クラシック徒然草―フルトヴェングラーのブラームス4番―
2016 SEP 25 18:18:45 pm by 東 賢太郎
どんどん秋めいてくる。昨日N響のAプロで久々にNHKホールへ赴いて、ブルックナーを聴いた帰りにややひんやりした空気にふれてそう感じた。
僕は気質的に熱男(あつお)、夏男であって、あんまり秋は好きじゃない。先祖をたどると長崎と石川で、北陸人っぽいところはあるが気の質はたぶん九州の方が濃いだろう。寒暖でいえば暑いのは熱帯でも平気だが、寒い所は遠慮したい。盛夏に照準があるから秋はピークアウト感、もっといえば落ち目の感覚があっていやなのだ。
ロンドンに住んでみて、これは参った。落ち方が半端じゃない。6月ごろ午後10時まで薄明るかったのが冬は4時で真っ暗になるんだから、9~10月といったら急転直下のつるべ落としで、あの陰鬱となる気分は住んでみないとわからないだろう。ドイツに行くと少しは振幅が減ったものだが、日本のように紅葉だの秋刀魚だ秋茄子だというそれを忘れさせてくれる豊穣がないからあんまり救いはなかった。
だから毎年毎夏、寂莫としたものを秘めた束の間の陽の恵みを行くな行くなと懸命に謳歌しようとしていた記憶がある。「世の中にたえて桜のなかりせ ば春の心はのどけからまし」に近い。だからだろうか、あちらの人はMai(マイ、5月)なのだ。春の花が庭にあふれ、すももや白アスパラが出てくる5月、どんどんと頂点の6月めがけて日が長く明るくなる5月を何より心待ちにしている。僕もそうだった。
欧州時代にどうしてあんなにブラームスにはまったかなと考えるに、あの秋の逃げ場のない寂しさ、喪失感と無縁とは思えない。ブラームスは夏にザルツカンマーグートやスイスにこもって作曲したが、ヨーロッパの夏は日照時間でいえばもうはっきりわかる落ち目に差し掛かっているのだ。そこまで来ている秋。熱帯夜から解放されやれやれと迎える日本とは大違いだ。
ブラームスのいくつかの音楽というのはその夏の雰囲気、去りゆくものへの寂寥感をたっぷりと湛えている。ミュルツツーシュラークで取り掛かった4番のシンフォニーなどはそういう気分の代表格だろう。日照時間に落差の大きい北の男の作品だなあと思う。絵画でも光の加減に敏感に反応したフランドル派や印象派は北だ。北のプロシア、南のバイエルンは気質も違っていてベートーベンはいかにも前者の人だ。あの鋼(はがね)でできたような構築感というのはバイエルンやオーストリアのイメージではない。鋼と感傷とロマン。その調合がブラームスをブラームスたらしめている。
ベートーベン、ブラームスがイタリアオペラを書くというのは黒ビールでソーセージとザウワークラウトを平らげたあとにティラミスを期待するみたいにあり得ないことだ。それを軽々とやってのけたモーツァルトは、二人からは遠い南気質を持った人と思われる。僕は欧州に11年半住んで、ほんとうはあんまり気質になかったシベリウスなど極北系、ドイツでもプロイセン系の音楽が染みついたかもしれないと感じている。気候風土はきっと人間にそのぐらいの影響を及ぼすだろうと。
日本に帰ってきて、そういえばあまりブラームスに憑りつかれるということがない気がするのはそのせいか。飽きたことはないが、そうそう聴く気にならないし聴いても琴線に触れない。ブログを書こうにも、あれだけ入れ込んでいた4番などをそう軽々に文字にできない。ただ好きですじゃない、第1楽章を毎日ピアノで弾くほどだったのだから、書くならその熱愛の最中、ロンドンにいたころにすべきだったのだ。このまま逡巡してボケてしまったらいかにもまずい。
そう考えてこれをかけてみた。写真はロンドンで買った伊EMIのフルトヴェングラー・ブラームス集で音はまずまず良い。4番は43年、48年が入っている。これに49年のヴィースバーデン盤があれば彼の4番のすべてだ(全部BPO。50年のVPOもあるが音が悪く不要だ)。1948年10月24日のライブはあまりに有名であり今更書くこともない。何回聴いたかわからないし、これが僕の4番の原型の一部を作ったことは確かだ。しかしだんだんと遠ざかってしまったのは、例えば第1楽章コーダの加速が尋常じゃないなど表情のあざとさが耳につき始めたからだ。
