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カテゴリー: 世の中の謎シリーズ

なぜ阪神電鉄の甲子園駅で下車したか?

2019 SEP 15 9:09:06 am by 東 賢太郎

昨日なぜ阪神電鉄の甲子園駅で下車したか、自分でもよくわからない。仕事の打ち合わせで西宮へ行く途中、なんとなくふらっと降りたのである。

阪神電鉄・甲子園駅(2019年9月14日)

甲子園はめざしてたなんていえた柄じゃない、他の球児に失礼だ、やってた頃からただのテレビで見る球場だった。試合をスタンドで見たのも夏の大会の1度だけで、ずいぶんまえであり、スタンドがやたらでかいのとくそ暑いの以外は何も覚えてない。大坂に2年半いながらタイガースを見てないというのは仕事でそれどころじゃなかったというのもあるが、阪神ファンのアクの強さに恐れをなしていたというのもある。なにせ、テレビ中継で、ネット裏の最前列でおばちゃん軍団がメガホンをバシバシたたいてる球場はここだけだ。あれは東京もんにとって「甲子園けいさつ」にひけをとらないインパクトがあるのである。憧れの「こーしえん」は遠かったが、客としても遠かった。

阪神タイガースといえば、ランディ・メッセンジャーの引退はひと時代の終わりを思う。速くて重そうでしかも先発なんてのは困るよ。カープは何度もやられた。すごくいいピッチャーである。あと2つの98勝は無念だったろうが充分に記憶に焼きついたさ。敵ながらあっぱれであり、ご苦労様とねぎらいたい。

今朝、そのメッセンジャーが目標にした阪神の100勝投手、ジーン・バッキーの訃報にショックを受けた。村山、バッキー、小山。なつかしい。小学校でその熱狂的なファンの I 君がクラスにいたのは福音だった。なんせお嬢、おぼんばっかりの成城学園だ、アンチ巨人などキリシタンなみの異端であり、彼のおかげで僕は弾圧を受けながらもカープ信仰に向かうことができたのである。

いま知ったがバッキーはGene Bacqueという米ルイジアナ州から来たフランス系だ。バッケじゃお化けみたいだというのでそうなったらしい。バッキーは巨人戦でノーヒットノーランをやってる。調べてみると1965年6月28日のことだったようだが、巨人の不滅の金字塔である「V9(9年連続日本一)」はこの65年から始まっている。川上哲治監督のもと、王貞治・長嶋茂雄という二人のスーパースター(いわゆるON砲)に加え、森昌彦・柴田勲・黒江透修・高田繁・土井正三といった名選手や、堀内恒夫・高橋一三・城之内邦雄といった球史に名を残す投手が揃っていた(Wikipedia)。それをノーヒットノーランというのがいかに凄いことだったか。

巨人戦・ノーヒットノーラン(甲子園球場)

よく覚えてないが、この快記録をI 君が狂喜した(はずだ)。阪神はその年は3位だったようだが巨人・阪神戦は今以上にもりあがった高視聴率の全国イベントで文字通りの伝統の一戦である。狂喜に値するのである。それが悔しかったのだけは覚えてる。というのは、バッキーがにっくき巨人をねじ伏せてくれたのはざまあみろだったが、万年5位かドベの広島カープファンは仲間と思ってた阪神にもおいていかれ、クラスでの下層民感が満載になってしまったのである。

そこに奇跡のような救世主が現れた。同じ年、1965年の10月2日に、プロ2年目でそれが初勝利となる広島カープの外木場義郎が、その阪神相手にノーヒットノーランをやってくれてしまったのである。1四球のみの準完全試合だ。どうだ、見たかこのやろー!この奇跡によって「ドン**チーム」とカープを侮蔑する奴らをぶちかまし、外木場さんは神となって写真が定期入れにお守りとして祭られることとなり、フォームとカーブを研究してまねることによって僕もピッチャーとなることができ、堂々と下層民から浮上するのである

どちらも阪神タイガースにまつわる。

昨日なぜ阪神電鉄の甲子園駅で下車したか、自分でもよくわからない。バッキーのこともメッセンジャーのことも知らなかった。そのうち感謝の気持ちをこめて甲子園でタイガース戦を観なきゃいかんかな。というのは、その昨日、ちょうど帰りの新幹線にのっているころ、疲れ果ててずっと寝てて知らなかったが、阪神タイガースはナゴヤドームで中日ドラゴンズの大野雄大にノーヒットノーランをやられていたからだ。

 

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「えべっさん」の謎

2019 SEP 14 22:22:26 pm by 東 賢太郎

今日は大坂へ日帰りして、ついでに「西宮神社」にお参りした。ここは毎年1月10日の午前4時から大勢がダッシュする「福男選び」が有名だ。えびす神社ともいい「えべっさん」と呼んでえべっさん通りまである。

大坂に赴任して不思議だなと思ったのはこの「ひらがな」の語感だ。東京者(もん)の感覚としては日本に約3500社あるえびす神社の総本社であらせられるのだから是非「戎宮総本社」と漢字で書いてほしいところである。七福神に無礼とまではいわないが「えべっさん」じゃ重みがないよねと思ってしまうのだ。

せっかく来たからと甲子園駅で阪神電車を降りてみたら甲子園球場の向かいに立派な警察署がある。白亜にアールを活かしたモダンな建物であるが、壁面にある名称が「甲子園けいさつ」にはのけぞった。これ、誰に読ますんだろう?漢字だと読めない人がいて困るんだろうか?でも警察にお世話になる人は読まなくていいし、用事がある人は場所ぐらい調べてくるだろう。通りすがりの人がフレンドリーさにひかれて立ち寄ることを期待してるんだろうか、それとも皆さんの税金でやってますを親しみをこめてアピールしてるんだろうか?東京もんにはわからないのである。そういえば昔、曽根崎警察署も「そねざきけいさつ」と壁面に貼ってあった気がする。当時は気も心も大坂になじんでたから気にならなかったのだろう。

当時びっくりしたのは鰻屋にはいったらそれの品書きが「まむし」だったことだ。なんと、関西ではウナギとマムシは同じなのか、そんなものが食えるのかと身構えたが、どうやらそれは鰻丼のことで、飯をまぶすから転じてまむしになったらしい。まあ分かったが東京では転じたとしてもそうは怖くて呼ばんわなあ。

怖いといえば、梅田の南東の方を歩いていたら「靭公園」というのがあったっけ。「うつぼ公園」だ。ウツボってあんまり愛らしいとも思わないし、やたらかみつく肉食魚で海のギャングと言われるやつだ。食えるらしいが東京もんは食した経験ないし、行ってみるとイメージはかけ離れていて美しい公園なもんで、どうしてなのかわからない。これは今もわからない。

そうかと思うと「日本橋」は「にっぽんばし」で、松屋町は「まっちゃまち」だ。難波(浪速)の「なんば」も天満の「てんま」もいま思えば「ほんま?」なんだが、この人当たりのほんわかした柔らかさとぬくもりは好きだ。でもこの言葉で取締役会議事録や裁判の判決は読めんわなあ、でも東京もんの言葉もルーツはこっちなんだよなあと考えると実に謎である。

