フェーク・ニュースの見抜き方
2020 APR 8 18:18:41 pm by 東 賢太郎
証券界で生きてくると性悪説になります。僕は親の教育でシンプルにのほほんと性善説なのですが、仕事になるとやおら人が変わって鬼の如き性悪説人間になります。要は、全員がウソを言ってると思ってるということです。
わかりやすい例でいうと、Yahooファイナンスの「掲示板」があります。ここに書いてあることはほとんどウソです。ポジション・トークと言って、その銘柄を持っていれば強気、買いたければ弱気が書いてあると思えばいいです。
つまり欲の皮がつっぱった人たちのジャングルだから踏み込んだら最後。だまされたら君が悪い、そういうものだ嫌なら来るなという世界なのです。そこで40年生きていればそれなりにウソに免疫力がつきます。見抜けてしまうのです。
ポジション・トークには上級者版があります。どなたか学者さんが国会答弁を「ご飯論法」と呼びました。「あなた朝ごはん食べましたよね?」「食べてません」と答えて、実はパンを食べてましたというものです。立派なウソです。
これを、「朝ごはんを食べない人が増えてます」と言い「パンを食べる人は増えてますが」は言わずに「ブランチ(朝昼いっしょ)がトレンドです、マックの株が買いです」とやれば「ご飯論法」の逆行型でポジショントークができます。
フェーク・ニュースはそうやってできています。猿でもわかるものから知能犯的なものまであります。隣国が十八番とする「ウソも百回言えば本当になる」というバージョンもあります。油断も隙もない。ジャングルだと述べたのはそういうことです。
これをマスコミがやれば「情報操作」ができます。「言わないのはウソではない」という論法で、権力者だけが知っている情報のうち都合のいいものだけ流す。独裁国家の常とう手段ですし、選挙戦でネットが使われるのは有名ですね。
「ウソに免疫力がつきます」と書きました。40年かけてガッツリついたのです。僕は性善説なので公然とウソを言う者は蛇蝎のように嫌いなのです。脳内で免疫が活動し始め、ウソを成敗したくなってしまう。本人に恨みはありません。
2014年、僕はあるニュースを見てSTAP細胞がウソだと気がつきました。かなり早い段階で。それは当ブログに時系列で残ってますが一日に何万回も読まれました。もちろん学者じゃないんで証拠はありません。直観と論理だけです。137億年の彼方でも働く論理はウソは言わないです。結果は周知のとおりです。
いま新型コロナで世界の政治は窮地に立ってます。権力でウィルスは殺せません。お願い、強制、ばらまき、緊急事態宣言、いろいろ出し物はありますし、日銀のETF買いの経済対策なる株価操作も涙ぐましいのだけれども、そんなことより政府にお願いしたいのは「情報開示」なのです。それに尽きます。
だいたいの政府は国民は馬鹿だと思ってます。なにせ孔子さまが「民は由らしむべし、知らしむべからず」と言ってるものだからもっと馬鹿な人でもそう思っていて、情報は小出しでいい、知らせると騒いでマスクが買い占められたりするではないかということになってる。民は安心させるのが大事というのです。
そうでしょうか?台湾は政府がマスクの総量を管理し、アプリでいまどこの店にあると、むしろ「100%情報開示」した方が騒ぎが起きない事を証明してます。政府は情報操作をしているかもしれないと民が疑っている土壌に小出しの断片情報を流すからパニックになると僕は思うのです。
さらにまずいのは、「知らしむべからず」=「ウソをついていい」になることです。「朝ごはんを食べない人が増えてます」の例を思い出してください。この情報を開示したふりすることで「マックの株はいいね」と信じこませるポジション・トーク(=ウソです)ができてしまう。巧妙に民を騙せてしまうのです。
民を安心させるために我々が要るんだ、開示するだけならほかに政府は何をやるんだ?知りません。でも民に知らしめないことが仕事の国会議員は全員辞めてもらって日本国は何も困らないでしょう。そしてもうちょっとましな特措法つくれるレベルの人たち、まあ「選良」といいますかノーブレスオブリージュを身をもってできる人といいますか、少なくとももう少し学力のある人だけにはしてもらって、それならば人数は半分もいらないという結論でしょう。
ウソを見抜くのは商売だから、見過ごせない場合はブログにします。
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遅きに失する緊急事態宣言
2020 APR 7 1:01:06 am by 東 賢太郎
ボクシングでいうなら選手が失神してからタオル投入みたいなイメージであります。もし選手がそのまま死んでしまっても「投入時期は時間をかけて慎重に検討したものであります」でおわりというシナリオなら怖い。私見ですが、我が国の検査数が少ないのは、どうせ死人は一定数は出る、医療崩壊しない範囲で対応して本音は「集団免疫にたよる」作戦で薬、ワクチン開発を待つ気なのかなと見えないでもないのです。
北朝鮮が「感染者ゼロだ」と言ってる。みんな笑ってますが、仮に、感染者を徹底的に洗い出して全員「粛清」してるという意味なら、ぞっとしますが、それは正しいのです。国内にウィルスはゼロです。それは極端な例ですが、その「マイルドなバージョン」として、感染者を動かないように閉じ込めて(当然そこから多くの死者が出ることの認容は口外せず覚悟のうえで)、国民60%の元気な者に自然に感染させて抗体を持たせ、社会的に免疫のバリアを作って弱い者も守るという集団免疫作戦を時間をかけて遂行しつつ薬、ワクチンを待つということは可能であります。
現にイギリスは当初それをやると決めましたが、自然な感染を放置したら死者が20万人出るという予想外の研究結果にジョンソン首相が驚いてやめました。しかし対応が遅くオーバーシュートがおきてしまったイタリア、イラン、スペインは、もうすでに多くの犠牲者が出ているのだから若者に集団免疫のバリアを作る作戦に移行する(している)かもしれない。すると高齢者はさらに亡くなる、それをやむなしとする、トリアージもある。人の生死に人の意思が関わる。とても恐ろしいことです。
ではアメリカはどうか?トランプ大統領は3月29日にCNNで「死者20万人以下なら非常にいい仕事(very good job)をしたことになる」と言いだしました。いよいよ来たなと思いました。どこまで深く考えた発言かは不明ですが、人口がイギリスの5倍あるアメリカで20万人より少なければ上等だろうということでしょうか。とするなら、選挙戦略上トランプは封じ込めはあきらめて本音は「集団免疫」戦略に切り替えた可能性があります。
粛清する(故意)か死を容認する(未必の故意)かの違いであって、トランプの意図は金正恩とそうかわらないかもしれないという恐ろしい話です。意図というより、それは不可避な真実なのだから、それに即してベストをつくせばいい仕事だという「確信犯」になるかもしれないということですが、彼が善意であろうとなかろうとトップが決めれば下はそう動くのです。医療現場の方々は命を守ろうと必死の努力をされる、そのことに僕は一片の疑問もありませんがトップの意図の変質や汚染は彼らには隠ぺいされて伝わりません。トランプがふたたび大統領になるための good jobで20万人の命が失われる、そんなことがgoodなわけないのですが、それが限られた選択肢では最善策かもしれないという恐ろしい所に人類は追い込まれている。COVID-19はエイリアンだと僕が指摘したのはそういうことです。
一方で、我が国はというと、一昨日、某病院で医療側の感染が出て、検査してみたらさらに陽性者が何人か発覚した。この事例ひとつ見ても、韓国なみに検査すれば日本の感染者は公表よりずっと多いでしょう。おそらくその発症していないキャリア集団が「感染経路不明の感染者」を増やすところまで増えてしまっていることを示すのがここ数日の東京都のデータではないでしょうか。それは初動の水際対策がザルだったばかりか、つい最近まで海外旅行者までユルユルだった厚労省の大失敗のツケがとうとう東京に来ているという結末です。それは感染研の検査しない戦略と共にいずれ大問題になるので隠すしかない、つまり、そのために日本もトランプと同じ事後的集団免疫戦略に転換した可能性がある、だからアメリカは国民に帰って来いと急に言い出したのではないでしょうか。
アベノマスクに300億円。我が家は5人家族だから1500円の税負担です。1枚750円の布マスクを買ったことになる。その金は医療従事者支援に使うべきじゃないでしょうか、どう考えても。30万円の支給もよくわからない。困った人の一時しのぎにはなるが1,2か月で消費して終わり。抜本的な解決ではない点、マスク2枚と本質は同じでしょう。しかも平等に給付はできないし、給付を受けようと役所に行列ができてクラスター感染でも発生したらどう言い訳するんでしょう?
