Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______海外出張記

バート・バカラック「サン・ホセへの道」

2018 MAR 14 19:19:38 pm by 東 賢太郎

シリコンバレーというのは地名でも谷の名前でも行政区画の名称でもない。もとはスタンフォード大学周縁の半導体産業(シリコンが象徴する)に端を発したハイテク企業基地の総称で、サンフランシスコの南東地域を指している。そこからソフトウエア、インターネット関連のITベンチャー企業基地へと派生・発展し、さらに地域名称というよりはそこにある企業の自由な発想と経営風土、集まる人種(超高学歴の知的労働者)、ポップな職場環境までを包含した「イメージコンセプト」になったといえよう。証券・投資銀行業務を「ウォール・ストリート」、映画産業を「ハリウッド」と地名でなんとなく呼ぶのと同じだ。

おおまかには下の地図あたりを指すが、テスラの工場があるFremont(フリーモント)がシリコンバレーでないとは誰も言わないから地理的にはおおよそアバウトなものである。ベンチャー企業経営者が「うちはシリコンバレーだ」といえばそれなりにブランドっぽく聞こえるという意味においては、女性タレント界における AKB48 みたいなもんだと言えなくもない。

テスラのフリーモント工場

バート・バカラックが作曲しディオンヌ・ワーウィックの歌でヒットした「サン・ホセへの道」は地図・右下方の「San Jose」のことである。これにうかれてた中学時代、そこがシリコンバレーど真ん中になって自分が仕事しようなど夢にも思わなかった。

ドゥ~ユ~ノ~ザ~ウエ~トゥサンホセ~しかわからなくて適当に歌っていたが、いまになってよく聞いてみると面白い。

サン・ホセへの道を知ってる?
私って 長いことご無沙汰だったから 道に迷っちゃうかもね
サン・ホセへの道を知ってる?

道を知ってるかだって?そんなの標識ぐらい出てるだろ。えっ、それもない?そんなド田舎なの?

そう思ってしまう。

これはなんと、サン・ホセ生まれの女の子がハリウッドのある大都会ロサンゼルスに夢を求めて出て行ったが疲れてしまい、あきらめて田舎に帰ってくる歌。千昌夫の「北国の春」みたいなもんだったのだ。

1週間 2週間で あなたもスターになれるかもよ
でも数週間と思ったら数年が過ぎてるわ なんてこと!

不屈の意志を持ったゴールドマイナーたちが「国造り」したこの地で、いまどきの女の子は数年の苦労ぐらいで音を上げちゃうんだというのが妙に新鮮だったのかもしれない。時はベトナム戦争の真っ最中だった。

ここのところがハ長調からホ短調にふっと悲しげにかわる。いい曲だ。夢は塵のように飛び去って独りぼっち・・・

富と名声は磁石のようなもの
どれだけ遠くにいても 人は引きつけらていくわ
夢を追っている時は 孤独なんて感じない
でも 夢が塵のように飛んでいけば
友人は無く独りぼっち
そして 車に荷物を詰め込んで去っていく

でもでも、

サン・ホセではゆっくり羽を伸ばせるの
広い土地があるから 私が休むことができる場所も見つかるはず
私の生まれ育った故郷 サン・ホセ
私は心を落ち着けるために サン・ホセに帰るところよ

そうだったのか。

でもキミの田舎は半世紀の時が流れたいま、Capital of Silicon Valley(シリコンバレーの首都)である。土地は広いがゆっくり休めるかどうかはわからないよ、なんたってロサンゼルスの子があこがれて出てくるところだからね。サン・ホセへの道はみんな知っている。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

日本人はなんのために生きてるのか?

2018 MAR 12 2:02:15 am by 東 賢太郎

アメリカ西海岸、ウエストコーストっていうのはゴールドラッシュで一攫千金を夢見た人たちが東からなだれをうってやって来た所だ。大学なんてなくって、息子が早逝した富豪が西のハーバードにすると作ったのがスタンフォード大学だ。ハーバードの門には「Enter To Grow in Wisdom」と校訓が彫ってあって、あそこで見た瞬間に電気が走ったように気に入った。ところがスタンフォードの校訓が「Die Luft der Freiheit weht(独:自由の風が吹く)」であって、これまたいいのである。だからここにシリコンバレーができたんだと納得だ。

ゴールドマイナーたちは幌馬車で来たとはいえ東海岸から飛行機で4時間もかかる距離だ。ギャングに襲われるわ砂漠で餓死するわ、女房子供を連れて命がけだった。運よく無事に着いたって金鉱が見つかる保証なんてあるわけない。みんなリスクテーカーなんだ。その一攫千金の精神が、いまやシリコンバレーの世界最先端技術開発にDNAとして受け継がれていると僕は思う。テスラのイーロン・マスクCEOはペンシルバニア大学ウォートンスクール卒だからトランプの後輩だが、テスラ Roadsterを乗せたロケット上段のエンジン点火が正常に成功しバン・アレン帯を抜けるまで5時間ほど飛行したのち、火星に向け最後の軌道修正を行うとツイートした。自動車屋でこんなことを考えるのは彼が通った(中退した)スタンフォードの「Luft der Freiheit」そのものだ。

