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カテゴリー: ______ワーグナー

クラシック徒然草《コンヴィチュニーの指輪全曲》

2017 JAN 15 17:17:00 pm by 東 賢太郎

年末に欧米の演奏会プログラムの整理をはじめましたが大量であって、あれこれ思い出してじっくり読んでしまうためまだ終わらないままです。ドイツ時代のを見ているとだんだんその気分になってきて、CDをひっぱり出してニーベルングの指輪を全部きいてしまったりちっとも進まないのです。

ところで先日、人工知能の専門家にこういう興味深い話をうかがいました。

もの忘れの正体

記憶はばらばらに倉庫に入っている。面白いですね、思い出すときは各ピースを海馬に持ち寄って、脳が自分で勝手な「思い出し画像」を作る。でもそれはフェイクですよね。だから過去はフェイクなんです。アインシュタインが過去も未来も実はないと言ったのに平仄が合いますね。

では音楽はと聞けばよかったのですが時間切れだったのでここからは想像になります。

最近、昨日の夕食もときに忘れます。地名やら人の名前がなかなか出てこない。先生のいわゆる「各倉庫からピースがすぐそろわない」わけです。ところが音楽においてそういうことはありません。15時間もかかるリングでジークフリートのあの辺というとパッと出てくる。このアンバランス、何なのか?

記憶は長期と短期があるらしく、それは長期記憶だから昨日の夕食とは倉庫が違うのでしょう。しかし、では昨日聞いた音楽を忘れるかというとそうでもないから変です。しかも音楽は時間とともに変化する記憶だから単発の情報でなく、倉庫は相当でっかくないと入らないと思うのです。

素人考えですが、それは写真と動画に対応するかもしれません。世の中、森羅万象を我々は動画として認識してるから、そっちの記憶の方が定着するのかなと。このトシでまだいくらでも新しい曲を覚えられそうな気がしますが、ひょっとして使ってない9割の脳細胞が少しは役に立ってるのでしょうか?

昔のプログラム、やっぱりドイツのインパクトが強いのです。あそこで聴いた音楽がドイツの記憶の倉庫にぎっしり入っていて、だからドイツの出来事も音楽もいっしょにどんどん蘇ってきます。それがダントツにワーグナーなのは、きっとそれまみれの生活をしてたんでしょう。いや、ワーグナーなんか思えば何も知らなくて、わかったのはドイツに3年住んで聴きまくってからだったと思います。

オケの音というものそうです。ドイツで普段着で通っていたアルテ・オーパーやヤーレ・フンダート・ハレ、あそこで日常に聴いていたドイツのオケの音というのはまったくおひさしぶりになってますね。日本のオケからはついぞ聞いたことがない。出せば出るかというと、これだけ長いこと聞いていてないのだからそれは考え難いことでしょう。

というと日本ではすぐ「音色」の話になります。くすんでるとか渋みとかですね。レコードばかり聞いてるとそういうことになりますが、実際の音ではそんなマニアックな差よりもっと子供でもわかることに誰でも気づきます。音量、ボリューム感ですね。フォルテの音がでかく、音圧が半端でない、それも力一杯がんばってではなく。簡単に言えばベンツの600ですね、あれでアウトバーン200キロで悠々軽々と走ってる、あの感じそのものです。

日本のオケはカローラで150キロ。頑張ってるのはわかるが・・。日本人は清貧で一生懸命好きだからそれで食えてます。それ言っちゃあおしまいよなんでしょうが、しかし、クラシック音楽というのは本来贅沢品ですからね、そこで清貧いわれても苦しい。日本で爆演、奇演が受けるのもそう、必死の形相でスピード違反してもらうと満足する。変態ですね。ベンツ600は出せば300キロ出ますがね、そんなの誰も期待してない。普通に余裕の200キロ、それがいい演奏です。

去年読響でエルザ・ファン・デン・ヘーヴァーという人のR・シュトラウス「4つの最後の歌」を聴きましたが、彼女の声です、あれは日本人には出ない。発声の知識はないですが、まずあの体格がないと難しいのでしょう。音量でもあるが、質的なものもふくんだトータルなボリューム感としか言いようがない。じょうずなお歌じゃない、あの絶対の安定、豊穣、聴きながらドイツの風景がさあっと脳裏に広がったですね、彼女の歌で。

ドイツのオケもいっしょです。例えばコンヴィチュニーのシューマン4番、ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音をいい音でお聴きになるといい。質量の重い、重心の低い、強い、粘度のある、それでいて中高音にオルガンの質感のあるクリアネス、華やかさがあって、「トータルなボリューム感」がクオリアとなってずっしりと押し寄せるのです。ああこれだと、これがシューマンだと。

シューマンはあの音が念頭にあったはずで、日本のオケの細密でデリケートではあるがボリューム不足のクオリアで、しかもあのプアで痩せた音響のNHKやサントリーでやられても僕は耳にひりひりして不快か欲求不満になるだけです。アルテ・オーパーもヤーレ・フンダート・ハレもホールとしては二級ですが、オケの威力で聴けていたのだということを日本に帰ってきて知りました。

これがワーグナーとなると歌手とオケの両方のクオリアになります。どっちが欠けても、らしくなくなりますからダブルパンチでどうしようもない。

僕はアカウンティング(会計学)は法学部なんで日本では簿記すら知らず、全部アメリカで英語で覚えたから日本語の用語を知らなくて帰ってきて不便でした。ワーグナーはそれと似てます。ドイツは二級のオペラハウスでも歌手はでかいですからね、それで何となくサマになってしまう。歌はへたなんだけど。ボリューム不足を小技のうまさで補うというのは成り立たないんですワーグナーは。

068先日これを見つけて、前から気になっていたので買ってきました。コンヴィチュニー/LGOのワーグナーはあまり残ってなくて、これもコヴェントガーデンのライブですが、そこはカネがあるところ一級品集まるの法則どおり、これが凄いメンツなんですね。何といっても聴きたかったのはアストリッド・ヴァルナイのブリュンヒルデです(これは期待通り)、そこにヴォルフガング・ヴィントガッセン(ジークフリート)、ハンス・ホッター(ヴォータン)、クルト・ベーム(フンディング)とくるとですね、これはもうV9時代の巨人軍であります。これで負けたら仕方ないねという。

59年の録音ですから原音のクオリアは収録されてない。しかし、そこで冒頭の人工知能の先生の話になるんです。

頭の中でドイツ時代のワーグナーの記憶のピースが合わさって、アストリッド・ヴァルナイの声は耳にびりびりきてるクオリアを感じます。フェイクなんですけれどもね。しかし、いくら最近のいい録音でも、いえいえライブですらですよ、こんなことはめったにない。この録音に物理的に収録されているものは乏しくても、原音が宿していたクオリアは僕があのころ聴き覚えたそれに共振して、その倉庫から記憶をひっぱり出すのではないでしょうか。

 
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僕が聴いた名演奏家たち (ヒルデガルト・ベーレンス)

2017 JAN 7 16:16:17 pm by 東 賢太郎

2009年8月に草津音楽祭でベーレンスが来日して倒れ、そのまま日本で亡くなってしまったショックは忘れません。バーンスタインのイゾルデでぞっこんになってしまい、一度だけ目にした彼女の歌姫姿が目に焼きついて離れず、それから時をみては数々のオペラCDで偲んでいただけに・・・。

behrens

 

