ロバート外務大臣と
2013 JUN 19 1:01:57 am by 東 賢太郎
今日は7:30からロリン・ロバート外務大臣とのブレックファスト・ミーティングで始まりました。戦前はここに日本人が15万人と現地人の3倍もいたこともあり、日本がこんなに存在感のある外国の地はほかにない。直行便を飛ばし、日本人の永住権取得、医療施設拡充、水産大学の現地校開設などのご提案を申し上げました。社長からは森大統領の曾祖父である森小弁氏の当国との関わりに共感を持ってきたこと、眼内レンズの手術のできる病院の設立、漁業権の有効利用など具体的なご提案もあり、それにわが社がファイナンスを付けるご提案もしました。大臣からは厚いお礼の言葉を頂戴し、11月1日に大統領と訪日するので東京での再会を約して終えました。わが社は2007年にミクロネシア連邦が外国企業誘致を始めて以来25番目の会社であると申し上げると、「今年は日本はミクロネシア連邦と外交関係開設25周年のお祝いの年です。25番を狙っていましたね」と冗談を言われました。この国には貢献したい気持ちにさせる何かがあります。
ミクロネシア連邦ポンペイ島の初日
2013 JUN 18 0:00:17 am by 東 賢太郎
昨日の夜中よりミクロネシア連邦のポンペイ島におります。成田発11:05のユナイテッド機でグァムに3:50着。ラウンジで待って7:45発で翌日0:50にポンペイ島に着陸しました。途中チューク島で降りる人もいるので一度着陸して30分ほどしてから離陸というのがなかなか厄介で、時差が2時間あるとはいえ結構疲れました。
北緯7度とほぼ赤道直下の南洋の島ですが一年を通して平均気温は27度で意外に猛暑ではありません。ただ降雨量は世界第2位で、今日も何度か豪雨がありました。ホテルはムカデが出るとおどされていましたが意外にきれいで虫も心配なく、期待値が低かった分だけ気持ちよく過ごしています。
今日は株主総会と取締役会を開催して、ここの時間帯と立地を生かした業務展開の議論を関係者と徹底的にいたしました。もと日本軍が駐屯した関係で島民は非常に親日的で海外にいる感じがあまりありません。しかし直行便がないため日本企業進出はほぼなく、同行されている某著名上場企業の社長さんと意気投合して一日中ここを利用した新規ビジネスの話に明け暮れました。
社長が近くの市場で10kgのマグロを一本買い(2000円!)され、ホテルで刺身と照り焼きにしてもらって食べましたが感動的なうまさでした。日本軍がいた頃と何も変わっていないのではないかと思うほど自然の宝庫で、ヤシ、バナナ(10種類もある)、マンゴーなどが野生のまま群生し、無一文であってもこの島で飢え死にするということは考えられません。すべての木々、植物が青々としてはちきれんばかりの生命力をたたえており、道を歩くだけでパワーが漲ってくる感じは都会では想像もつかないほどです。この島は確実に元気をくれそうです。
夕食は皆で海に近いオープンスペースのレストランでした。ハワイ風、メキシコ風いろいろですが十分においしかったです。猫も犬も寄ってきて実ににぎやかで憂さは全部晴れました。暗くなってもう10時ぐらいかなと時計を見るとまだ8時です。これは驚きました。どうも時間の流れが遅いようです。そこからホテルでまた延々と新規ビジネス論議となりました。写真はもう90枚も撮ったのですがうまくアップできないので後日やります。ものすごく内容の濃い一日でした。続報いたします。
知らなかったという危険な弁明
2013 JUN 15 23:23:09 pm by 東 賢太郎
「知らなかった」 (コミッショナー) 「知らない事はないでしょう。てか知らない方が問題でしょ。名前まで入れて中身知りませんはなぁ」 (ダルビッシュ)
知らなかった、部下がやったことだ、だから不祥事ではない、だから辞めない。こういう論理だ。トカゲのしっぽ切りと呼ぶ。英語も a lizard’s casting off of its tail というから国際的に行われているが、今やこれが国際的に通用しない世の中になってきている。
「私の仕事は世間に迷惑をかけたら部下の首をすげ替えることなんです」 (弁明) 「あっそう、首切り役人ね。それなら誰でもできるでしょ。キミみたいに給料の高い人でなくても。ご苦労さんでした」 (審判)
こうなる。それならば、「世間の喝采はキミだけのものだ」、そう言われてこの仕事を引き受けたんだ。シロウトの俺に反発係数のことなんかわかるわけないだろう。こういう醜聞シナリオは俺の晩節の筋書きにはなかったんだ。だから不祥事ではない。あってはならないんだ。こう説明すれば、よほどわかりやすいし万人が納得して3割ぐらいが同情までしてくれるかもしれない。じゃあ、そんなシロウトを誰が連れてきたんだという問題が次に出てくるだろうけど。
