Sonar Members Club No.1

カテゴリー: 自分について

トゥールダルジャンにて思う

2018 SEP 18 0:00:36 am by 東 賢太郎

仮にTさんとしておきますが、女性のかたから「男女の脳はぜったいに違う、だから気をつけなさい」と意見をいただき目からうろこでした。「(東さんは)ぜんぶ自分中心だから周りが大変ですね、特に女性は」と鋭い観察眼で、お説教ではなくロジカルに説いていただいたわけですが、こういう流儀の説明を女性からいただいたことはありません。

既述の通り僕は女性と話しがかみ合うことがなく、脳が違う説は支持者でありました。いわく女性は同時に別のことを考えられる、何事も没入しない、面白い本を山場でやめて眠れる、100mの穴は掘らず1mのを100個掘る。なるほどそれじゃ無理だ。たしかに母といえども僕が電車のブレーキが溶けた鉄片を線路で拾ってくるのが理解できず、毎回すぐ捨てられました。

鉄片の収集とCD収集は僕の中では全く同じことで、電車の車輪・ブレーキへの関心と音楽へのそれも全く同じです。ということはその調子で書いてる僕の音楽ブログは実は女性にはぜんぜん理解されてないかもしれない。youtubeに貼っている音源もその趣味のチョイスですがアナリティクスによると来ているのは男ばかりで、そういうことかもしれません。

同時に別のことを考えながら交響曲を書いたり相対性理論を発見したりはできないだろう。好きな事を寝食忘れて何時間でも没入できるのは男だけなんでしょう。Tさんいわく、「女にそういう人はまずいません。でも男も大半はそうではない人ですよ」で、僕はというと「いちばん遠いところにいる」そうなので合うはずがないのです。たしかに男の大半も、実は合わないのです。

そう、Tさんを東京ドームにお連れしたとき、8回あたりで「終ると混むでしょ、そろそろ出ますか」とおっしゃる。「ちょっと待って、こっからいいところでしょ?」という会話がひとしきりあってつきあってもらいましたが「あれのことですね?」「そうそう、でもほとんどの女性はそんなもんですよ」

たしかにこれは家内、娘も一緒であって、どうしてそういうことになっちゃうわけ?のオンパレードの歴史であったのです。モーツァルトの親父が息子との旅行先で似たことがあって手紙で妻と娘にお前たちはほんとうに馬鹿だねと切れてる。馬鹿はいかんです、differentですね。ナンネルちゃんだって弟と変わらぬ神童だったわけだから。

さすがに家では長年の経験から近年はストレスをかけないようにしてくれているので有難いことです。そうでないと僕は仕事にならない。普通の人は寂しくなって誰かにかまってもらいたいのでしょうが僕はなるべく放っておいて欲しい。「孤独はいいですよ。没入できますんで。そういう時に寄ってこられたり声かけられるのも嫌なんで、猫以外はね」。

ドイツにいたときのことですが、森を歩くと老カップルが散歩しています。ヴァンデルン(wandern)といって何をするわけでなく歩くだけ。それもそのままオペラハウスかフレンチレストランに行ける正装でね。あれこそ大人の時間なんです、最近あれを思い出してましてね、いいなあ贅沢だなあと思う。

フレンチといえば、僕が好きなんで、Tさんには仕事で格別のお世話になったお礼でこの日はトゥールダルジャンにお招きしたのです。ご婦人同伴でないと行けないところですが、僕はあのパリの宮殿のような空間でぽつんと一人で給仕されていたいなあとも思う。食事もワインもよろしいが、それゆえの贅沢というのはまだ若い、贅沢なのはあの空間と時間を占有することなんですね。

それにしても食事はいいですね、胃袋に男女はなさそうなんで。

 

男の脳と女の脳

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

横浜富貴楼 お倉

2018 SEP 2 0:00:08 am by 東 賢太郎

子供の頃から分解癖があるのは何度か書きました。今だって理解できないマジカルなものがあると仕組みが知りたくて眠れなくなります。絶対普遍の関心は宇宙にあって、それを調べれば調べるほど、今度はどうして僕はここにいるんだろうというマジカルな事実に直面して一時は哲学書を読みふけりました。宇宙は数学で読み解くしかないそうですが、では宇宙が137億光年先までなぜ数学に従って動くのかという理由はわかっていません(参照・「数学的な宇宙」マックス・テグマーク著)。哲学は数式で書かれませんが、実存という自分がここにいるという真理が数学的でないならそれは宇宙の一部ではないか、数学に例外があるという、それはそれで大問題になってしまいます。

哲学書を読んで理解したことは、僕には理解できないということでした(笑)。結論としてそこまで突き詰めて思考した人のインテリジェンスは物理ならアインシュタイン級だろうぐらいは思うのですが、ではアインシュタインがどれほど知能が高いかということも数学ができない僕には実感がないわけで、リンゴとミカンを並べて両方とも普通よりでっかいですねと言ってる、その究極の馬鹿ぶりには耐えがたく何か別なレファレンスを求めたくなるのです。それがモーツァルトだったというのが話のオチで、カントやアインシュタインの言語は理解できませんがモーツァルトのはわかる。それも頭でお勉強してなんとなくではなく、おなかでガッツリと。人類史上最高峰というものがどんな景色かを僕は彼をモノサシにして計っているのです。

