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ジャイアンであるためにジャイアンな政府

2020 AUG 17 19:19:29 pm by 東 賢太郎

(1)国家の目的解釈は量子力学に似ている

国家の目的は何かという議論をひもといていくと、だんだんわからなくなってくる。ドイツの政治学者マックス・ウェーバー(1864 – 1920)は「過去に国家がしてきたことを並べてみて、そこから国家の目的は何々だと結論することはできない」という趣旨のことを書いた(「職業としての政治」)。普通、人間であれば、その行状を調べればどういう人かは凡そわかる。しかし国はそうでないというのだ。「これが国の仕事だ、だから国の目的はこうだ」が成り立たない。有名なパラドックスに「私の言うことはウソだ」がある。こう言われた瞬間にこの人が正直者なのか嘘つきなのかは言葉から判定できなくなるがそれに似ているし、光があたると(つまり、見る前と後で)電子が動くので、見る前の物体が何という物質であったか不明だという量子力学的でもある。

世界の歴史を振り返ると国家は「野獣」であり「夜警」であり「福祉提供者」であったりするが(それが「見る前」)、ではどれが正しかったのか(「見た後」)に「どれでもない」と答え、「国家は暴力行使のできる権利を持つ唯一の存在で、その独占を要求する人間共同体であり何でもできるからだ」とするのがウェーバーだ。それに対しては諸説あるが、僕は門外漢だから立ち入る資格はなく、本稿では国家の目的に対する概ねの結論は「国民に強制力のある規則を制定して維持すること」だと理解し、以下これを『国家定義』と呼び、それに従っていろいろ考えてみたい。

まず、凡その歴史を俯瞰すると、すべての国とは、その地域で「俺はジャイアン」と主張する者(元首、酋長etc.)をひとりだけ認めたことにする仕組みということだ。中世まではジャイアンが腕っぷしでやりたい放題(野獣)だが、別の野獣よりましで守ってくれるジャイアンなら何をどうやってもいいという均衡が生まれた。近世になって、やりすぎはいかん、やるなら暴力行使も含めて規則でやってくれ(立憲政治)というバランスになった。やがてジャイアンは個人でなくポスト(称号)と機能(軍)になり、腕っぷしとは関係がなくなり(文民統治)、上に立つ国家はマシーン(政治装置)のような存在となる。核の抑止力によるつかの間の平和ができると、そもそもなぜ暴力行使により何でもできる権限を認めたかが明らかでなくなってきた。そこで「ジャイアンはジャイアンであり続けるためにジャイアンである」という妙なことになっているのが21世紀の政治の現況である。世界国家に至る途上にあるのか、永遠に現状が続くのかは誰も知らない。

 

(2)真珠湾攻撃は誰が決めたのか?

国家は法律の制定によってのみ権力行使できる(国家定義)。これは市民革命で王権と闘って自由を勝ち取った欧米諸国の人は絶対に譲ることができない。アメリカ人がマスクをしないのは国に命令されるより感染する方がましだからという説があるが、あながち冗談とは思えない。ドイツ国はナチ党に無制限の立法権を与える法律(全権委任法)を認めたことでヒトラーが「何でもできる」ようにしてしまったが、国家定義どおりの手続きを踏んだからドイツ国民に責任があるといって反論するドイツ人はいない。これをドイツ赴任時代にフランクフルトの金融界の人たちに述べたところ、知恵者に「ではきくが、真珠湾攻撃は誰が決めたのか」と問い返され窮地に立ったことがある。

「東京裁判で首相(東条英機)とされたが直前まで攻撃を知らなかったようだ」と述べたところ一笑に付された。真偽はともかく首相に権限がなく軍を制止できなかったとされる。スターリン、ルーズベルトの共同謀略で支那情勢が窮地となり、国家総動員法が全権委任法のようにワークしたのを誰も止められなかったのが実態だったろうが、国家定義を満たさない決定で戦争を始めたという発言は国際社会では意味不明であり、宣戦布告問題以前の国家の根源に触れる問題なのだと知った。ちなみに戦後唯一の武力を伴った戦争であるフォークランド “紛争” (実質は戦争である)で英国サッチャー首相は自らを首班とする戦時内閣を設置して意思決定を行った。ドイツは意思決定者を法律で処断した(ナチ礼賛は刑法130条違反になる)ことで国家定義に則って戦後70年をしのいでいる。事の重みをかみしめるしかない。

 

(3)需要喚起は国家の仕事ではない

国家の目的が経済活動への関与を含むかという点にも問題がある。論点は、関与を①すべきかどうか②する意味があるかどうかの2つである。①については1970年代に国対国の経済戦争をしていた時代は米国との自動車、半導体の交渉を通産省(当時)が担ったことは大いに国益上の意味があった。がん保険を大蔵省(当時)が開放して自動車交渉を有利にする等の業際バーターは民間では困難だったこともある。しかし、グローバル企業は多国籍サプライチェーンによる効率化競争の時代になり、国家が需要サイドに有意に関与する余地は減った。安倍政権の当初の戦略に第3の矢(成長戦略)があったがいつのまにか誰も口にしなくなったのは、需要なき処に成長はなく、需要は国が作れないから異次元緩和(第1の矢)と財政出動(第2の矢)でという策の延長に成長戦略はないからだ。

②については内在的な限界がある。有意なる関与は物資やサービスの「供給側」(サプライサイド)では可能かもしれないが、消費する「需要側」へは実態的にも法技術的にも困難である。馬を川に連れて行くことはできるが水を飲ませることはできないからだ。例えば少額投資における税制優遇制度であるニーサ(NISA)である。「税金をおまけしますから株式・投資信託等に投資しませんか」という趣旨だが、税金の心配は「お金がもうかってから」でいい。「株や投信のパフォーマンスは大丈夫なの?」「はい、それは自分で考えてください、自己責任で」ということだ。それで川まで行く馬は、元から喉が渇いた馬だ。そうでない馬が多いから投資による資産形成が進まないという根本的原因の解決には無力というしかない。

「少子化担当大臣」にいたっては何ができるのだろう。要は、子供をたくさん産んでもらおうというのである。しかし子供を持ちたいという「需要」を法律の制定という手法で促すのは、北欧のような公務員が多い高税率、高福祉国家でないと難しい。女性の社会進出を促進しながら子供を産んでもらうのは矛盾という統計もある。子供を成人させるには相応のお金がかかるわけで、30代の男性の所得が少ないという根本的な問題を解決せず子育て支援しますと言われても、その心配は「結婚できてからでいい」のはニーサとまったく同じである。「お金が不安です」「はい、ご自分で頑張って稼いでください」「相手がいません」「ご自分で見つけてください、自己責任で」。そりゃそうだ。うるさい、ほっといてくれ、だろう。国家がどうしてそこまでやるのの一言だ。

ここまでお読みいただいた読者には「代金は税金で補填しますから旅行に行きませんか?」「コロナは大丈夫なの?」「はい、それは自分で気をつけてください、自己責任で」の、今を時めくGoToキャンペーンも実質はまったく同じであることはもう説明の必要もないことだろう。票になるから予算がついているが、コロナ下での旅行需要喚起の根本的解決にはならない点も同じである。できもしないことに税金を使うべきでないし、それとケインジアン政策を混同してはいけない。需要喚起は国家の仕事ではない。

 

(4)驚いたマーガレット・サッチャーの覚悟

冒頭に述べたように、政府は何でもできる。戦争でも売春宿の経営でも民間人大量殺戮用施設の設営でも。それも「仕事である」と主張する政府を人道的に間違っていると批判はできるが否定する理屈はないという困ったことが冒頭にややこしいことをあえて述べた意図だ。阻止するならその政治家を選挙で落とすしかない。日本国は現実に電信・電話事業、郵便事業、鉄道・航空事業の一部を独占的に “経営” していたが、雇用は創出できていても英国と同様の理由で事業経営という観点では失敗して財政赤字を増やし、すべてを株式上場し「民営化」してしまったという歴史がある。それでうまくいったと書くには程遠く、やらないよりはましだったという程度の評価ではあるが、その流れを国際的に引き起こした背景は知っておくに値すると思う。僕の経験からご説明しておきたい。

民営化の判断は日本国が考えついたのではなく、英国の第71代目首相マーガレット・サッチャー(1925 – 2013)が世界にその時流を生み出したムーヴメントに追従しただけだ。当時(1980年代)の英国は七つの海を制した大英帝国の斜陽が国民を悲観させ、活力をなくした若者が昼間からパブで飲んだくれ、犯罪、IRAのテロ等でロンドンにもすさんだ空気が流れていた。第二次大戦後に労働党政権がとった社会福祉重視、主要産業国営化の政策が財政逼迫を招き、相次ぐ労働組合のストライキを引き起こして国民生活の活力を削いで、いわゆる「英国病」を蔓延させていた。

84年にロンドンに着任してまず感じたのは、学校で習った英国の姿とはかけ離れた根の深い退廃ムードだ。失業率は12%ぐらいでしかもインフレだった(フィリップス曲線が崩壊)。シティのエリートバンカーすら国の未来は暗いと語った。逆に日本にとっては “ハイテク産業” と呼ばれた電機、自動車、半導体、電子部品産業らの大躍進で世界の寵児の地位をほしいままにした黄金の10年間だった。その結末にはバブル崩壊がきたが、世界の金融市場の要衝だったロンドンのシティで日本国のプレゼンスがうなぎ登りになる最後の数年の高揚感は強烈で忘れ難い。あの時をもって日本人は世界の一等国民の仲間に入ったのだと断言できる。

サッチャーの民営化構想の背景が「英国病」だったことは確実だが、それだけではない、よりリアリスティックな要因として日本経済の大躍進があったことは確実だ。 おりしも80年代初頭に米国でもエズラ・ヴォーゲルの著書「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」が警鐘として話題となり、父島で日本軍に撃墜された父ブッシュが10年後に大統領に就任すると日本の金融・証券業潰しの大逆襲を仕掛けてきたが、サッチャーはそれをせず86年にロンドン証券取引所を規制緩和する “ビッグバン” で活力ある外資を積極的に取り込み、ユーロドル市場取引を急拡大させシティの歳入を大幅に増加させた。

相手を叩き潰す米国と真逆の政策はテニスになぞらえて「ウィンブルドン現象」(英国主催だが選手は外人ばかりという意味。命名者は当時ノムラ・ロンドン社長だった外村である)と揶揄もされたが、ロンドンの税収の半分をシティがあげるに至る。その外人選手のうち最大勢力だったのが日本の証券会社で、日本の話題が日々注目され、野村の現地での求人がオックスフォード、ケンブリッジ卒なのは当たり前という時代になった。80年代前半に数件しかなかったロンドンの日本食レストランが激増したのはその頃だ。最大の証券会社だった野村はサッチャー政権と良好な関係を築き、1990年にシティのチープサイドにある17世紀の郵便事業(郵政省)の古跡である巨大な “オールド・ポスト・オフィス”(写真)に移転して“ノムラ・ハウス” とする栄誉を得た。サッチャー首相が来賓でオープニング・スピーチの予定だったが前日に「代理にジョン・メージャー大蔵大臣を送るのでよろしく」と連絡があった。何事かと思ったら翌日にサッチャー辞任、メージャーの第72代目イギリス首相就任が発表された。ロンドン赴任を終えて帰国したばかりの僕は、野村本社でこの様子を社内テレビで全店放映するキャスターを務めさせてもらった。