40年前、ここで2年半過ごしたころはそんなこと考えたこともなかった。若かったし知恵もなかったし、ずっぽし大阪文化に浸ってたのだ。ここで「だからね」「それでさ」なんていって同期の女の子たちに「あっ、東京もんのええかっこしい!」と総攻撃されてしまったのが懐かしい。いまさらそんなことに気づくって、僕はもうすっかり東京もんに戻ってる。そういえばあんなにしゃべってた英語もぬけちまったかもしれない、なんて言おうもんなら超ええかっこしい!だ。

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NPBの謎「パリーグの方が圧倒的にレベルが高い」

2019 AUG 15 15:15:59 pm by 東 賢太郎

きのう日ハムの吉田輝星投手が先発する試合を見た。それでだろうか東京ドームは9割の入りだった。しかし2回+で打者12人に5安打。4三振は奪って大器の片鱗は見せたものの、荻野、鈴木に文句なしの3本塁打を食らって6失点ではKOといわれても仕方ない。

去年の甲子園の方が速かったし球威もあった(そっちは球場で観てないがたぶん)。この試合まで7本塁打だった荻野はなめすぎ。1発目は強気で全部が直球で、2発目は反省の変化球が甘すぎ、鈴木も直球、どれも問答無用の完ぺきにとらえられてれ引っ張られて中段にぶちこまれた。あの高さね、高校生なら打てないがプロは打つよ。わかってるから制球のため球威を犠牲にしたんだろうが、その148キロじゃ通じないわけであって、そうした割にはあの甘い球なら何も考えてないのと一緒。こんな甘ちゃんやってるとハンカチ王子化するんじゃないか心配だ。

終わってみて、強烈な印象が残った。久しぶりにパリーグの公式戦を見たわけだが、レベルが高い。どれがというより、簡単に言えば、投手の球が速くて打者の振りも速くて守備もうまい。いつも見てる巨人戦なんてクソだよ、この前のあほらしいヤクルト戦なんてなんだあれは少年野球か。日ハムを東京ドームに戻してほしい、巨人戦なんか辞めてそっちを年間予約したい、僕はうまい野球を観たいだけだから。

ロッテ・小島

ロッテ先発の小島(おじま)。いいピッチャーだと思って試合終了後に調べたら新人であり浦和学院でセンバツ優勝投手で早稲田大のエースだった。直球138キロぐらいだがスピン量が多いんだろう、ことごとく日ハムの打者は差し込まれており清宮と万波は2三振。フォームの割に伸びてきて空振りが取れてる。柔らくてピッチングがうまい。これが初勝利とは驚きでいいものを見せてもらった。6回4安打6奪三振1失点はあっぱれで成瀬、SBの和田みたいになりそう。好きなタイプであり応援したい。

日ハム・公文は巨人から来たぐらいで注目もしてなかったが、実物を見て印象がガラッと変わった。145あたりで強くていい球を投げてる。今の巨人は欲しいだろう。ホームランを打った大田泰示もそうだが巨人は高額の補強をする裏でいい選手を出してしまっている。和田恋もそうなるかな。

ロッテ・唐川

最も印象に残ったのはロッテ・唐川だ。体重が乗って腕が遅れてスピン量が多い素晴らしく伸びる球を投げる。高校時代から知っていた。成田高校。1年秋からエース。140ぐらいの直球と100あたりのカーブだけ。それで甲子園は3度出て大阪桐蔭の中田翔、仙台育英の佐藤由規と高校ビッグ3と呼ばれ、ロッテと広島が高校生1巡目指名してロッテが引き当てた。剛速球ではないが打てない、三振もとれる。いかにストレートの球質がいいか。実は、僕の理想の投手は彼だ。ああいうピッチャーになりたかった。2メートルもあるバカでかい奴が腕力で160キロをズドーンなんて美しくもなんともない。投球練習をほれぼれしながら凝視。美しい。タマは行ってる。140を超えてる。こりゃ打たれんぞと思った。

ところがだ、王はアウトにとったがそこからがいけない。清水ヒット、田中賢介がレフト線にツーベース、代打・谷口が内野安打、西川ヒット。不運な当たりもあったにせよ、4連打で1死しか取れずに2失点と散々だ。しかしである、僕が見た限り、唐川のタマは良かったのだ。ほれぼれするほど。あれが打たれるんかよ、セリーグならぜんぜん打たれないよ。

これを目撃して、こういう結論に至ったわけだ。

終わってみて、強烈な印象が残った。久しぶりにパリーグの公式戦を見たわけだが、レベルが高い。どれがというより、簡単に言えば、投手の球が速くて打者の振りも速くて守備もうまい。いつも見てる巨人戦なんてクソだよ、この前のあほらしいヤクルト戦なんてなんだあれは少年野球か。日ハムを東京ドームに戻してほしい、巨人戦なんか辞めてそっちを年間予約したい、僕はチームなんかいいのだ、うまい野球を観たいだけだから。

どうしてなんだろう?おんなじ母集団から公平に採用してるのに。謎だ。セリーグの試合でこんなに考えされられることなはい。交流戦で勝てないのは当たり前である。日本シリーズも、セリーグはどれが出ても一蹴されて終わるだろう。どこがどうということではなく、要するに、パリーグの方がぜんぜんレベルが高い野球を日常茶飯事にやっているということだ。

 

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セクハラは国家を滅ぼすという謎

2018 APR 30 15:15:00 pm by 東 賢太郎

僕は高校まで共学だったから周囲に女性がいるのには慣れているが、何かで女子と話が合ったり意気投合した経験は皆無だ。部活などで女性と一緒に何かやるという発想がまるで持てず、そういうことはむしろ恥ずかしいことだと思っていた。硬式野球部の部室は隣が新聞部だったが、毎日女と新聞なんか作ってる世界はアンドロメダ大星雲か猿の惑星の話に等しく、そこの人に汗臭くて悪いなと思ったことはあっても会話しようという気になったことは一度もない。

家では母、妹とやることは完全分業制であり、精神的にも肉体的にもひとえに外の世界での戦闘用の男として育った。戦中が青春時代だった両親は終戦10年後に生まれた長男をそうしたかった。早い話が、学問とスポーツだけやっておればいいからその競争に必ず勝てという事である。名前に「賢」をつけたのはその思いだろう。智は力なり、それが新しい日本で生きていくうえでケンカに強くなる、生活力を持つ、国のためになるのだという意味だった。それから63年がたった。

僕だけではない、こう育った同世代の男はたくさんいて、学問とスポーツでないこと、とりわけ女々しいこと、女のするような事はするなと教わる。こっちはそれにとどまらなかった。アメリカさんに靡いて媚びを売る女、その気を引こうとちゃらちゃらする男、サラリーマンは気楽な稼業ときたもんサと歌うおぞましいあいつらが同じ人間とは思っておらず、クラスでもそういうのと同じ空気を吸うのも不快であり、教育は強度だった。ケンカに負けて帰って許してくれたりやさしく傷をなめてくれる家ではなかったから競争に勝つのは当然の事だった。

僕の戦う相手が男でなかったことはない。野球場に女はひとりもいないし東大法学部は女が3%しかいなかった。敵方の男をズタズタにやっつける研究をして生きてきたとさえいえるし、自活の自信があるから他人に尻尾を振るようなみっともない真似をする必要はない。ネコが尻尾を振らないのは犬より馬鹿なのではなく犬にはない気位があるだけだ。抱っこが嫌いなのは、あれは捕獲されたポーズであり心はライオンだから耐えられない。ライオンは王でないといけないからサラリーマンはできない。完全自活であり誰にも尻尾を振らないで寿命が尽きるまで生きていける今があることを両親に感謝しなくてはいけない。