駐米大使までされた方がこういうことになるのは悲しい。彼はメジャーリーグを知る野球好きかもしれないが、いくら詳しくても「観る者」と「やる者」は公家と武士ぐらい違うということぐらいは知るべきだった。ボールはやる者には命だ。武士の刀が戦の朝になって勝手に入れ替わっていたら怒るに決まっているだろう。この憤慨を利用する法曹が出てくると労使問題、金銭闘争という、およそ「観る者」にとってはどっちらけの問題に転化していく。結局、このツケを払うのはファンになるような気がしてならない。
元祖ジュース自動販売機
2013 JUN 15 21:21:24 pm by 東 賢太郎
先週の木曜日は名古屋に行きましたが、その日は初の猛暑日で35℃を記録したそうです。実はその前日の広島も30℃以上ありました。もともとけっこう晴れ男ですが夏日を運んでいくのは喜ばれませんね。
名古屋では桶狭間古戦場の近くにある某メーカーさんを訪問しました。技術には定評のある会社ですが経営姿勢も堅実で、社長の飾らないお人柄がそれをよく表していたと思います。工場をご案内いただいてから同社の歴史資料館を拝見しましたが、そこでこれを見つけて感動してしまいました。
昭和20-30年生まれならきっと見覚えがあるのでは。コールドドリンクというのもカップを取り出して・・・というのも泣かせますが、なにせ10円ですからね。上についている金魚鉢をふせたようなガラスの中をオレンジジュースがつたっていましたっけ。親にせがんでよく飲んだのを昨日のように思い出しました。
プロ野球コミッショナーとは何か
2013 JUN 15 0:00:54 am by 東 賢太郎
権力というのはふるうのに骨が折れる、と思う。大きな組織の長に外部からパラシュートに乗って舞い降りたりするとたぶんそうだ。下からトコロテンでもち上がった人と違い、誰も彼を知らない。これはけっこうつらいものだ。知った組織でなら自分がどういう人で、何が好きで、嫌いで、派閥はどうで、日本酒党かワイン派か、好きな女優は誰でカラオケの持ち歌は何か、ぐらいは皆が知っていてくれる。だから自然と居場所が作られ、部下との心地よい距離感ができるのだ。
躾(しつけ)のできていない犬を教育するドッグトレーナーは、まず飼い主より「自分が偉い」と勘違いしている犬を預かると、何十匹も知らない犬ばかり入っている檻に何日間か閉じ込めるそうだ。だれも自分を知らないし相手にもされないので、勘違い犬はすっかり自信をなくしてしまう。こうするとそれからの教育がうまくいくらしい。犬も人間もそれなりの社会性がある。そういう動物には、組織の中の孤独は一人だけの孤独よりもこたえたりするのだろう。
天下った人は孤独だ。少なくとも初めのうちは。それが耐えられないし、そもそも天下れるような人は権力欲が強かったりするので、示威行動を起こして組織が自分に振り向くようなことをやろうとする。最もポピュラーなのは人事だ。人事で自分色を出そうとする。これほど現場に迷惑なものはない。そもそも現場などわかっていないし、自分色とは要は好き嫌いだから、決まって茶坊主を引き上げる。現場をあっと言わせれば言わせるほど権力の誇示になるから、現場のセオリーからすると珍妙な人事であればあるほどいい。こういう局面で出された人事異動の珍妙さは、その上司が勘違い犬として檻の中でどのぐらい自信をなくしているかのバロメータだと思えばいい。
人事権がない天下りは何をするのだろう?その結論を探し出せば、それは実に深みのある命題かもしれない。そういうポストはあまりないし、あったとしても名誉職で、権力欲の強い人はあまり着任しないかもしれない。例がないから想像するしかなく、まったくの空想か勘違いである可能性のあることをお断りしなくてはいけないが、今回のプロ野球「飛ぶボール問題」はその一つの研究材料かもしれないと思って注意深く観察させていただいている。
プロ野球を一つの業界と見た場合、コミッショナーの権限はアメリカではほぼ全権であり、CEOに他ならない。日本は、業務規程を読んだことはないがほぼ名誉職であろうから、非常勤の「お飾り名誉会長」みたいなものだ。そういう名誉職には、秘書、部屋、車の3種の神器はあっても人事権はない。こういうポストに権力欲、少なくとも自己顕示欲の強い人が天下った場合何をやるのだろうか。どんな示威行動を起こして組織が自分に振り向くようなことをやろうとするのだろうか。