サッチャーの強い決意を象徴するものとして、1991年に英国電力株式の日本での公募に関わらせていただいた際に出席した英国民営化省での会議で聞いたギネス大臣の言葉が忘れ難い。これだ。

「組合運動に明け暮れ能力もやる気もなくした公務員に公的事業を任せておくことは輝かしい大英帝国の没落を意味する」

当時のサッチャー首相

自身が公務員であった大臣が我々に、はっきりとそういう趣旨のことを言った。これぞ、労働党の負の遺産を一掃するコミットメントの表明だった。サッチャー政権にはガス、電力、石油、鉄道、航空、鉄鋼、水道、テレコムなど公共財・サービスの提供に関わる国家の屋台骨の産業において、国営企業のままに放置しておくと効率や技術革新で米国、日本の水準に大きく水をあけられてしまうという強烈な危機感があった。民間企業に伍するモチベーションで経営させなくては大赤字が累積して国家財政が破綻し、未来の国富を生む研究開発(R&D)も米国や日本に劣後し、国の屋台骨が朽ち果てて二等国に没落する。それには新自由主義的な競争原理を注入するしかない。その結論として、公共財・サービスの提供を行う国営企業を民営企業にして株式公開し、新たな株主の国民の厳しい目に叶う経営をさせようという荒療治が選択されたのである。

証券界の人間なら誰もが記憶しているが、90年代前半にこのムーヴメントは同様に公共セクターの非効率を抱えていた世界各国に瞬く間に波及して株式のグローバル・オファリングという引受業務の新領域を開拓することになり、我々野村の海外部門はそこで台頭してきたゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーと真正面から激突し、熾烈なマンデート取得戦争を繰り広げた。英国電力公募の日本でのマンデートは我々が取った。メキシコの国営テレコム会社、テルメックスも同じ流れで民営化するとなって国際金融部の課長だった僕は即座にメキシコシティーに飛んだが、マンデートは既にゴールドマンの戦利品だった。エキサイティングな時代だった。世界的に澱んでいた公的セクターに強烈な喝を入れた「鉄の女」サッチャーは、もとより最も自由主義的である証券界にまで電撃的なインパクトを与えたのである。

 

(5)金融市場から目撃した首相の重み

サッチャーは中間階級下層の出である。英国議会にはピューリタン革命で市民(クロムウェル)が絶対王政維持を主張する王族派と闘いチャールズ1世を処刑した血なまぐさい歴史が投影されている。王室、貴族は貴族院(参議院に相当)に封じ込め、庶民院(衆議院に相当)が実質的に国政を切り盛りするが、それでも雑貨商の娘が大英帝国の首相とは新鮮だった。中流階級、女性という政治的ハンディからだろう、自助努力をモットーとしてオックスフォードでは化学専攻ながら弁護士の資格を取り財政、税制も学び、エスタブリッシュメント(既得権益勢力)への徹底反抗が「小さな政府」への動機となっていたともいわれる。

フォークランド諸島

規制緩和、民営化への伏線が、前述した82年に英国領であるフォークランド諸島をアルゼンチン軍が武力で奪取した戦争だ。同諸島はグレートブリテン島からはるか離れた、異国人にはどう見てもアルゼンチンの領土に見える海域に位置している。それもあって英国病で萎えた世論の一部は奪回に否定的であり、米国や国連が仲裁を申し出もしたが、サッチャーは「侵略者が得をすることはあってはならない」と断固として英国陸海軍による武力奪還を曲げず、アンドリュー王子ら王室、貴族も出兵した。本件は当面のところ第2次大戦後の唯一の本格的武力衝突であるが、現在の我が国が尖閣諸島で直面しかねない事態への対応として示唆に富む。これに勝利して奪還成功したことで国民は沸き、それまで不人気だった政権支持率は保守層のみならず大衆においても急上昇したのである。

サッチャー政権はたまたま僕が社会人になった1979年に始まり、米国留学した82年にフォークランド紛争があり、ロンドンに着任した84年に中国に97年の香港返還を約束し、ロンドンから帰国した90年に政権は終焉した。そして香港返還の年に僕は香港に着任したのである。これだけ節目の年が一致しているのは不思議なほどだ。11年の政権期間中にこちらは社会人としてのすべての基礎ができ、そのうちの6年は彼女の治世下のロンドンにおいて洗礼を受けていたのであり、自由化と金融ビッグバンで英国が徐々に誇りと活気を取り戻すのをまのあたりにした。格別の自覚はないが、サッチャリズムの思想的影響を受けていて不思議ではないし、尊敬する政治家を一人だけあげるなら彼女である。

 

(6)サッチャリズムとハイエク

サッチャリズムは代償に失業率を上げ万事がうまくいったわけではないが、国の急場を救った象徴的ケースとして評価されるべきだ。彼女はまず国家財政の事情から身を切る緊縮財政(社会保障費、教育費の削減)を断行して国民の大不評を買った。フォークランド戦争がなければ短命政権だったといわれるほどだ。そこで踏み切った開戦は事後の巨大かつ不測の歳出を伴い、真逆に舵を切るわけだ。それを予見したわけではないが、もし彼女がケインジアン政策の手を打ってしまっていたら財政問題が是々非々の判断の大きな足かせになっただろう。

Friedrich August von Hayek

サッチャーは「共産主義、社会主義が本質的にファシズムやナチズムと同根であり、更に悪いものであり、むしろスーパーファシズム・全体主義である」と説く経済学者フリードリヒ・ハイエク(1899 – 1992)に傾倒しており、反ケインズ的政策を採ったのは当然だ。民営化とは政府部門経済を削ぎ落して「小さな政府」とする政策であり、国民はみな勤勉に倹約して自分で健康に生きて行けということであり、政府の役割は規制緩和して外国人も入れて自由に競わせ、それを監督することだから「大きな政府」は無駄である。労働党の「ゆりかごから墓場まで」政策が財政破綻を招いていたから高福祉国家のカードは捨てざるを得なかったのであり、むしろ治癒には不可避の政策だった。その効果は僕が着任した84年に日常茶飯事たったロンドン地下鉄のストが後になくなったことでも体感された。

たまたま僕はハイエクの

「自由主義」と「保守主義」が混同されるのは両者が反共産主義だからであるが、共通点はただそれだけである。保守主義は現状維持の立場であり、進歩的思想に対する「代案」を持たず、たかだか「進歩」を遅らせることが望みである

という思想に深く賛同しており、以前に書いたように、

人間は現存の秩序をすべて破壊しまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではなく、「自然発生的秩序」が重要で、理性の傲慢さは人類に危険をもたらす

というイギリス経験論者である。サッチャリズムにそれは投影されている。ハイエクは日本でも人気だが、それを現実の政治にリアライズした希少なケース・スタディとして、マーガレット・サッチャーの業績を若者にぜひ学んでほしいと切に思う。

我が国に目を向けよう。

安倍政権に限らず自民党政治は代々程度の差こそあれ財政で景気を浮揚するケインジアンである。国会議員、公務員の人口比は低く、選良の「公」が「民」を統治する明治以来の考えが根強いため、国家が徴税して全国にバラまく政治にこそ親和性が高い。ハイエクもエリートの方が賢明と考えてはいたが、エリートの理性に頼る経済政策はうまくいかないと考えた。なぜなら「市場の参加者の情報や知識をすべて知ることは不可能」であり「参加者達が自らの利益で判断を下す市場こそが最も効率のよい経済運営の担い手である」と結論したからだ。

彼が共産主義とファシズムは同じだというのは、どちらも「理性」に至上の地位を与える合理主義だからだ。どちらも理性より市場の方が賢いとは認めない。しかし、ビル・ゲイツ、ジェフ・ベゾス、イーロン・マスクのような人材は市場におり、国家の研究所にはいない。国が総力で経営してもGAFAやテスラのような企業が生まれるわけでもない。このことこそが経験論者の学ぶべき「市場の経験」であり「自然発生的秩序」なのだと説くハイエクのしなやかな発想は実に魅力的だ。

「エリートはいつも正しい」と大本営が突っ走って戦争に負け、長老の役員が何十人もいる大企業が次々と不祥事を起こしてもまだ旧習を変えない。この頑迷ともいえる可塑性のなさこそがコロナと米中対立で不確実性が何倍にもなる今後において最大の政治リスクになる。そしてその帰趨のツケと膨大な国の借金は次世代に回る。そうであれば、長老世代は早くその世代に道を譲り、それを負うことが自己責任だと納得、理解してもらえるまで徹底した権限移譲を進めるのが彼らのため国のためである。還暦を超えた老人は全員一線から退き、過去の栄光にしがみつかず次世代のサポート役に回ることがポストコロナで日本を蘇らせる最良の政策である。

 

(7)大きな政府という誤謬

くりかえしになるが、政府は民意さえ得れば何をしてもいい。その民意を代表する国会議員が審議中にスマホをいじったり小説を読んでいても「国家の仕事は回っている」といわれれば、そもそも会社であれば「定款」がないのだから人事評価に是も非もなく、そうですかと引きさがるしかない。回っていると主張するなら彼らは自動的に不要であることを認めるべきだが、業務の定義がないのをよいことに国家、官僚組織というものは組織防衛本能からそうしたスラック(たるみ、遊び)を排除せず、もっともらしい居場所(スラック組織)を作ってしまうことで批判をかわして生き延びようとする。それが贅肉として堆積することで大きい政府が完成するのである。できもしない需要サイドへの関与は高福祉政策の美名をまとって無用の税金を投入するスラック延命策に往々にして利用される。

これぞハイエクが指摘した自由主義に巣食う保守主義である。進歩的思想は歓迎せず、聞いても思考停止し、「ジャイアンはジャイアンであり続けるためにジャイアンである」という確固たる政治信条に基づいてアホな政策が次々と具現化する。仕事を作るのが仕事だから大きい政府はますます肥大化し、気がつけば中国共産党がうらやむ疑似共産主義国家ができあがるのである。自由主義に巣食う共産主義は異様だ。国民は気味の悪さにうすうす気づいている。国会議員の人口比がどうあれスラックが不要であることに変わりはなく、しかもそれが族議員という特定業界に金を回す似非ケインジアンなら百害あって一利ない。ここでもまたまたハイエクは良い事を言っていて、イギリスの保守党が信奉する「伝統」を「既得権の別名」とし「部族社会の道徳」だと批判している。このハイエクを信奉した保守党の党首サッチャーが部族の長でなかったことを特筆したい。

僕はアベノマスクのニュースを聞いた時、エイプリルフールとは思わなかったが共産主義国の政策だとは思った。結果は不評で失敗だったことになっているがそれは政権の足を引っ張りたいだけの者の言い草で、僕はそういう観点で批判的なのではない。むしろあれが供給サイドに関与するという意味で古典的な国家による経済介入政策であることは菅長官が需要抑制効果を強調していることにもうかがえる。その点に関する限り整合的で批判を受けにくい政策であり、だからこそ実は国家のスラック組織に仕事を回すという隠された目的があって、どんなに批判されようがそれは大いに達成したのではないか、政府は満足しているのではないかと考えている。僕が批判的なのはそちらである。