女神であるベーレンスを聴く幸運はドイツ時代のフランクフルトで訪れました。1995年5月13日土曜日、アルテ・オーパーのプロアルテ・コンツェルトで、フランス人のミシェル・プラッソンの指揮、ドレスデン・フィルハーモニーで「ヴェーゼンドンク歌曲集」、「トリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死」です。これにどれだけ興奮してのぞんだかは前稿からご想像いただけましょうか。

 

 

この5月に会社から辞令が出て僕は野村スイスの社長就任が決まっていました。チューリヒに赴任する寸前だったのです。欧州でロンドンに次ぐ大店ですから当時の社内的な客観的風景でいうとまあご栄転です。サラリーマンの出世は運が半分ですが、この時「なんて俺はついてるんだ」と思ったのはそっちではなくて引越しまでにこの演奏会がぎりぎり間に合ったほうでした。

behrens1ベーレンスのイゾルデ!!男の本懐ですね(なんのこっちゃ)、ドイツ赴任を感謝するベスト5にはいります。声は軽い発声なのによくとおってました。バーンスタイン盤のあの高音の輝きとデリカシーが思ったより暖かみある声とbehrens2いう印象も残っていて、前稿で姿勢と書きましたが、彼女の表情や人となりの良さが音楽的なんだとしか表現が見当たりません。

イゾルデだけでないのはもちろんでサロメ(カラヤン盤)、エレクトラ(小澤盤)が有名ですが、あまり知られていないサヴァリッシュ/バイエルン放送Oとのリング(ブリュンヒルデ、下のビデオ)は絶品です。そしてアバド/VPOのヴォツェックも大変に素晴らしい。この人が歌うとマリーのあばずれ感やおどろおどろしさが薄いのが好みを分かつでしょうが、オケを評価しているブーレーズ盤のイザベル・シュトラウスより好みで愛聴盤です。

 

もうひとつ、これも忘れられている感がありますがドホナーニ/VPOとの「さまよえるオランダ人」も素晴らしい。54才の録音ですが声の輝きも強さも健在で、ボーイソプラノ的でもある彼女の高音が生きてます。ビルギット・二ルソンのワーグナーが好きな方には評価されないでしょうが、ゼンタはやはりこの声でしょう、引き締まって筋肉質のドホナーニとVPOの美音もDECCの腕でよく録れておりおすすめです。

 

ブリュンヒルデの自己犠牲

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

 

 

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ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

2017 JAN 7 3:03:30 am by 東 賢太郎

ロンドンで日々東洋の若僧を感化してくれたお客さまがたの平均像は年のころでふた回りうえ、オックスブリッジ卒のアッパー、保守でした。シティは決してそんな人ばかりではないですが、僕が6年間担当して自宅に呼んだり呼ばれたりの深いおつきあいしたのはそういう方々が多かったようです。人生を処世術をずいぶん教わりました。なんたって大英帝国の精神を継ぐ保守本流の人達だから影響は受けました。

そのせいか、最近コンサーバティズム、トラディショナリズムでかたまった英国のおっさんみたいになってきたな、まずいなと自分で思うこともあります。夏目漱石はロンドンに2年半いて神経衰弱になって帰ってきましたが、それでも彼も影響を受けたのだろう、英国経験者だなあというのは猫に語らせた日本を見る冷めた視線なんかに感じます。ひょんな処で共感を覚えるのは面白いものです。

中でも親しくしていただいた大人の趣味人Cさん。「英国のゴルフクラブは女人禁制だ、なんでかわかるか?」「は?」「女には教えない方がいいものがあるんだ」。クラシック通の彼とは共に夫人同伴でロイヤル・フェスティバルホールに何度も行きましたが「オーケストラに女が多いと台所に見える」と言った指揮者の支持者であることを奥方の前で開陳することは禁じられていました。

2d0477ff96c1bbf98703b5dd9316d38c21970dc1女には教えない方がいいもの。今は何事も女性の方が知っていたりしてそんな言葉は化石になりましたが、ワーグナーの音楽、とりわけトリスタンはどうなのか?そう自問すると、これはまだ難しいだろう、やれやれ男の砦が残っていたわいと安心などするのです。この楽劇への僕の見解はCさんも、もうひとりケンブリッジ首席卒業のPさんも「そうだそうだ」とオトナの男納得のものがあったのです。

ワーグナーで好きなものというと、規格対象外のリングは置くとして、トリスタンなのかなあという気がします。解決しない和声は基音なしという意味でドデカフォニー(12音技法)と同じ思想で、それをあの時代に想起したというのも驚きですが、そのグランドデザインで全曲を一貫してしまおうという発想はさらに凄すぎます。

この音楽を聞いてどう感じるかは人それぞれでしょう。僕にとって基音(トニック)回帰なしというのは主なき王国、あてのない旅であります。あるべきものがない、来るべきものが来ない。道すがらどんな美しい景色や人間ドラマがあろうが、それに至らないと満ち足りず、そこまでの道のりが長ければ長いほど渇望はいや増しに増して、どうしようもなく満ち足りません。

そう、この音楽はワーグナーが聴き手に課す4時間にわたる過酷な「おあずけ」のドラマです。西洋音楽のカデンツになれ親しんだ者にほど、つまり教会で日課のようにそれを聞いたり歌ったりして育った当時の歌劇場の聴衆のような人々にとってこれは未知なる彷徨であり、伝統を知っている者ほどつらい。つらい分だけ最後にそれから解放される天国の花園ような光景は忘れ難く、また訪れたくなる。今日的にいうなら、耳の肥えた人にほど常習性があるのです。

あたかも曲全体がトリスタンが飲んだ媚薬であって、この無間地獄に曳きずりこまれようものなら永遠にぬけられません。

ワーグナーがこれを、ジークフリートを中断してまで書きたくなったのはマティルデ・ヴェーゼンドンクとの関係があったからとされますが、W不倫という今なら格好の文春ネタをやらかしたワーグナーにとって「愛」は追っても逃げる幻であり、こう書いてます。

「憧れるものを一度手に入れたとしても、それは再び新たな憧れを呼び起こす」(R・ワーグナー、ヴェーゼンドンクへの手紙より)

正に彼は憑りつかれたようにそういう音楽、無限旋律を延々と書きつらね、

「愛の憧憬や欲求がとどまるところを知らず、死によってしか解決しない」 (同上)

と、音楽の最後の最後に至って、その通りにトリスタンを死なせておいて和声を初めて解決するのです。G#m、Em、Em6、Bと静かにそれはやってきて、楽譜Aのuna cordaからのg#、a、a#、b、c#のオーボエが旋律線として聞こえますが、

楽譜(A)tristan2

この旋律は前奏曲冒頭(楽譜B)のトリスタン和音のソプラノ声部であって、音名まで合致させているのですね(青枠内)。頑として溶けまいと拒んでいたこの4小節がついに陥落して究極の安寧のなかに溶け入る様は何度聴いても僕を陶酔させてくれます。

楽譜(B)tristan1

そしてここが重要です。エンディングがあまりに素晴らしいので「初めて解決」と書いてしまいましたが、実はuna cordaの7小節前に、つまりイゾルデの「愛の死」の歌の最後にE、Em、Em6、Bという楽譜(A)の疑似的和声連結が出てきています。

