「個の時代」と「自由人」(訪問者200万人に寄せて)
2018 JUL 11 1:01:58 am by 東 賢太郎
おかげさまでブログの訪問者数が200万になった。といってそれがブログの題になるほどの意味があるかというと、数字というのは示されると気にはなるのが人間の習性だということが自分をダシにわかってきたということだ。仮に道を歩いていて突然に「おめでとうございます、あなたは今日ここを歩いた129人目の人です!」なんてくす玉でも割られたら、きっと一日中、なんで129が大事なんだろうと悩むに違いない。
何か面白いことを書かないと数字は増えないのかもしれないが、しかし、不特定多数が読者だから何を書くと面白いかは実はわからない。インスタのように写真ではなく文章だし、ツイッターと違って長くてややこしいものであるのだから、筆者自身たまに昔のを読みかえすと頭が錯綜してきて睡魔を呼んでしまうことがある。ということから察するに読者は相当に辛抱強いか頑強な読解力があるか酔狂であるはずである。
筆者はそのどれかというとまぎれもなく酔狂人であって、ジャンルを問わず、どうしてそんなのが好きなの?というものだらけだ。そういうものをトータルにみて「趣味(taste、テースト)」と呼ぶわけだが、ある人がどういう人かというのは無意識にテーストで判断されていることが多いから一応の注意が必要である。しかし世界の潮流としてはLGBT(性的少数者)のような微妙なものに至るまで個人の尊厳として認容される方向であり、男の子でも心の在り方次第でお茶の水女子大学は入学を認めると聞くし、「個」としての人間の独自性を隠して生きるより開示してしまった方が本来の自由な人生だろうという考え方が市民権を得つつあるように思う。自分はそれに肯定的な人間であり、そう生きたいと願っている者だ。
ブログを書くぞと言い出した6年前、そこに姓名、素性、経歴を明かすことに家族から大反対があった。プライバシーよ、危険でしょ、恥ずかしいし等々。そこでこう言った。「お前たちどこの誰かわからん者の朝飯の写真なんか見たいか?文章なんか読むか?今はどこの誰かわからん者が専門家で本を書く時代だ、そんなのより俺の方がましだぞ」。これはこっちの責任だが、幼いころに忙しくて家にいなかったから彼らは父親を良く知らない。「SNSで内輪でちょちょろなんて俺は全然興味ない、だからFacebookなんかは一切やらないよ。俺の看板はブログになるんだ」ということで開始した。
伝統的に控え目を良しとして個性を押し殺す日本人は、だからテーストを開陳したがらない傾向があるが、それが良くないとまで主張する気はないが、欧米人や中国人にとって没個性的が良いという価値観はまったくないということは書いておきたい。そういう欧米・香港で客商売で16年を過ごしたことで自分が非日本人的になったとは思わないが、人間本来の自由な人生をまっとうしたいと強く希求するようにはなった。しかし、そうやってテーストが形成されたというわけではなく、テーストは元来が遺伝的で生まれつきの形質であって、それを隠すのが美徳とはぜんぜん思わなくなったということだ。
例を挙げるなら、僕は蕎麦屋で毎回「かき玉うどん」を注文するが、まず一切かき回したりせずにたたずまいを慎重に吟味し、やおらトロミに白ネギを少しずつひたして全部食べ、次に玉子を形を崩さないように、やはりトロミと一緒に丁寧にすくいとって熱いうちに全部食べる。その美味は芸術的とも和の食文化の粋とも言え、そう感じることこそが僕のテーストであり、この調理法を発明した人に対する敬意はモーツァルトに対するものといささかも変わらない。さてそこまで約10分のお楽しみだが、この時点で丼の中はトッピングのない、何の変哲もない凡庸な素うどん状態になっており、「ああ、またやってしまった、またこんなまずいのを食わなくてはいけないのか」とそれを注文したことを必ず後悔するのである。
それでも次回はまたその誘惑に乗って「かき玉うどん」を注文するのであり、蕎麦屋というのはとてもアンビバレントな存在に陥っている。だから本来は「かき玉うどん」は5杯ほど注文してトロミと玉子だけ5回食してごめんなさい、ごちそうさまでしたと店主に謝って終了するのが究極かつ理想の食べ方なのであって、そこまではまだやったことはないが、ではトロミだけ頼みこんで出してもらえばいいかというとそれではいけない。「うどん」はどうしても必要であって、残留物になるだけだからどうでもいいようなものだが、では「そば」でいいかというと、温かいそばというのは残ると特有のお湯っぽいにおいがあって、玉子の最後の方の風味がそれに邪魔されてどうもうまくないのである。これを子供時代から飽くこともなく、蕎麦屋に行けば誰の前でも半世紀もやっていて妙な目で見られているので少々の引け目はあった。
