世界のうまいもの(18)熱海編
2025 JUN 22 2:02:19 am by 東 賢太郎
先月、神保町の歩道で蹴っつまづいて派手にころび、とっさに地面についた右手親指の先が折れ曲がるケガをしてしまった。地下鉄の入り口に近いなんでもない平らな歩道で、不可思議ですらある。多摩川の土手から落っこちてスネとヒジをざっくりやったのは去年。あれに比べればたいしたことないと高をくくっていたが一月半たってもまだ痛み、以来、利き手で物が握れず、字が書けず、歯が磨けず、ボタンが閉められず、フタが開けられず、背中が掻けずという困った事態になっている。そんな中、だいじょうぶかなと思ったが熱海までテスラを運転して行った。従妹の旦那に事業参画してもらうことになりいろいろ詰める必要があったからだ。従妹の友人で投資もしてくれているYご夫妻もいっしょである。
集合は婦人方ごひいきの御殿場アウトレットだった。何度か引き連れられて来てるが興味ない。仕方なしにつき合うが、ドルガバに入ったとたん、入り口にあった黄金色に輝くSORRENTO ラインストーン スニーカーに目が吸いついた。梶井基次郎が「檸檬」を書いた光景はこれだったんじゃないかと思うほど僕はキラキラには弱い。周囲はびっくりし、皆さんもそうかもしれないが、従妹だけは平然としたもので、ケンちゃん、それはおばちゃんの遺伝なの、だって光り物に目がなかったんだからとなる。手に取ってひっくり返しているとすぐ若い女性の店員さんが寄ってきた。さすがにお似合いですよのひと言は出ようもないんだろう、驚くべき想定外の爺さんにどうプッシュしていいものか迷ってる風情が初々しい。君、この辺の人?どっから?ときくと秋田だ。そうかい、じゃあ秋田美人だね、秋田弁は青森でわかるのときくとう~んたぶん無理ですねでこれは意外だ。そうか、どっちも行ったことないんでね、東北は田沢湖ぐらいでさ、あの~田沢湖って秋田なんですけど・・。完璧なボケ老人である。これいくら?17万です、そうか、すると上司らしいお兄ちゃんがすっ飛んできて11万になりますときた。僕は会社のデスクに飾りたくなったの、飾りにゃあちょっと高いなあといったがそれっきりだった。いい感じのオレンジもあった。まじめにいいと思った。いくなら両方だな、今度ねでバイバイした。
講談社のレポーターだった従妹のキャラで全員あっさりファーストネーム呼びとなり、男3人は同期という奇遇もおおいに手伝った。翌日の昼飯のことだ。並ぶ覚悟で予定していた評判上々である蕎麦あさ田が夜オンリーに変更になっておりがっかりだ。まあいいよ、行ってもたぶんカレー蕎麦だったしね俺は、もう時間も時間だからラーメン、餃子でいいよねと三々五々ブラっと歩くと
誰かが派手な門構えの中華を見つけた。おお、もう面倒だ、これにしようと扉を開けると「開店まで5分です」と中に入れてくれない。愛想のない店だ。ところが誰も外にいなかったのに席について10分もすると地元の常連さんと思しき客であっという間に満員となる。Y夫人がまず僕の糖尿スパイク予防ということで豆苗を注文してくれ、みなさん手当たり次第に餃子もワンタンメンも野菜そばも冷やし中華もチャーハンもたのむ。すると順番通りにほやほやの豆苗がやってきた。なんと、これが劇的に旨い。「香港の陸羽茶室以来のベストだ!」となり、店の内装まで香港に見えてくるではないか。すべて一級品だった。強くおすすめ。
次いで予定はバラ園のようだ。僕は花と木は5種類ぐらいしかいえない。階段がきつい。1時間1本だけど回覧バスがあるぞ、となって安心して喫茶室で待ち、5分前に停留所に戻るとバスは跡形もなく去っていた。なんだこれは?貼紙をみると、22人になると出発しますとあってあ~あだ。じゃあっちに行こうよとなって向かったのは思いもよらぬ熱海城なるものである。おい熱海なんかに殿様いたか?となるが、まあいいや。てっぺんまでエレベータで登ると港と初島を高所から一望できる。これがどういうことか実に心が洗われる。ここで飯食ったら圧巻だろうねなんていいながらワンフロアごとに展示物を見ていく流れのようだが、殿様のトの字も出てこないどころか頓智の絵文字やら春画やらばかりで、まったくもってしょうもない。1階に戻ると「建造昭和34年」とありなるほどだ。しかし、しょうもなければないほど非常に有難味を覚えた。バラ園のバスが来てたら登ることは一生な
かったことは100%確実であり、思い出ができた。夜はまたバラ園のところでイタメシらしい。新しいカジュアルなピッツェリアだがコースが質量とも気合が入ってる。熱海檸檬のパスタが絶品。さあいよいよ主菜だ、真鯛と富士山麓ポークか、けっこうあるなというところでY氏が突如としてピザが食べたいといいだし店員さんビックリ。こういうの、わがままジジイめと若いころは思ってたが、いざやってみるとこよなく楽しい。旅の醍醐味とさえいえる。どれどれとピザをひと切れ頂くと、これが生地まで絶妙に美味でふた切れ行ってしまうのである。結局、満腹のツケはポークにまわり、通常であればふた切れは残したものだが「豚に申しわけない」という気分がむくむくと巻き起こり完食した。血糖値もへったくれもない。シャンペン、そこそこのワインが入ってひとり1万は見まちがいかと思った。CODA ROSSA、味も雰囲気もいい店でおすすめだ。
宿泊はハーヴェスト。伊豆山の海辺でごちゃごちゃしておらず、落ち着ける。仕事のあれこれもできたし、終われば温泉でゆっくり和めたし文句なし。午前中は銀行振込でイライラしたが、午後にこういうところでひとりぼーっとできると生き返る。もうそろそろここに移住してビジネスやるかとまじめに思ったものだ。
