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「この野郎事件」と移籍の秘話をついに話す

2023 OCT 2 15:15:07 pm by 東 賢太郎

野村證券のとても親しい先輩3人、後輩2人と会食した。皆さん大御所だが同窓会みたいなもので、この3年ほどコロナで集まれなかったぶんだけ酒宴が盛り上がって実に楽しかった。証券マンだからということではなくひとえに超大御所のおかげでこの場は銀座だったら大変なことになるとてつもない酒が並ぶ。もったいないことに僕は下戸だから元からだめ、皆さんはへべれけで味などわからなくなってぐい飲みだ。そういう場でプライベートなことは無粋だから僕はあんまり話したことがないが、今回は誰も知らないことを言って皆さんの酔いを醒ましてしまった。

きっかけは他愛ない。そういう場に恒例の酒の肴、「あの人は今」だ。10年ぐらい前までというと、あいつが**国全権大使になった、大儲けした、芸能人デビューしたなどと良くも悪くも派手だったが、平均年齢60代後半にもなるとろくな話がない。大概がもうなにもやってない、亡くなった、大手術した、かみさんが逃げた、消息ない、ボケた、コロナ後遺症でウンチが出ない、自分で施設に入ったなどという話がひっきりなしだ。やがてネタがきれる。すると次は「そういえば」のオンパレードになる。そういえばあれ凄かったよなあ、営業場の殴り合い。恥ずかしくて世間に言えないよな。あの時さあ、やめてください!って俺はAさんを後ろから押さえ込んで彼がBさん抑えてさ、俺の方が力が強いんでAさん動けなくって手がほどけたBさんに受話器で頭殴られちゃってさ、怒られて大変だったのよ(長い爆笑)。ここで何気なく「いや、実は僕もそれ危なかったんですよ」とぽろりと言ったのだ。そういう人間と思われてないので場が凍りついてしまった。こういう話だ。

某ポストに就任した直後のこと。そこの経営方針について、そういうお立場にあった上司に理不尽(と僕には思えた)に、これでもかと延々と罵倒され、じっと黙って聞いていた。元来凶暴な人間ではないから人生初だったが、つまりそこまで僕を怒らせた人間は世界で皆無だったということだが、ある瞬間ついに堪忍袋の緒が切れ「何だとこの野郎」と言ってその5年先輩を殴ろうと静かに立ち上がった。衆人環視の某著名ホテルのロビーでのことだ。同席していたのが大学レスリング部で鳴らした同期のN課長だったのが幸いだった。殺気を見抜き「東やめろ!」と怒鳴って後ろから押さえ込んでくれ事なきを得たが、色々あったので僕は完全にその気になっており、まだ40代だったので野球で鍛えた右腕は健在で、やっちまっていたら野村證券部長・松の廊下事件の週刊誌ネタを提供してサラリーマン人生は吹っ飛んでいたろう。

Nがなんとかその場をうまく収めてくれた。そのぐらい命懸けで仕事していたから社内でバレようと屁の河童だったが、相手のお立場があったので誰にも言わなかった。何のお咎めもなかったからご本人もNも秘密にしたのかもしれないがその辺は知らない。大変感動したのはNが自分の上司でなく僕を守ろうとしてくれたことだ。どっちも部長で社内では有名人だったからこれだけでも半沢直樹の銀行なら同期が足を引っ張る絶好のネタになり翌日には全社的に知れ渡っていたろう。当時の野村は真逆の素晴らしい会社だった。ところがそういう男気の塊のようなNが他界してしまった。かさねて、そのあたりから人事もだんだん意味が解らなくなり、Nのようなタイプが徐々に不遇になってきたように見えた。これが会社をやめた直接の原因ではないが、まったく無縁でもない。そのとばっくちであったと今になって思う「この野郎事件」。先日家内に初めて話してとても驚かれた。この日は2度目だったが皆さんも同様だった。

