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見事なトリスタンとイゾルデ!(読響定期)

2015 SEP 7 3:03:29 am by 東 賢太郎

1か月もクラシックを聴いていないと禁断症状が出るかと思いきやそうでもありません。5月に5日間断食した時に意外に平気でしたが、クラシックも物心ついてからそんなに「抜いた」ことがないので精神状態に何が起こるかわからないのです。

今日は6時からU-18の野球があって、3時開演のサントリーホールは微妙だなと思ってでかけました。出し物は例によって知らず。それがワーグナーのトリスタン全曲であったのです。まずい、こりゃ5時間かかるぞ、これが初動。野球の方が気にかかっていたのでした。それに、絶食中の胃袋にいきなりステーキみたいで重いなあ・・・。

僕はワグネリアンというほどではないですがドイツ時代の3年間はどっぷり浸かっていて、トリスタンはC・クライバーのCDを聴きこみ(マーガレット・プライスが好きなんで)、舞台はマインツ、ヴィースバーデン、それからバレンボイム(ベルリン国立歌劇場)も東京とミラノ・スカラ座で2回きいたりしています。

「トリスタンとイゾルデ」は男女が死のうと毒薬を飲んだつもりが媚薬にすり替わっていたという、そこだけクローズアップすると非常にばかばかしい話です。喜劇みたいですが大真面目な悲劇になっているばかりか、愛とは何か、死とは何かと哲学問答みたいにもなってくる。

二人は不倫で昼は会えない。だから夜がいい闇が好きだ夜が明けないでくれとなり、昼の光は欺瞞だ幻影だ消してしまいたいとなる。でも光はちゃんとやってくるんで、それならいっそあの世の闇の中で、誰にも邪魔されずに永遠に愛しあっていようよとなってホントに死んでしまうのです(ただ、イゾルデの死因が何か、未だもって僕にはわからない)。

我が国のほこる曽根崎心中も、悪い奴にカネを貸して騙されちゃった、汚名を死でそそぎたいんで一緒に死のうなんて(訴訟せんかい)究極の情けない男が出てきて今や現実離れしてますが、トリスタンのこの現実感のなさはさらに上手といえ、これで傑作を書いてしまうなどワーグナーの独壇場であります。

しかも、そうなった原因が二人が元から愛し合っていたわけでも格別に淫乱だというわけでもなく、薬の効き目なのであって、彼らは運命の被害者だ、だから大真面目に悲劇なのだというスケルトンなんですが、媚薬という存在がおとぎ話っぽいのでどうも心中の動機に迫真性がない。「イゾルデの媚薬」をダシにしたドニゼッティの「愛の妙薬」の喜劇のほうがまだ多少はホントらしい。

希薄な迫真性の上にきわめてマジで迫真性に富んだ音楽がのっかるもんですから、そのミスマッチを一歩引いて見ているとどこか喜劇に思えてくる。この複雑骨折の相貌はモーツァルトの魔笛と双璧でしょう。オペラ狂のイタリア人のお客さんにそう言ったら、彼の見解は媚薬はバイアグラだった(笑)というもので、やはりこれは悲劇である。しかしこんな曲を書くワーグナーの淫乱ぶりはもっと悲劇だったけどね、でした。

たしかに、この曲の「愛のパワー」は全開です。前奏曲のffは男性の、愛の死のは女性の「頂点」を生々しく描写したもの(後者は筆者想像)。第2幕で有名な「愛の二重唱」の後者の「絶頂の和音」がクルヴェナールの闖入でかき消されてしまう所など、聴いている方までおいおいちょっと待ってよとなるのがニクいばかり。お客さん説に賛成!

