ファリャ「恋は魔術師(El amor brujo)」
2018 SEP 11 6:06:57 am by 東 賢太郎
今年の未曽有の猛暑は、昔だったら「太陽が熱くなった」と言ったことでしょう。ロンドンに住んでいた時にほんとうにそうかと思ったことがあります。夏休みにスペイン旅行をした時です。アンダルシア地方でした。北緯51度のロンドン(樺太)に住んでいて38度のセビリア(新潟県ぐらい)に南下するというのは我々にはなかなか経験がないもので、太陽がぎらついて大きくなった、熱くなったという錯覚を覚えます。それがレコンキスタ前のイスラムが色濃く残っているエキゾティックな文物の印象と相まって、ここはヨーロッパでも異質な土地だということを肌で感じます。
グラナダから南下して海沿いのマラガ、マルベージャ、カディスに至るとさらに太陽ギラギラの別世界です。だからここはコスタ・デル・ソル(Costa del Sol、太陽海岸)であってあえて地中海と呼ばない。土地の誇りを感じますね。ネルハは鄙びたいい街で有名な鍾乳洞がありますが、これとベトナムのハロン湾のそれは僕が見た双璧です。この辺りをアンダルシアと呼びますが、ローマを略奪したヴァンダル族から来た名称です(英語の野蛮な行為 = vandalism もです)。この連中が移動したチュニジア、サルジニア、シチリアは全部行きましたが、アンダルシアも含めてどこも好きな処ばかりです。
スペインというと誰もが思い浮かべるフラメンコはアンダルシアの芸能です。スペインと言ってもラテン系ではなくジプシーとムーア人(イスラム教徒)が醸成したものだから民族芸能という感じです。まあ難しいことはともかく綺麗なお姉さんが躍って見栄えがしますが、本場ならではでしょうか、彼女らの声が低くて野太かったのには仰天しました。あれはどこだったか、美しい白鳥に見とれていたらガチョウみたいにガー!と一声鳴かれて驚いたのに匹敵しますね。恐ろしいことです。ご当地フラメンコのお姉さんのインパクトが強烈で、以来カルメンはこういうタイプでないと満足できなくなりました。ジプシーの設定だからあながち外れてないでしょう、かわいい系はぜんぜんダメで、メットで観たギリシャ女のアグネス・バルツァですね、あれに圧倒されて、彼女はもう歌いませんからそして誰もいなくなった。困ったものです。
フラメンコは西部のカディス周辺が発祥地といわれます。そこで生まれたマヌエル・デ・ファリャが故郷の芸能に心を寄せたのは自然なことでした。1914年から1915年にかけて作曲された「恋は魔術師(El amor brujo)」はフラメンコがクラシックに溶け込んだ作品としては出色の名作で、「火祭りの踊り」ばかりが有名でもはやポップス化してますが全曲を味わう価値があります。筋書きは
『ジプシー娘のカンデーラの物語で、その恋人のカルメロは彼女の以前の恋人であった浮気者男の亡霊に悩まされている。そこで彼女は友人の美しいジプシー娘に亡霊を誘惑してもらい、その隙にカンデーラはカルメロと結ばれる』(wiki)
といういとも他愛ないものですね。この曲の演奏というと、僕は高性能オケの都会的センスは全く受け付けず、カルメンに求めるように絶対に欲しいエグいものがあるのです。まず、言葉はわからないけど何とはなしのフラメンコ風味コテコテ(メゾソプラノの歌)、次にアラブの蛇使いの笛みたいなコブシころころの土臭いオーボエ、場末の野暮で田舎っぽいホルン、縦にびしっと揃わないええ加減なアンサンブル、なんかが是非欲しい。それをベルリン・フィルやシカゴ響にわざとやれというのは二枚目俳優がフーテンの寅さんやるみたいなもの。どうしてもローカル演奏陣に頼らざるを得ません。