モーツァルトはワンダーランドである。そう思ったのは駒場から本郷に移って法律の勉強に辟易しはじめた頃です。ワンダー(wonder)とは不思議であり、つまり充分にマジカルです。モーツァルトは僕にとって宇宙と同じ存在に見えてきて、むくむくと生来の分解癖が頭をもたげました。哲学書を読み解いた10倍もの、法律書の100倍もの関心と労力をもって彼の楽譜を(それもマジカルに聞こえる特別の部分を)片っ端から調べその道具としてピアノを触りはじめました。社会に出てからもそうでしたが、自分はネコと同じほど本能主導で環境や周囲が左右できない人間と思います。

モーツァルト、アインシュタインにはなれっこない。ではオレが何かといえば、カッコつけていえば金融の専門家なんてものであって、こういう職業は誰でも頑張ればなれるものであるのは自分が一番知ってしまっているわけで、何の誇りも持てないけれどその割には収入は悪くなくておすすめですよぐらいのくだらない結論しか出てこない、まったく馬鹿馬鹿しい人生であったということになるのです。その成仏感のなさからこういうブログを書いてるのだから寂しいことです。

財産は本能の命じるままに使ってしまおうと思うのです。とすると自分の本能はどういう出自のものか、投資する前に調査するのは習性ですからいったん理性で紐解く必要があって、両親とその両親できればもっと先を、つまりそこからしか本能は来ようがないのだから調べる事がまず大事です。その結果、オレというものは当然ながら先祖が複合してできていることに気づきますが、やっぱりこれかなというのはあります。

明治時代に岩崎弥太郎、伊藤博文、大久保利通、大隈重信、陸奥宗光、井上馨、山形有朋などが常客だった横浜・尾上町の富貴楼という待合(置屋兼お茶屋)があって、お倉

https://ja.wikipedia.org/wiki/富貴楼お倉

という芸者あがりの女将がいました。やり手で「坂本龍馬のような女」と呼ばれ、本が出ていて富貴楼を建ててやったのが先祖だったと書いてあります。元勲たちと親交を結んで政治情報を聞き出すためですが実行部隊はお倉でした。彼は実業家ですが株式市場がまだない時代に情報というインテリジェンスの重要性を最初に理解した日本人で、ワーテルローの戦いで戦況をつかみ英国債を売って市場を動揺させて一気に買いに回って帝国を築いたネイサン・ロスチャイルドと似たことを実際にして大成功しています。お倉はその重要な戦略パートナーだったと思われ、最期は横浜で看取られたほど頼っていた様子がうかがえます。

伊藤博文は碑文を書いてくれたし大久保利通はニューオータニの前で暗殺されましたがいま僕はいまそこに会社を構えて机の後ろの窓から毎日その場所(清水谷公園)を見おろしている。いろいろ感じるものがあります。もともとどうして紀尾井町に会社を置いたかというと高台が無性に好きだからで別に何の意味もなし。証券会社への就職を選んだのも因縁でしたが、彼の存在は就職するまでまったく知らなかったので偶然です。

自分の本能と運命がそういうものならば、それに逆らわずにその方向で信頼できる戦略パートナーを世界各所に探して、現実の投資は僕が判断してする。虎の背に乗って走ると降りたら虎に食われる。「騎虎之勢」(隋書、独弧皇后伝 )。彼は相場をそう例えて娘の名前もトラでした。投資というのは命懸けのもの、そのパートナーに男も女も血縁もへったくれもありません。裏切らない、スナイパー。これだけが僕が求めるキーワードなのです。それを実行するに、人類史上最高峰のモーツァルトのクオリティの目線を忘れない。以上に尽きると覚悟を決めました。

 

あいつはどうだ?と聞ける人

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

正しい人脈の作り方(その3)

2018 JUL 21 14:14:09 pm by 東 賢太郎

「ヒキ」だ「コネ」だなんていらん、頼りたくないという人はいるだろう。そういう人は海外へ行けばいいし、それで成功した人も多くいる。しかし国内でだめだから外でというほどその道は甘くないし、それに頼らないということは実力一本勝負ということで、スポーツ選手と同じなのだ。野球やサッカーでどれだけの人が海外で通用しているか見れば、その現実はわかるだろう。

とすると必然的に、他人の人脈のレバレッジなしに国内でやることになる。サラリーマンをするならそれもまことに結構だ。しかしどこの会社にも「ヒキ・コネ族」は必ずいる。閨閥、学閥がそうだし、仮にそれがなくても「愛(う)い奴」だけ目をかける上司はどこでもいる。ウチは実力主義です、なんてのはウソなのだ。その連中に実力だけで勝つのは至難だし、そんな実力があるならあなたも「ヒキ」「コネ」を作ればいいのである。

愛い奴ばかり使う上司は自分より優秀な部下は切る。つまり能力などあると危険であり、無能だが忠実な者だけ出世させるわけであり、自分が優秀でなく部下もバカなのだからやがて馬脚が現れて消える。それが何かの拍子で社長になると会社が消える。いずれにせよ、それに可愛がられたあなたも消える。だから深入りせず適当にいなして「鉱脈の深い年長者」の「ヒキ」「コネ」を得ることであり、もしも会社ごと危なければさっさと辞めることだ。

