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カテゴリー: ______僕が聴いた名演奏家たち

カルロス・クライバー/ベルリン・フィルのブラームス4番

2017 APR 2 1:01:57 am by 東 賢太郎

レコード芸術誌の「巨匠たちのラスト・レコーディング」という企画によると、僕が聴いた演奏会のライブ録音が人生ラストだったという大指揮者が二人いました。オイゲン・ヨッフム(ブルックナー5番)とジャン・フルネ(ブラームス2番)です。

ほかにも最後のマーラー(ショルティ、5番)や最後のブラームス(カラヤン、1番)なども指揮姿とともに鮮烈に記憶にあって、「巨匠の時代」があったとするならばそれは僕らの世代の眼前で静かに黄昏を迎えていったのかもしれないという感慨を新たにいたしました。

幸いなことにその4つの演奏会はすべて正規の商業録音が残っています。音がいいだけに会場の空気まで生々しく蘇ってきます。もうひとつ、カルロス・クライバー(1930-2004)の、最後ではないがたった2回しか人生で振らなかったベルリンPOとは最後だった演奏会(ブラームス4番)があって、これについてはすでにブログに書きました。

カルロス・クライバー指揮ベルリンフィルの思い出

クライバーは日本通で和食も好きで、お忍びでよく来日していたと某社で彼を担当していた人に聞きました。ベルリンの演奏会は正規盤がなく米国製の海賊盤が残っていますが彼はこれを秋葉原で買って愛聴していたそうです。それをyoutubeにアップしましたのでどうぞお聴きください。

これをいま聴きますと不思議な気持ちで、モノラルであるせいもあるのでしょうか、レコードを擦り切れるほど聴いたフルトヴェングラーやトスカニーニも実演はあんな感じだったのだろうかと逆体験の空想に浸ることになります。

好きなオーケストラ、好きな曲だけ振って、好きなようにスケジュールを組んで貴族のように生きた男。前述のかたに彼の出自もお聞きしましたが、もうこういう人は二度と出てこないだろうと思います。

それは現在の我々がクラシック音楽と思って聴いている音楽が最後に生まれたのが20世紀前半のことであって、その作曲現場の空気を知っていた世代の演奏家が世を去っていったことで終焉を迎えたものだからです。

個人的に、第2次ベル・エポックとでも名づけたい良き時代であり、そういえばこんなに長く70年も大きな戦争がなかったのも良きことでした。ご本家ベル・エポックは第1次大戦で終焉しましたが、今度はその禍なきことを祈ります。

 

クラシック徒然草―フルトヴェングラーのブラームス4番―

 

カラヤン最後のブラームス1番を聴く

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

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テンシュテットのブラームス交響曲第4番

2017 MAR 11 1:01:11 am by 東 賢太郎

youtubeにアカウントを作りました。

まず第一回として、クラウス・テンシュテットが正規録音を残していないブラームスの4番からいきましょう。フィラデルフィア時代に当地のFMを録音したカセットで、放送自体の音質がこういうものでしたし音はあまりよろしくありませんが、貴重な音源と思いますのでファンの皆様と共有できれば幸いです。

最近LPとともにカセットというフォーマットも見直されていると聞きました。デジタルというのは単なる信号だから消えたらおしまいでありCDなどのディスクはモノとしての保存性に問題があります。34年前のカセットですが意外に録ったままの音が残ってるなという印象です。

これはこのブログに書いた演奏です。

僕が聴いた名演奏家たち(クラウス・テンシュテット)

「この本番は聴けず地元FMがステレオ放送してくれたのでそれをカセットに録音したが」と書いてありますが僕が聴いたのはリハーサルで、このビデオの録音はその本番でした。アカデミー・オブ・ミュージックできくフィラデルフィア管弦楽団はこういう音がしていたのです。

いま聴いてもたっぷりしたテンポで悠揚迫らざる大人の演奏でした。この人は巷で言われる爆演型の指揮者などではありません。

 

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スクロヴァチェフスキーとの会話

2017 MAR 2 0:00:26 am by 東 賢太郎

「83年にフィラデルフィア管弦楽団で聴いたブルックナーの8番が奇跡的名演で、終演後に楽屋の廊下でスクロヴァチェフスキーを飛び込みでつかまえて話した」と先日ここに書きました。

スクロヴァチェフスキーの訃報

我が国ではおじいちゃんのイメージですが、当時は60才でこの写真に近かったです

34年も前のことですが、痩身で背の高い彼の表情も片言っぽい英語の口調なども、大筋は妙にリアルに覚えています。廊下で正面からばったり会っていきなり話しかけたのだから驚いてもよさそうなものなのに、全く自然に真剣に答えていただいたから印象が強かったのでしょう。