マスクはともかく30万円は確実に歓迎されます。でもどちらも救済策としての持続的な意味がないバラマキなのは共通。どうも政府が「全国民的イベント」を無理にでも作ってアピールしたがっているように見えます。「タオル投入」がなぜこんなに遅いのか国民は誰もわからない。都知事も医師会も早く出してくれ。でも出ない。それが国の権威だとでもいうように。医療崩壊リスクが高まるという専門家の知見を覆してまで「慎重に検討」したのがいったい何だったのか、国民は知る必要が出てくるでしょう。
やっと緊急事態宣言は出ました。しかし逆になぜここで出たのか。金曜に財界トップの間では4月5~7日に出るとささやかれてましたから3日時点で準備に入ったようです。でもなぜそこだったのか?不明ですね。終了をGW明けにしてそのぴったり1か月前みたいな、いかにも役人が考えそうな、そんな浅はかなものだったらふざけんなとつい考えてしまう。なんといってもここ一連の安倍政権の行状の透明性欠如は非常な不信感を生んでいるのです。どうもこの政権は「全能感」でもあるのか「わたし失敗しないので」路線を行きたがってるように見える。まずいことは隠して、国民にそう見えるようにパフォーマンスしているように感じられてならないのです。経営者なら確実にとっくに首の人たちが、いつの間にか部下を首にする裁判官の席に座ってる。そういうのだけ磨き抜かれた高度なスキルを持っている感じですね。
ちなみに、トランプは「4月に終息」とコロナを甘く見て大失敗しました。ところが事態を認識すると「俺は専門家じゃない、国家のチアリーダーだ」とロベルト・コッホ賞金メダリストでウィルスの権威アンソニー・ファウチ博士をテレビに呼んできて例によって勇ましいことをまくしたて、博士が「そんなことをしたら大変なことになる」と諫めるという姿を国民に見せた。一方でジョンソン&ジョンソンやプロクター&ギャンブルなどの経営者も呼んできてワクチンや人工呼吸器を早く作れと、GMは何やってるんだと、こっちは自分が指揮してるぞという姿もテレビで国民に見せて支持率を上げています。
「世界最高の学者ファウチが『このウィルスはわからない』と言ってるんだ。神のみぞ知るというのが真実なのです。素人の俺がわかるわけないでしょ?でも必ず解決します。大統領としてあらゆる手を尽くしてアメリカのために全力で戦っているのをご覧あれ」と意思決定の現場をテレビで国民に見せ「透明性」をアピールして国民を安心させている。それで「まあ失敗はしても、あいつは会社2つ潰してドツボから這いあがったタフな奴だ。有事には強いだろう」という空気が出ており、黒人の支持率までオバマを超えてます。失敗はしても認めてしまう人間力があれば、「透明性」こそが切り札になるのが今の世の中です。
ところがこっちはどうだ。密室感満載ですね。それで満を持してポロンと出てきたのがマスク2枚だからズッコケ感満載だったのです。御簾の向こうで「専門家の意見をききます」じゃないんです。雁首揃えて時間をかけて慎重に検討したからウィルスを退治できるわけじゃないんです。そう見せること自体がいまどき全く逆効果であることすら知らない。ネット社会は情報コモディティ化社会で、科学情報で政府しか知らない情報は、それを知って貴殿方がどう反応するかだけです。そんな馬鹿な事があり得ないぐらい心ある国民はもう完全に見抜いてしまっています。このブログもおそらく多くの人が読むことになるでしょう。つまり、安倍さんは憲法改正したいなら(それには賛成だ、やってくれ)最後の勝負をかけてトランプぐらいの腹芸しないとだめだ。国民に人間力でリスクを取って直接語りかける。もうそこまで来てますね。エビデンス見るまで断定しない役人のペーパーなんか読んでたらもう完全にアウト。それで遅れたと国民に思われたら、はっきり言っておしまいである。
いま東京都民は不安がとても増幅しています。武漢ウィルスが欧州型に変異したという学者もいます。ニューヨークの動物園ではトラまで感染してる。ここで「全国民」目線で考えるのが「国の仕事」だといわれてもどうなんだろう?僕は人生初めての事態に遭遇して、ウィルスのことよりも今は「国って何なんだろう」という思いが沸き起こってきてます。平時はともかくこの有事に至っても感染者ゼロの県と東京都を同じ目線で見る意味があるんだろうか。僕は国民であり都民でもあるのですが、こういう時に命を救ってくれるのは東京都なんだろうと思う。都市部の国民はだんだんそう思うようになるから、自民党政権はパフォーマンスしようと焦るのかもしれませんね。
東京都民は小池都知事を直接選挙で選んでおり、安倍首相は山口県の人(第4区)が選んでいます。有権者数は東京都が約980万人、山口4区が約25万人です。どう考えても、子供だっておかしいと思うのですが、そうした矛盾をはらむのが議院内閣制です。内閣は国会に対して責任を負うのだと。しかしその国会議員が公選法違反で、つまり私利私欲のために議員になりたいというあかしで逮捕されるかもしれない、そんな連中が僕の命を救ってくれるの?という、これまた子供でも不思議に思うものなのです。我々都民が小池さんに頑張ってもらいたいというのは、制度論はともかく、自然にあたりまえでしょう。
結論ですが、以上のような物事に僕は本来ほとんど関心はございません。分類すれば非政治的人間のほうに属すると思っていますし、あんなリスクリターンのよくない大変な仕事をやってくれてる政治家のみなさんには頭がさがる思いがあるのです。しかしここまで非常事態となると見聞きしたものを深く考えてしまう性質でもあります。いち国民として、日本の安全と平和を願う気持ちはみなさんと変わりません。政治家がどうあれ、いくらお粗末な失敗を重ねてくれようと、前稿に書きました日本人の宗教ともいえる清潔さと従順さが働きさえすれば、我々は難局を乗り越えられると固く信じております。
(本稿は筆者の個人的雑感を開陳したものであり、政治的意図はまったくございません)
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緊急事態宣言
2020 MAR 30 16:16:35 pm by 東 賢太郎
安倍首相
1. 今の段階では緊急事態宣言はないがぎりぎりの瀬戸際だ
2. 自治体との緊密な連携の下、感染拡大防止に全力を尽くす
3. この闘いは長期戦を覚悟する必要がある
4. 緊急事態宣言に至ることも想定して経済対策を策定する
吉村大阪府知事
1. 感染は指数関数的に拡大する
2. 瀬戸際ならすぐに緊急事態宣言すべき
感想
1. 官邸と国会議員に「指数関数的」がわかる人はいるのか
2. 水際は大失敗してどうして瀬戸際はうまくいくのか
3. 長期戦にもちこんで失敗すると経済損失も指数関数的になる
緊急事態宣言
1. 吉村氏に緊急で首相をやってもらう
2. 厚労大臣を医師(上氏、村中氏など候補多数)にかえる
3. 国会議員を半分にして浮いた国費を医療関係者と困った国民に現金で給付する
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世界で2100万人、日本は42万人が死ぬ