ところがそんなのは今どき録音しても売れないから出てこない。だから探していたのですが、ついに中古LP屋で見つけたのです。ヘスース・アランバリ(Jesús Arámbarri Gárate,1902 – 1960, 写真)指揮マドリッド・コンサート管弦楽団のスペインVOX盤(1959年録音)です。アランバリはバスク地方のビルバオ出身の作曲家で『マヌエル・デ・ファリャに捧ぐ』(1946)という作品もあり、この演奏は欲しいものがほぼあります。ピアノが若き日のアリシア・デ・ラローチャというのもいいですね。メゾのイニャス・リヴァデネイラはカルメンでもいいかなと思わせる野太い声でローカル色むんむんだ(右)。薄っぺらいオーケストラもいいですねえ。と言ってファリャの音楽が安物かということはぜんぜんなく、透明な管弦楽法、エキゾティックで土俗的な和声、イスラム風味の旋法、セクシーなオスティナートのリズム、ペトルーシュカ風のアラベスク等々、見どころ聴きどころ満載で、何ら前衛的なものがないのは作曲の時代にそぐわないですが、ジプシー舞踊家のパストーラ・インペリオの依嘱だったというからラヴェルのボレロに類するという理解でよろしいのではないでしょうか。演奏は以下の内容になります。
改訂稿(1925年版、『恋は魔術師』)
序奏と情景
洞窟の中で(夜)
悩ましい愛の歌
亡霊
恐怖の踊り
魔法の輪(漁夫の物語)
真夜中(魔法)
火祭りの踊り
情景
きつね火の踊り
パントマイム
愛の戯れの踊り
終曲〜暁の鐘
これがそのLPです。
スペイン音楽に僕が求める感性は以上書いた通りで昔から変わっていませんが、2014年のこれを読むと4年前はずいぶん先鋭に聴いてたんだなあと思います。
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クラシック徒然草《ラテン感覚フルコース》
2017 OCT 29 11:11:30 am by 東 賢太郎
自分の洋モノ好きがゲルマンなのかラテンなのかは難しい所だ。地中海の文化、風物を愛するのは何度も書いた通りだ。食はラテンだしベートーベンやワーグナーもトスカニーニのラテン気質で解釈したものが良い。しかしゲルマン世界に5年も住みついて食も慣れたし人の気質にもなじんだし、ソナタ形式の音楽は言うまでもなくそっちだ。結局、どちらともつかずその時々の気分によるということだ。
お袋がいなくなってからもあまりに親しい方々が亡くなったり病気だとの知らせを伝え聞いたりするものでかなり神経が参っている。だんだん自分の過去が切り取られてなくなっていく。辛いから心が忘れようとするが、すると故人とともに子供のころの記憶にぽっかりと穴があいてしまう気がしてくる。こういう時にあまり気難しい音楽は欲しくない。何も考えずに、一切の言葉を消して頭を空っぽにして聞くにはラテンもの、フランスに限る。
洗練された美食の文化と同様、万事感覚的に美しいことに徹底して潔い。ラヴェル、ドビッシーはもちろんメシアンやブーレーズもそうだ。この感覚美とでもいうものが心の澱を流し去ってくれる。フランス人演奏家のゲルマンものでもそれは当てはまるが、最近の人はユニバーサルなアプローチとなってきてそうでもなくなった。パリ管の木管がパリ音楽院管弦楽団の音を失っていったのと軌を一にする。だから僕は昔のレコードをひっぱり出すことが多い。
フランス・ピアノ界の至宝、ロベール・カサドシュ(1899-1972)のドビッシー「映像Ⅰ&Ⅱ」は僕にとってその効果が絶大である。言葉がないほど見事だ。カサドシュの古典、ハイドンやモーツァルトは神品であり、明晰なラテン精神と素晴らしく透明でハープシコードのように軽やかなタッチで愉悦感が立ちのぼる気品は貴族的と讃えるしかない。
やはりフランスのピアニスト、マルセル・メイエ(1897 – 1958)女史によるファリャの交響的印象「スペインの庭の夜」はうれしい。ローマでのライブでラテンの香りがむんむんする。ああスペイン料理行こうかな。
