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僕が聴いた名演奏家たち(マリス・ヤンソンス)

2019 DEC 8 16:16:45 pm by 東 賢太郎

マリス・ヤンソンスの訃報を出先で知った。彼はたしかムラヴィンスキー、カラヤンの弟子であったと記憶する。我々世代は先生の方を巨匠と認識していたものだからヤンソンスは必然的に小僧のイメージであり、僕はあんまり積極的に聴いていない。欧州にいたころひょっとして聴いた気もするが、はっきり覚えているのはサントリーホールでピッツバーグ響を率いたベートーベン7番とチャイコフスキー5番ぐらいだ。ヤンソンスは団員に敬意を持たれており、大音量を駆使した壮麗な演奏で首席指揮者だった同響寄りの演奏だった印象だ。少し早めにホールに入ったつもりが団員のほとんどがすでに舞台でウォームアップに余念なく緊張感すら漂っていた。2002年とまだ日本に帰ってきて間がなかった僕はこれが米国人のプロフェッショナリズムだと息子に教え、懐かしみ、感動した覚えがある。ということは、帰国以来すでにたくさんきいていた日本のプロオケのプロフェッショナリズムの欠如、生真面目で正確ではあるがおざなりの役所みたいなお仕事ぶりに幻滅、辟易していた裏返しであろう。さらに、前の席にいた米国人と思しき白人父子が演奏中にぺちゃくちゃうるさく、たしかに米国にクラスはないが階層の天地の差は実は大きいものだ。この2曲はこういう層が多くやってきてしまうことを知り、以来もう行かないことにしている。

ヤンソンスが先生の域になっていたのは恥ずかしながらyoutubeで知った(ブラームス2番の稿参照)。それよりずっと前にCDを買って、何の感慨もなく音源コレクションカードに *印をひとつ付けていたのはオスロ・フィルとの春の祭典だ。この評価は初聴でのもので最高が*3つであるが、後で評価が変わったケースは少ない。写真は同曲の3枚目のカードで、もう10年以上前にCDを買うのはやめているから最後期だ。ご覧の通りヤンソンス盤とアルバート盤は*があり他は無印だ。この時点でもうこの曲は隅々まで知り尽くしてfed up(食傷)気味なのは否めず、にもかかわらず*が付いたヤンソンスは特筆していい。聴き返してみたが、いけにえの踊りで大太鼓、ティンパニの改変があるが*評価は納得だ。ついでにカードの2,3枚目もご覧に入れるが1972年からの春の祭典購入史であり、ほぼ自分のクラシック没入史、あんまり意味なく浪人をしてしまい完璧にヒマだった頃に小遣いをためてはこの曲を買いスコア解析に没頭していた自分史でもある。

彼の指揮のレクチャーのビデオがあって、学生の棒を止めて「音楽に合わせて振っちゃだめだよ、きみがほんの少し先にいかなくちゃ、リードする気持ちでね」とユーモアを交えてやさしく指導してる。これ、あたりまえのようだが凄いことを言ってると思う。何であれ、集団をリードするってそういうことだ。

この写真、すばらしい。指揮者ってカッコいいなあと思う。

ヤンソンスさんを小僧と書いてしまったのは僕もジジイである証明だ。ブラームス4曲を聴きたかった。ご冥福を心からお祈りしたい。

僕が聴いた名演奏家たち(ルチアーノ・パヴァロッティ)

2019 OCT 12 15:15:56 pm by 東 賢太郎

精神科医のK先生と食事していたら歌手の指導でボイストレーニングをしておられるという。なぜかというと患者さんに言う事をきいてもらうのが精神科では肝要であり、そのためにはまず「良い声」が大事なのだそうだ。

ビジネスでも良い声は得だ。説得(プレゼンテーション)の成功率はポスチャー(posture、ポーズ、立ち居振る舞い)への依存度が高いとビジネススクールでは教えるが、声もその一部と考えていいだろう。女性を口説く天才(でなくてはならない)ドン・ジョバンニの役をモーツァルトはテノールでもバスでもなく、「バリトン」で書いた。このことの重みは書いても文字にならない。良いドン・ジョバンニの歌い手がその低域で口を丸めて伸びやかな、しかしやや凄みをこめて歌う場面に接するだびに、僕はなるほど!と説得され、モーツァルトのプレゼンテーションの天才ぶりに圧倒されるのだ。

それを受け継いだのがカルメンを夢中にさせる設定の闘牛士エスカミーリョである。ビゼーは全曲のピアノ・バージョン(左)を作ったほどドン・ジョバンニに傾倒しているわけだが、色男=バリトンの図式に気づいたのはさすがだ。しかも彼は生々しい殺人現場で幕を閉じるという点で革命的だったこのオペラのヒロインを異例のメゾソプラノで書いた。モーツァルトもズボン役ケルビーノをメゾで書いたが、ズボン役とは中世的な非現実、仮想の容認である。20世紀になってまだそれを書いていたR・シュトラウスに対し、ビゼーは中世を全否定する地点で1875年にカルメンを書いている。ドイツ、フランスを隔てるライン川近郊に住んだことのある僕はこのことをゲルマン、ラテンの対比に見立てたくなる衝動に駆られるが、その適否はともかくとして、それがカルメンを「元祖ヴェリズモ・オペラ」として音楽史に位置付けた一因だと書いてもそれほどはずれてはいないだろう。役柄によって何が「良い声」かは決まるのだが、それがはまった時のインパクトは強いということだ。

Italian opera singer Luciano Pavarotti as the character Nemorino in ‘L’Elisir d’Amore’, 1981.

K先生とは「声のインパクトという事ならパヴァロッティがすごかったですね」と会話が進んだ。この不世出のテノールを聴いたのは一度だけ、1990年、ロンドンのコヴェント・ガーデンでの「愛の妙薬」のネモリーノ役であった。しかし驚いたのは強くて輝かしいフォルテではない。席は後ろの方だったが、pp (ピアニッシモ)にもかかわらず彼のささやくように軽やかな高音がとろけるクリームのような滑らかさを伴ってくっきりと耳元に届いてきたのに仰天したのである。僕の中で、パヴァロッティはレコードで聴くロドルフォの「キング・オブ・ハイC」ではなく、あのリリコ・レッジェーロの唯一無二の質感で痛烈に記憶されている。あれに匹敵する pp の体験というと、やはりロンドンできいたこの世のものと思えないロストロポーヴィチのチェロの高音しかない。どちらも文字では説明し難いが「リッチなピアニッシモ」「音の栄養価が高い」とでも無理やり書くか、やった人しかわからないから比喩の意味が薄いが「野球の投手の軽く投げて速くもないのに手元で伸びて打たれない球」が近いとでも申し上げるしか手がない。