最後に、マックス・ウェーバーに戻ろう。彼は国家しかできない専管事項はないといっているが、近代国家において国防と外交はそれに当たるのではないか。国にあって自治体にないのは防衛省と外務省しかない。原初的国家がジャイアンを必要としたのは他国の野獣から守ってもらうためであり、最も古典的な国家の機能と思う。安倍首相のトランプ就任時の果敢な外交努力は成功であり、7年間日米関係が安定したことを僕は金融市場対策と並んで高く評価する。ここから安倍政権が求めるべきものは五輪の花道ではなく米中の狭間に立って国防と外交の道を誤らないことだと考える。

 

「構成員がまったく同じような思想を持つ強力で人数の多いグループは、社会の最善の人々からではなく、最悪の人々からつくられる傾向がある」(ハイエク)

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差別はする方が猿なみである

2020 JUN 8 12:12:54 pm by 東 賢太郎

僕がラヴェルやモーツァルトが好きだからといって、白人至上主義に組しているわけではないことを示すのが本稿の大きなテーマである。

ジョージ・フロイド事件は南北戦争以来くすぶっている米国の黒人差別問題がオバマ時代を経ても収まっていない現実を世界に知らしめ、社会問題として各地に伝播しつつあるが、実は多民族国家の米国だけの話ではなく、「多勢に無勢」が「いじめ」に発展するのは実は人間の万国共通の悲しい性(さが)であるというもっと根深い本質が背後にある。形を変えて大なり小なりどこの国にだってあることなのだ。わが国では古来より「長い物には巻かれろ」と教える。「長い物」に正義があるかどうか哲学的に論じようではないかということではなくて、単に少数派になるといじめにあうからやめとけという処世術だ。

「白人」という言葉は「東洋人」がそうであると同じほど曖昧であるので、ここでは「キリスト教徒である白人」と限定しよう。19世紀から現代に至るまでの2世紀をその白人が(他の白人の力も使いつつ)実質的に地球を支配したと考えるのは、事実か否かを問うのは困難としても否定してかかることも同じほど困難だから認めるしかない。その2世紀はアメリカ合衆国の台頭、隆盛の歴史とほぼ重なり、どの国であれそれ抜きに歴史の教科書が地球史として客観性を保つとは思えないという妥協でもある。しかし中世の暗黒時代の白人にはその片鱗すらないのは皆さまが世界史で学ばれた通りだ。高度に知的なギリシャ文明はアラビア語世界に知識、文献として保存されていたし、武力ではモンゴル人が戦火を交えた白人をことごとく殺戮してロシアを征服し現在のバルト三国の地域まで死の恐怖に陥れていた。古代に遡れば中国文明に羅針盤、紙、印刷術、火薬など現代文明の利器の源流があり、智においても力においても白人が絶対優位だなどという証拠はどこにもない。

ではなぜ今そうなっているかというと、ルネッサンス運動による哲学と科学の探求、それを個人にミクロ化することを可能にした市民革命、そしてそれらの最大の果実となった産業革命による資本の蓄積において未曾有の成功を遂げたからだ。それは疑う余地もなく人類史における白人の巨大な業績ではあるが、といってそれだけで永遠に優位で居続けることを保証する能力の優位性の証明にはならない。多くの白人は否定すると想像するが、その自意識に合理性がないことは上述のとおり歴史が証明しており、白人支配が続くことに正義を認めるのは白人だけである。ということは、後述するが、合理性、正義なき優越感は差別を生む元凶であるということを論理的に意味しており、彼らにとってジョージ・フロイド事件が不幸なアクシデントだったのは、それが満天下に証明されてしまい、世界の隅々に殺人場面までが放映され、格別の反差別主義者ではないが人道主義者だ平和主義者だという世界の広範な思想の人々をも動員してのムーヴメントに発展してしまう兆しになりかかったことだ。

ここで僕が歴史の視点を学んだ本をご紹介する(既読の方も多いだろう)。人類はひとつの生物種ホモ・サピエンスであるという歴史観から世界史を宇宙の創造からの地球史として書いたハーバート・ジョージ・ウェルズHerbert George Wells, 一般にはH.G.ウェルズ、1866 – 1946)のA Short History of the World (1922)(邦題『世界文化小史』、講談社学術文庫)である。一言で評するなら小説みたいに易しくエキサイティングな世界通史だ。我々が学校で教え込まれている民族や国家という視点が実は矮小であり、「日本は小さな島国」なる思い込みも自信の欠如も実はご無用であり、宗教がかった「世界国民」的思想ではなく、独善的利益追求のための醜怪なグローバリズムでもなく、ともすれば理論的な共産主義に近いがサイエンスに足場があることで同化はしない。ウェルズは英国人だが下層の出でオックスブリッジでも既得権益者でもなく、市民革命の恩恵で平等に得たサイエンスの知識でファクト(事実)に忠実に世界観を構築したと僕は想像する。

この書物が第1次世界大戦前に書かれなお命脈を保つばかりか新鮮ですらあることは、彼が1891年に四次元の世界について述べた論文『単一性の再発見』を上梓し、『タイム・マシン』を1895年に、『透明人間』を1897年、『宇宙戦争』を1898年に書いたSF小説の父であった豊かな想像力と無縁でないだろう。その視点は学問の府における歴史学の主流にはなっておらずこれで受験勉強することはあえてお勧めしないが、いずれ気づかれることだが、学校が教科書で教える世界観や知識は皆さんが現実の社会で生きていく羅針盤としては甚だ不十分なのである。歴史は人間が生存を希求した1万5千年余りの生々しい足跡であって、歴史学なる方法論だけで探れるものでなく、物理学、心理学、生物学、社会学、経済学、法学、医学、疫学、哲学、考古学、気象学、地質学、天文学、建築学、芸術、料理、軍事における戦略論、兵器の進化などを横断的に包括的に理解しないと全貌は到底理解も把握もできないことは留意されたい。

私事になるが僕が最も詳しい西洋史はクラシック音楽史だが、それとて作曲家の楽譜や手紙や文献だけをいくら研究しても全面的に「一面的」であり、例えば「モーツァルト家が借金まみれだが貧困ではなかった」証拠があるが音楽学者は合理的な説明を見つけていない。彼が戦時のオーストリア通貨の大インフレで「意図的にBSの負債勘定を増やす高レバレッジ戦略を採っていた」と僕が解釈するのは証券マンの眼で当然だよねとしか見えないからである。それが合理的なのだ。音楽学者に経済学や為替理論を学べという気はない。貧困に追い込まれて死を悟り悲愴なレクイエムを書いたという通説を否定しようと思えば職業的リスクの伴う人たちだから仕方ない。ましてモーツァルトは親父譲りで徹底して数字に細かく利に聡く、そもそもあの楽譜が書ける人がそんな馬鹿であるはずもないと主張すれば音楽学者という職業には就けないだろう。レクイエムを教科書通りに聞いて涙したい人の邪魔をする気はないが、都市伝説で自分史が塗りこめられたモーツァルトが気の毒だと同情するばかりだ。

歴史学を軽んじる不遜さは持ち合わせていないつもりだ。その学問ひとつをとっても人間が一生で習得できる時間はそれでいっぱいであり、上述のすべての学問の専門家であることは物理的に不可能だから横断的包括的アプローチは主流にはなり得ない。それだけだ。ただ我々は自分の学習と知恵でミッシングリンクを埋めていくことはできる。その日々の作業こそが「生きる」ということだし、そうして生きれば人生はいつも新鮮な発見に満ちているのだ。宇宙の創生から俯瞰すれば、自分という卑小な存在の生き様も人類史という壮大な大河ドラマもH.G.ウェルズ流に「理解」するのが自然と思うし、なにより素晴らしいのは、その視点に立ちさえすれば、誰もが、学校で赤点だろうが落ちこぼれようが、古めかしい学問という鎧をまとうことなく簡単に歴史を咀嚼して自分なりの歴史観、ひいては世界観、宇宙観を所有することができるということだ。

肌の色で能力が決まるわけでもなく人類史へのこれからの貢献には、人種によって参加資格を隔てる優劣があるとも思わない。

と僕が結論する勇気を持てるのは同書を楽しんで読めたからであり、そうであるならば、産業革命の余韻が終焉を迎えつつある21世紀初頭の今、もしかすると長く続いた白人優位は風前の灯火なのかもしれないという考えに、ヘーゲルのアウフヘーベンとして至ることも可能となる。ポスト・コロナは日本の時代などという卑小な手前味噌の話ではなく、5万年のホモ・サピエンス史のスコープで眺めてそう思えてしまう。進行しつつある米中のヘゲモニー闘争はその端緒かもしれないし、北朝鮮という人口2千5百万の貧しい東洋の小国が核保有しただけで覇権国アメリカと対等に渡り合い脅かしている情景は第2次大戦はおろかベトナム戦争時点でも想像できなかった。太平洋戦争時点で日本が核保有できていたという想像は、米国の核爆弾開発が同盟国ドイツから亡命した科学者に多くを負ったものであったことからして決して空想ではなく、白人の覇権というものがそう予定調和的でも盤石でもないことは明白だということだ。

すなわち、人種や国の優位性はその時々に変遷するもので、たまたま優位にある者が下位の者に懐く差別という感情には何ら合理性もなければ正義もないのである。まして自己の便益で奴隷として連れてきた人たちを200年もたってなお差別するような利己的で理性を欠く心性の者は、これから21世紀に生きていく人類が幸福に共存していく方向に逆行する人たちではないかと思う。人間や国家や条約や法律や規則の存在の合理性、正義というものは、個人でも一国でもない、ホモ・サピエンス全体の繁栄という視点でしかとらえられなくなるだろう。なぜなら我々はすでにポスト産業革命という新たな歴史の入り口にいるからだ。「合理性」と「正義」。このどちらも持ち合わせずに生きている者、いわば動物的な原理で動く者はものの必然として猿と変わらないという結論に達することを妨げないというのが僕の立場である。

駒場の教材だった「価値の社会学」(写真)は東大生になったと実感した難解さだったが、半分も理解できなかったものが今はわかる。名著であり娘に与えて読ませている。筆者、社会学者の作田啓一氏は後に我が国特有の「自虐史観」への対抗イデオロギーとして「侵略戦争の開始も含めて、何でもかんでも日本の戦前のあり方は正しかった、反省などする必要は全くないと主張する史観」を「自大史観」と呼んだが、「安倍晋三はこの史観を全面的に打ち出すイデオロギー内閣を作り出した」と第1次安倍政権時のご自身のブログに書かれている。第2次政権も作田氏の慧眼どおりに物事を進めているように思われる。ここでその是非は論じないが、そこに合理性と正義があるかどうかは皆様のお考えに委ねることにしたい。