2020 MAR 27 1:01:25 am by 東 賢太郎
何度も書く。辟易された方も多いかもしれないが、新型コロナウィルスという未知の星から来た「エイリアン」は薬、ワクチンが開発されなければ人類を滅亡させるかもしれない事を否定できる科学者はいない。人類(ヒト属)が発祥したのは200万年前で、我々「ヒト」の属するホモ・サピエンスは40万年前に現れたが、その生存時間は37億年前に発生した生命の歴史の0.01%を占める。37億年を1日(24時間)とすると、人類は日付の変わる直前の最後の9秒ほど存在しているに過ぎない。
(1)寿司屋という異界の空間について
16年の海外赴任から帰国して、ありがたいと思ったのはちゃんとした寿司が食べられる幸せが当たり前のようにあることだ。ちゃんとしたというのは、もちろん味の良し悪しのこともあるが、それ以前の問題がある。清潔感だ。
握り寿司というのは生魚と粘着性の米を素手で「成型」する食物だ。ネタと酢飯を別々に口に放り込んでも分子論的には同じ食べ物だが、あの程良い塩梅にぎゅっと固めあげた食感がないとサマにならない。だから素手で圧力を投じて握るのは、衛生上はリスクがあっても割愛できない、いわば寿司に命を吹き込む行為だろう。
非常に不思議なのだが暖簾をくぐってカウンターに座った瞬間、僕は寿司を握る親方が食品衛生管理者の資格を持っているんだろうかという心配はしていない。彼の手のひらに何がしか付着しているはずの雑菌やウイルスが病変を起こす限界個数を超えている確率は何%だろうかと考えることもない。
なぜなら寿司屋はお清めされた何やら特別な空間であってレストランではない。左様な疑念を許さぬ一種の様式美のもとに成り立っている、疑うなら来るな、来たら疑うなという無言のルールがある場だ。それが客のみならず親方をも支配し、握る側は徹底して清潔であるべきであるという掟を自らに課しているはずであるという揺るぎなき確信が客を安心させるという、世界に類のない相互信頼の食域なのである。
(2)日本人の分厚い信仰心の場こそ寿司屋である
それは相撲の土俵に通じるところがある。なぜ寿司を女性が握らないのかは、なぜ土俵に女性を上げないのかと同じだ。指摘されればジェンダー問題に至ることを免れないが、しかし、古来そういうものでありそれが日本文化なのだと外国人には説明するしかない。仮にそれを大方の客が気にしないというなら、今どき銀座あたりに美貌の女将やAKBみたいな女の子が並んでかわいく握る寿司バーが現れそうなものだがそれはない。なぜなら、大方が気にするからであろう。
外国人の親方となるとさらに厳しい。香港時代に現地の人が作るラーメンやとんかつは平気だったが寿司屋に入る蛮勇は持ち合わせなかった。「特別な空間」の佇まいが不在などころかウナギや天丼まで供している店は相互信頼の食域とは別世界だ。そこで不格好に握られた物体を寿司と呼ぶならアナゴの正体がマムシだろうが深海の奇怪なウミヘビだろうが大きな問題ではなかろうし、数時間後に腹の調子が正常なら代金を払った価値ぐらいはあったと感謝すらすべきである。
本稿は寿司礼賛がテーマではない。そんな清冽な食文化を生んだ日本人には「お清め」「清潔」への分厚い信仰心があり、国民的にそれを共有していることへの相互の信頼感があり、それらは何百年もかけてDNAレベルで根づいて醸成されてきたものという主張だ。外国人がちょっとやそっとで真似ようともどうしようもないし、仮に技術的にはうまく握れていて清潔さが厚労省によって保証されていようとも、大変に申しわけないが、僕はそれを食べてみようとは絶対に思わないのである。清冽な食文化を共有する寿司屋は文字どおり「聖域」なのだ。
女性と外国人。奥深いテーマだが、なぜかどちらも聖域ではだめなのだ。おふくろの味という家庭で許され愛されるものがなぜ寿司屋でそうでないのか。感性のみ知覚する領域なので一般化する気はないが、個人的には他家のおふくろの味にまで寛容でないのかもしれないと思う。家族という、ひょっとして腸内フローラまで共有するような生理的関係はパブリック(公的)になり得ず、どうしても本能的に一線を画し、まして国境をまたいで交わりましょうというのは根本的に困難だということ。それが清潔不潔というリスク感覚に投影されて、寿司屋という特殊な場で先鋭化して知覚されるというのが僕の理解だ。
(3)「日本教」という宗教
このことを新型コロナのここまでの感染者、死亡者数の少なさに関連付けようとするのは牽強付会に思われるしれないが、聖域を作り上げる程に練り上げられた日本人の「お清め」「清潔」への分厚い信仰心は永遠不滅の高みに至っており、その結果として、16年住んでみた海外各国との比較感として日本はスーパークリーンな国であって、偏差値をイメージするなら70以上の超優等生であることは反論の余地もない。ウィルスの立場になってみれば繁殖に最も厄介な環境、国民性であろう。検査数の少なさも指摘されるが、仮に2倍としても感染者、死亡者数はまだぜんぜん少ない。仮説ではあるが、それだけでは説明しきれないものが背景にあるとしか考えられない。
寿司屋や土俵への「分厚い信仰心」はすべての和食系の板さんにも、甲子園の女人禁制を主張する高野連の精神にも共通する、日本人を問答無用に呪縛する行動規範である。ヒンズー教、イスラム教が左手を不浄としたり、キリスト教が離婚、中絶を禁じたりするのが宗教であるならば寿司屋や相撲や甲子園の暗黙の了解がそうでない理由などない。これは堂々たる宗教である。そうだろうか、その割には「いや自分はそんなものは気にしない」とアンチな行動する者を表だって咎(とが)める人はいないではないかという反論もあろうが、それは当たらない。なぜかというと咎めないのも教義の一部だからである。思っても言わない。目撃した傍から「その者は “信者” ではない」と心の中で冷ややかに見放しているのである。つまり、「古来そういうものでありそれが日本文化なのだと外国人に説明するしかないもの」に行動も思索も従順であり大いに長いものに巻かれること、それが日本人であり、その心の働きはかつて山本七平がイザヤ・ベンダサン名で「日本教」と看破したものに近い。
現在、ニューヨーク、ロンドン、パリ等が都市閉鎖状態になるなど世界の様相が急速に緊迫する中、我が東京は同じ地球上と思えないほどのユルさである。ひところクルーズ船であえぐ日本を対岸の火事と見ていた欧米が今や延焼でパニックになり、今度は日本がそれを対岸で他人事のように眺めている。こうしてウィルスというエイリアンは人間を波状攻撃で追い詰め、食い殺していく。なぜこちらが一旦は踏みとどまったか?薬もワクチンもない、検査して陽性とわかってどうなるものでもなく、国家の行動制限強制力など世界最低レベルで圧倒的に弱いのだから、ひとえに、日本教のおかげと思う以外に何があるというのか?お清め、清潔好きで、手洗いどころかお尻の穴まで毎度毎度ていねいに洗浄する世界に類例のない日本教信者の国民性に起因していると考える以外に理由は見当たらないのである。海外が驚いて調査してるらしいが、わかるわけないね。
