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カテゴリー: ______歴史書

差別はする方が猿なみである

2020 JUN 8 12:12:54 pm by 東 賢太郎

僕がラヴェルやモーツァルトが好きだからといって、白人至上主義に組しているわけではないことを示すのが本稿の大きなテーマである。

ジョージ・フロイド事件は南北戦争以来くすぶっている米国の黒人差別問題がオバマ時代を経ても収まっていない現実を世界に知らしめ、社会問題として各地に伝播しつつあるが、実は多民族国家の米国だけの話ではなく、「多勢に無勢」が「いじめ」に発展するのは実は人間の万国共通の悲しい性(さが)であるというもっと根深い本質が背後にある。形を変えて大なり小なりどこの国にだってあることなのだ。わが国では古来より「長い物には巻かれろ」と教える。「長い物」に正義があるかどうか哲学的に論じようではないかということではなくて、単に少数派になるといじめにあうからやめとけという処世術だ。

「白人」という言葉は「東洋人」がそうであると同じほど曖昧であるので、ここでは「キリスト教徒である白人」と限定しよう。19世紀から現代に至るまでの2世紀をその白人が(他の白人の力も使いつつ)実質的に地球を支配したと考えるのは、事実か否かを問うのは困難としても否定してかかることも同じほど困難だから認めるしかない。その2世紀はアメリカ合衆国の台頭、隆盛の歴史とほぼ重なり、どの国であれそれ抜きに歴史の教科書が地球史として客観性を保つとは思えないという妥協でもある。しかし中世の暗黒時代の白人にはその片鱗すらないのは皆さまが世界史で学ばれた通りだ。高度に知的なギリシャ文明はアラビア語世界に知識、文献として保存されていたし、武力ではモンゴル人が戦火を交えた白人をことごとく殺戮してロシアを征服し現在のバルト三国の地域まで死の恐怖に陥れていた。古代に遡れば中国文明に羅針盤、紙、印刷術、火薬など現代文明の利器の源流があり、智においても力においても白人が絶対優位だなどという証拠はどこにもない。

ではなぜ今そうなっているかというと、ルネッサンス運動による哲学と科学の探求、それを個人にミクロ化することを可能にした市民革命、そしてそれらの最大の果実となった産業革命による資本の蓄積において未曾有の成功を遂げたからだ。それは疑う余地もなく人類史における白人の巨大な業績ではあるが、といってそれだけで永遠に優位で居続けることを保証する能力の優位性の証明にはならない。多くの白人は否定すると想像するが、その自意識に合理性がないことは上述のとおり歴史が証明しており、白人支配が続くことに正義を認めるのは白人だけである。ということは、後述するが、合理性、正義なき優越感は差別を生む元凶であるということを論理的に意味しており、彼らにとってジョージ・フロイド事件が不幸なアクシデントだったのは、それが満天下に証明されてしまい、世界の隅々に殺人場面までが放映され、格別の反差別主義者ではないが人道主義者だ平和主義者だという世界の広範な思想の人々をも動員してのムーヴメントに発展してしまう兆しになりかかったことだ。

ここで僕が歴史の視点を学んだ本をご紹介する(既読の方も多いだろう)。人類はひとつの生物種ホモ・サピエンスであるという歴史観から世界史を宇宙の創造からの地球史として書いたハーバート・ジョージ・ウェルズHerbert George Wells, 一般にはH.G.ウェルズ、1866 – 1946)のA Short History of the World (1922)(邦題『世界文化小史』、講談社学術文庫)である。一言で評するなら小説みたいに易しくエキサイティングな世界通史だ。我々が学校で教え込まれている民族や国家という視点が実は矮小であり、「日本は小さな島国」なる思い込みも自信の欠如も実はご無用であり、宗教がかった「世界国民」的思想ではなく、独善的利益追求のための醜怪なグローバリズムでもなく、ともすれば理論的な共産主義に近いがサイエンスに足場があることで同化はしない。ウェルズは英国人だが下層の出でオックスブリッジでも既得権益者でもなく、市民革命の恩恵で平等に得たサイエンスの知識でファクト(事実)に忠実に世界観を構築したと僕は想像する。

この書物が第1次世界大戦前に書かれなお命脈を保つばかりか新鮮ですらあることは、彼が1891年に四次元の世界について述べた論文『単一性の再発見』を上梓し、『タイム・マシン』を1895年に、『透明人間』を1897年、『宇宙戦争』を1898年に書いたSF小説の父であった豊かな想像力と無縁でないだろう。その視点は学問の府における歴史学の主流にはなっておらずこれで受験勉強することはあえてお勧めしないが、いずれ気づかれることだが、学校が教科書で教える世界観や知識は皆さんが現実の社会で生きていく羅針盤としては甚だ不十分なのである。歴史は人間が生存を希求した1万5千年余りの生々しい足跡であって、歴史学なる方法論だけで探れるものでなく、物理学、心理学、生物学、社会学、経済学、法学、医学、疫学、哲学、考古学、気象学、地質学、天文学、建築学、芸術、料理、軍事における戦略論、兵器の進化などを横断的に包括的に理解しないと全貌は到底理解も把握もできないことは留意されたい。

私事になるが僕が最も詳しい西洋史はクラシック音楽史だが、それとて作曲家の楽譜や手紙や文献だけをいくら研究しても全面的に「一面的」であり、例えば「モーツァルト家が借金まみれだが貧困ではなかった」証拠があるが音楽学者は合理的な説明を見つけていない。彼が戦時のオーストリア通貨の大インフレで「意図的にBSの負債勘定を増やす高レバレッジ戦略を採っていた」と僕が解釈するのは証券マンの眼で当然だよねとしか見えないからである。それが合理的なのだ。音楽学者に経済学や為替理論を学べという気はない。貧困に追い込まれて死を悟り悲愴なレクイエムを書いたという通説を否定しようと思えば職業的リスクの伴う人たちだから仕方ない。ましてモーツァルトは親父譲りで徹底して数字に細かく利に聡く、そもそもあの楽譜が書ける人がそんな馬鹿であるはずもないと主張すれば音楽学者という職業には就けないだろう。レクイエムを教科書通りに聞いて涙したい人の邪魔をする気はないが、都市伝説で自分史が塗りこめられたモーツァルトが気の毒だと同情するばかりだ。

歴史学を軽んじる不遜さは持ち合わせていないつもりだ。その学問ひとつをとっても人間が一生で習得できる時間はそれでいっぱいであり、上述のすべての学問の専門家であることは物理的に不可能だから横断的包括的アプローチは主流にはなり得ない。それだけだ。ただ我々は自分の学習と知恵でミッシングリンクを埋めていくことはできる。その日々の作業こそが「生きる」ということだし、そうして生きれば人生はいつも新鮮な発見に満ちているのだ。宇宙の創生から俯瞰すれば、自分という卑小な存在の生き様も人類史という壮大な大河ドラマもH.G.ウェルズ流に「理解」するのが自然と思うし、なにより素晴らしいのは、その視点に立ちさえすれば、誰もが、学校で赤点だろうが落ちこぼれようが、古めかしい学問という鎧をまとうことなく簡単に歴史を咀嚼して自分なりの歴史観、ひいては世界観、宇宙観を所有することができるということだ。

肌の色で能力が決まるわけでもなく人類史へのこれからの貢献には、人種によって参加資格を隔てる優劣があるとも思わない。

と僕が結論する勇気を持てるのは同書を楽しんで読めたからであり、そうであるならば、産業革命の余韻が終焉を迎えつつある21世紀初頭の今、もしかすると長く続いた白人優位は風前の灯火なのかもしれないという考えに、ヘーゲルのアウフヘーベンとして至ることも可能となる。ポスト・コロナは日本の時代などという卑小な手前味噌の話ではなく、5万年のホモ・サピエンス史のスコープで眺めてそう思えてしまう。進行しつつある米中のヘゲモニー闘争はその端緒かもしれないし、北朝鮮という人口2千5百万の貧しい東洋の小国が核保有しただけで覇権国アメリカと対等に渡り合い脅かしている情景は第2次大戦はおろかベトナム戦争時点でも想像できなかった。太平洋戦争時点で日本が核保有できていたという想像は、米国の核爆弾開発が同盟国ドイツから亡命した科学者に多くを負ったものであったことからして決して空想ではなく、白人の覇権というものがそう予定調和的でも盤石でもないことは明白だということだ。

すなわち、人種や国の優位性はその時々に変遷するもので、たまたま優位にある者が下位の者に懐く差別という感情には何ら合理性もなければ正義もないのである。まして自己の便益で奴隷として連れてきた人たちを200年もたってなお差別するような利己的で理性を欠く心性の者は、これから21世紀に生きていく人類が幸福に共存していく方向に逆行する人たちではないかと思う。人間や国家や条約や法律や規則の存在の合理性、正義というものは、個人でも一国でもない、ホモ・サピエンス全体の繁栄という視点でしかとらえられなくなるだろう。なぜなら我々はすでにポスト産業革命という新たな歴史の入り口にいるからだ。「合理性」と「正義」。このどちらも持ち合わせずに生きている者、いわば動物的な原理で動く者はものの必然として猿と変わらないという結論に達することを妨げないというのが僕の立場である。

駒場の教材だった「価値の社会学」(写真)は東大生になったと実感した難解さだったが、半分も理解できなかったものが今はわかる。名著であり娘に与えて読ませている。筆者、社会学者の作田啓一氏は後に我が国特有の「自虐史観」への対抗イデオロギーとして「侵略戦争の開始も含めて、何でもかんでも日本の戦前のあり方は正しかった、反省などする必要は全くないと主張する史観」を「自大史観」と呼んだが、「安倍晋三はこの史観を全面的に打ち出すイデオロギー内閣を作り出した」と第1次安倍政権時のご自身のブログに書かれている。第2次政権も作田氏の慧眼どおりに物事を進めているように思われる。ここでその是非は論じないが、そこに合理性と正義があるかどうかは皆様のお考えに委ねることにしたい。

