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カテゴリー: ______クラシック以外

クラシック徒然草《音楽家の二刀流》

2018 MAY 6 1:01:11 am by 東 賢太郎

そもそも二刀流とはなんだろう?刀は日本人の専有物だからそんな言葉は外国にない。アメリカで何と言ってるかなと調べたら大谷は “two-way star” と書かれているが、そんなのは面白くもなんともない。勝手に決めてしまおう。「二足の草鞋」「天が二物を与える」ぐらいじゃあ二刀流までは及ばない。「ふたつの分野」で「歴史に残るほどの業績をあげること」としよう。水泳や陸上で複数の金メダル?だめだ、「ふたつの分野」でない。じゃあ同じ野球の大谷はなぜだとなるが、野球ファンの身勝手である。アメリカ人だって大騒ぎしてるじゃないか。まあその程度だ、今回は僕が独断流わがまま放題で「音楽家の二刀流判定」を行ってみたい。

アルバート・アインシュタイン

まずは天下のアルバート・アインシュタイン博士である。音楽家じゃない?いやいや、脳が取り出されて世界の学者に研究されたほどの物理学者がヴァイオリン、ピアノを好んで弾いたのは有名だ。奥さんのエルザがこう語っている。 Music helps him when he is thinking about his theories. He goes to his study, comes back, strikes a few chords on the piano, jots something down, returns to his study.(音楽は彼が物理の理論を考える手助けをしました。彼は研究室に入って行き、戻ってきて、ピアノでいくつか和音をたたき、何かを書きつけて、また研究室へ戻って行くのです)。

アインシュタインは紙と鉛筆だけで食っていけたのだと尊敬したが間違いだった。ピアノも必要だったのだ。たたいた和音が何だったか興味があるが、ヒントになる発言を残している。彼はモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを好んで公開の場で演奏し、それは「宇宙の創成期からそこに存在し巨匠によって発見されるのを待っていた音楽」であり、モーツァルトを「和声の最も宇宙的な本質の中から彼独自の音を見つけ出した音楽の物理学者である」と評している。案外ドミソだったのではないかな。腕前はどうだったんだろう?ここに彼がヴァイオリンを弾いたモーツァルトのK.378が聴ける。

アインシュタインよりうまい人はいくらもいよう、しかし僕はこのヴァイオリンを楽しめる。曲への真の愛情と敬意が感じられるからだ。というわけで、二刀流合格。

アレクサンドル・ボロディン

次も科学者だ。「だったん人の踊り」で猫にも杓子にも知られるアレクサンドル・ボロディン教授である。教授?作曲家じゃないのか?ちがう。彼はサンクトペテルブルク大学医学部首席でカルボン酸の銀塩に臭素を作用させ有機臭素化物を得る反応を発見し、それは彼の名をとって「ボロディン反応」と呼ばれることになる、まさに歴史に名を刻んだサイエンティストだ。趣味で作曲したらそっちも大ヒットして世界の音楽の教科書に載ってしまったのである。この辺は彼が貴族の落し胤だった気位の高さからなのかわからないが、本人は音楽は余技だとして「日曜作曲家」を自称した。そのむかしロッテのエースだったマサカリ投法の村田兆治は晩年に日曜日だけ先発して「サンデー兆治」となったが、それで11連勝したのを彷彿させるではないか。「音楽好きの科学者」はアインシュタインと双璧と言える。合格。

ユリア・フィッシャー

巨人ふたりの次にユリア・フィッシャーさんが来るのは贔屓(ひいき)もあるぞと言われそうだが違う。贔屓以外の何物でもない。オヤジと気軽にツーショットしてくれてブログ掲載もOKよ!なんていい子だったからだ。数学者の娘。どこかリケジョ感があった。美男美女は得だが音楽家は逆でカラヤンの不人気は男の嫉妬。死にかけのお爺ちゃんか怪物みたいなおっさんが盲目的に崇拝されてしまう奇怪な世界だ。女性はいいかといえば健康的でセックスアピールが過ぎると売れない観があり喪服が似合いそうなほうがいい我が国クラシック界は性的に屈折している。フィッシャーさん、この容貌でVn協奏曲のあとグリーグのピアノ協奏曲を弾いてしまう。ピアノはうまくないなどという人がいる。あったりまえじゃないか。僕はこのコンチェルトが素人には難しいのを知っている。5年まえそのビデオに度肝を抜かれて書いた下のブログはアクセス・ランキングのトップをずっと競ってきたから健全な人が多いという事で安心した。そこに書いた。゛日本ハムの大谷くんの「二刀流」はどうなるかわかりませんが “。そんなことはなかった。若い才能に脱帽。もちろん合格だが今回は音楽家と美人の二刀流だ。

ユリア・フィッシャー(Julia Fischer)の二刀流

ちなみに音楽家と学者の二刀流はありそうなものだがそうでもない。エルネスト・アンセルメ(ソルボンヌ大学、パリ大学・数学科)、ピエール・ブーレーズ(リヨン大学・数学科)、日本人では柴田南雄(東京大学・理学部)がボロディン、アインシュタインの系譜だが、数学者として実績は聞かないから合格とは出来ない。ただ、画家や小説家や舞踏家に数学者、科学者というイメージはわかないが音楽家、とくに作曲家はそのイメージと親和性が高いように思うし、僕は無意識に彼らの音楽を好んでいる。J.S.バッハやベートーベンのスコアを見ると勉強さえすれば数学が物凄くできたと思う。一方で親が音楽では食えないと大学の法学部に入れた例は多いが、法学はどう考えても音楽と親和性は薄く、法学者や裁判官になった二刀流はいない(クラシック徒然草《音大卒は武器になるか》参照)。