サラリーマンが嫌なら起業するしかないが、この場合は「ヒキ」「コネ」なしだとさらに大変だ。個人商店レベルでいいならともかく、億円単位の商売をするとなるとホールセール(企業相手)になる。ところが、どこの馬の骨かわからん者の商品やサービスをクオリティだけ見て買ってくれる企業は、実は日本には極めて少ない。それを知るには以下のことを認識することだ。日本人はまじめで器用でよく働くが、日本企業の生産性は国際的に理不尽に見えるほど低い。なぜか?社内に膨大な非効率を抱えているからだ。それは何か?余剰人員だ。

大方の大企業は終身雇用制で年齢構成ピラミッドは40才台が中ぶくれした「釣鐘型」だ。出世競争は40才でほぼカタがつくので、釣り鐘の上半分は高給を食みながらもインセンティブはなくした正社員である。中小企業への貴重な人材リソースではあるが、就職ではなく就社しているから移籍は起こらず大量の余剰人員となるのである。労働生産性はここにトラップされているのだ。

彼らは会社の成長と人生の幸福が必ずしもリンクしない。あなたの作った企業が安価で良いものをいくら売りこんでも、彼らにとっては無名企業との新規取引だ。あなたの商品を購入して収益貢献を図っても、ルーティーンをあえて変更する説明責任やリスクだけあって評価はされない。そうであれば既存の取引先と人間関係を作ってそっちを温存し、定年まで無難な人生を送ることにインセンティブを持つことになる。こういうことが各所でおき、ウルトラ保守的、硬直的な組織になるのが大企業病だ。それはそれで非難されるべきでもない、そういう立場の従業員にとっては合理的な行動なのだ。

安倍内閣が失業率を下げるのに成功したというが、生産性は上がっていない。ということは余剰人員を抱える年齢構成ピラミッドを切り崩そうという試みはさらに後退したことを意味するだろう。若年層の働き方改革よりそちらの方が日本経済の競争力拡大にはずっと核心的な問題にもかかわらず、政府にはそこにメスを入れる気などさらさらなく、むしろ年金、健保の負担を減らすため年寄りをもっと企業が面倒みてくれということなのである。ちなみに、だから日本株のPERは上がらないのだ。

サラリーマンが嫌な若者が起業して「ヒキ」「コネ」なしで食っていくには日本は非常にアンフレンドリーな国であることはおわかりだろう。しかもベンチャー企業への投資インフラは先進国とは思えぬほど脆弱であり、銀行は担保がないとカネを貸さない。誠に憂慮すべきことであり、それを何とか変えてみたいと思い立ったこともあったが、それはMBAを取って海外赴任したころ「いずれ日本企業はみなグローバルカンパニーになる」と信じた、そのことと同じほどありえないことであった。残念ながら日本は変わらないし、その方が未来の日本人の幸せにはよろしいのだと得心した。

だからみなさん、「ヒキ」「コネ」はあったほうがいいし、それを得る方法が前回までに書いたことだ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

正しい人脈の作り方(その2)

2018 JUL 20 19:19:42 pm by 東 賢太郎

人脈というのは「開かれた人」を取り込むことで威力が倍加することは前回説明した。しかしまだ人を見る目がない若い人にはなかなか難しいことで、やみくもに知りあいを増やすことになりがちだ。僕だって大そうじをすると、もう名前さえ忘れてる人の名刺や年賀状がわんさかあって苦笑する。

秘策を教えよう。80人の「開かれた人」を友達に持っていそうなオトナを友達にすればいいのだ。その人に可愛がられればその人脈とあなたは濃厚な接点ができるのである。これを別名「ヒキ」とか「コネ」という。80人の年賀状だけの交友は楽しめばいいが、年に一度しか思い出さない人が人脈の有力な一部になることは隕石に当たるぐらい稀だ。オトナをどう落とすかに集中することだ。

皆さんにとって相手は我々前後のオヤジというところだ。この世代の生態は知った方がいい。長髪でエレキを弾いたりゲバ棒を振ったりジュリアナでナンパしたりで目いっぱいバブって遊んでおり、会社では24時間戦ったと思い込んでるがその実は社畜に徹して滅私奉公ぶりを競って交際費を正当化していた。公務員にそれはないが、だからこそノーパンしゃぶしゃぶが歴史に名を刻んだのだ。そんな世代なので、高度成長は俺たちが成し遂げたという、それほどいわれのないプライドがバカの壁となって立ちはだかっている。

その世代も当時のオトナに取り入った奴がうまくやっている。相手は戦中派であって、硬派でごりごりの右翼か共産原理主義の左翼かマッカーサー洗脳プログラムの申し子のえせ左翼か風見鶏の無責任野郎かパンパンの男版の軽薄なアメリカかぶれだった。僕は大阪で個人営業を2年半やって1日100 枚の名刺集めをしながら、オトナには色んな人種があると知った。

二度と来るなと塩をまかれた相手、名刺を破られた相手を何十回目かの訪問で落としたし、64回電話して断られた上場企業社長を65回目にお客にしたが、同期の半分以上は2~3年内に脱落して会社を辞めた。ゲーム感覚だったし野球のおかげで真夏の炎天下には強かったが、なにより野村流が大金持ちのオトナに気に入られるベストプラクティス集だったのが大きかった。

