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カテゴリー: SMCについて

遺言「SMCのブログは千年残すこと」

2019 NOV 7 9:09:58 am by 東 賢太郎

我々が子供のころ、自分の書いたものが活字になるなどということは文筆家か記者にでもならない限りは想像もできなかったように思う。活字になること、それは広く公衆の閲覧に供されるだけの価値のあるものということを意味しており、それが「発信」という行為の重みを裏打ちし、機会の希少性を担保していたのである。そうであるがゆえに、20世紀までの情報発信は権力者とメディアだけが独占する特権のようなものであり、我々庶民はそれを受信するだけの「一方通行」の関係だったといってよいだろう。

ところが21世紀に入ったいま、皆さんはSNSで世界中の人々と瞬時につながることが可能になった。ネット社会という言葉で当たり前のように受容されているが、その実は「対面通行」の道路の開通ということであり世界史に残る大革命であると僕は思っている。例えばツイッターやインスタグラムやユーチューブで文字情報や画像や動画を発信する人は歩く出版社であり放送局になったわけである。ということは、情報の発信までもが権力の手を離れ庶民に解放されて「発信の市民革命」なるものが起きたと解釈できるからである。

その便利さは虚偽情報を拡散する負の側面も内包してはいるが、アメリカ大統領までが堂々と参加してホワイトハウスやメディアと別個独立の個人放送局になって許されてしまう、ある意味で素敵な時代が到来したともいえる。「虚偽まで含む巨大な情報プール」の中で正しいものを取捨選択して生きなくてはいけないから大変だが、権力、メディアが一方的に庶民を情報操作する危険を減殺してくれ、むしろ権力の腐敗や背信を市民がウォッチできるというプラス面が大きい。やはり真の革命だと思う。

もちろん良いことばかりではない。マスとして捉えた社会的側面ではプラスでも個人の領域でみるならば、対面通行による人と人のつながりが個々人の幸せにも寄与したかは大いに疑問だ。犯罪の温床になるだけではない、スマホ画面で未知の人とつながっただけで友情や絆や恋が芽生えるという考えに僕は全面的に否定的である。むしろ引きこもりになったりネット依存症になったりする人が多く出てくるのは、現実を逃避する手段としてそれにすがり、何らかの幸福の出現を期待したのに報われないという幻滅やストレスに原因があるのではないだろうか。

ただ、もし個人として良いことがあるとするならひとつある。ネットに書いたものはサーバーから消えないことだ。きちんと管理さえすれば永遠に残る。この特性は誹謗中傷を書き込まれると残ってしまうというネガティブな捉え方ばかりされるが、後世にタイムカプセルを残したい人にとってはむしろかけがえのない長所となるのである。僕は2012年にそう思いついてSMCを始めた。当時、創業3年目のソナーの収益は危機的で倒産してもおかしくなかったが、それはそれでそういうことを始めてしまうのが僕の性格である。千年後に万葉集になると真面目に言って笑われたが、幾人かの理解あるオトナの方々がメンバーになって下さって細々と立ち上った。

タイムカプセルに自分の痕跡を残したいというのは、女性はどうか知らないが、男にはそういう本能がビルトインされているんじゃないかと僕は信じ込んでいるところがある。昆虫や鳥のオスは自分の痕跡である子孫を残すためにダンスまでしてメスに売り込む。我々も動物のはしくれだから若い頃は女性にモテようと色々なことを頑張って競争したりするわけだが、それは至極シンプルで健康なオスの自己顕示の本能であり、還暦を超えて久しい今となっては文章を残したい願望に化けて出ているのではないかと感じないでもない。

少なくとも僕の場合、それに成功して何かで承認されたところで、仕事の傍らのブログ執筆はけっこうな労力である。ボケ防止になることを除けば見返りに欲しい物はあまり残っておらず、やる理由があるとすれば自己満足以外の何物でもない。毎日千人もの方にフォローしていただいているのに申しわけないことを言っているのかもしれないが、何を拙文に読んでいただいているにせよそれは僕の自己満足との交換で行われている。そしてその満足というのは、ああ今日も死なずに済んだ、仮にあしたの朝に冷たくなっていてもいま書いたブログは後世に残るというものだ。

何度か書いたが僕はショーペンハウエルの信者である。同類だったリヒャルト・ワーグナーがそれでトリスタンを書いたと同じぐらい、僕が考えたり書いたりしていることはその影響下にある。我々が見ている世界は万事がうたかたであり、自分の投影でしかないから他の誰が見ている世界とも確実に違っているのである。だからそれを忠実に観察し書きとっておけば面白いと思って下さる方がいるかもしれない。僕にワーグナーの無限旋律は降りてこないが、こうして文章は降ってくる。21世紀の人にとってでなくてもまったく問題ではない。本稿が上梓した1950番目のブログになるが、閲覧数は7年で440万だからこのペースなら千年で6億3千万立ち寄ってくれるし、そのうちの誰かが思わぬことを発見してくれるかもしれない。