ハンス・フォン・ビューロー

よって、何の足しにもならない法学を名門ライプツィヒ大学卒業まで無駄にやりながら音楽で名を成したハンス・フォン・ビューローは合格とする。ドイツ・デンマークの貴族の家系に生まれ、リストのピアノソナタロ短調、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番を初演、リストが娘を嫁にやるほどピアノがうまかったが腕達者だけの芸人ではない。初めてオペラの指揮をしたロッシーニのセヴィリアの理髪師は暗譜だった。ベートーベンのピアノソナタ全曲チクルスを初めて断行した人でもあるがこれも暗譜だった。”Always conduct with the score in your head, not your head in the score”(スコアを頭に入れて指揮しなさいよ、頭をスコアに突っ込むんじゃなくてね)と容赦ない性格であり、ローエングリンの白鳥(Schwan)の騎士のテナーを豚(Schwein)の騎士と罵ってハノーバーの指揮者を降りた。似た性格だったグスタフ・マーラーが交響曲第2番を作曲中に第1楽章を弾いて聞かせ「これが音楽なら僕は音楽をわからないという事になる」とやられたがビューローの葬式で聴いた旋律で終楽章を完成した。聴衆を啓発しなければならないという使命感を持っており、演奏前に聴衆に向かって講義するのが常だった。ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏した際には、全曲をもう一度繰り返し、聴衆が途中で逃げ出せないように、会場の扉に鍵を掛けさせた(wikipedia)。これにはブラームスもブルーノ・ワルターも批判的だったらしいが、彼が個人主義的アナキズムの哲学者マックス・シュティルナーの信奉者だったことと併せ僕は支持する。

リヒャルト・ワーグナー

ちなみにビューローはその才能によってと同じほどリヒャルト・ワーグナーに妻を寝取られたことによっても有名だ。作曲家は女にもてないか、何らかの理由で結婚しなかったり失敗した人が多い。ベートーベン、シューベルト、ブルックナー、ショパン、ムソルグスキー、ラヴェルなどがそうで後者はハイドン、ブラームス、チャイコフスキーなどがいる。だからその逆に生涯ずっと女を追いかけたモーツァルトとワーグナーは異色であろう。モーツァルトはしかしコンスタンツェと落ち着いた(というより何か起きる前に死んでしまった)が、ミンナ(女優)、マティルデ・ヴェーゼンドンク(人妻)、コジマ(ビューローの妻)とのりかえたワーグナーの傍若無人は19世紀にそこまでやって殺されてないという点においてお見事である。よって艶福家と作曲家の二刀流で合格だ。小男だったが王様を口説き落としてパトロンにする狩猟型ビジネス能力もあった。かたや作品でも私生活でも女性による救済を求め続け、最後に書いていた論文は『人間における女性的なるものについて』であったのは幼くして母親が再婚した事の深層心理的影響があるように思う。

モーリス・ラヴェル

ボレロやダフニスの精密機械の設計図のようなスコアを見れば、ストラヴィンスキーが評した通りモーリス・ラヴェルが「スイスの時計職人」であってなんら不思議ではない。その実、彼の父親はスイス人で2シリンダー型エンジンの発明者として当時著名なエンジニアであり、自動車エンジンの原型を作った発明家として米国にも呼ばれている。僕はボレロのスコアをシンセサイザーで弾いて録音したことがあるが、その実感として、ボレロは舞台上に無人の機械仕掛けのオーケストラ装置を置いて演奏されても十分に音楽作品としてワークする驚くべき人口構造物である。まさにスイスの時計、パテック・フィリップのパーペチュアルカレンダークロノを思わせる。彼自身はエンジニアでないから合格にはできないが、親父さんとペアの二刀流である。

アメリカの保険会社の重役だったチャールズ・アイヴズは交響曲も作った。しかし彼の場合は作曲が人生の糧と思っており、それでは食えないので保険会社を起業して経営者になった。作曲家がついでにできるほど保険会社経営は簡単だと思われても保険業界はクレームしないだろうが、アイヴズがテナー歌手や指揮者でなく作曲家だったことは一抹の救いだったかもしれない。誰であれ書いた楽譜を交響曲であると主張する権利はあるが、大指揮者として名を遺したブルーノ・ワルターはそれをしてマーラー先生に「君は指揮者で行きなさい」と言われてしまう(よって不合格)。その他人に辛辣なマーラーが作品に関心を持ったらしいし、会社の重役は切手にはならない。よってアイヴズは合格。

日本人がいないのは寂しいから皇族に代表していただこう。音楽をたしなまれる方が多く、皇太子徳仁親王のヴィオラは有名だが、僕が音源を持っているのは高円宮憲仁親王(29 December 1954 – 21 November 2002)がチャイコフスキーの交響曲第5番(終楽章)を指揮したものだ。1994年7月15日にニューピアホールでオーケストラは東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団である。親王は公益社団法人日本アマチュアオーケストラ連盟総裁を務め造詣が深く、指揮しては音程にとても厳しかったそうだ。お聴きのとおり、全曲聴きたかったなと思うほど立派な演奏、とても素人の指揮と思えない。僭越ながら、皇族との二刀流、合格。

米国にはインスティテューショナル・インベスターズ誌の創業者ながらマーラー2番マニアで、2番だけ振り方をショルティに習って世界中のオケを指揮しまくったギルバート・ キャプランCEO(1941 – 2016)もいる。同誌は創業51年になる世界の金融界で知らぬ者はない老舗である。彼が指揮したロンドン交響楽団との1988年の演奏(左のCD)をそのころロンドンで買った。曲はさっぱりだったがキャプランに興味があった。そういう人が多かったのか、これはマーラー作品のCDとして史上最高の売り上げを記録したらしいから凄い。ワルターよりクレンペラーよりショルティよりバーンスタインより素人が売れたというのはちょっとした事件であり、カラオケ自慢の中小企業の社長さんが日本レコード大賞を取ってしまったような、スポーツでいうなら第122回ボストンマラソンを制した公務員ランナー・川内 優輝さんにも匹敵しようかという壮挙だ。これがそれだ。

彼は私財で2番の自筆スコアを購入して新校訂「キャプラン版」まで作り、他の曲に浮気しなかった。そこまでやってしまう一途な恋は専門家の心も動かしたのだろう、後に天下のウィーン・フィル様を振ってDGから新盤まで出してしまうのである。「マーラー2番専門指揮者」なんて名刺作って「指揮者ですか?」「はい、他は振れませんが」なんてやったら乙なものだ。ちなみに彼の所有していたマーラー2番の自筆スコア(下・写真)は彼の没後2016年にロンドンで競売されたが落札価格は455万ポンド(6億4千万円)だった。財力にあかせた部分はあったろうが富豪はいくらもいる。金の使い道としては上等と思うし一途な恋はプロのオーケストラ団員をも突き動かして、上掲盤は僕が唯一聴きたいと思う2番である。合格。

マーラー2番自筆譜

かように作曲家の残したスコアは1曲で何億円だ。なんであれオンリーワンのものは強い。良かれ悪しかれその値段でも欲しい人がいるのは事実であるし、シューマン3番かブラームス4番なら僕だって。もしもマーラー全曲の自筆譜が売りに出るなら100億円はいくだろう。資本主義的に考えると、まったくの無から100億円の価値を生み出すのは起業してIPOして時価総額100億円の会社を生むのと何ら変わりない。つまり価値創造という点において作曲家は起業家なのである。