開かれたオトナは頼りにはなるが、酸いも甘いも知った手練れである。下手な小細工など弄さないことだ。礼儀正しく、誠意を持って、正々堂々と正直に当たるのが若者の王道である。ちなみに僕はそれができない子は一切相手にしない。何故なら、よほどの天才か傑物でもなければ、僕の世代の成功者には好かれないから大成しないか道を誤る。残り少ない時間である、あえてそういう人に目をかけてやろうというインセンティブは湧くはずもない。

正しい人脈の作り方(その3)

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

正しい人脈の作り方(その1)

2018 JUL 19 22:22:44 pm by 東 賢太郎

人脈がある人というのは、単に知り合いが多いだけではない。人脈の「脈」とは脳のニューロンのように人と人が次々と有機的に繋がって、ネットワークが網目のように広がっていくことをイメージしたものと理解するのがいい。

繋がるのはまさに、「まずは自分の脳の中」である。「あの人とあの人を会わせて見ようかな」「そこから何か面白いことが起きるかも」という閃き(ひらめき)がまずあって、それを実行すると現実の人脈に魂が入っていくわけだ。

魂が入ってないなら、何百人の友達リストがあろうとただの電話帳にすぎない。そこからあなたが得られる面白いことの数は、あなたが相い方になるから友達の数を超えることはない。10人なら10個までだ。魂を入れるというのは、あなたが関与しなくても面白いことが出てくるようにすることをいう。

そのためには「ひらめき」「実行」というレシピを電話帳にふりかけないといけないが、別に難しいことはない。電話帳が長いのが人脈だという根本的な誤解をまず解けばいいのである。

友達は2人いれば充分だ。その2人はお互いに初対面だが、あなたと繋がっているのだから何かひとつぐらい共通の関心事があるだろう。そこで食事に誘って、これもご縁だし、それ、いっしょにやってみない?と説得するシーンを思い浮かべてほしい。

うまくいった?それでお見合い成功だ。あなたが仲人になって、2人のペアリングが成立したのだ。3人目の友達ができた?はい、そうしたら前の2人とそれぞれ「いっしょにやってみない?」をやってください。これで面白いことは3個になった。3人いて3個じゃないかと思うだろうが4人だと6個になる。5人だと10個になる。10人だと45個だ。

こうして友達の数が増えると、その数は等比級数的に増える。これはみなさんご存知の「組合せ」の数だ。

20人だと190個、40人だと780個、80人だと3,160個である。ということは80人の人脈を持った人同士が仲良くなると12,720個の面白いことができる可能性があり、その160人の全員に80人ずつの友達がいればそれは81,913,600個になるのである。

もちろん全部がビジネスになるわけではないしその必要もない。何事も選択肢やトライできる回数が多い方が有利に決まってるからだ。「80人の友達」から出てくるオポチュニティーが80個の人と81,913,600個の人では、アイデアのネタの数で百万倍も差がある。戦う前から勝負にも何にもならないのである。どうして?「ひらめき」「実行」というレシピがあるかないか、それだけのことである。

あなたは仲人になるのだから、あの人とあの人なら絶対に合う、これに興味があって意気投合できるということを知っている必要がある。いや、知らなくても直感でそうかなとピンとくればいい。女性は概してこういう感覚に長けているが、そうではない男性諸氏にも手はある。2人の気など特に合わなくてもいい、共通の利益さえ見つけられれば実は充分である。ここまでが「ひらめき」であり、すべてはあなたの脳の中で起きることだ。

次に2人をどう説得するか?これは体で表すことだ。それには、あなた自身がそのサブジェクトに興味があって、やる気も成功する自信もあることを示すに限る。これが実行だ。簡単ではあるが、成功率を高めるには経験がいる。絶対の秘策などないから当たって砕けろしかない。「よしっ、やってみよう」と思えるかどうか、ポジティヴなメンタリティを意識して作り上げるのも実行のうちである。

非常に重要なことだが、そうしてお見合いした2人からもらえる新しいアイデアには、あなたが80人の友達とは作れなかったものである可能性があることだ。こうしてビジネスのディメンション、ポテンシャルは自分の発想や能力を超えて拡大する。いま僕が脱サラしてやっていることで、僕一人の脳みそから出たものはひとつもない。

ただし、同じ80人でもいろいろだ。知らない人と会って何か面白いことをやろうという人のほうがはるかに少数派だろう。人間には2種類あってそういう心が「開かれた人」と、そうではない「閉じた人」がいる。原則として、開かれた人は開かれた人に寄って来る。閉じた人は誰にも寄らないか、寄っても何もおきない。だから、さきほど算数が示したように、開かれた人ばかりの80人は閉じた80人の百万倍も破壊力があるのである。若い方、ビジネスで勝利したいなら覚えておいた方がいい。

そういう人を集めたいなら、当然の帰結として、あなた自身が開かれていることだ。それが一番の近道である。

正しい人脈の作り方(その2)

