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カテゴリー: SMCについて

役員を自分で2度やめた男

2023 MAR 25 11:11:35 am by 東 賢太郎

朝食の席で家内が「もしあなたが某大に行ってたらどんな人生だったかしらね」というので、なんだか意味がよくわからず、「少なくともここにはいないだろうね」と当たり前の答えをした。

何かというと合格校を辞退して浪人したことだ。先日に神山先生の講演が御茶ノ水であって、出席者の方と駿台の名物教師の話でひとしきり盛り上がった。あれが正解だったかどうか考えたことはあるが、選ばなかった道の先はわからない。「あした」なんてものは星の数ほどあったから気まぐれでしたことだった。

人生何度も苦杯をなめさせられた。でも、その一つでも欠けたらイマはない。良い負けがあるなんてクサい話ではない。どうでもよかった、悩まなくてもよかった、それだけだ。人生の最後に「よかった」と思えればいい。そうすればぜんぶの負の遺産がオセロみたいにひっくり返ってオッケーになるからだ。

思えば最近はブログが人生記になってきていてPVがもうじき900万になる。青汁に乳酸菌が100億個入ってます以上に僕にはつかみどころがないが、1分読んでくれたとして約17年も多くの人様の貴重な時間を頂戴した計算になる。どなたかは存じないが、それだけ一緒に生きて下さったことには感謝しかない。

何度も述べたが、僕は広告料や売名めあてのブロガーやユーチューバーとは違う。PVを増やそうという記事など一本もないし身勝手なトピック、身勝手な中身しか書かない。WBCのビデオを千年後の子孫が見てこう反応した先祖の子孫だと知ってもらいたいからで、PVは世間様も反応されたということだろうか。

だから本来であれば、僕は野球や音楽でなく、プロフェッショナルである投資について反応を書いて残すべきなのだがそれでは商売にならない。書かなければ僕とともに消える。だから家族はもちろん、リアルタイムで一緒に生きて下さっているお客様、社員、協力会社様との会話やあれこれの記録はとても重要だ。

ちなみに昨日はお客様と電話で1時間半話した。「東証1部上場企業の役員を自分から2度辞めました」「まるでドラマですね」から始まって、この業界酸いも甘いもという裏話からああだこうだの質疑応答に至ってそうなった。投資コンサルは哲学が必要である。助言をさせてただくのは理解して下さる方だけだ。

ブログの読者の方々も、きっと電話すれば1時間半になるような、おそらくそういうインテリジェンスがあって熱心な方々なのだろうと想像する。SMC西室にご連絡いただければお会いもするし、お取引はともかくすでに何度か来社された方もおられる。昨今は以下のようなケースもでてきた。

まず僕のブログを読んでアメリカから神山先生を訪ねてこられた方がおられたことを伺った。また、先日は東京芸大の楽理科の先生から「プリンストン大学音楽科のサイモン・モリソン教授が東さんのプロコフィエフ論のブログをレクチャーで引用したいそうなので許可いただけますか」というご連絡が西室にあった。

教授がそう思われたことに関心があり、レクチャーはあさって母校の成城学園でのようなので出席しようと思うが、「どのような経緯でモリソン先生が東さんのブログに行きついたのかわかりません。どうやらほかのピアニストの方が引用されているのをご覧になったようです」とあった。

こういうのを見て家内から質問がきたのかと思ったら、「そっちの大学なら文筆業になったかもしれないね」ということだった。「いや、才能ないよ。行った方の大学でも弁護士にならなかったしね。役員を2度やめた男のほうがずっと俺らしい」。こればかりは揺るぎない。

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来月でいよいよSMCは10周年

2022 SEP 8 0:00:51 am by 東 賢太郎

新聞で唯一つ読んできた日経新聞の購読をこのたび打ち切ることにした。オンラインにしたわけでもない。もう業務にもプライベートにも不要である。これは僕にとって社会に出て四十余年、毎日やってきたことをやめるという意味ではちょっとした決断だが、心の声がそうしろというのにはいつも従う取り決めがある。もともと新聞は見出しだけで凡そ内容は察しがついてしまって久しいから、株価に影響がありそうなのだけ読んでいた。ところが、それがそもそもなくなったことに気がついたのだ。これは日経のせいではないが、何であれ、無用なものにお金を払わないのはポリシーである。

あれから全面的に報道がおかしい。5・15事件に匹敵する暗殺事件のことである。この国の反応、こんなものでいいのか?殺人事件で何より大事なのは物証である。漏れ聞こえてきているが、銃弾の数があわない。心臓の銃創で奈良県立医大と奈良県警の解剖所見がちがう。同様のことは伊藤博文の遺体でもあったが、安倍氏の遺体は早々に荼毘に付された。国会はシャーロック・ホームズを呼んできたらどうだろう。野党は国葬反対がだめなら経費が高い、マスコミは統一教会のオンパレだ(僕はぜんぜんどうでもいい)。この方たちは日本国にとって、いったい何なのだろう?警察庁は奈良県警の警備に不備がありましたで首をすげ替えて終わり。東京にミサイルぶち込まれてもこんなもんじゃないか心配になってきた。

この異様さの原点は、しかし、我々日本国民にある。大勢が気にすると気にする。しないとしない。だから報道されないと、しない。何がFACTかは気にしない。なぜなら、正しいかどうかより大勢が言ってるかどうの方が日本国では大事だ。だから、気にしてしまったものが後でウソでも誰も怒らない。みんなで騙されたからだ。

僕が去年、コロナを完全に無視した菅総理の東京オリンピック強行にブログで大反対したのをご記憶だろうか。やられてしまった怒りで、アスリートには申し訳ないが、中身のことはこっちも完全無視した。そして「IOCのエセ貴族を筆頭にした税金タカリ屋の祭典だ」と書いた。誰も何も騒がなかったが、いま、本当にそうだったことが検察の手によって次々に明らかになっている。これが本来の司法というものだ。しかし、悲しいことに、こうして報道されてお茶の間の話題にのぼると、初めて国民はけしからんと騒ぐのだ。「行列を見たら並ぶ」のはロシア人といわれるが、どうしてどうして、日本人がいちばん病気だ。行列のわけを知って、なんだこんなのに並んでたのか、ああ損したと思わないからだ。

なぜか?最大の理由と考えられるのは、並ばないと変な人と思われるからだ。美化する者はこれを「協調性」と呼び、しない者は「同調圧力」と呼ぶが、要はおんなじものである。いずれであれ、「自分が損してでも変な人にならない方が得」という方がよっぽど国際的に変な人なのだ。そうなってしまうことを社会心理学では「スパイト行動」(spite behavior)という。スパイトはin spite of~のそれで、「悪意」「いじわる」の意味だ。日本人はその傾向が強いとする様々な研究がある(http://経済実験におけるスパイト行動)。つまり、日本の美徳である「協調性」は実は行列に並ばない人を排除するスパイト行動によって支えられていて、「いじめ」というのは「変な人」を見せしめにする私刑行為で、それを補強していると考えてしまうほどだ。「長い物には巻かれろ」という日本的香り満点の箴言の正体はそれである。

ちなみに「協調性」は英語でcooperativeness、collaborativenessだが、16年英語世界にいて聞いたためしがない。「私は何でも誰とでも協調できます」ということだが、「いい人」は飲み友達にはいいかもしれないがビジネスではあまり役に立たないのと同様、入社面接で強調してもそれで合格するとは思えないから言わない方がいいだろう。英語は「cooperationが必要な時に無用の対立をするほど人間は尖ってません」ぐらいのニュアンスであり、そんなの当たり前だろで、むしろ付和雷同のほうを疑われる。協調が売りの人は、自分に何もないからそれを売るのであって、中国では求める方が異常だ。つまり「彼は協調性があるね」がいつも誉め言葉であるのは日本だけだ。これが「行列に並ぶ人」であり「長い物には巻かれる」人である。並ばない人、巻かれない人であるinventor(発明家)、innovator(革新者)、entrepreneur(起業家)、investor(投資家)には生まれつき向いてない人の方が日本社会では評価が高いのである。