帰りは老舗の釜鶴ひもの店であじ干物5枚セット、とびうお、真いわし、漁師飯、わさびのり、わさび漬け、くさやを土産に。これは昔から熱海観光の定番であろうが、海外に長くおって飢えていたもののひとつだから特別な感情がある。帰りは小田原で蕎麦の名店の予定だったが、従姉が車で爆睡して通り越してしまい、かわりにだるま料理店へ。明治からある料亭で結構だ。僕は地魚の鮨と鰺のたたきが食いたかったからだ。鰺は自分で船で出て釣ったもんだ。朝どれの真アジは東京のスーパーで売ってるのとは別な魚で、これを知ったらあんなのは臭くて食べられない。大満足だった。この素晴らしいメンバー全員の健康を祈る。
今回、予定通りいったのは見事なほどにほとんどなかったが、まさにビジネスもそういうものである。箱根でまったくの偶然から従妹夫に話し、彼はその役割に判で押したようにドンピシャなキャリアの人だったということが徐々に判明し、今回の熱海で話はほぼ固まった。きっと不測のことがいろいろ起きようが、今回の旅のことを思い出せばうまくいくだろう。
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ヨーロッパ金融界で12年暮らしたということ
2025 JAN 8 2:02:00 am by 東 賢太郎
本稿を箱根から始めるのは箱根が好きだからです。リタイアして住むなら軽井沢もいいのですが僕は温泉がプライオリティであり、東京23区の最南端に居を構えたのも東名が混まなければ箱根に1時間でいけるからであり、なにより両親が眠りいずれ自分もという地が御殿場なのでやっぱり箱根なのです。食事も良い店がありますが、仙石原のアルベルゴ・バンブーはこの手の所が好きな方にはおすすめです。ドラマのロケ地にもなったらしくご趣味によっては華美と見る向きもありましょうが、どうせ欧風にやるなら大理石までこだわったこれぐらいやらないと意味ないですね。シェフがかわったらしく料理、ワインは大変結構。この日は伊豆の鹿肉をいただきました。長いことこういう洋館で食事してきたので落ち着くわけですが欲をいえば一度ここで給仕されてひとりっきりで食事したい。おいしい料理は会話より鑑賞する空間と集中が必要なのです。ここで音楽を流せといわれれば僕はテレマンの「ターフェル・ムジーク第1集」第4曲 トリオ・ソナタ 変ホ長調を選びます。イタリアンでドイツのバロックになりますが重めのバッハ、躍動のヘンデルよりテレマン。まさにそのプロが書いた食卓を邪魔せぬ質の高い音楽です。欧州の王侯に国籍はありません、あるのはこういうもの、いうなればテレマン的なものです。
クラシック音楽という趣味の素地はありましたがそれだけでヨーロッパ社会に受け入れられることはありません。日本を代表する証券会社に入り、国際派インベストメントバンカーとなって金融界に深く入りこめたことが幸運でした。なぜならそこは顧客も富豪で業者もターフェル・ムジークで食事を当たり前のようにするアッパー(上流階級)の世界であり、趣味と調和してしまったからです。
振りだしはロンドンです。初めて行ったのは28才のアメリカ留学中で、トラファルガー広場からの景色に圧倒されたのが強烈な第一印象でした。これぞ大英帝国!軍事力、財力、歴史、科学、文化、芸術、ライオンまで強そうだ・・七つの海を支配した国の威容と品格は戦さが強いだけのバーバリアンとは一線を画しており、その後に訪れたどの国も遠く及ぶものではありません。いま写真を見ながら当時の残像が不意に蘇ってしまい、万感の思いがこみ上げて涙が出てました。もう一度行きたいなあ。やっぱり僕はお世話になった英国が忘れられないのです。
欧州の都市はどこもそうですが中世がそのまま同居しています。タモリの「ここに江戸時代の痕跡が残ってますね」なんて視点で見るならロンドンは丸ごと痕跡であって、昔から物価もホテル代もとても高いのですが、それは都市自体が博物館であり何を買ってもすべてに入場料、拝観料が乗っている。だから大英博物館もナショナル・ギャラリーもタダなのだと理解すれば辻褄が合いますね。それでも観光客が押し寄せ、物価が市場原理でプライシングされているという意味で資本主義を構造的に体現した都市なのです。
我が家は留学を終えて直接移り住んだので肌感覚での英米比較ができました。フィラデルフィアはアメリカ独立宣言が採択された誇り高い古都ですが、重厚な威容と厚みという点でロンドンと比較にならない差を感じました。写真の金融街シティのバンク駅周辺あたりはフォロ・ロマーノの往時かくありきの幻想を懐くほどではありませんか。まあ僕は古いもの好きだから割り引かなくてはいけませんが。
ロンドンでは京都の寺社仏閣と異なり古い建物が現在もビジネスの舞台です。代表的な日本企業が続々とインフォメーションミーティング(IR)に来るのですが、会場によく使ったブッチャーズホールは10世紀の肉屋ギルドの本拠でした。ランチタイムに我々がシティの運用会社のお歴々を集め、社長さんが業績などをプレゼンするのですが、ロンドンの序列では下っ端の僕が通訳です。米語とちがう英語が通じているか不安でしたがそれが欧州デビューであり、これから俺もシティの一員になるのかという武者震いの場でした。
6年後にロンドンを去って東京に戻るとき寂しかったものはゴルフ場、カジノなど多くありますが、食べ物というとホイーラーズのドーバーソウル、ハロッズのブルースティルトンとサヴォイホテルのこれでしょう。日本でもスコーンは知られていますが、それに主眼があるというわけでなく、大量に皿に盛ってアンパンみたいに振る舞うものでもありません。アフタヌーンティーという様式の中の食材であってジャムとクリームと紅茶の好みのブレンドを楽しみ、サンドウィッチで口直しをしながら他愛のないおしゃべりでゆったりと夕刻を迎える。そんなものです。暇でゆとりのある人のための3時のおやつであり田園で食しても都会的。モーツァルトのディベルティメントのような軽く華やぐ気持ちにしてくれるものです。