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

忘れるという美徳

2018 JUL 18 0:00:20 am by 東 賢太郎

ブログにずいぶんとたくさん昔のことを書いてきたが、あかの他人の過去など知りたい人はいないのはわかっている。では何故と思われるかもしれないが、これは備忘録の意味が大いにある。10年程前から、そこから20年あたりをさかのぼった頃のことをけっこう忘れているのに気づいたからだ。

というのも、妻と話していて、フランスのドービルであなたは熱があっただの、サルジニアのホテルでガウンを買っただのときいて、さっぱり覚えてないのである。家にはヨーロッパの置きものや頂きものがそこいらじゅうにあるが、どこで買ったかもらったか、覚えている方が少ないのだから思い出も何もない。

サラリーマンを30余年やって、数えると各所で計1500人ぐらい部下がいたはずであって、それはそれは、実に実に、色んなことがあった。妻には大変申し訳ないことだったが、発熱やガウンに気が回るような余裕はきっとなかったろうし、本当に自分に厳しく生きてきたけれど、そんなに忘れてしまっているということか、そうだったのかと自分をねぎらってやりたい気持ちだ。人生で初めてのことだ。

ビジネスマン多しといって、わがままで、つまりある意味円満な了解事項としてではなく日本の上場企業を役員で3つも移籍させてもらった人は多くないはずだ。そんなことを誰かに教えて、伝えて、残して、という希望、義務感のようなものがひところ強くあって、それがブログを書くエネルギーになっていた時期もあったが、もう不思議とそれもなく、秋空のように晴朗な気持ちであって、全部が心の中では円満に済んだことになった。

忘れるというのはなんと素晴らしいことだろう。悪いことはもちろん、楽しかったことだってもう望んでも得られないのだから、昔を羨やむぐらいなら消えてしまった方がいい。それで困ることも失うものも実は何もないということに気づくのである。お世話になった方々に最善の礼を尽くし、いま周囲にいてくれる人たちと仲良くやって、迷惑にならないように、その皆さんの幸せを考えればいいのだろう。

資産は貯めることに意味があるのではなくて使うことにある。あっさり相続してしまったがそれが僕流の使い方だった。気が軽くなったがでは欲が残ったとすればなんだろう?特にないが、そのうちこれだというのが出てくるだろうか。わからない。過去を忘れてしまうと、いまですらもうその延長線にないのだから、未来など誰がわかろうか。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

ビートルズ「When I’m Sixty-Four」(僕が64才になっても)

2018 JUL 8 13:13:28 pm by 東 賢太郎

平成が終わる来年になると、僕ら昭和生まれはそれが人生で3つ目の元号となる。つまり、来年に生まれる人から見るならば、僕らがおじいちゃん、おばあちゃんと思っていた「明治生まれ」と同じ位置づけになるわけだが、昭和は明治より20年も長い。いま20代の人もそうなるのであって、昭和30年生まれは明治30年生まれよりずっとおじいちゃんなのである。

来年というともうひとつショックな事があって、ついに、ビートルズの「When I’m Sixty-Four」(僕が64才になっても)のトシになってしまう。これが入っている『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は1967年のアルバムだから僕はまだ中学生の小僧であって歌詞がさっぱり不案内だった。Will you still need me? (まだ僕を必要としてくれるかい?)はまだしも、Will you still feed me?  がね、これはガキにはわからない。

この切ない feed me がわかるのがきっと64才ぐらいだってことで、これを書いた10代のポールもそう想像したんだ。だからDo youじゃなくってWill you、意思の確認なのだ。そんなジジイをキミはまだ必要としてくれるかい?いや必要でも料理を作ってくれるとは限らないね、そこはどうなの?とくる。僕はヒューズを直せるしセーターを編めるし草むしりもするよって。なんと図星な。

そもそも feed とはエサをやるという意味だ。ネコは芸も愛想もないがそこだけは妥協しており、エサが出る人を適確に見極めていて(もちろん、昔は母でいまは家内だ)腹が減ると台所でニャオ~ンと僕には絶対にないソプラノで鳴く。あれだけ遊んでやってるのに悔しいが、feed する人は絶対権力者なのである。ということはヒューズもセーターも草むしりもニャオ~ンも無い僕は飯も出なくなるんかということをこの歌は意味している。

ではジジイの価値はカネなんだろうか。とするならば紀州のドン・ファンの道しかないじゃないか。あのかたはいいか悪いかともかく、男として実に明快でわかりやすいという美点はあって、一度哲学を伺いにお会いしたいものだった。女は手当たり次第に口説いていたと思われるモーツァルトだが、ドン・ジョヴァンニ(ドン・ファンのイタリア語だ)はしかし地獄に落としている。この道は難が多そうだ。

アルバム「サージェント・ペパーズ」の冒頭、ト長調のところはバンドの紹介の前口上だ。さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃいみたいなもんだが、これが僕的には格好いいのである。昨年、ライヴ・イマジン祝祭管弦楽団演奏会に先立って舞台でしゃべらせていただいたが、当日はあの前口上の気分でさせていただいていた。アルバムには「She’s Leaving Home」もある、娘は手紙を置いて出ていっちまう、車のセールスマンとね。ビートルズは僕にとって論語より人生を説いているのだ。