競合他社で野村を倒す野心満々の会社に幹部として引き抜かれるのだから、僕はなぜやめるかどこへ行くつもりかを野村の人にはまったく秘密のままいきなり自己都合で退職させていただくこととなった。行き先が知れると週刊誌に実名で載ってしまった。そこも含めて何らの問題もなくそうさせていただいた武士の情けには深謝するしかなく、だから真相を野村の人は誰も知らず、必然として様々な事実と違う情報が流布した。お世話になった方や一緒に戦った仲間には本当に申し訳なかったが何も公表できなかったのだから誰にもしゃべるわけにいかず、何を言われても甘んじるしかない。「おまえそれはいいがあのJAL(の1500億円のファイナンス)な、あれだけは許されないぞ」と突っこまれる。業界で大問題になり日経が社説で証券市場の敵みたいにみずほ証券を連日叩いた公募増資だ。当時の僕が古巣の論理ではまったくその通りなことを意識しなかったはずがない。野村にいたら俺は敵方みずほを叩く側だったなあと心中は千路に乱れていた。しかし、なんというか会社が総会屋事件からいわば左傾化し、海外派では稀な保守の最右翼であった僕はどんどん居場所が狭くなり、気がついたら傭兵募集に志願していてその時の雇用主はみずほ証券になっていた。それだけだ。だから何も悪いと思ってないし、そういう政治を離れればJALのディールは前人未踏のプロフェッショナルキャリアの勲章ですらある。その酸いも甘いもわかってくれ、馬鹿野郎と言いながらあんな大それたことを銀行系でよくできたなというニュアンスで語って下さるのがこの5人の賢人なのだ。

そしてとうとう「この野郎事件」の先にくる移籍の真相を飲み会の帰りに後輩だけにしゃべった。「ええっ、そうだったんですか!」また絶句だ。その先は当時のみずほ証券社長だった横尾さんが産業革新投資機構CEOであり、ソナーの取締役会長もしていただくに至った経緯として書いてあるが、そこに至るまでの急所はあまり書きたくない。それを彼に話そうと思ったのは気まぐれではない。「あの人は今」でみんなぼろぼろで平均寿命も短いが、それもこれもあの頃の野村の異常な激務をくぐりぬけたんだから仕方ない、注意しようなで納得だからだ。つまり僕もそれをしていたひとりだし5人も同じことをしていたのだからたぶん自分ももうすぐぼろぼろかなと覚悟しておられる。しかしそれもジョークで軽く笑いとばせ、普通の人なら思い出したくもないその阿鼻叫喚の凄まじい激務を酒の肴に飲めてしまう腹のすわった素敵なオトナ達と心行くまで会話できたからである。僕は僕で野村はもう無理で転社して大変だったんです、でも必要として下さるところがあって幸いでしたというだけだ。今となっては隠しておく必要もない。やっと暴露して胸のつかえがおりた。

痛感する。世の中能力だけじゃない、運だ。何をやってもうまくいっちゃう人と真逆の人がなぜかいる。お会いした経営者の方々みなそう言われるが、それは全員が成功者なのでみな自分は前者にちがいないと信じているという単純な理由からである。ゴルフで俺は晴れ男だぐらいに根拠はない。それなのに男のあげまんというか周囲にいてくれる人たちも幸せにできると固く信じているのだから経営者という人種は相当狂ってることは間違いなかろう。僕も68年生きて幸せの絶頂も不幸のどん底も何度も何度も大いにいろんなことがあり、その結果の集大成としてそう信じるようになってるのだから全く故無きことでもないとは思う。ただどんな不幸で奈落の底に落ちてもそう思える単なる馬鹿であり、信じてるのであきらめないから何回もやっているうち1度ぐらいは成功もするから俺は運があると思ってる。そういうことかもしれない。そう言ったら先輩、「そこまで徹底して馬鹿なら一つの才能だよ」とのたまわった。

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