49年のヴィースバーデン録音は録音がよりオン・マイクで克明であり主部が内省的で遅めだが加速は同じくある。43年メロディア盤はもっとこなれていないが同じだ。つまりここと終楽章コーダの加速はフルトヴェングラーの基本コンセプトであり、彼ほどではないがクレンペラーやヨッフムもやっている。僕は楽譜にないそれをしたくないしジュリーニのような堅牢なテンポの演奏が好みになった。
しかし今聴いてみて、フルトヴェングラー48年盤はやはり心をかき乱すのだ。ロマン的なだけの演奏かというとそうではない。流動するうねりの興奮の頂点でも木管やホルンの音型はくっきりと彫琢され、それは49年盤でより鮮明になるが、フレージングの隈取りは実に明確であって情緒やムードに流れた曖昧な指揮では全くない。
棒が不明瞭で「振ると面食らう」などとされ、日本人好みの計算高くない融通無碍の霊感指揮者みたいな人気があるが全然そうではない。僕のイメージはおそろしく巨視的に、鳥瞰図で音楽の読める異能の読譜力を持った人だ。ブルックナーの8番で内田光子も同じようなことを言っていたと思う。ブラームスは2番のピアノ協奏曲をテンポ、強弱のメリハリを最大限につけて自演したという証言がある。楽譜はそう書いてないわけで、というなら4番にそういう余地があったっていいかもしれない。
僕はフルトヴェングラーのベートーベンやワーグナーを特に支持する者ではないが、ことこの4番に関する限りはそうかもしれない、これをブラームスは喜ぶかもしれないと思ったのだ。それほど心をかき乱すものだからだ。ベルリンでカルロス・クライバ―の4番を体験しその海賊盤を聴いてみて、逆にモノラルで音の古い48年盤から実演の音を類推するよすがを得た気がする。48年、ティタニア・パラストには凄い音が響いたのではないかと。好きかどうかはともかく、4番を語るのにこれを聴いていないということはあり得ないという演奏だ。
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Rook
9/26/2016 | 7:00 AM Permalink
東さん、
欧州の気候風土がそうだったのかと知りました。
気候風土は人種と共に民族を形成する要素だと思います。確かに異境で暮らす日本人の顔つきは違っていますよね。私は日本の秋が大好きですが、それが現在亜熱帯化し高温多湿に耐えなければならない夏を経ているためにより良く感じるのだと再認識しました。それに秋の恵みの紅葉、秋刀魚、栗、夏から大変美味しく堪能している梨、桃、ぶどうなど、幸せの素にも事欠きません。
ブラームス、それも交響曲は、私が言わなくても世界の多くの方が最高の音楽だと認めていることだと思います。価値が高いことと良く聴くこととは別ですが、ベートーベンを超える交響曲はブラームスしかないでしょう。ご推薦のフルトヴェングラーをリンクで聴きましたが、正直、これでも音が悪く演奏の節回しも東さんと同じ経験がない私には、残念ながら言われる程に響きませんでした。申し訳ありません。MYTHOSの復刻盤もあり音質は改善余地がありそうです。(グールドのパルティータをMYTHOS復刻盤で聴きましたが、レコードのちりちりノイズでだめでしたが・・)人の好みは今まで聴いてきた履歴に作用されるでしょうから、欧州への郷愁をもたない私には通じなかったのかもしれません。ちなみに私はザンデルリンクを大学時代から愛聴しています。その他にも、曲が世界遺産ですから、もの凄い数の演奏がでていて、楽しめる演奏は多いです。
ブラームスと言えば、グールドの間奏曲集は外せません。人生の諦念を感じ、死んでいくときはこんな感じでと思わせる枯淡の境地です。このことは、またいずれお話しする機会があると思います。ありがとうございました。
またエディタで書いているので、送信できるか心配しつつ落ち着きませんが・・
東 賢太郎
9/26/2016 | 11:06 AM Permalink
Rookさん、長文コメントをはねられて消えたショックは僕も経験してます。それ以来なくなりましたが文字数と関連があるかもしれません。送信前に保存はされていると存じますが・・・。