僕のスタンスはそんなもので「対面通行型」とは思えないし、何か有益な情報を盛り込む能力もない。だからSMC全体のチャームとしてはそれができる方々の参画が望ましい。その意味で、このたびの大武和夫さん、八木昌実さんのSMCメンバーご参加には心からのウエルカムを申し上げたい。八木さんは元プルーデンシャル生命保険の米国本社シニア・バイス・プレジデントという重鎮で経営に関するご著書は書店、ネットで入手できる。公益財団法人メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン理事長、株式会社エイトウッズCEOが現職で、ソナーとは業務上のパートナーでもある。弁護士でアマチュア・ピアニストの大武さんはネットで入会申し込みをいただき、その動機はご自身のブログに書かれているが、一度食事をご一緒してクラシックへの造詣と愛情に感銘を受けた。特にピアノ曲について深い知識をお持ちで勉強もさせていただいた。

最後にもうひとこと。SMCには一昨年に故人となった畏友中村順一の秀逸なブログが何篇か収録されている。いま読んでもブラームスの音楽の如く重厚で快い文章で、機知と洞察に富んで実に新しい。ということは、永遠に新しいのである。悔しいが僕よりも頭脳明晰な男であり、世界史の解釈において微塵も太刀打ちできる部分がなかったが、野球のことだけは話をよく聞いた。むしろ聞きたいからチケットまで用意してきてドーム、神宮、ヤフーに連れ立って5,6試合を真剣に観戦した。マニアックなところしかコメントしないのに意味を知りたがり、博覧強記のインテリにしてその謙虚さには感銘を受けるばかりであった。そうなものだからこっちもまた彼と観たいと思った。僕においてはほんとうに滅多に起きない感情であり、同行することになった嬉野、有田、吉野ケ里、博多の旅は忘れ難く、行程の一切合切と会話内容を今も声と一緒にくっきりと覚えている。

本稿をお読みの皆様であれば中村のブログは手ごたえをお感じいただけるはずであり、受験生、大学生には必ずや学ぶものがあると思料する。そのような質のものを僕が千年残したいと考えるのは自然なことだ。そこで僕の子々孫々にはサーバーを維持して残してもらいたいわけで、もちろんそのための基金は僕が残していくがそれは適切に運用されなくてはならないし、次世代、次々世代と仲間を募ってブログを書き継いでいくこともお願いしたい。千年たってSMCが万葉集になっているかどうかは知る由もないが、まだ世界で誰もやった者はいない興味深い実験にはなるだろう。

 

 

いままで書いたブログで一番好きなのは?

2019 SEP 20 13:13:04 pm by 東 賢太郎

SMCを始めたのが2012年10月だからもうすぐ7年になる。発起人としての願いは、多様なメンバーが文章で足跡を残して千年後の人へのメッセージ(タイムカプセル)を残すことだ。3019年にこのブログ集がどう評価されているかは現代の誰も知りようがない。「万葉集」になぞらえるのはおこがましいが、我々が本を書いて千年残すことはあまり期待できないのだから、「ネットはこわい、出ると永遠に消えないよ」というウォーニングを逆手にとって、「万葉集みたいに永遠に残してしまおう」というのがSMCプロジェクトなのだと申し上げてもいいだろう。そんなことが世界で初めてできる。昭和に生まれ、ネット時代の幕開け期を生きて熟年を迎えた我が世代の特権である。

もうひとつ良いことがある。何人たりとも致し方ないことだが、脳の宿命としてシニアになればだんだん昔のことを忘れる。そう覚悟はしているものの、自分の書いた初期のブログを読んでいて、その時点ではクリアに覚えていて克明に書き記した物事の詳細が今になってはそこまで正確には覚えてないという例を見つけることがある。というより、その機会が「増えて」いる。高々この6、7年でも記憶は加速度的に?劣化している証拠であり、覚えてるうちに書いておこうというのがブログを書く動機のうちの大きな部分を徐々に占めるようになってきている。本稿は僕がSMCに書いた1920番目のブログだが、その恐怖心のおかげで僕の子孫は千年前の先祖がどんな人物だったかをより仔細にわかるようになっているだろう。

話は音楽になるが、ピエール・ブーレーズには「ワーク・イン・プログレス(進行中の作品)」という概念で作曲したプリ・スロン・プリ(Pli selon pli)という作品がある。書き手(作曲家)も作品(音楽)も時と共に変化するという思想は真に革命的だ。速筆のモーツァルトといえ「フィガロの結婚」を一日で書いたわけではない。第1幕と第4幕を書いた時の間にプログレスがあったと考えるなら、ブーレーズがprogressという単語に質的進化の含意を与えたか否かはともかくとして、作曲が進行中であるのに発表し演奏する点において、少なくとも、未完成交響曲が永遠に完成しない作品として永遠に鑑賞されることを肯定した20世紀に成立した「クラシック」という概念の敷衍だ。変化は進化でも劣化でもあり得るが「終わりのない作曲」はやがて彼の死とともに途絶え、そこでプリ・スロン・プリの作曲は終結した。初めて全貌が定義された楽曲は時間と偶然性(究極のアレアトリー=死という予測不能のイベント)をも包含し、マラルメの詩に依拠しながら「墓」という表題の音楽で終わる。革命的と書いたが僕には主題の変容まで時間の関数として書かれたドビッシーの交響詩「海」のprogress型とも見える(ドビッシー 交響詩「海」再考)。