ドイツにはシャーデンフロイデ(Schadenfreude)という言葉がある。意味は「他人の不幸は蜜の味」そのものだ。ところが英語にその単語はなく、ドイツ語をそのまま使ってる。需要がないと言葉はできないから、ドイツ人の方がそのケがあるのである。従って、全体主義化しやすい点では日本人と似ているわけだが、自分が損してでもというほど気合が入ったものではないと思う(ドイツ人はケチだ)。かたや日本では幼稚園から「みんな仲良く」だ。仲良くしない子は先生に叱られるのを見て「並ばなくては」「巻かれなくては」と育ち、長じては自分が風紀委員になって取り締まってもいいという人も出る(コロナの自粛警察が例だ)。かように日本人は特異な国民であって、特攻隊という発想をした大本営の動機は「肉を切らせて骨を断つ」でも「ジハード」でもなく、俺が死ぬんだからお前も死んでくれという「スパイト行動」につけこんだものじゃないかとすら思えてくる。学者の研究が間違いでないならば、日本人はことさらに他人の幸福をねたみ、身銭を切ってでも足を引っ張り、自分が損するなら他人はもっと損して欲しいと願う悲しい民族性があることは、認めたくあろうがなかろうがFACTであり、ここで「不愉快だ」と無視を決め込む人は、典型的に協調性だけで生きてきた人だろう。

民族性に文句をつけても何も起きないのは承知だが、だから「日本国は本質的に成長しにくい国だ」ということは知っておいた方がいい。例えば経済面での話をすれば、起業は「行列に並ばない人」がするものだ。並んでる側に大きな利益があるはずない。もしあるなら並ばせてる人も並んだ方が楽で安全に利益が得られるからだ。したがって、それを得んとする起業家は「並ばせる人」になるしかない。並ばないのだからイジメられる。それを覚悟した、日本における少数民族なのである。しかし、初めは誰しも意気軒昂だが、「変な人だね」のいじめにさらされ、9割が5年以内に力尽きてしまう。「行列に並ぶ人」はそれ見たことか(ざまあみろ)となる。「寄らば大樹の陰」のスローガンのもとでみんな仲良く「安心・安全」と「小さな幸せ」を分け合って我慢するのが日本国民の鉄則なのだ。従わなかった者が失敗するのは天罰であって当然、だから「ざま(様)を見ろ」(See how you look like.)と嘲るわけだ。こんな国で誰がリスクをとってイノベーションなどおこすものか。「日本国は本質的に成長しにくい国だ」はテッパンなのである。

昭和の高度成長は朝鮮戦争の特需であって、成長のエンジンであるイノベーションがもたらしたわけではない。特需はバブルをおこしてやがて去り、平成時代に元の木阿弥になった。そこから景気は「凪」のまま、デフレの病に陥って今に至る。民主党政権下で病膏肓に入り日本は死にかかったが、第2次安倍政権が超金融緩和政策のカンフル剤を打って救った。それを継いだ菅政権がどんな経済政策をしようとしたか僕はさっぱりわからない。さらにそれを継いだ岸田政権は、新自由主義はいかん、あれは失敗だった、だから「新しい資本主義」に転換すると言い出した。だいぶ前にそんな記事を日経新聞で読んで、何度読んでもわけがわからなかったことだけ鮮明に覚えている。

ブログに書きもしなかったのは、イノベーションもおきない日本が新自由主義だって?自民党の内紛と不動産屋の利権でやった郵政民営化をサッチャリズムと呼ぶぐらいお笑いだろで終わったからだ。ミュージカルをオペラだと思ってる類の自称西洋通の人たちの華麗なる世界であって、僕には無縁で異様でさえある。いまここで書くのは、イノベーターも起業家も「変な人」で足を引っ張られて海水のミジンコぐらい生息できない国で、新しかろうが古かろうが資本主義をやっても限界だ、「新しい社会主義」をやろうが本音なんだろうと思ったからだ。そこで、それらしく国家が推進して小学生にまで「株を買いましょう」とやってる。このひとたち、ホントに大丈夫なんだろうか。

株を買って資産倍増を目指すのは大いに結構だが、大樹だったはずの名門企業も外資に身売りするか、その救いもなく倒れて根っこをむき出してしまう異変がおきだした昨今である。すると、政府のお薦めでその株を買った人も、寄らば大樹の陰で勤めていた人達も、資産は倍増どころか半減するかもしれないことはどう論じられたんだろう。誰がその責任をとるんだろう。ところが、実は大丈夫なのだ。もしそうなっても、それでもなお、「こんな大企業が潰れたんだから仕方ないよね」と傷をなめあう同志が大勢なものだから「おお、私は長い物に巻かれている」という新たな安堵感が出てきて、行列に並んで損したとは思わないユートピアのような優しい世界がやがて現出するだろう。これがイルージョン(幻視)に満ち満ちた日本的幸福の典型的な姿である。

いま、日本丸は国ごとタイタニックみたいにそういう船になりつつあり、どうやって国民に快適なイルージョンを与えて衝突の苦痛を癒してあげようかという思いやり深い政治家、官僚が懸命に働いているのである。それ作りのプロフェッショナルである電通という会社もある。世が世なら、東京オリンピックもそのだしになって、税金の中抜きや賄賂で私腹を肥やしてた者たちも、それがバレるどころか国民の賛辞を欲しいままにするはずだったのだ。いいじゃないか、みんなで落ちる所まで落ちれば、貧乏バンザイ、韓国に抜かれたってこっちには富士山も温泉もあるからさ、なんてのがそのうち出てくるだろう。

僕が行列に並ばない人なことはこれまで読んで下さった人はご存じだ。その僕が尊敬する人が世にひとりだけいる。清少納言だ。なぜか?絶対に並ばないからである。いち女房の身でなぜそれができたか?ボスのサロンが守ったからだ。最高権力者である藤原氏が後ろ盾の一条天皇、その奥方である中宮・藤原定子という庇護者の威光で、「変な人だ」の風圧がシャットアウトされ、たった8年間ではあったが言いたい放題の「枕草子」執筆ができたのである。ボスが亡くなってサロンが消えるとその言論空間も露と消えたが、そこで生まれた作品は後の世でも大切に守られた。とりわけ「春は曙・・」は江戸時代の庶民に大人気となり、現代人まですっきり痛快にしてくれる。1000年の歴史にほんの一瞬だけあった「いじめフリー」「スパイトフリー」の特殊空間において彼女の天賦の才が全開になったというレアな化学反応から生まれたこの作品は、冬の天空でひときわ明るいシリウスのような輝きを放っている。

その空間は定子のあとを襲った藤原彰子のサロンにもあったことは、女房を引き継いだ10年後輩の紫式部が「源氏物語」を生んだことで示されている。どっちも日本が誇る大傑作であるが、個人的な趣味で言わせてもらえば、長編不倫小説よりも簡潔な箴言集の方が性に合う。「枕草子」は小説という虚構ではなく、ノンフィクションでもないが、筆者の赤裸々な独断と偏見の開陳ではあり、その言うことのいちいちの是非の無粋な詮索は刎ねつけるほどに筆のタッチが強くて鮮烈である。これを男に書けといわれても無理だと思う。男はそこまで「猫的」に社会から超然と、自由にしなやかにはなれない動物である。吉田兼好や鴨長明がいくら俗名を捨て、出家しようと神官になろうと、社会との「犬的」な関係はゼロにはならない。しかし、女性だからできたことが、彼女の亡き後、どんどん女性だからできないことになってしまった。だから模倣者も後継者も現れようがなかったのである。

