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ベートーべン弦楽四重奏曲第12番変ホ長調Op.127

2026 SEP 19 18:18:14 pm by 東 賢太郎

高市新内閣の顔ぶれが話題です。公約達成へ加速するための実力主義の組閣とのこと。人事は反抗勢力も出ますが、その人達は減速要因になるので益々使えません。330議席与えた有権者はそういうことを冷徹に差配するために彼女に権力を付託しました。行使しないならそれも公約違反です。こうして日本国憲法第1条の「主権在民」が担保されます。

登用された新閣僚の方々の喜びと使命感はいかばかりかと想像します。読者の皆さまも何らかのご経験があると思いますが、ご自分が得意なことをほめられた嬉しさは冥利に尽きるものです。私事で恐縮ですが、25年勤めた会社から移籍するという人生でも重い決断に至ったのは、「ウチに来ないか」と誘われ、その仕事は経験ないとお断りしたところ「君ならできる」とゆるぎない口調で言われたからです。自分でも信じられないエネルギーが湧いた結果いまに至ります。あのままだったら終わってました。

ベートーべンがもしかしてそういう気持ちで書いたのかと勝手に想像している作品があります。弦楽四重奏曲第12番変ホ長調作品127です。なぜかというと、1822年11月、ロシア貴族ニコライ・ボリソヴィチ・ガリツィンがサンクトペテルブルクからフランス語で彼に以下の趣旨の手紙を送られてきたからです。

『私は音楽の熱烈な愛好家であると同時に、あなたの作品を評価しています。新しい四重奏曲を一曲、二曲、あるいは三曲、作曲していただけないか

彼は《ミサ・ソレムニス》ニ長調 Op.123(1824年4月7日初演)、交響曲第9番ニ短調 Op.125(1824年5月7日初演)の作曲中で、注文の一曲目になる弦楽四重奏曲第12番Op.127が完成したのは1824年5月と二つの大曲の重荷が下りて書かれました。つまり、その時点で彼は交響曲9曲、弦楽四重奏曲11曲、ピアノソナタ32曲を書き終わっていたのです。達成感が出てしまったかどうかはわかりませんが、ガリツィンが触発した5曲を入れても、現実として作品138までで亡くなっているのです。手紙がなければ終わっていた可能性は否定できないでしょう。

Op.127が5曲の後期四重奏曲の先駆けになったわけですが、作品番号順に書いたわけではなく、書くうちに新たな構想が芽生えて別な曲を書くという錯綜した手順になったようです。11番以来14年空白だったこのジャンルの筆を折ったわけではなく、構想があったところに手紙が舞い込み気持ちに火がついたとされています。時代背景として、ウィーンにロッシーニが出現したことは重要です。ベートーベンの目線からすれば聴衆の好みは軽薄なイタリアオペラに流れており、彼はその路線になく難解でした。ガリツィンはアマチュアとはいえ真摯な音楽家です、そのリクエストは彼を燃え立たせるに十分であったと考えられます。

そこでまず生まれたのがこのメロディーです。なぜだか、これが無性に好きであり、体の内側から明るくし元気を与えてくれます。クラシック広としいえ、こんなものが他にあるかというと、裸のメロディーとしては思い当たりません。

16年の海外生活から東京に戻り心身ともに疲れ果てていた時、Op.127第1楽章の最初の主題であるこのメロディが妙に脳裏に焼きついていたことを覚えています。当時はなぜかとも考えませんでした。いま聞き返して、これはガリツィンの発注に鼓舞されたベートーべンの溢れ出る希望と期待が乗り移ったものと感じいっているところです。簡素でありながら神々しいばかりの高貴な品格。さすがのハイドン、モーツァルトもこういうものは書いていない。盛った器である第1楽章は一見古典的な装いをまとっており、重厚な変ホ長調の合奏で扉を開く序奏はモーツァルトの交響曲第39番を想起させます。しかし、問題のメロディには無双の個性があり、彼は執拗に執着し、出るたびにその光輝がまばゆく第二主題の影は薄いため古典的なソナタ形式の対比が感じられず、コーダもなく(これも39番の最後と同じ)、初めて聞いたときは単一主題の幻想曲のように感じられたものです。