「おいしい料理は鑑賞する空間と集中が必要」と書きましたが、アフタヌーンティーでは職人的に凝ったおいしさというものは重要ではありません。上流階級の方々がどう思ってるかは聞いたことがありませんが、僕レベルの者にとっては、手をかけてめんどうくさいシチュエーションを丹念にしつらえてもらい、3時のおやつごときで至福と思える俺はなんて幸せだろうと思える自分がいるかどうかなんです。いないときはだめです、特別に旨いものでもないし。それが「泰然自若」(composed)という精神状態で、余裕なのはお金でも時間でもありません。そういうところが英国っぽいなあと思えるようになれば心から楽しめます。ちなみに箱根の富士屋ホテルでは似たものが供されますがお値段はたしか6千円ぐらいです。
次は初めて社長職に就いたフランクフルトです。会場で好きだったのはシュロスホテル・クロンベルクですね。去る12月23日に100歳で亡くなられたシュレジンガー元ドイツ連邦銀行総裁とここで食事しました。当時総裁はたしか退任された翌年で70才。今の自分ぐらいだったというのだから感無量です。イギリスのヴィクトリア女王の娘であるヴィクトリア皇太后が、ドイツの皇帝でプロイセン王である亡き夫フリードリヒ3世を記念して建てた誠に素晴らしいホテルで、郊外のタウナス丘陵に位置しゴルフ場がついてます。我が家は隣町のケーニッヒシュタインにあり、ドストエフスキーがカジノ狂いしてすってんってんになったバートホンブルグも隣の温泉町です。
タウナス丘陵はロスチャイルド家の別荘、メンデルスゾーンの姉ファニーの邸宅(弟はそこに1年逗留してヴァイオリン協奏曲ホ短調を書いた)もあり、住民の平均収入がドイツで最も高い地域ということを後になって知りましたから期せずして田園調布か芦屋のような所に住んでしまったようです。当時、ドイツでも「世界の」で認識された日本の証券会社の39才の若僧と連銀総裁が飯を食ってくれるわけですから現法の社長宅は必然的にそういうものという理解で、次に引っ越したフランクフルト市内の家のお隣さんも親ぐらいの年齢のウエスト・ランデスバンクの頭取でした。現地採用の社員はそれを社格として見ます。東京の外資系トップの住居と同様です。
次のチューリヒでは多い時は週に2,3件ある日本企業の起債調印式を社長がホストします。初日は昼夜と会食で翌日はアルプス観光にご案内し、お好きな方はオペラやカジノと、この2年半は証券マンというより接遇のプロでありました。楽なようですが肉体労働ですから実に大変で、体重が一気に増えました。よく使った湖畔のホテル・ボーオーラックは世界の王侯貴族、俳優、アーティストの定宿であり、近くの大聖堂にステンドグラスの名作を遺したマルク・シャガールが愛し、リヒャルト・ワーグナーがフランツ・リストの伴奏でワルキューレ第1幕を初めて披露した場所です。じっくり往時のムードに浸りたい所なのですが残念ながら仕事場でしたね。
最初に住んだ家はチューリヒ湖をのぞむ丘陵でゴルフ場付きクアハウスホテルのザ・ドルダー・グランドの近郊であるフルンテルンにあり、チューリヒにたびたび滞在しトーンハレのこけら落としを指揮したブラームスが毎朝好んで森を散策したあたりです。ウサギを飼ったり動物園がすぐ近くで子供達には格好の住まいでしたが契約満了のためキュスナハトという湖畔の丘からアルプスをのぞむ家に移りました。千坪近い庭付きの邸宅でかつて住んだ家でも最上級でしたが、最大の収穫は庭でゴルフの寄せがうまくなったことでしたね。
キュスナハトは心理学者フロイドの友人で精神科医のカール・ユングが亡くなるまで診療所を持ち、「ヴェニスに死す」のトーマス・マン、ロックンロールの女王で女優のティナ・ターナーが住んでいました。そして、庭越しに毎日のように眺めていた湖の対岸の街がリシュリコンです。ブラームスはそこの丘陵にある家(左)に1874年に数か月滞在しています。湖を見渡す我が家と似たロケーションで、21年を費やした交響曲第1番の完成は1876年ですから2年前にそこで書いていたのは第4楽章でしょうか。あのアルペンホルンはこの景色から着想したのかと想像すると何とも幸せな気分になります。彼と住居の趣味がとても似ていたというのはブラームス好きの秘密に思えてなりません。
キュスナハトの家には母を呼んで1か月ほど夏にのんびりしてもらい、それまで何百回も交響曲第1番をきいて愛した僕のヨーロッパ生活の最後の家がここだったことはまさに運命的と思います。ここに移って現地でのおつきあいも当初より格段にグレードアップしてスイス中央銀行のツヴァーレン総裁やUBSなど大銀行の幹部となり、日本企業をお連れして巨額の起債手数料と税金を落としてくれるノムラはスイス金融市場のお仲間と認めていただきました。総裁と奥様に母が来ていると伝えるとクランモンタナのご自宅に家族ごと呼んでいただき、歓待していただいた御恩は一生忘れません。
就職のときこんな素晴らしい12年が待ちうけているとは夢にも思いませんでした。しかも1992年にドイツに行けと言われた時は左遷と思いこみ、会社を辞めようと考えましたから大きな分かれ道でした。辞めなくてよかったし、海外にいたお陰で国内の証券不祥事や総会屋事件とは無縁で済みましたし、そこで生まれ育った3人の子供達にはヨーロッパという素敵な故郷をあげることができました。もうひとつ幸運だったのは、証券会社だから赴任先は国際金融市場がある先進国オンリーで、オペラハウスとオーケストラが必ずあったことです。昼間は交渉事のすったもんだで疲れきっても、夜にはクラシカルな世界で生き返り、何とか無事に乗り切ることができました。そして最後になにより、米国留学から始まった5か国への全行程で苦楽を共にし、見知らぬ外国で3度の出産と育児を立派に終えてくれた妻には尊敬と感謝しかありません。