レジーヌ・クレスパン(1927-2007)はフランスの名ソプラノ。2010年にパリに行った折、オペラ座で追悼の写真展をやっていたのを思い出す。アンセルメ・スイスロマンド管とのラヴェル「シェラザード」は世界遺産ものだ。
締めくくりはポール・デュカスの舞踊詩「ラ・ペリ」でいこう。ベンツィ指揮のボルドー・アキテーヌ管弦楽団。オケのローカルっぽい味がたまらない。
満腹にて終了。
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ファツィオリ体験記
2017 MAY 15 2:02:54 am by 東 賢太郎
この名器を初めて聴いたのはたしかニコライ・デミジェンコのショパンで、実物を目の前で味わったのはアルド・チッコリーニ(ベートーベン、ファリャ)でしたが、どちらも楽器の個性としてはそう印象的でもなく人気の理由がピンと来ていませんでした。ただ、最近にアンジェラ・ヒューイットの美しいバッハとラヴェルを聴いて少し関心が出ていたのです。
吉田さんから豊洲シビックセンターのファツィオリを予約したので練習に来ませんかとお誘いをいただきました。5月1日のことです。年産台数で数千のスタインウェイに対し130しかない希少品。もちろん喜び勇んで参上し、都内ではここしかない、舞台上に神々しく輝いて見える「コンサートグランド、モデルF278」に謁見したのです。そんな場所で弾いたことはありませんから、初めてマウンドに登ったときより緊張いたしました。
近くで見るとそんなに大きいという感じはなく、タッチは軽めです。座ってみると奏者に威圧感を与えないやさしさがあるなというのが第一印象でした。ホールへの音の抜けなのかピアノの性能なのか、とにかく中空にふわりと舞い上がる音響が気持ち良かったというだけで、何を弾いてるのかわからないままにあっという間に40分が過ぎ去ったのです。
やっぱりいいなと少しだけ腑に落ちたのは5月7日の本番直前、ゲネプロが終わってオケの皆さんが退出するどさくさにまぎれて、思いっきりラヴェルP協mov2とダフニスを鳴らしてみた時です。3千万円のフェラーリなんですが素人がアクセル踏んだって思い通りに反応してくれるイメージですね。「欲しいでしょ」と吉田さん。「うん、ホールごとね」、これ本音です。
田崎先生によると調律が特別であって、普通は高音に行くに従ってピッチを上げるがその上げ度合いが少ないからオケが合いにくいとのこと。それは全然わかりませんでしたが、そのせいなのかどうか、柔らかく響く3度がとろけて美しく、暖色でまろやかではあるがクリアに煌めくタッチも連続的に出ます。低音は太くよく響くが金属的に重たくはなく、上の音と絶妙にブレンドします。
一言でいえばまろやかにカラフル、典雅な落ち着きがあり、ボルドーよりブルゴーニュであり、僕的にはロマネ・コンティを初めて飲んだ時の感じ。音響的には倍音成分がやや多いように聴こえ、それをコントロールする腕があれば汲めども尽きぬ楽しみがありそうです。その分、素人には魅力を引き出すのは訓練を要するかな、ともあれ今の僕に至ってはまったくの猫に小判でありました。
しかし、このたびこの名器に触れさせていただいた体験は大きなものでした。ファツィオリと毛色は異なるものの、家の東独製August Försterも悪くないぞという気がしてきて、アップライトなので壁に斜めに置いて部屋の反響を取り入れて弾くとどこか大ホールで弾いたあの感じになるということを発見し、はまっています。
レクチャーの写真を送っていただいたのでここに貼っておきます。
機会をいただいたライヴ・イマジン西村さん、ピア二ストの吉田さんには感謝あるのみ、そして最後になりますが、指揮の田崎瑞博先生およびオーケストラの皆さま、最高の演奏会をありがとうございました。
(こちらへどうぞ)