僕がもし死ぬまでブログを辞めなければだが、それはワーク・イン・プログレスになるだろう。「私は各作品を断片的な生産物として構想する発想から次第に遠ざかりつつある。私には一連の限定された可能性に焦点を当てた大きな『集合』に対する際立った偏愛がある」(ピエール・ブーレーズ)に共感する自分を見るからだ。割り切ってしまえば音楽もブログも僕には単なる「遊び」にすぎず、矛盾するようだがソナーの業務以外に人生をかけてprogressさせるものは存在しない。しかし、遊びのない人生はつまらないし、つまらない日々から良い仕事は生まれないという性分は、もはや好き嫌いの領域であるからprogressしないのだ。さらに、外山 滋比古さんの著書に「老いて忘れるのは良いこと」とあるが、ブログに書いて安心してどんどん忘れてしまおうという心持ちは自然体で快く、このごろになって、実はとても前向きで生産的(productive)であることすら発見した(既述の断捨離)。こうなると音楽とブログは余生の暇つぶしではなく、楽しく仕事をするための三位一体のワーク・イン・プログレスだとでもいうべきいうものになるのである。

いままで書いたブログで一番好きなのは「どうして証券会社に入ったの?」だ。これは2番目の娘にそう質問されて答えに窮して生まれたものだ。人生に重大な決断は幾つかあったが、どうして?と問われてこれほど答えが見つからないものはない。なぜか株が好きだったがそれが理由というほどのことでもない。ということは、いまホテル・ニューオータニに社を構えているなどという事実は単なる偶然の産物でしかなかったことになる。青雲の志を懐いたわけでも、世のため人のための大義に帰依したわけでも、この事業に格別の才能があると自己評価した結果でもない。人間、年をとると嫌なことは忘れ、過去を美化するバイアスが働くらしいが、証券会社に入って結果オーライだったのだからそう決断した立派な理由ぐらいあっても許されそうだし、求められれば僕はそれを10も20もでっちあげて1時間のプレゼンに仕立てることぐらい苦も無くできる。しかし、いかにそれが見栄えが良かろうと説得力があろうと、所詮ぜんぶウソなのだ。

真実は、面接官と口論になるなどヘマが続いた挙句に残ったのが証券会社と船会社だけだったこと、人事部の女性が好みだったこと、何度か食べさせてもらった鰻重が美味だったことぐらいだ。それに釣られて、心中ででっち上げた偽の志で自らを説得して入社はしたものの、なにせそんな志はフェークであるのだから厳しい梅田支店で木っ端みじんに瓦解する。あっという間に嫌気がさして辞表を書こうと思い立った。そこでウソのようなドラマがおきて試みは挫折したが、もし辞めていたらどうなったのか、神様が戻るチャンスをくれるならそっちの道も面白かった。こういうぶざまなことを娘がどう思ったかはわからないが、10も20もの立派な理由は後からついてくるものだということぐらいは伝わったろう。人間はそんなに合理的でないし、そうあろうとしてもあまりうまくいかない。どんな理由で職業を選ぼうと、与えられた仕事をしっかりやること以外に道はないのだ。やくざから2千万円も取り立てるなんて辞書になかったがそういう羽目になってしまい、それでも逃げなかったから俺は正真正銘のスナイパーになったと思った。もう怖いものなんてどこにあろう。実体験のない識者のプレゼンやMBAの先生が教えてくれる10も20もの立派な理由は、彼らに支払うお金ほどはビジネスの成功には因果関係はないという事実を僕は知っている。

「どうして証券会社に入ったの?」はPVで一番人気のブログのようだが、きっとそれは小説より奇なりであり、還暦老人の美化した自慢話みたいにも見えるだろうが、そうではなくて当時の当事者の方も読まれている実話だからだと思う。現在のところ、たしか「その9」まで書いているが、それで終わりではない。梅田支店にいた2年半で最も「小説みたいにウソのよう」な話はまだ書いてない。どうして書いてないか、理由はないが、僕の人生にとってあまりに重い話なので軽々に書く気にならないままに来てしまったというのが言い訳だ。それを書かないで死ぬわけにはいかないからワーク・イン・プログレスということにしておこう。

 

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「個の時代」と「自由人」(訪問者200万人に寄せて)

2018 JUL 11 1:01:58 am by 東 賢太郎

おかげさまでブログの訪問者数が200万になった。といってそれがブログの題になるほどの意味があるかというと、数字というのは示されると気にはなるのが人間の習性だということが自分をダシにわかってきたということだ。仮に道を歩いていて突然に「おめでとうございます、あなたは今日ここを歩いた129人目の人です!」なんてくす玉でも割られたら、きっと一日中、なんで129が大事なんだろうと悩むに違いない。