ただし日本教には弱みもある。人間中心主義で科学を軽視することだ。以下に書く日本人しかできない防御策の、最大のウィークポイントはこれである。人の和は大事だがそれは平時の話である。今は世界大戦に匹敵する有事であり、すべての判断に科学的データが優先すべきだ。ここを取り違えれば、政治が軟弱で無能である日本はあっけなくエイリアンに食われまくるであろう。戦争で懲りたため我が国はシビリアンコントロール、文官政治に振れた。それは結構だが文官だからといって学力に欠け、科学は「専門家」に丸投げで失敗したら人を替えればいいなどという無責任な政治まで国民は許容したわけではない。テレビも毎日手を変え品を変え科学の素人が井戸端会議をくりひろげているが、公共の電波をそんなくだらないものに浪費しないでほしい。科学者だけを出すべきである。
また、日本教信者はお花見のごとき国民的遊興に弱い。まあこのぐらいとタガが緩んでしまう。それは「3つの密」戦略の効果を致命的に減殺し、国民を危機に陥れてしまう自己中の愚行だ。次の危機はゴールデン・ウィークである。国は緊急事態宣言をしても強制力や罰則規定はない。小池氏は都知事として最高権力をふるいあらゆる愚行を封じ込める強硬策を執行すること必須である。ちなみに最新ニュースとして阪神タイガースの藤浪選手の陽性が発覚したが、重要なのはプロ野球の開幕がどうのではない。「37度5分の発熱が4日」の厚労省基準をあざ笑うようにウィルスはひっそりと彼を感染させており、しかも、感染者に見えていなかっただろう彼はひっそりと2人の同僚を感染させたという事実だ。これが僕が1月30日づけのブログで指摘しているこのウィルスの最大の危険性、つまり、誰もそう見えない不顕性感染者に感染力があることの証左である。皆さん、国が言ってることを信じていてもダメだ、自分で考えないと身を守れないのだ。著名人だからニュースになったが、かように20代の健康で若い人でも誰でもかかる。同じことがそこかしこで発生している、ほんの氷山の一角である。
(4)インペリアル・カレッジ・ロンドンの確率データ
ここまで、日本教は我々を曲がりなりにも助けてきた。くりかえすが、日々テレビはやれオリンピックが大変だ、小池都知事がどう言った、学校はいつから開けるのか、プロ野球はどうなるか、国民給付はお肉券はいかがだろうか等々かまびすしいが、そういうことは人類が直面している歴史的危機においてなんら重要な変数ではない。注視すべきは科学者(の内まともな者)の発表だけだ。例えば、英国のボリス・ジョンソン首相は当初「3つの密」のようなクラスター抑制戦略をとる他国とは一線を画し、感染者は症状の軽い若者だし、安全対策に協力しない無知な馬鹿者も存在する社会的コストもあるのだから、人口の60%が感染することによって発生する「集団免疫」によって弱者を保護すればいいだろうという対極的な施策を選択した。反ユーロのにおいもあったがそれはそれで、その時点では科学的知見に立ったものだった。
ところが、インペリアル・カレッジ・ロンドンの学者が、それをやると20万人の死者が出ると計算し、ジョンソンは施策を撤回した。国家の基本戦略を間違えましたというのは元首として誠にみっともないことだが、オックスフォード大学卒のジョンソンは科学の宣託をきっちり理解したのだろう、自らテレビで視聴者に目線を合わせて「You must stay at home(家にいろ)!」と自らの言葉で強く語りかけた。官僚のペーパーを読んで関係各位と緊密な連携を図ってまいりますなんてお経をくりかえす首相とは雲泥の差のインパクトだ。現在時点の世界の死者が2万人であり、1年後にその10倍の死者が英国だけで出るという指摘だから当然だが、では日本国首相官邸はその確率データをどう読んでいるのだろう?意味がわかっているのだろうか?それとも意に介さぬだけの反証データを持っているのだろうか(全くそうは思えないが)。
英国という6600万人が密閉された島で人々の行動を平常のまま放置すれば0.3%がウィルスに殺されるという確率を有意とするデータのサンプル数があるのか否か置くとして、少なくとも現在時点でのデータからウィルスの不可避的に強い感染力と薬・ワクチンなし状況下での人間殺傷力、防御する医療体制の限界点を加味して算出し得る最悪の人口比死亡率が0.3%としたのだろう。毎日ワイドショーでどうでもいいことをご宣託している先生方の「**と思います」など比較にもならぬ重要な数字で、我々が行動の規範と肝に銘じたほうが生存率を上げてくれる結論であることは信頼に足る(それが科学的態度である)。
とするとどうなるか?「3つの密」は感染者数曲線のピークを低くして医療崩壊を防ぐ戦略であるとしては意味があるが、曲線がなだらかになると横長になり終息は遅れる。しかしウィルスの感染力が一定なら曲線を積分した値は同じであり、結局は0.3%の人がすぐに死ぬか来年死ぬかの差である。であるから、世界の死者総数は2100万人、日本は42万人が死ぬ。ちなみに、人類の生存の危機と比べればたいして重大事でもないが、「3つの密」政策がうまくいけばいくほど終息は遅れるのだから1年後のオリンピックは吹っ飛ぶだろう。
(5)人類の安息への唯一の道
それは新型コロナに対抗できる薬、ワクチンが開発されることである。それ以外にない。ということは、来年の今ごろにさあオリンピックだと世界が意気揚々となっている可能性など極めて低い。カネの問題というなら1年延期の希望的観測のコストはもっと高い。どうして中止にしなかったのだろう。学者の意見は複数あるが、おおむね、最短で1年かかり、それを世界の患者に行きわたらせるには更に時間がかかり、5~10年という人もいる。ということは、人類が存続するためには、5年ほどはエイリアンに殺られず生き延びていなくてはならない。その間の経済悪化による生存の危機も国家の方策によって乗り越えねばならない。したがって、我々が今できる努力はとにかく3つの密を避けて感染しないこと、そして運悪く感染してもそれを絶対にバラまかないことだ。体調が悪いのを軽く見て出歩くなど人類を破滅させる行為だと自覚することだ。イタリアの市長はパーティーをやった若者に対し「火炎放射器を持った警官隊を出動するぞ」と警告したが、そのぐらいのことである。
もし幸いにも生き延びることができたなら、そこには未知の世界が広がってるだろう。それはニュー・ノーマルと呼ぶべき新しい均衡点の上に出来上がる我々の知らない “平常” だ。人類史に確実に刻まれる未曾有の厄災に我々は見舞われているのであり、台風一過で元に戻るという単純なものではない。欧州の全人口の60%が死んだペストや第1,2次世界大戦がそれまでの世界を、つまり地球上のヘゲモニーも科学も生活も根底から覆してしまったように、新型コロナは人類のあらゆる均衡を変える可能性がある。しかしそれは恐れることではない。誰も知らないのだからそれはフロンティアでなくて何であろう?未知というものは常に活力を与えてくれるのであり、人類はそこを目指して、新たな光と希望を求めて戦っていくだろう。
(6)我々日本人はどうなるのか?