差別者の発想のベースは、しかし、自大史観であろうと書いてもほぼ異論の余地はないだろう。そうでなければ他者を差別する自我に内的根拠がないことになるからである。どんな歴史観であれ100%合理的でないとまでは言い切れないが、それが正義か否かはいかなる文明においても不分明であるが故にどこでも差別は起こり得るのだ。長い物(強い者、戦争の勝者、ジャイアン)が歴史を書けるのは絶対的正義なるものは世のどこにも存在しないからで、宗教の戒律とて信者にとっては正義に近似的だが絶対普遍ではないから十字軍の虐殺は異教徒には正当化はされないし、原爆投下もしかりである。ジャイアン視点のドラえもんは書かれていないし、書いても共感されないだろうし、産業革命の余熱が冷める21世紀においては更にその傾向が強まるだろう。

私見では安倍政権が何をしようと国家の正義と合致し合法的であれば良しとするが、後者に該当しないと思われる事例が現れ(アンリ事件、検察官定年延長)、まして、国家の正義と政権の正義との乖離が客観的に観測され、政権がすべて正しく反省などする必要はまったくないという史観が暗にではあるが表明された時点において(男にはそれをやっちゃあお終いの一線がある)我が身の正義しか念頭にない政権として認識せざるを得なくなってしまった。このこと(国家正義に合致した正義のなさ)はノブレス・オブリージュが欠落しているということを自動的に意味し、貴族の資格のない者が貴族然と君臨している腐敗臭と不快感に富んだ印象を必然として与える。支持率低落の原因は、支持者だった穏健な保守層がその臭いの悪さを感じてのことだ。比較的アッパーなインテリであるこの層の去就が無党派浮動票の動静に影響力があることは2009年衆院選や都知事選の小池の乱で実証された。

ジョージ・フロイド事件が米国の極右、極左に利用され、暴徒が法を犯して更なる差別が助長される。それを連邦軍が武力で抑圧するのが正義ならトランプは習近平を批判できなくなる。政治の正義とはそれほど重たいものなのだ。その矛盾を解こうと聖書を持ち出したが、彼に宗教は似合わないばかりか選挙用パフォーマンスと見抜かれ、自由主義、共産主義を問わず長い物が正義という超イデオロギー的なガバナンス正当化ドクトリンにすがるしかない事においてはプーチンも金正恩も交えて似た者同士であることが露呈しつつある。彼らの視点はますます内政に向き、資本主義下ではせいぜい貧富の二極だった(それでもリーマン後の10余年で急速に進んで歪を生んだ)が、さらに変質して差別、被差別のニュアンスで二分される方向に行きかねない様相を呈してきたことを危惧するばかりだ。

皆さまが人種の壁の高さをどれほどご存知かはわからないが、16年海外でそれを俯瞰し体感した経験からするに、総じて日本人は性善説的であり害を及ぼさない限り外国人には優しい国民性だ。ただアジア人に対しては特別な感情があり、確たる理由なく日本人が上だという目線を持っている。明治時代の洋学修得と富国強兵の先行で国民がそう考えても仕方がない外形的実体があったことは事実だが、早い遅いと能力とは別個であり、目線の高さは遥かに度を越している。我が父親も世代一般程度にはその傾向はあり、僕もその影響と無縁に育ったわけではないが学問で理性は獲得できた。理由がないのだから自分は非合理であり、日本人が民族的に優位という考えを論拠とした正義は更に根拠がない、従ってそれで差別するなら俺は猿と変わらないと結論されることになり今はそうではなくなっている。

黒人(ケニア人)がルームメートだったことがある。一時のことで親しくつき合ったとまでは言えない。ありとあらゆることに驚いたが、KFCのチキンの食いっぷりは忘れない。白い大きな歯でかぶりつき、バキバキと骨ごと噛み砕き(その壮絶な音は今も耳に残る)、こっちが半分も終える前にショーみたいに数本の骨片が皿にきれいに並んだ。同じホモ・サピエンスといえ我々はあの野性を失って1万年はたつのだろうかとたじろぐ迫力であり、アフリカには棲めないと観念した瞬間だった。それでも我々は20万年前にアフリカにいた一人の女性(ミトコンドリア・イヴ)から地球上に生まれ、枝分かれして日本列島に来た者の子孫なのだ。科学がそう証言する以上日本が神話の説く特別な国ではなく、アジアの中で格別に神に愛でられ特別に優勢な遺伝子を持つこともなく、同胞への優位を示す上から目線には合理性も正義もないことを知るのである。

音楽の話に戻ろう。楽才はホモ・サピエンスだけが持っている才能の一部分である。白人の優位を否定してかかる僕の中でモーツァルトやラヴェルへの敬意も偏愛までもが解かれるかというと、それはない。その音楽に絶対普遍の価値があると思うことが必要十分条件で、そのことと彼らの肌の色や女癖やホモの性癖は何の関係もないという判断と一緒に白人優位否定は処理されるからだ。それは犯罪において「罪を憎んで人を憎まず」(罪刑法定主義)と同じ思想で「音楽を愛しても人は必ずしも愛さず」である。といって作曲家の属性を調べているのは人の脳への唯物論的関心からで、脳と曲との相関性の要因分析である。おそらく同系統の人たちがハイドンの遺体から頭部を盗みアインシュタインの脳を切り刻んだりしていたと想像するが僕は大学の法医学で見せられた変死体の写真で食事が困難になったからそっちへは行かなかった。

黒人が音楽でモーツァルトに劣るかというと、そればかりは何とも言えない。モーツァルトのような音楽を書き、演奏し、しかも彼に影響まで与えた黒人ジョゼフ・サン=ジョルジュがいたという雄弁な事実はこの稿にご紹介した。

クラシック徒然草《音楽家の二刀流》)

だからといって、彼がモーツァルト級の作曲家であったとは作品を聴く限り断言する自信はないが、古典派の時代でも肌の色が才能の優劣を決定的に左右したのではなかろうというぐらいは表明できると思う。それが200年の時を経てジャズの時代ならどうか?今度は逆にモーツァルトが モントルー・ジャズ・フェスティバルでピアノ即興できますかという問いになる。

どちらも故人となったが、マッコイ・タイナーとボビー・ハッチャーソン(ヴィブラフォン奏者)のビデオをぜひご覧いただきたい。

このドイツでのライブ演奏会の楽興に、ジャズ好きであろうとなかろうと、二人の巨匠の尋常でない能力を否定できる人はいないだろう。ご両人とも「象牙の塔」仕込みでない叩き上げで、どうやってこの破格の作曲、演奏能力を身につけたかは謎だ。モーツァルトのそれは父親仕込みだが「学校は秀才を作るが天才は作れない」を地で行っている事に関して3人は同等に思える。もしも、この1時間22分の「JazzBaltica 2002」のチケットとウィーン国立歌劇場のドン・ジョバンニのチケットと、どっちかひとつあげるよといわれたら僕は真剣に迷う。

 

 

 

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オモロい人たち

2018 OCT 11 6:06:10 am by 東 賢太郎

大阪で仕事したころ、「あんたオモロいやっちゃ」といわれてそうかなあとけっこう戸惑った。これが「面白い人」ではないと知るにはしばらくかかる。それは関西弁でしか表せないニュアンスだからで、東京にはそういう表現がない。

面白いはfunnyである東京人はそういわれるのは面白くないが関西でオモロいはinterestingであって悪い意味とは限らない。東京ではしかしそれを訳すと「あなたは興味深い人ですね」みたいになって、これはこれで上から目線の感じで余計なお世話だとなるからややこしい。英国でWhat you said is interesting.なら言えるがYou are interesting.は失礼感があるように思え、言ったことも言われたこともない(アメリカは知らない、トランプは言いそうだ)。

つまり、You are interesting.を好意、親愛の表現で言ってしまう関西は特別な場所かもしれない。土足で踏み込む感はあるが人のぬくもりもある。いや、それをぬくもりと思うのが関西だと東京人の僕は思った。

しかし最近、東京にだって昔からオモロい人はたくさんいるのだけれども、その人たちをオモロい人と思う人があんまりいないだけなのではないかと思うようになった。つまり「オモロい」という概念は受容する側の問題だと。

僕はこの「オモロい」こそが人間の人間たるゆえんであって、ちょっと大げさに言えば人類を進化させる原動力ぐらいに思っている。オモロい人がいくら周囲にいても、彼らを受容するカルチャーがなければ宝の持ち腐れになってしまう。

中学に丸山鉄男というオモロい奴がいた。こいつのオモロさを凌駕する人間はいまだに現れていない。図抜けて天才の域にあり授業中に隣りで悪ふざけして笑いをこらえるのに死ぬほど苦労した。早稲田高等学院に入ったが馬鹿なことに大学でサーフィンであの世に行った。でもあれ僕の中で生きているからいい。

オモロい」は東京にいると、どうも錆びついて見えなくなってくる気がする。大阪やアメリカや香港にいたときは僕の「オモロいセンサー」はもっと感度が良かった。そう思いだしたので最近はつとめて知らない世界の人と会って話している、というか、話し込んでいる。思ったらすぐに何か手を打たないと鈍る一方で僕にはあらゆる意味でよくないからだ。

ネクサスの動画に出演してくれた90人の若者たちは宝庫だ。彼らはみんな熱中型人間で飯食うのも忘れて何かに没頭するタイプだ。それでその世界で凄いと言われハングリー精神に満ち満ちている。こういう人は強い「気」を発してる。動画でそのシャワーを日々浴びていると僕は元気をもらえる。

だがもらうだけじゃあいけない、発見がしたい。例えばそのひとりのサムライの島口氏は海外でひっぱりだこである。欧州ツアーで飛び回って帰国したから報告したいとほんの少しの時間なのにわざわざ来てくれる。そこまでウケるには、まだ僕の気づいてない才能がこの人にはある。あるはずだ。そう思ってそれを知りたくて興味津々だ。

会社を2つ作って50億円もってる38才にもきのうお会いした。初対面でありオモロそうだと聞きつけて来てくださったようだが、こっちは商売より彼のオモロさがどこにあるのかが大事だ。それがなければそんなカネが作れるはずがないからだ。

深く井戸を掘りました。頭悪いんであれこれできなかったんで」

「いや50億作った人が頭いいのが資本主義だよ」

そんなことを2時間話し込んで、ビジネスについてはよくわからなかったがオモロい人だった。株の話はほとんどせず、ゴルフのベスグロ75で同じだね、でもジョン・レノンの最高傑作はアイアム・ザ・ウォルラスじゃねえかなというところで意見が合致して終わった。

元ロッテのサブローこと大村三郎氏にはときどき最近のプロ野球界のもろもろを教えてもらう。彼は巨人もいたしオモロい。なーるほど、人間だからどこも一緒だよな。そういうの勉強したいって、じゃあ司馬遷の史記だねオモロいよ。彼は即決のスナイパーだ、すぐ読了するだろう。

たしかPWCのレポートに、2030年にAI革命が進んでいて、世界で最も危ない国は日本であり、62%の人が職を失うとあった。ブルーワーカーだけではない、銀行員や公認会計士もだ。でも人を感動させる職業は残るとある。要は「オモロいやっちゃ」になればいい、そういうことなんじゃないか?