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ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスの訃報
2014 JUN 13 1:01:05 am by 東 賢太郎
コリン・デービス、クラウディオ・アバド、ゲルト・アルブレヒト各氏と相次いで20世紀の巨匠が亡くなりましたが、今度はラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスさんの訃報をききました。
4氏ともライブを聴き楽しませていただいたのがついこの前のようで、時の流れは予期せぬ速さでどんどん大事なものを奪っていきます。若い頃、実演でフルトヴェングラーを聴いたワルターを聴いたという方がうらやましくて仕方ありませんでしたが、そろそろ自分がそういう年齢になってきているのかもしれません。
ブルゴスさんはまずフィラデルフィア管の定期に現れて84年の3月2日と9日とに聴きました。プログラムを見ると2日がストラヴィンスキーのプルチネルラ、ヒンデミットの弦楽器と金管のための協奏曲、ファリャの三角帽子であり9日がベートーベンの交響曲第4番、ドビッシーの夜想曲、アルベニスのイベリアから3つの小品だったようです。残念ながら記憶がありません。
2度目はロンドンで85、6年ごろと思いますが、ロンドン交響楽団を振った田園交響曲とシェラザードというプログラムでした。昔のことなのでそこまで覚えているのは少ないのですがなぜ記憶にあるかというと、性に合わない演奏でとても不快になり怒って帰ったからです。ホールはバービカンでどうもあそこの音は好きでないのも悪かったのですが、シェラザードはベンチマークであるアンセルメとあまりに異なり許容しがたかったように思います。
その初対面のトラウマから以後は遠ざかってしまい、3度目にきいたのは10年ほどたった96年のチューリッヒ・オペラハウスでのカルメンでした。この年はスイスでの日本企業による起債が活況で野村證券はスイスフラン建てワラント債や転換社債の引受主幹事を何本もやらせていただきました。調印式はチューリッヒで行うので社長様がお見えになり、当時スイス社長だった僕はホストとして昼には全引受業者20-30人を集合させて会社様と調印、夜にオペラをご一緒してディナー(だいたいがチーズフォンデュー)、翌日はユングフラウやピラトゥス観光へお連れするというのがお定まりのコースでした。
などと書くと優雅な稼業に聞こえますが、この年は起債数が記録的に多くて体の疲労度も記録的であり、40歳の若僧が野村代表として二回りほども年上の上場企業の社長様ご一行とべったり2、3日おつき合いするのですから気苦労も半端ではありませんでした。それが1年中、ピークの時期はほぼ毎週、時には同じ週に2件重なってやむなくディナーをハシゴしたこともあります。腹が目立って出てきたのはたぶんこの年からでした。
そういう年に、お客様をご案内して聴いたのがブルゴスさんのカルメンでした。2月10日のことです。接待ということもあったかもしれませんが、どういうことか歌手はみんな忘れてしまっていて、すごく有名な人だったでしょうがプログラムを探さないとわかりません。先に書いた理由からあまり期待してなかったのですが、予想に反してブルゴスの指揮は本当に見事で、僕はチューリッヒ時代の2年半にここで何度もオペラを観ましたが、サンティのボエーム、ウエザー・メストのバラの騎士とホフマン物語、そしてこのカルメンがトップ4でした。カルメンが誰か覚えていないのに公演の記憶はあるというのは、オケ・パートがあまりに素晴らしかったからで、以前書いたテノール不調だったのにオケで圧倒されたサンティのボエームと双璧でした。
