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カテゴリー: 自分について

「謙虚」と書いた貼り紙(O先輩への感謝)

2018 APR 21 1:01:31 am by 東 賢太郎

新入社員のころ、メンターだったO先輩に口ごたえして「お前は生意気だ、自信過剰だ、ばかか、学生じゃないんだ、社会はそれじゃ生きられないぞ」と叱られ、寮の部屋の壁にマジックで「謙虚」とでっかく書いた紙をバーンと貼られてしまった。社会に出て面と向かってばかといわれたのは2度しかない。

4年上だから人事制度上はインストラクターではない。当時の支店は大変なところで、入社してすぐの離職が多く、あいつはすぐ音を上げるかもしれんという含みで唯一の同窓同学部だったOさんがそんな役をされていたかとも思うが、仕事もできる人で尊敬してなついていたし、人生相談にも乗ってもらっていた。後にも先にもそんな人はOさんしかいない。

あることで悩み、「そうか、そういうのはな、瘡蓋(かさぶた)になってはがれるのを待つしかないな」と、暗にあきらめろというアドバイスだったが、彼はそうは言わない。瘡蓋、はがれる、待つ、あまりの言葉の見事さが心に焼きついて、それがかえってなぐさめになった。その時だ、この人は天才だと思ったのは。僕が海外赴任中に若くして他界され、貼り紙は今になればなんと有難いことだったかと万感の思いだが、それで謙虚になったかというとだめだった。

これはどうしても自分と野球の関係に逃げざるを得ない。プロに行くようなスポーツ万能の図抜けた人やO先輩のように抜群の知力のある人はそうではないだろうが、ほかに本当に何のとりえもなかった小心者にとっては、野球の微小な成功体験をプライドのよすがにすごすしかなかった。社会人になってもその余勢でつっぱっていたのだということがあの貼り紙事件でわかるが、自分の中では恥ずかしい記憶として消されかかっていることに気づいてはっとする。

おまけに物心ついたら家にネコがいたという事実が重なる。何の関係があるんだと思われるだろうが、就職するまでに多くのネコと兄弟のように育ったというのも人格形成に影響があったとまじめに考えている。ネコはハンターであり攻撃型動物だ。野球でいうと打撃や守備は来た球を迎え打ったり捕球したりの受け身だが、唯一投手だけは一方的に打者に球を投げつけ攻撃一点張りなのだ。ネコに野手は似合わない。その2つが少年期に根深く重なるとこういうことになる、という人間になったとしか考えようがない。

謙虚?なんだって?「いや~僕の投げる球なんてへろへろですよ、ハエがとまりますよ」みたいなこと言えってのか?そんなのは卑屈ってことじゃないか?先輩の張り紙はそう見えていたので、1週間ぐらいではがしてどこかに消えた。

31年の長いサラリーマン生活は、O先輩の警告があって、瘡蓋、はがれる、待つ、の言葉のずっしりとした重みとともに深層心理に焼きついていて、なんとか無事に切り抜けられたのだったと思う。僕は謙虚で優しいのに強い男を何人か知っている。それはある意味で男の完成形だ。攻撃し続けるなんてのは吠えるスピッツであって実は弱い。弱い者の謙虚は卑屈ととられかねないからそうする勇気もない。強い者の謙虚は木鶏のようであり、静かであっても強い。そうなのかもしれないと思いだしたのは、ドイツに不承不承の落胆の中で、心に矛盾を抱えて赴任をした37才のことだ。だからそこで生まれた息子の名には「賢」ではなく「謙」の字をつけた。

 

 

あなた変な人ですね

2018 FEB 10 1:01:06 am by 東 賢太郎

クラシック音楽ファンが働く業界ランキングは知らないが、証券業は最下位に近い方であることは間違いないだろう。企業オーケストラはメーカーに多いが商社にもあり、金融だと銀行にもある。しかし証券会社のはきいたことがない。僕のいた会社を思い浮かべても、100年たって富士山が噴火して消えていようと人工知能の総理大臣が誕生していようと、あそこに交響楽団が設立されているとだけは思えない。楽器演奏はおろか、本格的にクラシック好きという証券マンに出会った経験もない。40年近く業界にいるのだから恐るべきことだ。

忙しくて無理というのもあるだろうが、もともと静かに交響曲を聴いたり幼少から楽器を習って学生オケに入ったりという家庭環境の人は証券界のような粗暴な世界には縁遠いのだ。日本だけかと思ったが、米国でもモルガン・スタンレーやゴールドマン・サックスにオーケストラがあるとは聞かないから国際的にそうかもしれない。たしかに、世界の証券マンを見わたしても、バックオフィスはともかくフロント部門には強欲、野獣系が多く、高学歴ではあってもインテリヤクザの観がある。

お前もそうだといわれそうだがそうではない。もともとピアノを弾いたり交響曲をじっと聴いたり系の人間であって、ただ尋常でなく株が好きだ。これは星が好きなのと同系統の趣味で、お買い得の株を探すのが飯より好きである(だからソナー探知機の社名にした)。そこにお金が落ちているのにどうして拾わないんですか?あなた変な人ですねと他人を説得することに情熱が入ってしまう。別にそんなことが生き甲斐でも得意技でもないが、本能、本性なのだからそれで飯が食えるんなら楽でいいというのが僕のようなクラシック好きが証券界に棲息している唯一の理由だ。

一方、証券界に野球好きは多い。きのうは弁護士先生がやはりそうとわかり、都大会ベスト8で京華に負けましてなどときくと神々しく見えてくる。こっちはたいした戦績もないが、わかってくれるかなと話すとわかってくれる。これはキャッチボールしてちゃんと胸元にバシッと速球が返ってくるあの清冽な折り目正しさを伴った感触であって、こう書いてもわかる人しか全然わからないだろうが、わからない人や女子供に話しても「でも負けたんでしょ」で終わるあの馬鹿らしい淋しさの対極なのだ。無理に「へ~すごいですね」と確実に何もわかってないのに言われるとすきま風は倍加するのであって、先生との会話はまさしく一服の清涼剤であった。

硬式野球経験者でクラシック好きとなるとどうかというとやっぱり珍種であることは確実と思われる。野球好きからもクラシック好きからも証券インテリヤクザからも、いったん仲間かなと期待されるだけにそれがかえってあだとなり、えっそんなのも好きなの?あなた変な人ですねと引かれてしまうのだ。だから友達はそのどれでもない人しかいないと言って過言でない。彼らは元から別世界の人としてつきあってくれるし、こちらも無用にそのとんがった所を見せずに平穏につきあえるからだ。