先週、ブログにしたマフィアの末裔マリオ・ルチアーノ氏のレストランにぶらっと行ってみた。そうしたらゴッドファザーに出てきそうなオーラの50がらみの男が立っている。「マリオさんでしょ」と声をかけ、本にあったエピソードを2,3かましたらサイン目当てのおっさんじゃないことはわかってくれたんだろう、「財務大臣の麻生さんもふらっと来られました」「そう、でも俺はやくざじゃないよ、株屋だ」と自己紹介した。僕の頭髪を眺めながら「肌が63に見えませんね」とイタリア人らしいほめ方をする。想像どおりの、修羅場をくぐった好漢であった。

63に見えるかどうかは知らないが自覚がない。体は老いたけれど、自分とはあくまで体ではなくハートのことなのだ。二十歳の頃のハートがどうだったか覚えてないが、あんまり進化も退化もしてなさそうだし、僕は元来そういうことに鈍感で甲子園の選手は今も年上に見えている。「僕が64才になっても」は、キミ、それってちょっと変でねえかい?なんてトシなりのおじいちゃんに諭されている感じの曲になってしまった。

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

本当の友達とは何か?

2018 JUN 6 8:08:38 am by 東 賢太郎

こだわるということについて、ある人と話をした。

こだわっているものとそうでないものとの間の落差が自分より大きいという性質の人は今のところあまり知らない。僕の御三家は野球、クラシック音楽、猫であるが、例えば猫好きにおいて、猫はなんでもいい子猫はかわいいということはまったくない訳で、品評会に出る手のものは全部嫌いであり、なんでもジャレつく子猫はつまらない。こちらから相手をお願いしたいという猫であるのはけっこうナローパス(narrow path、道が狭い、難しい)であって、普通の猫好きとネコ愛を語り合うのは稀だ。

野球はバッテリー間で起こることだけに興味があるので、内外野の守備がどうしたとか走塁がうまいへたとかスライディングの技術がどうのとかはアメフトの話に近い。だから投手を見に行くわけだが、これまた好みはナローパスだ。体格やフォームではなくストレートの球質、スピード、変化球の質、コントロール、性格、攻め口、スタミナという部分に細かいクライテリアをもって観ているのであり、なかなか普通の野球ファンに説明するのは難しい。

クラシックはこだわりの音源で著作権クレームがなかったものをyoutubeにupしてみた。ブーレーズのダフニスに米国人の方からコメントが入って、この演奏への深い愛情が語られた。ディヴィスの戴冠ミサ、アンセルメの火の鳥もしかりだ。とてもうれしいが、アクセス数の少なさから本家本元の欧米でも予想以上にニッチな趣味ということも分かった。つまり人生の時間のかなりを占めた御三家において世の中との関心や交流の共有がナローパスということは、僕は変なことに傾注して生きてきた、地球上でかなり孤独な種族に属した人間であることに他ならない。

だから普通には「ご趣味は?」となれば「音楽鑑賞です」「野球観戦です」でお茶を濁すだろうし「猫と遊ぶことです」などはそれ自体が危なく聞こえるから言わないに越したことはない。それ以上語るということは99.9%の初対面の人にとっては宇宙人ですと懺悔されたに等しく、長いものに巻かれ少数派をいじめる日本では秘匿されるべき性癖みたいにさえ思えていた。長らく自分の趣味が他人とは一切交錯しないことを変だと思ってきたし、一介のサラリーマンとして宴会芸などを強いられる立場だったころにそういうことをカミングアウトする勇気など到底持ち得なかった。

たぶんほとんどの人は同じように心の中で自分はあそこがちょっと変だとか劣っているとか思っていて、絶対に他人に見せたくない部分を持っている。しかし本当に変だし劣るものであったとしてもそれはそれであって、世界に同じ人は二人といない。その不安やもやもやは他人と比べるから生じるのであって、誰であれ世界でオンリーワンという価値においては他人など関係ないのだから、それを自分が認めてあげて堂々と生きればよい。

そう考えるようになったのは、こだわり御三家において、これはかなり変だ、こんなので絶対に友達はできないと諦めてからだが、幸か不幸か僕は他人と色覚が違うという素地があった。これはもう科学的に決定的に見えている世界が世間様と違うのだから、どんな変なものにこだわって生きようが誤差みたいなものである。それで社会生活で困ったことも競争に負けたこともないから色覚異常と差別されている方は自信を持ってほしいし、趣味ぐらいがどうあろうと、もっとどうでもいいことなのである。

しかしでは友達が作れるのかという本題に入るとなると、もう少し語るべき重要なことがある。友達とは何か?である。結論を先に書こう、困ったときに助けてくれる人が友達に他ならないと僕は確信している。それ以外は趣味が合おうといい奴だろうと、実はなんでもないし、友達であるならば普通とか親友というグレードもない。助けてくれる人は、それ以外の部分がどうあろうと、性格がどんなに合わなくても、友達なのだ。日本だけのことではない、遠い英国でもそう考える人生の達人がいたからA friend in need is a friend indeedという諺ができた。

