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カルロス・クライバー/ベルリン・フィルのブラームス4番

2017 APR 2 1:01:57 am by 東 賢太郎

レコード芸術誌の「巨匠たちのラスト・レコーディング」という企画によると、僕が聴いた演奏会のライブ録音が人生ラストだったという大指揮者が二人いました。オイゲン・ヨッフム(ブルックナー5番)とジャン・フルネ(ブラームス2番)です。

ほかにも最後のマーラー(ショルティ、5番)や最後のブラームス(カラヤン、1番)なども指揮姿とともに鮮烈に記憶にあって、「巨匠の時代」があったとするならばそれは僕らの世代の眼前で静かに黄昏を迎えていったのかもしれないという感慨を新たにいたしました。

幸いなことにその4つの演奏会はすべて正規の商業録音が残っています。音がいいだけに会場の空気まで生々しく蘇ってきます。もうひとつ、カルロス・クライバー(1930-2004)の、最後ではないがたった2回しか人生で振らなかったベルリンPOとは最後だった演奏会(ブラームス4番)があって、これについてはすでにブログに書きました。

カルロス・クライバー指揮ベルリンフィルの思い出

クライバーは日本通で和食も好きで、お忍びでよく来日していたと某社で彼を担当していた人に聞きました。ベルリンの演奏会は正規盤がなく米国製の海賊盤が残っていますが彼はこれを秋葉原で買って愛聴していたそうです。それをyoutubeにアップしましたのでどうぞお聴きください。

これをいま聴きますと不思議な気持ちで、モノラルであるせいもあるのでしょうか、レコードを擦り切れるほど聴いたフルトヴェングラーやトスカニーニも実演はあんな感じだったのだろうかと逆体験の空想に浸ることになります。

好きなオーケストラ、好きな曲だけ振って、好きなようにスケジュールを組んで貴族のように生きた男。前述のかたに彼の出自もお聞きしましたが、もうこういう人は二度と出てこないだろうと思います。

それは現在の我々がクラシック音楽と思って聴いている音楽が最後に生まれたのが20世紀前半のことであって、その作曲現場の空気を知っていた世代の演奏家が世を去っていったことで終焉を迎えたものだからです。

個人的に、第2次ベル・エポックとでも名づけたい良き時代であり、そういえばこんなに長く70年も大きな戦争がなかったのも良きことでした。ご本家ベル・エポックは第1次大戦で終焉しましたが、今度はその禍なきことを祈ります。

 

クラシック徒然草―フルトヴェングラーのブラームス4番―

 

カラヤン最後のブラームス1番を聴く

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

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勤め人時代にできなかった二つのこと

2017 APR 1 17:17:07 pm by 東 賢太郎

勤め人時代にできなかったこととして、①好きな仕事だけやる②ブログに好き勝手の独断・偏見をかく、があります。細かくいえばいろいろありますがその二つは大きいなと思います。

リタイアして②をされるかたはこれからもっと増えるでしょう。やってみれば唖然とするほど簡単だし世の中の反応が数字でわかって面白いからです。この快感はやらないとわからないですね、独断・偏見がどれだけ世の中で関心を持たれるかというのは自分のささやかな存在証明です。

①と②がいっしょにならないのがいいのであって、本を書いたらどうですかといわれましたが断りました。本は売れないと消えるので営業目線になるだろう、すると「好き勝手の独断・偏見」が鈍って個性がなくなってやっぱり消えるだろうと思うのです。いつ死ぬかわからんのでいつ来てもいいようにしておく。なにか残るようにしておく。ブログの真価はこれです。

今回そういいながらお恥ずかしいことにSMCのサーバーが足りなくなって冷や汗をかきました。サーバーを借りるのはコストがかかる。そこで現れたクラウドサービスはそれを無料提供してコンテンツを囲い込み、他人のフンドシで集客して広告主から金をとるビジネスですがいずれバックアップまで含めたサーバースペースが地球上になくなるでしょう。すると宇宙ステーションにでも作るんだろうがそれはもっとコストが高い。要は有限な世界ですね。

僕は有限に興味ないので無限なものを作りたい。それは人の個性にかけるしかないのです。確実にオンリーワンだから複製不能で、永遠に価値が残ります。企業もそうでしょう。創業者というオンリーワンの色が薄れるとただの大企業になる。すると、その瞬間から「有限性に支配される」べく時計の針が回り始めてシャープ、東芝のような悲しい例も出てしまう。オンリーワンの価値はオンリーワンである限り無限です。モーツァルトやゴッホといっしょです。

しかし個性というのは認知されなければ歴史に埋もれてしまいます。だからメディアが必要です。個性を「認知」して「広める」媒体としてです。ところがいまや「広める」はyoutubeで個人が誰でもできてしまうので個性は百花繚乱の時代なのです。そこではむしろありすぎる情報を「認知」で絞り込むことがメディアの価値になってくる。テレビならクズは全部捨てて「いい番組しかない」、「だから見ても時間の無駄にならない」ということに価値が移行していきます。