要は「3種混合」であって自分でもそのどれがホンモノかよくわからないというコンプレックスな人間ということになる。既製品の鋳型にはまりようがないから日本で生きにくかったのはそれもあるかもしれない。あえて、どの同種と話すと楽しいかというと、それはもう圧倒的に野球ということがこのところの一連の経験で自覚した。僕は音楽家でも証券マンでもなく、野球人間オズマだったのだ。しかし、ないものねだりだが、色覚さえ普通なら絶対に宇宙物理をしたかった。

ディールの追い込みで3連休など存在しないが、気持ち的には小休止してマサチューセッツ工科大学物理学教授、マックス・テグマーク氏の著書「数学的な宇宙」(究極の実在の姿を求めて)にとりかかることにした。氏は51歳と若いが数学的宇宙仮説の提唱者として知られ、200以上の論文・著作を持ち、その内の、9つは500回以上引用されている傑物である。宇宙のことは誰もわからない。物理学といって哲学に思えるものもある。であれば、おそらく人間の知るワールドで万物の説明言語として最も解明力のあると思われる数学に頼ってみるのが筋じゃないかと素人なりに思うのだ。

中村先生の紫色LEDとレーザーをわかるのに高校の物理の教科書を読んでいるレベルだ、この本が平明に書かれているとはいえわかるとは思えないが、本能的に引きつけられるものがあるから仕方ない。毎日こういうことをする人生も楽しかったろうと思うし、こうして空の彼方を考えているとヘンツェの交響曲が聞こえてきて、やがて星の彼方に父はいるというシラーの詩から第九交響曲が聞こえてきたりする。そうして音楽愛好家の自分がたちあらわれてきて、ますます人間とは何かがわからなくなるのだ。

 

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ベンチャーズ 「アウト・オブ・リミッツ」

2018 FEB 4 13:13:37 pm by 東 賢太郎

2012年9月にブログを始めたが、5年で訪問数が100万になった。ところがさっき見たらそこから3か月で30万も増えている。ペースが変わってる。なんだかよくわからないがネットの趨勢は予想だにつかないもので、このまま10年やったら凄いことになりそうだ。

年をとればとるほど速くなるものなんてあるだろうか?ジジイになれば体の動きも頭の回転も、やることなすこと万事が遅くなるのだ。世の中で速くなるのは時の流れだけで、それがまた損した気がする。訪問数が加速度的に速くなるのはそれをオフセットしてくれるようで、なんだか意味もなく貴いと思う。

サンフランシスコのリッツ・カールトンで、夜中に目が覚めてしまったのでTVをつけると昔懐かしい「トワイライト・ゾーン」をやっていた。なぜか日本ではミステリー・ゾーンだったが、未知の時空に入り込む扉(ドラえもんのどこでもドアの元祖か?)が怪しげであった。日本での放映は1961-67年でちょうど僕の小学校時代に重なる。

ホテルで観たタイトルはKick the canで、老人ホームの爺ちゃんが子供の「缶けり」をやってみよう、若返れるよと言いだすが周りの爺い婆あは信じない。ところがやってみると子供になっちまう話だ。これは60年初めの放送だが監督はまだ10代のスピルバーグだった。

ちなみにこのイントロを我がザ・ベンチャーズが得意の編曲でやっていてVentures in space(ベンチャーズ宇宙に行く)というLPアルバムの最後にあった。時は昭和39年、米ソの宇宙開発競争が話題だった。東京オリンピックはその年だったのか。東名高速ができ新幹線が開通し、科学が人類のフロンティアを広げつつある実感が我が国でも細々とあったが僕の関心は空の彼方にあった。それを掻き立ててくれたのがベンチャーズであり、フロンティア精神のアメリカだった。やがて大学時代に2度、留学で3度目のアメリカが待っていた。そして還暦を過ぎてまた。今日はVentures in space(ベンチャーズ宇宙に行く)を小学生にかえってつづってみたい。

このアルバムはマニアしか買わなかったろうが僕は発売同時に親父にせがんで擦り切れるほど聴いた。精一杯に薄気味悪いサウンドを作ってるのが甲斐甲斐しい。これのコピーとも思しき曲が次のアウト・オブ・リミッツ(境界の外)だ。これはそれなりに名曲と思う。境界はぶち破るものなのか?どこでもドアがどこかにあるのか?わからなかったが、家は貧しかった。それでも微塵も気位を枯らさなかったのは母のおかげだが、ぶち破る道を示してくれたのは父だった。

ドラムなしでクラシックな転調を交えて不気味さを描くfear(恐怖)はベンチャーズの新路線を思わせた。僕は魅入られたがダイヤモンドヘッドのテケテケにしびれてた若者には受けなかったんだろうなあ。

Exploration in terror(恐怖の探検)という題名がそそる。想像がたくましくなる。宇宙探査はきっと飛行士も怖いんだろう。おいおいなんじゃこのオドロオドロしいシンバルの音は!?き、奇っ怪な、ものどもであえ!と身構えると、お気楽にゴキゲンなベンチャーズサウンドが。あれ~、喜劇的拍子抜け感が楽しめる佳曲だがベースの入りの音程が(意図的か?)はずれて異常感があるのと終わってみるとシンバルがまだ鳴っていたのが悲しい。

The fourth dimension(四次元)。これまたそそる。そんなものを器楽でやろうと思うこと自体が理系的で、文系的なビートルズには考えられない。小学生なりに大いに期待したのだが、しかし4拍子はダサいわな。3,4種類のコードじゃ無理だわな。志はともかく、とても文系的であった。

He Never Came Back(彼は帰ってこなかった)。そうか宇宙探査中の事故死か・・・、かわいそうに・・・。ところがなんとクソつまらないドラムスが入り、断末魔の悲鳴が響いて一時の期待をかきたてるものの、何も起こらぬままにクソつまらないロックンロールで終わる。彼はどうなったんだ?謎の曲だ。

The Bat(こうもり)。夕方になると多摩川にこうもりはたくさんいた。確かに滅茶苦茶に飛んでこっちも落ち着かない。これを覚えた僕はJ・シュトラウスのそれに入れなくて困った。ベンチャーズは意図的に音程をずらしてバルトークの四分音みたいな効果を出している。船酔い感が衝撃だったが「四次元」のほうでこれやればいいのにね。

War of the Satellites(衛星の戦争)。衛星に宇宙人でもいたのだろうか。わけわからないが初めのピコピコはエコーが効いてなかなかカッコいい。しかしこれまたあとがいけない。漫画だ。漫画少年だったが僕は月光仮面とかウルトラマンとか、ああいうのはみっともないと思ってた。月光仮面のおじさんはって、お兄さんじゃないのかよ、なんでおじさんなわけ、なにもおでこに三日月はらなくてもいいのに、スクーターってのもだせえな。そんなのを思い出してしまう戯画ロックだ。