何か面白いことを書かないと数字は増えないのかもしれないが、しかし、不特定多数が読者だから何を書くと面白いかは実はわからない。インスタのように写真ではなく文章だし、ツイッターと違って長くてややこしいものであるのだから、筆者自身たまに昔のを読みかえすと頭が錯綜してきて睡魔を呼んでしまうことがある。ということから察するに読者は相当に辛抱強いか頑強な読解力があるか酔狂であるはずである。

筆者はそのどれかというとまぎれもなく酔狂人であって、ジャンルを問わず、どうしてそんなのが好きなの?というものだらけだ。そういうものをトータルにみて「趣味(taste、テースト)」と呼ぶわけだが、ある人がどういう人かというのは無意識にテーストで判断されていることが多いから一応の注意が必要である。しかし世界の潮流としてはLGBT(性的少数者)のような微妙なものに至るまで個人の尊厳として認容される方向であり、男の子でも心の在り方次第でお茶の水女子大学は入学を認めると聞くし、「個」としての人間の独自性を隠して生きるより開示してしまった方が本来の自由な人生だろうという考え方が市民権を得つつあるように思う。自分はそれに肯定的な人間であり、そう生きたいと願っている者だ。

ブログを書くぞと言い出した6年前、そこに姓名、素性、経歴を明かすことに家族から大反対があった。プライバシーよ、危険でしょ、恥ずかしいし等々。そこでこう言った。「お前たちどこの誰かわからん者の朝飯の写真なんか見たいか?文章なんか読むか?今はどこの誰かわからん者が専門家で本を書く時代だ、そんなのより俺の方がましだぞ」。これはこっちの責任だが、幼いころに忙しくて家にいなかったから彼らは父親を良く知らない。「SNSで内輪でちょちょろなんて俺は全然興味ない、だからFacebookなんかは一切やらないよ。俺の看板はブログになるんだ」ということで開始した。

伝統的に控え目を良しとして個性を押し殺す日本人は、だからテーストを開陳したがらない傾向があるが、それが良くないとまで主張する気はないが、欧米人や中国人にとって没個性的が良いという価値観はまったくないということは書いておきたい。そういう欧米・香港で客商売で16年を過ごしたことで自分が非日本人的になったとは思わないが、人間本来の自由な人生をまっとうしたいと強く希求するようにはなった。しかし、そうやってテーストが形成されたというわけではなく、テーストは元来が遺伝的で生まれつきの形質であって、それを隠すのが美徳とはぜんぜん思わなくなったということだ。

例を挙げるなら、僕は蕎麦屋で毎回「かき玉うどん」を注文するが、まず一切かき回したりせずにたたずまいを慎重に吟味し、やおらトロミに白ネギを少しずつひたして全部食べ、次に玉子を形を崩さないように、やはりトロミと一緒に丁寧にすくいとって熱いうちに全部食べる。その美味は芸術的とも和の食文化の粋とも言え、そう感じることこそが僕のテーストであり、この調理法を発明した人に対する敬意はモーツァルトに対するものといささかも変わらない。さてそこまで約10分のお楽しみだが、この時点で丼の中はトッピングのない、何の変哲もない凡庸な素うどん状態になっており、「ああ、またやってしまった、またこんなまずいのを食わなくてはいけないのか」とそれを注文したことを必ず後悔するのである。

それでも次回はまたその誘惑に乗って「かき玉うどん」を注文するのであり、蕎麦屋というのはとてもアンビバレントな存在に陥っている。だから本来は「かき玉うどん」は5杯ほど注文してトロミと玉子だけ5回食してごめんなさい、ごちそうさまでしたと店主に謝って終了するのが究極かつ理想の食べ方なのであって、そこまではまだやったことはないが、ではトロミだけ頼みこんで出してもらえばいいかというとそれではいけない。「うどん」はどうしても必要であって、残留物になるだけだからどうでもいいようなものだが、では「そば」でいいかというと、温かいそばというのは残ると特有のお湯っぽいにおいがあって、玉子の最後の方の風味がそれに邪魔されてどうもうまくないのである。これを子供時代から飽くこともなく、蕎麦屋に行けば誰の前でも半世紀もやっていて妙な目で見られているので少々の引け目はあった。

ところが香港に赴任してなるほどと思うことがあった。上海蟹である。お客さんと食事に行くと、カニは足を食うものだと思っていたら彼らは大きめのメスの5,6杯を片っ端からばりばりと開き、味噌だけ音をたててすすっておいて足は手もつけず、全部ぽいぽい捨てるのである。あっという間のことであり、なにか汚ならしいし勿体ないとも思って一度足をほじくって食べたら、みっともないからやめろとたしなめられてしまった。何千億円も資産のある華僑の大富豪たちにしてお世辞にも上品な作法とは言い難いが、彼らはきっとかき玉の5杯ぐらい「何が悪いんだ」と是認してくれるに違いないし、そういうテーストを見せたところで変わり者と人間の評価を下げることもないし排除もされないだろう。

