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モーツァルト「魔笛」断章(パパゲーナ!パパゲーナ!)

2016 APR 24 3:03:36 am by 東 賢太郎

魔笛の筋書きというのはそのまま「ドラえもん」になりそうです。タミーノ王子と鳥撃ちのパパゲーノが王女パミーナを救出しようとザラストロの神殿に侵入しようとする。そこでドラえもんがポケットから「これ持ってってね」と王子に魔法の笛、パパゲーノに魔法の鈴を出してくれるのです。

ザラストロの手下のモノスタトスの一味に囲まれて危機一髪の事態となったパパゲーノ。さっそく鈴を取り出して鳴らします、するとあら不思議、悪党どもは酔っ払いみたいになって踊りだしてしまいます。

いや~ドラえもんがいてよかったなあ、鈴が無かったら危なかったよ・・・。この鈴は彼女のいないパパゲーノに可愛いフィアンセのパパゲーナを呼び出してもくれたりする。タミーノの方だって笛を吹いて火と水の試練をくぐりぬけてむずかしい入信の試験に合格し、助け出すはずのパミーナとカップルとなってしまうのです。

要は、このドラえもんの笛と鈴は影の主役であり、だからこのオペラの題名もちゃんと「魔笛」となっているでしょう?ところが、おかしなことがあるのです。パミーナ救出に行ったはずの二人は敵方ザラストロに懐柔されてしまい、ついにドラえもんは成敗されて、あれ~と地獄に落ちてしまうのです。

このドラえもんが「夜の女王」であります。笛と鈴は彼女がくれたわけです。

魔笛はわけのわからない筋書きで、ザラストロと夜の女王はどっちが善玉か悪玉かわかりません。第2幕でザラストロが善玉だった風に描かれ、万人がそう信じているが本当にそうだろうか?

タミーノは悪人ザラストロに洗脳されて入信してしまいパミーナと結婚を許されるが、そこで夜の女王が現れてドカンと一発逆転・・・やっぱり女王様の笛と鈴は正義の味方だったんだ、よかったねなんて筋書もありだったように思うのです。

優等生のタミーノ君が試験に合格してバンザイとなる。聴衆はそこまで延々と「しゃべるな」「飲むな」「女に騙されるな」と堅苦しいタミーノの受験勉強につきあわされたわけで、それなら合格の胴上げでスカッとして「よかったね」で終わりですよね、ふつう。

ところが、そこに劣等生で放校処分のパパゲーノ君が現れます。そして「彼女がいないよ、さびしいよ!」と自殺まで試みると、女王の鈴の魔法でかわいいパパゲーナちゃんが現れ、なんのことない「たくさん子供を作ろうね」(パパパ・・・)なんて歌で大いにもりあがっちゃう。

おいおい、あの受験勉強はなんだったんだよ?

まあ、そうなるわけです。だからそこに夜の女王が出てきて「そうよ、楽しい家庭こそ人の道なの。あんたたちも帰っておいで」ってタミーノと娘を呼んでおいて、「この浮気者!滅んでおしまい!」なんて叫んでサリーちゃんの魔法の杖みたいなのでピカっとやると悪党ザラストロの神殿がドドーンとなくなっちゃう。

そこで一度音楽は静まっていよいよ大団円です。夜の女王、タミーノ、パミーナ、パパゲーノ、パパゲーナが舞台中央に寄ってきて魔法の笛と鈴を高くかかげて勝利を宣言し、「愛こそ人を救う」の 感動的な五重唱と合唱で幕を閉じる。これでしょう、これが筋のとおった魔笛じゃないでしょうか。

Schikanederこのオペラの台本作家シカネーダー(右)はそうするつもりで第1幕を書きだしたが、競争相手の劇場が似た筋の作品を先にやったので第2幕から方向転換したという説が昔からあります。ジャック・シャイエは否定してますが僕はそのつぎはぎ説に賛成です。オペラといってもイタリア歌劇でなくドイツ語上演の芝居小屋劇です。台本も作曲も急ごしらえで、客にうけてナンボのものだった。後世の学者があれこれ難しい理由を考えてますが、要は単純に何でもアリだったと思うのです。

シカネーダーの日和見な営業戦略にモーツァルトがつきあった理由はいくつか考えられて、

①フィガロの失敗でなくした自分の居場所を作るためにドイツ語オペラの人気を確立したかった。「賢者の石または魔法の島」というオペラに合作者で入ったが、なんとしても一人で全部書いて歌劇場での名声を復活したかった。

②フィガロを書いてしまった権力への反骨心は消えず、それをフリーメーソンに託す気持ちが強くあった。だからフリーメーソンオペラを書きたかった。第2幕変更はその目的にはむしろ有難かったし、シカネーダーも劣等生ながらメーソンであり、交換条件でそういう合意になった。6月時点でまだ第2幕の始め(「女の奸計から身を守れ」)を書いていたことから方向転換は5月ごろとすると初演(9月)まで4か月の時間があった。

ではないでしょうか?