Penetration(貫通)。意味不明だがアルバムタイトルのLimits(境界)を突き抜けていくイメージなんだろう。正調のベンチャーズ・アレグロ・サウンドである。最後の方に重なるスチールギター?の音程が低い。これは当時から気になっていたが。

Love Goddess of Venus(金星の愛の女神)。ヴィーナスというのは女神ウェヌスの英語読みで、いちいち言わなくても愛の女神である。やさしい曲想は殺伐、荒涼としたアルバムの一服の清涼剤だが無学のお兄ちゃんにはこの唐突感わからねえだろうな、クレーム来てもいかんなと気を回したごときタイトルである。するとその of は皆さん中学で習った「同格のof」ということになるが僕は所有格と思っていて、金星にはいろんな神がいるんだ、男も女も、愛じゃないのもという理解ができてしまったから迷惑なこった。よく考えると一神教と矛盾するから誤りとわかるのだが、しかし、Love GoddessというからにはGodもLoveじゃないのもいるしそれは of のせいでないこともわかる。そこで調べるとウェヌスは多神であったローマの神だったという決着ですっきりするのである。ちなみにカエサルはウェヌスの子孫を語っているから神は生身の存在だったわけで我が国の天皇の神性の由来に似ている。聖徳太子も馬小屋で生まれたりする。古事記、日本書紀を書いた者が何でもありの多神教ローマを厳格な一神教ユダヤ教でなく慈しみのキリスト教で治めた事実を知る者であった可能性を僕は見る。

ベンチャーズの女神はウェヌスというより加山雄三であるが。

こういう音楽が東京オリンピックで目が世界に開けた日本で、そして和泉多摩川の団地にあった狭い我が家で毎日のように鳴っていた。アウト・オブ・リミッツ(境界の外)は僕のめざすところ、突き動かすエネルギーともなった。結果として大幅に外に出た気もするがまだまだ突破すべき境界がある。そんなのじゃだめよと母の声も聞こえる。サンフランシスコのひょんなことでこのアルバムを何十年ぶりに聞いてしまったが、これが魔法のKick the canだとうれしいなあ。

2018年2月4日

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二十歳までとは別な速さの時間

2017 DEC 14 2:02:39 am by 東 賢太郎

もう師走かとは毎年思うことだが今年はさらに早くやってきた気がする。光陰矢の如しとはいうが、矢は確実に加速している。ゾウの時間、ネズミの時間とヒトの時間は速さが違うという本があったが、浦島太郎じゃないが、同じヒトでも年齢とともに速度は変わると考えたほうが実感にあう。あと何年あるか、10年か20年か知らないが、二十歳までの10年、20年とは別な速さの時間だし、これからの一年一年は今年よりもっとあっという間に過ぎてゆくのだろう。

先週に社員と食事したおり、「あした死んでも悔いないよ」とまじめに言ったらびっくりされた。その日はまさしく本当にそうだったのだが、今日は「明日じゃまずいな」という形勢になっている。ずいぶん日和見と思われるだろうが、取り巻く仕事の事情がそうなので、ここでいなくなったら大変だということになってきてしまった。これは仕方ない、お天気と一緒だ。

悔いないよという日にあっさり逝くのがベストなのは言うまでもない。ということは、いつその日が来るかわからない以上は毎日その状態になるように生きていくのが理想ということだ。楽しいことはもう十分にやった。そのうえで、僕はいつも「人生のバランスシート」が頭にあって、世の中、周囲の人々との様々なものの貸し借りが均衡しているのが安寧で心地いい。その状態こそがそれである。簡単なことに思われるかもしれないが、これは実に大変なことである。

今週月曜にあったT社長の社葬で、写真の元気なお顔と耳慣れた語録を拝見、拝読しているうちに涙が止まらなくなった。4年前にミクロネシア・トリップで知り合って、それ以来、まだ社業に不安だった僕に夢と生きる力を下さった大恩人だ。強烈なインパクトの方だった。僕は自他ともに認める頑固者である。いまさら少々の経営者のいうことなんかきくはずもない。そんな種類の人間が、しかも還暦にもなってだ、こんな邂逅があろうとは想像だにできないことだった。涙は、なんにも恩返しできなかった悔し涙だ。

喪中葉書が例年にない枚数やってくるので年回りというものなのだろうが、死というものがこんなに身近な年はなかった。何度も心がぽっきり折れたが、そのたびに「もっと何かしてあげればよかった」という悔いが湧き起ってきて、いただいたものに報いずに自分が折れてしまうとその悔いは倍加することに気づくのだ。それが反動になって立ち直ることの繰り返しである。人生のアンバランスがいけない。であれば今つきあいのある人、以前でもなんらかのご縁のあった人たちに「何かしてあげる」ことに今からでも精進すべきなのだとなる。

お世話になったという気持ちは一方的なものだから相手がそう思ってない場合がある。いやむしろ、見返りを期待しないお世話ほど僕に重たいものは世の中にない。そういうものを見過ごしたり忘れたり、ただ取りしてしまう人もいるが、ビジネスはそれでも許される。だから相応の対価(お金)を払うのであって、あげた以上の見返りを期待する前提のものなのだ。証券界で生きぬいてきた人間だから僕はその世界では氷のように冷徹だし、過分に見返りを取ろうというたくらみを見抜いてつぶすのに情け容赦はない。しかし、だからだろう、見返りを期待しないお世話というのは別世界のことで、プロットする座標軸がない。T社長が「僕はおせっかいなんです」とくだっさたのはそれだったのだ。だからいい歳した男があり得ないことだが、ぼろぼろ泣けてきたのだ。

たとえば母が何を期待しただろう。自分も親になって知ったが親の愛にそんなものはない。だからこそ僕は千倍万倍にして返したかったが、結局は自分が満足だとまで思い至るのは叶わないことだった。だからだろうと思っている。最後の最後、認知症で意識はなかったが看病で少しでも良くなるぞと信じ、夜を徹して声をかけたり音楽を聞かせたり肩をもんだり手足をさすったりして、寝不足と体力の限界で僕がへとへと、ぎりぎりになったのを見届けたあの日に母は決意して逝ったのだ。僕にここまでやったと思わせようと最後の力をふり絞ってがんばって、病室で9日間も一緒に過ごす時間をくれたのだ。なんということだ親というのは。

何かのご縁のあった人は少なくない。百人ぐらいはこっちが勝手にお世話になったと思っているし、おせっかいなことなのかもしれないが、なにか返したい。その機会と時間がいただければの話だが何もしなければそれは永遠にない。こうして自分の過去と思いを記すのもその衝動があるためかもしれない。あと何年あるか、10年か20年か知らないが、二十歳までの10年、20年とは別な速さの時間。これとの戦いなのだろうか。

 