彼女は「春夏秋冬」や「**なるもの」への「プライベートな感性のリアクション」を枕草子に刻印することで、隠し立てのない自分自身を写しだし、325枚の見事な「自画像」を残した。ファンである僕は、彼女が何を「徒然なるもの」と断じようと楽しい。もし夏は曙であったとしてもぜんぜん構わない。物事のイデアとしての哲学的存在、性質を論じてるのではないからだ(それは男の仕事だ)。万事が彼女の目に映ったものであり、その限りにおいて「存在(sein)」しているものの活写である。

何事も有無を言わさず「をかし」「愛し」「はしたなし」と一言でばっさり評価してしまう彼女は、人物として、「ちんけな小物」であってはならない。そんな人の言い草に興味を持つ者はないのは、誰かさんがインスタで毎食の写真をアップしても誰も見ないのと同じことだ。自信満々だが自然や子供には細やかで優しい目をそそぎ、きっぷが良くて度量も大きく、しかし時として女性らしいもろさで嫉妬や怨み節も開陳してしまう。僕らはその描写を愛しているようで、実は、彼女の感性、人となりを愛してるのである。日本国の悲しいスパイト空間に閉じ込められて、長い物に巻かれ、自分を押し殺し、へりくだり、空気を読んだりで我慢に我慢を重ね、自分が不幸だから他人にはもっと不幸になってもらいたいと一途に願って居酒屋で「あのバカ部長が」とくだをまく人々のジャンヌ・ダルクになっても不思議ではないだろう。

ちょうこくしつ座銀河(NGC 253)

こちらも負けじと好き勝手を書き綴ってきたが、来月でいよいよそれが10年になる。なぜ時間をかけてそんなことをしたかというと、僕の「自画像」を1000年後の子孫に残してあげたら彼らはきっと楽しいだろう、それだけである。タイムカプセルにして非公開でもよかったが、同じ考えの方がおられれば宇宙船に同乗していただいてもいいなと思ってSMCという乗り物を作った。

ひとりぐらい、西暦3022年になって、まるで僕が清少納言さんを想像したみたいに僕のことをブログにでも書いてくれるかもしれないと思うと、それもまた楽しい。この楽しさというのは、僕が物心ついて最初の関心事であった天文学に発している。写真の銀河(NGC253)(撮影日:2020/10/20)は地球から1040光年の距離にある。つまりこの銀河が西暦980年の時の姿をいま僕らは見ているのだが、この画像の光が出たとき、清少納言さんは14才である。

「同時」って何だと不思議にならないだろうか?アメリカに電話して、1秒遅れて声が聞こえるイメージだ。声の主と本人とは1秒の間に1150万個の細胞が入れ替わってる別人だ。500光年先にあるオリオン座ベテルギウスあたりに鏡を置いて、いま僕が手をふれば、未来の子孫は鏡に映ったそれが見える。細胞入れかわりどころか、僕のお墓は1000年たってる。先日「枕草子」を通読して、清少納言がそこに生きていて語りかけている感じがしたのはそういうことだろう。

人が生きているかどうかは肉体の生存の問題ではない。その人のことを考える人がいれば、そこで生きているということだ。ブログを書いてそれを毎日1000人の人が読んでくれれば、僕はもうこの世にいなくても1000人の僕が毎日アラジンのランプから現れて、あたかも生きてるみたいなことになる。今は生きてるが、何もしなければいつもひとりぼっちだ。だから書いてきてよかったと思うが、しかし、仕事や健康と相談すれば、どこかでやめないといけないだろうとも思う。

書きたいことの8割がたはもう残した。息子は製本しようかといってくれている。日経新聞の購読をやめたことは、というより、やめるような情勢になってきたということは、僕の中では不可避的にいろいろな判断を強いられることになるだろう。あくまでも、僕は死ぬまで事業家でありたいからだ。世の中も変だが株式市場はもっと変であり、為替もしかりで144円をつけて30%もの劇的円安を的中させたのは万々歳だが、ここからは未知数が増えるから五里霧中だ。そんな先でもなく、いずれ想定外のことが起きるだろう。残念ながら仕事のことは開陳できないが、その時はその時だと腹をくくるしかない。

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日本は「飛ばないカラス」(若者への警鐘)

2022 JUL 28 20:20:56 pm by 東 賢太郎

いま写真の本を読みかけている。若い方、昭和史はあまり学校が教えないだろうから詳しくないかも知れないが、昭和11年2月26日未明に帝国陸軍青年将校による武装クーデターが発生し、首相、蔵相、内大臣らを襲撃、高橋是清、斎藤実、渡辺錠太郎ら現職の政府要人を殺害し、永田町、霞が関一帯を占拠したが鎮圧された事件だ。単発の騒動ではなく、昭和7年には海軍将校による犬養毅首相射殺事件(五・一五事件)がおきていた。かくなる軍部の内部抗争の力学が影響した国家最悪の事態として、300万人が亡くなる太平洋戦争突入が決まってしまうのである。この事件を教訓として学んで欲しい。

青年将校たちが「君側の奸」と呼んで襲撃した要人たちと比べると、いまの権力者は信念も国家観もない日和見だらけで、終始一貫している唯一のことは親米親中を問わず自分の既得権益ファーストの売国奴ということだ。彼らが話す言葉は我々の業界でいう「ポジショントーク」で、ある株をたんまり持っていて売りたいので「いい株だから買いですよ」と専門家面してもっともらしい理屈をこねるのである。バレたって「いい株だから私持ってるんです。それが何か?」で逃げられる。コロナや戦争でテレビに出てるコメンテーターの言葉もそれだ。真理を話すのが目的ではない、そんなの誰もわかってないし俺だってわかんないよ、でも自分は「専門家」って紹介されてるしこんなのでギャラくれるし、また呼んでもらえるようにテレビ局に都合の良い話をもっともらしくしておこう。ギャラはもっともらしさに支払われるという点において、薄っぺらな政治家の選挙演説と同工異曲である。真理はどうでもいいのである。僕とは真逆の精神の人達だ。

こういう連中がいくら演技しようが、職業上、もっと高度なプロ対プロのポジショントークを駆使しながら日々戦っている我々はすぐわかる。そいつのココロを読んだ瞬間にもう聞かない。プロの麻雀大会でツミコミがあってもやられる方が悪いで済むが、それを素人に仕掛けてはいけない。これは法律でなく職業倫理なのだ。それを素人にすることを職業としている方々とは悪いが人種が違うとしか申し上げようがない。昨今における、ただでさえ軽かった政治家の、羽毛どころかホコリの千分の一もない軽い言葉。「巧言令色、鮮し仁」なんてあまりにもったいなく、言われても理解できない者も多かろうし揶揄する気もおきない。国語の崩壊。それは国家の危機のバロメーターだと見抜いた三島由紀夫のような鋭利で腹のある男はもういない。世が世なら二・二六の現代版があったろう。昨年の東京五輪の意味不明の強行あたりから僕はそんなことを漠然と考え始めていた。しかし、もうおきないのだ。それが美しい日本の姿であり、成熟した日本国民の誇りなのだという声があちこちから聞こえる。そうだろうか。美しいのは富士山をはじめとする国土だけで、日本人は江戸時代からの伝統芸で外国人には到底まねのできない「長い物には巻かれろ」で生きる人が多数派から大多数に躍進しただけだ。長い物の能力は凄まじく劣化し、巻かれるほうはぬるま湯でもいい湯だねと思える国民的耐久力が進化した。その裏で、かつては隆々としていた覇気も上昇意欲も退化。飛ばないカラスみたいにみじめに凋落した二流国になろうとしているのではないだろうか。

認知症で記憶がなくなる直前に母に祖母のmaiden name(旧姓)を聞いてよかった。気丈な祖母は駆け落ち婚だから多くを語らなかったが、それが「まさき」と知ってすべてが始まる。ミトコンドリアゲノムは母系遺伝だから僕はそれでいうなら佐賀の真崎くんである。二・二六事件の不名誉な批判が我が事と思えてきたのはそれからだ。父からは台湾軍司令官だよと聞きどこかで騎乗の軍服写真を見た記憶があるが、それは本来が関東軍司令官であるところ政争の故あって飛ばされていたのだった。同書は極東国際軍事裁判における「真崎は二・二六事件の被害者であり、或はスケープゴートされたるものにして、該事件の関係者には非ざりしなり」(ロビンソン検事、不起訴にした)という立場であり、嬉しい書に初めて出会った。

