アインシュタインの水槽
2022 JAN 7 0:00:57 am by 東 賢太郎
この写真の小さな点は約60億キロの彼方にある天体だ。冥王星あたりの距離から撮影した我らが地球の姿である。
撮影者はボイジャー1号、日にちは1990年2月14日(水)だ。もう生まれていた皆さん、このちっぽけな点の中で、その日はどこで何をしておられただろうか?
ボイジャーに僕の友人の丸山が乗っているとしよう。巨大な望遠鏡で拡大し、地球の僕を探している。「あっ、いたぞ、東の野郎ランチ食ってるぞ、え~と奴の腕時計は・・・正午だな」。しかし、その言葉が吐かれた同じ時刻に、僕はもう夕方の5時半で、ローリング・ストーンズの初来日公演を見るため東京ドームの席でビールを飲んでいるのだ。60億キロは光速で5時間半ほどかかるから、丸山には5時間半前の僕が見えている。
もっともっと遠くしてみよう。白鳥座のデネブまでは1400光年だ。デネブ星人が日本を見ると、ランチを食べてるのは聖徳太子だ。
もっともっと近くしてみよう。ウチのシロだ。
このシロは少し前のシロだ。撮影時点の僕から手が届くほど近くにいるけど、光速であっても僕の目に入るまでに時間はかかるからこの姿は少し前のものだ。
ということは、僕らに見えてるもの(ビジョン)はすべてが過去であり、録画したビデオの画像みたいなものだということになる。僕らはそれが現実(「同じ時刻」に起きていること)と思いこんで生きているがそうではない。ビジョンは画像であって、現実ではない。
きのう近所のロイホでひとり、黒黒ハンバーグランチを食べながらこれを考えていた。僕が正午発のロケットでボイジャー1号へ向かう。速さは光速の9割だ。その「画像」は午後5時半に丸山に届き僕の時計は零時をさしている。僕自身は6時7分に着いて丸山に会う。ところが、丸山の時計を見ると翌日の零時36分だ。これは「光速に近い速度で動いたので時計が遅れた」(time dilation)と説明される。浦島太郎になって僕は彼より年をとっていない。
(参考1)以上の数値はこのサイトで計算 ➡ http://相対性理論(時間の遅れ) – 高精度計算サイトhttps://keisan.casio.jp/exec/system/1161228694
(参考2)8世紀に成立した『丹後国風土記逸文』にある話が浦島太郎の物語の原型と解されている。「蓬山」で3年を過ごし、郷里に戻ると300年たっていた。蓬山とは昴七星(プレアデス星団)と畢星(ヒアデス星団)のことであった ➡ 浦島太郎 – Wikipediaより
これが特殊相対性理論であり(特殊相対性理論 – Wikipedia)、テンソル、ミンコフスキー空間、ローレンツ変換で解かれる。この叙述は数学と哲学が親類であることを思わせる。しかし、変換式は僕が「光速」で進むと時計の遅れは無限大であることを示しているのは気になる。
光速で進む物体はないという意味だ(分母ゼロはなし)。どうしてかって、誰も理由など知り様がないだろう。誰がそんなことを決めたんだろう?何のために?
おかしい。相対的なのだから丸山だって僕より年をとらないし、往復したらどうなるのか、どの書物を読んでも明解でない。アインシュタインの発想力と数学技法の高さはフランツ・リスト級の超絶技巧のピアニストが書いた曲を見るが如しで凡人の及ぶ域ではないぐらいはわかるが、真の名曲なのかどうかまでは僕の理解の範疇外だ。彼なくしてこの理論はなかったという意味で世紀の天才であることは疑うべくもなし。しかし、それはそれとして、どうして宇宙の真理が数学という論理言語だけで解けるのかという点がどうしても腑に落ちない。
光速度不変の原理、光速を超えるものはない、数学万能。この3つの大前提で式がきれいに解け、そこから
E=MC²
という究極の美しい式が現れる。名人の手品のように、それが導かれる姿自体が美しいが、数学万能は量子力学で崩れてきていると理解している。そっちの理屈では、僕と丸山では時刻(持ってる時計)が違う、デネブ星人ともシロとも違う。時刻は観察者の数だけ存在していて、象とネズミとセミの時間が違うように、人間同士も誰とも違う。それは光を当てて観測して初めてわかるんだよということだろうか。
もし地球が暗闇の星で、音だけで生きてるとしよう。音は光の88万倍も遅い。花火がぴかっと見えて、しばらくしてドン!と鳴る。同じ花火を目で認識してる人と耳で認識してる人でズレが出る。ということは、花火というモノは、観測者の認識の中だけにあるということだ。88万倍速く危険を察知した方が生き残れるので、原生生物は電磁波(光)をキャッチする器官(目)を持つようになり、長い進化を経て、やがて人間が日々のサイクルから時刻を意識しだし、時計(=時刻という概念)ができたのではないか。であれば人工物だ。
つまり、僕らが見ているすべてのビジョン(電磁波)は「うたかたの画像」であり、「相対的」(人と違う)であり、「脳内現象」である可能性がある。それを宇宙普遍の法則と見做して電磁波の一部である光の観測だけから真理を導けるものなのだろうか?創造者がそう設計、製作していて、その図面は数学で書かれていて(ニュートン、アインシュタインが解明した部分)、光速はリミットをつけないとイロイロ面倒なのでCDの非可聴域周波数カットみたいに適当に秒速30万キロに設定してそれ以上はカットし、そう設定すると宇宙は直径が930億光年の球体かもしれないがもっと大きいかもしれず、これが我々が入れられて熱帯魚のように泳いでいる「水槽」であって、その大きさは、熱帯魚の目からすればそこまでは電磁波で観測可能だということで決まっているに過ぎないのではないだろうか?