このメロディは序奏がA♭で終わるためサブドミナントの完全4度上昇(c-f)で開始する点がいきなりユニークです。ベートーべンが意図したかどうかはともかく、このコードが変ホ長調のサブドミナントである上に完全4度上昇(T→SD)というダブル構造にあり、強烈に希望と期待の気分を喚起する効果があります。これは13年前に書いた「Fの希望効果」(希望を暗示するサブドミナント)以外の何物でもありません。

クラシック徒然草-田園交響曲とサブドミナント-

神様が封じ込めたその効果を彼が本能的に採用したか、知った上でそれで始まるように序奏のカデンツをデザインしたとも見えます(十中八九後者でしょう)。ドビッシーは《映像 第1集》の《水の反映》に関する手紙で「和声の化学」(la chimie harmonique)なる言葉を記していますが、ナトリウムと塩素を混ぜると元の元素にはなかった性質の塩ができるように、和声は音の混合で予期せぬ性質を発現するのです(クラシック徒然草-僕は和声フェチである-)。

ちなみに、ピアノソナタ第31番変イ長調 Op.110のフーガ主題は三連の完全4度上昇という希望と期待の嵐です。1822年の作品で、ミサ・ソレムニス、第九という大作に挑みかかる高揚した彼の心が伺われるようです。

Op.127第1楽章に戻りますと、第2主題はト短調で現れますが存在感は弱く第1主題の素材が混合し、序奏部がト長調で再現します。すると第1主題はそのサブドミナントですからハ長調となり、そこからCdim、B♭m、Ddimと心胆を寒からしめる経過部の嵐を経て第2の序奏部再開(ハ長調)に至り、やがて変ホ長調の第1主題が回帰します(ソナタ形式として異形)。ここからの息つく暇もない対位法の処理は目覚ましく、第1主題から派生した数々の素材の断片がパズルのように組み合わさり4本の楽器にちりばめられ、スコアは幾何学的なれど聴感は一切の作為もなく天衣無縫のごとし。1小節の不意の休符をはさんで変イ長調の影が差しこみ、VnⅠは高音になって天空への飛翔をはじめ、チェロは地底のC線に下がって音域の幅が大きく開き、旋律はVnⅡに受け継がれます。やがて第1主題がオクターヴ高くそれを引き取ってppで音楽は虚空の彼方に消える。何やら天使の舞いを見ていたようであり、何度聴いても我に返って唖然とするばかりです。

第2楽章の冒頭、宇宙の神秘の扉がゆっくり開く。ブラームスのドイツ・レクイエム冒頭がこれそっくりです(彼はバッハとベートーベンをよく引用している)。変イ長調で始まり6つの変奏で15分ほどかかるこの微光を放つ楽章は前の楽章の幾何学文様のアダージョでないと描ききれない細密なタペストリーであり、第3楽章に変奏曲を置き全曲の要としたピアノソナタ第30番が予言していたスタイルの結実です。ガリツィンはチェリストで、随所でハイポジションの旋律を担って腕前が発揮できるよう配慮されており、チェロに。

第3楽章はスケルツォで交響曲にも見られるようにリズムの遊びが尽くされています。中間部は変ホ短調のプレストになり、4分の2拍子の楽句が会話のようにはさまる部分は無調的。ベートーベンの耳は遥か未来の音まで聴き取っています。第4楽章は無窮動風な急速楽章でやはり小さな素材から幾何学的に組み立てられたポリフォニーの大傑作であり、リタルランドしてからアレグロ・コン・モートになってppの軽い弓で絹づれのようにさらさら流れる終結部は極めてユニークであります。