デパート業界の凋落がそれを予言してます。「なんでもある」はネットにかなわないからもう売りではない。万事が「絞り込み」の時代なのです。だからそれのできる個人に需要が出てきてキュレーター(curator)と呼ばれます。図書館や博物館の館長の意味です。膨大な情報からなにかを選びぬく能力のある人ですね。単に知識のある専門家ではなく「目的にそった好適なものを選びぬく」というニュアンスがあるので「目利き」、「通」、「ドン」に近い。

これはsiriに「近くのラーメン屋」ときいて出てくるリスト(=専門家)と、そのなかで「あなた好みのラーメン屋」まで選んでくれる人(=目利き)とどっちが価値がありますかという質問に等しいことにお気づきですか。何度も書きましたがそれが情報と諜報の違いです。各業界でキュレーターがひっぱりだこなのは、世の中はインテリジェンス(諜報)を求めている、クラウドに膨大にあるインフォメーション(情報)をいくら持っても学習してもコンピューターにかなわないから価値はないですよということを教えてくれているのです。

個性が創造という領域で発揮されればAI(人工知能)も凌駕できないと僕は信じます。一方で30年後にはsiriの自動翻訳機能がAI化して日本の学校から英語という必修科目が消えているでしょう。世界史だって日本史と合体するぐらいだから十分可能で、英米人はする必要のないそんな勉強に日本人だけ大事な10代の時間を使うなど何の意味もない。インテリジェンスを生む回路を脳に作ってくれる数学を大学まで必修にしたほうが国益としてずっといいでしょう。

SMCを21世紀の万葉集にしたいというのが僕の発想でした。万葉集というのはいわば選者というキュレーターによる和歌のキュレーション・サイトなのです。僕は金融を通したビジネスと聴き手としての音楽ぐらいしか能はありませんが、今後メンバーに各方面のキュレーターが加わってくださればその発想はそう荒唐無稽でもないと思っています。

しかしSMCは文字が媒体であり、いまや動画という媒体は避けて通れません。そこで、まったくの過渡期的な措置ですが、youtubeのクラウドに間借りして僕のチャンネル「東」を作りました。これは所有者が極めて少ない音源とパブリックドメインのうち僕の趣味にあった音源、いずれは僕の弾いた音源などからなっている「東賢太郎キュレーションサイト」です。そこから動画を引いてSMCに貼れば出版物ではできない「音のサンプル」のお示しができてより分かり易い音楽ブログが書けると思うのです。

また、僕のブログに「若者に教えたいこと」というカテゴリーがありますが、若者に夢を与えること、生き抜く知恵をあげること、大ブレークのきっかけを作ってあげることは僕の夢であります。私財はそれに投じてよいと考えてます。「若者に夢のない時代」といわれますが、そんなことはないよと口だけの空手形でなく身をもってそれを示してあげようと思います。

そこで若者のキュレーターになる能力のある3人を正社員として集めました。岩佐君、村上君、岡部君といいます。彼らに才能ある若者たちの動画をたくさんとってサイトを作ってもらい、広く世の中にお見せして認知してもらおうと願っています。これは僕の視点ではSMCとまったく同じことなのですが文字媒体でなく絵、動画だから別なサイトとして運営してもらうということにしました。

そのサイト「NEXTYLE(ネクスタイル)」がこちらです。

NEXTYLE

ご覧いただくと日本の若者はすばらしい、これから日本は明るいぞとすべての世代の方々に感じていただけ、ご自身も元気をもらえることと信じます。

このネクスタイルもSMCも、永続させるために企業にはしてありますが僕にとっては仕事、金もうけではありません。それは冒頭に書きました通り、

①好きな仕事だけやる

②ブログに好き勝手の独断・偏見をかく

の区別をしないと②は「好き勝手の独断・偏見」が鈍って個性がなくなって消えるだろうと思うからです。僕は天職であるソナー・アドバイザーズの仕事をボケるまでは続けるし、それで食べていく、そこで好きな仕事だけ選べるというという40年かけて手に入れた自由はそれはそれで人生の楽しみだからです。

 
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工事が完了いたしました

2017 APR 1 1:01:51 am by 東 賢太郎

 

さる3月14日よりSMCサイトが工事となり新規投稿が中断しておりましたが、やっと再開にこぎつけました。ご迷惑をおかけいたしました。

SMCは2012年10月に甚だ小規模にひっそりとスタートいたしましたが、4年の時を経てアクセス数、投稿数とも想定外の規模になり、当初契約したサーバーメモリーの上限を知らぬうちに超過してしまったことが原因とわかりました。この点はより容量の大きいサーバーに移管する契約をすることで解決いたしました。

なにぶん発起人、管理人ともITリテラシーが不足しており反省しきりでございます。そこで、千年残す計画を全うする基盤とすべく、容量拡大に留まらずサイト全体のアップグレードを図り、専属のSE会社を決めてプログラムの再構築、トップページの刷新もすることに致しました。この工事はさらにひと月ほどかかりますがその間は投稿が止まることはありませんので、引き続きご訪問を賜れれば幸いです。

 
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SMCサイトのアップグレード工事について(追記あり)