隣で聞いていた家内にもたしかめましたが、そこで交わした会話のおおよそはこういうものでした;

「有難うございました。素晴らしい演奏でした」

「そうですか、それはよかったです」

「ブルックナーを演奏してこのオケはいかがでしたか」

「とてもいい。弦が厚みがあって向いていますね。今日の演奏はそれがとてもプラスに出ていました」(彼も演奏に満足していたことがわかった)

「金管はブルックナーにはやや音色が明るすぎませんか、トランペットなど」

「そんなことはありません。ブルックナーの金管はとてもパワーが必要なのです。PHOはそれを完璧に備えています」(この答えはやや意外感があった)

「日本は来られないのですか」

「行ったことはありますよ。好きなので行きたいのですが、なかなか呼んでいただけなくてね(笑)、お誘いがないと行くのは難しいのです」

「残念です。あなたのブルックナーは日本で人気が出ると思いますよ」(お世辞ではなく本気でそう思って申し上げた。Sさんの目がぱっと輝く。関心を持った表情になる)

「そうですか、そう思われますか、あなたは音楽評論家ですね」(そう思って話していたらしい。だから真剣だったのか・・・?)

「いいえ、ウォートンの学生です」

「どうしてそう思われますか」

「私は日本人がブルックナーに共感が深いことは知っています。あなたの今日の8番なら日本できっと高く評価されると確信します」(なんとなくの直感ではあったがこれもお世辞でなく)

「そうですか有難う、覚えておきます、それならぜひ行きたいですね」(ぎゅっと握手してくれる。すごく大きな手であった)

 

このどうということのない会話を公にする時が来るなんて28才のあの当時夢にも思わなかった。思えばこの時のスクロヴァチェフスキーはいまの僕の年齢あたりだったのです。のちに読響やN響の指揮台で見た姿から見ればずいぶん若い。そう思えば自分もまだまだやらなくちゃと思います。

別れ際にサインをくださったのですが、長い苗字を絵文字に丸めずそのまま長い(巷はミスターS なのに)。この几帳面さとリアリズム、どこか彼のスコアの解釈を髣髴とさせますね。

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

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僕が聴いた名演奏家たち(ニコライ・ゲッダ)

2017 FEB 11 0:00:13 am by 東 賢太郎

ついこの前にジョルジュ・プレートルが亡くなって、歴史的名盤であるカラスとのカルメンのことを書いたばかりでした。そうしたらドン・ホセのニコライ・ゲッダも亡くなってしまったそうです。伸びのある高音の美しい正統派ベルカント唱法のテノールとして理想のホセ、ロドルフォ、タミーノ、フェルランドでありました。

このカルメン、聞きようによってカラスは年増の姐御(あねご)風情であってやや特別でもある。ゲッダの純情な好青年ぶりでそういうユニークなカップルという引き立ちかたがあるようでもあります。この素晴らしいミカエラ(アンドレア・ギオー)との二重唱「母の便りは」! 何度これを聴いたことだろう。

5099996677957もうひとつ忘れられないレコードが、若鮎のようにみずみずしいトーマス・シッパース/ローマ歌劇場管弦楽団とのラ・ボエームです。ゲッダの声の若々しいこと。しかも20世紀を代表するミミであるミレラ・フレー二がこれまた若いときている。この青春オペラにこれ以上なにを望みますか?僕の長年の愛聴盤の一つであり永遠に価値のある名盤であります。

次に、ここに書きましたが(クラシック徒然草-クレンペラーとモーツァルトのオペラ-)これまた歴史的名盤であるクレンペラーの「魔笛」のタミーノがゲッダなのであります。この役でもスイトナー盤のペーター・シュライヤーと双璧の美声を聞かせますが、ホセと同じく純情気味なのがなんともいいですね。夜の女王にころっとだまされる感じが出ています。

61yQk9l7zoL._SX355_20世紀を代表する叙情派テノールであったゲッダが総督を歌ったのがレナード・バーンスタインがロンドン交響楽団を指揮したヴォルテールの原作による自作の「キャンディード」であります。1989年12月12日、ロンドンのシティに近いバービカン・センターでのライブ録音です。ゲッダとクリスタ・ルートヴィッヒとは凄いキャスティングでありました。

公表されてませんがこのコンサートは野村ロンドンが主催で、ビデオに写っている聴衆はお客様そして我々だったのです。34才の僕もきっと右の方に映ってるでしょう。この17日後、12月29日 に日経平均株価は史上最高値 38,957.44円を記録し、時価総額で日本株が米国株をぬくという驚愕の、2度とないだろう歴史的事件がおきます。