差別者の発想のベースは、しかし、自大史観であろうと書いてもほぼ異論の余地はないだろう。そうでなければ他者を差別する自我に内的根拠がないことになるからである。どんな歴史観であれ100%合理的でないとまでは言い切れないが、それが正義か否かはいかなる文明においても不分明であるが故にどこでも差別は起こり得るのだ。長い物(強い者、戦争の勝者、ジャイアン)が歴史を書けるのは絶対的正義なるものは世のどこにも存在しないからで、宗教の戒律とて信者にとっては正義に近似的だが絶対普遍ではないから十字軍の虐殺は異教徒には正当化はされないし、原爆投下もしかりである。ジャイアン視点のドラえもんは書かれていないし、書いても共感されないだろうし、産業革命の余熱が冷める21世紀においては更にその傾向が強まるだろう。

私見では安倍政権が何をしようと国家の正義と合致し合法的であれば良しとするが、後者に該当しないと思われる事例が現れ(アンリ事件、検察官定年延長)、まして、国家の正義と政権の正義との乖離が客観的に観測され、政権がすべて正しく反省などする必要はまったくないという史観が暗にではあるが表明された時点において(男にはそれをやっちゃあお終いの一線がある)我が身の正義しか念頭にない政権として認識せざるを得なくなってしまった。このこと(国家正義に合致した正義のなさ)はノブレス・オブリージュが欠落しているということを自動的に意味し、貴族の資格のない者が貴族然と君臨している腐敗臭と不快感に富んだ印象を必然として与える。支持率低落の原因は、支持者だった穏健な保守層がその臭いの悪さを感じてのことだ。比較的アッパーなインテリであるこの層の去就が無党派浮動票の動静に影響力があることは2009年衆院選や都知事選の小池の乱で実証された。

ジョージ・フロイド事件が米国の極右、極左に利用され、暴徒が法を犯して更なる差別が助長される。それを連邦軍が武力で抑圧するのが正義ならトランプは習近平を批判できなくなる。政治の正義とはそれほど重たいものなのだ。その矛盾を解こうと聖書を持ち出したが、彼に宗教は似合わないばかりか選挙用パフォーマンスと見抜かれ、自由主義、共産主義を問わず長い物が正義という超イデオロギー的なガバナンス正当化ドクトリンにすがるしかない事においてはプーチンも金正恩も交えて似た者同士であることが露呈しつつある。彼らの視点はますます内政に向き、資本主義下ではせいぜい貧富の二極だった(それでもリーマン後の10余年で急速に進んで歪を生んだ)が、さらに変質して差別、被差別のニュアンスで二分される方向に行きかねない様相を呈してきたことを危惧するばかりだ。

皆さまが人種の壁の高さをどれほどご存知かはわからないが、16年海外でそれを俯瞰し体感した経験からするに、総じて日本人は性善説的であり害を及ぼさない限り外国人には優しい国民性だ。ただアジア人に対しては特別な感情があり、確たる理由なく日本人が上だという目線を持っている。明治時代の洋学修得と富国強兵の先行で国民がそう考えても仕方がない外形的実体があったことは事実だが、早い遅いと能力とは別個であり、目線の高さは遥かに度を越している。我が父親も世代一般程度にはその傾向はあり、僕もその影響と無縁に育ったわけではないが学問で理性は獲得できた。理由がないのだから自分は非合理であり、日本人が民族的に優位という考えを論拠とした正義は更に根拠がない、従ってそれで差別するなら俺は猿と変わらないと結論されることになり今はそうではなくなっている。

黒人(ケニア人)がルームメートだったことがある。一時のことで親しくつき合ったとまでは言えない。ありとあらゆることに驚いたが、KFCのチキンの食いっぷりは忘れない。白い大きな歯でかぶりつき、バキバキと骨ごと噛み砕き(その壮絶な音は今も耳に残る)、こっちが半分も終える前にショーみたいに数本の骨片が皿にきれいに並んだ。同じホモ・サピエンスといえ我々はあの野性を失って1万年はたつのだろうかとたじろぐ迫力であり、アフリカには棲めないと観念した瞬間だった。それでも我々は20万年前にアフリカにいた一人の女性(ミトコンドリア・イヴ)から地球上に生まれ、枝分かれして日本列島に来た者の子孫なのだ。科学がそう証言する以上日本が神話の説く特別な国ではなく、アジアの中で格別に神に愛でられ特別に優勢な遺伝子を持つこともなく、同胞への優位を示す上から目線には合理性も正義もないことを知るのである。

音楽の話に戻ろう。楽才はホモ・サピエンスだけが持っている才能の一部分である。白人の優位を否定してかかる僕の中でモーツァルトやラヴェルへの敬意も偏愛までもが解かれるかというと、それはない。その音楽に絶対普遍の価値があると思うことが必要十分条件で、そのことと彼らの肌の色や女癖やホモの性癖は何の関係もないという判断と一緒に白人優位否定は処理されるからだ。それは犯罪において「罪を憎んで人を憎まず」(罪刑法定主義)と同じ思想で「音楽を愛しても人は必ずしも愛さず」である。といって作曲家の属性を調べているのは人の脳への唯物論的関心からで、脳と曲との相関性の要因分析である。おそらく同系統の人たちがハイドンの遺体から頭部を盗みアインシュタインの脳を切り刻んだりしていたと想像するが僕は大学の法医学で見せられた変死体の写真で食事が困難になったからそっちへは行かなかった。

黒人が音楽でモーツァルトに劣るかというと、そればかりは何とも言えない。モーツァルトのような音楽を書き、演奏し、しかも彼に影響まで与えた黒人ジョゼフ・サン=ジョルジュがいたという雄弁な事実はこの稿にご紹介した。

クラシック徒然草《音楽家の二刀流》)

だからといって、彼がモーツァルト級の作曲家であったとは作品を聴く限り断言する自信はないが、古典派の時代でも肌の色が才能の優劣を決定的に左右したのではなかろうというぐらいは表明できると思う。それが200年の時を経てジャズの時代ならどうか?今度は逆にモーツァルトが モントルー・ジャズ・フェスティバルでピアノ即興できますかという問いになる。

どちらも故人となったが、マッコイ・タイナーとボビー・ハッチャーソン(ヴィブラフォン奏者)のビデオをぜひご覧いただきたい。

このドイツでのライブ演奏会の楽興に、ジャズ好きであろうとなかろうと、二人の巨匠の尋常でない能力を否定できる人はいないだろう。ご両人とも「象牙の塔」仕込みでない叩き上げで、どうやってこの破格の作曲、演奏能力を身につけたかは謎だ。モーツァルトのそれは父親仕込みだが「学校は秀才を作るが天才は作れない」を地で行っている事に関して3人は同等に思える。もしも、この1時間22分の「JazzBaltica 2002」のチケットとウィーン国立歌劇場のドン・ジョバンニのチケットと、どっちかひとつあげるよといわれたら僕は真剣に迷う。

 

 

 

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オモロい人たち

2018 OCT 11 6:06:10 am by 東 賢太郎

大阪で仕事したころ、「あんたオモロいやっちゃ」といわれてそうかなあとけっこう戸惑った。これが「面白い人」ではないと知るにはしばらくかかる。それは関西弁でしか表せないニュアンスだからで、東京にはそういう表現がない。

面白いはfunnyである東京人はそういわれるのは面白くないが関西でオモロいはinterestingであって悪い意味とは限らない。東京ではしかしそれを訳すと「あなたは興味深い人ですね」みたいになって、これはこれで上から目線の感じで余計なお世話だとなるからややこしい。英国でWhat you said is interesting.なら言えるがYou are interesting.は失礼感があるように思え、言ったことも言われたこともない(アメリカは知らない、トランプは言いそうだ)。

つまり、You are interesting.を好意、親愛の表現で言ってしまう関西は特別な場所かもしれない。土足で踏み込む感はあるが人のぬくもりもある。いや、それをぬくもりと思うのが関西だと東京人の僕は思った。

しかし最近、東京にだって昔からオモロい人はたくさんいるのだけれども、その人たちをオモロい人と思う人があんまりいないだけなのではないかと思うようになった。つまり「オモロい」という概念は受容する側の問題だと。

僕はこの「オモロい」こそが人間の人間たるゆえんであって、ちょっと大げさに言えば人類を進化させる原動力ぐらいに思っている。オモロい人がいくら周囲にいても、彼らを受容するカルチャーがなければ宝の持ち腐れになってしまう。

中学に丸山鉄男というオモロい奴がいた。こいつのオモロさを凌駕する人間はいまだに現れていない。図抜けて天才の域にあり授業中に隣りで悪ふざけして笑いをこらえるのに死ぬほど苦労した。早稲田高等学院に入ったが馬鹿なことに大学でサーフィンであの世に行った。でもあれ僕の中で生きているからいい。

オモロい」は東京にいると、どうも錆びついて見えなくなってくる気がする。大阪やアメリカや香港にいたときは僕の「オモロいセンサー」はもっと感度が良かった。そう思いだしたので最近はつとめて知らない世界の人と会って話している、というか、話し込んでいる。思ったらすぐに何か手を打たないと鈍る一方で僕にはあらゆる意味でよくないからだ。

ネクサスの動画に出演してくれた90人の若者たちは宝庫だ。彼らはみんな熱中型人間で飯食うのも忘れて何かに没頭するタイプだ。それでその世界で凄いと言われハングリー精神に満ち満ちている。こういう人は強い「気」を発してる。動画でそのシャワーを日々浴びていると僕は元気をもらえる。

だがもらうだけじゃあいけない、発見がしたい。例えばそのひとりのサムライの島口氏は海外でひっぱりだこである。欧州ツアーで飛び回って帰国したから報告したいとほんの少しの時間なのにわざわざ来てくれる。そこまでウケるには、まだ僕の気づいてない才能がこの人にはある。あるはずだ。そう思ってそれを知りたくて興味津々だ。

会社を2つ作って50億円もってる38才にもきのうお会いした。初対面でありオモロそうだと聞きつけて来てくださったようだが、こっちは商売より彼のオモロさがどこにあるのかが大事だ。それがなければそんなカネが作れるはずがないからだ。

深く井戸を掘りました。頭悪いんであれこれできなかったんで」

「いや50億作った人が頭いいのが資本主義だよ」

そんなことを2時間話し込んで、ビジネスについてはよくわからなかったがオモロい人だった。株の話はほとんどせず、ゴルフのベスグロ75で同じだね、でもジョン・レノンの最高傑作はアイアム・ザ・ウォルラスじゃねえかなというところで意見が合致して終わった。

元ロッテのサブローこと大村三郎氏にはときどき最近のプロ野球界のもろもろを教えてもらう。彼は巨人もいたしオモロい。なーるほど、人間だからどこも一緒だよな。そういうの勉強したいって、じゃあ司馬遷の史記だねオモロいよ。彼は即決のスナイパーだ、すぐ読了するだろう。

たしかPWCのレポートに、2030年にAI革命が進んでいて、世界で最も危ない国は日本であり、62%の人が職を失うとあった。ブルーワーカーだけではない、銀行員や公認会計士もだ。でも人を感動させる職業は残るとある。要は「オモロいやっちゃ」になればいい、そういうことなんじゃないか?