そんな卑近な目線から米中の貿易摩擦問題を見るとこう思う。1兆円の資産があるトランプが好物のハンバーガーをほおばるのを見ていかがなものかなんて米国人は誰も言わない。2兆円はある習近平はああやって堂々とカニをたらふく食って中国の一般人民はうらやましいと思っているに違いない。技術漏洩?米国に留学して技術を覚えて中国に持ち帰って起業して何が悪いの?うるせえ、ならWTOなんか脱退したるわい!両者の食いっぷりの共通点は下品なことだけであって、テーストを見れば合意なんかに至るはずない。僕の「かき玉うどん」も下品だが、あれを二人にふるまってあの精妙な最初の10分の和の食文化の粋をアプリシエート(appreciate)するなどと考える経験的思考回路は到底持ち合わせていない。資産でいえばサラリーマン社長である安倍首相は次郎の鮨で好感を持ってもらえるなどと考えるのはやめた方がいい。

ああいう連中と丁々発止やっていくには、俺はこういう人間だ(It’s me.)、お前が何といおうとこうやるぜ、なぜ?俺がそうやりたいからさ、とやるに限る。プーチンにしたって金正恩にしたってフィリピンのドゥテルテにしたって、このクソ野郎と思うほどそうやってるのを皆さんご覧になっている。日本の首相がそうできないのは核保有してないからでもあるし米国の属国から脱していないからでもあるが、没個性が美徳などという国際社会で一文の値打ちもない思い込みをお坊ちゃんの2世3世政治家が脱却していないことも一因なのである。そのことと武士道に発する奥ゆかしい日本男児の在り方とは何ら矛盾はない。へこへこアメリカさんにお追従するサムライなどありえないわけで、思いっきりテーストを丸出しにして「これがサムライだよ、知らなかったの?」ぐらいかましておけばいいのである。

ブログに何を主張しようと憲法が保障する言論の自由のうちだから5年と9か月好き勝手を書かせていただいてきた。そのご評価が200万という数字ならうれしいことだが音楽に偏ったきらいがあるし、書いた曲は筆者固有の心を映し出す鏡だとして書く意味があったのであってそれ以上でも以下でもない。バックナンバーを読みかえすに2013~15年のあたりは文章に気合が入っていて書くのが楽しかったことをうかがわせるが、あの気力も体力も視力もあんまりなく、書き残している作品には申し訳ないがインセンティブがわかなかったということはそんなに好きでもないということだ。

音楽においてはどうしても書きたかったが音のサンプルがないと伝わらない内容というのはいくつかあって、去年は舞台でハイドンとモーツァルトに加えて「ビートルズとモーツァルト」をピアノでご説明するつもりであったが時間切れだった。音楽というのは長いつきあいだから分かり易いので題材として頻繁に使ってきたが、それが本旨なのではなく、そういう部分に神経が行くことが筆者のテーストであって、音楽に限らず政治でも人生観でも相場観でもネコ観でも女性観でも武士道でも哲学でも野球でも資産運用でも「かき玉うどん」でも、全部がそのテーストに支配されている。その事実は自分固有の脳の働きだからオンリーワンではないかと思って生きてきた。

誰であれ自分の存在がオンリーワンなのは太古の昔からそうである。しかしそれを「個」(individual)と認めるまで人類は何千年もの歳月を要したのであり、ついに西洋に勃発した市民革命を経て「個の時代」を獲得した。「自由」というものは自由主義国家に住むから自然にあるのではなく、自分が個となることを自覚して初めて得られる果実だ。自由気ままに時を過ごし、食い、遊び、井戸端会議をし、セックスをするのはまぎれもない動物への退化であって、「自由人」という人類史の帰結としての存在とは程遠いものだ。誰しも一人で生まれ一人で死んでいくのであって本来が個であるのだから、一人であることを孤独という言葉で否定的なニュアンスで語るのではなく、どんなに幸せな家庭や友人があっても、やはり人間は孤独なのであり、その自覚を積極的に人生に取り込んでエンジョイする。それが何千年もかけて、先達が命を賭して我々に与えてくれた遺産を生かす自由人という生き方であり、それが許される時代に生まれたことを心から幸福と思う。

 

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ブログ100万になる

2017 NOV 13 21:21:48 pm by 東 賢太郎

ブログのカウンターを見たら知らないうちに総閲覧数が100万を突破していた。5年前は想定外。10月あたりから増えて、ある日は5千もあって何がおきたんだとなった。

きのう娘たちがフェースブックなんかもう主流は50代だよ、いまはインスタとラインだよという。そんなの字書けないのが昼めしとかイヌの自慢するやつだろといったが、どうも「いいね」を押してもらいたいらしい。勝手に送っておいて押さないと、なんで?、となるんで面倒でやらない人もいるそうだ。

ブログにいいねはないが、たくさん閲覧していただけばうれしい。ところがさらに上があってyoutubeに愛聴盤を出したら「オーマンディのライブをもっとほしい」「オーマンディの海はピッチが半音低い」「アンセルメの火の鳥はすばらしい、mp3フォーマットでメールで送ってくれ」なんてのが海外から来る。きのうレイボヴィッツの春の祭典をアップして、これとブーレーズのCBS盤は共通するものがあると英語で書いたらすぐに、

There’s definitely traces of Boulez in here, but it was really Boulez who defined the ‘Rite’ sound with his authoritative 1969 recording with the Cleveland Orchestra. In this recording, miking is strange (bass drum sounds like a huge rubber band) and orchestral execution is scrappy, but one can see what Leibowitz was going for. The orchestra just wasn’t up to the challenge. It’s also worth noting that this recording is from 1960 and the London Festival Orchestra used to be the recording name for the Royal Philharmonic Orchestra.