つまり解決はイゾルデという女性によってなされている

楽譜(A)でたどり着いたロ長調。トリスタンの死によって彼の追い求めた愛は憧憬でも欲求でもなくなり、天空に姿を結ぶのです。800px-tizian_041

この筆舌に尽くし難いほど感動的なエンディングは不倫がバレてチューリヒを追われ行き着いたヴェネチアのフラーリ聖堂の祭壇画、「アスンタは聖母ではない。愛の清めを受けたイゾルデだ」と言ったティツィアーノの『聖母被昇天』(左)のイメージだったのではないでしょうか。

ロ長調の終結について、僕は以前ブログにしており、ご覧いただいた方もおられると思います。

バーンスタイン「ウエストサイド・ストーリー」再論

そこに書きましたようにハ長調は自然、ロ長調は人間界をあらわし、ウエストサイドとツァラトストゥラにその隠喩があることを指摘しましたが、実はその元祖は第1幕がハ長調、第3幕がロ長調で終わるトリスタンなのです(注)。この2つの終結は、彼の言葉通り、天界の聖母を人間界のイゾルデに引き下ろしたのだと解しております。

(注)ちなみに第2幕終結は傷を負ったトリスタンの死を暗示するニ短調

さて、この楽劇がなぜ男の牙城なのか。それは男なら言葉は不要、しかし女性に教えようとすると言葉で表わすしかなく、お下品なポルノまがいになってしまうからなのです。

それは前奏曲のエンディングから29小節前で何がおきているか?から始まる長い長い物語(時間)で、ワーグナー自身が媚薬にうなされマティルデとの逢瀬のうちに見た白昼夢だったのではないか?そこには船に乗ってやってくるイゾルデを待つワーグナーがいたのではないか??「愛の二重唱」はクライマックス寸前で待ったがかかり、運命の「おあずけ」にあって苦悶する彼をとうとう解き放ってくれたのはイゾルデだった、そこで何がおきたのか?

男性諸賢はわかっていただけると信じますが、これは只の悲しい男のさがの描写ではない(かなり写実的ではあるが)、後に現実に他人の妻を寝取ってしまった男の書いたものなのだということです。トリスタンを初演したのがコジマを寝取られたハンス・フォン・ビューローであり、ワーグナー自身が昇天したのがかつて『聖母被昇天』に心を吸い寄せられたヴェネチアであったというのも因縁を感じさせますね。

女には教えない方がいいものは僕にはありませんが、しかれども、この楽劇の男の体感目線をエレガントに女性に説明する筆力は僕にはございません。イゾルデはプリマではなく女神、観音様に見えるのであって、トリスタンは多少へぼでもよし、イゾルデがどうか?で僕のこの楽劇への評価は決まるのです。

私はあなたに、このオペラがこれまでの音楽全般の頂点に位置しているということを断言いたします。(ハンス・フォン・ビューロー、雑誌編集長あて書簡)

Tristan  was the “central work of all music history”.(Leonard Bernstein)

まったく同感であります。これを聴いて、ドビッシーのペレアスがどうこの世に生を受けたかがわかるのです。そこで男たちの、王国の運命をひきずりまわすメリザンドはイゾルデの末裔とうつります。

イゾルデ歌手の好みですが、これは趣味の問題なので自分で選ぶしかありません。代表的なところで個人的には、フルトヴェングラー盤のフラグスタートは可、カラヤン盤のデルネシュは重くて不可、ベーム盤、ショルティ盤の二ルソンは霊長類最強は認めるが剛腕すぎ、クライバー盤のM・プライスは好みなんですがこの役にはきれい・かわいいすぎ、ですね。

Singer as Brunnhilde

 

結論です。バーンスタイン盤のヒルデガルト・ベーレンス。僕のイゾルデはこの人をおいてありません。どこといって抜群ではないのですが、まず立ち姿がいいんでね、そのままの声が出てます。ドラマティコにはどうも感じない知性と品格がありますね、この人、その世界でまったくきいたことない法学部卒ですから親近感も覚えてしまいますね。そしてなにより声ですね、高音が澄んで強いけれどもピュアで伸びがいい。オケとぴたっと音程が合う瞬間は恍惚感を覚えるほどだ。

41nhjw9nhmlバーンスタイン盤は日本では不人気の部類でしょう。テンポが遅くてついていけないという。僕も始めは驚き、そう思っていたのですがだんだんわかってきました。この音楽に絶対のテンポはないのです。なにせ白昼夢ですからね、解決しない和音は移行への磁力がないですし、歌手陣、劇場、オケージョンという上演現場の条件によって可変的と思います。これとペレアスだけは音楽全般において異例の存在なのです。

これは1981年にミュンヘンで演奏会形式で3幕を別々の晩に上演した記録で、そこにバーンスタインの深い思い入れを感じます。トリスタンは全ての音楽の中心にあると看破し、ハ長調ーロ長調の対立をウエストサイド・ストーリーに持ち込んだ作曲家の眼からの指揮であり、だからこそ、この作品への全身全霊をかけた敬意と愛情を感じずにはいられません。同じものを共有する僕として、ひょんな処で共感を覚え、そうか、なるほど、だからこのテンポなのかと膝を打つことしきりです。

このトシになってわかったことですね。ベーレンスの絶対の女神、観音様ぶりにバーンスタインも心服した感動の「愛の死」は必聴です。遅いのではなく、これは時が止まっているのです。死をもって愛が成就する、それを感じることがトリスタンを心に取り込むことで、ビデオを見ると最後の「解決」で指揮台で小さくジャンプまでしているバーンスタインの発するオーラがそれを容易に感じさせてくれます。

僕が聴いた名演奏家たち (ヒルデガルト・ベーレンス)

ドビッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」(ネコ科不思議娘のフェロモンに迷う)

見事なトリスタンとイゾルデ!(読響定期)

 

 

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ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」

2016 APR 18 23:23:09 pm by 東 賢太郎

この作品をいちブログにするのは日本書紀や三国志をいちページに書く愚挙で、思ったこともない。ところがきのう、あることからその気になった。

Staatstheater_Wiesbaden_foyer0284作をまとめて約15時間かかる人類最長の曲の一つだ。これを4晩かけて踏破するわけだが、聞くというよりやるという感じだ。クラシック好きにとって四国八十八ヶ所巡礼みたいなものだろう。まだ1度しかできていないがそれが94年7月、ヘッセン州立ヴィースバーデン歌劇場(右がそのフォイヤー)でオレグ・カエタニ指揮だった。これは「体験experience」だ、英国でそうのたまう人がいてガガーリンの地球は青かったみたいに響いた。悔しいが演奏日が週末だけというセッティングはなく職業柄むりだ。そうしたら92年にドイツ勤務になった。つくづくこれは僕の人生にとって天の恵みだった。

cf01ecab-efb0-4128-bb85-4293cf8501a2ドイツを去る時、もうしばらくはできないな、隠居したらまたやろうと誓った。それがまだ二度目の機会すらない。CDじゃだめなのだ、これは舞台の空気まで含めた一大ページェントであって、三人の乙女といっしょにラインの川底に潜らないと始まらない。あの時の4つのプログラム(左)、まだ手に質感が残っていてなんともうらめしい。神々のたそがれ、あの最後の和音が消えた時のどっしりと重たい感動というのはやはり4日の聴体験による。そう思ってあきらめ、家ではもっぱらダイジェストCDでサワリだけつまみ食いする習慣になった。これがまたおいしいが満腹に至らない。かえって欲求不満で体に悪いんじゃないかと思いだす始末だった。