この翌年、野村ロンドンはモニュメントからセント・マーティンズ・ル・グラン(旧郵便局)という歴史的建造物に本社を移転しますが、その祝賀スピーチを首相のマーガレット・サッチャーさんに依頼したのです。すると首相からは前日に丁重な詫び状があり、明日は代理として腹心のジョン・メージャー財務大臣を送るとありました。そして翌日、祝賀会の時間にはすでにメージャー氏の首相就任が発表されていたのです。そのころ東京に帰任していた僕は社内テレビに出て女子アナとそれを実況中継で全店に解説したという懐かしい思い出もあります。

candide史上最高値は何兆円という巨額の「外人買い」によって達成されたのはご記憶の方もおられると思います。その「外人」のほとんどはビデオの客席にご夫妻で座っておられる紳士たちであり、彼らを担当し日々運用のアドバイスをしていたのが僕が所属したロンドン株式営業部でした。SMCメンバーの安岡氏、吉田氏もその主力メンバーとして大活躍された戦友です。

バブルといわれようが何だろうが「株式時価総額」という数値は問答無用、有無を言わさぬ経済の実力指標であって、日本経済が米国を凌駕した衝撃の証拠を米国人に突きつけてホワイトハウス、ウォールストリートを震撼させたのは真実です。だから米国は90年代にゴールドマン・サックス会長のロバート・ルービンを1993年にクリントンがホワイトハウス入りさせ、1995年には第70代財務長官に就任させて徹底的な「日本の金融界潰し作戦」を仕掛けてきたのです。僕はその戦争の当事者として内情をみな知っている。

当然政府を通じて大蔵省(当時)にも圧力はあったと思われ、我が国は実に情けない損失補てん事件の発覚という経緯を経て野村を筆頭とする証券界を証券局もろとも葬ってしまうのです。ルービンはエール大学法学部の秀才ではあるがアービトレージ(鞘抜き)王としてウォール街で四半世紀生きたいわば株屋であって、同じ株屋のドンがかたや財務長官、かたや失脚。政治家、役人のインテリジェンスの差である。あれは「バブル崩壊」などというお気楽なものでなく日本の致命的な敗戦であったのですが、その引き金となったのがこのコンサートにいた投資家の方々の日本経済への厚い信認であった。ビデオを見て感無量としか申し上げられません。

終演後に野村ホストのパーティーがあり、最後の方にひと仕事終えて悠然と現れたバーンスタインと話をしたのはこの時でした。彼ばかりでゲッダ、ルートヴィッヒと話す時間がなくなったのはなんとも痛恨でした。

 

 

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ビゼー 歌劇「カルメン」(Bizet: Carmen)

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僕が聴いた名演奏家たち(サー・チャールズ・グローブズ)

2017 JAN 14 22:22:35 pm by 東 賢太郎

音楽は浮世離れしたものではありません。演奏家は生身の人間であり、その人となりが演奏に現れるものですが、ごくまれに教わることもあります。この演奏会はまさにそれでした。

grovesバービカン・センターで聴いたラフマニノフの第2協奏曲、指揮はサー・チャールズ・グローブズ(ロイヤル・フィルハーモニー管)、ピアノはピーター・ファウクでした。1986年1月13日、ちょうど今ごろ、シティに近いホールなのでふらっと行った特にどうということない日常のコンサートでした。

第2楽章、ピアノのモノローグに続いてフルートが入りそれにクラリネットがかぶさりますが、どういうわけかクラが1小節早く入ってしまい会場が凍りついたのです。指揮台のグローブズの棒が一瞬止まりましたが、ここがすごかった。慌てず騒がず、木管のほうに身を乗り出して大きな身振りでテンポをとり、クラが持ち直して止まることなく済みました。

13338_2あのとっさの危機管理はなるほどプロだなあ、大人の対応だなあと感心しきりでした。サー・チャールズ・グローブズ(1915-92、左)、温厚なご人格もさすがにサーであります、終わってオケにやれやれとにっこりして、きっと楽屋でクラリネット奏者にジョークのひとつでも飛ばしたんだろうなという雰囲気でした。これがトスカニーニやセルやチェリビダッケだったらオケは大変だったろう。英国流マネージメントですね、指揮者は管理職なんだとひょんなことで人生の勉強をさせていただいたのです。

 

グローブズはボーンマス響、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団のシェフを長く務め、イギリス人でマーラーの全交響曲チクルスを初めて振った人です。

