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カテゴリー: ______クラシック以外

『気』の不思議(位牌とジャズの関係)

2017 SEP 26 0:00:35 am by 東 賢太郎

高野山延暦寺の番組を見ていた。周辺の村で伝統的につくられる高野位牌の職人さんにTVアナウンサーが「戒名の彫り方にも気持ちをこめられているんですね~」と、マックの店員みたいにお馬鹿な質問をする。

するとその職人さん、困ったように、「いや、気持ちはこめませんね、戒名はあくまで故人さまのものなんで、私が気をこめてしまってもよくないんで」と答えていたのがとても印象に残った。

 

気とはそんなに強いものなのか・・・。

 

名曲とされる音楽には実はどっぷりと作曲家の気がこもってるのかもしれない。チャイコフスキーの悲愴なんかどうだ。あれを聴くといつも心にずっしりと重たいものをかかえて帰路につくではないか。それをチェリビダッケぐらい気のかたまりみたいなおっさんがやったら尋常じゃ済まされない。

それでいうならフランクフルトで92年に聴いたユーリ・アロノヴィッチの幻想交響曲だ。あれこそ指揮者の気だったんだろう、おとなしいイメージのバンベルグ響が燃えまくって物凄い演奏になってしまった。こわい。完全ノックアウトを食らった、あんなのは何度もあると体に良くない。

7月7日に神宮球場で遭遇した広島カープの世紀の大逆転事件もそうだ。9回表を迎えて5点差の負けがひっくり返ったあれ、客席で鳥肌が立った。カープ選手の「絶対やったるぜ」の気だ、今年の強さの縮図だった。きのう引退試合だったロッテの井口が現役最終打席に立った。これも打つ前から何かあった。同点ツーランホームラン、恐れ入った。試合はそのままサヨナラだった。

我がことではサンフランシスコの野犬事件だ。野っ原で夜陰にひとり、5,6匹の獰猛そうな野犬と向き合ってしまった。ヤバいも何もない、殺られると思って咄嗟に工事の土管に隠れた。先頭の怖そうなヤツが土管のむこうの出口でこっちをのぞいて目が光った。5メートルぐらい。びびっと視線が合ったら、ヤツがなぜか回れ右して、ケツを向けて全員去ってくれた。あれって気だったんだろうか。

毎月打ってもらってる神山先生の鍼(はり)。あれも不思議だ。肩から腰あたりまでの背中に8本打つが、毎回場所が違う。「ここ気が流れてないね」だ。そういう場所を選んでいて、ツボということもない。日本人の鍼灸医の技術では背中は打てない。肺に刺さって気胸になる事件が最近もあったが、危険なのだ。だから鍼灸医が患者になって来ている。

『気』の存在について

気という語は

気持、気合、気分、気候、気功、気色、気質、気長、気品、気心、気楽、天気、気温、気象、気圧、気味、正気、狂気、邪気、陽気、陰気、産気、運気、根気、生気、短気、人気、呑気、勇気、色気、空気、本気、気配、気骨、気だて、意気、気まま、気構え、気安い、気難しい、気を許す、気を寄せる、気が良い、気がねする、気をそそる、気を吐く、気を落とす、気が抜ける、気が利く、気がふれる、気が進む、気がせく、気をそぐ、気に召す、気が立つ、気になる、気にする、気にかける、気負う、気をやる、気に入る、気がひける、気をつける、気が張る、気を抜く、気を使う、気が付く、気を付ける、気を持たせる、気に障る、気を良くする、気が散る、気がある、気を引く、気が滅入る、気が移る、気色が悪い、気安い、気が置けない、気を回す、お気軽に・・・

まだまだあるだろう。いかに我々日本人が気を気にかけていることか。

ストレスで気が重いとき、ちょっとリラックスしてジャズをきく。これがたまらない。ピアノが好きだけどクラシックの回路に入ってしまうので、そういうときはサックスだ。なんたって展覧会の絵かアルルの女ぐらいしか出てこないし。

ジャズの人には邪道なのかもしれないが、コルトレーンじゃない。どうも彼のは「気」が入りすぎてる。

まずはウエイン・ショーターのこれか

スタン・ゲッツのこんなバラードのコンピレーションはもっと邪道なんだろう。しろうと色丸出しで気がひけるが。

でもこれはうまい。旋律の歌いかたが絶品、軽い、大好きだ。Loverでなくたってうっとりしてしまうではないか。彼のサックスはあんまり「気」がこもってないんだ、気が抜けてるわけじゃなくって。気が置けないし気をそそるね。

 

(いらん、といったものですが・・・)

ジョン・コルトレーン「A Love Supreme」

アントニオ・カルロス・ジョビン 「イパネマの娘」

安土城跡の強力な気にあたる

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Thundercat 「Drunk」の衝撃!

