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新井カープ「孫氏の兵法」でCSファイナルへ

2023 OCT 15 18:18:01 pm by 東 賢太郎

今日もよく勝った。

外へ出ていて7回、2-0を確認していた。帰ってみたら2-2だった。そして8回、先頭の1番菊池がさすがのヒット。2番野間はバントのサインだったが2つ見逃してツーストライク。空気悪くなる(上茶谷投手の低めが伸びていた)。サインが打てにかわってショートにボテボテ。内野安打。3番西川。今永からホームラン打ってる。解説者ふたり(山本浩二、野村謙二郎)とも「打たせるでしょう」。そこでバント。満場がだまされてびっくり。上茶谷もあわててサード野選。無死満塁。本当に新井の采配は素晴らしい。これぞまさしく孫子の兵法「兵は詭道なり」である

そこで代打でライト前に快心の決勝打を放った田中浩輔!今年のカープの躍進は峠を越したと誰もが思っていたこの男の復活が底力になった。それは4月に書いたこの稿にある。

点と線(田中広輔と小園海斗の場合)

投手起用にもインテリジェンスがある。

この試合先発の森下は公式戦後半は立ち上がりが悪く、バンテリンドームで観た中日戦では先頭から5連続ヒットを打たれていた。普通の監督なら第2戦は安定した九里で行くが、森下に「第2戦は彼しかいないでしょ」と公言して九里はロングリリーフに使った。プライドの高い森下の力をうまく引き出し、昨日はその九里が2回投げて抑えた。

森下は無失点でしのいできたが、6回先頭の新人林にあわやホームランの2ベースを打たれ1死3塁となると大道にすっぱりかえる。この交代は森下は屈辱だろうがここまで零封だから成功だ。打者は大田、牧。大道はいま島内と双璧の球威がある。大田を二飛に打ち取りタッチアップは封じ牧は右飛で無失点。その裏、きのう東を打つと燃えていたが不発でスタメンを外された末包を代打に出してもう一人の難敵左腕、今永からいきなりホームラン。空気を俄然変えた。カープの監督でこんなに采配が的中するケースはあまり記憶がない。

昨日も今日も高校野球みたいな緊迫のナイスゲームだ。DeNAもしぶとく強かった。打線の迫力はカープより上であるし東、今永はリーグ最高峰の左腕だった。9回先頭で代打に起用された41才の藤田。最後の打席になった。栗林のフォークを見事にすくって芯に当てた右飛。やられた、やばいと思った。さすがだ。

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よく勝った!カープCS第1戦サヨナラ

2023 OCT 14 18:18:59 pm by 東 賢太郎

DeNA東は直球は147kmぐらいだが質が高い。高めで空振りが取れてる。そのうえに制球も半端ない。スライダーは大きくて鋭く右の堂林、末包、デビッドソンは内側をえぐられて当てるのが精いっぱい。そこで緩急つけて外に来るチェンジアップだかツーシームだかが手元で落ちてる感じだ。捕手の山本がいやらしい。東を引っぱってる。このいやらしいという感じは言葉にし難いがリードにインテリジェンスがある。いいキャッチャーだ、巨人戦で戸郷からホームラン打ったがこんなのがよくドラ9でとれたもんだ。このコンビで最多勝は納得した。

6回まで0-0。対して打たれながらも持ちこたえてきた床田がついに宮崎に2ランを浴び、ダメかなと思った、そのぐらい東が良かった。そこで出た三盗にスクイズ!これはびっくりした。羽月と菊池。これで空気が少し変わった。次いで西川の犠飛で同点にして延長11回に秋山のサヨナラ打で勝ち。センターの蛯名君、そんなに前にいなくてもよかったんじゃないかね。まあ劣勢をひっくり返してよく勝った。

大道、矢崎、島内、栗林、九里、ターリー、よく抑えた。僕が今年最下位予想していたのは7-9回の投手陣だ。それがここまでやった。だからの2位だと思う。菊地原コーチの功績もあるかと思うが、やっぱり新井だ。短期決戦で采配をフレキシブルに変えてる。すばらしい経営力。見習いたい。

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ショパン ピアノソナタ第3番 ロ短調 作品58(1)

2023 OCT 13 12:12:15 pm by 東 賢太郎

僕がショパンのあんまり良い聞き手でないことは表明してきた。その理由は推測がついている。彼のバイオを調べてみると精神状態が体調をおそろしく支配する人と思われ、振れが大きく、陰と陽の極の時に霊感が強く働いた音楽を生んだようである。その振幅と処理の仕方がどうしても自分の感性に合わないというのが答えである。どういうことかというと、我々凡人にはわからないが作曲の霊感が強い人たちは不意に楽想が降ってくるようだ。ベートーベンにそれがあったことは創作ノートへのこまめな書き込みで時系列まで判っているが、彼は耳を澄ましてそれを書き取るだけでアイデアを混合はしなかった。ところがショパンは、まったく僕の空想だが、それを作曲中のイベントに縫合できてしまい、あたかも元からそうだったように天衣無縫に仕上がって世間では「ショパンらしさ」と思われている。練習曲作品10第3番(いわゆる「別れの曲」)やバラード2番で突然に激するところがそうだが、それほど顕著でないやり方でならそこかしこにある。例えばワルツやマズルカなどに頻出する右手の装飾的な遊びに聞こえるパッセージやトリルだ。素早い指回りでルバートしてぴったり元のテンポのさやに収めないとショパンらしくないから決して即興ではない。その部分を前後の流れに「縫合」して緻密に設計された「らしさ」である。そうした音楽の本質的でない(と僕には思える)部分に意匠を凝らす彼の感性をすんなり受け入れられる「ショパン好き」とそうでない人間に分かれるだろうが、これは単に趣味の合うあわないで彼の音楽がどうこういう話ではない。二百年も多くの人に好かれてきた音楽が楽しめないとなると、それは自分の問題として返ってくるのだ。

音楽の趣味おいて僕はクララ・シューマン、ブラームス派であり、ワーグナーの楽劇までは許容できてもリストの標題音楽という発想にはまったく興味のない人間だ。だからショパンが標題音楽派であればなるほどという結論になるが、「雨だれ」も「革命」も「別れの曲」もみな他人の考案で彼は標題やニックネームをつけることを拒否する人だった。ではソナタ形式の絶対音楽をたくさん書いたかというとそれもない。つまりその切り口では何者なのか整理がつかない人なのである。しかし、そうであるなら、それを類型化する別の場所を僕は知っている。誰の影響もなく誰にも似ていない人だ。僕自身がそういう傾向のある人間だからその定義には違和感がなく、そういう人は少なからず存在する。「ショパンは他人から影響を受けぬ閉じたワールドの住人であり、その精神世界から湧く泉があの音楽だ」という仮説を立ててみると、僕が彼の音楽になじめぬ原因は音楽自体の構造的、物質的なものではなく、彼が辿った「人生の投影」という形而上的、非物質的なものだという結論になる。

そういう作曲家はもう一人だけいる。ベートーベンだ。僕は彼の救いようのない孤独を交響曲第2番とエロイカに観てしまった。気づいてからは両曲を安直な気持ちで聴けないし、そこから最期まで彼を悩ませた内なる敵との相克にはおよそ人間の経験し得る最も苦しく忌まわしいものを感じ、だからこそ最後まで敢然と闘った彼という人間に愛おしさを覚える。シューベルトの最晩年の作品にも、シューマンが記した狂った音にもそれは聞こえるが、この二人の苦しみは内面には恐ろしいものがあっても、外面に如実に現れて同情され記述されることはあまりなく、ベートーベンとは比較できないと思う。愛おしさは人に対してであり、宝を残してくれた感謝にもなる。それがショパンになくていいことにならないだろうという気持から逃れるのは難しい。

即ち、僕は Chopin-like な(ショパンっぽい)曲が好きではないという抗いがたい事実に直面はしているが、これが何故かを知るにはいくら楽譜を眺めてもだめだ、つまり、事の根源は曲の構造や楽理的なことよりも彼の魂や霊感にあるのであって、それはショパンという人間が何者だったかという問いから入らないといけない。そのために僕は彼の作品を、特に敬遠して看過していたものも含めて凡そを聴き直し、本稿はまず(1)で彼のパリに出てからの履歴を俯瞰し、ピアノソナタ第3番を題材に「精神状態が体調を支配する人の魂や霊感の問題」を解いてみる必要がある。第3番は彼の最高傑作というだけでなく、父の死による鬱の極から姉の来訪で躁の極に至るという最大の振幅の中で書かれたという意味で、精神状態の作品への投影が最も顕著のはずだからである。その具体的な指摘はyoutubeにある各種録音を例に次回(2)にお示しする。

