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カテゴリー: ______ブルックナー

クラシック徒然草《名曲のパワー恐るべし》

2019 MAR 8 21:21:25 pm by 東 賢太郎

週末は久しぶりに音楽室にこもってました。体調も戻り、万事順調でストレスもなく、いよいよ3月になってプロ野球もオープン戦が始まりました。毎年心が沸き立つ時期ですね。

しかし、こもってなにしたかというと、とても暗い音楽、ブルックナーの交響曲第7番のアダージョ(第2楽章)とじっくりと付き合っておりました。この楽章はワーグナーが危篤の知らせのなかで書き進められ、ついに訃報に接しコーダにワグナーチューバの慟哭の響きを書き加えたのでした。深い魂の祈りのこもった音楽です。

音楽は楽しいものです。しかし「楽しい」イコール「明るい」ばかりではありません。性格の明るい人がいつでも楽しいわけではないですがそれと同じことです。人は誰しも喜怒哀楽、喜び、悲しみ、苦しみ、悩みを日々くり返しながら生きています。もちろん喜びに満ちていることがいつだって望ましいのですが、人生、あんまり喜ばしくない時間の方が長いのかもしれないなとも思います。

悲しみ、苦しみ、悩み、落胆、絶望にじっくりと寄り添ってくれる音楽。それは僕の知る限り、クラシックしかないでしょう。落ち込んだときに生きる力や勇気をくれる、それはあらゆるジャンルの音楽の持つ力です。しかし、いくら鼓舞されてもかえってつらいだけ、むしろ寄り添ってもらいたい、一緒に泣いたり、癒し、慰めをもらいたいという時はクラシックの出番なのです。そういうものは不要だという人もおられるでしょう、それは素晴らしいことでいつもそうありたいと思って生きていますが、どうも僕はそこまで強くはできていないようです。

私事でいえば、母は僕の大好きな音楽たちに包まれて旅立ちました。自分自身もそう望みます。悲しい曲はひとつもありません、どうしてもそうしてあげたいからそうなっただけです。僕にとってクラシックはそういうものです。それに比べれば些末なことですが、入試に落ちたとき、数日は目の前が真っ暗でしたが、そこで何回もかけたのはラフマニノフの第2交響曲のレコードでした。理由はありません、それに包まれていたかったということ、それだけです。

僕はそういう曲たちを学校とか誰かに習ったわけではなく、偶然に出会いました。そこから一生の伴侶になってくれている。人との出会いでもそうなのですが、だから大事と思う気持ちが半端ではありませんし、人生をかけてもっともっと知りたいと思う。そうやって深く知り合った音楽が100曲ぐらいでしょうか、ですから、60年もかけてそれということは、もうそれ以外は時間切れであってご縁がなかったと思うしかないでしょう。

そういう関わりあいを持ち始めると、不思議なことですが、何も悲しくないのに悲痛なアダージョが欲しくなるようなことがだんだん出てきます。寄り添ってもらって、一緒に泣いてもらって、救われる。これは喜びや快感とは同じではないのですが、生きていくのに大事な心の薬です。薬が効いてすっと痛みがひいた、その経験をくり返すと、痛みを思い出すのが苦痛でなくなり、あの苦痛がない今が幸せだと感じることができるようになります。これはこれで、喜びなのです。

インフルエンザになって、10年ぶりにウィルスの怖さを思い出しましたが、治ってしまった今はかえって健康のありがたさを実感して日々喜びを感じるという、そんなところです。そうやって、悲しい、暗い音楽は、だんだん僕の喜びへと変わってきました。それぞれの曲が、どういう時に必要でどう救ってくれたかは覚えてますので、それを今になって追体験することは苦痛を乗り越えた自分をタイムマシンに乗って眺めるようなものです。またできるなと自信になり、もっと強くなれます。

ブルックナー7番のアダージョには特別な思いがあります。僕ならではのおつきあいの方法があって、これにどっぷりつかるなら自分で弾いて同化してしまいたいという思いが強いのです。それをお勧めするわけではなく単に個人の流儀にすぎません、もちろん、聴くだけで充分です。

週末は、初めて、2時間ほど格闘して、アダージョを最後まで弾ききりました。ピアノを習ったことはなく無謀なチャレンジなのですが、音符はかなり間引いて、間違ってもつっかえても、兎にも角もにも完走するぞという素人マラソンの心持ちです。ついにワグナーチューバの慟哭がやってきて、昇天のような最後のコードを押さえたら、たぶん1分間ぐらいはじっとしたまま動けません、あまりの素晴らしい響きにほんとうに動けなくなってしまったのでした。

ちょうどそこで家内が部屋に入ってきて「食事に行くわよ」といわれなければ、1時間でもそのまま嬰ハ長調のキーを押さえていたいという、あんなことは人生初めてです。

この体験はなんだか宗教の悟りというか、何が悟りかも知らないでその言葉を使ってしまうのは不届きと分かっているのですが、しかし、ほかにうまい表現を知らないから仕方ないのです、自分を別な人間に導いてくれるようなものがこの曲にはあります。アウグスト・フォルスターの響きの色合いがワグナーチューバとホルンの合奏に聞こえて、こういう音が自分の指先から出るのも初めてです。悲しみは喜びにもなるのです。

まったくもって個人的な経験を書かせていただいてますが、音楽の喜びには最大公約数などなくて、おひとりおひとりの感じ方、フィーリング次第ですからそもそもとてもプライベートなものです。ブルックナーは嫌いという方がいていいですし、学校で一律に名曲だと教えるべき筋合いのものでもなく、むしろ食(グルメ)の楽しみに近いように思います。僕は煮物があまり得意でなく、日本人にとってそれは「名曲」なのは間違いないでしょうが、おいしいと思わないものは仕方ありませんし訓練して好きになるものでもないように思います。

だからブログに書いている曲は、単に僕が好みの料理や食材であってそれ以上でも以下でもありません。ただ、そこまで気合を入れて好きである以上はひとかどならぬ理由はあって、それを文字にしておくことでいつの日か、百年後でもいいから興味を持って聴く人がおられるかもしれない、それがその人にとっての運命の出会いになるかもしれないということです。あんまり世の中のお役に立つ人生を歩んでないですし、できるのはそのぐらいしかありません。7番のアダージョはそのひとつです、この楽章だけでいいのでじっくり付きあってみて下さい。

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ツァグロゼクのブルックナー7番(読響定期)を聴く

2019 FEB 23 1:01:30 am by 東 賢太郎

指揮=ローター・ツァグロゼク

リーム:Ins Offene…(第2稿/日本初演)
ブルックナー:交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107

リーム作品は正直のところ僕にはよくわからなかった。リズム感覚が希薄であり音色勝負の曲なのだろうとは思ったのだが、アンティーク・シンバル(客席を含む各所の楽器群に配置され弓で弾かれていたらしい)の高いピーピーいう音自体が生理的に苦手なうえにピッチのずれもあってどうも心地よくない。ツァグロゼクは名前も知らなかったが、この手の音楽に熱心なんだと感心。