昨日までそのウエストコーストにいた。自分の身は自分で守らんといかんよね、日本国もそうしないとねなんてディナーでゴールドマイナーの話をしながら「銃持ってる?」ってきいたら、周囲にいた5人に2人がイエスだった。30丁持ってるぜなんて奴もいた。その割に彼はあっけなく道でホールドアップされて新聞に載った。持ってれば安全っていうこともない。「銃なんて18から買えるよ。親が持ってりゃ16から撃てるぜ。」「店行きゃ誰でも実弾射撃オーケー、女子高生が気晴らしにキャーキャー撃ってたりね」「でも民家があると1キロ以内じゃ撃てないし規制はあるよ、犬猫は法律で禁止だよ、撃っちゃいけない、人はいいんだけどね(爆笑)」

「学校で銃乱射?日本じゃあり得ないよ、18を21才にすりゃいいってもんじゃないだろ?」「そうさ、だから先生に銃もたせろってな」「トランプね、あれ正気なの?」「だって全員が所持禁止にならないと危ないだろ、持ってる人は放棄なんかするわけないさ」「そりゃアメリカじゃ無理だぜ」「だからしょうがないよ」「でもアメリカの先生の給料って安いんだよ、5万ドルぐらいだ」「だから学校で持てっていうことだろう」「日本なら警察は何してるって大さわぎだ」「そこが違うね、警察なんか頼れない、何人お巡りさん増やしても気違いは必ず出てくるっていう発想なんだ」

「今朝CNN見てたらリトル・ロケットマンとの会談をトランプが受けたってな、全米でトップニュースになってたね」「核搭載ICBMがアメリカに届くかどうかって、そりゃ議会で大問題だ、選挙あるしな」「あいつは賢いよ、持つ物持てば勝ちって割り切りがね」「平昌で時間稼いでゴールに行った可能性ないか」「余裕の強気?」「かもしれない、頭を越されてしまったとすると日本は極めてやばい。半島にアメリカが認めた大朝鮮国ができるかもしれない。経済力は日本の8割の核保有国だ。」

「国難だな。日本では大騒ぎだろ」「いや、ネット見るとどうも大騒ぎはモリトモだ」「なんだそれは?」「どうもそれで人が亡くなったらしい」「ギャングに撃たれたか?」「銃を持ってなかったのか?」「自殺?」「なんでだ?責任ってなんの責任だ?」「というと彼はザイムショーのトップか?」「違う?なんで下が死ぬんだ?」「スパイだったのか?」「日本もロシアみたいに国が消すのか?」「えっ、違う?ソンタク?」「なんだそれは?」「新種の毒ガスか?」(そんな英語は存在しないので説明に苦慮)「なんだそんなもん」「国難だろ、そんなことやってる場合なのか?」

アメリカで物欲、金銭欲を否定したら変人だ。そうじゃなきゃキミは何のために生きているのか?と問われることになる。いい生活をしていい人生を送りたい。人として生まれて当たり前だろ。それには物もカネもいる。困ったら政府がお金くれるの?あるわけないさ、それが自由主義の世の中だろ。襲われるなら先に撃て。生きるために当然だろ。襲う人のいない世の中にしましょうよ?そんなの町内会で言ってもアホ扱いだ。いつからキミは世界政府の頭領になったんだって。

アメリカへ来ると僕は必ずハンバーガーだ。留学のとき月給が400ドルしかなくって家内とひもじい思いをした。あれが染みついてる。二人で5ドルぐらいかかるマックなんか高根の花で、勇気出して店に入ってもいつも一番安いプレーンの肉だけのハンバーガーだった。隣にビッグマック注文してる奴がいるとくやしくて、いつかあれを毎日食うぞと心に誓った。物欲って、こういうものだ。シンプルに人間の向上心と関わってるから悪いもんじゃない。だから僕はいまも500gのヒレステーキなんか興味なくって、昨日もお昼はショッピングモールの12ドルのハンバーガーだ。相棒が教えてくれた。「京セラの稲森さんもそうだ、昼はそれで吉野家なんだ。さすがに店が恐縮して秘書に金のどんぶりを持たしてくれたらしいけどな」。

