僕が広島カープファンになった意外な真相
2026 AUG 9 3:03:47 am by 東 賢太郎
8月6日の朝8時、東京タワー近くのカフェで初対面の皆様とミーティングが始まりました。これが建ったのは昭和33年、高さ333メートルは当時の日本一。その年に生まれた妹が物心ついたころに父に連れてられて展望台にいちど昇ったきりで、今回このあたりに来たのもそれ以来という塩梅なのだから東京が広いのか行動範囲が狭いのか。スカイツリーだって近寄ってもおりませんから、高いところが苦手で下から見上げるのもちょっと弱いというのがあるかもしれません。今回はタワーに用事があって来たのですが、たまたまとはいえ8月6日という日付も気になっており、広島に原爆投下された8時15分に心の中で黙祷をいたしました。
原爆をいつどこでどのように知ったかは覚えてません。調べてみると、社会科で習うのは小学校6年のようです。そうではない。なぜなら、小学校2年から広島カープファンになっていたからで、それから4年も経って原爆投下を知ったとするとその脈絡で覚えているはずですから100%それはない。つまり原爆を知ったのはカープファンになるのと同時の8歳か、それ以前であります。自分の中では、「王貞治と大羽進の甲子園予選東京大会決勝戦での対決」で1-0で敗れた大羽を応援しているうちに判官びいきでカープが好きになったというストーリーになっており、ブログにそう書いてもいますが、8歳の年齢でそこまで調べがついたとは思えませんし、先ほど調べてみると、おふたりの対決のとき僕は4歳なのだからそれは明らかに誤りなのです。
ということは、大羽投手が「王キラー」として名を成した10歳のころにふたりの高校時代の因縁が話題になり、僕の中でそのストーリーが後付けでくっつき、今に至るカープ愛が完成したものと思われます。ところがです。そうだとすると、きっかけなしに、自発的に、8歳の東京の子が万年5位、6位だった地縁も何もない広島カープの熱烈なファンになっていたことになってしまいます。広島県がどこにあるかも知らない子がカープファンになった納得できる理由が消えてしまうのです。当時は巨人戦しかテレビ放映がなく、ときおりしか見ない相手チームは情報も少なく東京の子はみな巨人ファンの時代ですから、何かトリガーがないと起こりえないことだったのです。ではそれは何か?ここで「原爆を知ったのはカープファンになるのと同時の8歳か、それ以前であります」という条件が活きてくる。つまり、原爆投下を知ってから(あるいはほぼ同時に)、僕はカープファンになったのであれば、広島県がどこにあるかも知らない子がカープファンになった納得できる理由ができます。すなわち、球団の好き嫌いとは関係なく、誰かがまず広島への原爆投下の悲劇を僕に教えこみ、それに感化を受けて湧き起こった同情と義憤から僕はカープという球団を強く意識するようになったのです。
では教えたその人物は誰だったのでしょう?
母は野球、政治に興味はなく、精神的ショックを与えかねない話を他人の子供にするような親戚もおりません。それは父以外にあり得ません。おそらくはテレビでいっしょに巨人・広島戦でも見ながら、少し日本語が理解できるようになった息子に、広島というところはねと原子爆弾の話をしてみたのでしょう。16歳で開戦となり、学徒動員され陸軍の高射砲部隊で片耳の聴力を失い、家は空襲で消失して大学も断念せざるを得なかった父は戦争を心底憎んでおりました。徴兵はおぞましい記憶と思われ多くを語らず、GHQに批判的な印象がない点は軍への憎悪の反映とも思われます。三井銀行に入行し、資産家だった祖父が末娘の婿に選んだことで体制批判ご無用の立場になったのですが、母方の親族が東京裁判で無罪となったこともGHQと新政府に親和的だった背景かもしれません。そんな父が、母の庇護下でのんびり、のほほんと育っていた息子を見て、戦争について教育しておかなくてはと考えていた可能性は大いにあります。そのコンテクストでプロ野球を見れば、帝国主義、軍国主義の犠牲となった広島という都市に強い同情が芽生え、樽募金で資金をまかなって誕生したカープを応援しようと8歳の少年がなっても不思議でなかったと思えるのです。