ジョン・フィールド

ショパンは1810年生まれだ。シューマンと同い年でメンデルスゾーン、リストがひとつ違いである。ベートーベンはまだ中期であり、「告別ソナタ」、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」を書いていた。その時代の人が誰の影響もなく誰にも似ておらず、無双の魅力を放って天高く聳えている。こう書くと、アイルランドのジョン・フィールド(1782 – 1837)がいるではないかという声があがるだろう。彼が創始した「夜想曲」(ノクターン)がショパンに影響し、似ているという指摘はひょっとして彼の音楽以上に知られている。この新しい音楽はそれなりの世評をロンドン、ウィーン、パリで獲得する。そして、フィールドがモスクワとサンクトペテルブルクに長く滞在したことでロシアにまで広まることになった。

《ジョン・フィールド「18の夜想曲」》

19世紀前半の作曲の地平の劇的拡張はピアノという楽器の進化と並行した。ベートーべンは5オクターブ半のエラールのピアノの出現により「ワルトシュタイン」、「ピアノ協奏曲第3番」、「熱情」を作曲した。イタリア系英国人のムツィオ・クレメンティ(1752 – 1832)もそれに貢献した。彼はモーツァルトとの御前競演、誰もが弾くソナチネ、ベートーベンに第九を委嘱したことでも知られるが、ジョン・フィールドの師であり、練習曲集「グラドゥス・アド・パルナッスム」を著したピア二スティックな技法の開拓者としても著名だ。その知見を活かして自身のピアノ製造会社を設立してピアノを欧州に拡販し、ビジネスマンとしても成功した。彼だけではない、ヨーゼフ・ハイドンの弟子で交響曲を41も書いた作曲家イグナツ・プレイエル(1757 – 1831)もショパンが愛用したピアノ「プレイエル」の製造会社を設立して成功し、コンサートホール「サル・プレイエル」を造っている。

クレメンティは約100曲のピアノソナタを残したが初心者には演奏が困難だ。対して、夜想曲はベルカントとアルペジオの伴奏だからアマチュアでも弾ける。フィールドを使った営業戦略は卓抜である。フィールドにとっても、夜想曲のような楽想をチェンバロで発想、演奏するのは魅力に欠け、ピアノの進化の恩恵を得た。欧州、ロシアをクレメンティと共に演奏旅行してピアノを売るとともに夜想曲が有名になったのは幸運だった。ショパンはワルシャワ時代にそれを知ったと考えられている。舞曲形式では語れない瞑想的なコンテンツを盛り込むのに好適であり、20才から晩年まで人生を通して21曲を残した。彼の資質がそれを大いに欲していたから革袋は借りたが、しかし、盛った酒はショパンしかない霊感に満ちたものであった。

ミハイル・グリンカ

ロシアでフィールドにピアノのレッスンを受けたのがミハイル・グリンカ(1804 – 1857)である。後に母国の音楽に目覚めてオペラ「ルスランとルドミュラ」を書いて「近代ロシア音楽の父」と称されるが、ピアノ曲にはワルツ、マズルカ、ポロネーズ、ボレロなどショパンでおなじみの舞曲も、そして師匠直伝の夜想曲もある。舞曲はショパンの専売特許ではないが、グリンカがフィールドだけでなくショパンの影響も受けていたという仮定は、この辺は僕は詳しくないが、なかなか魅力的だ。スラブ民族、ロシア正教という異教徒、異民族の地で後にあの華麗なロシアピアニズムが生まれ興隆し、ラフマニノフ、ホロヴィッツ、リヒテル、ギレリスといった綺羅星の如き大ピアニスト達を輩出する契機となったのではないかと考えるとロマンがある。

《グリンカ ピアノ曲集》

 

ショパンには相思相愛のポーランド人女性マリア・ヴォジニスカがいた。恥じらいの中にも思慕に満ちた彼女からの手紙に彼はどれだけ鼓舞されたことだろう。左のポートレートは彼女が描いたショパンで、最も実物に近いとされるが、僕はそのことよりも描き手のなんともいえぬ暖かな目と愛情を感じて心をうたれてしまうのだ。当人たちは当然に婚約したつもりだったが、マリアの両親がショパンの健康とパリでの生活態度に疑念を懐き破談にしてしまう。ショパンの遺品にあった「我が哀しみ」と書かれたマリアの手紙の束。心底、かわいそうである。

魂のどん底で現れたのが男装の麗人ジョルジュ・サンドだ。マリアは清楚だったがサンドは逆だ。初対面でショパンは「あれは本当に女か」と印象を語っている。当世風にいえば、宝塚の男役で小説を70も書く売れっ子作家でもあって、名のある男と浮名を流しまくり、政界進出してフェミニズムの闘士になったような女だ。ショパンはその数ある男の一人であった。ひ弱で病気の28才、かたや女盛りの34才でふたりの子連れである。燃えあがったのは彼女の方で、恋愛も色々あるが女がぐいぐい迫ったケースの歴史的白眉と思われる。それを知って怒ったサンドのオトコが殺意を見せ、二人してやむなくマヨルカ島に逃げた。持っていったのがプレイエルのピアノとバッハの平均律の楽譜というのがショパンの禁欲的で閉じた精神世界を示すが、ピアノは税関が賄賂欲しさにいちゃもんをつけて差し止め長らく届かない。それが命の人である、同情を禁じ得ない。ちなみにこの島、一度行ったが美しい。病気の治癒を兼ねた逃避行の舞台には良い選択だったが季節が悪かった。冬の寒さと悪天候でショパンの病気はかえって悪化し、それは彼の性質として大いに精神を蝕んだ。

34才のサンド

サンドは懸命にショパンを看病した。これは大変なことで、結核は当時は原因不明の死病で島民が寄り付かず、死んでも島には埋葬させないぞと脅されたほどなのだ。3年前、正体不明のコロナが出てきた刹那のことを思い起こすに、母性と愛情なしにはとてもできないだろう。とんでもない女に引っかかったという見方もあるが必ずしもそうではないと僕は思う。純愛が冷めたらマリアにできそうもないことをサンドはできたからだ。彼女は軍人の父祖を持つセレブで、サロンの花形で取り巻きが上等である。パリに出てからのショパンは大ホールでの演奏を恐れ、社交儀礼の拍手をくれる聴衆よりも真に音楽を理解する人達のインティメートな場を求めて夜な夜なサロンに出入りしていた。まさにそれがマリアの母親に「病気なのに不摂生」と非難されての破談原因になったわけだが、サンドの取り巻きだった画家ドラクロアが「生まれてこのかた出会った中でもいちばん芸術家らしい芸術家だ」と語ったように彼は真の理解者を得て幸せだった。サンドはショパンの母親でもあった(自らそう述べた)。半世紀前の同じパリ。冷たいあしらいを受けたモーツァルトにサンドのような女性がいたらと思うばかりだ。

ピアノソナタ第3番ロ短調はマヨルカを脱出してパリに戻って1844年に書かれる。その年に父二コラが亡くなり、ショパンは2週間も重い鬱状態に陥った。保守的な家庭観を持つショパンはサンドとの内縁関係がうしろめたく両親に知らせていなかったが、見かねたサンドは思いきってショパンの実家に初めて手紙をしたため、母親から「息子をよろしく」と返信を得て姉夫婦がパリに来ることになる。ショパンの父はフランス人でポーランドで亡くなり、ポーランド人の息子はフランスで亡くなることになるが、両者が別離してからも絆が強かったことは姉夫婦の来訪で弟の鬱が完治してしまったことからうかがえる。「貴女は最上のお医者様でした」とサンドが姉と打ちとけたことは彼の心を軽くしただろう。そこでサンドの別荘であるノアンで書き上げたのがピアノソナタ第3番だった。