きのうTVで児玉 宏指揮大阪交響楽団をきいて驚いた。それが冒頭の「あること」だ。4作を80分にまとめて交響詩のようにしてしまう。そういう試みは珍しくないが、児玉版はかつて聴いたなかでまぎれもなく最高、神々の最後で4日がんばったヴィースバーデンのあの日を思いだしたなんてことはかつてない。この編曲は脈絡に添っていてストーリーを追えるし選んだ箇所のセンスもいい。歌はないが管弦楽だけで原曲なみの満腹感をいただくというのは想像もしなかった。

オケも非常に真摯に音を紡ぎだしており、こんな感動的な演奏はそうそう聴けるもんじゃない。児玉氏はこれが大阪交響楽団最後の定期だったそうで惜しい。本物の音楽家だ。ミュンヘンにお住まいだそうでこれからどうされるのか、このリングを録音して残してほしいものだ、時間のない僕にはかけがえないイコンとなるのに。

こちらもどうぞ:

 

読者でリングにおなじみでない方もおられると思われます。「ラインの黄金」、「ワルキューレ」、「ジークフリート」、「神々のたそがれ」の楽劇4つ、計15時間をじっとがまんできる方以外は順番に聴くのはおすすめいたしません。さりとてワーグナー芸術の最高峰ですからクラシック通としては素通りすることもできません。

誰でも簡単にできるアンチョコ・マスター法をお教えします。ダイジェスト版(オイシイところを抜粋したセレクションCD)を何度も聴いて、覚えてしまうことです。歌はあってもなくても良し。「名所」は決まっていて、実にわかりやすく覚えやすいのです。そしてそれらは動機となって全曲の各所に出てきますから、実演を聞いてもなんとか4-5時間もちます。

ワーグナーは余程のワグネリアンでない限り8割は退屈な部分で、それでも2割があまりに魅力あるのできいてしまう。そう割り切っておられればいい。2割で3時間ですね、つまりその半分ぐらいがいろんな選曲法で(上掲の児玉宏版みたいに)ダイジェストになってCD1枚に入っているというわけですから、その3時間分を記憶してしまえばほぼマスターしたも同然なのです。それが聴くたびに5割、8割になっていきますから。

僕がまず2割を覚えるのに使ったCDをご紹介しましょう。

ジョージ・セル / クリーヴランド管弦楽団

514最もスタンダードな選曲であり、これを知らなきゃ話にならんというのが全部はいってます。オケは最高にうまく録音も明快。ということで「教科書」には最適であります。ジョージ・セルに楽劇の全曲正規録音がないのは彼が米国亡命したユダヤ系であるのと無縁でないと想像しますが惜しいことです(「魔の炎の音楽」など歌が恋しくなります)。セルが冷たいと思われる方は「ジークフリートのラインの旅」をお聴きになれば印象は変わるのでは。このストレートな音楽性は彼の方法論であって決してドライではなく、ブーレーズに比べればその背景に19世紀的な感性を豊かに感じます。

 

ズビン・メータ /  ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団

230025134セル盤とほぼ同じ選曲であり、「魔の炎の音楽」のバリトンが入っています。メータは音楽をわかりやすく聴かせるのがうまい人で、セルの筋肉質とはちがいますがもってまわったところがなくオーケストラを魅力たっぷりに鳴らしてくれます。ワーグナーを聞いたという満足感が高いのです。全部が名曲なのですが、ここはこうやってほしいよねという最大公約数的なものをちゃんと抑えているという意味で、これも教科書に好適です。セルと聞き比べると曲のイメージがより鮮明に焼きつくでしょう。

 

ダニエル・バレンボイム / バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団

MI000103517191年のバイロイト音楽祭からの2枚組の抜粋で、ここに至っていよいよリングの全貌に近づくのですが、「教科書」で学ばれたみなさんはもう怖いものはありません。アンチョコ・マスター法の威力を実感していただけるはずです。これが3時間分と思われればいいのであって、これは管弦楽版でない「生リング」のダイジェスト版ですからオペラハウスへ行かれればこれを耳にするのです。ちょっと抜粋に無理はあるが妥協案としてはほぼ満足。バレンボイムは当代としては随一のワーグナー指揮者であり、僕は彼のトリスタンは感動して東京とミラノ・スカラ座で2度聴きました。これを覚えてしまえばリング征服は目前。がんばってください!

どなたも聞き覚えがあるでしょう(ワルキューレの騎行)

 
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クラシック徒然草-津軽海峡冬景色の秘密-

2015 NOV 5 1:01:48 am by 東 賢太郎

石川さゆりさんのファンではありますが、天城越えも名曲ではありますが、それはそれとして、津軽海峡冬景色という曲にはどうにも僕を惹きつけるものがあります。それは何なんだろう?

やっとわかりました。やっぱりあああ、あ~~~なんですね。

たぶんあああは地声、あ~~~は裏声でしょう。この段差。すごく男心をくすぐるのです。音名で言えばミファミ、ド~~~です。ミからドへの6度のジャンプ。しかも声の色まで変わる。ここにこの曲の勝負どころ、頂点があると思うのです。

この6度ジャンプ。どっかできいたことがあるぞ。え~~と・・・

ありました。これです。

tristan

おわかりでしょうか?ワーグナーのトリスタンとイゾルデの冒頭です。ラファ~~ミはチェロが弾きますがラファは6度ジャンプです。この音程、ちょっと悲痛な感じがするのは僕だけでしょうか。チェロのラは解放弦でファでクレッシェンドして緊張感ある音に色が変わります。ppで聴こえるか聴こえないかでそっと入って、音程と音色で聴衆の耳をそばだたせる。非常に印象的な幕開けです。

この6度跳躍って、すごいインパクトがあって耳に残るというか、こびりつくのです。きのうショスタコーヴィチの15番を聴いたと書きましたが、あの第4楽章にワーグナーの引用が出てきて、ジークフリートの葬送行進曲のあとですが、まさにこのトリスタンの最初の4音が鳴ります。どきっとします。

津軽海峡が三木たかしさんの作曲なのはまったく知りませんでしたが、彼は「つぐない」の作曲家でもあったのでびっくりです。

クラシック徒然草-テレサ・テン「つぐない」はブラームス交響曲4番である-

クラシック徒然草-「つぐない」はモーツァルトでもあった-

津軽海峡のフシはこれまた似たものがクラシックにあります。

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シューベルトの「白鳥の歌」からの4曲目二短調「セレナーデ」です。たいていの人が知っている音楽の授業でおなじみのメロディーでしょう。

楽譜はチェロ用にト短調になってるので津軽海峡と同じイ短調で書きますと、出だしの「上野発の夜行列車」ミミミミファミララララシラが「秘めやかに( 闇をぬう) 」ミファミラ~ミ、「静けさは~果てもなし」ミファミド~~ミに「あああ、あ~~」のミファミド~~と全く同じ音素材とリズムで6度跳躍が現れます。