ところが昨今、パワだセクだというハラスメント問題で世間の様相が変わってきた。社会で女性と戦ったり糾弾されたりというのは旧石器人類である僕らの辞書にはない。そもそも狩猟用の戦闘要員だから家事には無能力であり、完全分業制だったはずが育児まで「共同作業でしょ、会社休んでね」という風潮も困惑するのみだ。「じゃあ子守するけど誰が狩りすんの?獲物なかったらみんな餓死だよ」なんて反論は許されない。「そんなことありません、男女雇用機会均等法があるのよ、ワタシだって稼げるわ」となる。機会が均等であることと成功することとは何の関係もないのだが、そういうことを主張する人はそれを知らない。成功する人にもしない人にも均等に給料を払えという法律だろなどという反論は許されない。

家事をして子育てしてもらわなくてはいけない女性に対して威力行使をしようなどという蛮勇は僕には元からない。酔っぱらって地下鉄の女性専用車に乗ってしまった時の恐怖、ねえねえあの人痴漢?変態?みたいな目線を四方八方から浴びせられたのだからたまらない。同じことだ、何も悪いことしてないのに相手が不快になったら「セクハラよ、アウト!」というのはとても不気味だ。あなたの顔が不快なんです!なんてなったら?ここでは反論というものは存在すらしない。まして隣にいる知らない女までそれきいてMe-too!なんてピースして罪が2倍になったりして、どこで人生棒に振るかという地雷の中を歩くようなものだ。

そうなると男は気をつけるしか自衛の道はない。一義的には女性に対してだが、セク・パワで騒げば天下の財務次官の首までとれる血の味を知ったマスコミにもだ。そこでこういうことになる。元禄時代のお犬様といっしょ、お女性様と呼ぼう。まず1対1の食事や酒席は一切しない。したとしても仕事と宗教と世界経済の話しかしない。えっ、私は平気ですよ、なんて人もいようが、僕は平気かどうかを気にしなくてはいけない話はしないし、そもそもそんなことに上から目線のお許しを賜ること自体が男として甚だ不快である。そんなに不快なのにこっちはそれセクハラですと申し上げる権利はないらしいから雇用機会均等法がある割に男に不平等だ。不平等というのは人治主義で北朝鮮の将軍様のファシズムみたいなもんで理性が通じない。理性が通じない相手は無視して一切関わらないのが王道なのである。まじめな話、リスクがありそうな女性を経営者は雇わなくなって雇用機会は実質不均等に向かうから女性には別にいい話ではない。

若い男は大変だ。一度でも女にかみつかれたらもうプロポーズしようなんて戦意は喪失だろう。若くない僕だってあの女性専用車で睨んだようなこわい女を家や会社に置きたいとは思わない。ただでさえ弱ってる日本の男は草食獣どころかそれに食われる植物みたいに不活性になっているが、とはいえ男のプライドは当然あるわけで、家庭という幻想のためにそんな女にお願いしてまで家にいてほしいとは思わなくなってくるのではないか。独り身は経済的に楽だし気ままに生きられるし別に子どもなんかいらん。すると困るのは女の方ではないだろうか。

そうやってますます人口が減る。つまり男が減る。日本国は経済力はもちろん軍事的ポテンシャルも凋落していくのは必至である。その隣に人口が7500万人にもなる大朝鮮国が現れるかもしれない。大半が貧民ではあるが飢えて元気な男がたくさんいる。日本の女性は高嶺の花で強烈なラブコールを受けるという結末があるかもしれない。女性の目からすれば「今の時代になに古いこと言ってんのよ」というシナリオかもしれないが、これぞ日本の親韓テレビ局を使った韓流ドラマ大量輸出の背景にある戦略であった。そうなると百年後はその結婚を契機とした将軍様を崇拝するファミリーが日本に大挙して現れ、国会を支配し、ひょっとして金王朝はハプスブルグとブルボンみたいな王朝婚姻戦略による天皇化をして永世の地位の世襲まで視野に入れているかもしれない。

まるで韓流ドラマのお涙頂戴のような金と文の歴史的抱擁はトランプに殺されたくない金にとっては命がけの「半島平和作戦」「同胞抱きつき作戦」だ。これでも俺を撃てるのか?お前の友達の文も死ぬんだぞ、やれば世界の平和主義国を敵に回すぞ、そこまでするのか?という。そこにアリランが流れ、同胞合一の涙の大団円となり、これをプロデュースしたトランプ氏にはノーベル平和賞が用意されるのである。そして6月には文の、11月にはトランプの大事な選挙がある。もちろん国際平和に貢献した二人は圧勝で、そのために日本が犠牲になるなど誰も心配しない。いやそうではないか、いかんいかん金様は人は殺すけれども情けは深い大君主閣下であることを忘れていた。「経済制裁解けや、統一の祝賀金出せや」と首脳会談をして下さり、韓中米の協定のお仲間には入れてくれるかもしれない。

 

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あなたは完全に愛されている

2017 SEP 3 22:22:52 pm by 東 賢太郎

僕が大学ぐらいのとき母がこんな話をした。

「千葉の畑のなかのでこぼこ道を車で帰ってくる途中だった。夜おそくで真っ暗で人っ子ひとりなし。おまけに土砂降りの雨だった。母は助手席にいて伯父が運転、後ろに伯母もいた。のろのろ運転だった。すると道の左側をこっちに歩いてくる若い女の人がライトに照らされて見えた。近くにきて驚いた。傘もささず、なんと白いドレスを着てずぶ濡れだ。どうしてこんな田舎道に??目の前で顔も見えたが、女性は車に目をやることもなくすれちがった。母はびっくりして「あの人どうしたのかしら、乗せてあげたら?」というと、伯父も伯母も「えっ、どうしたの?」と何も見ていない。しばらく行くと、道の左側でスポーツカーが大破していて、車体は真横になって吹っ飛んでいて、運転席を内側にぐにゃっと曲がって電信柱に巻き付いていた」。

父は父でやはりある。子供のころ家にどこかから買ってきた古い箪笥が来て、寝室のある2階から階段を降りたすぐのところに置かれた。次の日、夜中に外でいたずらしようと兄さんと抜き足差し足でこっそり階段の踊り場を曲がって下を見ると、箪笥のまえで知らないおばあさんがこっちを見あげていた。大声をあげて逃げ帰って叱られたが、親は信じなかった。ふたりで見ているのだから夢ではない。夜中に天井裏でどかんという音を聞いて原因がわからなかったこともあって、何だったんだろうと言っていたら、翌日、ちょうどその時刻に叔父さんが亡くなっていたこともあったそうだ。

父母のその性質は受けついでいないようで僕はそういうことはないが、一度だけ金縛りになったことがある。大阪の独身寮でのことだ。

転勤が決まって荷物は東京に送ってしまい、がらんとなった畳部屋で寝ていると目がさめた。まだ薄暗い明け方のようだった。右向きに寝ていて、頭は布団から畳にすこしはみだしていた。すると右耳の20~30センチぐらい後ろのところで素足が畳を擦るような気配があった。誰かすぐそこいる・・・。背筋が凍って声を出そうとしたが出ないし手足も動かない。すると、上側になっている左耳に、なんということか、人の生あったかい息がかかった。今でもリアルに再現できるが、息は「あ~う~え~あ~」と言ってぶわーっと耳に吹き込まれた。動けずにがたがた震えていると、やがて雀のチッチという声がして窓が開いていたようだった。救われたと思うと、それは終わっていた。