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1万円も1億円も同じ金融屋という景色

2017 NOV 25 15:15:52 pm by 東 賢太郎

われわれ金融屋というのはお金は「商品」であって、自分の財布にある1万円札も1億円もおんなじという常識ばなれした感覚を持っている。金融機関に長年勤めればそうなるということではまったくない。良いか悪いかは別として、単なる適性の話として、そうなれる人となれない人の比率は金融機関勤務者とそれ以外でとくに差はないと思う。今回はそういう眼を持ってしまった者から見た景色がどんなものかをお話ししたい。

我々普通の人はハンバーガーは食べるものと思っているから「それを5個」と聞けば「そんなに食べられない」という意識がつい出てきてしまうが、マックの経営者からすれば100個も1000個もただの数字であって食べ物という生理的感覚とは仕分けされているはずだ。お金が商品の人の感覚はそんなものであって、銀行の頭取や証券会社の社長が融資額や売買代金が少々減って自分が懐を痛めた感覚になっては経営にならないのである。個人によって程度の差はあるが、僕の場合、1000億円あたりまでは財布の1万円とおなじ感覚である。他人のカネと自分の財布を峻別するのがこの商売の絶対要件の倫理観なのだが、それとは別個の感覚として1000億円を客体視できるようになるのだ。

最近は紀尾井町まで行って帰ってきて1円も使ってないことも珍しくない。他人のカネと自分の財布は峻別なのだから矛盾のようであるが、貯めてるのでもけちっているのでもなく、カネは商品だから不要なことに使わないという倫理観は財布にまで染みついているのだ。それを欠いた人が100億円もおんなじとなれば大事件が起きる。昔、大阪のキャバレーのおっさんが「わしら店の女の子に手だしたらあきまへん、商売になりまへんわ」と教えてくれたが、実に商売に不可欠な倫理観の真理をついた言葉だ。僕らもそんなものがあり、他人のカネの増減が財布のひもをしめたりゆるめたりはしない。そこまでいかないと他人の100億円は扱えないのである。

つまり金融屋が守銭奴やビッグスペンダーであるゆえんはぜんぜんないのであってむしろ逆である。今日は儲かったからパッといくぞ~と札びら切るイメージがあるだろうが、そういう性格の人はいい金融屋にはなれない。カネに甘く倫理観がない。一方で、一代で資産を築いた人は金融屋でなくても大なり小なり似ている。あんなにお金持ってるんだからこのぐらい出してくれるだろうとチンケな儲け話なんかもちかけても絶対に出ないと断言できる。そんなのに乗るような性格の人は金持ちになれない、なぜかというと、それに1円でも出す規律の甘さは店の女の子に手を出すようなものだからだ他人のカネや商品を扱う資格はなく、信用されない。信用がない人は事業ができずカネがないからだ。カネに対する倫理観は他人勘定か自己勘定かには関わらないところが共通しているのである。

困ったことには、そうなると「お金は使うもの」という意識が希薄になっていくことだ。単なる数字だから、この1万円札であれを買おうなんてことは二の次であって、どうやったら2万円になるかしか浮かんでこない。相場は24時間動くので寝ても覚めてもだ。これはゲームで点数を増やすのとおんなじだがゲームは終わりが来てもこれは死ぬまでやめられない。こんな人生を「楽しい」と感じるか「苦役」と感じるかがいい金融屋になれるかどうかの分岐点だ。

昔はよく「わたしの10万円ふやして」なんて飲み屋でいわれた。NOだ。「なけなしのお金」はだめなのだ。株に絶対はなくてこっちの「指し手」がおかしくなる。そんな甘い世界ではなくイチローだって絶対ヒットという方法はない。ちなみに現時点でソナーの今年の運用助言成績は+29.1%だ。お正月の100万円が129万1千円になってる。でも、彼女の10万円をうけて「絶対打ってね」となると、手元が狂ってファンド全体でそういう成績が出なくなるかもしれない。理屈はないがそんなものであって、そういう危ないことはしない。

銘柄を発見するアナリストの雇用体系は時間の縛りはない。ほとんど投資する候補の会社を回って経営者に会うという情報収集だが、そのまま帰宅しようとどこへ行こうとかまわず、そのかわり結果は出してねということ。それで毎年ちゃんと20%は出してるんだから超低金利の世の中で何の問題もない。こういう人がスナイパーであって、僕がスナイパーしか使わないのはこういう仕事だから道理なのである。たかが20%と思う人もいるだろうが、4年続けば元手は2倍だ。

初心者が50%も100%も儲かることはあるがそれは異常値にすぎない。ビギナーズラックである。良すぎはリスクの取りすぎの結果であって、次の年にマイナス50%になることも大いにある。毎年プラスゾーンにいることに価値があるのでプロには「良すぎ」はバツのシグナルだ。減らさないだけで難しいのは5年もやったらわかる。イチローはホームランも打てるがそれは狙わないで打率3割(失敗率70%以下)を何年も連続したから何十億円をもらえたことがその証拠だ。勝負は長丁場でも負けないことに価値があるのである。

彼の才能と言えどもそんなスナイパー人生を送るには命を削る努力が日々あるはずだ。そこまで削る必要のないサラリーマンの人生と比べることはできない。年間の運用アドバイス料で一般的な2%をいただくとして、10万円だと2千円、100億円だと2億円だ。しかし、どちらもやることは同じで削る命の分量も一緒なのである。2千円と2億円は払う人の懐具合しだいで重みは一緒だ。命の代金が2億円とするなら、2千円の人を集めると10万人も必要である。10万人の観衆に「毎打席ヒット」を期待されたらこっちの人生が破滅するだろう。

だから投資信託というものは、少額でも運用の規模の利益が得られるというプラスはあっても、その運用者の人生を破滅させない仕組みでないならばその仕事の引き受け手はなくなるという宿命にある商品なのである。それは、運用者はすべからくサラリーマンであるということを意味している。彼がどんなに深遠な運用哲学を語ろうと、損を出しても運用会社をクビにならない雇用契約で働いている以上はその宿命から逃れることはないし、サラリーマンに僕と同じことができるとは考えていない。逆にそうではない自営業者の僕は、心労だけが10万倍になる投資信託ビジネスをやろうという意欲は100%ない。

僕がこの仕事をしてよかった、性格に向いていたなと思う反面、何のために生きてるのだろうと愚痴りたくなるのはカネの使い方をまだ知らないからだ。儲けるのも難しいが使うのも本当に難しいと思う。うまく使うというのは何かを安く買うということではない。食事するのに安いからこの店に入ろうということはなく、おいしくないものがいくら安くても意味ないのであって、満足感を買うのに千円か一万円かは本来は関係がないはずだ。現実に屈してしまって仕方なく千円の食事で満足できる自分に「自分を教化」していってしまうと、実は知らず知らず千円の価値の自分を作ってしまう。

