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レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」

2013 NOV 28 0:00:23 am by 東 賢太郎

ローマ法を勉強して驚いたのは、日本国刑法で他人の飼い犬を殺すと「器物損壊罪」になることのルーツがローマにあったことだ。どうしてかわいいペットが「器物」になってしまうのだろう?

これはキリスト教が「人は神との契約を結んだ存在」としてその他すべて(万物という)と人とを区分したことが根本原理となる。法の主体は人である。動物は人ではないから万物である。従って、法の主体でない動物(飼われていない動物=野良犬)を殺しても法は関知しない(=罪ではない)が、人の所有する動物は他人(=法の主体である)の所有権を侵害したから罪になる。他人の所有物を壊す罪は器物損壊罪である。従って、他人の飼い犬を殺すと器物損壊罪である、というロジックだ。

2000年も前のローマ法が欧州刑法を経由して極東の日本国刑法にまでこうして形を伝えている。

刑法261条

他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

ローマは世界の現代社会の背骨を作っている。ローマ史にはそうした人間の英知と同時に、人間の残虐さも刻まれている。ローマ皇帝は帝政ローマ期の全歴代152人いたが65%が自然死以外(暗殺、戦死、不審死)で死んでいるという。皇帝は終身職なのでクビにできず殺すしかなかった事情があるが、同時に、皇帝でこれなのだから一般民はと思うと恐ろしい。

ローマの大火は西暦64年7月19日未明に、写真の「チルコ・マッシモ」(競技場、下の写真)の一階売店から上がった火の手が延焼して全ローマに広がった。放縦をきわめた皇帝ネロが自ら火を放ったという噂が広がり、焦ったネロは出火原因の濡れ衣を当時は異教徒だったキリスト教信者に負わせた。

 

チルコマッシモ

民衆を「パンと見世物」で統治したのがローマだ。ネロは多くのキリスト教徒を逮捕すると、即決裁判で全員に死刑判決を下した。史実かどうか知らないが、囚人を飢えたライオンに食わせるのが「見世物」となったようで、血に飢えた民衆は女子供まで見て喝采したという。草食系の日本人とは程遠い感性だ。その舞台がこの写真の競技場だったとレスピーギは述べている。反対側が皇帝の住居であるパラティーノの丘。カエサルはここで競技を見た。アントニウスが皇帝の冠を差し出し、カエサルはそれを拒否したが、王制を嫌悪するローマ市民はそれを見て騒然としたという。カエサルはその1か月後に暗殺された。

<ローマの祭り(Feste Romane)>

第1曲「チルチェンセス」

「チルコ・マッシモ(競技場)の上に威嚇するように空がかかっている。しかし今日は民衆の休日、「アヴェ・ネローネ(ネロ皇帝万歳)」だ。鉄の扉が開かれ、聖歌の歌唱と野獣の咆哮が大気に漂う。群集は激昂している。乱れずに、殉教者たちの歌が広がり、制し、そして騒ぎの中に消えてゆく。」

(注・ファンファーレがネロ万歳、トロンボーン・チューバのスタッカートで鉄門からライオンが入場、聖歌が襲われるキリスト教徒の神への祈り、グリッサンドの暴虐な金管が襲い掛かるライオン、そして残酷な結末を迎える)

第2曲「五十年祭」

「巡礼者達が祈りながら、街道沿いにゆっくりやってくる。ついに、モンテ・マリオの頂上から渇望する目と切望する魂にとって永遠の都、「ローマ、ローマ」が現れる。歓喜の讃歌が突然起こり、教会はそれに答えて鐘を鳴り響かせる。」

(注:イントロは食い殺されたキリスト教徒の魂が昇天するかのようである。歓喜の頂点で鐘が鳴るのが実に印象的。鐘を効果的に使った例としてはベルリオーズの「幻想交響曲」と双璧といえる。ハ長調に対して鐘をシ♭にした効果は絶大で、作曲者の才能を僕はここで最も感じる。)

第3曲「十月祭 L’Ottobrata」

ローマの城で行われるルネサンス時代の祭がモチーフ。ローマの城がぶどうでおおわれ、狩りの響き、鐘の音、愛の歌に包まれる。やがて夕暮れ時になり、甘美なセレナーデが流れる。

(注:この部分はリムスキー・コルサコフの兄弟弟子にあたるイーゴル・ストラヴィンスキーの影響を感じる。そしてこの響きがコープランドの「アパラチアの春」に遺伝している)

第4曲「主顕祭 La Befana」

ナヴォナ広場で行われる主顕祭の前夜祭がモチーフ。踊り狂う人々、手回しオルガン、物売りの声、酔っ払った人(グリッサンドを含むトロンボーン・ソロ)などが続く。強烈なサルタレロのリズムが圧倒的に高まり、狂喜乱舞のうちに全曲を終わる。

( 冒頭は完全にストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」の格下のコピーである。)

この曲はローマ三部作の中で芸術性においては最も劣る。「噴水」にあった高雅な印象派の香りは「松」でやや失せ、ここに至ってはほとんど失せ、一つ間違えば安手の映画音楽に 淫する。ただ、管弦楽の華やかさではレスピーギの技法の頂点ともいえ、それを充分に発揮させた場合の演奏効果は非常に高い。アレクサンドル・ラザレフが読響を振ったライブは圧倒された。

 

リッカルド・ムーティ / フィラデルフィア管弦楽団

ムーティ レスピーギこの曲の文句なしに最高の名演である。同じオケながら、これも悪くないオーマンディー盤が偏差値65なら、それをはるかに凌駕するこれは70を超える。このオケをムーティ指揮で毎週2年間聴いた僕として、この演奏こそ彼らのベストフォームのひとつと断言してもいい。イタリア移民の街フィラデルフィアでイタリア人ムーティのプライドを賭けた渾身の演奏である。金管ばかり目立つ曲だが、主顕祭の弦のうまさをよく聴いてい欲しい。あらゆるオケ演奏の究極の姿であり、この曲がどんなにチープであろうと聴く者を震撼させる恐るべき音楽を聴くことができる。

 

ジュゼッペ・シノーポリ/ ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団

シノ―ポリこの曲を初演したのはこのオケとトスカニーニである。ユダヤ系イタリア人シノ―ポリはパドヴァ大卒の心理学者であり脳外科医でもあり、マルチェルロ音楽院卒の作曲家でもあった。2001年に彼が55歳の若さでアイーダの指揮中に亡くなった衝撃はよく覚えている。92年にウイーンフィルと来日した際にNHKホールで聴いたR・シュトラウス「ドン・ファン」のテンポの遅さは参ったが、ユニークな表現をする人だった。「噴水」「松」だけでなくこの曲をやったのは意外だが、ここではスコアを作曲家の眼で読み解いていて違う曲に聴こえる。

 

最後に、「祭り」だけでなく三部作としての真打ちの登場である。

 

アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団

4547366068405三部作をまとめたCDとして永遠の価値を有するスタンダードであり、人類の誇る名盤中の名盤である。確信のこもった弦のフレージングに血が通い、常に表現に曖昧さは一切なくメリハリが利き、叙情的な場面では神秘的な透明感があり、すべてにわたって地中海の空気に満ち満ちている。木管、金管のうまさはもはや驚異的な領域であり、オーケストラ・プレイの完成度でこれに対抗できるのは上記ムーティ盤のみだろう。三部作を好きな方は当然お持ちだろうし、これから聴いてみようという方は迷う必要は一切ない。これを何度も聴いて、異演盤を聴くのが王道である。全曲を通してどうぞ。

 こちらは珍しいピアノ連弾版です。

ガリア戦記はカエサルのブログである

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