ブルックナーもあまり期待しなかったが、冒頭の弦の音に耳が吸い寄せられる。Vaの前あたり5列目で良い席ではなかったが、そこで良く聞こえるVa、Vcのユニゾンが素晴らしくいいではないか。1stVnの高音もいつにない音だ。ホルンとのブレンドも最高。サントリーホールで聴いた弦の音でこれがベストじゃないか?良い時のドレスデン・シュターツカペッレ、バンベルグSOを彷彿。去年のチェコ・フィルやクリーヴランド管の弦なんかよりぜんぜんいいぞ。指揮者とコンマス!Vaセクションは特に見事。

ツァグロゼクは暗譜で振っていたが全部の音の摂理を知り尽くしていること歴然の指揮。知らなかった、こんな指揮者がまだいてくれたのか!アンサンブルは整然だが第2楽章など音楽のパッションとともに内側から熱くなる。こんな演奏はここ10年以上ついぞ耳にしたことがない。Va、Vcの内声が常にモノを言っていて、型を崩さずに内燃するという欧州のドイツ音楽正統派オケの必須の姿である。こういう本格派オーケストラ演奏を聴けたのは幸運としか言いようもない、欧州時代を思い起こしてもカルロ・マリア・ジュリーニ以来のことである。ツァグロゼクは何才なんだろうか、僕がロンドンでジュリーニを聴いていたのは彼の70代後半だった。指揮者は何ら奇天烈なことをせずとも、やるべき大事なことがあるということだ。

かつてライヴで聴いた7番でベスト。本当に素晴らしい。読響も最高の演奏で指揮に応えたことを特筆したい。録音していたならぜひCDにしてほしい。ツァグロゼクに読響を年4、5回振ってもらうことはできないだろうか、ブルックナーを全曲やってもらうことはないものねだりだろうか。

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ブルックナー 交響曲第8番ハ短調

2019 FEB 16 21:21:09 pm by 東 賢太郎

僕にとってときどき麻薬のように禁断症状があって欲しくなるのがブルックナーの第8交響曲だ。先週末にそれになってしまい、次々とかけた。カイルベルト、ベーム、ジュリーニ、ヨッフム、ハイティンク、バレンボイム。6時間以上どっぷりと8番漬けだが、こうなると1週間ぐらいは寝ても覚めても常時頭の中でこの曲のどこかが鳴っているという事態に陥る。実に常習性のある有機的でねちっこい和声プログレッションであり、ワーグナーが元祖であることは疑いもないが、ブルックナーのインヴェンションであることも同様に疑いがない。こういうものを書いた人は後にも先にもなく、どうしてこの人が自分よりはるかに才能のない弟子や友人の意見で右往左往してスコアの改定を重ねたのか常識的には分かりかねるが、8番初演の4か月後にマーラーへ送ったこの手紙を読めば手に取るようにわかる。

抄訳

「親愛なる友よ、私の作品への忍耐と勇気を持っていただいていることに心より感謝します。私の音楽を何十年もたってから理解するようなハンブルグのひどい聴衆と評論家に囲まれながらね。貴君にとってハンブルグでになにか耳新しいものをわからせるのは至難の業のはずです。ウィーンの評論家はふたり(ハンスリックととるに足らないもう一人)を除けばずっと進歩的ですが。堂々たる英雄であられるマーラー君、なにとぞこのまま私の側についていてください、特に4番(ロマンティック)を広めるために。8番はまだハンブルグには早すぎます(とはいえウィーンではかつてないことにそこそこ受けたのですが)。

(追伸)
ハンス・リヒターは8番をウィーンで初演して熱狂し、私をベートーベン以来のシンフォニストだと言ってくれています。ワーグナーも夕食の時にこう言いました、『絶対音楽でベートーベンとブルックナーに比肩できるのは自分しかいない』とね。こういうお言葉をもらうと心からほっとします。ハンブルグで亡くなったエドゥアルド・マルクスゼン、彼はブラームスの先生ですが、彼だって一度そういう趣旨の手紙をくれ、ほっとさせてくれたのです。」

この手紙は、マーラーを自分の陣営に取り込んでおきたい一心で書いた営業レターだろう。マーラーはこの手紙を受け取ったころ、ブタペストで初演した「巨人」の第2稿、および第2番「復活」を書いていたが、ブルックナーの目にはまだライバルのシンフォニストではなく、36才下でワーグナー作品上演に熱心な「ハンブルク州立歌劇場芸術監督、グスタフ・マーラー」であった。しかもオーストリア人でウィーン大学での教え子だ。ハンブルグはハンザ同盟の自由都市でプロテスタントだがドイツの都市ではユダヤ人が多く居住しており、そちらの人脈もある。

ウィーン生まれで1才下のエドゥアルト・ハンスリック(Eduard Hanslick, 1825 – 1904)というブラームス派の有力評論家はブルックナーの不倶戴天の政敵であったが、不安なことにハンブルグはライバルのブラームスの故郷であり、マーラーの前任者ハンス・フォン・ビューローはブラームス派だ。そこで「追伸」として師匠と慕うワーグナーの挿話を紹介したのだが、さらに足りない気がしてきたのだろう、「マルクスゼンも誉めてくれた」と追い打ちをかけ、しかも、ボヘミア出身のマーラーが知らないかもしれないと思ったのだろう「彼はブラームスの先生」であり「ハンブルグで亡くなった」とまでダメ押ししている。教え子であり作品に好意を持ってくれているマーラーだが、その好意が続く確信を持てておらず、敵方に寝返らないようお追従としつこいほどの権威付け情報満載で念を押しているのだ。これほどの支持基盤への不安が作品改定の理由となってシャルク版、ハース版、ノヴァーク版が生まれたのであり、このダメ押しの「くどさ」は彼の交響曲作法そのものでもあり非常に興味深い。

ブルックナーの交響曲のピアノリダクションはpetrucciで手に入る。有り難い時代になったものだ。僕は大学4年の夏にバッファロー大学に1ヶ月語学留学した折に図書館で火の鳥、シューマン第1交響曲のピアノリダクションスコアを発見して狂喜し、随分の時間と労力とお金をかけてコピーして帰った。今は何のことない、そんなものは家で15分もあればタダでプリントできるのだ。ブルックナーをピアノソロで弾けるなんて考えたこともなかった(難しい。8番は7番にも増して、非常に難しい)。余談になるが、この経験を通して僕は音楽著作権に問題意識ができた。物理や生化学の発明、発見にはノーベル賞が出るが数学にはない。数学は神が作ったものだからというらしいが、それならDNAの二重螺旋構造もそうだ。神が作った物理法則を駆使した青色発光ダイオードが発明なら音の周波数法則を駆使した作曲も発明ではないのか。主観的価値ではあるだろうが、では文学賞、平和賞は何なのか。辻褄が合わないのである。

人類に絶大な喜びを創造して残してくれたベートーベンやブルックナーの能力がアインシュタインやワトソン・クリックに比べて劣るとは思わないが、その評価をするのは後世なのだ。人は賞や教育の権威付けで動く。作曲という功績にそれが足りないというのが僕の認識だが、最低限の金銭的価値までが時限性があって、著作権が切れれば無料コンテンツと化して低俗なテレビ番組やコマーシャルのBGMに貶められてしまう現実には憤りを覚えるしかない。音楽の恩恵を人生に渡って享受した僕がその創造主である作曲家に感謝を捧げるのは人の道として当然であり、一聴衆としてしか音楽に関わりを持てない以上はブログでも書くしかない。