 

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フォーレ「マスクとベルガマスク」作品112

2018 FEB 3 13:13:01 pm by 東 賢太郎

僕は料理と音楽は本来がローカルなものと思っている。ブイヤベースはマルセイユで、チョリソはマドリッドで、ボッタルガはサルジニア島で、麻婆豆腐は重慶で、天九翅・腸粉は廣州で、ビャンビャン麵は陝西省で、カルボナーラはローマで、グラーシュはブダペストで、鮒鮨は湖東で、真正に美味なものをいただいてしまうともういけない。腸粉とはワンタンの春巻きみたいな飲茶の一品で下世話な食だから東京の広東料理店で出てこないが非常にうまい。

チャイニーズは地球上最上級の美味の一部と確信するが、中華料理などというものはない。地球儀の目線で大まかに括ればユーラシア大陸の北東部の料理という程度のもので、同じ目線でヨーロッパ料理と括っても何の意味も持たない。少し狭めて北京料理はどうかというと、内陸だから良好な食材はない。ダックは南京からサソリは砂漠からくる。貴族がいるから美味が集まった宮廷料理であって、我が国の京料理と称されるものの類似品だ。

中華といわれるのは八大菜系(八大中華料理)の総称で、八大をたぐっていけば各地のローカル料理に行きつく。それを一次加工品とするなら京料理や北京料理は二次加工品であって、大雑把に言うならヨーロッパ料理のなかでルイ王朝の宮廷料理として確立したフランス料理はイタリア料理を一次加工品とする二次加工品だ。少なくとも僕の知るイタリア人はそう思っているし歴史的にはそれが真相だが、パリジャンは麺をフォークに巻いて食うなど未開人と思っている。畢竟、始祖と文明とどっちが偉いかという不毛の戦いになるが、イタリア料理と僕らが呼ぶものが実は中華料理と同様のものだとなった時点でその議論も枝葉末節だねの一声をあげた人に軍配が上がってしまうのだ。

インドカレー伝(リジー・コリンガム著、河出文庫)を読むと、インドにカレーなどという料理はなく、それは英国(正確にはロンドン)のインド風(起源)料理(二次加工品)の総称であり「400年にわたる異文化の衝突が生んだ(同書)」ものとわかる。食文化というものはローカルな味の集大成であって、その進化は富と権力の集まる都市でおこるとは言えるのだろう。しかし、世界有数の都市である東京に洗練された食文化はきっとあるのだろうがそこで育った僕が山形の酒田で漁師料理を食ってみて、長年にわたって刺身だと思ってきたあれはなんだったんだと軽い衝撃を覚えるわけだ。

海外で16年暮らしていろんなものを食べ歩き、食を通じて経験的に思うことは、文化というものはなんであれローカルな根っこがあってそこまで因数分解して微視的に見たほうが面白いということだ。美しいとまでいうべきかどうかは自信がないが、素数が美しい、つまり同じ数字だけど「100,000」より「3」が好きだと感じる人はそれもわかってくださるかもしれない。素数が 1 と自分自身でしか割れないように、刺身は割れない。一次加工されていても大きな素数、23、109、587の感じがする鰹昆布ダシ、魚醤のようなものがある。割れないものは犯しがたい美と威厳を感じる。

咸臨丸で来たちょんまげに刀の侍一行の隊列を初めて目にした当時のサンフランシスコの新聞がparade with dignityと賞賛しているのはそれ、割れない美と威厳だったろう。いつの間にかそれがカメラと眼鏡がトレードマークのあの姿に貶められてしまうのは相手のせいばかりではない、敗戦を経て我々日本人が信託統治の屈辱の中、割れてしまった。アメリカに尻尾を振ってちゃらちゃらした米語を振り回して仲間に入れてもらって格上の日本人になったと思っている、そういうのは米国人でなくても猿の一種としか見ないのであって、dignityなる語感とは最遠に位置するものでしかない。

音文化である音楽というものにもそれがある。ガムランにドビッシーが見たものは「割れない美と威厳」だと僕は思っている。ワーグナーがトリスタンでしたことは「富と権力の集まる都市でのローカルな味の集大成と進化」であって、ドビッシーはそこで起きた和声の化学変化に強く反応し、やがて否定した。彼は素数でない領域で肥大した巨大数を汚いと感じたに違いない。だからガムランに影響されたのだ。音彩を真似たのではない、本質的影響を受けた。ワーグナーやブラームスやシェーンベルクにあり得ないことで、この議論は食文化の話と深く通じている。

先週行ったサンフランシスコのサウサリート ( Sausalito、写真 )がどこかコート・ダ・ジュールを思わせた。モナコ、カンヌ、ニースの都会の華やぎはなくずっと素朴で質素なものだけれど、なにせ暫くああいう洒落た海辺の街にご無沙汰している。

どこからかこの音楽がおりてきた。ガブリエル・フォーレの『マスクとベルガマスク』(Masques et Bergamasques)作品11274才と晩年のフォーレは旧作を大部分に用いたが、後に作品番号を持つ旧作を除いた「序曲」「メヌエット」「ガヴォット」および「パストラール」の4曲を抜き出して管弦楽組曲に編曲している。

第3曲「ガヴォット」および第4曲「パストラール」はその昔、学生時分に、何だったかは忘れたがFM放送番組のオープニングかエンディングに使われていて、僕の世代ならああ聞いたことあると懐かしい方も多いのでは。当時、憧れていたのはどういうわけかローマであり地中海だった。クラシック音楽を西欧の窓口として聴いていたのだから、そういう回路で番組テーマ曲が思慕するコート・ダ・ジュールに結びついて、記憶の番地がそこになってしまったのだと思うが、しかし、ずっとあとで知ったことだが、この作品はモナコ大公アルベール1世の依頼で1919年に作曲され、モンテカルロで初演された生粋のコート・ダ・ジュール産なのだ。

地中海、コート・ダ・ジュールにはマルセイユ、ニース、モンテカルロにオーケストラがあるが、カンヌのクロード・ドビッシー劇場を本拠地とするL’Orchestre régional de Cannes-Provence-Alpes-Côte d’Azur(レジョン・ド・カンヌ・プロヴァンス・アルプ・コートダジュール管弦楽団 )のCD(右)をロンドンで見つけた時、僕の脳内では音文化は食文化と合体してガチャンという音を発してごしゃごしゃになり、微視的かつマニアックな喜びに満ちあふれた。

ここに聴くフィリップ・ベンダーという指揮者は2013年に引退したそうだがカンヌのコート・ダ・ジュール管弦楽団(なんてローカルだ!)を率いていい味を出している腕の良い職人ではないか。田舎のオケだと馬鹿にするなかれ、僕はこのCDに勝るこの曲の演奏を聴いたことがない。第4曲「パストラール」は74才のフォーレが書いた最高級の傑作でこの曲集で唯一のオリジナル曲だ。パステル画のように淡い色彩、うつろう和声はどきりとするほど遠くに行くが、ふらふらする心のひだに寄り添いながら古雅の域をはみださない。クラシックが精神の漢方薬とするならこれは鎮静剤の最右翼だ。この節度がフォーレの素数美なのであって、ここに踏みとどまることを許されない時代に生まれたドビッシーとラヴェルは違う方向に旅立っていったのである。

こう言っては身もふたもないが、こういう曲をシカゴ響やN響がやって何の意味があろう。ロックは英語じゃなきゃサマにならないがクラシック音楽まで英語世界のリベラリズムで席巻するのは勘弁してほしい。食文化でそれが起きないのは英米の食い物がまずいからだと思っていたが、音楽だって英米産はマイナーなのだから不思議なことだ。これは差別ではないし帝国主義でも卑屈な西洋礼賛とも程遠い、逆に民族主義愛好論であって、文在寅政権が危ないと思っているからといってソウルの土俗村のサムゲタンが嫌いになるわけでもない。なんでもできると過信した薩摩藩主・島津斉彬が昆布の養殖だけはできなかったぐらい自然に根差したことだと僕は思っている。

じゃあN響はどうすればいいんだといわれようが、それは聴衆の嗜好が決めること。僕のそれが変わるとは思えないが多数の人がそれでいいと思うならフランスから名人指揮者を呼んできて振ってもらえばいい。相撲はガチンコでなくていい、場所数が多いのだからそれでは力士の体がもたないだろう。だから少々八百長があっても喜んで観ようじゃないかというファンが多ければ日本相撲協会は現状のままで生きていけるが、オーケストラも相撲と同じ興業なんだとなれば僕は退散するしかない。音楽は民衆のものだが、お高く留まる気はないがクラシックと呼ばれるに至っているもののお味を民衆が楽しめるかどうかとなると否定的だ。相撲が大衆芸能であるなら一線が画されてしまう。「割れない美と威厳」を感じるのは無理だからだ。