宇宙は科学で説明でき、お化けやら超常現象のようなものはほら吹きの嘘だと思っていたが、これ以来信じるしかなくなってしまった。科学はこの世を全部解き明かすわけではないと。たとえばここにハーバード・メディカル・スクールの脳神経外科医エベン・アレグザンダー医師の著書について書いた。

僕が聴いた名演奏家たち(ピエール・ブーレーズ追悼)

医師自身の臨死体験として『言葉や地上的概念を超越して、「あなたは完全に愛されている」という“事実”が伝わってくる』とあるが、科学者である彼も信じるしかなくなってしまったものを背負って生きていることがわかる。

僕は臨死体験はないが、実は「あなたは完全に愛されている」という“事実”が伝わってくるのを感じたことがある。

起業する何か月か前のころだ。何をしても上手くいかず、毎日が辛くて不安で眠れなくなってしまった。夜が危ない。誰に相談することもできず、しても仕方なかったから始末が悪い。ああいう時、ひょっとして人は自殺するんだろう。独りで横浜にふらっと行って野球をみた。みたかったわけではない、いつまでも試合が終わらないでくれと願っていたのだけ思い出す。そこから記憶はなく、夜中まで港をあてもなくぶらぶらしていたようだ。

あのころ横浜の地理なんてよく知らない。すると知らず知らず桜木町の駅のあたりにさしかかっていて、ああよかった電車に乗ろうと思った。その時だ、川のようなものがあって橋のかかっているほうへ何か得もいえぬというか、こっちへおいでおいでというような引力があった。そっちへ歩いていくと、肌にあったかいような不思議な感覚があって、どこからともなく、おぎゃーと赤ん坊のような声が聞こえた気がした。そこで味わったのは、不安から解放され、なにやらあったかいものにくるまれたような究極の安堵感だった。あれは何だったんだろう?すごく心が落ち着いて、キツネにつままれたようになって帰宅したのだ。

そこがここに書いた富貴楼という料亭があったあたりだったと知ったのは、後で調べて知った。

遺伝子の記憶

「僕にとって大事な場所で、そこに行くと何となくあったかい霊気みたいのものを感じ、声が聞こえるような気がします」と書いているのがそれだ。それから何度かいってみたが、もう声が聞こえることはなかったが。

こういうものを信じるかどうかは人次第だ。しかし、僕は人生で天の配剤というか、生まれる前から決まっていたかのようなご縁でものが進んだような経験を何度も味わった。カープファンでなければ広島で出会わなかった家内。なぜか野犬に咬み殺されなかったサンフランシスコ。先祖のことを知らず証券業に導かれた野村。大阪とロンドンで人生を決めたお客さん。みずほ移籍に至る大失敗。起業させてくれた先輩・・・。

そしてつい先日も、僕が米国、日本でのお手伝いを決めたノーベル物理学者のN教授が大阪の料亭で会食中に、えっ、東さんってあの東さんですか?とおっしゃた。父方の親戚がいま話題の東芝のCTOから理科大教授、中国の精華大教授や半導体で応用物理学会フェローなどになってよく知っておられるそうだ。驚いた。こんな奇縁となると世の中狭いですねですまない、やっぱり天が導いたものだろうと思うしかないではないか。

まあ62年も生きていればいろんなことがある。ご縁でそうなったと思えないでないことはきっとみなさん誰にもにあって、そういうことにしてしまおうという部分もあるかもしれない。僕はそれでいいと思うし、物事をポジティブにとらえる姿勢のひとつぐらいに考えようとも思う。結局、人生行路というのは姿勢がポジティブかネガティブかで最も大きく分かれていると感じるので、「ご縁」という考えを大切にする生き方は人を前向きにしてくれる効能が非常にあると思う。

母が亡くなって3か月たったが、いまもそれが実感とならずどこかに魂でいるんじゃないかと思ってしまう。毎日位牌に手を合わせると、『言葉や地上的概念を超越して、「あなたは完全に愛されている」という“事実”が伝わってくる』のだ。これは不思議なことだが思い過ごしでない。科学はこの世を全部解き明かすわけではないのだろう。

 

『気』の不思議(位牌とジャズの関係)

オリンピックへの道 (1964年にできたもの)

 

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トスカニーニはパワハラか?

2017 AUG 12 7:07:42 am by 東 賢太郎

昭和の昔にパワハラなどというものがあったら僕は真っ先に会社をクビになっていたろう。しかし仕事で罵倒したり罵声ぐらいはいくらも飛ばしたということであって、職場の地位・優位性を利用して人心にもとるよからぬことをしたことはないし、仕事では自分に対しての方がもっと厳しかったという苦しい言い訳ぐらいはある。

元々そういう性格だったわけではなく、中学あたりまでは他人には強くいえない弱っちい情けない子だった。そうでなくなったのは高校で体育会に入ったせいかと思っていたが、先輩の問答無用の命令と服従、あんなもんがそんなにいけないか?と疑問に思わないでもない。いかなる戦うための組織においても軍規は必要で、それがあそこでは長幼の序であっただけとも思える。

高校あたりから弱い子でなくなったのは、多分、早生まれで体が小さいコンプレックスがずっとあったのが身長が追いついて吹っ切れたからだと思う。要は喧嘩をしても負けない気がしてきて、しかもすぐエースになったから心持ちが大逆転もした。逆に投手はつきあう野手は捕手だけで周囲はあまり関係なく、上級生になっても後輩に命令した記憶もなければもちろん体罰などしたことはなくて、体育会だからパワハラ的性格になったということは多分ない。俺は弱くないと思えたことこそが大きかった。

ただ軍規は染みついた。「グラウンドで歯を見せるな」という相撲界みたいのがあったが、昨今の甲子園を見ているとよく選手が笑ってる。戦場感覚はかけらもなくなって、プロ選手が「いい仕事しましたね」などとほざく感覚に呼応している。昨日など打席でにやにやっとしたのがいて、「次のタマ、あいつの顔面狙うな、俺なら」と口にする。そんなの僕には条件反射である。すると「そんな時代じゃないわよ」と家内におこられる。そういうのまで今やパワハラまがいになっちまうんだろうが、軍規違反に対する制裁はこっちだってやられるから弱い者いじめとは全然違うのだ。

吾輩は化石のように古い男なんだろうし女性軍を敵に回すのは本意でもないが、パワハラにはどうもフェミニズムの男社会への浸食を感じるのだ。軍規の第1条でレディ・ファーストにせいみたいな感じで、母親目線でウチのかわいい子に規律は少なくしてちょうだい!なんて勢いでゆとり教育が出てきてどんどん子供をバカにしてしまう。そのうち軍規に人殺しはいけませんなんて書かれるだろうと隣のミサイルマニアが待っていそうな気がしてくる。

「職場の地位・優位性を利用」するのがパワハラの要件らしいが、それはそもそも、それ自体が男原理の本筋を踏みはずしているというものである。近頃は女も猛猛しくこのハゲなどと罵倒もするようだが、女の気持ちは代弁する自信がないのでここは男に限定させていただくなら、パワハラは地位や優位性を手にして初めて強くなった気がしているような、要は力のない恥ずかしい男がするものであって、モテない男がセクハラといわれやすいのとお似合いのものだろう。男の嫉妬は女より凄まじいとよく言うが、それの裏返しともとれる。男原理で動く男は地位があっても弱い者いじめなどしないし、嫉妬はするかもしれないが負けて悔しければ自分もやろうとするだろう。