 

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フォーレ「マスクとベルガマスク」作品112

2018 FEB 3 13:13:01 pm by 東 賢太郎

僕は料理と音楽は本来がローカルなものと思っている。ブイヤベースはマルセイユで、チョリソはマドリッドで、ボッタルガはサルジニア島で、麻婆豆腐は重慶で、天九翅・腸粉は廣州で、ビャンビャン麵は陝西省で、カルボナーラはローマで、グラーシュはブダペストで、鮒鮨は湖東で、真正に美味なものをいただいてしまうともういけない。腸粉とはワンタンの春巻きみたいな飲茶の一品で下世話な食だから東京の広東料理店で出てこないが非常にうまい。

チャイニーズは地球上最上級の美味の一部と確信するが、中華料理などというものはない。地球儀の目線で大まかに括ればユーラシア大陸の北東部の料理という程度のもので、同じ目線でヨーロッパ料理と括っても何の意味も持たない。少し狭めて北京料理はどうかというと、内陸だから良好な食材はない。ダックは南京からサソリは砂漠からくる。貴族がいるから美味が集まった宮廷料理であって、我が国の京料理と称されるものの類似品だ。

中華といわれるのは八大菜系(八大中華料理)の総称で、八大をたぐっていけば各地のローカル料理に行きつく。それを一次加工品とするなら京料理や北京料理は二次加工品であって、大雑把に言うならヨーロッパ料理のなかでルイ王朝の宮廷料理として確立したフランス料理はイタリア料理を一次加工品とする二次加工品だ。少なくとも僕の知るイタリア人はそう思っているし歴史的にはそれが真相だが、パリジャンは麺をフォークに巻いて食うなど未開人と思っている。畢竟、始祖と文明とどっちが偉いかという不毛の戦いになるが、イタリア料理と僕らが呼ぶものが実は中華料理と同様のものだとなった時点でその議論も枝葉末節だねの一声をあげた人に軍配が上がってしまうのだ。

インドカレー伝(リジー・コリンガム著、河出文庫)を読むと、インドにカレーなどという料理はなく、それは英国(正確にはロンドン)のインド風(起源)料理(二次加工品)の総称であり「400年にわたる異文化の衝突が生んだ(同書)」ものとわかる。食文化というものはローカルな味の集大成であって、その進化は富と権力の集まる都市でおこるとは言えるのだろう。しかし、世界有数の都市である東京に洗練された食文化はきっとあるのだろうがそこで育った僕が山形の酒田で漁師料理を食ってみて、長年にわたって刺身だと思ってきたあれはなんだったんだと軽い衝撃を覚えるわけだ。

海外で16年暮らしていろんなものを食べ歩き、食を通じて経験的に思うことは、文化というものはなんであれローカルな根っこがあってそこまで因数分解して微視的に見たほうが面白いということだ。美しいとまでいうべきかどうかは自信がないが、素数が美しい、つまり同じ数字だけど「100,000」より「3」が好きだと感じる人はそれもわかってくださるかもしれない。素数が 1 と自分自身でしか割れないように、刺身は割れない。一次加工されていても大きな素数、23、109、587の感じがする鰹昆布ダシ、魚醤のようなものがある。割れないものは犯しがたい美と威厳を感じる。

咸臨丸で来たちょんまげに刀の侍一行の隊列を初めて目にした当時のサンフランシスコの新聞がparade with dignityと賞賛しているのはそれ、割れない美と威厳だったろう。いつの間にかそれがカメラと眼鏡がトレードマークのあの姿に貶められてしまうのは相手のせいばかりではない、敗戦を経て我々日本人が信託統治の屈辱の中、割れてしまった。アメリカに尻尾を振ってちゃらちゃらした米語を振り回して仲間に入れてもらって格上の日本人になったと思っている、そういうのは米国人でなくても猿の一種としか見ないのであって、dignityなる語感とは最遠に位置するものでしかない。

音文化である音楽というものにもそれがある。ガムランにドビッシーが見たものは「割れない美と威厳」だと僕は思っている。ワーグナーがトリスタンでしたことは「富と権力の集まる都市でのローカルな味の集大成と進化」であって、ドビッシーはそこで起きた和声の化学変化に強く反応し、やがて否定した。彼は素数でない領域で肥大した巨大数を汚いと感じたに違いない。だからガムランに影響されたのだ。音彩を真似たのではない、本質的影響を受けた。ワーグナーやブラームスやシェーンベルクにあり得ないことで、この議論は食文化の話と深く通じている。

先週行ったサンフランシスコのサウサリート ( Sausalito、写真 )がどこかコート・ダ・ジュールを思わせた。モナコ、カンヌ、ニースの都会の華やぎはなくずっと素朴で質素なものだけれど、なにせ暫くああいう洒落た海辺の街にご無沙汰している。

どこからかこの音楽がおりてきた。ガブリエル・フォーレの『マスクとベルガマスク』(Masques et Bergamasques)作品11274才と晩年のフォーレは旧作を大部分に用いたが、後に作品番号を持つ旧作を除いた「序曲」「メヌエット」「ガヴォット」および「パストラール」の4曲を抜き出して管弦楽組曲に編曲している。

第3曲「ガヴォット」および第4曲「パストラール」はその昔、学生時分に、何だったかは忘れたがFM放送番組のオープニングかエンディングに使われていて、僕の世代ならああ聞いたことあると懐かしい方も多いのでは。当時、憧れていたのはどういうわけかローマであり地中海だった。クラシック音楽を西欧の窓口として聴いていたのだから、そういう回路で番組テーマ曲が思慕するコート・ダ・ジュールに結びついて、記憶の番地がそこになってしまったのだと思うが、しかし、ずっとあとで知ったことだが、この作品はモナコ大公アルベール1世の依頼で1919年に作曲され、モンテカルロで初演された生粋のコート・ダ・ジュール産なのだ。

地中海、コート・ダ・ジュールにはマルセイユ、ニース、モンテカルロにオーケストラがあるが、カンヌのクロード・ドビッシー劇場を本拠地とするL’Orchestre régional de Cannes-Provence-Alpes-Côte d’Azur(レジョン・ド・カンヌ・プロヴァンス・アルプ・コートダジュール管弦楽団 )のCD(右)をロンドンで見つけた時、僕の脳内では音文化は食文化と合体してガチャンという音を発してごしゃごしゃになり、微視的かつマニアックな喜びに満ちあふれた。

ここに聴くフィリップ・ベンダーという指揮者は2013年に引退したそうだがカンヌのコート・ダ・ジュール管弦楽団(なんてローカルだ!)を率いていい味を出している腕の良い職人ではないか。田舎のオケだと馬鹿にするなかれ、僕はこのCDに勝るこの曲の演奏を聴いたことがない。第4曲「パストラール」は74才のフォーレが書いた最高級の傑作でこの曲集で唯一のオリジナル曲だ。パステル画のように淡い色彩、うつろう和声はどきりとするほど遠くに行くが、ふらふらする心のひだに寄り添いながら古雅の域をはみださない。クラシックが精神の漢方薬とするならこれは鎮静剤の最右翼だ。この節度がフォーレの素数美なのであって、ここに踏みとどまることを許されない時代に生まれたドビッシーとラヴェルは違う方向に旅立っていったのである。

こう言っては身もふたもないが、こういう曲をシカゴ響やN響がやって何の意味があろう。ロックは英語じゃなきゃサマにならないがクラシック音楽まで英語世界のリベラリズムで席巻するのは勘弁してほしい。食文化でそれが起きないのは英米の食い物がまずいからだと思っていたが、音楽だって英米産はマイナーなのだから不思議なことだ。これは差別ではないし帝国主義でも卑屈な西洋礼賛とも程遠い、逆に民族主義愛好論であって、文在寅政権が危ないと思っているからといってソウルの土俗村のサムゲタンが嫌いになるわけでもない。なんでもできると過信した薩摩藩主・島津斉彬が昆布の養殖だけはできなかったぐらい自然に根差したことだと僕は思っている。

じゃあN響はどうすればいいんだといわれようが、それは聴衆の嗜好が決めること。僕のそれが変わるとは思えないが多数の人がそれでいいと思うならフランスから名人指揮者を呼んできて振ってもらえばいい。相撲はガチンコでなくていい、場所数が多いのだからそれでは力士の体がもたないだろう。だから少々八百長があっても喜んで観ようじゃないかというファンが多ければ日本相撲協会は現状のままで生きていけるが、オーケストラも相撲と同じ興業なんだとなれば僕は退散するしかない。音楽は民衆のものだが、お高く留まる気はないがクラシックと呼ばれるに至っているもののお味を民衆が楽しめるかどうかとなると否定的だ。相撲が大衆芸能であるなら一線が画されてしまう。「割れない美と威厳」を感じるのは無理だからだ。

余談だがシャルル・デュトワがMee tooでやられてしまったときいて少なからずショックを受けている。訴えが事実なら現代の社会正義上同情の余地はないが、日本で聴いた空前絶後のペレアスを振った人という事実がそれで消えることもない。日本のオケでああいうことのできる現存人類の中で数人もいない人だ、日馬富士が消えるのとマグニチュードが違うといいたいがそう思う人は少数なんだろう。エンガチョ切ったの呼び屋のMee tooが始まればクラシック界を撃沈するムーヴメントになるだろう。いいシェフといい楽士は貴族が囲っていた、やっぱり歴史には一理あるのかもしれない。

上掲のフィリップ・ベンダー指揮レジョン・ド・カンヌ・プロヴァンス・アルプ・コートダジュール管弦楽団のCDからフォーレ「マスクとベルガマスク」作品112を、ご当地カンヌの写真といっしょにお楽しみください。

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宵越しの金をもたねぇのが江戸っ子ってもんで、、、

2015 NOV 15 0:00:21 am by 東 賢太郎

娘(次女)が観てみたいと言うので歌舞伎座へ連れて行きました。11時の昼の部を一階の東桟敷席で。演目は「実盛物語」、「若き日の信長」、「曽我綉俠御所染」でありました。

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この演目は席がたまたま空いていただけで選んだわけではありませんが「実盛物語」は琵琶湖、竹生島が舞台であり、「若き日の信長」は平手政秀の切腹にまつわる話。今年行ってみたり多大な関心を寄せたりの題材であり、なにやら浅からぬ因縁か・・・。実盛は染五郎、信長は海老蔵でした。海老蔵の「人間五十年…」は良かった。彼が声がいい。信長の雰囲気が見事に出てましたね。

「信長の血脈」余談ですが、信長の傅役(もりやく)であった平手政秀は若殿のうつけを諌めて腹を切ったことになってますが、加藤廣著「信長の血脈」(文春文庫)にある「平手政秀の証」は別の説で書かれています。これが非常に面白い。

父、織田信秀の死は公表されず、長子信行を後継者と仕組む母、土田御前によって葬儀は3年後に信長の不在のすきをぬって行われた。例の「焼香事件」は、怒りに燃えた信長が抹香を父の位牌ではなく母と信行に投げつけたものとするのです。

大うつけは敵はもちろん親族にも殺されかねなかった信長がわざと阿呆を演じたものであり、信秀亡き後のお家の混乱と今川の脅威を食い止められるのは吉法師(信長)しかないと信じる政秀は信秀の遺志は信長にあり「天地神明」に誓うと遺書を残して腹を切ったというものです。僕はこの説を支持したいと思います。