パン職人の倅であったパヴァロッティはイタリア、モンテカルロ、ニューヨークに約500億円の不動産、そして各所に約16億円の負債を残して2007年にすい臓がんで亡くなった。すぐに前妻と3人の娘、そして新妻とその娘という6人の女性による相続で血みどろの裁判になったのは彼が2通の矛盾した遺言状を書いたからだ。巨大なバランスシートの持ち主であったが、それに見劣りしない威風堂々たる巨躯の持ち主でもあった。K先生曰く声はボディに共鳴して倍音を伴って響くそうで、あの、他の誰からも聴いたことの無い pp はその恩恵によるものかもしれない。ただ、体躯が立派であることはプラスだが、共鳴体としては楽器と同じ原理で筋肉質で固めが良く、脂肪太りのでぶは逆にだめだそうだ。パヴァロッティは晩年は体重と戦っていた。

そういえばその昔、マリア・カラスがサナダムシを飲んで40キロ痩せたとニュースになった。真偽のほどは疑わしいという説もありそこは何とも言えないが、我々が見知っている天下の歌姫カラスといえばダイエット後なのだから、その決断はビジュアルには大きなプラスとなったが声にはマイナスではなかったと思われる。女性だから筋肉太りだったはずはないのであって、むしろ脂肪が落ちて声も良くなったという理屈になろう。写真の二人の女性が同一人物とは頭で知っていてもやっぱりウソでしょと疑ってしまう、ライザップもびっくりの使用前・使用後である。「サナダムシは宿主のヒトに悪さはしません、ただ腸に流れる栄養をかすめ取るだけです。なんと結節のヒダヒダまで人間の腸とそっくりの姿、形に進化してるんですよ」(K先生)とは不気味な話だが、女性も魔物だと思わないでもないのである。

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僕が聴いた名演奏家たち(アレクシス・ワイセンベルク)

2019 MAR 2 11:11:15 am by 東 賢太郎

アレクシス・ワイセンベルク(1929 – 2012)というと、僕の世代の多くのクラシック・ファンには懐かしい名前と思います。ブルガリア生まれのユダヤ系フランス人でした。このピアニストの指の回りの怜悧な切れ味は独特で、細かな装飾音符まで強い音でそれが効くし、ペダルをひかえた音の粒立ちの良さと打鍵の強靭さが際立っているので、テクスチャーが複雑になり音符が増えると速度は変わっていないのにあたかも速弾きになったように聞こえます。これが音楽に起伏を与え、生き生きと波打たせ、静かな部分との見事なコントラストをなし、表現のパレットが豊富になっている。こういうことは頂点の技術のある一握りの人しかできません。タッチに豊饒なふくらみと色彩感があるので、ラテン的な明晰さが音楽の立体感に奉仕してテクニックだけのピアニストとは一線を画したものでした。あのカラヤンが本家ドイツグラモフォンではなくEMIとの録音でチャイコフスキー、ラフマニノフ、ベートーベンというメインストリームの協奏曲に起用したのもその個性がアピールしたのではないでしょうか。

そのピアニズムの魅力は74年に買ったラヴェルのト長調協奏曲で知りました。浪人中でしたがどれだけこれに慰められたか。いまでも第2楽章を自分で弾くと、テンポは自然にワイセンベルクのになってしまいます。このLPへの love はこのブログに書いてあります。

ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調

プロコフィエフの第3ピアノ協奏曲を聴いたのもこのLPのワイセンベルクが初めてでした。

77年にクープランの墓に入れこんで買ったのがこのLPでした。これへの love はここに書きました。

ラヴェル「クープランの墓」を弾く

ラヴェル 「クープランの墓」 

どれだけこのレコードが耳に焼きついたことか。僕のピアノへのテーストはワイセンベルクによって出来たと思います。

彼のジャズ好きは有名でしたが、こんな録音がありました。即興のようですが最高のセンスですね。

同じくyoutubeでこれを見つけました。

この演奏会のプログラム

このブラームスの第2協奏曲ですが、録音されたのは1983年11月25日です。これを当時28才だった僕は妻と Academy of Music のチェロセクションの前の座席で聴いており、知らなかった記念写真が出てきたようです。ただ残念ながら曲はすでに覚えこんでましたがこの演奏の細部の記憶はなく、あんまり感銘はなかったということだったのでしょう。録音を聴いてみて、なるほどオケの音程が甘く重量感に欠けますし、ワイセンベルクの演奏も十全ではなかったことがわかりました。2番をアラウ、バックハウス、ギレリスで知った耳からすると、おそらく彼はこの曲のテンペラメントには合っていないように感じたと思います。2番は結局録音もしなかったようですね。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番

ワイセンベルクは同年の1月7日にもう一度フィラデルフィアにやってきていて、やはりブラームスの第1協奏曲をやりました。これが初めてだったわけで、こっちはピアノもオケもずっと良かったと思いますが、残念ながらこの時期はウォートンの勉強に必死の頃で、当方の曲への習熟度も2番に比べ足らず書き残すほどの力はありませんでした。ただ、憧れのスターだったワイセンベルクのピアノを目の前で聴く喜びはひとしおでした。席が舞台に近かったこともありますが、普通の力で弾いているように見える彼のffのタッチの強さには度肝を抜かれ、ピアノという楽器はこういうものかと思い知った演奏会でした。

ロンドンに赴任してこのLPレコードが発売になりました(1984年)。ジャケットをしげしげと見て、「ああ自分はフィラデルフィアにいたんだ」と当たり前のことに狐につままれたような気分を味わったのも今となると不思議です。デジャヴ(既視感)ではない、本当に真近に見ていた二人の音楽家の顔が実は遠い世界の映画の登場人物のように見えました。Mov1はミスタッチも録音に残していますが、何より冒頭に既述したワイセンベルクのピアニズムの特色がライブのあの熱気そのままにお楽しみいただける名演奏と思います。

ワイセンベルクを聴いたのはこの2回だけでした。

ユダヤ人の彼は12才の少年時代(1941年)に、ドイツ占領下となったブルガリアから母親とトルコへ脱出しますがナチスに捕まってしまいます。収容所に投獄され3か月を過ごしますが、彼がアコーディオンで奏でるシューベルトに感銘を受けた守衛は母子をイスタンブール行きの列車に急いで乗せ、「達者でな」と少年にアコーディオンを投げてくれたのです。

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僕が聴いた名演奏家たち(アーリン・オジェ)