2017 MAR 20 15:15:59 pm by 東 賢太郎

SMCサイトのサーバー容量超過がおきたようでブログがアップできない状態になっておりご迷惑をおかけしております(本稿は下書きのストックで例外的に通っております)。少々時間がかかりますが良い機会なので容量増加に併せてプログラムのアップグレードも行い、永年存続できる基盤を整備いたしますのでご理解を賜れるようお願い申し上げます。

開通までの間はこちら「ソナー・アドバイザーズ株式会社」のブログスペースに書いていきますのでよろしければご覧ください。

ブログ

youtubeには手持ちのテープなどから16本をアップロードしました。米国のFM放送などでベーム、オーマンディー、テンシュテット、アラウなどのライブ音源を皆様と共有したいと思います。各々の演奏に対するコメントはそちらのブログに書きます。過去にSMCで書いた演奏でyoutubeになかったためにお聞きいただけなかったものも自分でアップロードいたしました。ぜひお聴きください。

フィラデルフィア時代のカセット録音

R・ゼルキン/クーベリックのベートーベン1番

ベームのシューベルト「ザ・グレート」

オーマンディのドビッシー「海」

マックス・ルドルフのブラームス2番

ジェルメッティの「クープランの墓」

(その他のタイトル)

今日はスポーツで壮挙が二つ(その1)

今日はスポーツで壮挙が二つ(その2)

卒業式に思う(夢のない時代こそチャンス)

籠池氏証人喚問

よくやった、サムライ・ジャパン!

「未来」と呼ばれているものの正体

「二人のエース」 広島カープ弱小時代を支えた男たち

高校球児のグラウンドへの一礼は重い

田中角栄のご褒美

稲田問題

森友学園問題

 
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ギュンター・ヘルビッヒのベートーベン7番

2017 MAR 14 0:00:03 am by 東 賢太郎

ギュンター・ヘルビッヒ( Günther Herbig, 1931年11月30日~)という指揮者は通にしか知られていないでしょう。旧東独で活躍した指揮者といえば、例えばアーベントロート、コンヴィチュニー、ケーゲル、ケンペ、レーグナー、ザンデルリンク、マズア、スイトナー、ボンガルツなどが思い浮かびますがヘルビッヒもそのひとりです。

東西ドイツ統一で西側で活躍した人もいれば逆の人もいますが、誰もがドイツのレパートリーの伝統的解釈の継承者であったことは万人の認めるところでしょう。ヘルビッヒは東独のレコード会社であったドイツ・シャルプラッテンのETERNAというクラシックレーベルで統一後の西側市場に紹介されましたが、地味な曲目と知名度の低さのせいか廉価盤扱いのこともあり、わが国では地味な東独系の中でもさらにマイナーなイメージが定着したように思います。

しかしヘルビッヒの指揮は無難で堅実な中庸の解釈などではまったくなく、ツボにはまると大変素晴らしい。看過されるのは実にもったいないのです。チェコ生まれの彼はアーベントロート、シェルヘン、カラヤン、ヤンソンス(父)に学び、1972-77年にドレスデン・フィルハーモニー、1977-83年にベルリン交響楽団(西のBPOに対抗する東のメジャーオケ)の首席指揮者を務めるほど高く評価されましたが東独統一党の政策に嫌気がさし、一念奮起して新天地の米国に移住します。

そこで得たポストがデトロイト交響楽団の音楽監督(1984-90年)でした。このオケはポール・パレー(在任1951–62)と一級品のフランス音楽を作ってマーキュリー・レーベルに多くの名録音を残し、前任のアンタール・ドラティ(1977–81)がアンサンブルを鍛え上げていました。その後ヘルビッヒ着任までは3年の空位があるようで、彼は満を持して迎えられたのでしょう。

これはウォートン時代にフィラデルフィアのFM放送でオンエアされたライブをカセットに録音したもので、それが1984年4月20日でした。アナウンスによるとこの7番は前年9月に第10代音楽監督に着信した記念すべきお披露目のオール・ベートーベン・プログラムのトリでした。まさに着任したての意気揚々とした指揮であり、オケもそれにこたえて渾身の熱演をきかせているのです。

僕はベートーベン7番はあまり聞きませんがこの演奏の格調とパッションだけは別格で、アタッカで一気呵成になだれこむ終楽章は圧倒的でコーダの追い込みの興奮は何度体験しても素晴らしい。あらゆる録音の中で最も好きな7番であり、これを聴けば誰もがこの交響曲が好きになるでしょう。音楽は人間の生み出すもので、特別なオケージョンの一期一会の感興の盛り上がりというのは時にもう一度やれといってもできないようなものになる、そういうことを感じさせる稀有の演奏と思います。ヘルビッヒのベートーベン交響曲の録音は3番はありますが他はないようです。お元気であるならばこういう本物の指揮者に全集を残してもらいたいと熱望するばかりです。

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男の更年期障害

2017 MAR 12 14:14:21 pm by 東 賢太郎

「男も更年期障害があるんですよ、知ってましたか」

写真家のS氏にいわれたがピンとこない。そもそも頭痛と胃痛は感じたことがなく、人生初めて胃カメラを飲んだのが数年前だ。50才前後で万事衰えたが60才で変わったという感じはない。