もしそうなら、僕の中に何か別の痕跡もないだろうか?あるのです。父の怒りの矛先は我が国の軍国主義だけでなく、死に体の我が国に核爆弾を二発投下したアメリカ合衆国にも向いていました。GHQでなく米国政府です。その片鱗が僕の中に残り、米国文化への徹底した蔑視となったのです。文化では勝っているという精神的レジスタンスです。クラシック音楽界は親独伊、反英米の立ち位置がありえました。僕はそれに染まり、その結果、2年間も定期会員でオーマンディーやムーティの指揮で何度も深い感動にいざなわれながら、フィラデルフィア管弦楽団を芸術性においては完全に見下しており、不満でした。父のスタンスの影響から、アメリカの音楽文化について都鄙感覚からくる頑強にネガティブな心理バリアができてしまっていて、その刹那は感動はしても敬意には至らなかったのです。それが少し解けたのはレナード・バーンスタインという天才を知ってからで、彼の方法論の薫陶でこうしてブログを書いているわけですからそれがアメリカの美質であることを認めてはいます。でもその音楽文化が欧州のそれに匹敵するなどとは微塵も思わず、言葉は汚いが蔑視は消えません。このcomplexityはニューヨークに滞在したドヴォルザークが土地や文化や人々を愛したにもかかわらず米国音楽に抱いていたとされる気持ちに似たものかもしれません。
後述するように父自身はアンチ・アメリカ合衆国のバリアを乗り越えましたが、好きになったわけではなく、敵の強さを素直に認めて良いものは良いとして学んでしまおうというプラグマティックなものでした。敵は無傷で捕獲したゼロ戦を分解して空中戦で負けない手法を編み出しましたが、父もそういうエンジニア的性向のある人で、神風と大和魂だのみの日本軍より実用主義的な米軍を評価したのです。対して、敵を鬼畜と罵るだけで研究せず、無線は傍受され放題で大勢の若者を無為に犠牲にした日本の軍神たちをシンプルに馬鹿だと考えていたと思われます。その証拠に、性向が丸々遺伝した息子がそう確信しているわけです。戦争というものは女性や子供も苦しむのですが、なんといっても亡くなった310万人の8割近くは男だったという厳然たる事実は重い。東家の墓にもガタルカナルで戦死と刻まれた親類が眠っているし、男だ女だという話は忌避される平和な世の中になってはおりますが、数字が示す通り男にとって戦争とは逃げ隠れできないものだったのです。犠牲者である父が息子にした広島原爆投下の話は、当たり前のこととしてそうした “強度” を伴っていたはずであり、だからカープが好きになりましたなどという安易で拙速なものではなかったのだろうと思います。
小学校2年生が理解できたことは、自分もそのめちゃくちゃにされた日本人である、父がかわいそうだ、であればこれから自分が鉄腕アトムみたいにやり返せばいいではないかの程度だったでしょう。そして、それが今も僕の性格の根幹にあ
る「判官びいき」のルーツになった理解は容易です。今もって、何らの理由もなく、「でかくて強いもの」はいつも僕の中では好悪の悪であり敵なのです。でかくて強い。アメリカそのものじゃないですか。そして野球少年になりつつあった当時、あこがれとともに毎日毎日テレビにかじりついて見ていたプロ野球の世界では、9連覇した常勝巨人軍こそが悪の権化みたいなものであり、僕が応援すべき弱者はといえば、故なき原爆被害に遭ったにもかかわらず、それをはね返して強くなりたいという不断の願望をもち、他チームをしのぐ激烈な努力を重ねていた広島の球団だった。ここで王と大羽のストーリーが、これまた判官びいきのフォーマットに綺麗に収まる話として縫合され、王の5打席連続、6試合連続などの本塁打記録を3度も阻止し、通算48勝中19勝が巨人戦という感動的で正義の味方としか表現の言葉もない大羽進投手の快投を聞き知って、カープファンという魂が形成されていった。これが時系列から見ても文脈としても、僕が広島カープファンになった矛盾のない結論、よって、真相であります。
自我の成り立ちはかように複雑なものです。皆さんどなたも、ご自身なりの物事に対する善悪の感情をお持ちと思います。戦中派を親に持つ世代のそれは大なり小なり終戦と無縁ではないでしょう。自分たちは絶対に戦争はしない。この教訓は合致していましょうが、ではどのような国になれば我々日本人が戦争ぬきで幸せに生存していけるのか。喧嘩はこちらがふっかけなくても逆はあるわけです。それへの対処も放棄してどこかの国の核の傘の下で生きながらえる。これをまじめに信じられる人はよほどの性善説か、何も考えてないか、どこかの国の奴隷でも戦争で死ぬよりましだと考えるか、仮にそうなっても自分の一族は上級奴隷として良いポジションで生きられると積極的に思っている方々です。ちなみに世襲政治家は代々が上級国民であり、奴隷になってもその支配を一任される上級奴隷のはずと考えており、傘を持つ可能性のある米国・中国どちらであれ媚を売る可能性がとても高いわけです。