仙石原のアルベルゴ・バンブーで想ったのはそんなとりとめのないことです。ここともうひとつホテル・ニューオータニのトゥール・ダルジャンは、たくさんありそうで実は多くないそんな気分にひたれる場所で時々行きたくなります。食事も含めどちらもおすすめですし、欧州旅行の折には真のトップトップである上掲ホテルに宿泊され、良き思い出を作られてみてはいかがでしょうか。
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東京証券取引所を訪問する
2024 JUN 6 6:06:44 am by 東 賢太郎
人形町でM&Aの交渉。ちょっと疲れた。せっかく来たので昔なつかしい芳味亭でランチをするかということになった。なにせここのビーフスチュー(シチューでない)はとろけるような柔らかさでデミグラスソースとの相性抜群、オンリーワンの旨さなのであるからご存じない方は一度は賞味されることをおすすめする。昭和8年、横浜のホテルニューグランドで洋食を学んだ近藤重晴氏が始めたらしい。洋風のおかずに白飯という「和」のスタイルが洋食なるものの原点だ。
欧州時代に会議で帰国した際はこの近く(箱崎)のロイヤルパークホテルが定宿だった。到着するといつも夜で、ひとり水天宮のあたりに出てラーメンをすすった。これが久しぶりで飢えておりご馳走だったが、なんとなく物寂しくもあった。数日のきつい日程を消化し、帰りはそこから目と鼻の先の出国ターミナルでパスポートコントロールと荷物検査を通り抜けて空港バスに乗る。夕方のフライトだと大体すいている。いつも運転士のすぐ後ろに陣取ったのは、幼時に電車でその席に座りたくて仕方なかった、その名残だろうか。やがてバスはするすると動き出して大きく右に旋回する。そのあたりの光景がいまでも高解像度カメラのビデオのようにくっきりと瞼に蘇る。やっと家に帰って家族の顔が見られるぞとほっとしたものだから、この光景だけが、まるでそこだけカットしたかのようにぽっかりと記憶に焼き付いているに相違ない。これを何十回やっただろう。お疲れさん、よく仕事したねと自分に言ってやりたい。
家といってもロンドンやフランクフルトやチューリヒなのだから考えればおかしなものである。普通はさあいよいよ外国だぞのモードに入るわけだが、完全に天地逆転の感覚ですごしていたわけだ。若かったロンドンの頃は空港に社用車の迎えなどない。ヒースローから大量の荷物を抱えてえっちらおっちらタクシーに乗っかって、運ちゃんと退屈な会話をしながら小一時間ゆられる。疲れ果てて家について、妻に迎えられるとどんなにほっとしたことか。子供達にすれば生まれた時から天地は逆だった。彼らの天地は日本で育った僕や妻とは物心ついた初めから逆なのだから、実は親はわかるようでわかってないということになかなか気づいてやれなかった。
人形町から日本橋方向に歩き、息子が行ったことないというので東京証券取引所に立ち寄ることにした。電子化されて立会場の面影は皆無、なにやらSF映画の宇宙ステーションみたいな光景になっている。ここで仕事をしたわけではないが、仕事のすべてはここに関わっていたのだ。僕は証券マンでも異例であって、ボンド(債券)を売った記憶がない。なぜかは覚えがない。動かないものはまったく興味がないから債券は石ころみたいに情熱がわかない。きっと売っても売れなかったのだろう。すなわち根っからのエクイティマンであり、株式が大好きであり、一枚の伝票で160億円の商いをしたことがあり、そうであることに誇りを持っている。そんな破格の注文も、すべてがこの場所で執行されたのである。
東証本館1階には「証券史料ホール」なるものがあり「我が国の証券市場の歴史に関する史料から特に歴史的に貴重な品々を選んで年代順に紹介されています」とある。
息子がガラスの展示ケースの中にこれを見つけた。東京株式取引所(東株)の創立証書である。
田中平八の直筆サインは初めて見た。感無量だ。写真を撮って息子に「ご先祖さまに恥ずかしくない仕事をしろよ」と言ったものだが、それは自分にかけた声でもあった。
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箱根ローストチキン
2024 MAY 15 15:15:58 pm by 東 賢太郎
妹夫婦、従妹夫婦と墓参りへ。とても和む。高校時代の愛猫チビが実は隣の猫だったという衝撃の過去が発覚。娘たちの激辛好きは長崎のばあちゃん由来だったことも判明。他愛ない話にいくらでも花が咲いてしまう。従妹は集英社出身の芸能・アート通、グルメ社交家だ。生粋の母方性格。学者系の父方とは見事なほど別人。見合い結婚ならではのハイブリッドである僕は三毛猫だなと痛感する。
夕食は千坪の敷地にある仙石原のイタリア風洋館「アルベルゴ バンブー」でとった。オーナー竹内氏が映画ゴッドファーザーの結婚式シーンをイメージしたという造りで「箱根ローストチキン」が名物。2年前に飲んだワインの記録が出てきたのは中々と思う。翌日は以前持っていた芦ノ湖一望の1800坪の土地を視察。まだ更地と確認する。レークサイドの箱根ホテルの庭でしばしビールでぼーっとしたが元箱根はそこらじゅう外人観光客だらけである。こっちはこういう洋風が落ち着くのだから妙なものだ。
うまいものは素材だ。良い素材はそのままでも調理してもうまいが、安物が調理で逸品になることはない(もしそうなら安物でなくなる)。居酒屋でわいわい干物をつつくのもいいが干物がまずくてはいけない。かたや、給仕の靴音が遠くから響くほどシーンとした空間でナイフの音をたてず舌平目を口に運ぶのはコンサートホールでピアニッシモに耳を澄ますのと変わらない。楽器の音もしかりだが、料理の味というのも三次元空間に存在するのである。