ボールを統一してM社一社に作らせる。反発係数は下限値にする。つまり「飛ばなく」する。そうするとボールは均一化し、メジャーのボールに近づいて国際大会であわてなくなり、日本の野球は世界トップレベルに到達する。なるほど。しかしやってみたら違うものができ、WBCで選手は2重に苦労した。昨年はあまりに飛ばないと苦情が出て、検査すると下限値を大きく下回るボールが散見された。そこで今年は下限値を順守させたら去年よりホームランが47%も増えた。これが下限値の飛び具合だというなら、去年のボールの不良品率は凄いものだ。そんなにひどい製品をたくさん納入したM社は即刻、出入り禁止にすべきだろう。
ところが出入り禁止どころか、スペックの変更を隠したのはM社の在庫処分を助けるためだったそうだ。選手に変更を知らせるとオープン戦で誰も去年の在庫を使ってくれなくなるので隠ぺいしたらしい。だとするとコミッショナーはM社の工場長も兼任していたのだろうか。振り向いてヨイショしてくれたのはM社だけだったのだろうか。そもそもスペックが変わってもプロである選手が気づかないとでも思っていたのだろうか。いずれ気づくが、選手の適応力だと褒めてやれば片付くと思っていたのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。
現場を知らない天下りボスが、あまりに現場が馬鹿にして振り向いてくれないので秘書に毛が生えた程度の女の子を執行役員にしてしまったケースを知っている。示威行動の狙いどおり、やがて周りは絵にかいた様な茶坊主畑になった。優秀な社員ほどやる気がなくなって見事に業績も株価も奈落の底に落ちたから、結局は彼自身が首になった。これは仮説だが、ボール事件は人事権の代わりにやった示威行動だとすると、スペック変更の強大な影響力を彼は知っていたことになる。そうでなければ示威にならないからだ。
米国の統一球にもコミッショナーのサインが印刷されているが、これはCEOの目が光っているぞという、まさに正しい示威に思える。日本のそれは何なんだろう。
石の上にも三年
2013 JUN 13 1:01:36 am by 東 賢太郎
今朝、新幹線で広島へ入り今はとんぼ返りで名古屋のホテルです。広島では半年かかった仕事をやっと今日クローズしてちょっと興奮気味ですが、入れ替わりにさっそく新しいエキサイティングな仕事のフィージビリティ・スタディが始まってしまいました。カープファンの宿命でしょうか(こっちで野球を見る暇はまだ一度もありませんが・・・)。明日は名古屋で別の案件を2つ検討します。来週はミクロネシア連邦共和国への出張を控えていますが、そちらでさらに別な案件のご相談があると聞いています。ひとり相撲で全部はむりなので、どれをやるかやらないか悩ましいところです。
ともあれ、どの2つをとっても類似の案件というものはなく、金融・証券とまったく関係のないものもあり、単なる証券会社のサラリーマンだった3年前からすると想像も空想すらも及ばなかった人生を送っているようです。そういう仕事が舞い込んでくるということは、客観的に判断して僕はもう証券マンとは思われていないということですが、それがどんなにうれしいことかはなかなかお分かりいただけないと思います。
今日終えた案件は証券に関わるもので、ちょっと難易度は高いですが野村がやってもゴールドマンがやってもいい。これをやることは僕のストライクゾーンというか、誰が聞いてもそうだろうねというものです。しかしこれからのほうははっきり言って僕は完全にシロウトであり、門外漢です。これはたまらない刺激です。僕はこういう刺激を食っていないと生きていけない人種です。だから証券は卒業したいのです。今のこの仕事から退くつもりは死ぬ前の日までありませんが、いずれは僕の経験を若い人たちに教えることを考えています。大学で学ぶことは絶対に無理です。僕はアカデミズムは好きではないので何か独自の方法で伝えたいなと思います。
ところで、ミクロネシアについてはまだ勉強不足ですが、観光開発は途上でありその分だけ自然にあふれた環境だそうです。政治家、お役人の偉い方々にお会いできるそうでポンペイ島内をご案内もしていただく予定と聞いています。マンタを見るツアーがあるそうで、僕はあまり興味ないのですがけっこう周囲ではうらやましがられています。少しゆっくりする時間をいただければ、ひとりでぼーっとして読みたかった小説でも読もうかなと思っています。
クラシック徒然草-ホモと共産主義-
2013 JUN 12 1:01:16 am by 東 賢太郎
音楽家はホミンテルンでないと成功しない (レナード・バーンスタイン)
ホミンテルンとはホモ+コミンテルン(共産主義者)の造語だ。そうなんだろうか。ホモについてはよく知らない。しかし、共産主義については、ちょっと考える部分がある。