僕らのうたかたの世では「認識」できないものは「なかったことに」になる。デネブはひょっとしてもう爆発して存在しないかもしれないが少なくとも1400年前まではあった、それで充分だ。ボイジャー1号はすでに太陽圏を脱出して星間飛行に入り、交信できなくなる。観測できないものは認識できないし、あってもなくても明日の晩ご飯やGDPの増加率には何の関係もないから誰も気にかけない。そういう僕らを、水槽の外から絶えず創造者が観察している。
P.S.
本稿を20才で世を去った親友・丸山鉄男に贈る
(ご参考)
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世の中の謎(安心安全の大会)
2021 MAY 12 1:01:51 am by 東 賢太郎
日ハムの井口投手が陽性になったらしい。去年は阪神、巨人などで国民的に大騒ぎしたのにもはや大した報道もなく試合は何事もなく開催だ。五輪のことがあるんだろうか・・・。
変異株はまったく別物と医師がいう。東京は5月2日時点で英国型が68%に達したそうだ。感染力が7割増しで大坂で1日に55人亡くなっている。東京の数は本当か?僕の周囲でも3人かかった、こんなことはなかった。いよいよ来たかという感じがする。高齢者だからワクチンの紙が来たが、打つのは7月らしい。それって五輪中だろう?
インド型はもっとヤバいと聞く。アジア人の免疫をすり抜ける進化をしたらしい。こんなのが入ってきたらめちゃくちゃになる。国会で蓮舫議員がインド、パキスタン、ネパールからの入国者のデータを質問したら田村厚労大臣が答えられなかった。あの姿を見てぞぞっとしてしまった。現場が大変なのは理解しているが、日本の政治は現場の善意に寄生してるだけだ。緊急事態であろうがなかろうが、もう外に出るのはやめた。
水際防衛策を徹底した台湾、ニュージーランドはほぼ平時に戻っている。こちとら五輪か経済か理由はなんだか知らないが、入れちゃってから大変だと大騒ぎになってなんのことない五輪も経済も危なくなってる。物凄い合理主義的戦略に基づいた反知性主義を世界に率先垂範して推進してるようにしか見えないのだが、それで誰が得するのか、きっと誰もしないと思うんだけど、もうわけがわからない。とどのつまりが五輪やらないと政権も選挙も危ない、小池も危ない、だから安心安全の大会にしますって、安心安全じゃないからこうなってると思うのだが誰か教えてほしい。
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「女性差別はいたしません」の謎
2021 FEB 23 1:01:12 am by 東 賢太郎
まず、去年の正月に映画を作ると書きましたがあれは何だったかについて書きます。あの時点ですでに監督さん、脚本家さん、カメラさんと某地に飛んで2泊してご挨拶、シナハンを済ませており、ロケハンやるぞという段階であり、キャスト、配給会社も概ね決まって脚本が完成する直前まで行ってました。無念ながらコロナで中断してしまいましたが、それでも未知の世界だから何もかもが新鮮で仕組みが良くわかりました。通行人役でも訓練が要るとは意外で、素人はカメラが向いただけで無意識に硬くなって動作に出るそうです。それなのに東さん出て下さいと監督に言われて映画が売れなくなると断りましたが実はそっちよりテーマ音楽を作って指揮したかったのです。
ジェンダーレスが主役に内定していました。彼女?を見てびっくりし、これはいけるかもと一瞬思ったものの、あまりに別世界で心の準備がなく、ストーリーを読んでもヒットする自信がありません。おいどう思うとオヤジ連中に写真を見せるとニヤニヤしておおいいぞいいぞだ。こりゃいかん、信用できんと今度は20代の女性に見せました。えー、すごぉぉい、でも違和感ありませんよぉ、えっ?つきあえるかって?ぜんぜんOKですよ。ええっ、ほんとか、そんなもんなのか??? ここでまた唖然でびっくりで、我が世代のジェンダー感覚はネアンデルタール人とかわらんかもしれんと衝撃を受けたのです。
これがあるから、森さんの女性差別発言とされたあれは思う所もあります。軍人だった森さんの父上は終戦をミクロネシアのトラック島(現・チューク島)で迎え、酋長・相沢氏(日本から渡り酋長の娘と結婚、戦前の漫画「冒険ダン吉」のモデル)に助けられて帰還したと同国政府要人に聞いたことがあります。息子の彼も敗戦で焼け野原だった日本を背負って国を建て直した世代です。あれはその世代の男の典型的な思い込みでそのこと自体を否定しても始まらないでしょう。隔絶した世代にそれをソンタクしてもらえないという現実にお爺ちゃんになって直面したというのは気の毒に思いました。戦争は男しか行きませんし組織だって軍隊式上意下達しかあり得ません。上が決めたんだからごちゃごちゃ言うなとなり、それが「会議で話が長い」になる。たぶん彼は女性に限らず男も女もそれが嫌いなんです。じゃあ会議は何ですかとなる。民主主義の場でしょと。ところがあの世代にとっては忖度、追認の場なのです。
それが密室政治といわれるものです。日本のまつりごとは古代より御簾の向こうで決まってきた。ここは難しい所です。この件は自民党がそれをまだやっていることにルーツがあり、それに国民が大いに批判的だという背景があるわけです。王侯貴族や宗教勢力の支配を打破した欧米からすれば御簾の向こうにいるのが王であれ総理大臣であれ同じです。つまり、密室政治と見られてしまう限り日本人の精神構造に刻まれている古来よりの支配形態と西洋の近代政治思想にはそもそも大きな矛盾があるということになってしまう。中国のようにそんなものは関係ない、ここは中国だと言い切る国力もない。さらに日本的な特徴として政教分離、信教の自由を謳いながら天皇は神道という宗教の祭祀を行い、国民はそれを敬い税金を拠出しています。いや、法的には象徴だからねという理屈はあっても、天皇の認証や叙勲のように、それがまつりごとの権威のバックボーンであると国民が無意識に感じている政治的行為はたくさんあります。