自分に投資しろとよく言うが、あれは本当だ。無理してでも一万円のものを食っていれば自分もその価値になる「可能性」だけはあって、だんだんそれが食えない自分がつましい、食える自分でいたいと感じる自分ができてきてくるだろう。少なくとも、願わない自分にはなれないとだけは言える。一万円の料理はそれなりの手間、サービスが費やされている。他人にサービスしてもらうには自分自身が価値がある、価値を生み出せる人間でなくてはないらないということであり、それには努力を要し、時には命を削らなくてはならないことを悟ることになる。

そこまでは62年生きて分かったつもりだが、では僕が社会に何の価値を生み出しているのか、何のために働いてきたのか、まだまったくの未知数だ。もう自分に投資する年ではないし、それはきっと使い方のきれいさにかかっているのだろうが、人生で一番難しいことかもしれないと考えている。

 

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あいつはどうだ?と聞ける人

2017 NOV 10 0:00:40 am by 東 賢太郎

「・・・そうかお前も元気だな」「そりゃそうじゃなきゃこんなポストつとまるかい」「あっちはもう心配するな、なしだ、いいな」。無言。「あいつはどうだ?」「使えない、へたするとおじゃんになるぞ」。無言。「じゃあな、わかった」。

これはスパイ映画のシーンではない。最近ある会社の経営者と電話でかわした会話だ。こういうことで会議が招集されたり人事が出たりする。二人以外は誰も知らない。自分が彼の立場だった時も、こんなものだった。

密室政治はけしからんとか世間の実相を知らない人はいうが、知らない人は知らないだけだ。良かろうが悪かろうがやるのは人間だ。どの国の元首だってマフィアのボスだって、自分の権限で孤独に決めなくてはいけない重たいことは、最後の最後はこんなもんだと思う。

相手が腹心かというと、そうとは限らない。僕は彼の部下でもコンサルでもない、長く信頼関係にあるだけだ。腹心を作るとむしろ危険である。イエスマンは100%害だ。会議も、自分は議長でない方が良い。頼れるのは正しい情報と研ぎ澄ましたセンサーだけだ。仕切るより耳を澄ませだ。

センサーは自分で磨くしかない。人と会うこと、取引すること、それ以外にない。顔色を読むのでなく(不要だ)、反応を類型化することである。同じ人種もその中に細かく人種がある。それを分類するのである。これなしに営業やらマーケティングやら、まして経営などがわかる道はない。

最後の最後は自分でほんとうにわからなくなることがある。第三者の目がほしい。能力はわかってる、でも「どういう人?」ということについてだ。だいぶ前に僕はある男を飲みにつれて行って、それが目的だったのだが、女将に理由を言わずそうきいてみたことがある。

ばかなと思われようが、社内でそんなことは口が裂けてもきけない。それに女性のセンサーはちがう。利害、感情でモノを言わない人なので聞きたかった。想像だが寺田屋で龍馬を逃がしたおりょうはそうだったんだろうし、横浜富貴楼の女将お倉はあの伊藤、大久保、板垣らが話をききたがった。

こういうことは料亭文化とでもいうか、日本特有かもしれない。女将が組織のグルならどこでもあるだろうが、彼女らはスパイでも愛人でもハニートラップでもない。今なら大統領、首相、閣僚級の男たちが与太話でなく密談したい。女にも大物、小物というものがあるのである。

個人的に酒席で与太話は好きでない。接待はするもされるも好まない。酒は飲まれないように嗜みたい。

 

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洋モノ美しいもの好き

2017 OCT 26 23:23:04 pm by 東 賢太郎

いつだったか、この本を買ってきていたく感動して一気に読んだ記憶がある。そうしたら昨夜たまたま寝れなくて見ていたTV番組に本の主人公のモデル、サンモトヤマ創業者・茂登山長市郎氏が登場していた。氏は終戦後の銀座に闇屋を構える。初めは進駐軍のつてで米国品を輸入したが、出会った写真家・名取洋之助から「美しいものが好きならヨーロッパに行け」「まず美術館と教会を観ろ。一流ホテルに泊まれ」と言われる。単身パリ、フィレンツェに出かけ、グッチ、エルメスなどの日本独占販売権を獲得する。ひたすら美しいものを追い求め日本に欧米ブランド文化を根付かせた男の熱い一代記だ。

感動したのは魅せられたグッチに毎朝毎朝10時の開店と同時に通いつめ、とうとう会えたオーナーに「日本を俺にまかせてくれ」と裸一貫でぶつかったことだ。その情熱が通じて、ちょとした運も助けてくれて、その場で「やってみろ」と認められていく手に汗握るくだりは野村證券に入社してすぐ、かけだしだった2年半の忘れられない大阪梅田支店でのあれこれと重なってしまい感情移入なしにはいられない。こんな人がいたのかと心にずしんと響く音を聞いてしまったのだ。

本で強く印象にあった茂登山氏は、想像通りの魅力的な人だった。着ているシャツの色。「だってウチはサン、太陽でしょ、だから赤と黄色が好きなんです」なんて、何の理屈もないが、うんなるほどと腑に落とされてしまう。こういう人は学友にはいない、そういえば証券会社のお客様にいたなあと思った。僕はこの商売を始めるまでは営業マンなど程遠いかなりの人見知りで、初めての人と気軽に友達になったり長く会話することさえない性格であり、証券の仕事で出会った人間力あふれる先輩やお客様にそれを直してもらったようなところがある。

ただ例外があって、何であれ、どんなジャンルであれ、語ることに情熱と自信があってリスペクトできる人は昔からその限りでなかった。氏素性でも勲章でもなく人としてのヴァリュー、生き筋の良さとでもいうべきもので、氏はまさしくそれをお持ちの人であって、好きなことをぜったいの自信をもってやってるから言葉が重たくて歯切れがいいのだ。ああいう人はどこにもいるようなもんじゃない。頭脳明晰、理路整然の言葉を吐ける人はいくらもいるが、大体において男としてつまんないヤツばかりだ。

やっぱり洋モノが好きな僕は、氏と同じ時代に生まてたら闇屋をやったかもしれないと見ていて思った。外人相手の仕入れの交渉なんてさぞエキサイティングだろうとわくわくするのは商人の血が流れてるからか。そして何より、美しいものが好き。氏の人生を動かしたそれが、譲れないほど僕にもある。そうするとどうしたってヨーロッパ、洋モノになってしまうのだ、パリやロンドンやウィーンやローマの記憶に今だってどんなに魅せられていることか。