日本には、58歳になってまだオレは若いなと安堵する場所がひとつだけある。N響のコンサート会場だ。平均年齢のデータは知らないが、60は優に超えているだろう。20年後に8割はいないだろうなどと余計なことをつい考えてしまう。自分だってその一人かもしれない。2033年には誰がこの会場にいるんだろう。それとも、ロックやレゲエ好きの若者たちが齢60にもなれば自然とこの会場を埋めてベートーベンやモーツァルトを聴くようになるのだろうか。
実はこれはドイツでも大差がない。ドイツ語圏で7年半、コンサートやオペラを聴きまくった僕として自信を持って言えるが、ベートーベンの国でも会場は老人ホームさながらなのだ。オペラハウスはチケット収入では年間予算の1~2割しかいかない所もある。あとは税金で補てんするわけだ。つまり国家事業だからシュターツ・オーパー(国立または州立歌劇場)と呼ぶ。ベートーベンを聴かない世代が納税者の大半という時代になったら、それをサポートする政治家は落選するだろう。それがお国ものではない我が国では事態はもっと深刻だ。遠い未来に、武満徹の繊細なピアノ曲やシュトックハウゼンのオペラが鳴り響く空間が依然日常的に確保されているのかと思うと少し心もとない気分がしてくるのだ。それは作曲家の責任でも演奏家の責任でもない。
ウィーン・フィルは国立歌劇場管弦楽団員のアルバイトだと書いた。公務員である芸術家と資本主義的貨幣経済との相克だ。しかし公務員になれればその相克はまだ小さなものだろう。民間オケの団員の方々は、給料はもらっていてもゴーイング・コンサーン(企業の存続)の問題はいつ何時組織を襲うかもしれず、そういう現実との目に見えない闘い、シビアな相克のなかで日々芸術を極めようとされていることになる。大阪フィルを創立した京大卒・阪急電鉄出身の指揮者、朝比奈隆の伝記を読むと、そのすさまじさに慄然とする。それならコミンテルンがいいじゃないか、全員が公務員だし、というのが音楽家の総意であったとしても何ら驚くに足るものではない。
ソロモン・ヴォルコフというソ連の音楽学者が書いた「ショスタコーヴィチの証言」という面白い本がある。作曲家の回顧録としての信ぴょう性については諸説あるが、それはここでの本題ではない。重要なことは、真贋はどうあれ作曲家がソ連政府の干渉に対して服従であれ否定であれ面従腹背であれ、何がしかの芸術的リアクションを試みて生み出されたのが彼の交響曲やオペラだという可能性があること、これはかなりリアリティのある推測だろうということだ。共産主義と芸術の関係は、ソルジェニーツィンのように投獄、迫害という直接的、暴力的干渉から作品のコンテンツへの暗示的な影響という目に見えにくいものまである。いずれの場合も、国家と芸術家の関係が偽善的プロパガンダという目的で構築される環境下では芸術家が幸せだったとは思いにくいのだ。
共産国家が出現する以前の欧州では、音楽は教会と貴族と金持ちの私有物であり、作曲家も演奏家も彼らのために労働する、いわば公務員であったといっても大きくははずれていないだろう。ベートーベン以前に作曲された音楽はほぼすべてこのレジームにおいて生まれているが、それらの作品の質の高さというものは、社会のヒエラルキーの頂点にあって音楽を必要として消費する側、雇用者であり聴衆でもあった側のテースト(趣味)、教養が音楽家たちとある程度の同質性、同次元性があった、それがモーツァルトの場合は否定的に解される傾向があるとはいえ、やはりそうだったということを示唆しているといえないだろうか。
現代の貴族、パトロンが国家でないならば、芸術家が次に期待できるのはおそらく企業だろう。大企業においてはメセナと称して文化事業支援予算を組み、社会的貢献を謳うことが少なくはない。しかし、それも電鉄会社や新聞社が宣伝と販促めあてに球団を所有する程度の動機であるならば、今年は円高で業績不振なので予算をカットしましたということに平気でなってしまおう。特にサラリーマン経営者が赤字覚悟で作曲家にオペラを書いてもらおうなどと言い出せば次の株主総会で職を失うことは必至である。所有と経営の分離は資本主義を効率化する有力な手段ではあるが、文化面においては富と教養の分離という看過できない副作用をばらまくことは指摘されていい。