箱根翡翠は定宿、これも食事もみな従妹夫婦の手配だ。この手腕は野村スイスの名セクレタリーだったNさんを彷彿とさせ、世話になりっぱなしである。スイスではSF建てで起債する日本企業の接遇が社長の仕事で、社屋と同じほどユングフラウやツェルマットが仕事場だった。箱根は近いしそんな風に使える。白濁温泉に2時間ほどいて雑事をすっかり忘れた。頭のデトックスもたまには大事だ。
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世界のうまいもの(17)《蒸汽海鮮石鍋魚》
2024 MAR 8 7:07:49 am by 東 賢太郎
上海で知った貴州料理の石鍋魚に惚れこんでいて、どうしてもあれがもう一度食べたい。あるとすると池袋北口のガチ中華街だろうとネットで探すと、いかにもその感じの店を見つけた。蒸汽海鮮石鍋魚なるものを食わせる料理屋「食彩雲南」である(写真)。貴州ではなく、もっと南の雲南省だがまあいいかと足を運んだ。地図を見るとこの省はチベット、ミヤンマー、ラオス、ベトナムに接する。中国南方の内陸はまだ行ったことがないが、古来より少数民族がたくさんが住んでいてその数だけ文化がある。行ってみたい。貴州のあの鍋は確かミャオ族のだと聞いた気がするが、初めてだったにもかかわらず衝撃的なうまさで忘れられない。
屈託ない笑顔がなんとも魅力的だ。
雲南省はこちら。これもきれいだ。
中国人といっても北京や上海と違ってこういう暮らしの人々がいる。食文化だって我々がいわゆる「中華料理」と呼んでるものとは違う。
「食彩雲南」は大通りの角にある雑居ビルの8階だ。狭いエレベーターでやや怪しげといえないこともなく、店員の日本語もあやしく日本人客はいないのだが、中国人の若い女の子がひとりで来たりする。テーブルの真ん中に鍋型の穴が据え付けになっていて、そこにスープを満たして点火すると、尾頭つきの魚(淡水魚だろうか)をデンと横たえる。何が始まるかと思うと、草を編んだようなモンゴルのゲル風のでっかい蓋を鍋に被せる。すると、そこからもうもうと蒸気が立ち昇ってきて天井まで届くのである(写真はまだ序の口)。壮観だ。
出来あがりはこうなる。貴州と比べるとスープの色は似ているが味は違う。だがこれはこれで実に美味。見た目でひいてしまう人もいようが料理というのは食してみてナンボであり、視覚的楽しみもあるからお薦めである。少数民族は何十もあるようだが各々にこうしたプライドをかけた食文化があると思うと興味は尽きない。
これがシルクロードを辿って西へ行くと中央アジア、中東をとおってローマに至る。黄河 ・ 長江文明からメソポタミア文明を経由してギリシャ・ローマ文明へという気の遠くなるような距離と時間の長い道のりであり、そのものが人類史といっても良い。
日本列島発祥の人類は今のところ見つかっていないので、我々は誰もがいつかどこからか渡来しているはずだ。遺伝子はそれを覚えている。だから「好み」はルーツの刻印だろう。僕の好みはユーラシア大陸を楽しみながら突っ切ってギリシャ・ローマまで行く。そこの食と音楽に、えもいえぬ親和性を覚える。
世界の所々にまだ知らぬ美味があり、見知らぬ文化の人々が暮らしており、そして音楽がある。僕にとって、音楽への関心の根っこにあるのは無意識の中にあるそういうもの、つまり雲南省の白族の人々の写真を見れば蒸汽海鮮石鍋魚を食ってみたいなとなる気持ちと変わりがないようだ。
こうした精神で世界を観ている僕のような者にとって、政治をもって中国人が好きだ嫌いだという言説は誠に狭隘と評するしかなく、政治は政治家にやらせればよく、それをもって保守か否かを論ずるなど暇人の戯れとしか思えない。ミャオ族や白族の文化を尊重するのが多様化社会であって、白人のLGBTでチンイツにするのは単一化であって馬鹿でねえのというしかない。そういう連中は料理の味もわからんし、まして音楽などほど遠かろう。
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ニコラ・テスラと猫の法則
2024 FEB 16 18:18:10 pm by 東 賢太郎
昨年10月から急に多忙になったのはコロナが収まったせいもあった。勘定したところ、現在9つの仕事を同時にしている。そんなにできるのかと思われようが、数えないと気がつかないぐらい自然にできている。元気だからだ。元気を保つのに元気がいることを年をとったというらしいが、それもない。若返りのNMN注射が効いているとうそぶいているが単に大枚はたいて悔しいからだ。
医者は蛋白質を摂れという。池袋のガチ中華「魚火鍋 唇辣道」で白身魚鍋を食べたりするのは激辛好きなだけだが、これが旨いから元気は出る。雑居ビルの地下で中国語が飛び交う。香港の裏路地にありそうな店だ。魚がつるつると喉を通って蛋白質だけで腹いっぱい。すると何日かして太ももとお尻が太くなってる。まさかと思ったが事実だ。鍛えていた所だから補強は最優先と体が学習しているのか。
うちは猫が5匹いる。みな野良か保護猫だ。元気をくれる。可愛いいかといえばNoだ、僕にとって猫はそういう存在ではない。みな真剣に生きて嘘がなくて光ってる。真剣に生きる者には真剣に対峙する。これが礼節というものだろう。人の1日は猫の1週間。それだけ充実した時間を過ごさせてあげたい。
うちに来たのは何の縁だろうか。魂は光であって猫も人もない。飼っているも飼われているもない。ニコラ・テスラは「全ては光である」といった。電子と陽電子の消滅を彼は知らなかったが、宇宙も物質も魂も光だと見抜いた。人間も光らなくてはいけない。光るには元気がいる。光らなくなったら僕は仕事をやめる。
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唐の都、長安を旅して考えたこと
2023 JUL 29 7:07:53 am by 東 賢太郎