つまり、皇室にこそ政治の権威の源泉があると国民が感じている。この「感じ」はまだ国民という概念すらなかった時代、徳川家康が関ケ原で天下をとって武士の頭領になっても、朝廷(後陽成天皇)から征夷大将軍に任命してもらうのを3年も待ったことに現れています。家康は任命されると息子の秀忠にその地位を譲ることを認めてもらい、徳川氏による将軍職世襲を確実にして自分は隠居しました。ということは、子孫が少々頼りなくとも将軍職さえ世襲できれば永く徳川の世は続くと家康が考えていたということであり、当時の天皇に武力も財力もありませんでしたが諸大名もそう思っており、現にその世は260年も続いたのです。隠居した家康の尊称「大御所」が今も使われているように、天皇の権威も日本人の心に脈々と伝わっています。
武家社会ですら治まった天皇制の伝統をマッカーサーは温存しました。矛盾の種はGHQが撒いたわけですが、その判断は重かった。英国にも国民の税金が拠出される王室が存在しますが、それがあったおかげで国家が占領される存亡の危機を生き延びることができたという歴史はありません。現在の日本人がその重みを軽々しく消せるものではないし、そんなことになれば日本は犯し難い無言の権威を喪失し、ややもすれば容易に侵略され破滅の道を行きかねないと僕は思っています。だから日本は神の国だと言う気は毛頭ないですが、天皇制、神道という伝統と西欧の発明した民主主義との日本的な調和は模索しなければならないと考えます。森さんの問題は、しかるに、その調和はないんだ、伝統は壊してでも民主主義、自由主義なんだという方向に民意が振れ、女性蔑視というクレームがそのトリガーになったと見えなくもありません。
昭和30年生まれの僕も森さんとほぼ同じ空気で育っています。ほぼというのは成城学園は初等科(小学校)から自由闊達、リベラルな校風で軍国調を冷めた目で見る教育だったからです。あの時代に映画、舞踊、演劇、彫塑の授業がカリキュラムにあり、児童劇や音楽会のイベントがあったし、英語は5年生ぐらいから教えてました。スクーターでブザンソン・コンクールに乗り込んだ小澤征爾さんも成城の校風から出てきたのではと思いますし、僕はいやいやでしたが幼いころにそういうものが身の回りに自然にあったから今のようになったのではと感じないでもありません。ただいま振り返るとこれはやや特殊な世界で、官であれ民であれこの世代の男でヒエラルキーの階段を登ろうという者は学生運動に残滓があった軍国調の渦に表だって逆らうのは難しかったと思います。
だから森さんを女性がやり玉にあげたのは分かるとして、テレビで私はそうじゃないと言いだす中高年の男が相次ぐのには驚きました。「これは今どきいけません」「やっちゃいましたね」「日本の恥にもなります」「弱者の目線に欠けてますね」「私はちょっと立場が違いまして」「国際社会は許しませんよね」・・・まあ言葉はどうあれ「エンガチョ切った!」「MeToo、MeToo」です。こういう男どもを心ある女性はどう見るか聞きたいものです。よっぽど本流から外れて育ったか、何であれ長い物に巻かれる日和見でしょう。僕は「ああ森さんは昭和の体育会だなあ」それだけです。よっぽど問題なのは80のお爺ちゃんを倒してのし上がる者が出てきてないほうでしょう。政治家は男も女も森さんのちょうちん持ちの座を競う小物感満載の人だらけになっちまった、そっちのほうです。そんなのを選んでる我々の民度の問題でもある。本当に日本人は劣化してきています。
僕は「会議で話が長い」のは歓迎です。僕が一番長いし、むしろ黙ってる人は何も意見ないのかとなる。男女は水平分業と考えるので男に向いた仕事を無理に女性に振っても非効率だしその逆も真です。クォータ制は完全に男女に適性の差がない組織の話で、オーケストラは70年ごろまでどこも男ばかりでしたがクォータ制がなくても今は半分女性の楽団もあります。経営に民主主義はありませんが、女性の方ができる仕事は任せた方が効率がいいし、従来は男専門だった仕事もやる気があればやりなさいと言ってます。男女比の問題はそれを発見できない経営者が無能なだけです(ちなみにソナーは3人に1人が女性)。僕が作った組織には階級の上下もありません。真ん中にいる社長も社員です。全体をバランスさせてパフォーマンスを上げる指揮者という配役にすぎず、偉いということはない。指揮がうまいかどうかだけです。
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世の中の謎「色々見てしまう旅」というもの
2020 DEC 9 19:19:11 pm by 東 賢太郎
はやぶさ2号のニュースは聞いたような気がする程度でした。「これ、打ち上げ見てたんじゃないの?」と家族が気がつかなければ完全スルーしてたでしょう。仕事で急展開があり、米国大統領選の新情報もありでテンパっており、天文といっても関心は恒星だけなのでぜんぜんどうでもいいこととして頭の中で処理されておりました。
そうでした。6年前の2014年12月3日、僕は還暦を前に千年杉のパワーをもらおうとひとり屋久島に立ったのでした。はやぶさのことはつゆ知らず、「雨天延期で今日なんです。そのために来たお客さん気の毒でした」と宿できき、ちょっと申しわけない気持ちで眺めてました。それがこれです。
そうそう、ロケット以上に唖然とした猫のジョン君はどうしたかなあ。とにかくこの旅は「神のお告げ」みたいに不思議なことだらけで、そのお見送りみたいに帰りの鹿児島空港に前代未聞の巨大な虹がドーンとかかりました。「第二の人生」を占ってたような気が今でもしているのです。
これで思い出したのですが、今年もありました。
仕事があって熱海に1泊した折のことです(これ、今年唯一の旅になるでしょう)。出がけにガレージで車に乗り込もうという瞬間、運転席のドアに巨大なカマキリがデンといて、なにせ10センチ以上はあろうかという見たことないサイズにビビッてしまいました。やばいな、こりゃなんか悪い予兆かなと思ったらササっとタイヤの裏に消えました。