横浜DeNAベイスターズは契約でそういうことにでもなってるんだろうか、負けても必ず監督のTVインタビューがある。あれは軍人に無礼極まりない。「敗軍の将、兵を語らず」は立派な大将の不文律であって、戦況をべらべらしゃべるような軽い奴に兵隊は誰もついてこないのは万国共通の男原理というものなのである。これは理屈ではない。アメリカは勝ったってしない、まして怒り狂っている敗軍の将にマイクなんか向けようものなら殴られるだろう。あのテレビ局のお気楽な「お茶の間至上主義」、「局ごと女子アナ感覚」は平和ボケニッポン独自のものであって、フェミニズムの浸食に力を貸している。

僕は指揮者アルトゥーロ・トスカニーニの作る音楽を好んでおり、ミラノへ行った折、敬意を表して息子と墓参りをした。演奏家より作曲家がえらいと信じてる僕として、プッチーニ、ヴェルディの墓は参ってないのだから異例なことだ。彼のプローべは戦場さながらであり今ならパワハラのオンパレードである。これをお聞きいただきたい。日本のかたはどこか既視(聴)感があるが、「このハゲ~!!」ならまだかわいい、「お前ら音楽家じゃねえ~!!」だ、これを言われたらきついだろう。

この戦果があの音楽なのだ。プロとプロのせめぎあい。何が悪い?彼が指揮台を下りても楽団員を人間と思ってなかったかどうかは知らないが、棒を持ったらきっと思ってなかっただろう。こんな男の人間性ってどうなの?と女性やフェミニストに突き上げられそうだが、しかし、それと同じぐらいの度合いで、他の指揮者は僕にとってメトロノームとおんなじだと言いたいのである。ベートーベンの交響曲第1番は彼以外にない。ほかの指揮者のなど聞く気にもならず、全部捨ててしまってもいい。そんな演奏ができる指揮者がいま世界のどこにいるだろう?

僕はレナード・バーンスタインのカーチス音楽院のプローべを彼のすぐ後ろで見ていて、和気あいあいにびっくりした。客席にぽつんと一人だった僕がコーク片手に彼のジョークを一緒に笑っても問題なかった。同じ位置で見たチェリビダッケのピリピリはトスカニーニさながらで、目が合っただけで睨みつけられた彼にそんなことをしようものなら大変だったろう。そして、そこで緊張しまくった学生たちが奏でた音!あれは一生忘れない。カーネギーホールの本番で評論家が今年きいた最高の管弦楽演奏とほめたたえたドビッシーが生まれていく一部始終を見たわけだが、細かいことは覚えていないが、そういうテクニカルなことよりもあの場の電気が流れるような空気こそがそれを作ったのだろうと感じる。

トスカニーニは男原理の最たる体現者である。そういえば彼の時代のオーケストラに女性はいなかった。彼は理想の音楽を作るためにすべて犠牲にして奉仕し、だから、今日のボエームがお前の一つのミスで台無しになったと本番の指揮台を下りても怒りが収まらずにホルン奏者を罵倒した。立派なパワハラ事件になり得るが、ホルン奏者はそれで頑張って次はいい音を出して納得させた。ボスの完全主義と美に対する執念には団員の理解があり、そういう言動は彼の個性であり強権による侮辱やいじめと思ってなかったからだろう。それはきっと、トスカニーニの世紀の名演のクレジットはオケの団員だって享受して、名誉と生活の安定を手に入れられたからである。男原理の男はこうやって職場の地位・優位性ではないところで人を動かせるからパワハラ事件にはならない。人事権がないと何もできない男、女々しい奸計でポストを登った男はボスにはなれないのである。

クラシック徒然草-チェリビダッケと古澤巌-

ベートーベン交響曲第1番の名演

 

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羽田国際線ターミナルのタクシーの謎

2016 JUN 1 0:00:59 am by 東 賢太郎

よる10時過ぎに羽田に着いてタクシー乗り場へ行くと、50メートルぐらい列ができてます。ところが、よく見ると空車はたくさんいて、そっちの方も長い列ができてます。僕の前もうしろも外人さんで、What’s going on?ときかれたがそういわれてもこっちも何だかわかりません。

荷物が多い人がいるとトランクを開けたりして積むのに時間がかかるんですが、後ろの車はそれを抜いてこっちに回ってくればいいのに来ない。客も奥へ進まない。要は、海外からで疲れてるのに意味もなく待たされるのです。外人さんはかなり文句を言ってました。

やっと乗った車で聞いたところによると、5時間並んだそうです(タクシーの方が!)。しかし僕も20分は並んだよ、なんで?というと「そうなんですよ、お客さん。去年の3月までここにはポーターが3、4人いたのに切っちゃったんです。それでこんなめちゃくちゃなんです。年に2回だけ大臣が視察に来るんですが、そのときは役所から10人ぐらいきてビシッとポーターやるんですよ、毎日やってますみたいに・・・ひどいもんでしょ」。本当にひどいもんだ。

「手前に神奈川だけってポストがあるでしょ、あれ東京のタクの所場に入るのに毎月2万4千円の許可証を空港のセンターに買わされてるんです。1250円の空港使用料取られてる上にですよ。ひどいでしょ。」「なるほど、それでポストが分かれてんのね、東京はずいぶん奥で」「そうなんですよ」「その許可証、年間28万8千円ですよ、それで40台ぐらい常連です。それポーターの給料かと思ってたら、いなくなってもまだとってるんですよ。天下りの給料になってるんでしょうね」、これもひどいもんだ。

めちゃくちゃ疲れてたので腹が立ったが、5時間待った運転手さんが気の毒でそれも忘れました。ちなみに、「後続車が前に回ってこないのは外人は近場のホテルで1000円なんてのがあるんで英語わかんないふりしてパスするのがいるんです。」「う~ん、5時間で1000円じゃねえ・・・」でも前後の外人は怒ってたので、それがあったらかなりまずい。空の玄関でこの「お・も・て・な・し」は笑えない。

 
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嬉野温泉スパイ事件の謎

2015 SEP 13 22:22:57 pm by 東 賢太郎

先週末は雨とコンサートでジョギングできませんでした。2週空いてはまずいので今日はまた二子まで10km。けっこう調子が良くてついに初めて1時間を切りました(57分)。

阿曾さんたちにそれならハーフマラソンはいけるいけるとけしかけられたのと、もう一つ佐賀の嬉野温泉へ行った時に按摩(あんま)さんに「筋肉は50才ぐらい」とおだてられたのが効いてますね、たぶん。

この嬉野(うれしの)という所は福岡空港からだと高速バス(九州号長崎行き)で諫早方面に1時間半ほどです。地図で見るほど遠い感じはしません。福岡空港発11:02に乗って筑紫平野を下り、筑紫野、基山を通って12:36に嬉野バスセンターで降ります。

「まめ多」の降旗女将にいい旅館があるよと教わっていて、昭和天皇が泊まった和多屋というのですがそれは満員でした。そこで和楽園さんという旅館に1泊しましたが良かったです。

湯質は無色透明ながらぬめりがあります。傷を負った鶴がこの温泉で治るのを見た神功皇后が「あなうれしや」といったのが名称の語源だそうだから、日本書紀の時代から知られていたということです。和銅七年(714年)に記された肥前国風土記に名前が出てくるそうです。

「シーボルトの湯」というのがあります。

 

シーボルト_川原慶賀筆フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796年 – 1866年)がここに長崎から何度か来ていた。彼はオランダ人と偽って出島に入ったがドイツ人であり、出身地はヴュルツブルグです。思えば僕はフランクフルト駐在当時、友人とよく車でヴュルツブルグの劇場にオペラを聴きに行ってました。

フランクフルトを流れるマイン川は、ワーグナーの聖地バイロイトあたりに源流を発して、長躯バンベルグ、ヴュルツブルグを流れてフランクフルト・アム・マインに来ます。そしてマインツでライン川に合流するのです。そういえばシーボルトの従兄弟の娘に当たるアガーテ・フォン・ジーボルト(1835年 – 1909年)は、あのブラームスの婚約者であったっけ!