富と教養は、現代社会においてはオーナー企業経営者という存在において最も幸せな結婚をしているように見える。スイスのパウル・ザッハーは世界的製薬会社ホフマン・ラ・ロッシュのオーナー未亡人との婚姻により富を得て、同時代の作曲家に新作を委嘱した。そのおかげで、我々はオネゲルの交響曲第2・4番やバルトークの弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽を楽しむことができている。英国の、たまたまこれも同業だがビーチャム製薬(現グラクソ・スミスクライン社)の御曹司だった指揮者トーマス・ビーチャムは私財でオケを作り、我々はそのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を今も楽しんでいる。
我が国にザッハーやビーチャムが現れることを首を長くして待つよりも、もっと手っ取り早くて確実な効果を得られる方法がある。若い聴衆を育てることだ。のだめカンタービレの貢献は非常に大きいと思う。あれでラプソディ・イン・ブルーやラフマニノフの2番を覚えた子たちが2033年にNHKホールを埋めているかもしれない。作曲家と演奏家と聴衆。これは音楽文化を成り立たせるための欠くべからざる三要素である。市民革命以来貴族にかわって出現した聴衆という新階級が時代とともに変化、変質することでこの三位一体がバランスを失しては音楽文化は停滞を免れない。まず聴衆がマスとして好ましいテーストを獲得し、そのマスの容量が必要十分に増大することで、天才作曲家、演奏家が現れることを首を長くして待つのが順番というものだろう。
古典芸能であるクラシック音楽は、シュークスピアを味わうのに若干の時代背景へのガイダンスが必要なのと同様に少々の知識は必要になる。しかし、日本国籍を取得されたドナルド・キーン博士は「源氏物語をどういうわけか日本の学校は文法の教科書として教えている。この楽しい物語が何か国語に訳されているかご存知ですか。」といっていた。まさに文法教科書としてのつまみ食いでしか読んだことのない身として恥じ入るばかりだが、クラシック音楽教育も同じことがいえるかもしれない。いいものを聴いていいなあと思う、それを助けてあげる教育。そう思って音楽家になった方々も総動員で聴衆を育てる。何事もこれを楽しむものに如かず、である。
クラシック徒然草-ダボス会議とメニューイン-
2013 JUN 11 0:00:01 am by 東 賢太郎
「ザルツカンマーグートを見たことのない者にベートーヴェンの田園交響曲は解釈できない」 (ユーディ・メニューイン)
と20世紀を代表する大ヴァイオリニストは言ったそうだ。 「ラインラント地方を見たことがない者にシューマンのライン交響曲は指揮できない」 と信じる僕ごときと似たような音楽観をお持ちだったのかどうか真意はわからないが、それを先日ある人からうかがった瞬間に記憶が脳裏によみがえった。メニューインについてはある思い出があって、強い印象が残っているからだ。
1997年2月、野村スイスの社長だった僕は本社からの指示でスイスのいわゆるダボ
ス会議(World Economic Forum)に3日間参加した。この会議がどういうものかご存知の方も多いだろう(今年は安倍首相も出席してアベノミクスが話題になった)。登録者のみが参加できるのだが、たしか当時ひとり2万ドルぐらいかかったようだ。登録が受理されると名簿(辞書風のディレクトリー)に顔写真とプロフィールが載るのはSMCのメンバーリストと似ている。登録者各人に割り当てられる「鳩の巣箱(pigeon box)」という丸い穴の開いた郵便ポストがあるが、アルファベット順になっていて、Azumaのお隣さんはArafat(PLOのアラファト議長)だった。毎日の進行はというと、朝一番のブレックファスト・ミーティングから夕方6時ぐらいまで6~7コマのセッション(時限)があり、会場には大中小の様々なホールや教室があって、各々の部屋で同時進行で行われる。どの時限にどの部屋に行こうが自由だが各部屋とも人数制限があるので事前にレジスターしないと入室できない。人気のあるコマはすぐ満員になってしまうのでこのマイ・スケジュール作りが結構大変だった。言語は基本的に全部英語だ。
ダボス会議と呼ばれるが一様に会議なのではなく、一方的講義形式、パネルディスカッション型式、視聴者参加型ディスカッション型式などいろいろある。5~6人座っている複数の丸テーブルを複数のパネラーが10分ごとに回遊してアドホックに議論する型式は大変面白かった。僕のテーブルには米国連銀(FRB)の局長がいて、パネラーのひとりがチェコのハヴェル大統領だった。大統領がやってきていきなりアメリカの悪口をいいだすと、FRBがすぐに応酬する。チェコ好きの僕はなんとなく大統領に組してFRBの通貨政策を批判する。結論はない。10分でベルが鳴り、次のパネラー(ぜんぜん違う立場の人)が来る、という塩梅だ。まるでボクシングみたいだった。