先日娘の誕生日に「お父さんの人生はね、お前たちが生まれたヨーロッパ時代までが上昇、そこからずっと下降だよな」と話した。そのまま終わるのは嫌だとまだやってるが、でもあした死んじまってもけっこう満足だぞ。そのぐらいね、サラリーマンではないぐらいいろいろすごい経験させてもらって、ここ(心)にはいい思い出がごまんと詰まってるんでね、とも言った。まさしく本音だ。これは野村という代え難いほどいい会社に入れてもらって、自分から希望したわけでないがきっと阿吽の呼吸で好きが伝わって12年も欧州赴任した。こんなラッキーな人生はまたとあろうか申し訳ないとまで思うが、それがまた上掲書の氏のことに重なってしまうのだ。

思えば僕にとってクラシック音楽も洋モノ好きの一部分だった。いまだってそうだ。レコードなどまだまだ戦後の闇屋、バッタ屋っぽかった秋葉原で電器屋が売ってたのであって、髙島屋なんてお品のある所じゃない。1枚2千円で欧州をのぞけるウィンドウだったのだが、のぞいた景色は大変上等だ。そんなものを闇屋風情で自分の眼で選んで買うミスマッチも味があった。本当は絵の方が好きかもしれないが色覚のせいでひけめもあって、でも子供の時、楽器や歌でほめられたことは一度もないが絵はおおいにそれがあって、こっちのほうがもっと適性があったかもしれない。だからこそ、ビジュアルな美を求める茂登山氏の世界には他人事でない感じがあるのか。

番組でもうひとつ、六本木のイタリアンレストラン、キャンティのオーナー夫人・川添梶子も面白かった。旦那の川添氏は後藤象二郎のお孫さんだ。客は著名人、といってもアート、芸能系で、まあパリでいうサロンみたいなもんだろう。梶子は昭和3年生まれでお袋と同じ。やっぱり洋モノ美しいもの好きで、やりたいことやって早くに亡くなったが見事な人生とお見受けした。お袋が僕を成城学園初等科に入れたのは自分がこういう世界が大好きだったからだが、見ていてよくわかった。そういうのは縁遠かったが、出てくるキャンティの客人はみんな人間的魅力があって、なんかほわっとしたこういうのもいいなと思った。

先日、T社長ご逝去の知らせで某弁護士から「我々にも、残された人生の時間はそんなに長くないことを肝に銘じて、仕事や遊びに励みたいと思います」と彼らしいメールがあった。そうだ、そういうトシなんだねと思わざるを得ない。そういうこともあって番組見ながら「ところで今まで俺って何やってたんだろう」という自問の気持ちも出てきたりして、「ここまでおかたい金融屋の父親路線できているけどゆるいお袋の方もいいんじゃないかな」と横恋慕しそうになってくる。お袋は喜ぶんだろうなそれを。なにせ美しいもの好きばかりはそっちの遺伝だ、どうしようもない。

 

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教養のすすめ

2017 OCT 12 11:11:39 am by 東 賢太郎

僕は自分の子供に「教養」だけは身につけてほしい。父親としてそれ以外のことを教えることもできないし、人生は自分のものだ、幸せに生きてくれれば専攻も職業も趣味もなんでもいいと思ってきた。教養とは何の専門でもないし、それ自体が生活の足しになるわけでもない。しかし、人間としてより良く生きて、学問にしろビジネスにしろ社会福祉にしろ何か事を成して社会に貢献しようと思えば必須となるものだと固く信じているからだ。

僕は高校まで文学や人文系の科目に皆目関心がなく、受験はご都合戦略で数学だけで切り抜けたことは書いた。教養がかけらもないと気づいたのは大学で哲学、科学史、英語を習ってからだ。東大が全学生を1,2年次に駒場で教養学部に学ばせるCollege of  of Arts and Sciencesという思想は全くもって正鵠を得た教育である。いまこの年になって経験を経てそう思う。Artは人間が、Scienceは神が作ったものを学ぶ学問というのが西洋の概念だ。理系、文系という区分はない。

文系だから数学はいらない医学部だから世界史はいらないというのは教養と雑学を取り違えた誤解と同根のナンセンスな考えだ。日本一頭の良い高校をクイズ王で決めようという番組はエンターテインメントとしては面白いかもしれないが国民を誤解させるもとであり、子供にはTVを見れば馬鹿になるから消しなさいと言うしかない。

僕がここに書いたのは文系学部廃止論ではない。

理系の増員なくして日本は滅ぶ

暗記は大事だが思考回路を持たなければクイズ番組と同じであり、数学を入試に課さない大学廃止論であり、文系などと呼ぶ明治時代の遺跡みたいな教育は改めないといずれ国難を招きますよという警鐘だ。

僕は駒場で井上忠の哲学概論の「パルメニデスの有」がさっぱり理解できなかった。わからないものがあるのは不快で図書館で随分調べたが日本語なのにわからない。実のところ今もわからないし、生きていく上で理解してどうということもないが、それはわからないことに意味があった。自分の知力より上の智、数学みたいにすっきりと解けない智がある、それこそ「有」であるという画期的かつ原初的体験であったからだ。村上陽一郎の科学史でのケプラー第三法則発見物語はあまりにわかりやすいゆえに天地がひっくり返るほどの衝撃で、思考の仕方に決定的な影響を受けた。それがなければこういうブログも書けなかったしSMCという試みもなかっただろう。

思うに、そういうものが積み重なって「教養」のベースというものができあがる。僕に教養があるというのではない、前稿のT社長のことでそのことに思いあたって書いている。彼は経営で苦労もされ成功もされた。「僕は子供みたいで好奇心の塊りなんです」とよく言われたが、「正規の教育を受けて好奇心を失わない子供がいたら、それは奇跡だというアインシュタインの言葉に重なってきこえた。彼は旺盛な好奇心と多難だった経営、万巻の書から実体験を経て優れた教養人となられ、経営で成功されたのだ。

教養とは知識ではない、知識のないことでも包括的に咀嚼して理解、判断できる思考の素地であり、食べ物で言うならピザの生地だし、数学で言うなら大域的最適解の発見能力のようなものである。クイズ王能力などAIどころかスマホで十分で一文の価値もなくなる。そんなもので東大だ京大だと甘やかしていれば世界大学ランキングで中国、シンガポールに抜かれるのも当然だし、そういう学び方をした学生は21世紀の世の中では教養人に淘汰されるだろう。学歴など何の足しにもならない時代が来ているのだ。

余談だが村上先生がここで数学の簡単な証明が美しいという感覚とアートが美しいというエステティックな感覚は共通するという趣旨のことを語っている。

http://hive.ntticc.or.jp/contents/interview/murakami

両者は僕にとって共通どころか同じものだ。こういう結論は単一のいかなる学問からも物知り博士の知識からも導き得ないもので、クロスボーダーのトッピングを許容する「ピザの生地」、強いて言うなら脳の中のイギリス経験論的領域で二つの既知の認知の共振したものが感じられないと認識できないだろう。ただし先生は独り歩きする科学に批判的だが僕は違う。原爆開発に科学者がエステティックな美を見ることを自制するなら科学はどこかで人類を豊かにする発明の原動力であるフロンティア精神を喪失するだろう。私見では歯止めは社会に制度的、構造的に求めるべきで、それは軍におけるシビリアンコントロールと同等に市民の最低限の常識、教養なくして成り立たないものだと考えている。