第2番はまるで「ソナタ」でなかったが、3番は古典的な装いで書かれている。ところが第1楽章提示部には控えめに数えても主題が5つある。後期ロマン派にこういうことはあるが、3番はブラームスが作品番号1のピアノソナタを書く8年も前の作品なのだ。したがって、無理やりの理屈をつければ第1主題、第2主題が提示されてから各々が「展開」されるところに計3つの「副次主題」があることになるが、どれもが第1主題、第2主題と何の関連もないからそういうものは展開とは呼ばない。闖入である。これこそが冒頭に書いた「作曲中に不意に関係のない楽想が降ってきて」と聞こえてしまうものであり、「それを作曲中の旋律に苦も無く縫合してしまい、あたかも元からそうだったように天衣無縫に仕上がって」「ショパンらしさだ」となっているものの正体である。一般には天衣無縫なのだと推察しているだけで、僕にとっては唐突な闖入なのだ。

もっと具体的に書こう。第1‐副1‐第2‐副2‐副3 の順となってその全体が提示部である。アシュケナージのビデオでお示ししよう。冒頭が第1主題、1分40秒からが第2主題であり副1は0分58秒から、副2は2分54秒から、副3は3分26秒からである。

ほとんどのピアニストは5つを平等に扱ってしまう。アシュケナージのこの演奏は美しさにおいて最右翼の出来であるがやはりそうだ。間違いとは言わない。2番と同様に3番をラプソディと見立てればそれでも良いし聴き手の趣味もあろう。2番のソナタは、まず葬送行進曲がマリアとの破局後の鬱状態で1837年に書かれ、残りはマヨルカに待ち焦がれたピアノが到着して一時の躁に転じ、病気を乗り越えて島から1839年にパリ郊外のサンドの別荘ノアンに逗留して元気になるという体も魂も揺さぶられる激震の如き2年間に渡って構想された。それをひとつのソナタに統合することに無理があるように思われ、ソナタと銘打ちながら統一性がないのはそうした理由からではないだろうか。自身が「行進曲の後で両手がおしゃべりをする」と表現した終楽章に至っては全編が無調の幻想曲で、なぜそういうものがそこに置かれたのかを合理的に説明できる人はこの世に一人もいない。唯一可能性のある説明は、彼は降ってきた楽想を行進曲にそう「縫合」したということだ。縫合に脈絡は不要である。

いっぽう、1844年に書かれた3番は父の死の衝撃を姉のパリ訪問で心から癒されて書かれた。2番とは真逆という意味で特別な作品であり、故郷への心の回帰、前作で為せなかったソナタの古典的統一への回帰を意図していると僕は見る。奇しくもその翌年のことだが、ショパンはサンドの家庭争議に巻き込まれて愛想をつかされ、ついに二人は破局を迎える。結局、彼女はショパンの死の床にいなかったばかりが葬儀に姿も見せなかった。こういうところはひどい女であると歴史に判を押されても仕方はないだろう。マリアと暖かい家庭を持つことがすぐ目の前にあった彼にとって想定もせぬ不幸な最期だったろうが、しかし、婚約破棄の理由になったほど病弱であり、ずっと患っていた肺結核に結局は命を奪われた彼である。サンドの強力な庇護と夏のノアンでの安らかな日々なくして、39才まで生きてこれだけの傑作を生み出せたかという疑問はどうしても残る。歴史に “たら・れば” はないというが、そうであるなら自分の歴史である人生においてもない。禍福は糾える縄。そういうものであり、思ったことを思い切ってやりぬくしかない。

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総理は一刻も早く解散総選挙をするだろう

2023 OCT 8 10:10:53 am by 東 賢太郎

このところ日々の訪問者数はNHKホールが満員程度の2~3,000人というところで安定している。ブログというメディアは前からあるが、僕のような一市民が既存メディアの力を借りずに特定の層とこれだけピンポイントで接点を持てる場は10年前まではなかったからすぐれて現代的現象と考えてよいだろう。知りうる限りの読者はインテリ諸氏である(男性6割)。柔らかくはない内容で平均4~5,000字の長文だから高学歴集団しか興味を持たないのは自明で、数としてはマイナーだが読者の理解度は高くサステナブルだ。この層には各界のインフルエンサーもおられ「数×質」の手ごたえはあるかなと感じる。

SMCの場で政治勧誘はしないが立場の表明はする。先日、親類にとってアンチの視点から描かれた松本清張の「昭和史発掘」を読んだ。この事件の錯綜した事の顛末のすえに壊滅的な敗戦がやってくる。親類は東京裁判で戦争犯罪人として逮捕され、巣鴨刑務所にA級戦犯として収監されたが、米国のロビンソン検事が無罪として釈放した。彼は戦争拡大反対勢力の首魁だったが陸軍内の権力闘争で東條英機ら統制派に敗れた。そこで対米交戦に向かう政権を批判する形で反対を唱え、その経緯を精査したロビンソンが擁護したというわけだ。軍内政治に負けた結末がそれというのも皮肉であり、もし勝って首相になっていれば確実に死刑だった。政治的立場というものはかくも重い。我々私人とて社会に出れば組織の権力闘争と無縁ではなく、僕も覚えがあるし敗退しているし、それに勝ったことで墓穴を掘った例も現実に目にした。

東京裁判で7人が死刑(絞首刑)、16人が終身刑、2人が有期禁固刑となった。日米関係の力学は憲法改正問題以前にいまだこの裁判の延長から完全にフリーになったとは思えず、安倍晋三が戦っていたのはそれだったのではないか。BRICs、グローバルサウスに日本外交が過度に寄ることを警戒する米国はジャパン・ハンドラーズのグリップを強める方向に急激に舵を切り(軌を一にして英国でもトランプ寄りのボリス・ジョンソンの首を切り)、我が国の空気をどんよりと重苦しくしている。東條は裁判で「この戦争は欧米の経済的圧迫による自衛戦争である」という主張をしてはねつけられたが、ウクライナ戦争でロシアも同様の趣旨の主張をしている(ナチ呼ばわりで過激だが)。米国、NATOが認めるはずはなく、ロシアは軍事的に屈服すれば日本同様の運命になるから戦術核をちらつかせているという危険な情勢だ。米国は過度の挑発を避けつつ大統領選前に幕引きを図るだろうが、債務上限問題に強硬な議会の反対もあって戦後処理の金を出す気も余裕もない。従って何十兆円にも及ぶといわれるそれを日韓に押し付けるためバイデンは両国をワシントンに呼び、和解させ、増税によって賄わせる算段だ。これはマストであり既定路線である。

僕は政治通でもないし情報源もないし、そもそも政局など興味もない。以下は誰でも知ってる情報を僕なりに組み合わせた仮説にすぎないからまちがってるかもしれない。前回もそういうものを書いた(「今だけ金だけ自分だけ」の議員は落とせ)がここまで矛盾する出来事は何もないから修正はしない。

東京裁判の被告なみに米国にビビりまくっている岸田総理はバイデンに逆らう意図など毛頭ない。ということは増税メガネ呼ばわりされようが何だろうがLGBT法案と同様なりふり構わず増税する以外に道はない。だから財務省と気脈が通じ国民向けキャッチコピーに長けた木原は配置転換でお茶は濁すがはずせない。警察も検察も裁判所も三権分立以前に公務員であり権力と喧嘩したくない。それとマスコミは喧嘩したくない。権力者は本来総理なのだが、総理が盲従するならスルーして米国が支配者ということになる。なぜ全部がチンイツで動くのかという不可解な現象は国内ばかり子細に見てもわからない。すべては米国の指示でシンクロして動いているのである。これが独立国か、民主主義はどうなった、三権分立はどこへ行ったと騒いでも仕方ない。親会社は来年の選挙で忙しくカネもないから、子会社の定款など無視してお前らがカネを出せ、逆らえば社長は首だと脅してるわけだ。内閣改造は他派閥においしいエサをばらまいて来年の自民党総裁選で再選の邪魔をされない手を打つのが目的で、国民の目にはどうあれうまくやった。そして、バイデンの言うことを聞けば万事が日本国民のためにはならないのだから岸田政権も自民党も支持率は時間がたてばたつほど確実に下がる。従って、総理が合理的な人であるならば、一刻も早く解散総選挙をおこなう、今月の国会初日でもいい、そうなるはずだ。

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大衆は気がつかないよ(宇宙人の予行演習)

2023 OCT 6 0:00:51 am by 東 賢太郎

「あなたは大きな猫だから」と家内にいわれてる。自分もそう思うし5匹の猫たちも多分そう思ってる。猫に理屈はない。だから人間界ではとても理屈っぽいのに猫といると頭がぼよんとしている。ひょっとすると人の前であっても僕の理屈というのは実は猫的な感性から発出していて、人には通じてないのではないかと思うことがある。通じないものは理屈といわないから、僕がしゃべっているのは猫語の翻訳みたいなものであるのかもしれない。とするとその刹那、この男はとてつもなく馬鹿でねえかと思われてるだろう。