当時、世界最高のCEOと尊敬されたGEのジャック・ウェルチ会長のブレックファスト・ミーティングは迫力があった。演壇上から南部なまりの英語で彼のスピーチは始まったが、だんだん自分の話に興奮してくるとマイクを手に持って熱弁をふるいながら演壇を降り、僕の丸テーブルのすぐ脇まで来てしまった。こっちは朝食を食べているのだがツバキが飛んできて困ったものだ。しかしそんな超至近距離で天下のウェルチのオーラを浴びられたのは何か感ずるものがあった。あれ以来、僕は英語でスピーチするときは無意識に、あの時のウェルチをイメージするようになっている。
ビル・ゲイツ(マイクロソフト)とアンドリュー・グローブ(インテル)の「ネットワーク社会」の対談は今日をほぼ予見していたが、いま振り返ると隔世の感があるともいえる。グローブが何やら小さい箱型の機器をポケットから取り出して「皆さん。びっくりしないでください。これは電話機なんです。今からこれでちょっといたずらしてみましょう。当社のストックホルム現法の社長を呼び出してみます。彼は私から電話が来ることなんか知りません。」といって我々の前でそれをやって見せた。ストックホルムの社長も驚いたが、見ていた1000人の観衆も驚いた。今なら小学生でもできることだ。1997年、世界のケータイ事情はまだこんなものだった。
ダボス会議の1週間というのは、こういう人たちが一堂に会し、会場内を普通の人である我々と分けへだてなく闊歩している。びっくりしたのはユーディ・メニューインのセッションがあったことだ。いや、それが彼のセッションだったのか、誰かのゲストとして呼ばれていたのか、もう記憶が定かではない。しかし、ひな壇にあった顔はまさに、レコードのジャケットで見知ったあの大ヴァイオリニストだった。楽器を弾いたわけではない。何か訥々とスピーチをした。心の中にいる神、政治の凶暴さ、戦争と平和、芸術のできること・・・などといった内容のものだったように思うが、彼について知ってることといえばフルトヴェングラーと録音したいくつかの名演奏ぐらいという体たらくだった僕はいくら彼の英語に耳をすませてもよくわからなかった。そこにいた僕の周りの聞き手が知っていて、たぶん僕だけが知らなかった彼のパーソナル・ヒストリーはこんなものだ。
7歳でサンフランシスコ交響楽団と共演した神童だったメニューインは、アメリカで経済的に困窮していたハンガリー人亡命者べラ・バルトークを助け、あの無伴奏ヴァイオリン・ソナタを献呈された人だ。また一方では、ユダヤ系ながら第2次大戦後のドイツとの和解を訴え、ナチス協力者の烙印を押されていたフルトヴェングラーと共演して彼の無実を擁護した。それが米国ユダヤ人社会の逆鱗に触れ、米国で支配的だったユダヤ人音楽家社会から事実上排斥されて欧州へ移住する運命となった。第2次大戦は欧州から米国へ移り住む多くのユダヤ人音楽家を生んだが、その逆は彼ぐらいのものだ。
このフルトヴェングラー事件は彼の父君がアンチシオニストの哲学者だったという思想的影響があったかもしれないと思う。誰とて父祖の薫陶から完全に自由であるのは難しい。ダボス会議の主役はアメリカではない。欧州だ。舞台は戦争の血なまぐささとは縁の薄いスイスだ。米国を追われ、そのスイスに居住し、英国で貴族の称号であるロードを授与された音楽家。ちょうどその1997年に欧州金融界が米国流ビジネスであるインベストメントバンク化の道を選択し、スイスの銀行が米国の圧力でナチ・ゴールドで守秘義務の解除を余儀なくされたこと、翌年5月に欧州中央銀行が発足し、統一通貨ユーロが誕生したこと。今になって、メニューインの存在が重なる。
僕は彼の実演を1度だけ聴いた。84年2月8日にフィラデルフィアのアカデミーでやったリサイタルだがほとんど記憶にない。84年の2,3月はMBAが取れるかどうかの期末試験で心ここに在らずだった。先週たまたまタワーレコードで10枚組で1,800円というメニューインのCD10枚組を見つけたので買った。
古い録音が多いので期待せずに聴きはじめるとこれが面白い。耳がくぎづけになって一気に10枚聴いてしまった。フルトヴェングラーがフィルハーモニア管を指揮したベートーベンの協奏曲。EMIの有名な録音だが改めて感動した。これだけオケが立派な演奏は少ない。全曲が泰然としたテンポで進み、第3楽章も急がない。第2楽章はロマン派ぎりぎりの夢見るような弦がソロをほのかに包みこむ。第1楽章はベートーベンの書いた中でもひときわ巨大な音楽でありいつ聴いても天才の発想に圧倒されるが、独奏がこれほど気品と風格にあふれ、古典派演奏の枠を超え人間味の限りをつくしたあたたかさが伝わるものはほかにない。ロマンスの2番。ベートーベンにモーツァルトの影響を最も顕著に感じる作品のひとつだ。この演奏も最高だ。
