戒しています。地方の金融機関にある天文学的な不動産貸し倒れ損失の隠蔽を続けおおせるうちに人民元を暴落させないだけの財政収支の取り繕いがうまくいけば中国人民は安心安全かつ世界平均以上は幸せに暮らせる可能性を手にします。アメリカのマネしてお札を刷りまくればいいんですから簡単です。文系ばっかりの日本の保守派は習近平はそのうち失脚するだろうなんて思ってる。とんでもないですよ。万一そうなっても次の主席が同じこと続けるだけです。理系は文系と違って答えは一つで属人的な遊びなどないんです。「AIで人類絶滅論」の現実味が出てきてオープンAI、アンソロピックなどが開発の自主規制を言い出しましたが、規制される奴が規制するなんて善人づらして嘘つき放題ということ。泥棒が市販する鍵のスペックを決めるようなもん。市場を安心させる嘘です。ましてや中国が本気で加わるなんて誰も思わない。ディープシークは 7割ぐらいは追いついたと言われますが未上場だから情報開示義務がない。もう追いついてる可能性もある。アメリカがブレーキ踏んで自分がアクセル吹かせば勝てるなら千載一遇のチャンスでしょ。
日本に有能な理系人材が多くいることはノーベル賞の数で証明されています。問題は理系のいない政府がそれを国策に有効に使えず多くが企業まかせなことです。企業は政府ではなく株主のためにそれを使う。国のためを強要すれば株価が下がって技術力を失います。それもこれも、裏金キックバックやハニトラで釣られ、富と欲望への渇望を満たせば受験勉強に時間を費やした人生のバランスシートが均衡すると考える文系エリートが国を支配しているからです。そんな個人的なもんこれから国力の生命線を握る生成AI開発、宇宙進出技術開発にとって100%どうでもいいんです。それによって日本は中国の路線で中国と対抗できる能力を失ってしまった国であることをアメリカは知ってます。ならば日本人はどう扱おうか。奴隷働きさせ、1990年度には三公七民だった租税負担率を財務省に五公五民で絞り取らせ、小さな幸せで満足させ、貯蓄はすべて米国債の購入に当てさせてドル紙幣を刷りまくってもドルの価値を支えるブタの貯金箱とする。邪心を催させぬようイラン同様核保有させない。そういうことです。冷酷なもんです。トランプがどうなろうが変わりません。敵は中国だけじゃないんです。
欧米と金融商売を16年もやってるとかように人が悪くなるんですね。市場で戦って継続して利益を出すためにはウルトラ現実主義者、究極のリアリストでなくてはいけません。子どものときからその傾向はあるのですが、この期に及んではもう筋金入りです。もっと悪い人にもたくさん会いますし、そんなのに騙されてたら商売にならないから騙す側に回るしかないんです。43年前にセビリアの酒場みたいなレストランでディナーしながら楽しんだフラメンコショーは、予想とはだいぶ違うものでした。日本人が踊るのを見た記憶があって、あんなふうにスポーティで可愛らしいイメージかなと思ってましたがとんでもなかった。踊り子の女性たちが凄まじくたくましいのです。手を打ちながらオレオレ!なんて発する掛け声はまるで男。まあ百歩譲ってカルメンのカスタネットの歌がこんなだったら様になるのかなと思った次第。ああこりゃいかん。 10万年ぐらい前に分化したのだろうか、チンパンジーほどは遠くはないのだろうが全くもって異人種であるのだなあと悟ることに相なったのです。とっても無礼に聞こえましょうが、向こうもおそらく東洋のチンケな我々を猿と思っているのでお互い様でありましょう。そうでもないと小さな島で50万人も殺したり原爆を落としたりはできないでしょうからね。
そうそうベートーべンが「君のあれね、楽譜見たよ、ブッファに才能あるね、これからもその道を行きなさい」とロッシーニをほめたあれが「セビリアの理髪師」だったんです。もっともそれはだいぶ後になってロッシーニが回想した話であって、本当に両人が会ったかどうかはわからないことになってます。ロッシーニは会ったといい、ベートーベンの秘書シンドラーはそれを否定してます。僕はシンドラーを嫉妬深い小物の詐欺師と思ってるのでロッシーニを信じてます。「セビリアの理髪師」はボーマルシェの戯曲でこれが前編、そして後編こそがあの「フィガロの結婚」。モーツァルトに繋がるんです。ベートーべンは「イタリアでモーツァルトは上演されているか」とロッシーニに質問してます。こいつがウィーンに住み着いたらヤバイと思ったかもしれませんね。
軽快でノリが良くたくさん笑える愉快なオペラです。クラシックが堅苦しいと思っている人はイメージが変わると思いますよ。連休ですからお時間があればアバド、プライ、ベルガンツァの最高のキャストでどうぞ(日本語の字幕設定可)。
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