なんてのが返ってくる。すばらしい。びっくりだ世界は広い、わかる人はわかるんだと感激だ。実はブログは英語にしようと思った時期があって実際やってみたがなにも反応がなかった。やっぱり文字でなくビデオ、動画の時代なんだろうか、これからはそっちかなと思う。

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出版かブログか?

2017 MAY 25 12:12:53 pm by 東 賢太郎

きのう某出版社のかたが来られました。2,3週まえに電話があって本を書きませんかという話だったのでおことわりしたのですが、それでも一度ということになったのです。それでお会いはしましたが、再度すいませんということで理由をご説明申し上げました。

僕にはSMCがあって万葉集みたいに残すのが目的だということです。

従来メディアは巨大な資本とコストを食うのでそれをまかなう収益が絶対に必要です。ネットはそれがいらないので、まったく異なった次元のメディアが作れるという仮説を僕は持っていてそれを実験したいのです。

作品を「残したい」という動機は心ある著述家やテレビ、新聞、出版関係者はきっとお持ちと思います。しかし収益を求められればそれは「売りたい」という現世的な動機に蹂躙されてしまう。それが今あるすべてのメディアの宿命であり実態で、我々は視聴者、読者として日々そのシャワーを浴びているのです。

そこでネットというタダの素材によるメディアをそれで稼がなくていい僕のような人間が作ったら何がおきるか?

が実験であり、何もおきなくても次世代が残していってくれれば最低限の目的は達成しますから僕には精神的な負けはありません。物質的な負けはあるでしょうが1億円損する覚悟をしていれば充分でしょう。子供を遊園地に連れて行って、子供は楽しんだが自分は退屈だった、お父さんも楽しめる遊園地があったらどんなにいいだろう、そう思う男がいたからディズニーランドがあるわけで、お金でない純粋な動機というのは強靭なのです。

メディアを作るのに自分が書く必要はありませんが、業界人ではないから経営者としてコンテンツを探す知恵はありません。だから自身がコンテンツにもなって、つまり実験者であって被験者であって実験材でもあるという方法に仕方なく行き着いてしまいましたが、意外にこれはいいぞという手ごたえを感じます。何の業界であれ新参ものが道を切り拓くには他力本願はありえないのです。

例えばブログを書いたことでいろんな方とご縁ができたし、その皆さんにありがとうと喜んでいただけるような嬉しい体験もできるようになりました。過去の人生であんまり世間のお役にたっていない僕には本当にびっくりすることがたて続けに起こっていて、たった4年でこれだから10年やったら何が起きるかわくわくしませんかというのが逆に出版社さんへのまっさらな問いかけなのです。

昨今の出版物はコンテンツが軽薄な情報提供型が増えています。インテリジェンス提供型が激減した。スマホ時代の潮流で売れないからと思われ、だからいきおい最も収益の読めるスクープものが主戦場になるのです。しかしネット時代に情報はタダで手に入るから、そういう本は出版された瞬間から値が下がっていく生鮮食品みたいなもんです。収益を上げねばならない、売らんかなになる、安易な情報提供型になる、という道筋で業界ごと自分の首を絞めていくのです。

そういう潮目のメディアに僕がコンテンツとして登場する意味は皆無であり、よっておことわりしたという極めてシンプルなことです。ただ、紙媒体はなくなることはないし、勝ち残るには強いコンテンツを探し出すことなのです。昨日の某社さんは、来られた方は少なくともそうしたことを危機意識としてお持ちのように思いました。お声かけくださったということは光栄であり、そのことはよく覚えておきます。

 

(こちらへどうぞ)

SMCと万葉集への思い

 

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貴重な切り絵をありがとうございます

2017 MAY 11 15:15:00 pm by 東 賢太郎

 

事情があって出社できなかったところ、T 様よりこのようなお届け物があったと会社より連絡を受けました。

 

 

まだ直接拝見できておらず恐縮ですが、この場を借りて御礼を一刻も早くと思い、社員からの写真を載せさせていただきました。

添えられた立派な毛筆のお手紙には、

 

力漲る幸せなひと時
ご招待およびレクチャー
感謝の思い出で胸がいっぱいで在ります
三代目林家正楽さんに
初めてリクエストを受けていただきました
” オーケストラ ”
心ばかりの御礼
お届けできましたら幸いに存じます

 

東賢太郎様

 

とございました。これはもとより指揮者、ソリスト、オーケストラの功績であるゆえ、本日、ライヴ・イマジン事務局より公演に関わりました全員に回覧させていただきました。貴重な切り絵は大切に保管させていただきます。