「いえ、東さんはそういうのはもともと縁がないんです」

「そんなことないよ。体は元気だけど気力がね。欲しいものなし、やりたいことなし、行きたいところなしだ。すごいだろ。」

半分冗談のつもりで返したが、よく考えるとほんとうにそうだ。すごすぎる。もう数年前からそう。そういうものごとは世間にあまり残ってないし、知らないものや場所だって何となく想像がついてそれで満足してしまう。

この年になると日本人はなぜか中国古典に惹かれるようで一様に論語だ老子だとなる。実業界ではそれを知らないと人間格落ちだみたいな空気すらある。僕も読んではみたが、なるほどというのとそうでもないなと思うものがあって特にどうということもない。

一方で、全部がストライクゾーンのど真ん中にびしびし決まってくる、剛速球ではないが伸びと切れ味のある球で、よくぞ言ってくれた、有無を言わさず参りましたというのがある。相対性理論のアルバート・アインシュタインの言葉だ。

そのひとつにこういうのがある。

正規の教育を受けて好奇心を失わない子供がいたら、それは奇跡だ。

これには救われた。

僕は小学校時代を本能のおもむくままに遊びまくって過ごした。並みのレベルではない、母が毎週学校に呼び出されるほどだった。中高受験に連戦連敗してみて、その6年間まったく勉強らしい勉強をしていなかったのだということに気がついた。そこを塾通いで特訓してきた全国区のライバルはマラソンなら背中も見えず、だから「小児期の教育が欠けている」というコンプレックスは抜き差しがたくなり、それは今だってある。

その、自業自得で受け損なった教育が、アインシュタインの言うところの「正規の教育」だろう。

彼が数学、物理以外ができなかったことに安息を求めるほど僕はロマンチストではない。彼ほどの規格外の頭脳を持つ天才が「好奇心が大事だよ」と教えてくれていることに意味を感じるのであって、好奇心のみで還暦まで来てしまった者として一抹の救いどころか失敗だらけの人生に免罪符をくれる言葉であった。

人間、過去は自分に都合よく美化するメカニズムが脳にあるそうだが、僕のその後の学業成績はそれの通用しない悲惨なものだった。ひとつ父に感謝するのは、そこで俺は頭が悪いとは一切思わせず「正規の教育の欠如だったんだ」「俺はできる」と思い込ませたことだ。体よく他人のせいにしてくれた。

これはコンプレックスは残したが、結局は勉強したら模試の数学で全国1番になったから親父が正しく、正規教育の秀才程度になら劣ってはいないということもわかった。しかし、あの重要な6年間、なかったものはなかったのだという引け目はそれでは解けなかった。

「好奇心」。これはキーワードだ。アインシュタインの言葉のおかげで、まったく子供を押さえつけなかった成城学園初等科という小学校は好奇心の培養土としてはすばらしいものだったと思えるようになった。そればかりか彼はこうもいっている。

知恵とは、学校で学べるものではなく一生をかけて身につけるべきものです。

知恵は学べない。知識、情報とインテリジェンスの違いじゃないか。僕は文部省のご指導通りは学ばなかったが、好奇心の追求のし方とインテリジェンスの作り方だけは成城で遊びながら覚えた。好奇心は知恵の母だろう。鶴亀算の解き方なんか知らなくたって、それさえあれば独学で微分・積分が解ける。そんな武器を手に入れていたんだと思うとこれまでの重荷が少しおろせた気がする。

このことの何が大事かというと、好奇心いっぱいの幼少期を過ごしたおかげで僕は更年期障害と無縁だと、少なくともはた目にはそう映る人生を今のところ歩めているかもしれないということだ。鶴亀算を人より速く解いて東大に入って大企業で定年になって、俺は何だったんだというのとは違う人生を歩めている。あの小学校の6年間は今の幸運をもたらしたのだから、あって良かったのだ。

「あっ、東さん、それね、過去を都合よく美化して丸めてしまうっての、それ男の更年期障害の症状なんですよ」。

「おいさっきと言うこと違うじゃないか、そうなのか、やばいね、でもね孔子は年をとってから・・・」

なるほどそう言いながらわかった。論語や老子はそのためのツールなんだ。人の前であれを一席ぶてば更年期すぎた爺さんの慰めと自己肯定になるじゃないか、なんとなくこの人、年輪重ねて人生わかってるねと。僕は年輪は62あるが人生なんて到底わからないし、それをかくあるべしなんて語る勇気もない。どうも僕に論語は似合わないなと思う。頼るのはアインシュタインとモーツァルトの言葉だけ、当面のところそれで十分だ。

 

忘れるという美徳

 

「未来」と呼ばれているものの正体

 

 

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アラウ/セガルのブラームス・ピアノ協奏曲第2番

2017 MAR 11 23:23:37 pm by 東 賢太郎

40年も前、大学時代に下宿でカセットテープに何気なく録音したものがまだ残っている。それをADコンバーターでディスク化してyoutubeにアップすれば世界中のファンと共有できる。

ネット時代に生まれ育った世代には当たり前のことでしょうが、法律の勉強の合間に毎晩聴いて、傍らで飲み食いしていた22才の生活感までリアルによみがえる録音が「そこ」に移住したというのはそれだけでも不思議な気分です。

アルバート・アインシュタインは「過去、現在、未来の区別は、どんなに言い張っても、単なる幻想である」と言っています。そうか、となると40年前の過去なんて実は俺の夢か幻想だったんじゃないか?