2017 MAY 22 1:01:23 am by 東 賢太郎

昨日は用事で早朝5時に車で家を出ました。一人だし朝は弱い。まだぼ~っとしていて運転やばいなと思い、ラジオを適当につけました。すると tvk という横浜の放送が入って、なにやら妙ちくりんな音楽が流れだしたのです。

 

10秒たたないうちに耳がくぎ付けに

いかん、これはボリューム全開だ

なんにも聞こえなくなっちまった

こりゃかえって運転危ねえや

でもしょうがないぞ

こりゃ天才だ!

 

後で調べると、これでした。

 

なんだこれは?

なんでもいいや

超和声感覚!

音楽ってやつは、こうやって、どこのどいつともわからんのがビシッと琴線に触れてくるのがあるんだ

ジャズなんかフュージョンなんかヒップポップなんか、さっぱり知らないが、もうそんなの関係ないすね

アメリカはこういうのが出てくる

和声もモードもインプロヴィゼーションも

彼はきっとジャズ語法をぜんぶマスターしてるだろう

それがこういうわかりやすいのになる

美しい!

サンダーキャット、ぜんぶ聴いてみよう

現代のモーツァルトは、いわゆるひとつの「クラシック」でなく、

こういうところに現れる気がします

 

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クシコスの郵便馬車

2016 DEC 20 12:12:41 pm by 東 賢太郎

ホワイトクリスマスは好きだったが、親父のレコードのおかげでそのまま音楽好きのいい子になったわけではない。音楽の授業は女の園みたいで苦痛であり、ペダルを踏む先生の足がピアノの下で動いている大根に見え、「早く終わんねえかなあ」と思いながらすきをついて窓から脱走する子に仕上がっていた。

自業自得なのだが悪い子ということになっていて女の風紀委員に悪戯や帰り道の買い食いまで言いつけられて頭にきていた。なにやらそういうものを包括して女のするものである音楽はいやだという強固な思い込みができあがっていた。乙女だとか祈りとかエリーゼとか、題名からして女々しくてどうにも気色悪い。それが僕のクラシックのイメージだった。

そして同じく大嫌いだったフォークダンスとイメージが混線した。オクラホマ・ミキサーというのがあった。当時、GEの洗濯機などが高級品で、オクラホマのミキサーも米国製だからきっと性能はいいんだろうと思っていた。しかし踊りになるほど優れているんだろうかと一抹の疑念もいだいており、オクラホマの田舎の人が買って嬉しかったイメージをこめて踊った。

キャンプファイヤーになると「さーらすぽんだーれっせっせ」なる不可解なものが始まる。この歌は全曲にわたって一言たりとも理解不能であり、先生も含めその場にいた者で意味が分かっていたのは確実に一人もいないだろう。「ポンダ ポンダ ポンダ」とピアニッシモでおごそかに繰り返す部分など呪文さながらであり、誰も何をやっているのかわからないままに異教徒の儀式みたいにまじめにポンダ ポンダ・・・実に不気味であった。

ネットで調べてみると多くの人が「あの意味は何ですか?」と質問しており「オランダ民謡の糸巻きの歌でサラスポンダはお囃子の言葉で意味はあんまりないようです」などとあって絶句だ。なんで俺がオランダのお囃子なんかで踊らなきゃいけなかったんだろう?そんなもんで通信簿に2とかつけられて親父に怒られていたんだ。後で知ったがこのテのはみんな外国の田舎の踊りだ。ウクライナとかリトアニアとかフィンランドの。GHQの愚民化政策の一環だったとしか思えない。阿波踊りができない方がよほど文化的損失だろう。