お喜びいただけましたこと、なによりうれしく思い、心より幸甚に存じます。誠にありがとうございます。

Yahoo、Googleからお入りの皆様

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アドレスを変更いたします

2017 APR 30 14:14:39 pm by 東 賢太郎

4月2日に投稿いたしました「5月7日のコンサートのお知らせ」のブログにて、お申し込み用としてお知らせしました

azuken3024@tulip.ocn.ne.jp

のアドレスに手違いが生じており、せっかく頂戴したメールを拝見できておりませんでした。それが発覚したのが昨日ということで大変な失礼をしてしまい、ここにお詫びを申し上げます。上記アドレスは閉鎖して今後は使用いたしません。

把握できた方には昨日にメールを送らせていただきましたが、万一それがなかった場合は、下記のアドレスへ一報ください。至急手配をさせていただきます。

azuma.smc@gmail.com

本アドレスはSMC読者様用として新たに設けました。今回のチケットの件だけでなく、ブログに対するご意見などなんでもお寄せいただければ幸いです。

 

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勤め人時代にできなかった二つのこと

2017 APR 1 17:17:07 pm by 東 賢太郎

勤め人時代にできなかったこととして、①好きな仕事だけやる②ブログに好き勝手の独断・偏見をかく、があります。細かくいえばいろいろありますがその二つは大きいなと思います。

リタイアして②をされるかたはこれからもっと増えるでしょう。やってみれば唖然とするほど簡単だし世の中の反応が数字でわかって面白いからです。この快感はやらないとわからないですね、独断・偏見がどれだけ世の中で関心を持たれるかというのは自分のささやかな存在証明です。

①と②がいっしょにならないのがいいのであって、本を書いたらどうですかといわれましたが断りました。本は売れないと消えるので営業目線になるだろう、すると「好き勝手の独断・偏見」が鈍って個性がなくなってやっぱり消えるだろうと思うのです。いつ死ぬかわからんのでいつ来てもいいようにしておく。なにか残るようにしておく。ブログの真価はこれです。

今回そういいながらお恥ずかしいことにSMCのサーバーが足りなくなって冷や汗をかきました。サーバーを借りるのはコストがかかる。そこで現れたクラウドサービスはそれを無料提供してコンテンツを囲い込み、他人のフンドシで集客して広告主から金をとるビジネスですがいずれバックアップまで含めたサーバースペースが地球上になくなるでしょう。すると宇宙ステーションにでも作るんだろうがそれはもっとコストが高い。要は有限な世界ですね。

僕は有限に興味ないので無限なものを作りたい。それは人の個性にかけるしかないのです。確実にオンリーワンだから複製不能で、永遠に価値が残ります。企業もそうでしょう。創業者というオンリーワンの色が薄れるとただの大企業になる。すると、その瞬間から「有限性に支配される」べく時計の針が回り始めてシャープ、東芝のような悲しい例も出てしまう。オンリーワンの価値はオンリーワンである限り無限です。モーツァルトやゴッホといっしょです。

しかし個性というのは認知されなければ歴史に埋もれてしまいます。だからメディアが必要です。個性を「認知」して「広める」媒体としてです。ところがいまや「広める」はyoutubeで個人が誰でもできてしまうので個性は百花繚乱の時代なのです。そこではむしろありすぎる情報を「認知」で絞り込むことがメディアの価値になってくる。テレビならクズは全部捨てて「いい番組しかない」、「だから見ても時間の無駄にならない」ということに価値が移行していきます。

デパート業界の凋落がそれを予言してます。「なんでもある」はネットにかなわないからもう売りではない。万事が「絞り込み」の時代なのです。だからそれのできる個人に需要が出てきてキュレーター(curator)と呼ばれます。図書館や博物館の館長の意味です。膨大な情報からなにかを選びぬく能力のある人ですね。単に知識のある専門家ではなく「目的にそった好適なものを選びぬく」というニュアンスがあるので「目利き」、「通」、「ドン」に近い。

これはsiriに「近くのラーメン屋」ときいて出てくるリスト(=専門家)と、そのなかで「あなた好みのラーメン屋」まで選んでくれる人(=目利き)とどっちが価値がありますかという質問に等しいことにお気づきですか。何度も書きましたがそれが情報と諜報の違いです。各業界でキュレーターがひっぱりだこなのは、世の中はインテリジェンス(諜報)を求めている、クラウドに膨大にあるインフォメーション(情報)をいくら持っても学習してもコンピューターにかなわないから価値はないですよということを教えてくれているのです。

個性が創造という領域で発揮されればAI(人工知能)も凌駕できないと僕は信じます。一方で30年後にはsiriの自動翻訳機能がAI化して日本の学校から英語という必修科目が消えているでしょう。世界史だって日本史と合体するぐらいだから十分可能で、英米人はする必要のないそんな勉強に日本人だけ大事な10代の時間を使うなど何の意味もない。インテリジェンスを生む回路を脳に作ってくれる数学を大学まで必修にしたほうが国益としてずっといいでしょう。

SMCを21世紀の万葉集にしたいというのが僕の発想でした。万葉集というのはいわば選者というキュレーターによる和歌のキュレーション・サイトなのです。僕は金融を通したビジネスと聴き手としての音楽ぐらいしか能はありませんが、今後メンバーに各方面のキュレーターが加わってくださればその発想はそう荒唐無稽でもないと思っています。