アメリカってなんてわかりやすいんだろう。私は物作りだけで満足です、お金はいりませんなんて嘘つかなくっていいし、ソンタクもないし、誰だってプレーンよりビッグマック食いたいわけだ。そういう当たり前のことを隠したりあきらめたりして生きる人生って何だろう。物作りに人生かけて邁進したら会社は台湾人に食われましたって洒落にもならない。そんなに長いものに巻かれたいですか、長いものとともに滅びたいですか?英語に刻苦勉励、臥薪嘗胆、精進、邁進なんて単語はないが、説明したら「悪いけど奴隷を作るためのいいスローガンだね」と言われた。冒頭からの稚気あふれる会話の相手は米国人経営者たち、みんなPhD(博士号)、MBA(経営学修士)の皆さんである。日本人の若い皆さん、もうアメリカに学ぶことはないなんてバブル親父の大嘘だよ、どんどんアメリカに行って学びなさい、刺激を受けなさい。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

いい子にしてるのよ

2017 JUL 3 0:00:53 am by 東 賢太郎

小さいころ、妹とふたり私学の成城学園だったものだから生計が厳しかったのだろう、母は皮手芸を教えて僕らの食費の足しにしていたようだ。休みの日も「じゃあ行ってくるからね、いい子にしてるのよ」と僕らを家に残して、教室のある二子玉川に車で出かけていった。

お金がないんだとは子供なりに気づいていたが、待っているのはやっぱり寂しかった。待ちぼうけのお仲間だった黒猫のチコは、壁越しに響いてる母の愛車のエンジン音を覚えてしまった。夕方になってそろそろ帰ってくるかなというころ、その音を真っ先に聞きつけたチコが「アオ〜」と鳴くと、あっ、ママだと喜び勇んで妹と玄関に飛んでいったものだ。

母が亡くなった朝、僕は病室の長椅子に丸まって仮眠していた。その日が9泊目だった。看護師さんたちの慌ただしい声と血圧計のジーという音で目が覚めるや、すぐにご家族を呼んでくださいと指示が飛んだ。母はそこから3時間がんばってくれ、みなに看取られて静かに逝った。目の前がぐるぐる回って、気がつくと母の胸に突っ伏してぼろぼろ涙がこぼれていた。

あれからちょうど一カ月となる6月29日午前10時25分をアメリカで迎えることになるとは夢にも思わなかった。そして、今も僕はサンフランシスコのホテルにいてこれを書いている。あのまま看病が続いていたら、この仕事はどんなに有望で大事だろうと断わっていたからここにはいなかった。

意識するなといっても無理だ。それは当地では6月28日の午後6時25分ということになる。あわただしいスケジュールの中で、シリコンバレーにあるフレミングというステーキハウスでの会食中にそれはやってくる運びになった。仕方ない、ひとり黙祷をしたいので同僚に事情をことわろうと口を開いたその矢先だ。

何ということか、声が出ないではないか。ちょっと風邪ぎみではあったがこれには動転してしまった。座っている席が大きなテーブルの真ん中で一番奥だったものだから閉所恐怖症によるパニックのおそれも感じてしまう。とっさに席を替わってもらい、Y君に「おいこりゃ明日だめだ、プレゼン、代わり頼んだぞ」とかすれ声を絞り出した。しかしデレゲーションのヘッドがしゃべれないなんて洒落にもならない。すっかり弱気になってしまった。

いつ寝たのか、恐れていた翌朝がやってきた。目覚めるとやけに体が軽い。時差ボケはあるが快調だ。こわごわ声を出してみると、普段の声だ。よかった。9時からの会議は予定通り僕が真ん中でやってうまく運び、3人の仲間に感謝だ。Y君は野村で苦楽を共にした後輩。営業で僕が出来ないことをできる唯一の男だ。S君は株式運用・分析の達人で頼みの綱。M君は3年で司法試験合格という東大法学部で年1人出るかどうかという俊英の若手弁護士でスタンフォードのMBAでもある。全員が米国留学、業務の経験あり。手前味噌ながら最強のカルテットと自負してどこからも異論は出ないであろう。

今回はノーベル物理学賞のN教授の事業資金調達をソナー・アドバイザーズがお手伝いするための準備だ。シリコンバレーはFacebook、テスラー、Google、Appleなどがひしめく米国のベンチャーの聖地だが、そこにラボを構える教授の会社も社員70人中20人がPh.D.(博士)だ。朝9時から6時間ぶっ通しで、教授を筆頭とする幹部の皆さんと喧喧諤諤やったらすっかりウォートンスクールMBAの20代の自分に戻った。声のことなんか忘れていたからきっと出ていたのだろう。

思えばあれは母が亡くなったその日の午後のことだった。斎場の霊安室から家に戻ってきて、なお茫然自失だった。急に朝からそういうことになった自分がよくのみこめていない。すると「いいお天気よ、外で陽にあたって少し休みなさい。お母さんと交信できるわよ」と家内が椅子と毛布をテラスに用意してくれた。交信という言葉が心に響き、やおら陽だまりに出て空を見上げてみると、一面見渡す限りのブルーにいちどもみたことのない不思議な形の雲がかかっていた。