曲頭に意味深に鳴る「トリスタン和音」。あれに二人の愛の謎が、悲劇の予兆が、隠避にひっそりと横たわっている。全曲が前奏曲と愛の死にエッセンスとなって凝集してストーリーと絡み合っている。まったくもってもの凄い音楽であって、これに憑りつかれると生活に支障が出るほど頭の中で鳴り続ける。媚薬みたいに危険な音楽です。

余談ですが、トリスタン和音は解決しない。専門家によるとそういうことになってる。素人ですからナポリ6度が半音下がる解決を連想します(それを解決と言っちゃだめよなんですが)。愛の死も短3度ずつ上がってお尻はその連続だ。ナポリがキーですね。でもクラシックの勝利の方程式みたいなD⇒Tが出てこないですね。期待は次々にはぐらかされて、絶頂に至れない愛ですね。

その5時間にもわたる満ち足りない悶々もやもやが、愛の死の最後の最後に至ってC⇒Fm6⇒Cとカンペキに、荘厳な夕陽が地平線に落ちるみたいな絶対的な静寂と安定感をもって、ついについに「解決」する。全曲に仕掛けられた和声のトリック!ラストの空前絶後のどんでん返し!!(安物のミステリーのキャッチコピーになっちゃいました)。

ワーグナーは長い、退屈だ。たしかにそうかもしれませんが、この曲は5時間も我慢(休憩1時間ありますけど)した甲斐が絶大な感動で報われるという10倍返しの稀有な作品であります。そのことはクラシック音楽を楽しむ共通原理みたいなものでもあり、他の作曲家でも、そうか、つまんないところも寝ないで我慢してみようってきっとなります。

さらに凄いと思うのは、この1回しかない和声解決という大どんでん返しの終結で「とうとう愛まで成就したんだ」というメッセージがそっと客席に天から届くのです、二人の死をもって。そう、散々ケチをつけた「現実感のないお話」なんですが、そうか、そうだったのかとカンペキに納得に至って茫然としている自分がいる(しかしあそこで間髪いれないブラボーはやめて欲しいなあ)。

こうやって僕は毎回ワーグナーめにしてやられるのです。悔しいけど。

今日の歌手はお見事でした。水で喉を潤しながらの「完投勝利」。最初はセーブして、第2幕で全開になって。なんとなくわかります、先発投手が9回投げるぞっていう感じ。イゾルデは緊急登板だったレイチェル・ニコルズですが健闘しました。みんな良しですがアッティラ・ユン、容貌で日本人と思ったが韓国人でした。すばらしい。久々に本物のワーグナーのバスを聴きました。マルケ王は弱い人だと女房取られてそれかよって、二人のダシ扱いですからワーグナーは、まったく様にならなくて話の迫真性がますます失せるんですね。このキャスティングは大正解です。

そして最後に、しかし特筆大書で、カンブルラン、読響。ブラボー、最高でした。演奏会形式は初めてでしたが、オーケストラパートがこんなに絶妙な響きに書いてあったのかと目からうろこの気づきがたくさんありました。ありがとうございます。この曲をききながらずっとドビッシーの「ペレアスとメリザンド」が耳にこだまするなんて初めて起きたことです。ドビッシーはまずワーグナーにはまり、トリスタンを否定して独自の和声の道に進みましたが、降参したんでしょうね。だからメリザンドは不思議娘のまま子供を残して死にますしもうオペラ書かなかったし。なにせこの和声トリックは空前絶後、やればパクリになるんで。これぞ弁証法的発展。

帰ってきて、U-18の負けをさっと見届け、そこからずっとトリスタン前奏曲でピアノと格闘するはめになってしまいました。カンブルランの指揮は明晰、知的ですね、ブーレーズ並みの理性を感じますがそれでいてツボの盛り上げもうまい。彼の曲への敬意、愛情、情熱が全員を高みに引っぱり上げましたね、これぞ指揮者であります。そういうときのワーグナーはインパクトがあります。読響はここまで磨くのに集中したセッション組んだんでしょうね、実に良い音でありました。おかげ様で、これでまたクラシックにつつがなく戻れそうです。

 

 

 
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Categories:______ワーグナー, ______演奏会の感想, クラシック音楽

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