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米国放浪記(5)

2014 AUG 30 19:19:03 pm by 東 賢太郎

 

グーグルマップで推理する

日記というのは登場人物は自分なのだし、確実に自分のしたことを書いている。それでも40年近く前のこととなれば細かいことはほぼ忘れているし、文字も解読不能だったり意味不明だったり、まるで古文書だ。

そこで本稿を書くにはグーグルマップで記憶をたどるという方法が有力ということがわかってきた。これはエキサイティングな作業だ。どのルートを行ったかどこに泊まったかはその刹那はあまりに自明なことだったのだろう、ほとんど書いていないので推理するしかない。マップを丹念に見ると意外なことに、ところどころに見覚えのある地名がある。見て初めて思い出す程度のかすかな記憶だが、それでも「記憶がある」ということだけははっきりと自信を持てる記憶だ。それがあればその道を通ったということであり、それをつないでいくとルートがわかるという寸法だ。

デスバレーで泊まったモーテルだが、2日間のバクチで疲れていて行き当たりばったりに飛び込んだだけで、これがわからない。ところがマップを見るうち、ファーニス・クリーク・インという単語が、日記には書いてないが、天のどこからかひらひらと降ってきた。こういうのは奇跡みたいに感じる。ひょっとしてと思い検索すると、同名のモーテルが出てくる。テニスコートもある。その場所から南下するとバッドウォーターまで20kmほどでイメージに合う。眼球が熱いほどだったことからもあれは国立公園内のモーテルで、そこまで190号線を来ていた可能性が浮上してきた。翌日もその道を西へ行っているのは別な根拠から確実なので、断定はできないがその可能性が高い。昨日「たぶんアマーゴサ・バレーあたりだったろうが」と書いたのは訂正となりそうだ。

重箱の隅をつつくようだが、そんなことにこだわっているのは理由がある。そうすることでさらに頭の奥底に埋もれていた別の記憶がおまけで降ってくる(蘇ってくる)のを知ったからだ。眼球が熱いなんてあれ以来一度もないのにその感じをちゃんと思い出した。するとその時のほかのことを体が思い出した。こんな経験は初めてだ。人間の記憶メカニズムは面白いと思う。なにか脳が若がえった気がして元気まで出てきた。それからもうひとつ理由がある。これを読んで同じ行程を行っていただく積極的な意味やメリットは何もないが、こと僕の子孫であればそれも一興かもしれないと思った。だからちゃんと辿れるようにしてあげたいのだ。

さらばデスバレー

starlight-motelバッド ウォーターを後にして、僕らは190号線でデスバレー国立公園を横切り、395号線を北上してビッグ パインという街のスターライト・モーテルに宿をとる。これは日記に名前があるから確実だ。これも現存するようなのでネットの写真を貼っておく。モーテルというのはおおよそこういう感じのものだ。ここで虹を見た。「魔女みたいなばあちゃん」のレストランで食事し、シャーベットを食べ、バーへ行ってビリヤードに興じている。ハシゴを試みたがそっちの店では21歳未満と思われて断られた。日本人はだいたい子供に見られるのだ。

翌8月14日、9時に起きると395号線をさらに北上。ビショップ(書いてないがこの名も記憶にある)を通過して約150kmさきのリー ヴァイニングの家族経営の店でフレンチトーストを食べた。この町はネットで見ると海抜2067 mとあるから富士山でいうと四合目あたりまで、マイナス85mから一気に登ってきたことになる。リー ヴァイニングはヨセミテ国立公園の東の玄関口だ。左折するところをわからずにモノ湖まで行ってしまい、引き返して120号線をひたすら西に進んだ。

ブレーキのジョーと死闘

ここまで走ると僕は運転に死ぬほど飽き飽きし、いらいらしていた。ペーパードライバーの H にやらせるのは不安だし、I は免許を持っていない。仕方ない。山道なのに前の車を追い回してこずきまわして抜くことだけ楽しみにした。だいたいみんな怖がって路肩に逃げた。運転は男勝りにうまい母親の血を引いてうまかったが、いま思えばただの暴走族だ。ところが僕に対抗してくるダッツンが目の前に現れた。いまだ!っとアクセルに足をかけるといいタイミングでブレーキを踏んで牽制してくる。神経戦だ。「こいつはてごわい。ブレーキのジョーだ」。よくわからないがH がそう命名した。

ヨセミテ・ヴィレッジは広大な公園のへそに当たる。徐行運転に入ったところで熊が目の前を横切ってびっくりした。車を停めると「ジョー」が降りて近づいてきた。ものすごい髯もじゃで熊よりも熊みたいなにいちゃんだった。僕に向って何かひとこと言った。文句やケンカを売るという感じではない。日記にその言葉は Life is a but dream. と殴り書きしてあるが、文法が変だ。Life is a bad dream か Life is but a dream. のどっちかと思われる。後者かもしれない。「坊や、人生はうたかただ、気をつけな」。ジョーは熊どころか哲人だったと思うことにしている。

車は元気、僕らはガス欠

ここからは歩くしかない。370ドル落とした H はカネがない。写真を撮るまねだけ。数十メートルもある巨岩やら水無しの滝やらを見物したが、なにぶんこの2日で火星と金星を見た直後だ。たいしたインパクトはなかった。覚えているのはトップレスのおねえさんだけだ。ここで完全にバテて体調を崩していた僕は、初めてHに車のキーを渡すことになった。隣で教習所みたいに指導しながらも始めは危なっかしくてどこかに一度ぶつけた。なんとか120号線を西へ無事に走り、僕らはシェラネバダ山脈を横断して平地に降りてきた。オークデール、マンテカを通って580号線に入る。「とにかく海まで行け。そこがシスコだぞ。」ちょっと熱がでてきていた僕のナビは大変アバウトになっていた。

ああ勘違い

その海が見えてきた。意外に早い。砂漠の死の谷から生還だ。サンフランシスコだ、もうだいじょうぶだ!こんなにたくさんの信号を見るのは久々でプッシーキャットなんてキャバレーもある。人里恋しかった僕らは喜びいさんで黒人のお姉さんのいる店で特大のステーキを注文した。場所は7番街。モーテルに飛び込んで値段に驚いた。16ドル?シスコは高いよといわれてたのにこれは掘り出し物だ。ホテル代の相場カンがついていた僕は即決で三泊契約の「大人買い」をした。何か変だとは感じていたが、それは部屋で地図を広げてすぐ判明した。「H、I、悪い。ここはサンフランシスコじゃない、オークランドだ」。

受付でけげんな顔をされながら僕らは契約を一泊に変更し、コーラを買おうと思って外へ出た。もう真っ暗である。探すが店がどこにもない。黒人ばっかりのディスコがあったので、そこでビールとスクリュードライバーを飲むことにした。発熱などおかまいなしだ。あたりはどうやら駅の操車場だった。中に侵入したくなり無断で入った。列車がたくさん停まっていて、暗いのをいいことに並んで立ちションをしていたらまずいことに駅員だか警官だかが歩いてきた。3人で列車の下に隠れてやり過ごした。これはスリル満点だったが、へたをすると撃たれていたかもしれない。Life is  but a dream だ。

 

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米国放浪記(6)

 

 

 

 

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