ところが香港に赴任してなるほどと思うことがあった。上海蟹である。お客さんと食事に行くと、カニは足を食うものだと思っていたら彼らは大きめのメスの5,6杯を片っ端からばりばりと開き、味噌だけ音をたててすすっておいて足は手もつけず、全部ぽいぽい捨てるのである。あっという間のことであり、なにか汚ならしいし勿体ないとも思って一度足をほじくって食べたら、みっともないからやめろとたしなめられてしまった。何千億円も資産のある華僑の大富豪たちにしてお世辞にも上品な作法とは言い難いが、彼らはきっとかき玉の5杯ぐらい「何が悪いんだ」と是認してくれるに違いないし、そういうテーストを見せたところで変わり者と人間の評価を下げることもないし排除もされないだろう。
そんな卑近な目線から米中の貿易摩擦問題を見るとこう思う。1兆円の資産があるトランプが好物のハンバーガーをほおばるのを見ていかがなものかなんて米国人は誰も言わない。2兆円はある習近平はああやって堂々とカニをたらふく食って中国の一般人民はうらやましいと思っているに違いない。技術漏洩?米国に留学して技術を覚えて中国に持ち帰って起業して何が悪いの?うるせえ、ならWTOなんか脱退したるわい!両者の食いっぷりの共通点は下品なことだけであって、テーストを見れば合意なんかに至るはずない。僕の「かき玉うどん」も下品だが、あれを二人にふるまってあの精妙な最初の10分の和の食文化の粋をアプリシエート(appreciate)するなどと考える経験的思考回路は到底持ち合わせていない。資産でいえばサラリーマン社長である安倍首相は次郎の鮨で好感を持ってもらえるなどと考えるのはやめた方がいい。
ああいう連中と丁々発止やっていくには、俺はこういう人間だ(It’s me.)、お前が何といおうとこうやるぜ、なぜ?俺がそうやりたいからさ、とやるに限る。プーチンにしたって金正恩にしたってフィリピンのドゥテルテにしたって、このクソ野郎と思うほどそうやってるのを皆さんご覧になっている。日本の首相がそうできないのは核保有してないからでもあるし米国の属国から脱していないからでもあるが、没個性が美徳などという国際社会で一文の値打ちもない思い込みをお坊ちゃんの2世3世政治家が脱却していないことも一因なのである。そのことと武士道に発する奥ゆかしい日本男児の在り方とは何ら矛盾はない。へこへこアメリカさんにお追従するサムライなどありえないわけで、思いっきりテーストを丸出しにして「これがサムライだよ、知らなかったの?」ぐらいかましておけばいいのである。
ブログに何を主張しようと憲法が保障する言論の自由のうちだから5年と9か月好き勝手を書かせていただいてきた。そのご評価が200万という数字ならうれしいことだが音楽に偏ったきらいがあるし、書いた曲は筆者固有の心を映し出す鏡だとして書く意味があったのであってそれ以上でも以下でもない。バックナンバーを読みかえすに2013~15年のあたりは文章に気合が入っていて書くのが楽しかったことをうかがわせるが、あの気力も体力も視力もあんまりなく、書き残している作品には申し訳ないがインセンティブがわかなかったということはそんなに好きでもないということだ。
音楽においてはどうしても書きたかったが音のサンプルがないと伝わらない内容というのはいくつかあって、去年は舞台でハイドンとモーツァルトに加えて「ビートルズとモーツァルト」をピアノでご説明するつもりであったが時間切れだった。音楽というのは長いつきあいだから分かり易いので題材として頻繁に使ってきたが、それが本旨なのではなく、そういう部分に神経が行くことが筆者のテーストであって、音楽に限らず政治でも人生観でも相場観でもネコ観でも女性観でも武士道でも哲学でも野球でも資産運用でも「かき玉うどん」でも、全部がそのテーストに支配されている。その事実は自分固有の脳の働きだからオンリーワンではないかと思って生きてきた。