このアルゲリッチとのビデオに人柄が出てます。

チャイコフスキー2週間で覚えたわ、それであれ2回目の演奏だったのよ、コンサートの2日前になって練習1回でやったのよ~、よく覚えてないんだけどお、練習時間にぎりぎりで前の夫のデュトワの車でね~、でもワタシ何としてでも止めようとしてたの、遅れちゃえばいいって思ってたのよ、だっておなかすいてたんですもの。でも彼はどうしてもやりたかったのね、そうしたらポリスがいてね彼ぶっ飛ばしちゃってね~、つかまっちゃったのよ、考えられないわ、ハハハハとラテン色丸出しのアルゲリッチ。かたや英国紳士を絵にかいたようなグローブズ。こりゃ合わないでしょう。

そこでサーはさりげなく子供のことに話題をふっておいて、いよいよ、

「さて、ところで、僕が指摘したちょっとしたことで君をチャイコフスキーに戻さなきゃいけないよ。君のオクターブのことだがね、わかってるかな」

「あ~はい、わかってます、テンポですよね~ハハハ」

「そうだ、あそこのフェルマータね、僕は速くできない、だから君も速すぎちゃいけないよ」

<リハーサル。アルゲリッチめちゃくちゃ速すぎで止まる>

「でも、いざワタシの番だってなると緊張しちゃうんです~、それで~、でもワタシ、スピードこわくないじゃないですか」

880242798589「そうだね、それが君の問題だねえ」

<本番。やさしそうに語ってたグローブズはちっとも妥協せず、問題個所のテンポは全く変わっていない。が、アルゲリッチもあんまり直ってない>。これはDVDになってます(右)。

 

こっちは小澤征爾さんとラヴェルです。

楽屋で靴が壊れてるとさわぐこのきれいだけどぶっ飛んだお姉さんに合わせられる。英国紳士には無理でしょう。我が小澤さん、さすがです。「(練習より)20%速かったよ」だからますます尊敬に値しますね。世界に羽ばたく人はこのぐらい危機管理能力がないといけないんでしょうね。

グローブズ卿は英国音楽の重鎮でありこのCDが集大成となっています。

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僕が聴いた名演奏家たち (ヘルマン・プライ)

2017 JAN 14 11:11:11 am by 東 賢太郎

201307210527ラインガウのエバーバッハ修道院(Kloster Eberbach 、左)はフランクフルト時代に最も思い出深い場所の一つです。ヴィースバーデンとリューデスハイムの間の丘陵にありますが、中世の修道僧が財政補助としてワイン作りをはじめたため葡萄畑に囲まれています。

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ここで産するリースリングワイン・Steinberger(シュタインベルガー)の上級品トロッケン・アウスレーゼは絶品で、ドイツワインといえば僕の場合はこれです。日本からのお客様はここへお連れして酒蔵(下)での試飲つきのランチでおもてなしというのがほとんどでしたから何度訪れたかわかりません。大企業のトップばかりですがご不満げな方はおられなかったですね。

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rheingauこの一帯がラインガウですが、夏季に小ぶりながら中身は充実した音楽祭が毎年この近隣で行われます。Rheingau Musik Festival(右)です。日曜日は店が完全休業ですることがないのですが、ここで午前11時からコンサートがあってそれから院内のレストランへ行ってワインでランチというのは大変けっこうでした。皆さんドイツは食事がまずいイメージと思いますしなかなか住まないと行けないのですが、こういう場所の食のクオリティは高いのです。6月の白アスパラの時期はとくに天国です。音楽好きは機会あればその時期に行かれることを強くお勧めします。

prey音楽祭ではゲルハルト・オピッツのベートーベンソナタ全曲が楽しめましたが、今となると貴重なこのようなものもありました。マインツのクアフュルストリッヒ城で1994年7月18日、ヘルマン・プライ(1929-98)によるブラームスのリートの夕べです。プライというと若いころのベームの「フィガロの結婚」のジャケット写真(左)を思い出しますが、65才でも面影は残っておりました。ピアノのレオナルド・ホカンソン(1931-2003)はブラームスの室内楽も聴かせてもらって感銘を受けた人でしたが共に故人になってしまいました。ああドイツだなあ、幸せだなあ、と思いながら楽しんだのを昨日のように思い出しますがリートのリサイタルを聴いたのはこれが初めてで曲はまだほとんど知りませんでしたね。

