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シベリウス交響曲第2番ニ長調 作品43

2012 DEC 20 12:12:56 pm by 東 賢太郎

先日、新潟へ行った帰りの朝、北国の暗く厚い雲と不意に舞ってきたみぞれに、シベリウスのタピオラという音楽がふと頭をよぎりました。

氷のように冷たく救いようのない厳しい音楽です。でも厳寒のフィンランドの冬の原野はそういうものなのでしょう。ハンガリーと同様フン族に起源をもちながら、ロシアとスウェーデンに挟まれ蹂躙されてきた歴史を持つフィンランドは、今でも文化、言語などにおいて欧州において独特な個性を保つ国だと思います。ですからフィンランド人の愛国心は強く、シベリウスの代表作のひとつ「フィンランディア」を聴けばだれもがそれに納得するでしょう。ハンガリー、フィンランド、エストニアはモンゴルの血が入っていると言われ蒙古斑が出る人もいるという話を聞いたことがあります。欧州人としては認めたくないことかもしれませんが、ハンガリーは姓名を姓→名と名乗るなどあながち嘘でもない気がします。

日露戦争で憎きロシアのバルチック艦隊を撃破してくれた東郷元帥を称え、フィンランドでは「東郷ビール」(右)が売られたという話があります。異説もあるようですし、「芸者チョコレート」も売られたそうなので一概に信用はできませんが、親日的な国であることは確かと思います。

 

さて、シベリウスです。「人間万事塞翁が馬」という諺がこれほどあてはまる作曲家も少ないでしょう。バイオリニストを志した彼ですがあがり症で挫折。ウィーン・フィルの入団試験も落ちました。運命とは皮肉なもので、そのおかげで人類は至宝といえる交響曲を7曲も手にすることができたわけです。しかし晩年の写真(右)の禁欲的な印象からはうかがえませんが、若いころは酒もバクチもやり、ピストルを2丁買って決闘までしようとした熱血漢でした。当時彼が熱中した「幻想交響曲」のベルリオーズもかくやと思われる人間像は伝記を読んでいて意外なものでした。そこまでして得た奥さんアイノは格別の美人で、彼は晩年を送った山荘にアイノラという名前を付けているのです。

 

この2番は彼の書いた交響曲のうち最も有名でわかりやすいものです。有名イコール最高傑作でないのはドヴォルザークの新世界と同じで、孤高のシベリウス・ワールドを代表するのは4番、7番、交響詩タピオラあたりでしょう。しかし4番をいきなりお薦めするのはかえってクラシック嫌いをつくりそうで気がひけるため、順当な第2番ニ長調でいきます。

皆さんが落ち込んだり気がめいった時に「効く」のがこの2番です。ベートーベン5番でもいいですが、本当にガックリきたときあれはちょっとつらい。歓喜の上げ潮が強すぎて、音楽においていかれてしまいます。その点、この2番は音楽が何度も何度も暗く落ち込んで、最後は聴き手と一緒になって暗闇の中で延々と泣いてくれます。この「落ち込み目線」がいいんです。ところがそれが最後の最後に至ってパーっと天の雲間から陽光が差し込んだようにあたりがまばゆく輝きだし、スコア最後の3ページは神の降臨とはかくなるものかとキリスト教徒でない僕でも手を合わせて拝みたくなる神々しさで曲を閉じます。目頭は熱く、憂さは晴れているのです。

この感動は一度味わったら二度と忘れられない素晴らしい体験で、ベートーベンやブラームスからは得られない種のものです。唯一比較できるのはブルックナーでしょう。シベリウスは25歳のときにウイーンでハンス・リヒターの指揮するブルックナーの交響曲3番を聴き「現存する一番偉大な作曲家」とまで評しています。ブルックナーは原始霧と言われる弦のトレモロの「ブルックナー開始」が有名ですが、シベリウスでは5番に顕著な弦のごわごわ、ざわざわした調性の明確でない細かい動きに似たものを感じます。霧なのか森の木の葉のざわめきなのか氷原の乾いた吹雪なのかはわかりませんが、両者とも大自然から得た心象風景を音化していることは共通しているといえましょう。

しかし、ブルックナーの場合は自然の背景に神を感知する感性が常にあり、オーケストラは教会のオルガンをイメージさせる巨大なものです。一方、シベリウスの場合は、特に3番以降はアイノラ山荘で感知した自然の息吹そのものを純粋に音として凝縮、結晶化したような他に類例のない音楽になっており、オーケストラはほぼベートーベン並の2管編成にとどまっているのです。作曲の視点と方向性という点ではブルックナーよりも「夜の音楽」を書いているときのバルトークに近いように思えます。2番は自然より神やメッセージ性を感じさせる点、1番と同じくロマン派の影響を残している点で3番以降とは一線を画しており、やはり過渡期的作品です。