クーデターをおこした皇道派は昭和天皇が正統性を否定して統制派に敗れたと教科書ではなっている。皇道派は天皇親政の下での国家改造を目指す荒木貞夫陸軍大臣と真崎甚三郎陸軍大将の派閥だが、陸軍には人事全権を握る皇道派しかなく、統制派などというものはなかった。様々なアンチが結集し永田鉄山(後に真崎を更迭したかどで暗殺される)を派閥の長として対抗した閥がそう呼ばれるようになっただけだ。真崎は若手将校たちに格別の人望があり、君側の奸を排した後の総理大臣に推挙されたが、なっていれば東条英機の運命をたどってA級戦犯となり巣鴨で処刑されていたから東条のご遺族には申し訳ないが幸運ともいえる。こういう諸々のことから彼の人となりを想像するに権力者の割には人間的でどこか憎からずというものを感じる。

さて二・二六事件あたりの世相に目を向けよう。大不況により企業倒産が相次ぎ、失業者は増加し、農村は貧困に喘ぎ疲弊していた。かたや大財閥などの富裕層は富を蓄積して格差が広がり社会不安が増大したというものだった。近未来を髣髴させる。青年将校たちは地方出身者が多く、娘を売る農村の惨状に悲憤慷慨し、権力中枢に巣食う勝ち組の売国奴どもを誅し、天皇親政の下での国家改造(昭和維新)をめざそうとしたのだった。真崎が主犯であるとする統制派は彼を政治的に抹殺すべく二・二六を利用したのであり、政治を犯罪要件として吟味したロビンソン検事が看破したとおりと信じる。将校たちの天皇親政への畏敬、国富偏在への危機感、国家観は当時のパラダイム下では不当なものではないが、真崎に頼り天皇に直訴してもらうしか実行手段はなかった。そうではなくクーデターへの道を進んだことの是非はここではおくが、命を賭して信念を貫く若者たちの愛国心には僕は日本人として感動を禁じ得ない。彼らに真崎が言ったと伝わる「お前たちの心はヨオックわかっとる、ヨォッークわかっとる」は僕もよくわかる。

僕がブログ読者として意識しているのは6割ほどを占める44才以下だ。そこには子供の世代である25~34才が20%、孫でもおかしくない18~24才も20%おられる。かたやこちらは67才で、白髪でメタボ腹の前期高齢者で、なんだかんだで書くことは昔を懐かしむだけ、己の成功を自慢吹聴しまくり、失敗の方は都合よく忘れてしまっているという不愉快なジジイである。65才以上の同世代読者が10%ぐらいというのは、パソコンができないか視力の問題か、さもなくば近親憎悪だろうと考えている。僕が世代のギャップを超えて孫、子の代と通じ合うものがあるとすれば、それはもう奇跡と呼ぶしかない。拙文はアニメ感覚で読めるものでなく、日本語が不如意な人は読まないだろうし、読める人はおそらく記憶力は良く、文章は画像より脳に定着しにくいが一旦すると消えにくいのだ。自分も若き年代に読んだ物はいまも心に残っており、一部は僕の美学にまでなって性格にとりこまれている。

ブログに影響されたという人が出てきたら人生で成功して欲しい。いや、首根っこをつかまえてでも成功させてあげたい。僕がものを学んだ時代、アメリカで教育を受けた時代、そして海外で仕事した時代の西欧の社会思想は、新自由主義、ネオリベラリズムへまっしぐら派(シカゴ学派、サッチャリズムetc)とソーシャリズム派(中道左派、欧州の社会自由主義政党の台頭)がクリアに分岐しつつあった。僕はリベラリストであるから個人の自由や市場原理を重視し政府の介入を最小限にする前者に共鳴し、サッチャリズムがリアルタイムで展開される英国で6年過ごした体感も寄与した。ネオリベラリズムは拡大してグローバリズムともされ、いま世界に所得の不平等をもたらした弱肉強食的な思想として蛇蝎の如く嫌われるが、ではケインジアンの大きな政府が介入したとして、所得格差は多少縮まるかもしれないが、経済全体がうまくいかなければ分配原資が減って国民全員が貧しくなる、これはどうするんだというと有効な答えはどこからも出てこない。コロナ禍救済策でやむなく出現した「大きな政府」の一環である中央銀行のバラマキが少なくとも株式市場を救ってはくれた。それは僕の事業にはプラスだったが、それで大きな政府が恒常化するドクトリンを信奉しようなどという軽さは僕には微塵もない。「ボクも貧乏キミも貧乏、それでいいじゃないか、みんなで辛さを分かち合おう」というのが猫の餌食になる飛ばないカラスだ。政治家や役人が経済政策、予知能力に長けた全能の賢人である可能性は限りなくゼロであることを歴史的賢人たちが世界史から学び取ったからこそ、万能ではないが人間よりはましな市場にまかせようとするのである。彼らより賢くない政府に任せるとどうして幸せになれるのか誰か論理的にご教示願いたい。

弱肉強食はいけないというのは「うちの息子が泣いて帰ってきたから運動会で順位をつけるのはやめてください」「これは虐待です。息子の人権を認めなさい」というモンスターな母親の理屈だ。それで社会を動かそうというのはひとつの考え方ではあるが、息子さんは幸福にはなるが国民は不幸になるなら採用すべきではない。弱肉強食は競争という社会に自然にあるものの誇張表現にすぎない。全員が平等なはずの共産主義国ですら政権で良いポストを得る激烈な競争がある。いかなる国家、経済体制でもヒトが2人いれば必ずある。だからそれに勝ちぬく力をつけることは、人類普遍の一般論として、良い人生を送るための必修科目なのである。学んで得と思うか否かは自由だが学んで何の損があろう。で、ここはジジイの自慢を思いっきりさせてもらうが、僕は誰にも習っていない自分であみだした方法で受験、仕事、出世、運用、蓄財、野球、ゴルフの競争をそれなりに勝ち抜いてきた。つもりや自負ではない、誰にも文句を言われない程度には事実である。だから我が方法の価値は客観性をもった証明ができ、それはカネをとって教えられる。何故しないかというと、そういうことはカネがない人の仕事だからだ。ない人は成功してないからない。どうしてその人の本や講義で成功できるのかわかる人がいたらご教示願いたい。僕はカネがあるからそんなことをする必要はない。だから全部ブログに書いているのである。

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フランス革命を連想する大物議員の落選

2021 NOV 3 9:09:47 am by 東 賢太郎

ちらほら聞こえてくる話だが大勝した自民党に明るい空気はあまりないらしい。甘利氏の件だろう。現職幹事長の小選挙区落選は前代未聞だが、そうした衝撃は自民だけの話ではない。立憲の枝野代表も最後まで薄氷を踏む接戦だったし、野党の顔として人気のあった辻本議員は比例復活すらなく国会を去る。どの党が勝ちであれ負けであれ、全国会議員に首筋が寒い思いが走っていよう。

今回の衆院選の投票率は史上3番目の低さだった。つまり、過去の常識では、自公にとって史上3番目に強い追い風の吹いた選挙だったのである。現に、自民は単独で過半数と、大方の予想を覆す圧勝だったことが雄弁にそれを示している。ところがだ。それにもかかわらず、過去の常識では一番落ちないはずの現職幹事長が落ちてしまった。これをどう解釈すべきだろうか?