そうやっていまブルックナー8番について、この曲が素晴らしいというプロパガンダを書こうということになっているわけだが、彼の音楽というものはバロック様式の壮麗な教会のようなものだ。その空間に身を置いて五感で味わって初めてわかる「体験型音楽」であって、形式論的に構造をアナリーゼしたり、誰がどこをどう校訂した何々版が原典版とどう違うというようなことはあまり本質的な意味をなさないように思う。彼が少年時代に聖歌隊で歌い、オルガニストを勤めたザンクト・フローリアン修道院の内部の写真をご覧いただきたい。彼の演奏はこの空間の深い残響のなかにこだましていたのだという包括的なイメージをお持ちいただくことのほうがよほど大事だろう

この空間でブルックナーは交響曲の響きをどう発想したのか?下の録音はここでブルックナーが弾いたお気に入りのオルガンで第7交響曲の第2楽章を演奏したものだ(彼はこのオルガンの下に葬られている)。彼にとってオーケストラの音響はオルガンであり、教会のアコースティックがどれほど不可分の意味を持っているか、それがブルックナーの楽曲の本質にいかに寄与するものかがお分かりいただけるだろうか。

次は大理石の広間をご覧いただきたい。フランスのルイ14世様式を範にしたドイツ語圏のバロック建築様式はしばしば装飾過多であることで知られているが、まさにその例だ。

大理石の広間

図書館は装飾過多をさらに逸脱し、混沌に踏み込んだ一個の壮麗な、見ようによってはグロテスクな世界すら確立している。ブルックナー体験を多く積まれた方は、これが彼の音楽のヴィジョンにどこか共鳴して見えないだろうか?

図書館

ブルックナーが「体験型音楽」というのは、そこに参加して佇(たたず)んでいればわかるという肯定的な意味と、総合的なヴィジョンがないとわけがわからないという否定的意味を含んでいる点においてワーグナーの楽劇に近い。バイロイト祝祭劇場で5時間じっとして「貴方は何を感じましたか?」と問われるようなものだ。僕はサッカーをスタジアムでは4、5回しか観戦していないから貴方にとってサッカーとは?と問われると「ミラノのサン・シーロで8万人のスタンドが揺れて怖かった」ぐらいしか出てこない。サッカー経験はなく知識も乏しいから行くとすればあの「揺れ」の興奮ぐらいだ。バイロイトの聖なる密閉空間も体験型だ(一度で充分)。「そこに参加して佇む」ことに意義がある。マーラー、ブルックナーは第九と同様に客席が埋まるから供給サイドの人気演目だが、それは両方好きだという「百人超の大管弦楽大音響サウンドファン」もいるからだ。ブルックナーはハンブルグが俺の曲をわかるのに何十年もかかる(understand my works only after decades)と揶揄したが、あまり心配はいらなかった。

8番で最も人口に膾炙して猫にも杓子にも有名なところというと、おそらく第4楽章の入りだ。コサックの進軍を描いた前打音付きのユニゾンの弦の嬰ヘ音はクレッシェンドして ff になるが、僕には入りの p が耳の奥底ですでに響いていた幻聴のようににきこえる。再現部で不意にやってくる2度目は、さらに幻聴以外の何物でもない。

嬰ヘ音は耳が根音(ド)と錯覚するが、実はそうではなくミであり、つまりDの和音であって、ここでまず長3度下がった感じがする。この「長3度下げの麻薬」が楽章中にばらまかれる。次いでB♭m、G♭、D♭と移行するが根音はレ→シ♭→ソ♭とその麻薬の連発で、最後にレ♭と4度落ちてあたかもトニック然と着地するが、それは出発点のDの半音下であったという実に不思議な転調だ。こんなものがいきなり直撃するわけだが、12音音列のように理屈は通るが人口に膾炙しないものではなく、日本のTV番組のテーマソングに使われてしまうほど誰の耳にも「生理的に劇的な効果」がある。麻薬と書くのはそういう含みであり、それはこの楽章のコーダへ向けたクライマックスを pp で準備する非常に印象的な部分で葬列のように繰り返される。

麻薬の発明者はブルックナーではない。ベートーベンが愛用したのは有名だ(ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、悲愴ソナタetc)がそれは楽章単位のことで、8番のように小節単位で3回も連続技で繰り出すとなると効きが違う。ベートーベンが魅力的な和声のイノベーターだったとはあまり言われないし音楽の教科書にも書いてない。しかし例えば悲愴ソナタの第1楽章をご自分で弾いてみれば、実はそうだったと誰でも思うだろう。それに反応したのがワーグナーでありついにトリスタンという和声の魔宮を築いてしまう。それは機能和声的に「解決」しないという「寸止めの王国」であり、ブルックナーは機能和声的解決に聞こえるが「着地が少しズレた王国」を築いた。これはザンクト・フローリアン修道院のごとくオーストリアのバロック建築的だともいえる。

第4楽章はどういうわけか、僕には敬虔なカトリック教徒としてのブルックナーの信仰心ようなものよりも、彼が悪夢にでもうなされて観た地獄絵に近いものを感じてしまう。第2楽章の悪魔のダンスのような奇怪な楽想もそうだ。いつも思い出すのはルネッサンス期のフランドルの画家、ヒエロニムス・ボス(昔はボッシュと呼んでたが)の地獄と怪物の絵だ。

ヒエロニムス・ボス
祭壇画「聖アントニウスの誘惑」(リスボン国立美術館)

ボスの絵画は当時異端扱いされなかった(むしろ貴族に人気があった)が、宇宙の一環をなす人間、生物の本性を暴き出したリアリズムと受容されたのではないだろうか。僕はブルックナーにボスの如き神性と悪夢の両方を見てしまうが、ティーンエイジャーの女の子に70になっても求婚し続け、死と死体に病的な関心を持ち、自分が死んだら遺体に防腐処理をしてくれと遺言したこの大作曲家はその両面を持っていたように思う。彼は芽のありそうな10代の女の子の名がずらりと並んだリストを持っており、次々と求婚したがすべて失敗した。一度だけ、ベルリンのホテルメイドだったイダ・ブーツとついに婚約まで至った。人生の陽光だったに違いないが、破棄されてしまう。イダがカソリックへの改宗を拒んだからだった。彼はひどく傷ついて何度も鬱病の発作に襲われた。

ブルックナーは交響曲第8番のスケルツォを作曲するにあたってDer Deutsche Michel(ドイツのミヒェル)を想起したと語っている。それは日本では「野人」と訳されている。しかしドイツのミヒェルはドイツ帝国の擬人化で、英国のジョン・ブル、米国のアンクル・サムに相当する新興のドイツ帝国(Deutsches Kaiserreich)のアイデンティティ形成のための象徴的国民像であり、狡猾な周辺国に容易に騙される無知、天真爛漫で愚かしい男だが一旦怒ると手ごわいとでもいう国威発揚のイメージキャラクターである。野人より薩摩の「隼人」や土佐の「いごっそう」のコンセプトに近いと思われる。パルシファルを書いたワーグナーは「私はもっともドイツ的な人間であり、ドイツ精神である」と日記に記し、「古代末期にローマ帝国を滅ぼして新生ヨーロッパを作ったゲルマン民族と同じ国民だ」と論じているが、現代中国でどこへ行っても「自分は漢民族だ」という輩に遭遇するのと似たものだろう。ブルックナーのミヒェルはオーストリアのカソリックというアイデンティティの困惑であり、プロテスタントであるブラームスのハンブルグ、イダ・ブーツのベルリンとのコンフリクトのトラウマとそれに対する開き直りかもしれないと僕は解釈している。