もうひとつ、和声です。

「わ~たし~も~ひとり~~、れんらく~せんにのり~」 にはDm6、Am、F、B7、E7susu4、E7というコードがついてますが、バスがfからhに増4度上がって「せんに」のB7、これはドッペル・ドミナントといいます。ドミナントのドミナントです。

実に劇的、激情的でロマンティックな効果がありますが、これの元祖はベートーベンだと思っています。上記ブログに書いたモーツァルトの20番のカデンツァがそう。そして、あまり指摘されませんがエロイカにも出てきます。

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第2楽章の冒頭、5小節目のf#です。この音符、なくてもいいんです。というより、凡庸な人は入れないでしょう、バスのgと長7度の不協和音になるんで。実際の音は鳴りませんが、ベートーベンの耳にはD7のドッペルドミナントが聞こえていたわけで、そのソプラノだけをひっそりと鳴らした。凡夫と天才の差はこういうところにあります。

「つぐない」もそうですが三木さんの和声はこういう隠し味に満ちていて、何度聴いても飽きないのだと思います。クラシックがクラシックたるゆえんをおさえている。津軽海峡冬景色をピアノで弾くのは快感です、なんたってよくできたクラシックですから。

 

 
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見事なトリスタンとイゾルデ!(読響定期)

2015 SEP 7 3:03:29 am by 東 賢太郎

1か月もクラシックを聴いていないと禁断症状が出るかと思いきやそうでもありません。5月に5日間断食した時に意外に平気でしたが、クラシックも物心ついてからそんなに「抜いた」ことがないので精神状態に何が起こるかわからないのです。

今日は6時からU-18の野球があって、3時開演のサントリーホールは微妙だなと思ってでかけました。出し物は例によって知らず。それがワーグナーのトリスタン全曲であったのです。まずい、こりゃ5時間かかるぞ、これが初動。野球の方が気にかかっていたのでした。それに、絶食中の胃袋にいきなりステーキみたいで重いなあ・・・。

僕はワグネリアンというほどではないですがドイツ時代の3年間はどっぷり浸かっていて、トリスタンはC・クライバーのCDを聴きこみ(マーガレット・プライスが好きなんで)、舞台はマインツ、ヴィースバーデン、それからバレンボイム(ベルリン国立歌劇場)も東京とミラノ・スカラ座で2回きいたりしています。

「トリスタンとイゾルデ」は男女が死のうと毒薬を飲んだつもりが媚薬にすり替わっていたという、そこだけクローズアップすると非常にばかばかしい話です。喜劇みたいですが大真面目な悲劇になっているばかりか、愛とは何か、死とは何かと哲学問答みたいにもなってくる。

二人は不倫で昼は会えない。だから夜がいい闇が好きだ夜が明けないでくれとなり、昼の光は欺瞞だ幻影だ消してしまいたいとなる。でも光はちゃんとやってくるんで、それならいっそあの世の闇の中で、誰にも邪魔されずに永遠に愛しあっていようよとなってホントに死んでしまうのです(ただ、イゾルデの死因が何か、未だもって僕にはわからない)。

我が国のほこる曽根崎心中も、悪い奴にカネを貸して騙されちゃった、汚名を死でそそぎたいんで一緒に死のうなんて(訴訟せんかい)究極の情けない男が出てきて今や現実離れしてますが、トリスタンのこの現実感のなさはさらに上手といえ、これで傑作を書いてしまうなどワーグナーの独壇場であります。

しかも、そうなった原因が二人が元から愛し合っていたわけでも格別に淫乱だというわけでもなく、薬の効き目なのであって、彼らは運命の被害者だ、だから大真面目に悲劇なのだというスケルトンなんですが、媚薬という存在がおとぎ話っぽいのでどうも心中の動機に迫真性がない。「イゾルデの媚薬」をダシにしたドニゼッティの「愛の妙薬」の喜劇のほうがまだ多少はホントらしい。

希薄な迫真性の上にきわめてマジで迫真性に富んだ音楽がのっかるもんですから、そのミスマッチを一歩引いて見ているとどこか喜劇に思えてくる。この複雑骨折の相貌はモーツァルトの魔笛と双璧でしょう。オペラ狂のイタリア人のお客さんにそう言ったら、彼の見解は媚薬はバイアグラだった(笑)というもので、やはりこれは悲劇である。しかしこんな曲を書くワーグナーの淫乱ぶりはもっと悲劇だったけどね、でした。

たしかに、この曲の「愛のパワー」は全開です。前奏曲のffは男性の、愛の死のは女性の「頂点」を生々しく描写したもの(後者は筆者想像)。第2幕で有名な「愛の二重唱」の後者の「絶頂の和音」がクルヴェナールの闖入でかき消されてしまう所など、聴いている方までおいおいちょっと待ってよとなるのがニクいばかり。お客さん説に賛成!

曲頭に意味深に鳴る「トリスタン和音」。あれに二人の愛の謎が、悲劇の予兆が、隠避にひっそりと横たわっている。全曲が前奏曲と愛の死にエッセンスとなって凝集してストーリーと絡み合っている。まったくもってもの凄い音楽であって、これに憑りつかれると生活に支障が出るほど頭の中で鳴り続ける。媚薬みたいに危険な音楽です。

余談ですが、トリスタン和音は解決しない。専門家によるとそういうことになってる。素人ですからナポリ6度が半音下がる解決を連想します(それを解決と言っちゃだめよなんですが)。愛の死も短3度ずつ上がってお尻はその連続だ。ナポリがキーですね。でもクラシックの勝利の方程式みたいなD⇒Tが出てこないですね。期待は次々にはぐらかされて、絶頂に至れない愛ですね。

その5時間にもわたる満ち足りない悶々もやもやが、愛の死の最後の最後に至ってC⇒Fm6⇒Cとカンペキに、荘厳な夕陽が地平線に落ちるみたいな絶対的な静寂と安定感をもって、ついについに「解決」する。全曲に仕掛けられた和声のトリック!ラストの空前絶後のどんでん返し!!(安物のミステリーのキャッチコピーになっちゃいました)。

ワーグナーは長い、退屈だ。たしかにそうかもしれませんが、この曲は5時間も我慢(休憩1時間ありますけど)した甲斐が絶大な感動で報われるという10倍返しの稀有な作品であります。そのことはクラシック音楽を楽しむ共通原理みたいなものでもあり、他の作曲家でも、そうか、つまんないところも寝ないで我慢してみようってきっとなります。

さらに凄いと思うのは、この1回しかない和声解決という大どんでん返しの終結で「とうとう愛まで成就したんだ」というメッセージがそっと客席に天から届くのです、二人の死をもって。そう、散々ケチをつけた「現実感のないお話」なんですが、そうか、そうだったのかとカンペキに納得に至って茫然としている自分がいる(しかしあそこで間髪いれないブラボーはやめて欲しいなあ)。

