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なぜ「平成は大没落の暗黒期」になったのか

2022 JAN 18 18:18:34 pm by 東 賢太郎

昨日、我が家では犬、山、赤色、雨など片っ端から「フランス語では?」で盛り上がった。スマホで答えは即わかる。家族で鍋をつつきながら遊べてしまうのだから便利な時代だが、子供時分にそんなことをしたら父は許さなかったろう。僕はというと真逆で、子供を勉強しろと叱った覚えがなく、遊びながら学べばいいという父親だ。自分も遊びたい子供の気持ちがたくさん残っている。その方が人生の長丁場では勉強はできるようになるからだ。さて、やってみると英語に化けたフランス語が多いことに気づく。日本語に例えれば大和言葉がドイツ語で漢語がフランス語と考えて良さそうだ。文化も言葉も大陸からやってきて、島国で入り混じる。その点では日英は似た者同士だね。こういうことは子供に教える。言われなくても自分の頭で考えるようになれよということだ。

ではなぜ日本の会議がシャンシャンなのかを考えてみよう。忖度のせいだけではない。なぜならボスの顔色を見ることにかけてはアメリカも同じであり忖度など可愛いものだ。それなのにシャンシャンなんてあり得ない。全会一致ともなれば誰しもが不正を疑う。つまりトップダウン型社会のボスは生殺与奪も握るから彼イエスマンが会議で見え見えに並んだりするが、しかし議論はする。しなくてはいけない。それは言語の違いと関係がある。彼らは相手が大統領でも子供でもyouはyouだ。言いにくいコンテンツはあっても、言葉使いに引っぱられて言いにくくなってしまうことはない。日本語ではそうはいかない。まずここから本稿を始めよう。

下っ端の課長だったころ、ロンドンの御前会議で満座でNOを言ったことがある。少々の物議はかもしたが、その刹那では英語だから気兼ねがなかった。「お前よく言ったな」と驚く手合いもいたが、余談になるが、「英語人」になるとはそういう精神構造の領域までバイリンガルになることである。そうでないとアイビーリーグのレベルの学校を卒業などできない。俗にいう「英語ペラペラ」は ”I♡New York” なんてTシャツを得意げに着そうな田舎のお兄ちゃんが発するチャラい英語のようなものを、無学な女がステキ!と惚れこんだペラペラな形容詞に他ならない。そういうのと同じだと思ってる人は驚いたのだ。

しかし、あのロンドン御前会議が日本語だったらどうだったろう。課長と副社長だ、日本人の常識として最大限の敬語にならざるを得ない。これが日本語の宿命であり、すべての日本人が着せられているストレートジャケット(拘束衣)だ。あえて時代劇風に書けばこんな感じになるだろう。

副社長様にあらせられましては、この度のお達し、ご明察と拝聴たてまつった次第でございます。しかしながら、畏れ多くも、今回ばかりにおきましてはいささか問題があるのではなかろうかと愚考せざるを得ないところでございます』

心理的にこれに近い。敬語、謙譲語は「上下関係」の存在が前提だ。「下」の者が上意にNOを突きつければ、コンテンツに反論したつもりでも「上」の人格まで否定したニュアンスになり、周りが「分をわきまえろ」「不敬だ」などと騒ぐ。ノイズが混入するならそもそも「議論」ではないから、言語の制約で日本ではまともなディベートが成り立ちにくい。会社のためには反対と思っても「下」は口をつぐみ、物を考えなくなり、付和雷同の無責任社員が増え、そういう輩のほうが出世し、とどのつまりが無責任な社長が生まれる。

はっきり覚えているが僕はこう発言した。

I don’t think it works now.

6単語で終わりだ。これが口火となって、モノ申したかった英国人、スイス人、ドイツ人、フランス人幹部が入り乱れて侃々諤々の議論になった。望ましいことだった(ビジネススクールなら有効な反対動議でクラスを盛り上げたと評価される)。前稿で「情報量は、英語を1とした場合は日本語は0.6で非効率だ」と書いたが、この例ではおよそ10倍も非効率と思われる。それがビジネス現場の体感だ。戦場で上司にお世辞など言っておれば真っ先に戦死、無能だが愛い奴を上官が取り立てれば部隊ごと憤死だ。