Anton Bruckner (1824 – 1896)

ブルックナーは風采や言葉やマナーで田舎者扱いされた記録の枚挙にいとまがなく、8番でのDer Deutsche Michel発言に彼の属人的なキャラクターが混合して逆流し、彼自身が全人格的に野人だったというイメージが流布しているがそれは都市伝説だ。彼の頭脳は科学者のごとく怜悧で、敬虔な司祭であると同時にむしろmatter-of-fact-manであり、文学より和声法と対位法を駆使した有機体を生み出す厳格な作曲技法に関心があった人と確信する。もし聴き手が彼の楽想に神を感じるとするならば、それは彼のカソリックへの真摯な帰依に由来するのだろうが、それは天地創造の神と彼の創造する有機体が矛盾しないという信心においてmatter-of-fact-manである性格とも矛盾しない。彼の肥沃かつ鋭敏な調性感覚は真の意味で超人的であり、その点では同じ資質であったが文学に傾斜する性向もあったワーグナーへの傾倒はそこに起因しているだろう。神=作曲原理という保守性と、持って生まれた超越的な調性感覚が生み出す麻薬が彼の音楽を際立たせ、異教徒の我々までを陶酔させる。その結合が最高の完成度で達成された作品が交響曲第8番であった。

ヘルベルト・フォン・カラヤンが8番を初演したウィーン・フィルとザンクト・フローリアン修道院で演奏したものだ。

まるで8番のように長くなってしまったが、最後に、僕の8番体験のルーツとなった1983年のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキー、及び、1993年のギュンター・ヴァントに表敬したい。前者はここに書いたスクロヴァチェフスキーとの会話)。読響(2002年9月12日、芸術劇場)でも聴いた。こちらはその翌年のオペラシティでのザールブリュッケン放送響都のライブ。

ヴァントのほうは場所がフランクフルト・アルテオーパーでオーケストラは北ドイツ放送交響楽団、1993年10月17日の演奏会であった。亡くなる9年前のこの頃がヴァントの最後の輝きだったと思うが、天国のように見事な8番であった。幸い同年12月のハンブルクにおける北ドイツ放送響定期でのライヴ録音がCDになっており、腰が曲がっていたが振り始めると矍鑠とした指揮台の姿を思い出す。彼の8番は複数あるがこれがベストだ。

 

クラシック徒然草-ブルックナーを振れる指揮者は?-

 

 

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アンヌ・ケフェレックを聴く

2018 APR 26 23:23:27 pm by 東 賢太郎

指揮 上岡敏之
ピアノ アンヌ・ケフェレック

新日本フィルハーモニー交響楽団

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491
ブルックナー:交響曲第6番 イ長調

先日のピリスに続き、こちらも実演は初めてのケフェレックを聴く。パリ生まれの70才。ヴァージンレコードのラヴェル・ピアノ曲集はリズムに個性がありフレーズごとに一音ごとに音価を変転させ粘る。クープランの墓はその結果ロマンティックに響きやや抵抗がある。テクニック的にも徹底したヴィルテュオーゾということもなく、対位法の立体感が甘くてやや平板。品の良さが売りのピアニストかという中途半端な印象があった。しかし「亡き王女のパヴァーヌ」の中間部や「悲しげな鳥たち」ではその粘りがピアニシモでふわりと一瞬宙に浮く、そのポエティックで微妙な溜めは存外に蠱惑的であって、この人のピアニズムの不思議を醸し出していたのも記憶にあった。

モーツァルトのピアノ協奏曲第24番は特別なエモーションを感じる、僕にとって格別な曲だ。甘ちゃんのピアニストに弾いてほしくない。結論としてケフェレックの固有の弱音美が活き、指揮もオケも好演という事もあり十分に楽しんだ。しかし彼女独自の「時間感覚」はコンチェルトでなく独奏で聴きたかったという欲求不満も残る。アンコールに弾いたヘンデルのメヌエット・ト短調(ケンプ版)はその留飲を下げる大変な名演で、まったりと流れに支配される数分間、ただただ聞き惚れるという至福のピアノ演奏。先に書いたパヴァーヌの間と溜めのポエジー、和音の天の配剤のように美しいバランス。この体験は深い。

ブルックナーは第2楽章に実に感じ入った。いままでで一番素晴らしい。フランクフルト時代に娘のピアノの先生に指揮を習ってみたいと言ったら、紹介しますよとなったのが上岡敏之さんだった。結局実現せずもっと暇な会社だったら良かったと思ったが、恥さらしをしなくてよかったとも思う。上岡さんはもっと聴いてみたいという意欲が出てきた。ケフェレックさんにサインをもらい、ちょっとお礼を述べてから横浜みなとみらいホールを退散。いつもながらミーハーだ。

 

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読響定期・ブルックナー6番

2018 JAN 14 9:09:29 am by 東 賢太郎

指揮=シルヴァン・カンブルラン
クラリネット=イェルク・ヴィトマン

ブリテン:歌劇「ピーター・グライムズ」から”4つの海の間奏曲”
ヴィトマン:クラリネット協奏曲「エコー=フラグメンテ」*日本初演
ブルックナー:交響曲 第6番 イ長調 作品106

ヴィトマンが良かった。クラリネット奏法の極致を見る。443Hz、430Hzとピッチの異なる弦楽器群の対照がありすべての楽器のソノリティに微細なピッチへの神経が通う。ギター、バンジョー、アコーデオン、リコーダー、ナチュラルホルンが入り、シンバルを弦の弓で弾くなど特殊奏法の嵐でもあり、微視的な音彩をちりばめているが静けさを感じる部分が印象的だった。ヘンツェの影響も感じる。素晴らしいものを聴いた。

ブリテンもピッチが良く透明、この曲はそれが命だ。これはバーンスタインが得意としていた曲だったのを思い出す。第1曲の「夜明け」はラヴェルのダフニスとまた違った印象派風の雰囲気で完全な和声音楽だが調性は浮遊した感がある。嵐のティンパニは好演。管弦楽法はカラフルだがカンブルランの色の出し方は節度がありターナーの絵の如く淡い。気品あり。

ブルックナーの6番。これは散漫になりがちな曲であまり名演と思うものに接していない。録音ではヨッフム/バイエルン放送響とカイルベルト/ベルリン・フィルを聴いているがスコアの響きが地味なだけに味を出すのが難しいと思う。今日は弦がいつもより木質感があり管とのブレンドも良く、筋肉質でシンフォニックな造りにふくらみを与えた名演だった。カンブルランにブルックナーのイメージはなかったが、ドイツ保守本流とは違う硬派路線で聴かせるものがある。1-3番あたり面白そうだ。