手が不器用だ。靴ひもを結んだり荷造りとか整理したりがまるでだめで、ロッカーで着替えなんかをしようものなら必ず断トツにびりだ。僕より遅い人を見たことがない。子供の時からそうで、着替えがある体育や水泳は大嫌いだった。そりゃ猫の手は構造的にそういうことには向いてないのである。だから僕が愛猫家であるなどと人間の種別、分類で呼ばれるのは不適切であろう。機能的にも猫なのであって、獲物を見つけた時の瞬発力だけで生きてきたような気もする。

うちのフク

ときどき猫が窓から空をじっと見ていることがある。鳥も何もいないのに、しばし虚空の一点に目を凝らしている。するとああ誰か来ているなと感じるのだ。霊感が強いわけではないが、僕はそういう考えに抵抗はあんまりない。人間も動物も霊の乗り物であり、生まれる前、死んだあとは我々の意識は霊界にあると思ってるからだ。大阪では明け方に金縛りになって耳元で誰かの足が畳を擦る音まで聞いている。

イメージはこんな感じ

一度UFOと思われるオレンジ色の火球を目撃もした。たしか1982年、結婚前の家内とデート中の真昼間のことだ。渋谷公会堂前にNHK放送センター側に渡る歩道橋が当時はあり、その上を歩いていたら西方の遠くにそれが浮かんでいた。家内も見たし周囲の人たちも「あれはなんだ?」とざわついて立ち止まっていたから絶対に錯覚ではない。中空に3つ4つが静止しているように見えた火球は、やがてぐるぐる互いを旋回するように動いて急に跡形もなく消えた。僕は星ぐらい小さな点になると色はわからない(猫目だ)。太陽みたいな色だったとはっきり覚えてるのは、それが点ではなくそこそこ大きかった証拠である。その動きの素早さは雲に地上から映しだされた光点のごとく空気抵抗というものをまったく感じさせなかったが、晴れていたから雲はなかった。

米国は軍人や民間人の未確認物体の目撃情報が何百とあるらしく、議会で大真面目にとりあげている。そしてメキシコではついにこんなものが出てきてしまった。医師らがDNA鑑定やCTスキャンなどの結果、「この物体は組み立てた痕跡がなく人類でもなく放射性炭素年代測定で約千年前のものと判明した」と世界に報道された。「ナスカの地上絵」付近の鉱山で2017年に発見されたのがなぜこのタイミングで出てきたんだろう。なぜメキシコなんだろう。よくわからない。あの渋谷の火球が乗り物であるなら明らかに地球製ではなさそうだからこういう宇宙人が操縦していて不思議ではないわけだが、さりとてこれを信じろと言われてもね・・。

そこで先日仲間とこういう会話になった。

「これって変だと思わない?」「どうして?」「だって、宇宙人だ!って世界を本気で欺く気ならもうちょっとマシなの作らないか?」「う~ん、たしかにこりゃハリウッド映画じゃ使えないな、馬鹿にすんな金かえせってレベルだ」「だからホンモノかもしれない、でも俺はわざとそう造ったなら面白いと思ってるよ」「どういうこと?」「つまり、科学者に『本物だ!』って報道させてみてさ、世界の何人がまじめに信じるかってデータを集めてる」「壮大な陰謀論だねえ、リアル世界のCGってわけか、じゃあ何を企んでるの?」「来年11月の米国大統領選のイカサマだ」「なるほど、民主党は劣勢だもんね」「そう。トランプが勝ったらバイデンがやったことがパーになって巨大な借金だけ残って民主党はボコボコにされる」「なるほど、でも前回の大統領選挙は何があったんだっけ?」「2020年だぜ、コロナ騒ぎが始まった年じゃないか」「そうか」「タイミング良すぎないか?」「うん、世界中がパニックになったからな」「だから選挙工作ができたんだよ」「選挙工作?」「感染するから郵便投票を増やせってなったろ?」「ああ」「その郵便票をバイデン陣営がイカサマ集計マシーンで水増しした」「たしかに噂はあったな、でも噂で終わったぞ」「それはマスコミがグルになって否定したからよ」「そうか、それどっかで聞いた気がするな・・」「それで工作は『なかったこと』になって、返す刀でトランプの議会襲撃の報道一色にすり替わったんだ」「おお、それも最近どっかで見たような気がするぞ!」「おんなじ奴らがやってるから手口もおんなじなんだよ、でも大衆は馬鹿だからどうせ気がつかねえって高をくくってるんさ、悔しくねえか?」「そうか俺も愚民なんだな」「だから民主党は今回もとんでもない大嘘を画策してる可能性がある」「楽しみだね、今回はなんだ?」「世界が唖然とするぐらい馬鹿馬鹿しいけど本当だったら大変だってのかな」「そうか、メキシコの宇宙人は予行演習か」「そしてやるんだ、アリゾナの砂漠にUFOの大群が着陸しました!宇宙人の侵略です!バイデン大統領が国家非常事態宣言を出しました、彼にまかせよう!(笑)」

猫は嘘をつかないが人は人をだます。

日本人に砒素のように効くLGBT法

自民党に漂う「オワコン感」の真因を解く

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セリーグの順位が決まる

2023 OCT 4 22:22:59 pm by 東 賢太郎

今日の最終戦でDeNAが巨人に勝てば2位が確定、広島は3位に落ちてCSは横浜開催になる瀬戸際だった。巨人の山崎投手が9回まで準完全試合の快投を見せて1-0で完封。最多勝の東投手に投げ勝ってくれて助かった。この試合、原監督の最終戦でもあった。2018年から東京ドーム年間席を持っていたので彼の最後の3年を観た。ひとつの時代が終わったのかな。

左が我が予想、右が結果。

1・ ヤクルト       阪神

2・ 阪神         広島

3・ 横浜DeNA       横浜DeNA

4・ 巨人         巨人

5・ 中日         ヤクルト

6・ 広島         中日

なんと我が広島と昨年の覇者ヤクルトが逆であった。新井監督ごめん!

 

ちなみにパリーグは左の予想に対し10月4日現在が右。

1・ ソフトバンク     オリックス

2・ オリックス      ソフトバンク

3・ 楽天         ロッテ

4・ ロッテ        楽天

5・ 西武         西武

6・ 日ハム        日ハム

まだ数試合あるがさてどうなるか。

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「この野郎事件」と移籍の秘話をついに話す

2023 OCT 2 15:15:07 pm by 東 賢太郎

野村證券のとても親しい先輩3人、後輩2人と会食した。皆さん大御所だが同窓会みたいなもので、この3年ほどコロナで集まれなかったぶんだけ酒宴が盛り上がって実に楽しかった。証券マンだからということではなくひとえに超大御所のおかげでこの場は銀座だったら大変なことになるとてつもない酒が並ぶ。もったいないことに僕は下戸だから元からだめ、皆さんはへべれけで味などわからなくなってぐい飲みだ。そういう場でプライベートなことは無粋だから僕はあんまり話したことがないが、今回は誰も知らないことを言って皆さんの酔いを醒ましてしまった。

きっかけは他愛ない。そういう場に恒例の酒の肴、「あの人は今」だ。10年ぐらい前までというと、あいつが**国全権大使になった、大儲けした、芸能人デビューしたなどと良くも悪くも派手だったが、平均年齢60代後半にもなるとろくな話がない。大概がもうなにもやってない、亡くなった、大手術した、かみさんが逃げた、消息ない、ボケた、コロナ後遺症でウンチが出ない、自分で施設に入ったなどという話がひっきりなしだ。やがてネタがきれる。すると次は「そういえば」のオンパレードになる。そういえばあれ凄かったよなあ、営業場の殴り合い。恥ずかしくて世間に言えないよな。あの時さあ、やめてください!って俺はAさんを後ろから押さえ込んで彼がBさん抑えてさ、俺の方が力が強いんでAさん動けなくって手がほどけたBさんに受話器で頭殴られちゃってさ、怒られて大変だったのよ(長い爆笑)。ここで何気なく「いや、実は僕もそれ危なかったんですよ」とぽろりと言ったのだ。そういう人間と思われてないので場が凍りついてしまった。こういう話だ。