誰であれ自分の存在がオンリーワンなのは太古の昔からそうである。しかしそれを「個」(individual)と認めるまで人類は何千年もの歳月を要したのであり、ついに西洋に勃発した市民革命を経て「個の時代」を獲得した。「自由」というものは自由主義国家に住むから自然にあるのではなく、自分が個となることを自覚して初めて得られる果実だ。自由気ままに時を過ごし、食い、遊び、井戸端会議をし、セックスをするのはまぎれもない動物への退化であって、「自由人」という人類史の帰結としての存在とは程遠いものだ。誰しも一人で生まれ一人で死んでいくのであって本来が個であるのだから、一人であることを孤独という言葉で否定的なニュアンスで語るのではなく、どんなに幸せな家庭や友人があっても、やはり人間は孤独なのであり、その自覚を積極的に人生に取り込んでエンジョイする。それが何千年もかけて、先達が命を賭して我々に与えてくれた遺産を生かす自由人という生き方であり、それが許される時代に生まれたことを心から幸福と思う。
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ブログ100万になる
2017 NOV 13 21:21:48 pm by 東 賢太郎
ブログのカウンターを見たら知らないうちに総閲覧数が100万を突破していた。5年前は想定外。10月あたりから増えて、ある日は5千もあって何がおきたんだとなった。
きのう娘たちがフェースブックなんかもう主流は50代だよ、いまはインスタとラインだよという。そんなの字書けないのが昼めしとかイヌの自慢するやつだろといったが、どうも「いいね」を押してもらいたいらしい。勝手に送っておいて押さないと、なんで?、となるんで面倒でやらない人もいるそうだ。
ブログにいいねはないが、たくさん閲覧していただけばうれしい。ところがさらに上があってyoutubeに愛聴盤を出したら「オーマンディのライブをもっとほしい」「オーマンディの海はピッチが半音低い」「アンセルメの火の鳥はすばらしい、mp3フォーマットでメールで送ってくれ」なんてのが海外から来る。きのうレイボヴィッツの春の祭典をアップして、これとブーレーズのCBS盤は共通するものがあると英語で書いたらすぐに、
There’s definitely traces of Boulez in here, but it was really Boulez who defined the ‘Rite’ sound with his authoritative 1969 recording with the Cleveland Orchestra. In this recording, miking is strange (bass drum sounds like a huge rubber band) and orchestral execution is scrappy, but one can see what Leibowitz was going for. The orchestra just wasn’t up to the challenge. It’s also worth noting that this recording is from 1960 and the London Festival Orchestra used to be the recording name for the Royal Philharmonic Orchestra.
なんてのが返ってくる。すばらしい。びっくりだ世界は広い、わかる人はわかるんだと感激だ。実はブログは英語にしようと思った時期があって実際やってみたがなにも反応がなかった。やっぱり文字でなくビデオ、動画の時代なんだろうか、これからはそっちかなと思う。
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出版かブログか?
2017 MAY 25 12:12:53 pm by 東 賢太郎
きのう某出版社のかたが来られました。2,3週まえに電話があって本を書きませんかという話だったのでおことわりしたのですが、それでも一度ということになったのです。それでお会いはしましたが、再度すいませんということで理由をご説明申し上げました。
僕にはSMCがあって万葉集みたいに残すのが目的だということです。
従来メディアは巨大な資本とコストを食うのでそれをまかなう収益が絶対に必要です。ネットはそれがいらないので、まったく異なった次元のメディアが作れるという仮説を僕は持っていてそれを実験したいのです。
作品を「残したい」という動機は心ある著述家やテレビ、新聞、出版関係者はきっとお持ちと思います。しかし収益を求められればそれは「売りたい」という現世的な動機に蹂躙されてしまう。それが今あるすべてのメディアの宿命であり実態で、我々は視聴者、読者として日々そのシャワーを浴びているのです。
そこでネットというタダの素材によるメディアをそれで稼がなくていい僕のような人間が作ったら何がおきるか?