最後の「曽我綉俠御所染」は物語としては地味ですが江戸・吉原の習俗が見てとれ、尾上菊五郎、左団次も歌舞伎の名場面、名せりふが圧巻でございました。お昼の部ははねるのが4時ごろだからたっぷり5時間、弁当を食いながらの桟敷席は値はやや張るがおすすめです。

さて、たいそう面白く満足したし、お土産の吉田茂御用達まんじゅうも買ったし雨でもあるし帰ろうかと思ったのですが、娘が時間があると言うのでじゃあついでに江戸文化のハシゴで寄席でもどうだ、いいねとなりました。歌舞伎も寄席も初めてだからというのはあるのだろうが、このエネルギーと好奇心は大変よろしい。つきあおう。

丸ノ内線で新宿三丁目へ。新宿は伊勢丹裏の「末廣亭」でございました。ちょうど5時の夜の部が始まったところで具合がいい。

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9時まで楽しんでしまいました。全部楽しめましたがお仲入り後のは特に傑作で丈二、小ゑん、白鳥は真剣に笑いころげました。こりゃあストレス解消には最高。昼から通しで3千円は安い。おすすめです。

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この江戸情緒、好きですねえ、たまんねえでやんす。歌舞伎5時間、寄席4時間、宵越しの金をもたねぇのが江戸っ子っていうもんでございまして、、、、、

 

 

 

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坂東玉三郎、片岡仁左衛門を堪能

わかる奴が大事

 

信長、曹操好き狩猟民のすすめ

 

 

 

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嬉野温泉スパイ事件の謎

2015 SEP 13 22:22:57 pm by 東 賢太郎

先週末は雨とコンサートでジョギングできませんでした。2週空いてはまずいので今日はまた二子まで10km。けっこう調子が良くてついに初めて1時間を切りました(57分)。

阿曾さんたちにそれならハーフマラソンはいけるいけるとけしかけられたのと、もう一つ佐賀の嬉野温泉へ行った時に按摩(あんま)さんに「筋肉は50才ぐらい」とおだてられたのが効いてますね、たぶん。

この嬉野(うれしの)という所は福岡空港からだと高速バス(九州号長崎行き)で諫早方面に1時間半ほどです。地図で見るほど遠い感じはしません。福岡空港発11:02に乗って筑紫平野を下り、筑紫野、基山を通って12:36に嬉野バスセンターで降ります。

「まめ多」の降旗女将にいい旅館があるよと教わっていて、昭和天皇が泊まった和多屋というのですがそれは満員でした。そこで和楽園さんという旅館に1泊しましたが良かったです。

湯質は無色透明ながらぬめりがあります。傷を負った鶴がこの温泉で治るのを見た神功皇后が「あなうれしや」といったのが名称の語源だそうだから、日本書紀の時代から知られていたということです。和銅七年(714年)に記された肥前国風土記に名前が出てくるそうです。

「シーボルトの湯」というのがあります。

 

シーボルト_川原慶賀筆フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796年 – 1866年)がここに長崎から何度か来ていた。彼はオランダ人と偽って出島に入ったがドイツ人であり、出身地はヴュルツブルグです。思えば僕はフランクフルト駐在当時、友人とよく車でヴュルツブルグの劇場にオペラを聴きに行ってました。

フランクフルトを流れるマイン川は、ワーグナーの聖地バイロイトあたりに源流を発して、長躯バンベルグ、ヴュルツブルグを流れてフランクフルト・アム・マインに来ます。そしてマインツでライン川に合流するのです。そういえばシーボルトの従兄弟の娘に当たるアガーテ・フォン・ジーボルト(1835年 – 1909年)は、あのブラームスの婚約者であったっけ!

 

どんどんパズルのピースがつながっていきます。

 

あそこから長崎に、そしてこの嬉野温泉に来ていた。彼はプロイセンのスパイだったという説もあり、幕府禁制の日本地図を持ち出そうとしたことで国外追放処分となるのです(1828年、シーボルト事件)。このとき、丸山町遊女であった瀧との間に生まれた娘(日本人女性で初の産科医となった楠本イネ)を残して去ったのはどこか「蝶々夫人」を思わせます。

イネは大村益次郎に恋した人であり、京都で襲撃された彼を看護しその最期を看取っている(司馬遼太郎「花神」)、また、吉村昭の「ふぉん・しいほるとの娘」の主人公にもなっています。彼女の美しい娘が宇宙戦艦ヤマトのスターシャのモデルらしいというのも知りませんでした。

そこで、もうひとつ、思い出した。「シーボルトの湯」の目の前の橋のたもとにあった「大村屋」という旅館の跡に、こういう来歴が書いてあって、なんとなく写真を撮っていたのです。

 

伊能忠敬!!

そうか、幕府禁制の日本地図を役人の目が光る長崎・出島で受け取るのはあまりに危険である。温泉で湯治すると偽装して、ここで入手したんじゃないか??

 

まあ大昔の犯罪だしもうどーでもいいですけどね。

このことは実はさっき気がついたんで、当日は中村兄と来ていたんですが仕事で疲れてぼーっとしていて、名物の豆腐を食べてなんにも考えてませんでした・・・。母方の出身地が諫早なもんで、どのへんかなと旅館で尋ねたら、車で30分ですよ近いですよなんてことも知った。

ぎすぎすした東京からくると、人当たりがやわらかくてどこかほっこりしてて、安らぎました。いいところでした。また行くことになると思います。

 

(追記)

嬉野で撮った一枚に故・中村兄の後姿があった。昨日のことのようだ。

 

(こちらへどうぞ)

あれからもう一年か・・・

わが温泉考 (Splendid hot springs in Japan !)

戦争の謝罪をすべし、ただし日本史を広めるべし(追記あり)

 

 

 

 

 

 

 

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織田信長の謎(3)-「信長脳」という発想に共感-

2015 AUG 28 23:23:08 pm by 東 賢太郎

昨日のブログにこう書きながら、どうしてそうなったんだろうと考えてました。

「自分の御しがたい性格であるのですが、終わったことに執着がないというのが良くも悪くもございます。昨日はもう今日に関係ないのであって、簡単に忘れてしまいます。もちろん事実としての記憶はありますが、そこでの感情を引きずらないという意味ではプラスであり、その感情の発展を期待して下さった人には期待に添えないかもしれないという意味ではマイナスであります。」

おいおい信用できん奴だなと思われても仕方ないし、子供のころは決してそんなことはなかったように思うのです。むしろ昨日をひきずって悩んだりする子でした。

おそらく、①野球をして育った ②野村證券で育った、という決定的な2大要因があって「戦場脳」が後天的にできてしまったのだと思います。①も②も毎日の数字で勝ち負けが出る世界でした。勝負だから勝たないと意味がないという意味で戦場であり、戦場は常にサドンデス(負け=死)です。昨日大勝しても今しくじって負けたら終わりであり、昨日を引きずって悲観したり油断したりする者はだから弱いのです。

武士、武将がみな戦場脳が強かったかというと、たぶん太平の世になった江戸時代は違うのではないか。真剣で切り合いをしていた薩摩侍は、忠臣蔵が美談になってしまうほど殺し合いのない江戸を、そしてそんな江戸が武士道の鏡と讃える忠臣蔵を嘲笑していたそうです。たしかに、負け=一族の死という強烈なストレスとプレッシャーの中に生きていないと、日々の積み重ねで生きる農耕民族に戦場脳は発達する余地は少ないでしょう。

日本の経営者には「軸がぶれませんね」が誉め言葉です。僕はそれを言われたら不本意です。それは農耕民の価値観であって戦場ではナンセンスであり、それを喜ぶのは戦さをしていない証拠なのです。負けたら死ぬという時に軸もへったくれもないのであって、越前 朝倉攻めで信長は作戦失敗、ケツをまくって逃げ帰ってます。野球で「監督、軸がぶれませんね」は「ベンチに策がない」と同義だろうし、欧米の経営者にYour decision is always stable.なんて言うとinflexible(変えられん無能)の皮肉ととる人もいそうです。その心配が皆無である日本の経営者はすぐれて農耕民です。

僕は企業経営は朝令暮改あたりまえと思ってるし、まして朝でなく昨日のことなら改めようが何しようが是非を問うべくもなしです。昨日上がった株が今日も上がる保証なんてどこにもない世界で軸をぶらさずに今日も買いましょうなんて、すっ高値をつかんで即死するかもしれません。負けと思ったらすぐ売って逃げる。戦国武将の思考こそが自然であり現実的と思われます。

「おいおい信用できん奴だな」という不信任は困るのですが「会社をつぶす不信任」とは別格のものであって、僕は会社をつぶさないためだったらそれ以外のどんな不名誉でも不信任でも甘んじます。小さくても会社を持つとはそういう覚悟をするということであって、大名や武将が家を守るのと同じと思います。お取り潰しさえ免れればという江戸時代の大名ではなく、僕ら新興の中小企業は圧倒的に戦国大名に近い。①②のおかげでそれが楽しめてしまう、そういう性格になっていたことは有難いことです。

51Ld6Q-BbML__SX331_BO1,204,203,200_明智憲三郎氏のこの本を読んではたと気づきました。彼は「信長脳」「信秀脳」なる言葉を使っておられますが、戦国武将が「戦場脳」の持ち主だったのはあまりに当たり前であって、本能寺で信長に油断があったとか、光秀がいじめられて逆ギレしたなんてことはあり得ないと指摘しておられます。まったくそのとおりと思います。

戦場脳のない学者や小説家が書くからそういうことになるとの趣旨の指摘もされています。野球をしたことのない観衆や記者が今日の原監督の采配はどうだこうだと言ったり書いたりする、あれとまったく同じであって、僕らはそれを「歴史」として読まされ習ってきたと思います。的外れなことでしょう。

5_a明智氏が「桶狭間の勝利は幸運の結果ではなく奇襲でもなく、考え抜かれた合理的な勝つための戦法による」と看破され、実証的に戦さの実況中継風に解説されていますが、非常に腑に落ちる説明です。それが孫子をはじめとする兵法書の知識の実践であったのであり、信長に限らず戦国武将は中国古典に精通していたということもまた納得です。信長が描かせた安土城の天主の絵(右上は内藤昌氏の説に基づく復元、「安土城天主 信長の館」HPより)が中国故事のオンパレードだったのもうなずけます。

「軍人」「武士」の思考回路や瞬時の判断は、同じ思考回路を持つ脳をつくりあげないと直感すらできないと僕も思うのです。例えば野球でも、あほらしい質問を選手にするアナウンサーが大勢います。「今日のホームラン、感触はいかがでしたか?」と聞かれ、困った選手が「最高でーす!」と叫ぶ。感触が残らないのが「いい当たり」なのは硬式野球経験者には常識ですが、やったことのない人にはわからないのです。歴史でもそういうプロセスが積み重なって、戦場脳のない人の手によってやがて「信長はそこで快哉を叫んだのである」という小説ができあがる、そんな感じでしょう。娯楽ならいいが教科書はそれではまずいと思うのです。