こうやって僕は毎回ワーグナーめにしてやられるのです。悔しいけど。

今日の歌手はお見事でした。水で喉を潤しながらの「完投勝利」。最初はセーブして、第2幕で全開になって。なんとなくわかります、先発投手が9回投げるぞっていう感じ。イゾルデは緊急登板だったレイチェル・ニコルズですが健闘しました。みんな良しですがアッティラ・ユン、容貌で日本人と思ったが韓国人でした。すばらしい。久々に本物のワーグナーのバスを聴きました。マルケ王は弱い人だと女房取られてそれかよって、二人のダシ扱いですからワーグナーは、まったく様にならなくて話の迫真性がますます失せるんですね。このキャスティングは大正解です。

そして最後に、しかし特筆大書で、カンブルラン、読響。ブラボー、最高でした。演奏会形式は初めてでしたが、オーケストラパートがこんなに絶妙な響きに書いてあったのかと目からうろこの気づきがたくさんありました。ありがとうございます。この曲をききながらずっとドビッシーの「ペレアスとメリザンド」が耳にこだまするなんて初めて起きたことです。ドビッシーはまずワーグナーにはまり、トリスタンを否定して独自の和声の道に進みましたが、降参したんでしょうね。だからメリザンドは不思議娘のまま子供を残して死にますしもうオペラ書かなかったし。なにせこの和声トリックは空前絶後、やればパクリになるんで。これぞ弁証法的発展。

帰ってきて、U-18の負けをさっと見届け、そこからずっとトリスタン前奏曲でピアノと格闘するはめになってしまいました。カンブルランの指揮は明晰、知的ですね、ブーレーズ並みの理性を感じますがそれでいてツボの盛り上げもうまい。彼の曲への敬意、愛情、情熱が全員を高みに引っぱり上げましたね、これぞ指揮者であります。そういうときのワーグナーはインパクトがあります。読響はここまで磨くのに集中したセッション組んだんでしょうね、実に良い音でありました。おかげ様で、これでまたクラシックにつつがなく戻れそうです。

 

 

 
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ワーグナー 「ローエングリン第3幕への前奏曲」で新年をスタート

2015 JAN 1 16:16:26 pm by 東 賢太郎

みなさま、明けましておめでとうございます。今年もSMCをよろしくお願いします。

先ほど小雪の舞う中、家族全員(ノイふくむ)で初詣をすませました。

東家は宇佐八幡と浄真寺に参ります。神仏習合ですが。宇佐八幡の由来は源頼義がこの地で戦勝を祈願し(1051年の前九年の役)願が叶ったので建てたとのこと、僕にとっては特別の武運長久の神。浄真寺は極楽往生の九層を表す九品仏がある日本に二つしかない寺の一つ。「お面かぶり」という仏教儀式が三年ごとにあり、一度見ましたが壮麗なものです。足をふみ入れれば京都かと見まごうほど。一見の価値ありです。

おみくじは中吉。「人をいつくしんで社会の為に尽せば必ず幸せな慶びが訪れて来ます」、事業は「御加護を受け成功する」でした。頑張ります。

本年はいよいよ生まれてから5回目の我がひつじ年。天空を一周して出発点に戻ってきました。去年は屋久島ではやぶさ2号の発射シーンも見ましたし、もう一度初心に帰って再点火です。

そこで今年のクラシック第1号は、僕のクラシック遍歴の原点に立ち戻ってみます。

ボロディンの「中央アジアの草原にて」に衝撃を受けて親父に買ってもらったアーサー・フィードラ-/  ボストン・ポップスのLPにはたまたまハチャトリアンの「剣の舞」、チャイコフスキーの「スラブ行進曲」などが一緒にはいっていて、その中でも最もインパクトが強かったのがこの「ローエングリン第3幕への前奏曲」

「ワーグナーすげえ、かっこいい」、これはベンチャーズ少年には脳天一撃でした。

すぐに買ったクyjimageナッパーツブッシュ盤で他の有名序曲、前奏曲も一気に覚えたのが病みつきの始まり。以来僕の中でぬきさしならない存在になっていて、ドイツ駐在時代の3年間はワーグナー漬けといってもよく、バイロイトはもちろん聖地を各地に詣でました。帰国してからもバレンボイム/ベルリン国立歌劇場の「トリスタンとイゾルデ」に感激、同曲を彼がスカラ座でやるので息子を連れてミラノまで行きました。そのすべての発端は中学時代のこの曲との出会いにありました。

たった3分ほどの音楽にどうしてこんなパワーがあるんだろう。トリスタンがまさにそうであるようにワーグナーの音楽は細部に発明がひしめいていますが、そういうミクロの感嘆を超越した大河の流れのようなマクロ構造がそれとは別個の感動を巻き起こすという多層レイヤーを持っている。他の誰にも似ていないのです。

ミクロとマクロとで羽交い絞めになりますからはまるとぬけられません。ワーグナーの毒です。彼はベートーベンやリストほどピアノが操れたわけでもなく、アマチュア上級者程度だったと思われますが、書いた文字(台本)と音符の量は物理的に人間離れしており、借金も女性も芸の肥やしという壮絶な人生を生きた人です。毒ぐらいあって当然ですね。

この前奏曲はその中では非常に平明な音楽です。しかし簡単なようで実は満足な演奏にほとんど出会ったことがないまれなものでもあります。脱兎か競馬馬のように飛び出す冒頭、第1ヴァイオリンは特にそうで、第6小節でオクターヴ上がる高いシの音などベルリンフィルでもあってないのです。

さっき誉めたバレンボイムが天下のシカゴ交響楽団を振ったこれも、冒頭で金管が先走ってヴァイオリンがついていけないという信じ難い混乱がそのままになっています。

いっぽうこの子たちは米国ミシガンの高校生、弦はよく練習してますね。危ないところもありますが金管がパパパパーンとユニゾンで吹くとなんとなくワーグナーになっちゃう。そういうところがマクロ構造なんです。Bravo!

最後にこれをお聴き下さい。

トスカニーニとNBC交響楽団。どうして彼らの演奏が半世紀以上たっても世界中で崇められているかお分かりいただけるでしょうか。こういうものを残してくれたから僕はミラノでトスカニーニの墓参りをしたのです。

音が鳴った瞬間に背筋がピンと伸びます。弦はソリスト並みのピッチとアーティキュレーション(発音)で完璧にシンクロ、裏で鳴っている金管の和音の音程とリズムの良さ、ユニゾンのホルンの音の厚さ、微塵も音のずれがないトロンボーン(なぜかチューバはいない)。

学生オケが春の祭典やダフニスとクロエを見事に演奏し、演奏技術は向上したと言われますし僕もそう思います。しかしこのNBCみたいにこれを弾けるわけではない。それっていったいどういうことなんだ?アートの世界で人類は進化するとは限らないという結論に至るのかもしれません。

ともあれ、皆さん、今年もこの曲みたいに元気溌剌でいきましょう!