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凄かったロジェストヴェンスキーのブルックナー5番

2017 MAY 20 1:01:56 am by 東 賢太郎

5番が一番好きかもしれないブルックナー。確たる理由はないが7、8番のようにムード音楽にはなり得ないのがいい。峻厳な対位法では5番がベストであり、彼はワーグナーと違った道を歩みかけたが結局それに戻ったといえないこともないから真の個性は5番に刻印されていると僕は思っている。これを初めて聴いたのはロンドン・レーベルでクナッパーツブッシュ/VPO盤(右)が昭和50年に1000円で出た時で、これで覚えたシャルク版が終楽章にカットを施しており管弦楽法も肥大していることは後で知った。しかしこのレコードは、それにも関わらず名演だったから、5番とのつきあいは何とも複雑なものになってしまった。シャルク=改悪、ゲテ物というイメージが植えつけられ昨日まで来ており、まさかそれを実演で聴けるなど想像もしなかった。

本読響定期公演シリーズを買ったのはメシアンもあるが、5番をスクロヴァチェフスキーで聴けるのは最後だろうと思ったのも大きく、残念なことだったがそれがかなわずロジェストヴェンスキーで聴くなどというのもまったくの想定外であった(そういえば朝比奈も最後と思って買った3番が結局聴けずに終わったが)。5番はヨッフム最後の演奏をアムステルダムで聴く幸運に恵まれたし、それがいい音でCDになっていてこれを凌駕する演奏はないと思っているからつきあいは報われているが、それ以来心を動かす演奏には巡り合っていなかった。

 

ロジェストヴェンスキーのブルックナー録音というのはソヴィエト国立文化省交響楽団による異稿を含む全集があってこれが非常に面白い。ロシア臭ぷんぷんの金管はドイツのブルックナーとはかけ離れておりゲテ物扱いする人もいようが、耳が慣れればむしろこの指揮者の音楽の構築を一旦ばらして組みなおす譜読みの分解能に資すると思え、そのアプローチが最も活きる5番は文句なく聞きものである(写真、84年録音)。この版は原典版とあるがハースとも思えず不明である。指揮者の手が入っているかもしれない。

さて読響であるが、まずシャルク版は凄い経験だ。原典版はほぼ二管編成であり、7,8番を経ての初演で音を厚くしたくなったのはわかる。チャイコフスキー、マーラーを思わせる音があり、原典を聞きこんだ者には確かに厚化粧で芸達者の観がある。僕はシューマンのマーラー版を嫌う趣味の人間であり、これも同様に見ていたが、この演奏を聴いて考え直したのは「何でも原典版」というピューリタニズムが作曲家の意図かということ。ベートーベンも演奏によってコントラファゴットの補強をしているしオーケストラのカラーリングは演奏状況に依存する要素があり、特にブルックナーは何がベストというコンセプトはなくバンダの採用も同意していたともいわれる。

えっという音がそこかしこでするが、クナ盤で覚えた部分もあって懐かしくもある。終楽章でフーガを経て3つの主題が多層的に立体的に複合するあそこはジュピターのコーダに匹敵する数少ない奇跡的な音楽だが、ここ、シャルク版はいいではないか!一概に改悪なんかではないぞ。第1楽章の遅さは終楽章コーダでの回帰に向け主題を深層意識に植え付けるものだったのか?とにかくバンダが立ち上がって加わったあそこは何かが降りてくるのを見た。こんな演奏は何年に一度も体験できるものではない。大変なものを聴かせていただいた。

ロシアには常人離れした怪物といおうか怪しい「気」を発する天才がいてムラヴィンスキーやコンドラシンがそうだったが、ロジェストヴェンスキーの指揮もどこか19世紀的で魔術的な呪縛力があって背中で客席まで金縛りにする。だいぶ前にやった春の祭典で最後の一発の振り下ろしと同時に体ごとくるっと客席に回れ右したのは唖然だった。なんだ?と当時は思ったが、物凄く左脳的に分解能が高くてmeticurous(細部まで綿密にこだわって細かい)ながら怜悧ではなくどこかヒューマン。何とも言えないバランスが魅力で、いまこんな人は皆無だしもう出てくるとも思えない。

86才の巨匠。なんでもいい、もう一度ききたい!

 

(ことらもどうぞ)

ブルックナーとオランダとの不思議な縁

 

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スクロヴァチェフスキーの訃報

2017 FEB 23 22:22:28 pm by 東 賢太郎

ショックを受けております。1月に読響からお知らせのハガキが来て、「スクロヴァチェフスキー氏の来日中止」とありました。脳梗塞の治療のためとありこれは・・・と嘆息するのみでした。

あれは1983年10月28日、アカデミー・オブ・ミュージックにおけるフィラデルフィア管弦楽団のマチネ演奏会のことです。初めて実演を聴いたブルックナーの第8交響曲に圧倒的な感動を覚えてしまい、いてもたってもられずそれを伝えようと家内をつれて楽屋にむかいました。するとせまい廊下をひとり歩いてきたスクロヴァチェフスキー(以下Sさん)とばったり会ったのです。

お断りすると僕はサインをねだるミーハーではありません。フィラデルフィアで人気絶頂だったムーティーは一度も訪ねておらず、会いに行ったのは深く感動したオーマンディーとSさんだけです。そのぐらい爆発的で稀に見るものだった、それに突き動かされてどうしてもひとこと「お礼」をしたかったのです。ムーティーとは全く違う音で、僕の長い音楽体験のうちでも白眉、一生忘れることのない演奏。この日以来8番は僕にとって特別な音楽となって今に至っています。

当時彼のレコードは持っていましたがお国ものショパンPCの伴奏指揮者のイメージでした(ルービンシュタイン、フランソワ、ワイセンベルク)。一方でブルックナーの8番という音楽だってカラヤンのレコードで聞いていたぐらいですが、たしか4番(ワルター)、5番(クナ)、7番(コンヴィチュニー)、9番(マタチッチ)あたりを持っていてもあまりピンと来ておらず、アダージョがきれいなので8番だけが記憶にある程度でした。

飛び込みで話しかけてきた見知らぬ東洋人の男女にほんとうに誠実、真摯な姿勢で接してくださり、汗だくではありましたが、つい今しがたあれだけの演奏をし終えた人と思えぬほど冷静に、僕の愚問ごときに真剣に言葉を選んで答えてくださったのは驚きであり深く心に残りました。音楽に人柄が出るとするとそれは彼においてこそで、あの姿勢でスコアを読みこまれた結果があの音なんだろうとつくづく思います。

オーマンディーやバーンスタインはひと仕事終えた好々爺という感じでもありましたがSさんはブルックナーとフィラデルフィア管弦楽団の弦の相性につき滔々と語ってくれるなど、ああこの人も音楽が好きなんだと当たり前のことを強く感じました。仕事師の職業指揮者ではない、書かれた音符に真摯に意味を見出す、それもポエムとしてよりは化学として神様の調合・配剤の賜物としてで、作曲家なんだなと直感したのを覚えています。

たまたま家内がお友達が映ってるというので去年の1月21日の読響の8番をビデオに撮っていて、これが大変な名演奏です、よくぞとっておいてくれました。ニュースによると、93才になられて11月にミネソタ管を振った最後の演奏会がやはり8番だったそうです。