2019 FEB 18 23:23:40 pm by 東 賢太郎

「風邪はどお?」心配して電話をくださった神山先生に、「あの薬を飲んでから少しいいですがまだ咳がね・・・」と伝える。「でも声は昨日よりいいよ、もう大丈夫だよ」と笑いながら「やられたね」ときた。「やられましたね(笑)」。腑に落ちることしかこの人は言わない。

子供のころ体が弱く毎週熱を出していた。その度に見たこわい夢は忘れない。暗い宇宙空間のようなところにぷかぷか浮かんでおり、何か、目には見えないが「重たいもの」を持たされている。とっても重い。そして僕は「それ」をどこか別なところへ運ばなくてはならないのだ。そんなの無理だよ、僕にはできないよ!うなされてはっと気がつくと耳元で「大丈夫よ」と母の声がするのだった。

あれは何だったんだろう、どこから来たんだろうあの服従を強いる脅迫感は?ビートルズに「Carry That Weight」という曲がある。「あの重たいものを運べ」だ。色々もっともらしく言われるが、もしや「あれ」のことではとふと思ったりしていた。忘れていたが、この1月にソウルで高熱が出てうなされた時に(インフルエンザだった)この夢が何十年ぶりに出てきた。怖かった。大人でも。

僕はこういう時、女性の高い声が脳髄から深層心理にしみこんでcomfortになることを知っている。母の声だったのかそれはわからないが、生理作用だから好き嫌いを越えて抗いがたい。もし歌なら、ソプラノの澄んだ天使のような声でないといけない。ルチア・ポップが好きなのはそれだろうし、もうひとりアーリン・オジェ(Arleen Auger)がそれだ。言葉にならない、無条件に好きなのだ。

オジェは1993年に53才でこの世を去ったアメリカ人歌手であり、僕の基準でいわせてもらえば、史上最高のリリック・ソプラノである。カール・ベームが見出したと言われる。モンテヴェルディ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトなどバロック、古典派に定評があるがR・シュトラウス、ラヴェル、ベルクまで幅広い。録音はたくさんあって、ベームの「後宮からの誘拐」、ショルティのマーラー8番、同ばらの騎士、同モーツァルト「レクイエム」、ドラティの「天地創造」、ラトルのマーラー2番、マゼールのカルメン、プレヴィンの「子供と魔法」、ムーティのヴェルディ「聖歌四篇」、アバドの「ドン・カルロ」、シャイーの「ウエルテル」、ピノックの「メサイア」、クーベリックの「ドン・ジョヴァンニ」、マリナーの「真夏の夜の夢」、ホグウッドの「第九」そしてリリングのバッハ・カンタータ集などだ。おおむね主役を張るのは古典派まででロマン派以降は端役が多い。それは彼女の「格」のせいではない、声の性格ゆえであり、しかも彼女の美質、特質は discreet(慎ましく思慮深い)なところにあるからだ。僕は全部集めたいと思っている。

まずはこれから。モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」から「Pur ti miro, pur ti godo(ただあなたを見つめ、ただあなたを楽しむ)」を。

我を忘れる。くらくらして気絶しそうだ。完璧な音程はそれ自体が人を陶酔に引きずり込む。

次は誰もがご存知のシューベルトの「鱒」。

この流れるような軽やかさ!この歌はこう歌わないとと思うが、このレベルのはなかなかない。単純なメロディはごまかしがきかない。

ヴィヴラートを効かせて張りを作ってドラマティックにうまく聞かせるソプラノではない。そんな無用な芸をせずともこの人は本当に歌がうまいのだ。コロラトゥーラでピッチが悪くては話にもならないがまずその技術が筋金入りであることはこの夜の女王で問答無用に証明されている。彼女はこの役で1967年にウィーン国立歌劇場でヨゼフ・クリップスの指揮でデビューしている。このビデオは不明だがまだ若い時だ。僕の知る限り、ピッチの完成度でクレンペラー盤のルチア・ポップに唯一対抗できるのはこれしかない。つまり、ほかのすべてを凌いでいる。

歌の技術について語る資格はないが、何事も、スポーツでも勉強でも、基礎が盤石でなければ大成しないのは同じだろう。音楽において、歌であろうと楽器であろうと、音程がだめであればそれは技術か耳のいずれかが未熟ということであり、野球でいえばキャッチボールが正確にできないということである。それでプロは100%ない。オジェはトスバッティングでどこへ球が来ても百発百中でバットの真芯でミートできる、まさにイチローの神技のレヴェルにある技術のファンダメンタルズを土台に持っているのだろう、さもなければこのパフォーマンスは出ようがないと思う。

彼女の高音は頭のてっぺんから自然にポンと出ている。普通はどっこいしょと持ち上げる感がごく微小なりともあるのだが、唖然とするほどまったくなくてコントロールも良い。さらに特筆すべきは、喉でなくボディで歌っており、中音域がとろけるように豊潤で、ホールのアコースティックと(楽器である)ボディの周波数があたかも共鳴している(融けこんでいる)感じがすることだ。だから聴き手である僕も包み込まれる感じがする。正確無比なのだが包容力があって暖かいのだ。こんな歌手は一人も知らない。歴代のリリック・ソプラノでトップを争うと確信する。

病気で怖くなってきてcomfortが欲しいとき、僕はポップかオジェを聴くことになる。何か逃げ込みたいという感じだ。基本を欠いた音楽家になんらかの affection でもって好意をいだくということは僕の場合はない。こと音楽については matter-of-fact-man (感情、感傷なく事実=音のみで決める人)であるということだ。ブルックナーをだいぶ聴いていたのでロマン派圏外に逃避したい。そこで久しぶりに故郷であるモーツァルトへ帰ってみる。ジャンルでいうとオペラと宗教曲に惹かれる。ことに最近は宗教曲こそ彼のベストかもしれないと思うようになってきた。「ミサ曲ハ短調 K.427」はレクイエム、戴冠ミサとならぶ傑作である。

レナード・バーンスタインは1990年10月に亡くなるが、その半年前の4月にヴァルトザッセン、シュティフト修道院附属教会で演奏したK.427のビデオがこれで、僕の宝だ。ソプラノがアーリン・オジェだが彼女もこの3年後に亡くなっている。この4か月前に僕はロンドンでキャンディードを振ったバーンスタインと会って話をしたが、その時の姿そのものだ。すごく inspiring なおじいちゃんだった。あんな人はほかにいない、electrifying と言った方がいいか、会うだけで電気が流れてきて元気にしてくれた。この演奏はそれが出ている。