某ポストに就任した直後のこと。そこの経営方針について、そういうお立場にあった上司に理不尽(と僕には思えた)に、これでもかと延々と罵倒され、じっと黙って聞いていた。元来凶暴な人間ではないから人生初だったが、つまりそこまで僕を怒らせた人間は世界で皆無だったということだが、ある瞬間ついに堪忍袋の緒が切れ「何だとこの野郎」と言ってその5年先輩を殴ろうと静かに立ち上がった。衆人環視の某著名ホテルのロビーでのことだ。同席していたのが大学レスリング部で鳴らした同期のN課長だったのが幸いだった。殺気を見抜き「東やめろ!」と怒鳴って後ろから押さえ込んでくれ事なきを得たが、色々あったので僕は完全にその気になっており、まだ40代だったので野球で鍛えた右腕は健在で、やっちまっていたら野村證券部長・松の廊下事件の週刊誌ネタを提供してサラリーマン人生は吹っ飛んでいたろう。

Nがなんとかその場をうまく収めてくれた。そのぐらい命懸けで仕事していたから社内でバレようと屁の河童だったが、相手のお立場があったので誰にも言わなかった。何のお咎めもなかったからご本人もNも秘密にしたのかもしれないがその辺は知らない。大変感動したのはNが自分の上司でなく僕を守ろうとしてくれたことだ。どっちも部長で社内では有名人だったからこれだけでも半沢直樹の銀行なら同期が足を引っ張る絶好のネタになり翌日には全社的に知れ渡っていたろう。当時の野村は真逆の素晴らしい会社だった。ところがそういう男気の塊のようなNが他界してしまった。かさねて、そのあたりから人事もだんだん意味が解らなくなり、Nのようなタイプが徐々に不遇になってきたように見えた。これが会社をやめた直接の原因ではないが、まったく無縁でもない。そのとばっくちであったと今になって思う「この野郎事件」。先日家内に初めて話してとても驚かれた。この日は2度目だったが皆さんも同様だった。

競合他社で野村を倒す野心満々の会社に幹部として引き抜かれるのだから、僕はなぜやめるかどこへ行くつもりかを野村の人にはまったく秘密のままいきなり自己都合で退職させていただくこととなった。行き先が知れると週刊誌に実名で載ってしまった。そこも含めて何らの問題もなくそうさせていただいた武士の情けには深謝するしかなく、だから真相を野村の人は誰も知らず、必然として様々な事実と違う情報が流布した。お世話になった方や一緒に戦った仲間には本当に申し訳なかったが何も公表できなかったのだから誰にもしゃべるわけにいかず、何を言われても甘んじるしかない。「おまえそれはいいがあのJAL(の1500億円のファイナンス)な、あれだけは許されないぞ」と突っこまれる。業界で大問題になり日経が社説で証券市場の敵みたいにみずほ証券を連日叩いた公募増資だ。当時の僕が古巣の論理ではまったくその通りなことを意識しなかったはずがない。野村にいたら俺は敵方みずほを叩く側だったなあと心中は千路に乱れていた。しかし、なんというか会社が総会屋事件からいわば左傾化し、海外派では稀な保守の最右翼であった僕はどんどん居場所が狭くなり、気がついたら傭兵募集に志願していてその時の雇用主はみずほ証券になっていた。それだけだ。だから何も悪いと思ってないし、そういう政治を離れればJALのディールは前人未踏のプロフェッショナルキャリアの勲章ですらある。その酸いも甘いもわかってくれ、馬鹿野郎と言いながらあんな大それたことを銀行系でよくできたなというニュアンスで語って下さるのがこの5人の賢人なのだ。

そしてとうとう「この野郎事件」の先にくる移籍の真相を飲み会の帰りに後輩だけにしゃべった。「ええっ、そうだったんですか!」また絶句だ。その先は当時のみずほ証券社長だった横尾さんが産業革新投資機構CEOであり、ソナーの取締役会長もしていただくに至った経緯として書いてあるが、そこに至るまでの急所はあまり書きたくない。それを彼に話そうと思ったのは気まぐれではない。「あの人は今」でみんなぼろぼろで平均寿命も短いが、それもこれもあの頃の野村の異常な激務をくぐりぬけたんだから仕方ない、注意しようなで納得だからだ。つまり僕もそれをしていたひとりだし5人も同じことをしていたのだからたぶん自分ももうすぐぼろぼろかなと覚悟しておられる。しかしそれもジョークで軽く笑いとばせ、普通の人なら思い出したくもないその阿鼻叫喚の凄まじい激務を酒の肴に飲めてしまう腹のすわった素敵なオトナ達と心行くまで会話できたからである。僕は僕で野村はもう無理で転社して大変だったんです、でも必要として下さるところがあって幸いでしたというだけだ。今となっては隠しておく必要もない。やっと暴露して胸のつかえがおりた。

痛感する。世の中能力だけじゃない、運だ。何をやってもうまくいっちゃう人と真逆の人がなぜかいる。お会いした経営者の方々みなそう言われるが、それは全員が成功者なのでみな自分は前者にちがいないと信じているという単純な理由からである。ゴルフで俺は晴れ男だぐらいに根拠はない。それなのに男のあげまんというか周囲にいてくれる人たちも幸せにできると固く信じているのだから経営者という人種は相当狂ってることは間違いなかろう。僕も68年生きて幸せの絶頂も不幸のどん底も何度も何度も大いにいろんなことがあり、その結果の集大成としてそう信じるようになってるのだから全く故無きことでもないとは思う。ただどんな不幸で奈落の底に落ちてもそう思える単なる馬鹿であり、信じてるのであきらめないから何回もやっているうち1度ぐらいは成功もするから俺は運があると思ってる。そういうことかもしれない。そう言ったら先輩、「そこまで徹底して馬鹿なら一つの才能だよ」とのたまわった。

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間違いなく大物(読響第665回 ギエドレ・シュレキーテを聴く)

2023 SEP 27 11:11:12 am by 東 賢太郎

指揮=ギエドレ・シュレキーテ
フルート=エマニュエル・パユ

チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」
サン=サーンス:オデレット 作品162
サン=サーンス:ロマンス 変ニ長調 作品37
シャミナード:フルートと管弦楽のためのコンチェルティーノ ニ長調 作品107
バルトーク:管弦楽のための協奏曲

(9月22日、サントリーホール)

公演曲目が何かを見ずに雨の中をサントリーホールへ向かった。興味がないと面倒で行かなくなってしまうので毎度そうしている。指揮者も初めてきく。ギエドレ・シュレキーテ、何人だ?なんと1989年生まれ。我が子の世代。いよいよそんな時代になった。リトアニア人か。数学者と歯科医の娘だ。同国の音楽家は寡聞にして知らないが、調べるとピアニストのヴラド・ペルルミュテールがカウナスの出身だ。六千人のユダヤ人の命を救った杉原千畝氏が「命のビザ」を書いたリトアニア領事館はカウナスにあったから日本とは意外なつながりがあった。

 

 

ロメオとジュリエットは交響曲第1,2番の間に書かれたとは思えぬ大名曲だ。幕開きの和声は真の天才の創造で後の作品にはもうない。シュレキーテがそういう所に意を用いた選曲だったかどうかはわからなかったが小品でないスターターは悪くない。パユは93年にBPO首席だからベルリンで聴いたブーレーズのダフニスは彼のフルートだったはずだ。あれは本当に素晴らしかった。ただ僕は基本的にフルートソロはあまり得意でないので書けるほどのことはなくあしからず。

バルトークは指揮を見ていた。若鮎のようにきびきびし、バレエのように流麗と思えば鞭を打つように俊敏なアタックが決まりキューもよく見ていないと気づかないほど細かく正確無比。肘を伸ばして大きく腕を使ったうえに手首で棒の先の寸分の動きまで細かくコントロールして得たい音楽をくっきりと造形で隈どりするからオケも弾きやすいだろうし何度振っても同じ音楽が出てくるイメージだ。とにかく僕は往年の巨匠、ということはよれよれのお爺ちゃんの指揮をたくさん見てきて、どうしてあれで合うのか不思議というのが多かったがシュレキーテの精緻な動きは対極だ。ただ情報量の多いイメージほど緻密、神経質な音楽にはならず、顔の表情も豊かで生命力がありエネルギッシュなのは大変な個性である。時間も支配するが聴衆も支配する。2時間もお預けするのだからそのぐらいでないと困る。