 

そこにこういうものが、まるでタイムカプセルにあったみたいに、戸棚の奥から埃にまみれてぽろっと出てくる。

 

 

 

僕は22才の僕と並んでいっしょにこれを聴いて、ふたりとも同じように感動する。そして22才は明日もやるぞと元気になり、それを見た62才のほうは、ああこれは幻想じゃなかったんだとほっとするのです。

アインシュタインはこうも言っています。「野望やただの義務感からは本当に価値のあるものは生まれません。それは、人や対象となるものへの愛と献身から芽生えます」。

愛と献身!ひとつだけ確実にわかったのは、22才から持っていたそれを僕は今も変わらず持っているということです。この素晴らしい協奏曲への無限の愛を。

そして、それが同じぐらいあることを感じさせるアラウとセガルのこの見事な演奏!40年の闇に眠らせなくてよかった。

(こちらへどうぞ)

ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83

 

 
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テンシュテットのブラームス交響曲第4番

2017 MAR 11 1:01:11 am by 東 賢太郎

youtubeにアカウントを作りました。

まず第一回として、クラウス・テンシュテットが正規録音を残していないブラームスの4番からいきましょう。フィラデルフィア時代に当地のFMを録音したカセットで、放送自体の音質がこういうものでしたし音はあまりよろしくありませんが、貴重な音源と思いますのでファンの皆様と共有できれば幸いです。

最近LPとともにカセットというフォーマットも見直されていると聞きました。デジタルというのは単なる信号だから消えたらおしまいでありCDなどのディスクはモノとしての保存性に問題があります。34年前のカセットですが意外に録ったままの音が残ってるなという印象です。

これはこのブログに書いた演奏です。

僕が聴いた名演奏家たち(クラウス・テンシュテット)

「この本番は聴けず地元FMがステレオ放送してくれたのでそれをカセットに録音したが」と書いてありますが僕が聴いたのはリハーサルで、このビデオの録音はその本番でした。アカデミー・オブ・ミュージックできくフィラデルフィア管弦楽団はこういう音がしていたのです。

いま聴いてもたっぷりしたテンポで悠揚迫らざる大人の演奏でした。この人は巷で言われる爆演型の指揮者などではありません。

当日のプログラム(このページにテンシュテットのクレジットはないが

このページにシュロモ・ミンツと一緒にある

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

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変わってきた仕事のスタイル

2017 MAR 10 1:01:46 am by 東 賢太郎

年末より私事いろいろあって、仕事はこちらからアプローチする余裕がありません。商売は自分から営業して取りに行くという世界で生きてきましたが、おかげさまで7年目ともなると少し様子もかわってきて、「持ち込み案件」が増えてます。今日も新案件のご相談が二つありどちらも面白い、そして明日は昨年から調査中のものの最終検討会議に入ります。

医師、弁護士のようにお客様から相談を受けてソリューションを探すスタイルは長年僕の理想としてきたもの。コモディティ・ビジネスは一切興味ないのでシャーロック・ホームズじゃないがアームチェアでチームで頭脳勝負というのが一番インセンティブがわき、優秀なアナリスト、スタッフがいてくれるからこそのことと感謝するばかりです。

我々の業務は、顧問に就任する、提携先を紹介する、包括コンサル契約を結ぶ、売上げ連動フィー契約や自己資金による共同出資・投資も選択肢にありますから「アドバイザー+プチ・インベストメントバンク」であり、顧客、投資先、提携先は海外もありとなると、まず競合はありません。

執行は僕の人脈で好適なパートナーと組みますから社員はあまりいらない。利益はシェアリングになりますが人件費を考えるとそのほうが経営効率はいいのです。案件の多様性からベストな社員構成というものは不明で、その都度最適の人と組める柔軟性をキープすることにコストをかけたほうが強いというのが当面の結論です。

ところで僕のSMCのブログも1425本が公開済みとなり70万ほどのご訪問をいただきましたが、そちら経由のコンタクトもいただいております。先日もこういうメールをいただきました;

今、東さんのブログの「若者に教えたいこと」を何度も読み返していました!ここしばらくずっと自分なりに考えていたことがあって昨日あたりにほぼ見えてきて、今ようやく繋がりました。 そこで是非1度話をさせていただきたく思います。 お忙しいとは思いますが近々お時間あるときにお話させていただければ幸いです。

さっそくお会いしてきいてみると、僕が構想しているものとそう遠くない。彼の構想を尊重しながらも一緒にできるんじゃ?考えてごらん、という話になりました。「若者に教えたいこと」のカテゴリはいろんな思いを込めて書いてますが、経験の集大成として一番力を籠めているものです。こうして何度も読み返している若者がいることを知ると本当にうれしくなります。