それは富士山の方から空の半分も覆わんほどのスケールで左右に悠然と広がっていた。見えるか見えないかぐらいの早さでこっちに向かってきているみたいで、巨大なエイかマンタが後方に美しい幾筋もの尾ひれをひいてゆったりと北に泳いでいくような様であった。しばし唖然と見とれていると、それは徐々に形が朧となってきて、僕の頭上を通り越したあたりからやがていつもの変哲のないちぢれ雲に戻っていった。

写真を撮ろうと思ったが、やめた方がいいという気がしてきて、そのまま椅子に横たわって一部始終をじっと眺めていたわけだ。するとエイの右下あたりに月がうっすらとあったのに気がついた。下弦の月かな、随分と細い三日月のようで、これは昔から僕の主観の中では攻撃のシンボルであるのだった。

母は教室に出かけていくみたいに、じゃあ行くからね、いい子にしてるのよと言い残してあちらに行ったように思う。何が母のいい子なのかはつかめなかったが、どんな悪戯をしでかしても叱らなかったのだからあれでよかったのだろうし、今だってきっとこれでいいのだ。いつも困るとそう信じて乗り越えて、僕は知らないうちにここまで来た。そんなに信じられる安堵というものを、ほかのどこでいただけるだろう。

どこまで行くのか知らないが、それはその時だ。これで自分の中で何かが大きく変わってしまった気がする。やがて父もいなくなったら日本にいる必要もないかなと思うが、そうなった時のことは結局自らが決めたということではなく、なるべくしてなってしまったということになるだろう。ただ、ひとつだけすでに心のなかで確認したことがあって、それはあちらの世に行くのがちっとも恐くなくなってしまったということだ。

よき一日

(ご参考)

今回の資金調達について

シリコンバレーの栄枯盛衰

至福のナパ・バレー

信じがたいものを見てしまった7月7日

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

リオの鮮烈な思い出

2016 AUG 7 0:00:48 am by 東 賢太郎

リオ五輪の開会式の入場行進を見ていて、206の参加国のひとつに「難民」というのがあるのが時代だなあと思いました。世界が貧富のディバイドという難題に見舞われており、それが政治、宗教、国境問題、軍事対立そしてテロという形で表面化しています。そのどれもが個別独立の原因に発した別個の問題に見えますが、そうではなく、その根っこに横たわるのは貧困、飢餓というひとつの、しかし最も深刻な問題です。式典の前半はそれに周到に配慮したものと見ました。

華やかな会場を一歩出るとバリケードのような柵が囲っていて機関銃で武装したポリスが大勢張り込んでいる様子が画面に映しだされます。バッハ大会委員長の誇らしげなスピーチが人類の平和を謳い、聖火台の点火と見事なアトラクションに酔って放映が終わると、正午すぐに始まったニュースが今日8月6日は広島の原爆投下から71年となった日であることを伝える。黙とうの要請を広島市が送ったがそれは見送られたようですね。実に複雑な気持ちになったものでした。

3年前にこのブログを書きました

津坂さんの蛙鳴蝉噪(幸福度)を読んで

このブラジル出張がリオ・デ・ジャネイロでありました。1991年の2月初旬、まだ36才です。成田からバンクーバー経由で24時間かかりましたが、このとき搭乗したヴァリグ・ブラジル航空は実に快適で、ビジネスクラスなのに食事はファースト並みで立派なフィレステーキまで用意されてよく覚えてます。サービス良すぎたんでしょうね、2005年に倒産してしまいました。

リオには午後到着して、ホテルはたしかシーザー・パレスでした。フライト疲れと時差でふらふらでしたが、なんだかときめくものを感じて外を歩きました。2月(真夏)。カーニバル1週間前のざわざわ。まぶしい太陽。イパネマ・ビーチを歩くと渋谷の駅前みたいに若い女のコばっかりわんさかいる。それがみんな堂々たるトップレスで頭がくらくら。仕事柄40以上の国を訪問してますが、リオの衝撃をしのぐ経験は今もってありません。

インフレ率が300%と聞いており、まさかねと半信半疑でした。ところが同行の後輩が「ほんとですよ!」と大声をあげます。ホテルのショップでネクタイの値段をじっと見ながら「ほら昨日の値段から1%上がってるでしょ?」ほんとうだ。さすが証券マンは相場に目ざといとそっちも関心しましたが。しかしネクタイのプライスタグのお値段が株価みたいに上げ下げするなんて・・・定価販売に慣れた僕らは目が点でした。

財務省の高級官僚さんの2億ドルの借款返済への大物スタンス(要はケセラセラ)には2度目の衝撃をくらいます。役人が1200万人もいて民間より多く、今のギリシャみたいなもんでした。前年に620億米ドルと人類史上最大のデフォルト(要は国家破産)をした国の財務省です。馬鹿なことを聞くなと思ったんでしょうが、当時はこっちはあんまり事の深刻さがわかってなかったですね。