かたやその作曲家のスコアを見事に演奏した指揮者もいる。多くの人に喜びを与えチケットやCDがたくさん売れるのも価値創造、GDPに貢献するのであるヘルベルト・フォン・カラヤンは極東の日本で「運命」のレコードだけで150万枚も売りまくったその道の歴史的指揮者である。ソニーがブランド価値を認めて厚遇しサントリーホールの広場に名前を残している。大豪邸に住み自家用ジェットも保有するほどの財を成したのだから事業家としての成功者でもあり、立派な二刀流候補者といっていいだろう。しかし没後30年のいま、生前にはショップに君臨し絶対に廉価盤に落ちなかった彼のCDは1200円で売られている。22世紀には店頭にないかもしれない。こういう存在は資本主義的に考えると起業家ではなく、人気一過性のタレントかサラリーマン社長だ。不合格。

加山雄三

作曲家を贔屓していると思われようがそうではない。ポップス系の人がクラシック曲を書いているが前者はポール・マッカートニー、後者は先日の光進丸火災がお気の毒だった加山雄三だ。ポールがリバプール・オラトリオをヘンデルと並ぶつもりで書いたとは思わない。加山は弾厚作という名で作ったラフマニノフ風のピアノ協奏曲があり彼の母方の高祖父は岩倉具視と公家の血も引いているんだなあとなんとなく思わせる。しかし、いずれもまともに通して聴こうという気が起きるものではない(少なくとも僕においては)。ポールのビートルズ作品は言うに及ばず、加山の「君といつまでも」

ポール・マッカートニー(右)

などはエヴァーグリーンの傑作と思うが、クラシックのフォーマットで曲を書くには厳格な基礎訓練がいるのだということを確信するのみ。不合格。ついでに、こういうことを知れば佐村河内というベートーベン氏がピアノも弾けないのに音が降ってきて交響曲を書いたなんてことがこの世で原理的に起こりうるはずもないことがわかるだろう。あの騒動は、記事や本を書いたマスコミの記者が交響曲が誰にどうやって書かれるか誰も知らなかったということにすぎない。

サン=ジョルジュ

こうして俯瞰すると、音楽家の二刀流は離れ業であることがわかるが、歴史上には多彩な人物がいて面白い。ジョゼフ・サン=ジョルジュと書いてもほとんどの方はご存じないだろうが、音楽史の視点でこの人の二刀流ははずすわけにいかない。モーツァルトより11年早く生まれ8年あとに死んだフランスのヴァイオリン奏者、作曲家であり、カリブ海のグアドループ島で、プランテーションを営むフランス人の地主とウォロフ族出身の奴隷の黒人女性の間に生まれた。父は8才の彼をパリに連れて帰りフランス人として教育する。しかし人種差別の壁は厚く、やむなく13才でフェンシングの学校に入れたところメキメキ腕を上げて有名になり、17才の時にピカールという高名なフランス・チャンピオンから試合を挑まれたが彼を倒してしまう。その彼がパリの人々を驚嘆させたのはヴァイオリンと作曲でも図抜けた頭角を現したことである。日本的にいうならば、剣道の全国大会で無敵の強さで優勝したハーフの高校生が東京芸大に入ってパガニーニ・コンクールで優勝したようなものだ。こんな人が人類史のどこにいただろう。これが正真正銘の「二刀流」でなくて何であろう。宮廷に招かれ、王妃マリー・アントワネットと合奏し、貴婦人がたの人気を席巻してしまったのも当然だろう。1777年から78年にかけてモーツァルトが母と就職活動に行ったパリには彼がいたのである。だから彼が流行らせたサンフォニー・コンチェルタンテ(協奏交響曲)をモーツァルトも書いた。下の動画はBBCが制作したLe Mozart Noir(黒いモーツァルト)という番組である。ぜひご覧いただきたい。ヴァイオリン奏者が「変ホ長調K.364にサン・ジョルジュ作曲のホ長調協奏曲から引用したパッセージがある」とその部分を弾いているが、「モーツァルトに影響を与えた」というのがどれだけ凄いことか。僕は、深い関心をもって、モーツァルトの作品に本質的に影響を与えた可能性のある同時代人の音楽を、聴ける限り全部聴いた。結論として残った名前はヨゼフ・ハイドン、フランツ・クサヴァー・リヒター、そしてジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュだけである。影響を与えるとは便宜的にスタイルを真似しようという程度のことではない、その人を驚かし、負けているとおびえさせたということである。サン=ジョルジュが出自と容貌からパフォーマーとして評価され、文献が残ったのは成り行きとして当然だ。しかしそうではない、そんなことに目をとられてはいけない。驚嘆しているのは、彼の真実の能力を示す唯一の一次資料である彼の作品なのだ。僕はそれらをモーツァルトの作品と同じぐらい愛し、記憶している。これについてはいつか別稿にすることになろう。

黒い?まったく無意味な差別に過ぎない。何の取り得もない連中が肌の色や氏素性で騒ぐことによって自分が屑のような人間だと誇示する行為を差別と呼ぶ。サン=ジョルジュとモーツァルトの人生にどんな差があったというのか?彼は白人のモーツァルトがパリで奔走して命懸けで渇望して、母までなくしても得られる気配すらなかったパリ・オペラ座の支配人のポストに任命されたのだ。100人近い団員を抱える大オーケストラ、コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピックのコンサートマスターにも選任され、1785年から86年にかけてヨゼフ・ハイドンに作曲を依頼してその初演の指揮をとったのも彼である。それはハイドンの第82番目から第87番目の6曲のシンフォニーということになり、いま我々はそれを「パリ交響曲」と呼んで楽しんでいるのである。

ロッシーニ風フォアグラと牛フィレステーキとトリュフソース

ゴールデン・ウイーク・バージョンだ、長くなったが最後にこの人で楽しく本稿を締めくくることにしたい。サン=ジョルジュと同様にフランス革命が人生を変えた人だが、ジョアキーノ・ロッシーニの晩節は暗さが微塵もなくあっぱれのひとこと。オペラのヒットメーカーの名声については言うまでもない、ベートーベンが人気に嫉妬し、上掲のハンス・フォン・ビューローのオペラ指揮デビューはこの人の代表作「セヴィリアの理髪師」であったし、まだ食えなかった頃のワーグナーのあこがれの作曲家でもあった。そんな大スターの地位をあっさり捨てて転身、かねてより専心したいと願っていた料理の道に邁進し、そっちでもフランス料理に「ロッシーニ風フォアグラと牛フィレステーキとトリュフソース」の名を残してしまったスーパー二刀流である。

