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今年の演奏会ベスト5

2022 DEC 28 23:23:43 pm by 東 賢太郎

コンサートというと2020年1月に行ったきりで3年もロスしましたが、今年は思い切って行きました。10月からのランキングにすぎませんが書いておきます。

 

1位 マケラ指揮パリ管(ドビッシー「海」)

2位 パスカル・ロジェのリサイタル(フォーレ、ラヴェル、ドビッシー)

3位 ティーレマン指揮ベルリン国立歌劇場管(ブラ1~4)

4位 インバル指揮都響(フランク交響曲ニ短調)

5位 インバル指揮都響(ブルックナー4番・第1稿)

(番外)マルティン・ヘルムヒェンのアンコール(シューマン「予言の鳥」)

 

パリ管ではたまたま隣席だった医師の先生と名演がきっかけで話しがはずみ、ロジェではイマジンの西村さんと久しぶりの音楽談話に花を咲かせました。そういうこともない3年だったのでとても楽しみました。

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ルロイ・アンダーソン 「舞踏会の美女」

2022 DEC 24 11:11:21 am by 東 賢太郎

まあこういう感じかな

今年もあっという間にこの季節になってしまいました。恒例のルロイ・アンダーソン名曲シリーズ、まだまだ良い曲がたくさんあるんです。舞踏会の美女 (Belle of the ball)、タイトルからして蠱惑的!大好きでいつでもききたい曲です。いきなり弦のざわめきに乗ってホルンが高らかに麗人の登場を告げます。天井の高い舞踊会場。眩いばかりに煌めくシャンデリア。香水の匂い。着飾った人々を見おろしながら、大階段をしゃなりしゃなり降りてくる令嬢。目をつぶってきくと風景がありありと浮かんで、いつきいても音楽の力ってすごいなあと思うんですね。ちなみにこのホルンがトランペットじゃだめなんです。王様か王子様(男性)の登場になっちまう。こういう楽器選択の妙をベルリオーズ、リムスキー・コルサコフが管弦楽法(orchestration)として技法化してます。高校時代に関心があって米国の作曲家ウォルター・ピストン著「管弦楽法」を熟読しました。

何の役にも立ちませんでしたが、欧米の金融界で「あんた、そのビジネスをどう組み立てるつもりなの?」を ” How do you like to orchestrate your business? ” なんて言ったりして、このニュアンスがバチっとわかった程度の御利益はありました。別に orchestrate を使わなくてもいいんですが、教養がちらっと見えてカッコ良かったり無言のマウントになったりするんです。まあだいたい教養のない奴がなりすましで使うんですが、そんなことでビジネスの趨勢が決まったりもするんですよ、面白いですね、だってそれ使うこと自体がオーケストレーションなんですからね。

さっそくyoutubeを。

素晴らしい曲です。子供のころ、どこかで耳にしていた気がします。

ところでこの団体、Police Symphony Orchstraって書いてありますがポリス(警察)のオーケストラではないか、アンダーソンの曲は軍楽隊もやってるし。するってえとヴァイオリンのお姉さんも婦警さんか?

婦警さん。そういえば、ここで一気に “あの記憶” が・・・。

その昔、ニューヨークのマンハッタンでのこと。安ホテルの部屋で留守中に金を盗まれました。動揺して駆けこんだ近くの警察署。出てきた婦警さんは彼氏と喧嘩でもしたのか恐ろしく機嫌が悪くつっけんどん。「あん?ドロボウ?そんでケガは?」「ありません、空き巣です」「いくら?」「500ドルです」「あっそ、じゃここに500って書いてサインしてね」(しばし沈黙)「あのう、それで、捜査のほうは?」「あん?」「つまり犯人つかまえるとか」「兄ちゃん、あんた、命あっただけよかったよ」でおわり。

凄い所だ。あまりのあっけなさに心なしか涼やかな気持ちになったもんです。

しかし、このオーケストラの面々、どうも警察官の感じじゃない。おかしいと思って調べたらチェコにHorní Policeという町があって、そこの市民管弦楽団だからPolice交響楽団なのでした。調べると、この町、686人しか住んでない。ひょっとして、シンフォ二ー・オーケストラを持っている世界最小の町(村?)ではないか(まあ近隣の人もいるんだろうが・・・)。ワグナー・チューバはいるわエレキ・ベースはいるわ、本当に音楽を楽しんでる。ミュージカルな人間である僕としてはすぐ仲良くなれそうな皆さんだ。場所を調べたらプラハの北、ドレスデンのすぐ近くでした、なるほど、そうでしたか、さすがです。

チェコというと、ダボス会議で同じテーブルだった故ハヴェル大統領(熱い人だった)が同席していた米国高官(誰だったか忘れたが)に「お前たちが東欧をめちゃくちゃにした」とマジに食ってかかってた印象が強烈で、このチェコ人音楽家たちが米国のアンダーソンを喜々として演奏してるのが妙に思えないでもないのです。でもドヴォルザークはニューヨークで新世界を書いたのだし、それを言いだしたら被爆国の日本人もこれを演奏できなくなります。何国人が作ろうと、名曲は名曲。音楽が国際語というのはこのことですね。奏者の皆さんの楽興は胸に響きます。

舞踏会の美女は1951年、ルロイ・アンダーソンの油の乗りきった中期の作品で、代表作のひとつといっていいでしょう。彼はスウェーデン移民の郵便局員の子で、ボストン近郊で育ちピアノと音楽理論を学びます。ハーバード大学に入り作曲をウォルター・ピストン、ジョージ・エネスクに学び修士号を取得しますが、欧州の9か国語がペラペラという驚異的な語学力も持ち合わせており、1942年に米軍の防諜部隊で翻訳者および通訳としてアイスランドに配属され、終戦の1945年にはペンタゴンのスカンジナビア軍事情報局の責任者として国防総省に再配置されています。つまり、あまり知られてませんが、米国陸軍のインテリジェンス部門のエリートでもあったわけです。

去年書きました「シンコペイテッド・クロック」はペンタゴンのポストにある時に書かれています。それを軍部に許されていたなんて日本軍ではあり得んことですね。そして朝鮮戦争(1950-53)にも補助役として従軍しますが、その最中に書かれたのが舞踏会の美女だったということになります。戦争で殺し合いをしながら、どこからこんな優雅な音楽が出てくるのだろう?どの国のどの時代の誰を調べても、作曲家の頭脳というのは常人には計りしれないものです。

9か国語が頭に入っている彼が、欧州のあらゆるクラシック音楽を記憶していたのは当然のことでしょう。それでいて影響を受けたのはヨハン・シュトラウスなど軽めの音楽だったというのはピンと来ないのですが、少なくともそういう資質がある人だったわけで、学生時代は教会オルガニストからハーバード大学バンドの指揮者でダンスの伴奏までやっていた。それが(特に編曲の管弦楽法のうまさが)ボストン・ポップスの指揮者アーサー・フィードラーの目に留まって世に出て、結果として数々のミリオンセラーを飛ばしたのだからリッチにもなった。本望だったでしょう。ブルックナーとワーグナーもそうですが、彼とフィードラーの出会いも運命的です。人間、人とのご縁がいかに大事かわかります。

ボストン響の夏のエンタメ路線の音楽監督だったフィードラーとしては、軽めのポップスで人気を稼ぐ新曲が欲しかったわけです。レコードも売りたい。アンダーソンはぴったりの金の卵だったのです。これは興行師ザロモンがハイドンにロンドン・セットを書かせ、同じくディアギレフがストラヴィンスキーに3大バレエを書かせたのと同じ流れであり、芸術に資本主義が関与した成功事例といえましょう。アートに金儲けなんて関係ない、不純である。そんなことないでしょという反証ですね。公人はともかく、民間人である音楽家は関係ないです。思いっきり潤ってもらって人類の財産になる作品を残していただきたいですね。

アンダーソンに手本があったかというと、こちらも商業的に大成功したヨハン・シュトラウスの名がよく挙がります。ヒットメーカーとして意識はしたでしょう。当時のニューメディアだった78回転のレコードの片面収録時間に合わせて3分の曲を書いてますから商業的意図があったことは間違いありません。舞踏会の美女についていえば、これはまったくの私見ですが、こういう曲がイメージサンプルになったかなと考えてます。フランスのポップ系作曲家、ワルトトイフェルのスケーターズ・ワルツ (1882)です。

これはこれでいい曲なんです。なんたって、クラシック界の帝王カラヤンが英国の名門、フィルハーモニア管弦楽団で録音してますからね。でも彼がアンダーソンをやるなんてのは想像すらできません。欧州の保守本流にとってヨハン・シュトラウスはど真ん中ですが、敵国アメリカの田舎者のワルツなんてのはお呼びじゃないんです。こういう所、音楽にも政治はどうしても入ってくるんですね。だからこそ僕はアンダーソンを弁護したくなる。音楽の質の高さをです。19世紀のワルツに比べて近代的で知的な点をです。

舞踏会の美女もワルツなんですが、自作自演のテンポは速い。これじゃ踊れませんね。

でも、このテンポでこそ主部でチェロが弾いてる対旋律(和音を面白くしてるアルトのパートですね)が目立つんです。これぞルロイ・アンダーソンというトレードマークみたいな声部で(「そりすべり」にも顕著)、この1小節1音のパートが横の線として聞こえて欲しかったんじゃないかと想像してます。遅いとどうしてもそのラインがもたれるんです。ご覧のように指定は Allegro animatoで1小節 = 88であり、自作自演盤がまさにそれです。