飲み屋で英語の通じるおっさんに「大インフレと不景気のわりにホームレスがいないね」と尋ねると、「あったかいからね、寝れればどこでもOKさ、食いもんはバナナもヤシの実もそこらじゅうに落ちてるよ」。なるほど今になってみればミクロネシアとおんなじだったんだ。国はぼろぼろで借金漬け、国民は衣食住足りてサッカーで幸せ。これはサンパウロ、ブラジリアへ行っても同じでした。

このあとアルゼンチン(ブエノスアイレス)、チリ(サンティアゴ)の財務省、企業も訪問して大旅行だった出張を終えました。この数奇な体験で僕の「国家観」は根本的に修正が加わることになりました。インフレを肌でイメージしましたし、国債なんていかにはかないモノかも痛感しました。数字だけで頭で理解してる人にはこの感じはわからないだろう。

当時は梅田支店、ロンドンと株を売る野蛮な営業の経験しかなく、スマートな国際金融業務などド素人もいいところ。そんなのが課長で赴任した国際金融部の皆さんは大変だったろうと申しわけない限りですが、その2年間で引受業務のイロハを習ったのはその後の人生で大きなプラスでした。この出張も経験して来いという部長の計らいだったと思います。野村證券はほんとうに懐の深い会社。ここに入らなければ今は絶対にありません。

 

(こちらもどうぞ)http://sonaradvisers.co.jp/2016/08/07/776/

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

陛下の生前退位報道とミクロネシア

2016 JUL 15 1:01:29 am by 東 賢太郎

ミクロネシア連邦(Federated States of Micronesia 略称:FSM)の首都パリキールに行っておりました。昨日帰国して北緯7度の同国より東京が暑いのには閉口しましたが、涼しげなそうめんを食すとやっぱり日本はいいなと思ったりするのです。

僕のビジネスは多国籍で、証券の発行体まで含めるとすでに6か国に関わっております。自分が駐在した香港、ドイツ、スイスはそこに入っておらないので可能性があり、これからは西アジアの国も候補になってくるという塩梅です。ICONtvにいたっては視聴者は全世界ですから、自分は日本にいますがそれは両親がいて日本食があって温泉があってプロ野球が観られるという以外には積極的な理由はないのかもという気もしてきます。16年も海外で暮らすとそういう感覚になります。愛国心とは別のことです。

今回の出張はこういうものでした。

ミクロネシア連邦のジョージ副大統領と会談

このほか、堀江良一特命全権大使にもお時間をいただきました。同国への僕の関心は日本国の歴史への関心と畏敬であり、教科書や日教組がまじめに教えない太平洋戦史であり、10数年前に鹿児島の知覧を訪問して以来深く心に残った何ものかです。海外生活を通して外国の良いところもたくさん知ることになりましたが、その何十倍も「俺は日本人だ」というアイデンティティーと誇りを深めて帰ってきたのは行く前からは想像できないことでした。

今日報道された陛下の生前退位ですが、驚き、感慨を覚えるとともに、昨年4月の悲願であられたパラオご訪問を成し遂げられたこともあるかと愚考する次第です。出発にあたって東京国際空港で述べられたお言葉にこうありました。

終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで,この戦いにおいて日本軍は約1万人,米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で,このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います。

ペリリュー島はパラオ中心部から南に50キロも離れており、大人数が乗れる飛行機が離着陸できる空港がなく、船で行き来するには片道1時間以上かかるため海上保安庁の巡視船「あきつしま」に両陛下お二人が宿泊し、船に搭載されたヘリコプターでペリリュー島に向かうルートで訪問が実現したそうです。ご病身で貴賓室も何もない熱帯の船上でご宿泊とは異例なことで、これがいかに覚悟がいることかは南洋の島に行けばわかります。

これがその時のニュースです。

150409-16daitouryounadoその時の晩餐会の写真で、左のお二人がミクロネシア連邦モリ大統領夫妻です。パラオに招かれてミクロネシア連邦にも同様のお言葉とお気持ちが述べられたということです。同国でもパラオと同様の激戦があったことはこれまで何度も書かせていただきました。

 

この大戦が無謀であったことは論を待たないし二度と過ちを犯してはならないことは誰の目にも明白ですが、だからといって犠牲になった方々を忘れてよいわけではありません。ミクロネシアには沈船をはじめ戦跡が多数あり、巻き添えになったにもかかわらず島民の方々が日本を嫌うことも批判することもなく今も親日的です。陛下のパラオ訪問にはミクロネシア三国のそうした事情へのお気持ちもあったと察するものです。

今回もそうですが、ミクロネシア連邦の政府閣僚にそういう話題を投げると、わからない人もいるが呼応する人もいます。全員が親日などというバラ色の話ではないが、アジア周辺でそうではない国が多い中で僕は台湾と同じく大切にしたいものを感じるのです。ここに残ったものはナショナル・トレジャリーとして大事にするのが英霊への礼であり、ご赴任して1か月の堀江全権大使閣下には、放置されて荒れている山本五十六邸のことも申し上げておきました。