甘利氏本人が指摘するように「落選運動をされた」からか?たしかにそうだったのだろう。最高裁判事の国民審査は辞めさせたい人に「✖」を書いて落とす。議員の選挙にその仕組みはないので落としたい候補者の対抗馬に票を集中する。甘利氏はそれが起きたといいたいのだろうが、「前回までダブルスコアで勝ったのに」という認識があまりに甘い。票田がある俺が負けるはずない、だから落選運動がけしからん。悪いが、この物言いは最悪だ。ショットが木に当たって「誰がこんな所に木を植えたんだ」と激怒した某大物ゴルファーと民度が変わらない。そもそも世の風を読めてない時点で、政治家は失格ですらある。

小選挙区制での野党共闘という「舞台設定」はかねてよりあった。新しくない。でもうまくいかなかったのである。では何が変わったのだろう?甘利事例の衝撃は、有権者が大物だろうがお構いなしに首をはねる、そのギラリと光る刃の鋭さと強い意志にある。まるでフランス革命なのだ。何か不気味なほど巨大な不平不満のマグマがあった。だから甘利氏だけでない、石原伸晃元幹事長、野田毅元自治相、若宮健嗣万博相(現職)、桜田義孝元五輪相、松本純元国家公安委員長、辻元清美立憲民主党副代表、小沢一郎元民主党代表が小選挙区で落ちている。

大物政治家の小選挙区落選は、失礼ながらそのレアさから猿が木から落ちたといわれる。ドラえもんの「比例代表ネット~~」にボヨ~ンと醜く引っかかって救命される姿も国民の眼に焼きついてしまい、政治家としては出世に関わろう。今回は、絶滅危惧種とされていた自民の「魔の3回生」ですらボヨ~ン組をいれて9割も生き残ったのだから、落ちてしまった方の豪華な顔ぶれがさらに目立ち、革命だなあと国民に感慨を持たれている。実に異様だ。兵卒、足軽が元気に生き残って大将だけが首を刎ねられることは物理的に戦場ではあり得ない。つまり、今回の総選挙は「戦場でなく刑場」の性質が包含されていたのがとても異質で、だから自民内部でも勝利の雄たけびは控えめなのだろうと思料する。

以下、シンプルに本稿の要旨をまとめる。

小選挙区制、野党共闘の「舞台設定」はかねてよりあった。新しくないから革命でも何でもない。そうではなく「舞台裏」で静かに起きている革命があった。今回はそれが表舞台に大規模に顔を見せた史上初の事例である。

革命とはSNSの浸透だ。僕は10年前からこの現象に強い興味を懐いてきた。ソナー・メンバーズ・クラブを立ち上げて、いろんな実験をしてきた。動画を百本作り映画を作る寸前まで行ってコロナになったが、実験精神は変わらない。

SNSは20年も前からある。新しくない。変わったのは、それを閲覧するユーザーの質と数なのだ。書き手も読み手も匿名の無学な層だと政治家、オールドメディアは思っているが、そうでないことを彼らは知らないか無視を決めている。

「アンチ政治とカネ」運動は甘利氏の神奈川13区の有権者だけに起きた個別事象ではない。彼らは自由にネットを閲覧し、全国の有権者の意見を知り、自由に意思決定する。4割いる「最大政党」の無党派層は日々そう進化している。

例えば僕のブログ記事は東京都世田谷区の有権者しか読めないわけではない。北海道から沖縄まで毎日2千人以上の読者がいる。そうしたメディアのプライベート化、読者の多様化、多層化が40代より若い層で進んでいる感触がある。

発信者、受信者の多様化は順列組合せの数を増やし、増加速度は乗数的である。いずれテレビ1局の視聴率増で獲得できる受信者数を上回る。それによる政治インパクトは不明だがオールドメディアが信じたいゼロということはないだろう。

鍵を握るのは30代だ。彼らは10年前に車は持たない、テレビは見ない、新聞も読まない20代の子たちだった。我が子に近いスマホ世代だが、もちろん昭和の我々とちがう極めてまっとうな社会性と正義感を持った世代と感じる。

僕のブログ読者の53.7%は44才より若く、34.1%は34才より若い。その世代なのだ。しかも高等教育を受けている(でなければ僕の文章は読めない)。次世代を託す層だと実感するので頑張って書こうというインセンティブはある。

その世代の皆さんに言いたい。今回の衆院戦で皆さんはフランス革命を起こせるようになったことを知った。票田を相続するだけの家業議員や、私腹を肥やしたり、税金を無意味にばら撒く不届き議員は公開処刑できるということだ。

革命は暴動、殺戮と紙一重だが、そこから発した思想である主権在民は貴族制を否定するヘゲモニーであり、国民は政治を委託する代表者を選択はするが罷免もする。つまり今回の事例は、まぎれもない民主主義の正統な姿なのである。

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拙稿の閲覧数700万回の御礼

2021 JUN 3 1:01:23 am by 東 賢太郎

アメリカの歌手、B・J・トーマスが亡くなった記事を見てバート・バカラック「雨にぬれても」をYahooで検索したら拙稿が出てきた。

http://バート・バカラック「雨にぬれても」の魔力 | Sonar Members …

この曲も古くなっちまったってことだ。気がついたら拙稿のPVは7,000,000回をこえていて僕もけっこう古手ブロガーに数えられており、古い者が古い物をほめているという図式を古い人が面白がってくれてるということが背景なんだろう。

そう思ったがGoogle Analyticsを見るとそうでもない。以前からその傾向があったが現在の僕の読者は43%が44才以下、うち22%が34才以下だ。ざっくり半分が40半ばより若い学生、働き盛りということになる。とても嬉しい。SMCは50才以上をイメージして始めたが老人クラブではない、若年層に知恵と勇気をつけてあげたいという思いだけでやってきたから本望だ。僕はインフォメーションを書く気はさらさらない、そんなのは自分でググりなさい。書くのはインテリジェンスのみだ。僕自身それしか興味ないからそうなるしかない。勉強や世渡りを教えることはできないが、拙文に長くつきあってくれれば思考回路は似てくるという気がしてならない。現にそう言った若者がいた。そうなれば自分でユニークな思考ができるようになる。ただし普通で平穏な人生が良い人にとっては害かもしれないとも思う。そういう方はここでやめたほうがいい。

ちなみに、誰に会っても「若いですね」といわれる。66はないですね、50ぐらいですと。お世辞半分としても、精神年齢は若いと自分でも思う。たとえば去年はコロナ環境に適合した会社「アルカ」を作って今年は利益が出るし、先月はある会社の買収に成功した。金融とは程遠い業界の顧問にもなる予定で、もはや僕にとってビジネスは金儲けより好奇心の充足である。面白いと思わないと儲かってもやらない。だってそんなものに憂き身をやつすのはカネに隷属するということで人生の空費以外の何物でもない。若者は「面白いこと」に時間を使いなさい。そしてそれを極めなさい。仮にそれで食えず、やむなく一時の隷属生活になってもめげないことだ。そうしていれば、極めてない周囲より評価される日が来る。そこでまたそれを極めなさい。これが成功のスパイラルになる。

面白いと思う事柄は年齢と共に変わっていくが、そこに節操なんてものはかけらもない。持つ気もない。心の移ろいというのは自然の摂理だと思っている。自然に逆らってもいいことはない。「不動心」とか「軸がぶれない」なんてのは、変化する能力も勇気もない者があみだした念仏である。そんなもので戦争には勝てないし、なによりダサい。人間その時々にやりたい事をやれば集中力もパフォーマンスも上がるのであって、業績もお金も自然についてくる。だからそれに徹するのが幸福な人生であり、やりたくもないくだらない仕事に時間を使うのは奴隷である。英語でドンキー・ワーク(ロバの仕事)というものをくだらないと思うかどうかはあなたのセンスとポリシーによる。僕は絶対に奴隷にはならない。なぜならみっともないし格好悪い。格好悪いのは耐えられない性格だからだ。