つまりこのワルツはダンスを目的としてない観賞用なんです。いちおうズンチャッチャで三拍子を刻むが、もうそこから和声は2度、長7度を駆使して凝りまくったゴージャスな響きです。基本は旋律に縦の和声がつくだけの古典的な作りですが、そこにチェロの横のラインが対位法っぽく(ぜんぜん単純ですが非和声音を巧みに配合!)絡んで和声に含みや翳りを与える。これがニクい味を出すんです。譜面で右手の親指で弾く付点二分音符がそれですが、2小節ごとスラーがついていてこれをうまくレガートで繋げないとそれっぽくならずけっこう難しいです。この動きをバスが引き取って半音階進行するとチャイコフスキーっぽくなります。その辺を意識してオーケストラを聴いてみてください。

これぞ真打中の真打、アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップスの演奏です。テンポは作曲者と同じ2分36秒。まさに完璧です。

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ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調

2022 DEC 20 1:01:42 am by 東 賢太郎

ブルックナーがウィーンに出てきたのはオーストリア=ハンガリー帝国が成立した次の年(1868年)、つまり明治元年である。43才になる彼が最初に住んだのはウィーン中心部からドナウ川沿いに北に隣接する9区(アルザーグルント)だ。ここはウィーン大学がある文教地区で心理学者フロイトが住み、音楽に関してもシューベルトが生まれ、ベートーベンが亡くなり、シェーンベルクが住み、現在はフォルクス・オーパーがある。

Anton Bruckner(1824-96)

ブルックナーが住んでいたヴェーリンガー・シュトラッセ(Währinger Straße)41番地に立ち寄ってみたのは2005年のことだ。モーツァルト・イヤー(生誕250年)の直前の12月だった。次のそれとなると2041年(没後250年)だから僕は86才だ、生きてるかどうかもわからないじゃないか・・。ならば “思い立ったが吉日” だ、休みが取れる年末にふらっと行こうとなったのだから主眼はモーツァルトにあった。1991年の没後200年の騒動で彼に興味を持ったことがまずあった。亡くなったのは12月5日だから真冬にそこに立ってみたい。そしてドブリンガー(楽譜店)でレクイエムの自筆譜ファクシミリを買おう。決めたのはそれだけだ。ともあれ行き当たりばったりにウィーンを呼吸して気晴らしをしようというものだった。当時50才。こういう無鉄砲な所は若い頃と寸分変わってないが、今はもうそんな発想すら出ないから当時の気持ちを推し量るのも少々苦労する。

そういえばブルックナー氏も “思い立ったが吉日” の思いでひとりバイロイトへ旅立った。時は1873年、交響曲第2, 第3番の自筆スコアを携えてワーグナー宅に飛び込み外交をしかけたのだから偉い。このぐらいの営業精神をもちなさいと若者に諭したいものだが、氏はなんとこのとき50才手前だったのだ。応対に出たワーグナー夫人のコジマは、風采の上がらない彼を乞食と勘違いした。音楽祭の準備で多忙だったワーグナーも話をそこそこに追い返してしまう。ところが、置いていった楽譜を見てただちに思い直し、探し回ってとうとうバイロイト祝祭劇場工事現場に佇んでいた彼を見つけ出すのである。こうして、ブルックナーの伝記に必ず言及のある「ワーグナーへの交響曲第3番の献呈」が出世の糸口となる。なんと大器晩成の男だったのだろう。ウィーン大学で音楽理論の講義も始めることとなり、ヴェーリンガー・シュトラッセの家で彼が遅咲きの希望に燃えていたことは想像に難くない。

そこで撮ったこの写真、左手の建物の3階にそれはあった。交響曲第2, 第3番の初稿を書いたのもここであり、ワーグナーに認められた翌年の1874年1月2日に彼はここで交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』の初稿を書き始めたのだ。

この通りにはもうひとつ必見の音楽史跡がある。モーツァルトが3大交響曲を書いた家である(26番地)。次の写真の左手がそれのあった場所である。当時の建物ではないが構わない。ここで “それ” があったというのが大事なのだ。この道のこの辺にモーツァルトが立ち、馬車に乗ってブルグ劇場に出かけただろう。それをその場で感じる。そういうインプットが次の連想を生む。ウィーンには4, 5回は仕事でなく行ったが、そこかしこでベートーベンやブラームスを見かけている。それで彼らの音楽をきく。やっぱりね、そうだよねなんていう感覚がやってきて、理解できなかった曲ができるようになる。そんなことが何度あったか。

モーツァルト夫妻は1788年6月17日にトゥフラウベンからここに引っ越してきた。部屋は庭園に面していたようだが、1年前までの住居(フィガロハウス)と比べなんたる落ち武者ぶりだろう(ここに来たあたりからプフベルクに借金を申し込む手紙が始まる)。しかも入居してすぐの6月29日に長女が亡くなる不幸にまで見舞われている。しかし、そうした私生活は彼の作品には何ら投影されないのだ。6月26日に交響曲第39番が、そして7月25日に40番、8月10日に41番「ジュピター」がここで産声を上げた。看板の間に見える入口の上にかかっているプレートにそう書かれている。

コシ・ファン・トゥッテと大書されているが、一般にこのオペラは1789-90年に作曲されたとされ(初演は1790-01-26、ブルグ劇場)、夫妻は89年1月初めにこの家からユーデン・プラッツに引っ越しているから大半はそちらで書いたと考えるのが普通だ。ロンドンのプレートは信頼度が高くウィーンのはそうでもない印象があるが(Cdurに「フーガ付き」などと書いている所が何となくシロウトくさい。明らかに間違っているのを僕は見つけてもいる)、これが正しければコシは3大交響曲と同時期に構想されていたことになる(ご参考:クラシック徒然草-モーツァルトの3大交響曲はなぜ書かれたか?-)。

さらに現地を歩いてみて発見したことがある。二人の家はこんなに近い。右の赤丸がブルックナー(41番地)、左がモーツァルト(26番地)だ。ブルックナーがここを選んだのは教職に就くウィーン大学が近いからだろうが、それを知らなかったとは考えにくい。後述するが、モーツァルトはカソリックである。プロテスタントのベートーベン、ブラームスとは違った敬愛の情を同じカソリックのブルックナーが持っていたとして何ら不思議ではない。

さて、ブルックナーの交響曲第4番である。1874年の第1稿はこの赤丸で書かれた。一方で、おなじみの1878/80年稿(に基づくハース版またはノヴァーク版第2稿)はというと、1877年11月に引っ越したヘスガッセ(Heßgasse)2番のアパートの4階で改訂したものだ(第2稿)。そのロケーションは両赤丸の間を走るヴェーリンガー・シュトラッセを左上(南)に中心街に向かって進み、ウィーン大学の前あたりだ。ブルックナーは終生この通りを離れなかったことになる。

4番の第1稿は最初の家、第2稿は最後の家での作品ということになるわけだが、第1稿を初めてきいた時は驚いた。第3楽章は完全に別な曲ではないか。第4楽章も異なるバージョンが3つも作られた。改訂魔の彼とてこんなことは2度としていないから4番はよほど特異なシチュエーションに当たった曲だったのだ。では、いったい彼に何がおきたのだろうという疑問が湧き起こるのは自然なことで、以来、一般にはブルックナー入門曲とされる4番は僕にとって最も難解な謎の曲となった。

前述のとおり、こういう時、何はさておきそれが起きた場所に身を置いて佇んでみるのが我がポリシーである。刑事の「現場百回」みたいなものだが、単なる空想ではいけない、現場で感じたものから演繹的に思考することに経験的に価値を見出しているのだ。日本を出る前にヘスガッセ7番の同じ建物に「ホテル ド フランス」が入っていることを知り、勇躍そこに宿をとることに決めたのはそのためだ(安宿であり経済的にも助かった)。次の写真がその前景で、左下にホテルの小さなエントランスが見える。ブルックナーはこの建物の右側の最上階に住んで交響曲第6, 7, 8, 9番を書き、問題の4番の改定も行ったのである。


幸いホテルの最上階の部屋に泊まれた。下の写真は、その窓から上の写真を撮った大通り(Ring)を見ている。ブルックナーが毎日眺めていたのはこんな景色だったと思われる(ここは6階なので、対面の建物の最上階が彼の目線だが)。

当時エレベーターはなく、最晩年の1895年になると階段の昇降が苦しくなった。それをききつけた皇帝フランツ・ヨーゼフ1世からベルヴェデーレ宮殿の敷地内にある宮殿職員用の住居を賜与されたが、引っ越しから約1年3か月後の96年10月11日に9番を完成することなく亡くなっている。すなわち、そこに至るまでの後半生の大きな仕事はすべてヘスガッセで成し遂げたのである。

ヴェーリンガー・シュトラッセの8年が彼の交響曲創作における興隆期の第1波であり、ヘス・ガッセの18年が第2波であったとするなら、両波の狭間において全交響曲のうちで最大といえる改編を受けたのが第4番であったということになる。その尋常でない大きさを説明するには、彼の中に爆発的な「変わり目」をもたらす(おそらく外的な)何物かがあったと考えるべきだろう。彼は何に出あったのだろう?