 
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モーツァルト「パリ交響曲」の問題個所

2017 MAR 8 1:01:20 am by 東 賢太郎

モーツァルトが天才だというのは書いた音楽の質が誰にもそう思わせるからに他ならないが、では彼はどうやって作曲したか、心の内面のプロセスを示す資料はほとんどない。その希少な例として有名なのが1778年7月3日に父にパリから宛てた手紙の一節で、交響曲第31番ニ長調k.297(300a)(いわゆるパリ交響曲)の第1楽章について、以下のような興味深い記述がある。

最初のアレグロのちょうど真ん中に、うけるに違いないと思っていたパッセージがあり、すべての聴衆はそれに魅了されて、大拍手がありました。ぼくは、どのように書けばどのような効果が上がるかわかっていましたから、結局もう一度使うことにしました。それからダ・カーポ(再現部)に入ったのです。(名曲解説全集  交響曲Ⅰ・音楽之友社)

この「パッセージ」がどれなのか?モーツァルト好きなら一度は考えてみるものの不思議なことに世界中の誰も確たる解答を示していない。僕も探してみたが、「もう一度使った(=2回出る)」「再現部より前」を満たす適当なものが見つからない。しかし本人は自信満々に「大うけした」と自慢してるわけだ。ないはずがない。

推理してみよう。

同じ手紙で第3楽章についてヒントになる記述があるのでそこから始める。

「当地(パリ)では最後のアレグロはすべて、第1楽章と同様に、全楽器で同時にしかもたいていはユニゾンで始めると聞いていました」(モーツァルト書簡全集 Ⅳ・白水社)

彼はその情報を信用し、パリの晴れ舞台で、一発勝負で聴衆にインパクト与え、願わくばいい職にありつきたい一心で、第1楽章をこうユニゾンで始めたのだ。

ただここがモーツァルトだ、この主題は f の前半、p の後半で一対になっている。定石通り強く押しておいて、さっと引き技を見せるという定石破りを早くもやっている。このフェイントの効果について彼は書いていないが、きっとうまくいったと味をしめていたのだろう、ジュピターの開始で同じことをしている。

ロマン派の大音量、複雑な和声や対位法に親しんでしまった我々の耳は fと p の交代にまことに鈍感になっている。モーツァルトの当時の楽譜に fp(フォルテピアノ)の記号が頻繁に現れるのは、まだ作曲にそういう手管がなかった時代にそれが聴衆の耳にパンチがあったからだ。ハープシコードが強弱を弾きわけられるように進化したら「フォルテピアノ」という名前がついてしまったほどだ。その楽器の末裔をピアノと呼んでいる事実が我々の鈍感さを象徴している。

理屈だけではご納得いただけないかもしれない。しかし当時の聴衆はそれに敏感に反応したことは、モーツァルト自身が同じ手紙に書いている第3楽章の冒頭の「実況中継」が証明している。

2部のヴァイオリン(パート)だけで8小節を静かに続けたら、ぼくの期待した通りに客席から「シーッ!」がきこえ、続いて強奏になるのと拍手が起こるのと同時でした。

こんなことは現代のコンサートホールでは起こりえない。「シーッ!」がきこえ、ということは、第2楽章が終わって客席はざわざわしていたのだ。当時は棒をふる指揮者はいない。そこにp でこっそりとヴァイオリン奏者たちが第3楽章を始めた。全楽器でユニゾンでという定石を破っているのだから聴衆は気がつかない。だからシーッ!なのだ。計画通りだ。

そこで客席はさーっと水を打ったように静かになる。すると「つぎはフォルテだ!」という期待が高まったろう。そこでやってきたフォルテの全奏。「いよっ、待ってました!」の大拍手だ。ほれ見ろ、やっぱり思った通りだ、うまくいったぞ。すっかり嬉しくなって気分上々のモーツァルトは帰りにパレ・ロワイヤルでアイスクリームを食べ、演奏会成功の願かけをしたロザリオに感謝の祈りを捧げている。

7月3日の手紙は、この出来事があった演奏会の15日後に書いたものだ。心配性の父親に「うまくいってるよ」と知らせたい理由があった。この曲はパリで一流オケとされたコンセール・スピリチュエルの支配人ジャン・ ル・グロからの依頼によって作曲された交響曲である。これが檜舞台で当たらなければ何をしにきたかわからない。父は怒るしがっくりもくるに違いない。だから「一発勝負で聴衆にインパクトを与える仕掛け」を散りばめた、命運を託した曲だったのだ。

ところが、リハーサルを聴いて彼はあまりのひどさに愕然とするのである。指揮者で登場できるわけではない、客席で聴くだけだ。当日は演目がたくさんありオケは練習が足りていない。こりゃまずい、ぐしゃぐしゃだ、もう一回合わせられないか、いやもう時間がないじゃないか・・・あまりの不安で演奏会の前の日は寝つけなかったと書いている。だからロザリオに願掛けまでしたのである。しかしこの時点で不安を父に知らせてはいないことはもちろんだ。

うまくいった。よかった。7月3日の手紙に「だめだったらコンマスのヴァイオリンをひったくって代わりに弾いてやろうと思いました」と書いている。これは彼らしいレトリックだと僕は思っている。実は無為無策だった自分を大きく見せ、父を安心させるための。ところが父は「やめなさい、そんなことをしたら恨まれてろくなことがないぞ」と真面目にうけてたしなめている。なんというこの父子の機微!僕はこの父が大好きであり、かいがいしくその期待に人生をかけて頑張った息子に万感の思いを重ねざるを得ない。

うまくいった?本当にそうだろうか?