隣のメッツォは名高いフレデリカ・フォン・シュターデだが気の毒だがモノが違う。というか、これが普通のうまいプロの歌なのだ。K.427がこれだけ重量感ある音響で、教会の素晴らしいアコースティックのなかで、しかも抜群の安定感と清楚さのあるのソプラノで歌われる。至福でなくてなんだろう。

同じくバーンスタインとのモーツァルト。Exsultate, Jubilate K. 165の「ハレルヤ」を。

この安定感と威厳。ロールスロイスというか、沢村賞の巨人・菅野のマウンドさばきというか・・・。

次はモーツァルト歌曲集をぜひ。素晴らしいの一言に尽きる。僕はこれらの歌を多くのソプラノで聴いた。もちろん皆プロで見事なのだが心の底から満足しない。プロにもピンキリがあるのだ。ピアノ協奏曲第27番のK.596(28分43秒)。オジェの神の如き音程はそれだけですでに高貴な音楽になり、ふくよかで暖色系で rich な中音域、p と同じブレスで楽々と出る f はただの美声とは別世界だ。馬鹿なカワイ子ちゃんが少し大人になりましたというのとは別世界の、大人の知性あるプレゼンテーションになっている。慎ましやかおしとやかだが音楽力において絶大にパワフルなのだ。

僕はこのラヴェルにぞっこん惚れている。エーゲ海、アドリア海のオーシャンブルーが眼前に蘇ってくる。

エルネスト・ブールとのこの奇跡的な演奏についてはこちらに書いた。

ラヴェル 歌曲集「シェへラザード」

このyoutubeビデオに海外の方からこうコメントをいただいた。なんと図星な!

This performance is utterly beguiling, and a revelation; Ernest Bour is one of the greatest, most underrated conductors of all, and the soprano is absolutely magnificent in her purity of intonation and musicality.

芸人並みの色モノ演奏家がもてはやされてこういうホンモノの演奏家がunderrated(過小評価)という事実・・・。それは作品の評価まで曲げてしまう。クラシック音楽に populism など不要であって、芸人のポップクラシックなど害悪でしかない。残念ながらわかる人しかわからないものはある。

最後に、カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」からIn trutinaを。

同じく、Dulcissimeを。

すごい、悶絶しそうだ。これぞ female voice の蠱惑でなくて何であろう。

当日のプログラム

これで本当に最後しよう。告白、懺悔である。実のところ、僕はアーリン・オジェを今ごろになって「再発見」しているのだ。しまった、こんな歴史的なアーティストだったんだサインもらっとけばよかった。時は36年前、1983年の12月2日、所はフィラデルフィアのAcademy of Music。上掲録音と同じリッカルド・ムーティがカルミナ・ブラーナを定期演奏会にかけた。そのソプラノがオジェだった。最前列に陣取っていたのですぐ目の前で彼女の神技が展開された。目に浮かぶ。とにかく彼女に圧倒されてしまい、頭がくらくらして大好きなカルミナは、あっという間に終わってしまった。そのころ、僕には歌のよしあしをappreciateする能力なんてかけらもなかった。

当日のプログラムより

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

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僕が聴いた名演奏家たち(ニコラウス・アーノンクール)

2019 JAN 7 22:22:16 pm by 東 賢太郎

ニコラウス・アーノンクール(Nikolaus Harnoncourt、1929 – 2016)はオーストリアの貴族ウンフェアツァークト伯爵家の長男であり、ウィーン国立音楽院(現・ウィーン国立音楽大学)でチェロを専攻、卒業後1952年から1969年までウィーン交響楽団にチェロ奏者として在籍した。わが国なら宮様が芸大を出てオケに入りましたというところだが、それで終わらず古楽器オーケストラ「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」を立ち上げて指揮者になった。

僕は古楽器演奏ムーヴメントにはアンチだが、そうなった一翼は彼の演奏への幻滅も担っている。マタイ受難曲はカール・リヒターで覚えたので違和感があった。アーノンクールのバッハは学究的でプログレッシブ(progressive)と思い忌避していた時期もある。しかし、僕が古楽嫌いになったのは実はそのせいではなく、後に雨後の筍のように出たピッチの低い古典派のせいだった。ブリュッヘンの「ロ長調のジュピター」に衝撃を覚えて以来だ。

人には長年かけて培った音感がある。モーツァルトが今のロ長調で作曲したのだったとしても音感を矯正するのは不可能だ。我々が彼に近寄るのは、もし18世紀に生きていたらという試みなのであり、それが何らかの意味を持つならば、もし彼が我々に近寄って今のオーケストラを知ったらという試みだってあり得るだろう。どちらであれ、モーツァルトは聴衆の心をつかむ方を選択するタイプの人間であり、ハ長調でも受けがいいなら文句は言わなかったと思う。

私見ではアーノンクールは学者よりも演奏家である。それも熱いハートのある。楽譜の魅力の根源を突き詰めていくと、背景には歴史のパラダイム、すなわち宗教、政治、社会、風俗、美意識、階級、風土、慣習、様式、楽器の種類、特性などが横たわっており、演奏しようと思えば制約条件として無視できないゆえにそれらを演奏行為と同等の重みをもって解釈に取り入れた人だと思う。その考え方はバッハに限らずロマン派でも近現代音楽でも大なり小なり無視できないものであって、そのこととピッチを半音下げることとは決して同じ行為ではない、ここは重要だ。

音楽におけるauthentic(歴史的に真正の)とは楽器の製作年代やピッチやヴィヴラートの忠実な再現、模倣であっても字義的に間違いではないだろう。ドイツ赴任時代にアイゼナッハのバッハ・ハウスで一日過ごしたのは忘れられないが、しかし、そこに展示されているバッハ時代のヴァイオリンやガンバを鳴らしてみるだけなら博物館のショップに売ってる土産物のCD以上のものではないという事実のほうが僕は重要だと思う。authenticな楽器を使おうと使うまいと、聴衆の心を打たない演奏はそれなりのものでしかない。

ブランデンブルグ協奏曲第6番について語っているこのビデオは面白い。ここから多くを教えてもらった。

当時までヴィオラは伴奏楽器で主役(ソロ)の場面はなく、ガンバは旋律楽器でもあり主役というのが常識だった。6番でバッハはそれを逆転したのであり、アーノンクールはそれをプロレタリアート(ヴィオラ)による市民革命だと表現している。学者は6番を6曲のうち最も保守的だとしているが、だから、彼は弦の書法において最も急進的だと述べている。テンポ・ルバートはロマン派の発明ではなくバロック時代のものとも語っている(実際に6番でそれをきかせている)。彼も学者だが、なにより演奏家であるゆえの包括的な洞察であり、現場のリアリズムからくる見解でもある。