が実験であり、何もおきなくても次世代が残していってくれれば最低限の目的は達成しますから僕には精神的な負けはありません。物質的な負けはあるでしょうが1億円損する覚悟をしていれば充分でしょう。子供を遊園地に連れて行って、子供は楽しんだが自分は退屈だった、お父さんも楽しめる遊園地があったらどんなにいいだろう、そう思う男がいたからディズニーランドがあるわけで、お金でない純粋な動機というのは強靭なのです。
メディアを作るのに自分が書く必要はありませんが、業界人ではないから経営者としてコンテンツを探す知恵はありません。だから自身がコンテンツにもなって、つまり実験者であって被験者であって実験材でもあるという方法に仕方なく行き着いてしまいましたが、意外にこれはいいぞという手ごたえを感じます。何の業界であれ新参ものが道を切り拓くには他力本願はありえないのです。
例えばブログを書いたことでいろんな方とご縁ができたし、その皆さんにありがとうと喜んでいただけるような嬉しい体験もできるようになりました。過去の人生であんまり世間のお役にたっていない僕には本当にびっくりすることがたて続けに起こっていて、たった4年でこれだから10年やったら何が起きるかわくわくしませんかというのが逆に出版社さんへのまっさらな問いかけなのです。
昨今の出版物はコンテンツが軽薄な情報提供型が増えています。インテリジェンス提供型が激減した。スマホ時代の潮流で売れないからと思われ、だからいきおい最も収益の読めるスクープものが主戦場になるのです。しかしネット時代に情報はタダで手に入るから、そういう本は出版された瞬間から値が下がっていく生鮮食品みたいなもんです。収益を上げねばならない、売らんかなになる、安易な情報提供型になる、という道筋で業界ごと自分の首を絞めていくのです。
そういう潮目のメディアに僕がコンテンツとして登場する意味は皆無であり、よっておことわりしたという極めてシンプルなことです。ただ、紙媒体はなくなることはないし、勝ち残るには強いコンテンツを探し出すことなのです。昨日の某社さんは、来られた方は少なくともそうしたことを危機意識としてお持ちのように思いました。お声かけくださったということは光栄であり、そのことはよく覚えておきます。
(こちらへどうぞ)
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貴重な切り絵をありがとうございます
2017 MAY 11 15:15:00 pm by 東 賢太郎
事情があって出社できなかったところ、T 様よりこのようなお届け物があったと会社より連絡を受けました。
まだ直接拝見できておらず恐縮ですが、この場を借りて御礼を一刻も早くと思い、社員からの写真を載せさせていただきました。
添えられた立派な毛筆のお手紙には、
力漲る幸せなひと時
ご招待およびレクチャー
感謝の思い出で胸がいっぱいで在ります
三代目林家正楽さんに
初めてリクエストを受けていただきました
” オーケストラ ”
心ばかりの御礼
お届けできましたら幸いに存じます
東賢太郎様
とございました。これはもとより指揮者、ソリスト、オーケストラの功績であるゆえ、本日、ライヴ・イマジン事務局より公演に関わりました全員に回覧させていただきました。貴重な切り絵は大切に保管させていただきます。
お喜びいただけましたこと、なによりうれしく思い、心より幸甚に存じます。誠にありがとうございます。
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アドレスを変更いたします
2017 APR 30 14:14:39 pm by 東 賢太郎
4月2日に投稿いたしました「5月7日のコンサートのお知らせ」のブログにて、お申し込み用としてお知らせしました
のアドレスに手違いが生じており、せっかく頂戴したメールを拝見できておりませんでした。それが発覚したのが昨日ということで大変な失礼をしてしまい、ここにお詫びを申し上げます。上記アドレスは閉鎖して今後は使用いたしません。
把握できた方には昨日にメールを送らせていただきましたが、万一それがなかった場合は、下記のアドレスへ一報ください。至急手配をさせていただきます。
azuma.smc@gmail.com
本アドレスはSMC読者様用として新たに設けました。今回のチケットの件だけでなく、ブログに対するご意見などなんでもお寄せいただければ幸いです。
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勤め人時代にできなかった二つのこと