練習不足のまま突入した本番が一糸乱れぬ演奏であったとは到底思えないではないか。それが評判になって仕事のくちが見つかったわけでもない。彼はこの曲のスコアをル・グロに渡してしまい、でもまだ頭にあるからまた書けるさと強がりをいってパリを失意のなかで後にしている。また書くのが必要な場面はもう訪れなかったし、密かに期待してパリに置いてきたスコアがまた演奏されて評判をとることもなかった。

ここで本題に戻ろう。「第1楽章の問題のパッセージは?」の答えを見つけなくてはいけない。

演奏はぐしゃぐしゃではなかったかもしれないが、現代の我々の基準で、プロの指揮者の統率のもとで名演とされるような代物ではなかったことはどなたも異論がないだろう。しかも聴衆はその場で初めて耳にしているのだ。「パッセージ」は誰でもわかる、ロバの耳でもわかる、つまり和声やリズムのような複雑なものではない特徴によって「うけた」としか思えない。しかもそれはモーツァルトが「うける」と容易に想定していた特徴でなくてはならないだろう。

「アレグロをユニゾンで弾かせる。これがパリの聴衆の耳目をそばだてる」

という情報を信じていた彼は、そこに

「f と p の強弱の突然の交代」をもりこむ

という自分なりの手が効果絶大であるはずだと信じていた、だからそれを両端楽章の冒頭に書き込んだ。これは異論がないだろう。パリでは常套手段の前者が特に受けるとは思えない。したがって後者、つまり、誰でもわかるものでモーツァルトが「うける」と想定していた特徴は「f と p の強弱の突然の交代」であったと僕は考える。

この条件で該当箇所を指摘してみようというのが本稿だ。第1楽章で「ユニゾン(伴奏なし)」かつ「f と p が突然交代する」という2条件を満たすパッセージは2つしかない。そのひとつ目は冒頭の主題提示(上掲の楽譜)の後半であるが、最初のアレグロのちょうど真ん中と書いているからこれではない。

となるとこれが解答ということになる。

提示部のおしまいに第3主題のように出てくる副主題だ。この第1Vn譜で4小節めのピアノになるところから全管弦楽の f が突然に p にトーンダウンし、ヴァイオリンとヴィオラの3オクターヴのユニゾンでちょこちょこと、くすぐるみたいに動く、このパッセージである。

この録音で2分13秒からである。

これはコーダの前にまた現れる(5分46秒)。もう一度使うことにしましたという手紙の言葉通り。今度は cresc.(クレッシェンド)というあまり彼の譜面に現れない指示を伴ってよりインパクトが高まっており、ほぼ同じものを「これでもか」と直後にもう一度繰り返している(6分12秒)。一発勝負のインパクトを託した部分であった可能性が高い。

ここは初めて聞いた人でもわくわくし、興奮もそそられるかもしれない。みなさんどう思われるだろうか。おそらく、当日の演奏会でも、彼が父に書いた通りここで大拍手があり、彼をああよかったと安心させたことは想像にかたくない。

ところが困ったことがある。

冒頭に引用した名曲解説全集・音楽之友社をもう一度お読みいただきたい。ここが正解だとすると「それからダ・カーポ(再現部)に入ったのです」がひっかかってしまうのだ。これはコーダだから、再現部はもう終わってしまっているのである。

どうも変だ。

僕が間違っているのか? そこでモーツァルトの書いた原文を当たってみた。

„… mitten im Ersten Allegro, war eine Pasage die ich wohl wuste daß sie gefallen müste, alle zuhörer wurden davon hingerissen – und war ein grosses applaudißement – weil ich aber wuste, wie ich sie schriebe, was das für einen Effect machen würde, so brachte ich sie auf die letzt noch einmahl an – da giengs nun Da capo.“

僕のドイツ語力だと自信がない。英訳を探してみた。これが最後の部分である。

there was a great outburst of applause. But, since I knew when I wrote it that it would make a sensation, I had brought it in again in the last — and then it came again, da capo!   (Greg Sandow, American music critic and composerのブログ)

ちなみに演奏が始まった記述の箇所に彼は Ecce ! と書きこんでいる。Ecce homo( エッケ・ホモー) はラテン語で「見よ、この人だ」の意味で磔になるキリストをさした言葉だ。そういう心境だったということだろう。そして今度はDa capo が書き込まれる

この英文訳が正しいなら青字の it は applause であろう。二度書きこんだパッセージが二度ともあたった喜びをイタリア語でしゃれてみた、つまり「大拍手がまた来たぞ!」ではないだろうか。

一方でこういう英訳も見つけた。

I had introduced the passage again at the close - when there were shouts of “Da Capo”!(New York Philharmonicのプログラム・ノート)