しかしSMCは文字が媒体であり、いまや動画という媒体は避けて通れません。そこで、まったくの過渡期的な措置ですが、youtubeのクラウドに間借りして僕のチャンネル「東」を作りました。これは所有者が極めて少ない音源とパブリックドメインのうち僕の趣味にあった音源、いずれは僕の弾いた音源などからなっている「東賢太郎キュレーションサイト」です。そこから動画を引いてSMCに貼れば出版物ではできない「音のサンプル」のお示しができてより分かり易い音楽ブログが書けると思うのです。

また、僕のブログに「若者に教えたいこと」というカテゴリーがありますが、若者に夢を与えること、生き抜く知恵をあげること、大ブレークのきっかけを作ってあげることは僕の夢であります。私財はそれに投じてよいと考えてます。「若者に夢のない時代」といわれますが、そんなことはないよと口だけの空手形でなく身をもってそれを示してあげようと思います。

そこで若者のキュレーターになる能力のある3人を正社員として集めました。岩佐君、村上君、岡部君といいます。彼らに才能ある若者たちの動画をたくさんとってサイトを作ってもらい、広く世の中にお見せして認知してもらおうと願っています。これは僕の視点ではSMCとまったく同じことなのですが文字媒体でなく絵、動画だから別なサイトとして運営してもらうということにしました。

そのサイト「NEXTYLE(ネクスタイル)」がこちらです。

NEXTYLE

ご覧いただくと日本の若者はすばらしい、これから日本は明るいぞとすべての世代の方々に感じていただけ、ご自身も元気をもらえることと信じます。

このネクスタイルもSMCも、永続させるために企業にはしてありますが僕にとっては仕事、金もうけではありません。それは冒頭に書きました通り、

①好きな仕事だけやる

②ブログに好き勝手の独断・偏見をかく

の区別をしないと②は「好き勝手の独断・偏見」が鈍って個性がなくなって消えるだろうと思うからです。僕は天職であるソナー・アドバイザーズの仕事をボケるまでは続けるし、それで食べていく、そこで好きな仕事だけ選べるというという40年かけて手に入れた自由はそれはそれで人生の楽しみだからです。

 
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工事が完了いたしました

2017 APR 1 1:01:51 am by 東 賢太郎

 

さる3月14日よりSMCサイトが工事となり新規投稿が中断しておりましたが、やっと再開にこぎつけました。ご迷惑をおかけいたしました。

SMCは2012年10月に甚だ小規模にひっそりとスタートいたしましたが、4年の時を経てアクセス数、投稿数とも想定外の規模になり、当初契約したサーバーメモリーの上限を知らぬうちに超過してしまったことが原因とわかりました。この点はより容量の大きいサーバーに移管する契約をすることで解決いたしました。

なにぶん発起人、管理人ともITリテラシーが不足しており反省しきりでございます。そこで、千年残す計画を全うする基盤とすべく、容量拡大に留まらずサイト全体のアップグレードを図り、専属のSE会社を決めてプログラムの再構築、トップページの刷新もすることに致しました。この工事はさらにひと月ほどかかりますがその間は投稿が止まることはありませんので、引き続きご訪問を賜れれば幸いです。

 
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SMCサイトのアップグレード工事について(追記あり)

2017 MAR 20 15:15:59 pm by 東 賢太郎

SMCサイトのサーバー容量超過がおきたようでブログがアップできない状態になっておりご迷惑をおかけしております(本稿は下書きのストックで例外的に通っております)。少々時間がかかりますが良い機会なので容量増加に併せてプログラムのアップグレードも行い、永年存続できる基盤を整備いたしますのでご理解を賜れるようお願い申し上げます。

開通までの間はこちら「ソナー・アドバイザーズ株式会社」のブログスペースに書いていきますのでよろしければご覧ください。

ブログ

youtubeには手持ちのテープなどから16本をアップロードしました。米国のFM放送などでベーム、オーマンディー、テンシュテット、アラウなどのライブ音源を皆様と共有したいと思います。各々の演奏に対するコメントはそちらのブログに書きます。過去にSMCで書いた演奏でyoutubeになかったためにお聞きいただけなかったものも自分でアップロードいたしました。ぜひお聴きください。

フィラデルフィア時代のカセット録音

R・ゼルキン/クーベリックのベートーベン1番

ベームのシューベルト「ザ・グレート」

オーマンディのドビッシー「海」

マックス・ルドルフのブラームス2番

ジェルメッティの「クープランの墓」

(その他のタイトル)

今日はスポーツで壮挙が二つ(その1)

今日はスポーツで壮挙が二つ(その2)

卒業式に思う(夢のない時代こそチャンス)

籠池氏証人喚問

よくやった、サムライ・ジャパン!

「未来」と呼ばれているものの正体

「二人のエース」 広島カープ弱小時代を支えた男たち

高校球児のグラウンドへの一礼は重い

田中角栄のご褒美

稲田問題

森友学園問題

 
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SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

久保大樹
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