2017 APR 1 17:17:07 pm by 東 賢太郎
勤め人時代にできなかったこととして、①好きな仕事だけやる②ブログに好き勝手の独断・偏見をかく、があります。細かくいえばいろいろありますがその二つは大きいなと思います。
リタイアして②をされるかたはこれからもっと増えるでしょう。やってみれば唖然とするほど簡単だし世の中の反応が数字でわかって面白いからです。この快感はやらないとわからないですね、独断・偏見がどれだけ世の中で関心を持たれるかというのは自分のささやかな存在証明です。
①と②がいっしょにならないのがいいのであって、本を書いたらどうですかといわれましたが断りました。本は売れないと消えるので営業目線になるだろう、すると「好き勝手の独断・偏見」が鈍って個性がなくなってやっぱり消えるだろうと思うのです。いつ死ぬかわからんのでいつ来てもいいようにしておく。なにか残るようにしておく。ブログの真価はこれです。
今回そういいながらお恥ずかしいことにSMCのサーバーが足りなくなって冷や汗をかきました。サーバーを借りるのはコストがかかる。そこで現れたクラウドサービスはそれを無料提供してコンテンツを囲い込み、他人のフンドシで集客して広告主から金をとるビジネスですがいずれバックアップまで含めたサーバースペースが地球上になくなるでしょう。すると宇宙ステーションにでも作るんだろうがそれはもっとコストが高い。要は有限な世界ですね。
僕は有限に興味ないので無限なものを作りたい。それは人の個性にかけるしかないのです。確実にオンリーワンだから複製不能で、永遠に価値が残ります。企業もそうでしょう。創業者というオンリーワンの色が薄れるとただの大企業になる。すると、その瞬間から「有限性に支配される」べく時計の針が回り始めてシャープ、東芝のような悲しい例も出てしまう。オンリーワンの価値はオンリーワンである限り無限です。モーツァルトやゴッホといっしょです。
しかし個性というのは認知されなければ歴史に埋もれてしまいます。だからメディアが必要です。個性を「認知」して「広める」媒体としてです。ところがいまや「広める」はyoutubeで個人が誰でもできてしまうので個性は百花繚乱の時代なのです。そこではむしろありすぎる情報を「認知」で絞り込むことがメディアの価値になってくる。テレビならクズは全部捨てて「いい番組しかない」、「だから見ても時間の無駄にならない」ということに価値が移行していきます。
デパート業界の凋落がそれを予言してます。「なんでもある」はネットにかなわないからもう売りではない。万事が「絞り込み」の時代なのです。だからそれのできる個人に需要が出てきてキュレーター(curator)と呼ばれます。図書館や博物館の館長の意味です。膨大な情報からなにかを選びぬく能力のある人ですね。単に知識のある専門家ではなく「目的にそった好適なものを選びぬく」というニュアンスがあるので「目利き」、「通」、「ドン」に近い。
これはsiriに「近くのラーメン屋」ときいて出てくるリスト(=専門家)と、そのなかで「あなた好みのラーメン屋」まで選んでくれる人(=目利き)とどっちが価値がありますかという質問に等しいことにお気づきですか。何度も書きましたがそれが情報と諜報の違いです。各業界でキュレーターがひっぱりだこなのは、世の中はインテリジェンス(諜報)を求めている、クラウドに膨大にあるインフォメーション(情報)をいくら持っても学習してもコンピューターにかなわないから価値はないですよということを教えてくれているのです。
個性が創造という領域で発揮されればAI(人工知能)も凌駕できないと僕は信じます。一方で30年後にはsiriの自動翻訳機能がAI化して日本の学校から英語という必修科目が消えているでしょう。世界史だって日本史と合体するぐらいだから十分可能で、英米人はする必要のないそんな勉強に日本人だけ大事な10代の時間を使うなど何の意味もない。インテリジェンスを生む回路を脳に作ってくれる数学を大学まで必修にしたほうが国益としてずっといいでしょう。
SMCを21世紀の万葉集にしたいというのが僕の発想でした。万葉集というのはいわば選者というキュレーターによる和歌のキュレーション・サイトなのです。僕は金融を通したビジネスと聴き手としての音楽ぐらいしか能はありませんが、今後メンバーに各方面のキュレーターが加わってくださればその発想はそう荒唐無稽でもないと思っています。
