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レスピーギ 交響詩「ローマの松」

2013 NOV 26 12:12:06 pm by 東 賢太郎

イタリアの高校の歴史教科書にこうあるらしい。

「指導者に求められる資質は、次の5つである。知性・説得力・肉体上の耐久力・自己制御の能力・持続する意思。カエサルだけが、このすべてを持っていた。」

bk-4061591274それは「ガリア戦記」を読めば納得する。周知のとおりこの書は彼が「朕は」ではなく「カエサルは」と三人称にて自らの戦略、機略、戦果を克明に活写した軍記である。全七巻を書いた期間については諸説あるが、そのいずれであれ戦場で書いたに違いなく、多忙なビジネスマンが出張先のホテルでブログを書くぐらい(以上?)の速度での執筆でないと到底不可能な分量だ。それにして簡潔、緻密、克明であり、武将というよりも博学な科学者、技術者の文章というイメージを覚える。選挙用のプロパガンダ目的があったようだが、同行の何万という兵士たちも読者、有権者であり虚偽は書けない。彼は弁論術、文才においてもキケロに対抗できる唯一のローマ人といわれた。すさまじいアウトプット能力でありそれは彼の精力にも通ずる。知略には優れたが虚弱で男子がなかったアウグストゥスでなく、この男が共和制を壊して君臨していたら・・・ほとんどのローマ史好きの夢想ではないだろうか。

クレオ                              彼が元老院で暗殺された日にクレオパトラはローマにいた。彼女との逢瀬が暗殺の直因ではないにせよ、つかまっていたらクレオパトラも殺されたかもしれない。そうであったならプトレマイオス朝はそこで終焉を迎えたし、彼女はアントニウスを色香で籠絡もできなかったから、アントニウスはオクタヴィアヌスに攻め殺されることもなかった。鼻の高さがどうあれ、魅力的な話術と小鳥のような美しい声でカエサル、アントニウスを手玉に取った、ローマ史を根底から変えた偉大な女だ。オクタヴィアヌスがアウグストゥスを名乗ると、ローマ帝国の共和政は終わり崩壊への端緒が開かれる。8月は計30日になってアウグスト(August)に呼称を変えたから、世界も変えた。カエサル暗殺現場はフォロ・ロマーノではないが、遺体を焼いた場所はそこにある。遺灰は雨に流され、何も残らなかったそうだ。

「クレオパトラとカエサル」(ジャン・レオン・ジェローム画)

 

アッピアカエサルが20代の頃、第3次奴隷戦争(スパルタクスの乱)が起きた。初めてイタリア本土で起きた内乱でありローマは騒然となった。クラッスス、ポンペイウスに平定され、捕えられた奴隷はアッピア街道(右)添いに100km先のカプアに至るまで累々と十字架に磔(はりつけ)にされた。スパルタクスの遺体はなかったというのが信長みたいでなかなか格好いい。ローマ史では逆族あつかいの男だがマルクス、レーニンが正しい戦争と称賛したことは有名だ。アカは使えるものは何でも使う。そして、ルビコン川を渡ったカエサルに追われたポンペイウスはそのアッピア街道を南下して逃げた。

 

第4曲「アッピア街道の松」にレスピーギが寄せた思いは何だったろう。松これが「ローマの松」全曲を締めくくる音というものは、あらゆる管弦楽曲のなかでオーケストラが出す最大級の音響だ。もう轟音に近い。それとは対照的に繊細な音が終始する「噴水」で時刻とともに移り変わる光彩を描いたレスピーギは、作曲の20年前に描かれたクロード・モネの「ルーアン大聖堂」を知っていたのだろうか。「噴水」がフランス印象派の装いを示すなら、この「アッピア街道」でのローマ重装歩兵の行軍は音のドラマである。

前回にご紹介した「ローマの噴水」という曲は数奇な運命があって、1908年にメトロポリタン歌劇場で米国デビューしたトスカニーニが浮気がばれてメットを去り、15年にイタリアに帰国していた。そこで「自国の管弦楽曲」を探していたトスカニーニはボローニャの歌劇場でヴィオラを弾いていて才能を評価していたレスピーギに声を掛けた。レスピーギは17年のローマでの初演で評論家の失笑を買って机の引き出しにしまいこんでいた「噴水」のスコアを渡した。そこでトスカニーニがミラノで行なった18年の再演が大当たりとなり、一気に有名曲の仲間入りを果たしたのだ。浮気が引き金だ。音楽でも歴史は女が動かしている。

「オペラでなく管弦楽曲を」というのは、ニューヨーク赴任を経て、ラジオ、映画という米国の巨大な音楽市場の未来を見こしたトスカニーニの卓越したマーケティングセンスの賜物ではないかと想像する。芸術に資本主義は似合わないが、ベートーベンだって貴族からの注文だけでなくパリやロンドンの市場動向に敏感だったのだ。特に米国の管弦楽曲へのニーズという市場動向と米国音楽史は無縁ではない。グローフェの「グランドキャニオン組曲」は20年に着想された(31年完成)。ガーシュインは「ラプソディー・イン・ブルー」(24年)、「パリのアメリカ人」(28年)を書いた。