翌日は雨の予報で宿もそう言ってましたが、どういうわけか日の出のまぶしさで目が覚めたのです。あれっと思ってしばし眺めてるとだんだん陽は登ってこうなって、後光みたいになる。これ人生3回目です。前回は忘れもしないサンフランシスコの朝。思えばそこからあの米国案件が始まったので覚えてるのです。
これがたった9分後にこうなる。
海上の天体ショーでありました。
そして無事仕事を終えて帰ろうと小田原にさしかかると、ウソみたいですが、またまたお見送りで行く手に巨大な虹が現れました。しかも外側にもう一筋ある。山肌に生えている根っこ?までくっきり見える。なんだこれは?鹿児島空港のを凌ぐ人生No1のド迫力で、皆さんもスマホ構えてたんでしょうね、道路はノロノロ運転になってしまいました。
そして家に着いて、巨大カマキリのことを思いだしたのです。11年ここに住んで一度も見たことない。何かあると思ってすぐネットで調べると、「カマキリは縁起が良い」とたくさん出てきます。よかった。
そんなのはこじつけだと思う方も多いでしょう。僕も半分はそう思って書いてます。でも残りの半分は信じてます。科学精神は人並みにあるつもりですが、前に書きましたとおり「見えている現実は全部ウソ」という一部の物理学者が説く科学の信奉者でもあります。ウソなら誰かの作為ということです。だから誰かが何か伝えていると考えることも許せてしまうのです。
現に我が人生は七転び八起きで、東証1部上場企業の役員を自己都合で2度辞めた人もいないだろうし、同じ所に戻った人となると会社の規模からして二度と現れないだろうし、もちろんとても悩みましたが誰に相談したわけでもなく、その時々で「そうしろ」という声みたいなものに押されたのです。
一度っきりの人生、プロ野球のFAもそうでしょうが自分で行く末を決めたいのは人間当然のことではないでしょうか。他人に決められるなら天の声に従いたい。それを聞き漏らすまいと耳を澄まして生きてるので「そういう風に解釈してしまうしかないね」というものに見えるということなんでしょうか。
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才能は遺伝で決まるという謎(その2)
2020 JAN 25 14:14:36 pm by 東 賢太郎
独立して今年で10年になるが、思えば、やってきたビジネスは全部海外に関わる案件である。日本のみで完結したものはない。僕はキャリアからして世界を見ている。その目で投資する「金の卵」と思うものは結果として海外にあったということであり、日本の良いものは外人の方が分かってくれたということだ。
それを日本に持ってくるには外国人と非常に面倒くさい交渉が必要だ。言葉や手続きだけではない、まず外人とのきっかけ作りが普通の日本人にはできないし、できても交渉が稚拙なら良い条件は引き出せないし、ヘタすれば騙される。相手はイメージとしてはトランプやゴーンのような連中と思っていただけばいい。
グッチ、エルメスなどを日本に持ち込んだ銀座のブティック「サンモトヤマ」の創業者、茂登山長市郎をモデルにした幸田真音の「舶来屋」が面白くてこのブログを書いた(洋モノ美しいもの好き)。彼は単身イタリアへ乗り込んでその案件を体を張って開拓してきた。その創意と度胸と苦労に大きな価値があるから、それに日本で提灯をつけただけの奴とは比べ物にならないほどお金が儲かった。フェアなことだ。ソナーで10年やってきたのはこの路線だったのかなとも思う。
たとえば、結果的にノー・ディールとなったのでもう書けるが、ユニバーサル・スタジオをソウル郊外に作るという2000億円級の壮大な案件があった。米国ー韓国の外・外案件なのになぜソナーに話が来たかというと、日本企業の出資が必要だったからだ。そこで有力企業のトップに掛け合って50億円集めた。僕も出資させてもらう条件を付け、インベストメント・バンカーとして極めて血の騒ぐ案件だった。
こういうのが来るというのはキャリアのおかげでもあるが、それ以前に、この手のものに血の騒ぐ人間であるからだと思う。命令服従やソンタクはしないが、血が騒げば地の果てまで飛んでいってでもやるスナイパーである。それを旧知の皆さんや新しいお客様に知ってもらっているということであり、かち合っても勝つ自信があるから競争相手はあんまりいないように思う。ソナーは畢竟、僕が血が騒ぐことだけやって10年存続してきた。
そこで考えるのは「血が騒ぐ」というのは遺伝であって、教えられないかもしれないということだ。まず、僕自身がそうなるように教育された記憶がまったくない。両親がどうして?となるようなことに自然と熱中して、結局、学校で習うことは何も興味がなく、血が騒いだものだけを「独習」してここまで生きてきた。熱中していた野球もゴルフも他人に習ったことはない、全部独習だ。
勉強もそうだ。大学受験で浪人して本気でやってみた結論が、英国社は興味がわかないということだった。だから捨てた。数学だけ血が騒いで公開模試で満点を取ったが、数学で食うほど頭は良くなく、文系の道はすべて興味ないことが入学してから発覚した。唯一、株式に関心があり、金儲けには血が騒いだから証券会社に入った。大正解だった。やはり血が騒ぐかどうかがキーだと得心する。
僕の強みは交渉力に尽きるが、こんなのは人に教わるものではない。勝たなければ殺されるぐらいの絶体絶命の修羅場をくぐって自分であみ出すものである。金融ビジネスというものはカネのにおいがすれば血に飢えたハイエナどもがぞろぞろたかってくるジャングルみたいなもの。そいつらを蹴散らすのは交渉力であり、自分を守る唯一の武器でもある。