ご冥福をお祈りいたします。

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

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N響 ブルックナー交響曲第2番をきく

2016 SEP 25 1:01:23 am by 東 賢太郎

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ    ピアノ:ラルス・フォークト

モーツァルト/ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595

ブルックナー/交響曲 第2番 ハ短調

 

今日つくづく思ったのは27番は難しいということ。ここに書いたように、私見ではこのコンチェルトは1788年、「コシ・ファン・トゥッテ」の姉妹作だ。

モーツァルト ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595

しかし、第2楽章の第2ヴァイオリンのあの胸につまされる音階パッセージは何だ?フォークトはドイツ時代に何度か聞いたピアニストだが、モーツァルト、しかも最も難しい27番であえて何を言いたかったのか。音階パッセージをピアノが模す場面はなにかが違う。

僕はウィーンへ行くと必ずモーツァルトが昇天した家に詣でる。そしてそのすぐ前にある宮廷料理人イグナーツ・ヤーン邸の地上階にあるカフェで1時間ほど過ごすのだ。ここに詳しく書いた。

ベートーベンピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19

27番はこのヤーン邸で、モーツァルト自身のピアノで初演されたのだ。そして、それは彼が公の場で演奏した最後の機会となった。第2楽章、彼の魂が天に登るような変ホ長調。あのカフェで脳裏に聞こえたような演奏はまだない。モーツァルトは本当に難しいのだ。

今日の収穫はブルックナーの2番だ。ヤルヴィになってこういう曲をプログラムに組んでくれる、これはいよいよ日本のクラシック・シーンが欧米水準になるということだろうか。これを覚えたのはハイティンク盤、ショルティ盤、スクロヴァチェフスキー盤だが、細かくは知らないが、今日の版は改訂版とは違うかもしれない。

しかし演奏は期待以上で、レコードでは味わえなかった独特の楽器法の木管アンサンブル、対向配置のヴァイオリンの意味深い対位法、インパクト充分の金管とティンパニなどについてヤルヴィは確信をもって振っており、後期の交響曲とは一味違うむしろ古典的な性格の残る部分をメリハリをもって描いた。この解釈で5番をやったら素晴らしいだろう。

 
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クルト・マズアの訃報

2015 DEC 21 1:01:46 am by 東 賢太郎

クルト・マズアさんが亡くなった。クラシックに熱中しはじめた高校時代におなじみの懐かしい名前だ。アズマの反対だけどスペルはMasuaで、ドイツ語ではSを濁ってズと読むことを初めて知った。クラスのクラシック仲間がふざけて僕をケント・マズアと呼んだが、さっき調べたら氏の息子さんはケン・マズアさんだった。

mazua1だからというわけじゃないが、彼のベートーベン交響曲第5番、9番(右)は僕が最初に買った記念すべき第九のレコードとなった。だからこれで第九を記憶したことになる。なぜこれにしたかは覚えてない。ひょっとしてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(以下LGO)に興味があったかもしれないが、2枚組で3600円と少し安かったのが真相という気もする。

mazur感想は記録がなく不明だが、音は気に入ったと思われる。というのは第九を買った75年12月22日の4日後に同じマズア・LGOのシューマン交響曲第4番を購入しているからだ(右)。大学に入った75年はドイツ音楽を貪欲に吸収していた。5月病を克服した6月に買ったジョージ・セルの1,3番のLPでシューマンを覚え、4番にチャレンジしようと7月に買った同じLGOのコンヴィチュニー盤があまりピンとこなかったのだ。それはフォンタナ・レーベルの詰めこみすぎた冴えない録音のせいだったのだが・・・。ということはシューマン4番もマズアにお世話になったのだろう。

マズアはドイツ人にしてはモーツァルト、シューベルト、ワーグナー、ブルックナー、R・シュトラウス、マーラーのイメージがないのが不思議だ。モーツァルトはシュミットとのP協全集はまあまあ、ブルックナーは4番を持っているがいまひとつだ。東独のオケ事情、レコード会社との契約事情があったかと思われる。

mazurそこで期待したのがブラームスだ。76年録音。ロンドンで盤質の最高に良い79年プレスの蘭フィリップス盤で全集(右)を入手できたのはよかったが、演奏がさっぱりでがっくりきたことだけをよく覚えている。4曲とも目録に記しているレーティングは「無印」だ。当時はまだ耳が子どもで激情型、劇場型のブラームスにくびったけだったからこの反応は仕方ない。とくに音質については当時持っていた安物のオーディオ装置の限界だったのだろうと思う。今年の4月現在の装置で聴きかえしてこう書いているからだ。

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(9)

mazua2ところでここに「フランクフルトでフィデリオを聴いたが、まさにこの音だった」と書いたが記憶違いだった。プログラム(左)を探したところ、1988年10月3日にロイヤル・フェスティバルホールであり、しかもオケはロンドン・フィルであったので訂正したい。ケント公エドワードご来臨コンサートで英国国歌が演奏されたようだが記憶にない。当時のロンドンでドイツ人指揮者というとテンシュテット、ヨッフム、サバリッシュぐらいでカラヤンが来たのが事件だった。そこに登場したマズアはきっと神々しく見えたんだろう、響きも重くドイツ流ですっかりドイツのファイルにメモリーが飛んでしまっていたようだ。この4年後に言葉もできないのに憧れのドイツに住めたのが今となっては信じ難い。

この記憶はこっちと混線したようだ。

ブルックナー交響曲第7番ホ長調

94年8月28日、フランクフルトのアルテ・オーパー。これがマズア/LGOの生の音だったがこれよりもフィデリオの方がインパクトがあった。

マズアの録音で良いのはメンデルスゾーンとシューマンのSym全集だ。これはLGOというゆかりのオケに負うところもあるが低重心の重厚なサウンドで楽しめる。ブラームスもそうだが、細かいこと抜きにドイツの音に浸ろうという向きにはいい。ベートーベンSym全集はマズアの楽譜バージョン選択の是非と解釈の出来不出来があるが現代にこういうアプローチと音響はもう望めない。一聴の価値がある。

なにせLGOはモーツァルトやベートーベンの存命中からあるオーケストラなのであり、メンデルスゾーンは楽長だったのだ。61才までシェフとして君臨したコンヴィチュニーに比べ70年に43才で就任したマズアはメンゲルベルクと比較されたハイティンクと同じ境遇だったろうと推察する。若僧の「カブキ者」の解釈などオケが素直にのむはずもないのであって、正攻法でのぞむ。それが伝統だという唯一の許されたマーケティング。だからそこには当時のドイツ古典もの演奏の良識が詰まっているのである。

意外にいいのがチャイコフスキーSym全集で、カラヤン盤よりドイツ色濃厚のオケでやるとこうなるのかと目からうろこの名演だ。悲愴はすばらしく1-3番がちゃんと交響曲になっているのも括目だ。ドイツで買ったCDだがとびきり満足度が高い。そしてもうひとつ強力おすすめなのがブルッフSym全集で、シューマン2番の第1楽章などその例なのだが、LGOの内声部にわたって素朴で滋味あふれる音響が完璧に音楽にマッチして、特に最高である3番はこれでないと聴く気がしない。