作曲年をよく見てほしい。「ローマの松」(24年)、「ローマの祭り」(28年)と完全にコンテンポラリーだ。「噴水」はフランス印象派の血脈を引いた音楽、「松」と「祭り」はトスカニーニの影響下でアメリカを意識した音楽であり、両者には断層がある。こう理解することで、なぜトスカニーニが芸風とかけ離れた「ラプソディー・イン・ブルー」や「パリのアメリカ人」や「星条旗よ永遠なれ」までをNBC交響楽団と録音し、なぜローマ三部作に名盤を残したのかよくわかる。三部作は彼の子どもなのだ。そしてこの大河の下流にべラ・バルトークの「管弦楽のための協奏曲」(43年)、アーロン・コープランドの「アパラチアの春」(44年)という名曲が現れるのではないだろうか。

<ローマの松(I pini di Roma)>

以下、①-④は切れ目なく続けて演奏される。青字はすべてレスピーギ自身による解説である。天下の名曲、ぜひ全曲をお聴きいただきたい。

『ローマの松』では、私は、記憶と幻想を呼び起こすために出発点として自然を用いた。極めて特徴をおびてローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている。 

①ボルゲーゼ荘の松

「ボルゲーゼ荘の松の木立の間で子供たちが遊んでいる。彼らは輪になって踊り、兵隊遊びをして行進したり戦争している。夕暮れの燕のように自分たちの叫び声に昂闘し、群をなして行ったり来たりしている。突然、情景は変わり、第二部に曲は入る。」

②カタコンバ付近の松

「カタコンバの入り口に立っている松の木かげで、その深い奥底から悲嘆の聖歌がひびいてくる。そして、それは、荘厳な賛歌のように大気にただよい、しだいに神秘的に消えてゆく。」

③ジャニコロの松

「そよ風が大気をゆする。ジャニコロの松が満月のあかるい光に遠くくっきりと立っている。夜鶯が啼いている。」

④アッピア街道の松

「アッピア街道の霧深い夜あけ。不思議な風景を見まもっている離れた松。果てしない足音の静かな休みないリズム。詩人は、過去の栄光の幻想的な姿を浮べる。トランペットがひびき、新しく昇る太陽の響きの中で、執政官の軍隊がサクラ街道を前進し、カピトレ丘へ勝ち誇って登ってゆく。」

①はいきなりまばゆい音のシャワーを浴びせかける。フルート、クラリネット、鉄琴、チェレスタ、ピアノの細かい音符の上下動にトライアングルとトランペットの信号音。オーボエに弦はヴァイオリンとヴィオラだけでトレモロ。低音は一切なし。高音楽器のみのアンサンブルはストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」の冒頭を思わせる。③には作曲当時最新だったグラモフォンによるナイチンゲール(夜鶯)の鳴き声の録音が流れる。このあたりの濃厚な後期ロマン派的和声は本当にすばらしい。

 

CDは以下のものを推す。

アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団

1953年(カーネギーホール)のこの録音はトスカニーニの名刺代わりであるばかりでなく、作品のイデアを刻み込んだ人類の遺産だ。作曲家の意図を同時代人がこれほど完璧にリアライゼーションをしてしまえば後世は為すすべがない。20世紀に至って作曲家の自演は多く存在はするが、演奏としてこのレベルに達したものは極めて稀であり、しかもそれは現代の高水準の演奏レベルでも再現し難い専制君主型指揮の比類ない合奏力と緊張間の中で行われるという絶対的価値持つのである。地球が滅びるまで永遠に聴き継がれるであろう無二の演奏記録だ。

 

ユージン・オーマンディー/ フィラデルフィア管弦楽団

レスピーギフィラデルフィアはイタリア系移民の人口比が多い。サンドイッチの「ホーギー」やアイスクリームなど、食文化にもそれが色濃く残っていたのを思い出す。レスピーギがこのオーケストラに招かれたのもそういう背景があろう。上記青字の作曲者解説は彼が1926年1月15日に自作自演した演奏会のプログラムノートである。直伝のパート譜があるに違いなく免許皆伝の演奏とはこのことであり、しかもそれが史上最高級の演奏技術と音響によって再現されている。こういう美麗な音を聴かずに死んでは人生がもったいない。58年の旧録音、68年の新録音が入っているが録音の鮮度を含めて甲乙つけがたい。

 

レオポルド・ストコフスキー / シンフォニー・オブ・ジ・エア

このオーケストラはトスカニーニのために組成されたNBC響が彼の死後にNBCから契約を打ち切られ、名前を変えて存続した団体である。1941年にNBCと不和になってトスカニーニが辞任した折に常任に呼ばれたのが40年にフィラデルフィア管ともめて退任していたストコフスキーだった。この録音は59年(トスカニーニの没後2年)、このオケがこの旧知の彼を招いて前任の十八番を振らせたものだ。前半はトスカニーニの刻印を色濃く残すが最後のアッピア街道はテンポが遅く、あの推進力を顕著に欠く。エンディングのティンパニは改変されているが、ストコフスキーの抵抗だろうか。上述の「後世は為すすべがない」ことを彼ほどの有力な指揮者ですら示していると思われる非常に興味深い記録だ。

 

2台ピアノ版です。ビデオも楽しめます。

レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」

 

(こちらもどうぞ)

ガリア戦記はカエサルのブログである

 

 

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