800px-Minamoto_no_Yoshitsune実は前掲書は読んでいる途中で阿曽さんのところで歴女ですという子にさしあげてしまいました。歴女は大変いいことですね、カープ女子みたいなもんかもしれないが、女子だって北条政子がいましたからね。政子でいえばちなみに、僕は頼朝の政治力、リスク管理力は買うが大将の器としては低評価です。政子の尻に敷かれた感じであるのも嫌だが、僕はなんといっても義経が好きなのです。史実とされ語られている一ノ谷、屋島、壇ノ浦などの戦績が本当であるならば彼の軍功はすばらしく、信長同等の天才かもしれないと思います。

でも結局、その義経も殺されてしまう。戦場脳が図抜けて優秀であるがゆえに、それに劣り、部下として使いこなす才覚も能力もない兄貴が恐れて殺した。こういう小心無能な上司はいたるところにいます。いっぽうで信長の「唐入り構想」は彼みたいなグローバルな戦場脳のない部下には皆目理解できず、本能寺というクーデターの引き金となった。こういう危険な部下もいたるところにいるのです。戦場脳の最大の弱点は、「身内が敵かもしれない」というパラメーターが欠落すると、緻密であるがゆえにかえって無防備になってやられてしまうことである。これは学ばなくてはいけないことです。

歴史はいま戦場を生きている者にとって最高の羅針盤であると僕は確信いたします。会社を成長させるためのビジネススクールの教材と考えてます。孫子の兵法も机上の空論でなく歴史と実戦に学んで作られたに違いなく、だから価値が失せないのです。小説や評論は暇つぶしにはいいですが落語や漫談と同じく実用性はありません。僕は歴史をアミューズメントとして知る関心はなく暇もないので、したがって小説はあまり読みません。最高の教材は現場にあるはずです。だから安土城、長浜城のあった場所に行き、そこいらじゅうを歩き回りました。信長、秀吉の史上最高度の戦場脳を自分の脳でトレースしてみたいという欲求が断ち切れなくなったのです。

 

(こちらへどうぞ)

織田信長の謎(4)-女房衆皆殺しの件-

歴女の「うつけもの」人気の謎

 

 

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織田信長の謎(2)ー「本能寺の変431年目の真実」の衝撃ー

2015 AUG 20 23:23:57 pm by 東 賢太郎

AがBを殺そうと周到に準備した殺人計画があった。計画のシナリオが進行中にAの共犯者Cが裏切ってAを殺してしまった。殺す予定だったBは事前にCから計画を聞いて共謀しており、Aはそれを知らなかった。B,Cは殺人計画も共謀の事実も闇に葬ったため、「周到な準備」が殺人現場に不可解な謎として残ったのである。

この筋書きでエラリー・クイーンなら一級品のミステリーを書いてくれそうな気がする。

今回の出張で本能寺に行ってみようと思ったのはそれに関係があることは後述する。中学の修学旅行で泊まった聖護院御殿荘という旅館名だけ何故か覚えているが、部屋で相撲をとったことと本能寺を見たことしか記憶がない。しかしその本能寺は秀吉の命で移築されたもので、あの事件の起きた場所ではないことを後で知った。僕の史跡好きは土地、地面に根差している。それが本能寺で在る無いではなく、その事件が起きた場所でないと欲求を満たすものではない。

それは何のことはない、こんな場所だった。

honnnouji路標には「此附近 本能寺跡」と書いてある。「本能寺跡」ではなくて、「このへんが本能寺の跡」である。「信長はこの辺にいた」まで明らかにしたい僕としては大変に生ぬるいが仕方ない。

この道(蛸薬師通)を右に油小路通まで行くとこれがある。これが「本能寺跡」だそうだが、「このへん」と「ここ」が両立している先の路標との整合性がまったくわからない。わからんならわからんとしてくれた方が正確な情報というものだ。

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織田家の嫡男で信長の後継者と目された織田信忠は、走れば5,6分の距離である妙覚寺にいた。信長と同様に、これまた無防備であり、父子ともにこの襲撃を想像だにしていなかったように見える。地図の左下黒丸が本能寺、右上が妙覚寺であり、光秀軍はこの間を疾風怒濤の如く走ったのだ。

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もちろん僕はこの2点間を明智軍の気持ちになって歩いた。信忠が逃げ込んで切腹した場所は二条新御所で、この京都国際マンガミュージアムの裏手あたりだ。

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なぜ天下人目前の権力者信長はまったく無防備の少数の手勢でここにおり、いとも簡単に光秀の手にかかってしまったのか?修学旅行でそう話を聞いて、その場で変だなと思って、今は亡き親友の丸山に「おい、本能寺って、変だよな」とまじめに言ったら、冗談と思った奴が「バーカ」と返した。それ以来、長年にわたって僕の中でくすぶる謎であったのだ。

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その謎を快刀乱麻で解いてくれた本こそ、光秀の末裔、明智憲三郎氏の「本能寺の変 431年目の真実」(文芸社文庫)である。信長はこの日、本能寺の茶会に堺にいる家康を招き、光秀に命じて家康を討たせる手配をしていた。家康に不信感をいだかせぬための意図した無防備だったのだ。

 

 

もういちど冒頭の太字に戻る。A=信長、B=家康、C=光秀であるというのがこの本の示す「解」だ。そうした試みは過去にいくらもあるが、この説がパワフルなのは、殺人現場に残っていた不可解な謎はもちろん、本能寺の変に関して我々が謎と思っていたこと、軽すぎる光秀の動機、速すぎる秀吉の中国大返し、話がうますぎる家康の伊賀越えなどが腑に落ちるように見事に説明できてしまうことだ。

明智氏(以下、光秀ではなく憲三郎氏)の方法論は僕がこのブログで説明した帰納法(厳密にはアブダクション)、つまり「もしAならBがうまく説明できる」というものだ。

NHKスペシャル「STAP細胞不正の深層」の感想

明智氏はご先祖光秀にきせられた「利己的動機による信長殺害の単独犯」という汚名を科学的な方法でそそぐことにほぼ成功されているように思う。氏が「三面記事史観」として否定しようと試みておられるものは、僕のブログの「トンデモ演繹法」のことであり、この方が論理学的には正確だ(三面記事が間違っているとは限らないので)。

ブログでは、

僕は「刑事コロンボ」が好きだが彼の方法はアブダクションだから物証がないと逮捕できない。それがない場合が面白い。アブダクションで得た結論Bを正しいと仮定して今度は華麗に演繹法に転じてみせ、犯人にカマをかけて尻尾をつかむ。だめを押すのは物証か演繹なのだ。

と書いた。氏の試みを「ほぼ成功」と書かせていただいたのは、物証か演繹がないと成功とは言えないからだ。論理的に、誰が何と言おうと、そうなのだ。しかし、秀吉、家康によって完全犯罪に仕立てられてしまったため物証は永遠に失われたものの、氏は文献を丹念にあたられて演繹に近い解釈を(まだ解釈ではあるが)提示している。僕はその文献の正誤や新解釈の適合性を判定できないので「ほぼ」がはずれることはないが、それでも、心象としてはかなりゼロに近い。

それは氏の①事実(fact)に対する謙虚な姿勢と、②それを証明するフレームワークとなる上記の論法の適切さによる。つまり、テーマに向き合うスタンスが「理系的」なのである。僕は歴史本が好きでたくさん読んでいるが、①②が弱いため科学的でなく、数学で頭を鍛えた人の論証ではなく、馬鹿らしくなって途中で捨ててしまうものが多い。要は文系的なのである。そんな程度の物証や論考でよくそこまで言ってしまいますねという体のものが多く、学術的なものでも小説や講談とかわらんという印象を持つことが多い。歴史が文系だなどとアホなことを誰が決めたのだろう。

明智氏のこの本にはそれがなく、そういう低次元のものは排すべきという氏のインテリジェンスが基本スタンスとして全書を貫いており、説得力を獲得している。僕は歴史ファン、信長好きとして楽しんだが、上質のミステリーでもあった。名探偵が「真犯人はあなたです」と真相の解明があって、なるほど!と膝を打った時のような快感を覚えたという意味で。学生さんには歴史本としてはもちろん、物事を論証し、説得力を獲得するための広く応用可能な教科書としてこれを一読されることを強くお薦めしたい。

本能寺の変ばかりか、氏の仮説は秀吉の治世以後の日本史にも強力な説明力を有するのであり、物証が葬られ、あるいは意図的に捏造までされた中で、客観的な視点からの説明力の優劣を問うならば、これは他のいかなる仮説をも凌駕するものであると思料する。仮説(しかもはるかに説明力に劣る)を真相として書いてしまっている日本史の教科書は改められるべきではないか。少なくとも僕は今後、氏の史観を座標軸として、本能寺以後の日本史観を根底から覆そうと思う。真実とは「それらしく見える」ではなく、「そうでなくては説明できない」所に存在する。それが唯一無二の科学的態度であるからである。

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余談だが、当書の読後感としてジョセフィン・テイの推理小説である「時の娘」The Daughter of Time)を思いだした。古典的名品であり、リチャード3世による幼い2人の甥殺し(ロンドン塔に幽閉したとされる)の冤罪を現代人である警部が入院しながら解いていく。前掲書とあわせてお薦めしたい。ちなみに、このタイトルはTruth is the daughter of time.(真実は時が明らかにする)からきている。本能寺の変には、いよいよその時が来たのだと目からうろこの思いである。

 

 

(次はこちらへ)

織田信長の謎(3)-「信長脳」という発想に共感-

 

 

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伊藤博文と太平洋戦争

2014 SEP 10 11:11:26 am by 東 賢太郎

a9cf0dfac6385096bfdc8e7a81155e90僕の母方松崎家は信州伊那出身、明治の横浜生糸商、田中平八の姉が母の曾祖母である。前職にあった時分、伊那支店長に案内されて平八の駒ケ根の生家である藤島家のご当主宅を訪問し、平八にまつわる貴重な資料や本をいただいた。ご当主の顔立ちが僕のいとこに瓜二つでぎょっとした。

夏の伊那谷から望む南アルプスは実に素晴らしく、2年半を過ごしたスイスを連想した。武田が最後の攻防をした高遠城に立ち、藤島家は武田が落ち延びて竹村姓を名乗った末裔と聞く。現代日本人の多くはこうして遠く戦国武将の血を引いているのではないだろうか。温泉宿に泊まり、赤穂の山麓の美味なるそばを食い、祖父が通った飯田中学(今は高校)を見てから市長に挨拶して帰った。

横浜で晩年過ごし亡くなった平八の墓は神奈川の良泉寺にあるが、なぜか墨田区の木母寺に伊藤博文の揮毫により、平八のニックネームである「天下之糸平」と書かれた、高さ3mある石碑が建立された。中学ぐらいの頃、母の長兄が一族引き連れて法事の折に両方の寺へ連れて行ってくれた。

 

平八と伊藤博文。どういう関係だったかは正確には知らない。早乙女貢著「天下の糸平」(文春文庫)によると平八は商人ながら水戸天狗党の乱に加担して江戸の牢につながれた。思想的原点は横浜閉港を訴える佐幕攘夷急進派だったわけだが、その後なぜか池田屋事件で新撰組に斬られかけている。