しかしSMCは文字が媒体であり、いまや動画という媒体は避けて通れません。そこで、まったくの過渡期的な措置ですが、youtubeのクラウドに間借りして僕のチャンネル「東」を作りました。これは所有者が極めて少ない音源とパブリックドメインのうち僕の趣味にあった音源、いずれは僕の弾いた音源などからなっている「東賢太郎キュレーションサイト」です。そこから動画を引いてSMCに貼れば出版物ではできない「音のサンプル」のお示しができてより分かり易い音楽ブログが書けると思うのです。
また、僕のブログに「若者に教えたいこと」というカテゴリーがありますが、若者に夢を与えること、生き抜く知恵をあげること、大ブレークのきっかけを作ってあげることは僕の夢であります。私財はそれに投じてよいと考えてます。「若者に夢のない時代」といわれますが、そんなことはないよと口だけの空手形でなく身をもってそれを示してあげようと思います。
そこで若者のキュレーターになる能力のある3人を正社員として集めました。岩佐君、村上君、岡部君といいます。彼らに才能ある若者たちの動画をたくさんとってサイトを作ってもらい、広く世の中にお見せして認知してもらおうと願っています。これは僕の視点ではSMCとまったく同じことなのですが文字媒体でなく絵、動画だから別なサイトとして運営してもらうということにしました。
そのサイト「NEXTYLE(ネクスタイル)」がこちらです。
ご覧いただくと日本の若者はすばらしい、これから日本は明るいぞとすべての世代の方々に感じていただけ、ご自身も元気をもらえることと信じます。
このネクスタイルもSMCも、永続させるために企業にはしてありますが僕にとっては仕事、金もうけではありません。それは冒頭に書きました通り、
①好きな仕事だけやる
②ブログに好き勝手の独断・偏見をかく
の区別をしないと②は「好き勝手の独断・偏見」が鈍って個性がなくなって消えるだろうと思うからです。僕は天職であるソナー・アドバイザーズの仕事をボケるまでは続けるし、それで食べていく、そこで好きな仕事だけ選べるというという40年かけて手に入れた自由はそれはそれで人生の楽しみだからです。
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工事が完了いたしました
2017 APR 1 1:01:51 am by 東 賢太郎
さる3月14日よりSMCサイトが工事となり新規投稿が中断しておりましたが、やっと再開にこぎつけました。ご迷惑をおかけいたしました。
SMCは2012年10月に甚だ小規模にひっそりとスタートいたしましたが、4年の時を経てアクセス数、投稿数とも想定外の規模になり、当初契約したサーバーメモリーの上限を知らぬうちに超過してしまったことが原因とわかりました。この点はより容量の大きいサーバーに移管する契約をすることで解決いたしました。
なにぶん発起人、管理人ともITリテラシーが不足しており反省しきりでございます。そこで、千年残す計画を全うする基盤とすべく、容量拡大に留まらずサイト全体のアップグレードを図り、専属のSE会社を決めてプログラムの再構築、トップページの刷新もすることに致しました。この工事はさらにひと月ほどかかりますがその間は投稿が止まることはありませんので、引き続きご訪問を賜れれば幸いです。
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SMCサイトのアップグレード工事について(追記あり)
2017 MAR 20 15:15:59 pm by 東 賢太郎
SMCサイトのサーバー容量超過がおきたようでブログがアップできない状態になっておりご迷惑をおかけしております(本稿は下書きのストックで例外的に通っております)。少々時間がかかりますが良い機会なので容量増加に併せてプログラムのアップグレードも行い、永年存続できる基盤を整備いたしますのでご理解を賜れるようお願い申し上げます。
開通までの間はこちら「ソナー・アドバイザーズ株式会社」のブログスペースに書いていきますのでよろしければご覧ください。
youtubeには手持ちのテープなどから16本をアップロードしました。米国のFM放送などでベーム、オーマンディー、テンシュテット、アラウなどのライブ音源を皆様と共有したいと思います。各々の演奏に対するコメントはそちらのブログに書きます。過去にSMCで書いた演奏でyoutubeになかったためにお聞きいただけなかったものも自分でアップロードいたしました。ぜひお聴きください。
(その他のタイトル)