1825年3月6日のシュパンツィヒ四重奏団による初演は練習不足だったようで失敗でした。しかし、現代のカルテットでもこの曲は安易に取り組めるものではなかろうし、仮に当時に腕の立つ人たちが演奏したとしても初めて聞いた聴衆がこの曲想と斬新な筆致を理解したとは思えません。ベートーベンはガリツィンに1曲あたり50ドゥカート(約50万円)の約束で3曲(Op.130と132も)書き与えましたが、生前にはOp.127に対してしか支払われなかったのはそうした理由もあったかもしれません(相続人たちによって解決)。僕にとっても謎めいた深みがあり霊峰のようにそそり立つ驚嘆すべき作品であり、もう何十回も味わってますがいつまでたってもそうあり続けるでしょう。ベートーベンが彼たりえるのはこうした作品によってであると大書しておきます。

バリリ弦楽四重奏団

これに関心を持ち、ウェストミンスター盤の全集をLPで買ったのは理由がある。ウィーンに生まれのイグナーツ・シュパンツィヒ(1776– 1830)が率いた四重奏団の演奏がどんなものだったか気になったからだ。シュパンツィヒはベートーベンの友人でVnの教師でもあり、1795年にリヒノフスキー侯爵のために非公式の弦楽四重奏団を立ち上げた。ベートーベンのカルテットに名を刻んだアンドレイ・ラズモフスキーは優れたアマチュアヴァイオリニストでもあり、本業はウィーンのハプスブルク家宮廷でのロシア外交官で、ウィーン会議の首席交渉官である。1808年にシュパンツィヒ四重奏団を創設しベートーベンの作品献呈で名を残し、同楽団は後期カルテットの多くを初演した。ワルター・バリリは第2次大戦終結の頃のウィーン・フィルの第1コンサートマスターでシュパンツィヒ四重奏団と血脈があるわけではないが、ウィーン・フィルとはウィーン国立歌劇場管弦楽団であり同劇場の先駆はケルントナートーア劇場である。ベートーベンの第九、ミサ・ソレムニスはケルントナートーア劇場で初演されていることからも、シュパンツィヒの当時の奏法の集大成がそれを通じてウィーン・フィルに、そしてバリリ弦楽四重奏団に繋がっていると考えるのは根拠なきことではない。冒頭楽章、Vn1のトリル風の合図からふわりと柔らかく抜け出る第1主題が素敵だ。第2主題最後のト短調のにわか雨がそれだから活きる。提示部が終わったと古典的な安心がある。後半も作曲の秘儀である主題分割や対位法の理がたたずに歌に溶け込みまさにウィーンの香りに満ちる。アダージョも歌、歌だ。人生の喜びも悲しみも内声の味わい深い意味合いとカンタービレで自然に肌に伝わってくる。この楽章が長いと感じる人は現代の時間感覚に毒されている。ぜひ聴いてほしい。第3楽章ヴィヴァーチェは底抜けに明るくはないが、エッジが立たず牧歌的で人懐っこい。休符で間があく部分の空白の意味!和声の妙味!跳ねるリズム!顔を見合わせて吹き出すほど遊びとユーモアがあり、これぞスケルツォというものである。ブタペストSQの流儀では現代的、挑戦的に聞こえる終楽章イントロもどこか田園風情だ。主部のVaⅡ、Vaの音程、ニュアンスが素晴らしく目まぐるしい転調にコクがあり、決めるところはシンフォニックに決める。アレグロ・コン・モート以降のppも疾走にならず落ち着いたエンディングである。総じてVnⅠの音程が甘いなど指摘される部分はあるが、それも含めて文化であると感じさせるこんな演奏ができる団体はもう存在しない。

 