何百回聴いたかというオケコン、もはや少々のことではなんとも思わないが各所に彼女なりの個性の刻印を見た。Mov3の神秘感を高めるppのつくり方も堂にいっている。確固としたやりたいものがある。それがない指揮者はただの芸人でもう聴く必要はないと思わせる。終楽章コーダは速めに入っていったんリタルダンドしてタメを作って巧みに素早く戻し(これはうまかった)、シンバルの後に減速なくア・テンポでそのまま走って決然と終わったのはユニークだが僕は高評価だ。大方の指揮者が野暮丸出しの大見えを切る最終ページのテンポの虚飾なし。バルトークはそんなもの求めてない。オーマンディのそれが正しい。実は体調がいまひとつで彼女がもし減速したらすぐ席を立って帰ろうと思っていたが、渾身の拍手を最後まで送ることとなった。

クラシック音楽にあまりなじみのない読者もおられようが、この人のような世界でもtoptopの才能に触れられる場として認識されたらどうだろう。

前稿で女性の社会進出への私見を明確に書いたが、偶然とはいえその直後にこれだ。実力ある者に男も女もないことをこれほど如実に味わった経験もそうはない。youtubeに幾つかあるインタビューを聴くに彼女は心底音楽を愛して楽しんで、持ち前の性格の明るさ(いい笑顔だ)で団員とハートでコミュニケーションが取れていることがわかる。音楽は理性だけでするものではないから、他人に音を出してもらう指揮者にとってそれは必須のことだ。僕の中でこわもてのおっさんの時代は完全に終わった。youtubeを全部見たが母国語はドイツ語のようでフランス語は聞けているが話すのはパスし、英語はうまい。彼女の欧州での活動の中心はオペラハウスだ。チューリヒでシュレーカーの「烙印を押された人々」、フランクフルトでプーランクの「カルメル会修道女の対話」と僕としては聞き捨てならぬものを振ってる。明らかに速球勝負の本格派である。期待したい。やはり読響でメシアン「アッシジの聖フランチェスコ」を振ったシルヴァン・カンブルランの切れ味ある棒も感服ものだったが、彼女も能力において少なくとも「見劣り」はせず、知性と熱と運動のバランスが取れてくれば大化けするだろう。

さきほど彼女のファースト・アルバムと思われるリトアニアの作曲家ジブオクレ・マルティナイティテ作「サウダージ」(左)のプローションビデオを見つけた。ちなみにシャミナードはフランスの女性作曲家だ。やがて “女性” を書く必要はない時代が来るが、現在は情報のひとつとしてマルティナイティテもそうであり、シュレキーテが意識している可能性はあることを特記する。(https://www.zibuokle.com/

このビデオでマルティナイティテ氏が僕が昨日に上述したこととまったく同じ感想をシュレキーテの指揮について語っている。

もうひとつ、グラーツの地方オケとフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」の重唱を練習してるビデオを見つけた。音楽って手造りのこういうもんだ。いいなあ。また日本きてください。

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日本は女性差別社会ではない(通説の嘘)

2023 SEP 24 0:00:39 am by 東 賢太郎

「夏休みの宿題は先にやっちゃうタイプなんで」。どういう話の流れだったか、渋谷で食事の時にAさんがこういった。たしかに僕もそうしろと叱られて育ったが、やったためしはない。怒った父から「学習計画表」を作れ、それを部屋の壁に貼れと厳命がくだったので仕方なく作成した。美的センスのある母が協力してくれ割と見栄えのいいのができた。とても満足し、貼ったことは数日で忘れた。こうして僕の一夜漬けは小学校時代に始まる。

単に怠け者なだけだったが、だんだん言い訳を考えだした。夏休みは前半は楽しいが、後半は終わりが見えてきて憂鬱になる。学校が好きな人は早く行きたいだろうが勉強嫌いの僕はそうでない。そして宿題というものはいつやるかを問わず憂鬱だ。ということは、それを最後の日にまとめてやればどうせ憂鬱な日なんだから損はない。

先憂後楽という言葉がある。しかしせっかく幸福な前半に学習計画表に見張られて暮らすと幸せの山が低くなり「絶頂」はこない。宿題をいつやるかに関係なく後半は憂鬱なんだからそこで頑張ろう、前半は絶頂まで登って満喫しよう。そう決めたわけでもないが自然と先楽後憂が習慣になってしまい、すると、最後の数日で宿題を全部やっつける腕力もついた。

ところがそんなことを奨励する日本人はまずいない。父は僕を更生させようとイソップの「ウサギとカメ」「アリとキリギリス」を何度も話してきかせた。計画表が失敗したので洗脳作戦に出たわけだ。なんと親はありがたいものかと感じ入るが、洗脳されにくい性格に生んでくれたからそれも失敗に終わった。父の名誉のために書いておくが、僕がこうなったのは親のせいではない。聞けば聞くほどウサギ、キリギリスになってそのままゴールすればいいじゃないと考えるようになってしまったのだ。「どうしてカメやアリなんてノロまにならなくちゃいけないの?」成城幼稚園でそんな感じの質問をした。いまになって思うがいい質問だった。園の飼い犬を棒で殴ってご迷惑をかけたジュンコ先生、何といわれたかは覚えがないが僕は長じてウサギ、キリギリスを目指す “いけない子” になった。

それから20年たってアメリカに行った。全米1位のビジネス・スクールであるウォートン・スクールに入れてもらったが、そこにはウサギとリス以外の生き物は一匹もいなかった。政治もビジネスもアメリカはその連中が動かしてるし、欧州も中国も同じようなものだろう。ところが日本はどうもそうでない。当時、エズラ・ボーゲル著の「Japan as Number One」が話題で、教室で日本がそうなった理由を質問されたが一度も満足な解答ができなかった。当然だ。いまだって僕はその答えがわからないのである。なんたって、日本で一番それを言っちゃあいけない農林水産大臣が「汚染水」と口がすべっちゃう。あのお爺ちゃんは誰なんか政治にうとい僕は知らない。でも日本は潰れない。強い。なぜなんだろう。外国のエリートはそういう失礼なことは口に出さないがみなそう思ってる。教室では苦し紛れに「官僚が優秀だから政治家はその程度でいい」と言った気がするが、ルイ16世だってそこまで馬鹿じゃなかったぞ、そんな支配構造がなぜ明治から100年も続いていて国民も、その優秀な官僚までもが唯々諾々と従っているのかが米国人には理解できないのだ。

ところがだ。渋谷でAさんの言葉を聞いて電撃的にひらめいたのだ。宿題は先にやれ。ひょっとしてこれか?銀行家でありその代表のようであった父が何度もこうなれよと説いた堅実で真面目なカメとアリ(『カメアリ派』と呼ぼう)。いい調子で楽しくやって天罰が下るウサギとキリギリス(『ウサリス派』と呼ぼう)。そこに答えがあるんじゃないか。「いいわね、あなたたち、みんな仲良くしていいカメアリになるのよ」と幼稚園から教わって、それを信じてゆっくりのっぺり生きて、それが幸せなんだと一様に疑わず、しっかり先憂して貯めた預金通帳残高を見るのを老後の楽しみとし、平均3500万円を残してああたしかに楽だったとあの世に行き、一匹だと弱いが集団になるとその人生観で集結して一枚岩になって排他的になって強かったりする、それが日本人ではないか。原因は国民にあるんじゃないかと。イソップ、でかいなあ、でもその前から尊王攘夷やってたっけな。そんな国民は地の果てまで行っても日本以外にいないし、なりたいと思う国民もなかろうが思ってなれる国民もないだろうと気がついたのだ。

イソップではウサリスは怠け者だが、現実には勤勉で多大な努力を厭わないのがいる。これは大変に手ごわい。人海戦術的であるカメアリの集団防御戦ではいずれ人垣が崩されてしまうし、すでに危ない水域に来ている。だから日本もウサリス派を若くして選別・分離し、米国MBA並の地獄の特訓で虎の穴にぶちこんで勉強だけでなく命まで取られるかぐらいの仮想の窮地体験を積ませて鍛えまくらないといけない。江戸時代までは藩校がその役目を果たしていた。だから明治の日本はその余禄で文武両道の男だらけでどの国と比べても圧倒的に強く、欧米列強の植民地にならずに済んだのである。しかしもはや「武」の方は叩き潰され、その精神も消し去られ、かろうじて残った「文」で高度成長を果たしたがそっちの息切れも時間の問題だ。円安もあり経済安全保障は危機的な案件が耳に入ってきている。それはとても書けないが、海外トップスクールへの留学生数、PhD取得数、ベンチャー企業のユニコーンの数だけでもご覧になれば趨勢は一目瞭然だ。その現象の根底には消し去られたものの巨大さが透けて見える。