綺麗ごとではない。表の理屈や理論や見栄のいいプレゼン資料はどうでもいい。それはお飾りで、実はかなりの部分が下準備と人間力による力関係で決まる。交渉の場で偶発的にアドホックに決まるなんてことはまずないのは数学の出来る人がその場のひらめきに頼ってないのとおんなじである。下準備8割、人間力2割のイメージだ。後者は、本番で予期せぬカードが出てきたときに脅し、なだめすかしで押し切るのに使うが、それがないとそもそもの下準備が浅くなるから話にならない。
ではその人間力とは何か?実は僕もよくわかっていないが、人そのもののこととしか書きようがない。営業本に書いてある「あなた自身を売り込め」なんて安サラリーマン用の教訓ではない。売り込める人はそんな本は読まない。読むような人はそもそも自身の商品価値がないからそんな文句を覚えて実践しても何も起きない。血が騒いでる人は誰かに価値がある。間違いなく売り込むことが可能だ。ペンタゴンが自分をハッキングした者を雇うのはそういう事だ。
僕が事実として商売させていただいているのは、恐らく、この仕事が向いているからであり、つまり血が騒ぐほど好きだからだ。それは野球や天文や猫が好きなのと何ら変わりはなく、そうなったことに理由は思い当たらない。つまり、生まれつきの遺伝的形質なのだとしか考えられない。先祖が横浜で外人に生糸を売って大儲けした。僕もその形質を継いでいて外人相手の商売で交渉がうまくなって、今も外人と商売している。たぶんそれだけのシンプルなことだろう。
自分が先祖由来の才能を使って生きていけるならそれに越したことはない。すべての人は姿形が違うように能力も千差万別だ。皆さん何か一つは必ずある。それを磨いたほうがどう考えても得だし、もっと大事なことは、苦痛にならないから壁にあたっても続けられるのだ。いえ、自分に能力なんてと思う人もあろうが、美点というのは自分で気がついてない人が多いのが事実である。そのまま老けてしまうなんてあまりにもったいない。
例えば、明るい人、笑顔が素敵な人というのは男女を問わずそれだけで才能だ。僕みたいにストレスまみれの人間はそういう人に安らぐから営業職に確実に向いている。ところが男社会ではそれが評価されない。プレゼン力が評価されるわけだ。それならばそっちで負けてなければ笑顔力で必勝ではないか。そう考えるのだ。僕の入試戦略はそれだ。英国社はできなくっていい、負けなければオッケー、それで数学で絶対に勝てる。こう思えば人生とても気楽になれるだろう。
就職に悩む若者はぜひ考えてみてほしい。どこに就職したら給料が高いか、安定的か、世間体が良いか、ブラックでないか、食うためにとりあえず働くなら何がお手軽か、そんなことは長丁場の社会人人生では、全くどうでもいい事であると断言してもいい。いっさい忘れて、お風呂にゆっくり入って自問してほしい。その仕事に血が騒ぎますか?と。
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才能は遺伝で決まるという謎
2020 JAN 20 22:22:01 pm by 東 賢太郎
遺伝が才能に与える影響は音楽92%と数学87%が高いというデータがある(下)。スポーツ85%、IQ66%より高い。
ところが年収も遺伝というデータが出てきた。
http://男性の収入は「遺伝」でこれだけ決まるという「冷酷すぎる
‐W. David Hill et al,“Genome-wide analysis identifies molecular systems and 149 genetic loci associated with income”, Nature Communications volume 10, Article number:5741(2019)
ということは、資本主義はもともと不公平を制度化して助長するシステムということになるが、そうだろうか?上掲データの「才能」欄をご覧いただきたい。
音楽、美術、執筆、外国語、チェス、数学、スポーツ、記憶、知識
僕の目にはそのどれも、収入と大きな相関があるようには見えない。音楽家、数学者が富豪というイメージはないし、この9つのどの才能も人並みだが大金持ちになった人を何人も知っているし。
才能という切り口では出てこない集中力、完遂力のほうが僕は収入との相関が高いと思う。その2つは訓練で充分に獲得できるのだ。そのうえで、ここに書いた5つの法則の真逆をやることだ。
どれも才能なんかいらない。データでお示しすることはできないが、僕の社会経験のエッセンスである。これを当たり前のようにできるようになれば収入は確実に増えると思う。
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なぜ阪神電鉄の甲子園駅で下車したか?
2019 SEP 15 9:09:06 am by 東 賢太郎
昨日なぜ阪神電鉄の甲子園駅で下車したか、自分でもよくわからない。仕事の打ち合わせで西宮へ行く途中、なんとなくふらっと降りたのである。
甲子園はめざしてたなんていえた柄じゃない、他の球児に失礼だ、やってた頃からただのテレビで見る球場だった。試合をスタンドで見たのも夏の大会の1度だけで、ずいぶんまえであり、スタンドがやたらでかいのとくそ暑いの以外は何も覚えてない。大坂に2年半いながらタイガースを見てないというのは仕事でそれどころじゃなかったというのもあるが、阪神ファンのアクの強さに恐れをなしていたというのもある。なにせ、テレビ中継で、ネット裏の最前列でおばちゃん軍団がメガホンをバシバシたたいてる球場はここだけだ。あれは東京もんにとって「甲子園けいさつ」にひけをとらないインパクトがあるのである。憧れの「こーしえん」は遠かったが、客としても遠かった。
阪神タイガースといえば、ランディ・メッセンジャーの引退はひと時代の終わりを思う。速くて重そうでしかも先発なんてのは困るよ。カープは何度もやられた。すごくいいピッチャーである。あと2つの98勝は無念だったろうが充分に記憶に焼きついたさ。敵ながらあっぱれであり、ご苦労様とねぎらいたい。