女性読者は30~40%だったのが45%に増えている。これもとても誇らしい。男は何才になっても女性にもてたいのである。僕は先祖が九州と能登で陽と陰、動と静、アバウトさと緻密さ、気まぐれと集中、飽きっぽさとねばり強さが同居した珍しい人間だ。「南国君」と「北国君」のどっちでもある。でも自分でどっちが好きかというと北国君であって、実は僕の内なる南国君も彼には一目置いている。おカネを増やしたのは南国君なのに北国君はあまり評価しない。困ったのは若いころだ、女性とデートすると優位に立つ北国君が出てくるが話題がさっぱりないのである。で、すぐふられる。ぜんぜんもてない。それはもはやトラウマになっている。

しかしである。なんということだ。実はブログ執筆は、もてない北国君がもっぱら引き受けているのである。彼を女性が45%も支持して下さっているとは天変地異の予兆でないことを祈るばかりである。そうなるとできれば80%ぐらいにしたいと欲も出るが、北国君にそういう才覚はない。なぜなら、彼は昔も今も変わりがなく、何がうけてるかさっぱり見当もつかないからだ。

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「のぞき劇場」のコメント欄について

2020 MAY 23 7:07:12 am by 東 賢太郎

5年前にこのブログを載せました。実は同じタイトルの記事をもう一度書こうと思っていま読みかえしてみたのです。すでに書いてあったのでやめました。

Yahoo,Googleのコメント欄はおもしろい

こう予言してあります。

Yahoo、Googleのコメント欄はますます書き込みが増え、なまじの弱小野党などよりずっと与党の政策に影響力を有する存在になっていくと思います。

既にそうなっていると感じます。

大きく変わったのは質的な面ですね、5年前はいかがわしいものが多いイメージでブログにするのもちょっと勇気が要ったのですが、今は実名で投稿される方も現れ質・量ともグレードアップしてます。ネットの発信力は格段に強くなっていると実感しましたし、皆さんステイホームですからネット依存が増えてますますそうなるでしょう。もうこれは後戻りがなく、ポスト・コロナの地殻変動の最大要因の一つにすらなると確信します。

時にマスコミが書けない事や内部告発的な情報がズバリ書いてあるし、一個一個は市井の偏見でもマス(総体)として俯瞰すると世論の傾向がわかるようになります。一個だと偏見でも多数になると政治になるのです。傾向を知って何の意味があるんだと思われましょうが、今の政治は完全にポピュリズムですから傾向にこそ敏感であり、だから意味があるのです。

ちなみに僕はYahooコメント欄に参加はいっさいしませんが、似た趣旨のものは自分のブログのコメント欄に書き足していきます。同じテーマで記事を書き足すよりも整理がつくし速いし、ご関心ある方にはオピニオンの推移がたどれるからです(基本的に僕はあんまり振れませんが)。最近増えたのは

のぞき劇場

です。アクセス数もトップです。

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アクセス数500万 という分岐点

2020 MAR 4 23:23:29 pm by 東 賢太郎

本日をもちまして拙ブログのアクセス数(総閲覧数)が500万 になりました。これまでご訪問いただいた皆様には厚く御礼を申し上げたいと思います。ひとつの区切りなので、いま思うことを少々申し上げておこうと思います。

7年半前に始めたわけですが、最初の週はアクセスは10か20で、いずれ1万ぐらいはいけばいいなあと思ってました。それが今は毎日4000~5000のご訪問をいただいて、正直のところ何が起きているのか自分でもよく分かっておりません。やってしまって読んでいただいてしまって、しかしどなたに何がいいのかはまったくもって不明であって、すなわちノレンに手押しなのですが、たまに真剣に書いてみて、数字が伸びたのだけが読まれた確認という感じで、しかしひょっとして裏でどっかのおっさんがカウンター適当に増やしてるだけかもしれず、そんなものにだまされて時間を費やすほど俺の時間はないだろうという天の声も時に聞こえたりします。

もともと大学から不真面目にですが日記をつけていて、その延長版がこれになっただけで、ちょっと真面目な姿勢がいい加減な人間である俺としては背筋が伸びて意外にいいなあという、その程度のものでやってきたのですが、日記は備忘録で他人に読まれる意識というものがありません。ところがだんだん閲覧数が増えると、人目と言いますか、それが気になりだし、あんまり書きながら楽しくない、気軽でなくなってきているのも現実です。備忘録なら長文でないツイッターのほうがいいかなあなどとも思います。

ついでに書くと、会社の方もおかげさまで10才になり、なんとなく地に足がついてまいりました。社員、関係者みなさん、身内でなんですが、すごく優秀なのがその地金がだんだん現れてきて、僕を中心に回るのでなくもう会社が中心になってます。友人、知人、お客さま、株主とも良い距離感がとれ、会社の座りのよい居場所がちゃんとこの世にあったんだという感じがいたします。堂々たる高齢者になったし借金も返したし、無理せずにおだやかな老後にはいるのがいいんじゃないかという気もします。

5年前はまだまだそうもいかず、気持ち的にもそれは早い、世の中というと大げさですが、せめて若い人には何か書き残しておいてあげたいという、いま思うと意味不明である半ば使命感みたいなのがあったのですが、最近になって、おいおい俺の体験なんかもう昭和の化石だろうよ、若い子たち、おっさんは生きた時代がちがうぜと思ってるんじゃないか、そんなのは大きなお世話かアンチテーゼか、はたまた安っぽい喜劇じゃないのという気もしてきています。

あと何年あるかわからない、となれば1分1秒を大事に楽しく、家族とファミリーと猫を幸せにするために何ができるかを考えよう。ファミリーというのは血族ではないが家族であるということで、お世話になっている、なった、すべての方々のことなのですが、喩えは悪いが映画ゴッドファーザーのそれみたいなものです。人類や国民の幸せに貢献するような力はとてもないので、身内を守る強い群れの長である、そういう気持ちだけは死ぬまで持ってあとは好きに生きよう、そんなところです。

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市原さん、ありがとうございます

2020 FEB 22 19:19:45 pm by 東 賢太郎

市原さんがSMCに入会されたのは2016年5月でした。僕のミクロネシア連邦出張のブログを読まれて入会したいと現地ポンペイ(ポナペ)島からメールでお申込みくださったのです。もちろん大歓迎でした。

僕が初めてパリ三城の多根社長らとポンペイ島にいったのが2013年で、16年までは毎年出張しましたが、その最後の年の7月11日に現地でお会いしたのが初めてでしたね。お土産にマリア・カラスのCDをお持ちしたらとても喜んでいただき、早速ご聞きましょうとご自宅に案内されたのです。

お家のとなりは熱帯林で、古い木造の家屋は野趣あふれるもの。土間を蟻が這おうが蜘蛛の巣が張ろうが委細構わぬオープンさにはびっくりしました。身の回りも食生活もミクロネシアの自然に溶けこんでいて、人間は古来よりこういうものだろうという男性的な逞しさがあり、そしてそこにオーディオがあってカラス女史の椿姫のアリアがながれる。いとも不思議な空間ですが、これに慣れてはまったら抜け出せない気持ち良さが何だか分かった気がしました。

たしかキューピッドとかいう所で都会民には想像もつかない捧腹絶倒の話を伺い、ホテルの寿司バーで食事しましたよね。寿司なんか何年ぶりだろうと。よく覚えてます。何の因果かこんな所に住みついちゃいましてね、もう、いつくたばってもおかしくないですよとおっしゃるので、市原さん、人生最後まで好き放題やれる人ってあんまりいないんですよ、こんな生活ってむしろうらやましいですなんて生意気申し上げました。

2度目はこの時でした。同年9月に日本で。

元宝塚の真丘奈央さんのコンサート

宝塚スターとこんなおつき合いもあったんですね、モテたんですね、お人柄ですね。

市原さんが2016年5月から2019年8月にかけてSMCに執筆された42本のブログは掛け値なしにどれもユーモア精神と好奇心にあふれ、暖かい人情味と土の香りある逸品で大ファンでした。毎日ぼ~っと暮らしてますなんてとんでもない、市原さんのご年齢でネットにこれだけ味のある文章をしたためて自在に写真まで貼れる人は、断言しますがそうはいません。カメラマンで大活躍されたのも納得です。