帰国して一時、読響会員だったことがあるのですが、そのブルゴスさんの名前を見つけて一番の楽しみしていたところ代役になってしまいがっかりしました。これもよく覚えているのだから、4度あった機会の3回はどれもが印象にあるのです。今はあんまりカルメンの気分ではないのですが、週末にでも彼のパリ・オペラとやったレチタチーヴォ形式の名演CDを聴いてあの96年の感動を偲んでみようかなと思います。ご冥福をお祈りします。
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ヘスス・ロペス・コボス/N響の三角帽子を聴く
2014 MAY 18 2:02:44 am by 東 賢太郎
N響定期Cプロを聴きました。前半はクリストバル・アルフテルの「第1旋法によるティエントと皇帝の戦い」とラロの「チェロ協奏曲 ニ短調」。アルフテルはオルガンのような音で始まり、後半は戦闘を模した派手な音楽に。ラロはヨハネス・モーザーのチェロ。楽器はグァルネリで中高音が明るいのびやかな音で好感が持てました。
音楽というのは一定の時間の集中を要しますから、心に余裕と隙間がないとだめですね。今日は仕事のことで頭が一杯で特にそれがなく、ラロは残念ながらうつろに響くのみでした。そもそもオケ・パートが平板で、音楽になんというか上質感がありません。ラロの曲は有名なスペイン交響曲にしても進んで聞きたいと思ったことは一度もなく、彼の音楽に何かものを申す資格もありませんが。聞きながら退屈で、ひょっとしてモーザーのバッハ無伴奏なんていいかもしれないなと想像していたら、なんとアンコールに1番のサラバンドを弾いてくれたではないですか。これはなかなか良かった。
さて、後半はファリャ「三角帽子」でした。この曲はブログをしたためましたとおり、けっこう好きであり、非常にたくさん聴いております。ヘスス・ロペス・コボスさんの指揮ですが、特徴的なのは、棒を振り下ろして打点から上がりきったところで音が出るように見えます。それがかっちり整然とした美しい指揮姿であり、出てくる音はラテン的な透明感のある、本当にいい音なのです。それがものすごく印象に刻み込まれた演奏会があって、ドイツ時代の95年2月4日、僕の40歳の誕生日にフランクフルトのアルテオーパーでやったベートーベン英雄交響曲(シンシナティ交響楽団)でした。このエロイカは僕がかつて聴いたベスト3に入る名演でしたが、スペイン人の彼にこういうレパートリーは録音の機会がないんでしょう。本当に惜しい。ぜひもう一度聴いてみたいものです。
三角帽子は彼の十八番であり、秀演でしたが、少々思う所もあったことを記しておこうと思います。この曲の名演をたくさん聴いてしまった僕の耳にはこれは綺麗すぎます。ヘスス・ロペス・コボスさんの明快な指揮にN響がまじめに反応するとこういうことになってしまう。音に「えぐみ」、「えげつなさ」がまるでないのです。この音楽の筋書きには権力、エゴ、性欲、復讐、嘲笑といった人間の本性丸出しのどろどろした汚さが隠れています。それをワーグナーのようにどろどろのまま提示するのではなく粉屋の女房の仕返しというカラッとした風刺劇に仕立てていて、音楽もその路線に沿ってさっぱり目に書かれているわけですが、ピカソのゲルニカがあえてモノクロで描かれていて血の色がないゆえにかえって血なまぐさい効果があるように、この曲はやはり血の匂いがしないともの足りない、これを聴いた気がしないのです。
まずメッツォの林美智子が今日の演奏を象徴しているのですが、全然毒気のない声で、田園調布の若奥さんがカクテルパーティーの余興に出てきたという風情。「悪魔がいるわよ!」と歌っているんですが、譜面をきれいに歌うというだけ。N響の管楽器団員がなんとなく恥ずかしげに掛け声をかけているのと似た者同士でした。カラオケのモノマネと一緒で、やるんだったら根っからスペイン人になりきらないと白けるだけなんですね。だいたい日本人のカルメンのタイトルロールもこういうことになります。アバズレのアグネス・バルツァみたいなワルが出てくることはてんで想定しがたい。三角帽子はエンリケ・ホルダ盤の野性味あふれるバーバラ・ホーウィットを聴いてみてください。クラシックは高級舶来品、皇室御用達。お下品はだめざます。鹿鳴館のにおいがぷんぷんする化石のような業界ですね。