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プライのバリトンというと知っていたのは上記のフィガロ、ショルティ盤のパパゲーノでひたすら明朗、暖かい人柄という印象でしたが、この日のイメージはそれだけではなかったと記憶しております。「4つの厳粛な歌」(作品121)は第3曲ホ短調に交響曲第4番の主題が現れ「ああ死よ、おまえを思い出すのはなんとつらいことか」と名付けられていることから4番の意味合いが窺われる曲ですが、むしろこの曲に焦点があったでしょうか。それがプログラム最後のドイツ民謡集で本来のプライの明るいイメージに戻って何かほっとしたような、遠い昔でそのぐらいしか覚えてませんがそんな気持ちで帰宅いたしました。

リートはオペラよりも言葉の音楽に対する詩的意味合いが重いですからね、どうしてもドイツ語がわからないとという部分があって不勉強を呪うばかりです。せっかくいたんだからもっとまじめにやれば楽しみが増えてた。後の祭りとはこのことです。

(こちらもどうぞ)

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97 「ライン」 (序論)

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僕が聴いた名演奏家たち (ヒルデガルト・ベーレンス)

2017 JAN 7 16:16:17 pm by 東 賢太郎

2009年8月に草津音楽祭でベーレンスが来日して倒れ、そのまま日本で亡くなってしまったショックは忘れません。バーンスタインのイゾルデでぞっこんになってしまい、一度だけ目にした彼女の歌姫姿が目に焼きついて離れず、それから時をみては数々のオペラCDで偲んでいただけに・・・。

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女神であるベーレンスを聴く幸運はドイツ時代のフランクフルトで訪れました。1995年5月13日土曜日、アルテ・オーパーのプロアルテ・コンツェルトで、フランス人のミシェル・プラッソンの指揮、ドレスデン・フィルハーモニーで「ヴェーゼンドンク歌曲集」、「トリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死」です。これにどれだけ興奮してのぞんだかは前稿からご想像いただけましょうか。

 

 

この5月に会社から辞令が出て僕は野村スイスの社長就任が決まっていました。チューリヒに赴任する寸前だったのです。欧州でロンドンに次ぐ大店ですから当時の社内的な客観的風景でいうとまあご栄転です。サラリーマンの出世は運が半分ですが、この時「なんて俺はついてるんだ」と思ったのはそっちではなくて引越しまでにこの演奏会がぎりぎり間に合ったほうでした。

behrens1ベーレンスのイゾルデ!!男の本懐ですね(なんのこっちゃ)、ドイツ赴任を感謝するベスト5にはいります。声は軽い発声なのによくとおってました。バーンスタイン盤のあの高音の輝きとデリカシーが思ったより暖かみある声とbehrens2いう印象も残っていて、前稿で姿勢と書きましたが、彼女の表情や人となりの良さが音楽的なんだとしか表現が見当たりません。

イゾルデだけでないのはもちろんでサロメ(カラヤン盤)、エレクトラ(小澤盤)が有名ですが、あまり知られていないサヴァリッシュ/バイエルン放送Oとのリング(ブリュンヒルデ、下のビデオ)は絶品です。そしてアバド/VPOのヴォツェックも大変に素晴らしい。この人が歌うとマリーのあばずれ感やおどろおどろしさが薄いのが好みを分かつでしょうが、オケを評価しているブーレーズ盤のイザベル・シュトラウスより好みで愛聴盤です。

 

もうひとつ、これも忘れられている感がありますがドホナーニ/VPOとの「さまよえるオランダ人」も素晴らしい。54才の録音ですが声の輝きも強さも健在で、ボーイソプラノ的でもある彼女の高音が生きてます。ビルギット・二ルソンのワーグナーが好きな方には評価されないでしょうが、ゼンタはやはりこの声でしょう、引き締まって筋肉質のドホナーニとVPOの美音もDECCの腕でよく録れておりおすすめです。

 

ブリュンヒルデの自己犠牲

 

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僕が聴いた名演奏家たち(ピエール・ブーレーズ追悼)

2017 JAN 5 0:00:22 am by 東 賢太郎

Pierre Boulez (1968)かつて経験したオーケストラ演奏会で最も完成度が高かったのは、群を抜いてこれであります。今後もこれに類するものに接することはよもや望めないだろうという確信はその日からあり、23年たった今もかわることはありません。

1994年初めのことです。このコンサートを知るや、空路フランクフルトからベルリンに直行するという決断は一瞬の迷いもなく電光石火のごとく訪れました。この奇跡のような経験の記録を、かつてダフニスの稿でもふれましたが、昨年の1月5日に逝去したピエール・ブーレーズの思い出として、そして心からの追悼として、あらためて本タイトルのもとに書いておきたいと思います。

ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

ブーレーズは晩年にウィーンフィルとブルックナーを演奏しました。そうして欧州のキリスト教文化の深い精神世界に分け入っていることを聴衆に伝えましたが、その彼がル・マルトー・サン・メートルの作曲家でもあること、この連立方程式に解があるというのが感性ではいかようにも量り難く、それでもそれは事実としてあるのだから、西洋音楽には僕の理解できていないディメンションが在ることを認めねばならないという思いに長く駈られてまいりました。

僕はキリスト教徒ではないですが、神の存在は信じます。合理的精神から、そうでなくては宇宙の森羅万象が説明できないように思うからです。聖書の言葉を介さずともそれをshould、sollenと解し思考を突き動かす磁力が心に働くのでキリスト教世界観は漠然と感知できているつもりなのですが、畢竟そんな安易なものではなく、これを知るには理性の力ばかりでは足らず経験をともなった悟り(enlightment)が必要なのだと解釈をしております。

250px-helianthus_whorlブーレーズの音楽に合理的精神を読み取るのは容易でしょう。それが音楽の干物にならないことに先の「解」が存在するのであって、あたかもFn + 2 = Fn + Fn + 1 (n ≧ 0)というフィボナッチ数列が螺旋状に並んでいるヒマワリの種(右)の螺旋の数の中に潜んでいるがごとき自然の調和が干物への堕落から救っているというように思えるのです。

彼は自作に潜む「調和の数列」を開示せず、それを詮索されることも嫌いました。それが神の意志として聞く人間に美の作用をもたらすことを信じ、その作曲プロセスにおいて徹底的に合理的であったわけです。その意味で神、それは僕が存在を信じる神であるわけですが、その使徒として存在した彼の意識がブルックナーに共振しても不可思議ではない、むしろブルックナーというのはそういう音楽なのであろうと僕は理解しております。

そのブーレーズのラヴェルがあれほど劇的に美しい、あの日あの時、ベルリンのフィルハーモニーに満ちた空気の中で奇跡のような完璧さとエロスが神々しい光を放って僕の眼前に広々と存在したというのは、「ダフニスとクロエ」のスコアにはラヴェルが渾身の力で封じ込めた神性のようなものが宿っておって、それを空間に解き放つ秘法を彼が知得していたということに他ならないのではないかと思えるのです。51euu90shnl-_sx318_bo1204203200_

そんなことを考えるのは、ハーバード・メディカル・スクールの脳神経外科医エベン・アレグザンダー医師の興味深い著書(右)に、彼自身の臨死体験として『言葉や地上的概念を超越して、「あなたは完全に愛されている」という“事実”が伝わってくる』とあったのにどきっとして、というのはおもわずあの時のダフニスに陶然として意識が宙を彷徨っていた経験をなぜか反射的に思い浮かべたからなのです。完全に愛されている不安のない自分?これが僕の知らなかった、経験をともなった悟り(enlightment)なんじゃないかと。

弘法大師が洞窟で祈祷していると海の向こうから火の玉が飛んできて口に入った、と大師様は自らの神性の由来を述べたと伝わっている、そんな馬鹿げた空想をと笑う前に、空海にしてもモーゼにしてもイエスにしてもブッダにしてもアラーにしても、超人的感性と理性を具有した彼らは「何か」を見てしまい、悟ってしまい、それを凡俗の民に教え伝えるために予言や聖書や経典を方便としたのではないか。アダムとイヴや林檎や蛇は無知凡俗の経験的理解の及ぶ比喩であり、喩え話こそが彼らの悟りを自分と同じ姿かたちをした登場人物によるわかりやすいストーリーとして人間世界に具象化する最善のツールだったのではないか。

それは、とりもなおさず、宗教の開祖として彼らが超人であったというあまねく敷衍されている主張としてではなく、宗教と定義されている布教行為の本質こそ実はそういうものであって、この世にはのちに教祖と呼ばれることになった彼らを人生を通して駆り立てつづけたもの、つまり、その「何か」が存在するのだという主張において意味を成す考えだと僕は理解しております。

boulez

 

ブーレーズが悟ったもの。それがダフニスのスコアという具象を通じて心に入ってくるという感覚。それはひそやかに打ち震える弦の囁きだったり、エマニュエル・パユの金粉をまき散らすようなフルートの飛翔だったりするのですが、僕の知っているあのクールに理知的なラヴェルというよりも、それはすべての人類を愛で包みこむオブラートのような、光のエーテルのような未知のものであったのです。

 