バルトーク 弦楽四重奏曲第4番 Sz.91

クラシック徒然草《フルトヴェングラーと数学美》

テレビを消しなさい

ホリエモンの「多動力」と「独りぼっち」の関係

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諸法無我

2017 JUL 16 20:20:29 pm by 東 賢太郎

四十九日の法要が昨日無事に終わりました。それまでは飲酒、歌舞音曲は無用と決め、ナパ・バレーのテースティングだけ許してもらいましたが仏前で決めたことを守りました。折悪しくその前日になった大学のクラス会も出席はしましたがここで飲んだら意味ないので二次会は失礼しました。

法要後に会食をさせてもらった国立駅前のいとこの店、バー&グリル 「マギーメイ」は40年以上になるから老舗でしょう。ここでやっと禁酒を解き、妹の孫のちびちゃんたち入れて親族21名とがやがや気持ちよく酔わせてもらいました。

皆さんにブログ「うまくやってね」のプリントと家系図を配布。伊那、長崎、諫早へ足を運んで調べたファミリーヒストリーをいとこ世代で共有しました。この結束こそ母が強く望んでいたことで、それを果たして喪主の役目を終えました。

お坊様が言われた「諸法無我」、一切のものは刻々変化していて「私」という存在も常に変化する。感心したのは仏教は相対性理論でもあり、観察するものが世の中だという量子力学でもあるようだということです。玉のように転がっている人生が曲線を描いて変化しても、私の視点ではいつも直線だ。深いですね。

この49日で私という絶対のものは消えました。人生は因果というどうしようもない力が働いて右に左に動いている視点から見た日々の景色にすぎず、いささかも観察者である私の意志で直線的に進んでいるものではない。親がいなくなるなんてことはそう解釈しないと納得できません。仏教の出発点は「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」だそうで、そう考えてもはずれてはいないでしょう。

僕は人生で「強く願えばなんとかなる」という実体験を比較的多く積んできた気がします。願わないとやらないのだからそこに一応の因果はあるのですが、うまくいったのはたまたま別の因果でそうなっただけかもしれない。ということは次もそうなるかどうかはわからないしただの慢心かもしれない。私を消すとは、そう思うことです。

そういう心持になると、あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定するそうです。いわゆる泰然自若の大人(たいじん)に近づけるということかな。しかし僕は大人になりたいわけではなく、スポーツの経験から、結果を願ったり力を入れたりしないほうが結果が良いことを学んだので人生もそうかもしれないというコンテクストでお坊様の説法をうかがったのです。

しかしです、メリットを考えるようじゃあ無我とはいえない。まだ欲があります。修業がいりますね。スポーツはフォームが良ければ勝手にうまくいく、これは真実です。では人生で良いフォームとは何だろう?

 

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うまくやってね

2017 JUL 10 8:08:04 am by 東 賢太郎

ファミリーヒストリーの細々を公に記すのは本意でないが、母のことをどうしても子孫に残したくご容赦をお願いしたい。

母が受けた教育は女学校程度だろう。昭和3年生まれだから開戦時に13、終戦で17という年齢であり、学徒動員で工場で働いたが東京空襲のころには親戚と飛騨高山に疎開していて勉強するという環境ではなかった。花嫁修業みたいなものだろうか英語と英文タイプは終戦後に習っていて、後にひとりで5回も欧米の僕の家に訪ねてきたが、学校で習うような知識には頓着がなく僕に教えたりそもそも勉強しろと叱ったことさえ一度もなかった。

母の父親は明治16年生まれで飯田中学からまだ福澤諭吉が存命中の慶應義塾に進んだ。ケンブリッジに留学して慶應義塾體育會蹴球部を創設し日本のラグビーの父といわれる田中銀之助のまたいとこだが、祖父はラグビーではなく慶應で野球をやって渡米した。「ベースボール」を自らやり熱愛した正岡子規がまだ存命中のことだ。38年に三井物産に入社して後に上海支店長、王子製紙の役員となったが、取引先の三井銀行に「行員でいいのはおらんか」と持ち掛けて末娘を嫁がせたのが僕の父ということになる。

田中銀之助の祖父が田中平八、僕の祖父の祖母が平八の長姉である。渋沢栄一が回顧録で「明治維新当時の財界における三傑は三井の野村利左衛門(三井銀行の創設者)と鉱山王の古河市兵衛(古河財閥の創設者)と天下の糸平こと田中平八を挙げなければならない」としているが、渋沢はこの三傑の共通点を「揃って無学」とし、日本の近代的大企業を育成した福沢諭吉の慶應義塾の学問閥の対極においている。だからだろうか一族はそろって慶應だ。

渋沢栄一は平八の7才下の深谷の豪農のせがれで親しかった。学があって徳川慶喜の家臣となった栄一は幕臣から維新後は大蔵官僚となり後に現在の社名でいえばみずほ銀行、東急、王子製紙、東京ガス、東京海上、帝国ホテル、清水建設、東洋紡、キリン、サッポロなどを設立したが、そのひとつに東京証券取引所があり、東京米商会所(現・東京穀物商品取引所)の初代頭取だった平八はその初代筆頭株主になった。

祖父は後に国務大臣となる藤原銀次郎が慶應義塾の先輩の縁で三井物産に入り、藤原の辿った上海支店長のコースを経て、藤原が王子製紙の社長となるとついていったようだ。ちなみに当時の上海は長崎から船で23時間かかったが、彼が定宿にしたグラバー邸横の旅館の娘が祖母だ。家格が違いすぎる。それなら橋から身を投げるわと家を捨てての駆け落ちだったようで長崎にもう籍も親類もない。九州の女は熱かったのだ。恋愛結婚のはしりで7人の子供ができたその末っ子が母だ。腹の座った祖母の情熱のおかげで僕がいる。

祖父は僕が2才の時に亡くなったが、彼が生まれた年に大叔父の田中平八が亡くなっている。家系図で平八の祖母・お紋の隣には「お公卿」とだけあって、その謎の人物が祖父である。系図を書いた者は当然知っていたが明らかにするのを厳に憚っている。正室でも側室でもなかったお紋には大層な資産が分与されており、4代下っても母の生家は大森の千坪のお屋敷で乳母が二人ついていた。平八が創業した勝沼の田中銀行社屋(旧田中銀行博物館)は後に北白川宮家など複数の宮家が邸宅などに使用しておりこの辺は興味深い。