第1, 2波の間に1年間だけ住んだ家がある。住所はオペルンリング1-5で建物は爆撃で破壊され現存しない(国立歌劇場の左隣りあたりだ)。ちょうどその頃、1876年8月13日に音楽界では歴史に残る大きなイベントがあった。第1回バイロイト音楽祭の開催である。ここで『ニーベルングの指環』の初演がハンス・リヒター指揮によって行われ、ルートヴィヒ2世、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世、ブラジル皇帝ペドロ2世が列席し、ブルックナー、リスト、チャイコフスキーらの音楽家も招待された。

ブルックナーはケンブリッジ大学の博士号がもらえるという詐欺にひっかかったように肩書や名誉にこだわる性格であり、純朴な人でもあったようだ。だから自作のお披露目に国王と皇帝が列席するというこのイベントは事件だったろう。その目線から旧作を眺め直す。一度は納得して上梓した作品は改訂を施さなくてはワーグナーに追いつけないという気持に駆られたのではないだろうか。彼は63年に『タンホイザー』、65年に『トリスタン』をきいてはいたが、この時が初演であった『ジークフリート』と『神々の黄昏』をふくめ4つの楽劇をまとめて体験するインパクトは甚大だったろう。

ではその「リングの衝撃」はブルックナーにどんな変化をもたらしただろう?ここでもう一度モーツァルトに立ちかえってみたい。作風の違う二人だが、ひとつだけ共通点がある。即興の達人であることだ。ブルックナーはパリではサンサーンス、フランクらオルガンの大家にフーガ即興演奏を披露して称賛され、1871年8月、ロンドン万博で開催されたオルガン国際競演会にオーストリア代表として招かれ、ロイヤル・アルバート・ホールとクリスタル・パレスで計10回の演奏を行った。これによってブルックナーのオルガン奏者としての名声は全ヨーロッパに伝わっていた。

教会オルガニストであるブルックナーにとって即興演奏は必須の職分でありお手の物だったが、そのクオリティがサンサーンスらに認められるレベルだったことが重要だ。パリで三位一体教会のオルガニストだったメシアンの即興演奏がyoutubeにあるが、譜面に落とした曲と言われてもわからない。モーツァルトもブルックナーも、同様のことが易々とできたのである。主題が時々刻々と変容して深い森に分け入り、時に静止し、その時々に特有の気分を喚起しながら先が読めない展開を見せるというブルックナーの作品の特徴はそこに由来している。それでいながらベートーベンを崇拝する彼は交響曲に伝統的な形式論理を導入し、和声法も対位法も理詰めの厳格さを逸脱しないのだ。

その頑迷さは即興性と矛盾してきこえるものだから彼の交響曲の第一印象は僕には妙なものであった。そのことはカソリック信仰の聖なる響きと田舎のダンスであるレントラーを並べてしまう階級的矛盾をも包含しており、彼が求め、後にナチスが利用することになる「ドイツ的なるもの」ができあがってゆく。ワーグナーもそれを希求はしたがカソリック的とは言い切れず深い信仰心は感じられない。しかしブルックナーの場合、それは若年のころからの生活の一部であり、信仰心あってこその独自のブルックナー・ワールドを築いているということであり、それに浸りきれるかどうかで好悪が分かれる人でもある。即興が何種類生まれようが田舎のダンスが幅をきかせようが、各々において形式論理は完成しており、彼のワールドにおいては矛盾は存在しない。

だから、ひとつの楽想が何通りにも有機的に発展、展開して「版」がいくつもできるのは彼にとって不自然でもなんでもなかったのだ。モーツァルトも演奏会で必ず即興演奏をしたが、もしそれらを譜面に書き取っていたならば後世は複数の「版」として扱っただろう(例・ピアノ・ソナタ 第12番 ヘ長調 K.332の第2楽章)。それと同様にブルックナーの改訂というものは、新たに湧き出る即興を書き取った素材をベースにした本人または弟子、学者たちによる楽曲の再構成という性質のものだ。両人ともカソリック信仰を持った教会オルガニストであったという共通点は音楽のつくりからは想像もできないが、僕はその視点から、ブルックナーがモーツァルトの家のそばに居を構えたというのも偶然ではなかった気がしている。

そして、そこに降ってきた「リングの衝撃」である。形式論理型ではなく、ライトモチーフを自由に展開させてゆく変幻自在型のワーグナーの作曲法はブルックナーにとって親和性があり、即興演奏の和声、対位法に格段の深みを与えた。交響曲第4番の第3, 4楽章の第2稿は、まさにそれなのだ。そして、その流れの終結点として、7, 8, 9番という後期ロマン派の頂点に君臨する最高傑作に結実したのだと僕は考えている。ブルックナーを論じるのにカソリック信仰は核心となるが、私見ではモーツァルトにおいてもしかりだ。モーツァルトの信仰心は希薄と見るのが日本だが、政治的動機があるフリーメーソン入会とそれは別だ。彼はミサを18曲も書いており、コロレド大司教のためのお仕事ではあったが手抜きはない。むしろ私見では彼の最高傑作ジャンルはオペラと並んで宗教曲である。カソリック協会のオルガニストたち、サンサーンス、フランク、メシアンらはポストに要求される即興演奏に長け、モーツァルト、ブルックナーはまぎれもなくその一員であったのだ。

そのことはあまり正面から論じられないが、ブラームスがブルックナーと対立したことにはワーグナーへの関わりや音楽の趣味以前にもっと深い理由がある。モーツァルトの葬儀はウィーン市のメジャーな教会であるシュテファン大聖堂、同様にブルックナーも聖カール教会で執り行われた(それが豪奢であったか否かはともかく)。ところがベートーベンの葬儀は膨大な数の参列者にもかかわらず三位一体教会(アルザー教会)という質素な教会で行われ、聖カール教会の前に住みそこに銅像まで建っているブラームスの葬儀の場はというと、観光案内に載ってもおらずよく探さないとわからない新興のエヴァンゲリスト教会である。このことと大衆にどれだけ愛されたかとは別問題であることは、人気では並ぶ者のなかったヨハン・シュトラウス二世の葬儀もブラームスと同じ教会で行われたことでわかる。音楽史は「大衆に愛された目線」重視のスタンスで書かれ、実相に触れたものは少ない。だから我々のイメージしているヨハン・シュトラウスやブラームスはそれとズレがあることは知らなくて仕方がないだろう。モーツァルトとブルックナーは信仰においては同じ精神世界の住人であったという実相はもっと知られてよいだろうが。

 

よく聴いているCDをいくつか挙げる。

ミヒャエル・ギーレン / SWR交響楽団バーデンバーデン‐フライブルグ

第1稿の魅力はヴェーリンガー・シュトラッセの家で遅咲きの希望に燃えたブルックナーの創意がストレートに伝わることだ。「リングの衝撃」前の2番、3番の脈絡から踊り出た原型の楽想が第2稿より露わな対位法的構造で見えるこの演奏が僕は大好きだ。先日に東京芸術劇場できいたインバル / 都響の演奏はその点を音楽的に完成度の高い独自の解釈にまで高めていてエポックメーキングだったが、ギーレン盤(ノヴァーク版)は一切のロマン派的な虚飾を削ぎ落してリズムの要素を浮き立たせるのが小気味よい。音程が良いので和声の推移がクリスタルのように明晰で美しく、終楽章の入りの楽想が現代的にきこえるなど、僕の趣味からは大変好ましい。

 

エリアフ・インバル / 東京都交響楽団

EXTONのスーパー・オーディオCD。第2稿(1878/80、ノヴァーク版)のライブ録音(2015/3/18、東京文化会館)である。この稿はギーレンの第1稿のアプローチは合わず、両者は異なる音楽である。インバルの指揮は第1稿の実演でもそうだったが pp の歌から ff の全奏まで管弦楽のバランスが実に素晴らしく、簡単なようでそれで満足する演奏は滅多にない。これでこそ第3楽章のスケルツォとトリオの対比が生きるのである。終楽章のコーダへの推移はすでに7, 8番のそれを予見しており「リングの衝撃」を悟らせるが、インバルのここへの持ち込みの設計は見事だ。このCDは録音の良さも相まって都響のベストフォームが刻まれ、やや録音の作り込みもあるのかもしれないが、これをブラインドで日本のオケと思う人はあまりいないだろう。第2稿で一番好きなものを挙げろと言われれば、僕はこれだ。

 

カール・ベーム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

我が世代が最初になじんだ4番というとこれが多かったのではないか。第1稿などというものはレコード屋になく、もちろん第2稿(これはノヴァーク版)である。初めて買ったのはワルター/コロンビアSOのLPだったが、どこがロマンティックなんだと全くピンと来なかった。CD時代になってこれをきいてやっとわかった気になったが、クナッパーツブッシュの5番(ウィーン・フィル)のLPが千円の廉価版で出てそっちの方が面白かった。この度なつかしくきき返したが、1973年の録音当時のブルックナーというとアンサンブルもアバウトでありどこか鈍重だ。この重さをさすがVPO!と崇めていたわけだ、田舎もんだったよなあなどと自嘲の気分になる。しかしだ、ブルックナーは自作をVPOに演奏してもらいたくて不評な部分を改訂もしたからこの音を念頭においていたはずであり、聞き進むとその腰の重さがウィンナホルンの粘性のある音と相俟って4番のエッセンスかもという気がしてきて、終楽章コーダに至ってそれが確信になる。こうしてベームさんに説得されてしまうのだ。やっぱりこれは外せない名録音ということになるんだろう。

 

 

 

 

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ベルリン国立歌劇場管弦楽団のブラームス

2022 DEC 13 1:01:56 am by 東 賢太郎

人の思いがぎゅっと詰まった物や場所には強い「気」があります。それが昔のことであっても・・。いままでそういう所に出向いて疲れてしまうことが何度かありました。例えばここに書きました7年前の安土城址がそれです(安土城跡の強力な気にあたる)。

僕にとっては音楽にもそれと同様に「気」の強い作品があります。モーツァルトのレクイエム、ベルクのヴォツェック、ムソルグスキーのボリス・ゴドノフ、J.S.バッハのフーガの技法、ワーグナーのトリスタンとイゾルデ、ドビッシーのペレアスとメリザンドと書けば凡そのイメージは掴んでいただけるでしょうか。シンフォニーではベートーベンの3,8番、ベルリオーズの幻想、ブルックナーの9番、シューマンの2番、シベリウスの6番、ストラヴィンスキーの詩篇あたりがそれです。満を持して扉を開く喜びも大いにあるのですが、生半可な気持ちで聴くと負けてしまいます。