ちなみにAさんは1年半の勉強で公認会計士試験に一発合格した才媛である。当然に専門能力が高いが、そういう人に往々にして欠けているカメアリともうまくやっていける当意即妙力も高く、僕といえば話をするのさえ苦手なのは「どうせわからないと思ってしゃべってるでしょ」と見抜かれている。こういう人にお会いするとエリート選別に男女などなくジェンダーを言うこと自体がそもそもお門違いなことを悟るのである。岸田内閣の改造人事を見るにつけ、自民党にそのセンスはなくいまだにマレーシアのブミプトラ政策だなあと5人の女性閣僚を眺めるしかない。女性が輝く社会でパリで好きなことやらせて輝いてもしょうがない。この感覚は昭和はおろか明治時代とあんまりかわらないし、そういう持ち上げ方は有能な女性に対して失礼千万なのである。

ご覧の通り欧米のトップスクールの学生は女性がほぼ半分である。

日本同様に女性の地位が低いイメージがあるアジアだが、シンガポール、中国、韓国の最難関大学であるシンガポール国立大(8位)、北京大(17位)、ソウル大(41位)はどれも女子学生が5割いる(カッコ内は2024年世界大学ランキング順位)。人口比(5割)に等しいということは女性が何のバイアスもなく最高峰の大学に志願して難関入試に合格しているわけだ。知性に性差がないのはユニバーサルな研究結果だから学生数の女性比は受験者の女性比にほぼ等しいはずだ。したがって、「東大に女性が2割しかいない」のは日本女性の知能がアジア女性より劣るのではなく、日本女性の2割しか東大に入りたいと思っておらず、最高峰の大学に志願する女性はシンガポール、中国、韓国の女性の半分もいないという、いささかの驚きを禁じ得ない事態になっているのである。

この事実は、日本女性には「東大にあえて入りたくないか、入らなくても構わない」と考える固有の理由があることを強く推察させる。人口比5割の集団が2割の集団を作る偏差値は80で、それが長期に続くこの現象は統計として有意に “特異” である。同じ傾向は京大、早慶にも、遍く各大学の理系学部においても見られるため、日本女性の選択の特異性は東大に限らず偏差値上位の大学受験全般に存在するものと推察される。

東大の「女性2割現象」は「ジェンダーギャップ」の大きさにおいて日本が後進国であり、突出した男性優位社会(=女性差別社会)であることを示す一例として欧米人に認識されている。世界経済フォーラム(WEF)が各国における男女格差を測るジェンダーギャップ指数で日本の順位は146か国中116位で最低、アジア諸国の中でも韓国や中国、ASEAN諸国より低い。これは、日本における女性の社会進出が先進国としてはひどく遅れているためだとされる。その認識は学問の領域にも及んでいるという解釈で「女子2割問題」と連結される。その一例が、2019年にニューヨーク・タイムス紙が東大を批判したこの記事だ。

日本の最高峰の大学 女子学生は5人に1人だけ – The New York Times (nytimes.com)

この記事内容に大きな異論はない。昔からそうだったしいまだにそうなんだねという程度でもあり、世界市民のコンセプトで語るなら日本はジェンダー後進国であり日本の女性は不当に抑圧され男女不平等の犠牲になっていると言われても反論することは容易ではない。しかし、本当にそうだろうか。そんな劣悪な環境で生きなくてはならない日本女性が不幸なのか?「男女平等であること」と「女性が幸せであること」は正比例の関係にあるのだろうか?女性は東大など行かなくても幸せだからこの結果なのではないか?学歴を求めないので社会進出も欧米ほどは求めない、それでも幸せなのではないか?この論点は「鶏と卵のパラドックス」の可能性があり両面から考察すべきだが欧米メディアも国内メディアも「ジェンダー後進国だ」と一面しか取り上げないアンフェアな状態が続いている。だからこその本稿の問題提起であり、それを示す興味深いデータがあるので紹介する。世界価値観調査(World Values Survey)による「幸福度の女性優位度」だ。「女が男より幸せな度合い」を国際比較したデータで、日本は7回の世界ランキングで1位が3回、2位が2回、3位が1回、11位が1回だ。つまり、日本女性は日本男性よりいつも幸福であり、その差の大きさにおいてもいつも世界トップレベルであることが示されているのである。

統計の取り方の詳細は不明だが、WVSは社会科学者の世界的なネットワークでありまずは信用に足ると思われる。考慮すべきは、男より女の幸福度が上であってもそれは相対評価だという点だ。「男(夫)よりは幸せだけど私(女性)だって不幸なのよ」ということもあり得る。日本の男は女性に優位で犠牲を強いてはいるが、被害者の女性よりもいつも不幸だと思っている可能性もある。つまり、不平等は何らかの客観的な尺度で測れるが、幸福か否かは主観だからそうはいかず、両者が矛盾して見える結論を出すこともあり得るという点だ。

これについて図表3を引用された統計学者の本川裕氏は適確かつ興味深い数値を用意している。「不平等度」と「幸福度格差」とのR二乗値だ。ほぼゼロなのだ。これは「日本女性は男女平等でなくても幸せ」、したがって、「男女平等でないから日本女性は不幸せと主張する根拠はない」ことが統計学によって証明されたことを意味している。この命題に反論する唯一にして非常に簡単な方法は「日本は男女平等だから女性は幸せなのだ」と主張することである。それにロジカルに反論するすべを僕は持たないし、ひょっとしてそうかもしれないとさえ思うし、かかあ天下という言葉で古くから男性諸氏は表立って奥さんの前で口にできないそれを笑い話で揶揄してきたかもしれない。しかしリベラルは男女不平等が言いたいのだからそれを言うはずがない。それを潰すのが本稿だから僕も言わない。

R二乗値=0は日本が女性差別社会であろうがなかろうが、それを解消してあげることと女性が幸せに暮らせるようになることとは関係ないという証明である。したがって、この式は日本がジェンダー後進国であろうがなかろうが、突出した男性優位社会(=女性差別社会)であろうがなかろうが、日本の女性が不当に抑圧され男女不平等の犠牲になっていようがいまいが、社会(慣習、通念)や両親に男尊女卑思想が残っていようがいまいが、それらとは何の矛盾もなく日本人女性は男性より幸せだと言っているのであり、日本はジェンダー後進国だから日本人女性は不幸だという欧米の一方的な主張は根拠がないことを論理的に示している。つまり、その主張を熱くすればするほど、その人は日本国民に「ジェンダー」を売りこんで洗脳したい邪心を疑われるか、数学を勉強してないことを天下にさらけ出すだけなのだ。

ではWVS調査結果が示す日本女性の幸せの正体は何だろう。まず第一に、日本の古来からの社会慣習、通念から自分に適当な相手を早く見つけて専業主婦に収まって家庭を守るのが自然だと多くの日本女性が考えている結果ではないだろうか。ただしこれは日本女性が怠惰であったり男性に従属的であるという理由からではない。日本にはアジアのどの国とも同次元で語れない決定的な特殊性があるからである。それは太平洋戦争で310万もの兵士(男)が死んでいったことだ。最愛の夫や息子や恋人の銃後を守った精神が母から子へと脈々と継がれ、ハウスワイフごときではないものが主婦という立場にはあると考える女性が学業よりそれを選択しても僕は称賛したいし、それに足る夫がいるのだから幸せなのだと安心もする。男がしっかりしない国ではそういうことは起きないのであり、日本が世界3位のGDPを生み出したのは幸せな女性がいて支えてくれたからであり、これは日本的な夫婦の美徳、愛情という精神的に高次の範疇に属するものであって、どんな木偶(でく)の坊であろうと個を尊重する西洋人のジェンダーという概念などの到底及ぶところではないのである。