唐の都、長安。いい響きだ。いまは陝西省西安市になっているが、中国の京都、奈良であろう。司馬遼太郎の『空海の風景』は貪るように読んだが、いよいよ旅が長安までくると、街のこまごまを描写する司馬の筆のリアリティが少し鈍ってもどかしかった。何事も百聞は一見に如かずだ。やはりそこに立ってみて自分の五感で感じ取るしかない。あれは1998年のこと、香港からの出張で初めて西安に降り立った。三蔵法師ゆかりの大慈恩寺で大雁塔の前に立つと、遣唐使として派遣された阿倍仲麻呂や空海もここに立ってこの眩しい姿を仰ぎ見たに相違ないと思えてくる。自分にとってはペンシルベニア大学の校舎群がまばゆく、よし思いっきり勉強するぞと奮い立った若き日の青雲の志に重なる。しかしながらその一方で、なにやら見慣れぬ曲線を描く大雁塔の外縁の輪郭には異国を強く感じており、いとも不思議な感覚に迷いこんだことを覚えている。
西安の北東にある始皇帝の兵馬俑は圧巻である。写真の総勢は約6000人(桶狭間の信長軍勢の倍ぐらいだ)。2200年前の兵士ひとりひとりの顔が写実されているリアリズムには驚嘆しかない。そこまでさせた権力にも、しようと執着した執念にもだ。漢の時代に土中に埋もれて発見されたのは1974年。空海はこれを知らないが、彼が入唐した時点で1000年前の遺跡であった。東を向いているのは秦が当時の中国の最西端で敵は東だからとされる。不老不死の薬を求めて徐福を日本へ派遣し、子孫は秦氏になったという説は虚構とする否定派が多いが、来てないという証拠もない。証明されてないからなかったことに、という説は非科学的でしかない。
私見を述べる。現在シルクロードと呼ばれるユーラシア大陸の交易路網は西洋人のセンスで脚色されたコンセプトにすぎない側面もある。交流、交易は紀元前2世紀、つまり秦王朝の時代からあったのであり、人間も文物も混じり合っており、はるばるローマやペルシャから中国まで来る体力、気力、資産、技術、理由のあった異人と接していた秦国の人間が朝鮮半島、九州に足を延ばすことを躊躇したとも思えない。兵馬俑の人面も物語る。こんな微細な箇所まで強烈な執念で覆いつくす皇帝に薬を探してこいと命じられた徐福に逃げ道はなく、見つからなければ殺されるから戻ってこなかったのは納得でしかない。といって日本各地の徐福伝説を支持できるわけではない(そのどれかが正しかった可能性はある)、一行は来日してそのまま日本に土着し混血していったと思料する。
西安で食事を済ませて隣町の宝鶏市に向かった(下の地図)。当時は国道しかなく車を飛ばして2時間はかかったと思う(今は高速がある)。道はあっけらかんと一直線である。大学時代に、あまりに一直線で居眠りしかけて危なかったアリゾナ砂漠の道路を思い出していた。行けども行けども、道の両側は地平線の果てまでトウモロコシ畑である。うたた寝して目が覚めたらまだトウモロコシだ。「中国人はこんなに食うの?中華料理で見たことないけど」と運ちゃんに聞くと「豚のエサです」(笑)。宝鶏に着くと仕事だ。味の素みたいなグルタミン酸の調味料を作っている会社に増資を勧める。社長に工場を案内してもらった。ベルトコンベアが続々と白いものを流している。目を凝らすと首を絞めた鶏だった。
宝鶏は日本ではあんまり有名でないが、周王朝、秦王朝の発祥の地である。「岐山」がある(信長はここから「岐阜」の名をつけた)。古くは青銅器の発祥地であり、諸葛孔明が陣中に没した「五丈原の戦い」の舞台でもあり、太公望が釣りをしていた釣魚台もこのへんだ。三国志の頃に漢方薬(本草学)のバイブル『神農本草経』が書かれた地でもあった。戦国武将は中国史を学んでいたが、信長は安土城の天守の装飾絵を中国の故事にならったほどで、始皇帝を理想にしたかどうかはともかく両者は似たものを感じる。西安にあったはずの安房宮は完成せず、安土城は完成したが主は死んだ。歴史好きの方は西安とセットで訪問する価値のある処だ。
宝鶏から西は僕は未踏だが、甘粛省蘭州まで行くとイスラム系の回族が多い。始皇帝は目が青かったともいわれるが、これを知るとそうかなと思わないでもない。何をいまさらではあるが、西安(長安)はシルクロードの終点であり、中央アジア、ペルシャ、トルコを経てローマにつながっている。トウモロコシ畑の宝鶏~西安はマラソンならラストスパートの200キロだったのだ。中国の主要都市はだいたい訪問しているが、西安はもとより行きたかった場所であり強く心に残っている。たぶん春節の前だったのだろう、縁起物であるのと感動をとどめたいのとで、この丸っこいのを2個買った。
灯籠だ。でっかい。直径30センチはあってみな「本気ですか」と驚いたが本気に決まってる。家ではもっと驚かれたが、玄関に飾ってもらって満足だった。
西安、宝鶏を旅してみて、自分はなぜこんなにローマ好きで地中海好きでもあり、誰に教わったわけでもないのに狂信的西洋音楽マニアなんだろうと考えるようになっている。未踏のトルコ、中央アジアは文化も食べ物も興味津々で女性も綺麗に見え、料理はというといま熱烈にガチ中華にハマってる。幼時に鉄の匂いが好きだった趣味はレアだろう(線路と車輪に魅かれて小田急の線路に侵入していたが、鉄オタの息子によると僕は鉄オタとは呼べないらしい)。鉄といえばシルクでなくアイアンロードというのもあった。ヒッタイト発スキタイ(タタール)経由であり、技術を持った異人集団が出雲に来ると「たたら製鉄」と呼ばれた(タタラ場として「もののけ姫」にも登場)。出雲は何度か旅して惚れこんでしまい、コロナで頓挫したが映画の舞台にしようとタタラ場だった絲原家にお邪魔もした。なぜか磁石みたいに鉄に惹かれるのだ。地球上に存在する金やウランなど鉄より重い元素は中性子星合体によってつくられたものである可能性が高い(理化学研究所と京都大学)。鉄を通して僕の関心は宇宙へと広がっている。
