Sonar Members Club No.1

since September 2012

クラシック徒然草―フルトヴェングラーのブラームス4番―

2016 SEP 25 18:18:45 pm by 東 賢太郎

どんどん秋めいてくる。昨日N響のAプロで久々にNHKホールへ赴いて、ブルックナーを聴いた帰りにややひんやりした空気にふれてそう感じた。

僕は気質的に熱男(あつお)、夏男であって、あんまり秋は好きじゃない。先祖をたどると長崎と石川で、北陸人っぽいところはあるが気の質はたぶん九州の方が濃いだろう。寒暖でいえば暑いのは熱帯でも平気だが、寒い所は遠慮したい。盛夏に照準があるから秋はピークアウト感、もっといえば落ち目の感覚があっていやなのだ。

ロンドンに住んでみて、これは参った。落ち方が半端じゃない。6月ごろ午後10時まで薄明るかったのが冬は4時で真っ暗になるんだから、9~10月といったら急転直下のつるべ落としで、あの陰鬱となる気分は住んでみないとわからないだろう。ドイツに行くと少しは振幅が減ったものだが、日本のように紅葉だの秋刀魚だ秋茄子だというそれを忘れさせてくれる豊穣がないからあんまり救いはなかった。

だから毎年毎夏、寂莫としたものを秘めた束の間の陽の恵みを行くな行くなと懸命に謳歌しようとしていた記憶がある。「世の中にたえて桜のなかりせ ば春の心はのどけからまし」に近い。だからだろうか、あちらの人はMai(マイ、5月)なのだ。春の花が庭にあふれ、すももや白アスパラが出てくる5月、どんどんと頂点の6月めがけて日が長く明るくなる5月を何より心待ちにしている。僕もそうだった。

欧州時代にどうしてあんなにブラームスにはまったかなと考えるに、あの秋の逃げ場のない寂しさ、喪失感と無縁とは思えない。ブラームスは夏にザルツカンマーグートやスイスにこもって作曲したが、ヨーロッパの夏は日照時間でいえばもうはっきりわかる落ち目に差し掛かっているのだ。そこまで来ている秋。熱帯夜から解放されやれやれと迎える日本とは大違いだ。

ブラームスのいくつかの音楽というのはその夏の雰囲気、去りゆくものへの寂寥感をたっぷりと湛えている。ミュルツツーシュラークで取り掛かった4番のシンフォニーなどはそういう気分の代表格だろう。日照時間に落差の大きい北の男の作品だなあと思う。絵画でも光の加減に敏感に反応したフランドル派や印象派は北だ。北のプロシア、南のバイエルンは気質も違っていてベートーベンはいかにも前者の人だ。あの鋼(はがね)でできたような構築感というのはバイエルンやオーストリアのイメージではない。鋼と感傷とロマン。その調合がブラームスをブラームスたらしめている。

ベートーベン、ブラームスがイタリアオペラを書くというのは黒ビールでソーセージとザウワークラウトを平らげたあとにティラミスを期待するみたいにあり得ないことだ。それを軽々とやってのけたモーツァルトは、二人からは遠い南気質を持った人と思われる。僕は欧州に11年半住んで、ほんとうはあんまり気質になかったシベリウスなど極北系、ドイツでもプロイセン系の音楽が染みついたかもしれないと感じている。気候風土はきっと人間にそのぐらいの影響を及ぼすだろうと。

日本に帰ってきて、そういえばあまりブラームスに憑りつかれるということがない気がするのはそのせいか。飽きたことはないが、そうそう聴く気にならないし聴いても琴線に触れない。ブログを書こうにも、あれだけ入れ込んでいた4番などをそう軽々に文字にできない。ただ好きですじゃない、第1楽章を毎日ピアノで弾くほどだったのだから、書くならその熱愛の最中、ロンドンにいたころにすべきだったのだ。このまま逡巡してボケてしまったらいかにもまずい。

bra41そう考えてこれをかけてみた。写真はロンドンで買った伊EMIのフルトヴェングラー・ブラームス集で音はまずまず良い。4番は43年、48年が入っている。これに49年のヴィースバーデン盤があれば彼の4番のすべてだ(全部BPO。50年のVPOもあるが音が悪く不要だ)。1948年10月24日のライブはあまりに有名であり今更書くこともない。何回聴いたかわからなbra4いし、これが僕の4番の原型の一部を作ったことは確かだ。しかしだんだんと遠ざかってしまったのは、例えば第1楽章コーダの加速が尋常じゃないなど表情のあざとさが耳につき始めたからだ。

49年のヴィースバーデン録音は録音がよりオン・マイクで克明であり主部が内省的で遅めだが加速は同じくある。43年メロディア盤はもっとこなれていないが同じだ。つまりここと終楽章コーダの加速はフルトヴェングラーの基本コンセプトであり、彼ほどではないがクレンペラーやヨッフムもやっている。僕は楽譜にないそれをしたくないしジュリーニのような堅牢なテンポの演奏が好みになった。

しかし今聴いてみて、フルトヴェングラー48年盤はやはり心をかき乱すのだ。ロマン的なだけの演奏かというとそうではない。流動するうねりの興奮の頂点でも木管やホルンの音型はくっきりと彫琢され、それは49年盤でより鮮明になるが、フレージングの隈取りは実に明確であって情緒やムードに流れた曖昧な指揮では全くない。

棒が不明瞭で「振ると面食らう」などとされ、日本人好みの計算高くない融通無碍の霊感指揮者みたいな人気があるが全然そうではない。僕のイメージはおそろしく巨視的に、鳥瞰図で音楽の読める異能の読譜力を持った人だ。ブルックナーの8番で内田光子も同じようなことを言っていたと思う。ブラームスは2番のピアノ協奏曲をテンポ、強弱のメリハリを最大限につけて自演したという証言がある。楽譜はそう書いてないわけで、というなら4番にそういう余地があったっていいかもしれない。

僕はフルトヴェングラーのベートーベンやワーグナーを特に支持する者ではないが、ことこの4番に関する限りはそうかもしれない、これをブラームスは喜ぶかもしれないと思ったのだ。それほど心をかき乱すものだからだ。ベルリンでカルロス・クライバ―の4番を体験しその海賊盤を聴いてみて、逆にモノラルで音の古い48年盤から実演の音を類推するよすがを得た気がする。48年、ティタニア・パラストには凄い音が響いたのではないかと。好きかどうかはともかく、4番を語るのにこれを聴いていないということはあり得ないという演奏だ。

カルロス・クライバー/ベルリン・フィルのブラームス4番

ブラームス 交響曲第1番ハ短調作品68

 

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

Categories:______ブラームス, ______演奏家について

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