エミール・ギレリス、ソビエト国立響のベートーベンP協全集は1番の稿に書いたとおりギレリスを聴く演奏ではあるが時々かけてしまう。お好きな方も多いだろう、不思議な磁力のある演奏だ。76年ごろのライブでこれがリアルタイムでFMで流れ、それをカセットに録って擦り切れるほど聴いていた自分がなつかしい。以上。ニューヨークに移ってからの録音が出てこないのは怠慢で聞いていないだけだ。

こうして振り返ると僕のドイツものレパートリー・ビルディングはLGO時代のマズアさんの演奏に大きく依存していたことがわかる。師のひとりといえる。初めて買った第九は、彼との出会いでもあった。75年12月22日のことだったが、それって明日じゃないか。40年も前のだけど。

心からご冥福をお祈りしたい。

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

(こちらをどうぞ)

ベートーベンピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15

ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37

メンデルスゾーン交響曲第4番イ長調作品90 「イタリア」

 

 

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ブルックナー交響曲第9番ニ短調

2015 JAN 19 2:02:37 am by 東 賢太郎

先日ある方とふるさとの話をしていて、自分は東京なんでそれがないんですと言いながら、たしかにお盆に帰る所はないけれどひょっとして多摩川がそうかもしれないと思いあたりました。物心ついてから中学に入るまで和泉多摩川の、川へすぐの団地に住んでましたから。

結局5年ほど前から居所は多摩川に帰っていて、週末は川辺までジョギングに出ます。四季それぞれ川は匂いが違います。道端の雑草の草いきれも浅瀬の藻の匂いも変わります。石を高く投げ込むとペカン!と音が鳴る。その瞬間に50年前に帰ります。自分の幼少時の記憶には水のある風景というものがついてまわります。

当時通っていた成城学園初等科から坂を下ったあたりに沼地のような所があって、春の晴れた日、背の高い草をかき分けながらむんむんする泥にまみれてそこに入っていくと、生ぬるい大きめの水たまりにぬるぬるのゼリーみたいな蛙の卵がうようよとありました。うわっとびっくりするぐらいたくさん。何日かしてそれがみんなおたまじゃくしになってる。水中そこいらじゅうに丸々太って黒光りしたのが数知れず泳ぎ回っています。

その時、うしろのグラウンドの方を立ちあがって見た。あったのは太陽です。まぶしくて何も見えなかったのですが、その光景というかもはや心象風景といったほうがいいですが、それはその後も夢に出てくるまでに鮮烈に僕の中に刻みこまれていて、水とおたまじゃくしに何かをもらって自分の生命が力を得たような気がする。もう一度あのあたりに行ってみたいと思っていますが・・・。

はるか時を経て、クラシック音楽というものに出会っていろいろ聞きすすむうちに、あれっと思うものに出会いました。ブルックナーの第9交響曲です。アダージョの静けさを破って天から神々しい光のシャワーが降りそそぐ部分。トランペットがこんな神のお告げのようなものを奏でます。

bru9

ここをきいたとき、ああこれがあれだったんだと思いました。理屈でなく。あの成城の沼で見た太陽。うようよと蠢くおたまじゃくし。神と肉。天界と俗界。自分もその俗の一部であって、生命を戴いている者なんだという啓示のようなものでした。

あの光の向こうには、なにかとてつもない高貴で期待に満ちたものがある気がして、今もつらいときあれを思い出してみたりします。そういうものがあの時やってきてしまった。邂逅です。この交響曲はそれを思い出させます。

それは83年、この曲をロンドンで初めて聞いた時です。ハイティンク/ ACOの演奏に眼前で接していて、急にあの成城の記憶が甦ってしまった。何の脈絡もなく。それ以来、9番は特別なものとして僕の中で君臨しており、バッハのマタイ、モーツァルトの宗教曲などと同等にめったやたらには聴かない音楽になっています。

一昨日買ったワルター組物にこれが入っており、久々に聴きました。僕がワルターに敬意を持っているのは、彼が「指揮屋」ではない、本物の音楽家だからです。往年の大家で最もピアノ演奏でも尊敬された人であり、こけおどしのショーピースには目もくれなかった。師匠であるマーラーの交響曲でさえ3,6,7,8番は振っておらず、6番は嫌いだったとどこかに書いてありました。まったく同感、我が意を得たりなのであります。

ユダヤ人でなければ米国に来る人ではなかったでしょう。ナチスを逃れ、さいはての西海岸LAという似つかわしくない地で、当地のオケ(LAPO等)のメンバーと録音した晩年のCBS盤のおかげで、19世紀から独墺で鳴っていたオーケストラ音楽の奥義がステレオ録音で残された。この歴史の偶然には感謝の念を覚えます。

亡くなる4年前の1月からハリウッドのAmerican Legion Hallで始まった録音はそれを伝える至宝です。残された時間を悟っていただろうワルターが録音したのは彼のこの世へのラスト・メッセージであり、そこに選ばれた曲というのは人生にとって意味のあるレパートリーだったでしょう。それを時系列に整理してみました(データはBRUNO WALTER DISCOGRAPHYのサイトによる)。

1958
January 6 & 8,  beethoven sym1
January 8, 10, 13,  beethoven sym8
January 13, 15, 17,  beethoven sym6
January 20, 23, and 25,  beethoven sym3
January 27,  beethoven sym5
February 1 & 3,  beethoven sym7
February 8 & 10,  beethoven sym4
February 18, 1957; February 17& 21, 1958(Carnegie Hall), marler sym2
December 10, 12, 15 and 17,  mozart vc3,4
December 17,  mozart eine kleine nachtmusik
1959
January 5 & 9,  beethoven sym2
January 13 & 16,  mozart sym40
January 13, 16, 19 & 21,  mozart sym35
January 19, 21, 26, 29, 31,  beethoven sym9(mov1,2,3)
January 31; February 2, 4, 6,  schubert sym9
Feb 2, 4, 6, 12 & 14,  brahms sym4
feb12,14,16,20  dvorak sym9
February 20,  wagner duchman ov
February 25,  wagner Parsifal – Prelude and Good Friday Music
February 27,  wagner Lohengrin Prelude to Act I/Siegfried Idyll
April 6 & 15,  (Hotel St. George) beethoven sym9 mov4
April 15,  Beethoven: “Coriolan” Overture
nov16,18  bruckner sym9
November 20,  brahms “Double” Concerto
November 25,  brahms sym1
December 2,  mozart sym38
December 4,  Wagner: Meistersinger Prelude to Act I
1960
Jan8,  brahms haydn variations
Jan11 & 14,  brahms sym2
January 16,  brahms academic fest ov
Jan16 or 23,  brahms tragic ov
Jan20,25 schumann PC
Jan 27 & 30,  brahms sym3
February 20 & 23,  mozart sym39
February 25, 26, 28 and 29,  mozart sym41
February 28 & 29,  mozart sym36
feb26,29mar3  schubert sym5
feb13,15,17,25  bruckner sym4
April 18 and 25,  (Manhattan Center) mahler song of the earth
May 29,  (Musikverein) mahler  sym4/Rückert Lieder/schubert sym8
June 30 and July 1,  mahler Lieder eines fahrenden Gesellen
july1  beethoven leonoreⅡ
December 5,  brahms Song of Destiny
1961
January 11,  brahms Alto Rhapsody
January 14 & 16,  and February 4 & 6,  mahler sym1
January 16, 18, 21 and 30,  mahler sym9
January 26,  beethoven violin concerto
feb8,12  dvorak8
march2,4,6,8  haydn sym88&100
mar11,13,19,22,27  bruckner sym7
March 24 and 27,  wagner Tannhäuser: Overture and Venusberg Music
March 5 and 31,  mozart cosi ov, figaro ov,impresario ov,zauberfloete ov
March 8 & 31,  mozart masonic funeral musik
1962年2月17日 亡くなる