米国・中国もその連中をスパイにしておく絶大なメリットがあり、カネ、女、秘密医療、秘密口座などを総動員して手なずけ、逆らえばそれをネタに脅します。ODAの3割が秘密口座にキックバックされるなど、実弾は税金だから出す方ももらう方も腹は痛みません。ストレートに書くなら、その連中は表の顔は議員や官僚ですが、実態は堂々たる売国奴になるということを言っております。大東亜戦争が太平洋戦争になる過程でもそうした動きがあったことは多くの方面で指摘されております。その行動を皆様じっくり観察し注視していれば、そういう者どもの本性はおのずとあぶり出されてきます。
我がカープ愛の由来はそのように意外なものでした。判官びいきはそれが弱くて負け続けても愛するし、必死に戦った結果が最下位でもいいのです。だからこそ、今回のゾンビタバコ事件は逆鱗に触れた、なぜなら弱くても愛するのはその者が勝ちたくて死ぬほど努力しているからです。 10連敗したっていいよ、そこから何かを学んでいずれ強くなるさ。そう思えるから応援する。現に弱小のカープが昭和50年に初優勝したときの喜びは、奇しくも大学合格の年でもあったゆえ人生最大の歓喜の年だったといって過言ではありません。判官びいきは、応援する対象自身の強い願望、努力と裏腹の推し活なのです。だからカープのゾンビ事件への僕の怒りが半端でないことはご理解いただけるでしょうか。法を犯したかどうかなど僕のコンテクストにおいては些末なことで、コンプラがどうのと騒いでる世間とはぜんぜん別次元の怒りなのです。願望、努力とは程遠い薄汚れたおぞましい自堕落はアスリートであるなしにかかわらず人間として終わってる。日夜必死に練習して当たり前の二軍の分際で、田村というガキがネエちゃんとイチャついてる。適当に楽しくやって何年か経てば上がいなくなって一軍に上がれるだろうと甘く見ているとしか思えない。ネエちゃんと遊んでいかんという気はない、それがストレス解消で努力のうちなら大人の判断だが、それで世間に通るのは一軍で3割打ってから。こいつのしてることは、ただのその辺のサラリーマンと同じです。僕はこういう勘違い野郎が問答無用で大嫌いで、顔を見るのも不愉快であるからこいつが出るなら試合は見ない。
王貞治は荒川コーチの自宅で日本刀を毎日振って集中力を研ぎ澄ました。高校からの宿敵である大羽進は王を三振に打ち取ることに命を懸け技を研ぎ澄ました。なんのため?勝ちたいからです。その一挙手一投足にファンは酔い、少年だった僕は男と男の真剣勝負の潔さと残酷さを学んだ。今どき巨人の星かと思われる方も多いでしょうが、その今どきの世界のトッププレーヤー、イチローやダルビッシュや大谷だって厳しく自分を律して磨き上げて頂点へ登りつめた点で王や大羽と同じです。だから僕は昨今の日本のなあなあでお遊びでしかないオールスターは見ません。こんなものなら、とんねるずの「リアル野球BAN」のほうがよっぽど面白い。ゾンビ吸ったりネエちゃんとキスしてるところを間抜けにも撮影されてるカープのこいつらは球界全体のユルさが生んだかもしれず、サッカーの方がずっと真剣勝負であるとだんだん思えてきました。青少年に何を教えてくれるんだろうという視点はプロのアスリートには必須です、僕もそれを見て育てていただきました。カープのキミたち、自分は大谷さんとはレベルが違うんでと思ってるならそもそもプロ野球選手じゃないんでね、みっともなくクビになる前に自分でやめて歌舞伎町でホストにでもなれ。
父がどこでどうしてアメリカを許したのか聞いてませんが、GHQが決して鬼畜米英ではなく、入隊するなりスリッパでビンタを食らわせた畜生のごとき陸軍の上等兵どもに比べればずっと人間としてマシであり、頭から押し付けられた自由主義、民主主義ではあったが、天皇総帝論のもとでの八紘一宇よりまともな治世ではないかとどこかで確信に至ったものと思われます。一転して英語を学ぶようになり、息子には米国留学を奨励し、銀行定年後もインドネシア国立銀行、トーマス・クックの顧問に就任しておりました。 「97歳でも勉強されてたんですよ」と入居していた施設の皆さんからうかがい、まさかと思いましたが、遺品に漱石の坊っちゃんの英語訳があったのはいささか驚きました。父が所有していたLPレコード、ビリー・ヴォーン楽団の「浪路はるかに」をきくと、あのなつかしい居間の午後の陽だまりが目の前にぱあっと広がります。
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