外人御用音楽士のご指導でお上手にベートーベンをやる明治時代のスタイルをいまだに踏襲しているのがN響です。外人じゃない小澤征爾は嫉妬で排斥してしまう。御殿女中の世界でしょうか。自国人のチョン・ミュンフンを立ててドイツ・グラモフォンにマーラー、ブラームスといったメジャーな曲を堂々と録音して欧州で評価されているソウル・フィルハーモニー。サムソンと日本の家電の差の見本であります。韓国のかたを持つ気などさらさらありませんが、N響の団員がよくサヴァリッシュ先生は・・・スヴェトラーノフ先生のリハーサルは・・・などと一介のファンか白人狂いの女みたいなことを書いているのを見かけると、我が国のクラシック界の精神的独立のためにもそろそろそういう時代は卒業した方がいいんじゃないかと思うのです。
そのN響の音は今でもやはり肉食系とは遠く、印象派の綺麗な音楽を聴いたという感じでした。和の食材で作ったスペイン料理ですね。食材がそうなんだからシェフのロペス・コボスもそれでいくしかないでしょう。それなりに美味で食べていると舌鼓を打つのですが、終わってみるとあれっこういうもんだったっけ?という感じになる。初演者アンセルメとスイス・ロマンドOの原色的な音を聴いて下さい。名演中の名演という誉れ高い演奏ですが決してきれいだけじゃない。指揮というよりもオケの方がああいう鮮やか系のきらきらぎらぎらした音で強いメリハリをつけて弾くから、肉食系だから、対照的な「近所の人たち」のたおやかな弦のメロディーが出てくるとはっとして耳が引きつけられるのです。
映画、アニメ、ゲームなどの世界ではもう「ジャパンスタンダード」ができていて、西洋コンプレックスはとうの昔に吹き飛ばした観があります。この精神的独立はまじめとお上品を旨とする官業とは最も遠い部分から始まったのです。官業(東大)と官製御用西洋音楽(芸大)。西洋コンプレックスから最も抜けていない時代遅れの権化かもしれませんが、その対極である西洋かぶれはもっとたくさんおり、巨人ファンとアンチ巨人みたいなもので同じ穴のむじな、自立できていない者同士です。どっちも都が東京に移った明治時代(それを「東京時代」と呼ぶ人もいますが)からの精神的産物が敗戦でさらに歪んだもので、そういう借り物のアイデンティティからは何のジャンルであれ、作曲であれ演奏であれ、永遠にホンモノは生まれないと思います。
クラシック音楽が西洋的精神に深く根差したものだということは理由にならないでしょう。難しく考える必要もなく、ありもしないスパゲッティ・ナポリタンを生んでしまうたくましい精神、あれでいいんじゃないでしょうか。もしも佐村河内があの交響曲ヒロシマをほんとうに作曲していたなら、あれは過去に日本人が作曲したどの交響曲よりも世界で有名になって残った可能性があると僕は思っています。しかし新垣氏は実名ではあれは書けなかった。調性音楽など書いたら業界からつまはじきになってしまうからです。これが「東京時代」のくびきなのです。偽名だから遊び精神で自由になってああいうものが書けたのじゃないかと考えます。それならみんなでくびきは忘れてしまおう、そうなればいいと思うのです。
クラシック音楽を深く愛する者として、日本人による日本のアイデンティティに満ちたジャパンスタンダードを生む天才が現れて欲しいと切望しますし、もし現れれば是非支援したいものだと思っています。