ジョアキノ・ロッシーニ

 

ウォートンのMBA仲間はみんな言っていた、「ウォール・ストリートでひと稼ぎして40才で引退して人生好きなことして楽しみたい」。そうだ、ロッシーニは37才でそれをやったんだ。ワーグナーと違って、僕は転身後のロッシーニみたいになりたい。それが何かは言えない。もはや63だが。ただし彼のような体形にだけはならないよう注意しよう。

クラシック徒然草ー 憧れの男はロッシーニであるー

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バート・バカラック「サン・ホセへの道」

2018 MAR 14 19:19:38 pm by 東 賢太郎

シリコンバレーというのは地名でも谷の名前でも行政区画の名称でもない。もとはスタンフォード大学周縁の半導体産業(シリコンが象徴する)に端を発したハイテク企業基地の総称で、サンフランシスコの南東地域を指している。そこからソフトウエア、インターネット関連のITベンチャー企業基地へと派生・発展し、さらに地域名称というよりはそこにある企業の自由な発想と経営風土、集まる人種(超高学歴の知的労働者)、ポップな職場環境までを包含した「イメージコンセプト」になったといえよう。証券・投資銀行業務を「ウォール・ストリート」、映画産業を「ハリウッド」と地名でなんとなく呼ぶのと同じだ。

おおまかには下の地図あたりを指すが、テスラの工場があるFremont(フリーモント)がシリコンバレーでないとは誰も言わないから地理的にはおおよそアバウトなものである。ベンチャー企業経営者が「うちはシリコンバレーだ」といえばそれなりにブランドっぽく聞こえるという意味においては、女性タレント界における AKB48 みたいなもんだと言えなくもない。

テスラのフリーモント工場

バート・バカラックが作曲しディオンヌ・ワーウィックの歌でヒットした「サン・ホセへの道」は地図・右下方の「San Jose」のことである。これにうかれてた中学時代、そこがシリコンバレーど真ん中になって自分が仕事しようなど夢にも思わなかった。

ドゥ~ユ~ノ~ザ~ウエ~トゥサンホセ~しかわからなくて適当に歌っていたが、いまになってよく聞いてみると面白い。

サン・ホセへの道を知ってる?
私って 長いことご無沙汰だったから 道に迷っちゃうかもね
サン・ホセへの道を知ってる?

道を知ってるかだって?そんなの標識ぐらい出てるだろ。えっ、それもない?そんなド田舎なの?

そう思ってしまう。

これはなんと、サン・ホセ生まれの女の子がハリウッドのある大都会ロサンゼルスに夢を求めて出て行ったが疲れてしまい、あきらめて田舎に帰ってくる歌。千昌夫の「北国の春」みたいなもんだったのだ。

1週間 2週間で あなたもスターになれるかもよ
でも数週間と思ったら数年が過ぎてるわ なんてこと!

不屈の意志を持ったゴールドマイナーたちが「国造り」したこの地で、いまどきの女の子は数年の苦労ぐらいで音を上げちゃうんだというのが妙に新鮮だったのかもしれない。時はベトナム戦争の真っ最中だった。

ここのところがハ長調からホ短調にふっと悲しげにかわる。いい曲だ。夢は塵のように飛び去って独りぼっち・・・

富と名声は磁石のようなもの
どれだけ遠くにいても 人は引きつけらていくわ
夢を追っている時は 孤独なんて感じない
でも 夢が塵のように飛んでいけば
友人は無く独りぼっち
そして 車に荷物を詰め込んで去っていく

でもでも、

サン・ホセではゆっくり羽を伸ばせるの
広い土地があるから 私が休むことができる場所も見つかるはず
私の生まれ育った故郷 サン・ホセ
私は心を落ち着けるために サン・ホセに帰るところよ

そうだったのか。

でもキミの田舎は半世紀の時が流れたいま、Capital of Silicon Valley(シリコンバレーの首都)である。土地は広いがゆっくり休めるかどうかはわからないよ、なんたってロサンゼルスの子があこがれて出てくるところだからね。サン・ホセへの道はみんな知っている。

 

米スタートアップに出資、南都銀 ノーベル賞中村氏の太陽光LED

 

 

 

 

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クシコスの郵便馬車

2016 DEC 20 12:12:41 pm by 東 賢太郎

ホワイトクリスマスは好きだったが、親父のレコードのおかげでそのまま音楽好きのいい子になったわけではない。音楽の授業は女の園みたいで苦痛であり、ペダルを踏む先生の足がピアノの下で動いている大根に見え、「早く終わんねえかなあ」と思いながらすきをついて窓から脱走する子に仕上がっていた。

自業自得なのだが悪い子ということになっていて女の風紀委員に悪戯や帰り道の買い食いまで言いつけられて頭にきていた。なにやらそういうものを包括して女のするものである音楽はいやだという強固な思い込みができあがっていた。乙女だとか祈りとかエリーゼとか、題名からして女々しくてどうにも気色悪い。それが僕のクラシックのイメージだった。

そして同じく大嫌いだったフォークダンスとイメージが混線した。オクラホマ・ミキサーというのがあった。当時、GEの洗濯機などが高級品で、オクラホマのミキサーも米国製だからきっと性能はいいんだろうと思っていた。しかし踊りになるほど優れているんだろうかと一抹の疑念もいだいており、オクラホマの田舎の人が買って嬉しかったイメージをこめて踊った。

キャンプファイヤーになると「さーらすぽんだーれっせっせ」なる不可解なものが始まる。この歌は全曲にわたって一言たりとも理解不能であり、先生も含めその場にいた者で意味が分かっていたのは確実に一人もいないだろう。「ポンダ ポンダ ポンダ」とピアニッシモでおごそかに繰り返す部分など呪文さながらであり、誰も何をやっているのかわからないままに異教徒の儀式みたいにまじめにポンダ ポンダ・・・実に不気味であった。