同じコンビでバルトークの協奏曲第2番!メニューインは自分が助けた2人の盟友を自らの新天地ロンドンで結びつけたのだ。4分音(半音の1/2)など音程はややア
バウトながら縁の深いバルトーク作品を格別の気迫で弾ききっており、フルトヴェングラーのほうも丁々発止オケを触発してそれに応えている。オケの反応も上々だ。前衛性はやや後退して古典に聞こえるものの、いい演奏なのだ。意外かもしれないが最も前衛性の強いピアノ協奏曲1番をバルトークの独奏でフランクフルトで初演したのはフルトヴェングラーである。録音は残っていないが彼は管弦楽のための協奏曲もやったらしい(聴いてみたかったなあ)。彼が同時代の音楽にも適性があったのは、自身が交響曲を3曲も書いた現代音楽作曲家でもあったのだから当然といえば当然なのだろう。
シューマン、ブルッフの協奏曲。独奏が文句なしに素晴らしい。全盛期のテクニックが冴えわたるが機械的でなく、いつも知性と人のぬくもりを感じる。前者はバルビローリとニューヨーク・フィルがこれまたいい。ナチスの妨害で初演できなかった因縁の曲だが、ヨアヒムが演奏不能とした第3楽章のめざましい表現は技巧を感じさせない。なんていい曲なんだろう。シューマンの最後のオーケストラ曲だ。いい曲に決まっているのだが、こういう水を得た魚のような演奏を聴かなくては曲の真価は見誤ってしまうのだ。
エルガーの協奏曲。これも地味だがいい音楽だ。32年録音の協奏曲はエルガー自身がロンドン
交響楽団を振って伴奏している歴史的遺産である。このツーショット、左の若きイケメンがメニューイン、右はそのエルガーだ。彼は英国に縁があったのだ。ドヴォルザークの協奏曲。師匠のエネスコの指揮するパリ音楽院管弦楽団がやや荒っぽいのが欠点だが、心に響くヴァイオリンが滔々と歌うとそれも忘れてしまう。メニューインは一時技術的に停滞があったのと、LPレコード時代の録音が薄っぺらい音に聴こえた(僕だけでないだろう)せいだろうか、日本での評価が欧米より低いと思う。この10枚組は音も意外に悪くないので彼の歌の真価がわかる。この歌、グリュミオー、ギトリス、フェラスといったエネスコ門下のヴァイオリニストにどこか共通するものがないだろうか?
ジョコンダ・デ・ヴィートとのバッハ。これも好きだ。2人の個性はそのままに、お互いぶつかり合うのではなく折り目正しく調和している。格調高いバッハになっていながら豊穣な歌心も感じる。ニールセンの協奏曲は特に印象に残った。指揮はウィーン・フィルとのハイドンでご紹介したデンマークのマエストロ、モーゲンス・ウエルディケである。デンマーク国立放送管弦楽団とのお国ものであり、オケの気迫が尋常でない。そしてメニューインがバルトークに委嘱し、献呈された無伴奏ヴァイオリン・ソナタは「直すところなんてない。これからずっと君の弾いたように演奏されていくだろう。」と作曲家に言わせた演奏だ。
10枚を聴き終えて、浮かんできたのはダボスでの彼のスピーチだ。ジョークを言うでもなく大声で主張するわけでもなく、訥々と淡々と人生を回顧するようなおだやかな語り口。当時は知識もなく意味も充分にわからなかった僕はなぜか感銘を受けていたのだ。そういうことは僕にはあまりない。彼が大ヴァイオリニストだからということは、僕に限ってはまったくない。そうではなく、どこか、彼の人格に由来する独特のたたずまいに包み込まれてしまったかのように思える。音楽やヴァイオリンの話はまったくなかったのに。
おそらく、すぐれたプレゼンテーターというのはすぐれた人格者だ。内容が金融であれ音楽であれ、それはあくまで題材であり、聴く者の心に深くこだまして納得感や感動という心の動きを作り出すのは題材にのって運ばれてくるその人の人間性のほうだと僕は思う。音楽は楽譜に書いてある通り正確に音を出せばいいというものではなく、解釈という、プレゼンテーターの心の作用のみがもたらすことのできる釉薬(うわぐすり) が加味されて初めて人の心に触れてくる。原稿を読みあげる政治家の答弁が、それがいかに文法的に正しく整った日本語であり、いかに正確に発音されていようとも、なかなか我々を説得するに至らないのと同じである。
メニューインの人道主義者、哲学者としての立派な側面は後で知ったことだから、あの時に僕を感動させたのは彼の人柄なのだろうと思う。すぐれたプレゼンをするなら、労苦を厭わずすぐれた経験を積み、人格を磨くことだ。プレゼンの小手先のテクニックなどは後回しでよい。僕は音程の甘い演奏は嫌いだ。好き嫌いだからどうしようもない。そして、メニューインの音程は僕の聴く限りやや甘い。だからあまり熱心な聴き手ではなかったのだ。しかし今回たまたま出会ったこれらのCDに1枚1枚じっくりと耳を傾けてみて、
