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まあいいんじゃない?について

2013 DEC 3 18:18:08 pm by 東 賢太郎

ブログと呼ばれるものを書いてみると、自分のものがYahooやGoogleの検索でけっこう上のほうに出てくることがある。ありがたいことだが、間違ったことを書けないなとちょっと気が重くなるのも事実だ。これが商売でもなし、内容が間違っていて訴訟されるわけでもないが、たくさんの人が読むということは他人様に何らかの誤解やご迷惑をおかけしない保証はない。としたら、それを防ぐのは倫理感、自制心しかない。

昔は活字には重みがあって、「名前が活字になる」というと出世か犯罪を意味していたように思う。旧世代人類である僕は自分の人事発令が新聞に載るとやっぱりうれしくて親に見せたりした。ところが今はネットに関する限りそんなのは当たり前だ。逆に、誰でもネットやメールの活字で他人を大出世させたり悪人にすることまでできてしまう。世の中にそんなに偉人や極悪人がたくさんいるわけではないのはみんな知っている。だから、そういう活字が氾濫することで、活字の方が軽くなってしまう。ことばのインフレーションだ。

ネット上だけの話ならいいかもしれない。しかしそれが現実世界に及ぶことは功罪の二面性があるだろう。現実に誰もできると思わなかった「政治革命」がアラブの春のように起きてしまう事実は、ことばが軽くなるという新現象には社会を次世代に向けて教化する原動力となるということを示唆していると思う。これからネットという仮想空間で育った世代が大人になる。彼らがリアルの世界を動かす時代になると、負の側面が目立ってくる可能性がある。

ネット販売のおせち料理が詐欺まがいだったという事件があった。ネットなんかで買うからさですんでいたが、似たことが一流ホテルのレストランでも起きだした。伊勢えびもロブスターも似たようなものだ、まあいいんじゃない?となった瞬間、ホテルもネット業者も似たものになってしまう。ことばが軽くなるということは、ことばによって抽象的なことを理解している人間の思考回路や倫理観が変質するということだ。そこまで人間の脳みそに影響を及ぼすとを象徴する事件だったと僕は思っている。

ネット上で「匿名」で書かれることば、吹けば飛ぶように軽い「ネットことば」というものによる違うワールドが人類の脳を侵食してきていると僕は思っている。某社のコールセンターの女性が何を尋ねてもあまりにマニュアル通りのことばしか発しないので九官鳥話しているようだった。ああやって九官鳥ちになりきってしまえば、他人になりすますなどお手の物だろうし、歯の浮くようなお世辞やおれおれことばで老人をだましたりも平気なのかもしれないと怖くなった。

これは「公(おおやけ)のプライベート化」とでもいえる現象だ。「おおやけ」というのは家庭内には存在しない。概念としてだけの架空の存在であって、ある意味ネット世界と似たものである。家庭内のことばだけで育っていて、公ことばは「マニュアルどおり」、という人がおおやけの視点に立てといわれても客観的に見てむずかしいことであり仕方がないだろう。だからそういう人がおおやけの場に出てくる機会は以前は少なかった。その人たちは元来、役所が守る対象であり、企業の視点からは顧客であった。

ところがネット化、マニュアル化の社会ではその人たちは人数としては大規模に雇用(あるいは契約)されていて、何らかの接客などの形でおおやけに関わってくるようになっている。別なアングルからは、そういう乱雑な人の使い方をする企業をブラック企業と呼んで社会問題となってもいる。経済学の観点から見れば、一部の企業はそうしてデフレ耐性を獲得して成長しているから、これは日本的な現象かもしれない。「おおやけのプライベート化」はそうやって静かに、しかし急速に進行している。これはなにもブラック企業だけの責任ではない。「おおやけ」を形成することば自体が軽くなっているのが根本的要因なのだと僕は思っている。社会現象というよりも脳内現象だ。

それを教育が防ぎとめているかというと、これも疑問である。ゆとり教育など論外だが、米国流のロジックと効率を重視したMBA型の教育もだめなことは僕自身の経験からわかる。学歴など関係ない。公的サービスや企業倫理の劣化は、高等教育と呼ばれるものを受けたはずの人ですら例外ではないことの証左である。最近の例でいえばJR北海道というまごうかたなき公的企業がレールの検査データを改ざんするという信じがたい事件が起きてくる。製薬会社の新薬検査データの改ざんもしかりだ。まあいいんじゃない?事故で死人が出ても謝ればいいだろう、ただしテレビの前では頭を正確に45度の角度で下げること、なんていうマニュアルでもあるんだろうかと疑いたくなる。

この問題はまた論じてみたい。偉そうなことを言う僕自身はといえば、自ら倫理観や自制心があるとことばに出して書ける立派な人間とは程遠いが、自分の多少は持っているかもしれない倫理観と自制心ではとてもコントロールできる域にない(これが重要だ)、事実と信念に対してマニアックに執着をするという気質を持って生まれてしまっている。もしそれが薄れてきて「まあいいんじゃない?」ということばが心の中で聞こえてくるようになったら、ブログを書くことはきっぱりとやめようと決めている。

 

 

 

Categories:______世相に思う, 徒然に, 若者に教えたいこと

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