ネットで調べてみると多くの人が「あの意味は何ですか?」と質問しており「オランダ民謡の糸巻きの歌でサラスポンダはお囃子の言葉で意味はあんまりないようです」などとあって絶句だ。なんで俺がオランダのお囃子なんかで踊らなきゃいけなかったんだろう?そんなもんで通信簿に2とかつけられて親父に怒られていたんだ。後で知ったがこのテのはみんな外国の田舎の踊りだ。ウクライナとかリトアニアとかフィンランドの。GHQの愚民化政策の一環だったとしか思えない。阿波踊りができない方がよほど文化的損失だろう。

日本の欧米コンプレックスは明治以来で仕方ないが、欧米なら何でもよくて誰かの個人的趣味で超ニッチなのを探してきて国民的にばかばかしくやってる。クラシック音楽もそういうにおいがあって、例えば親父のレコードに「クシコスの郵便馬車」というのがあった。きっと名曲なんだろうと思っていたら、後でわかったが英国人もドイツ人も知らない。ドイツの田舎のなんとかという作曲家の曲で、一発屋かとおもったら現地では一発すらなくて誰も名前も知らない。驚くべきことだが日本人しか知らないクラシックというのがあったのだ。

クシコスはハンガリー語で馭者でポストは郵便だそうだ。だからクシコス・ポストで「郵便馬車」の意味であるらしい。じゃあ「クシコスの」というのは何だったんだ?こういういい加減な精神のまま「クラシックはセレブでお上品ざあます」ということになっている。女の嫁入り道具であるピアノがいかに大量に打ち捨てられているかは中古業者のCMがやけに多いので気がつく。あんな下品な広告にのせられて売ってしまうような人たちがおおぜいピアノを買ってしまっているんだ。外国の田舎踊りをフォークダンスと横文字で呼んで、誰一人わけもわからず盆踊りみたいにやっている風景と重なる。それが「ざあます」のムードになるもんだからあまりに馬鹿馬鹿しく薄気味が悪く、それで窓から逃げたのだということに自分の中ではなっている。

クラシック音楽はそんなものとは似ても似つかないとわかったのはずっと後のことだ。それは、言葉のいやらしい部分をきれいに洗い流した真の意味において、貴族的な精神の産物であった。それでも心に多少の記憶の残滓、トラウマがあるとすると、それはショパンの音楽においてである。雨だれとか華麗なるとか子犬とか恥ずかしい題名を聞いただけで僕とは根本的、本質的に無縁の世界であり、さーらすぽんだと同じほど近寄りたくないざあます異教徒の領域に入ってしまう。ショパン本人は標題をつけてないから彼の責任ではまったくないし申しわけないと思っているが、そういうノリで彼の音楽に寄ってくる人種は僕にはいかんともしがたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

フランク・シナトラの「ホワイト・クリスマス」

2016 DEC 19 2:02:24 am by 東 賢太郎

3才までいた家にSPレコードがいろいろあって、クラシック、ロシア民謡、シャンソンや、後で知ったがビリーヴォーン、ナット・キングコールなんかもあった。親父は高射砲を撃っていて爆撃を食らって片耳をやられているのに、どうやって敵性音楽なんかを好くようになったのだろう。

そのなかに誰の歌だったか甘い男性ソロのX’masアルバムがあった。SPレコードの盤面の真ん中のレーベルは紺と肌色のツートンカラーで、本当はたぶん違うのだろうが、僕の中ではそういう色だった。それを覚えているのは「ホワイト・クリスマス」がダントツに好きだったからで、こればかり執念深くせがんでかけてもらっていた。

この歌、e,f,e,d#,e,f,f#,gと5つの連なる音の中での半音階進行で始まり、大変に西洋音楽的でクラシカルだ。コードはCからC7に行くc,b,b♭のクリシェ、そこのb♭ーaの長7度、FがFmになってg#ーgの長7度と、まったくもって子供らしくない音が満載のように思うが、子供らしいジングルベルや赤鼻のトナカイにはなんの興味もなかった。

ルロイ・アンダーソンはそこに入っていたのか別の盤だったか忘れたがとにかくX’masのイメージがあって(関係ないがそう思っていた)安物のソングの中でぴかっと光っていた。しかし、好きだったのはそれが理由じゃない、なんといってもそれが聞こえてくるとサンタさんがプレゼントをくれるからだが。

もう手元にないので自信はないが、あのホワイト・クリスマスはフランク・シナトラだったように思う。

SPというのは電蓄と呼んだプレーヤーにごついアームがついていて、その先にえらく長い鉄針を挿入して装着する。78回転でレーベルのぐるぐるがものすごく速い。針圧はLPよりかなり高そうで、シャーシャー盤面で音がして針はすぐ摩耗して交換になった。そんなことを覚えていてそれは3才でのことだったのだから、かなり真剣なリスナーであったのだろう。

そのころもう一つ異様に真剣だったのが鉄道、というか線路であり、どちらも鉄の摩耗が関わる。摩耗のにおいまで好きでありその性癖がどこから来たかは謎だ。思えば99%に無関心で局所的1%に異様に関心があるという巨大な落差は万事にあてはまる。3つ子の魂61までだ。

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

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クラシック徒然草 ―ドビッシーとインドネシア―

2016 SEP 20 0:00:47 am by 東 賢太郎

前回、微分音を使った武満徹の「雨の呪文」をきいた。微分音とはなにやらおそろしげだが、ちっとも難しいものではない。

これをお聴きいただきたい。「平調 陪臚」という我が国古来の音楽、雅楽である。

冒頭の笛の音からして西洋音楽のドレミファとは合っていない。笙(しょう)は長2度の和声らしきものを奏でるがユニゾンの旋律になるとグリッサンドが入り高音のピッチは不安定である。もちろん、それはそういうものなのであり、「音が外れている」というには当たらない。

次はこちら。インドネシアのガムラン音楽である。

雅楽よりもドレミファに近いが、笛もゴングのような金属打楽器もいわば「調子はずれ」だ。しかしこれも、そういうものなのだ。僕自身、香港時代に初めてジャカルタへ行ってこういうガムラン・オーケストラを聴いた。強烈な音楽を全身で受け止めた。

これに魅せられる西洋人は多いようで、パーカッショングループがやるとこうなる。かなり洗練されてきて、同音型の悠久を思わせる繰り返しはどこかライヒのミニマル・ミュージックを思い起こさせないだろうか。しかし微分音ということでいうと正面左の鉄琴のピッチは明らかに四分音ほど低いのだ。