 

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クラシック徒然草-冬に聴きたいクラシック-

2014 NOV 16 23:23:26 pm by 東 賢太郎

冬の音楽を考えながら、子供のころの真冬の景色を思い出していた。あの頃はずいぶん寒かった。泥道の水たまりはかちかちに凍ってつるつる滑った。それを石で割って遊ぶと手がしもやけでかゆくなった。団地の敷地に多摩川の土手から下りてきて、もうすっかり忘れていたが、そこがあたり一面の銀世界になっていて足がずぶずぶと雪に埋もれて歩けない。目をつぶっていたら、なんの前ぶれもなく突然に、そんな情景がありありとよみがえった。

ヨーロッパの冬は暗くて寒い。それをじっと耐えて春の喜びを待つ、その歓喜が名曲を生む。夏は日本みたいにむし暑くはなく、台風も来ない。楽しいヴァケイションの季節だ。そして収穫の秋がすぎてどんどん日が短くなる頃の寂しさは、それも芸術を生む。 ドイツでオクトーバー・フェストがありフランスでボジョレ・ヌーボーが出てくる。10-11月をこえるともう一気にクリスマス・モードだ。アメリカのクリスマスはそこらじゅうからL・アンダーソンの「そりすべり」がきこえてくるが、欧州は少しムードが違う。

思い出すのは家族を連れて出かけたにニュルンベルグだ。大変なにぎわいの巨大なクリスマス市場が有名で、ツリーの飾りをたくさん買ってソーセージ片手に熱々のグリューワインを一杯やり、地球儀なんかを子供たちに隠れて買った。当時はまだサンタさんが来ていたのだ。そこで観たわけではないのだがその思い出が強くてワーグナーの「ニュルンベルグの名歌手」は冬、バイロイト音楽祭で聴いたタンホイザーは夏、ヴィースバーデンのチクルスで聴いたリングは初夏という感覚になってしまった。

クリスマスの音楽で有名なのはヘンデルのオラトリオ「メサイア」だ。この曲はしかし、受難週に演奏しようと作曲され実際にダブリンで初演されたのは4月だ。クリスマスの曲ではなかった。内容がキリストの生誕、受難、復活だから時代を経てクリスマスものになったわけだが、そういうえばキリストの誕生日はわかっておらず、後から12月25日となったらしい。どうせなら一年で一番寒くて暗い頃にしておいてパーッと明るく祝おうという意図だったともきく。メサイアの明るさはそれにもってこいだ。となると、ドカンと騒いで一年をリセットする忘年会のノリで第九をきく我が国の風習も捨てたものではない。メサイアの成功を意識して書かれた、ハイドンのオラトリオ「天地創造」も冬の定番だ。

チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」、フンパーディンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」はどちらも年末のオペラハウスで子供連れの定番で、フランクフルトでは毎年2人の娘を連れてヴィースバーデンまで聴きに行った懐かしの曲でもある。2005年末のウィーンでも両方きいたが、家族連れに混じっておじさん一人というのはもの悲しさがあった。ウイーンというと大晦日の国立歌劇場のJ・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」から翌日元旦のューイヤー・コンサートになだれこむのが最高の贅沢だ。1996-7年、零下20度の厳寒の冬に経験させていただいたが、音楽と美食が一脈通ずるものがあると気づいたのはその時だ。

さて、音楽そのものが冬であるものというとそんなにはない。まず何よりシベリウスの交響詩「タピオラ」作品112だ。氷原に粉吹雪が舞う凍てつくような音楽である。同じくシベリウスの交響曲第3、4、5、6、7番はどれもいい。これぞ冬の音楽だ。僕はあんまり詩心がないので共感は薄いがシューベルトの歌曲「冬の旅」は男の心の冬である。チャイコフスキーの交響曲第1番ト短調作品13「冬の日の幻想」、26歳の若書きだが僕は好きで時々きいている。

次に、特に理由はないがなぜかこの時期になるとよくきく曲ということでご紹介したい。バルトーク「ヴァイオリン協奏曲第2番」プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」がある。どちらも音の肌触りが冬だ。ラヴェルの「マ・メール・ロワ」も初めてブーレーズ盤LPを買ったのが12月で寒い中よくきいたせいかもしれないが音の冷んやり感がこの時期だ。そしてモーツァルトのレクイエムを筆頭とする宗教曲の数々はこの時期の僕の定番だ。いまはある理由があってそれをやめているが。

そうして最後に、昔に両親が好きで家の中でよくかかっていたダークダックスの歌う山田耕筰「ペチカ」と中田喜直「雪の降る町を」が僕の冬の音楽の掉尾を飾るにふさわしい。寒い寒い日でも家の中はいつもあったかかった。実はさっき、これをきいていて子供のころの雪の日の情景がよみがえっだのだ。

 

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クラシック徒然草-秋に聴きたいクラシック-

2014 OCT 5 12:12:43 pm by 東 賢太郎

以前、春はラヴェル、秋にはブラームスと書きました。音楽のイメージというのは人により様々ですから一概には言えませんが、清少納言の「春はあけぼの」流独断で行くなら僕の場合やっぱり 「秋はブラームス」 となるのです。

ブラームスが本格的に好きになったのは6年住んだロンドン時代です。留学以前、日本にいた頃、本当にわかっていたのは交響曲の1番とピアノ協奏曲の2番ぐらいで、あとはそこまでつかめていませんでした。ところが英国に行って、一日一日どんどん暗くなってくるあの秋を知ると、とにかくぴたっと合うんですね、ブラームスが・・・。それからもう一気でした。

いちばん聴いていたのが交響曲の4番で毎日のようにかけており、2歳の長女が覚えてしまって第1楽章をピアノで弾くときゃっきゃいって喜んでくれました。当時は休日の午後は「4番+ボルドーの赤+ブルースティルトン」というのが定番でありました。加えてパイプ、葉巻もありました。男の至福の時が約束されます、この組み合わせ。今はちなみに新潟県立大学の青木先生に送っていただいた「呼友」大吟醸になっていますが、これも合いますね、最高です。ブラームスは室内楽が名曲ぞろいで、どれも秋の夜長にぴったりです。これからぼちぼちご紹介して参ります。

クラシック徒然草-ブラームスを聴こう-

英国の大作曲家エドワード・エルガーを忘れるわけにはいきません。「威風堂々」や「愛の挨拶」しかご存じない方はチェロ協奏曲ホ短調作品85をぜひ聴いてみて下さい。ブラームスが書いてくれなかった溜飲を下げる名曲中の名曲です。エニグマ変奏曲、2曲の交響曲、ヴァイオリン協奏曲、ちょっと渋いですがこれも大人の男の音楽ですね。秋の昼下がり、こっちはハイランドのスコッチが合うんです。英国音楽はマイナーですが、それはそれで実に奥の深い広がりがあります。気候の近い北欧、それもシベリウスの世界に接近した辛口のものもあり、スコッチならブローラを思わせます。ブラームスに近いエルガーが最も渋くない方です。

シューマンにもチェロ協奏曲イ短調作品129があります。最晩年で精神を病んだ1850年の作曲であり生前に演奏されなかったと思われるため不完全な作品の印象を持たれますが、第3番のライン交響曲だって同じ50年の作なのです。僕はこれが大好きで、やっぱり10-11月になるとどうしても取り出す曲ですね。これはラインヘッセンのトロッケン・ベーレンアウスレーゼがぴったりです。

リヒャルト・ワーグナーにはジークフリート牧歌があります。これは妻コジマへのクリスマスプレゼントとして作曲され、ルツェルンのトリープシェンの自宅の階段で演奏されました。滋味あふれる名曲であります。スイス駐在時代にルツェルンは仕事や休暇で何回も訪れ、ワーグナーの家も行きましたし教会で後輩の結婚式の仲人をしたりもしました。秋の頃は湖に映える紅葉が絶景でこの曲を聴くとそれが目に浮かびます。これはスイスの名ワインであるデザレーでいきたいですね。

