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シューマン ピアノ協奏曲イ短調 作品54

2015 JAN 17 23:23:57 pm by 東 賢太郎

昨日disk unionへ行ったと書いたが、Saitoさんとのご縁もあったしもうひとついいことがあった。このところ探していた中古盤が3つも手に入ってしまったからだ。麻雀でいうと引きがいい日だったようだ。それはこれだ。

バルトーク弦楽四重奏曲全集(ファイン・アーツQ)、メンデルスゾーン弦楽四重奏曲0p12,13(モザイクQ)、シューマンピアノ協奏曲(イストミン、ワルター)

今日はこのうち、先ほどじっくりと鑑賞したシューマンを書く。シューマンの作品54は、古今東西のピアノ協奏曲のうちから「女王」を探すとこれが最もふさわしい感じがする。まさにクラシック・マスト・アイテムの筆頭格である。

僕のこの曲への愛情は半端ではない。所有するLP、CD43枚、最初のレコードは73年のルプーとプレヴィン盤でこれは隅々まで記憶してレファレンスになっているが、一時期に病みつきになったというより常時心のどこかにあって、いつでも取り出して味わいたいという稀なる部類にはいる。頭で楽しむというよりも血肉になっている感じがする。

ラドゥ・ルプー(pf) /  アンドレ・プレヴィン /  ロンドン交響楽団

冒頭、いきなり滝の水が落ちるようにピアノがSfで下降する。これはグリーグのPCの出だしをインスパイアしただろう。ただ、グリーグのはシンプルなT、Dの繰り返しに対しシューマンは増三和音で入る。全曲に増三、減七がちりばめられ深いロマン的な色彩の霧を作っている。

すぐにクララの名を縫いこんだ第1主題がオーボエに現れ、それをピアノが継ぐ。協奏曲の第1主題としてまったく異例である哀愁まで漂わせるこの主題は、それでいてこの楽章を支配し、第2,3楽章の主題の萌芽ともなっている。これはクララ協奏曲と言って過言ではない。

第1ヴァイオリンがG線で奏でる副主題ミファミーレドシラ!これが出てくると僕はもう完全にシューマン世界に引きずり込まれる。

クラリネットがミーレードドードレミ・・・と吹く。第1主題をハ長調にした変奏かと思っていたら、なんとこれが第2主題である。主題対比がないというのはこれまたソナタ形式として非常に異例のことだ。しかし、このクラリネット主題、3回繰り返すがそれぞれに別々の減七和音(3種類しかない)が伴奏でつけられ、色彩は七変化するのだ。

そして現れるこれ!ポエジーの化身のようなこのフレーズ、こんな音楽を書いた人は後にも先にも誰もいない。シューマンのイマジネーションが生む、天才だけの発明だ。

schumannPC

ここは譜面ずらと違ってソーレードソーレードソーラーシーと聞こえる。やってみるとわかるがこれをなめらかに弾くのはたいへん難しい。だからだろうか機械的に弾いてしまう人がほとんどであり、シューマンがこめた切ない憧れを欠く演奏が横行している。

世評の高いアルゲリッチやリヒテルもそうだ。粗暴であっけらかんとしたものだ。詩情のかけらもない。僕はここを聴けば演奏全体がわかってしまうわけで、こんな弾き方をしている人は終楽章も猛獣が襲いかかってきそうなアグレッシヴなものになる。はっきり書くがこの曲をヴィルチュオーゾ風にやってしまうのは非常にお門違いと思う。

逆にここを感じ切って弾いて理想的なのはマイラ・ヘスだ。陰影が夕陽のように美しい。そしてもう一人最高なのが、ユージン・イストーミンである。フレーズの繰り返しの2度目の力を抜くなど、どうしてシューマンがここを書いたのか、この二人はわかっている。こういう所に耳を傾けないでただ名技に喝采するのはクラシック音楽鑑賞としては皮相的なものだ。

このあとオーボエとピアノのかけあいがあってから aminatoになる部分でチェロが重なってくるピアノの左手の和音!玄妙で滋味にあふれ、どうしてこんないい音を思いつくんだか信じ難い。ここからは次々と繰り出される天才の奇跡に唖然としているうち、あれよあれよという間にハ短調のブリッジを経て変イ長調の展開部になる。