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新メンバーご紹介
2017 FEB 24 13:13:54 pm by 東 賢太郎
「ライブ・イマジン」主催者のチェリスト西村淳さんとピアニストの吉田康子さんがSMCの新メンバーになられました。
弊社ソナー・アドバイザーズにて西室より種々入会のご説明を申し上げ、近くのピザ屋さんで軽く歓迎の乾杯をいたしました。お二人とも演奏歴が長く、もちろんクラシックのご造詣は深く、ワーグナーの室内楽版、春の祭典の連弾などの興味深い体験談をうかがっているうちあっという間に時間が過ぎてしまいました。
西村さんの「モーツァルトは後期になるほど弦のスラーが長くなる」はプレイヤーの視線でないと気付かないことで、目から鱗でした。吉田さんはショパン1,2番、シューマン、ショスタコ1番など数々の名コンチェルトを弾かれていて、ファツィオリを高く評価されています。5月のモーツァルト25番は楽しみです。
仕事がら多種多様な業界の方とお会いしますが、演奏家は音で自分を発信されているので他とは違ったオーラを感じます。日本人は概して発信、自己主張が苦手ですがそれができる方々と話すのは楽しいものです。こちらもアウトプットする仕事ですから意外と共通点があるかもしれないと思った次第です。
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来年やること(脳内の具現化)
2016 DEC 30 0:00:59 am by 東 賢太郎
僕はSPレコード時代をおぼろげに記憶する最も若い世代に属するだろう。
レコードとは記録でありLPとはlong playingの略だ。何を基準にlongかというとshort playing(SP)なのだから、塩化ビニール円盤を既存の78 rpmよりも低速(33 1⁄3 rpm )で回して長く録音できる技術ができてから既存がshortとなり、できたほうが相対的にlongとなった。中途半端ですぐ消えたが45rpmのEP(extended playing)も現れた。
SPからLPへの切替えが移行でなく進化ととらえられたことはshortという命名でわかる。記録時間の短い方を選好する人はいないという否定的ニュアンスの命名であり、さらにLPフォーマットの中でモノラルからステレオへの進化がおこるとSPはほぼ消えてしまった。進化の完了である。
勝者であったLPが今度は凌駕される様はメディア進化における弱肉強食のドラマである。それはextended long playingではなくCompact Disc(CD)なる違う視点とコンセプトからの命名を受けた素材もサイズも色も異なる円盤によって成し遂げられた。本移行はもはや進化ではなく淘汰であった。
いま世界でおきている最も重要な変化はBrexitでもトランプの出現でもない、ITによる既存概念の淘汰だ。目に見えない。見える人にだけ見える。これは全産業のみならず生活レベルでもおきており、技術の進化は人間の本質をも変えている。これはアナログ的変容である進化でなく、デジタル的な淘汰である。
野村くんがメンバーになってくれてSMCの展望は面白くなりそうだと西室と話した。僕はメディアを作るのが夢だ。本業は冷徹なビジネスだがこっちは遊び心オンリーでやりたい。収益を追っては創造できない面白いものが世の中にはあって、カネは使えば消えるがそれは残る。若者に元気も与える。
夢は実現しないから夢であり、いつまでたっても脳内現象に過ぎない。だからリアライズ(具現化)したい。その技術は僕にはないからそれを持った人たちに集まっていただき、夢を具現化してもらいたい。それは僕の脳をリアルなモノで表わすことになり、メディアの淘汰の波に乗る。
オンリーワンに価値があると人は言うが、人工知能(AI)が2048年に全人類の脳の処理能力の総和を超える。誰もが「いいね」を押すものは総和に限りなく近いものを作ろうとする努力だからAIに負ける。しかしAIは僕の脳は作れない。永遠にオンリーワンであり続けられる。
今日、このことを僕の会社の責任者に指示した。ぶっとんだことに聞こえたろうが、それで良くて、そんなに簡単にのぞけるはずはない。
ということを今日、銀座の新太郎さんで寿司をいただきながら長女に教えた。社員の皆さんにどこまでわかっていただけるかで成果は決まる。
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