第1楽章は弦5部で動機風の音型で始まり(右上)、これを伴奏としてオーボエとクラリネットが第1主題を出します。弦のピチカートを経て管に息の長い第2主題(右下)が出ます。冒頭の動機は各所で伴奏に回り全体の統一性を高める役を負います。僕が好きなのはスコア練習番号Mの部分で夢見るような弦の上昇旋律(チャイコフスキーの影響を感じます)とそれに続くホルン、トランペットの素晴らしいファンファーレで(前にファゴットで出た副主題)、ここにすでに神性を感じます。ソナタ形式ではありますが冒頭動機、副主題、第1,2主題から派生した主題が絡んで展開部を成し、再現部も型どおりではありません。

第2楽章アンダンテは交響詩か幻想曲という風情の音楽で、イタリア滞在中に感化を受けたドンファン伝説の影響があると言われます。主題は2つ、ファゴットによる第1主題と弦による第2主題。どちらも一度聴いたら忘れない印象的なもので、この楽章全体に寂寞とした悲愴感、なにか希望をあきらめて得た精神の均衡のような悲しい安心感をもたらします。第1番にはない深化したシベリウスの個性がうかがえる楽章です。演奏はなかなか満足なものがない難しい楽章です。

第3楽章はスケルツォ。弦の急速な主題に木管の主題が乗って展開します。一旦静まって、オーボエに第1楽章冒頭主題から出た牧歌風旋律が出ます。ここは本当に美しいですね。この楽章が切れ目なく徐々に盛り上がって第4楽章につながる手法はベートーベン5番と同じです。第4楽章アレグロ・モデラート第1主題(下の楽譜)は僕には讃美歌風に聞こえます。3本のトロンボーンとティンパニが「運命動機」で伴奏します。トランペットのファンファーレが輝かしく応答します。やがて弦に山
型の不安な音型が繰り返され木管に哀調を帯びた第2主題が出ます。

この嬰へ短調の主題は3連譜を含みますが、そのタタタターンも運命動機です。これが嬰へ長調に転調してフルートに第1主題が回帰し、弦に第2主題が回帰します。再現部なのですがこの同じ旋律の短調→長調という転調がやがて来る大団円の「予習」になっているのは心憎い伏線です。ここからチェロがあいまいな調性で聴き手をもう一度暗い森の中へ連れて行きます。第1主題とファンファーレ動機の交差をチェロの不安定な動きが弦全体に広がって支えます。オケ全体が高揚して第1主題が輝かしく奏されます。

そして再度、ニ短調で山型不安音型の執拗な繰り返しが延々と続きます。これに第2主題が弦で乗っかり(右)、どんどんテンションが上がって「泣き」が強くなります。どこか演歌歌手が苦悩に満ちた表情を浮かべ、喉を枯らして絶唱している感じがあります。そしてそれが頂点に達すると、いよいよこのシンフォニーの主調であるニ長調に転調する瞬間がやってくるのです。冒頭に書きました、

パーっと天の雲間から陽光が差し込んだようにあたりがまばゆく輝きだし

とはここのことです。苦しみも悩みものりこえ、生きる喜びが体に満ちあふれます。ファンファーレ動機がそれを受けとめ、チェロとコントラバスのピチカートで音楽が一旦静まります。すると低弦とファゴットに第1主題が現れ、トランペットとトロンボーンが第1主題から導かれた感動的な賛歌を高らかに響きわたらせるのですが、僕はこの「賛歌が出るまでの4小節」にこそ、

神の降臨とはかくなるものかとキリスト教徒でない僕でも手を合わせて拝みたくなる神々しさ

を感じるのです。この4小節は、仮になかったとしても充分に感動的なエンディングになっていたと思います。いや、ふつうの作曲家であれば入れなかったのではないでしょうか。和声はDdurがGdurに変わるだけ。何の変哲もないものです。しかし、このトニック→サブドミナントという移行が人間の「希望」という感性を刺激する効果について僕は多数の例を検証し、事実である確信を持っています。その「希望効果」が最も見事に効果的に使われた実例として、この部分をご記憶いただければと思います。

この4小節を書けたか書けなかったか?作曲家の名と作品が人類史に永遠に刻まれるか否かはそういう極めてマージナルなところで決まっている。僕はそう思います。

東京芸術劇場で聴いたレイフ・セーゲルスタムが読売日本交響楽団を指揮した演奏のこの部分の神々しさは一生忘れ難いもので、音楽の魔力の凄さに打ちのめされたことを覚えています。しかし、その魔力はシベリウスの書いたスコアに封じ込められているのです。

(こちらへどうぞ)

シベリウス 交響曲第5番 変ホ長調 作品82

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Categories:______シベリウス, クラシック音楽

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