海外事業を中心にすえるので実務としてワークしさえすれば投資の本拠はどこでもよいのですが、いまさらニューヨーク、ロンドンというのも粋でなくコストも高い。ならば大事に思ったミクロネシア連邦の首都パリキールにおいて幾ばくか税金も落としてあげ、それで我が国のナショナル・トレジャリーを保全などしてもらいたいという強い気持ちです。管理、保全するのは同国だからですが、しかし民間でできるのはそこまでで、大使を通じて国ができることも多々あろうかと思います。現に中国はカネをばらまいて政府の心をつかんでいる様子が大いに感じられ、レストランには去年は聞こえなかった中国語が飛び交っていました。陛下のパラオご訪問は、そういう流れへの危惧のご表明でもあったのではないでしょうか。

今回はジョージ副大統領とローレンス財務大臣にお会いし、そういう気持ちで同国に投資をしている会社として政府の動きに不満があることを僕流にストレートにお伝えすることになりました。朝の役人との会議で僕が「場合によってはカネをひき上げる」と言ったもので緊迫しましたが、最後には国会対応も含めてしっかりやるという副大統領のお約束があったのでとりあえず安心はしました。

最後に、これから同国にての活動を社員としてお手伝いいただきたいということをSMCにお入りになった市原さんにお願いしたところ即ご快諾いただきました。23年の滞在経験は大変心強く思いますし、初めてお会いしたばかりですがすぐそういう関係ができたご縁というものを強く感じます。

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

ソウルに日帰り

2015 DEC 24 0:00:19 am by 東 賢太郎

今日はソウルに日帰りしてきました。羽田を8:20に発って重要なミーティングを3つやり、金浦19:00発でとんぼ帰り。まるで殺人犯人のアリバイ作りみたいです。

どうしても来いと抜き差しならなくなったのが昨日の夕方6時です。急遽フライトを手配してもらい、しかし24日の朝に2つこれも非常に重要な仕事があって仕方なくこうなりました。何をしたかは一切書けませんが。

行った目的はなんとか果たしたのですが、元部下の強力な尽力のおかげです。この「目的を果たす」というのこそ要諦で、僕は「スナイパー能力」と名づけている。007ですな、頑張りましたではなく(そんなことはどうでもいい)、やりましたです。

某現地証券のK君はそれを発揮してくれ、一緒に昼飯を食べながら「キミいいな。証券で成功できるぞ」と申し上げた。お世辞でなく。31才。その若さでスナイパーを感じる奴はそうはいない。「こうしろよ」と、お礼に僕の憲法5か条をお教えして別れました。彼を見つけてきた元部下の能力でもあるのだが。

もうひとり、ある事業を立ち上げている若手経営者。日本語堪能。その事業に必要な能力要件を満たしている。韓国の有能な若手のアンビションは実にいい。僕は国籍などまったく関係ない人間なので、いい才能は支援したくなる。投資を考えます。

 

(追記、3月22日)

人間の運命はわからないもので、最後に書いた部分の支援、投資が、散々剪定して最後に残った2つの事業に入った。奇跡のような奇遇。この時、時間が余って彼に会ってなければ、いや、そもそも緊急の困った事態が日本で起きなければソウルに行ってもいなかったのだ。そうしたら、こんなことは100%おきてもいなかった。

これは情報を発信する事業だ。投資はそれを受け取って分析するビジネスだが、情報というものは双方向であってこそ確度が増す。このSMCはささやかながら発信のメディアだが、それを何千倍もの規模でしたい。それも国境なしの若者文化、ジャンルを問わずだ。「若者に教えたいこと」はSMCでの僕の重要なテーマだった。

世界は操作されたウソの情報に満ちている。騙されれば権力の餌食となり、投資でプロの餌食となる。僕が香港で知り合った華僑の大物はみなそういった。政治家ではないので社会を守る力はないが、家族、子孫をそうならないよう教育する義務が僕にはあるだろう。仲間、友人、お客様も。ソナーはそのための会社だ。

この事業は社会を変えないかもしれないが、若者を元気にし、正しいと我々が信じる情報を発信し、日本国を世界に発信できるかもしれない。5年後、10年後に何がおきるかはお楽しみだ。

 
Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

 

ゴルフへの情熱について(ハノイにて)

2015 NOV 28 23:23:22 pm by 東 賢太郎

ゴルフは予定になくて、何の用意もしていきませんでしたが、ベトナムでもののはずみでやるぞ!ということになってしまいました。先発組が我々第2陣の着く前にやっていて豪雨で途中で断念。僕は香港で2年半毎週末やりながら中断はあっても一度も雨天中止なしという晴れ男で、今回も見事に3日間だけハノイは晴れました。