冒頭の滝が繰りかえされ、Passionatoからだんだん森深く入っていく。再現部の前の1頁はいつも驚く。和声感がおぼろげになり幻想の霧に迷い込んだようだ。まったく独創的な音楽であり、第1主題が再起すると暗い森からぬけ出てばったりとクララに会ったようだ。僕はラフマニノフのPC3番の第1楽章の再現部前に来るとここを思い出す。やはり単旋律で哀愁がある第1主題だし、あの曲はシューマンが念頭にあったのだろうか。

カデンツァはシューマン自身が書いているが、意外なほどシンプルでまね事ぐらいなら弾ける。するとまぎれもないシューマンの味がする。この味は全曲にわたって4度5度音程でスパッと切れない滓のようなものであって、3度6度の「うまみ」成分つまりブラームスに流れるものだ。しかしまったくシューマン的、シューマネスクなものである。内田光子がベルリンPOとのインタビューで「シューマンの誰にも思いつかない和声創造の才」を語っているが、たしかにそうとしか表現のすべはないだろう。

この曲についてあれこれ書き出すと音楽のワンフレーズごとに何か言いたくなる。どうしようもないぐらいいい曲であり、しかし言おうとすると舌足らずで欲求不満に陥る。まだ僕はこの楽譜を勉強不足であり、もっと機が熟してから楽章ごとにじっくりと思いのたけを述べてみるしかない。弾きたいなあと思う。でもこれは素人の手の出るものじゃない。もし神様がピアノコンチェルトを一曲だけ弾かせてあげようというなら、僕は迷うことなくこれを選ぶ。

 

彼は意味のない符号、休符、あるいは付点を書いたことがありません。書いてある通りに弾いてください。すぐれた洞察力を持つ人にとって必要なものすべてがその楽譜には書かれています。

クララ・シューマン

 

ユージン・イストーミン/ ブルーノ・ワルター / コロンビア交響楽団

51GfskF47GL__SX425_CDを探し求めていた逸品。これが欲しくて仕方なくほとんど持っているワルター・エディションの9枚組を買った。こう弾いてほしいという理想のピアノ!シューマネスクな詩情に感じきり、深い呼吸と煌めくルビーのような音色で湧き立つようにロマンをかきたてる。加えてワルター唯一のこの曲の指揮は名人芸と呼ぶしかない。第1楽章展開部の悲しむように遅いテンポ、ピアノを包み込むがっしりと低弦が支えた深い森のようなオーケストラ。余ほどの名手を集めたのだろう、木管の美しさは群を抜く。終楽章のコーダに向うピアノとオケの微妙なリズムのずれが作る揺れなどワルターの至芸に酔いしれる。この曲を聴いたという究極の喜びにひたらせてくれる名演奏である。

 

マイラ・ヘス/ ルドルフ・シュヴァルツ / フィルハーモニア管弦楽団(1952)

6768_1ピアノはイストーミンと甲乙つけ難い。上記楽譜の部分、フレーズの2度目の音をそっと小さめに変える。ここを聴くだけでこの人の曲のとらえ方がわかる。タッチの美しさと深みは宝石のようであらゆるフレーズに慈しみがこもる。終楽章は遅く感じるが、クララの弟子のファニー・デイヴィースの録音はほぼこの速さであり、これがクララが弾いていたテンポと思う。この演奏を何度も聴いて僕はヘスの音楽性の素晴らしさと同時にこれがこの曲の真の姿ではないかと思うようになった。昨今の快速で剛腕でねじ伏せるような演奏は総じてお門違いというものだ。

 

マイラ・ヘス / ワルター・ゲール / 交響楽団(1937)

ヘスの当曲は2種ありこれは旧盤となる。伴奏オケは不詳だが37年当時としてはうまい。ゲールが優秀な指揮者だとわかる。録音を除けば新盤と甲乙なしで、47才の絶頂期のヘスのピアノは輝きも滋味も最高で、それがこの協奏曲への愛情と献身という方向で古雅な結実を見せているのが実に好ましい。近年、これをラフマニノフと勘違いして弾くピアニストが多く勘弁してくれだ。お品の悪さ極まれりである。これを聴いて芸術の格調とは何か考えてほしい。