面白いのは系図には平八の父方は「武田 五代 武村改姓」とあって武田信玄の子孫である。武田家は勝頼を最後に信州高遠城で滅んでおり、五代末裔と公卿の娘の子である平八は高遠のすぐ西の伊那(赤穂)の人だ。通史では勝頼の子孫は信長軍がしらみつぶしに探して皆殺しにしたことになっていて、調べたがそれが誰かはわからない。わからぬよう隠しおおせたから生き延びたわけだが。

お公卿と武田某は僕のルーツの二大空白であり、閑になったら調べたいが、公家の敵であり武田を滅ぼした不倶戴天の敵でもある信長が好きなのだから困ったものだ。そして母は僕をもちろん慶應ボーイにしようと成城から中等部を受けさせたが当時まったくのばかであり歯が立たずに落ちた。がっかりさせてしまったがしかし大学から入る気はなかった。彼女にとっては下だった東大だが、それでも受かった時は本郷の合格発表掲示板の前で泣いていたのを思い出す。慶應はというと、頼んだわけではないが娘が行ってくれたので家の帳尻は合った。

こういう家の娘だから母の子育てへのプライドは半端ではなく、男は運動もできないガリ勉などみっともないことで、喧嘩はやるなら勝たなくてはいけなかった。母の兄はフランス車シムカに悠然と乗りヴァイオリンを弾いて甥の目にも格好よかったがそういう男が望ましい。学者、技術者など気まじめな勉強家の父方は不当にも下に見られており、長崎女の娘だから僕を厨房に入れず、サバイバル術だけはカブスカウトに入れて習わせたが自分で教えた炊事はお米のとぎ方だけだった。

僕はそうして明治の男みたいに好きなことだけやって育ち、家事や育児や身の回りは壊滅的にだめな夫、父になった。おかげで仕事に全神経を集中できる負けず嫌いの性格になり証券マンとして幸福な人生を歩ませてもらったが、その世話を引き継いでくれた家内、家族には感謝するばかりである。僕の辞書に定年退職という文字はない。それはおそらく母の眼中にもなかったし、教育ママの対極だった彼女が息子に望む終着点とは程遠いものだったと思う。

定年がない人生への第一歩として、僕が2004年に一大決心で野村の本社ポスト部長からみずほに移籍する時、まず両親にそれを知らせた。これは日経ビジネスやダイヤモンド誌が書いて少々の騒ぎになった。しかし母はもう自分の名前が言えないほど認知症がきていたからこういう話は理解できない、事実、まったくわかっていなかった。ところがだ。僕の目を見ながら、ひとこと諭すようにぽつりとこう言ったのだ。

「うまくやってね」

驚いた。これが事実上、母が意思を僕に伝えた最後の言葉である。事を理解してないのにどうして心配したんだろう、どこからこんな言葉が出てきたんだろう・・・。勘の恐ろしく鋭い人だった。いま思い起こしても、あのシチュエーションにおいてこの言葉ほど重たいものはないではないか。大丈夫なの?やめといたら?がんばってね、そんなのとは比べ物にならないぐらい。

そこには息子への絶対の信頼があったと感じる。自分の作品だから。なにやら重大なことをしようとしている息子に、一抹の心配はしているけれど、いいわね?いろいろ教えたでしょ?あなたはできるからね、それをうまくやってね・・・だったのだと思う。だからそれをやるのが僕のこれからの務めなのだ。

でも、僕は母に何を教わったんだろう?

それは知識や技術でなければもちろん処世術のようなものでもない。社会に出たこともない姫にそんなことは教えようもないのだ。

それは多分「やさしさ」だったように思う。完全に認知がなくなって介護施設に入っても、何もしゃべれないのに、なぜか母は誰からも人気があった。みんながすすんで助けてくださった。看護師さんにもヘルパーさんにも入所者のお年寄りたちにも、とにかく笑顔がすてき、明るくしてくれるのよねえ、いつもこっちが癒されちゃってます・・・とお世辞と思えない風情でお言葉をいただいていた。

あのやさしさは独特のもので、なにか気高くてふんわりやわらかい。包みこんで安心感をくれるのはべつに息子だからというのではないようだった。母方の血が濃い僕はきっとそういうものも受け継いでるのだろうが、でもそれでは生きられない世界に生きてきたからちっともやさしくない。むしろ自分にも他人にもきびしい。介護施設でしゃべりもしないのに人気が出るなんてまず無理だろう。

そういうのが出てしまって、会社時代に僕は人とたくさんぶつかってきた。勤め人として、うまくやってなかった。プライドが高くて人の話は聞かず、どうしてこんなことができないんだとなってはやさしくなれない。気が強いし短いし、喧嘩すると徹底的にやっつけてしまうし、正直に書くが、僕はこのハゲ~!の例の女性議員を心からは笑えないのである。相手が外人だろうとロンドンの御前会議で英国人ヘッドと激論してぼこぼこにしてしまい、気の毒に彼は首になってしまった。こういうのは恨みを買うし返り血も浴びるのだ。

しかし、母はプライドは僕よりも高いけど、いつでもどこでも、誰にも分け隔てなく慈母みたいにやさしかったのだ。そんなこと、どうしたらできるのだろう? それができてたら僕はサラリーマン界でもう少しなんとかなったかもしれない。

でも、これにはちょっとした免罪符がある。母の父だ。野球をやった(僕も)。東京人なのに遠隔地恋愛(長崎)で嫁をもらった(僕は神戸)。物産上海社長(こっちは野村香港社長)。物産から王子に役員で移籍し喧嘩してやめた(僕はみずほ。喧嘩はしなかったが)。なんと、まるでそっくりさんだが、これが血は争えないということなんだろうか、そうしようと思ってそうなったわけでは決してないのだ。

この前のブログで

「やがて父もいなくなったら日本にいる必要もないかなと思うが、そうなった時のことは結局自らが決めたということではなく、なるべくしてなってしまったということになるだろう」

と書いたのは、そういうことだ。なるべくしてなる。だから頑張ったりしなくてもいい。母はきらきら、ぴかぴかの宝飾品に目がなかったがそれは男の僕の場合は星と電車のレール好きになった。きれいな場所、人、もの、ヨーロッパ、美食、アート、音楽、ネコ、みんな好みは僕に来た。この趣味が変わることは一生ないだろうし、そういうのに毎日囲まれていればやがて僕もやさしい上品なお爺ちゃんになれるのだろうか?

「うまくやってね」

これは母が教えてくれたすべてのこと、それを適時バランスよく常識をもってやりなさいということだ。そうすれば万事うまくいくのよと。うん、なんて簡単で、しかしできそうもないことなんだろう。

 

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