僕は全部一度は耳にしていますが、青字はそのうちでも愛聴しているものです。これを見ると前回のイストーミンとのシューマンPCはブラームス・セッションの真っ最中であったことがわかります。ワルターのブラームスへの愛情は底しれません。あのシューマンの異様なテンションの高さはそれと関係あるかもしれません。

ご覧のようにセッションはベートーベン、ブラームス、マーラーと固まって行われており、最後にモーツァルトがきて彼は亡くなりました。ブルックナーは3曲のみで、9番がベートベンとブラームスの間に、4番がブラームスとマーラーの間に、そして最後に7番です。ブルックナーをまとめて録ることをせず、セッションの節目に演奏したかのようです。このあと8 番が予定されていたようで彼のブルックナーへの思いがよくわかります。

58年以降が重要です。ワルターがそこからのラスト・セッションで録音を残そうと取り上げた師匠マーラーの交響曲は1,9番の2曲、NYやウィーン・ライブの2,4,大地を入れても5曲、ブルックナーは8番を入れて4曲です。彼がこれほど思いを込めたブルックナーは、マーラー指揮者の誤ったイメージ、ドンシャリの粗悪米国プレス、原典版ブームによって切り捨てられてしまったようです。

ブルックナーに限らずこれらハリウッド録音のLPは音がハイ上がりでひどく、当初から誤った評価をされています。僕自身、ここに書いたように彼のモーツァルトやベートーベンは良い思い出がなく、大きな誤解をしていたことがだんだんわかってきました。ワルターのモーツァルトはLPで

わが国では老ワルターなどと呼んでよいよいのおじいちゃんが昔を回顧した録音のように思われていて、それだから人間味があって良いなどと大幅に見当違いな評論がなされていたものです。リハーサル風景の録音も残っていてそれをきけばまったくの誤りと分かります。上記ブログにも書きましたが、シャープな頭脳とてきぱきしたプロフェッショナルな指示と進行はウォートン・スクールのばりばりのやり手教授を思い出します。

そういう最晩年のワルターを記録しようという米CBS製造側の高い志が、販売側の売らんかなの低い志によって台無しにされてしまったようです。CDも日本でリマスターをはやして売り出されたものの音は絶句するひどさでした。音を原音に近づける編集は大変結構だが、音楽のわかる人にやってもらわないと。

さて9番ですが、こっちはブルックナーのほうが完成せずに亡くなってしまった。第4楽章の補筆完成版もありますが僕にはホルストの惑星の冥王星みたいにしか思えない。天国にのぼるようなヴァイオリンのシ、ファ#、ソ#、シ・・・一体あれに何が続くというのでしょう?もしするなら遺言どおりテ・デウムであるべきです。

第1楽章冒頭、二音のオルゲルプンクトの荘重な開始。9番でニ短調ゆえにベートーベンの9番を思わせるとこじつける人が多くwikipediaに「空虚5度の開始」とまで書いてある(二音のユニゾンであり誤りである)。第2楽章がスケルツォである以外に第九を想起するものは何もありません。これが変ホ長調を経て変ハ長調に行ってしまう和声の崩壊感は天界から俗界への転換を思わせます。コーダは再度二音のオルゲルプンクトにナポリ6度のE♭が何度も乗り、解脱を試みるが二音に引き戻される。非常に印象的なコーダであります。

この部分、僕はモーツァルトのピアノ協奏曲第24番の終楽章コーダ、暗い死の予感があるハ短調からひととき明るいナポリ6度の変ニ長調に何度も何度も行こうともがいて、最後は力尽きてハ短調の悲劇で終わる、あのつらい終結を想起します。金管とティンパニのsfで勇壮な響きに聞こえますが、内包するものはそうではないでしょう。

第2楽章、暗い森のなかに落ちる雨粒のようなピッチカート。神の審判が稲妻のように下る主部。ブルックナーは9番をDem lieben Gottと神に捧げていますが、終楽章をテ・デウムで代替する示唆をしているようにこれは教会のような音響がふさわしいように感じます。寒くて暗い空間の残響に審判がこだまする、神へのおののきを喚起する音です。

僕は2005年のクリスマスにウィーンのシュテファン教会の礼拝でブルックナーのホ短調ミサが使われているのを聴きました。彼が神に捧げている音楽はああいう音響を求めています。9番は特にそうです。これを残響の足りない東京のホールで聴くというのは非常に限界を感じます。そういう音響に近づけたいため僕は自助努力で部屋は石壁にしました。ワルターの録音もそういう音で鳴ることを意図したと思います。

終楽章は短9度の跳躍といういきなり和声感を失わせる開始に驚きます。Sehr ruhigの前、オーボエのド#、レ#の長2度で天使の吹く笛の信号のような意味深長なものが響き、音楽は止まってしまう。この楽章の素晴らしさは筆舌に尽くしがたく、ここで無力な筆は置きます。ブルックナーはこの楽章を人生への告別と呼びました。それがすべてを物語っているように思うのです。しかし、僕のおたまじゃくしの部分、あれはいったい何なんだろう?

 

(補遺、3月21日)

ロヴロ・フォン・マタチッチ / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

752 (1)これをロンドンでLPで買って何度も聴き、カラヤン盤(66年、BPO)を聴き、なんとも9番がわからなくなったのが懐かしい。トルソは自己流の完結が難しい。後者がとことん美しく、まるで予定調和のような終結をむかえるのに対しこれは儚い。何か諦めきれない感情を包み込んで浮遊するように消える。カラヤンの方が音楽として完成しているが、記憶にささっていたのはこのマタチッチ盤だった。彼は8番も秀逸で、大きな音楽をした人だ。きれいな音を作るよりそちらを大事にした人だった。

 

ウォルフガング・サヴァリッシュ / バイエルン国立歌劇場管弦楽団

IMG_9388cシューリヒトやヴァントを差し置いてこれを挙げる人は極めて少ないだろう。これを聴くのは無上の喜びである。名門オケを振りながらこんなに大仰な粘りやタメとは無縁で、自分のコンセプトを純化して音にするだけの指揮もそうはなく、僕は5,7,8番とちがって9番のスコアにそれを求めたい。鳴っている音は極上だ。このオケはドイツの良いホールで実演を聴かないとわからない金色の絹のような質感があるが、このOrfeo録音は遠目の音像ながらいっさい混濁がなくそれを髣髴させる。こういう演奏にどっぷりつかることのできたドイツ時代が懐かしい。ヨーロッパの良識を伝統の器に盛り、最上級の音で再現する、これをさしおいて何か奇矯を求める鑑賞態度は僕とは無縁だ。

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

 

 

 

 

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 クラシック徒然草-ブルックナーを振れる指揮者は?-

 

 

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