 

フェリシア・ブルメンタール / ハンス・スワロフスキー / ウィーン・プロ・ムジカ管弦楽団

5110VGfFT3L__SY450_58年録音。スワロフスキー(1899-1975)はアバド、メータ、ヤンソンスの先生。オケはお世辞にもうまくなく、ブルメンタール女史も現代の完全主義の演奏とは遠い。その19世紀の日常の雰囲気が気に入っている。春の祭典や弦チェレを学生オケが軽々と弾いてしまう今、完璧と引き換えに我々が失ったものがある。このコンチェルトはそれでは困るのだ。上掲楽譜部分(再現部)で省略?があったり不備はあるが、僕はいつもこの曲をそういうものを気にしないモードで聴くことになる。味わい深いピアノだ。

 

アニー・フィッシャー / オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団

1187475ソリストと指揮者の意見が合わず60、62年にまたがって録音された異形の録音だ。ハンガリー系ユダヤ人のフィッシャー(1914-95)はピアノに向かう時以外は常にタバコを加え、あの恐そうな指揮者に真っ向からやりあう。いやあ、議論したら負けそうな容貌だ。女流のイメージでないのはタッチも同様で、強くクリアで深く、普通はなでるように弾き飛ばす内声まではっきりと聞こえる。だから音楽がごつごつして聞こえるが、一方ppのデリカシーなど一級品。本物だけがもつ底光りした美を発散する。終楽章の入りのテンポは個性的。オケが集中力を欠いて散漫な感じがあるが彼女の指が解きほぐしていく音楽は実に魅力的。交響曲を聴いたようなずっしりした充実感を残す。ライブはミスタッチも多くこの録音も万全ではないが知情意のインパクトで勝利する音楽はピアノというより大指揮者の棒を思わせる。

 

アニー・フィッシャー /  ヨゼフ・カイルベルト / ケルン放送交響楽団

869005957年2月11日のライブ。モノラルで音は古いが、一二を争う大変な名演である。上記クレンペラー盤ではできなかったことをフィッシャーは主導権をもってやり尽くしており、カイルベルトがこれまた見事に応じてがっしりと支えている。冒頭の雄弁なオケに続き、ピアノがそっと入ってくる。このデリケートなタッチと感じきった起伏、高音の澄み切った冴え、ただごとでない雰囲気だ。上記楽譜部分の直前の速い下降音型、雪崩のような気迫で音楽の摂理を完璧にとらえ、ペダルを踏まず低音までじーんと鳴りきる気持ちよさ。こういうのを本物のテクニックといわずして他に何があろう。すべてのフレーズに強い意志がこもり血が通い、ppからffまで自在のタッチで素晴らしいファンタジーをかきたてる。この曲に僕が聴きたいものを与えてくれるこの録音は宝だ。

 

ジュリアス・カッチェン / イシュトヴァン・ケルテス / イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

41GGPYWX9BLピアノがうまいなあと思うのがこれ。プロだから当たり前なのだが、プロの中でも明らかに上の上である。このぐらいの技術がないと、この協奏曲の演奏には不可欠である自由な呼吸でのロマンの飛翔など無理ではとさえ思わされてしまう。上記楽譜部分や第2楽章のタッチも、ただ繊細に弾いただけでは出ない音だ。ミスタッチしないのがうまいなどお門違いも甚だしい。ケルテスの指揮は雄弁でピアノとフレージングも呼吸もぴたりと合っており、リズムの処理がいい。終楽章がやや元気良すぎ減点だが、第1楽章の良さで印象に残っている。

 

クラウディオ・アラウ / コリン・デーヴィス / ボストン交響楽団

51BxPeHScsL__SY450_徹頭徹尾アラウ・ワールドであり第1楽章展開部以降、遅めのテンポで幻想的なイマジネーションをふくらませ、カデンツァも独奏曲のようなロマンがたちこめる。白眉は第2楽章だ。全編これだけファンタジー路線の演奏も味がある。アラウというピアニストは何を弾いても独特な温かみのあるタッチをもち、和音のつかみ方が意味深い。ちょっとした節回しや装飾音も個性を感じるのであり、ヨーロッパに根ざすピアノ演奏の伝統と教養を見る思いがする。デーヴィスとボストンのオケも似た色調の欧州趣味でつき合っており、この頃のフィリップスの管弦楽録音は本当に良かった。良い出汁のきいた上等な京料理の風情だ。