余談だがシャルル・デュトワがMee tooでやられてしまったときいて少なからずショックを受けている。訴えが事実なら現代の社会正義上同情の余地はないが、日本で聴いた空前絶後のペレアスを振った人という事実がそれで消えることもない。日本のオケでああいうことのできる現存人類の中で数人もいない人だ、日馬富士が消えるのとマグニチュードが違うといいたいがそう思う人は少数なんだろう。エンガチョ切ったの呼び屋のMee tooが始まればクラシック界を撃沈するムーヴメントになるだろう。いいシェフといい楽士は貴族が囲っていた、やっぱり歴史には一理あるのかもしれない。

上掲のフィリップ・ベンダー指揮レジョン・ド・カンヌ・プロヴァンス・アルプ・コートダジュール管弦楽団のCDからフォーレ「マスクとベルガマスク」作品112を、ご当地カンヌの写真といっしょにお楽しみください。

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宵越しの金をもたねぇのが江戸っ子ってもんで、、、

2015 NOV 15 0:00:21 am by 東 賢太郎

娘(次女)が観てみたいと言うので歌舞伎座へ連れて行きました。11時の昼の部を一階の東桟敷席で。演目は「実盛物語」、「若き日の信長」、「曽我綉俠御所染」でありました。

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この演目は席がたまたま空いていただけで選んだわけではありませんが「実盛物語」は琵琶湖、竹生島が舞台であり、「若き日の信長」は平手政秀の切腹にまつわる話。今年行ってみたり多大な関心を寄せたりの題材であり、なにやら浅からぬ因縁か・・・。実盛は染五郎、信長は海老蔵でした。海老蔵の「人間五十年…」は良かった。彼が声がいい。信長の雰囲気が見事に出てましたね。

「信長の血脈」余談ですが、信長の傅役(もりやく)であった平手政秀は若殿のうつけを諌めて腹を切ったことになってますが、加藤廣著「信長の血脈」(文春文庫)にある「平手政秀の証」は別の説で書かれています。これが非常に面白い。

父、織田信秀の死は公表されず、長子信行を後継者と仕組む母、土田御前によって葬儀は3年後に信長の不在のすきをぬって行われた。例の「焼香事件」は、怒りに燃えた信長が抹香を父の位牌ではなく母と信行に投げつけたものとするのです。

大うつけは敵はもちろん親族にも殺されかねなかった信長がわざと阿呆を演じたものであり、信秀亡き後のお家の混乱と今川の脅威を食い止められるのは吉法師(信長)しかないと信じる政秀は信秀の遺志は信長にあり「天地神明」に誓うと遺書を残して腹を切ったというものです。僕はこの説を支持したいと思います。

最後の「曽我綉俠御所染」は物語としては地味ですが江戸・吉原の習俗が見てとれ、尾上菊五郎、左団次も歌舞伎の名場面、名せりふが圧巻でございました。お昼の部ははねるのが4時ごろだからたっぷり5時間、弁当を食いながらの桟敷席は値はやや張るがおすすめです。

さて、たいそう面白く満足したし、お土産の吉田茂御用達まんじゅうも買ったし雨でもあるし帰ろうかと思ったのですが、娘が時間があると言うのでじゃあついでに江戸文化のハシゴで寄席でもどうだ、いいねとなりました。歌舞伎も寄席も初めてだからというのはあるのだろうが、このエネルギーと好奇心は大変よろしい。つきあおう。

丸ノ内線で新宿三丁目へ。新宿は伊勢丹裏の「末廣亭」でございました。ちょうど5時の夜の部が始まったところで具合がいい。

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9時まで楽しんでしまいました。全部楽しめましたがお仲入り後のは特に傑作で丈二、小ゑん、白鳥は真剣に笑いころげました。こりゃあストレス解消には最高。昼から通しで3千円は安い。おすすめです。

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この江戸情緒、好きですねえ、たまんねえでやんす。歌舞伎5時間、寄席4時間、宵越しの金をもたねぇのが江戸っ子っていうもんでございまして、、、、、

 

 

 

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坂東玉三郎、片岡仁左衛門を堪能

わかる奴が大事

 

信長、曹操好き狩猟民のすすめ

 

 

 

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嬉野温泉スパイ事件の謎

2015 SEP 13 22:22:57 pm by 東 賢太郎

先週末は雨とコンサートでジョギングできませんでした。2週空いてはまずいので今日はまた二子まで10km。けっこう調子が良くてついに初めて1時間を切りました(57分)。

阿曾さんたちにそれならハーフマラソンはいけるいけるとけしかけられたのと、もう一つ佐賀の嬉野温泉へ行った時に按摩(あんま)さんに「筋肉は50才ぐらい」とおだてられたのが効いてますね、たぶん。

この嬉野(うれしの)という所は福岡空港からだと高速バス(九州号長崎行き)で諫早方面に1時間半ほどです。地図で見るほど遠い感じはしません。福岡空港発11:02に乗って筑紫平野を下り、筑紫野、基山を通って12:36に嬉野バスセンターで降ります。

「まめ多」の降旗女将にいい旅館があるよと教わっていて、昭和天皇が泊まった和多屋というのですがそれは満員でした。そこで和楽園さんという旅館に1泊しましたが良かったです。

湯質は無色透明ながらぬめりがあります。傷を負った鶴がこの温泉で治るのを見た神功皇后が「あなうれしや」といったのが名称の語源だそうだから、日本書紀の時代から知られていたということです。和銅七年(714年)に記された肥前国風土記に名前が出てくるそうです。

「シーボルトの湯」というのがあります。

 

シーボルト_川原慶賀筆フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796年 – 1866年)がここに長崎から何度か来ていた。彼はオランダ人と偽って出島に入ったがドイツ人であり、出身地はヴュルツブルグです。思えば僕はフランクフルト駐在当時、友人とよく車でヴュルツブルグの劇場にオペラを聴きに行ってました。

フランクフルトを流れるマイン川は、ワーグナーの聖地バイロイトあたりに源流を発して、長躯バンベルグ、ヴュルツブルグを流れてフランクフルト・アム・マインに来ます。そしてマインツでライン川に合流するのです。そういえばシーボルトの従兄弟の娘に当たるアガーテ・フォン・ジーボルト(1835年 – 1909年)は、あのブラームスの婚約者であったっけ!

 

どんどんパズルのピースがつながっていきます。

 

あそこから長崎に、そしてこの嬉野温泉に来ていた。彼はプロイセンのスパイだったという説もあり、幕府禁制の日本地図を持ち出そうとしたことで国外追放処分となるのです(1828年、シーボルト事件)。このとき、丸山町遊女であった瀧との間に生まれた娘(日本人女性で初の産科医となった楠本イネ)を残して去ったのはどこか「蝶々夫人」を思わせます。

イネは大村益次郎に恋した人であり、京都で襲撃された彼を看護しその最期を看取っている(司馬遼太郎「花神」)、また、吉村昭の「ふぉん・しいほるとの娘」の主人公にもなっています。彼女の美しい娘が宇宙戦艦ヤマトのスターシャのモデルらしいというのも知りませんでした。

そこで、もうひとつ、思い出した。「シーボルトの湯」の目の前の橋のたもとにあった「大村屋」という旅館の跡に、こういう来歴が書いてあって、なんとなく写真を撮っていたのです。

 

伊能忠敬!!

そうか、幕府禁制の日本地図を役人の目が光る長崎・出島で受け取るのはあまりに危険である。温泉で湯治すると偽装して、ここで入手したんじゃないか??

 

まあ大昔の犯罪だしもうどーでもいいですけどね。

このことは実はさっき気がついたんで、当日は中村兄と来ていたんですが仕事で疲れてぼーっとしていて、名物の豆腐を食べてなんにも考えてませんでした・・・。母方の出身地が諫早なもんで、どのへんかなと旅館で尋ねたら、車で30分ですよ近いですよなんてことも知った。

ぎすぎすした東京からくると、人当たりがやわらかくてどこかほっこりしてて、安らぎました。いいところでした。また行くことになると思います。

 

(追記)

嬉野で撮った一枚に故・中村兄の後姿があった。昨日のことのようだ。

 

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あれからもう一年か・・・

わが温泉考 (Splendid hot springs in Japan !)

戦争の謝罪をすべし、ただし日本史を広めるべし(追記あり)

 

 

 

 

 

 

 

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織田信長の謎(3)-「信長脳」という発想に共感-

2015 AUG 28 23:23:08 pm by 東 賢太郎

昨日のブログにこう書きながら、どうしてそうなったんだろうと考えてました。

「自分の御しがたい性格であるのですが、終わったことに執着がないというのが良くも悪くもございます。昨日はもう今日に関係ないのであって、簡単に忘れてしまいます。もちろん事実としての記憶はありますが、そこでの感情を引きずらないという意味ではプラスであり、その感情の発展を期待して下さった人には期待に添えないかもしれないという意味ではマイナスであります。」

おいおい信用できん奴だなと思われても仕方ないし、子供のころは決してそんなことはなかったように思うのです。むしろ昨日をひきずって悩んだりする子でした。

おそらく、①野球をして育った ②野村證券で育った、という決定的な2大要因があって「戦場脳」が後天的にできてしまったのだと思います。①も②も毎日の数字で勝ち負けが出る世界でした。勝負だから勝たないと意味がないという意味で戦場であり、戦場は常にサドンデス(負け=死)です。昨日大勝しても今しくじって負けたら終わりであり、昨日を引きずって悲観したり油断したりする者はだから弱いのです。

武士、武将がみな戦場脳が強かったかというと、たぶん太平の世になった江戸時代は違うのではないか。真剣で切り合いをしていた薩摩侍は、忠臣蔵が美談になってしまうほど殺し合いのない江戸を、そしてそんな江戸が武士道の鏡と讃える忠臣蔵を嘲笑していたそうです。たしかに、負け=一族の死という強烈なストレスとプレッシャーの中に生きていないと、日々の積み重ねで生きる農耕民族に戦場脳は発達する余地は少ないでしょう。