今朝、そのメッセンジャーが目標にした阪神の100勝投手、ジーン・バッキーの訃報にショックを受けた。村山、バッキー、小山。なつかしい。小学校でその熱狂的なファンの I 君がクラスにいたのは福音だった。なんせお嬢、おぼんばっかりの成城学園だ、アンチ巨人などキリシタンなみの異端であり、彼のおかげで僕は弾圧を受けながらもカープ信仰に向かうことができたのである。
いま知ったがバッキーはGene Bacqueという米ルイジアナ州から来たフランス系だ。バッケじゃお化けみたいだというのでそうなったらしい。バッキーは巨人戦でノーヒットノーランをやってる。調べてみると1965年6月28日のことだったようだが、巨人の不滅の金字塔である「V9(9年連続日本一)」はこの65年から始まっている。川上哲治監督のもと、王貞治・長嶋茂雄という二人のスーパースター(いわゆるON砲)に加え、森昌彦・柴田勲・黒江透修・高田繁・土井正三といった名選手や、堀内恒夫・高橋一三・城之内邦雄といった球史に名を残す投手が揃っていた(Wikipedia)。それをノーヒットノーランというのがいかに凄いことだったか。
よく覚えてないが、この快記録をI 君が狂喜した(はずだ)。阪神はその年は3位だったようだが巨人・阪神戦は今以上にもりあがった高視聴率の全国イベントで文字通りの伝統の一戦である。狂喜に値するのである。それが悔しかったのだけは覚えてる。というのは、バッキーがにっくき巨人をねじ伏せてくれたのはざまあみろだったが、万年5位かドベの広島カープファンは仲間と思ってた阪神にもおいていかれ、クラスでの下層民感が満載になってしまったのである。
そこに奇跡のような救世主が現れた。同じ年、1965年の10月2日に、プロ2年目でそれが初勝利となる広島カープの外木場義郎が、その阪神相手にノーヒットノーランをやってくれてしまったのである。1四球のみの準完全試合だ。どうだ、見たかこのやろー!この奇跡によって「ドン**チーム」とカープを侮蔑する奴らをぶちかまし、外木場さんは神となって写真が定期入れにお守りとして祭られることとなり、フォームとカーブを研究してまねることによって僕もピッチャーとなることができ、堂々と下層民から浮上するのである
どちらも阪神タイガースにまつわる。
昨日なぜ阪神電鉄の甲子園駅で下車したか、自分でもよくわからない。バッキーのこともメッセンジャーのことも知らなかった。そのうち感謝の気持ちをこめて甲子園でタイガース戦を観なきゃいかんかな。というのは、その昨日、ちょうど帰りの新幹線にのっているころ、疲れ果ててずっと寝てて知らなかったが、阪神タイガースはナゴヤドームで中日ドラゴンズの大野雄大にノーヒットノーランをやられていたからだ。
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「えべっさん」の謎
2019 SEP 14 22:22:26 pm by 東 賢太郎
今日は大坂へ日帰りして、ついでに「西宮神社」にお参りした。ここは毎年1月10日の午前4時から大勢がダッシュする「福男選び」が有名だ。えびす神社ともいい「えべっさん」と呼んでえべっさん通りまである。
大坂に赴任して不思議だなと思ったのはこの「ひらがな」の語感だ。東京者(もん)の感覚としては日本に約3500社あるえびす神社の総本社であらせられるのだから是非「戎宮総本社」と漢字で書いてほしいところである。七福神に無礼とまではいわないが「えべっさん」じゃ重みがないよねと思ってしまうのだ。
せっかく来たからと甲子園駅で阪神電車を降りてみたら甲子園球場の向かいに立派な警察署がある。白亜にアールを活かしたモダンな建物であるが、壁面にある名称が「甲子園けいさつ」にはのけぞった。これ、誰に読ますんだろう?漢字だと読めない人がいて困るんだろうか?でも警察にお世話になる人は読まなくていいし、用事がある人は場所ぐらい調べてくるだろう。通りすがりの人がフレンドリーさにひかれて立ち寄ることを期待してるんだろうか、それとも皆さんの税金でやってますを親しみをこめてアピールしてるんだろうか?東京もんにはわからないのである。そういえば昔、曽根崎警察署も「そねざきけいさつ」と壁面に貼ってあった気がする。当時は気も心も大坂になじんでたから気にならなかったのだろう。
当時びっくりしたのは鰻屋にはいったらそれの品書きが「まむし」だったことだ。なんと、関西ではウナギとマムシは同じなのか、そんなものが食えるのかと身構えたが、どうやらそれは鰻丼のことで、飯をまぶすから転じてまむしになったらしい。まあ分かったが東京では転じたとしてもそうは怖くて呼ばんわなあ。
怖いといえば、梅田の南東の方を歩いていたら「靭公園」というのがあったっけ。「うつぼ公園」だ。ウツボってあんまり愛らしいとも思わないし、やたらかみつく肉食魚で海のギャングと言われるやつだ。食えるらしいが東京もんは食した経験ないし、行ってみるとイメージはかけ離れていて美しい公園なもんで、どうしてなのかわからない。これは今もわからない。
そうかと思うと「日本橋」は「にっぽんばし」で、松屋町は「まっちゃまち」だ。難波(浪速)の「なんば」も天満の「てんま」もいま思えば「ほんま?」なんだが、この人当たりのほんわかした柔らかさとぬくもりは好きだ。でもこの言葉で取締役会議事録や裁判の判決は読めんわなあ、でも東京もんの言葉もルーツはこっちなんだよなあと考えると実に謎である。
40年前、ここで2年半過ごしたころはそんなこと考えたこともなかった。若かったし知恵もなかったし、ずっぽし大阪文化に浸ってたのだ。ここで「だからね」「それでさ」なんていって同期の女の子たちに「あっ、東京もんのええかっこしい!」と総攻撃されてしまったのが懐かしい。いまさらそんなことに気づくって、僕はもうすっかり東京もんに戻ってる。そういえばあんなにしゃべってた英語もぬけちまったかもしれない、なんて言おうもんなら超ええかっこしい!だ。