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前半のストラヴィンスキー「管楽器のための交響曲」がドビッシーの追悼であり、交響詩「ナイチンゲールの歌」は作曲時期が三大バレエ作曲の前後にまたがるという意味でR・コルサコフからドビッシーへとモデルが変転する中で作風も変わるという、彼の脳内で時々刻々新しい大爆発が起きていた、しかもそれを猛烈な勢いでアウトプットできる才に恵まれたことを刻印した曲です。これもそういう風に朧に響き渡りました。

 

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僕がブーレーズに負う種々のものは実に大きく多彩であって、空海の火の玉みたいに口から突き抜けて脳髄を直撃してくれたのであって、それによって僕は高校時代にクラシック音楽にひかれ、経験的悟りの端緒を得ることができたと信じて今に至っております。精神の波長を共有できた気がしており、駿台予備校の数学教師であられた根岸世雄先生と世の中で只の二人だけ、精神的負債を感じる偉人であります。

 

 

(こちらへどうぞ)

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

______僕が聴いた名演奏家たち (27)

 

 

 

 

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僕が聴いた名演奏家たち(ユーディ・メニューイン)

2017 JAN 4 12:12:25 pm by 東 賢太郎

menuhin2前々稿にユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin, 1916- 1999)の名を書きませんでした。なぜかというと、彼のリサイタルを聴いたのですが、このブログに書いたとおり(クラシック徒然草-ダボス会議とメニューイン-)、「84年の2,3月はMBAが取れるかどうかの期末試験で心ここに在らず」という事態。音楽についてほとんど覚えておらず、探しましたが日記も残っていないからです。

menuhin1悲しい自己弁護になりますが、MBAというのは詐称するには最もおすすめできない学歴で、Mというのはマスター(修士)のMなんで、気絶するほど難しい期末試験に卒論も必要なんで、2年修了のこの頃は言葉のハンディのない米国人でも死に物狂いで、僕ごときなど「心ここに在らず」どころか失神寸前だったのです。

メニューインが「オール・スター・フォーラム」でフィラデルフィアに来たのが運悪く1984年2月8日水曜日、ちょうどその時期でした。平日の夜8時からというのも学生にはまずかったですね。

menuhinプログラムです。ヘンデルのソナタ、ブラームスのソナタ3番、バッハのパルティータ3番、休憩、ドビッシーのソナタ、ブロッホのバール・シェムから第2曲(即興)、ドビッシー亜麻色の髪の乙女、ブラームスのハンガリー舞曲第5,10番でした(ピア二ストはPaul Coker)。ちなみによくご覧になるとわかりますがドビッシーはSonata No.3となっていて、まあケアレスミスなんですがね、欧州ではこんなの考えられないんで。聞いてる方も大概にソナタは1曲しかないなんて知らないだろうということを前提としてのアバウトな精神に起因するチョンボなのか、ひょっとして書いた方も思いっきり知らないのか、いずれにしろ校正ぐらいしろよですね演奏家に失礼だし。こういうところで僕は米国の文化的教養レベルを思いっきりなめてましたね、当時。

しかしこっちだってヴァイオリン・リサイタルはこれが初めてで、ここにある曲は、今思うとこんなのアンコールピースだろ、そんなの書くなよという亜麻色とハンガリー舞曲以外は当時どれひとつとして耳では知らなかったでしょう。バッハだけいい曲だなと思ってほっとしたのですが、それも何か書けるほどの記憶はありません。つまり、メニューインという名前で買っただけで偉そうなこと言えない場違いな観客だったわけですね。

ということで本稿は「僕が聴いた」じゃなくて、「行った」ですね正確には、せっかくお読みいただいてるのにすいませんが行ったことだけ覚えてる。しかしもし家で勉強なんかしていたら33年前のあの日に何をしたかなんて確実に消えてますからメニューインのおかげで一日だけ思い出が増えて良かった、そういうことでした。

Bruno Walter und Yehudin Menuhinその時の彼の姿と顔だけは記憶にあって、それがダボスで蘇ったのです。教室で彼は演壇の横の椅子に座ったままスピーチして、僕は真ん前の最前列で3mぐらいのところで聞いてましたが、まったくポエムのような不思議な気分でした。それは20世紀を代表するヴァイオリニストとしてのメニューインじゃなく、左の写真ようにブルーノ・ワルターだったりフルトヴェングラーだったりと時代を共有した人としてで、なにか歴史上の人物に会ったような感じ、なにせあのバルトークに無伴奏ヴァイオリン・ソナタを書かせた人物なんだということでした。

 

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

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僕が聴いた名演奏家たち(ルドルフ・ゼルキン)