また、時々僕のブログに下さったコメントには包容力のある「大人の慎ましい思いやり」をいつも行間に感じ、感激しました。とくにノイ(猫)の写真に何げなく下さったあのコメントには、本当にはっとしました。凄い眼力だな、でもそれを表に出さない心の底から暖かい方だなと、そんなことは自分は死ぬまで出来そうもないなと。SMCにこれまで書かれたあらゆる言葉で、あれほど驚嘆し心にささったものはありません。

それから、最初の時にお土産にいただいた胡椒の佃煮はもちろんおいしく頂いてしまいましたが、お手製の「パンの実の焼酎」のビンと「オオシャコ貝」ですね、これは宝物で、ご覧の通り今も拙宅に飾られております。ここは僕の寝室の化粧台ですが、毎朝ここで顔を清め天を見上げて英気を養う場所です。だから世界中の思い出の品で特に大事で元気をもらえるものを並べてますが、こうして焼酎と貝はど真ん中にでんと鎮座しておるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この10年、いろんな方とご縁ができ、おつき合いし、長く続くこともそうでないこともありましたが、市原さんとの出会いはインパクトがありました。本来なら仕事柄まずお会いするチャンスのない方で、僕が想像もつかない深く厳しいネイチャー経験を積まれた方でもあります。たくさんのことを教えていただきました。

西室と僕で責任をもって、全ブログとコメントをSMCに永年保存させていただきたく存じます。市原さん、ほんとうにありがとうございました。どうぞ安らかにお休みください。

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遺言「SMCのブログは千年残すこと」

2019 NOV 7 9:09:58 am by 東 賢太郎

我々が子供のころ、自分の書いたものが活字になるなどということは文筆家か記者にでもならない限りは想像もできなかったように思う。活字になること、それは広く公衆の閲覧に供されるだけの価値のあるものということを意味しており、それが「発信」という行為の重みを裏打ちし、機会の希少性を担保していたのである。そうであるがゆえに、20世紀までの情報発信は権力者とメディアだけが独占する特権のようなものであり、我々庶民はそれを受信するだけの「一方通行」の関係だったといってよいだろう。

ところが21世紀に入ったいま、皆さんはSNSで世界中の人々と瞬時につながることが可能になった。ネット社会という言葉で当たり前のように受容されているが、その実は「対面通行」の道路の開通ということであり世界史に残る大革命であると僕は思っている。例えばツイッターやインスタグラムやユーチューブで文字情報や画像や動画を発信する人は歩く出版社であり放送局になったわけである。ということは、情報の発信までもが権力の手を離れ庶民に解放されて「発信の市民革命」なるものが起きたと解釈できるからである。

その便利さは虚偽情報を拡散する負の側面も内包してはいるが、アメリカ大統領までが堂々と参加してホワイトハウスやメディアと別個独立の個人放送局になって許されてしまう、ある意味で素敵な時代が到来したともいえる。「虚偽まで含む巨大な情報プール」の中で正しいものを取捨選択して生きなくてはいけないから大変だが、権力、メディアが一方的に庶民を情報操作する危険を減殺してくれ、むしろ権力の腐敗や背信を市民がウォッチできるというプラス面が大きい。やはり真の革命だと思う。

もちろん良いことばかりではない。マスとして捉えた社会的側面ではプラスでも個人の領域でみるならば、対面通行による人と人のつながりが個々人の幸せにも寄与したかは大いに疑問だ。犯罪の温床になるだけではない、スマホ画面で未知の人とつながっただけで友情や絆や恋が芽生えるという考えに僕は全面的に否定的である。むしろ引きこもりになったりネット依存症になったりする人が多く出てくるのは、現実を逃避する手段としてそれにすがり、何らかの幸福の出現を期待したのに報われないという幻滅やストレスに原因があるのではないだろうか。

ただ、もし個人として良いことがあるとするならひとつある。ネットに書いたものはサーバーから消えないことだ。きちんと管理さえすれば永遠に残る。この特性は誹謗中傷を書き込まれると残ってしまうというネガティブな捉え方ばかりされるが、後世にタイムカプセルを残したい人にとってはむしろかけがえのない長所となるのである。僕は2012年にそう思いついてSMCを始めた。当時、創業3年目のソナーの収益は危機的で倒産してもおかしくなかったが、それはそれでそういうことを始めてしまうのが僕の性格である。千年後に万葉集になると真面目に言って笑われたが、幾人かの理解あるオトナの方々がメンバーになって下さって細々と立ち上った。

タイムカプセルに自分の痕跡を残したいというのは、女性はどうか知らないが、男にはそういう本能がビルトインされているんじゃないかと僕は信じ込んでいるところがある。昆虫や鳥のオスは自分の痕跡である子孫を残すためにダンスまでしてメスに売り込む。我々も動物のはしくれだから若い頃は女性にモテようと色々なことを頑張って競争したりするわけだが、それは至極シンプルで健康なオスの自己顕示の本能であり、還暦を超えて久しい今となっては文章を残したい願望に化けて出ているのではないかと感じないでもない。

少なくとも僕の場合、それに成功して何かで承認されたところで、仕事の傍らのブログ執筆はけっこうな労力である。ボケ防止になることを除けば見返りに欲しい物はあまり残っておらず、やる理由があるとすれば自己満足以外の何物でもない。毎日千人もの方にフォローしていただいているのに申しわけないことを言っているのかもしれないが、何を拙文に読んでいただいているにせよそれは僕の自己満足との交換で行われている。そしてその満足というのは、ああ今日も死なずに済んだ、仮にあしたの朝に冷たくなっていてもいま書いたブログは後世に残るというものだ。

何度か書いたが僕はショーペンハウエルの信者である。同類だったリヒャルト・ワーグナーがそれでトリスタンを書いたと同じぐらい、僕が考えたり書いたりしていることはその影響下にある。我々が見ている世界は万事がうたかたであり、自分の投影でしかないから他の誰が見ている世界とも確実に違っているのである。だからそれを忠実に観察し書きとっておけば面白いと思って下さる方がいるかもしれない。僕にワーグナーの無限旋律は降りてこないが、こうして文章は降ってくる。21世紀の人にとってでなくてもまったく問題ではない。本稿が上梓した1950番目のブログになるが、閲覧数は7年で440万だからこのペースなら千年で6億3千万立ち寄ってくれるし、そのうちの誰かが思わぬことを発見してくれるかもしれない。

僕のスタンスはそんなもので「対面通行型」とは思えないし、何か有益な情報を盛り込む能力もない。だからSMC全体のチャームとしてはそれができる方々の参画が望ましい。その意味で、このたびの大武和夫さん、八木昌実さんのSMCメンバーご参加には心からのウエルカムを申し上げたい。八木さんは元プルーデンシャル生命保険の米国本社シニア・バイス・プレジデントという重鎮で経営に関するご著書は書店、ネットで入手できる。公益財団法人メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン理事長、株式会社エイトウッズCEOが現職で、ソナーとは業務上のパートナーでもある。弁護士でアマチュア・ピアニストの大武さんはネットで入会申し込みをいただき、その動機はご自身のブログに書かれているが、一度食事をご一緒してクラシックへの造詣と愛情に感銘を受けた。特にピアノ曲について深い知識をお持ちで勉強もさせていただいた。

最後にもうひとこと。SMCには一昨年に故人となった畏友中村順一の秀逸なブログが何篇か収録されている。いま読んでもブラームスの音楽の如く重厚で快い文章で、機知と洞察に富んで実に新しい。ということは、永遠に新しいのである。悔しいが僕よりも頭脳明晰な男であり、世界史の解釈において微塵も太刀打ちできる部分がなかったが、野球のことだけは話をよく聞いた。むしろ聞きたいからチケットまで用意してきてドーム、神宮、ヤフーに連れ立って5,6試合を真剣に観戦した。マニアックなところしかコメントしないのに意味を知りたがり、博覧強記のインテリにしてその謙虚さには感銘を受けるばかりであった。そうなものだからこっちもまた彼と観たいと思った。僕においてはほんとうに滅多に起きない感情であり、同行することになった嬉野、有田、吉野ケ里、博多の旅は忘れ難く、行程の一切合切と会話内容を今も声と一緒にくっきりと覚えている。

本稿をお読みの皆様であれば中村のブログは手ごたえをお感じいただけるはずであり、受験生、大学生には必ずや学ぶものがあると思料する。そのような質のものを僕が千年残したいと考えるのは自然なことだ。そこで僕の子々孫々にはサーバーを維持して残してもらいたいわけで、もちろんそのための基金は僕が残していくがそれは適切に運用されなくてはならないし、次世代、次々世代と仲間を募ってブログを書き継いでいくこともお願いしたい。千年たってSMCが万葉集になっているかどうかは知る由もないが、まだ世界で誰もやった者はいない興味深い実験にはなるだろう。

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いままで書いたブログで一番好きなのは?