 

アルフレート・ブレンデル / クルト・ザンデルリンク / フィルハーモニア管弦楽団

200x200_P2_G7185481Wブレンデルはロンドン駐在時代に何度も聴いた。あまり好きなタイプと思わなかったのはタッチが丸くて「ゆるく」思えたからだ。しかしそれはシューベルト、シューマンには結構合うし、嫌いなリストも聴けるということにあとで気がついた(「巡礼の年」は大変な名演だ)。そこにザンデルリンクのコクのある伴奏がついたこのCDはいい。何度も聴いている。第2楽章のやや速めのさらりとしたピアノ(素晴らしいタッチ!)に情感のこもったオケが絡む夢のような風景は上等だ。たっぷりしたテンポの終楽章はこの音楽の暖かさをほんのりと味わわせてくれる。コーダに至る部分のピアノの素晴らしさはどうだろう、そしてそこにかぶる木管のチャーミングなこと。こういう音は誰でも出せるものではない。

 

べラ・ダヴィドヴィッチ / ジェラルド・シュワルツ / シアトル交響楽団

8.571214彼女の名前はベーラ・ダヴィドーヴィチと発音するが通例にならっておく。アゼルバイジャンのバクー出身、ユダヤ系だ。カスピ海沿岸のバクーはチェリストのロストロポーヴィチやスパイのゾルゲも生んでいる。1928年生まれでモスクワ音楽院を首席で卒業、49年に第4回ショパンコンクールで優勝した。ヴァイオリニスト、シトコヴェツキーのお母さんでもある。第1楽章の噛んで含めるようなテンポ。現代のピアニストがなんにも考えずあっけらかんと弾き飛ばしているパッセージにいかに命がこもっているか、たとえば上記楽譜部分を聴かれたい、音楽が何をはらんでいるか訴えかけてくるのがわかるはずだ。気品あるタッチがあたたかく、しかしフォルテでは深みある強い音が出る。じっくり耳を澄ますべき熟成したピアノだ。一度聴いても微温的に聞こえるだろうが何度も聴くとじわりと良さがわかる。終楽章のテンポについてはヘスの稿の通りで、カティア・ブニアティシヴィリの演奏になぜ僕が怒り、異議を唱えているかお分かりいただけるだろうか。このテンポでなくては語れない物がぎっしりと詰まっているのであってこのコンチェルトはショーピースでは断じてないことを若いピアニストは学ぶべきだ。

 

ディヌ・リパッティ / エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団

8501950年2月22日のライブ(ジュネーヴ)。リパッティというとカラヤン/フィルハーモニア管とのEMI盤が判で押したように出てくるが、あれは何がいいのか不明だ。これに比べてしまうとピアノは硬質でデリカシーにもファンタジーにもに欠け、オケは整っているが感度が低いお仕事だ。リパッティは断然こっちのライブのほうがテンションも集中力も高く、一期一会の観。 冒頭のクララ主題から我々はハートをぎゅっとつかまれてしまう。第1楽章クラリネット主題直前のピアノの結尾が楽譜と違っていて驚くが、この清冽な湧き水のような純度のピアノの前には一切の御託など吹き飛んでしまう。アンセルメが共感を持ってリパッティのフレージングに寄りそっており、カラヤン・スタイルの上記EMIとは比べ物にならない。

 

ギオマール・ノヴァエス / オットー・クレンペラー / ウィーン交響楽団

ノヴァエスのピアノだけを聴く録音。出だしからデリカシーが素晴らしく、彼女の生み出そうとしている音楽に賛同できる。抒情的な部分は一級品である。しかしクレンペラーの指揮のせいかヘスに比べるとフレージングにやや武骨な所があって技術的にも融通無碍とはいかない。第2楽章のテンポは生ぬるく緊張感を欠く。さらに残念なことにはオーケストラがいけない。古い録音では寛容になれるのだがこうも下手だといけない。

 

独断流品評会 「シューマン ピアノ協奏曲」(その1)

 

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