僕は彼の厖大な知識と教養からくる多面的な譜読みに対し、常に納得はしていないが、少なくとも一理あるものとして傾聴はしている。マタイを初めて聴いた頃からこちらも変化している。私見では演奏家は一種の霊媒であるのが理想であり、数世紀も前に死んだ人の意図を当時のパラダイムのまま理解、咀嚼したうえで、それを21世紀のパラダイムに変換してオリジナルな意図通りのメッセージを現代人に伝える人たちだ。記号に過ぎない譜面を字面どおりに音にする職人ではないわけで、それが左脳的作業であるなら極めて右脳的なものだ。前者の能力は訓練で誰でもある程度は獲得できるが後者は直観やひらめきのようなもので誰でもあるということはない。

その変換とは、わかりやすく言えば大河ドラマの「時代考証」に近いが、困ったことに史実に忠実すぎると現代人には理解できず、現代に寄りすぎれば史実と乖離する。だから考証を第三者(歴史学者)が頭で考えてやるのはだめなのである。霊媒型を僕が理想とするのは、モーツァルトの霊が乗り移って「なりきって」しまえば、姿形が違おうと怖いものはない、強烈なオーラとインスピレーションで聴衆を引っ張りこむことができるからだ。何かオカルトめいて聞こえようが、コトバを言霊と呼ぶように、音楽演奏にも多分にスピリチュアルな要素があって、それが伝わった時の感動は尋常でない経験を何度もしているからだ。

アーノンクールの学んだウィーンの古典派(ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト)にそれは感じたことがない(モーツァルト40番の緩徐楽章のテンポぐらいだ)。氏素性や育ち、教育で霊媒になれるわけではない、テンペラメントがその誰とも違うということだ。なりきれたのはやはりJ.S.バッハであったと思う。彼の「クリスマス・オラトリオ」は名演でこの曲の筆頭の愛聴盤となって久しい。新旧あるがこのビデオはアーノルド・シェーンベルク合唱団との新盤(右)の冒頭だ。全曲をおすすめしたい。

晩年に至ってチューリヒ・オペラでヴェルディまで振った彼だがきいていない。一度だけ彼を聴くチャンスがあったのは1997年7月11日にチューリヒ・トーンハレでヨーロッパ室内管を振ったブラームスの交響曲第1番と2番だ。友人2人とゴルフをして夜にホールに行った。あまり期待していなかったが、流れが良くてテンションの高い1番は会場を大いに熱くして意外であった。曲想に沿って攻めるべきところはぐいぐいとアップテンポで攻め快哉を叫ばせる。僕の趣味のアプローチではないが、冒頭に書いた「アーノンクールは学者よりも演奏家である。それも熱いハートのある」という印象はこのライブで得たものだ。彼はブラームスに強い共感があって、きっと「なりきれる」作曲家だったのだろうと確信する。

古楽器のイメージのせいだろう彼のブラームスは正当な評価をされていないが、あのライブが当日の聴衆を熱狂させたのは証言できる。チューリヒの聴衆は耳が肥えていて日本人のように何でもブラボーなんてことはない。ショルティが人生最後のマーラー5番を振った時(このブラームスの2日後、7月13日だった)に劣らぬ喝采だったのだからTELDECがベルリンフィルと交響曲全曲を録音したのも無理はない。

さらに良いと思うのは、ルドルフ・ブッフヒンダーをソリストにしたピアノ協奏曲第2番変ロ長調である。このピアニストの弾く同曲はフランクフルトでホルスト・シュタイン/ バンベルク交響楽団という、いまになると我ながら羨望すら覚える組み合わせで聴いて心の底から感動していたからそれもある。アーノンクールとのCDは伴奏がコンセルトヘボウ管でこれがまたすばらしい。終楽章の最後のアップテンポだけは少しやりすぎで交響曲のアプローチと同じだが、コクを求めなければ痛快であり、おおむね満足できる出来だ。ノン・ヴィヴラート気味に聞こえるが第3楽章のチェロ・ソロはかけている。第1楽章をお聞きいただきたい。

 

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僕が聴いた名演奏家たち(オイゲン・ヨッフム)

2018 DEC 2 21:21:14 pm by 東 賢太郎

1983年にフィラデルフィア、1986年は1月にロンドン、12月にアムステルダムでのことだったが、最晩年のオイゲン・ヨッフム(Eugen Jochum、1902年11月1日 – 1987年3月26日)の欧米でのライブ演奏に接することができた幸運を音楽の神様に感謝するしかない。彼はドイツ王道のレパートリーを二キッシュ、フルトヴェングラー、カイルベルト、ベームらと同様に19世紀の演奏解釈に深い脈絡のある伝統と格調高い様式で演じ、眼前で体感させてくれた。あの経験なくして僕のモーツァルト、ベートーベン、ブルックナーへの理解が現在のようになることはなかったろう。いわば双葉山、大鵬、北の湖の巨峰の列であって、こういう格の人の音楽を聴いてしまっていると、昨今の相撲界と同様で誰が出てきても小物感が否めなくなってしまう。加えて、日本はホール事情の問題がある。「本場の巨匠」やオケが来ても、ウィーン・フィルもドレスデンSKもチェコ・フィルも、あれでは彼らに出稼ぎ感覚になるなと言っても人間だから難しいだろうと思う。ギャラも食事もホテルも客席も。僕はひとりでドイツの歌劇場を普段着でめぐっていたが、モーツァルトやワーグナーやR・シュトラウスがああいう風に日本のホールで鳴るとは到底信じがたい。双葉山、大鵬、北の湖は地方巡業でなく国技館で観ないといけないのである。

ちなみに、事情は後述するが、ヨッフムはフルトヴェングラーの葬儀の際にベルリン・フィルでモーツァルトの「フリーメイソンのための葬送音楽」(K.477)を演奏し(ハイデルベルク聖霊教会)、生誕百年記念演奏会をフィルハーモニア管弦楽団で振っている(ロンドン、ロイヤル・フェスティバル・ホール)。この人の演奏を聴くというのは司祭の典礼に列席する趣で、ヨッフム自身が儀式めいた重みを漂わせたということではなく聴衆と舞台の音楽家たちの醸し出す深い敬意がどの名演奏家の演奏会とも違う雰囲気を作っていた。