日本の経営者には「軸がぶれませんね」が誉め言葉です。僕はそれを言われたら不本意です。それは農耕民の価値観であって戦場ではナンセンスであり、それを喜ぶのは戦さをしていない証拠なのです。負けたら死ぬという時に軸もへったくれもないのであって、越前 朝倉攻めで信長は作戦失敗、ケツをまくって逃げ帰ってます。野球で「監督、軸がぶれませんね」は「ベンチに策がない」と同義だろうし、欧米の経営者にYour decision is always stable.なんて言うとinflexible(変えられん無能)の皮肉ととる人もいそうです。その心配が皆無である日本の経営者はすぐれて農耕民です。

僕は企業経営は朝令暮改あたりまえと思ってるし、まして朝でなく昨日のことなら改めようが何しようが是非を問うべくもなしです。昨日上がった株が今日も上がる保証なんてどこにもない世界で軸をぶらさずに今日も買いましょうなんて、すっ高値をつかんで即死するかもしれません。負けと思ったらすぐ売って逃げる。戦国武将の思考こそが自然であり現実的と思われます。

「おいおい信用できん奴だな」という不信任は困るのですが「会社をつぶす不信任」とは別格のものであって、僕は会社をつぶさないためだったらそれ以外のどんな不名誉でも不信任でも甘んじます。小さくても会社を持つとはそういう覚悟をするということであって、大名や武将が家を守るのと同じと思います。お取り潰しさえ免れればという江戸時代の大名ではなく、僕ら新興の中小企業は圧倒的に戦国大名に近い。①②のおかげでそれが楽しめてしまう、そういう性格になっていたことは有難いことです。

51Ld6Q-BbML__SX331_BO1,204,203,200_明智憲三郎氏のこの本を読んではたと気づきました。彼は「信長脳」「信秀脳」なる言葉を使っておられますが、戦国武将が「戦場脳」の持ち主だったのはあまりに当たり前であって、本能寺で信長に油断があったとか、光秀がいじめられて逆ギレしたなんてことはあり得ないと指摘しておられます。まったくそのとおりと思います。

戦場脳のない学者や小説家が書くからそういうことになるとの趣旨の指摘もされています。野球をしたことのない観衆や記者が今日の原監督の采配はどうだこうだと言ったり書いたりする、あれとまったく同じであって、僕らはそれを「歴史」として読まされ習ってきたと思います。的外れなことでしょう。

5_a明智氏が「桶狭間の勝利は幸運の結果ではなく奇襲でもなく、考え抜かれた合理的な勝つための戦法による」と看破され、実証的に戦さの実況中継風に解説されていますが、非常に腑に落ちる説明です。それが孫子をはじめとする兵法書の知識の実践であったのであり、信長に限らず戦国武将は中国古典に精通していたということもまた納得です。信長が描かせた安土城の天主の絵(右上は内藤昌氏の説に基づく復元、「安土城天主 信長の館」HPより)が中国故事のオンパレードだったのもうなずけます。

「軍人」「武士」の思考回路や瞬時の判断は、同じ思考回路を持つ脳をつくりあげないと直感すらできないと僕も思うのです。例えば野球でも、あほらしい質問を選手にするアナウンサーが大勢います。「今日のホームラン、感触はいかがでしたか?」と聞かれ、困った選手が「最高でーす!」と叫ぶ。感触が残らないのが「いい当たり」なのは硬式野球経験者には常識ですが、やったことのない人にはわからないのです。歴史でもそういうプロセスが積み重なって、戦場脳のない人の手によってやがて「信長はそこで快哉を叫んだのである」という小説ができあがる、そんな感じでしょう。娯楽ならいいが教科書はそれではまずいと思うのです。

800px-Minamoto_no_Yoshitsune実は前掲書は読んでいる途中で阿曽さんのところで歴女ですという子にさしあげてしまいました。歴女は大変いいことですね、カープ女子みたいなもんかもしれないが、女子だって北条政子がいましたからね。政子でいえばちなみに、僕は頼朝の政治力、リスク管理力は買うが大将の器としては低評価です。政子の尻に敷かれた感じであるのも嫌だが、僕はなんといっても義経が好きなのです。史実とされ語られている一ノ谷、屋島、壇ノ浦などの戦績が本当であるならば彼の軍功はすばらしく、信長同等の天才かもしれないと思います。

でも結局、その義経も殺されてしまう。戦場脳が図抜けて優秀であるがゆえに、それに劣り、部下として使いこなす才覚も能力もない兄貴が恐れて殺した。こういう小心無能な上司はいたるところにいます。いっぽうで信長の「唐入り構想」は彼みたいなグローバルな戦場脳のない部下には皆目理解できず、本能寺というクーデターの引き金となった。こういう危険な部下もいたるところにいるのです。戦場脳の最大の弱点は、「身内が敵かもしれない」というパラメーターが欠落すると、緻密であるがゆえにかえって無防備になってやられてしまうことである。これは学ばなくてはいけないことです。

歴史はいま戦場を生きている者にとって最高の羅針盤であると僕は確信いたします。会社を成長させるためのビジネススクールの教材と考えてます。孫子の兵法も机上の空論でなく歴史と実戦に学んで作られたに違いなく、だから価値が失せないのです。小説や評論は暇つぶしにはいいですが落語や漫談と同じく実用性はありません。僕は歴史をアミューズメントとして知る関心はなく暇もないので、したがって小説はあまり読みません。最高の教材は現場にあるはずです。だから安土城、長浜城のあった場所に行き、そこいらじゅうを歩き回りました。信長、秀吉の史上最高度の戦場脳を自分の脳でトレースしてみたいという欲求が断ち切れなくなったのです。

 

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織田信長の謎(4)-女房衆皆殺しの件-

歴女の「うつけもの」人気の謎

 

 

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織田信長の謎(2)ー「本能寺の変431年目の真実」の衝撃ー

2015 AUG 20 23:23:57 pm by 東 賢太郎

AがBを殺そうと周到に準備した殺人計画があった。計画のシナリオが進行中にAの共犯者Cが裏切ってAを殺してしまった。殺す予定だったBは事前にCから計画を聞いて共謀しており、Aはそれを知らなかった。B,Cは殺人計画も共謀の事実も闇に葬ったため、「周到な準備」が殺人現場に不可解な謎として残ったのである。

この筋書きでエラリー・クイーンなら一級品のミステリーを書いてくれそうな気がする。

今回の出張で本能寺に行ってみようと思ったのはそれに関係があることは後述する。中学の修学旅行で泊まった聖護院御殿荘という旅館名だけ何故か覚えているが、部屋で相撲をとったことと本能寺を見たことしか記憶がない。しかしその本能寺は秀吉の命で移築されたもので、あの事件の起きた場所ではないことを後で知った。僕の史跡好きは土地、地面に根差している。それが本能寺で在る無いではなく、その事件が起きた場所でないと欲求を満たすものではない。

それは何のことはない、こんな場所だった。

honnnouji路標には「此附近 本能寺跡」と書いてある。「本能寺跡」ではなくて、「このへんが本能寺の跡」である。「信長はこの辺にいた」まで明らかにしたい僕としては大変に生ぬるいが仕方ない。

この道(蛸薬師通)を右に油小路通まで行くとこれがある。これが「本能寺跡」だそうだが、「このへん」と「ここ」が両立している先の路標との整合性がまったくわからない。わからんならわからんとしてくれた方が正確な情報というものだ。

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織田家の嫡男で信長の後継者と目された織田信忠は、走れば5,6分の距離である妙覚寺にいた。信長と同様に、これまた無防備であり、父子ともにこの襲撃を想像だにしていなかったように見える。地図の左下黒丸が本能寺、右上が妙覚寺であり、光秀軍はこの間を疾風怒濤の如く走ったのだ。

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もちろん僕はこの2点間を明智軍の気持ちになって歩いた。信忠が逃げ込んで切腹した場所は二条新御所で、この京都国際マンガミュージアムの裏手あたりだ。

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なぜ天下人目前の権力者信長はまったく無防備の少数の手勢でここにおり、いとも簡単に光秀の手にかかってしまったのか?修学旅行でそう話を聞いて、その場で変だなと思って、今は亡き親友の丸山に「おい、本能寺って、変だよな」とまじめに言ったら、冗談と思った奴が「バーカ」と返した。それ以来、長年にわたって僕の中でくすぶる謎であったのだ。

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その謎を快刀乱麻で解いてくれた本こそ、光秀の末裔、明智憲三郎氏の「本能寺の変 431年目の真実」(文芸社文庫)である。信長はこの日、本能寺の茶会に堺にいる家康を招き、光秀に命じて家康を討たせる手配をしていた。家康に不信感をいだかせぬための意図した無防備だったのだ。

 

 

もういちど冒頭の太字に戻る。A=信長、B=家康、C=光秀であるというのがこの本の示す「解」だ。そうした試みは過去にいくらもあるが、この説がパワフルなのは、殺人現場に残っていた不可解な謎はもちろん、本能寺の変に関して我々が謎と思っていたこと、軽すぎる光秀の動機、速すぎる秀吉の中国大返し、話がうますぎる家康の伊賀越えなどが腑に落ちるように見事に説明できてしまうことだ。

明智氏(以下、光秀ではなく憲三郎氏)の方法論は僕がこのブログで説明した帰納法(厳密にはアブダクション)、つまり「もしAならBがうまく説明できる」というものだ。

NHKスペシャル「STAP細胞不正の深層」の感想

明智氏はご先祖光秀にきせられた「利己的動機による信長殺害の単独犯」という汚名を科学的な方法でそそぐことにほぼ成功されているように思う。氏が「三面記事史観」として否定しようと試みておられるものは、僕のブログの「トンデモ演繹法」のことであり、この方が論理学的には正確だ(三面記事が間違っているとは限らないので)。

ブログでは、

僕は「刑事コロンボ」が好きだが彼の方法はアブダクションだから物証がないと逮捕できない。それがない場合が面白い。アブダクションで得た結論Bを正しいと仮定して今度は華麗に演繹法に転じてみせ、犯人にカマをかけて尻尾をつかむ。だめを押すのは物証か演繹なのだ。