日本は空気で物が決まる。日本語は元来が構造的に非効率なのに、議論に使うと「どっちが偉いんだ」とマウントしたいだけの馬鹿が非効率の上塗りをする。だから落し所を忖度する者だけが役員に選ばれて会議に呼ばれ「ぐちゃぐちゃ理屈を言うなよ」(森さん流だと「女性は話が長い」)と睨みが届く。大きな力による思考停止命令である。会議だけではない、僕は新人の時、お客さんに自分で調べて選んだ株を薦めると「ばかもの、何も考えるな!支店の銘柄をやればいいんだ!」と怒鳴られた。映画で観た帝国陸軍を思い出した。この空気に反駁するのは無理であり、支店の銘柄はいつもハズレなのだ。この時に大いに悩み、以下のことを思い出した。日米開戦の最終決定者は9人おり、天皇以外は官僚だった。民意の代表者は一人もいないのに国民の空気に反論を唱える余地はなかったとする(理が通らない)。思考停止して議論しなかったなら最高権力者の不作為であり、議論しなかった(ハンコを押してない)のだから責任がないなどという日本流のふわふわした理屈が世界で通るはずがなかった(このことは東京裁判の正義とはまた別個の問題である)。いつもハズレならお客様を裏切り、不幸にするのは僕なのだ。

310万人の死者を出した戦さはポツダム宣言の受諾で敗戦をもって終了し、行政権を放棄した日本は米国の信託統治下に置かれた。要するに、日本は米国の属国ですらなく、サンフランシスコ講和条約に調印するまで6年間も「国家」でなかったのである。僕が生まれた昭和30年はまだその余韻があったのだろう。物心ついて小学校にあがる頃になると、国家の負の屈辱を皮肉と笑いでかわす正の方向へのエネルギーが社会に生まれ、「この世でいちばん無責任といわれた男」の植木等がスーダラ節を明るく歌う。半世紀後の「物を考えない付和雷同の無責任社員」の大量発生を見事に予見していたわけだが、なぜか「テキトーなオヤジだな、こんなのが許されていいのか」と思っていたから右翼的なガキだったのかもしれない。

私見では日本はそれ以前にも2度外国に占領された。1度目は白村江敗戦後に唐によって、2度目は黒船騒動から日英通商航海条約調印まで問答無用に不平等条約を押しつけた英、米、仏、独、露、蘭、伊など14カ国によってだ。インテリジェンスに長けた英がグラバーを長崎に送りこんで薩長にクーデターを仕掛けさせ、仏が支えた幕府を倒した。中露がタリバーンを支援してアフガニスタンを乗っ取ったのと同じだ。伊藤博文らはアヘン戦争で清を蹂躙した仮想敵国が実は裏の下手人だったという真相を隠蔽し、天皇を神格化した王政復古で新政権の正統性を謳った政権乗っ取り劇を演じた。その美称が「明治維新」であるが、第2の占領こそがその地盤であった。そして3度目が米のマッカーサー元帥を司令長官とする占領だ。日本を非武装化し、原爆への復讐を恐れて仕掛けた愚民化政策は奏功し、チャラい無責任野郎が恥ずかしげもなく跋扈する国になった。そのことは太田龍の著した「天皇破壊史」(成甲書房)が予言していた。同書はザビエルら宣教師の布教が鉄砲の火薬原料として不可欠であるチリ硝石との「抱き合わせ販売」であり、その結果として篭絡された九州の大名がキリシタンとなって日本人を奴隷として売っていた。それを知って激怒した秀吉が厳罰を科して禁教し、さらに警戒した家康はついに鎖国したと説いているが、鋭い原理的考察は説明力がある。明治維新においては英のロスチャイルド家が薩長に、仏の同家が幕府に武器供与とファイナンスを行い、お家芸である「ノーリスクのマーケットニュートラル(両建て)戦略」で倒幕したと看破しているが、それは僕自身がロンドン時代に担当していたNMロスチャイルドの幹部から聞いた話と符合する。伊藤博文らによる孝明天皇、皇太子睦仁親王の暗殺、天皇すり替えは国内では事実を封殺できたが韓国までは及ばず、伊藤を暗殺した安重根が天誅を下した理由の一つに「国賊」とそれを書き残している。

我が国が壊滅的な国土から世界第2位の経済大国に一気に駆け上った速度とマグニチュードは世界史上類がないが、その奇跡が「物を考えない付和雷同の無責任社員」の集団によってオーガニックに引き起こされたなら宇宙水準の奇跡であろう。そうではない。朝鮮特需のおかげである。昭和の末期まで特需による設備投資の残り火は尽きなかったが、平成の幕開けと同時に大失速した。日本の愚民化は進めつつも反共防波堤には育てたいと慈父のようだった米国がソ連の消滅でその必要がなくなり、自動車、半導体が目障りだとジャパン・バッシング(日本を叩け)に回ったからである。僕は1987年のダボス会議に出席したが、それはジャパン・パッシング(日本は猫またぎ)になり果てていて愕然としたのは記憶に新しい。そこから橋本龍太郎、中川昭一の不審死があり、小泉純一郎というポチが新自由主義を持ちこんでスイス同様に本邦金融を米の軍門に下し、リーマンでトドメを刺され、傷が浅かった中国に一気に抜かれた。平成という時代は我々の子孫に大没落の暗黒期と記憶されるだろう。