日本の欧米コンプレックスは明治以来で仕方ないが、欧米なら何でもよくて誰かの個人的趣味で超ニッチなのを探してきて国民的にばかばかしくやってる。クラシック音楽もそういうにおいがあって、例えば親父のレコードに「クシコスの郵便馬車」というのがあった。きっと名曲なんだろうと思っていたら、後でわかったが英国人もドイツ人も知らない。ドイツの田舎のなんとかという作曲家の曲で、一発屋かとおもったら現地では一発すらなくて誰も名前も知らない。驚くべきことだが日本人しか知らないクラシックというのがあったのだ。

クシコスはハンガリー語で馭者でポストは郵便だそうだ。だからクシコス・ポストで「郵便馬車」の意味であるらしい。じゃあ「クシコスの」というのは何だったんだ?こういういい加減な精神のまま「クラシックはセレブでお上品ざあます」ということになっている。女の嫁入り道具であるピアノがいかに大量に打ち捨てられているかは中古業者のCMがやけに多いので気がつく。あんな下品な広告にのせられて売ってしまうような人たちがおおぜいピアノを買ってしまっているんだ。外国の田舎踊りをフォークダンスと横文字で呼んで、誰一人わけもわからず盆踊りみたいにやっている風景と重なる。それが「ざあます」のムードになるもんだからあまりに馬鹿馬鹿しく薄気味が悪く、それで窓から逃げたのだということに自分の中ではなっている。

クラシック音楽はそんなものとは似ても似つかないとわかったのはずっと後のことだ。それは、言葉のいやらしい部分をきれいに洗い流した真の意味において、貴族的な精神の産物であった。それでも心に多少の記憶の残滓、トラウマがあるとすると、それはショパンの音楽においてである。雨だれとか華麗なるとか子犬とか恥ずかしい題名を聞いただけで僕とは根本的、本質的に無縁の世界であり、さーらすぽんだと同じほど近寄りたくないざあます異教徒の領域に入ってしまう。ショパン本人は標題をつけてないから彼の責任ではまったくないし申しわけないと思っているが、そういうノリで彼の音楽に寄ってくる人種は僕にはいかんともしがたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

フランク・シナトラの「ホワイト・クリスマス」

2016 DEC 19 2:02:24 am by 東 賢太郎

3才までいた家にSPレコードがいろいろあって、クラシック、ロシア民謡、シャンソンや、後で知ったがビリーヴォーン、ナット・キングコールなんかもあった。親父は高射砲を撃っていて爆撃を食らって片耳をやられているのに、どうやって敵性音楽なんかを好くようになったのだろう。

そのなかに誰の歌だったか甘い男性ソロのX’masアルバムがあった。SPレコードの盤面の真ん中のレーベルは紺と肌色のツートンカラーで、本当はたぶん違うのだろうが、僕の中ではそういう色だった。それを覚えているのは「ホワイト・クリスマス」がダントツに好きだったからで、こればかり執念深くせがんでかけてもらっていた。

この歌、e,f,e,d#,e,f,f#,gと5つの連なる音の中での半音階進行で始まり、大変に西洋音楽的でクラシカルだ。コードはCからC7に行くc,b,b♭のクリシェ、そこのb♭ーaの長7度、FがFmになってg#ーgの長7度と、まったくもって子供らしくない音が満載のように思うが、子供らしいジングルベルや赤鼻のトナカイにはなんの興味もなかった。

ルロイ・アンダーソンはそこに入っていたのか別の盤だったか忘れたがとにかくX’masのイメージがあって(関係ないがそう思っていた)安物のソングの中でぴかっと光っていた。しかし、好きだったのはそれが理由じゃない、なんといってもそれが聞こえてくるとサンタさんがプレゼントをくれるからだが。

もう手元にないので自信はないが、あのホワイト・クリスマスはフランク・シナトラだったように思う。

SPというのは電蓄と呼んだプレーヤーにごついアームがついていて、その先にえらく長い鉄針を挿入して装着する。78回転でレーベルのぐるぐるがものすごく速い。針圧はLPよりかなり高そうで、シャーシャー盤面で音がして針はすぐ摩耗して交換になった。そんなことを覚えていてそれは3才でのことだったのだから、かなり真剣なリスナーであったのだろう。