 

どんどんパズルのピースがつながっていきます。

 

あそこから長崎に、そしてこの嬉野温泉に来ていた。彼はプロイセンのスパイだったという説もあり、幕府禁制の日本地図を持ち出そうとしたことで国外追放処分となるのです(1828年、シーボルト事件)。このとき、丸山町遊女であった瀧との間に生まれた娘(日本人女性で初の産科医となった楠本イネ)を残して去ったのはどこか「蝶々夫人」を思わせます。

イネは大村益次郎に恋した人であり、京都で襲撃された彼を看護しその最期を看取っている(司馬遼太郎「花神」)、また、吉村昭の「ふぉん・しいほるとの娘」の主人公にもなっています。彼女の美しい娘が宇宙戦艦ヤマトのスターシャのモデルらしいというのも知りませんでした。

そこで、もうひとつ、思い出した。「シーボルトの湯」の目の前の橋のたもとにあった「大村屋」という旅館の跡に、こういう来歴が書いてあって、なんとなく写真を撮っていたのです。

 

伊能忠敬!!

そうか、幕府禁制の日本地図を役人の目が光る長崎・出島で受け取るのはあまりに危険である。温泉で湯治すると偽装して、ここで入手したんじゃないか??

 

まあ大昔の犯罪だしもうどーでもいいですけどね。

このことは実はさっき気がついたんで、当日は中村兄と来ていたんですが仕事で疲れてぼーっとしていて、名物の豆腐を食べてなんにも考えてませんでした・・・。母方の出身地が諫早なもんで、どのへんかなと旅館で尋ねたら、車で30分ですよ近いですよなんてことも知った。

ぎすぎすした東京からくると、人当たりがやわらかくてどこかほっこりしてて、安らぎました。いいところでした。また行くことになると思います。

 

(追記)

嬉野で撮った一枚に故・中村兄の後姿があった。昨日のことのようだ。

 

(こちらへどうぞ)

あれからもう一年か・・・

わが温泉考 (Splendid hot springs in Japan !)

戦争の謝罪をすべし、ただし日本史を広めるべし(追記あり)

 

 

 

 

 

 

 

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織田信長の謎(4)-女房衆皆殺しの件-

2015 SEP 2 2:02:23 am by 東 賢太郎

歴史ファンには有名な話ですが、1581年に「竹生島事件」というのがあります。概略はこういう話です。

安土城の信長が琵琶湖の竹生島(ちくぶじま)に参詣したときのこと。遠路ということで、信長は羽柴秀吉の居城・長浜城に泊まるに違いないと考えた女房衆は桑実寺へお詣りに出かけたりして羽をのばしました。ところが信長はなんと当日に戻ってきてしまう。信長は女房衆の怠慢に激怒、縛り上げて即刻差し出すよう寺に命令します。女房衆は恐れおののいて寺の長老に助けを求め、長老は同情して慈悲を願いますが信長はそれを見てますます怒り、長老もろとも女房衆を成敗しました。(『信長公記』天正9年4月10日の項より)

「成敗」が処刑だったかは不明ですが、けん責ぐらいでは信長公記に載らなかっただろうからまず全員死刑でしょう。安土城に強い気があるのもむべなるかなです。社内ルールを社員が守らなかったので幹部が激怒したといえば「ナッツ姫事件」というのがありましたが、僕はあれを聞いてこの「竹生島事件」を思い出したのです。

nobunagaまず関心を持ったのは、「安土城から竹生島までの距離」でした。衛星写真の星形(安土城)⇒ひし形(長浜城)⇒丸印(竹生島)と進んだのですが、全行程往復で約120kmです。そのうち琵琶湖の船が40kmほどなので早馬が競争馬の半分の時速30km、船が10kmとすると約6時間40分の移動時間。竹生島参拝が2時間、長浜城に2時間滞在として朝6時に安土城を出れば午後5時には戻れます。船がもう少し遅くても午後6時ですね。充分に可能です。

でも女房衆は帰ってこないと確信した。信長の性格からして油を売っているのがばれたら命がないぐらい熟知しているのに不思議です。どうしてだろう?まず120kmという遠さです。その距離を日帰りという常識はなかったのでしょう。次に、可愛がられていた部下の秀吉が饗応して帰すはずがない、引きとめるに違いない、殿もそれに応じるに違いないという思いこみがあったのではないでしょうか。120kmは遠く、秀吉との関係は近かったということでしょう。

8月13日、僕は安土城近くのホテルからJR琵琶湖線で米原へ、そこから北陸本線に乗りついで長浜に行き北ビワコホテルグラツィエに宿をとりました。そして翌朝9:00、長浜港発の船で竹生島へ渡ったのです。もちろん、「竹生島事件」のあった天正9年4月10日の信長の行程をそのまま実体験したかったからであります。

nagahama昼間は安土城近くの近江八幡の町を歩きまわったので、長浜にはへとへとになって午後5時前に着き、夕食は近くの寿司屋にぶらっと出かけました。知らない土地のカウンターで地酒がいいねと親父相手に適当につまむのが僕のスタイルです。すると何気なくこんなのが目に入りました。

ルービン ・ リキ ?

何だ、地元のプロレスラーの応援ポスターか?絵の女性の色っぽい眼つきと後ろの「ヨソ見はダメ」が酔った頭に交差します。おかげでキリンビールが読めるまで5秒はかかりました。

 

nagahama1

 

翌朝、快晴。今日も暑そうだ。琵琶湖をのぞむ絶景のホールでバイキングの朝食をすませ、9:00出航の船に並びます。

 

 

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竹生島まで約30分。いっぱしのクルーズ気分です。対岸は琵琶湖西南側で比良山地、叡山の北方にあたります。この湖面は太古から変わりなし。信長も秀吉もこういう風に見ていた。彼らも同じ航路で島へ何度も向かったのです。感無量ですね。

 

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さていよいよ念願の竹生島に接岸です。歴史への思いは地面に根ざす。島は動かしようがないし、この狭い港から竹生島神社、宝厳寺へ登る参道も他に選択の余地のない場所にあり、まぎれもなく信長はここを歩いたと確信できるのです。

 

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これが竹生島神社(都久夫須麻神社)への参道です。雄略天皇3年に浅井姫命(浅井氏の氏神)を祀る小祠が建てられたのが創建とされるので5世紀の話であり、歴代天皇が参詣しています。信長、秀吉にとっても我々とたいして変わらず、すでに歴史スポットであったわけです。

 