年末にマラソンと称してベートーベン1~9番を全曲演奏という試みがありますが、なんと恐ろしい。考えただけでも拷問というか、とてもメンタルに耐えられません。3,8番だけ一日で聴くのでも回避したく、一体、この9曲はそういう音楽だったのだろうかと大層な企画力に感服するばかりです。それはベートーベンだけのことではありません、彼をアイドルとしていたブラームスが、重量級の「気」を満々と封じ込めた交響曲も同様です。2番の聴き比べをブログにしましたが、3番は途中で頓挫してます。次々きくうちに重たいものにあたってしまって危険に感じたからです。そういう音楽をブラームスは4つも書いたということなのです。チューリヒ時代にアーノンクールが全曲チクルスを二日に分けてやった折も、1,2番の日しか行く勇気はありませんでした。なにせ自宅でもレコードやCDを4曲通して聴いたことは一度もないのだから仕方ないことでした。

だから、このたびベルリン国立歌劇場管(SKB)がチクルスをするという話を耳にして、抗し難い魅力と勇気との葛藤がありました。当初のバレンボイムの名前、そしてウンター・デン・リンデンのオーケストラ・ピットからの音しか聞いたことのないSKBのブラームスはどういうことになるのだろうという好奇心がなければきっとパスだったでしょう。まあ一日で4つやりましょうだったら絶対に行きませんが、4夜かかるワーグナーのリングよりましだろうということで買うことに決めたのです。想像していたことですが、これはやはりピットのオーケストラであるウィーン国立歌劇場管弦楽団(ウィーン・フィル)がストラヴィンスキーをやるのとは一味も二味も違うものでした。ドイツ人がプライドをかけてやるお国物イベント。パリ管のドビッシーにも感じた良い意味でのナショナリズム。アートの世界にはそれを残して欲しい僕にとって、代役として同国のティーレマンがこの国宝級オーケストラを振ってくれることは有難いことでもあり、行って良かったという結末となりました。

第一夜の2,1番(演奏順)は1階の最後尾の方で、娘曰く「のだめ効果」(1番は若い人に人気がある、いいことです)。翌日、第二夜の3,4番は中央前から7列目と気分が変わったのも良かったかもしれません。ブラームスの管弦楽法は弦五部、木管、金管のどれもが一方的な主役でなく、中音域の内声が厚めで時に主役となり、各楽器が各所で好適な混合色でブレンドしながら曲想の微妙な変転に添ってグラデーションのように淡い移ろいを見せるのが特徴です。それでいて1番終楽章の朗々と響くホルンソロの旋律を受け取って吹くのがフルートソロだというあっと驚く効果をもりこむなど、20余年も考えぬいて建造した構築物ですから、まずオーケストラがべた塗りの一色では味が出ないしカラフル過ぎてもいけません。その管弦楽法の旨みとフレージングの味、強弱のメリハリ、ffとppの質、楽節の間(ま)、リズムの切れ味等々を程良いテンポとバランスできかせて初めて満足な演奏になるという難物です。特にテンポは細かい指示が書いてないので、どうとるかで指揮者の個性が如実に出ます。

だからでしょうか、各曲を百種類近くもっており多くの著名指揮者、オーケストラの実演もたくさんきいてますが、満足したのはほんの少数です。一例を挙げると、レヴァイン / シカゴ響の1,2番を気に入ってブログを書きましたが、理由はテンポの選択です。オケの技量は無敵のレベルですがそれではありません。だから3,4番はそれがあるのに物足りない。つまり、1,2番と3,4番の間には、僕の主観では断層が存在するのです。ただそれはオケの技量、テンポという要素で見た場合であって、要素は知れば知るほどたくさんあることに気づき、複雑にカットしたダイヤモンドのように多面的な輝きが出ることを更に知っていく。すると、これはあるけどそれがないという迷宮に立ち入って無限の楽しみが湧いてくる。これぞブラームスの魅力だと思っています。

もちろんあくまで僕の主観であって、どなたにもご自身のそれが開かれているわけです。それを求めていくのがクラシック音楽に浸る無上の喜びでもありますし、それを鏡にした自分探しであるとも考えています。それを50年した結果、僕が現況でたどり着いたものをざっと書きますと、フルトヴェングラーは1,4番は最高ですが2,3番はきかない。以下同様に、棚から取り出すものとして、トスカニーニは1,3番、ベーム、ラインスドルフ、ザンデルリンクは2,4番、ジュリーニ、クーベリックは3,4番、カラヤン、ミュンシュ、クレンペラーは1番、カイルベルト、ショルティ、ハイティンク、ドホナーニは2番、ライナー、ケンペ、スクロヴァチェフスキーは3番、ワルター、ヴァント、バーンスタイン、ヘルビッヒは4番、ざっとこんな具合で4曲とも最高という人はいません。挙げないものは聴きたくないのではありません、僕にはもう貪欲に渉猟する時間はなく、満足が約束されているおいしい料理をということにすぎません(カルロス・クライバー、クナッパーツブッシュの4番は別格)。

やけにうるさいことを書きましたがそれが心の真実であり、いっぽうで、僕はコンサートであれ録音であれ第九交響曲に不満足だったことは一度もないのです。それは楽曲のクオリティのせいということではなく、ブラームスは一筋縄ではいかないというご理解をいただければ結構です。年齢や座席や体調によっても好悪が変わりますから、これからも予期せずに変わるかもしれません。ちなみに僕は4番のMov1、4のコーダのテンポは、若い頃は加速のあるフルトヴェングラー派だったのが50才を超えたあたりからインテンポ派になりました。ごく自然にです。2番のMov4コーダもそうで、興味深いことにバレンボイムは51才でのシカゴ響との録音はフルトヴェングラーばりに加速しますが、晩年のSKBとのDG盤ではインテンポに変容しています。テンポはほんの一例です。各曲が抜きんでて個性的、多面的であり、どれも「古典的装い」が疑似的に施されているためオーケストラに求める音彩は似ているようにイメージされてしまうのですが、実は個々に異なっているというのが僕の懐いている感じです。交響曲4つでもそこまで分け入る価値のある ”深淵” であり、そこに協奏曲、室内楽、声楽曲、ピアノ曲もあるのですから宝の山です。

ティーレマンの指揮に触れましょう。2,4番はアッチェレランドがフルトヴェングラー流でした。彼の芸風は古き良きドイツを基礎に置く温故知新です。我が世代の聴衆にとって貴重でしょう。ティーレマンならではの個性は強弱(特に極限のpp)と楽節ごとのテンポの独自の緩急の彫琢に見事に結実しています(時にパウゼまである)。主旋律のフレージングも意外な部分でふっと弱音にするなど考えぬかれているのに自然にきこえるところが並みの指揮者ではないです。以前にやはりサントリーホールで聴いたウィーン・フィルとのモーツァルトにも感じたのですが、彼は独墺人が好ましいと感じる伝統的音楽文化を継承、体現する第一人者であり、ベームが去りカラヤンが去り、サヴァリッシュ、H・シュタイン、ザンデルリンクが去り、今やドイツ人ではないブロムシュテット、ドホナーニ、バレンボイムがどうかというところですから、SKDが心服して63才の自国のシェフの棒に献身したのも納得です。

そしてそのSKDはというと、ヴィオラ、チェロの倍音に富んだ中声部の充実(Vn配置は両翼型、右にVa、左にVc、Cb)、高雅でありながら燻んだ木質の管楽器、ppを可能にした木管(特にクラリネット)、木管群とホルンの合奏の滋味深い音の溶け合い、トロンボーン3人の和声の純正調での完璧なピッチ(!)など、ちょっと見ではわからない特筆ものの技術と個性が米国の楽団のようにこれ見よがしでなく「隠し味」で調合されているという具合です。全体として見るに東独のオケに顕著だったオルガンの如き音響体であって、トランペット、ティンパニが浮き出ず(4番mov3のトライアングルすら飛び出ない)、今どきはドレスデン・シュターツカペレ、バンベルグ響、チェコ・フィルぐらいではと思われる奥ゆかしい音でブラームスを楽しめる貴重な音楽体験でありました。

個人的には順番は3,1,4,2番。オケの特質から3番が良いのはお分かりいただけるでしょう。Mov2のあでやかな木管、Mov3の絹の如きVa、Vc、そしてそれらが極上のブレンドで激情の頂点から寂しげな諦めの沈静と肯定に至るグラデーションを見事に彩るアンサンブル。これはかつて聴いたうち、フランクフルトでミヒャエル・ギーレンが振った南西ドイツ放送響の3番に匹敵する名演で、こんな演奏がサントリーで聴けるとは想像だにしませんでした。次いで初日の1番、冒頭のティンパニと腹に響く低音が轟くや否や「ドイツ保守本流のブラームス」が怒涛のように押し寄せ、この感興はロンドンで聴いたカラヤン / ベルリン・フィルを思い起こさせるものです。2番でやや不満があった弦(Vn)のそれが消え、素晴らしい木管、金管の暖色系で柔らかい極上の美音、pで入ったMov4第1主題の弦のいぶし銀の合奏、展開部のドラマが f f から減速していって低弦とコントラファゴットだけに至るあの部分のツボにはまったうまさ、そして金管のコラールからコーダになだれ込む言わずもがなの興奮。帰宅しても胸に熱いものが残っている1番というのはそうあるものではありません。二夜の掉尾を飾った4番も、同曲への僕の情熱を何年ぶりかに呼び覚まさす熱演で、今も毎日ピアノでさらわずにいられないことになっています。

というわけで、人生初の4曲きき通しはブラームスの強烈な「気」に圧倒されつつも演奏がそのエネルギーをプラスにしてくれ、こうしてふり返ってみるとおいしい京料理を頂いたような至福だけが残っているのです。間近に見ていると個々の楽員の発する自信に満ちた気迫ある演奏もこれまた大変なパワーであって、かれこれ30年も前になる一緒に仕事をしたドイツ人社員達の集中力の高さを思い出したりもした二日間でした。まさしく、これぞお国の誇りというものでしょう。スタンディングオベーションで拍手が鳴りやまず、ドイツ音楽、ブラームスを愛する聴衆の方々と心を一つにして交歓する喜びもひとしおでありました。