お読みかもしれませんが気候風土の人間や文化、文明への影響については和辻哲郎「風土」(岩波文庫)の著名な考察がございます。哲学者の文化論ですが視点はユニークで高校時代に読んで印象に残り、やがてユーラシア大陸東端と西端、北米大陸に住んでみて同著の論旨には改めて賛同する部分を多く見出しています。学術書ではなく批判もありますが40才近くなって京大助教授として、それもわずか2年のドイツ留学での論考とは秀逸に思います。
それを敷衍して、音楽を含む文化への嗜好や理解もその影響下にあるだろうとの推論が私見になっております。自分を客体化するのは困難ですが同著の論旨の下(少なくとも影響下)には置いているつもりです。16年も国外で過ごされた方は日本には少ないので一般性は希薄と思われますが、僕に限らず、そういう人生を送られた方の多くはおそらく日本人の一般性(それは外から見てわかることが多い)に回帰、埋没しようとは考えておられないと思います。
ブラームスへの好みは主観にすぎませんが、概ね世界で一般性の認められる言葉として、彼の交響曲がベートーベンを超えたと述べられる方は少数派と思われ、僕はその一人でありませんしブラームス以外に該当者がいるとも思いません。これは主観ですが、ブラームス自身もその一人でなかったように思います。
Rook
9/26/2016 | 1:45 PM Permalink
東さま、
和辻哲郎、大変懐かしいですね。古寺巡礼などは当時の受験生の必読書でした。
特に和辻の考察を意識していた訳ではありませんが、肌感覚でそのように思えます。
欧州在住経験のない私は日本人の一般性を理解していませんが、世界はどうあれ絶対的な日本文化の良さを享受しています。それに欧米と比べて身分や富も平等で、武士道精神(死語?)が好きです。
私は東さんと違って、音楽をもっと感覚的に右脳中心で聴いていて、余り意味を求める努力なしに心から楽しんでいます。しかし自分が感じた素晴らしさを伝えるとなると、東さんのような語彙を使って論旨を展開することが求められるのでしょう。お陰でそれを私も楽しませて頂いています。ただ人がある音楽の良さを解るには、自身で聴いて感じる以外はないとも思っています。
ところで、この音楽セッションのやり取りに、他の参加者はいないものでしょうか??
ブラームスの交響曲がベートーベンを超えたと言うことが少数派と言うことは、ベートーベンが最高と言うことですね。比較に意味はないかもしれませんが、唯一匹敵できると言う意味で言ったことですので誤解なきようお願いします。ブラームスがベートーベンを超えようと作曲していたのは確かで、後世の私が見て不遜ながら良くやったという想いです。東さんも同感だと思います。私もベートーベンの崇高な音楽を尊敬し、世の中一般と同様な想いで、高校時代は毎日聴いておりました。今はそれが逆に足かせになって、交響曲はブラームスの方が聴く頻度としては多い事も事実です。ブラームス自身はベートーベンを超えたと思っていなかった意見には賛同しますが、私は匹敵したよと彼に言ってあげたい気持ちです。両者の年齢差はお爺ちゃんと孫の関係ですが、それを感じさせない連続性があり、両者の後世に残した遺産は絶大で疑いようもありません。
ありがとうございました。
Tom Ichihara
9/26/2016 | 5:17 PM Permalink
東さま
フルトベングラー、懐かしいですね。
学生時代、いつものラーメン屋で聞きました。
ここの親父さん、店の名前は「阿Q」と言いまして,魯迅のフアンでもありました。
夜な夜な北大生や其処の教師達が集まり、「市っちゃん、面白い物聞かせてやるよ」とSP判のフルトベングラーを出し、「良く聞けよ」なるほど何処の場面かは忘れましたが,指揮中のベングラーが興が乗り、「ふふん」とつぶやいたのです。
この遊び心は今のオーケストラでは許されないことでしょうね。
Rook
9/27/2016 | 10:35 AM Permalink
市原さん、
はじめまして。
ラーメン屋でフルトヴェングラーですか。一体どんなラーメン屋なのかと思い調べると栃木県の同名の店がでてきますが違う店ですね。ラーメン屋でフルトヴェングラー・・というシチュエーションが私の想像の域を遙かに超えています。それは凄いことです!