そのころもう一つ異様に真剣だったのが鉄道、というか線路であり、どちらも鉄の摩耗が関わる。摩耗のにおいまで好きでありその性癖がどこから来たかは謎だ。思えば99%に無関心で局所的1%に異様に関心があるという巨大な落差は万事にあてはまる。3つ子の魂61までだ。

 

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クラシック徒然草 ―ドビッシーとインドネシア―

2016 SEP 20 0:00:47 am by 東 賢太郎

前回、微分音を使った武満徹の「雨の呪文」をきいた。微分音とはなにやらおそろしげだが、ちっとも難しいものではない。

これをお聴きいただきたい。「平調 陪臚」という我が国古来の音楽、雅楽である。

冒頭の笛の音からして西洋音楽のドレミファとは合っていない。笙(しょう)は長2度の和声らしきものを奏でるがユニゾンの旋律になるとグリッサンドが入り高音のピッチは不安定である。もちろん、それはそういうものなのであり、「音が外れている」というには当たらない。

次はこちら。インドネシアのガムラン音楽である。

雅楽よりもドレミファに近いが、笛もゴングのような金属打楽器もいわば「調子はずれ」だ。しかしこれも、そういうものなのだ。僕自身、香港時代に初めてジャカルタへ行ってこういうガムラン・オーケストラを聴いた。強烈な音楽を全身で受け止めた。

これに魅せられる西洋人は多いようで、パーカッショングループがやるとこうなる。かなり洗練されてきて、同音型の悠久を思わせる繰り返しはどこかライヒのミニマル・ミュージックを思い起こさせないだろうか。しかし微分音ということでいうと正面左の鉄琴のピッチは明らかに四分音ほど低いのだ。

トルコ、ペルシャの伝統音楽もこうした調子はずれの音が出てくる。つまり教会の残響で三和音のハーモニーから発し、倍音として現れる音でオクターヴを12分割した西洋音楽のスケールというものが世界を席巻しているが、それだけが音楽であると言うには世界はあまりに広いことがご理解いただけるだろうか。

これは言葉の世界で、母国語としている人が5%しかいない英語が世界を席巻してビジネス公用語になっているのに似る。それは確かに便利ではあるが、では「わび・さび」を英語で説明しろと言われればはたと困ってしまう。メートル法に慣れた我々が「体重は何ポンドですか?」と聞かれてもだ。雅楽やガムランを五線譜に書くのは、それと同じく困ってしまうことなのだ。

僕は雅楽もガムランも好きで、どちらもCDを所有している。それは音楽として伝わってくる何かがあるからであって、それ固有のものだ。それをバッハと比べてどうこう言うには値しない。ベトナム料理とフランス料理を比べることは可能だが、どちらもおいしいのであって、料理というものはそれで充分なのだ。

微分音とは、体重50キロの人が「110.231131ポンド」になってしまう、その小数点の部分、0.231131みたいなものだ。相手は110、111,112・・・と整数で考えてる。それがドレミファ・・・というものである。でも、ドレミファを基準に調子はずれとされても困る。雅楽もガムランも、西洋音楽より前から「そういうもの」として存在してきたのだから。

幸い、西洋の教養ある人達はそれを理解している。これは2012年のエジンバラ国際音楽祭で宮内庁式部職楽部が演奏会をやったドキュメントだ。チケットは早々に完売したようであり、「マーラーの9番を思い出しました」というご婦人も出てくる。千年前の音楽がほぼそのまま保存されているのは日本をおいてない。我々はこれをもっと知り、もっと誇りを持つべきだろう。

パリの万国博覧会でガムランを聴いて感銘を受け、そのインスピレーションから音楽を書いたのはドビッシーだ。彼は北斎の浮世絵から交響詩「海」を書いたように、ガムランからこの曲を書いたとされる。1903年の作品、「版画」から第1曲「塔(パゴダ)」である。

これをパーシー・グレンジャーが管弦楽に編曲している。これを聴くとガムランの感じがよくわかるから面白い。

しかしここに微分音は出てこない。あくまでポンド法である平均律に焼き直したもの、デフォルメされた「イメージ」にすぎないと言っていいだろう。僕は微分音でしか表現できない音楽を平均律に「押し込める」ことには少々抵抗がある。

