シューベルト 「アルペジオーネ・ソナタ」イ短調 D.821
2016 JUN 14 2:02:29 am by 東 賢太郎
シャネルの5番という香水はジャコウネコの肛門の分泌物を使っているという話がある。芳香とはほど遠いイメージだが薄めるといい匂いになるようだ。似た話として猛毒のトリカブトも薄めると漢方薬になる。
あんまりいい例えではないが、音楽にも毒性のあるものがあって、摂取しすぎると気持ちが暗く沈んで落ち込んでしまう、しかし、時々聞くととても「いい匂い」で「薬」になるというのがある。
僕にとってチャイコフスキーの「悲愴」、シューベルトの「未完成」、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番がそれであって、摂取には注意している。この作用を科学が解明することは期待できない。雨の日はブルーなのという女性にどうしてと聞くぐらい。
その3曲にも増して僕にとって危険水域にある曲がある。それが表題曲だ。アルペジョーネというのは楽器の名で、チェロとギターの「ハーフ」のようなもので6弦でフレットがあり調弦もギターと同じE, A, d, g, h, eであり金属のフレットを24つけているのも同じだ。1823年にウィーンのギター製作者シュタウファーが発明し、シューベルトが翌24年にこの曲を書き、それを唯一の生存証明のように消えていったはかない運命の楽器である。こういう姿と音だった。
一般にはチェロで代用されるが弾きようのない音があり、ヴィオラ、ヴァイオリン、コントラバス、ギター版というのもあるがチェロが最もアルペジオーネには近いように思う。
これを書いた時にはシューベルトは梅毒に冒されていて死の恐怖と戦っていたと思われる。おそらくはこういう事態になり始めていただろう( シューベルト ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調D960)。23年以降に彼はこの21番を含むピアノソナタを8曲残したが幽玄な和声感覚が支配しているという点で表題曲もその一連のソナタ形式作品の流れの一つと考える。
前年の1822年に書き始めて途中でやめてしまった「未完成」の冒頭はこう始まる。
そして表題曲でアルペジオーネはこう弾き始める。おんなじ音列だ。
これをきいて以来、僕はこの曲の得体のしれない深みに蟻地獄のようにはまってしまい、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番K.491の彼岸のナポリ六度をもつこのメロディーが頭でなり続けるという恐ろしい目にあった(注)。これは例のない粘着力のある旋律で、魚をさわった手から匂いがぬけないみたいに意識にへばりついていて、べつにいやな匂いではないが、煮詰めると毒になってしまう危ないものを感じる。
(注)モーツァルトピアノ協奏曲第24番K.491の第3楽章冒頭をイ短調に移調すると和声はAm-E-Am-F7-E-F-G-C-Am-Em-B7-Emであり、終結部はB♭-Am-B♭-Amのナポリ六度が繰り返される。アルペジョーネ・ソナタの第3楽章冒頭はAm-E-Am-Dm-Am-B7-E-Am-B♭-F7…である。両者に出てくるB♭とFこそ「危ないもの」の根源だ。彼岸の境を行ったり来たり・・・大変に恐ろしい。
第2楽章はピアノのホ長調が鳴った瞬間に、一見明るいが不気味なものをふくんだベートーベンのピアノソナタ第28番に聞こえる。と思うとつづくアルペジオーネが奏でるメロディーはベートーベンの第2交響曲のラルゲットだ。そしてピアノが「魔王」で悪魔にさらわれる子供の叫び声みたいな短2度を連打するのだ。終結に至る10数小節のピアノの最低音域に乗った不気味な和声は未完成の世界だ。病魔の疼きにいろんなものを見てしまっているシューベルトが描いた心象風景が空恐ろしい。
第3楽章の冒頭は春のそよ風のようにうきうきする。田舎のレントラー風のメロディーがほっとさせる。
しかし、そんな中にこういうものがぽっかりと現れる。実に怖い。このビデオの23分17秒からがこの楽譜である。
最後の2小節、B7、C、Am6、B7という和声プログレッションは、d#、c、a、hの「アマデウス・コード」の第1音を h に置換したもので、モーツァルトの匂いがぷんぷんする( モーツァルト「魔笛」断章(アマデウスお気に入りコード進行の解題)。
そして「C」という想定外のド・ミ・ソにびっくりするやいなや、「Am6」がやおら厳粛な悲しい運命の茶色を添え、耳を魔境に引きこむのである(マイナー6の和音は茶色である)。第3楽章の随所から、僕には「魔笛」が響いてくる。楽章の幕切れに耳を澄ませていただきたい、いかがだろう、あの三人の侍女たちの auf Wiedersehn~ auf Wiedersehn~がきこえないだろうか?
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(Vc) / ベンジャミン・ブリテン(Pf)
上のビデオがこれ。僕はロンドンでロストロポーヴィチのシューマンやハイドンを聴いたが、以来あんなチェロの音を聴いたことがない。全音域がバターみたいにとろける音色で弓に力が入ってないのに朗々とホールの奥まで響き渡る。圧倒され、昨日のことのように覚えている。この演奏は作曲家ブリテンのデリカシーあふれる伴奏も類のない素晴らしさであり、SACDになった右は人類文化遺産の永久保存版だ。
モーリス・ジャンドロン(Vc)/ ジャン・フランセ(Pf)
僕の好きな演奏。ジャンドロン(1920-90)はニース生まれでカザルスの弟子だ。とにかく音が明るい。ロストロの技は求められないがこのおフランスの味もこれまた他に求められない。この演奏の伴奏がこれまた作曲家フランセであり、うまい!(僕は彼の「花時計」という洒落たオーボエの曲が大好きだ)。この演奏のやや乾いた歌わせ方、テンポのツボにはまった緩急、リズムの良さは出色だ。ぜひ多くの方に聞いていただきたい。
(こちらへどうぞ) 同じく恐ろしい音楽です
シューベルト ピアノ・ソナタ第18番ト長調 「幻想ソナタ」D.894
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Tom Ichihara
6/16/2016 | 8:02 PM Permalink
パブロカザルスは子供時分にニュース映画で、国連でバッハの無伴奏チエロ協奏曲が強く印象に残っています。
もう、お弟子さんも亡くなられたのですね。