この問いこそ本稿の最も重要な帰結だ。もう一度書く。日本教の支配する我が国および日本民族というものは「ウィルスの立場になってみれば繁殖に最も厄介な環境、国民性であろう」ということだ。何という幸運なことだろう!我々は、政府があれほどヘマや後手後手をしたのにしぶとく踏みとどまっている。政治家の出来ることは3つの密を「強制執行」し、社会不安と治安に目を配り、カネをばらまくか減税することしかない。国民に必要なのは現金だ、お肉券や旅行券など馬鹿も休み休み言え、電気代や税金をお肉で受け取ってくれるのか?こんなものを真面目に議員が議論しているなど世界の失笑をかう国の赤恥だ。インフレなどなるはずもないのだから日銀引受のコロナ国債だろうが何だろうが、あらゆることを禁じ手無視でやるべきだ。我々国民はどうするか?オーバーシュートを全員の努力と協力で回避し、感染者数が医療崩壊を起こさないレベルで推移するようピークを先送りし、1,2年後には世界のどこかの科学者が開発してくれるであろう薬とワクチンを待てばいい。その忍耐が良い成果を挙げる可能性の最も高い国は日本であると僕は思う。
それには「3つの密」を避けるだけでなく次のことが効く。日本人しかできない秘策だ。西洋式を忘れ「日本教」という宗教に徹底的に帰ること、すなわち、「お清め」「清潔」への分厚い信仰を徹底して守り、不潔を忌み嫌い、古来そういうものでありそれが日本文化なのだと外国人には説明するしかない日本人を問答無用に呪縛する行動規範には不合理であっても異を唱えず従い、日本人にしかないであろう「自己中でなく他人を思いやる気持ち」を大いに持ち、うがい・手洗い・鼻洗浄・マスクは自分のためだけでなく他人を感染させないためという意識を強く持つこと、そして、日本人が持つ最強の我慢強さ・忍耐力でそれらを成し遂げて社会に貢献し、世界に冠たる優秀な民族であることを見せてやろうぐらいの誇りを持つことだ。
このウィルスの性質は未知数で、だから薬もワクチンもないわけだが、少なくとも僕の仮説が正しければ以上のことを国民全員が励行すればその行為がウィルスが最も嫌がる防波堤になることはここまでの数字で証明されている。それを粛々と、気を緩めずに続ければよい。日本人の生存戦略は成功するだろう。それどころか、その成功がニュー・ノーマルになっていき、我々の子孫が最も適応してそこで有利なポジションにつき、日本に生まれて良かったと幸福をかみしめて栄えてくれるのではないか。まだ何が起きるか予断は許さないが、その事を願って筆をおく。
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若者のための政治講座
2020 MAR 21 0:00:26 am by 東 賢太郎
(1)「役人にすべて責任おわせるわけにいかない」(麻生財務大臣、自殺した財務省職員の遺書について)
日本国は都合悪いものを穴掘って埋めてしまう国とは違う。役人がおえないならだれかが負わなくてはいけない。
(2)「有識者会議で継続が決まったのに予算打ち切りを通告された」(山中教授)
iPS細胞の予算枠を削った官費でコネクティングルーム不倫の女性役人。ノーベル賞学者より偉いらしい。写真見たが、諸事においてよく理解できない。
(3)「新型コロナウイルスはパンデミックと言える」(テドロスWHO事務局長)
「すでに雨です。傘を持って出かけたほうが良いと言えるでしょう」。絶対あたるお天気オジサンと人気である。
(4)「検査、検査、検査。疑わしい例は全て検査するのだ」(テドロスWHO事務局長)
WHO本部の職員2人 新型コロナウイルスの感染確認(17日のNHKニュース)。オジサン、きみも検査してくれ。
(5)「宮崎県松島基地で聖火をいただくことになっており」(森喜朗会長)
オーストリアとオーストラリアは大丈夫だろうか。左卜全の世界になってきた。
(6)「敵航空母艦および巡洋艦各一隻を大破炎上せしめたり」(大本営)
この発表の翌日8月15日正午、昭和天皇の玉音放送があった。
(7)「マスクをしないで最後まで頑張る」(森喜朗会長)
マスクは自分のためでなくヒトのためなのでしてください。
(8)「3つの三本柱でいきます」(専門家会議、尾身茂副座長)
9本あるわけではないようだ。今回は政治にソンタクはない発言があったが、失敗しても「役人にすべて責任おわせるわけにいかない」らしいから安心だ。
(9)東京高検検事長の定年延長「問題だ」55%(朝日新聞世論調査)
「テレビのワイドショーが韓国政界の重要人物を “タマネギ男” といって笑いものにしている、日本も滅びるね」(朝日新聞)
(10)「発言を撤回し、深くお詫びする」(森まさこ法務大臣)
それさえしておけば何をしようが大臣はクビにならない国である。あまりにあるあるなんで、この人マジに「それはセンセイ~」の彼女と思ってた。
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うまくいくのは神様のおかげ
2020 FEB 7 11:11:06 am by 東 賢太郎
65才になった。5年区切りで考えると、なにやら節目の年かもしれない。50で退職、55で起業、60で収益化と来た次は何だろうと思う。
考えてそうなったわけでない、50,55の時点時点では失敗だ、不幸だと思って仕方なくそうなった。その敗北感がなければこんなしんどい道に迷い込むことはなかった。そこから多少うまく行ったのは運だ。
65年を俯瞰してみると、浪人時代、梅田時代、ロンドン時代が三大ドツボ期だった。受験、営業、海外とお初の環境でもがき苦しみ、しかも大失敗をしてしまった。
浪人なんかやめとけば、別な会社に入ってれば、と後悔したことは何度もある。逆にそれあっての今と思ったこともある。コップの水を「もう半分」か「まだ半分」かと聞かれれば、半分は半分だと答えるのが齢65だ。
そんな気持ちになったのは初めてかと思いきや、実はもう5年前にその予兆のようなことを自分で書いている(がんばらない生き方)。①決めない②求めない③大事にしない④神仏を信じる、だ。
自分の長所は忍耐力、短所は飽きっぽさと思う。矛盾する二つが、集中力という接着剤で結びついてうまくいっていた。がんばれるのは集中することだけだが、トシと共に集中力が落ちて来たらこのバランスは崩壊する。
①は5年前からそうしている。②の「欲」は、もうない。足るの境地はまだ知らないが、欲がなければ即ち足りているからこれは出来ている。
③の「いらん物はすぐ捨てる。だめと思ったらすぐやめる。直感の声に耳を澄ましてそれをすぱっと決める」、これである、これから大事なのは。