第一に、ビートルズをピアノで弾いてもあの純正調のハーモニーは出ないように、すべての同名異音を同じと読んでしまうエンハーモニックは本当の美を表さない。第二に、雅楽もガムランも、もっといえば演歌の「こぶし」も、ビートルズ以上に西洋楽器にはなじまないものだからだ。

ドレミファにならない音楽を排除してしまうのは間違いだ。良い音楽に対して心が開かれている人にとっては、音をもってスピリチュアルに何かを伝えるものはすべからく音楽である。伝えるものが大きければすべて立派な音楽なのであり、そこに優劣のような価値基準が入り込む余地はない。どこの国の料理も、おいしいものが良い料理なのである。

(こちらへどうぞ)

クラシック徒然草ードビッシーの盗作、ラヴェルの仕返し?ー

 

武満徹 「雨の呪文」 (Rain Spell)

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ジョン・コルトレーン「A Love Supreme」

2016 SEP 13 0:00:56 am by 東 賢太郎

ジャズのスタジオ・アルバムは60年代あたりからレコード芸術となったようで、クラシック界でおきたことと平仄があってる。アートのムーヴメントとしてそうなった側面とステレオの登場など録音技術の進化を含めた制作側の事情がジャンルを超えてあったとしたら面白い。

レコード芸術の完成度でどかんとしたインパクトを与える。そこにクラシックもジャズもない。片っ端から聴いているが、中でもシンフォニー級の手ごたえを感じたのがこれだ。これはきいてるとクラシック耳になっちまう。

A Love Supreme

このツンときどった語順がいいね。A  Supreme Loveだぜ、ただの英語は。キャラメルプリンが Crème caramel (クレム カラメール)になったら上等だみたいなもんも感じる。

4部構成の交響詩みたいだが主題の循環がある。クラシックじゃサックスはおまけの楽器だから耳新しい。呪文が聞こえたりティンパニが鳴ったり、重い。この重みがたまらなくいい。

マッコイ・タイナーはソロよりバックの方がいいな。4つの楽器がウエル・バランスの録音で定位して「アンサンブル」になってる。サックス左、ドラムス右、これレコード芸術だなあ。文句なくカッコいいアルバムだ。調べたらジャズの定盤らしい、なあんだいいの見っけたと思ったのに。

 

マッコイ・タイナー「Fly With the Wind」

 

 

 

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マッコイ・タイナー「Fly With the Wind」

2016 AUG 18 1:01:09 am by 東 賢太郎

ジャズを書きついでに、サーフィンじゃなく大昔から聴いてたやつを。

僕は音楽に限らず食い物も酒も本も旅も・・・、いや世の中の楽しみと思しきものは何であれ雑食、悪食?であります。ストライクゾーンは広いです。小学校でベンチャーズから入って中学でストラヴィンスキーに行きついたように先は読めませんが・・・。

41GRRGVDX3LこのCDはたしか85年あたりにロンドンのコヴェントガーデンで買いました。毎週末に家内と街に車で出て、まだ子供いませんでしたから身軽でイタリアンや中華を食べてLP、CDを買って帰るのがルーティーンでした。これ買った理由は中古で安かったから。目新しかったCDというフォーマットでジャズを鳴らしてみたかった、それだけです。それでも8ポンドは2000円ぐらいでしたから高かったですが。

 

ところが、Fly With The Wind、いいじゃないですか。これ以外は僕の趣味としてぜんぜんどーでもいい曲でしたが、とにかく 一曲だけがめちゃくちゃ気に入りました。

そこからどうなったかというと、こうです。

maccoy3maccoy2maccoy1maccoy

 

 

 

 

 

LPを片っ端から4つ、2枚組あるので計6枚。オタクでした。興味なかったJazzでこれですから、クラシックはこの10倍のペースで増えてました(このぐらいバカじゃないと1万枚は行きません)。あんまりカネなかったですから家計は大変で家内には迷惑かけました。

 

ところがです、なんのことない、こんなに聞いたのにやっぱり Fly With The Wind 以外はどーでもいいやということが発覚します。マッコイお好きな方には申し訳ないが僕的にはもういらないLPで、思い出でとってある。こういうのを捨てられないタチなんです。

さて、そこからどうなったかというと、こうです。

maccoy4

やっとこさ、これ探し出しました。ピアノ、習ったことないんで、インチキのおためごかしですが・・・。なんでも自分でしないと気がすまない性格でした。しかしこの和音、カッコいい!