2019 SEP 20 13:13:04 pm by 東 賢太郎

SMCを始めたのが2012年10月だからもうすぐ7年になる。発起人としての願いは、多様なメンバーが文章で足跡を残して千年後の人へのメッセージ(タイムカプセル)を残すことだ。3019年にこのブログ集がどう評価されているかは現代の誰も知りようがない。「万葉集」になぞらえるのはおこがましいが、我々が本を書いて千年残すことはあまり期待できないのだから、「ネットはこわい、出ると永遠に消えないよ」というウォーニングを逆手にとって、「万葉集みたいに永遠に残してしまおう」というのがSMCプロジェクトなのだと申し上げてもいいだろう。そんなことが世界で初めてできる。昭和に生まれ、ネット時代の幕開け期を生きて熟年を迎えた我が世代の特権である。

もうひとつ良いことがある。何人たりとも致し方ないことだが、脳の宿命としてシニアになればだんだん昔のことを忘れる。そう覚悟はしているものの、自分の書いた初期のブログを読んでいて、その時点ではクリアに覚えていて克明に書き記した物事の詳細が今になってはそこまで正確には覚えてないという例を見つけることがある。というより、その機会が「増えて」いる。高々この6、7年でも記憶は加速度的に?劣化している証拠であり、覚えてるうちに書いておこうというのがブログを書く動機のうちの大きな部分を徐々に占めるようになってきている。本稿は僕がSMCに書いた1920番目のブログだが、その恐怖心のおかげで僕の子孫は千年前の先祖がどんな人物だったかをより仔細にわかるようになっているだろう。

話は音楽になるが、ピエール・ブーレーズには「ワーク・イン・プログレス(進行中の作品)」という概念で作曲したプリ・スロン・プリ(Pli selon pli)という作品がある。書き手(作曲家)も作品(音楽)も時と共に変化するという思想は真に革命的だ。速筆のモーツァルトといえ「フィガロの結婚」を一日で書いたわけではない。第1幕と第4幕を書いた時の間にプログレスがあったと考えるなら、ブーレーズがprogressという単語に質的進化の含意を与えたか否かはともかくとして、作曲が進行中であるのに発表し演奏する点において、少なくとも、未完成交響曲が永遠に完成しない作品として永遠に鑑賞されることを肯定した20世紀に成立した「クラシック」という概念の敷衍だ。変化は進化でも劣化でもあり得るが「終わりのない作曲」はやがて彼の死とともに途絶え、そこでプリ・スロン・プリの作曲は終結した。初めて全貌が定義された楽曲は時間と偶然性(究極のアレアトリー=死という予測不能のイベント)をも包含し、マラルメの詩に依拠しながら「墓」という表題の音楽で終わる。革命的と書いたが僕には主題の変容まで時間の関数として書かれたドビッシーの交響詩「海」のprogress型とも見える(ドビッシー 交響詩「海」再考)。

僕がもし死ぬまでブログを辞めなければだが、それはワーク・イン・プログレスになるだろう。「私は各作品を断片的な生産物として構想する発想から次第に遠ざかりつつある。私には一連の限定された可能性に焦点を当てた大きな『集合』に対する際立った偏愛がある」(ピエール・ブーレーズ)に共感する自分を見るからだ。割り切ってしまえば音楽もブログも僕には単なる「遊び」にすぎず、矛盾するようだがソナーの業務以外に人生をかけてprogressさせるものは存在しない。しかし、遊びのない人生はつまらないし、つまらない日々から良い仕事は生まれないという性分は、もはや好き嫌いの領域であるからprogressしないのだ。さらに、外山 滋比古さんの著書に「老いて忘れるのは良いこと」とあるが、ブログに書いて安心してどんどん忘れてしまおうという心持ちは自然体で快く、このごろになって、実はとても前向きで生産的(productive)であることすら発見した(既述の断捨離)。こうなると音楽とブログは余生の暇つぶしではなく、楽しく仕事をするための三位一体のワーク・イン・プログレスだとでもいうべきいうものになるのである。

いままで書いたブログで一番好きなのは「どうして証券会社に入ったの?」だ。これは2番目の娘にそう質問されて答えに窮して生まれたものだ。人生に重大な決断は幾つかあったが、どうして?と問われてこれほど答えが見つからないものはない。なぜか株が好きだったがそれが理由というほどのことでもない。ということは、いまホテル・ニューオータニに社を構えているなどという事実は単なる偶然の産物でしかなかったことになる。青雲の志を懐いたわけでも、世のため人のための大義に帰依したわけでも、この事業に格別の才能があると自己評価した結果でもない。人間、年をとると嫌なことは忘れ、過去を美化するバイアスが働くらしいが、証券会社に入って結果オーライだったのだからそう決断した立派な理由ぐらいあっても許されそうだし、求められれば僕はそれを10も20もでっちあげて1時間のプレゼンに仕立てることぐらい苦も無くできる。しかし、いかにそれが見栄えが良かろうと説得力があろうと、所詮ぜんぶウソなのだ。

真実は、面接官と口論になるなどヘマが続いた挙句に残ったのが証券会社と船会社だけだったこと、人事部の女性が好みだったこと、何度か食べさせてもらった鰻重が美味だったことぐらいだ。それに釣られて、心中ででっち上げた偽の志で自らを説得して入社はしたものの、なにせそんな志はフェークであるのだから厳しい梅田支店で木っ端みじんに瓦解する。あっという間に嫌気がさして辞表を書こうと思い立った。そこでウソのようなドラマがおきて試みは挫折したが、もし辞めていたらどうなったのか、神様が戻るチャンスをくれるならそっちの道も面白かった。こういうぶざまなことを娘がどう思ったかはわからないが、10も20もの立派な理由は後からついてくるものだということぐらいは伝わったろう。人間はそんなに合理的でないし、そうあろうとしてもあまりうまくいかない。どんな理由で職業を選ぼうと、与えられた仕事をしっかりやること以外に道はないのだ。やくざから2千万円も取り立てるなんて辞書になかったがそういう羽目になってしまい、それでも逃げなかったから俺は正真正銘のスナイパーになったと思った。もう怖いものなんてどこにあろう。実体験のない識者のプレゼンやMBAの先生が教えてくれる10も20もの立派な理由は、彼らに支払うお金ほどはビジネスの成功には因果関係はないという事実を僕は知っている。

「どうして証券会社に入ったの?」はPVで一番人気のブログのようだが、きっとそれは小説より奇なりであり、還暦老人の美化した自慢話みたいにも見えるだろうが、そうではなくて当時の当事者の方も読まれている実話だからだと思う。現在のところ、たしか「その9」まで書いているが、それで終わりではない。梅田支店にいた2年半で最も「小説みたいにウソのよう」な話はまだ書いてない。どうして書いてないか、理由はないが、僕の人生にとってあまりに重い話なので軽々に書く気にならないままに来てしまったというのが言い訳だ。それを書かないで死ぬわけにはいかないからワーク・イン・プログレスということにしておこう。

 

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