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ここで湖へ向かって「かわらけ」を投げます。かようなお堂の背景がオーシャンブルーのレイクビューというのも見慣れません。歴代の天皇も空海も信長、秀吉もここで「絶景よのう」とつぶやいたにちがいない。

 

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これが神社の本殿(竹生島神社)。秀吉が伏見桃山城の日暮御殿(ひぐらしのごてん)を本殿にとして寄進した。この本殿の左手から、秀吉が朝鮮出兵に用いた日本丸の船櫓を用いたとされる「舟廊下」が宝厳寺へ続きます。元は弁財天社であり右手には弘法大師がいたほこらもあるが、秀吉が初めての城主となった長浜に来て彼の色が強くなったと思われます。初めて支店長になった地に強い思い入れがあったというのは気持ちわかります(僕はフランクフルトがそう)。ここを氏神とした浅井氏の三姉妹の三女・江が家光の母であり、徳川にとっても特別の場所であったろうと思います。

 

nagahama8三重塔を経て、宝厳寺の本堂へ出ます。すごく暑い。平安時代から神仏習合の信仰だったため寺が分離されたのは明治になってから。弁財天とはインド起源の神であり湖水を支配する神とされたが、琵琶湖は古代から日本海、太平洋の縦断ルートでシルクロードの末端とでもいう大陸、半島のにおいがある。じっくり勉強してみたくなります。

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本殿から港へ向かって長い長い階段を降りていくと、なにか人だかりがあり、雅楽の笙、篳篥(ひちりき)の音が遠く聞こえてきます。やがて異(い)なるものを目撃しました。この写真の行列であります。

 

 

 

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金色の烏帽子をかぶった稚児もいる平安時代のいでたち。これが自然に風景に同化してしまい、雅な楽の音もあってあたりの空気が一変します。時代感覚が麻痺するという貴重な経験を致しました。

 

 

どちらかご名家の法事でもあるのかと思っていましたが、8月14日のことであり、あとで調べるとこれだったようです。

「蓮華会」

浅井郡の中から選ばれた先頭・後頭の二人の頭人夫婦が、竹生島から弁才天様を預かり、再び竹生島に送り返します。(元来は天皇が頭人をつとめていたものを、一般の方に任せられるようになったもので、この選ばれた頭役を勤めることは最高の名誉とされてきました。この役目を終えた家は「蓮華の長者」「蓮華の家」と呼ばれます(竹生島・宝厳寺 〜西国第三十番札所~より

nagahama13港に帰りつきます。信長の装束でこの土産屋の人混みから誰かがひょっこり出てきたらそれらしく見えてしまう気分になっておりました。次の船が11時過ぎで、正味1時間ほどしか居られませんでしたが大変に濃い時間であり、ここも安土城に劣らず強い「気」を感じるところであります(特に空海のほこらのあたり)。もう一度ゆっくり来たいものです。

これが帰路にのぞむ湖東方面です。中央の雲がかかっている高い山が伊吹山で、その真下にホテルが見える。つまりそこが長浜であり、信長の船頭はこの山を目ざして漕いだに違いない。そして、伊吹山の向こう側に広がるのが、あの関ケ原なのです。

nagahama14

かなり疲れました。

ここからまた早馬を駆って日帰りで安土まで戻ろうというのはフルマラソンでも走ろうかというほどの体力と精神力だと感じました。粉骨砕身の新任支店長・秀吉も島には同行していたろうし、「社長、ぜひ今宵は長浜にお泊りを!」と言わなかったはずはないんです。女房衆もどうせそうよと高をくくっていた。

想像ですが、信長はそれを読んでいたのではないでしょうか。少なくとも何らかの強い意志を持って、秀吉を振り切って帰ったのだと思うのです。安土城を築いてから約2年。度肝を抜く城を建てたのは権勢を示すためですが、まだ事は成ったわけではない。野心ある経営者が借金して巨大な本社ビルを建て、業界トップの大企業にだって買収を仕掛けるかもしれんぞと社内外に大風呂敷を広げたようなものです。

社内である安土城は大変なテンションの日々だったでしょうが、「いや~さすが殿ですな」というお追従の嵐でもあったろう。これが危険なんです。もはや天下布武は近いぞという大風呂敷が効いていて外敵の脅威に脅える日々ということもなかったのではないでしょうか。大手門から直線で天主に向う道はどう見ても防御には弱い。あれはもはや向かう所敵なしという示しであり、そういう強気なトークは敵をひるませるのですが時として社内に慢心の火種をもまくのです。

それは社長がいなくなる時間に反動でゆるみが出ることでわかるのです。僕も支店長になって出張から帰ると、そういう気配を感じた経験があります。そういう立場になってみて初めてわかる肌感覚で、なんとなくいや~な感じがするのです。怖いのは敵ではなく内輪のトップだけということであり戦う組織としてはまことにまずい。信長ほどの男にしてその感覚が研ぎ澄まされてないはずはなく、銃後の守りがそんなことでは天下布武は成らないと信長が危機感を抱いたのは想像に難くありません。

出張に出る社長が秘書室にいつ帰るか言ってないなんて考えられません。泊まるかどうか、女房衆なら身支度でもわかるはずだ。お迎えする支店長のほうの準備だって半端じゃないから、それは事前に決まっていたはずです。推測ですが、わざと「泊まりだよ」と言って出たんじゃないか。秀吉とはあらかじめ諮ってあって、ひょっとすると島にも行ってないかもしれない。不意打ちで帰って皆ちゃんと働いておればそれでよし。そうでなければ成敗してその悪い芽を根絶やしにする。そういう計略だったのではないでしょうか。

なにもその程度で殺さなくても・・・。僕もそう思いますが、当時は法律はないんです。殺人罪という法を作ろうという倫理観がなかった。諸大名を率いる者が統治するすべはアメとムチ以外に一切ありません。そのムチの恐怖による反逆、謀叛への抑止力をもつことは権力を握ることと同義であった。自身が法律という身ですから、子の名前に付けた忠、孝の文字に背く行為には極刑でのぞむのは彼のポリシーであり、それが奏功してあそこまでいったわけです。

綱紀粛正ということで思い出しますが、徳川時代にも江島生島事件があり、公務である墓参りの帰りに芝居を見て歌舞伎役者・生島新五郎と宴会におよび門限に遅れた大奥御年寄・江島の行状が発端となり、旗本であった江島の兄・白井平右衛門は切腹も許されず斬首、役者まで島流し、関係者1400名が処罰されるという大事件となっています。この事件は権力争いの謀略という側面が強いのですが、綱紀のゆるみはそれを口実に政敵をおとしめる大義に使われるほど武家社会では許されないことだったのです。

猫は鼠を殺すから残虐な動物である、だから猫はけしからんと裁いてみるのは別に間違いではないでしょうが、そういう倫理観を導入することで人間社会への貢献があるとは特に誰も考えないでしょう。歴史もそういうことと考えております。歴史は「その時代の人々が当然としている思考の枠組み」に自分の思考を意図して適合させないと誤解を招きます。僕の信長観は彼の人間性うんぬんではなく、発想と事績が日本人離れし、図抜けていたことに依っています。

(次はこちらへ)

織田信長の謎(5)-京都とミクロネシアをつなぐ線-

こちらがスタートです。

織田信長の謎(1)

 