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ファリャ バレエ音楽「三角帽子」(Falla, El sombrero de tres picos)
2013 OCT 10 22:22:59 pm by 東 賢太郎
ラヴェルについて書いていると無性にラテン系の音、食事、酒が恋しくなってきた。だんだん寒々とした季節になってくるし、これからしばし、僕の好きな南欧の音楽をご紹介して皆さんのお気持ちを地中海の風景と空気で少し明るくしてみよう。
まずはスペイン編だ。
スペインには米国留学中の夏休みに1回、ロンドン~スイス時代に4回は行った。もっと行った気もするが正確に覚えていない。一緒に欧州にいた野村の同期がスペイン留学で、当家は彼の家族と一緒に旅行してずいぶん助かった。マドリッド、バルセロナはもちろん、マジョルカ島、トレド、コルドバ、グラナダ、マラガ、セビリア、カディス、ネルハなど、それからジブラルタル(英国領)から地中海を渡ってセウタも行った。いつもゴルフバッグを積んでのドライブだ。ゴルフ場はあまりにあちこちでやって全然覚えていないが、ひとつだけロス・ナランホス(右)というのが記憶にある。スコアが良かったからではない。ナランホス(オレンジだ)の木がそこいら中にあったのだが、強い陽射しでのどの渇きに耐えられずマーシャルの眼を盗んで実を捥(も)いでかじった。それがあまりにうまかったのをよく覚えているからだ。食い物は怖い。
スペインの音楽というとついフラメンコを思い浮かべるが、あれはスペイン人というよりジプシーの踊りである。例えばあのカルメンはカスタネットを持ってホセの前で妖艶に舞い歌うが、彼女はまさにジプシーという設定である。しかしフラメンコダンサーは見た目きれいだが、掛け声が男みたいに野太くずいぶん興ざめであった。それではスペイン音楽とはどういうものかというとよく知らない。フリオ・イグレシアスみたいなものだろうか。彼の歌は地中海世界だ。父親はスペインで高名な医師、母親は上流階級出身で、自身はレアル・マドリード・ユースのゴールキーパーでケンブリッジ卒で弁護士という、それだけでもうスーパーマンだ。それでいてシンガーソングライターとしてレコード売上げ3億枚はギネスブック第1位となると、もうウルトラマンである。
クラシック音楽の領域なら、まず僕の頭に浮かぶのはエマヌエル・デ・ファリャだ。その代表作であるバレエ「三角帽子」の音楽である。ファリャはもともと パントマイム『代官と粉屋の女房』という小編成の曲としてこれを作っていたが、ロシアバレエ団(バレエ・リュス)のディアギレフが大編成オケに改作を薦めてできたのがこれだからストラヴィンスキーの3大バレエ、ラヴェルのダフニスとクロエなどとは遠縁にあたる音楽なのだ。初演は1919年にロンドンのアルハンブラ劇場で、パブロ・ピカソの舞台・衣装デザイン、エルネスト・アンセルメの指揮で行われた。
筋書きはいたってシンプルで、好色のお代官様が権力にあかせて粉屋の女房を狙う。夫の粉屋を逮捕して家に忍び込むが美貌の女房の機智にもあってコテンパンにやられてしまう。その代官の権力の象徴が三角帽子だ。このプロットはフィガロの結婚のお手軽版ともいえ、権力者の間抜けな奸計を正義が暴いて権威をはぎ取る勧善懲悪ものだ。日本では「おぬしも悪よのう」とほざく悪代官を成敗するのは黄門様や暴れん坊将軍のような権力側だが、欧州ではそれを庶民がやってしまって喝采される。これがフランス革命の土壌なのだろう。