初めて聴いたフィラデルフィア公演の印象は鮮烈だった。ただし、上述の文脈からすればこれは出稼ぎの地方巡業だ。しかし、なにせ定期会員だったフィラデルフィア管弦楽団の演目が指揮者ムーティーの好みかドイツ物が少なく、会場の音響もデッドで僕の趣味からほど遠く、ヨッフムが連れてきたバンベルグ響のオール・ベートーベン・プロは選曲も音もまさに天の福音だった。レオノーレ3番が鳴るや否や、ああこれだ、これぞドイツの音だと電気が走り、ピアニストのベロニカ(令嬢)が4番の協奏曲を弾いたがインティメートな好ましさがこれまた脳天を直撃し、これを毎日でも味わいたいとないものねだりの渇望に襲われてしまう。7番はVnのボウイングにいささか驚いたが、砂漠のオアシスの如しで楽の音が五臓六腑に染み渡るとはこのことだった。このオーケストラは後にフランクフルトのヤーレ・フンダート・ハレで何度も味わって至福の時を過ごさせてもらうことになるが、この1983年10月9日を思い出さないことはなかったように思う。外国でいくつの演奏会に足を運んだか数えようもないが、これほど待ち望んで満ち足りたものはひとつもない。ヨッフムは大学時代に買ったギレリスとのブラームスPC、カルミナ・ブラーナのイメージが強くベートーベンは認識がなかったが一気に僕の中ではドイツ物の巨匠の地位になった。

 

ロンドンに赴任していた3年後にヨッフムがロイヤル・フェスティバル・ホールにやって来た。フィルハーモニア管弦楽団がゆかりの深かったフルトヴェングラーの生誕百年演奏会にロリン・マゼールを呼んでいたが、体調不良でヨッフムが急遽代役になったのである。その旨がプログラム右上に記載され、ヨッフムから「急なことで準備の時間がなく、予定されていたブラームスの交響曲第2番をモーツァルトのジュピターに差し変えることをご了解いただきたい」ともある(僕としてはブラームスを残してベートーベン7番を変更してほしかったが)。面白かったのはフィルハーモニア管でも7番第4楽章第1主題の第1Vnを各プルトがスラー有りと無しに分かれて弾いたこと(この効果はLPOとの録音ではよく聞き取れないが)。ヨッフムのジュピターは良かった記憶がある。81年にウィーンフィル定期演奏会の初日で振ったライブ録音(下)があるが、こちらもかように素晴らしい演奏になっている。

この年、ザルツブルグ音楽祭の最中にカール・ベームが逝去し、9月20日のオープニング公演はヨッフムにゆだねられた。最初の「フリーメイソンのための葬送音楽」の最後に1分間の黙とうがありそれも録音されている。彼は期せずしてフルトヴェングラーとベームの生誕百周年と追悼を任された指揮者となったが、ウィーン・シュテファン大聖堂におけるモーツァルトの命日ミサ典礼も指揮しており(1955年12月5日)これは僕の生まれた年だ。

最後にヨッフムを聴いたのは1986年12月4日木曜日、底冷えのする真冬のアムステルダム・コンセルトヘボウでのことある。僕はロンドン赴任時代にオランダの投資家も担当しており、月に一度はオランダに出張していた。ところが丁度この頃にアムステルダム現法に日本人担当者を置くことが決まり(オランダは膨大な年金の運用資産があり野村にとって重要なマーケットだった)、その引継ぎで後任を紹介する出張の折にこれを聴いたのだ。

これはヨッフムの生涯最後のコンサートでもあったようだが、僕にとっても生涯忘れがたいコンサートになった。「ようだ」というのはTAHRAの解説にin his last but one concert on 4 December 1986とあるからで、とするとこのCDの演奏は12月3日のものということになり、CDの記載は「3&4 December」だから2日間の録音を編集したものだが3日がメイン(少なくともこの解説者はそう思って書いている)ということになる。僕が聴いたのは4日で、だからそれはヨッフムの生涯最後のコンサートであったということになるのだろう。

聴くほうも集中しており疲れていたが、足がおぼつかず階段を登れなかったヨッフムが最後の力を振り絞ったアンコールが終楽章とは驚いた。ヨッフムはスコアにない金管を増強(記憶ではHr4,Tr3,Trb3,Tuba1)していたが、そうしないと奏者は肉体的負担が大きく終楽章のコラールが天界に響き渡るほど豪壮に鳴ることはない。彼らには受難だったかもしれないが、オーケストラにとってもヨッフムにとっても、もしかしてこれが最後という思いはあったと思料する。そうでなければこんな音楽は生まれないだろうというほど稀有な演奏で、こういう質のものは「聴く」という言葉では浅く、「参加する」「体験する」とでも書くしかない。ヨッフムはこの3か月後に亡くなった。

この演奏会が録音されていたとは驚きだが、TAHRAからCD(右)になって出たときは嬉しかった。コンセルトヘボウの音響を見事にとらえており、あの日の情景がよみがえる(彼の顔をちょうどこのビデオの写真の角度からみる位置の席であった)。クライバーのブラームス4番とともに、自分史の生きた記録となった。

この演奏のCDはそこかしこで絶賛されているが異論はない。よい装置でかければ「体験」を実感していただけるにちがいない。

 

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僕が聴いた名演奏家たち(フランコ・グッリ)

2018 AUG 15 0:00:21 am by 東 賢太郎

僕が実演を聴いて最も感動したヴァイオリニストの一人がイタリアの名手フランコ・グッリ(Franco Gulli、1926 – 2001)です。残された録音でその美音をどこまで味わえるのかは心もとないですが、ベートーベンの協奏曲にその片鱗があります。演奏についてはここに書いた通りです。美音というと他が抜ける、歌でないパッセージがいい加減、音程がどうもという人が多い中でそれがない。色気も艶も華もあるが身持ちの堅い女性という処ですな、僕はこういうヴァイオリンが好きなのです。

ベートーベン ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61

56才の脂の乗ったグッリの美音を最初に聴いたのは渡米した1982年のフィラデルフィア管弦楽団定期演奏会でのブラームスの協奏曲でした(10月22日)。指揮はユージン・オーマンディで、今になるとなんて凄いものを聴いたのか!