 

スタン・ゲッツ 「Voyage」

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チャーリー・ヘイデン/ケニー・バロン 「Night & The City」(1996)

2016 AUG 17 0:00:11 am by 東 賢太郎

アマゾンのプライム・ミュージックはかつての結構な名盤がタダで聴けてしまう。いい時代です。我々オヤジはそういうLPって、批評を丹念に読んでこれはいいに違いないぞとレコード屋(そういうのがあった)に出向いて、2000円(当時は大枚だ)はたいてエイや!と買ったもんです。

音楽に入れ込むというのはそういうハラハラと裏腹だったのです、若い人は知りませんよね。僕なんかもう何百回もそれやって失敗してます。家で聴いてみるとハズレが 7,8割なんですよ・・・カネ捨ててるみたいなもんでした。

そこまで騙されて買う方が馬鹿なんですが、エイや!⇒ハラハラのスリルがたまらなかったりしたんです。いいんだろうなと妄想が膨らんで、手にして、ターンテーブルにのっけてみる。たまに当たりが出ると一気に取り返した気になれました。だからそういうレコードは宝くじの当たり券みたいに大事にしてるのです。

ジャズをサーフィンしていると時々いいのに当たります。僕はこのジャンル、まったくの素人だから単に趣味ですが、よし買うぞとクリックしようと思ったらプライムだ。あり難いが、なんかもったいない。ハラハラ世代のオヤジとしては何が大事なものがなくなっちまった感があるんですね。51NquY9aYaL._SS500_PJStripe-Robin-JP-Large,TopLeft,0,0_SS280

そのひとつがこれ。「チャーリー・ヘイデン/Charlie Haden」と、「ケニー・バロン/Kenny Barron」のアルバム「Night & The City」(1996)です。プライムのタグ付きです。

こりゃめちゃくちゃいいライブだ。あんまり高くないハバナに安バーボンなんかで最高。大学のころニューヨークで遊びほけてたのを思い出すなあ、う~ん若かった。

ジャズのいいのは疲れをほぐしてくれます。聴くじゃなくて聞く、流れる感じですね、アタマが麻痺、何も考えないでぼ~っとできるとはなんて貴重な。このアルバム、バラードばっかりです、渋い抒情、オトコの世界です。

 

オスカー・ピーターソンを聴く(Oscar, the Great)

 

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スタン・ゲッツ 「Voyage」

2016 AUG 12 2:02:26 am by 東 賢太郎

思えばこれまでの人生、いろんな物事に熱中してきたが、死ぬまで好きでいられるかというとどれも自信がなく、間違いがないのはクラシック音楽と野球と猫だけだろう。我が3種の神器である。

3つは同等の重みがある。最もバランスが取れていたのは高校時代で、家には猫が3匹いて、暇があればクラシックを聴き、学校へは野球をやりに行っていた。これぞ僕の黄金のトライアングルで、3つが正三角形で安定していると4つ目の何かがうまくいく。それが学業であったり仕事であったりしたわけだが。

ところが欧州に赴任すると、猫と野球が取り上げられてしまった。これは大変に痛い。精神のバランスを欠く状態であり、いきおいクラシックに頼りきりになった。子供が3人生まれなければその均衡も危うかったが、正直のところ、「一に音楽、二に仕事」でやってきたことを認めざるを得ない。

外資から3度お誘いをいただいた。30才ぐらいのとき年収7千万円というのもあった。行かなかったのは外国が本拠になるのが嫌だったからだ。というのは、野球はメジャーでなくNPBと高校野球でなくてはだめで、猫というとシャムやペルシャは全くだめで和猫の必要があるからだ。

もし僕の音楽がクラシックでなく歌謡曲だったりしたら破滅してただろう。幸い欧州は野球と猫をあきらめた分以上のものを音楽で返してくれた。ところが香港ではその音楽まで取り上げられ、いよいよ最悪の3重苦になってしまった。ゴルフにのめりこんだのは安定剤のない緊急避難の結果にすぎない。

それがやっとこさ今になって、猫が1匹いて、音楽、野球はご自由にという理想郷になった。この状態でリタイアしても十分満足だが、音楽、野球が好きであり続けるには適度な距離感があるほうがいいと思っている。深入りするほどのものは持っていないからだ。入っていいのは猫だけだ。