結論として思う。こういうものはまぎれもなく本能だ。生まれてから後付けで覚えたわけでは全くない。DNAに書いてないと絶対にこうはならないと自信をもって言えるレベルに僕はある。両親はそんなことないから隔世遺伝ということになる。アズマはアズミでもあり海洋族安曇氏の説がある。神話時代から人種の坩堝(るつぼ)だった北九州から海流で出雲に土着し、さらに海流で能登にぶつかり安曇野、諏訪にも下った。父方は輪島だから可能性はある。性格は農耕型でも定着型でもなく、海洋族であって何の違和感もない。
いまはささやかに北池袋の「ガチ中華街」でもめぐっておれとDNAが命じている。そこで火焔山蘭州拉麺に行った。前述したイスラム系の回族が多い蘭州のラーメンだ。一番上の地図を見ると甘南蔵族(チベット)自治州、臨夏回族自治州(回族、チベット族、バオアン族、ドンシャン族、サラール族他の少数民族が居住)が蘭州の近郊で、そこだけでも人種の坩堝。父系遺伝子ハプログループDが相当な頻度で存在するのは日本とチベットおよびアンダマン諸島のみという興味深いデータがある。
西安では何種類か麺を食べた。名前は忘れたがゴムみたいに伸びるビャンビャン麺やら刀削麺だった。火焔山のラーメンも味の坩堝だ。イスラムは豚は食べないので牛肉麺であまり辛くはなく、パクチや香草(漢方と書いてあったと思う)が効いていてエキゾチックなスープだ。たかがラーメン1杯だが歴史と地理を知れば何倍も味わい深い。東京~西安の3倍ほど行けばシルクロードは走破できそうだがまあ池袋でやっとこう。
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世界のうまいもの(16)《望蜀瀘》
2023 JUL 20 23:23:52 pm by 東 賢太郎
日本のいわゆる “中華料理” は広東料理に北京ダックやら麻婆豆腐やら各地の定番ディッシュを加えてよろず中華にした感じのものが多い。香港に住んだので広東メインは賛成だけど、「食」への興味津々だから出張で訪れた中国各地の美味には強烈なインパクトを受けた。食い物だけでまた中国全土をめぐってもいいなと思っていたぐらいだ。だから昨今、激増して池袋などで熱くなっている「ガチ中華」は大歓迎で、楽しみで仕方ない。
これは会社から近いので何度か行っている赤坂の「四川DINING望蜀瀘」だ。ここ、知る人ぞ知るで辛さは東京でも最高クラスといわれる。
きのうは辛いもの苦手のO君といっしょで、白い方は大丈夫だから二色鍋にした。前菜は「四川風鶏の冷菜」(口水鶏)。いきなり辛いが、これと白飯だけでいいと思わせるぐらいの絶品である。鍋はコースにする。辛さは3段階あってどうしますかと聞かれたがもちろん「四川とおんなじ」だ。すると、一切手加減なしの160キロの剛速球みたいなのが来る。これが感動だ。唐辛子でいっぱいの真っ赤なスープにキクラゲ、きのこ、大根、白菜、もやしなど野菜類に羊肉、豚肉のしゃぶしゃぶがはいり、最後は麺でしめる。
鍋は重慶と成都で食べている。辛いというより唇までぴりぴり痺れて味覚が全壊したというか、凄まじいアタックで驚く。しかしそれだけではない。薬膳っぽい独特の「うまみ」とハーモニーをつくるのがたまらず、病みつきになる。音楽に喩えれば耳をつんざくブラスの咆哮にびっくりの「春の祭典」だ。なんだこれはと仰天するがだんだんいい曲だなとなる。不思議だ。
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漢方とシルクロードに見る東洋の奥深さ
2023 MAY 27 12:12:05 pm by 東 賢太郎
いま神山先生の薬を3つ飲んでいる。薬ではないが滋養強壮・未病の長白山人参も煎じて朝晩飲んでるから正確には4つだ。安神はパニック障害、鼻炎と増記憶はその名の通りである。
今年に入ってパニックは一度もなく心療内科の薬ワイパックスはお世話になってない。鼻炎は慢性の鼻づまりで寝る前にスプレーが必要だったが不要になってしまった。増記憶は母が認知症になったので娘が先生に頼んで今月から飲まされているが、いまのところ効果は不明。
漢方が良いのは薬草でありケミカル(先生は「石」という)でないこと、4千年も前から治験(言葉は悪いが人体実験)がなされているから安心して飲めることである。この3つ、レシピは6代前から医師である彼の家に伝わっていて中国で売ると各々3,4億円する知的財産だ。これが丸薬になったものだけで写真のように54種類ある。中国では伝統医療の医師が毛沢東時代に下放されて廃業しもうほとんどいないが、先生が日本に帰化されその貴重な文化財が我が国の財産になっているわけである。意外だが漢方は動物にも効く。ワンちゃん猫ちゃんも人とおんなじ薬で病気が治ることは先生の患者である静岡の動物病院の院長先生が長年の臨床研究で実証されている。漢方の可能性はまだまだある。
知れば知るほど東洋の奥深さに嘆息するばかりだ。人生の4分の1を西洋で過ごしたことを割り引いても、僕の価値観は欧米に大きく偏っているという気持ちになってきた。東洋というからには日本も中国もない。良いものは良いというだけで、西洋にも帰依すべきものはたくさんあるし、同じほど中国文明にもあるということだ。僕は万事において是々非々な人間である。
その視点で世界史を見るならこうだ。とてもアバウトに書くが、
西洋文明のルーツはギリシャ・ローマだが欧州人は中世には忘れ去っておりイスラム圏が保存していた文書を強奪集団の十字軍が持ち帰って再発見した(ルネサンス)。つまりたかだか5百年の文明であり、まして米国など2百年ちょいである。それが東洋の4千年の蓄積をうんぬんするなど千年早い、控えおれでおしまいだ(聖書が禁じてるから西洋で問題と化しただけであるLGBTの理解増進法案などキリストさんは関係ない我々には余計なお世話だ)。科学技術=軍事力を盾とした「科学文明の進歩=正義」の価値観に東洋は屈し、真っ先に対抗した日本はロシアを倒して西洋人の「タタールのくびき」のトラウマを呼び覚まし徹底的に叩かれた。それに学んだ中国、北朝鮮が核武装して今がある。
