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クラシック徒然草-ホモと共産主義-

2013 JUN 12 1:01:16 am by 東 賢太郎

 

音楽家はホミンテルンでないと成功しない (レナード・バーンスタイン)

ホミンテルンとはホモ+コミンテルン(共産主義者)の造語だ。そうなんだろうか。ホモについてはよく知らない。しかし、共産主義については、ちょっと考える部分がある。

日本には、58歳になってまだオレは若いなと安堵する場所がひとつだけある。N響のコンサート会場だ。平均年齢のデータは知らないが、60は優に超えているだろう。20年後に8割はいないだろうなどと余計なことをつい考えてしまう。自分だってその一人かもしれない。2033年には誰がこの会場にいるんだろう。それとも、ロックやレゲエ好きの若者たちが齢60にもなれば自然とこの会場を埋めてベートーベンやモーツァルトを聴くようになるのだろうか。

実はこれはドイツでも大差がない。ドイツ語圏で7年半、コンサートやオペラを聴きまくった僕として自信を持って言えるが、ベートーベンの国でも会場は老人ホームさながらなのだ。オペラハウスはチケット収入では年間予算の1~2割しかいかない所もある。あとは税金で補てんするわけだ。つまり国家事業だからシュターツ・オーパー(国立または州立歌劇場)と呼ぶ。ベートーベンを聴かない世代が納税者の大半という時代になったら、それをサポートする政治家は落選するだろう。それがお国ものではない我が国では事態はもっと深刻だ。遠い未来に、武満徹の繊細なピアノ曲やシュトックハウゼンのオペラが鳴り響く空間が依然日常的に確保されているのかと思うと少し心もとない気分がしてくるのだ。それは作曲家の責任でも演奏家の責任でもない。

ウィーン・フィルは国立歌劇場管弦楽団員のアルバイトだと書いた。公務員である芸術家と資本主義的貨幣経済との相克だ。しかし公務員になれればその相克はまだ小さなものだろう。民間オケの団員の方々は、給料はもらっていてもゴーイング・コンサーン(企業の存続)の問題はいつ何時組織を襲うかもしれず、そういう現実との目に見えない闘い、シビアな相克のなかで日々芸術を極めようとされていることになる。大阪フィルを創立した京大卒・阪急電鉄出身の指揮者、朝比奈隆の伝記を読むと、そのすさまじさに慄然とする。それならコミンテルンがいいじゃないか、全員が公務員だし、というのが音楽家の総意であったとしても何ら驚くに足るものではない。

ソロモン・ヴォルコフというソ連の音楽学者が書いた「ショスタコーヴィチの証言」という面白い本がある。作曲家の回顧録としての信ぴょう性については諸説あるが、それはここでの本題ではない。重要なことは、真贋はどうあれ作曲家がソ連政府の干渉に対して服従であれ否定であれ面従腹背であれ、何がしかの芸術的リアクションを試みて生み出されたのが彼の交響曲やオペラだという可能性があること、これはかなりリアリティのある推測だろうということだ。共産主義と芸術の関係は、ソルジェニーツィンのように投獄、迫害という直接的、暴力的干渉から作品のコンテンツへの暗示的な影響という目に見えにくいものまである。いずれの場合も、国家と芸術家の関係が偽善的プロパガンダという目的で構築される環境下では芸術家が幸せだったとは思いにくいのだ。

共産国家が出現する以前の欧州では、音楽は教会と貴族と金持ちの私有物であり、作曲家も演奏家も彼らのために労働する、いわば公務員であったといっても大きくははずれていないだろう。ベートーベン以前に作曲された音楽はほぼすべてこのレジームにおいて生まれているが、それらの作品の質の高さというものは、社会のヒエラルキーの頂点にあって音楽を必要として消費する側、雇用者であり聴衆でもあった側のテースト(趣味)、教養が音楽家たちとある程度の同質性、同次元性があった、それがモーツァルトの場合は否定的に解される傾向があるとはいえ、やはりそうだったということを示唆しているといえないだろうか。

現代の貴族、パトロンが国家でないならば、芸術家が次に期待できるのはおそらく企業だろう。大企業においてはメセナと称して文化事業支援予算を組み、社会的貢献を謳うことが少なくはない。しかし、それも電鉄会社や新聞社が宣伝と販促めあてに球団を所有する程度の動機であるならば、今年は円高で業績不振なので予算をカットしましたということに平気でなってしまおう。特にサラリーマン経営者が赤字覚悟で作曲家にオペラを書いてもらおうなどと言い出せば次の株主総会で職を失うことは必至である。所有と経営の分離は資本主義を効率化する有力な手段ではあるが、文化面においては富と教養の分離という看過できない副作用をばらまくことは指摘されていい。

富と教養は、現代社会においてはオーナー企業経営者という存在において最も幸せな結婚をしているように見える。スイスのパウル・ザッハーは世界的製薬会社ホフマン・ラ・ロッシュのオーナー未亡人との婚姻により富を得て、同時代の作曲家に新作を委嘱した。そのおかげで、我々はオネゲルの交響曲第2・4番やバルトークの弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽を楽しむことができている。英国の、たまたまこれも同業だがビーチャム製薬(現グラクソ・スミスクライン社)の御曹司だった指揮者トーマス・ビーチャムは私財でオケを作り、我々はそのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を今も楽しんでいる。

我が国にザッハーやビーチャムが現れることを首を長くして待つよりも、もっと手っ取り早くて確実な効果を得られる方法がある。若い聴衆を育てることだ。のだめカンタービレの貢献は非常に大きいと思う。あれでラプソディ・イン・ブルーやラフマニノフの2番を覚えた子たちが2033年にNHKホールを埋めているかもしれない。作曲家と演奏家と聴衆。これは音楽文化を成り立たせるための欠くべからざる三要素である。市民革命以来貴族にかわって出現した聴衆という新階級が時代とともに変化、変質することでこの三位一体がバランスを失しては音楽文化は停滞を免れない。まず聴衆がマスとして好ましいテーストを獲得し、そのマスの容量が必要十分に増大することで、天才作曲家、演奏家が現れることを首を長くして待つのが順番というものだろう。

古典芸能であるクラシック音楽は、シュークスピアを味わうのに若干の時代背景へのガイダンスが必要なのと同様に少々の知識は必要になる。しかし、日本国籍を取得されたドナルド・キーン博士は「源氏物語をどういうわけか日本の学校は文法の教科書として教えている。この楽しい物語が何か国語に訳されているかご存知ですか。」といっていた。まさに文法教科書としてのつまみ食いでしか読んだことのない身として恥じ入るばかりだが、クラシック音楽教育も同じことがいえるかもしれない。いいものを聴いていいなあと思う、それを助けてあげる教育。そう思って音楽家になった方々も総動員で聴衆を育てる。何事もこれを楽しむものに如かず、である。

 

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