クラシックはほとんどの曲は聞いてしまって、知らない曲は興味がわかない相手なのだということも知ってしまった。飽きて聴かない曲でもブログにする意味は感じているが、人生のスパイスになることはもうない。そこで最近はネットサーフィンでジャズ、フュージョンなど他ジャンルを聞き漁っている。

先日のブログでスタン・ゲッツのボサノバを書いたが、彼のサックスは好きだ。たまたま知っただけだが、このアルバム「Voyage」は大変に音楽的な価値を感じる。こういうメンツだが、見事というしかない。

STAN GETZ(ts), KENNY BARRON(p), GEORGE MRAZ(b), VICTOR LEWIS(ds), BABATUNDE(congas)

 

 

 

チャーリー・ヘイデン/ケニー・バロン 「Night & The City」(1996)

 

 

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アントニオ・カルロス・ジョビン 「イパネマの娘」

2016 AUG 8 1:01:50 am by 東 賢太郎

リオでこれを聞いたかどうか、記憶はないのですが、ブラジルというとルビー、サファイア、アメジストなど宝石の原石をきらびやかに並べて売っていたことと、イパネマ、コパ・カバーナのビーチの解放感がなぜか脳裏に焼きついて離れません。地球の真裏の素晴らしい思い出です。

ipanema

 

この曲はイパネマ海岸近くにあったバー「ヴェローゾ」(Veloso)にたむろして酒を飲むことが多かったアントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウス・デ・モライスが、母親のタバコを買いにしばしば訪れていた近所に住む少女エロイーザ(Heloísa Eneida Menezes Paes Pinto)に一目惚れし、インスピレーションを得て書いたものです。彼女は当時10代後半、170cmの長身で近所でも有名な美少女であったそうな。右がのちのエロイーザですが、さすがに美人ですな。43年生まれだそうです。

 

「イパネマの娘」(Garota de Ipanema)はポップス界の奇跡的名作であり、ボサ・ノヴァと呼ぶジャンルに属するようです。その辺はうとくて何がボサ・ノヴァの定義か知りませんが、ブラジルの音楽にフランス近代音楽の和声をかけあわせたような洗練を感じます。

初めてこれを聴いたのがいつだったか、たぶん中学ぐらいだろう、サビの部分の和声変化に仰天し、ギターで試みるもメジャー9thのようなコードはうまく出せない。コードがわからないと、今度はメロディーの「入りの音」までわからなくなるという困った曲で、一気に取りつかれてしまいました。ピアノが弾けるようになって、やっとからくりがつかめました。

米国のサックス奏者スタン・ゲッツとブラジルのボサノヴァ歌手ジョアン・ジルベルトが1963年に録音したアルバム「ゲッツ/ジルベルト」に、ゲッツの奥さんだったアストラッド・ジルベルトが2曲だけヴォーカルを担当、イパネマの娘はほんのその1曲だったのですね。

アストラッドはブラジルの風を感じさせるアンニュイな感じの歌声ですがサビの音程はしっかりとっています。あちらの歌手で音程が怪しいというのはまずありません。録音の舞台裏では、ジルベルトはゲッツがブラジル音楽を理解しないのに腹を立て、ピアノで参加していた英語の喋れるジョビンに「この馬鹿めと言え」と迫ったそうな。

このアルバムは当初にビルボード誌のチャートで2位に達する大ヒット作となりましたが、シングルとして「イパネマの娘」はまだ5位だった。それがやがてカヴァー数でビートルズの「イエスタデイ」に次ぐ世界第2位のクラシック的存在までになるのです。

私見では、それはここの見事な和声によるところが大きいと思われます。

Oh, but he watches so sadly  E♭maj9→A♭7

How can he tell her he loves her    E♭m9→F#7→B7

Yes he would give his heart gladly       Em9→Gm7→C7

こういうクラシック音楽は、ない。まるで万華鏡をのぞくようです。作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビンに脱帽。

これが作曲当時のエロイーザです。エリーゼのために、幻想交響曲、トリスタンとイゾルデ、美女は名曲を生む。

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リオの鮮烈な思い出

 

 

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