助けるというのは何がしかの愛情がないとできない。もちろんそれが人類愛かもしれないし、何らかの打算も含まれたものかもしれない。しかしでは愛情とは何かというと、100%ピュアなものは母親が子にそそぐものしかない。母はこの世に一人しかいないのだから、それ以外の場合、ピューリタンになること自体がナンセンスなのである。つまり、助けなくてもいいのに助けてもらったことは愛情表現なのであり、それは真摯に受け止めて、なんとかお返ししようと真剣に考えるに足る、いやむしろそうしていかないと人生は何のためにあったかわからないという結末に至ってしまうような性質のものなのだ。

ということは、こだわり御三家で分かり合う人を探す必要など毛頭ないのである。見も知らぬ他人との一瞬の心のふれあいで、自分は孤独でなかったのだと魂を慰めるのはけっして悪いことではないが、その安寧は誠に一過性のものである。そういう交わりはマイナスに落ち込んだ人生をゼロに戻す力はあっても、プラスにはしてくれない。ゼロが毎日続いたとしても、何年たってもあなたは人生の原点からテークオフすることはないのである。

むしろ、こっちが心底困ってみないとその人が友達かどうかは実はわからないという「深淵なる事実」に突き当たることこそが重要だ。まるで良くできたミステリーの結末であるかのごとく予想外の真犯人が浮かび上がったりもする、そういう経験をしていくと英語の諺の涙ぐましいほど人生の本質を突いた含意がじわっと体にしみてくる。そう言う僕だって、これを悟ったのは本当に困ることだらけだった、ほんのここ10年足らずの事なのだ。そして、それを悟った今、僕はそれの忠実なしもべとなって生きている。

短い人生、友達以外の人とつきあう時間はあまり残っていない。それは社交であって、定年後の夫婦が参加する紅葉狩りやら秘湯巡りやらで親睦を深めましょうとか、そういう困ってしまうことのまずない表面的おつきあいの場で友達が見つかる可能性は限りなくゼロに近いだろう。ただの何でもないサラリーマンだった僕がホテル・ニューオータニにオフィスを構えられたのも、ひとえに真の友達が何人かいたからだ。この人達が困ったときは今度は僕がどんなに骨を折っても助けるということになる。

こういう関係を築こうという人にとってfacebookで何万人のオトモダチができようとおそらく助けにはならないはことはご想像いただけるだろうか。拙ブログさえ毎日5千、総計184万の人の訪問があったことになってるがそんな実感はまるでないし、これが1億人になったところで困ったときの救い手が現れるアラジンの魔法のランプになる保証はない。友達というのはネット空間のフェイクではない、恋人と同じほどすぐれて生々しくリアルなものなのであって、フェイクに課金してあたかもリアルかのような錯覚を売るビジネスに洗脳されるとますます友達はできなくなる。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

名誉にこだわる人の給料の半分は名誉で払われる

2018 MAY 21 1:01:39 am by 東 賢太郎

経営とはやってみれば誰でもわかるが極めて重たい作業である。企業の存続という究極の目標が何より優先する。そのためには何であれ不要なものは捨てなくてはならないから冷たくも見えようし、あいつは人が変ったと言われることもあるだろう。

僕は一点集中型(ネコ型)なので二股はかけられない。受験では野球が、ゴルフでは主夫業が犠牲になった。今はゴルフが犠牲になり2年近く道具に触っていない。シングルになってやめる人は少ないだろうがキープするには仕事が犠牲になるからそうはいかない、とすると「なんちゃってゴルフ」になるがそれはできない性格なのだから仕方ない。

究極の目標を達成するために絶対必要なのはほかをぜんぶ捨てることである。その正しさは受験、ゴルフで証明したから変える理由はない。しかし経営はその両者のように点数の目標がない。だから何を目指しているのか不明になってぶれるリスクがある。これを日々見定めるのは大変に難しいのだ。収益をあげるのはあたりまえであるが、それだけのための企業は世に必要とされない。

若い会社というものは創業者の人格そのもので、その人の「作品」である。作品はやがて独り歩きするが、そこに至るまで自分がぶれないことが絶対必要なのである。ぶれない最良の方法は何か?自分に忠実にやることだ。日々の判断に追われるとベター(better)の選択肢がたくさん出てきてマスト(must)を忘れる。すると知らず知らずぶれてしまっているということになる。

それを避けるには常に本当の自分に徹することだ。「AかBか、Bが得です」という提案は「両方やらないよ」が正解かもしれない。本当の自分という座標軸を常に見据えて、そこからはずれたことは一見おいしそうでも手を出さないという判断をしていかなくてはならない。なぜなら、本当の自分こそ絶対不動の盤石な基準として信頼でき、それがあるから今があるのが事実だからだ。

だから、本当の自分とは何かを知っていることは大変に重要である。これだって、世につれ人につれで付和雷同に生きていると意外に知らないものだ。

幼稚園で描いた絵を見ると電車しか描いてない。自動車、船、飛行機は興味ないから一枚もない。SLもなく電車だけ。それも下半分、つまり線路、台車、床下の機械類だけ子供らしくなく異常に細かくて、上半分のボディや乗客の顔は幼児なみだ。この三つ子の魂そのままに大人になった。

ほかを犠牲にしてクラシック音楽に集中したことはないが電車の下半分に相当するものを見つけたから自分を投影する鏡にはなる。去年10月23日のブログを読み返すと、幼稚園の絵を再度見た気持ちだ。