これを訳すと、

「ぼくはそのパッセージがセンセーションを起こすとわかっていたので曲の最後にもう一度書いておきました。そうしたら、そこに来ると客席から『ダ・カーポしてくれ!』(もう一回やってくれ)と叫び声があがったのです」

である。Sandow氏とは別な読み方のようでどちらも米国人のドイツ語解釈だ。正しいという根拠はないが、ドイツのネイティブはどう読むのだろう。

しかし、いずれにせよ、それからダ・カーポ(再現部)に入ったのですは賛同できない。再現部と da capo はぜんぜん別物であるし、そう比喩的に呼ぶ例も知らない。「そこから再現部に入った」という何でもない叙述をモーツァルトがわざわざ書く意味も思い浮かばない。この名曲解説全集・音楽之友社は友人のラーフが隣に「すわっていた」としているが「立っていた」が正しい。かような程度の訳であると知らずに展開部にこだわったゆえにこのパッセージは長いこと僕にとって謎であった。反証があれば訂正するが、完全な誤訳である。「そこでダ・カーポでした」としているモーツァルト書簡全集はそれよりはましだが意味不明であり五十歩百歩だ。

Sandow氏かニューヨーク・フィルか、僕は Ecce ! と並列で外国語を並べた遊びとして前者を採りたいが、いずれにしても、僕の解答と矛盾が生じない。もし異論、または異説をご存じの方がおられればご教示をお願いしたい。

 

PS1

交響曲の曲頭で、いきなりユニゾンのテーマを f でたたきつけて、すぐに p のフェイントのテーマが続き、両者セットで第1主題を形成する(「パリ型」と呼ぶことにする)のはモーツァルトの専売特許ではない。ハイドンに62、78、95番という例がある(95はモーツァルトより後の作だが)。モーツァルトとしては32番、34番、そしてハフナーが同様である。

32番はザルツブルグへ戻ったパリ土産、34番はイドメネオの仕上がり見るためミュンヘンへ土産にもっていった意欲作だ。交響曲第35番ハフナーは1783年、ウィーンでフリーとなり予約演奏会でお得意さんを集めようと意欲満々で用意した曲だ。実際に試されたパリ型の効用が頭にあっただろう。続くリンツ、プラハが古典的な序奏型に回帰したのは初演地が大都市ではなく、従って出世の命運をかけた勝負曲ではなく、保守的な聴衆を想定したからではないか。

最後にセットで書いた三大では39番が序奏型、40番は伴奏音形が裸で先導する前衛的な異形、そしてジュピターがパリ型だ。三大の計算され尽くしたコントラストには驚嘆するしかないがそれはクリエーター目線でのこと。都会でも田舎でもパリでもロンドンでもお使いいただけますよというプロモーターに対するマーケティング目線は音楽史研究において欠落している。

ハフナーもジュピターも終楽章アレグロを p でひっそり始めることまでパリ型を全面的に踏襲しているのは注目されてよい。古典型のリンツ、プラハが勝負曲ではなかったならジュピターは勝負をかけた一作だったという証左だ。ちなみにモーツァルトを意識したベートーベンは勝負曲だった第3番エロイカと第5番の運命にパリ型開始を採用しているが、後者の終楽章はブリッジ移行の新機軸で自己を刻印している。

最後に演奏に関して私見を述べる。パリ型の冒頭第1主題を形成する「p 部分」は極めて重要である。f 部分はハイドンの驚愕交響曲のびっくり部分に相当するが、これを男性とするならp 部分は女性だ。男が大声でがなったら、女がやさしくいさめる。このコントラストこそ演奏の第一印象を左右するのである。ジュピターだとここだ。

この女性がやさしくなかったり(p が mp である)、優美でなかったり(繊細なレガートに欠ける)、美人でなかったり(音程が合ってない)したらいきなりがっかりだ。

f と p の対比についての私見だが、対比の比率が小さすぎる。現代人は鈍感になっていると書いたが、その分だけdiscountして対比を強めに出さないとモーツァルトの意図は具現化できないはずだが古楽器演奏でもそれを修正している指揮者を見たことがない。「ff と p」または「f と pp」 というイメージが良いと思料する。ちなみにベートーベンは冒頭をこうしている。

モーツァルトが人生の命運をかけてインテリジェンスのすべてを盛り込んだパリ交響曲は音楽史に大きな足跡を残している。

 

PS2

本稿を書いてさらに文献をあたったところ、指揮者のニコラス・アーノンクールが問題のパッセージは第65~73小節と第220~227小節としている。長調から短調への変化が面白い部分だが、初めての聴衆がそれに喝采で反応したとは思えず、直前からすでに p であって強弱の変化はない。これには賛同しかねる。

一方で。スタンリー・セイディが(テオドール・ド・ヴィゼヴァとジョルジュ・サン=フォアに従って)、第84~92小節、第238~250小節、第257~269小節であるとしている。理由は不明だが、この説の結論は僕の指摘したものとまったく同じ部分である。

 

(こちらへどうぞ)

モーツァルト「ジュピター第1楽章」の解題

Abbey Road (アビイ・ロードB面の解題)

 

 

 

 

 

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