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織田信長の謎(3)-「信長脳」という発想に共感-

2015 AUG 28 23:23:08 pm by 東 賢太郎

昨日のブログにこう書きながら、どうしてそうなったんだろうと考えてました。

「自分の御しがたい性格であるのですが、終わったことに執着がないというのが良くも悪くもございます。昨日はもう今日に関係ないのであって、簡単に忘れてしまいます。もちろん事実としての記憶はありますが、そこでの感情を引きずらないという意味ではプラスであり、その感情の発展を期待して下さった人には期待に添えないかもしれないという意味ではマイナスであります。」

おいおい信用できん奴だなと思われても仕方ないし、子供のころは決してそんなことはなかったように思うのです。むしろ昨日をひきずって悩んだりする子でした。

おそらく、①野球をして育った ②野村證券で育った、という決定的な2大要因があって「戦場脳」が後天的にできてしまったのだと思います。①も②も毎日の数字で勝ち負けが出る世界でした。勝負だから勝たないと意味がないという意味で戦場であり、戦場は常にサドンデス(負け=死)です。昨日大勝しても今しくじって負けたら終わりであり、昨日を引きずって悲観したり油断したりする者はだから弱いのです。

武士、武将がみな戦場脳が強かったかというと、たぶん太平の世になった江戸時代は違うのではないか。真剣で切り合いをしていた薩摩侍は、忠臣蔵が美談になってしまうほど殺し合いのない江戸を、そしてそんな江戸が武士道の鏡と讃える忠臣蔵を嘲笑していたそうです。たしかに、負け=一族の死という強烈なストレスとプレッシャーの中に生きていないと、日々の積み重ねで生きる農耕民族に戦場脳は発達する余地は少ないでしょう。

日本の経営者には「軸がぶれませんね」が誉め言葉です。僕はそれを言われたら不本意です。それは農耕民の価値観であって戦場ではナンセンスであり、それを喜ぶのは戦さをしていない証拠なのです。負けたら死ぬという時に軸もへったくれもないのであって、越前 朝倉攻めで信長は作戦失敗、ケツをまくって逃げ帰ってます。野球で「監督、軸がぶれませんね」は「ベンチに策がない」と同義だろうし、欧米の経営者にYour decision is always stable.なんて言うとinflexible(変えられん無能)の皮肉ととる人もいそうです。その心配が皆無である日本の経営者はすぐれて農耕民です。

僕は企業経営は朝令暮改あたりまえと思ってるし、まして朝でなく昨日のことなら改めようが何しようが是非を問うべくもなしです。昨日上がった株が今日も上がる保証なんてどこにもない世界で軸をぶらさずに今日も買いましょうなんて、すっ高値をつかんで即死するかもしれません。負けと思ったらすぐ売って逃げる。戦国武将の思考こそが自然であり現実的と思われます。

「おいおい信用できん奴だな」という不信任は困るのですが「会社をつぶす不信任」とは別格のものであって、僕は会社をつぶさないためだったらそれ以外のどんな不名誉でも不信任でも甘んじます。小さくても会社を持つとはそういう覚悟をするということであって、大名や武将が家を守るのと同じと思います。お取り潰しさえ免れればという江戸時代の大名ではなく、僕ら新興の中小企業は圧倒的に戦国大名に近い。①②のおかげでそれが楽しめてしまう、そういう性格になっていたことは有難いことです。

51Ld6Q-BbML__SX331_BO1,204,203,200_明智憲三郎氏のこの本を読んではたと気づきました。彼は「信長脳」「信秀脳」なる言葉を使っておられますが、戦国武将が「戦場脳」の持ち主だったのはあまりに当たり前であって、本能寺で信長に油断があったとか、光秀がいじめられて逆ギレしたなんてことはあり得ないと指摘しておられます。まったくそのとおりと思います。

戦場脳のない学者や小説家が書くからそういうことになるとの趣旨の指摘もされています。野球をしたことのない観衆や記者が今日の原監督の采配はどうだこうだと言ったり書いたりする、あれとまったく同じであって、僕らはそれを「歴史」として読まされ習ってきたと思います。的外れなことでしょう。

5_a明智氏が「桶狭間の勝利は幸運の結果ではなく奇襲でもなく、考え抜かれた合理的な勝つための戦法による」と看破され、実証的に戦さの実況中継風に解説されていますが、非常に腑に落ちる説明です。それが孫子をはじめとする兵法書の知識の実践であったのであり、信長に限らず戦国武将は中国古典に精通していたということもまた納得です。信長が描かせた安土城の天主の絵(右上は内藤昌氏の説に基づく復元、「安土城天主 信長の館」HPより)が中国故事のオンパレードだったのもうなずけます。

「軍人」「武士」の思考回路や瞬時の判断は、同じ思考回路を持つ脳をつくりあげないと直感すらできないと僕も思うのです。例えば野球でも、あほらしい質問を選手にするアナウンサーが大勢います。「今日のホームラン、感触はいかがでしたか?」と聞かれ、困った選手が「最高でーす!」と叫ぶ。感触が残らないのが「いい当たり」なのは硬式野球経験者には常識ですが、やったことのない人にはわからないのです。歴史でもそういうプロセスが積み重なって、戦場脳のない人の手によってやがて「信長はそこで快哉を叫んだのである」という小説ができあがる、そんな感じでしょう。娯楽ならいいが教科書はそれではまずいと思うのです。

800px-Minamoto_no_Yoshitsune実は前掲書は読んでいる途中で阿曽さんのところで歴女ですという子にさしあげてしまいました。歴女は大変いいことですね、カープ女子みたいなもんかもしれないが、女子だって北条政子がいましたからね。政子でいえばちなみに、僕は頼朝の政治力、リスク管理力は買うが大将の器としては低評価です。政子の尻に敷かれた感じであるのも嫌だが、僕はなんといっても義経が好きなのです。史実とされ語られている一ノ谷、屋島、壇ノ浦などの戦績が本当であるならば彼の軍功はすばらしく、信長同等の天才かもしれないと思います。

でも結局、その義経も殺されてしまう。戦場脳が図抜けて優秀であるがゆえに、それに劣り、部下として使いこなす才覚も能力もない兄貴が恐れて殺した。こういう小心無能な上司はいたるところにいます。いっぽうで信長の「唐入り構想」は彼みたいなグローバルな戦場脳のない部下には皆目理解できず、本能寺というクーデターの引き金となった。こういう危険な部下もいたるところにいるのです。戦場脳の最大の弱点は、「身内が敵かもしれない」というパラメーターが欠落すると、緻密であるがゆえにかえって無防備になってやられてしまうことである。これは学ばなくてはいけないことです。

歴史はいま戦場を生きている者にとって最高の羅針盤であると僕は確信いたします。会社を成長させるためのビジネススクールの教材と考えてます。孫子の兵法も机上の空論でなく歴史と実戦に学んで作られたに違いなく、だから価値が失せないのです。小説や評論は暇つぶしにはいいですが落語や漫談と同じく実用性はありません。僕は歴史をアミューズメントとして知る関心はなく暇もないので、したがって小説はあまり読みません。最高の教材は現場にあるはずです。だから安土城、長浜城のあった場所に行き、そこいらじゅうを歩き回りました。信長、秀吉の史上最高度の戦場脳を自分の脳でトレースしてみたいという欲求が断ち切れなくなったのです。

 

(こちらへどうぞ)

織田信長の謎(4)-女房衆皆殺しの件-

歴女の「うつけもの」人気の謎

 

 

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