ブダペスト弦楽四重奏団

一点一画ゆるがせにせぬ厳格なアンサンブル。人類のうち最極北でシリアスな部類に属する性質の人たちでなくして、いかなる峻厳な技術的鍛錬をもってしても紡ぎ出せない種の深遠なアダージョ。こうでなくしてこの音楽はあるべき姿を結実しないと思わせる主張がある。これが本来の作曲家の意図かと言われれば疑問だが、同様のことはトスカニーニのベートーベンも言え、それ交響曲全曲を理解した自分が間違っていたとは思わない。20世紀に生まれた者が意図して排除しても混入するロマン性フリーでベートーベンに対峙できるカルテットがブダペストであったと書いていいと考えている。ジョゼフ・ロイスマン(VnⅠ)、アレクサンダー・シュナイダー(VnⅡ)、ボリス・クロイト(Va)、ミッシャ・シュナイダー(Vc)、全員ロシア人の布陣による三度目のステレオ。僕はこのSQをモーツァルトのLPで知り長らく誤解したままだったが、ベートーベン全集に真価を見た。ジュリアードSQが後継とされ技術的にはより現代的な精緻さを獲得したがこの最後期のブダペストはそこを目指していない。滑々したレガートでなく音楽の生来のごつごつした質感がのぞく原石の味は一個の世界であり、この演奏でスコアをさらうことでベートーベンの意図を悟った部分が随所にある。ひと世代前のメンバーによるモノラル盤(1952)も一聴に値するが僕はこちらを聴いている。

 

ベルチャ・クァルテット

現代の団体からひとつ。訪日ライブは聴かなかったがyoutubeのこれを知ると悔いが残るばかり。第2楽章アダージョがいいのだ。この考え抜かれた哲学の深さ、徹底した掘り下げは他を圧して最高と言える。かつて意識しなかった細部のアンサンブルの細やかな表情に没入してしまう。この沈静したテンポ、音楽は止まりそうになるが、それで空虚にならない。それどころか、その微視的な時間感覚で読まないと掬いきれないものがベートーベンの脳裏に響いた幽玄な音にはあるのだと発見するうちに、この楽章として長めの16分53秒があっという間に終わってしまうのである(終了後にもういちどこの楽章を聴くという異例のこととなった)。速い楽章、たとえば第3楽章など、快速でエッジのきいたリズムと切れ味が20世紀の楽団は想定しないほどモダンであり、このテンポだときこえないものもあるにはあるのだが、これも個性、主張ということであろう。あのアダージョに吸い寄せられた耳は物凄くミクロに分析的に聴いてしまうのだが、全曲を通して音程など技術的問題は探そうにもほぼなく、速度と彫琢は負の関係にあるが、曲想に応じてその塩梅をコントロールする “デジタル時代の感性” はバリリやブダペストの時代には(もちろん数学的にはあったが)演奏行為の積極的な技法(解釈)とまでの認識は恐らくなく、それが非常に高度かつ克明に施されたと感じるこれは21世紀の名演奏といえよう。終楽章は特に速くはなく、音型から生じる体を揺らす律動の反復よりも強弱のメリハリに力点があり、表情づけが濃く、それには弓の重さが必要ゆえにこのテンポになったと思料。コーダに至る羽毛のタッチはあまり強調はない。最後になってしまったが第1楽章のあのテーマの仄かな出し方は良い。もとより個性が強くベートーベンが偏愛、執着して使うので薄味でちょうどいいのである。提示部終結の激した短調部分伴奏のザクザクした質感も好みだ。それがアレグロ部分の伴奏にも効いて、疾走がそれほど速くないのにスピード感を引き立てているために旋律のほうに細かい強弱とフレージングのグラデーションを施すことに成功している。そしてコーダに向けて緊張を落とさずに音量を減じ、虚空の彼方に消えていき、アダージョの神秘の扉に向かう。聴けば聴くほどインテリジェンスと技術が相まった非常に優秀なカルテットである。素晴らしいものを聴かせていただいた。

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