トルコ、ペルシャの伝統音楽もこうした調子はずれの音が出てくる。つまり教会の残響で三和音のハーモニーから発し、倍音として現れる音でオクターヴを12分割した西洋音楽のスケールというものが世界を席巻しているが、それだけが音楽であると言うには世界はあまりに広いことがご理解いただけるだろうか。

これは言葉の世界で、母国語としている人が5%しかいない英語が世界を席巻してビジネス公用語になっているのに似る。それは確かに便利ではあるが、では「わび・さび」を英語で説明しろと言われればはたと困ってしまう。メートル法に慣れた我々が「体重は何ポンドですか?」と聞かれてもだ。雅楽やガムランを五線譜に書くのは、それと同じく困ってしまうことなのだ。

僕は雅楽もガムランも好きで、どちらもCDを所有している。それは音楽として伝わってくる何かがあるからであって、それ固有のものだ。それをバッハと比べてどうこう言うには値しない。ベトナム料理とフランス料理を比べることは可能だが、どちらもおいしいのであって、料理というものはそれで充分なのだ。

微分音とは、体重50キロの人が「110.231131ポンド」になってしまう、その小数点の部分、0.231131みたいなものだ。相手は110、111,112・・・と整数で考えてる。それがドレミファ・・・というものである。でも、ドレミファを基準に調子はずれとされても困る。雅楽もガムランも、西洋音楽より前から「そういうもの」として存在してきたのだから。

幸い、西洋の教養ある人達はそれを理解している。これは2012年のエジンバラ国際音楽祭で宮内庁式部職楽部が演奏会をやったドキュメントだ。チケットは早々に完売したようであり、「マーラーの9番を思い出しました」というご婦人も出てくる。千年前の音楽がほぼそのまま保存されているのは日本をおいてない。我々はこれをもっと知り、もっと誇りを持つべきだろう。

パリの万国博覧会でガムランを聴いて感銘を受け、そのインスピレーションから音楽を書いたのはドビッシーだ。彼は北斎の浮世絵から交響詩「海」を書いたように、ガムランからこの曲を書いたとされる。1903年の作品、「版画」から第1曲「塔(パゴダ)」である。

これをパーシー・グレンジャーが管弦楽に編曲している。これを聴くとガムランの感じがよくわかるから面白い。

しかしここに微分音は出てこない。あくまでポンド法である平均律に焼き直したもの、デフォルメされた「イメージ」にすぎないと言っていいだろう。僕は微分音でしか表現できない音楽を平均律に「押し込める」ことには少々抵抗がある。

第一に、ビートルズをピアノで弾いてもあの純正調のハーモニーは出ないように、すべての同名異音を同じと読んでしまうエンハーモニックは本当の美を表さない。第二に、雅楽もガムランも、もっといえば演歌の「こぶし」も、ビートルズ以上に西洋楽器にはなじまないものだからだ。

ドレミファにならない音楽を排除してしまうのは間違いだ。良い音楽に対して心が開かれている人にとっては、音をもってスピリチュアルに何かを伝えるものはすべからく音楽である。伝えるものが大きければすべて立派な音楽なのであり、そこに優劣のような価値基準が入り込む余地はない。どこの国の料理も、おいしいものが良い料理なのである。

(こちらへどうぞ)

クラシック徒然草ードビッシーの盗作、ラヴェルの仕返し?ー

 

武満徹 「雨の呪文」 (Rain Spell)

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アントニオ・カルロス・ジョビン 「イパネマの娘」

2016 AUG 8 1:01:50 am by 東 賢太郎

リオでこれを聞いたかどうか、記憶はないのですが、ブラジルというとルビー、サファイア、アメジストなど宝石の原石をきらびやかに並べて売っていたことと、イパネマ、コパ・カバーナのビーチの解放感がなぜか脳裏に焼きついて離れません。地球の真裏の素晴らしい思い出です。

ipanema

 

この曲はイパネマ海岸近くにあったバー「ヴェローゾ」(Veloso)にたむろして酒を飲むことが多かったアントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウス・デ・モライスが、母親のタバコを買いにしばしば訪れていた近所に住む少女エロイーザ(Heloísa Eneida Menezes Paes Pinto)に一目惚れし、インスピレーションを得て書いたものです。彼女は当時10代後半、170cmの長身で近所でも有名な美少女であったそうな。右がのちのエロイーザですが、さすがに美人ですな。43年生まれだそうです。

 

「イパネマの娘」(Garota de Ipanema)はポップス界の奇跡的名作であり、ボサ・ノヴァと呼ぶジャンルに属するようです。その辺はうとくて何がボサ・ノヴァの定義か知りませんが、ブラジルの音楽にフランス近代音楽の和声をかけあわせたような洗練を感じます。

初めてこれを聴いたのがいつだったか、たぶん中学ぐらいだろう、サビの部分の和声変化に仰天し、ギターで試みるもメジャー9thのようなコードはうまく出せない。コードがわからないと、今度はメロディーの「入りの音」までわからなくなるという困った曲で、一気に取りつかれてしまいました。ピアノが弾けるようになって、やっとからくりがつかめました。

米国のサックス奏者スタン・ゲッツとブラジルのボサノヴァ歌手ジョアン・ジルベルトが1963年に録音したアルバム「ゲッツ/ジルベルト」に、ゲッツの奥さんだったアストラッド・ジルベルトが2曲だけヴォーカルを担当、イパネマの娘はほんのその1曲だったのですね。

アストラッドはブラジルの風を感じさせるアンニュイな感じの歌声ですがサビの音程はしっかりとっています。あちらの歌手で音程が怪しいというのはまずありません。録音の舞台裏では、ジルベルトはゲッツがブラジル音楽を理解しないのに腹を立て、ピアノで参加していた英語の喋れるジョビンに「この馬鹿めと言え」と迫ったそうな。

このアルバムは当初にビルボード誌のチャートで2位に達する大ヒット作となりましたが、シングルとして「イパネマの娘」はまだ5位だった。それがやがてカヴァー数でビートルズの「イエスタデイ」に次ぐ世界第2位のクラシック的存在までになるのです。

私見では、それはここの見事な和声によるところが大きいと思われます。

Oh, but he watches so sadly  E♭maj9→A♭7

How can he tell her he loves her    E♭m9→F#7→B7

Yes he would give his heart gladly       Em9→Gm7→C7

こういうクラシック音楽は、ない。まるで万華鏡をのぞくようです。作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビンに脱帽。