④うまくいくのは神様のおかげ。自分ではない。うまく進まないものは「やめとけ」というお告げと考える。
まったくそのとおり。ここまで、自分は忍耐しただけだ。何か選んだわけでも能力で乗り越えたわけでもない。一切の過信はごみ箱に捨てる。そうしないと、
『直感の声に耳を澄ます』
ことができない。
『うまく進まないものは「やめとけ」というお告げと考える』
何十年株とつきあってきて、今でも難しいのは「損切り」だ。自己否定だからである。でも神様のお告げなら仕方ない。
(PS)
先日書いた才能は遺伝で決まるというブログでショックを受けたという人がいた。それは事実かもしれないがショックは不要だ、人生は才能でも遺伝でも決まらない。実感として、8割は運だと思う。
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満員電車のっちまえ族
2020 FEB 1 20:20:54 pm by 東 賢太郎
僕はそのひとりであった。中学から12年ほどお世話になったから、そこそこ筋金がはいっている。往復3時間、トータルするとほぼ丸1年間を満員電車で過ごした計算になるからだ。
小田急線も中央線も朝夕は殺人的だった。座るなど論外であり、吊革(つりかわ)につかまれただけでラッキーと思うも束の間、線路のカーブで物凄い圧で後ろからのしかかられ、慌てて手をついた窓ガラスがしなって割れそうになり、仕方なく座っている人の上に倒れこんで御免なさいなんて都会ではあるまじき光景が展開する。押しくらまんじゅうという遊びがあったが、あの状態のまま右に左にジェットコースターみたいに振り回され、足を踏まれ、見知らぬ人の汗と体臭と息にまみれる。人間事と思えぬ地獄の3時間であった。
あれに乗ると何かいいことがあったろうか?ない。というより、それを考えたことも疑問を持ったこともない。東京都下の鶴川に住んでいた僕にとって満員電車は家具のように生活の一部であり、敷かれたレールの上を当たり前のような顔をしてやってきた。レールの先の霞みの遠くのほうには大学、就職という名の駅があるらしかったが、さらにその先はというと終着駅は名前も見えておらず、やがて時がたってそのあたりまで来たつもりがいつの間にかレールは途切れていたから何を保証してくれたわけでもない。満員電車は「嫌だろう?のりたくないだろう?でも多勢に無勢というぞ。長いものには巻かれるんだ。のっちまえば楽だぞ楽だぞ・・・」と何者かの声が潜在意識下で聞こえている気もするが、それ以前に家具である。「満員電車のっちまえ族」の第一の特徴である。
海外勤務になったのがどれほど福音だったか。あれに乗らなくていいというのは、僕にとって英語ができるようになるよりもボーナスが倍になるよりも価値があった。ロンドンでも1年ほど地下鉄通勤をして、時間帯によってはそれなりに混んではいたが、ぎゅー詰めでドアが閉まらぬ事態のために乗客の背中や尻を押す達人を配備した駅というものはなかった。世界で初めて地下に鉄道を走らせた彼らはそれをトンネルの形状からチューブと呼ぶ。僕は丸っこい穴からにゅっと出てくるモグラを連想していたが、東京に初めて来た英国人は満員電車を目撃して convoy(護送車)と形容した。
こういう電車は東南アジアにもある(写真はタイ)。日本もかつては貧しかった。しかし、G7にまで昇りつめ世界3位のGDPを誇る国になっても、50年前と変わらぬ姿で存在している満員電車なる空間はいったい何なのだろう?何を意味してるのだろう?お考えになったことはあろうか?それがNOであることが「満員電車のっちまえ族」の第二の特徴である。
インドやタイの一人当たりGDPが今の日本なみになれば、こんな電車に好んで乗りたい輩は素直に消えているだろう。素直に存続している日本は世界でも稀なる国であり、満員電車はそれを象徴する特異な空間というべきなのである。それは、日本語という世界でも特有の粘着質の言語と文化が強固なグルーとなって人々が結合した、日本国なるスペクトラムの内にしか存在しない、ある種の宗教的スペースである。毎朝6時すぎにあれに乗り、死ぬほどの苦行を共にすると、何という安心感が得られたものだろう!俺は私はがんばっている、レールに乗っている。そういう見知らぬ人々が、私もあなたも日本人だね、それわかってるよ、だからここにいるんだよね、お互いにいやだけどね、ああ疲れた、やっと到着だ、でもこれが人生だ、まあ辛いけど今日も頑張ろうと、貴重な時間と忍耐を人質に差し出して日々の生活の安堵をいただく。
それはお正月、神社へ出かけて願をかける初詣という安らぎの儀式のデイリー版のようなものなのだ。我々は西欧の原理、呪縛、科学や法律や数式や合理主義の衣をまとって日々生きている。ああ面倒くさい、鬱陶(うっとう)しい。世の中そんなもんで動いてね~よ。その衣を、お賽銭を投じてえいっと脱ぎ捨てるのだ。その瞬間、やさしい和の心をもった神様が現れて願いをきいてくださる。理性ではそんなはずはないだろうと思いつつも、真剣にお願い事を心に唱えると安らぎの気持ちがいただける。お札や破魔矢や熊手を買っておみくじを引いて、ああ、日本人でよかった、やるべきことをやった、これで今年も安心だ!日枝神社がどんなに凄まじい雑踏になろうが、立ちんぼで1時間待たされようが構わない、むしろありがたい。行った神社がガラガラでは御利益がない気がする。「満員電車のっちまえ族」の第三の特徴である。
ドイツに赴任して何年目かの一時帰国休暇で東京の地下鉄に乗った。たしか水天宮のあたりだから半蔵門線だったのだろう、真っ昼間なので車両はガラガラである。すると隣りに座っていた幼い娘がきょろきょろしながら「ねえパパ、あの白くて丸いものなあに?」と上の方を指さした。
言われて吊革をまじまじと眺める。初めて見た娘の疑問はもっともと思った。無数の輪っかが空中に延々と、まるで陸軍の隊列みたいに寸分の狂いなく一直線に並んだ光景は美しい。しかも、たしかに白い。七五三の飴みたいに、ぴかっと真っ白なのだ。ニューヨークの薄汚れたサブウェイを見慣れた眼からすると、こういう場にあるのは甚だそぐわしくもない穢れを知らぬ純白ぶりだ。この宗教的空間の欠かすことならぬ神具である。
ああ日本だと思った。こういう眼になっている。吊革の印象は僕の変遷してしまったビジョンと感覚の象徴であり、日本国のあらゆる物事についてすべからく、自覚はないけれど、僕は知らず知らずそんな眼で眺めるようになっている。だからもはや満員電車のっちまえ族ではない。日本人と思って同意を期待され、想定外のリアクションに驚かれてきたに違いない。16年海外で毎日英語で仕事したのは重い事だった。それをバイリンガルとか、そんな目線で語ることは無理で、僕の思考回路をDNAとするなら塩基配列の一部に英語回路が組み込まれてしまっている。正確に説明するには英語の方が楽だし、英語の方がぴったりの形容詞があったりするし、こうして書いている日本語もたぶん英語回路から出ていたりするのだろう。