少なくとも西洋をビビらせている中国は大したものであり、世が世なら我が国の道であったと明治の歴史観でアジアを下に見たがる日本人は面白くないから嫌中になったり自虐したりする。それでは「酸っぱいブドウ」のキツネなみである。チャーチルは「英国の歴史はカエサルが上陸した時に始まった」と言ったが、僕は「日本の歴史は唐(郭務悰)が上陸した時に始まった」と言いたい。唐はシルクロードとつながり、モンゴルの遊牧民・鮮卑が建国し、トルコ系遊牧民・突厥、中央アジアでイラン系・ソグド人、ペルシア人も朝鮮人も漢人もいた多民族国家であり漢民族王朝ではない。嫌中派も自虐派も、唐の上陸から倭国は瞬く間に律令国家となり、何よりそこで国号を「日本」としているのだから英国よりずっと国体の変革があったことは認めるだろう。それを占領されたと自虐なんかするのでなく(だって自ら遣唐使だして学びに行ってたんだから)、英国流にスマートに逆手に取るのである。
そもそも現在の中国と唐は同一の人種構成の国でない。だからこれは日中同祖論ではない。チャーチルは英国が古代ローマ文化圏にあり、末裔の一部でもあり、その歴史と叡智を継承する国であると言っているだけで、だからといってイタリア人と同じ遺伝子だというのでもなく、まして子分でも属国でもないわけだ。日本が中国にそれを主張し、さらに我々には唐の血だけでなく1万5千年も栄えた縄文人の血も入ってるということだって可能だ。僕のチャーチル評価は良くも悪くもあるが、政治家としてスケールはでかくノーベル文学賞をとったのも文筆力は折り紙つきだったということ。日本の現総理はというと大企業の庶務課長代理みたいで見るも不快であるが、そのぐらい習近平にぶちかませる大物が現れないだろうか。
個人的には中央アジアに惹かれるし(行ったことないが)直感的本能的に他人事と思えない。だからシルクロード、多民族国家の唐と聞くとたまらないのである。きのうは池袋の火焔山に行ってしまった。ファストフード風の店だが回族などイスラム系住民の食べ物である蘭州牛肉麺の名店である。パクチー、青梗菜、もやしをどっさり乗せ、あっさり系のスープに辣油の辛味が三角麺に絡む。ちなみに漢方がはいってるらしい。旨い。蘭州は西安(唐の長安)の西方でシルクロード上に位置する一都市だ。一度行かなくてはいけない。
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世界のうまいもの(その14)《エシェゾー》
2021 OCT 25 21:21:26 pm by 東 賢太郎
フランスのブルゴーニュ地方、ヴォーヌ=ロマネ村周辺に著名な畑がいくつかあるがそのひとつが誰もがご存じのロマネ・コンティだ。その他ラ・ターシュ、ロマネ・サン・ヴィヴァン、エシェゾーも全部がピノ・ノアール種だが値段は10倍ぐらい違う。ちなみに僕はワイン通でも何でもない。酒は飲めないし味もわからない。以上のことはネットにあるソムリエさんなどの記事の受け売りである。
ただ接待で半端でない数の高級ワインを消費はしている。「君ね、彼女の前でいい格好したかったらワインは『一番高い白をもってこい』とソムリエにいいなさい。するとコルトン・シャルルマーニュが出てきて5万円ぐらいですむからね。間違っても赤はだめだよ」なんて下世話なアドバイスはできる。ロマネ・コンティはいまは200万円もしているらしく、赤もってこいといってこれ出されたらアウトだ。
ソムリエさんも「さすがに飲んでない」と正直に書いておられるそれを何度も飲んでいて恐縮だが、日記に書いてもいないところをみると仕事の流れ作業でさしたる感動もなかったと思われる。悲しいものだ。値段はというと、当時は数十万ぐらいだったはずだ。さすがに200万なら野村とはいえ出さないから間違いないだろう。記憶しているのは「自分で買って家で飲んでたエシェゾーとそう変わらん」と思ったことだ、だから書き留めなかったのだ。
バリュー投資家である僕にとって当然のこととして、高いからうまいと思ってる奴は馬鹿だという主義であり、上記アドバイスは彼女も君もそうであればという前提に立っている。逆に200万円とあまり変わらん(少なくとも自分は判別できない)なら3万円ぐらいのエシェゾーは安いよねという結論に至るのである。僕はボルドー派なのでどうでもいいのだが、「ロマネのなんちゃって」で3万円払う気なら年によってはおすすめだよぐらいはいえる。
ここでテロワールの話になる。くりかえすが、エシェゾーはヴォーヌ=ロマネ村周辺のピノ・ノアールであるわけだ。ワインのテーストは基本的にブドウの品種によって決まるが、同じ品種でも畑の地理、地勢、気候、栽培法によって別物になり、そっちのほうをテロワールと呼ぶ。品種によってその影響度合いは違い、ピノ・ノアールやリースリンクは敏感で大きく、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルローは少ないそうだ。
ということは僕の舌はブドウの品種以上の領域は判別できていないことになる。これはいい塩梅の素人ではないかと思う。3万円でロマネ・コンティと思いこめたら197万円も得する上に学ぶ金も時間もセーブでき一挙両得であるからだ。ロマネをブラインドで当てられない人が200万円払うよりはずっと賢いお金の使い方と思うのだ。どうもテロワールという概念は株式投資におけるPERに近い気がしてならない。確かに存在はするのだが定義はできない、ワインマーチャントのスプレッドの源泉ではないかと思うのである。
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