(終演後の撮影は場内アナウンスで許可されていたので撮りました)

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ダニエル・バレンボイムの復活を祈る

2022 DEC 9 13:13:22 pm by 東 賢太郎

バレンボイムがベルリン国立歌劇場管弦楽団(Staatskapelle Berlin、以下SKB)を率いて来日し、サントリーホールでブラームスチクルスをやると聞いてこれは聴かねばと思った。バレンボイムというと、僕の場合、まずモーツァルトのP協全集で知った。20代でイギリス室内管を弾き振りしたこれは才能の嵐。あまり知られていないが22才のウィーン国立歌劇場管とのベートーベンP協3番もしかり。その3年後に、79才のクレンペラーが自身最後になるだろう全集録音のピアニストに選んだその萌芽がすでにある。

初めて実演をきいたのはリストのロ短調ソナタ(フィラデルフィア、1983)で、覚えているのは煌びやかな技巧よりも静寂な部分だ。当時41才。音楽の深い造りこみにこの人は指揮者だなと思った。その指揮者としてのブラームスは1994年5月にフランクフルトでシカゴ響と2、4番をやったが特に感心はしなかった。しかしワーグナーにおいて彼はその頃から指揮者として成熟しつつあったのだ。それをまざまざと知ったのはエルサレム、ポラツキを配したベルリン国立歌劇場におけるワルキューレ(1994年3月)である。その頃ドイツにいたので日本での彼の指揮者としての評価がどうだったかは知らないが、本物のワーグナーの音を僕が覚えたのはその前年8月のバイロイト音楽祭でのタンホイザーではなくこれだったことは書いておきたい。

そして、多くの日本のファンも体験されただろう、2007年のフランツ、マイヤー、パぺを配してのトリスタン(SKB、10月17日、NHKホール)の感銘は忘れ得ず、同年12月、そのために行ったわけではなく単に仕事に疲れたので息子を連れて遊山したミラノで同曲のスカラ座こけら落とし公演のチケットが入手できた(メルケルが臨席したもの)。真面目に生きてればこういうこともあるのかという、これは我が人生の最大の僥倖のひとつと言っていい。トリスタンというと長らくベーム、クライバーだったがこれ以来僕はバレンボイムになっている。

ただワーグナーとブラームスは違う。僕はバレンボイムの3種あるブルックナー(CSO、BPO、SKB)は愛好するがこれは筋からして自然なことだ。でもブラームスは依然?のままであり興味がある。しかも僕はオペラ以外でSKBを聴いていない。このオケはオトマール・スイトナーが振ったベートーベン、シューマン、シューベルト、ドヴォルザークのレコードが聞き物であり(モーツァルトだけはドレスデンSKに分があるが)、もう2度とないかもしれないこの機会を逃す手はないとなった。

ところがだ。バレンボイムが「演奏活動を休止」と発表され、来日できないと知りショックを受けた。まだ80才で老け込む年でないと思っていたが、神経に関わる深刻な病とのことで心配だ。彼のツイッターの結び文句、I am not only content but deeply fulfilled. が気になる・・。きっと復帰してくれると信じているがもうオペラはきけないのだろうか。2007年NHKホールでのもうひとつのプロだったドン・ジョバンニがこれまた涙が出るほど素晴らしく、モーツァルトをもっと聴きたいと思っていたのが叶わないのか。喪失感はあまりに大きい。

本稿は代役ティーレマンとSKDについて書くつもりだったがそれは次回にしたい。この公演はとても満足できたし、ブラームスを二日で4つ聴くという至福の体験も人生に残る格別の重みがあり、翌日になってもまだ心に熱いものがある。ちなみにそのティーレマンも肩痛でドレスデンSK定期公演とその後の欧州ツアーをキャンセルした上での来日だったらしい。

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森保ジャパンに見た日本人の進化

2022 DEC 7 13:13:26 pm by 東 賢太郎

これまでもワールドカップ(WC)はそれなりに見てはいましたが、そもそも今回ほど真剣にサッカーを見たことも応援したこともありません。それほど森安ジャパンの大活躍は社会的にも大きなインパクトがありましたし、僕個人においてもこの競技の面白さを存分に教えてくれたという意味で忘れられないものでした。クロアチア戦については非常に残念だったしいろいろ思うことはあります。しかし負けて一番悔しいのは選手です。それを我々も分かち合えばいいし、それが彼らへの一番のリスペクトとねぎらいでしょう。必ずや彼らは再起して4年後にまた力強く戦ってくれると信じます。

救いというわけではありませんが、今朝はあのスペインも、モロッコ戦で120分の激闘を0-0で分けた末のPK戦で負け、姿を消しました。ただの負けではありません。ひとり目はゴールを外し、あと二人も連続で止められて3-0の完敗。強豪の茫然とした表情に、ある意味でスポーツの残酷さまで見た思いです。スペインですらPK戦は4回やって3敗、これで5回やって4敗になったわけです。勇気をもって蹴った日本のキッカー達が何ら恥じることもありません。これを糧に徹底的にPKの技術とメンタルを鍛えればもっと勝てるとポジティブに考えればいいのです。

今回の日本チーム、選手たち自らが史上最強と評してましたが、それは勝って結果がついてきたからでもありましょう。優勝経験のあるチームが2つある唯一の組で1位通過はたしかに日本サッカーの歩みの延長線上では歴史的サプライズですが、75%がWC未経験の選手でそれを成し遂げた、このことはもっとサプライズではなかったかと僕は思うのです。経験者に頼ることをせずリスクを取って若手を選抜し、見事に束ねきって勝った監督の眼力、マネジメント力あってのことでもあったわけですが、そのポストにあった森安氏の資質が時流にぴったりだったという評価をしても彼に失礼にはならないと考えます。

その抜擢にこたえ、未経験をものともせず、強豪に気おくれなど微塵も感じさせず堂々と渡り合った20代前半の頼もしい若者たちがそこにいた。このことが僕にどれだけ勇気をくれたか。過去にも多くの名選手はいましたし、僕は本田選手の大ファンでもありますが、5人入れ替えてもチーム力が落ちないほどの人数はいなかったということです。多くが欧州プレミアリーグでもまれて層が厚くなったのでしょうが、実力がなければ行けないわけだし、行こうという気概があることが素晴らしい。ビジネスに生きてきた人間として、商社に入った人が海外勤務は希望しない、学生の一番人気は地方公務員という時代に何という光明だろうと感銘を受けたのです。

僕はWCで負けるたびに「フィジカルのハンディ」という声が聞こえてくるのが残念でなりませんでした。それを言いはじめたら百年は勝てないわけです。しかし今回、身長差のデータは示されていましたが少なくともそういう声はあまり聞きませんでしたし、見る側も「3センチの差か、だからなんだ?」と落ち着いていられた。これ、大変なことだと思うのですね。それを確認したのが森安監督のいう「世界で戦える」「新しい景色」だったかもしれません。でも、堂安のコメントを聴くたびに思ったのです、監督、もうそんな時代じゃない、彼らの世代はでっかい外人にそもそもビビってないぞと。

例えばドイツ戦の浅野のゴールです。僕が言うのもおこがましいのですが、日本サッカーはこんなに進化していたのか、フィジカルの気おくれなど微塵も感じさせないじゃないかと驚きました。たかが一つのプレーかもしれませんが、ドイツのディフェンダーに背を向けてロングパスを受け、潰しにくる彼を左手で押えておきながらゴール前まで攻め込んで世界トップのキーパーを出し抜いた。この個人技は技術もさることながら目線の高さにおいてもうワールドクラスでしょう。クロアチア戦で見せた三苫の快速のドリブルとシュートもそうですね。そういう心身両面にわたる進化がなければドイツ、スペインに勝つ確率は非常に低かったろうし、それはフロックでなかったということです。

僕のようなにわかファンさえそう見たのだから、多くのサッカーファンの皆さんがベスト8に期待したのは当然ですし根拠のあることです。でも、完全な個人技であるPK戦は別物だったのですね。欧州のプレミアリーグではあまり蹴る立場にはないんでしょうか、練習は充分でも修羅場でのここ一番では経験不足に見えました。かたやクロアチアは百戦錬磨の自信と余裕がありましたね。あれではどんな勝負でも負けます。でもくりかえしますが、あのスペインでもアフリカ勢、アラブ勢として唯一勝ち残った新参者のモロッコにPK戦で零封されたのです。だからそれを4年後にやればいい。良い課題が残ったと考えればいいのです。

世界トップレベルの戦いでそうそう一気に頂点に行くのは無理だ。僕ら昭和世代の常識ではそうです。何事においてもそういう思考回路が働いてしまうのがこの世代なのです。今大会、日本の若者にその常識を当てはめてはいけないことを悟るべきでしょう。僕らは太平洋戦争に負けた次の世代です。育った時代による思考の制約というものがどうしても働きます。欧米には勝てないんだ、戦争は二度とするなと骨の髄まで叩きこまれているからです。戦争についてはその通りです。いかなる時代であれ国家の利益のために人殺しをしてよいはずがありません。しかし、欧米に勝てないは余計だろう。アウエーで16年仕事をしていたものですから長らくそう思っていました。だから「フィジカル」という言い訳が聞こえてくるサッカーはあまり好きでなかったのです。