といって、僕はそのことを正確に理解できる人は塩基配列の一部に英語回路が組み込まれている人だけだという悲しい事実も知っている。それは遺伝や育ちや学歴や職歴でどうなるものではない、英語人になって10年もしないと脳の神経回路は変わるものではなく、そうでない回路がいくら性能が良くとも概念的な理解や想像では把握できない。だからそうでない人に理解を求めようということもない。平成、令和と日本はどんどん昭和離れし、近頃は女子が昭和のオジサンをカワイイ!と愛でる時代だ。いずれその世代は「満員電車のりません族」になってテレワーク(在宅勤務)が常態化し、満員電車の人口密度は緩和されるのだろうが、決して「のっちまえ族」が滅亡するわけではない。塩基配列に何ら変わりはない「新型のっちまえ族」が日本の大多数派として出現するだろう。
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才能は遺伝で決まるという謎(その2)
2020 JAN 25 14:14:36 pm by 東 賢太郎
独立して今年で10年になるが、思えば、やってきたビジネスは全部海外に関わる案件である。日本のみで完結したものはない。僕はキャリアからして世界を見ている。その目で投資する「金の卵」と思うものは結果として海外にあったということであり、日本の良いものは外人の方が分かってくれたということだ。
それを日本に持ってくるには外国人と非常に面倒くさい交渉が必要だ。言葉や手続きだけではない、まず外人とのきっかけ作りが普通の日本人にはできないし、できても交渉が稚拙なら良い条件は引き出せないし、ヘタすれば騙される。相手はイメージとしてはトランプやゴーンのような連中と思っていただけばいい。
グッチ、エルメスなどを日本に持ち込んだ銀座のブティック「サンモトヤマ」の創業者、茂登山長市郎をモデルにした幸田真音の「舶来屋」が面白くてこのブログを書いた(洋モノ美しいもの好き)。彼は単身イタリアへ乗り込んでその案件を体を張って開拓してきた。その創意と度胸と苦労に大きな価値があるから、それに日本で提灯をつけただけの奴とは比べ物にならないほどお金が儲かった。フェアなことだ。ソナーで10年やってきたのはこの路線だったのかなとも思う。
たとえば、結果的にノー・ディールとなったのでもう書けるが、ユニバーサル・スタジオをソウル郊外に作るという2000億円級の壮大な案件があった。米国ー韓国の外・外案件なのになぜソナーに話が来たかというと、日本企業の出資が必要だったからだ。そこで有力企業のトップに掛け合って50億円集めた。僕も出資させてもらう条件を付け、インベストメント・バンカーとして極めて血の騒ぐ案件だった。
こういうのが来るというのはキャリアのおかげでもあるが、それ以前に、この手のものに血の騒ぐ人間であるからだと思う。命令服従やソンタクはしないが、血が騒げば地の果てまで飛んでいってでもやるスナイパーである。それを旧知の皆さんや新しいお客様に知ってもらっているということであり、かち合っても勝つ自信があるから競争相手はあんまりいないように思う。ソナーは畢竟、僕が血が騒ぐことだけやって10年存続してきた。
そこで考えるのは「血が騒ぐ」というのは遺伝であって、教えられないかもしれないということだ。まず、僕自身がそうなるように教育された記憶がまったくない。両親がどうして?となるようなことに自然と熱中して、結局、学校で習うことは何も興味がなく、血が騒いだものだけを「独習」してここまで生きてきた。熱中していた野球もゴルフも他人に習ったことはない、全部独習だ。
勉強もそうだ。大学受験で浪人して本気でやってみた結論が、英国社は興味がわかないということだった。だから捨てた。数学だけ血が騒いで公開模試で満点を取ったが、数学で食うほど頭は良くなく、文系の道はすべて興味ないことが入学してから発覚した。唯一、株式に関心があり、金儲けには血が騒いだから証券会社に入った。大正解だった。やはり血が騒ぐかどうかがキーだと得心する。
僕の強みは交渉力に尽きるが、こんなのは人に教わるものではない。勝たなければ殺されるぐらいの絶体絶命の修羅場をくぐって自分であみ出すものである。金融ビジネスというものはカネのにおいがすれば血に飢えたハイエナどもがぞろぞろたかってくるジャングルみたいなもの。そいつらを蹴散らすのは交渉力であり、自分を守る唯一の武器でもある。
綺麗ごとではない。表の理屈や理論や見栄のいいプレゼン資料はどうでもいい。それはお飾りで、実はかなりの部分が下準備と人間力による力関係で決まる。交渉の場で偶発的にアドホックに決まるなんてことはまずないのは数学の出来る人がその場のひらめきに頼ってないのとおんなじである。下準備8割、人間力2割のイメージだ。後者は、本番で予期せぬカードが出てきたときに脅し、なだめすかしで押し切るのに使うが、それがないとそもそもの下準備が浅くなるから話にならない。
ではその人間力とは何か?実は僕もよくわかっていないが、人そのもののこととしか書きようがない。営業本に書いてある「あなた自身を売り込め」なんて安サラリーマン用の教訓ではない。売り込める人はそんな本は読まない。読むような人はそもそも自身の商品価値がないからそんな文句を覚えて実践しても何も起きない。血が騒いでる人は誰かに価値がある。間違いなく売り込むことが可能だ。ペンタゴンが自分をハッキングした者を雇うのはそういう事だ。
僕が事実として商売させていただいているのは、恐らく、この仕事が向いているからであり、つまり血が騒ぐほど好きだからだ。それは野球や天文や猫が好きなのと何ら変わりはなく、そうなったことに理由は思い当たらない。つまり、生まれつきの遺伝的形質なのだとしか考えられない。先祖が横浜で外人に生糸を売って大儲けした。僕もその形質を継いでいて外人相手の商売で交渉がうまくなって、今も外人と商売している。たぶんそれだけのシンプルなことだろう。
自分が先祖由来の才能を使って生きていけるならそれに越したことはない。すべての人は姿形が違うように能力も千差万別だ。皆さん何か一つは必ずある。それを磨いたほうがどう考えても得だし、もっと大事なことは、苦痛にならないから壁にあたっても続けられるのだ。いえ、自分に能力なんてと思う人もあろうが、美点というのは自分で気がついてない人が多いのが事実である。そのまま老けてしまうなんてあまりにもったいない。