2017 JAN 3 2:02:25 am by 東 賢太郎

rudolf_serkin_1962c敬愛するルドルフ・ゼルキン(Rudolf Serkin, 1903 – 1991)を聴けたのはたった一度だけ、1983年12月4日にフィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックで大家を呼んでやるリサイタルシリーズ「オール・スター・フォーラム」に彼が登場したときでした。

寒い日でした。この東海岸の街は冷え込むと零下20度なんてこともあり、自宅のアパートから教室まで歩いてたった5分の道のりなのに顔も手も凍えて固まってしまい、しゃべれないわ鉛筆は持てないわで往生したこともあります。

serkin1ゼルキンが20世紀を代表するドイツ音楽の大家であることは周知でしょう。ボヘミア生まれのユダヤ系ロシア人で、12歳でウィーン・フィルと共演した天才少年であり作曲ではアーノルド・シェーンベルクの弟子でした。

個人的にはとりわけ楽友だったジョージ・セルとのブラームスのあの素晴らしい2つの協奏曲のレコードの演奏家としてすでに「神」の存在でした。LPを浪人中の74年に買って何度くり返し聴いたことか!特に大好きな2番は彼のピアノで曲を覚えたのであって、これに励まされて勉強したものでした。

「彼のレコードで曲(チャイコの5番)を覚えたんです」と楽屋の警護を突破してオーマンディーと会った話を書きましたが、この日曜日もその勢いでした。寒空の下をどれほど興奮して妻とホールに向かったかご想像いただけるでしょうか。

serkin

 

これが当日のプログラムです。ハイドンのソナタ50番、ベートーベンの月光ソナタ、休憩、シューベルトの楽興の時、ベートーベンの熱情です。舞台に現れた80才のゼルキンはブラームスの剛毅な打鍵から想像していたよりも細身のおじいちゃんでした。背中はまっすぐで杖もついておらず、やはり80と少しだったカラヤンやヨッフムやヴァントやペルルミュテールは歩くのも危ない感じでしたから体躯はしっかりしていました。

 

そしていよいよ始まった演奏。スタインウエイのクリアで透明でクリスタルのようなタッチが美しいハイドンに耳がくぎ付けになります。ルバートを交えながらの自家薬籠中の月光はレコードでおなじみの旋律を際立たせる強いタッチも健在で堪能させてくれました。ただ終楽章の指の回りはやや乱れがあったのです。シューベルトはあまり覚えてません。

そしていよいよ熱情ソナタです。これが全身全霊のパッションに満ちた力演となります。第1楽章後半で少々ミスタッチもあり指が疲れてきたようにもみえました。第2楽章を経て終楽章に至るまでにその感じはますます強くなりますがテンポを落とすことなく突入。しかし展開部で指は回らず僕はいよいよ危ないなと思い、最後まで行けるかとはらはらしだしたのです。

ご案内の通りコーダでテンポは一段とギアアップしますが、驚いたことにここをお約束通りの快速で突入!指はもうついてこず、ミスタッチなどものともせず鍵盤をなでるように高速ですっ飛ばして無事に最後の和音に終結しました。ベートーベンとの壮絶な格闘です。手は衰えようと、彼は心の耳に従ったのです。満場が熱狂し大拍手で讃えたのは言うまでもありません。この演奏は僕の数ある鑑賞歴の中でも一つの事件となりました。

アンコールはもちろん無し。我々聴衆ができることといえば、お疲れ様、早くお休みくださいと感動と感謝に満ちた暖かい拍手を老ゼルキンに懸命に送り続けることしかなかったのです。あんな雰囲気というのは今に至るまで経験がありません。ゼルキンもそれを察したのでしょう、満足した笑顔で深い礼をして静かに舞台を去りました。それが彼を見た最後になりました。

ベートーベンへの敬意なくしてあのような演奏は考えられませんし、それあって彼は20世紀を代表するベートーベン弾きとして敬意をもたれたのだということを知りました。これ以来、僕は表面だけ綺麗に整える演奏に共感することは一切なくなりました。頭を殴られたような衝撃で、音楽を演奏する行為というものの凄みを教わってアカデミーをあとにしました。聴き手として大人にしていただきましたね、楽屋に行くことは控えましたがゼルキンのベートーベンとブラームスは今も「神」であり続けている、これで十分。感謝あるのみです。

(補遺、13 June17)

米国でFM放送からエアチェックしたもので、本稿のベートーベンの3か月前のニューヨークでのライブ演奏です。テクニックという意味では本文に書いたことを裏づけるようで、それをふまえたクーベリックの遅めのテンポ設定だったかも知れません。

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