ということは討幕急進派の長州に合流していたことになり常識では量り難いが、ともあれ明治新政府が石碑を建ててくれるまで感謝されたのが史実だ。商人の身で政治に関与したのは祖父が公家だったからと思われるが、今後調べたい。

その伊藤ら長州閥が孝明天皇を毒殺し、睦仁親王を誅して大室寅之祐にすり替えたという説が歴史家の鹿島曻氏によってとなえられている。太田龍氏の「天皇破壊史」(成甲書房)にもある。大室寅之祐は山口県熊毛郡田布施町出身で、吉田松陰の命を受けた伊藤博文と木戸孝允が養育していた。

このような俗説を信じるかどうかに当たっても科学的な態度を重んじたいが、この田布施町は岸信介、佐藤栄作と2人の内閣総理大臣を出した日本唯一の「町」である。岸の孫である安倍晋三、大室寅之祐の末裔である橋本龍太郎まで入れると4人である。偶然とは思い難い。

江戸時代、朝鮮は不倶戴天の敵秀吉を倒した徳川幕府とは蜜月関係にあり朝鮮通信使を何度も送っている。それが明治新政府になるとむくむくと征韓論がわきおこるが、強硬に唱えた一人は田布施一派の木戸孝允であり、その妹の子、木戸幸一は昭和天皇の側近として東条 英機を首相に推薦し太平洋戦争開戦に関与した。

300万余の国民を殺したこの戦争への突入と明治新政府の略奪的成立に目をつぶり日清日露までを美化する司馬史観は国民に一時の高揚感こそ与えるが、現実を直視しない国民は道を再度誤るリスクがあると思う。孝明天皇暗殺説に証拠はないが、そう仮定した帰納法は少なくとも日本史の教科書の記述よりも上記の事柄を整合的に説明するように思う。

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長州田布施一派の安倍晋三が首相である我が国。仮説ではあっても明治以降の歴史の真相を知り、明明白白な論理で政治を俯瞰することが大切と思う。

僕は先祖の石碑を建てて立派な文字を書いてくれた伊藤博文を個人的には好きである。しかし私人としての是非と歴史の是非とは違う。

 

 

(追記)

きいたところによると高田万由子という女優さんは糸平の子孫らしい。そうやって辿っていくと誰と血がつながっているかわからない。おんなじ人をご先祖と勘定している、これの解答はそういうことである。  ベテルギウスは85億人の先祖を知っていた

(さらに追記)

藤島家のご当主にいただいた家系図によると、糸平の母方の祖父は「お公卿」とだけある。公卿とは天皇と姻戚関係ある貴族である。名前が明かされていないだけにとても気になっており、誰なのかどうしても知りたい。

 

 

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信長、曹操好き狩猟民のすすめ

2014 JUL 19 17:17:19 pm by 東 賢太郎

案件が出たので忙しく、外部に委託して少々調査を重ねています。僕の仕事はアドバイザー(顧問)ですが、ひとことで表せば各所からいただいた情報を積み上げたり一部を外部に請け負ってもらうなどして実行可能なプランというもの(諜報)を作りあげるのが役割です。ソナー・アドバイザーズ自らがその実行部隊になるものも、そうでないものもあります。

案件はご紹介、ご縁だけです。メニューの品数をそろえて不特定多数のお客様にアピールするのが企業の常道でしょうがそれは僕の哲学に合いません。最少人数の精鋭シェフ、少数お得意さん主義の料理屋に徹しようと思います。そうでなくては大きなお客様にご信頼いただけないし、本当に大事な案件は任せていただけないものなのです。

哲学というと、何よりポピュリズムには一切接近したくありません。ブログを書いていても、誰にもわかるものなど最初から書く気がありません。HPで宣伝するような仕事はしません。シャーロック・ホームズやブラック・ジャックがHPを作るとは思えないというイメージから、ソナー・アドバイザーズはHPがありません(検索して出てきたら確実に偽物ですからご注意ください)。

さて、そういう状況でしたので、先週残念ながら大学のクラス会を失礼してしまいました。このところクラスメートとの接点といえばO君にいろいろ相談をしてます。彼は斯界の大御所でありながら弁護士に向いてなかったと自ら言う理系的頭脳の持ち主で、性格もタイプも僕とぜんぜん違いますが気は合うのです。僕のアイデアを同方向のベクトルで見ている人の箴言は聞く気になります。方向がずれた人の言はダメだと思ってしまう性癖から、合うことこそ大事という長年の経験則なのです。

法学は社会的には大事だが神学的で耐えられないところもあるというのが彼の意見で、その神学に真っ先に辟易して脱落した僕はうなずくしかありません。もちろん同期の法曹の皆さん全員に敬意を持っていますが、関心のないものはだめでした。もしもう一度東大に入れていただけるなら僕に向いているのは教養学部だろうなと思います。

先日、故木村尚三郎先生の西洋史を放送大学アルヒーフで見て、こういう授業を受けたいと強く思ったこともあります。当時も駒場では村上陽一郎先生、小田島雄志先生などから生涯残る知的刺激を頂戴しましたが、何分こちらが未熟でした。ああいうものは人生経験の浅い子供には理解できず、もったいなかったなあと感じました。

その木村先生の著書では「都市文明の源流」(東京大学出版)を欧州赴任前に読んで影響を受けました。記憶がやや薄れましたがたしかゴシック教会は都市にある森であるという意味のことがあって、フランクフルトに住んでいる頃にブルックナーのシンフォニーを聴いて初めてそれを得心したのを覚えています。

狩猟は危険であり五感の研ぎ澄ましが必要、危険のない農耕は定点観測に秀でるという意味のこともあって、だから日本でなく狩猟民族の欧州から大発明が出たのだという。証明は難しいが直感的に説得力を感じますし、通信技術が戦争を契機に進歩したなどそれの例でしょう。こういう魅力的な説が出てくるというのは先生ご自身が五感にすぐれた狩猟民なのだと思います。

僕が35年生きてきた株式市場というのは狩猟民ばかりのジャングルのようなもので、どこから猛獣が飛び出してくるかわかりません。昨日のウクライナ惨事による急落をそれにたとえるのは不謹慎ではありますが、こういう不測の事に大きく反応するのが株価です。上場企業の経営者は出資者(株主)に対して自社の株価に責任があります。株は門外漢ですというわけにはいかないという意味で狩猟民でなくてはなりません。

ブラック・ジャック、法学、ゴシック、森、ブルックナー、株式・・・無意識に書き連ねてきましたがこういう単語が農耕民の世界でつながることは想定しがたいのではないでしょうか。そして今の仕事はそういう一見バラバラな情報から「諜報」を生み出す、とても狩猟民的なものです。僕ごときが起業してそれで食えるのは、ほとんどの国民が農耕民的であるために「情報と諜報の区別を知らない日本人」に書いた状況、隙間が生じているからです。

起業家というのは100%狩猟民です。そうでなくてはできません。一方で銀行員は100%農耕民です(我が親父も典型的に)。少数民族の狩猟民をアブナイ人たちであると下に見ていますから新興起業家に融資したがりません。狩猟民の世界であるエクイティファイナンス(株式資金調達)も薦めません。そこで企業家は同じく狩猟民である証券会社に資金調達を頼ることになりました。銀行が系列証券を作って反攻しなくてはならなかった背景はここにあります。

しかし我が国に起業家が出にくいのは銀行が貸さずベンチャー投資家が足りないせいばかりではありません。そもそも狩猟民が少ないからなのです。だから政府が金を出してそれを育成するというのは強精剤を配れば人口が増えるだろうというようなものです。ひょっとして起業したい人は多くいるかもしれませんが、五感が鋭敏でなければ失敗する確率が高いでしょう。

狩猟民になれるかどうかは試しにNISA特典を利用して失敗しても良い程度の金額で株式をお買いになってみればわかります。成功するかどうかではなく、楽しいかどうかが分岐点です。苦痛であればおやめになった方がいい。楽しいと思った方も、それだけで狩猟向きというにはまだ早い。ここが大事なところです。

他人のチャットや掲示板のような皮相的、扇動的な情報に乗って売買して、結果に一喜一憂するような方は狩猟は無理です。木村先生の言う「五感の研ぎ澄まし」ではなく「定点観測型」ですからすぐれて農耕民的性向です。長くやっているといずれ虎に食われますからやめた方がいい。

「五感」というのは、例えば「この株は買いだ」という記事を読んだとして、その内容の信憑性を判定するためにそれを書いた人物が何者かを徹底的に調査するような行為が、また調べて信用して買おうと決めてたとしてもタイミングや売り時は自分の感覚だけを信頼するというメンタリティーが絶対に必要です。「この事業が伸びる」に置き換えれば起業にあてはまります。

例えば僕のあるブログがあちこちにコピペされて2万人以上に読まれました。それが誘発したと思われる雑誌記事まで現れました。僕の知り合いでそうしそうな人はいませんから彼らは筆者である僕をネット検索情報以上には知らないはずです。そういう人たちがそこで書いた株を高値でつかまされている可能性があるのです。それの警鐘のつもりで書いたのがひとつもそうなっていないというのは日本的だと思います。

狩猟民のほうが農耕民より大事だ、得だ、等々を言っているわけではありません。農耕民とは程遠い僕がそう言う資格もないし、日本の骨格は農耕民が作ってきたと考えるしかありません。しかし今の世界情勢は明治までの日本、明治維新以後の日本、どちらをとっても「それでは遅い」という速度で歴史が進展している感じがするのです。だからじっくり定点観測していては遅れてしまう。「五感の民」がたくさん出て政財官を引っぱらないと21世紀は苦しいと思うのです。

特に企業経営というのは本質的に狩猟民的な職域です。これまで我が国の重厚長大産業を占めてきた農耕民的アプローチは加速度的に時代遅れになりつつあります。ジャパンクールの浸透でドラえもんが米国で放映される時代ですが、一方では比較的に狩猟民的なカルチャーを有していて我が国のお家芸である「ものづくり」企業の代表格であるはずのシャープやソニーが円安でも赤字という時代でもあるのです。

僕は個人的に「狩猟民の若者」が日本にどんどん出て欲しい。それは勇気、胆力を要することではありますが、しかし、単なる元気や闇雲なチャレンジ精神を意味してはいません。むしろ逆であって、一歩ジャングルに入れば五感全てのセンサーを通した「判断力」「集中力」「繊細さ」を要するのです。まったくのイメージですが、三国志なら曹操、戦国史なら家康が農耕民、信長が狩猟民と思います。秀吉は狩猟民を真似た農耕民だったと僕は解しています。僕はもちろん信長、曹操が好きです。

今ざっと毎日500人ぐらいの方が拙文を読んでいただいており光栄に思っております。どれがそれということもないのですが、どれも根っからの狩猟民の見方を記したものであり、若い方になにかヒントをつかんでいただければ本当に嬉しいことです。

 

(補遺)ソーナー・アドバイザーズHPについて

本稿(2014年)の2年後にお客様よりのご意見が多くあったことから作成することに方針転換いたしました。http://sonaradvisers.co.jp/

 

(こちらへどうぞ)

戦争の謝罪をすべし、ただし日本史を広めるべし(追記あり)

織田信長の謎(1)

 

 

 

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