ヴァイオリンとはこういうものかと教わった鮮烈な出会いです。美音の洪水でした。それでもまだ耳は未熟でしたから、ワインでいうならいきなりロマネ・コンティ(ペトリュスというよりもね)の味をしめたようなものだったかもしれません。第3交響曲も予想外に骨格が立派で、オーマンディーのドイツ物が不評だったのはCBSの録音のせいだろうと思ったのを覚えてます。

次もやはり同じオケで、リチャード・デュファロ指揮によるモーツァルトの協奏曲第3番です(1983年3月16日)。この年の2月4日、僕の誕生日、カーペンターズのカレンが拒食症の末に世を去ったというニュースが流れ愕然とした1か月後でした。

こっちのグッリは水を得た魚で、唖然としているうちにあっという間に終わってしまい歌、歌、歌だった以外細かくは覚えていません。この演奏で曲の魅力がわかり、カーチスに留学中で親しかったヴァイオリニストの古沢巌さんに無理いって自宅でこれの第1楽章を弾いてもらったのが思い出です。後半のシェーンベルクですが、このコンサートは遊びに来ていた母も連れてきていて、もう少しポップな曲を聴かせてあげたかったと思った記憶があります。それにしても現代音楽の旗手だったデュファロ(1933 – 2000 )の忘れ難い名演でした。

モーツァルト3番のプログラム

先日にロジェストヴェンスキーが亡くなって、もう大家の時代は終わったと観念したのです。寂しいですね、自分の歴史が風化していくようで。僕は20世紀の最後の5分の1ほどを欧米で過ごし、片っ端からクラシック音楽演奏史に残る大家たちを聴いてプログラムやFM放送のエアチェック音源を保存して印象記までこまめにつけたというヒマ人です。まだまだストックがありますが、退蔵するのでなく少しでも世界のクラシックファンの皆さんと共有できるよう公開してまいります。

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僕が聴いた名演奏家たち(ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー)

2018 AUG 4 16:16:39 pm by 東 賢太郎

6月の読響定期。サントリーホール、入り口に見慣れぬコーナーがあり、近寄るとロジェストヴェンスキーさんの写真が目に入りました。去年のあの凄まじかったブルックナー5番シャルク版のポスターもある。あれ、また来るのかな?まずい、買ってないぞ。いやいや、そんな話はきいてない、指揮棒やスコアが展示してあるし、そうではないぞ、まさか、まさか・・・。嫌な予感がしてネットを検索し、最悪のニュースを知りました。

恐れていた日がいよいよやってきてしまった。僕がクラシックにめざめた中学のころに大家~中堅だった指揮者は本年6月16日のロジェストヴェンスキーさんの逝去をもってすべて故人になったということです。巨星墜つ。同世代のクラシックファンの皆さん、大家の時代の終焉です。

若い皆さん、いま大家である小澤、メータ、ハイティンク、プレヴィン、レヴァイン、インバル、ムーティ、ブロムシュテット、デ・ワールト、デュトワ、シャイー、ラトルらは、当時はまだまだ小僧か青二才の扱いで、一部の人は極東の島国ではレコード市場の表舞台に現れてもいなかったのです。

高2だった1972年に、夢に出るほど没入していた悲愴交響曲がどうしてもききたくて、清水の舞台から飛び降りる心持で高価なチケットを買ったのがロジェストヴェンスキー / モスクワ放送交響楽団の来日公演でした。プログラムは紛失し前半の曲目もまったく覚えてませんが、今はなき渋谷公会堂だったことは確か。そこで「海外オーケストラ来日公演記録抄」というブログを拝見すると、これだったことが判明しました。

 

5月27日(土曜): 渋谷公会堂
チャイコフスキー / ピアノ協奏曲第1番 (Pf・ヴィクトリア・ポストニコワ)
チャイコフスキー / 交響曲第6番

 

これぞ僕が人生初めて聴いたオーケストラの演奏会でした。行った理由はもう一つあって、中学生のころ父に買ってもらったスッペの「軽騎兵序曲」と「詩人と農夫」のEP盤(右)が1万枚あるレコード/CDの記念すべき最初の1枚でその指揮者がたまたまロジェストヴェンスキーだったからです。初物づくしの指揮者でした。

高2の5月27日というと僕は硬式野球部で夏の大会予選に向けて投げまくって故障した頃でした。我慢してましたがやがて激痛で右ヒジをまっすぐに伸ばせなくなりました。鍼灸師、電気治療院に通いましたが治癒せず、背番号1番から14番に降格された絶望のときです。クラシックという違う道の喜びを見つけたのか偶然そうなったのかは覚えてませんが、運命だったと思うしかありません。

後の欧米赴任時代にはロジェストヴェンスキーのライブを聴いた記憶はなく、もっぱら彼はレコード上の大家でした。スヴェトラーノフと違い独奥系レパートリーのイメージが薄く、交響曲がプロコフィエフとシベリウスの全集、シュニトケ2、3、4番、ミヤスコフスキー1,2,5,22番、マーラー5番、ブルックナー5、8番、チャイコフスキー4,6番、幻想、ショスタコーヴィチ5、12番、グラズノフ2、6番、あとラヴェルのダフニスを買っていました。

ライブでは帰国してから読響で何度か。奥さんとのR・コルサコフのP協、チャイコフスキーのイオランタなんて珍しいものも聴かせていただいたし、この人はどんな複雑な楽譜でもすぐ読めて解析できるんだという鮮烈な印象があります。なんといっても火の鳥と春の祭典は、なぜこれを録音しないんだと不思議なほどの深みある演奏でした。そして昨年のブルックナー5番(右)。その前のショスタコ10番を仕事でパスしていたのでこれが聴けて本当に良かった。芸劇で5月19日、母が亡くなる10日前でその前日も病室で泊まりでしたが、この演奏は衝撃でした。きっとこれは母が行かせてくれたんでしょう。

凄かったロジェストヴェンスキーのブルックナー5番

僕のクラシック音楽史は彼の「軽騎兵序曲」によってはじまり、これによって幕を閉じました。思えばウィーンで初めて聴いたニュー・イヤー・コンサートは軽騎兵で始まり、やっぱり最後のコンサートになったオイゲン・ヨッフムの演奏会もブルックナー5番でした。

「エースと4番は育てられない」(野村克也監督)。そう思います。名指揮者もそうでしょう。長らくお世話になり、たくさんの楽しみをいただきました。心よりご冥福をお祈りします。

(PS)

1966年8月21日、ロイヤル・アルバートホール(プロムス)でのライブ。ここに書いた1972年の東京公演はこうだったのかと推測する演奏。人生初めて聴いたオーケストラの演奏会で何もわかるはずないが打ちのめされて帰宅したのだけがうっすらと記憶に・・・

ラヴェル「ダフニスとクロエ」の聴き比べ

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僕が聴いた名演奏家たち(アルミン・ジョルダン)

2018 MAR 2 23:23:24 pm by 東 賢太郎

おにぎりは実に不思議な食べ物で、最近、食欲がなくても食えることに気がついた。茶碗によそうと多いなと思う分量でも握ってもらうとぺろりといけるのだが、ぎゅっと隙間がつまるから実は茶碗の方が米は少ない。どうしてそうなのか、いくら考えてもわからない。