と書いた。氏の試みを「ほぼ成功」と書かせていただいたのは、物証か演繹がないと成功とは言えないからだ。論理的に、誰が何と言おうと、そうなのだ。しかし、秀吉、家康によって完全犯罪に仕立てられてしまったため物証は永遠に失われたものの、氏は文献を丹念にあたられて演繹に近い解釈を(まだ解釈ではあるが)提示している。僕はその文献の正誤や新解釈の適合性を判定できないので「ほぼ」がはずれることはないが、それでも、心象としてはかなりゼロに近い。

それは氏の①事実(fact)に対する謙虚な姿勢と、②それを証明するフレームワークとなる上記の論法の適切さによる。つまり、テーマに向き合うスタンスが「理系的」なのである。僕は歴史本が好きでたくさん読んでいるが、①②が弱いため科学的でなく、数学で頭を鍛えた人の論証ではなく、馬鹿らしくなって途中で捨ててしまうものが多い。要は文系的なのである。そんな程度の物証や論考でよくそこまで言ってしまいますねという体のものが多く、学術的なものでも小説や講談とかわらんという印象を持つことが多い。歴史が文系だなどとアホなことを誰が決めたのだろう。

明智氏のこの本にはそれがなく、そういう低次元のものは排すべきという氏のインテリジェンスが基本スタンスとして全書を貫いており、説得力を獲得している。僕は歴史ファン、信長好きとして楽しんだが、上質のミステリーでもあった。名探偵が「真犯人はあなたです」と真相の解明があって、なるほど!と膝を打った時のような快感を覚えたという意味で。学生さんには歴史本としてはもちろん、物事を論証し、説得力を獲得するための広く応用可能な教科書としてこれを一読されることを強くお薦めしたい。

本能寺の変ばかりか、氏の仮説は秀吉の治世以後の日本史にも強力な説明力を有するのであり、物証が葬られ、あるいは意図的に捏造までされた中で、客観的な視点からの説明力の優劣を問うならば、これは他のいかなる仮説をも凌駕するものであると思料する。仮説(しかもはるかに説明力に劣る)を真相として書いてしまっている日本史の教科書は改められるべきではないか。少なくとも僕は今後、氏の史観を座標軸として、本能寺以後の日本史観を根底から覆そうと思う。真実とは「それらしく見える」ではなく、「そうでなくては説明できない」所に存在する。それが唯一無二の科学的態度であるからである。

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余談だが、当書の読後感としてジョセフィン・テイの推理小説である「時の娘」The Daughter of Time)を思いだした。古典的名品であり、リチャード3世による幼い2人の甥殺し(ロンドン塔に幽閉したとされる)の冤罪を現代人である警部が入院しながら解いていく。前掲書とあわせてお薦めしたい。ちなみに、このタイトルはTruth is the daughter of time.(真実は時が明らかにする)からきている。本能寺の変には、いよいよその時が来たのだと目からうろこの思いである。

 

 

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織田信長の謎(3)-「信長脳」という発想に共感-

 

 

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伊藤博文と太平洋戦争

2014 SEP 10 11:11:26 am by 東 賢太郎

a9cf0dfac6385096bfdc8e7a81155e90僕の母方松崎家は信州伊那出身、明治の横浜生糸商、田中平八の姉が母の曾祖母である。前職にあった時分、伊那支店長に案内されて平八の駒ケ根の生家である藤島家のご当主宅を訪問し、平八にまつわる貴重な資料や本をいただいた。ご当主の顔立ちが僕のいとこに瓜二つでぎょっとした。

夏の伊那谷から望む南アルプスは実に素晴らしく、2年半を過ごしたスイスを連想した。武田が最後の攻防をした高遠城に立ち、藤島家は武田が落ち延びて竹村姓を名乗った末裔と聞く。現代日本人の多くはこうして遠く戦国武将の血を引いているのではないだろうか。温泉宿に泊まり、赤穂の山麓の美味なるそばを食い、祖父が通った飯田中学(今は高校)を見てから市長に挨拶して帰った。

横浜で晩年過ごし亡くなった平八の墓は神奈川の良泉寺にあるが、なぜか墨田区の木母寺に伊藤博文の揮毫により、平八のニックネームである「天下之糸平」と書かれた、高さ3mある石碑が建立された。中学ぐらいの頃、母の長兄が一族引き連れて法事の折に両方の寺へ連れて行ってくれた。

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平八と伊藤博文。どういう関係だったかは正確には知らない。早乙女貢著「天下の糸平」(文春文庫)によると平八は商人ながら水戸天狗党の乱に加担して江戸の牢につながれた。思想的原点は横浜閉港を訴える佐幕攘夷急進派だったわけだが、その後なぜか池田屋事件で新撰組に斬られかけている。

ということは討幕急進派の長州に合流していたことになり常識では量り難いが、ともあれ明治新政府が石碑を建ててくれるまで感謝されたのが史実だ。商人の身で政治に関与したのは祖父が公家だったからと思われるが、今後調べたい。

その伊藤ら長州閥が孝明天皇を毒殺し、睦仁親王を誅して大室寅之祐にすり替えたという説が歴史家の鹿島曻氏によってとなえられている。太田龍氏の「天皇破壊史」(成甲書房)にもある。大室寅之祐は山口県熊毛郡田布施町出身で、吉田松陰の命を受けた伊藤博文と木戸孝允が養育していた。

このような俗説を信じるかどうかに当たっても科学的な態度を重んじたいが、この田布施町は岸信介、佐藤栄作と2人の内閣総理大臣を出した日本唯一の「町」である。岸の孫である安倍晋三、大室寅之祐の末裔である橋本龍太郎まで入れると4人である。偶然とは思い難い。

江戸時代、朝鮮は不倶戴天の敵秀吉を倒した徳川幕府とは蜜月関係にあり朝鮮通信使を何度も送っている。それが明治新政府になるとむくむくと征韓論がわきおこるが、強硬に唱えた一人は田布施一派の木戸孝允であり、その妹の子、木戸幸一は昭和天皇の側近として東条 英機を首相に推薦し太平洋戦争開戦に関与した。

300万余の国民を殺したこの戦争への突入と明治新政府の略奪的成立に目をつぶり日清日露までを美化する司馬史観は国民に一時の高揚感こそ与えるが、現実を直視しない国民は道を再度誤るリスクがあると思う。孝明天皇暗殺説に証拠はないが、そう仮定した帰納法は少なくとも日本史の教科書の記述よりも上記の事柄を整合的に説明するように思う。

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長州田布施一派の安倍晋三が首相である我が国。仮説ではあっても明治以降の歴史の真相を知り、明明白白な論理で政治を俯瞰することが大切と思う。

僕は先祖の石碑を建てて立派な文字を書いてくれた伊藤博文を個人的には好きである。しかし私人としての是非と歴史の是非とは違う。

 

 

(追記)

きいたところによると高田万由子という女優さんは糸平の子孫らしい。そうやって辿っていくと誰と血がつながっているかわからない。おんなじ人をご先祖と勘定している、これの解答はそういうことである。  ベテルギウスは85億人の先祖を知っていた

(さらに追記)

藤島家のご当主にいただいた家系図によると、糸平の母方の祖父は「お公卿」とだけある。公卿とは天皇と姻戚関係ある貴族である。名前が明かされていないだけにとても気になっており、誰なのかどうしても知りたい。

 

 

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信長、曹操好き狩猟民のすすめ

2014 JUL 19 17:17:19 pm by 東 賢太郎

案件が出たので忙しく、外部に委託して少々調査を重ねています。僕の仕事はアドバイザー(顧問)ですが、ひとことで表せば各所からいただいた情報を積み上げたり一部を外部に請け負ってもらうなどして実行可能なプランというもの(諜報)を作りあげるのが役割です。ソナー・アドバイザーズ自らがその実行部隊になるものも、そうでないものもあります。

案件はご紹介、ご縁だけです。メニューの品数をそろえて不特定多数のお客様にアピールするのが企業の常道でしょうがそれは僕の哲学に合いません。最少人数の精鋭シェフ、少数お得意さん主義の料理屋に徹しようと思います。そうでなくては大きなお客様にご信頼いただけないし、本当に大事な案件は任せていただけないものなのです。

哲学というと、何よりポピュリズムには一切接近したくありません。ブログを書いていても、誰にもわかるものなど最初から書く気がありません。HPで宣伝するような仕事はしません。シャーロック・ホームズやブラック・ジャックがHPを作るとは思えないというイメージから、ソナー・アドバイザーズはHPがありません(検索して出てきたら確実に偽物ですからご注意ください)。

さて、そういう状況でしたので、先週残念ながら大学のクラス会を失礼してしまいました。このところクラスメートとの接点といえばO君にいろいろ相談をしてます。彼は斯界の大御所でありながら弁護士に向いてなかったと自ら言う理系的頭脳の持ち主で、性格もタイプも僕とぜんぜん違いますが気は合うのです。僕のアイデアを同方向のベクトルで見ている人の箴言は聞く気になります。方向がずれた人の言はダメだと思ってしまう性癖から、合うことこそ大事という長年の経験則なのです。

法学は社会的には大事だが神学的で耐えられないところもあるというのが彼の意見で、その神学に真っ先に辟易して脱落した僕はうなずくしかありません。もちろん同期の法曹の皆さん全員に敬意を持っていますが、関心のないものはだめでした。もしもう一度東大に入れていただけるなら僕に向いているのは教養学部だろうなと思います。

先日、故木村尚三郎先生の西洋史を放送大学アルヒーフで見て、こういう授業を受けたいと強く思ったこともあります。当時も駒場では村上陽一郎先生、小田島雄志先生などから生涯残る知的刺激を頂戴しましたが、何分こちらが未熟でした。ああいうものは人生経験の浅い子供には理解できず、もったいなかったなあと感じました。