これが作曲当時のエロイーザです。エリーゼのために、幻想交響曲、トリスタンとイゾルデ、美女は名曲を生む。

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リオの鮮烈な思い出

 

 

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ヘンリー・マンシーニ 「刑事コロンボのテーマ」

2015 DEC 15 23:23:22 pm by 東 賢太郎

mancini1前回にMistyでご紹介したイタリア系アメリカ人作曲家のヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini、1924-94)は誰でも知っているテーマを紡ぎだした名人であります。美しい旋律を書けるというのはひょっとしてどんな複雑な楽曲を作るよりも希少な才能なのではないでしょうか。

最も有名なのはこれでしょう。『ティファニーで朝食を』(1961)の挿入歌「ムーン・リバー」(Moon River)です。原作ではオードリー・ヘップバーンが歌うのですが僕はこのアンディ・ウィリアムズの美声で覚えましたね。小学校低学年でした。

こっちも誰でも聞いたことがあるでしょう。ピンク・パンサー(1963)のテーマです。これはジャズっぽいですね。

マンシーニはジュリアード音楽院に学んでいますが、チェコ系のオーストリア人、エルンストクシェネク(Ernst Křenek )の弟子であります。この人はグスタフ・マーラーの娘アンナ・ユスティーネと結婚しており、マーラーの交響曲第10番遺稿から第1,3楽章の校正・改訂を行なっています。マンシーニはばりばりのクラシック本格派の教育を受けているわけですね。

ちなみにクシェーネクのピアノソナタ第3番はグレン・グールドが弾いたスタジオ録音の名盤があり、このライブ録音の透明感とタッチはさらに素晴らしい。しかし作曲者はグールドの解釈を嫌ったそうです。

さて、僕が好きである刑事コロンボのテーマですが、これもマンシーニ作曲なのですね。ところが当曲はコロンボだけのテーマではなく、NBCミステリー・ムービー(NBC Mystery Movie)というTVドラマ枠のテーマで、コロンボは同時間枠に放映されたいくつかある作品のひとつのようです。

コード進行はこうです。

G/Am/D/G/Em/Am/D7/G/ G/Am/D7/E7sus4/E7/Am/Cm/Gmaj7/E7sus4/E7/Am(on g)/D(on G)

曲締めのインパクトあるAm(on g)/D(on G)ですが、ラヴェルのクープランの墓(メヌエット)の結尾の和音とそっくり(というか調までまったくおんなじ)ですね。

couperin

マンシーニもこれを愛奏してたんじゃないかと想像してしまいます。

ついでに、このメインテーマを弾いている電子楽器はオンド・マルトノで、メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」で大活躍します。

 

(こちらもどうぞ)

ラヴェル 「クープランの墓」

メシアン トゥーランガリラ交響曲

クラシック徒然草-作曲家が曲をどう思いつくか-

 

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クラシック徒然草-作曲家が曲をどう思いつくか-

2015 DEC 15 11:11:40 am by 東 賢太郎

轟音を立てて流れ落ちるナイアガラの滝を前に、5分間も立ち尽くしたドヴォルザークは、何かに憑かれたように、

「神よ、これはロ短調交響曲になるでしょう」

と叫んだ。その35年後に同じ景色を見たモーリス・ラヴェルは、

「なんて荘厳な変ロ長調だろう!」

と言った。

 

作曲家が曲をどう思いつくかは謎だ。

何が謎か?

①頭の中で「楽音」が鳴ることが必要である。ドレミファ・・・で。そうでないと楽譜に書きようがない。つまり作曲家は書くべきものを頭で正確に聴いていると思われる。

②次に、頭に入ってないものが鳴ることはないということだ。クラシックをきいたことがない人がモーツァルトのような旋律やチャイコフスキーのような和声を思いつく確率は、猫がピアノの鍵盤を歩いたらショパンの曲に聞こえましたという確率と変わらないだろう。

③次に、頭に入っている他人の曲がそのまま出てきたら、それは自分の曲でないということだ。

つまり、頭の中で、他人の曲が、まだ世の中にないものに変換されて鳴り、それを楽譜に書きとる。それができる人だけが「作曲家」と定義されるわけだ。

謎はその「変換」のプロセスにある。それがどういう化学変化なのか?どうして「魔笛」になり、「くるみ割り人形」になったのか?それはアインシュタインがどうして一般相対性理論を考えついたかと変わりない人間の脳の謎である。

興味深い実例がある。

ジャズピアニストのエロール・ガーナー(1921-77)はニューヨークからシカゴへ飛行中にある魅力的なメロディーを思いついた。突然に「変換」がおこったのだ。しかし彼は楽譜の読み書きができず、機内で曲を記録できなかったため曲を反芻し続け、ホテルのピアノで弾きテープレコーダーで録音した(wikipediaより要約)。

この曲がスタンダードナンバーになっている名曲「ミスティ」(Misty)となったわけだが、降ってきた音楽はミスト(霧)というよりも雪の結晶のようにまたたく間に消えていく運命なのかもしれない。だからベートーベンはいつも音楽帳をもってそれを記録していたのだろう。

これがガーナー自身が弾いたミスティである。とても楽譜が書けないとは思えないが。

このメロディ、2小節目でもう転調してしまう。題名、歌詞は後づけなので純粋に音だけを思いついた。彼が「魅力的」と思ったのはこの転調かもしれない。これはCmaj7, Gm9, Fm9という予想外のプログレッションでb♭-a、a♭-gの長7度の飛躍をする。

このメロディーのツボが書きとれなかったのだろうか?でも書けなくても降ってきた。そして彼の心の耳は正確に、音程を和声を、聴いていた。書きとることより聴けることが第一ということだ。

聴けることが大事なら、まず他人のものを聴くしかない。ガーナーは子供のころジャズやクラシックのレコードを聴きまくったそうだ。しかし、そうして耳年増になれば誰にも「降ってくる」のだろうか?