しかも冷や飯でも具なしの塩だけでも良しときている。もっと不思議なのは、こんなうまい食べ物が外では出てこないことだ。コンビニの棚に無機質に並ぶ以外、そんなものを供してはいけないかのごとき冷遇を受けている。日本人にとって米は命なのに。足利義満の好物は湯漬けだったし、奈良時代からある鮒ずしの飯(いい)、僕は酸っぱいあれで冷酒というのが至福なのだが。

ところが最近、音楽も「米」になってしまったものがあると気づいた。バルトークの管弦楽のための協奏曲。高校時代から没入しているこれは一音一句記憶してシンセで弾いて録音もした。おかずではない、ご飯であり聴くと何時でも没入し十代に戻るが、しかし最近、逆にどの演奏でも満足できないという妙なことにもなってきた。何秒かごとに、違うなあ、そうじゃない、なんでだよ、となって、止めてしまう。

さきほどyoutubeでこれを聴いた喜びは、だから大層なものがある。アルミン・ジョルダンがスイス・ロマンド管をジュネーヴのヴィクトリア・ホールで振ったライブだ。

もう、まったくもって素晴らしいとしか言葉がない。4年前に書いた下のブログに思いのたけはつづったが、4年のうちにこっちの好みも変わってきて非常にこだわりのある終楽章のエンディングだけとっても満足なのはひとつもなくなってきた。ライナーも微妙なルバートがあるし、オーマンディーすらやや速いかなと聞こえだした。

ジョルダンのエンディングはまさしく僕の理想だ。何の奇もてらわないインテンポで安物のあおりは微塵もなく、ギリシャ彫刻のような均整と品格で決然と終結する。何度聴いても心が熱くなり、これを待ってましたありがとう!とひとりで何度もブラボーと大拍手を送っている。ストレスフルな毎日だが、お米になっているバルトークがどれだけほっとさせてくれることか、どれだけこの曲を愛してるか、改めてしみじみとかみしめる。

多くの方はこの演奏が何で?と思われるだろう。ショルティ / シカゴ響みたいなスーパーハイテクでもない、カラヤン / ベルリン・フィルのポルシェでぶっ飛ばす爽快感もない、第1楽章の金管なんて危なっかしいし録音もぱっとしない。なんにも豪奢なものがないからだろう、ジョルダンはエラート・レーベルにそこそこの量の録音があるがこの曲はない。なんともったいない。聴けば聴くほど滋味あふれる最高の演奏だ。なじみのない方はこのビデオを何度も聞いて覚えてしまうといい、レファレンスに値する演奏だ。

下のブログに書いたが1996年2月28日に彼とSROのラヴェルをこのビデオのアンティークな味わいのあるホールで聴いた。ジョルダンの指揮は全く芝居っけや外連味がないが、それでいてライブとして最高のラヴェルであり彼の名前は脳裏に焼きついてしまった。フランス物だけはない、彼のシューマン交響曲全集は好きだし、マーラー4番は数少ない愛聴盤だ。なぜ?地味だが素材のうまみをたっぷり引き出しているからだ。上等なお米のおにぎりなのだ。

しかし、これをCDにしても高級料亭の懐石料理であるショルティ、カラヤンより売り上げがあがったとは到底思えないのは悲しいことだ。よく耳を凝らしてお聴きいただきたい。完璧な技術で鳴らすのが良いオケだなどという主張は虚空に消えてしまうのであって、オーディオファンのいわゆる HiFi が良い音とは全然思えないのとよく似ている。それは商業的に宣伝で作られた「良い音」であって、そのキャッチコピーとともに耳に刷り込まれたブランドにすぎない。

僕はお米に昇格したこの曲を料亭カラヤンで食べようとは金輪際思わない。ブーレーズの新盤(DG)、バーンスタイン、チェリビダッケ、マゼール、小澤、ぜんぶお呼びでない、論外。二度と耳にする必要はない。指揮者が無用の芸当を披露してお粗末な味付けなどしなくても、この曲は新米の銀シャリのように滋味があるのであって、こうして普通に握ってもらえばおいしく食べられる。

 

バルトーク「管弦楽のための協奏曲」Sz116

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カルロス・クライバー/ベルリン・フィルのブラームス4番

2017 APR 2 1:01:57 am by 東 賢太郎

レコード芸術誌の「巨匠たちのラスト・レコーディング」という企画によると、僕が聴いた演奏会のライブ録音が人生ラストだったという大指揮者が二人いました。オイゲン・ヨッフム(ブルックナー5番)とジャン・フルネ(ブラームス2番)です。

ほかにも最後のマーラー(ショルティ、5番)や最後のブラームス(カラヤン、1番)なども指揮姿とともに鮮烈に記憶にあって、「巨匠の時代」があったとするならばそれは僕らの世代の眼前で静かに黄昏を迎えていったのかもしれないという感慨を新たにいたしました。

幸いなことにその4つの演奏会はすべて正規の商業録音が残っています。音がいいだけに会場の空気まで生々しく蘇ってきます。もうひとつ、カルロス・クライバー(1930-2004)の、最後ではないがたった2回しか人生で振らなかったベルリンPOとは最後だった演奏会(ブラームス4番)があって、これについてはすでにブログに書きました。

カルロス・クライバー指揮ベルリンフィルの思い出

クライバーは日本通で和食も好きで、お忍びでよく来日していたと某社で彼を担当していた人に聞きました。ベルリンの演奏会は正規盤がなく米国製の海賊盤が残っていますが彼はこれを秋葉原で買って愛聴していたそうです。それをyoutubeにアップしましたのでどうぞお聴きください。

これをいま聴きますと不思議な気持ちで、モノラルであるせいもあるのでしょうか、レコードを擦り切れるほど聴いたフルトヴェングラーやトスカニーニも実演はあんな感じだったのだろうかと逆体験の空想に浸ることになります。

好きなオーケストラ、好きな曲だけ振って、好きなようにスケジュールを組んで貴族のように生きた男。前述のかたに彼の出自もお聞きしましたが、もうこういう人は二度と出てこないだろうと思います。

それは現在の我々がクラシック音楽と思って聴いている音楽が最後に生まれたのが20世紀前半のことであって、その作曲現場の空気を知っていた世代の演奏家が世を去っていったことで終焉を迎えたものだからです。

個人的に、第2次ベル・エポックとでも名づけたい良き時代であり、そういえばこんなに長く70年も大きな戦争がなかったのも良きことでした。ご本家ベル・エポックは第1次大戦で終焉しましたが、今度はその禍なきことを祈ります。

 

クラシック徒然草―フルトヴェングラーのブラームス4番―

 

カラヤン最後のブラームス1番を聴く

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

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