その木村先生の著書では「都市文明の源流」(東京大学出版)を欧州赴任前に読んで影響を受けました。記憶がやや薄れましたがたしかゴシック教会は都市にある森であるという意味のことがあって、フランクフルトに住んでいる頃にブルックナーのシンフォニーを聴いて初めてそれを得心したのを覚えています。

狩猟は危険であり五感の研ぎ澄ましが必要、危険のない農耕は定点観測に秀でるという意味のこともあって、だから日本でなく狩猟民族の欧州から大発明が出たのだという。証明は難しいが直感的に説得力を感じますし、通信技術が戦争を契機に進歩したなどそれの例でしょう。こういう魅力的な説が出てくるというのは先生ご自身が五感にすぐれた狩猟民なのだと思います。

僕が35年生きてきた株式市場というのは狩猟民ばかりのジャングルのようなもので、どこから猛獣が飛び出してくるかわかりません。昨日のウクライナ惨事による急落をそれにたとえるのは不謹慎ではありますが、こういう不測の事に大きく反応するのが株価です。上場企業の経営者は出資者(株主)に対して自社の株価に責任があります。株は門外漢ですというわけにはいかないという意味で狩猟民でなくてはなりません。

ブラック・ジャック、法学、ゴシック、森、ブルックナー、株式・・・無意識に書き連ねてきましたがこういう単語が農耕民の世界でつながることは想定しがたいのではないでしょうか。そして今の仕事はそういう一見バラバラな情報から「諜報」を生み出す、とても狩猟民的なものです。僕ごときが起業してそれで食えるのは、ほとんどの国民が農耕民的であるために「情報と諜報の区別を知らない日本人」に書いた状況、隙間が生じているからです。

起業家というのは100%狩猟民です。そうでなくてはできません。一方で銀行員は100%農耕民です(我が親父も典型的に)。少数民族の狩猟民をアブナイ人たちであると下に見ていますから新興起業家に融資したがりません。狩猟民の世界であるエクイティファイナンス(株式資金調達)も薦めません。そこで企業家は同じく狩猟民である証券会社に資金調達を頼ることになりました。銀行が系列証券を作って反攻しなくてはならなかった背景はここにあります。

しかし我が国に起業家が出にくいのは銀行が貸さずベンチャー投資家が足りないせいばかりではありません。そもそも狩猟民が少ないからなのです。だから政府が金を出してそれを育成するというのは強精剤を配れば人口が増えるだろうというようなものです。ひょっとして起業したい人は多くいるかもしれませんが、五感が鋭敏でなければ失敗する確率が高いでしょう。

狩猟民になれるかどうかは試しにNISA特典を利用して失敗しても良い程度の金額で株式をお買いになってみればわかります。成功するかどうかではなく、楽しいかどうかが分岐点です。苦痛であればおやめになった方がいい。楽しいと思った方も、それだけで狩猟向きというにはまだ早い。ここが大事なところです。

他人のチャットや掲示板のような皮相的、扇動的な情報に乗って売買して、結果に一喜一憂するような方は狩猟は無理です。木村先生の言う「五感の研ぎ澄まし」ではなく「定点観測型」ですからすぐれて農耕民的性向です。長くやっているといずれ虎に食われますからやめた方がいい。

「五感」というのは、例えば「この株は買いだ」という記事を読んだとして、その内容の信憑性を判定するためにそれを書いた人物が何者かを徹底的に調査するような行為が、また調べて信用して買おうと決めてたとしてもタイミングや売り時は自分の感覚だけを信頼するというメンタリティーが絶対に必要です。「この事業が伸びる」に置き換えれば起業にあてはまります。

例えば僕のあるブログがあちこちにコピペされて2万人以上に読まれました。それが誘発したと思われる雑誌記事まで現れました。僕の知り合いでそうしそうな人はいませんから彼らは筆者である僕をネット検索情報以上には知らないはずです。そういう人たちがそこで書いた株を高値でつかまされている可能性があるのです。それの警鐘のつもりで書いたのがひとつもそうなっていないというのは日本的だと思います。

狩猟民のほうが農耕民より大事だ、得だ、等々を言っているわけではありません。農耕民とは程遠い僕がそう言う資格もないし、日本の骨格は農耕民が作ってきたと考えるしかありません。しかし今の世界情勢は明治までの日本、明治維新以後の日本、どちらをとっても「それでは遅い」という速度で歴史が進展している感じがするのです。だからじっくり定点観測していては遅れてしまう。「五感の民」がたくさん出て政財官を引っぱらないと21世紀は苦しいと思うのです。

特に企業経営というのは本質的に狩猟民的な職域です。これまで我が国の重厚長大産業を占めてきた農耕民的アプローチは加速度的に時代遅れになりつつあります。ジャパンクールの浸透でドラえもんが米国で放映される時代ですが、一方では比較的に狩猟民的なカルチャーを有していて我が国のお家芸である「ものづくり」企業の代表格であるはずのシャープやソニーが円安でも赤字という時代でもあるのです。

僕は個人的に「狩猟民の若者」が日本にどんどん出て欲しい。それは勇気、胆力を要することではありますが、しかし、単なる元気や闇雲なチャレンジ精神を意味してはいません。むしろ逆であって、一歩ジャングルに入れば五感全てのセンサーを通した「判断力」「集中力」「繊細さ」を要するのです。まったくのイメージですが、三国志なら曹操、戦国史なら家康が農耕民、信長が狩猟民と思います。秀吉は狩猟民を真似た農耕民だったと僕は解しています。僕はもちろん信長、曹操が好きです。

今ざっと毎日500人ぐらいの方が拙文を読んでいただいており光栄に思っております。どれがそれということもないのですが、どれも根っからの狩猟民の見方を記したものであり、若い方になにかヒントをつかんでいただければ本当に嬉しいことです。

 

(補遺)ソーナー・アドバイザーズHPについて

本稿(2014年)の2年後にお客様よりのご意見が多くあったことから作成することに方針転換いたしました。http://sonaradvisers.co.jp/

 

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戦争の謝罪をすべし、ただし日本史を広めるべし(追記あり)

織田信長の謎(1)

 

 

 

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僕の愛国心というもの 日本のルーツ 序章 (今月のテーマ 出雲)

2014 JUN 8 21:21:30 pm by 東 賢太郎

 

僕が先日に出雲へ行って感じた愛国心というものをご説明するには、ずいぶんと長い長い前置きが必要になります。それは海外で16年暮らした僕の今に至る半生をかけた思いであり、お読みいただければ幸いです。

 

クニとは何か?

あなたが「おクニはどちらですか?」と初対面の日本人に尋ねてみたシーンを想像してください。相手に「日本です」と真顔で答えられたらどうでしょう?あなたはおそらく絶句するに違いなく、しばらくして、ふざけるなと怒りを覚えるか、なにかまずいことをきいてしまったかと心配するかもしれません。このクニは「郷里」を意味するのが正しい日本語であって、それを理解しない人が「日本です」と答える、つまり日本人であると宣言するというのは何か大きくて空恐ろしい定義矛盾であって、そういう場面に遭遇することを我々はあまり想定していません。

ペンシルヴァニア大学に留学したてのころ、僕はその日本的な「おクニはどちらですか?」感覚で、軽い気持ちで初対面のアメリカ人にWhere are you from?とよくききました。すると、Where?  What do you mean? と怪訝な顔でききかえされることが多く、New Jersey. など即座に答える人もいましたが、どうも妙なことをきいているのかという一抹の不安が常にありました。天下の誇り高きアイビーリーグの学生に「おクニは?」ときくと「ずいぶん訛ってますね」ととる人もいるというということを知ったのは後日のことです。ましてご先祖の出身国などはきかない方が安全でしょう。彼らはみんなそれを捨てて「アメリカ人」であることが誇りなのです。それを喜んで答えてくれたのはピルグリム・ファーザーズの末裔であられた女の子だけであり、だいたいが米国人は母国で貧しくて危険を冒して海を渡ってきた人ですから触れたくない場合も多いのです。

次はところ変わって、野村時代に中国は福建省の福州から山奥に6時間走った農村でのことです。大雨で日帰りの予定が想定外の宿泊となってしまいました。仕方なく日本人が誰も行ったことはなさそうなホテル?の食堂でくつろいで酒もまわり、日本語でわいわいやっていました。すると隣のテーブルの地元のオッサンが大きな声で何か話しかけてきました。いかん、まずかったかなと思うや、通訳が笑いながら「東さん、どこのクニの方言?ときいてますけど・・・」。ド田舎ですから彼は我々を日本人はおろか外国人とも思っておらず、どこかの少数民族と思ったんでしょう、日本語を中国の方言だと思ったのです。中国では国をきくのは非礼でもなく、お互い言葉も通じないのがいかに普通かうかがえるでしょう。

クニと国の違いは各国でこれまた違うという難儀

米中の「クニ」は日本のクニではなく、米国人のクニと中国人のクニもまったく違います。そしてその3つのクニは、これまた「国」とはどれもがそれぞれの違い方で違います。そしてさらに厄介なことに、それは英国で、ドイツで、スイスで、香港で違い方がみんな違います。例えば英国ですがイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの代表チームがWカップ参加資格があることはご存じと思います。こういう国でWhere are you from?ときくのは、スコットランド人が英国人(一応イングランド人の訳語)と思われることに誇りを持っていることなど絶対にありませんから米国より危険度は少ないでしょう。ただそういう「違い」ぐらいは2,3年も住めばわかるでしょうが、「違いの違い」を知るにはもっと多様な経験と観察を要します。

今ふりかえってみると、僕の中で「その違いのわかり度合い」というのにはグレードが存在していて、管理職になってしまっていたスイス、香港ではその理解度がずいぶんと表面的で甘いことに気づきます。逆に、学校で米国人と競って落第しないかひやひやし、仕事の現場で英国人のお客に怒られ、ドイツ人の行政官にガキ扱いされてこの野郎と憤慨するような「底辺人生」だった米英独のそれは肌身に染みてわかります。スイス、香港に2年半ずつ住みましたが、管理職はいわば「お客さん扱い」されていてそういううちはわからないことです。