つぶやきはグールドで散々慣らされているので驚きませんが・・。今の演奏家は行儀が良くなっていて、あまりそういう型破りは見なくなりましたね。良き時代、ラーメン屋でのクラシックも市原さんにとっていい思い出なのでしょう。
ありがとうございました。
東 賢太郎
9/26/2016 | 6:25 PM Permalink
シンフォニーの作曲においてハイドンとベートーベンは後世のすべての人にとってディファクトになっていて、デフォルトのOSのように超えたり凌駕したりの対象でなかったのではないかと思っています。そういう評価を世間で得られるものなら得たいというモチベーションは誰もが持ったでしょうがそれはあくまで世間の話しで、作曲家の矜持としてはどうでしょうか。かたやOSを使わなかったロッシーニやRシュトラウスやドビッシーがいますし、思いっきり使ったマーラーやブラームスがいます。僕はマーラーを聞きませんがベートーベンをマイルストーンと見て選んだ立ち位置は時代として大変な才能ですし、ブラームスにおいては敬意と憧れを見ます。4番の冒頭動機が何処から来たか愚説を書きましたが、ベートーベンの作品に日々益々圧倒される思いの増している我が身にはそのブラームスの姿勢に愛おしいほど共感を持っております。
東 賢太郎
9/26/2016 | 7:53 PM Permalink
市原さん、いいお仲間ですね、興が乗って遊び心でって、なんとも粋ですね。これからフルトヴェングラー語るなら精神性じゃなくそれですね、だって楽譜にないこと思いっきりやっちゃってますから。でも遊びにベルリンフィルが血相かえてるしクライバーのときもそうだったんですよ。ああいうのはマジメな日本の楽員じゃないだろうな、歌舞伎ぐらいだとあるのかなと思って聴いてたのを思いだしました。
Tom Ichihara
9/28/2016 | 4:05 PM Permalink
ROOK様
阿Qラーメン店は札幌にありました。
店主は斉藤金伍さんです、もう、鬼籍に入られているでしょう。
娘さんが札幌交響楽団の第一バイオリンを弾いていました。
あの当時の札幌はクラシック音楽が盛んで、札幌交響楽団の第一回の演奏会は皆で応援に行ったことがあります。
小さな市なので生の音楽に接する機会が少なく,聴衆はレコードで耳が肥えていて下手な演奏はブーイングがあったほどです。
Rook
9/28/2016 | 7:54 PM Permalink
市原さん、
札幌交響楽団の第一回演奏会、調べると1961年ですね。今でこそラーメン店全盛ですが、その頃のラーメン店の位置づけは今とは違っていて、私は今のイメージで驚いているのかもしれませんね。希少なインテリの集まる場所だったのでしょうか。その後のジャズ喫茶や名曲喫茶の魁けだったのかもしれません。その頃から札幌ラーメンは味噌味が主流でしたか?10年以上前に純連に食べに行ったこともありました。レコードさえも希少だった頃は、生の演奏会もそれと同じくらい希少ながら、充実感は今と比べてもさほど劣っていた訳ではないのじゃありませんか?今はCDも安くて沢山買えて助かる反面、失ったものも多いと感じています。
ご返信ありがとうございました。