Tr001004201505282209262Van Tri Golf Club  は空港から途中に位置するハイクラスのコースでおすすめです。芝もグリーンも日本の名門コースに遜色ありません。しかし、ハノイは漢字で「河内」と書くだけあって川、池、水郷、湿地だらけの土地ですからここもウォーターハザードが無数にあり、曲げだすとボールが足りないかも(まあワンペナだからOBよりましという前向き思考がいいですね)。

月曜の午前中は開けないそうですが特別だったようで貸切状態でした。用意がないのでもちろん貸クラブ、貸靴ですが、ゴルフというのはやる気次第でなんとかできてしまうのです。僕は去年の始めに五十肩をやって以来この遊びは足を洗っていて、というのは昔の自分といえども負けるのは嫌であり、べスグロは43才だったから60のジジイがかなうはずもなくて、要はプライドを維持するにはやらないのが一番なのです。

まずは飛距離のなさ、方向性のあまりのひどさに、ああ早く終わりたいとなる。この日も1番のパー4でいきなり曲げて8をたたきました。しかし、やるうちにひとりにひとり付いてくれている若くてかわいいキャディーさんが一生懸命してくれて申しわけない。なにせ距離計測用レーザーまで持っていて、「ピンまで29ヤードです」なんていちいち教えてくれるのです。寄せですよ、29ですよ、そんなの普通は測らない。

半端な数字を言われるとかえって体のセンサーが働きだしてうまく寄ったりします。それでだんだんスイッチが入って3連続パー。やっとゴルフらしくなってきたところで18ホールお終い。昔ならここでよしもう1ラウンド!だったんですがその体力、情熱はなく、マッサージに行って満足。なるほどこれからは宗旨替えしてこれを目ざせばいいか・・・。

30,40代はなぜあんなにのめりこんでゴルフやってたんだろう?たぶん好敵手に負けたからです。人一倍負けず嫌いだから。でもそれがなくなってしまった。今では信じられないグロス75を出して達成感ができてしまったし、回数も半端じゃなくて一生分は優にやってしまった感じがあるのです。今回も終わってみればあのやる気のなさは何だったんだというほど楽しんだのですが、少々の刺激じゃあ反応しなくなったのも事実です。ゴルフだけの話ではないですが・・・。

今は仕事が大きな山場で忙しいなんてもんじゃなく、一切それ以外には気がいかない状態。何をやっても上の空だから仕方ないです。ドライバーを振っても五十肩のダメージは意外になかったので、また遊び心が復活すれば情熱が戻るかもしれないという手ごたえを感じました。ひっぱってきてくれた仲間に感謝です。

 

左肩痛とゴルフ

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

 

ハノイ訪問記(ハロン湾)

2015 NOV 25 0:00:41 am by 東 賢太郎

2477e8db-sハロン湾はハノイの東方170キロ、トンキン湾北西部にあります。「いつか絶対行きたい世界遺産ベスト100」に紹介されている絶景の地のうちでは行きやすい所でしょうがとはいえハノイからバスで4時間もゆられるので楽とはいえません。

今回は仕事をくださっているL社様がアレンジして下さったJTBさんのお計らいで我々7名で小型バス2台貸切り、日英語がペラペラでクリントン大統領の通訳も務めたガイドさんが2名ついてくださるという万全の旅でした。

実は僕はここは2回目ですが、前回は野村時代に接待役でしたからあんまり楽しめず、今回は貴重な時間でした。ハロンは下龍であり、その名のとおり竜が下ったという伝説があり、「海の桂林」とも呼ばれます。

haron

この船で湾内を3時間かけて周遊し、ランチはここで獲れた海産物を船上でわいわいといただき、ワインで存分に酔っ払い、鍾乳洞を見学するというものです。船も7人で貸切であり、すいませんが非常にぜいたくでした。

 

halong

 

デッキはこういう感じになるのです。40-50人は楽にクルーズできるParadise社のでっかい船です。

 

 

 

島にある巨大な鍾乳洞は奇観でありました。これも一見の価値ありです。

halong2

halong1

 

 

 

まるでクラゲです。自然の産物とはいえ一つの造形美です。

 

 

 

 

 

 

 

 

帰りも4時間で爆睡でしたが大変でした。一泊がおすすめです。ハノイから水上飛行機がありそれだと30分だそうです。また行きたいので次回はそれを検討ですね。

夜はナムフォン(Nam Phuong)というレストランにて夕食に。小泉、安倍首相の食べた部屋で同じメニューをいただきました。

hanoi

 

この巨大なロブスター、血を目の前でぬいてくれます。ちょっとかわいそうでありました。

 

 

 

hanoi1

登場した3人娘のベトナム楽器の合奏です。右の人の弾くダン・バウという1弦楽器はエレキギターの チョーキングみたいな音ですが、音が持続するので旋律を歌えます。面白いですね。

 

 

(つづく)