フランスではガブリエル・フォーレピアノ五重奏曲第2番ハ短調作品115でしょう。晩秋の午後の陽だまりの空気を思わせる第1楽章、枯葉が舞い散るような第2楽章、夢のなかで人生の秋を想うようなアンダンテ、北風が夢をさまし覚醒がおとずれる終楽章、何とも素晴らしい音楽です。これは辛口のバーガンディの白しかないですね。ドビッシーフルートとビオラとハープのためのソナタ、この幻想的な音楽にも僕は晩秋の夕暮れやおぼろ月夜を想います。これはきりっと冷えたシェリーなんか実によろしいですねえ。

どうしてなかなかヴィヴァルディの四季が出てこないの?忘れているわけではありませんが、あの「秋」は穀物を収穫する喜びの秋なんですね、だから春夏秋冬のなかでも音楽が飛び切り明るくてリズミックで元気が良い。僕の秋のイメージとは違うんです。いやいや、日本でも目黒のサンマや松茸狩りのニュースは元気でますし寿司ネタも充実しますしね、おかしくはないんですが、音楽が食べ物中心になってしまうというのがバラエティ番組みたいで・・・。

そう、こういうのが秋には望ましいというのが僕の感覚なんですね。ロシア人チャイコフスキーの「四季」から「10月」です。

しかし同じロシア人でもこういう人もいます。アレクサンダー・グラズノフの「四季」から「秋」です。これはヴィヴァルディ派ですね。この部分は有名なので聴いたことのある方も多いのでは。

けっきょく、人間にはいろいろあって、「いよいよ秋」と思うか「もう秋」と思うかですね。グラズノフをのぞけばやっぱり北緯の高い方の作曲家は「もう秋」派が多いように思うのです。

シューマンのライン、地中海音楽めぐりなどの稿にて音楽は気候風土を反映していると書きましたがここでもそれを感じます。ですから演奏する方もそれを感じながらやらなくてはいけない、これは絶対ですね。夏のノリでばりばり弾いたブラームスの弦楽五重奏曲なんて、どんなにうまかろうが聴く気にもなりません。

ドビッシーがフランス人しか弾けないかというと、そんなことはありません。国籍や育ちが問題なのではなく、演奏家の人となりがその曲のもっている「気質」(テンペラメント)に合うかどうかということ、それに尽きます。人間同士の相性が4大元素の配合具合によっているというあの感覚がまさにそれです。

フランス音楽が持っている気質に合うドイツ人演奏家が多いことは独仏文化圏を別個にイメージしている日本人にはわかりにくいのですが、気候風土のそう変わらないお隣の国ですから不思議でないというのはそこに住めばわかります。しかし白夜圏まで北上して英国や北欧の音楽となるとちょっと勝手が違う。シベリウスの音楽はまず英国ですんなりと評価されましたがドイツやイタリアでは時間がかかりました。

日本では札幌のオケがシベリウスを好んでやっている、あれは自然なことです。北欧と北海道は気候が共通するものがあるでしょうから理にかなってます。言語を介しない音楽では西洋人、東洋人のちがいよりその方が大きいですから、僕はシベリウスならナポリのサンタ・チェチーリア国立管弦楽団よりは札幌交響楽団で聴きたいですね。

九州のオケに出来ないということではありません。南の人でも北のテンペラメントの人はいます。合うか合わないかという「理」はあっても、どこの誰がそうかという理屈はありません。たとえば中井正子さんのラヴェルを聴いてみましたが、そんじょそこらのフランス人よりいいですね。クラシック音楽を聴く楽しみというのは実に奥が深いものです。

 

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クラシックは「する」ものである(8)-「ニュルンベルグの名歌手」前奏曲ー

2014 AUG 18 20:20:44 pm by 東 賢太郎

私事で恐縮ですが、下の写真は1995年6月にライン川のほとり、ヴィースバーデン・ビープリッヒ(Wiesbaden-Biebrich)のヴィラ・ワーグナー(上)で撮ったものです。フランクフルトからチューリッヒに異動辞令が出た直後で、思い出深いドイツとお別れした折に家族5人で立ち寄りました。当時弱冠40歳、まだ髪も黒く細身でした。

3年間のドイツ滞在で、最もよく劇場で聴き、身近に思うようになった作曲家はリヒャルト・ワーグナーです。それまでも序曲集は好きでしたが、長大な楽劇(オペラ)全曲のほとんどは実演に接した経験がありませんでした。バイロイト音楽祭、フランクフルト歌劇場、ドレスデン・ゼンパーオーパー、ベルリン国立歌劇場、ベルリン・ドイツオペラ等でワーグナーの毒にどっぷりとつかり、ヴィースバーデン歌劇場ではリング・チクルスを堪能し、ドイツでワーグナーの神髄に触れさせてもらいました。だからドイツでの最後に、彼が滞在したヴィラにどうしてもワーグナー詣でをしたくなったのです。

bieblichvilla_wagner_2

 

ヴィラのこの銘板に「1862年にこの家でワーグナーがニュルンベルグのマイスタージンガー(名歌手)を作曲した」と書かれています。真ん中の、写真がここから見るライン川の風景です。滔々(とうとう)と水をたたえてゆっくりと流れるこの川、この景色なんです、ワーグナーがあの有名な「第1幕への前奏曲」を発想したのは!ここに立ってみて、あのハ長調の壮大な出だしを思いうかべてみて、ああ、確かにこれだなあと感動したことを覚えています。

 

 

この楽劇はフランクフルト、ベルリン、ロンドン、ニューヨークなどで聴き、LP、CD、DVDも何種類も持っていて、好きなことではトリスタンと双璧です。そのトリスタンがこれの前作に当たり半音階的で解決しない「トリスタン和声」で書かれたのに対し、この曲は全音階的で古典的であり好一対を成すというたたずまいがあります。全曲については機会を改めて書きたいと思います。

今回はこの「第1幕への前奏曲」のバス・パートに声またはピアノでご参加いただくことを目的としております。これを開いてください。

2.1.2Vorspiel (Act I)

Vorspiel (Act I)のComplete Scoreをクリックすると前奏曲の全曲スコアが出てきます。今回はスコアを読む練習ということで、それを使ってください。最初のページに楽器名が書いてありますね。それの「CONTRABASSE.」もしくは「BASS-TUBA」のパートをやっていただきたいのです。特におすすめは26ページの第2小節からです。ここは非常にわかりやすく、歌ってもピアノで弾いても最高に気持ちいいですよ。

ちなみのこのペトルッチ楽譜ライブラリーはまだコピーライトのある現代曲を除いてほとんど全部のクラシック音楽の楽譜が無料で入手できる便利なライブラリーです。

さて、声でもいいのですが、前回のブログに書きましたように僕のお薦めは「ピアノ」です。楽器をお持ちの方はぜひ、このバス・パートを左手で弾いて合奏してみて下さい(簡単ですから誰でもできます)。ひとつだけ注意点があるのですが、合わせる演奏は「イギリスのオーケストラ」にして下さい他の国のオケはピッチが高いのでピアノと合わず不快です。ロンドン交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー、フィルハーモニア管弦楽団、BBC交響楽団など英国オケならどれでも大丈夫です。

 

ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

 

 

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