ブーレーズ 「主のない槌」(ル・マルトー・サン・メートル)

この自分はどうしたって孤独になる。「主のない槌」をブーレーズはムーラン・ルージュの客のために書いたわけではない。僕はあのナイトクラブが嫌いではないが、あそこの客にブーレーズの曲をお薦めする事はないだろう。これはクローズド・サークルの趣味なのでありそんなニッチが先祖のどの辺から来たものかは知らないが、電車の絵を描いたころから自分の遺伝子にあったものなのだ。

しかし、ありがたいことに孤独が好きだ。群れるのは大嫌いであり、幼い頃から祖父に一匹狼だと言われていたからそれが本当の自分なのだ。音楽と知り合ったおかげで退屈とは縁がなくなった。空白の時間があればベートーベンの交響曲をどれでも頭でリプレイできるから何の心配もない。

五年前のこのブログは共感あるのみ。

ショーペンハウエルの人生論

以下、大哲学者の箴言を少し引用して、今の境地でコメントしたい。

名誉にこだわる人の給料の半分は名誉で払われることになる

なんという名言だろう。僕は「名誉(肩書)はいらないから給料を下さい」と上司に言った(名言は後で知ったのだが)。武士は食わねど高楊枝のわが国でそういう人間は誠に少ないが、いまどき武士でいるとどんないいことが起こるのか教えて欲しい。大前研一氏の著書によると日本人はひとり平均3千5百万円残して死ぬそうだ。ということは日本国は3500兆円も名誉資産がある名誉大国という事になる。それが一般国民の生活でどんな幸せになろうというのか。

人間の二大苦は困窮と退屈であり、内なる宝を持っている人にとって退屈はないから「困窮のない余暇」、孤独こそが幸福である

まさにそのとおりと思う。だから困窮はいけないのであって、給料の半分もさし出して名誉を買う余裕などない。そういう人は「最大の敵である同時代人の嫉妬に妨げられる」ときくとああヘーゲルのことかな、ショーペンハウエルはそういう思いをしたのだなあと思う。しかし名誉と一緒で、人に好かれるのに給料の半分を払ってみても孤独の幸福という見返りはないし、親父の名誉で食っていける時代でもないから子供もお金の遺産を残してくれといいそうだ。

現世的な名誉の効果は擬態的な尊敬にあり、徹頭徹尾、大衆に見せるための喜劇にすぎない

僕はお客様の男芸者になりたいとも思わないが、喜劇役者を目指してみようと考えることもない。ほとんどの男は肩書によって擬態的な尊敬を得ているが、名刺がなくなったとき、それが喜劇であったと気づくのだ。僕もそうだった。

いずれ必ず、嫉妬のない後世の知性によって良いものは良いものと評価される

そう願いたいが、僕の生き方を世間が評価してくれることはないだろう。して欲しいのは、ひとえに子孫だ。僕はブログを書いたことで子孫に何がしかを残したつもりだが、そう思ってくれる人が現れるなら生きた甲斐があるというものだ。

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

自分とは

2018 MAY 10 1:01:14 am by 東 賢太郎

多摩川を久々にジョギングして、今年でここも引っ越してきて10年目だなと思った。山あり谷ありでなんとか生きてきたが、もう細かいことはけっこう忘れてきていて、思い出そうとも思わないし関心もない。僕にとって、良いことも悪いことも、終わったことはもうどうでもいいのだ。能力ぎりぎりの所を走ってきているので、今をきり抜けるのに必死だから。

自分が能力があると思ったことは一度もない。それがどういう風の吹き回しかいつのまにか険しい山道を縦走しているのであって、ちょっと気を抜けば滑落だから後ろを振り返る余裕がない。道の先がどうかと考えたり地図を見たりの余裕もない。それでどうやってここで10年生きてこれたか、わかるものならだれか教えてほしい。

ブログにあれこれ過去を書きつけてきたのは、忘れるからだ。いずれ自分もお袋と同じ認知症になって、なんにもわからなくだろう。それでなくなってしまうのは寂しいと、たんなる独りよがりの自己満足であって、こんなものは誰かのためになるなんてことはない。なればいいなと思って始めた部分もあったが、もう正直のところ、まったく自分のためのみのエゴである。

今の自分はというと、自分でいるのはcomfortableであって、ああなりたいという他人はいない。ドーキンスが正しいなら、いずれ東賢太郎という「乗り物」は下車するわけで、いろんな過去をぎっしり持っているからこれ以上がつがつ求める必要はない。乗り物はそろそろ劣化してきていて、今日は神山先生にしばらく米食はやめなさいと言われてしまった。末は知れていよう。

もともとゲバ棒を振ったり、世を変えたいとか安保を阻止したいとかはない。世間とはめんどうな関わり合いを持ちたくないし他人を支配したいとも思わない。名誉や勲章はいらない。出家、隠遁がいいわけでもない。となるとやりたいことはなくて、それで険しい山道を縦走しているはなぜなんだと自問するが、これがよくわからないのだ。

こういう莫迦な人間もいるということ、そう思っているのが今だと、そして明日になればそれは過去になっていてもうまったくどうでもいいものに変質しているという事も記録しておこう。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

三遊亭歌太郎
小林未郁
島口哲朗