なぜなら大相撲をご覧ください。そんな言葉は辞書にないわけです。「柔よく剛を制す」がモットーである柔道にもありません。それが武士道にもつながる古来からの日本人の誇るべき精神であって、だから科学技術で欧米に300年も遅れた国が明治維新をおこす気概を持っており、ちょんまげを切ってからわずか30年あまりで列強が脅威に感じるまでになった。その過程で国家による人殺しが盛大に行われたわけでもない、まさに世界に類のない格別に徳のある立派な国なのです。このことを我々は再認識すべき岐路に来ていると強く感じています。それを過信して戦争に負けたじゃないか。たしかにそうでしょう。だからこそその敗戦から学ぶべきでなのであり、お手軽な観光立国などでなく、徹底した科学技術立国であることを貫徹すべきなのです。

柔道の体重別階級制は国際競技にするために欧米人が作ったのです。本来それをハンディと見ない我々には余計なお世話なのですが、昭和の教育を受けた我々は敗戦国教育のたまもので格闘技でもない競技でさえフィジカルのハンディを自分から言うようになってしまった。弱さの言い訳でなくて何でしょう。戦う前から負け犬なんですね、アメリカに住めばわかりますよ、なにより、当の彼らがそれをアンダードッグと呼んでいちばん馬鹿にしてるわけです。それに何の疑問もなく甘んじてしまう、そういう精神構造に仕上げられてしまった我が世代の情けなさ。僕もそうだったのです。だから経済大国ともてはやされると勘違いして有頂天になり、その座を追われるとシュンとなってしまうのです。

皆さん、試合後の代表選手たちの立ち居振る舞いに何を感じられたでしょう。彼らは終わったことに捕らわれず、何が足りないか、次は何をすべきかを勝っても浮かれずに淡々と語っていました。そこまでして戦った者だけが絞り出せる敗戦の弁も、そのずっしりとした重みに老いも若いもないと感じました。彼らに昭和世代の負の先入観はなく、のびのびと世界に雄飛してくれ、40代になる20年後にはサッカーのみならずすべての面において日本を真の一流国にしてくれる。そうなれるように背後から彼らをサポートしてあげるのが我々世代の最後の仕事である。そう思った次第です。

監督、そして選手の皆さん、身を削るような努力で4年の準備を重ね、これだけの堂々たる成果をあげて日本を明るくしてくれました。お疲れ様、心から感謝します。

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永遠に讃えるスペイン戦の勝利

2022 DEC 3 17:17:51 pm by 東 賢太郎

サッカーは何もわからないが、それでもスペインに勝つわけないだろうぐらいのことは思っていた。コスタリカ戦はいけるかもと思って期待して見ていたが、昔の弱い日本サッカーを見ているようだ。ああこりゃだめだで終わってしまい、なんだか世の中もドイツ戦で盛り上がった分だけ盛り下がってるではないか。TVではスペインの3トップの移籍金が合計で277億円だなんてやっていて全日本OBの解説者が聞かなければよかったですなんて笑ってる。コスタリカに1-0で負け、スペインはそれに7-0で勝った。じゃあ8-0かなと思った。

それでも気にはなって午前4時まで頑張ったが、前半はほとんどボールを支配されっぱなしであっけない1失点。やっぱりねとなって、3-0で負けならオッケーかなと寝床に入って熟睡してしまった。そうしたら「たいへんたいへん、逆転してるよ!」と娘に叩き起こされるのである。後半の半分ぐらいからアディショナルタイムの7分まで、わくわくどきどきしながら見守った。やった!この瞬間に立ちあえてよかった、娘に感謝だ。この勝利は一生忘れないぞ。ほんとうによくやってくれた!!

堂安、田中碧のゴールシーンは録画で見たが、何度見ても胸がすくほどすばらしい。三苫の折り返しがインプレー判定となったのは執念の証しである。ドイツ戦の浅野の2点目なんてのは、ああいうのはブラジルやスペインの肉食系のやつしかできない、農耕民には無理だなんて思いこんでいたプレーであって、何とスペイン戦でも8割の時間ボールを支配されながら間隙を縫ってそのレベルのを2つも決めてる。堂安の落ち着きはらった左足なんか世界レベルでなくて何だろう。

もう嬉しくて感動の極みだ。日本の20~30代の若い子たちが世界でここまで躍動し、何の臆面もなく堂々たる勝負をくり広げ、世界の超一流を完膚なきまでねじ伏せて「死の組」を首位通過。凄いとしか讃えようもない。こんなことは、サッカーに限らず、僕らの世代ではぜんぜん無理なことだったのである。完全に脱帽だ。日本人は劣化していると思っていたが、とんでもない、劣化していたのは我が世代であって、若者は進化している。

今年は暗いニュースばかりでなんにもパッとしたことがない、村上の三冠王ぐらいかなと思っていたら流行語大賞がそのものずばりの「村神様」である。それほど村上が凄かったわけだが、ここまでそれかよと案の定すぎてかえってその他の暗さが引き立ってしまうところに現状の日本社会の病気に近い閉塞感を覚えるのは僕だけだろうか。

現にコスタリカに負けると一部の選手を批判する書き込みが乱れ飛んだらしく、田中碧選手が「同じ国民なのになぜ一緒に戦ってくれないんだ」と嘆いていたと聞く。まあ期待の裏返しでもあろうし、どの国でもそんなものかもしれないが、いまの日本にはコップに半分の水を「まだ半分もある」でなく「もう半分しかない」と見てしまう空気が充満してる。それを思いっきり打破した選手たち、ありがとう、ここぞで勝てる日本を証明してくれた君たちが誇らしい。僕は心の中に君たちの銅像を建て、永遠に讃えるぞ。

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クラシック徒然草《麻薬としての音楽》

2022 NOV 30 1:01:17 am by 東 賢太郎

音楽というのは耳だけではなく五感で楽しむものだと僕は考えている。誰でも容易に感じられるのは、例えば、R・シュトラウスの「ツァラトゥストラかく語りき」の冒頭でお腹の底まで響くパイプオルガンの重低音の音圧だろう。初めての人は驚くこと請け合いで、ヘッドホンで聞いてもあれは絶対にわからない。またレスピーギの「ローマの松」の最後のところ、あれは管弦楽から聞こえる最も大きい音の一つであるが、体で受け止めるあの凄まじい音圧も会場だけで味わえる極上の快感だ。そうやって音というものが物理的には空気の振動であって、耳だけでなく皮膚でも内臓でも感知できることを知れば、「五感で楽しむ」という意味がきっと理解できるだろう。

五感を使うともう少し複雑な体験もできる。メシアンのように各音に色彩を見る人が稀にいる。僕は触覚に音が訴える感じがする。肌で感じる音圧ではなく音の “質感” であり、ツルツル、ツヤツヤ、スベスベ、ザラザラ、デコボコ、ねとねと、しっとりのような仮想の手触り感だ。これを脳科学ではクオリアというらしい。弦のボウイングのざらついた感じという風な即物的なものもあるにはあるが、それよりも音の流れや和声変化の方がずっとそれを感じる。本能的に快感を覚えるものがあって、モーツァルト定番のC-Am-F-Gなど、どんなに隠し味で現れようが反応する(彼もそうだったから多用したのではないか)。ポップスにもジャズにも雅楽にも感じられ、「僕の好きなオト」という固有のジャンルを形成している。このクオリアという物の得体は知れないが、僕があらゆるアートのうち音楽を偏愛する理由の大きな部分を占めていることは間違いない。

そして極めつけは嗅覚である。それ以外の情報は眼球や鼓膜や舌や皮膚といった器官からワンクッションおいて脳に来るが、嗅覚だけはいきなり脳に打ち込まれるらしい。音の香り。フレグランス。これはフランス物の独壇場であり、ラヴェルの「スペイン狂詩曲」はアンダルシアの渇いた赤土の匂いがむんむんするし、フォーレの「マスクとベルガマスク」はカンヌで嗅いだ地中海の潮風の香りがあり、サティのジムノペディ3番には冬のパリの夕暮れの裏通りの湿気を含んだ匂い、「ジュ・トゥ・ヴー」はクラブLidoに満ちていた香水の匂いがすぐ脳裏に浮かぶ。ドイツ物では夏の暗い森の樹木が発散する香りがブルックナーにあるし、バルトークにはハンガリーの田舎のゴルフ場でどっぷり浸っていた草の匂いが濃厚にある。実際に嗅いだものだからこれらは記憶の連鎖であって、音楽に絶対的に内在するものではないが、ベートーベンの田園を聴いて出てくる匂いはないからそれを喚起する曲の性質という物があるのかもしれない。

元よりこれらは脳内現象だから僕固有のもので、ドビッシーの「海」と聞いただけで或る色と触感と香りと波の揺らぎを即座に思い浮かべ、肌でクオリアを体感し、それが物凄く蠱惑的なものだから血圧が上がり呼吸が速まり、すぐに味わいたくなって何度でも聴いてしまうことになっている。つまり「パブロフの犬」状態なのであり、麻薬常習者と呼んでもらってもいい。こんなものを生み出したドビッシーはとんでもない妖術使いなのだが、そういう人をこそ我々は芸術家と崇めるのである。いや、そういうことがない、普通の人が稽古を積んでうまいだけの芸術家って何なのかと問うべきだろう。画家とイラストレーターは別物だ。音楽だって、チャイコフスキーの悲愴みたいに聴き手に死の淵を覗かせる曲もあれば、ダンスのステップを踏むための道具みたいな曲もある。少なくとも僕は音楽にそんじょそこらの日常にころがってるきれいな歌声やメロディーはまったく求める気がない。超変人のサティは「家具の音楽」でそうした音楽の横行を皮肉ったが、この点だけは実に共感できるのである。