つまり、筋は変になるのですがむしろモーツァルトにはOKであって、第2幕の始めにそこまでのお気楽な喜劇とはそぐわしくないレチタティーヴォによる弁者の説教が長々と入る。ここは聴き初めのころ僕にとってこのオペラの唯一退屈な部分だったのです。ここです。

ところがモーツァルトは1791年10月8日の妻への手紙で、「この厳粛な場面の台本のセリフを全く理解してない」と劇場で隣で聴いていた友人(ロイトゲープ)を罵倒し、「パパゲーノめ、と言って僕は席を立ったが、あの馬鹿はその意味も理解しなかっただろう」と書いています。アリアとか管弦楽法とか、音楽についてじゃないのです、台本、セリフですよ。つまり、ここはモーツァルトにとって、怒るほど大事な部分だったのです。

ここがどうして長いか?①「木に竹を接ぐ」接点部分だからストーリー転換を正当化するだけ頑強でないといけなかった②モーツァルトが大事と考えるフリーメーソンのメッセージが聴衆にプロパガンダとして刷りこまれるべきだ③だから言葉にこだわりがあった(ひょっとして彼自身が書いた)、僕は彼の性格がなんとなく似ていて感じるのですが、そういう強調したいところは異常に細かい、言葉は一言一句吟味していて誰でもわかるようにくどい、だからそれをわからないのは馬鹿だという反応になったと確信するのです。

Papagenoパパゲーノは彼の潜在意識の中で馬鹿の代名詞だったこともその手紙からわかります。左が初演のときのその姿で、これを舞台で演じたのはシカネーダー本人でした。彼は上の階級に昇格できない不真面目なメイソンでした。メイソンで短期間に飛び級出世して、父親やハイドンまでひきこみ、典礼のためのテーマソングの作曲までまかされていたエリートのモーツァルトからすると同期入社のダメなやつという感じだったでしょう。だからオペラの中では、優等生タミーノのわきで泣き叫ぶ姿にその投影があったのではないでしょうか。ところが、モーツァルトが野人パパゲーノを愛すべき人物と思っていたことがオペラの最後になってわかるのです。自殺シーンのアリア。そして童子が救い、鈴を鳴らしてパパゲーナが現れる。そしてパパパ・・・。不意にばったり顔を合わせてびっくりというのは第1幕でパパゲーノとモノスタトスがありました。しかしパパパにいたるこの部分にモーツァルトがつけた音楽は奇跡のような人類の至宝であって、彼自身こういう音楽は他に書いてないと思われます。

落語には愛すべき熊さん八つぁんがでてきますがパパゲーノはあれと似てます。メーソンを持ち上げたモーツァルトですが、それはフランスみたいな革命が起きて貴族階級の倒壊がおき、実力社会になって欲しい願望を託したと僕は考えてます。しかし彼は方便としてメーソンの階級は欲したかもしれないが、その世界の住人ではなかったしなる気もなかった。貴族は客であったが友人はシカネーダーやロイトゲープのような腕一本で世を渡るやくざっぽい連中だった。やっぱりメーソンじゃねえさ、俺もおまえらが好きだよと、タミーノとパミーナの上流階級のハッピーエンドを吹き飛ばすパパパ・・・。まるでハードロック並みの威力あるぶちかましです。ここにいたってモーツァルトの階級社会への反骨は他力本願から自力救済になる。

これも計画したのではなく、自殺アリアを書いてパパゲーナ、パパゲーナと歌っているうちにだんだんパパゲーノに自己投影がはじまってどんどん音楽に天才のエキスが注ぎ込まれてしまったのではないか。そしてパパゲーノの調であるト長調がいざ死ぬぞの場面でト短調になる。そこで不意に彼の首つりを止める童子のコーラスが入る。ここで涙腺がゆるまずにすむことはほとんど困難です。そしてG⇒Cの「サブドミナント希望コード」、そしてG、Em、C、D7の「アマデウス・コード」がこれでもかと鳴らされ、「パパゲーノよ、生きろ!」と鼓舞する。そしてとうとうカノジョ、パパゲーナが出現するに至る、これはもう階級なんか関係のない人間賛歌であって、冒頭動画のモノスタトスといっしょに踊りだしてもいいなという気持ちになってしまう。たぶんどんな気むずかしい人でも。これが音楽の魔法でなくてなんだろう?

 

モーツァルト「魔笛」断章(アマデウスお気に入りコード進行の解題)

 

 

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