例えば、明るい人、笑顔が素敵な人というのは男女を問わずそれだけで才能だ。僕みたいにストレスまみれの人間はそういう人に安らぐから営業職に確実に向いている。ところが男社会ではそれが評価されない。プレゼン力が評価されるわけだ。それならばそっちで負けてなければ笑顔力で必勝ではないか。そう考えるのだ。僕の入試戦略はそれだ。英国社はできなくっていい、負けなければオッケー、それで数学で絶対に勝てる。こう思えば人生とても気楽になれるだろう。
就職に悩む若者はぜひ考えてみてほしい。どこに就職したら給料が高いか、安定的か、世間体が良いか、ブラックでないか、食うためにとりあえず働くなら何がお手軽か、そんなことは長丁場の社会人人生では、全くどうでもいい事であると断言してもいい。いっさい忘れて、お風呂にゆっくり入って自問してほしい。その仕事に血が騒ぎますか?と。
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才能は遺伝で決まるという謎
2020 JAN 20 22:22:01 pm by 東 賢太郎
遺伝が才能に与える影響は音楽92%と数学87%が高いというデータがある(下)。スポーツ85%、IQ66%より高い。
ところが年収も遺伝というデータが出てきた。
http://男性の収入は「遺伝」でこれだけ決まるという「冷酷すぎる
‐W. David Hill et al,“Genome-wide analysis identifies molecular systems and 149 genetic loci associated with income”, Nature Communications volume 10, Article number:5741(2019)
ということは、資本主義はもともと不公平を制度化して助長するシステムということになるが、そうだろうか?上掲データの「才能」欄をご覧いただきたい。
音楽、美術、執筆、外国語、チェス、数学、スポーツ、記憶、知識
僕の目にはそのどれも、収入と大きな相関があるようには見えない。音楽家、数学者が富豪というイメージはないし、この9つのどの才能も人並みだが大金持ちになった人を何人も知っているし。
才能という切り口では出てこない集中力、完遂力のほうが僕は収入との相関が高いと思う。その2つは訓練で充分に獲得できるのだ。そのうえで、ここに書いた5つの法則の真逆をやることだ。
どれも才能なんかいらない。データでお示しすることはできないが、僕の社会経験のエッセンスである。これを当たり前のようにできるようになれば収入は確実に増えると思う。
(続きはこちら)
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廣津留すみれさんとお会いする
2020 JAN 11 17:17:23 pm by 東 賢太郎
人というのは会ってみないとわからない。ニューヨーク在住の畏友安岡氏の紹介で、話題の廣津留すみれさんが弊社を訪問してくださることになった。相変わらず凄い人脈だ。しかし、
ハーバードとジュリアードを首席卒業?ウソだろ?
それが話を聞いた時の僕の、ある意味当然といえば当然のイニシャル・リアクションであった。どっかの芸人とかエセ科学者の「なんちゃってハーバード留学」が浮かんだ。でも本当みたいだ。東大・芸大首席でもあり得ないのに間違いなく史上初の日本人だろう。しかも帰国でなく大分の県立高校の純粋ジャパニーズときた。気が遠くなる。
ということでご来訪を心待ちにはしていたが、正直のところ、こちとら超高学歴のスーパーレディは基本的に苦手としている人間である。大門未知子先生みたいだったらだめだすぐ終わろうと思っていた。
杞憂であった。会議室でご対面して3秒でそう思った。「ぜんぜん普通の女の子だね」「はい、よくそういわれます(笑)」。会話はなごやかに始まった。
そこからは普通でなかった。26才でこの理性、咀嚼力、吸収力はすばらしい。しかし僕も世界でいろんな秀才、異才に会ってる、それだけならどうということもない。その何倍も素晴らしいことに気づいた。好奇心と遊び心も備わってること。時に目が輝く。これだ!秀才というのは実につまんない、超優秀な総務課長みたいなタイプの人が多い。こんな若者がいたのかと触発されて立て板に水ラリーとなり、伝わったという手ごたえは快感すら残るレベルであった。
感想。人間の進化に語学(ことば)は大事である。痛感。英単語を1万5千知ってる方だが、appreciate・・・と言って一瞬どうかなと立ち止まって「アプリーシエイト、いい言葉だね~、日本語ないし」と加えると当然ながら「はい」が返ってくるわけだが、尋ねた意味を完璧にアプリーシエイトしてる顔を僕がアプリーシエイトするという塩梅で結果としてお話は3時間になった。
こちらのほうがはるかにたくさん勉強させていただいて恐縮だ。よくわかった。大事なんだ、言葉を正確にカーブアウト(carve out)するミリ単位での能力こそが。それで入ってくる情報量が天と地だ。それもクズの情報じゃない、先人のインテリジェンスを簡単に受け取れるのだから圧倒的な差になるのは自明なのだ。ちなみにインフォメーションと何が違う?ご存じないのは仕方ないから正確にお教えした。これがインテリジェンス。carve out力倍増で鬼に金棒だろう。
ブログにあるベートーベンV協の「a#がみんな低い。なぜ?」を尋ねた。すぐロジカルな答えが返ってきた(秀逸)。その音符に至るまで僕がへたくそに歌うとティンパニを入れて下さる(日本のおもてなし)。チャイコフスキーV協はつまんない(反論される)が、第1楽章に1か所だけいい所がある。ここ(歌う)、この3連符、大家も裏の木管にひっぱられる、ちゃんと弾いた?「弾きました」(あたりまえ、決然)。「いいね」であった。
歌舞伎の「型破り」「型なし」の話。「ピアニストはピアノ曲しか知らない。型なしね、そんなの何やってもだめね」「はいヴァイオリニストもそうなんです」「きみクロイツェル・ソナタ、1週間で弾いたんでしょ」「はい」「なら覚えたら?モーツァルトやるのにオペラ知らない?ベトコン弾きますが田園交響曲知りませんみたいなもんだよ、そりゃないでしょ、僕みたいに魔笛暗記してるオヤジには型なしだよ。型作ってそこから羽ばたいて、自由に思いっきり遊んでね」。
これは「東大王の芸人みたいになんないでね」と心配したゆえの苦言だったが、すみれさんは根底からものが違うんでまったくの杞憂だったろう。素敵なご縁ができました。
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