この音楽、不思議とストラヴィンスキー(ペトルーシュカ)みたいな部分、フンパーディンクのオペラ(ヘンゼルとグレーテル)みたいな部分といろいろ残像が浮かんできては消える。ファリャの和声感覚、それはとてもラテン的だがフランスともイタリアとも違う。それがスペイン風なのかどうかはともかく、この音楽を諳んじている僕にはこれがスペインという刷り込みになってしまっている。音から入ったので「ブドウの踊り」「粉屋の踊り」「隣人の踊り」等々なんのことやら想像の域を出なかったが、この画像を見て目からうろこが落ちた。初演時のブロ・ピカソの衣装でトップクラスのフラメンコダンサーが踊ったバレエ(マドリッド王立劇場)のすばらしいパフォーマンスだ。バレエ・リュスの香りがある。この名作をこれから覚えられる方は、むしろこの画像で場面と一緒に音楽を記憶された方がいいと思うほどだ。
僕が好きなのは、第1幕の頭でティンパニの一撃で全員が去り夫婦だけになる部分の音楽による見事な場面転換。一気にけだるい空気に引きずり込まれる。代官が女房を誘惑に来る前の女房のカスタネットの踊り。ここの涙が出るほどすばらしい和声!これがスペインでなくてなんだろう。そして女房が代官をあしらう。そこで鳴らされる最高に美しい弦楽合奏!こういうちょっとした部分にシンプルな素材でこんなに魅力的な音楽が書けるファリャの天才を感じる。それから第2部幕開け、春の窓から差し込む柔らかな陽光みたいな「隣人の踊り」。こんな幸福感を味わってしまうともう病みつきになるしかない。全曲にわたって原色の粉をふりまく極上のオーケストレーション。最高の耳のごちそうと表現するしかない。それにこんな美しい舞台があるなんて。すぐにでもマドリッドへ飛びたくなる。
この曲を「聴く」。幸い最高級の名演がある。
エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団
初演者の演奏が必ずしもベストではないが、これは例外である。数学者アンセルメはニュー・フィルハーモニア管とのストラヴィンスキー「火の鳥」の練習風景を残している。それを聞くと数学的緻密さよりも意外に音楽の表情、流れ、バランスを重視してオケに弾かせていることがわかる。「シェラザード」の稿で書いたが、タテの線をきれいに合わせることを第一義とするような小手先の美品作りなどかけらも念頭にない。アンセルメは作曲家との交流からここはこう鳴るべしという音とテンポと表情を身体で知っている。その「べし」こそ第一義なのである。しかも彼は一点の曇りもないクリアな音と音程を聴き分ける究極の耳を持っている。だから出てくる音は秋空のように透明である。そうしてデッサンが良くて絵の具も極上の絵画が生まれるのだ。それに加えてこの演奏、Deccaの技術の粋が集結して録音も超ド級と来ている。Deccaだって演奏家はこのコンビだけではない。技術の粋を用いたくなる優れた音がするという事実の方が先だったろう。スコアに敬意を持ち、作曲家の真意をハイエンドのクオリティで再現しようという、演奏家として僕が最も敬意を払う姿勢の結実がこうして残されたのは幸運なことだと思う。どこがどうと書くのも野暮だ。世界文化遺産クラスのこの歴史的名演奏をぜひ一度耳にしてみていただきたい。
(補遺、16年2月7日)
ローレンス・フォスター / バルセロナ交響楽団
youtubeでこのオケの首席ファゴットSilvia Coricelliさんの同曲アップを見つけたのでどうぞ。フォスターはルーマニア系米国人で欧州で活躍、マルセイユ管弦楽団とこれまた地中海のオケのシェフを務めている。地中海!ご当地オーケストラの音でごちそうが味わえる。
(補遺、2018年9月11日)
エンリケ・ホルダ / ロンドン交響楽団
LPで昔なつかしい(1960年録音)。批評家がローカル色満点などと持ち上げていたが、別にそうでもない。バーバラ・ヒューイットのセクシーな歌がそう聞こえたのだろうがこの人はイギリス人だ。高音質で売り込みをかけたアメリカのEverestレーベルがスペイン系のホルダをもってきてロンドンのオケでスペインっぽさを演出しようと試みたものだろう。当時としてはたしかに音質が鮮明でそれだけでうれしくなったりした、いい時代だった。