ゴルフへの情熱について(ハノイにて)

ベトナムへ行ってきます

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

 

 

 

 

ベトナム、ハノイにて

2015 NOV 24 0:00:25 am by 東 賢太郎

image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はベトナムのハノイにいます。56階のこういう部屋です。昨日は休みだったのでハロン湾にバスで4時間かけて行きました。明日帰って詳しくレポートします。

 

ハノイ訪問記(ハロン湾)

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

赤いと思われる借景を二枚

2015 JUL 23 16:16:23 pm by 東 賢太郎

西室の朝やけ、夕やけの写真がたいへん面白いですね。それをみていていて、色覚がちがう僕のきれいと普通の人のきれいは違うんだろうなということが、もちろん今までもずっと思って生きてきているのですが、ますますそう思うのです。

この写真は今回撮ってきたミクロネシアの夕陽なんですが、撮った時点ではあることに感動があってシャッターをおしました。それが失敗で、さっきいらねえなって消そうとしていたものです。「あること」は最後に書きます。

yuuhi

 

これはまちがってシャッターおしちゃったかなと思って捨てかけてました。

yuuhi1

この2枚が登場することになったのは赤いかもしれないと思ったから。西室が赤い、胸騒ぎがすると書いたのが僕にはそうでもなくてますます自信がなくなってしまった、それは僕の方が西室よりもより一般からとおい、要は色弱度が重いということなんだろう、そんなおれが判断しちゃ写真がうかばれないと思ったのです。

こちらをご覧ください。これがミクロネシアの朝6時すぎです。上の2枚と同じ西の海を見ています。

asahi

これはなんかモヤっていて、やっぱり捨てようとしていた。空のブルーですね、これに反応して撮ったにちがいない。いま見ていると日本の6倍ある紫外線がじりじりきて首すじが痛くなってきそうだなあという感覚がおそってきます。

「(芥川龍之介が)思わず筆をとって文章を書きつけるまでに彼の感性が発酵していなかったため、意識に残らなかったのではないか」

西室の文章ですが、なるほど、感性が発酵するという表現がいい。色を見て感性が発酵して文学になる。そういうことかもしれない。

ぜんぜん発酵せずに写真を捨てかけていた僕のきれいと普通の人のきれい。文学的才能の欠如はさておき、やっぱり両者は違うのだろうとますます思います。色のないものはないですからね、そこが違っている僕のきれいは、視覚に関するかぎり万事で違っていて不思議なしです。

酔って人の顔が赤いとか青いとかきくと豆まきの赤鬼・青鬼を連想。桜吹雪は白い。お絵かきで木は幹も緑に塗ってました。三毛猫は描けない。地下鉄の路線図はごちゃごちゃ。女性の化粧は白っぽくなるだけで究極は舞子。真っ赤はよくわかるのでマリリン・モンローは歩くクチビル。

ということで、最初の写真の「あること」に戻ります。これを撮った唯一の理由は「太陽が丸く見えたから」です。映るかなと思ったら映ってなかった、だから捨てようと。

丸いもの、球体に弱いのです。色より形が大事なんです。それはもの心ついた時からで、東大教養学部時代に哲学の井上忠先生が「パルメニデスの有」なるものを授業でやって、それが何かはついに最初から最後までわからなかったのですが、「完全なものは球体をしている」というフレーズだけは天啓のようにスッとわかったのです。

丸いものというと子供のころ山手線、中央線、総武線の屋根の上に並んでた通気口のまあるいの、なぜかあれがよく飲まされてたエビオスの色と質感に見えて気になって仕方なく、国電を見下ろすポジションに電車が来ると毎度そわそわして窓に張りついて、どうしても触ってみたい、できれば盗んででもひとつ欲しいという小学生でした。

EPSON scanner image

地球が球体である。僕は飛行機で窓から毎回欠かさずにそれを視認します。高所恐怖症なので必ずアイル席ですが、窓側席の人の怪訝な視線を顧みずします。月や金星や木星もそう見える。しかし太陽は影がないからそう見えないのです。だから僕には太陽が球体というのは仮説に過ぎない。本当にそうなんだろうか、そうならぞくぞくします。触ってみたい、それは電車のまあるいのを見たときと同じ欲求です。

太陽というのは宇宙で唯ひとつ、肉眼で視直径が確認できる恒星であります。それだけで観音様みたいにありがたく、ひれふして拝むに値する。日没で太陽の輪郭の丸さが肉眼で見えると、その触った質感を想像してしばし恍惚とする。そういう小学生であり、パルメニデスの「完全なものは球体をしている」は、当たり前だろそんなのというふてぶてしい納得感、既視感で満たされたのです。

それをミクロネシアの日没で見つけた。それが最初の写真であり、ところがぜんぜんそう映ってなかった。そういうお粗末な顛末でありました。

 

 
Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

南正彦
池田俊彦
島口哲朗