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NPBの謎「パリーグの方が圧倒的にレベルが高い」
2019 AUG 15 15:15:59 pm by 東 賢太郎
きのう日ハムの吉田輝星投手が先発する試合を見た。それでだろうか東京ドームは9割の入りだった。しかし2回+で打者12人に5安打。4三振は奪って大器の片鱗は見せたものの、荻野、鈴木に文句なしの3本塁打を食らって6失点ではKOといわれても仕方ない。
去年の甲子園の方が速かったし球威もあった(そっちは球場で観てないがたぶん)。この試合まで7本塁打だった荻野はなめすぎ。1発目は強気で全部が直球で、2発目は反省の変化球が甘すぎ、鈴木も直球、どれも問答無用の完ぺきにとらえられてれ引っ張られて中段にぶちこまれた。あの高さね、高校生なら打てないがプロは打つよ。わかってるから制球のため球威を犠牲にしたんだろうが、その148キロじゃ通じないわけであって、そうした割にはあの甘い球なら何も考えてないのと一緒。こんな甘ちゃんやってるとハンカチ王子化するんじゃないか心配だ。
終わってみて、強烈な印象が残った。久しぶりにパリーグの公式戦を見たわけだが、レベルが高い。どれがというより、簡単に言えば、投手の球が速くて打者の振りも速くて守備もうまい。いつも見てる巨人戦なんてクソだよ、この前のあほらしいヤクルト戦なんてなんだあれは少年野球か。日ハムを東京ドームに戻してほしい、巨人戦なんか辞めてそっちを年間予約したい、僕はうまい野球を観たいだけだから。
ロッテ先発の小島(おじま)。いいピッチャーだと思って試合終了後に調べたら新人であり浦和学院でセンバツ優勝投手で早稲田大のエースだった。直球138キロぐらいだがスピン量が多いんだろう、ことごとく日ハムの打者は差し込まれており清宮と万波は2三振。フォームの割に伸びてきて空振りが取れてる。柔らくてピッチングがうまい。これが初勝利とは驚きでいいものを見せてもらった。6回4安打6奪三振1失点はあっぱれで成瀬、SBの和田みたいになりそう。好きなタイプであり応援したい。
日ハム・公文は巨人から来たぐらいで注目もしてなかったが、実物を見て印象がガラッと変わった。145あたりで強くていい球を投げてる。今の巨人は欲しいだろう。ホームランを打った大田泰示もそうだが巨人は高額の補強をする裏でいい選手を出してしまっている。和田恋もそうなるかな。
最も印象に残ったのはロッテ・唐川だ。体重が乗って腕が遅れてスピン量が多い素晴らしく伸びる球を投げる。高校時代から知っていた。成田高校。1年秋からエース。140ぐらいの直球と100あたりのカーブだけ。それで甲子園は3度出て大阪桐蔭の中田翔、仙台育英の佐藤由規と高校ビッグ3と呼ばれ、ロッテと広島が高校生1巡目指名してロッテが引き当てた。剛速球ではないが打てない、三振もとれる。いかにストレートの球質がいいか。実は、僕の理想の投手は彼だ。ああいうピッチャーになりたかった。2メートルもあるバカでかい奴が腕力で160キロをズドーンなんて美しくもなんともない。投球練習をほれぼれしながら凝視。美しい。タマは行ってる。140を超えてる。こりゃ打たれんぞと思った。
ところがだ、王はアウトにとったがそこからがいけない。清水ヒット、田中賢介がレフト線にツーベース、代打・谷口が内野安打、西川ヒット。不運な当たりもあったにせよ、4連打で1死しか取れずに2失点と散々だ。しかしである、僕が見た限り、唐川のタマは良かったのだ。ほれぼれするほど。あれが打たれるんかよ、セリーグならぜんぜん打たれないよ。
これを目撃して、こういう結論に至ったわけだ。
終わってみて、強烈な印象が残った。久しぶりにパリーグの公式戦を見たわけだが、レベルが高い。どれがというより、簡単に言えば、投手の球が速くて打者の振りも速くて守備もうまい。いつも見てる巨人戦なんてクソだよ、この前のあほらしいヤクルト戦なんてなんだあれは少年野球か。日ハムを東京ドームに戻してほしい、巨人戦なんか辞めてそっちを年間予約したい、僕はチームなんかいいのだ、うまい野球を観たいだけだから。
どうしてなんだろう?おんなじ母集団から公平に採用してるのに。謎だ。セリーグの試合でこんなに考えされられることなはい。交流戦で勝てないのは当たり前である。日本シリーズも、セリーグはどれが出ても一蹴されて終わるだろう。どこがどうということではなく、要するに、パリーグの方がぜんぜんレベルが高い野球を日常茶飯事にやっているということだ。
(こちらへどうぞ) 交流戦やめるなら日本シリーズもやめろ
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セクハラは国家を滅ぼすという謎
2018 APR 30 15:15:00 pm by 東 賢太郎
僕は高校まで共学だったから周囲に女性がいるのには慣れているが、何かで女子と話が合ったり意気投合した経験は皆無だ。部活などで女性と一緒に何かやるという発想がまるで持てず、そういうことはむしろ恥ずかしいことだと思っていた。硬式野球部の部室は隣が新聞部だったが、毎日女と新聞なんか作ってる世界はアンドロメダ大星雲か猿の惑星の話に等しく、そこの人に汗臭くて悪いなと思ったことはあっても会話しようという気になったことは一度もない。
家では母、妹とやることは完全分業制であり、精神的にも肉体的にもひとえに外の世界での戦闘用の男として育った。戦中が青春時代だった両親は終戦10年後に生まれた長男をそうしたかった。早い話が、学問とスポーツだけやっておればいいからその競争に必ず勝てという事である。名前に「賢」をつけたのはその思いだろう。智は力なり、それが新しい日本で生きていくうえでケンカに強くなる、生活力を持つ、国のためになるのだという意味だった。それから63年がたった。