そのグレードの差というのは僕にとって野球を見るのとサッカーを見るぐらいの大差です。現場で苦労した、戦ったという体験はそのぐらい大きい。例えば、野村證券ではお客様から注文をいただいて伝票を書くことを「ぺロをきる」といいましたが、それが初めての時、どれだけ手が震えるほど重かったか、それは野球場で球を追っかける経験と同様やった者しかわからないという性質のものです。野村では「株の怖さというのはぺロをきらないとわからない」と教わりましたがまったくその通り。だから野村のベテラン社員でもぺロをきったことのない人を僕は1分で見抜けますし、そういう人と1分以上株の話をしても時間の無駄と即座に判断します。

愛国心と愛郷心もこれまた違う

僕が愛国心というものを明確に意識し、日本という「国」の姿を初めて意識するには5か国に住んでそういう経験を10年はする必要がありました。その前から愛国心らしきものはありましたが、それは今思うと愛郷心、生まれ育ったクニへの愛情です。そこに「国」という姿は、あったつもりではいましたが、それは五輪で掲揚された日の丸を見た時の熱い感情のようなエモーショナルなものにすぎず、今の僕の目から見て愛国心と呼べる次元のものではありません。君が代で起立しない者が総理大臣にまでなる時代ですが、彼らもWカップでは日本を応援するかもしれず、クニを愛することと愛国心があることとは別なのです。

いま、僕の愛国心はクールで静かで冷徹なものです。それは、アメリカで厳しい教育を受けたからだろうと思っています。世界の支配者であるアメリカが自国のエリートを育てるための教育、いわば原爆を広島と長崎に無慈悲に落とした側の本丸で支配者の本音の教育を一緒に受けたからです。あのビジネススクールでのMBAカリキュラムの勉強という理不尽かつ殺人的な物量、そしてそれをこなすべき日程のいじめとしか思えない気違いじみた短さに比べれば日本の大学など至極常識的で、だから僕は学歴欄にはペンシルヴァニア大学経営学修士と書きます。そんなものは日本ではほぼ理解されませんが、あまりまじめに勉強しなかった東大よりそれのほうが実感にずっと近く、その後の人生への影響の甚大さからして当然のことです。

その上で、僕は11年半のあいだ欧州で日本株を欧州人に売るというこれまた英語による理不尽な学習量と時間に追いまくられるハードな仕事をしました。そこで付き合ったお客様はみな歳がやや上の、最上級の教育を受けた欧州のエリート層です。欧州の金融界というのはそういうところであり、日本の銀行は入れてもらえませんが当時世界最強レベルのパワーがあったノムラは名誉メンバー待遇でした。そしてそこである驚きの現実を知りました。彼らがいかに米国を「上から目線」でカウボーイ国家と見ているかということです。その米国に敗戦した国に生まれ、その米国で勉強して誇りを持っていた僕はそこでまた世界観の大転換を迫られました。だから僕の愛国心と日本観は、そういう中で変転しつつ醸成されたものであり、オラがクニといったエモーションとは遠いものになりました。

そういう目で見た私見と愛国心

僕は、敗戦以来日本は米の属国だと思っています。憲法はGHQ占領下で、すなわち主権在民でない状態で書かれ押し付けられました。日本人は一般にそう思っていませんが、意地でもそれを認めたくないからであり、しかしそれは客観的には厳然たる事実で世界中のエリートもそう思っています。いや、属国は国だからまだましです。他国に土地を与えて防衛をお願いしているわけですから正規軍というものがなく、軍事権(そんなのは元来が権利ですらないが)とそれをベースにした外交権がないというのは世界の常識において地方政府の定義そのものです。家畜か観葉植物みたいなものです。こういうことを言ったり認めたりしないのが愛国心だプライドだというのは現実逃避であって何も生みません。かわいい息子が運動会でビリで泣くから運動会はやめましょうという母親と同じで、結局かわいい息子は将来もっと泣くことになります。

そういう国ですから、政財官ともに「アメリカかぶれ」が権力を握ってうまく立ち回るプライドなき恥ずかしい国になって久しいのです。GHQ占領下の秘密諜報機関であったキャノン機関の長、ジャック・Y・キャノン陸軍少佐がこう言ったという記録があります。「さすがに吉田茂は砂糖をやると言っても受け取らなかったが、知事や警視総監は嬉しそうな顔をした」。私事で恐縮ですが僕は野村のころ3回外資系に誘われました。その一つはロンドン時代、30歳ちょっとの若僧に「年収30万ポンド(当時7500万円)でジャパンデスクのヘッド」という望外なお誘いでしたが、当時すでに同じ敗戦国のドイツ人を含む欧州人エリートたちの強固な自国へのプライドに接して「これだ」と思っており、全部即座にお断りしました。

誤解されると困るのですが、僕は米国が嫌いなのでも、そこで立派に生きておられる日本人の方々を否定する者でもまったくありません。米国の文化や教育の素晴らしさはもちろん実体験として良く知っていますし、そこに住んでおられる方にそもそもアメリカかぶれなど存在しようがない。僕が嫌っているのは日本でトラの威を借りる「アメリカなりすまし」連中なのです。そういう恥ずかしい者には死んでもなりたくないし、いくらカネを積まれても英語ができる程度で買われる高級奴隷になりたくないと思っただけです。砂糖を受け取らないというその判断を今でも誇りに思います。

僕は強固な愛国主義者であるということを外国で隠したことは一度もありません。それが尊皇攘夷派やら右翼思想やらに短絡する国は世界でも極めて稀で、どこの国の人でも母国を愛するのは家族を愛することと同じく当りまえであり、そうでない人は外国では信用されません。政権を支持しない人はどこの国にもいますが国家ごと否定する、国旗も国歌も認めないというのは別な国になれということで、クーデターが起きるような国は知りませんが、日本の左翼以外には世界の先進国でお目にかかったことがありません。出雲大社禰宜の千家国麿氏が床に日の丸を書いた羽田空港に怒りを表明されたそうですがむべなるかなでしょう。

自分が外資系を蹴ったのはその話がいずれも本社の幹部にはなれない高級奴隷だったからです。外国が嫌いなのではなく、奴隷があり得ないだけです。対等ならいいのです。その証拠というわけでもないですが、僕は西洋音楽を平均的西洋人よりはるかに愛していますし、僕の会社には外国人の出資者が2人いますし、学歴は日本のではなく米国の大学名を名乗っていますし、内定をくれた日本企業ではなく米国企業に就職したいと言いだした娘は応援しました。心の中で何の矛盾もありません。何国人が作ろうが良い物は良いですし、米国大学院での勉強は実学として本当に役に立ちましたし、娘の採用はいいものかもしれず、娘の人生は娘のものだと思うからです。

出雲に行って思ったこと

たかだか1度ばかりの訪問ですが、僕が出雲で感じたものは先に書きました欧州各国のエリートたちが仕事を通して僕に教えてくれた強いプライドを思い出させるものだったように思います。それは30歳代だった僕の考え方を根底から変容させるインパクトがあり、日本で同じものは京都にあると思ってそれ以来お客さんを誘って何度も企業訪問を兼ねた京都トリップをやったものです。今も京都へ行くたびにその気持ちは新たになります。京都は僕の愛国心のよすがになりました。東京生まれ東京育ちなのに京都。16年も住んだ海外でできた僕の愛国心がクニ(東京)という次元で発したものではないことをお分かりいただけるでしょうか。

ところが出雲大社や稲田姫神社に参拝し奥出雲のたたら鉄の工法を見たりするうちに、どうもここは京都とは違う、なにかもっと奥深くオリジナルなものの宝庫ではないかという直感が訪れてきたのです。京都というのは平安京遷都いらい天皇家、公家がいたから京都なのですが、京都文化を天皇家が直接作ったわけではなく城下町のようにそれを取り巻く武士、寺社、民衆が育んだものです。一方出雲の方はそこまで「城下」が大きくならなかったからでしょうか、もっと大社や神話の主に直接のルーツがある文化がそのまま地元の人たちの中に残っている、もちろん神話ではなく、現実的、日常的なものとしてすぐそこにあるような気がいたします。

例えば出雲大社の高層神殿建造やたたら鉄工法の最先端科学と合理主義です。ああいうものは細部の処理にまで妥協を絶対に許さないという精神、英語に周到、細心、厳密の注意を施す精神を表す形容詞でmeticulousというのがありますが、そういう精神のない人たちには絶対に起こしえないものです。それは半島の新羅あたりから伝来したタタール由来のものかもしれませんが、カウボーイ文化に近い漁師の気質とは対極的であり、沿海部ながら漁師ではない特別な集団が出雲にいたということは確実でしょう。

北陸人のねばり強さなどといわれますが日本海沿岸部にはmeticulousで原理追求型の性質、気質の人は多いと思われます。僕の父方先祖は能登の半農半漁民のちっぽけな村の出身ですが親戚は理工系技術系ばかりでmeticulousを絵に描いた様な一族です。僕自身もその血を強く感じます。ある本によると古墳の調査から出雲の神話時代の一族が海流に乗って多く移住したのが地形的に漂着しやすい福井と能登だそうです。そういう歴史があったのかどうかはともかく、どこか強い近親性を直感したのが出雲の方たちでした。

神話は完全なフィクションではなく、聖書と同じくある程度の事実を古事記、日本書紀が一般人にもわかるようにして後世に残し、永く信じさせるために神話化したものだと思います。そういう意図があったと仮定して神話を逆探知し、出雲国の真実の姿を探るというような試みは大変に面白いところです。先日、ある奥出雲のご高齢(93歳)の方から立派な直筆のお手紙をいただき、それがまさにその逆探知の手掛かりになるような内容であり、とても興味深く拝読させていただきました。

次回以降、そのお手紙をご紹介させていただきつつ、何冊か読んだ出雲関係本も参考にしながら、「日本国のルーツ・出雲」なる大きなテーマに迫ってみたいと思います。

 

千家国麿様と高円宮典子女王とのご婚約に思ふ -今月のテーマ 出雲ー

 

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