「ザルツカンマーグートを見たことのない者にベートーヴェンの田園交響曲は解釈できない」
という彼の言葉の真意がおぼろげながら憶測できるような気がしてきた。ユーディ・メニューインが世を去ったのは、あのダボス会議の2年後のことだった。
消えゆく赤プリ
2013 JUN 8 9:09:16 am by 東 賢太郎
地下鉄南北線の永田町駅を出たところです。この位置からニュー・オータニが見えるようになってしまいました。この通りはその名も「プリンス通り」といいます。
下の写真で右に屋根だけ見えるのは旧李王家邸(いわゆる赤プリ旧館)です。これは残るそうです。このあたり、地名を「紀尾井町」といいますが、江戸時代に紀州徳川家中屋敷、尾張徳川家中屋敷、彦根井伊家中屋敷があったことに由来しています。この赤プリ周辺が紀州藩、上智大学周辺が尾張藩、ニューオータニ周辺が彦根藩の敷地だったのです。わが社の位置はこの写真右手、文芸春秋社のやや手前ですから紀州藩の敷地内だったことになります。
時は流れ、歴史は刻まれるものではありますが、毎日見慣れたものがなくなるのはさびしく思います。
クラシック徒然草-初恋のレコード-
2013 JUN 8 0:00:00 am by 東 賢太郎
高校時代、安物のステレオセットでしたのでFM放送はスピーカーの音をテープレコーダーにひろっていた頃があります。ある日、そうやってN響の春の祭典を録音していると、ある部分で、外で遊んでいる子供の「あっ!」という声が入ってしまいました。それ以来不幸にも、春の祭典を聴くたびにその部分にくるとその「あっ!」が聴こえるようになってしまったのです。もちろんそんな声が本当にするわけではなく、そのテープを繰り返し聞いて焼きついた僕の記憶がフラッシュバックとして再生されてしまうのです。
僕の春の祭典メモリーはブーレーズ盤によって初期化されていますが、実はこうやってどんどん追加情報がインプットされ、蓄積メモリーのすべてが耳で聴いている音楽と同時進行でリプレーされていることがこの経験でわかります。耳で聴いている演奏と記憶リプレーとをリアルタイムで比べて吟味している自分がいるわけで、ずいぶんと複雑な情報処理を脳内でやっているわけです。同曲異演を味わうというのはクラシックにきわだった特徴ですから、「この情報処理回路を持つ=クラシック好きになる」という仮説を立ててもいいと思います。
耳が聴いた音楽>記憶リプレー、という場合にだけ、「今日の演奏会は良かったね」という言葉が初めて出てくるわけで、この「記憶」が膨大で過去の大演奏家の演奏メモリーがぎっしり詰まってくると、少々の演奏で感動することは難しくなってきます。難儀なことです。ちょっとテンポが速かった遅かった、オケがうまかった、迫力があった、舞台が豪華だった、ピアニストが美人だった、要はそんなマージナルなことで評価が揺らぐことはありません。
相撲の世界で、横綱は蹴たぐりや引き技で勝てばいいというものではないといわれます。いわゆる「横綱相撲」が要求されます。うるさいお客さんたちは過去の名横綱の残像と比べて一番一番をじっくり見ているわけです。クラシックの世界も似ているのではないでしょうか。僕と春の祭典の関係でいうと、まずいきなりブーレーズ盤という超弩級の大横綱の相撲が記憶に焼きついたため、あとから聴いた演奏は全部「横綱にあらず」「不合格」という烙印が脳裏で押されてしまうという悲しい歴史をたどっています。
ブーレーズ盤は10秒単位ごとに「すごい部分」を書き出せるほどすごい演奏で、一方でそのぐらい微細で正確なメモリー(残像)が自分の頭に入っています。だからもう新しい演奏は意味ないのです。100年たってもこれに勝つ人が出るとは思えないし、ブーレーズ本人のライブでさえ完敗だったので、いまさら誰かの春の祭典を聴きに行きたいなどという自分はどこにもいません。聴きたくなったらもちろんこれを取り出すだけですし、何度聴いても鳥肌が立つほど感動させてくれるのです。
こう思うと、最初に「惚れた(ほれた)」演奏というのはけっこう影響が大きいと実感します。初恋の人ですね。これからクラシックを聴くぞという方に申しあげたいのは、その曲を誰の演奏でまず聴くかをこだわった方がいいということです。前述のようにメモリーは日々更新されるからそんなことはないという意見もあるかもしれませんが、僕が今でも親しめていない音楽は出会いが良くなかったかなというケースが多々あります。そういうことを踏まえながら、ブログを書いていこうと思っています。