そうした生理的効果を与えるクラシック音楽の楽曲を僕はいくつか所有している。もちろん誰でも聞けるのだが、そうした薬理作用がどなたにも起きているとは到底信じ難いから、それを必ず引き起こすという意味で僕とは特殊な関係にあるというわけで、だから所有していると書くのだ。何百回も服用してるから隅々まで知り尽くしている。専門家でもない僕がなぜそんなに深々とハマっているか不思議に思われるだろうが、理由は簡単だ。麻薬だからである。

つまり「海」や「春の祭典」や「ブラ4」や「ライン」のような音楽は僕に効く化学的・薬理的成分を含有しているのであり、スコアのどこのどれがあの色を発し、あの香りを漂わせ、触るとこんな感じということが既に解明されている。そんなことを研究しても何の役にも立たないし誰も興味はないだろうからいちいち書かないが、なぜそんなばかばかしいことを真剣にやっているかというと理由は 簡単だ。麻薬だからである。

ドビッシーには「夜の香り」「音と香りは夕暮れの大気に漂う」などの題名を付した曲があり、彼自身も和声の混合を化学反応と呼んでおり、なんとなく僕が感じているようなものを表そうとしたのかなと思わないでもない。しかし彼がその標題で言う香りが何かを僕は感じることができないのだから、彼がparfumsという言葉で表現したクオリアは僕のものとは別物だということになる。作曲家がどう感じていようと、僕には彼の書いた音符の特定の部分に或る匂いが感じられるという即物的な事実が目の前にあるだけで、すぐれて主観的なものでしかない。例えば次のようなものだ。ストラヴィンスキーがそう意図して書いたとは100%思わないが、「春の祭典」第二部序奏に「それ」は在る。バスドラがドロドロ入るシェーンベルク風の部分(練習番号80)(注)のことだ。

ここは昔から僕に強烈な薬理作用があり、目に映る光景はというと、ぷすぷすと煮えたぎるマグマの巨岩が赤黒く光ってぶるぶる打ち震えていて、ここでそれが「泣き崩れる」。そして、仄かな硫黄の臭気を嗅ぐのだ。なんだそれは?と思われようが、幻覚を見ているわけではなく、文字を並べるならばそうとしか表現できない何ものかを感じて高校時代にスコアの当該箇所に鉛筆でそう書き記しているわけだ。本当にそういう物を見て、聴いて、嗅いだという記憶はないが、もし僕が画家ならばこのクオリアを文字でなく油絵にして、凄まじくおどろおどろしいものになっただろう。

それが “出現する” のは、古今東西、ピエール・ブーレーズのCBS盤、それも1970年に日本で発売されたオリジナルLPだけであり、何故かは知らないが、それはそのヴィニール盤だけに入ったクオリアであり、人類の文化遺産として公共財にすべきと確信しているので、それをCDRに録音したものをyoutubeにアップしている。他の方のもあるが、申しわけないがこれ以外の音源ではだめなのだ。僕のものにヘッドホンで耳をすましていただければ、ドロドロの部分で僕の感じる「クオリアの素」が30%ぐらいは聴こえる(下)。ちなみに日本版再プレス、米国CBS盤LP、CDでは見事に消えているから僕にとってそれらはまったく無価値である。

「バスドラ(スコアではGr.c.=グランカッサ)はティンパニの補強だろう」と僕も耳だけでは思っていたが、スコアを買って驚いた。そうではない。Dm(d-f-a)を伸ばす楽器群のうちバスドラとバスクラリネット “だけ” は練習番号80の3小節目の3つ目の ♪ まで鳴っており、バスクラだけご丁寧に最後の ♪ に ppp (ピアニッシッシモ)と書いてある。「ここまではっきり鳴らせ」という作曲家の意思表示であり、p で入るティンパニは2小節目からデクレッシェンドして pp で消えるが、バスドラは3小節に渡ってデクレッシェンドして「入り」に p とは書いてない。従って、入りは p より強くするのが論理的であり、強さは指揮者に任されていると読むことができるのである。ブーレーズはバスドラの皮をゆるめに張って mf ぐらいで入りを叩かせているのを耳を澄ませてお聴きいただきたい。

(注)練習番号80はニ短調+変ロ短調の複調であるが、この驚くべき効果は多くの作曲家の耳をそばだてさせたに違いない。グスタフ・ホルストは「惑星」の終曲(海王星)の練習番号Ⅲで嬰ト短調+ホ短調という全く同じ距離関係の複調を用いている。

細々したことを書いたが、なぜかというとストラヴィンスキーの楽譜というのは、ここに例証したように、かくもマイクロスコ―ピックに数学的に緻密に書かれており、ストラヴィンスキーという人はそこまで微細なことまでこだわる性質の人であり、従って、それをそう読み取らない性質の人の演奏というのは聴くに値しないということをお示しするためである。僕がこの演奏を讃えているのも、雰囲気や感覚に依っているのではない、初めは耳だけで感知した凄さが、スコアを解析することで実に記譜されたものに論拠をもっていることへの驚きと、それを創造し、具現化した二人の天才への称賛の気持ちからである。

つまり、練習番号80はブーレーズCBS盤の魅力のほんの一部分であり、この演奏はかような冷徹かつ緻密なアナリーゼの集大成であり、どの一音符とて雰囲気でいい加減に鳴らされたものはない。しかも、それが解剖された死体のようではなく、生き生きとエネルギーに満ちた活力をもって生命の神秘を聴き手に感知させるという、音楽演奏史に残る空前絶後の録音なのだ。しかし世界でどれだけの方がそのようなことアプリシエートしたのだろう?? 2.7万回も再生されているからそれなりにはされたのだろうが、録音だから家庭でそれぞれの装置で聴かれたわけで、そこで固有の条件が発生しており、前述のように残されたものの音の状態は一様でなくメディアによってクオリティに甲乙丙丁の大差がある。だからドロドロみたいな微細なものまで評価しての数字であるはずはなく(だって聞こえないのだから)、それで2.7万回なのだから良い装置で聴かせたら評価はその何倍にもなるだろうからもったいない。ブーレーズの神の領域のセンスを広く後世に認知させるためにも、ぜひ全曲にじっくり耳を傾けていただきたい。

こうした超マニアックな世界は一部の好事家だけのものだろうし、99.99%の人にとっては全然どうでもいいことだろうが、僕は聴衆には聴衆ならではのプロのレベルがあると思っており、超マニアであることに誇りを持っている。ちなみに僕を評論家と思っている方がおられるようだがそれはとんでもなくあり得ない誤解である。作曲家や楽曲や演奏家に好き嫌いのある評論家はいないことになっているからだ。僕においてそれは大いにあるし、嫌いな曲なのに良い演奏だなんて人様に推薦するなど、上がらないと思ってる株をお薦めするほど罪深いと感じてしまうからだ。だから僕のような聴き手は「評論家」でもなければ「通」とさえも言わない。通は歌舞伎の常連さんのような博識の観上手であって、皆の良きお手本にもなろう。かたや僕のブーレーズ論は世界で4,5人ぐらいしか通じない可能性があるのであって、そんなのを覚えておいても変人と思われるのが関の山だからむしろお勧めしない。

そこまで超マニアックな人間でも喜々として生息できる。これがクラシック音楽というアートの奥深さでなくて何だろう?僕のような人種が絶滅し、譜面をきれいになぞったベト7の美演、熱演にブラボーが乱れ飛んで、その声をきいてああこれは名演奏だったんだと満足して家路につく人が9割ぐらいの演奏会ばかりになったら、もうクラシックは終わっている。いや、ハレの気分を味わうためにミシュランの星の数を調べて高級フランス料理店に女性と出向く客と同様、クラシック演奏会の聴衆がいなくなることは絶対にないが、能力ある音楽家の皆さんは新宿コマ劇場のディナーショー程度の客を相手に海外コンクールで入賞したり留学したりして鍛えた腕を振るう羽目になろう。音楽ってそんなもんでしょ、楽しければいいよ、という人達の間にちんまりと需要と供給が成り立っても結構だが、それは創造的空間とは別次元のひとつの産業、インダストリーであり、そこから人類史に残る作品や演奏が出現する可能性は著しく低まるだろう。

だから、いまや超マニアックどころか普通にマニアックなものまで消滅が危惧されるという時代の趨勢はとても気になっている。例えば何かというと、各国のオーケストラの固有のカラーが消え失せて “グローバル化” し、どれもこれも似た音のする国連交響楽団みたいになって「それが一流なんです」みたいになってきている感じがすることだ。何やら人類皆兄弟のポリコレの匂いすら覚えるのだ。先日聴いたパリ管弦楽団も、ミュンシュ時代よりずっと高性能にはなって文句のつけようもないリッチな音を聴かせたが、昔のフランスっぽい管の色香が失せていたのは寂しい。贅沢な文句ではあるが、あれならマケラが振ればベルリン・フィルでもシカゴ響でもよかったと思わないでもない。穿った見方をすれば、マケラは時代の申し子として、そういう役割を担った俊英として見出された可能性すらある。

指揮の傾向においてもそうだ。神は細部に宿る。あんな細部まで神経を通わせるこだわりの指揮者がブーレーズ亡き後現れるのだろうか(熱望するが、今のところ知らない)。僕は彼の春の祭典を実演で2度聴いたが(東京でNYPO、フランクフルトでLSO)ドロドロはどちらもいまいちでがっくりきた。彼自身ですらCBS盤の演奏は二度と再現できないのだという事実がわかってしまい、初版LPへの愛おしさが増した。あれはビートルズ後期アルバム同様の「レコード芸術」なのか?本人に聞いてみたかった。オーケストラを立派に鳴らすという技芸は大事だが昔はもっと大事なものがあった。そっちが疎かになった国連交響楽団。美人のスペックに合わせて顔立ちを綺麗に整形した女性。僕には不気味な蝋人形にしか見えない。