その聴音力についてガーナーは超人的で、エミール・ギレリスのコンサートへ行って聴いた曲(何かは不明)を「耳コピ」したらしい。モーツァルトのそれが超人的だったのはいくつかの楽譜と証言で事実とされている。

語学のマスターが速く何か国語も話せる人がいるが、それも基本は耳コピ能力だろう。ということは音楽の聴音力と関連があるかもしれない。ちなみにルロイ・アンダーソンは9か国語を理解したらしい。

外国語を咀嚼した頭脳が教科書の例文ではなく、自分のオリジナルなセンテンスを導き出せるように、モーツァルトの音楽の語彙、文法に習熟した頭脳がその言語で新しい文章を思いつくというのは十分可能と思われる。

つまり、作曲というのは、英語を母国語としない者が、夢の中で寝言で「何かあらぬこと」を口走り、それがちゃんとした語彙と文法と発音のクイーンズ・イングリッシュになっていた、という体の物であろう。

そういうことが英語を覚醒時に母国語のように駆使できない者におきることはまったくもって想像できないわけで、このことは音楽においては楽器を自在に弾きまくれることに相当する。ガーナーの事例はまさにそれを示していると思われる。

つまり、佐村河内のようにピアノも弾けない者にベートーベンのような語彙、文法の曲が降ってくることは物理的にあり得ないわけで、あの事件は彼の耳が聞こえるかどうかなどはどうでもよく、ピアノが弾けない時点で嘘だとわかった話をその物理がわからない者たちが大山鳴動したという騒動だったのである。

ミスティは名曲と思う。歌で一番好きなのはこのエラ・フィッツジェラルド。彼女の音感はすばらしい。

最後にヘンリー・マンシーニ。このオーケストレーションは彼のもの。ホルンが吹く対旋律が「らしい」。

 

(こちらもどうぞ)

ヘンリー・マンシーニ 「刑事コロンボのテーマ」

 

 

 

 

 

 

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バート・バカラック「雨にぬれても」の魔力 

2015 NOV 12 0:00:01 am by 東 賢太郎

これをきくと中学時代の面々の顔が浮かんでくるのなぜだろう?一気にあの頃に心がワープしてくらくらめまいがする。なにか甘酸っぱいような、ほろ苦いような・・・。

これは「明日に向って撃て!」の挿入歌ですが映画は見てません。wikiには「ビルボード誌では、1970年1月3日に週間ランキング第1位を獲得した。4週1位を獲得し、同誌年間ランキングでは第4位となった。」とあるから深夜放送で毎日のように流れたのは70年の初頭という所でしょうか。

ということは一橋中学も卒業間近です。仲間だった悪ガキ連中とお別れだぜ・・・、気になっている女の子がいたが高校でもかけらもなにもなく終わってしまったっけ。マメでなく追っかけることもなく、ぜんぜんモテませんでしたね。

バート・バカラックの名はこの曲で焼きつきました。歌手のB・J・トーマスは本命にふられてピンチヒッターだったらしく、しかも喉が痛くてドクターストップだった。5回目のテイクでやっとOKが出たのがこれだそうです。たしかに風邪声ですね。

Raindrops are falling on my head
And just like the guy whose feet
Are too big for his bed
Nothing seems to fit
Those raindrops
Are falling on my head
They keep falling.

So I just did me some
Talking to the sun
And I said I didn’t like the way
He got things done
Sleeping on the job
Those raindrops
Are falling on my head
They keep fallin’

But there’s one thing I know
The blues they send to meet me
Won’t defeat me, it won’t be long
Till happiness
Steps up to greet me

Raindrops keep falling on my head
But that doesn’t mean my eyes
Will soon be turning red
Crying’s not for me ‘cause,
I’m never gonna stop the rain
By complaining,
Because I’m free
Nothing’s worrying me

いい詩ですねえ、今の俺みたいかなんて気もする。青字の「bed」と「fit」は普通の歌ではありえない短7度(f→e)のジャンプでトーマスが苦労してますが、そのポップないい加減さが何ともいい味だしてます。Because I’m free Nothing’s worrying me・・・。だって俺は自由さ、なんにも気にしねえぜ・・・。

自由、自由、無限の時間と自由のあったあのころ・・・、この歌も僕を強烈にアメリカに誘(いざな)ってくれました。

バカラックは同じユダヤ系でフランス6人組のダリウス・ミヨーに師事したことになってます。私見(自伝を読んだ印象)ではどこまでミヨーが真面目に弟子と見たかはあやしい感じもしますがいいじゃないですか、一般にはミヨーより有名になったんだし。和声やリズムの自由な感覚は誰にも似てない、オンリーワンの魔力です。

こっちは別テイクでしょう、風邪もなおって余裕も出てる感じです。たしかあの深夜放送はこっちでしたね。

(こちらへどうぞ)

ダリウス・ミヨー 「男とその欲望」(L’homme et son désir)作品48

 

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カーペンターズ「オンリー・イエスタデイ」の和声

2015 NOV 9 23:23:56 pm by 東 賢太郎

大学のころよくきいたポップスがカーペンターズで、大きなインパクトがありました。まずアメリカへの憧れをかきたてたこと、そして男がピアノを弾くのもカッコいいなと思ったことです。

日経に記事があって、男が楽器をやる動機はだいたい女にもてたいからだとありましたが、僕の場合はギターもピアノもチェロも邪心はなく純粋にやりたかっただけです。当時はピアノが弾けたわけではなく、ロンドンに行ってからだから27才ぐらいで始めました。

音感はギターでつきました。メインの楽器はギターだったのです。でも和音が単純なのしか弾けませんからどうしても耳を満足させるにはピアノが必要になりました。カーペンターズはギターじゃダメなんです。

リチャード・カーペンターはかなりピアノがうまく、曲の和声的ボキャブラリーは実にクラシカルでピアノ的であります。僕の趣味ですがポップスはリズムや速度に変化がなく何か和声的に「事件」が起きてほしい。ビートルズはそれが豊富です。そしてカーペンターズにもそれが有るのです。

「オンリー・イエスタデイ」は変ホ長調(E♭)ではじまりますが、突然に変ニ長調に転調(Baby, baby, feels like baby)。これは大事件ですね。それがB♭7sus4を経て見事にE♭に戻ります。Tomorrow maybe even brighter than todayの下線部、リチャードのハモリ(ドードレードレ~~ド)のレ~~と2拍伸ばすところ、Cmのgとバス(a♭)が長7度でぶつかりつつレ(d)とも増4度の不協和でぶつかって!CmからCに解決するセンスなど凄い!めちゃくちゃカッコいい。これはクラシックの対位法を彼が良く知っているということでしょう。

ということで大いに気に入ってしまい、よくピアノで弾いていたのを子供たちが聴いてやっぱりこれが好きになったかもしれません。耳コピで簡単に弾けたのはバスが覚えやすいからで、そこに乗る和声はクラシック法則にかなっていて実に心地よい推移ですね。だからこそ上記「和声的事件」の想定外の衝撃が大きいのです。

 

 
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