しかしそれを米国や中国のせいにするのはお門違いである。立ち止まった者は抜き去られる。愚民化はマッカーサーすら予期しなかったと思われる完成度に達してしまい、明治の国盗り物語の真相を国民に隠し、学校で取り上げもしないから若者が興味も持つはずもなく、ガンジーやリー・クアンユーのような卓越した政治家が出現する芽は慎重に摘まれている。米国大統領がスクール・カースト(米国の学校社会の序列)のジョック(ジャイアンに相当)なら、日本の総理や大臣はメッセンジャー(のび太=パシリ)か、せいぜいプリーザー(スネ夫=ジョックのコネをちらつかせプリーズと金をせびるタカリ屋)という所だ。僕は親類が関わった二・二六事件を調べているが、日本がそこまで落ちたのは先の大戦からではないというのが結論だ。いつからか?明治維新だ。司馬遼太郎ファンが大好きな時代から我が国は既にエージェントのポチども(日本人だ)に毒されており、邪悪を排除する昭和維新が可能と陸軍青年将校らが団結決起する前例と目されたのがそれだったと考える。

2年になるコロナ騒動で日本経済の周回遅れは霧の中で見えにくくなっているが、もう勝負はついてる。IT産業は完全に波に乗り遅れ、自動車、電子部品しか金の成る木がなくなった。トヨタとてEVが主流になる中での戦略は迷いが見える。半導体の下請け仕事と馬鹿にしていたファウンドリーはカネを積んで台湾から来ていただくという先見力のない有様である。GAFAの創業者、現CEOの学歴はGoogle(スタンフォード、コンピューターサイエンス)、Amazon(プリンストン、電気工学)、Facebook(ハーバード、コンピューターサイエンス)、Apple(オーバーン、工学)と、当然とはいえみな理系であり、テスラのイーロン・マスクもペンシルベニア大学の物理学だ。対して日本のIT経営者はみな文系である。エンジニアとしてトップダウンで新機軸を打ち出し世界のディファクト化するなどまず無理だ。学歴で決まるわけではないが、理系思考訓練してない者がそれで勝つというのは草野球のエースが大谷から三振を取ろうというようなものだ。そして、そうした諸々のあまりに当然の帰結として、書くのもアホらしいが、GAFAの合計株式時価総額は約770兆円と日本の上場企業全部の合計である750兆円を抜いた。平成時代は日本株の時価総額が米国を抜いて世界一という天国からスタートし、ずるずる地獄に落ちてついにここに至った。1989年末の日本の時価総額合計は611兆円で今とほぼ変わらないが米国はその間に12倍になっている。「平成時代は大没落の暗黒期」の意味は数字が残酷に語っている。

超がつくIT音痴で国際偏差値32ぐらいの日本の役所と政治家が「IT成長戦略」なんて、そんなものが出るのを待つならアラジンのランプを3Dマシーンで製作した方がいい。物を考えない付和雷同の無責任社員が出世した産業界からも出ようがない。その証拠に、世界がそう思ってるから株が上がらないのである。そこかしこに君臨する昭和のお爺ちゃんたちが恋々と権力にしがみつき、大事なことを忖度の強要と思考停止命令でシャンシャンと決めて軽いタッチで大間違いを犯し、いるだけで若者のやる気を削いで彼らの貴重な時間をクソみたいな会議で空費させている。国家・企業は国民・社員の安全・幸福こそが第一だが、政治家・経営者はいくら御託を並べても数字で評価されることは免れないのが世の掟である。日本国の通信簿はお示しの通りで弁解の余地もない。ここまで君臨してきた昭和のお爺ちゃんは平成の敗戦の責任を取って首を差し出すのが道理で、まだ続投ともなれば、もはや「はしたない」としか書きようがない。このままだと、生まれて株が下がり続け成功体験のない世代がそのままトップになる。それも危険なのだ。ここで少々の失敗は飲んでも成功体験を積ませるかどうかが国運を左右する。運転免許は80才で返上、政治家、経営者は70才で引退。若者が忖度で偉くなる国に明日はない。

 

先見思考なき大学も企業も潰れる時代になる

 

 

 

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