畢竟、音楽というものは「狂気」を孕んでいる。少なくとも、そういうものだけが歴史の時を超えて残ってきている。普通の人でも訓練すればそれを演奏はでき、ディナーショーの客を心地良くすることはできる。そういうプロダクションの「カルメン」(99%はそれだが)を何度観て退屈したことか。あれを書いた36才のビゼーは狂っており(病、歌手ガリマリエ)3カ月で死んでしまったのだ。グレン・グールドはおそらく何かを嗅ぎ取ってカルメンの7年前に何のために書いたのかわからない「半音階的変奏曲」を録音したが、今も世界の歌劇場で「カルメン」はそんなこととは無縁の様相で、素人客を呼べる人気の演目としてもてはやされている。こういうのをサティは「家具の音楽」と言ったのだ。

春の祭典、たくさん買った音源(91枚)の演奏比較をブラ2みたいにやろうと思ったことがあるが、結局やめた。なぜなら、どれを聴いてもブーレーズが凄すぎてお話にもならない。哲学のカケラもない。何か書こうって、阿保らしくて1行で文章が終わってしまうのである。こんな聴き方をしている人は世界にもあまりいないということはyoutubeに各国語でいただくコメントでわかっている。本盤の「音」の違いをアプリシエートしたと思われる文章を書きこんでくれた外国の方が2,3名おられるぐらいであって、それでも彼らと話して通じ合えるかどうかは心もとない。まして春の祭典はロックだみたいな昨今の傾向はジョーダンよし子さんも甚だしい。「これを振れるのが価値」だった時代から一足飛びに「古典として振って見せるのが価値」の時代になった。どっちも、根本的に、考え方が非常に間違っている。「難曲だ」という主観が前提にあるからだ。ブーレーズにそれはない。淡々と数学の問題を解き、難問だったと思わせない自然で美しい解答を力強く提示している。この理性のキレ、インテリジェンス、美的センスのバランスの良さは驚異であり、わかる人だけにわかる。なんにも考えず器用に棒だけ振り回してる指揮者なんかと同じ職業と言うのも憚られようというものだ。

僕がシンセを弾いてオーケストラ曲をMIDI録音していることは書いた。自宅でヴァイオリニストの古沢巌氏に聞かせたらこれ大変だったでしょとあきれられたが、彼は音楽における僕のキ印性格を熟知している。他人様がどうあろうと麻薬なんだからどうなるものでもないことを。本当はシンセでなく実物のオケで録音したいし、マーラーの2番をウィーンフィルを振って録音したビジネスマンのギルバート・キャプラン氏もいるねといったら古沢くんはオケはいつでも集めますよと笑った。現実的な処でプロの指揮者と契約して麻薬を一言一句僕の思う風に振っていただくのはありかなと思う。祭典、海、ダフニス、弦チェレ、オケコン、エロイカ、ライン、ブラ4、悲愴、ブル8、魔笛、ボエーム・・いやはや、こりゃ大変だ。

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勝つまでやれば負けない(その2)

2022 NOV 28 23:23:27 pm by 東 賢太郎

前回の稿に勝つまでやれば負けないと書いた。これはよく考えるまでもなく当たり前であり、そこで勝っているんだからもう負けてないのだ。しかし事はそう簡単ではない。僕が何万回チャレンジしても100メートルを10秒で走れる人に勝てるはずがない。つまりそれは頑張ればなんとかなる範囲内の話だ。でも悲観することはない。普通に人生を楽しく生きていくにはそんな高望みは必要ない。頑張ればなんとかなる世界は広大で肥沃な荒野のように皆さんの眼前に広がっている。ではどうすればいいか。結論から書こう。それを見つけること。頑張ることをやめないこと、つまり、信じてしつこくやることに尽きる。

頑張れば何とかなるかどうかは生まれつき持ったもので決まっている。そう聞くと「どうせ私なんか」と委縮してしまう人が多い。それじゃだめだ。そんなことはない、親からもらった能力がない人などいるはずがないし、もしなければ生物として生きられないからあなたはこの世に生まれてない。前々回の稿に書いたが、親というのは(動物もそうだが)子に才能や能力を伝え、運用を預けて自分は死んでいく。それをうまく使って良い人生を送ってねと。だからそれをフルに活かして生きていくことこそ親孝行であり、僕はそれをきちっとやれば良い人生を生きたことになると考えている。

よく、人生は才能で決まらないという人がいる。才能は発揮されないと「なかったことに」になるからうまくいけば「あった」、いかなければ「なかった」となる。でもやる前に結果はわからないから、才能は後付けのモノであってやる前から論じても意味はなく、「人生は才能で決まらないよ」と言うことの実利は何事も自信の持てない人を励ましてあげるぐらいのものだ。しかしそうして甘やかして自信ないまま何かをやってその人が成功するとは思えないから、僕はそれを親身のアドバイスとは考えない。

では、それをやるにはどうしたら良いのだろうか。簡単である。自分に何の能力があるのか、あるいはないのか、それを冷静に客観的に第三者的な目でじっくり見極めることなのである。「ありのままの私」を見つめればいいのだが、実は「ありのまま」と思っている私が本当のワタシかどうかはわからない。自分の思いこみやカン違いで枠にはめて見ている場合が非常に多いのである。僕が住んだ海外5か国と比べてみて、日本の若者はちょっと自己評価が低い気がする。それは自分が親からもらった能力が何なのか、よく見きわめてないからではないか、だから親ガチャなどという言葉が出てくるのではないかと思うのだ。そんな親不孝な言葉を吐いているようでは何をしても成功しないだろう。

私事になるが、僕は早生まれで体が小さかった。だから、中学3年になるまで身長はクラスで前から1番目か2番目。喧嘩をしても弱いし、何をやってもクラスの男子にやられていた。もしもあのまま大人になっていたら卑屈な人間になったろう。しかし高校に入ると身長は伸び、周りを見渡して弱いとは思わなくなった。でもトラウマは残っているのだ。これを潰すのにはとても苦労した。ひとつだけ能力があった。野球で球が速い。これはいじめられっ子のチビ時代からそうで、それにすがって自信をつけ、ひとつぐらいあるもんだと気楽になった。

こんな風に、皆さん、自分発見をすればいい。必ずなにか知らないご先祖様からの授かりものがあると固く信じることだ。どんな小さなことでもいい、ご先祖様はそれがあるから世の荒波の中を無事生きてこられたのであり、だから、あなたが無事に生まれているのである。それを見つけたら、ひたすらそれを磨く(これも信じることだ)。それが親孝行であり、元より、能力がないことよりあることにチャレンジした方が楽だし成功率も高いのだからやらない理由などあるはずがないだろう。信じるというのは心の中だけではだめだ。やってナンボだ。それも、思いっきりしつこくやる。能力が多少でもあるものは、やってるうちにだんだんうまくなって、好きになれることが多い。そうなればもう間違いない。

僕自身、やることをすべてやってみて、後付けの客観的な事実として「才能」らしいものが多少あったのは球が速いことだけだった(笑)。習ったり特訓したりは全くなく、生まれつき速かった。これは明治時代に慶応で野球をやってた爺ちゃん由来のものだと信じている。何をやっても負け犬だった僕がマウンドに立つと無双の気分になる。打たれても一日寝るとまた無双になってる。その自信と記憶でぜんぜん関係ない分野でも負けるはずないと不思議な思いこみができ、トラウマなどぶっ飛んで「なかったことに」になり、強く生きてこられたのだから値千金。ご先祖様はこうやって子孫を守ってくれる。しつこく信じることだ。

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物事は勝つまでやれば負けない

2022 NOV 28 18:18:26 pm by 東 賢太郎

サッカーの事はよく知らないが、今回のドイツ戦の勝利は考えさせるものがある。いろいろやってみて、ダメならやり方を変えてまたしつこくやる。これを何度もやってればそのうち勝つ。勝つまでやれば絶対に負けない。もちろん今回の勝利がそんな簡単なものでないことはわかっているが、僕はこの考え方をいつも心の中に強く持って生きている。

ドイツ戦で後半に入れた5人の選手は、すごく攻撃的な選手だと聞く。だから前半とは全然違う攻め方に変えたんだろう。それが奏功して逆転勝ちしたんだからきっとそこに何かすごい秘密があったと思う。それが何かは知らないが、感心したのは、あれだけ攻める前向きで気の強い選手たちを前半ベンチに置いておいて腐らせなかったことだ。

堂安選手の俺が決める、俺しかいない。この言葉は当然だ。そう思ってなければあんな場に出られるはずがない。こんな選手がよくおとなしくベンチで試合を見ていたなと思うのだ。僕だったらなんで俺を使わないんだといてもたってもいられなくなって、そのうちにモチベーションが下がってしまうんじゃないかと思う。これは森安監督の説得力、コミュニケーション力の賜物だと言っている解説者の方がいたが、そうではないかと思う。

僕も若い頃、超攻撃的だった野村という会社の中でも超攻撃的な社員だった。守りについては全く考えていないので、後ろから支えてくれる人たちがいたから大きな失敗もなく点をとって活躍できたんじゃないかと思う。明日大仕事がある前の日などは、家で家族に一言も口をきかなかった。だからだろう、家内は私はスポーツ選手と結婚したと思っていると常々言っていた。そこで、あれこれ声をかけられ、家事などをさせられた日には、僕の攻撃力は大きく損なわれ今こうなっていないんじゃないかと思う。つまり、これは家内の監督力の賜物なのだ。

しかし、今はそうも言っていられなくなった。会社においては僕以外に監督はなく、戦略は全部僕が組み立てて、僕が指揮しなくてはいけない。コロナの影響もあり、少し仕事に閉塞感が出てきたと感じるのも事実である。だからここはひとつ思い切ってゲームプランをガラッと変えてみてもいいかなと思っている。サッカーをするのは選手だ。選手のフォーメーション、顔ぶれなどを一新してみることも手だと思う。

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