僕だけではない、こう育った同世代の男はたくさんいて、学問とスポーツでないこと、とりわけ女々しいこと、女のするような事はするなと教わる。こっちはそれにとどまらなかった。アメリカさんに靡いて媚びを売る女、その気を引こうとちゃらちゃらする男、サラリーマンは気楽な稼業ときたもんサと歌うおぞましいあいつらが同じ人間とは思っておらず、クラスでもそういうのと同じ空気を吸うのも不快であり、教育は強度だった。ケンカに負けて帰って許してくれたりやさしく傷をなめてくれる家ではなかったから競争に勝つのは当然の事だった。
僕の戦う相手が男でなかったことはない。野球場に女はひとりもいないし東大法学部は女が3%しかいなかった。敵方の男をズタズタにやっつける研究をして生きてきたとさえいえるし、自活の自信があるから他人に尻尾を振るようなみっともない真似をする必要はない。ネコが尻尾を振らないのは犬より馬鹿なのではなく犬にはない気位があるだけだ。抱っこが嫌いなのは、あれは捕獲されたポーズであり心はライオンだから耐えられない。ライオンは王でないといけないからサラリーマンはできない。完全自活であり誰にも尻尾を振らないで寿命が尽きるまで生きていける今があることを両親に感謝しなくてはいけない。
ところが昨今、パワだセクだというハラスメント問題で世間の様相が変わってきた。社会で女性と戦ったり糾弾されたりというのは旧石器人類である僕らの辞書にはない。そもそも狩猟用の戦闘要員だから家事には無能力であり、完全分業制だったはずが育児まで「共同作業でしょ、会社休んでね」という風潮も困惑するのみだ。「じゃあ子守するけど誰が狩りすんの?獲物なかったらみんな餓死だよ」なんて反論は許されない。「そんなことありません、男女雇用機会均等法があるのよ、ワタシだって稼げるわ」となる。機会が均等であることと成功することとは何の関係もないのだが、そういうことを主張する人はそれを知らない。成功する人にもしない人にも均等に給料を払えという法律だろなどという反論は許されない。
家事をして子育てしてもらわなくてはいけない女性に対して威力行使をしようなどという蛮勇は僕には元からない。酔っぱらって地下鉄の女性専用車に乗ってしまった時の恐怖、ねえねえあの人痴漢?変態?みたいな目線を四方八方から浴びせられたのだからたまらない。同じことだ、何も悪いことしてないのに相手が不快になったら「セクハラよ、アウト!」というのはとても不気味だ。あなたの顔が不快なんです!なんてなったら?ここでは反論というものは存在すらしない。まして隣にいる知らない女までそれきいてMe-too!なんてピースして罪が2倍になったりして、どこで人生棒に振るかという地雷の中を歩くようなものだ。
そうなると男は気をつけるしか自衛の道はない。一義的には女性に対してだが、セク・パワで騒げば天下の財務次官の首までとれる血の味を知ったマスコミにもだ。そこでこういうことになる。元禄時代のお犬様といっしょ、お女性様と呼ぼう。まず1対1の食事や酒席は一切しない。したとしても仕事と宗教と世界経済の話しかしない。えっ、私は平気ですよ、なんて人もいようが、僕は平気かどうかを気にしなくてはいけない話はしないし、そもそもそんなことに上から目線のお許しを賜ること自体が男として甚だ不快である。そんなに不快なのにこっちはそれセクハラですと申し上げる権利はないらしいから雇用機会均等法がある割に男に不平等だ。不平等というのは人治主義で北朝鮮の将軍様のファシズムみたいなもんで理性が通じない。理性が通じない相手は無視して一切関わらないのが王道なのである。まじめな話、リスクがありそうな女性を経営者は雇わなくなって雇用機会は実質不均等に向かうから女性には別にいい話ではない。
若い男は大変だ。一度でも女にかみつかれたらもうプロポーズしようなんて戦意は喪失だろう。若くない僕だってあの女性専用車で睨んだようなこわい女を家や会社に置きたいとは思わない。ただでさえ弱ってる日本の男は草食獣どころかそれに食われる植物みたいに不活性になっているが、とはいえ男のプライドは当然あるわけで、家庭という幻想のためにそんな女にお願いしてまで家にいてほしいとは思わなくなってくるのではないか。独り身は経済的に楽だし気ままに生きられるし別に子どもなんかいらん。すると困るのは女の方ではないだろうか。
そうやってますます人口が減る。つまり男が減る。日本国は経済力はもちろん軍事的ポテンシャルも凋落していくのは必至である。その隣に人口が7500万人にもなる大朝鮮国が現れるかもしれない。大半が貧民ではあるが飢えて元気な男がたくさんいる。日本の女性は高嶺の花で強烈なラブコールを受けるという結末があるかもしれない。女性の目からすれば「今の時代になに古いこと言ってんのよ」というシナリオかもしれないが、これぞ日本の親韓テレビ局を使った韓流ドラマ大量輸出の背景にある戦略であった。そうなると百年後はその結婚を契機とした将軍様を崇拝するファミリーが日本に大挙して現れ、国会を支配し、ひょっとして金王朝はハプスブルグとブルボンみたいな王朝婚姻戦略による天皇化をして永世の地位の世襲まで視野に入れているかもしれない。
まるで韓流ドラマのお涙頂戴のような金と文の歴史的抱擁はトランプに殺されたくない金にとっては命がけの「半島平和作戦」「同胞抱きつき作戦」だ。これでも俺を撃てるのか?お前の友達の文も死ぬんだぞ、やれば世界の平和主義国を敵に回すぞ、そこまでするのか?という。そこにアリランが流れ、同胞合一の涙の大団円となり、これをプロデュースしたトランプ氏にはノーベル平和賞が用意されるのである。そして6月には文の、11月にはトランプの大事な選挙がある。もちろん国際平和に貢献した二人は圧勝で、そのために日本が犠牲になるなど誰も心配しない。いやそうではないか、いかんいかん金様は人は殺すけれども情けは深い大君主閣下であることを忘れていた。「経済制裁解けや、統一の祝賀金出せや」と首脳会談をして下さり、韓中米の協定のお仲間には入れてくれるかもしれない。
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