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ヘスス・ロペス・コボス/N響の三角帽子を聴く

2014 MAY 18 2:02:44 am by 東 賢太郎

N響定期Cプロを聴きました。前半はクリストバル・アルフテルの「第1旋法によるティエントと皇帝の戦い」とラロの「チェロ協奏曲 ニ短調」。アルフテルはオルガンのような音で始まり、後半は戦闘を模した派手な音楽に。ラロはヨハネス・モーザーのチェロ。楽器はグァルネリで中高音が明るいのびやかな音で好感が持てました。

音楽というのは一定の時間の集中を要しますから、心に余裕と隙間がないとだめですね。今日は仕事のことで頭が一杯で特にそれがなく、ラロは残念ながらうつろに響くのみでした。そもそもオケ・パートが平板で、音楽になんというか上質感がありません。ラロの曲は有名なスペイン交響曲にしても進んで聞きたいと思ったことは一度もなく、彼の音楽に何かものを申す資格もありませんが。聞きながら退屈で、ひょっとしてモーザーのバッハ無伴奏なんていいかもしれないなと想像していたら、なんとアンコールに1番のサラバンドを弾いてくれたではないですか。これはなかなか良かった。

さて、後半はファリャ「三角帽子」でした。この曲はブログをしたためましたとおり、けっこう好きであり、非常にたくさん聴いております。ヘスス・ロペス・コボスさんの指揮ですが、特徴的なのは、棒を振り下ろして打点から上がりきったところで音が出るように見えます。それがかっちり整然とした美しい指揮姿であり、出てくる音はラテン的な透明感のある、本当にいい音なのです。それがものすごく印象に刻み込まれた演奏会があって、ドイツ時代の95年2月4日、僕の40歳の誕生日にフランクフルトのアルテオーパーでやったベートーベン英雄交響曲(シンシナティ交響楽団)でした。このエロイカは僕がかつて聴いたベスト3に入る名演でしたが、スペイン人の彼にこういうレパートリーは録音の機会がないんでしょう。本当に惜しい。ぜひもう一度聴いてみたいものです。

三角帽子は彼の十八番であり、秀演でしたが、少々思う所もあったことを記しておこうと思います。この曲の名演をたくさん聴いてしまった僕の耳にはこれは綺麗すぎます。ヘスス・ロペス・コボスさんの明快な指揮にN響がまじめに反応するとこういうことになってしまう。音に「えぐみ」、「えげつなさ」がまるでないのです。この音楽の筋書きには権力、エゴ、性欲、復讐、嘲笑といった人間の本性丸出しのどろどろした汚さが隠れています。それをワーグナーのようにどろどろのまま提示するのではなく粉屋の女房の仕返しというカラッとした風刺劇に仕立てていて、音楽もその路線に沿ってさっぱり目に書かれているわけですが、ピカソのゲルニカがあえてモノクロで描かれていて血の色がないゆえにかえって血なまぐさい効果があるように、この曲はやはり血の匂いがしないともの足りない、これを聴いた気がしないのです。

まずメッツォの林美智子が今日の演奏を象徴しているのですが、全然毒気のない声で、田園調布の若奥さんがカクテルパーティーの余興に出てきたという風情。「悪魔がいるわよ!」と歌っているんですが、譜面をきれいに歌うというだけ。N響の管楽器団員がなんとなく恥ずかしげに掛け声をかけているのと似た者同士でした。カラオケのモノマネと一緒で、やるんだったら根っからスペイン人になりきらないと白けるだけなんですね。だいたい日本人のカルメンのタイトルロールもこういうことになります。アバズレのアグネス・バルツァみたいなワルが出てくることはてんで想定しがたい。三角帽子はエンリケ・ホルダ盤の野性味あふれるバーバラ・ホーウィットを聴いてみてください。クラシックは高級舶来品、皇室御用達。お下品はだめざます。鹿鳴館のにおいがぷんぷんする化石のような業界ですね。

外人御用音楽士のご指導でお上手にベートーベンをやる明治時代のスタイルをいまだに踏襲しているのがN響です。外人じゃない小澤征爾は嫉妬で排斥してしまう。御殿女中の世界でしょうか。自国人のチョン・ミュンフンを立ててドイツ・グラモフォンにマーラー、ブラームスといったメジャーな曲を堂々と録音して欧州で評価されているソウル・フィルハーモニー。サムソンと日本の家電の差の見本であります。韓国のかたを持つ気などさらさらありませんが、N響の団員がよくサヴァリッシュ先生は・・・スヴェトラーノフ先生のリハーサルは・・・などと一介のファンか白人狂いの女みたいなことを書いているのを見かけると、我が国のクラシック界の精神的独立のためにもそろそろそういう時代は卒業した方がいいんじゃないかと思うのです。

そのN響の音は今でもやはり肉食系とは遠く、印象派の綺麗な音楽を聴いたという感じでした。和の食材で作ったスペイン料理ですね。食材がそうなんだからシェフのロペス・コボスもそれでいくしかないでしょう。それなりに美味で食べていると舌鼓を打つのですが、終わってみるとあれっこういうもんだったっけ?という感じになる。初演者アンセルメとスイス・ロマンドOの原色的な音を聴いて下さい。名演中の名演という誉れ高い演奏ですが決してきれいだけじゃない。指揮というよりもオケの方がああいう鮮やか系のきらきらぎらぎらした音で強いメリハリをつけて弾くから、肉食系だから、対照的な「近所の人たち」のたおやかな弦のメロディーが出てくるとはっとして耳が引きつけられるのです。

映画、アニメ、ゲームなどの世界ではもう「ジャパンスタンダード」ができていて、西洋コンプレックスはとうの昔に吹き飛ばした観があります。この精神的独立はまじめとお上品を旨とする官業とは最も遠い部分から始まったのです。官業(東大)と官製御用西洋音楽(芸大)。西洋コンプレックスから最も抜けていない時代遅れの権化かもしれませんが、その対極である西洋かぶれはもっとたくさんおり、巨人ファンとアンチ巨人みたいなもので同じ穴のむじな、自立できていない者同士です。どっちも都が東京に移った明治時代(それを「東京時代」と呼ぶ人もいますが)からの精神的産物が敗戦でさらに歪んだもので、そういう借り物のアイデンティティからは何のジャンルであれ、作曲であれ演奏であれ、永遠にホンモノは生まれないと思います。

クラシック音楽が西洋的精神に深く根差したものだということは理由にならないでしょう。難しく考える必要もなく、ありもしないスパゲッティ・ナポリタンを生んでしまうたくましい精神、あれでいいんじゃないでしょうか。もしも佐村河内があの交響曲ヒロシマをほんとうに作曲していたなら、あれは過去に日本人が作曲したどの交響曲よりも世界で有名になって残った可能性があると僕は思っています。しかし新垣氏は実名ではあれは書けなかった。調性音楽など書いたら業界からつまはじきになってしまうからです。これが「東京時代」のくびきなのです。偽名だから遊び精神で自由になってああいうものが書けたのじゃないかと考えます。それならみんなでくびきは忘れてしまおう、そうなればいいと思うのです。

クラシック音楽を深く愛する者として、日本人による日本のアイデンティティに満ちたジャパンスタンダードを生む天才が現れて欲しいと切望しますし、もし現れれば是非支援したいものだと思っています。

 

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