もうひとつある。日本人の大半は男も女も『カメアリ派』なのだから、幼稚園から習っている先憂後楽が自然でなじみ深いのは無理もないのだ。東大に入れる学力があっても、入るということは男のキャリア戦争に正面切って参戦し、男も競争相手と認識して真剣勝負してくるということであって、相手を見つけて家庭に入るというもう一つの選択肢からするならば年齢がそれなりに行ってから敗北すると先憂後憂になりかねない。それで人生のリスクリターンが合うのか?賢い彼女らだからこそ当然に熟慮するだろう。とすれば彼女たちがすき好んでガリ勉などせず専業主婦を先憂後楽だと選択しても納得である。つまり東大2割問題はひとえにやる気があるなしの問題なのであって、差別されているわけでもジェンダー問題でもない。やる気があるならAさんのように勉強すればよく、才能を発揮して第一線で大活躍されている女性を僕は何人も知っているわけで、そこに社会の支障があるとは思えない。逆にいえば、勉強もしないのに出世できないのは女だからだというのは、男も同じだからおかしいのだ。さらに加えるなら、昨今の少子化はひ弱な草食獣の男が増えて「男がしっかりしない国」になりつつあるから女性にとって結婚が「精神的に高次の範疇に属す」とは思えなくなってきていることと無縁ではない。結婚ありきの社会通念があったから競争社会で生きる前提を置いて生きていない。だからシングルマザーになるほどの収入は得られず子供を持てないのは無理もないであって、少額の教育費補助や育児のアウトソーシングだけで片づく性質の問題ではそもそもないと僕は考えている。

一流校に学ぶ女性が5割である世界の国々は男女の才能を束にしてかかってきているのに日本は女性抜きの片肺飛行であり、東大(28位)、京大(46位)の順位が低いのは有能な日本人女性を取り逃がしていることが大きいだろうし、まったく同じことが日本国の国力についてもいえる。初の女性総理誕生が待たれる等と言うこと自体がナンセンスで、女性だとやたら「美人何々」と報じたがる知能の低いマスコミのノリで政治家を待望などしてはいけないのである。東大2割問題と同じで優秀な人だけ選べば女性議員は自然に5割(人口比)になるはずである。そうなっておらず衆議院1割、参議院2割であるのは「何をもって優秀とするか」が著しくおかしいからである。国民はそれを吟味すべきなのだ。「女性だから」はあり得ない。「お父さんが政治家です」など論外である。

東大2割問題と女性差別社会(ジェンダー問題)は一見すると前者が後者を生むのかその逆かという「鶏と卵」の相関関係があるように見えるが、多くの日本女性が日本的な根拠のある事情で幸福だと考えているならそのどちらも彼女たちにとっては「どうでもいい」「大きなお世話」である。私見ではそれが現状だ。それでは困るリベラルが「鶏と卵」の一面解釈に過ぎない「ジェンダー問題」にすり替えて論じるが所詮は意欲の問題だから火がつかず、いちおう保守ということになっている自民党は自民党でそれを無視して「女性活躍社会」だの「女性が輝く社会」だのと選挙キャンペーンにしたってもう少しましなのがあるだろうと笑ってしまうぐらい空疎でインテリジェンスの香りすら漂わない、およそエリートが考えたとは信じ難いセンスの言葉を並べてお茶を濁す体たらくだ。どっちもどっちで大きく的外れで、学問、知性の領域という日本が強かったはずの根幹を劣化させる国家的損失の放置を意味するのみである。張本人でもある女性で東大法学部卒の松川るい議員こそが本質を主張して行動をおこせば説得力もあるし保守の男も賛同して総理候補路線だってあり得たろうが、パリ研修を詐称とされてしまう異次元の知恵のなさではそんなことは到底無理だ。後輩を貶める気は毛頭ないが猛省を促す。優秀な女性たちのモチベーションを “正しく” 喚起しなければ「日本女性は充分幸せなんだね」で国民は終わりであり、日本も終わっていくだろう。

日本人に砒素のように効くLGBT法

日本という国に本気で自信がなくなってきた

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プーランク ピアノ協奏曲嬰ハ短調 FP.146

2023 SEP 21 7:07:48 am by 東 賢太郎

この世で最も高級なムード音楽は何かというなら僕はプーランクのピアノ協奏曲嬰ハ短調 FP.146をあげるしかない。なにせ冒頭からいきなりピアノが弾きはじめる主題は「哀愁のおフランス」そのもの。そのまんまモンマルトルでも舞台にした悲恋モノ映画のテーマ音楽にでき、ポール・モーリアかレイモン・ルフェーヴルあたりが日本で大ヒットでもさせようかというものである。これを聞いて忘れる人はまずいないだろう。

ところがプーランクはそんな一筋縄でいく人ではない。このメロディーについている和声が凄いのだ。こういうことになってる。

C#m ‐ D ‐ F#dim/g# ‐ C#m ‐ Fmaj7 ‐ C#m | Bm ‐ E♭‐ Fmaj7‐ B♭m7

う~ん、なんとも妖しい。悲恋ものかと思いきや不条理の影がさしこんでいるではないか。こんなにポップスみたいに「旋律+伴奏コード」のあからさまに単純な音楽を(あえて)書いたクラシックの作曲家もいないが、こんなに “面妖” なコード進行を開発した人も知らない。こういうところはフランス最大の化学・薬品会社ローヌ・プーランの跡取り息子であった彼が音楽学校にいかせてもらえず、ピアノをドビッシー、ラヴェルの友人リカルド・ビニェスに教わった以外は独学だったことによるかもしれない。

コード進行というならこちらにウルトラ物凄いものがあり、あまりに驚いたので書き取ってあるからご覧いただきたい。ここになぜ僕がハーブ・アルパートのライズをひっぱってきたかお分かりの方はお友達になりたい。

プーランク オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲 ト短調

そういえば食事なんかしながら「東さん酔っぱらってる、ぜんぜんわっかりませ~ん」なんて酔っ払って言われちゃうことがある。うんいいよいいよ、わかんねえよなっで終わる。ジョン・レノンはアイ・アム・ザ・ウォルラスについて「最初の部分はある週末にトリップした時に書いて、次の部分は次の週末にトリップした時に書いた。そしてヨーコと出会った後に完成した」とあっけらかんと語った。正直な人だ。プーランクは知らないがバイセクシャルを隠しもせず次から次から相手をかえて渡り歩いてるから堂々たるものだ。その辺はLGBT法案問題で昨今のアメリカ事情を学んだつもりだったが、我が国でも芸能界・財界を震撼させるジャニーズ事件なんてものがおきていて、ストレートな人間である僕は性被害者といえば女性と思いこんでいた非常識を改めなくちゃいけないことにこそ震撼した。このトシにもなって恥ずかしながらまだまだ世の中はわからないことだらけだ。

第2楽章。こりゃなんだ?

こういう妙なものを前に8年前の自分は「モーツァルトの21番とラヴェルのト長調のエレガントなブレンド」なんて書いてるが、要するにアメリカ人にうけそうなムード音楽である。しかし今は伴奏のリズムがショスタコーヴィチ交響曲第5番第1楽章のあの静かなハープと弦のところ、薄暗くて死を暗示しているが物凄くエロティックでもあるあれに聞こえる。あそこ、ショスタコさんホンモノだ、おそるべし。プーランクのこれは1947年で1937年のあれを模したことは一応あり得るがわからない。ともあれこれもとってもエッチだ。最後は変ホ短調と変ホ長調がケンカして意味深におわる。

第3楽章。ロンド・ア・ラ・フランセーズ プレスト・ジョコーソ。さあアメリカの田舎のみなさん、お待ちかねのおフランスですよ、元気よくすっ飛ばしていきましょうね、カンカン踊りましょうか?

この曲はボストン交響楽団が米国楽旅中のプーランクに委嘱した。欧州人がアメリカ人向けに書いた著名曲というとラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」(1909)、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」(1943)がうかぶ。どっちもサービス満点の曲で、後者は米国に移住したがお金がなく、ドがつくほど真面目なバルトークが大衆のお口にあうだろうかと精一杯ハメをはずしたつもりのコーダがまだ地味だというので派手なものに書き直したり涙ぐましい。そしてプーランクはその4年後だ。フランスもフランス、パリジャンの超富裕層、ロシア人やハンガリー人とは目線がちがう。どっちに好感を持つかは人それぞれだがドイツ派で育った僕はプーランク目線だ。本人は「第3楽章を弾きながら聴衆の間に興味が停滞して行くのに私は気づいた。失望したのだと思う」と語っているがちょっとやりすぎと思ったかもしれない。それでも最後はひっそりピアニシモ、しっかりオシャレなのはアンチ・バルトークかな。

初演したプーランク、ミュンシュの録音があるが音が悪くあんまりうまくもない。幸いなことにそれを理想形にしたようなプーランク唯一の弟子、ガブリエル・タッキーノの演奏が残っている。これがあれば僕はほかのはいらない。

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